はてなキーワード: 教育勅語とは
・天皇制興味なし
・嫌韓要素なし
・昔の日本スゴイとか言わない
・教育勅語を称えたりしない
・選択的夫婦別姓、同性婚などには党として前向き https://www.marriageforall.jp/blog/20220622/
・選択的夫婦別姓、同性婚などに賛成の支持者が立憲よりはるかに多い https://www.nikkei.com/article/DGKKZO68780580W3A220C2PE8000/
・安保よりビジネス重視(これはトランプと橋下の共通点で、とにかく戦争がものすごく嫌い)
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問題の広島市長を始めとして杉田水脈議員とかいつもの面子は教育勅語の中にもいいところはあるみたいなこと言っていて、畏れ多くも天皇のお言葉を切り取るのは右派(でいいのかあの人達)としてそれでいいのかとか疑問に思う。
実際戦前も勅語を改変するのは不敬だとかいう理由で解釈憲法みたいなことを繰り返していたらしいし。
んで反対派としては流石に親孝行とか兄弟仲良くみたいな一般的な徳目に文句つけてなくて、「一旦緩󠄁急󠄁アレハ義勇󠄁公󠄁ニ奉シ以テ天壤無窮󠄁ノ皇運󠄁ヲ扶翼󠄂スヘシ」を問題視しているね。
国難があったときは国のために尽くせって個人の自由を大事にする今の価値観だと拒否反応が出るのは当然だろう、特に進歩的左派系知識人の人たちにとっては。
なぜか右派の人達もそこはこっそり隠そうとしているのが不思議なんだけれど。個人の自由より国家が大事的なことしょっちゅう言っているイメージなんだが。
でも国のために死ねってウクライナがやってなかったっけ。ロシアの侵略という緩急に対して義勇を公に奉じて銃を取れって言って成人男性の国外渡航を禁止までして徴兵していたじゃん。
んで最近日本に避難しているウクライナ人男性に対して著名左派はてなーが「お前国に帰って戦えや」って言い放ってたし。
そのあたり左派の人たちってどう折り合いつけてるのかな。
暇空茜がゆうきまさみのミームをよく引用しているわりに「ゆうきまさみが左翼的なツイートにいいねしてる」と最近怒っていた
内容知らないで切り取りに使ってるだけの奴かなり多いわ
>多喜二の件にしても南京事件や関東大震災の時の朝鮮人虐殺にしても、当事者が多数存命中には嘘だなんていうやつがほとんどいなくて、最近になって大発生している時点で自明だろうに。
>ネトウヨさん、よく「中国が攻めてきたらオレは戦う」とか勇ましい事を言うけど、現役自衛官や予備自衛官じゃない人が戦ったら「1」の便衣兵に該当してしまうんじゃなかろうか?。ネトウヨさんがまたよく「便衣兵を殺したのだから問題ない」とか言うけど、自分は「問題ない」で殺されて良いのかね?。
>この国は、いつから歴史ある文化を否定するような国になったのか?教育勅語とか寝ぼけたこと言ってないで、実態ある文化を保護するべきじゃあないのかねぇ………。
戦後に勅語が排除された結果、我が国の倫理道徳観は著しく低下し、極端な個人主義が横溢し、教育現場はもとより、地域社会、家庭においても深刻な問題が多発しています。
よく日本の戦後の経済成長を「人口ボーナスのおかげ」と斜に構えて語る言説がありますが、人口ボーナスというのは別に、ぽこぽこ人間が勝手に生えてきて経済産業を成長させてくれるわけではないんですね。
すなわち人口ボーナスとは、よく教育されどこに連れて行っても共通の言葉で意思疎通ができる若者が大勢いるという、実現難易度が非常に高い状態を指すのであります。
なんとなれば清朝以前から多くの人口を抱え海外からの投資も活発であったはずの中国は、低い識字率と多様すぎる言語によって近代化に乗り遅れてしまったわけです。
一方で、低い識字率(清朝ほどではなかったとされるが、農民の識字率は高い地域で1/4)と多様な方言と地方や性別による極端な教育格差を抱えていた日本が見事に人口ボーナスを勝ち取れたのは偶然ではなく、近代化過程における戦略的教育改革の成果なのであります。
そしてそれを成し遂げた明治政府は適切に評価されるべきであり、明治政府の教育制度の象徴である「教育勅語」は誰が何と言おうと事実として戦後日本の経済成長の基礎になったんですね。
フランーッス
本日は日本においてたまごかけごはんの日、初恋の日、香りの記念日、世界のウチナーンチュの日、教育勅語発布の日となっております。
あまり参考にした覚えはないのですが、八徳だのなんだのを調べてみると『まぁ確かに大事かもなぁ』と思うこともあります。
思うこともあるのですが、結局時代のシステムでどうしても歪んでしまうこともあるので、あまり堅苦しくやり過ぎても良くないんだなぁと思ったりもします。
勿論それらが全て上手いこと行くかどうかはわかりません、堅苦しくやる方が逆に気持ち的に楽なパターンもありますからね。
一番重要なのは、それらを上手く使い分けて人生に折り合いを付けていくことです。
漠然とした怒りに答えを出す為に徳の概念や罪の概念を利用してきたのが我々人類です。
怒るなとか、怒りなんてきっとおさまる、なら我々は悩みませんし苦労も不調もありません。
結局許せなかったりするのです。
現代人はちゃんと“個”を持っていたりするから『俺が許せない』『俺が悲しい』『俺が許せないと思っている』と語ることが出来たりしますが、そうなれない時の為に大昔の人の概念を調べて『こりゃいいや』と思うのが大事なのかもしれません。
要は“如何にしてその漠然としたものと折り合いを付けるのか”って話です。
そしてポジティブな徳の行為が出来るとか、それで感謝されるとかはおまけでいいのです。
何よりあなたが生きる為に学んだだけなのですから、その学びでもって歩みを止めそうになる負荷を取り払う方がよっぽどいいのです。
その負荷を取り払う為に使った道具なのですから、多少ポンコツな使い方だったとしても仕方がなかったりするのです。
ということで本日は【積載量の確認よいか】でいきたいと思います。
現代においてその代表例とされるのが世界平和だの人種民族の共存だの反差別とか
だから結果的に冷笑系の嘲笑の対象は左翼リベラル派の類になりやすい
つまり冷笑系は「俺は現実主義者の大人だぜ」というスタンスを取りたがるわけだが
一方で右派的な主張にもお花畑的な理想主義や嘘くさい過去の美化もある
明治から戦前の日本は教育勅語があったから理想的な聖人君子しかいなかったとか
戦国時代に残酷なことをしたのは織田信長一人だけで庶民はみな非暴力だったとか
自分は「人間はずるいし汚い(俺もな!)」という前提で生きてるから
「人間はずるいし汚いからこそ、せめてタテマエ上の正義や理想ぐらい必要」
ぐらいに思っておくべきではないか