はてなキーワード: 壮年とは
明治時代を思わせるレンガ+木造の庁舎でPC入力系の仕事をしている。オブラ・ディン号的、保険調査員のような。己はハンチングとツイード上下のレトロな洋装をしている。取り立てて何かの事件は起こっておらず、「問題無く正常」であることのチェックと入力。
場面転換。海沿い。通勤中だろうか?車線自体がない、あるとしたら片側3車線の計6車線分くらいの幅がある広いアスファルトの道路、地平線まで道が続いているようだ、そこをチャリで通っている。右手が海、上には青空。
目線の先、上空にぼんやりと虹が出ていた。やがてその虹は2つになり、3つになり、呆気に取られているうちに更に天頂に円形の虹が現れる。唖然としていると、虹の手前に、灰色という意味ではない、文字通りの真っ黒い雲で出来た分厚いアーチが、前触れもなく突如として次々に発生する。青空に3連の虹と円虹、そして重なった黒雲の弧、自分はその下を自転車で潜っていく。すると右手の洋上にいつの間にかオブラ・ディン号的巨大帆船が現れている、甲板では洋風のきらびやかな衣装を身に纏った人々が集う催し物が行われている模様、自分は理由も無くひとりの壮年将校に目線が向いており、彼の方を目掛けて速度を上げ猛烈なスピードで自転車を漕ぎ出し、岸からそのまま自転車ごと海へとジャンプして、夢だからだろう、船に飛び移って居る。将校と己の目線が合った次の瞬間、将校は撃たれ衝撃で甲板に倒れる。上がる悲鳴の中、駆け寄り出血箇所を布で抑え強く圧迫する、あたりで記憶は終わり。その後何が起こったのかは分からない。
長いこと室内楽をだらだらやりつつも、あんまり俺も詳しいわけではないので語るのもなんだし、そのうちクラオタというオタク界で最も闇の深いところに住む怖い方々から御講釈頂けるだろうから控えようとは思ったが、ディヴェルティメントから伝って探しても見つからないだろうなぁと思ったので書いてみる。
モーツァルトのディヴェルティメントは間違いなく名曲だが、さすがに2千回も聴くほど好きってのは初めて聞いたのでいろんな人もいるんだなぁと思った。そこからプロファイルしてみよう。
作曲家にも努力型/天才型が居て(まぁ歴史に残る作曲家はみんな努力した天才なんだが)、ご存じの通りモーツァルトは天才型ですげえざっくり神童と呼ばれた幼少期(初期)、メキメキと才能を発揮して実験的なこともした青年期(中期)(ウ○コマン期)、色々と人生の哀歓を味わった壮年期(後期)で結構作風が変わる。このディベルティメントは中期の作品。ということで
ってことになる。
1から入るならメンデルスゾーンが同じ属性なので近い曲が見つかると思う、バイオリンソナタはディヴェルティメントに近いが、バイオリン協奏曲も有名なので聴いてほしい。
2は古典派の音楽全部じゃねーかって気はするが、ハイドンの皇帝、ヒバリ、グリーグのホルベルグあたりは特に近いと思う
3は無限にあるけど有名どころだとチャイコフスキーの弦楽セレナーデやシベリウスのカレリアとかだろうか、どれもド定番だから既に聴いてるかもしれないが。
もちろんモーツァルトをひたすら聞いても人生1回分には十分なので彼の伝記(漫画でよい、もちろん吉田秀和でも良いが)を読んでこのころに書いたんかなぁ〜とか妄想しながらディベルティメント、アイネク、ピアノソナタ28とかを聞き直してくれてもいいと思う。
京都の繁華街(中京区~東山区)で飲食業に携わってきた。もう二十年以上になる。独立してからは居酒屋をやっていた。
ワンピースがあるだろう。漫画の方だ。多くのキャラクターが出てきて、麦わらのルフィのメンツ(なぜか全員童貞に見える…フランキーは別だ)が色々いて、そのうち誰かとは気が合いそうな気が読者はするわけだ。そんな路線をめざしていた。多様性である。
今回は自分の考えを伝えてみたいし、お客さんへの接し方の哲学についてもご教示願いたいことがある。料理の作り方や仕入れ、広告宣伝とか、そういうのは自分なりの答えをもってる。が、こればっかりは答えが出ない。「嫌な客は出入り禁止にすべきか」という論題だ。
以下、うちの店でお客さんが取った問題行動+店側の対応という形で説明させてもらう。四人分ある。
50代ほどの男性だった。夜7時くらいにお店に来る。いつもスーツだった。小綺麗とまでは言わないけど、まあ整った感じだ。性格はおとなしいのか騒がしいのかわからない面があった。『壁』という小説に出てくるS・カルマ氏なんじゃないかと思える時もあった。
うちの店は、京都の個人居酒屋の標準的なメニューを置いていた。豆腐とか、焼き魚とか、季節の野菜の煮つけとか、湯葉のスープとか、柚子胡椒風味の鳥のから揚げなんかの、まあ京都って感じのメニューだ。みんなそれぞれ、お互いの店からメニューを盗み合っているという事情もある。俺も若い頃は祇園で修業してたけど、京都市内の飲食街はすべて巡って勉強した。「うちの店」というのも祇園の端っこにあった。先斗町や河原町寄りの。
どの業界でもそうなんじゃないか。週刊少年ジャンプだってそうだろう。漫画家同士、お互いに表現方法をコピーし合っている。半年以内で打ち切りになる漫画でもそうだし、鬼滅の刃みたいな大傑作でも変わらない(○○の呼吸はジョジョの波紋をリスペクトしてる)。
京都の飲食業でもそうだ。同業のお店に一般客として出入りし、美味しそうなのを見つけたら、調理法をこっそり見て、自分の店でも同じようなものを提供する。
うちの店では、とあるサービスがあった。お客が女の子の店員に飲み物を出すと、暇な時間限定で話相手になってくれるのだ。A氏は、いつも地元の高校に通っている女子店員にウーロン茶(400円。お客は2杯目から200円)や、イチゴミルク(500円)をごちそうしていた。それで、15~20分程度のお喋りに興じるのだ。そういうサービスが確かにあって、それを目当てに来るお客さんが何人もいた。40代過ぎのリーマンが多かったかな。
彼らは、女子高生や女子大生に限らず、自分の好みの子がいたら「一杯飲んでいいぞ」と声をかける。お気に入りの店員に飲み物をやり、わずかな時間の楽しみに興じる。
それで、店としては売上が立ち、女の子は注文金額の50%のバックがもらえて、お客さんも喜ぶというわけだ(損して得取れ)。だがある時だったか、猛者の女の子がいて、なんと誕生日にシャンパンを奢ってもらっていた。当店の一番安いシャンパンは二万円だったので、一万円儲けたことになる。いやぁ、あれには参ったね……(以後、一万円超の場合は25%バックに変更した)。
そんなある日だった。A氏が行動に出た。帰り際に、ドリンクを奢った女子高生に連絡先を聞いて、食事の約束をしようとしたのだ。女子店員は、「え~」といった表情でケータイを取り出していた。すぐさま俺が止めに入って、「お客さん。困ります」とひと睨みすると、「あんたの方がいけんで。こっちの自由やん」とアレな発言をしていた。
この人には二面性があった。このお店に居る時と、それ以外の社会とで違う顔をしていた。女の子には、「オレね、自分の名前がわからなくなることがあるんだ」とか、「世界の果てに行ったみたいなあ。世界の果てってどこかわかる?」とか「このグラスと君のグラスが、この間がね、オレとあなたの心の距離」など意味不明なことを喋っていた。
ある日、同じ会社の仲間数人と一緒にお店に来たことがあるが、まるで別人だった。大人しくって何も喋らない。黙々と飲み食いしている。女子店員が話に行っても変わりなしだ。借りてきた猫みたいだ。
かつて、A氏の「世界の果てはどこだろう?」という質問に対して、地元の高校に通ってる女子店員(※上で誘われた子)が、「うちの店も世界の果てのひとつですよ。地球は丸いんですよ」と答えたことがあった。でも、その子に話しかけられても黙っていたかな、確か。
で、A氏を止めに入った俺はイライラしていた。「すいませんけど、もう来ないでくれます? 次来たら、その場であんたの会社に連絡しますよ。警察は勘弁してあげますから」とタンカを切った。すると、A氏はそそくさと会計を済ませて出て行って、それ以来うちの店には来ていない。
その日、店員から感謝された。普段、俺に尊敬の念を一切抱いていないと思われる従業員ですら「マスター見直しました!」と言ってくれた。世界の果ての女子高生は、「やりすぎだったんと違います?」と言っていたが、その子の未来のためには正しい行動だった。
俺の考えが変わるきっかけだった。どんなお客さんでも受け入れるのが飲食店の正道だと思っていた。面倒くさい客はいるが、それが多様性の確保に繋がるという考えをもっていた。
二人目:B女史
B女史は大学生だった。同志社女子か華頂短期大のどっちかだった気がする。
この子は、いつも夕方に来て、安い定食だけ頼んでサッと食べて帰る。週に一回ほど来ていた。「高島屋の化粧品店でアルバイトしてる」と、B女史と店員が話しているのを聞いた。
ちょっと話は逸れるが、うちのお店には、居酒屋としてのメニュー以外に定食があった。安い値段で昼食を食べたい人に向けて、なんと800円でから揚げ定食(弁当)を用意していた。味は当然祇園レベルだ。先斗町や木屋町にある標準的な店とは比較にならない。
祇園にも、夜に高い値段で酒肴を出している居酒屋が、昼の時間帯にリーズナブルな価格で昼食を提供している例がある。それでも千円超えは基本だった。それを、原価計算を積み重ねた末に800円という価格を実現させた。しかもウーロン茶が一杯まで無料だ。二杯目からは200円。
お昼時に、店の近くの路上で弁当を売りに出すのだが、売り切れることが多かった。やはり、コスパがいいのがわかるのだろう。少なくとも毎日30食は売れていた。コスパでこの定食(弁当)に勝てる可能性があるといえば、近所だと長浜ラーメンかやよい軒くらいのものだった。安い店だと、松屋が近くにあったが、あの定食の味に比べればゴミかクズのどちらかだった。
※ここに書いてる話は、相当昔になる。今だと祇園レベルの味で800円のから揚げ定食など不可能だ。あと、今だと道路で売店とかやったらすぐに警察が来る。昔は、無許可のラーメン屋台などがよく営業していた。
経営は回転寿司のやり方に倣っていた。くら寿司とかで、いくらやウニが100円ほど(※当時の価格)で廻っているだろう。ああいう原価割れのメニューを提供できるのは、赤だしとかタマゴとかラーメンとかうどんとかデザートとかで黒字にしているからだ。撒き餌である。
祇園の寿司屋で出してるようなウニだったら、木箱ひとつで当時5万円(200円/g)はした。回転寿司がどんなウニを使ってるかは知らんが、卸値だと(5~10円未満/g)といったところか。祇園で出てくるウニの握りなどは1貫3,000円以上することもある。それでもサービス価格だ。
他流であっても、いいところは積極的に盗むべきだ。から揚げ定食が800円だと原価割れ寸前なのだが、そのお客さんが夜の時間帯にも来てくれたら投資は回収できる(弁当にチラシ入れてる)。そんな未来に賭けていた。
B女史に戻ろう。上のから揚げ定食は、昼の売れ残りの一部を再利用して夕方以降の営業時間にも提供していた。クオリティが落ちてる分は600円にしていた。そして、彼女はその定食しか注文しなかった。夜に来てくれるわけじゃなし、お酒を頼むわけじゃなし、友達と一緒に来るわけでもない。30分くらい居て、女子店員やイケメン大学生店員と軽くお喋りをしてアルバイトに出かけていく。
彼氏(同志社)と一緒に来たことは何度かあったが、なんと、二人でひとつのから揚げ定食をシェアしていた。一緒に食べていたのだ。ひとつの定食を。仲睦まじく。電線に留っているツバメのカップルみたいだった。
B女史は、ほかの男性客から不評だった。うちの店はコの字のカウンターだが、そんなに広いわけじゃない。常連同士、話をするのが基本だ。
B女史の近くの席になった男性客が話を振ることがあったのだが、B女史はいつも愛想がなかった。せめて演技くらいすればいいのに。ストレートに「気分が悪いです」とか「今話したくないです」とか、人が不快になる言葉を発していた。
このまま社会人になれば通用しないだろう。せめて愛想はよくするべきだ。ジェンダーとか多様性とか言われているけれども、保守寄りの価値観も大事にすべきだ。人間の本来的な感情に根差しているのだから。B女史は、せめて社会関係を保てる程度の『優しい嘘』はつくべきだった。
それである時、とある男性客のおじさんがB女史を叱ることがあった。「あんた、もう少し考えて行動しいや。いけんで。もっと仲ようせんと。就職しても通用せんで」だったかな。俺もそのとおりだと思い、フテ腐れているB女史をやんわりと宥めた。
すると、「だったら、もっとおいしい店を紹介してもらっていいです?」(※京都だと、いいです?↑とイントネーションが上がる)と、人を舐めくさった態度を取るので、俺も頭にきてしまった。
「前から思ってたけど、このお店は君には合ってないみたいや。もう、今日で来るの終わりにしとき」
と言ったら、B女史が席を立って会計をしようとした。すると、近くに座っていた若手社会人の常連さんが、「○○さんだっけ。あなた、まだほとんど食べとらんやん。俺も注文しとらんし、よかったらいい店教えてやろか。どうする、まだ時間ある?」と提案をして、それでB女史も同意して、二人で一緒にお店を出て行って、それから彼女が店に来ることはなかった。
三人目:C氏
さっきの若手社会人だ。当時30代前半だったが、人間ができていた。相応の男前で、体格もあった。すでに遠方に異動しているので言わせてもらうと、日本銀行の職員だった。ほかの常連さんには内緒にしていたが。会社名を聞かれると、彼はやんわりと『優しい嘘』をついていた。
ちなみに、後で聞いたところによると……彼がB女史を連れて行ったのは、京都で一番予約が取りにくいとされる伝説の居酒屋だった。グーグルマップに載っている。高島屋からも近い。C氏は、お店の扉を開けて、「今日入れますか」と店主に声をかけたところ、予約客がキャンセルしており入ることができたらしい。
だが、B女史の財布には非常に厳しい金額だった。C氏が「千円払ってくれる? 好きなだけ食べていいから」と言うと、B女史は本当に好きなだけ食べたらしく……C氏によると、その時に連絡先を交換して、またおいしい店を紹介する約束を取り付けたらしい。それで、その後はと言うと……これはまた別のお話、機会がある時に話すことにしよう。
※ここだけの話、『伝説の居酒屋』(食堂 おがわ)はバッファーを作っている。全席が予約されてるわけじゃなく、店主の気分次第では、予約なしで入れてくれることもある。後は、偉い人が来店した時くらいか。体感だと、5回に1回くらいは予約なしでも入れる。
とにかく、C氏は人格レベルが高かった。若い店員にも敬語だし、いろいろ注文するし、お店の周年記念にはシャンパンを入れてくれるし、テーブルは綺麗にして帰るし、飲み方も綺麗だ。
なぜC氏をここで挙げるかというと、彼もまたやってくれたのだ。どんな人間にも欠点はある。C氏の欠点は、完璧すぎることだ。完璧すぎて、ほかの仏―の人間からすると予想できない方向でトラブルを起こす。
事例①
女子店員がC氏に近づきすぎる。彼はモテた。見た目はそれなりで、清潔感があって、人当たりがよくて、自信に満ちた振る舞いをしていた。彼からいい扱いを受けたい女子店員の人間関係が悪くなった。
事例②
正義感が強く、営業中のトラブルに首を突っ込む。警察を呼びたくないのに彼が呼んでしまって、えらいことになった。特に暴力団や半グレの関係。体を張ってくれるのはいいが、清濁を併せ呑んでほしかった。
みかじめ料とか何とか言われても、払わねばならないお金だってある。俺に言わせれば、あれは税金の一種だ。あれで飲み屋街の平和が守られている面は確実にある。あの辺りの多くのお店は、おしぼり台や観葉植物のリース料として支払っている。たまに半端なやくざ者(半グレに近い)が現金を要求してお縄につく。
事例③
4人目に譲る
ある時、C氏にやんわりと警告をした。うちの店の課題に首を突っ込まないでほしいと。うちの店の課題は自分で解決する、と。行政に頼るのは最後の手段なのだと。
それからスッタモンダあって、彼はお店に来なくなった。後は風の噂で聞く程度だ。残念な結果になったが致し方ない。いいお客さんだったけど、これも運命だ。
四人目:D氏
時系列的には、C氏がまだ来ていた頃だ。
D氏は、障害者だった。軽度の知的障害で、あまりモノを喋ることができず、メシは食えるが手がおぼつかない。テーブルの上は汚い。いつも母親が一緒に来ていた。
来客を断る意思はなかった。当然だ、お客さんなんだから。いつだったか、彼が口からご飯を吐き出す行為をマネしていた大学生(立命館だったと思う)には厳しく注意をした。「客を馬鹿にするな。お前、今度やったらクビにするで」と明言している。
が、お客さん同士のトラブルになると話は別だ。ある日の午後八時頃だったか、その母親とD氏が米類を食べていたところ、ゲフンゲフンとD氏がせき込んで、口の中から飛んだ米粒が別のお客さんグループのビールジョッキに入った。幸い、店員が気が付いてすぐに替えのビールを用意した。ほぼ満席で席移動は難しかった。
その日、同じようなことが何度も起きた。何度も何度も、D氏の口から飛び出したモノが、隣のお客さんのスペースに飛んで行った。ついにキレたお客の一人が、「おいあんた! そこのぎこちない感じの人(※京都人なりの婉曲表現)、家に帰してくれへんか!!」と母親に怒鳴った。
母親は「すいません」と謝っていたが、彼が譲る様子はない。「その人は外に出したらあかんのと違うんか。なにしとん。帰ってくれん?」と捲し立てる。
母親は何度も謝っていた。その間も、何がしかの物体がお客さんの方に飛んでいく。彼はさらにカッカして、これはいかんとなったところで、離れたところで呑んでいたC氏がこちらを見た。
俺はもう、余計なことは勘弁願いたかった。母親に向かって「お代はいいんで。今日は帰ってください」と伝えた。すると「すいません。堪忍してください。今日は誕生日なんです」と返ってきたが、今度はもっと強く「帰ってほしい」と伝えた。
すると、C氏が怒った様子でこっちに来たのだ。「増田さん。その対応で本当にいいんですか。自分がこの人の隣に行きますよ。五人くらいスライドすればいいでしょ」と。
俺はキレた。「お店のことに口を出さないでって言ったでしょ。俺が責任とりますから」と端的に返すと、C氏は憮然とした様子で自分の席に戻った。
母親と息子には、その場で帰ってもらった。お母さんには「ほかのお客さんのこともあります。お店が空いている時でないと今後のご利用は難しいです」と伝えて、お店の入り口まで案内した。
翌々日だった。京都市役所の福祉部署から架電があった。母子のことで、差別に該当するおそれがあるとの内容だった。C氏か、D氏の母親が京都市に連絡したのだろう。俺はこういう卑劣な行為が許せない。どうしてこんな惨いことができるのだろうか。「障害を理由に差別をすることは~」と電話口で喋る京都市の職員に怒号を発した。
「ええか、こっちは商売でやっとんのやぞ。お前らは公務員やんけ。民間の商売に口はさむなや。こっちがどんだけの思いで商売やっとんかわからんやろ。障害者も受け入れんといかんのくらいわかっとる」
みたいなことを言った。すると、福祉部署の職員は変わらず「差別はだめ」とオウムのように繰り返すだけだった。「公務員は楽でいい。頭の中が非現実で、お花畑で、お金や暮らしのことなんか考えなくてもやっていけるんだからな。羨ましい」そう感じていた。
「それは行政指導やろ。従うかどうか選べるんやろ。ウチは従いません。ええな、おい、おーーーーい!! わかったな」という具合で、受話器をガチャンと置いた。
これが商売の世界だ。勝った負けたの世界では、強く、強く自分の意思を強く主張できないと食っていけない。公務員やサラリーマンじゃないのだ。
結局、お客に接することの哲学というか、そういうのは何が正解なのだろう。どういう場合に出入り禁止にすべきなのか。未だに答えが出ない。
ところで、『うちの店』は、約二年前に閉店した。コロナウイルスに勝てなかった。飲食店組合から休業要請の通知があって、当初は休んでいたが、行政の対応が誤っていると気が付いて通常営業に切り替えた。うち以外にも、筋違いなことをしている行政には従わないという店舗がいくつかあった。
が、コロナウイルスは強すぎた。店を閉めざるを得ないほどに経営が追い込まれた。ほかにも、グーグルマップや食べログの口コミにあることないこと書くような卑劣な奴らがいた。自分を正義とでも思い込んでいるのだろう。
今でも飲食の仕事をしている。いつかまた、お金を貯めて店をやるのが目標だ。あの店は居抜き店舗で残してある。幸い、まだ借主は現れていない。いつかまた、店を開いてみせる。
今回は、そんな決意を新たにするために増田に投稿した。どんなお客を断るべきか、受け入れるべきか。何かアドバイスがあればいただけると幸いです。
牛丼店・ハンバーガー店・ファミレスなどの全国チェーンの飲食店に混じって地元チェーン店や個人経営店もある飲食店の激戦地に、新規出店したばかりの店だった。
この『タルタルソースはおかず』という店ができる前にあったのは、立ち食いステーキ店だったか? それとも二度付け禁止の串かつ店だったか? などと思いながら、壮年の男はその店の前に立っていた。
それにしても派手な看板だ。
看板に書かれている謎のインベーダーとロボットはどういう意図なのだろうか。
外壁も看板と同じ色になっていて強烈なインパクトを放っている。
そう思いながら、男はその店に初めて入っていった。
座席配置は牛丼店のようだ。U字型カウンターを中心にテーブル席もある。男は店員の案内にしたがいカウンターに座ってメニューを探した。メニューは座席に無く、壁に貼り付けてあった。
並 | 600円 | (1人前、卵4個) |
大盛 | 800円 | (1.5人前、卵6個) |
特盛 | 1000円 | (2人前、卵8個) |
激盛 | 1300円 | (3人前、卵12個) |
追加タルタル | 300円 | (0.5人前、卵2個) |
この店はタルタルソースと食べ放題のご飯しかないのか? と思ったが、隣にトッピング表があるのを見つけた。
チキンカツ | 250円 |
唐揚げ(1個) | 100円 |
サラダ | 100円 |
みそ汁 | 100円 |
チキンカツや唐揚げはメインのおかずではなく、サラダやみそ汁と並んでトッピング扱いなのか?
男はメニューを見ながら何を注文しようかと考えている間に、カウンターのふたつ隣に遅れて座った客が先に注文した。
「タルタル特盛、以上で」
特盛? タルタルソースは並や大盛では足りないのか? ラーメンや牛丼が並だと物足りないように。俺も並ではなく大盛か特盛を頼むべきなのかと考えながら、男は隣の客を見た。やや小柄な男だが太っていて、ズボンのベルトに腹肉がだらりと乗っていた。そして、ハゲかかった頭頂部は毛髪の隙間から、汗なのか油なのか光を放っている。
いかんいかん。いかにもな大食漢の注文に呑まれるな。タルタルソースのボリューム感がわからないし、口に合うかどうかも分からないのだ。そんな物をたくさん食べる羽目になるリスクは避けなければ。何か、この店で初めて頼むべきメニューはないだろうか、と男は壁をあらためて見たら、おあつらえ向きとも言えるメニューを発見した。
迷ったらコレ!
タルタルソース(0.5人前) | |
ご飯食べ放題 | |
チキンカツ | |
唐揚げ(2個) | |
サラダ | |
みそ汁 |
これだ! 揚げ物をメインとしながらもタルタルソースが付いている。ふつうの店にもありそうな定食的なメニューで無難すぎる気もするがこれでいい。タルタルソースをメインとする尖った店に自ら入っておきながらも、男は店の雰囲気におののいて堅実に初心者向けセットを注文した。
注文を終えて一安心した男は、目の前にある調味料を見た。塩・コショウ・山椒・唐辛子・しょう油に、いろいろな種類のソースがたくさんある。卓上調味料の種類の多さは某牛丼チェーン店以上だ。これらの調味料はタルタルソースに使うのだろうか? そう思いながら男は待っていた。
「お待たせいたしました。タルタルソースの特盛です。よくかき混ぜてお召し上がりください」
店員はそういって隣の客の前にどんぶりを置いた。ここからじゃよく見えないが、あれがタルタルソースなのか? しかし「よくかき混ぜて」とはどういうことか? 混ぜずに提供しているのだろうか。さらに店員はどんぶりに入ったご飯も置いて、
と言って、カウンターの端にある自動ごはん盛り付け機を指し示して厨房へと戻っていった。
隣の客は全身を使って一心不乱にかき混ぜているが、どんぶりの中身はどうなっているのだろうか。男がそう思っている間に頼んでいた初心者向けセットが届いた。
なるほど、ごく普通の定食だ。ご飯・みそ汁・サラダ・揚げ物、ただ一点タルタルソースが異彩を放っていることを除いては。小鉢に入ったそれは、例えるならば居酒屋等でよくある混ぜて作るポテトサラダのようだった。ゆで卵1個・温泉卵1個・キュウリのみじん切り・ラッキョウのみじん切り・マヨネーズが入っていることが見受けられる。
フォークでゆで卵をつぶしながら混ぜるとドロリとしたペースト状になってきた。しかしこれはタルタルソースと言えるのだろうか? タルタルソースと言うより、卵サンドイッチの具材だ。フォークでもすくえるくらいにドロっとしている。
サラダ——キャベツの千切りに申し訳程度のトウモロコシとキュウリが添えられた粗末な代物に、タルタルソースをドロリと乗せて食べてみたが……うまい。思っていたよりも卵の味が濃厚で、そんなに油っぽくない。卵はゆで卵と温泉卵のそれぞれで違った食感を与えてくれる。黄身はマヨネーズと一体化した半熟の黄身と、一体化せずに固ゆでのままの黄身の二種類が感じられる。白身もドロリとした白身と、しっかりと形を保った白身の二種類だ。
タルタルソースのメニュー表で卵の使用個数が丁寧に書いてあったのが気になっていたけれども、まさかゆで卵と温泉卵の二種類だったとは。それならば、タルタルソースの並(1人前)はゆで卵2個に温泉卵2個、大盛(1.5人前)はゆで卵3個に温泉卵3個ということになるのだろう。隣の小太り薄毛が頼んだ特盛(2人前)だと、ゆで卵4個に温泉卵4個の量になるから、小鉢ではなくどんぶりで提供されているのだ。なるほど、この店は卵料理の専門店なのだな。こうして実際に食べてみるとわかる。タルタルソースは調味料なんかじゃなくて、立派な卵料理だ。タルタルソースはまさにおかずなのだ。
タルタルソースを唐揚げに乗せて食べてもうまい、チキンカツに乗せて食べてもうまい。タルタルソースがあまりにも濃厚でうまいので、唐揚げやチキンカツが完全に負けてしまってる。ここでは、タルタルソースと揚げ物の主従関係が逆転している。濃厚なタルタルソースの前には、唐揚げもチキンカツもトッピング扱いなのだ。
揚げ物と一緒にタルタルソースを食べると、キュウリやラッキョウの食感が食欲を増進させるように感じる。キュウリやラッキョウは大きめに刻まれてゴリゴリとした歯ごたえがあり、濃厚な卵に負けず劣らずの主張をしている。キュウリに独特の酸味が感じられるが、もしかしてピクルスも入っているのだろうか?
タルタルソースの濃厚さに心を奪われて男はしばらく気づかなかったが、味が薄い。タルタルソースに入っている塩の量が少ないのでは? そうか、それで卓上調味料が大量に存在しているのだ。そのことに気づいた男はチキンカツにタルタルソースを乗っけてウスターソースをかけて食べる。これだ! 舌上に感じる旨さに恍惚して、後頭部で脳髄が歓喜のあまりに跳ね上がる。思わずご飯を口に掻っ込む。うまい! うまい! 男はタルタルソースをサラダやチキンカツや唐揚げに乗せて思い思いの調味料をかけて食べて、ご飯を消費するのに夢中になった。
気が付くと目の前には唐揚げ1個だけになっていて、他は全て平らげてしまった。ご飯もタルタルソースもなくなっていた。隣の小太り薄毛がどんぶりにご飯を入れて席に戻ってきたのを見て、男は自我を取り戻した。小太り薄毛がどんぶりを手に席に戻るのは初めてではない。おそらく、おかわりは2回目かそれ以上だろう。せっかくのご飯食べ放題なのだから、俺もおかわりをしようと男は思った。しかしながら、1つだけの唐揚げをおかずにご飯を食べるのはむなしい気がする。せっかくならばタルタルソースをおかずにご飯を掻っ込みたい……隣の小太り薄毛のように。小太り薄毛は今まさに、どんぶりのご飯の上に残ったタルタルソースの全て乗っけている。そこにしょう油・山椒、他にもいくつかの卓上調味料を代わる代わる振りかけては、一気に口の中に掻っ込んでいき、食事のラストスパートをかけていた。
俺もだ。俺もそれをやりたい。男は強く願い、思いは言葉となって自然と口から滑り出てきた。
【完】
それまでの後輪駆動方式から前輪駆動方式でFFに変わったマツダ・カペラをテレビCMで宣伝するとき、映像の俳優はアラン・ドロン、コマーシャルソングは布施明が歌う「たまらなくテイスティー」という曲だったが、その歌のサビで連呼される「たまらなくテイスティー」は同時に機種のキャッチフレーズとしても使われて、
また、
とかなり巷で喧々諤々となった(日本語としておかしい、という論調)
で、おもいだした本題はこれからなのだが、そのマツダ・カペラの後にも同じように「日本語としておかしい」と喧しく言われたクルマのCMのキャッチフレーズがあった
これもやはりそれまでの後輪駆動から前輪駆動でFF方式に変わった(歴史的にも構造的にも繋がりは無いが先に派生車種としてスポーツワゴン型のカリブというクルマが発表されてはいたが、歴代モデルのセダン型としては初のFF)トヨタ・スプリンターの
そしてイメージキャラクターが当時ちょうど元気と色気バリバリ壮年期の古谷一行だったので
早朝、チェックイン前に家族4人で空港第3ターミナル内を歩いていた。
どこの店もシャッターのままだったので展望台に行って飛行機を見たりまだ開いていない江戸小路を歩いたり。
抱っこ紐の中の乳児以外は全員女性で、老齢の母と私32歳と7歳児。
5階2行き、7歳をトイレに行かせて私は抱っこ紐のまま女子トイレ出口で待っていた。
すると、壮年の、スーツではない服装の人がこちらに向かって歩いてきた。
まあトイレに向かうのだろうと思ったら授乳室に真っ直ぐ入っていった。
私はここで変質者だと気付き、やっと手を拭いて出てきた7歳の手を引いて母親に預け、人を探しに行った。
こんな時間にまさかとは思うが、万が一授乳室が使用中だったら中の人はさぞ恐ろしいだろうと不安だった。
清掃員を見つけて「すみません、あっちの授乳室に変な人が入っていきました」た伝えると、「……はぁ。」と気のない返事が返ってきた。
清掃員の向こうにいた警備の人に伝えると「えっ!?大丈夫でしたか!?すぐ見に行きます」と確認に行ってくれた。
母親と娘と合流したところで、ドヤドヤと数人の警備員が授乳室に入って、当の変質者は軽く押されながら出てきた。
今後は流行らない・衰退論はよくみるけど、いいところも探そうぜ!
FPSに食われたシューティングゲームとかと比べると結構延命してると思うんだけどな
好きなキャラが良く見える!プレイアブルで動かせる!声が出る!
どう考えても楽
キャラゲーとしての要素の一つではあるけど珍しい気がする
(現代の多くの格ゲーでは)ボスキャラ、悪者だって主人公になって動かせる
デカキャラ・色物枠は(オリジナル格ゲーの場合)絶対に入っている
不正確な記憶でブコメ書いた上に、憶測を加えてしまったが、それが違っていたようだ。
Ciniiで役割語、老人などで出てきた論文にちょうどそのことを論じているものがあったので勉強もかねて増田に書いてみた。
論文1本だけで断言的なことは言えないかもしれないが、参考にはなるんじゃないかと。
『「役割語から考える自称詞 「わし」 の方言性と出現時期』黒崎佐仁子 (2011)からの孫引きになるが、以下のような理由らしい。
金水(2007)は,「そうじゃ,わしが知っておる」のようなアニメやマンガに登場する博士および老人の言葉の特徴を以下のようにまとめている。
⑸ 「A=B」の関係を表すとき,標準語では B の後ろに「だ」をつけるが,老人語・博士語で は「じゃ」をつける。また否定を表す表現として,標準語では動詞の後ろに「ない」をつけるが,老人語・博士語では「ん」をつける。さらに,一人称代名詞として,老人語・博士語ではよく「わし(博士語では,さらに「吾輩」)を用いる。(p. 98)
金水(2003:4)は「これらの特徴の対立は,実はそのまま日本の東西方言の対立に重なる」として,以下のような表を提示している。
博士語 標準語 西日本方言 東日本方言 断定 ~じゃ ~だ ~じゃ、~や ~だ 打消 知らん、知らぬ 知らない 知らん、知らへん 知らない、知らねえ
西日本方言の断定表現として「じゃ」と「や」が挙げられているが,このうち「じゃ」のみが博士語として認識される。この理由は,真田(1990)が述べているように「や」が「じゃ」の変種として新しく生み出されたものであるため,「や」が西日本方言として認知されるより前に「じゃ」が 博士語・老人語として定着したからだと考えられる。
江戸時代の言語使用特徴に関しては,佐藤(2002)が分かりやすく解説している。
(略)
当時の人々は「上方語的な言い方が伝統的に正しい」(小松 1985:21)という意識を持っていた。そのため,「若年・壮年層の人物が,いち早く江戸の新共通語である東国的表現を自分たちの言葉として駆使していた時点で,老年層は未だ上方語的表現を規範的な言葉として手放さなかったというような構図が,江戸においてある程度現実に存在した」(金水 2003:26)と考えられ,「明治期に入ると,江戸語の文法を受け継いで新しい〈標準語〉が形成されていく。
ところが文芸作品,演劇作品の中では,伝統的に「老人」=上方風の話し方という構図がそのまま受け継がれていく」(金水 2003:27)という過程を経て,アニメ・マンガの博士語・老人語が確立していったのである。
西日本方言のじゃ→やの変化とマンガの成立の時期からして、老人役割語ができたのは大正・戦前くらいかな、と想像していたが、どうやらもっと古いらしい。
江戸時代に老人役割語の原型がすでにあったらしいのはびっくりだ。伝統の慣性の力の大きさを感じる。
例えば今回の事件は、今までの騎手なら「八百長やインサイダー防止のため」と一言いえば防げたが、Z世代はそういう1段階の理由付けでは腹落ちしてくれない。「スマホ使っていても、八百長やインサイダーしなければいいじゃん」になってしまうのだ。先述の動画閲覧や、角田大河・今村聖奈の2名による通話もその流れで起きたと考えられる。
「Z世代」というよりも、「『Z時代』(2010年代後半~2020年代前半の日本社会を想定)の発想」という理解の仕方をすれば、なるほど、いい説明だなと思った。
「世代」を限定するのではなく、世代を問わず「時代」の流れだと理解すると、この部分の主張がよく分かった。
Z時代の1つ2つ前の時代(1990年代後半~2010年ごろを想定)は、「納得・理解を得るためには、何か理由を付けてあげる必要がある」と言われていた。だから、何かとつけて、理由や説明になっていない「理由」を添えることが求められていた。
Z時代になって、「〇〇じゃなければいいじゃん」という発想・行動が、世代を限定せずに広がっているように感じる。「〇〇」には、八百長・インサイダーといった不正行為のほか、要は「『あらゆる"全ての"他人』への迷惑」(-に、なっていなければいいじゃん)が入る。
日常生活の中で言えば、たとえば公共の場(電車の中)で「お行儀よくしましょう、静かにしましょう」というマナー・ルールに対して、
・だいぶ昔では、有無を言わさず「静かにしなさい」(そのマナー・ルールはどこから来た?)
・Z時代の1つ2つ前の時代では「他の方への迷惑となるので、静かにしましょう」(一応「理由」が添えられるようになった)
・Z時代においては「『他の方への迷惑になるので、静かにしましょう』と言うけれど、『他の方』って誰?誰が迷惑しているの?そいつは他人に迷惑を掛けていないの?違うでしょ?ならば静かにする理由がないですよね?」(潔白性の追求)
こういう変遷をしているように感じる。また、それは「Z世代」(出生年代を区切られる世代)に限定されず、「Z時代」(出生年代を問わずない)の広い年齢層において起きているように感じる。
もしかすると、「総ひろゆき化」の方が理解しやすい話なのかもしれない。2000年前後の2ch草創期~全盛期の若者(15~35歳)だった世代が20年を経てして35~55歳となり、加えて2010年代後半からのひろゆきを見ている世代(現在の10~30歳)が若年層にも拡がっている。つまり、(全ての人が、とは言わないが、各世代に一定数は存在するという意味で)何等かの形で「ひろゆき」に感化された者が一定数存在する世代が、若年層から壮年層まで広がったことで、「それってあなたの感想ですよね?」という世論を作っている時代が、いまの「Z時代」だと理解できる。
「それってあなたの感想ですよね?」のような言い方をすれば、「『スマホを使ったから、八百長やインサイダーが疑われる。』って、それってあなたの感想ですよね?」となり、それに「証拠はあるんですか?『疑わしきは罰せず』・『悪魔の証明』って知ってますか?」と、ひろゆき論法をすれば続いていくように見える。
半ば冷静さを欠いて書き殴った呪詛のようなものがあまりにも読まれてビビった。
富山の男全員がそうではないことは承知だ、主語が大きく差別的な言動をしてしまったことは申し訳ない。女の部分だけでもある程度意味の通じる文章だと思うので、男の部分は削除および文章全体を一部修正した。
富山の男でも家事育児に積極的な素晴らしい男性も知っている。だが、それ以上にこの重すぎる役割に疲れて精神か身体を一時的にでも壊してしまった女性をあまりにも見てきてしまった。
記事内で「女性を男性と同等の仕事を課すようにしていてきたい(意訳)」とみた時に反射的にこれ以上負担を背負わせてどうする?優先すべきは家事や育児等福祉の外部補助の充実だろうと思い書いたのがこの文章だった。
勿論、大前提として女性が責任のある立場で活躍することは素晴らしいことだ。だがそれは必ず本人へのヒアリング(夫がその分家事育児をしてくれそうか)がセットであって欲しい。
個人の家庭環境を顧みず、トップダウン形式で会社の命令だか県の命令で一律に実行しかねないこの県であのメッセージは、疲労して身心を壊す女性が増えかねない。
ブコメで「上野千鶴子を生んだ地」、『ここは退屈迎えにきて』の作者山内マリコの故郷という言及があったが、まさにその通りであり、それと同時に「細田守を生んだ地」でもある。
合う人にはとことん合う素晴らしい場所かもしれないが、合わない人間にはとことん合わず恨み言を吐いてしまう場所。それがこの県だと思う。
逃げ出した私たちの事はもう放っておいてほしい、とにかく残っている女達を大切にしてほしい。
追記終わり。
https://www.yomiuri.co.jp/national/20230502-OYT1T50278/
「県外流出した20代前半女性」の当事者としては当然としか言いようがないし、的外れなスピーカー共にも腹が立つ。
ただただ辛酸を舐めることになる「富山の女」にはなりたくない。
この特有の雰囲気を問題点として反省するどころか指摘すらしない点に「だから富山を出るんだよ」と心底呆れた。
富山県は持ち家率が高く、共働き率も高く、三世帯同居率も高い。たしか世帯収入も高い方だったはずだ。
が、ここにカラクリがある。
富山で働かない女のことを「遊んでる嫁」と呼ぶ。つまり、育児家事のみに専念する女は、嫁として十分ではない、という烙印を押される。
では、男性と同様に働いた所で家事・育児の負担が夫婦間で平等に按分されているか?というとそうではない。
三世帯同居でやや負担は軽くなっているがそれでも子供の親のメインは「母親」という風潮だ。だが、仕事も一会社員として当たり前に勤め上げなければならない。
そしてここからが特有だが、子供が成人したと思うと今度は三世帯同居となって50-60代の頃に「5人家族の家事」と「孫の育児」に専念する第ニの女の人生が始まるのだ。極め付けにここに介護が加わる場合もある。端的に言って地獄である。
つまり、育児・仕事をしっかり両立して家庭を成り立たせ、壮年期には家政婦・乳母・介護者として家のことをするという完全に「家」に隷属してこそ「一人前の富山の女」として認められるのだ。
こんなハードモード一体全体何人がやりたい、と思うのだろうか?
何よりもたちが悪いのはこういった環境で育ってきた人間が多いせいで、結婚して嫁になる時の当たり前の水準がこれになってしまっており、周囲やパートナーだけでなく、自分自身でさえもこれをクリアしていないと「劣った嫁」という意識が生まれる。
つまり、結婚後の生活を見据えた時に女側見えている「これからやらなければいけないこと」があまりにも負担が大きすぎる。
家庭に隷属しない形で結婚し、子を産む場合はこの歪な前提を立ち向かう姿勢とそれに対して理解のあるパートナーを見つける必要があるのだ。
そんな億劫なことをやれる人間、そんなパートナーを見つけられる人間は一握りである。
それだけでなく、魅力的な仕事もなく、商業施設は統廃合される一方で介護施設ばかり増え、先行き暗いこの県に誰が戻りたいのか?
記事内では仕事で女性を男性と同等に扱うとか言ってるが、まずそれよりも家庭で男性も女性と同様に仕事を担うようにしろ、そして大半のそれらの仕事を安価で外部に委託できるようにしろ。話はそれからだ。
それと多様なライフスタイルを認めろ、「結婚して持ち家持ってこそ一人前」とかいう意味不明な風潮で圧をかけるな、他の生活を見下すな。
どうせ無理だろうし、これまでその「富山の女の役割」に耐えられなくて身心を壊した富山の女を数多みてきた自分としては絶対に戻ることはないだろう。
JTC、散々腐されてるから良いところも褒めてあげよう。
このまま行っても日本は安泰じゃガッハッハな昭和のオッサンは取締役から退きつつあり、
誰しも散々揶揄されてきた意思決定の遅さの課題感は認識しており、
役員数の削減とか頭数を減らしてどこもスピードアップしようとしている。
まぁバブル以降縮小した経済に合わせてポストの削減が進まなかった部分を清算してる面が大きいか、
まともな企業なら多かれ少なかれメスを入れてるはず、
ジョブ型をどこまで採るかは社によって異なるが、
いわゆる働かない(高給取りな)おじさんが生息する余地は大幅に削られてる、
給料はそう下げれないけどインフレ下においては昇給しないことが実質的な減俸として機能するのを
なので老若男女汗水働いて成果を出して昇格するパスが徐々に整備されつつあると言える。
今じゃ転職中途入社組がゴロゴロいるし、当然そういった人間にもキャリアアップのメを与えないと定着してくれない、
なので外様が不利という環境・風潮は是正されつつある(完全に是正されたとは言っていない)し、
コロナ以降社内政治と腹芸の中心であった飲み会が大幅に減ったので
考課もかなり実力主義に寄ってきている。
辺りを挙げてみた、まだまだ糞な部分も多いJTCですが