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2021-11-02

anond:20211031163129

おすすめ世界史の本教えて」増田だが、思ったより多くの回答をもらえた。ありがとう

興味ある人が多いのか無言ブクマも多いので、自分のためにも興味のある人のためにも、もらったコメントをまとめてみた。

ノンフィクションを具体的に挙げてる回答のみ。重複するものは載せてない。

フィクションを挙げたり、書名や著者名などの具体名は挙げず、こういう本を読むといいのではという、よいサジェスチョンをくれるトラバコメントもあった。ありがとう。参考にさせてもらう。だが今回のリストからは省かせてもらった。

山川出版社『新もういちど読む山川世界史』、世界史Aの教科書

●詳説世界史B(山川出版社

歴史好きならとりあえず読破しておきたい世界史本100(https://anond.hatelabo.jp/20211101232345

山川 詳説世界史図録(山川出版社)、グローバルワイド新世界史図表 五訂版(第一学習社)、最新世界史図説タペストリー帝国書院

●中公の「世界歴史

●超約 ヨーロッパ歴史

創元社戦闘技術歴史』全五巻

中世ヨーロッパ: ファクトフィクション現代知識チートマニュアル

ミシュラングリーンガイド

漫画世界歴史』。どれでもいいけど最近話題なのは角川。

●「なぜ?」がわかる世界史

山川出版社ナビゲーター世界史」。「サピエンス全史」。

サピエンス全史

ガリア戦記

山崎雅弘の「戦史ノートシリーズ

青木裕司世界史B講義の実況中継

大聖堂・製鉄・水車―中世ヨーロッパテクノロジー

●マクニール世界史

阿部謹也堀米庸三伊東俊太郎『十二世ルネサンス』。

宮崎揚弘『ペスト歴史』(山川出版社

●『やんごとなき姫君たちのトイレTOTO出版、『コーヒーが廻り世界史が廻る』中公新書

●『スパイス爆薬医薬品』、『炭素文明論』

●『クロニック世界全史』、角川世界史辞典。『知識ゼロからローマ帝国入門』、『 図説世界歴史』、中公新書物語歴史シリーズ佐藤賢一フランス王朝史『論点西洋史学』。

●『図解 中世生活』(新紀元社)、『中世ヨーロッパ農村生活』(講談社学術文庫)

中野京子の「名画で読み解く」シリーズ

●「世界史講義録」というサイトhttp://timeway.vivian.jp/

●『中世の秋』

書物破壊世界史暴力人類史

●「世界システム論講義」(川北稔 ちくま学芸文庫)、「テクノロジー世界経済史」(カール・B・フレイ 日経BP

ハプスブルク家12物語ハプスブルク家の女たち。「ハプスブルク時代を歌わせてみた」(動画

●銃・病原菌・鉄

山川世界史用語

●河出書房のふくろうの本シリーズ講談社学術文庫の『近代文化史入門 超英文学講義

●『十三世紀のハローワーク

中公文庫の『黒死病ペスト中世史』

岩崎周一「ハプスブルク帝国」

●モンタネッリ。通史なら中公の世界歴史中世の巻(旧版押し)

●「世界史序説 ──アジアから一望する」

●「文明崩壊」

●歴ログ

●「豊かさ」の誕生ウィリアムバーンスタイン

テクノロジー世界経済史

コテラジオ歴史podcast

砂糖世界史

哲学宗教全史

●「税金世界史

家庭教師のトライYouTube動画

●<ゲームから始まる<読書映画リスト>(まとめhttps://anond.hatelabo.jp/20160701063637

●W・H・マクニール『疫病と世界史

●「世界史との対話〜70時間歴史批評

ワイン世界史

ビジュアル版 世界史物語イタリア歴史 (ケンブリッジ世界国史)、イタリア (世界歴史文化)

●『中世シチリア王国

サピエンス全史

●「チョコレート世界史」、「世にも奇妙な人体実験

お菓子でたどるフランス史(岩波ジュニア新書

現時点では以上まで。

2021-08-08

主人公仮面ライダー、そしてジブリ

仮面ライダー主役性別でプチバズ起こってたが

少女(老婆も)主役で、しかオリジナル、単発映画ポリコレ以前の時代

あれだけのヒット連発したジブリってやっぱり創作業界奇跡だったというか

おそらく、海外でも絶対出てこないくらい凄みを持った文化史だったよね

  

何よりも日テレマーケティングが一番助けになってただろうから

(夏はジブリ!とか金ローで放映したりさ)

ライダーで言われてるように「売り方」次第で

女主役の作品も作れるはずなんだがねぇ

 

ま、日本ジリ貧老害大国オワコンだし

もう無理なんだろうなと思うと棄国感情がムクムク出てくるわ

2021-05-07

anond:20210506230444

死ね、じゃないけどもっとすごいことを言ってる昔の人がいるので紹介するよ。

本日紹介するのはこの人、名もない遊女さんです。

平安末期、貴族社会が本気で危機に瀕する中、後白河法皇によって編まれ世紀末ベストアルバム梁塵秘抄からセレクションだ。

我を頼めて来ぬ男

角三つ生ひたる鬼になれ さて人に疎まれ

霜雪霰降る水田の鳥となれ さて足冷たか

他の浮草となりとなりねかし と揺りかう揺り揺られ歩け

ストレートかつ強烈な怨念ソングだね。

まず対象となる相手を「男」と読んだ和歌が少ないことからもこの今様(当時のポップス)の強烈さがわかる。

そして鬼になれ。しかツノが三つ生えてるやつ。で、人に疎まれろよって言われる。なおこの鬼という語彙の使い方は鬼の文化史的にも興味深いものがあるよ。

これは死ねより遥かに強いメッセージを感じるね。

冬の水田の鳥となって足が冷たい思いをしやがれと呪うのも具体的身体攻撃性、死ねとかじゃないのが、そのまま辛い想いをし続けてほしいというより強い攻撃を感じる。

昔の人の中には死ねって直接いうよりもさらに凄みを感じさせる言語術を使いこなせる人がいて、しかもそれを時の最高権力者が拾いあげてるんだから面白いね。

2021-04-12

働く女性・専業主婦・風俗嬢を広く救えるフェミに戻ろう

男女雇用機会均等法(1986)で「女性社会進出」というフェミニズムの具体的課題一定の達成を遂げた後、主流派フェミニズム売れっ子研究者達は社会における女性表象批評男性批判など、より抽象的な男女差別の話に目を向けるようになっていった。それはそれで大事なことだと思うけど、女性貧困というリアルテーマについては結果的に徐々に主流派フェミニズムから言及されなくなった。1990年代には『ふざけるな専業主婦』の石原里紗彼女フェミニストではない)が火を付けた「専業主婦論争」というのもあったけど、このとき専業主婦についてのフェミニズム側の評価ははっきりしないまま下火になってしまった。私見では、当時の主流派フェミニズムでは専業主婦というのは「間に合わなかった人」の扱いだったような気がする。女性みんなが(男性並みの待遇給与で)働く女性になれば、女性生活をめぐる諸課題は解消に向かうけど、いま専業主婦をやっている人達はそれは難しいかもしれませんね、でもシャドウワークにも価値があるんだからちゃん評価しましょうね、みたいな。認めてるけど結果的バカにしてる、みたいな。

女性貧困」というテーマについて地道に調査研究していた女性/男性研究者達はその後もずっといたけど(後述)、そういった人達上野千鶴子小倉千加子のようなスター研究者になることはなかった。当事者の声では、自分の知る範囲だと、専業主婦たちによるオルタナティブフェミニズムの読み解きをしていた「シャドウワーカー研究会」が、そうした主流派フェミニズムに対して同人誌模索舎とかで売ってた)で非常に辛辣な指摘をしてた。最近だと『ぼそぼそ声のフェミニズム栗田隆子もこの系譜に連なるものだと思う。

あと、もうひとつ女性貧困と密に関わるテーマとしてセックスワーカー問題があるけど、これも主流派フェミニズムでは微温的な取り扱いのままだった。SWASH要友紀子さん(『売る売らないはワタシが決める』)ほかワーカーの当事者運動が出てきて、ようやくフェミニズムの界隈でもそれなりの認知を得た形だけど、未だに主流派フェミニズムにとってさほど重視されているテーマとはいえない。特に地方女性支援センターみたいなとこに巣くってる公務員フェミニストは毛嫌いすることも多い。

いまは働く女性専業主婦セックスワーカー、みんなを支えるような「お金労働の話をするフェミニズム」が求められてるんじゃないか。これは新しいフェミニズムというより、伝統的なフェミニズムへの回帰だ。かつて山川菊栄というものすごい女性解放運動家がいた。明治まれで、山川均の妻で、戦後労働省の婦人少年局長をやった。母性保護論争で与謝野晶子平塚らいてうの論争に乱入して歯に衣着せぬ論理的批判で両方ともノックアウトし、ついでにモブ役だった伊藤野枝までボコボコにした驚異のつよつよフェミニストだ。後期江戸文化についても造詣が深く文化史家としても評価されているがそれはまた別の話。このひとはもともと社会主義者だから女性労働問題というのを生涯のテーマにしてきた。戦前家事育児社会化を主張し、60年代日本高齢化社会について警鐘を鳴らし、70年代北欧福祉政策を紹介した。未来学者としても卓越していたんじゃないかと思う。

その彼女名前を冠した山川菊栄賞という賞があった。https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B1%B1%E5%B7%9D%E8%8F%8A%E6%A0%84%E8%B3%9E 受賞者の研究テーマをみれば、決して社会的には目立たなくても、さまざまなかたちで「社会的に弱くある立場女性たち」に注目して課題を掬い上げる実直なフェミニズム女性学の伝統がみてとれる。声の大きいスター研究者にも山川菊栄精神に立ち戻って、具体的に実践的に女性生活を良くするような取り組みに力を貸してあげてほしい。

あと「弱者女性弱者男性のどっちがしんどい」みたいな議論は、ぶっちゃけ言えば低付加価値寄りの労働者階級が男女でいがみ合ってるだけで、どっちが勝っても勝った側がすごく得するような対立じゃないと思う。抜本的に良くするには、横(異性)から取るより、上(上の社会階級)から収奪されてるものを一緒に取り返したほうがいい。幸いこれからしばらくは働き手は不足し続ける。労働運動の軸では弱者女性弱者男性は協力できる部分もある。ミソジニー持ちのクソ男やそれを再生産する社会構造のことは批判しつつ、それでも「もらってない人間」同士で連帯していったほうがいいんじゃないかと思う。

anond:20210412131854

2021-03-25

anond:20210325105106

結構バカに出来ないわなこれ。

美術館博物館も、美術日本史世界史の授業、資料集で抑える美術史・文化史抑えずに見ても表面だけと言わざるを得ないし、東京出身者でも大半はそんなところ抑えてない。

食事に関しては単なる消費者になりがちな都市民よりも圧倒的に文化的だと思うし。

映画も同様で午前十時の映画祭とか行ってる連中の少なさを見ても、ちゃんと名作だけでも古典から学ぼうって連中は数少ない。正直ゲオTSUTAYAちゃんとそれ見てる奴の方が遙かに教養がある。

要は人による、ってことだけど、出身地判断するのは愚か。

anond:20210325130232

面白そうだから俺もアイヌ文化史についての資料集めて反論して良い?こき下ろすとか言ってから1週間は経ってるだろうから、このペースだと半年は君で遊べそうだ

2021-03-01

必読書コピペマジレスしてみる・自分オススメ41冊編(2)

戻る→anond:20210301080105

倉橋由美子聖少女

まり男性女性がとは言いたくないのだが、女性作家の描く知的早熟少年たちというのは、エルサ・モランテの「アルトゥーロの島」なんかでもそうなんだが、男性が描くときはまた違った魅力を発する。サリンジャー知的論理的自分を追い詰める子供たちとはまた別の硬さがあってよい。新城カズマサマータイムトラベラー」の高度に知的でありながら情緒は年相応な少年少女もいい。

さておき、これは近親相姦お話なのだが、印象に残っている描写は次の通り。主人公たちの仲間に大食漢の男がいて、しばしば生肉弁当の代わりに食らっている。回りの女子生徒たちも面白がって彼に餌付け(?)していたのだが、ある女子生徒がブルマーを入れていた袋の中に隠していたウサギを、生きたままで彼に与えた。血まみれで凄惨な場面でありながらも、大食漢は実においしそうに平らげていた。

例の文学少女から薦められて読んだことでも思い出深い一篇。

ミラン・クンデラ存在の耐えられない軽さ」

頭が良くてモテる男が主人公なのでいけ好かないモテること、たくさんセックスすることこそが人生の目的になっているような奴は理解できない。なんか知らないやつにいきなり人の部屋をのぞきまれ、「お前の人生にはエロスが足りない!」と叫んで出ていかれるような気分がする。しかし、これもまた祖国を追われた人間が、知性と皮肉現実適応しようとした姿なのかもしれないのだ。

それと、この本で感謝しているのは、さまざまな政治的活動に対して感じていた居心地の悪さを、「キッチュ」をはじめとしたさまざまな言葉言語化してくれたことだ。ポリコレを正しいと信じているのに、そこにあるどうにも解消できない居心地の悪さが気になる人が読むといいんじゃないかな。

あとは頭が良すぎて、多くの人が無視したり忘れていたりしていることが見えてしまい、幸せになれない著者みたいなタイプが読むと幸せになれそう。イワンカラマーゾフとか御冷ミァハみたいに、頭が良すぎて不幸になるというか、自分の知性をどこか持て余してしまタイプキャラクターが好きだ。

メアリーシェリーフランケンシュタイン

死体から作られた怪物がただただかわいそう。容貌醜悪なだけで化け物として追われ、創造主からも拒絶された彼の孤独を考えるだけで悲しくなる。まったく同じ理由で「オペラ座の怪人」も好きだ。どちらも間違いなく殺人者ではあるのだけれども、容姿馬鹿にされたことがあるのなら共感せずにはいられないだろう。関係ないけど、オペラ座の怪人ヒロインから振られたことを受け入れられたのって、やっぱり正面から振ってもらったからだよな、と思う。音信不通フェードアウトされたら怨念はなかなか成仏しない。

それと、これはSF的な感覚かもしれないが、人間離れした(時としてグロテスクな)姿を持つ存在が、非常に知的であるというシチュエーションがとても好きで、その理由から後述の「時間からの影」や「狂気山脈にて」も愛好している。

ロード・ダンセイニ「ぺガーナの神々」

架空神話ショートショート形式で述べられていく。ただそれだけなのにこんなに魅力的なのはなぜだろう。彼の作品基本的に短く、しょうもないオチ作品も割とあるのだけれども、時に偉大で時に卑小な神々の物語は、壮大な架空世界に連れて行ってくれるし、すぐ隣に隠れているかもしれない小さな妖精魔法も見せてくれる。

テッド・チャン「息吹」

あなたの人生の物語」とどっちにするかやっぱり迷った。映画メッセージ」の原作が入ってるし、増田で盛り上がってるルッキズムテーマ作品だってある。だが、寡作な人なのでこの2冊しか出していないし、片方が気に入ったらきっともう片方も読みたくなる。

表題作は、意識を持ったロボットのような存在がいる宇宙お話なのだけれども、そのロボット自分の脳をのぞき込んでその複雑な仕組みに心を打たれる。そして、世界を観察することで、何万年も経てばこの世界は滅んでしまうことを悟る。人間とは全く似ても似つかないロボットたちだが、やっていることは人間サイエンス、真理の追求という営みと本質的には同じだ。何かを知ろうとする営為の尊さについて語っている。得られた知恵で、自分たちも世界もいつかは終わってしまうと知ることになろうとも、知識を求める崇高さは変わらないのだ。

イワンセルゲーヴィチ・ツルゲーネフ「初恋」

学生時代自分女性に冷たくされる文学が好きだった。からかわれたりもてあそばされたり馬鹿にされたりする作品のほうが好きだ。そのほうがリアリティがあったから。寝取られ文学が好きなのもそれが理由だし、谷崎潤一郎作品も同様の理由で好きだ。

自分馬鹿にしていた少女が突然しおらしくなり、自分に近づいてくる。いったいどうしたことか、と思って期待しながら読んで、絶望に叩き落されるがいい。

イサク・ディネセン「アフリカの日々」

ライ麦畑」でホールデン少年が感動した本。アフリカ植民地で暮らす女性視点からその生活を書いている。友人のイギリス人が亡くなったとき、まるで故郷をしのぶかのように墓が深い霧に包まれたシーンがとても美しい。

個人的には、当時の基準からすればアフリカの人々に対して丁寧に接しており、評価も概して公平であるように感じた。ところどころ「有色人種特有の」といった表現があったり、アフリカ前近代社会とみなしたり、古い進歩史観は見られるし、植民地支配者側から視点批判的に読まなければならないが、色眼鏡比較的少ない観点に心を動かされてしまったのは事実だ。

植民地時代アフリカって、宗主国以外の人もたくさんいたこともわかって面白い。当時は英領東アフリカだが、そこにはスウェーデン人もいればノルウェー人もいる。古くから貿易相手としてのインド人だっている。独立後、彼らは日本人満州朝鮮半島台湾などから引き揚げたように、撤退したのだろう。植民地について理解するためにもおすすめ

J・R・R・トールキン指輪物語

はまった。十代の頃にとにかくどっぷりとはまった。今でも表紙のエルフ文字を使って誰にも読まれたくないことをメモするレベルではまった。

かに話の展開は遅い。重厚に過ぎる。設定を語るためのページも多い。しかし、この長大小説を読むことで、開始数ページで読者をひきつけなければならない現代小説からは得られない、長い旅をしたという実感を得られるのは確かだ。小説家には良き編集者の助言は必要だが、今のように急ぐ必要のなかった時代もあったことは忘れたくない。

中島敦「狼疾記」

李陵」や「弟子」や「山月記」じゃなくてなんでこれなのか、という声もするのだけれど、自意識過剰文学少年の思っていることをすべて言語化してくれているので推さずにはいられなかった。十代の頃の感受性は、何よりもこうしたものを求めていた。親の本棚にこれが積んであったのは幸運だった。

これは「三造もの」と呼ばれる中島敦私小説的の一つであり、世界の滅亡や文明無意味さに対する形而上学的な恐れや不安意識の片隅にある人間なら確実に刺さる内容だ。最後説教パートもさほどうっとうしくない。なぜなら、きっと文学少年文学少女たちは、その言葉無意識のうちに自分に投げかけてきたからだ。

ウラジーミル・ナボコフロリータ

膨大な知識と華麗な文体を背景にして、あらゆる性的な乱行を正当化してしまうのがナボコフ作品の一つの特徴である。語り手ハンバート・ハンバートは十代前半の少女を性の対象とする中年だ。自分初恋の思い出がどうこうとか述べているが、それだって言い訳だ。

しかし、この作品はただの小児性愛者の物語ではない点が油断ならない。少女ロリータはただ性的搾取されるだけの存在ではなく、自ら性の冒険に乗り出す。清純で清楚な少女という幻想は、最初からハンバート夢想の中にしか存在しない。ハンバートにはロリータ内面や考えなど最初から見えていなかったし、見ようともしてこなかった。

ただのスキャンダラスな本ではない。これは一人の身勝手男性心理の解剖である

新美南吉「屁」

ごんぎつね」の作者として知られるが、こんなふざけたタイトルの話も書いている。しかし、これは「自分は常に正しい、正しく道徳的であらねばならない」としてきた子供挫折を描いた小説であり、この社会弱者にあらゆる責任を擦り付けている様子を全く卑近話題から告発した話なのだ自分がした屁の責任かぶらされた、いつも屁をこいている少年への同情と軽蔑は、僕らの弱者への姿勢のものじゃなかろうか。

短いし、青空文庫で読めるのでオススメ

https://www.aozora.gr.jp/cards/000121/files/3040_47823.html

仁木稔「グアルディア」

遺伝学の発展が少し早かったパラレルワールド未来舞台にした愛憎劇であり、変身ヒーローものでもある。ただのSFと違うのは、さまざまな文化が変容を受け、再解釈を受けて受容されることまでもプロットの一部として組み込んでいるところだ。さらには疑似科学陰謀論社会関係も描いている。今、読まれてほしい作家の一人だ。

仁木稔作品は僕の好み、ストライクど真ん中なんだけど、世界史や文化史、自然科学物語論の素養がないと(かじるレベルでいい)作者の構想を味わい尽くすのが難しいので、滅茶苦茶売れる作品にはならなそうだというのは認めざるを得ない。現に舞台ラテンアメリカ日本人になじみが薄いし、シリーズの別の作品中央アジアだ。それでも、伊藤計劃と並んで、社会学なんてつまらないって誤解を解いてくれた大きな恩がある作家だ。早くこのシリーズ最新刊が出ないか、今か今かと待っている。

イザベラ・バードイザベラ・バード日本紀行」

明治一年日本都市から農村を実際に歩いて見聞した手記である。率直に衛生状態の悪さやはびこる迷信批判している箇所はあるものの、その率直さが当時の日本がどんなだったか身びいきなしに教えてくれる。現代日本人が近隣の、例えば東南アジア諸国を見聞して不満がる、偽ブランドの横行や衛生状態の悪さ、家畜との同居や騒々しさなどが明治日本ではごく普通だったってことは知っておいていいと思う。

著者は北海道にも足を延ばした。アイヌ民族について日本人よりも好意的に描いている場面もある。しかし、当時の西欧人の感覚でよくわからないのだが、「粗野な外見だけどとても優しい目をしている」と褒めた民族のことを、別のところでは「将来の可能性を閉ざされ民族である」と書く点だ。もしかして、かつての人々が持っていた、文明と野蛮の間にある壁・差異イメージは、僕らが直観するよりもはるかに深刻な差別意識内包した、強固な偏見に根差しものだったのかもしれない。単純な軽蔑どころではない、もっとひどい無理解に基づいた恐ろしい何か。同じように、キリスト教によってこそ日本の悪習は絶えるという発想がどこから来たのか。そういうことを考える意味でもおススメしたい。

ハン・ガン菜食主義者」。

とても面白かった。父の暴力を遠因として、あらゆる動物的なもの嫌悪するようになった妹と、ただやり過ごすことで生きてきた姉を軸に描かれた三連作。壊れた夫婦描写に優れる。

妹は最後には精神を完全に病んで、何も食べられなくなるのだけれども、彼女が持つ植物になりたいという妄念が、本当に精神病の患者さんを観察したんじゃないかってくらい、細部にリアリティがある。

姉はおとなしいのだが、自分はただ忍従し、やり過ごしてきただけで、自分人生を全く生きていなかったのだと、夫の裏切りによってやっと気づく。夫は夫で、そのおとなしい妻に対して息苦しさを感じている。他の家庭のように、怒鳴り散らしてくれたらどれほど楽か、と嘆くのだ。

韓国ってよく叩かれているけど、日本と同じように家族のしがらみとかとかで苦しむ描写が多いので、意外とわかりやすい気がする。

進む→anond:20210301080225

2021-01-25

昨日、久々に匿名ブログを書いた。

ずっと昔に書いた自分匿名記事が残っていたので読んでみたけど、今とは全然違う考え方をもっていたようだった。

まるで赤の他人が書いた文章みたい。

今見ると、恐ろしく短絡的で愚かで、断定的。まったくどうしようもない人という感じする記事だった。

さて、2週間ごとに本を5冊図書館で借りていますが、今度から借りる本をこういうふうにしようというのを決めていこうと思うんです。

まず、1冊目は、シリーズもの

山本周五郎藤沢周平時代小説。今は剣客商売を読んでいるけど、10巻の「春の嵐」まで読んだので、そろそろ終わってしまう。

今読んでいるシリーズは、剣客商売千夜一夜物語ナルニア国物語

千夜一夜物語も10巻まで読んでいる。

そのシリーズを1冊借りる。

2冊目は、新しい物語

先日、マハーバラタの上を読んだけど、新しい物語。今まで読んだことがない物語を借りる。

3冊目は、積本。

小説とかではなく、どっちかというと専門書的なやつ。

今週は、「夢の劇場」というのを借りているけど、この手の本は読むのに時間が圧倒的にかかる。本当は買って読むべきなんだろうけど。。

できれば、松村先生占星術2も通読したいけど、これも多分買わないと無理かも・・

4冊目は、占星術ユング心理学グノーシス、おそらくミトラ教関係神智学関係

最近、この手の本を借りたり、借りなかったりで、知識の増え方が緩慢になってきた気がする。

先週来、老松先生という大阪大学の人の出したユング心理学の本を読んで、もっと勉強しなくてはと思うようになった。

ユング心理学をやると最終的にグノーシスミトラ教の方向に行き着く。

ヘルマン・ヘッセは、ユングと親交があったそうだ。

シュタイナー神智学ももっと読まないといけないけど、全然進んでいない。

前に、「オカルト生理学」の抜粋を読んで面白かったので、読んでみたけど、たぶん、これも難解な本で、買うべき本なんだろうな、と思う。

5冊名は、できればヨガ、とか、今興味を持っている工作とか、地震前兆とかの本。物語でもなく、占星術でもなく、積み本でもない、新しい分野の興味のある本。

こんな感じでやっていったら、偏りがなくなるんじゃなかろうかと思いますけど、どうでしょうかね。

とりま、来週は、

1. シリーズ 剣客商売11 勝負

3. 積本 鉱物宝石文化史

は予約した

5は今読んでるクンダリニーヨーガの本を書いた人の呼吸法の本がいいかなと思っている。

4は「アイオーンを読む」が面白そうというか昨日ちょっと読んだけど、ぜひ読んでみたいと思った。けど、これもちょっとやそっとで読める本じゃないし。。。

来週は、この2冊+「ありのフェルダ」っていう絵本にしようかな・・

結局思い付きで進んでしまう・・

結局

① 剣客商売11

② 鉱物宝石文化

③ 倍音唱法

の三冊にしました。

2020-11-13

anond:20201113140136

ある言語に「統一」することはそもそも不可能なのだ

現時点で、国際語となっている英語には、すでに多数のバリエーション(つまり方言)が存在しているのだ。イギリス英語アメリカ英語オーストラリア英語が違うことはよくネタにもされるので普通に知っているだろうが、英語母語とする話者一定いる地域誕生すればそこには必ず方言誕生するのだ。仮に日本公用語英語と定め、数世代あとに日本人が英語母語とするようになっても、気候歴史文化等々が他とことなるこの地で話される英語は必ず「日本英語」、ジャパニーズイングリッシュ英語日本弁になってしまうのだ。つまり統一」など最初からできないのだ。(そして、極めてリアル想像すれば、方言である日本英語」は、英語話者の中では、おそらく社会的差別される方言になるのだ。日本でも、方言話者がどのように扱われるかを見れば、それは簡単理解できるのだ。)


日本語を廃することは不合理なのだ

なぜなら、言うまでも無く、日本という地や文化歴史等々についてこれまで書かれた文献はそのほとんどが「日本語」で記されているのだ。日本に住む者にとって極めて重要情報源ほとんどが「日本語」なのだ。にも関わらず、それらの文化リソースを、数世代後の我々の子孫はそれを母語レベル理解することができなくなってしまうのだ。これはものすごいロスなのだ。もちろん、「その代わりに膨大な英語圏に関する文化リソースを手に入れられる」じゃない?と反論したいのだろうが、それは怪しいのだ。なぜならば、言葉文化はセットだからなのだ文化的な背景、自然文物に対する理解がない中で言葉だけを習得しても、それは月面で育つ地球人のようなもので、言語文化資産の十全な継承などおぼつかない、それは単に「全く新しい文化を一から作る」のとほとんど同じことなのだ。それは「古文漢文」がかなりの割合で読めなくなってきている現代日本が抱える問題でもあるのだ。


移行期間云々のこと

移行期間といっても、切り替えるだけなら実はそれほど時間はかからず、おそらく数世代完了するのだ。上で触れた「文語口語」の切り替えなど、一世代もかからなかったのだ。つまりそういうことは大した問題ではないのだ。ただ、その先に誕生するのは、上で述べたように「日本語的英語を使い、英語文化バックボーンはなく、かつ過去自分たち自身リソースへのアクセス力までも失った、新しい文化を一から創出しなくてはならない1億人」なのだ人口1,000人の小さな島で起きたことなら、その悲劇理解する人すらやがていなくなるだけで終わるだろうが、世界に大きな影響を与えるそれなりの規模の国家で行ったらどうなるか、想像するだに悲惨なのだ。まあ、日本が没落することで喜ぶ国があるとすれば、その国にとっては喜ばしいことなのだ。

日本語的英語」って?

英語公用化された第一世代は、日本語が入り交じった、たどたどしい英語を使うのだ(これを「ピジン」という。)一部の人は、留学などを通して「正しい英語」を身に付け特権階級化するが、だいたいの人はピジンの方を使うのだ。そうして次の世代になると、最初からピジン母語として使いこなし始めるのだ(これを「クレオール」という。)上の方で、日本公用語英語にしても、使用されるのは「日本語的英語」になる、というのは、つまりこの「クレオール」のことを指しているのだ。

たとえば「洋食」。カツ。カレーライス。いずれも食のクレオールなのだ。仮に「正しいカツレツとは○○である」とか「カリアー&ライスは一バリエーションであってそもそも英国式カリアースパイスドシチューだ」みたいな蘊蓄を並べて啓蒙しようとする人がいても、残念ながら世間では「かつ丼」やら「カレー」が登場し、オリジナルの「カツレツ」や「カリアー&ライス」とは全く別の料理が定着し文化になってしまうのだ。かつ丼カレーうまいから仕方ないのだ。言語でも、それと全く同じ事が起こるのだ。仮に最初一所懸命カツレツを作るフランス料理人を招いて教えてもらったところで、最終的に定着するのは「かつ丼なのだ。従って、「日本語を廃して英語公用語化しよう」なんて主張しても、「日本の食を全て『フランス料理』にするために和食廃止する」ことにはならなくて、単に「日本の食を全て『かつ丼』にするために、和食廃止する」みたいな訳分からないことにしかならないのだ。そもそもかつ丼うまいのは、和食うまいからなのだ。つまり本末が七転八倒なのだ

最後にただし……

ここまで書いて何だが、元ネタの話に戻るなら、結局「言語は滅ぶものなのだ。これは避けられないことなのだ。日本だって10年前と現在ではかなり違うのだ。むしろ言語は日々滅びており、そして日々滅びることをやめたとき言語は「死ぬ」のだ。方言が生まれるのも、見方を変えれば「標準語の滅び」だし、方言が消えるのも、見方を変えれば「標準語(という新たな方言)の誕生なのだ。そこに貴賤はないのだ。だから言語学者は「言語が滅びてはいけない」というような価値判断をもって言語に向き合うべきではないのだ。もちろん、自分研究対象としていた言語話者絶滅したら途方にくれるのは理解するが、それは文化史論的な見地から言うと、一つの現象に過ぎないのだ。たとえば、関西では最近TV等の影響もあり、日常的にかなり関東風のイントネーションで話す姿を多く見かけるようになってきているのだ。これは、一種の「滅び」でもあるし「誕生」でもあるのだ。なのに、「滅び行く関西弁を守れ」とか言い出したら、それは愚かなのだ。そういうのは、たとえば生物多様性が失われる……といった話とは全く違ってただの懐古厨なのだ。そのあたりを勘違いすると、元ネタ言語学者のように妙なエッセイを書き散らすことになるのだ。

日本廃止論への反論は、上に書いたように政策的にマイナスであり、そして現実的にも不可能だという話に尽きるのであって、「滅び行く言語を守れ」みたいな感情論に落とし込んではいけないのだ。感情論現実の利の前には極めて無力なのだ

2020-08-27

コロナウイルスがもたらす日本人文学危機

コロナ人文学ヤバい

といっても哲学とかそういうのじゃなく、歴史学とかがヤバい

もうちょっと言うと、日本史とか日本文学とかはぜんぜん大丈夫なんだが、西洋史とか東洋史とか、要するに外国のことを調べる学問ヤバい

今はまだ大丈夫だけど、じきに破綻する。

なぜかといえば非常に単純な話で、研究を進める上で必要資料アクセスできないからだ。

歴史学根本は、オリジナル資料(=一次史料)にあたることにある。一次史料には色々な形態があるわけだが、歴史上の出来事の背景とかを実証的に調べようと思ったら、公文書館にある史料を使うことが不可欠だ。

そして公文書館というのは行政機関なので、日本国立公文書館外務省外交史料館東京にあるように、あるいはイギリス国立公文書館キューにありアメリカ国立公文書記録管理局ワシントンDCにあるように、当然ながらそれを管轄している国や地方自治体に設置されている。

そう、公文書館に行けないである

コロナが2~3年で過ぎ去り、その後はすべてが元通りになるなら、その数年を耐え忍べばいい。数年が過ぎればまたヨーロッパなり世界の他の国なりに行けるようになる。当然、歴史学も元通りだ!

でも残念ながら、中東諸国の割安の航空券ヨーロッパ渡航できる日々は、もう戻ってはこないかもしれない。航空券が割高になるだけではなく、全世界的に航空産業が縮小し、これまでであれば容易にアクセスできていた史料アクセスできなくなるかもしれない。

明治維新以降、政府が雇ったお雇い外国人たちによって、ランケに始まる近代歴史学日本に持ち込まれた。だが初期の日本歴史学はあまりにお粗末なものだった――現在の水準からすれば。

オリジナル史料を見ずに、西洋人の書いた歴史書を読んでそれを日本語で紹介して論文を書き、吾は教授でございと偉そうな顔をしている。英語フランス語ドイツ語の文献だけを読んでヨーロッパ史全体を講じるなんていう無謀なことが平気でまかり通っていた。

けれど、そのような稚拙な「論文」も必要だったのだ。日本歴史学が独り立ちするためには。

やがて、それらの先人たちの業績を踏み台にして、きちんと史料集(=オリジナル史料を集めてまとめた本)にあたって論文を書く人や、英仏独だけではない色々なマイナー言語習得して研究する人が増えてくる。そして、交通技術の発展に伴って海外旅行安価になるにつれ、国外文書館アクセスして論文を書く人が増え、英仏独以外の言語を学ぶ人が増え、留学して現地で学位を取る人も増え、日本歴史学レベルはどんどん上がっていった。

2000年代から2010年代にかけての日本歴史学界で生み出された外国研究レベルの高さは誇るに値する。もはや横のものを縦にしただけではまともな論文とは見做され得ない。現地の言語を読めることが最低条件で、その上でどのようにオリジナル面白い研究成果を積み上げるか。多くの研究者たちが競うように優れた論文や著書を生み出してきた。

そこをCOVID-19パンデミックが直撃したのだ。

留学の予定も史料収集計画も、すべてが白紙になってしまった。

分野によって違うと思うが、外国史を学ぶ者は多くの場合修士課程博士課程で留学をする。これは現地で史料収集したり、現地で言葉勉強したり、現地の研究者と触れ合ったりするきわめて重要プロセスで、修士卒ならともかく博士号を獲ろうと思うなら避けては通れない。多くの研究者はだいたい1年から3年くらいの留学を経て、外国歴史に興味がある若者から若手の歴史研究者へと成長する。

COVID-19直撃世代は、この留学経験を持てない。彼らは外国研究者として足腰を鍛える機会を奪われることになる。

2~3年でコロナ禍が終熄するなら、この世代が数年間のハンデを背負うだけで済む(たとえば、留学することな博士課程の年限が来てしまったとか、在学を引き伸ばす羽目になり学費が余計にかかったり就職市場に参入するのが遅れたとか、せっかく学振DCを取ったのに海外調査をすることな任期が過ぎてしまったとか、そういう悲劇が量産されることだろう――外国研究者は学振研究費のかなりの割合出張費に充てている)。

けれど、コロナ禍が終熄しなかったら、あるいは終熄後に海外調査ハードルものすごく高くなってしまっていたら、日本外国研究は大きな打撃を受けるだろう。

そりゃ、留学終えてる組は今すぐに困るってことはない。彼らはもう現地語ペラペラだし、これまでの現地滞在史料たっぷり集めてるだろうから、当面はそれを消化しながら外国研究者とオンライン会議すればいい。

でも、これから留学しようとする人たちは、現地に長期滞在して外国能力を鍛える機会を奪われ、史料を集めることもできず、中途半端研究能力しか持てないままに博士課程を終えざるを得ないことになる。

もちろん、先行世代よりマシな点もある。デジタルアーカイブの発展によって、従来は現地の図書館に行かないと見られなかった古書や古新聞が自宅にいながらにして読めるようになった。中には所蔵している史料ウェブで見せてくれる親切な公文書館もある。外国雑誌だってオンラインで入手できるし、何なら研究書をkindleで読んだっていい。そういえば友達ドイツ語学術書kindle版で引用していた。

から研究の水準が明治時代に戻るということには、おそらくならない。

ただし、その方向性限定される。

どのような種類の史料必要かは、結局研究テーマに左右されるのだ。もしも「ドイツにおける日本人のイメージ歴史」を調べたかったら、古書や古新聞を徹底的に調べればそれでいい。けれど、「1960年代における西ドイツ政策決定過程」みたいなテーマを扱おうと思ったら、公文書館史料を見なければお話にならない。

現代日本で考えてみればよくわかる。「安倍首相メディアでどう扱われているか」と「安倍内閣の内側ではどんなふうに物事が決められているか」とでは、立論に使うべき資料全然違う。前者は新聞ネットを見ればそれでいいが、後者情報公開請求必要だし、『朝日新聞』や『週刊文春』だけを見て後者を論じたら手抜きだと謗られるだろう。

そして歴史学とは「昔のことなら何でも扱う学問」であり、内部には表象を論じる研究から外交政策を調べる研究者まで色々いるのだが、後者のような人たち――つまり研究のために文書館史料必要とする人たち――の研究はずいぶんやりにくくなるだろう。外国研究において、思想史文化史古代史の割合が高くなるかもしれない。

(いやでも、ガチ思想史文化史をやろうと思ったら文書館史料を見ないといけない局面も割と出てくるので、思想史なら文書館行かなくてもいいでしょ、という話にはならないんだよな……明治時代知識人留学先の国に出かけてその国の文書館史料使って明治期の思想についての本書いた人とかいからな……逆にある程度昔の外交史だと関係する史料ほとんど翻刻されてたりするし……)

逆に、先行世代よりも悲惨な点は何か。

それは研究レベルが上がってしまたことだ。

ネット上で読める範囲古書や古新聞だけを史料として使って「18世紀におけるドイツ諸邦の外交」みたいな研究をまとめたとして、明治時代ならこんな多くの一次史料を使うなんて素晴らしい研究だと大絶賛され東京帝大の教授になれるかもしれない。でも現代では、研究レベルが上がってしまった現代では、「新聞しか見てないじゃん。文書館史料使ったの? え? 使ってない? レベルいね」と一蹴されてしまう。論文英訳なり独訳なりして海外ジャーナル投稿しても、それなりのレベル雑誌からは軒並み落とされるだろう(というか、国内でも有力学術誌の査読を通過できるとは思えない)

ふんだんに文書館史料を使う質の高い研究に慣らされてしまったら、今更横のものを縦にすれば教授になれていた時代研究水準には戻れないのだ。

ハードルを下げる?

外国最先端研究成果がワンクリックで手に入るこの時代に?

つい去年まで史料調査のために渡航するのが当たり前で、今アラサー以上の人たちは研究水準が高かった時代を身を持って知っているのに?

コロナ禍の影響が数年で収まるのなら、業績の不足で苦しむのは直撃世代だけで済む。だが、もしもコロナ禍の後遺症が何十年も続くのであれば、外国史を研究する歴史家たちは困難な撤退戦を強いられることになるだろう。

それはより史料入手の容易なテーマへの撤退戦であるかもしれないし(政治史ハードルが高いから、表象歴史とかを研究しよう)、より史料入手の容易な国への撤退戦であるかもしれない(○○国と比べて××国の方がデジタルアーカイブが充実してるから、○○史じゃなくて××史をやろう)。

ともかく、これまで日本歴史学が積み上げてきた多様性は、徐々に失われていくことになるだろう。

日本外国研究にとって、冬の時代が迫っているのかもしれない。

まあそうは言っても史料さえどうにかなれば研究はできるので文化人類学記述言語学よりはまだマシ。これらの学問では現地に長期間滞在して現地人の間に分け入って調査する必要があるので、現在レベル渡航制限が長続きすると文字通り危機に瀕する。これらの分野では伝統的に外国に関する研究が盛んで、オセアニア島国アフリカの奥地で調査してきた日本人が何人もいるのだ。今後、外国舞台にした文化人類学記述言語学は消滅し、国内対象として細々と生き延びるほかなくなるのかもしれない……

(まあ、国内伝統文化方言を保存するために、一度外国文化言語記述するのに使っているエネルギーを全部日本に関する研究に注ぎ込むのもアリかもしれない……でもCOVID-19で次々と伝統的なお祭りやら寄り合いやらが中止になっているし、うかつに都会の大学修行する若手研究者が離島山村に出かけてお年寄りのインフォーマントと接触するのもはばかられるよなぁ……)

ブコメにお返事

日本だけの問題では無さそうなのでよりデジタル化したりオンラインで閲覧する仕組みが出来そうだけど

デジタルアーカイブの発達はうながされるだろうけど、そんなに急速には進展しないだろう。それには2つの理由がある。

第1に、単純にデジタル化はすごい大変なのだマトモな国なら行政の作った公文書は破棄されずに何十年にもわたって保管されているのが普通で、それらすべてをデジタル化するのは労力がかかるというのは納得してもらえると思う(国だけじゃなく地方自治体にもその自治体公文書集める公文書館があったりするからね。連邦制の国だと連邦レベル・州レベル・市レベル文書館が別々に設置されていたり)。優先順位をつけてやっていくほかないけど(「まずは外交関係公文書を先にデジタル化しよう。環境保護関係は後回しだ」)、優先順位の低いテーマ研究しようと思ったらそれでは困る。

第2に、困るのは外国研究者だけで、本国研究者はそんなに困らないのだ。

日本人がイギリスドイツ調査に行けなくなっても、イギリス人やドイツ人の歴史家は何も困らない。彼らは渡航制限など気にせず自国にある公文書館アクセスできる。これは日本のことを研究する日本人の歴史家にとっても同じだ。仮に外務省外交史料館から外国研究者の姿が消えたとして、いったい日本研究者になんの不都合があるのだろう?

(ここでは「外国人」と書いたが、厳密には、外国拠点を置く研究者と言った方がいいだろう。日本大学で教鞭を執っている中国人日本史研究者はなんにも困らない。逆にうっかり日本学の専門家として英米大学就職しちゃった日本研究者は大変だ。また、日本研究する歴史家がなにも困らないというわけではない。日米関係歴史研究しようと思ったら当然アメリカに行かなければいけないし、国内政治だけを研究する場合であっても、日本政府公文書管理がザルすぎるせいで重要史料日本じゃなくアメリカにあるみたいな状況もありえるので……)

まり世界的に、自国研究する研究者にとってはあんまり困らないが、外国研究する研究者はめちゃくちゃ困る、という状況が訪れると思われる。外国研究者への配慮が、果たして自国公的施設デジタル化への強い圧力となるだろうか? 正直疑問だ。

資料を集めたり読んだりするのはその国の研究者に依頼する、というのはダメなの?現地に行く必要性がよくわからなかっった。

第1に、それ本国研究者に何のメリットがあるの? お金を払ってやってもらうとして、その人件費渡航費よりも安上がりだとはとても思えないんだけど…

第2に、史料の山に埋もれて色々探していく中でお目当ての史料を見つけるコツとか時代ごとの史料の特徴を見分ける目とか崩し字の読み方とかそういった歴史家としての技倆が養われるので、単純に他人に任せればよいという話ではない(「時代ごとの公文書形式の違い」みたいなのも当然論文テーマになるけど、これ書くためにどのくらいの史料読む必要があると思う?)。

ていうか、なんか勘違いされてるフシがあるけど、読んだ史料が全部研究に使えるわけじゃないからね。目録面白そうな史料があったか地方文書館に足を運んで閲覧してみたけど期待ハズレで全然使えませんでした、とか、膨大な史料の山を探しまわってようやく使えそうな史料の一群を見つけました、とか、何気なくパラパラめくってた史料の片隅にさり気なく重大なことが書いてありました、とか、そういうのあるあるなので。お目当ての史料だけ外人コピーしてもらえばいいじゃん! なんて夢物語しかない。

第3に、そもそも論としてなんで自分研究オリジナリティの源泉たる史料の入手を現地人任せにするのか。現地の文書館に通って現地人がちっとも注目してないけど重要史料を発掘したなんてこともあるわけだけど、そんな史料を現地の研究者にコピーさせられるわけないだろ、常識的に考えて……論文で発表するまで史料存在をひた隠しにするわ……(現地人が自力でたどり着く分には止められないけど、わざわざここにこんな重要史料がありますと教えてさしあげる必要はどこにもない)

日本史であっても一次史料海外にある日本キリシタン史では、史料アクセスハードルが以前から言及されていたのを思い出した。

なおアジアアフリカの旧植民地ではそういう状況がデフォルトの模様。日本史研究する日本人の歴史家は日本国内研究を完結させられる余地があるけど、インドネシア史を研究するインドネシア人の歴史家がオランダに行けませんとか、インド史を研究するインド人の歴史家がイギリス(ryとか、台湾史を研究する台湾人の歴史家が日本(ryとか、そういうのはマジで研究に支障が出るよなあ……

そもそも論だが、「日本人が」イギリス政治史とかドイツ経済史とかを研究する意義が不明。「現地の研究者に任せる」だと何故駄目なのか?

それな! ぜひ同じことをドナルド・キーンロナルド・ドーアケネス・ポメランツイアン・ニッシュJ・ヴィクター・コシュマンブレット・ウォーカーにも言ってきて!

2020-08-16

10代で岡田斗司夫唐沢俊一の本にハマった人の精神

はてブで久しぶりに岡田斗司夫唐沢俊一名前を見た。

現在、彼らへの言説はほとんど批判一色だ。自分批判的に見ている。

しかし、かつて彼らの言説が支持されていた時代もたしかにあったのだ。90年代後半の、ある一時期に。

けれども、彼らの本をかつて熱心に読んでいたと口にする人はいない。

スレイヤーズリスペクトを表明する人がいないのと一緒で、彼らの本を熱心に読んでいたってことは「恥ずかしい」ことなのだと思う。

しかし、ここは匿名ダイアリーなので、自分は書いてしまおう。

 

あれは90年代後半だった。自分自意識を持て余していた。

アニメ漫画といったオタクコンテンツが好きなことに後ろ暗さを感じていた。

エヴァはヒットしたけれど、それだけで、オタクたちへの一般的視線はまだまだ一段低く見る傾向が強かった。

自分は15歳で、クラスの端っこでオタク仲間と固まって学校生活を送っていた。

初めて缶コーヒーを買ったのはUCCエヴァだし、下敷きはスレイヤーズだったし、授業中は『ブギーポップは笑わない』を読んでいた。

毎日18時には家に帰ってテレ東アニメをぜんぶ見ていたし、lainトライガンといった深夜アニメを録画して視聴していた。

これはすごいものだ」と夢中になっていたが、「自分は一段低く見られている」という疑心暗鬼でびくびく暮らしていた。

今でいえば「自己肯定感」はかなり低かったし、自分容姿や立ち居振る舞いを自覚させられるたびに嫌なものを感じていた。

そんなときに、自分の視界に岡田斗司夫が入ってきた。「BSマンガ夜話」だった。

「この人、話が面白いうえになんだか知的」と感じて、図書館にあった岡田斗司夫の本を読んだ。

『ぼくたちの洗脳社会』。過去SF小説などを引用しながら語られる未来社会の予想に、ひどく興奮した。

オタクコンテンツを語ることが社会未来を語ることになるなんて!」という衝撃。

それから岡田斗司夫のほかの本も読み、彼の周辺にいる人の本も読んだ。それが唐沢俊一

唐沢俊一の本を読むと、まさに博覧強記といった印象で、こんなにも知識を持っている人がいるのか、と驚いた。

そして、自分はこう思った。「オタクであることは最先端ライフスタイルで、知的ことなんだ」と。

この価値転換は自分のなかですごい衝撃をもたらした。今まで自分がなんとなく卑下してきたことが、そのまますべて肯定材料となるのだ。

それによって自分は胸を張ってアニメマンガに接するようになった。オタクならあれもこれも詳しくなくちゃ、と読書の量を増やした。

それによって毎日が楽しくなったし、本を読むことによって、世界見方も増えていった。

そして、いつしか自分岡田、唐沢らの本を読まなくなった。

 

岡田、唐沢らの言説に心が離れていったことにはいくつかの理由がある。

まず二人の出してくる話題時代遅れ、マンネリになってきたこと。

2人とも最新のオタクコンテンツ事情にまったく疎かったし、「また昔のアニメ特撮の話か」と飽きがきてしまった。

いろんな本を読むうちにアカデミアの人が語るサブカル論に心が移ってきて、さらにそこから一般的歴史文化史の本を読むようになった。

インターネットの影響もある。今まで一人で岡田の本を読んでいたわけだけど、ネットにある他の人の論評を読むと、どうやら彼も完全無欠な人間ではないようだ。

唐沢の盗作騒動が出てくるまえに、心はすっかり離れていた。

しかし、彼らには感謝している。初めて自分アイデンティティ肯定できたのは彼らのおかげだし、いろいろ本を読むきっかけにもなった。

からこそ、今の姿を見ると残念でしょうがないのだが……。

自分も年を取り、結婚をして家族ができて、いつの間にかアニメを見ることも少なくなった。

ネットフリックスで見るのはもっぱらハリウッド映画。『シェイプ・オブ・ウォーター』に泣く始末。すっかりオタクじゃなくなってしまった。

現在自分否定肯定もしない。「ま、こんなもんだよねぇ」って気分である。だけど、あのころ情熱はほんとうだったよ。

うそう、「と学会」。これを初めて読んだときも衝撃だった。特に最初の2冊。

この本によってニセ科学オカルトへの耐性ができた。そういう人は多いんじゃないかと思う。

 

からこそ、だからこそなんだよ。彼らの最新の話題に触れると、何もかも悲しいんだよねぇ……。

2020-07-26

anond:20200726202007

単なる若者流行語の類ではなく

ネットによる疑似文化批評っぽい意味重要そうな用語なら

マスゴミ

じゃないだろうか

かねてより一部の層に存在した新聞テレビなどメジャーマスメディアへの

不信感がネットメディアで大衆的な層にまで広がったという視点

文化史的に平成史の一面として語っておく意義があると思う

――以下は余談だが

この語句を使いたがる「ネットde真実」に目覚めた人はなぜか

ネットに"だけ"真実がある」と思って

ネット"も"疑う」ができないわけだが

その理由は「自分で調べてたどり着いた(と思っている)情報へのこだわり」でしょ

別にネット時代以前から、目端のきく人は古い文献を読みあさったり

足を使って調べたりして自力情報にたどりついてたわけで

それに比べれば自宅のPC前に座ったまま、文字流れるだけの動画

まとめサイトを漫然と見てるだけが自力で探して得た情報」と言えるかは知らんけど

実態は多分こんなもん↓

https://pbs.twimg.com/media/Bjk4TOZCMAA3gk1.jpg

2020-07-02

anond:20200701175011

そもそも宇宙塵』の半世紀前の号に載ってた短編やら30年前のマイナー雑誌に載ってた短編やらを発掘して誰でも手に入れられるアンソロにまとめたってだけでめちゃくちゃ偉いんだから、表紙を伴名練の好みに沿ったものにするくらいは当然の権利だろう。嫌ならそれこそ買わなきゃいい。

個人的感想をいえば、シライユウコ絵が「マンガアニメ的絵」だという意識はあまりなかった。林静一から中村祐介に至るイラストレーター系譜(もちろん彼らにくらべたらややまんが的ではある)に連なるような存在として認知していた。

ヒョーロンカの人があれを「萌え絵」と呼んでたけど、は? 萌え絵? どこが? って感じだよなw 節穴アイにもほどがある。これでよく評論家が務まるな。

萌え絵ってのは『紫色のクオリア』や『ロケットガール』や『ふわふわの泉』や『スプライトシュピーゲル』や『涼宮ハルヒの憂鬱』や『ある日、爆弾がおちてきて』や『イリヤの空、UFOの夏』の表紙みたいなやつのことを言うんだよ。

あ、『ふわふわの泉』はファミ通文庫で『ロケットガール』は富士見ファンタジア文庫の方な。ハヤカワ文庫JAじゃなく。『ある日、爆弾がおちてきて』もメディアワークス文庫じゃなくて電撃文庫な。

まあ節穴ヒョーロンカ様の目には『サマータイムトラベラー』あたりも「萌え絵」に見えちゃうのかもしれないけどねw シライユウコ絵が萌え絵に見えるマンマジで表象とか文化史かに口を出す資格ないと思うよ。思想信条じゃなくて能力問題として。

『なめらかな世界と、その敵』あたりが萌え絵オサレ絵の境界線上な感じしない? まあこのへんは人によって判断が分かれるところだろうけどさ。

だが、他人の感じる「恥ずかしさ」を「時代遅れ」と切り捨てることなく、あるいは読者同士で向き合うことで、ある方向へ流れていけるかもしれない。そこから先は、未来の話だ。作家たちの語るべき領域だ。

時代遅れって切り捨てていいと思うよ。

俺、伴名練と同年代だけどさ、中学の頃って『アリソン』の表紙ですらオタクっぽくて敬遠されてたりしたんだぜ。『マリア様がみてる』すら堂々と読むの憚られる雰囲気あったよ。

そこから、あちこち萌え絵があふれて、多くの人がそれを受容する時代になったんだよ。いい年こいた大人が堂々と萌え絵の本を読む社会になったんだよ。マジで意識アップデートを実感するよ。

新しい表現が生まれ自由競争の結果覇権を握ることによって萌え絵駆逐されるなら進歩だけど、最近萌え絵がはびこってけしからん! なんてのはただの反動だろ。

そもそも発端のtweetした人、こんなtweetもしてるんだよね。

「オラ女性SF作家特集ブログ記事書くぞ!!!」どーせ「それはSFじゃない」とかボロクソ言われるんだろうけど知るかボケ~。ゼロスタートなのでオススメ教えてください!特に国内作家

国内女性SF作家ゼロスタートって、こいつ菅浩江新井素子高野史緒上田早夕里も読んでないの? って話だよな。

そばかすフィギュア』も『永遠の森 博物館惑星』も『アイオーン』も『ムジカ・マキーナ』も『華竜の宮』も読んでなかったんすね、っていう。

いや別に読んでないのは何も悪いことじゃないけど、それでSF界のジェンダー問題に物申しちゃう失笑しない? お前完璧門外漢やんけっていう話でしょ。何偉そうに「SFの表紙って女の子ばっか」みたいなこと言ってんの? アホなの? 2019年SF界隈で流行ってた作品のうち『天冥の標』と『三体』と『息吹』の表紙には美少女おらんやんけ。『アステリズム花束を』も『なめらかな世界と、その敵』もオサレ系の絵であってそこまで萌え萌えしてないよな。

SF1,000冊とか言うつもりないけど本屋でハヤカワと創元の棚の前に並ぶだけで吹っ飛ぶ固定観念後生大事に抱え込んだやつなんて最初からお呼びじゃねえんだよ。

最初からSFに興味なんてないんだろ? だったら「SFの表紙はどれも恥ずかしいから手に取れない!」じゃなくて「SFに興味ない」って素直に言えばいいんだよ。別にそれは何も悪くないよ。俺も海外文学とか(SFミステリを除けば)興味ないもん。興味ないくせに「SF小説とかアンソロの表紙って漫画アニメ絵の女の子ばっか」なんて言うからツッコまれるんだよバーカ、って感じ。

アンソロの表紙が美少女ばかりって真顔で言ってるってことは『年刊日本SF傑作選』の存在自体を知らないってことだよな。『傑作選』も知らないやつがSFの表紙は○○ばかりとか言う資格ある?)

アニメ絵が嫌いなSFファンSFに興味がないアニメ絵好きが口を出すならともかく、アニメ絵が嫌いでSFに興味のないやつがSFの表紙のアニメ絵に口挟む権利マジでどこにあるんだ? お前関係ないやろ、と、アニメ絵好きのSFファンとしては思うのです。

2020-04-27

https://anond.hatelabo.jp/20200426163346

あなた教養がない事を、国家民族教養すり替え論法は感心しません。出羽の守の亜種でしょうか。

それはともかく、この分野で最近おもしろいのは任天堂ゲームです。

もし言語文化史に関心があるなら、最近Switch販売されているRPG複数言語プレイする事を勧めます

日本語版では古典四字熟語由来の解釈で、中国語版では漢文からフランス語版ではラテン語由来のワードが登場して中々楽しめます

私のおすすめファイアーエムブレム風花雪月(日本語/英語対応)ですが、入門考察意味だとポケットモンスター ソードアンドシールド(日本語/英語/スペイン語/フランス語/ドイツ語/イタリア語/韓国語/中国語)も読みやす記事が多数あるのでおすすめです。おそらくポケモンは対戦や交換で他国言語にふれる機会が多いためでしょうか。

とりあえず2つ紹介しておきます

もはや感動すら覚える!ポケモン英語名の由来【厳選58匹】 | チラカリマクリ

【考察】ポケモンソード・シールド ムゲンダイナの英名「Eternatus」の意味と剣盾のシナリオ構造について : 記号論研究所 マンガ・アニメ・ゲーム考察

共通して言える事は、だいたいどこの国の文化にも、似たようなお伽噺や神話があるもので、翻訳過程うまい具合に置き換えられています

何をもって「かっこよい」と感じるかはあなた感性しだいですが、そのセンスを活かして色々な文化言語に触れてみると良いでしょう。

2020-04-14

ライセンス規定できるのは権利者だけだ

きっと発信者に悪意は無いし、権利者もこの人の意見を強く否定する程では無いと思う。でもこの人の善意による発言が、権利者の、あるいは人類史の妨げになると思うので記す。

まず創作物権利は、当局著作権法万国著作権条約によって定められている。しかしその規定された制約ではなく、独自ルールで利用されたいという人は居る。それは権利者の権利である

今回、多くの興行が中止された。特にチケット販売済みでその日時に表現をしていたはずの表現者は、インターネット上で代わりのコンテンツを配給しているようだ (もちろん興行に関わる人への利益になるよう調整をしている人も居る) 。その中で、該当コンテンツは「コラボ」を許容した。該当ライセンス記述は以下のとおりだ。

誰か、この動画楽器伴奏コーラスダンスを重ねてくれないかな?

非常に曖昧ライセンスである権利者が権利曖昧にする理由は様々だが、該当コンテンツ場合自由に何かを作って欲しいから、作ることによって辛い気持ちを乗り越えて欲しいからだろう。

安倍首相Twitter アカウントで、この動画と組み合わせて作ったコンテンツは、とても多くの人に不快感を与えた。表現である以上、評価コンテンツに触れた人の解釈に委ねられる。でも、 安倍総理の星野源さんコラボは何が問題だったのか / 音楽家からの視点と分析 の主張は違う。「その利用方法が間違っている」と言うのだ。

星野源さんについて詳しく無い (書籍エッセイは全部読んだが) ので、ブコメを参考にした所によると、この楽曲は「家に籠もることができない人も含めて、自分の心の内の世界で踊ろう」というメッセージらしい (後日に対象発言を正確に引用してこの節を書き換えるかもしれない)。だとしたら、「ダンス」に「日常生活を送る姿」が含まれ可能性はある。それぞれなりの生活楽曲になぞらえる、あるいは楽曲から想起され日常気づき、それを表現するということはあり得る。楽曲と、楽曲解釈自分なりに表現したもの。それによって作られたものであれば、権利者は容認し得るだろう。そうでないと言えるのは、ダンスダンスではないもの規定できる人だけだ(それも権利者の権利を上書きする力は無いが)。

この人が「これはセッションではない」と言うことは、その可能性を閉じることである

権利から提示されるライセンスは、権利者と利用者との契約であり、契約に反する場合当局法令によって裁かれる。 つまり権利者が「これは違う」と言うことは、コンテンツ利用者犯罪者と断定する行為である

今回の騒動で、権利者は「違う」と言わなかった。一方でこの人は「違う」と言い、それは多くの人の注目を集めた。場合によっては「違う」という意見が多勢となり、「解釈を間違った人は犯罪者である」という状況を作るだろう。これは誇張ではない。


権利者がコンテンツに対してのライセンス規定できるということは、「コラボ」が許される期間を 100 年程短縮する (権利発生時から権利者の死亡までを 50 年と仮定日本著作権法による) 。そのコラボコンテンツにはコラボした時点で権利が発生するため、そのコラボコンテンツを元にコラボするためにはまた 100 年待つ必要がある。権利者がライセンス規定できることで、その期間をゼロにさえできるのであるさらにそのコラボとなれば、発展の期間の短縮は例を挙げるまでもない。権利者以外の誰かが「これは駄目だ」と言うこと、そして権利者没後の人々が賛同することは、人類文化史を 100 * n 年後退させることである

繰り返しになる。みんなが辛い。みんなが興行ができない。そのために素材を提供した。その素材に依るコンテンツを「これは OK 」「これは NG 」と規定できるのは権利者のみである。外部から NG規定され、雰囲気としてこれは NG とされれば、行われたはずのコラボコンテンツの公開を損なわせる。それこそ権利者の本意に反するのではないだろうか。

今回のことで、インターネット上にコンテンツ配信する人は増えた。そのライセンスが明確であると、それは資源となり、様々なものが作られる。そしてその先には別の未来が待っているだろう。「これは NG 」と規定する非権利者が現れる事によって、人類史は 100 * n 年の遅延を求められるのだ。

まだいつまで続くか分からない状況の中で、興行の代わりに「コラボ可能」なコンテンツ提供する人は多いと思う。そして「細かいことや面倒くさいことを言いたくない」という理由曖昧ライセンス表記提供されるだろう。「分かるでしょ」というのは同一の文化圏でのみ通用する。でも公開する以上、同一ではない文化ともなんかやりたいじゃん。

でもやっぱりライセンス規定するのは難しいし、読む方も難しい。コンピュータソフトウェアはずっと改変によるメリット著作者権利議論し続けていて、ある時クリエイティブ・コモンズという権利者の権利の表示が簡便な仕組みを生み出した。

明確なライセンス表記をすることは、利用者を守る行為でもある。利用者犯罪者にする可能性を防ぐことができる。クリエイティブ・コモンズ表記は極めてシンプルに作ってあるので、これからコンテンツを公開する人はどうか自分自分コンテンツをどう扱って欲しいかを、表記してみて欲しい。だめだったら個別にだめだと言って良い。それは権利者の権利から

余談だが、今回の騒動議論余地があるとするならば、「文化政治利用」が「営利」なのか否かだ。もし CD などの物理メディアを通して金銭の授受が行われれば明確にアウトだが、プロモーションについては判例が少ない。ぜひライセンスガチ勢ツッコミを求める。

あとほんと蛇足なんですが、今回問題になった Tweetクレジット表示が無かったのは本当にだめ。表示をしなくて良いのは Public domain か CC0 のみで、どんな解釈でもそうは取れないのでだめそう。でも異文化に触れた老人たち (本人じゃないだろう) が異文化雰囲気を読み見違えるなんて普通じゃんね。それを超えて老人たちも良い感じのコラボコンテンツを出してくれた方がいいじゃん。

2020-01-28

anond:20200128113506

ダサい Web サイト、と考えると物思うことがある。

どうでもいいと思っているものから出てくるものには、ありえないものがある。

しまむら文化史なんてものも出てくるかもしれない。

2019-10-18

anond:20191018131310

萌え絵公共の場に出すの許さなマンって何でどいつもこいつも萌え絵についての理解ガバガバなの?

そして、そのディフォルメの目的は明らかに身体を魅力的に描くことであり、さらには、それを見る人の目を楽しませ、性的な興奮を呼び起こさせることである

ほら、こうやって考えるまでもなくわかるデタラメを書く。

萌え絵の中に性的ものがある」ことはまったく否定しないけれど、「萌え絵がすべて性的ニュアンスを帯びた絵である」かのような断言はおかしいだろ。

たとえば、萌えおこし代表例としてよく知られている『らき☆すた』のキャラデザ泉こなた柊かがみイラスト性的な含みがどこにある? やたらと胸が強調されてるとかあるか?

長門有希はどうだ? 伊原摩耶花は? シャナは? ルイズフランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエールは? 公共空間に出せないほどのエロスを纏っているか

つーか、なんでか『はたらく細胞』のコラボはセーフだったみたいなこと言ってるやつが大勢いるけど、あれも様式的には萌え絵やんけ。

あいったもの文化史的に萌え絵じゃないなんてありえないよね。この時点でこのガバガバ定義破綻してるんだよ。

一部の性的な要素をやたらと強調した萌え絵性的すぎるって叩かれてたのは事実だけど、一方で特に性的要素を強調していない萌え絵がある、ということはつまり単に「萌え絵にはエロいものエロくないものもやたらと性的要素をデフォルメしたものもそうでないもの存在する」ってだけじゃん。

萌え絵のすべてが性的興奮を呼び起こすものであるかのような前提をさらっと紛れ込ませるのはただの詐術でしょ。

それとも、目がぱっちりと大きくてかわいい少女が描かれてるから性的な興奮を呼び起こすものだと主張する? そんならジャニーズも『あんさんぶるスターズ!』もペ・ヨンジュン性的な興奮を呼び起こさせるのが目的存在だってことでいい? 女性アイライン引いたり男性がたくましい二の腕露出させたりする行為はみんな性的な興奮を呼び起こすための行為だってことでOK? それらは公的空間にはふさわしくないっていう理解で本当にいいのかな?

まり、ここで伝わってしまう恐れのある、発信者意図しない、隠れたメッセージとは、

女性の体は、目で見て楽しむためのものである」というメッセージである

さんざんイケメンがたくさん出てくる作品とのコラボもしてたよって指摘されてなおこの言い分を振りかざすの? バカじゃないの?

じゃあ『刀剣乱舞』とのコラボもやってるから男性の体は、目で見て楽しむためのものである」という隠しメッセージもあるってことでいいの?

ここまで言っといて自分立ち位置を明示しないのはずるいと思うから言っておくと、実在するそのへんの女性にじろじろ見られない権利存在することは肯うとして、じろじろ見られるのを能動的に仕事で選んだ人(アイドルとか俳優とか)が仕事場(ファンイベントの会場とかステージの上とか)にいるときにはじろじろ見て性的消費してよいのだから、「人を性的消費してはいけない」なんていう一般論が成立するわけはないし(そういう権利確立したければ限定を付してね)、実在する人じゃなくて架空の人に関してはそもそも人権存在しないよね。

架空の人をじろじろ見ることが実在女性権利を脅かすという理屈理解できない。仮に前者が後者を導くんなら、それは二次元三次元混同するその人の問題。そういう人に向けて存分にお説教してください。非実在青少年人権論には付き合っていられません。絵の中の美少女はお前じゃない。俺がジャニーズタレントじゃないのと同じ。

つーか、まず前提となってる定義イミフだよな。

萌え絵」とは、エロゲーをルーツに持ち、人間身体的な特徴をディフォルメし、大げさに描くことで、独特の雰囲気を持つイラスト、とここでは定義する。

人間身体的な特徴をデフォルメし、大げさに描くことで、独特の雰囲気を持つ」って、そんなの少女漫画もニューズウィーク風刺画も『あたしんち』もそうじゃん。

ジャパニーズ少女漫画もパッと見ただけで「これ少女漫画だ」ってわかるくらい独特の雰囲気を帯びてるし、色んな風刺画並べられてても愛読者ならニューズウィークのはひと目で見分けつくよね。あんな顔の人間現実はいないけどでもまあ「おばちゃん」の特徴のデフォルメだよな『あたしんち』って。

まあだからエロゲーをルーツに持ち」って限定を付して少女漫画や風刺画や『あたしんち』を排除してるんだろうけど、それを措いておいたとしてもこの定義ってよくわからんよね。

いや、学術定義をするならわかるんよ。様式史を遡っていったところにエロゲの文脈があるのは、まあ、否定はしない(というか様式史について真面目に検討したことがないんでよくわからん)。なので萌え絵文化史卒業論文書きます! というならこの定義でいいのかもしれない(いや卒論ならもっと厳密に定義しないとまずいか)。

で、それは社会におけるイラスト立ち位置を考える上で必要定義ですか?

萌え絵イラストレータの全員がエロゲに携わっていたわけでもなく、萌え絵を楽しむ若いファンの多くはエロゲなんてやったこともないだろう(おっさん世代エロ経験者率は知らない)。ルーツ定義してなんか意味あります

まあ、萌え絵ルーツ探究したいっていうなら頑張ってね。止めないよ。

2019-08-15

Midas先生あいちトリエンナーレ表現不自由展」を語る

どうもMidasファンです。

面白かったのでブクマをまとめました。

https://b.hatena.ne.jp/Midas/

芸術政治化」ではなく「政治芸術化」こそが問題



 もう少し左翼好意的に言っておくとこの件(「消すぐらいならやるな」と憤慨してるひとがいるように)「政治政治ちゃんとやれよ(天皇制を打倒したいなら『表現の自由w』とか言ってないで現実で打倒しろ」につきる。めざすべきはあくまでも現実世界での天皇制廃止ないしは社会改革であって展覧会で「これがボクたちの考えた芸術です」は単に『表現w』の世界へ逃げこんでるだけ(「現実では何も変えれない」敗北宣言にこれも等しい。

 このへんの不純さ、不誠実さが(右翼のみならず)いわゆるノンポリのひとたちの嫌悪感を誘ってるのは疑いないので。結局「歴史上の人物から問題ないですよね」がいまだに大失言だと気づいてないのはそういうとこ。「これは表現の自由だ」が『政治』になりうるためには当然ながらそんな2代まえなんかの肖像いくら燃やしてもアクチュアリティのかけらもないわけで(「歴史上」は「ノーカン」でしかないので)いまの天皇を燃やすべき。ところが令和の陛下が犯した悪行といえば柏原芳恵ラブレター書いたのと嫁の生理があがってオトコみたいなツラになったくらいしかないのであってその責任を問おうにもポイントがみつからない(お人柄もいいらしいし。

 「2代まえのひとだから(歴史上の人物なので」と『表現の自由』だけを切り分けようとするほど政治的には効力を失ってしまうというジレンマがある。「いいかな?」とか言ってる場合ではないのである。かんたんにいうと今回の件が決定的にダメなのは(ちまたで言われてるような)「芸術政治化(本来ニュートラルであるべき美術世界稚拙プロパガンダ芸術をもちこんだ」からではなく逆「政治美術化した」から

 政治美術化とはいうまでもなくファシズムの最も簡潔な定義なので。政治美術館での鑑賞の対象にするとは現実世界矛盾一見みんなで共有してるようでその実は単に審美的判断をくだすだけ。くり返しいっとくが政治ギャラリーでの鑑賞の対象にして「考えさせられました…」とか言ってるのは現実改革あきらめたしるししかないのである政治展覧会ネタにしてはならないとはそういうこと。



表現不自由」よりも「差別排除時代」の方が問題



 たぶんガイジンさんには今回の「表現の自由」いったいなにを争ってるのか全く理解できてないと思う。ちなみに「表現の自由がー」必死に言ってる連中もこれが極めて日本的な『どこに由来してる』か自覚してない。

 (まさかと思うかもしれないが)この『表現の自由はいわゆる『朝日的な』もの(サヨクん)ではなくルーツ雑誌ぴあ』にある。町山が「はあ…昔の『ぴあ』はよかった…」言ってたのを軽くみてはならない。日本の68年以降の文化史ではそれまで『朝日ジャーナル』を小脇にかかえて歩くのが学生さんヤングのひとたち『かっこいい(政治意識がある』と言われてた。雑誌ぴあ』はまさに『朝日ジャーナル』の次にあたる。朝日ジャーナルにかわってこんどは『ぴあ』をかかえて歩くのがかっこいいヤングの条件(ちなみに朝日ジャーナルのまえは『平凡パンチ』とか)になった。『ぴあ』がかっこよかったのはいわゆる『情報誌』だったから。

 ロードショーから場末ポルノ歌舞伎展覧会にいたるまで情報を『差別』せずフラットに扱った最初の例が雑誌ぴあ』。フラットに扱うとは『価値判断をしない』。ただしこの『価値判断をしない』がくせものであって…「町山さいきんクソサヨクなっちゃってどうしたの…(脳に毒がまわったのかな」ふしぎに思ってるひとも多いが情報コンテクストにおける『価値判断しない』は結局は「愚弄する(冷笑する。もちあげない」なので津田やあずまくんにしてみれば「まさかこんな反発くらうとわ…」なのもまあわかる。あの「歴史上だから、まいっかと思って」もホントだったら慰安婦像つくったひとにむしろ「ふざけんな!」言われてるべき態度。

 慰安婦像つくったひとは(わたしにいわせればデタラメもいいとこだが)マジで日本人よ…はんせいしろ」思って(たぶん)あれつくってるので。津田やあずまくんがやってた「表現の自由」実はそこまでの政治性はない。

 雑誌ぴあ』が今週おこってるいろんなイベントおもしろおかし無差別にとりあげれたその点において表現自由だった(ロマンポルノのとなりにハイソ演劇が並んでてよかったね自由社会で)くらいのニュアンス。もちろんそうしたフラットなあつかいができるのも世の中がへいわで経済繁栄しててみんながそれなりに理解力があって寛容だったから。なのだが(実際に「ポルノと一緒にされちゃたまらん」感じてたひともいるはず。

 高尚な演劇とかでポルノと並列に扱われたら明らかに侮辱だ」思うのもまた自然ことなので。『全てをフラットに扱う(価値判断しない』だけでも『表現の自由』そんなに長続きしないしそもそもありえない。もちろんそうしたフラットなあつかいができるのも世の中がへいわで経済繁栄しててみんながそれなりに理解力があって寛容だったから。なのだが(実際に「ポルノと一緒にされちゃたまらん」感じてたひともいるはず。高尚な演劇とかでポルノと並列に扱われたら明らかに侮辱だ」思うのもまた自然ことなので。『全てをフラットに扱う(価値判断しない』だけでも『表現の自由』そんなに長続きしないしそもそもありえない。

 みんな(とくに憲法がくしゃとか)大いに勘違いしてるけどこれ要するにそういうことなので(どうしてこんなかんたんなことがわからんのだという感じ。なぜそうなるかというとつまるとこ『インダスリー』のもんだい。たとえばこんかいあずまくんいきなり前言ひるがえしたりして「なんなのこのひとは…(このていどのこと最初からわかれよ」思うひともたぶんたくさんいるはずだが別に彼らに一貫したものなどありはしないので、こないだまで河村disってたはずのあずまくんいきなり「津田がわるい」になるの丸山ぎいん「みなさんNHK受信料はらうのは国民のぎむ」からの「NHKぶっこわす!」入りと全くおなじ。

 インダスリー問題とはすなわち文化産業問題であり雑誌ぴあ』の「表現の自由」が成立してたのはみんなが中産階級だと思ってたから。永六輔とか旧NHKこうした平等社会の構築に焦点あわせてたしこの環境産物。こうした文化産業の仕組み(従事してるひとたちも含めまだ巨大なインフラが半ば廃墟と化しながら残ってる)いまどきこれでやってけるはずない(もう残念ながら時代おくれ)と誰もが思ってるのは確かなので。

 若干専門的な話でしめとくと(もうネットにたくさんいる情報産業のひとにとっては常識だろうが)おどかすようですまないがこれからは「情報フラットに」ではなく「差別排除」の時代なので(あれこれいってもムダ。差別排除とはゲートキーパーが誰をはじくか決めてその(誰でもゲットできるはずの)情報へのアクセス権がそのひとの社会的な地位をしめすアレ(要は「ブロックだ!」「不可視にする!」みなさん楽しそうにやってるやつ。

 表現の自由なんかよりそっちのほうがよっぽどだいもんだいじゃないの?wという感じだが世の中よくできたものホント重要なことは展覧会テーマになんかなったりはしないのである(みんなのメシの種になってるから

2019-04-30

日本に溶け込んだ平成文化史

そろそろ令和ということで平成を振り返る投稿が増えていますね。というわけで僕も真似して振り返ってみた。

平成になって生まれサービス、その他で僕たちの暮らしはどう変化したのだろうか。

なおSNS動画サイト等のネット上のサービスパソコンスマホテレビゲームをはじめとするデバイスはあえて除外した。

カラオケ

92年頃からブームが始まり音楽聴くものから歌うものへと認識を変えた。学校帰りにカラオケ、飲みの2次会でカラオケ

デートカラオケ時間ができたら1人カラオケと完全に娯楽の一つとして浸透したのではないか

東京ディズニーリゾート

開園自体1983年平成史に入れていいものか迷ったが、ディズニーが磐石の地位を築き始めたのは平成に入ってからなので入れることにした。

ちょっと日常から抜け出したいとき真っ先にディズニーが思い浮かぶのは凄いことである

ここまで不特定多数を惹きつける非日常空間昭和には存在しなかったのではないだろうか。

2018年の来場者数はなんと32,558,000人。令和でもしばらく王座は揺るぎなさそうだ。

Suica

電子マネーはいまいち広まりきってないなと思っていたら交通系ICカードがあった。

券売機の前で目的地までの料金を調べている姿はもはや過去遺物だろう。

友人のJR職員談だが、「切符落としたんだけどどうすればいい?」という乗客に遭遇するのはもはや年に数件のようだ。

サッカー

1つのスポーツが国に浸透するまでには大変な期間を要する。そんな中、キャプテン翼人気を土壌とし、93年Jリーグ開幕、98年W杯フランス大会初出場、02年日韓W杯開催と

4年毎に一般層の興味を引き付けるイベントがあったとはいえ驚くほど急速に日本に広まったのではないだろうか。

なお中学では2013年に、高校では2016年サッカー部員の数が野球部員の数を上回るという現象が起きている。

飲酒運転罰則強化

飲酒運転罰則自体昭和からあったが、それが大幅に強化されたのは2002年のこと。2007、2009年にはさらに強化されている。

お酒を飲んで車を運転したら危ないという今となっては当たり前すぎることだが、昭和では酔ってフラフラの人たちが当然のように運転していた。

恐ろしいことである

ネットカフェ

漫画喫茶パソコンを導入するという形で2001年から普及し始めた。初めは純粋漫画ネットを楽しむ層や外出先でネット接続しなくてはいけない人たちに利用されていたが、

近年はネットカフェ難民といわれる日雇い労働者の住居として機能し、家を借りられない人たちでもとりあえず雨風をしのげる待機所としての機能果たしている。

家出少年少女も多くたむろしているらしい。

1000円カット

髪なんて適当に短くしてもらえればそれで十分、という人たちの救世主存在ファッションに興味が無い人がいるのだから髪型にも興味が無い人がいて当然なのだが、

なぜか90年代後半までこの手の店舗は広がりを見せなかった。


文化史なんて意気込んで思いつくままに書き始めたはいいがなんと7項目で終わってしまった。中途半端まりないが令和に突入する前にとりあえず投稿たかったので仕方ない。

いつか100項目くらいの完全版を作りたいと思う。

ネット情報機器が今後どんどん発展に向かうのは容易に想像がつくが、それとは違う方面で令和の生活にどんな変化が起こるのか楽しみだ。

2019-04-21

anond:20190421211142

加藤高橋を思い出してもうたわ。

年齢なんか関係ないぐらい国民政治史文化史歌謡史などに残るレジェンドなら大丈夫なんやろうけど…。

2019-01-13

anond:20190112170520

そりゃ時間が立つほど読まれなくなるけど

文化史的に名前残るだろうな

2019-01-04

大学 3年次編入試験の思い出

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高校時代

同じく地方出身者はなんとなくわかると思うんだが、高校は「地元では自慢できる」レベルのとこに通っていた。

県下一、というわけでもないけど、地元で一目置かれるようなそんなところ。東大学者を毎年1名出したり出さなかったりするような。

自分はというと文化系運動系狭間みたいな部活にがっつりのめり込みつつ、子供の頃から親の影響で続けていたとある楽器寺社仏閣が好きな、自他ともに認める「変わった子」であった。学力でいえば中学までは特に勉強しなくてもまあまあいい成績が取れる、中途半端に器用な子だった。

親は勉強については大してうるさくなかったが(むしろ楽器練習をしない方が厳しく怒られたし、数学10/100点をマークしようが音楽の成績が満点じゃない方が嫌な顔をされた)、お金には厳しく、「大学は国公立しかさない」と宣言されており、真に受けた私は私立すべり止めも一切受けなかった。だが高校3年間を部活に捧げた、数学テストで毎回赤点叩き出すような人間にそのルートは厳しかった。見事に滑りおち、進学先を失った。進学校に通っておきながらこの体たらく

これから1年浪人するしかない、と思ってふさぎ込んでいたが、そこで偶然にも某専門学校の「大学編入コース」なるものを知る。専門に2年通った後、大学へ3年次編入するというコースだ。ははぁ、よくできてるなあ、と思いながらも学校担任と両親に相談し、その専門学校へ進むこととなった。

専門に入る

正直入試はあってないようなものなので割愛する。学力レベルからペーパーテスト免除され、英語面接だけだった。まあまあ緊張したが絶対かると半ば解っていたので強気でいった。ちなみに高校時代苦手にしていた教科は数学英語だ。瞬間的な暗記力となんとなくで世界史及び国語高得点を叩き出す完全なる文系である。妙にコアな知識を植え付けてくれたラノベ推理小説たちとヘタリアには今も感謝してる。日本史文化史だけ異様にできた。

学校生活

身バレが怖いので色々伏せるが、駅チカでこぎれいなビルキャンパスだった。キャンパスと言っていいのか?

専門学校内での大きな学科のくくりとしては「英語学科」に属することになり、その中で「英語を使った仕事に就きたい人のコース翻訳通訳など)」と「海外大学に行きたい人のコース」、あと「大学編入したい人のコース」に分かれる。

なんで大学編入英語学科に属するかというと、ほとんどの大学編入試験の科目が「英語」「小論文」「面接」のみだからである。(学科によっては専門科目の試験がある場合もある)

授業は9割は英語の授業だった。ネイティブ講師日本人講師もいたが、とにかく英語リーディングリスニングライティングスピーキングの授業がそれぞれあり、それ以外に大学編入のための英語試験対策授業がある。少人数にこだわってて、基本の4つの授業はそれぞれTOEIC学内試験の結果から5段階にレベル分けされていた。私は入学時のペーパーテスト免除しか学費も一部免除特待生扱いで入学したので、「は~やっぱこの程度か専門」とか思っていたが、最初TOEICテストで300点台叩き出して5レベルあるクラスの下から2番目に入れられる。「出身校」の学力が高かっただけで「私」の学力はクソだった。ただ真面目に授業を受けていればクラスはすぐに上にあがり、最後は一番上のクラス所属していた。この基本の4つの授業は大学編入以外のコースの人もいた。

残りの1割は資格の授業(英検、ワー検、秘書検、漢検など好きなもの選択できる)の他、第二外国語小論文対策PC(というかOffice)など……まあ大学1年生の一般教養と似たような感じだろうか。選択教養の授業もあったが種類は2,3種類しかない。しかも大して面白くない。

大学1年生と違うのは、自分で授業を選ぶ幅がとても狭いところ。というのも学年によってどの授業を受けるか、カリキュラムが既に綿密に組まれており、「朝ゆっくりしたいから1コマくそ~」というのは全くできない。選択授業も「とってもとらなくてもいいよ」ではなく「この中からどれか選べ」という選択。なので学期はじめにコース人間全員集められてHRみたいなことをして、時間割を配られたりしていた。

学生

上記の通り様々なコース人間が入り混じって授業を受けていたので、通っている人は本当にいろんな人がいた。アンタこんなしょぼい専門いていいの!?っていうような頭のいい人から、クソほど簡単テストを「難しくてヤバかった~」という人まで、本当に様々。Lv.2→Lv.5まで駆け上がるといろんな人と話した。超絶パリピ野郎もいたし、内気で根暗で今にも引きこもりになりそうな人もいた。

同じ大学編入を目指すコースの中だと、まあまあ頭いいけど大学入試では一歩及ばなかった、みたいな人がほとんど。大体がプライド高くてそれを一度へし折られてしまった人、という印象。(私もだけどさ)すべり止め私大に受かってたけど行きたくなくてこっちを選んだ、という人もいるにはいた。あとは行ってた大学が嫌になってやめて再チャレンジしたいとか……。比較的頭のいい人は多かったけど、それでもやっぱ学力でいうと「まあまあできる」か「いまいちできない」のどちらかだった気がする。コース内で一緒に行動していた友達は国公立に受かっていった人から最後最後どうにか推薦で滑り込めた人までいた。

コース人間の数は結構多かった。高校の一クラスくらい……?もっと少ないと思って入学したので意外だった。やっぱり学力レベルでつるむグループが分かれる。男女比は男子の方が圧倒的に多かった。3分の2くらい。でも学年全体で見ると女子の方が多かった気がする。

あと意外といろんな地方から集まってた。やっぱり学校周辺の人が多いのだけど、隣県や新幹線帰省するくらい離れている土地から来る人もいた。私はかろうじて同じ県ではあるが学校までは通学に2時間かけていて、隣県出身学校近くに一人暮らししている友達がうらやましかった。

学費

高い。私大に2年行くとのかわらん。でも高校時代まあまあ成績取れてたら学費免除簡単に取れる。(模試の点数とかセンターの点数を基準学費免除とかしてくれる学校もあると聞く)

本来公立しか行かせてくれなかったはずの両親があっさり行かせてくれたので、絶対学費無駄にすまいと2年間は真面目に必死に授業や資格取得に打ち込んだ。その後まあまあ就活に有利そうな資格とかちょいちょい取れたので、短大とか他の私大行って仮面浪人するよかよかったなあ、と思った。けどその辺って結局当人努力次第なので、学校の授業の時間を使って資格取得や受験対策に打ち込める環境お金払ったと思っている。払ってくれたのは親だが。でも無利子の奨学金も2年次から勝ち取って少し貢献できた。と思いたい。今返済しんどいけど。

編入試験を受ける

編入試験

1年間みっちり英語を叩き込まれたあと、2年生からいよいよ編入試験が始まる。

3年次編入試験は多くの大学がやっているが、大学によって受けられる条件は様々。私が行きたかった大学は他の4大からの受入のみで、専門卒は受け付けていなかったので諦めた。(でもそういう学校の方が少ない印象)

編入試験の日程は学校によってかなりばらつきがある。早いところだと6月くらいで、遅いところだと2月くらい?私は全部で3つ受けたが、ひとつ8月で、残りのふたつは12月だった。やっぱ秋~冬にかけてが多い。

面接練習なども授業でしながら、それぞれの試験日に向けて準備を重ねていく。8月試験を受けたところが第一志望にして最難関の大学だったが、ものの見事に落ちてしまい、泣きながらそのあと友人らとカラオケに行った思い出がある。編入試験受験科目が少ない分やりやすいと言われるが、その門はかなり狭く、私が受けたところも倍率は5~10倍くらい(だったと思う、もう記憶あいまい)最終的に編入浪人の道を選ぶ人もいる。専門→大学編入のいいところは浪人などの1年のロスを出さずに大学卒業できる所だが、結局編入試験の壁が高くて編入浪人したりレベルを落としてD~Fラン大学に入ったりと、メリットが活きないことも多い。でも努力してそれが実ればいい大学に入れるのも事実なので、そこは編入チャレンジする人次第なのかな……とも思う。専門入って遊んでしまった人たちは上位クラスの人でも結局ランクの低い私大に行った人が多く、しっかり努力し続けていた人は国公立偏差値高い私大に進んでいった。英検1級取得したり、TOEICマックススコア出した人もいる。

あとTOEICスコア試験免除がある学校とかあって、TOEICマジもっと気合入れてやればよかったな、と思った。試験免除にならなくても入学後の単位に換算してもらえたりした。

試験対策

英語はもうとにかく授業をガンガンうけてガンガン問題解くだけ。喋る・聞くは捨てて、ひたすら読むにステータスを振り続けていた。(書くは申し訳程度にやった)9時半から15時まで授業を受けた後、18時まで学校に残り友達と多少ぐだりながらも勉強(というか課題)、家に帰ってから英語の長文読解とひたすら向かい合う日々。

小論文は書き方の作法を徹底的に叩き込まれ、あとは個人文章センス知識量がモノをいう感じだった。国語世界史、そしてラノベから影響を受けた文化史系に強かった私には最高の科目だった。

編入試験過去問も一応あって、見せてもらうためにその大学に足を運んだこともある。(コピーはさせてもらえないので、目で見て出題傾向を把握するのが精一杯だが)あと学校過去問を回収して過去問集みたいなのを作っていたので、行きたい学校が人気校ならそんなことしなくてもコピーできたりした。英語試験はどの学校も長文読解系が多く、TOEICをそこそこにして英検受けまくっていた自分にはありがたかった。

面接指導就活とほぼ一緒、だと思う。なんでこの大学に行きたいのかをはっきりさせろ!と言われ続け、「御校に在籍の〇〇先生研究室で●●について研究したいです!!理由としては!!」みたいな答えをガチガチに固めていった。これはのちの就活に活きたと思う。

試験

どの大学小論文は楽勝だった。8月に受けたところは英語で予想外の作文が出て動揺し、読解問題では時間が足らず、涙を呑んで不合格覚悟した。翌日即結果発表だったが、当然私の受験番号はなかった。

第二志望の大学の前に第三志望の国公立を受けにいったが、家から遠く深夜バスでの移動となった。しかバスからまた電車で移動するが乗換をミス試験遅刻。席に着くために荷物通路に置いたら試験管に怒られ、萎縮しながら受験したが英語は予想できたレベルでむしろしかった。1週間後には結果が開示され、無事合格

そして満を持しての第二志望。同じ学校から他にも2名受けることになっており、一緒に移動。英語試験はやや苦戦した覚えがあるが、それよりも面接がしんどかった。大学に、特にその学校に入りたい理由を述べ(行きたい研究室があるでゴリ押しした)、なぜそれに興味を抱くに至ったかなどを話したが、とにかく緊張して噛みまくり面接官に不審な顔をされ落ちたと悟った。しかしその試験当日、夜から私の受験期を中学から支えてくれた某バンドライブがあり、普通に間に合わなさそうだったので走って会場を後にした。ライブギリギリ間に合った。そして入試も無事にパスできていた。

大学編入

進学先が二つ用意されたわけだが、もちろん第二志望を選択。一応国立大なのと、高校時代から学びたいと思っていた専攻があったのが決め手だった。思う存分研究に打ち込めたと思う。嘘。2年では足りない。もっとやりたかった。でも取りたかった単位や聞きたかった講義はほぼコンプできた。

上記でも少し触れたが、入学時に専門学校の授業の単位大学単位へ変換してもらえるため、本来4年で取る卒業単位を2年間で全部とれ、ということにはならなかった。特に私は人文学系だったので、変換がスムーズにいったというのがある。法律経済系の学科は専門科目の変換が難しく、卒業単位を取れなくて留年した人が多かった。(と後に聞いた)

1年大学ライフ満喫したのちすぐ就活なのはきつかったが、興味のあったサークルにも在籍し2年間最初から最後まで活動できた。でもいくら単位変換してもらったとはいえ他の3年生に比べると圧倒的に単位は足りてない(その上私は卒業単位にならない資格系の講義も取っていた)ので、ほぼ毎日1~4コマ、そのあとサークルバイト!みたいな生活をしていたし、就活の時期は本当にしんどかった。英語資格TOEICスコア700前後英検準1級)と進級のために取らざるを得なかった数々の英語以外の資格、そしてあの日面接対策小論文対策が活きたのだろう……と思うと私はこのルートをたどってきてよかった。他の短大や4大出身編入生は就活で軒並み苦労していた。でも専門より大学の方が圧倒的に楽しかったです。普通に1年生から大学入りたかった。

大学編入後で一番しんどかったのは、3年生でありながら1年生に交じって体育やらされたことかなあ。


色々書いたけどあくま文系の話です。理系編入もっと大変と聞くし、そもそも専門→理系学部編入というルートが恐らくない。

東大京大に比べたら底辺もいいとこだけど、こういう抜け道もあるよっていう話をしたくて。でも根っから文系だった私だからこそうまくいった裏ルートみたいな感じではあるんだけどさ……。うまくいかなくってせっかく編入した大学やめて引きこもりになってしまった知り合いもいるし、正直この専門→大学編入というルートを誰にでもお勧めできるかというとそうでもないけれど。

あと社会人なってから編入大学入って、教員免許だけ取って中退した編入生の知り合いもいる。社会人なってから大学で学びたいという人で4年は長いという人にもいいんじゃないかな。あと大学とりあえず入ったけどつまんなくて他の学科行きたいとか他の環境行きたいって人。

私は本当は大学院に進みたかったのだけど、やっぱり学費関係で諦めて就職した。研究してた分野とも全然違う仕事をしているけれど、趣味としてまだその分野についての情報収集勉強は続けている。なお英語をかなり使う仕事だし専門時代に取った資格もそれなりに活かせてはいるので業務内容には満足している。

いよいよセンターが近づいてきて、不安受験生たくさんいると思うけど、どうかここだけが人生の決め手とは思わずに気楽に頑張ってほしい。案外人生どうにかなることの方が多い。

2018-11-11

萌え絵一口に言われましても・・・

CLAMP先生代表される様、少女漫画風を基礎とし、現代萌える絵と判定されるようになった作家は多い

これは勝手主観だけれどオタクは「萌え絵」というカテゴリイラスト認識している人はあまり居ないように思える

それは前述の通り、これまでのサブカル文化史の中でサブカルイラストは発展してきたものであり、時代によって評価は変わり行くことをオタク理解しているかイラストを「萌える絵」と認識していても「萌え絵」というカテゴリ認識はしていない

では「萌え絵」へ対して非難を寄せる者は何を基準にして「萌え絵」なるカテゴリ非難しているのか?

改めて「萌え絵」なるカテゴリ非難する者へ問いたい「萌え絵って何?」と

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