はてなキーワード: ベーコンとは
1. 宇宙ベーコン:スモーキーで塩味が効いた、宇宙の広がりを感じるベーコン風味のうまい棒。
2. マジカルマンゴー:新鮮でジューシーなマンゴーの風味が広がる、まるで魔法のようなうまい棒。
3. カルビヌードル:焼肉の旨みとラーメンの風味が融合した、肉感たっぷりのうまい棒。
4. ピクニックピクルス:サクサクのうまい棒に、爽やかなピクルスの酸味とハーブの香りが広がる夏のピクニックをイメージした味わい。
5. レインボースパイス:多彩なスパイスのパレットが調和した、カラフルなうまい棒。
6. ゴールデンキャラメル:口どけの良いキャラメルの甘さとバターの風味が広がる、贅沢なうまい棒。
7. モロッコティー:モロッコの伝統的なミントティーの香りと風味が楽しめる、リラックス効果抜群のうまい棒。
8. チョコベリーブラスト:濃厚なチョコレートと混ざり合ったフルーティなベリーの爽やかさが楽しめる、フルーツチョコレートのようなうまい棒。
9. カジュアルカレー:香ばしいスパイスとコクのあるルーが、手軽に楽しめるカレーのうまい棒。
10. ファンタジーアイス:バニラとストロベリーの風味が混ざり合った、まるで夢の中にいるかのようなアイスクリーム風味のうまい棒。
いかがでしょうか?これらのアイデアは、新しい味わいを提供するための楽しい提案です。実際に商品化されるかどうかはわかりませんが、想像力を広げて楽しんでいただければ幸いです!
○ご飯
朝:なし。昼:サラダ。夜:トマト。キュウリ。目玉焼き。人参と大根とナメコとベーコンと豆腐のスープ。チーズ。ヨーグルト。間食:クラッカー。チョコ。柿の種。
○調子
むきゅーはややー。お仕事は、それなりー。
水ものでさ今流行ってこともあるからイベントはなるべく参加出来たら参加したい山脈に向かってヤッホー!って叫んでいるんだけど、
こないだのスプラトゥーン3のなんだっけ、
新マップ祭と今回のウルトラショット撃ち放題の祭はちょっとラスト15分だけだったけど参加出来たわ!
思いのほか
スペシャル発動から発射までボタンがどれか分からず手間取っている間にウルトラショット喰らってやられちゃうと言う
なかなか慣れないブキのスペシャルに戸惑って慣れる間にウルトラショット祭が終わってしまった感じね。
前もちょっと書いたけど
なにも新しみを感じることがなかったので、
早朝のは無理だけど、
夜の部のラスト15分は参加の2戦参加出来たわ。
もーさ思いのほか戦場で
生き抜くだけでも大変でさらにはガチヤグラなんてあんまり遊び慣れていないルールも相まって、
ってーさー
今回私思ったんだけど
より高みを望むなら、
また新しいシーズンになるとウデマエがBで遊びたいのにAに戻ってしまうのよ。
やっぱりやるからには一度は覗いて見たいエックスマッチじゃない?
てなるとさー
それらのいつも遊んでいないバンカラマッチでも遊んでランクを上げなくちゃいけない問題なのよね。
てなると
いざSランク目指すのか躍起になるのがまた大変やり込み時間を見積もりすると
ゼルダをやってる暇がないのよ。
時間が足りなさすぎるわ。
これも全然進まない新たに進んで行かないといけない
やることがいっぱいあるけどどこに行っていいか分からない問題勃発中なのよねー。
まあ総じて今日はちょっとでもウルトラショット祭に参加はできたことが喜びでもあるし信じ合えることでもあるし全てがエブリリトルシングなのよ。
うふふ。
昨日さ朝いつでもお腹空いたときに食べられるように!っておにぎりカバンに入れていたのを忘れていて朝気付いたわ。
それも鮭おにぎり一緒に食べたけれど、
なので
忘れないようにしないとこの時期のお腹壊さないようにもしたいところだし気を付けるわ。
昨日仕込んでできあがったのを水筒にも入れて持ってきているわ。
水出しだとスッキリとした爽やかな味わいがまたお湯で作るときとは違う感触の味わいね。
麦茶に飽きたらそれ試してみて!って思うわ。
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
○ご飯
朝:なし。昼:サラダ。夜:かまたまうどん。ベーコンと人参と大根とナメコのスープ。キュウリ。トマト。チーズ。ヨーグルト。間食:なし。
○調子
むきゅーはややー。お仕事は、暇。
時期的にこれから忙しくなりつつあるので
あんまり書いている時間がないのが自分的にしっくりこないわー。
季節的になんか落ち着かない感じになってきているので
これから忙しくなるわよー。
なので
たくさん書きたいことがあったら書くタイプの書き方出来たらなぁーって思うわけよ。
話し変わるんだけど、
5、6勝したぐらいで上位50パーセントのうちに入れちゃうってぐらいだから
スプラトゥーン3ですら遊んでないのかしら?って
休眠ユーザーが多いのかしら?
分からないけど。
でもサクッと遊んでイベントマッチ50パーセント上に入るんだから
そのぐらいなのかも知れないわ。
まあよく分からないけど。
あとまあ忙しいので、
ここら辺にしておくわ。
久しぶりのタマゴサンドと目新しいレタスベーコンサンドがあったんだけど、
お湯沸かしている暇もないぐらいな時は
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
○ご飯
朝:なし。昼:ハンバーガー。夜:目玉焼き。ナスとトマトとナメコとベーコンと豆腐の鍋。ヨーグルト。間食:柿の種。チョコ。
○調子
むきゅーはややー。お仕事は、暇ー。
フェス限は揃えた。
以下、関連増田 ↓↓↓↓↓↓
・山や海へ徒歩やチャリで行ける
・専門店、美味しい飲食店、気の利いたカフェへ徒歩やチャリで行ける
・スーパーが徒歩圏でかつ地域の生鮮食品と輸入食材を取り扱っている
・県産の野菜、肉、肉加工品(水飴とか使っていないちゃんとしたソーセージ・ベーコン・ハム)、チーズ(チーズ工房で作ったやつ)が買える
・上記の条件すべて満たした上で、2LDK〜3LDKが10万以下、1K・1ルームならSRC・RCの築浅で5万以下
あとワイは地方行ってから東京や神奈川や千葉の海で泳ぐ気はしない
ただ東京の川は昔と比べると本当に綺麗になった。これは地元民では無いカッペにはわかるまい
高尾山は小中高で登り飽きました
パスタ(とくに乾麺のロング。要はスパゲッティー系)って、店で食べるのと
家で作って食べるのとで味の差がとても少ない食い物だと思うんだよな。
麺は店と同じもの(だいたいディチェコあたりだろう)を買うことができるし、
むしろもっといいやつ(グラニャーノ産とかいろいろある)だって普通に手に入る。
不味くするほうが難しいだろ。そこにベーコンとかアスパラとか入れたらもう完璧じゃん。
そいで、家パスタが何よりいいのは、食べたいタイミングで作って、食べたい量を食える。
これが満足度を爆上げすると思うんだよな。
店だとパスタは前菜とメインの間、最近だとメインの後で締めパスタどうですかとかもあるけど、
基本出てくる順番が決まってるじゃん。
あれだと、パスタが料理の1品扱いになっちゃってなんかつまらないんだよな。
俺が食いたいのはあくまでも「パスタ」という大きな現象なんだよって。
なので俺はイタリア料理を食べに行っても、前菜と肉と酒があれば充分満足なのだが、
例えばマクドナルドに行って「炙り醤油風ベーコントマト肉厚ビーフ」が食べたいと思ったらどう注文すればいいか?
バカ素直に、炙り醤油風ベーコントマト肉厚ビーフくださいと言うのは長すぎるし途中で噛んだり読み間違えたりするリスクが高すぎる。
だからといって名称の先頭だけ取って、炙り醤油くださいと言うのは意味不明すぎる。
それはハンバーガーではなく醤油ですか?という気分になるし、USBメモリのことをUSBと略すような気持ち悪さがある。
そもそも致命的なのが「炙り醤油風ダブル肉厚ビーフ」というメニューも存在するため、炙り醤油だけでは一意になっていない。
愛称であるサムライマックと注文できればよいのだろうが、これも一意にならないので駄目だ。
そこで名称の中間から取ってベーコントマトと言うのはギリギリ及第点だろう。だがしかし先述の「炙り醤油風ダブル肉厚ビーフ」の場合は使えない手法だ。ダブルくださいでは意味不明すぎる。
応用的に、サムライマックのトマトの方と言えば一番伝わりやすいかもしれない。だがこれはメニューを全て把握しておくという前提知識が必要になるし、何だか小慣れた感じがして少し気恥ずかしいという欠点がある。
・プリン ある。焼きプリンなら賞味期限10日くらいあるから、一週間に7つかって1つずつ食べてる。森永がおはよーに価格でまけたようで今はおいてなくなった。おはよーの4個入りがおいしい。
・ハーゲンダッツ ないけど一時期北海道の高校のバニラアイスのふるさと納税でカップ入りのが2ダース冷凍庫に入ってた、すごくミルキーでおいしかった ダッツもさがせばどっかでやってるとおもうけどバニラ派なんようち
・冷凍パスタ ある。カルボナーラ1食110円で売ってる店みつけた。
・生ハム ある。ふるさと納税(冷凍でとどいてそのままいれてる)
・ワイン あるけど料理用の一番安いヤツ。ミートソース(赤)と牛丼(白)で隠し味に入れる
・刺身盛り合わせ ないけど一時期すごいカンパチとかふるさと納税で入っててでかすぎて食べきるのが大変だった
・ローストビーフ ないけどカモパストラミならある(れいとう)。
・ケーキ ある。味の素のふるさと納税の餃子になぜかついてくるやつ。
・シュークリーム ないけど先週末一瞬あった。足が速い。
追加
・ほしいも(常温)
・おはぎ(丸くなくてふつうにお重みたいなのにみっしり入ってる)
・とんそくのとろとろ煮
・太いサラミ
ツイッターだとスペースで声出してたり同人イベで顔出ししてたりで性別確定してるユーザーはたくさんいる
例えば有名どころだとダイナミックベーコン氏はpixivFANBOXで成人男性向けコンテンツを扱っており
グラブルの女性キャラのきわどい二次創作も多数描いているが今回は
「12歳が出していい色気じゃないだろリリィ…お父さんそんなリリィ知らないぞ…」
「娘がヤング雑誌のグラビアに出てるのを知って緊急会議する家族みたいなTLになってる」
「リリィ…なんなんだこれは、お父さんびっくりしたんだぞ(今朝買ったヤングチャンピオン烈をテーブルに出す」
と動揺を見せている
ただまあその動揺もふざけ半分だし結局は「リリィ…お父さんな、恒常の追加だけだったのに石が2万から197まで減ったんだ」とちゃっかりぶん回しているようだからなんだかんだでエロに釣られてはいるんだろうが
それは、つねにおもいがけない可能性に対して開かれた態度であり、慣習的な物事の結びつきを超えてあらゆる未来を否定せず、支配と被支配の天地すらもあいまいに塗りかえる。そうした状態に政治性を求めるのならば、こういいかえてもいい。NTRとは革命である、と。
NTRの宿る瞳は風景を革命する。たとえば、あなたは都会とも田舎ともいいづらい、郊外の住宅地に住んでいて、そこにしゃれたパン屋さんが建っているとする。味はそこそこで、町のなかでさえ注目度は低い。あなたはその店へ日常的に通い、品揃えと定休日を完璧に把握し、なんとなれば五回に一回は店主が声をかけて二言三言挨拶をかわす。ちゅうくらいな好ましさがある。
ある休日、幸福な遅起きをしたあなたはその店に向かう。しかし閉まっている。開店時間は過ぎているし、定休日でもないのに。店の扉に張り紙がしてある。「Aデパート地下街新春スイーツフェア出店のため、誠に勝手ながら、〇日~×日はお休みさせていただきます」。
世界がすうっと冷えて遠のいていく。
そのデパートは毎日百万人が乗り降りするような規模の駅の前にそびえている。
そこに行くと、よく見知ったパンが知らない装いで売られており、おそらくあなたが手をふったとしても、他人のふりで無視されてしまう。三百円の買い物ごとにスタンプを捺してもらっているあなたのカードも、存在しないものとされるだろう。
もうあのひとかみごとに皮が崩れ散るクロワッサンも、あの固くなった餅のような生地のベーコンピタも、もうその手には届かない。あの店は二度ともどってこないではないか。そんな感覚にあなたは襲われる。
開期が終わると、パン屋はもどってくる。以前の顔のまま、あなたのとなりに、なにひとつ変わっていないかのように。
だが、変わってしまったのだ。なにかが決定的に以前とは違うのだ。
営業再開初日の朝一番にあなたはその店を訪れる。柔和な顔立ちの店長が、変わらぬ笑顔で「焼きたてですよ」といいながら、あんパンを棚にならべる。あなたは礼儀正しく待ったあと、ひとつをトングでつかみ、瓶入りの牛乳といっしょにレジに出す。
あなたが知っているかはわからないが、あんパンはパンのなかでもっとも官能的なパンだ。NTRを体現している。それはおはぎと逆の極にある存在だ。おはぎで餅米を包んでいたオラオラ系のあんこが、西洋の象徴であるパンと出会ったとたん、しずしずと包まれるに甘んじている。 あなたはあんことパンを咀嚼しながら、自分が今、寝取っていると同時に寝取られているような、ふしぎな感覚を味わう。それこそがNTRの奥義だ。シナイ山でモーセはふたつの神の名を与えられた。ひとつはYHMH。もうひとつはNTR。発音できないことはそれ自体神聖さの証だった。
能動と受動ーー寝取りも寝取られもNTRというひとつの言葉に封じられている。わたしたちはそうした矛盾を孕んだ言葉を何の違和感ももたずに使っている。どちらでもあり、どちらもない状態こそが自然なのだ。そうした状態を自然にすることで、わたしたちは今ある景色を転覆できる。
NTRという言葉の両義性に想いを馳せるとき、わたしは菅井の顔を思い出す。
九十年代の善き日々に、わたしはフリーランスでいわゆるNTRビデオレターのディレクターをやっていて、彼はそのプロデューサーのようなポジションで助監督的な雑用からポストプロダクションまでを一手に引き受けていた。
あの時代を知らない子どもたちには、NTRビデオレターをヤラセだと思っているものも多いと聞く。たしかにそうした側面があったのは否定できない。特に大手の制作会社がAVのついでに量産しているようなものは、最初から商業的な流通を折り込んで、俳優を雇って制作されていた。
だが、わたしのいた現場はみな本物で真剣だった。寝取るほうには寝取るものの矜持があり、寝取られるほうには寝取られるものの葛藤があり、そしてかれらを撮るわれわれはそうした昏い機微、愛の真理といってもいい、そのさざなみのような感情を、一コマも撮り逃すまいという気概があった。誰もが真剣に傷つけあっていた。
独立系の低予算のチームである。撮ってくれと頼むのも、大手に発注できないような貧乏な若者ばかりだ。ビデオレターを撮って、送りつけたい。その情熱が何よりの対価だった。
菅井もそんな情熱しか財産を持たない若者のひとりだった。彼と出会ったのは大学のあるサークルの飲み会のことだ。三次会だったか四次会だったかを先輩の家に転がり込んでおっぱじめ、みなひとしくへべれけになったノリで、先輩が「おもしろいものがある」とVHSテープを取り出した。
それは当時話題になっていたNTRビデオレターで、メーセッジを収録している最中に寝取られる女性(四十代の主婦という触れ込みだった)が感極まって泣き出し、泣くのはよくあることだったが、その上にすさまじい量のゲロをぶちまけて寝取り役も撮影スタッフも大騒ぎ、という内容だった。要はネタビデオである。皆視聴済みの有名作で、先輩もそのことをわかっていたはずだけれど、みな初めて観る体で盛り上がった。
そして、例のゲロの場面が来ると、みんなで爆笑した。わたしも笑った。下に見る笑いだった。そうした笑いを仲間内で共有することが結束である、と信じていた。
だが、菅井はそうでなかった。
それまで部屋の片隅でちびちびキリンなどをやっていたのがいきなり、「笑うな!」と叫んだときは、おどけた反語的表現なのかなと思っていたが、先輩にくってかかるに及んで本気だとわかった。
押し倒された先輩の顔に浮かんでいたのは暴力を振るわれた怒りではなく、驚きと困惑だった。わたしたちも止めるでもなく、ただひたすら唖然としていた。先輩もわたしたちも、NTRビデオレターに対して真剣になる人間がこの世に存在するなどとは思わなかったのだ。 菅井は酔っ払いすぎだとして家に帰され、後日、酒の席のことと暴行は不問にされた。菅井はサークルで、なんとなくアンタッチャブルな存在になった。
サークルの他の人間たちとは逆に、わたしは菅井に興味を抱いた。
当時のわたしはNTRビデオレターの大半をヤラセだと考えていた。そうした作り物にたいして、あそこまで入れ込める人間がいるというのは不思議というより驚異だった。
菅井はふだんから近づきがたいオーラを発している類いの一匹狼だったが、こちらから話しかけると意外に愛想良く応じてくれた。
彼のNTRビデオレターについて該博な知識を持っていた。その歴史からジャンル、ゲームチェンジャーとなった名作の存在、業界構造まで、事細かに、しかも大変おもしろく教えてくれた。良い教師だった。
あるとき、彼の部屋でふたりだけで宅飲みをしていたとき、わたしは彼に訊ねた。「どうしてNTRビデオレターにそんなに興味を抱いているのか?」
菅井は、酒気に染まった赤ら顔しばらくゆらゆらさせたのち、立ち上がり、押し入れからひとつのVHSテープを取り出した。
部屋の明かりを消し、無言のままビデオデッキにそのテープを挿入する。あまり上等とはいえない画質に、ベッドに座った二人の裸の男女が浮かび上がる。男のほうは下腹が出ていて、若いようにも中年のようにも見える。女のほうは透き通った印象の美人だった。
男のほうがピースをしながら口上を述べる。さしてオリジナリティのない、平坦なセリフだった。菅井はその口上にかぶせるように、ぼつぼつと、VHSテープの来歴を語りはじめた。
ビデオに映っている女のほうは菅井の伯母であるという。知的でやさしくて、幼心に憧れの存在だった。伯母夫婦には子どもこそいなかったものの、傍目から見れば、仲睦まじく、理想の夫婦といった趣に見えた。夫婦で菅井をかわいがってくれ、週末にはよく遊びに連れて行ってもらったそうだ。
その伯母が急な病で若くして亡くなった。菅井が高校生のころだ。意気消沈する伯父を励ますために、菅井は伯父の家をたびたび訪問して話し相手になったやった。
しかし、伯父は一方的に話す菅井に黙って相づちを打つだけだった。菅井が三人で出かけた思い出を語らおうと、アルバムの場所を聞くと、伯父は「焼いた」といった。そこで菅井は初めて、家の中から在りし日の伯母の写真という写真が消失しているのに気づいた。
菅井はそのことを問い詰めようとしたが、伯父の返答は要領を得ず、ついには泣き出してしまった。
菅井は長らく伯母について伯父の前で触れずにいた。だが、大学進学が決まって伯父の家に挨拶へ行った日、めずらしく伯父が上機嫌で出迎えてくれた。自分から菅井にいろいろ話しかけてきた。流れで伯母の話題にもおよび、ひさしぶりに伯母の思い出について深く二人で語り合った。良い時間だった、と菅井はいう。
微笑みながらも目頭を熱くしていた伯父は、ふと思いついたように席を立って、どこかからかVHSテープを持ち出してきた。なにそれは、と菅井が訊ねると、伯母の映っている唯一のビデオだという。
そして、菅井と伯父はそれを観た。ふたりとも、ひとことも喋らなかった。
伯父の訃報を聞いたのは、菅井が大学の下宿へ引っ越した直後だった。自殺だった。
わたしたちの観ているビデオレターは山場にさしかかっていた。VHSと自らの由来を語り終えた、菅井の横顔はブラウン管の青い光にぼうっと照らされ、かそけく浮かび上がっている。画面を凝視している。そこにあるのが歓びなのか、哀しみなのか、あるいはまた別のなにかなのか、推し量ることはできない。