はてなキーワード: 古書とは
何の学科か分からないが、何かを調べる授業があり、何故かその調べ物をする場所がとんでもない傾斜の坂の上の山の中にある。
傾斜が凄まじく、自分は途中まで自転車に乗って登っていたのだが進む事すらできなくなり、あまりのことに笑いながら自転車を諦めて脇の空き地に横たえて置いて坂道に縋り付くように四つん這いになりながら道を登り始めた。路側帯の白線が何故か普通に帯のように紐のようになっていて握れるので、それに掴まりながら登山のようにアスファルトの道を登っていく。他にも同じ様に山の上に向かっている生徒があり、状況のとんでもなさに苦笑して笑い合いながら目的地に着いた。
山の中腹にある開けた空き地は周囲を木々に囲まれ短い下草が青々と茂っていて、そこに図工室にあるような作業台や角椅子が整然と並んでいる。細部をよく覚えていないが、本類、資料?文献?は卓上に置いてあったのかもしれない。本棚は無かった気がする。そこで多くの生徒、教師が角椅子に座り何かを調べたり読んだりしている。
男女の教員、1人はふくよかで豊かな癖毛をした落ち着いた服装の長髪の中年の女性、1人は顔色が極めて悪い、短髪で目をひん剥いたようなギョロ目をした和装の男性。で、何故か自分はその男性の向かい側で古書を見ていて、その古書は神社の御由緒のような、神社に伝わる書物の由来が記載された目録のようなものだった。読んでいるうちに、その神社の建立当初、帝から賜った宸翰が今に伝わっていると書かれており、へぇええ〜!!!と顔を上げると、夢なので唐突に、目の前の教職の男性の脇に60代くらいの落ち着きのある痩せた神主さんが居て、「持ってきましょうか」と言う。は???凄すぎる、見て良いのか、やべー!!と心中で慌てふためきながら大人しく待っているうちに、夢なので唐突に周囲に人は居なくなり、その作業机には自分と教職の白服の男性、少し向こうにふくよかな女性の教員だけが居て、何故か神主さんが神社に贈られた上等の和菓子をあけて自分と男性教職員に出してくれる。
そのひとつをようく覚えていて、それは艶々ぴかぴかとした光沢のある、一つ一つの粒がしっかりとしている黒豆のような茹で小豆?あんこ?に覆われたぼたもち/おはぎで、実際存在するのかと検索してみるとそのような物は見つけられなかったのだが、自分が見つけられなかっただけでどこかには存在するのかもしれない、それを美味しく食べた。あまりの旨さにまた感動して目を見開きながら顔を上げて目の前の男性教職員を見ると、わかるぞと言うように相手はうなずき、「本物は内側が7層になっているんですよ」と教えてくれて、こんな小さい和菓子の内側に何が7層も入っているのか気になって仕方がなかった。
夢なので唐突なのだが、我々の机の横手には、自分達が登ってきたはずのアスファルトの急斜面は無く、けばけばしくない、ぼろくもない、使い込まれた年代物の神楽殿があった。開け放たれたそこには、奥の方に木札のような、30センチ程の高さの有りそうな折紙に包まれた書状がいくつか重ねて立て掛けられていた。あまり恭しい扱いとは言えないように見えたが、粗雑に扱われているようでもなかった。そのうちのいくつかを今から読むのだろうか?神主さんが紙を開いて書面を出してくれたあたりで目が覚めた。
艶々の黒豆に覆われたあのぼたもち様のなにかが気になって仕方がないが、ぼたもちではなく生菓子かもしれない。
ここ3年で読んだ漫画をまとめたぞ!
教えて欲しいぞ!
コーポ・ア・コーポ
これ描いて死ね
フールナイト
天国大魔境
違国日記
1978年のまんが虫
ゴーグル
最果てのソルテ
緑の歌 - 収集群風 -
超人X
迷宮クソたわけ
133cmの景色
20時過ぎの報告会
adabana 徒花
BLACK LAGOON 掃除屋ソーヤー 解体!ゴアゴア娘
mon*mon
アトム ザ・ビギニング
アフターゴッド
アラバスターの季節
ウスズミの果て
うみそらかぜに花
シャングリラ・フロンティア ~クソゲーハンター、神ゲーに挑まんとす~
ゾミア
ダーウィン事変
ひとでなしのエチカ
ミューズの真髄
ルリドラゴン
三十路病の唄
三拍子の娘
亡びの国の征服者
令和のダラさん
八月九日 僕は君に喰われる。
列士満
合コンに行ったら女がいなかった話
呪術廻戦
国境のエミーリャ
地獄楽
大雪海のカイナ
戦争は女の顔をしていない
日本三國
昴とスーさん
服を着るならこんなふうに
朱色の仮面
片喰と黄金
瓜を破る
純猥談
結末の国のアトー
葬送のフリーレン
虎は龍をまだ喰べない。
血界戦線 Back 2 Back
文豪をキャラ化した作品の同人誌即売会に、元ネタとなった文豪の書いた小説や詩歌をそのまま同人誌にして頒布やDL販売しているサークルが複数ある。
イベント主催企業のFAQには「ある作品の聖地巡礼写真集(notコスプレ)はどのジャンルを選べばいいですか?」「メインとなるパロ元の作品ジャンルでお申し込みいただけます。」とあるので原作キャラとは関係のない元ネタを扱った同人誌を作品ジャンルで頒布するのは問題ない。著作権は切れているので誰かの権利を侵害しているわけでもない。
でもそれって同人誌としてどうなの?
文豪の随筆を元にキャラの漫画や小説を書いて、出典として一部引用するならわかる。詩歌を読んで得たインスピレーションを元にイラスト集を作るのもわかる。
文豪の記念館・文学館やゆかりの地を巡って旅行記にするのもいいし、文豪の作品を読んで感想文を書いたり執筆背景を調べて本にするのもいいと思うよ評論はコミケの老舗ジャンルだし。
文豪の作品をコミカライズしたり朗読CDにしたり、古語や外国語で書かれた本を翻訳したり別の作品の形に翻案するのもクリエイティブだと思う。
でも文豪の作品をそのまま同人誌にするのはうーん…二次創作とはいえ何らかのオリジナリティを発揮するのが同人イベントの趣旨じゃないのか?
辛うじて趣味といえるものが読書ぐらいしかないから、読書好きコミュニティに登録してる相手にばかりいいね!している。だがコミュニティというのは目に留まるようとにかく沢山登録することが推奨されるものだから、プロフィール文の趣味は全く別であることの方が多い。
運よくプロフィール文で読書好きといってる人を見つけても、あまりにも一般的な趣味ゆえに嗜好が合致することはほとんどない。こちらは「辛うじて趣味といえる」程度の読書量で、かつ流行りなど一切無視して読みたいものを無軌道に読んでるだけだから尚更だ。最近何読みました?がマッチング後最初の常套句だが、返ってくる作家や書名は(有名なものでも)99%読んだことがない。
しかしそこで知らないと言うと話が終わってしまうから、その後の応答は必然的に2つに絞られる。まずそれがあまり有名でない作家の場合は、面白そうですね!と興味のある風を装いつつ、作品のディティールや周辺のジャンルについて聞き出してゆく。メジャーな作家の場合は、適当な作品のあらすじを調べて矛盾のない(漠然とした)感想を捏造し、昔読んだが詳細は忘れてしまったふりをする。そしていずれの場合も、話題となった本をAmazonで即時買い求める。
このとき、前者の場合でも本を買ったことはまだ話さない。二言三言話しただけでいきなり買いました!と来られるのはあまりにキモいだろうから。やり取りが続いて直接会うとなった際、そういえばこの間言ってたあれ読んでみたんですよ~と持ち出すのが理想的だ。後者の場合、後々になって奥付を見られても大丈夫なよう古書を選ぶ配慮も重要だ。どちらにしても、届き次第すぐさま読み始めて話題に追い付いておく必要がある。
こう書くと読みたくもない本を無理やり読んでいるみたいだが、不思議なもので今まで見向きもしなかった本でも人に面白いと言われると俄然興味が湧いてくる。これはロゴスのアウトドアグッズを見かけて旅のラゴス(名前だけ知ってた)が読みたくなるような自分の無軌道さのせいかもしれない。星野道夫、ルシア・ベルリン、米澤穂信、徳田秋声、ケン・リュウ、平野啓一郎、チェーホフ……。この1年で本棚のレパートリーはずいぶん広がった。
マッチングアプリは、相手からのメッセージが返って来なければ終わりの世界だ。ほとんどの作家は結果的に話題に持ち出す機会を得られず、手元に本だけが残っている。昨日は木下龍也の『天才による凡人のための短歌教室』が自宅に届いた。誰かと話をするあてはもうないのだけれど、週末はひとつ短歌でも練ってみようと思う。
藤島泰輔なんて作家の名前、知ってるのはかなりのジジイ・ババアだろうなあ。
今のジャニーズ事務所の社長はシャニー喜多川こと喜多川擴の姪である藤島ジュリー景子(日本人なのになんでミドルネームあるんだろ?アメリカうまれだから?戸籍上はどうなってるんだろ?)という女性だが、この人の父親である。
詳細はwikipediaを見ればわかるが、1933年うまれで小学校から大学まで学習院出身。現上皇のいわゆる御学友の一人。新聞記者時代に当時の御学友たちをモデルにした小説『孤獨の人』がベストセラーになり、その後、作家として独立。世の中まだまだ“進歩的文化人”が幅を利かせてきた時代に“保守派の文化人”として活躍した人である。
かつて、韓国の朴正煕独裁政権下で反体制作家として活躍し死刑判決を受けた金芝河という韓国人詩人がいたのだが、日本ペンクラブの要職にあった藤島泰輔は韓国政府を擁護する立場の発言を繰り返し、日本ペンクラブが紛糾、ペンクラブから有吉佐和子・司馬遼太郎らが脱会するという騒動も起きている。
当時、“進歩的ジャーナリスト”として大人気だった本田勝一からは“御学友であるということだけで地位を確立した三流作家”などと言われていた。
なお、藤島泰輔の名前は記憶になくても、『不思議の国ニッポン』の著者ポール・ボネといえば覚えている人もいるかもしれない。1970年代から80年代にかけて“日本に在住するフランス人ビジネスマン”という触れ込みで、歯に衣着せぬ率直な文章と透徹した思考、練達の日本語で日本社会の批評を書連ねてきた…という触れ込みの人である。
今では考えられないが、昭和の日本では言論出版の世界でこういう詐術がまかり通っていたのである。
いちばん有名なのは、神戸在住のユダヤ人“イザヤ・ベンダサン”こと山本七平だろうか?
この二人に共通してるのは、なぜか最終的には日本の保守を称揚し、当時の左派や進歩的知識人を嫌うところ。“そんなのは海外から見れば非常識、絵空事”とやるわけである。
今も昔も日本人は、“海外から日本はどう見られているか”ということを知りたがり、日本人から言われると反発することでも外国人に言われると素直に聞いたりするので、こういう出版興業が成り立ったのであろう。
さすがに今の世の中では、ここまでの嘘はバレるので、“国際機関で活躍”だの“海外の大学で評価されてる”とか言う日本人を逆輸入してくる例が多いわけだが。
で、藤島泰輔とジャニーズ事務所とのかかわりだが、もともと歌人高浜虚子の孫娘と結婚していたものが、当時、バーを経営していた喜多川擴の姉(通称メリー喜多川。SMAPを解散に追い込んだ人)と知り合って内縁関係となったらしい。
一説によれば、創設当時のまだカネもなければ力もないジャニーズ事務所をなにかと援助してきたのは藤島泰輔とその人脈であったとも聞く。
その援助とはいかほどのもので、どのくらいの効果があったのだろう?
昭和の時代、“御学友”といえば今以上の権威があったような気もするが。
一部で噂されている“有力政治家にジャニーズ事務所の少年がお稚児さんのごとくに提供されていたらしい”という真偽不明な話も、おそらくこのあたりに端を発するのだろうが。
昨今、ジャニーズ事務所に関していろいろ報道されているけれども、このあたりまで掘り下げているのはみた記憶がない。
統一教会を語るには岸信介と文鮮明の関わりにまで遡らなければならないがごとく、本当はこのへんまで深掘りしないと“なんであんなジャニーズには力があるのか”は分からないかも知れない。
誰かやってくれないかな?
さすがに難しいか。
なお藤島泰輔の小説『孤獨の人』は、一時期は岩波現代文庫にも入っていたようだが、現在は絶版。電子版はないようだが、古書ならamazonでも手に入る。岩波現代文庫だと、岩波文庫程ではないだろうが、揃えている図書館もそこそこあろう。
そして、この作品なんと映画化もされている。検索してみたらなんと現在Amazonプライムで配信されており、プライム会員なら追加料金ナシ!いい世の中だ。
後で見てみることにする。
ミツケテヤリマス。ソノオンナガシアワセニナレバナラズ、コノヨデモジゴクデモクルシメツケラレヨウ。イジメタモノガミタスイデンイチニカエス。ソノオンナノイキカエシニワルイノリヲササゲヨウ。
「本当に最低の女だと思いますよ。みんなに媚びるし、裏では悪口ばっかり言ってるんです。こんな女、不幸になってもらいたいくらいです。あの時、ちゃんと見抜いてたらこんなことにはならなかったのに…。」
「四国地方に伝わる特殊な呪い、「読呪」について説明しよう。読呪とは、「呪いたい対象について文章を書き、それを他人に読ませることで対象を呪う」という呪術である。多くの人が読めば読むほど対象に強い呪いがかかる。例えば、架空の村・若草村での事例がある。村人Aが村人Bを呪いたいと思い、文章を書き、それを村中の人々に読ませた。その結果、村人Bは次々と不幸が降りかかり、ついには命を落とした。」
ある日、男が悪口を書いた手紙を送った。すると、翌日、男の家には謎の怪現象が起こり、男は恐怖におののいた。それ以降、男は悪口を言わなくなった。
姉が弟に呪いをかけ、弟は次第に病んでいく。しかし、姉にも次々と不幸が降りかかり、姉弟共に呪われた人生を送ることになった。
友達同士で呪いの話を盛り上げたある夜、一人の女性がその話に便乗して、別の友達を陥れる噂を広めた。しかし、数日後、その女性の身にも不可解な出来事が起こり、恐ろしい呪い返しが彼女に降りかかった。以降、彼女は他人を陥れることを決してしなくなった。
人を呪ったら、呪った対象から一生呪われ続け、その呪いは解くことができない。
ありがとうございます。おつかれさまでした。
ソノオンナハザマシイ。ウソツキデサイテイナセイカク。ワタシノセイデナイ。カノジョノセイダ。ヒドイコトヲシタノハカノジョダ。マケナイ。マケズニイキリタイ。カノジョヲノロウ。シアワセニナルナ。ソノオンナヲコロシタイ。カノジョハヒキコモリニナレ。イジメタマエ。カノジョハムチニサレ。ヒトツジノナミダヲナガシタイ。カノジョヲミチビク。オイワイヲヤクスル。
A: あの女、Xっていうんだけど、マジで最悪なんだよね。彼女に関わったことが、今までの人生で一番の後悔だわ。本当に、地の果てまで不幸になってほしいくらい。
インタビュアー: そんなに嫌いなんですね。
A: うん、まず彼女は嘘つきだし、人のせいにしてばっかりでさ。自分が悪いと思わないんだよ。だから、本当に不幸になって欲しいって思うんだ。
四国地方に伝わる特殊な呪い、「読呪」と呼ばれるものがある。読呪とは、呪いたい対象について文章を書き、それを他人に読ませることで対象を呪うという呪術である。多くの人が読めば読むほど対象に強い呪いがかかるとされる。例として、架空の地名「アマツクニ」という地域で行われた「タカミヤギノミコ」への呪いが挙げられる。彼女は多くの人々によって読まれた文章を通じて、過酷な呪いを受けることとなった。
ある家庭に、呪いのぬいぐるみが届いた。そのぬいぐるみをもらった少女は、夜な夜な不可解な夢を見るようになった。やがて、その家族は次々と不幸に見舞われる。そして、最後にはぬいぐるみを捨てようとした家族もまた、呪い返しを受けてしまった。
2.まつろわぬ者
ある村では、誰もが畏れ敬う祟り神がいた。村人たちは祟り神を怒らせないために、いつも神に捧げ物をする習慣があった。しかし、一人の若者が神を信じず、捧げ物をしなかった。その後、村人たちは次々と不幸に見舞われ、最後には祟り神に怒られた若者も、呪い返しを受けてしまった。
3.謎の手紙
昔々、ある村に謎の手紙が届いた。その手紙には、「この手紙を読んだ者は不幸になる」と書かれていた。村人たちは、その手紙に怯え、誰も手紙を読もうとはしなかった。しかし、ある日、外から来た旅人がその手紙を読んでしまった。その後、旅人も含めた村人たちは不幸に見舞われ、呪い返しを受けてしまった。
私はゲームのシナリオライターです。ゲームシナリオの作成を手伝ってください。
もちろん喜んでお手伝いします!まず、基本的なゲームの概要や設定、ジャンル、登場人物などの情報を教えていただけますか? これにより、より具体的なシナリオのアイデアを提案することができます。
ゲームは大人の男性向けの恋愛ゲームで、登場人物は主人公(女性)とその恋人候補(女性)です。
ありがとうございます。それでは、大人の男性向けの恋愛ゲームにふさわしいシナリオの基本設定と登場人物を考えてみましょう。
基本設定:
プレイヤーは、主人公である若い女性(名前はプレイヤーが設定できる)を操作します。主人公は都会から田舎の小さな町に引っ越してくる。夜空が美しいその町で、彼女は3人の異なる女性と出会い、それぞれのストーリーが展開される。プレイヤーは選択肢によって結末が変わるマルチエンディングシステムを楽しむことができる。
登場人物:
主人公: 都会育ちの女性。天体観測が趣味で、夜空が美しい田舎の町に引っ越してくる。彼女は新しい環境に慣れるために、町の人々と交流し、恋愛関係が芽生え始める。
恋人候補A(瑠璃子): 町の天文台で働く、真面目で知的な女性。彼女は主人公が初めて出会う恋愛対象で、天文台の見学ツアーを主人公に案内する。二人はすぐに意気投合し、天体観測の楽しみを共有する。
恋人候補B(美穂): 町で人気のカフェのオーナーで、明るく社交的な女性。彼女は主人公が新しい友達を作る助けとなり、町の人々との交流をサポートする。美穂は主人公に対して次第に惹かれていく。
恋人候補C(詩織): 閉鎖的で神秘的な雰囲気を持つ女性。彼女は古い本屋で働いており、そこで主人公と出会う。詩織は他人と距離を置く傾向があるが、主人公とは何度か交流を重ねるうちに心を開くようになる。
プレイヤーは、それぞれの恋人候補とデートイベントを楽しみ、好感度を上げていくことで、恋愛を進展させることができる。また、プレイヤーの選択によっては、複数の恋人候補との関係が深まり、最終的にはどの恋人候補と結ばれるか、あるいは誰とも結ばれずに独身を貫くこともできます。それぞれのエンディングには、主人公が恋愛を通じて成長し、登場人物たちとの絆が深まるストーリーが用意されています。
ストーリーモード: 登場人物たちとの日常やデートイベントを楽しみながら、ストーリーが進行します。プレイヤーは選択肢を選ぶことで、好感度が上がり、物語が展開されます。
ミニゲーム: 天体観測やカフェ経営、古書探しといったミニゲームを楽しむことができます。これらのミニゲームは、恋人候補との好感度を上げるだけでなく、主人公のスキルも成長させる要素があります。
こんな調子で延々とアイデアをだしてくれるので、これにセリフをつけて具体化したり、絵を描かせたら、無限に作れそうな気はする。
郅都(?) -?) 前漢時代の河東郡楊県(現在の山西省宏道県東南部)の出身である。 漢の文帝の時代には、漢の役人を務めた。 警部補時代、法律を厳格に執行し、権力者を寄せ付けなかったため、「鷲」と呼ばれるようになった。
内容
1 バイオグラフィー
1.3 強者に挑む
1.4 皇太子妃の不興を買う
1.6 イーグルの死
2 評価
3 関連項目
4 参考文献
漢の文帝の時代、志杜は文官となり、次いで文帝の家来となった。 景帝の時代になってから、将軍に昇進した。 その勇気ある助言によって、大臣たちを説得することができたのだ。
ある時、景帝に随行して上林宮に行った時、随行していた賈詡がトイレを使っていると、突然イノシシがトイレに突入してきたことがあった。 皇帝は志杜に、その目で嘉吉を救うように指示したが、武器を持った志杜は皇帝の体を守るだけで、行動を起こさない。 景帝が自ら武器を取って助けようとすると、子都は景帝の前にひざまずいて、「一人の妾を失えば、また一人が宮入りする、世に嘉吉のような女が不足するだろうか」と言いました。 陛下がご自身の安全を軽視されるのであれば、国や皇太后をどこに置くというのですか?" 漢の景帝は、志杜の言葉を聞いて、賈賈をおいて、結局、イノシシは誰も傷つけずに、便所から逃げ出したのです。 この出来事を聞いた皇太后は大喜びで、志都に金百枚を褒美として与え、漢の景帝はそれ以降、志都を重用するようになった[1]。
前漢の初め、宮廷は黄蓋の術によって国を治め、何もせずに治めるという方針をとった。 済南県には300余りの謝氏一族がいたが、彼らは強大で狡猾なため、済南の将軍は何もできなかったので、景帝は志都を済南の将軍に任命し、地方の有力者を治めるように命じた。 彼が済南県に到着すると、謝氏一族の悪党の長をすべて処刑させ、他の謝氏一族は恐怖に震え、二度と法を犯すことを恐れなくなった。 済南県に赴任して1年後、県内には一切の残骸がなく、周辺の十数県の知事たちは皆、彼を上官のように尊敬していた[2]。
その後、中尉に昇進し、北軍と都の警備を担当することになった。 有力者の顔色をうかがうことはしなかった。 宰相の周亜夫(しゅうあふ)は傲慢(ごうまん)で横柄(おうへい)だったが、彼に会うと頭を下げるだけで、ひざまずかないのだ。 文帝と景帝の時代には、民衆の搾取が減り、平和で満足な暮らしができ、法を犯す人もほとんどいなかった。 法律は王族の親族や貴族が執行し、法律を破った者は官吏や人に関係なく、法律に従って厳しく罰せられました。 王室からは嫌われ、恐れられ、横目で見られ、陰では「鷲」と呼ばれ、その激しい法執行の比喩とされた[3]。
紀元前153年、漢の景帝の長男である劉栄が皇太子に任命された。 紀元前150年、劉協の母・王耀が密かに大臣を唆して景帝に李自成を皇后にするよう依頼し、景帝は激怒して劉協を臨江王として退位させた[4]。
紀元前148年、劉栄が勅令に違反して菩提寺の土地を流用して宮殿を建てたため、景帝は劉栄を呼び寄せて謁見させることにした。 劉栄は江陵(現在の湖北省江陵県)の北門から出発し、乗り込んだ馬車が壊れてしまったのだ。 江陵の人々は皆、目に涙を浮かべながら、「私の王は帰れない」と内心で言っていた[5]。
都に入った劉栄は、裁判のために尉官室に呼び出された。 劉栄は恐れをなして、景帝に礼状を書こうと筆と剣を求めたが、景帝はそれを許さなかった。 魏斉の侯爵、斗英は人を遣わして劉栄に静かにナイフとペンを渡した。 長男の死を知った皇太后は激怒し、法律を厳格に執行して甘受しようとしない財津を憎んだ。 景帝は彼を故郷に罷免したが、その後、使者を送って延門県知事に任命し、近道で直接赴任させ、県の事務を処理する特権を与えた[6]。
漢の景帝の時代、匈奴の鉄騎兵が長年国境を侵し、国境の県は長い間未開拓のままであった。 彼の清廉潔白の名声を慕っていた匈奴は、彼が燕門の総督に任命されたことを知り、恐れおののいた。 匈奴の騎馬隊は退却し、燕門から遠ざかった。 死ぬまで延門に近づく勇気はなかったという。
匈奴はザイドゥの形をした人形を彫り、匈奴の騎兵が馬上から撃つための標的として設置したのです。 ザイドゥを恐れて、匈奴の騎兵は誰も目標を達成することができませんでした[7]。
景行が再び財津を利用したことを知った道太后は激怒し、直ちに逮捕を命じた。 景帝は「宰子は忠臣である」と宰子を擁護し、釈放の準備をした。 孫の劉栄の死も忘れず、斗太后は「臨江王は忠臣ではなかったか」と言った。 彼女の仲介で、ついに志杜は殺された。 彼の死後まもなく、匈奴の騎兵隊が燕門に再侵攻した[8]。
彼は忠誠心が強く、公正で正直な官吏で、内部では権力者や有力者に立ち向かい、外部では外国の侵略から身を守り、匈奴の神経をすり減らすほどの勇気を持った人物であった。 親族を倍加して仕えれば、政府の下で死んでも妻にはこだわらない」という有名な言葉があるが、これはまさに彼の官僚としての生き様を表している。 後世の人たちは、財津を高く評価していた。
司馬遷は『大史記』-巻122-「涼官伝説」の中で、「彼は素直な人であり、天下を争うほどの人であった」と賞賛している。
漢の成帝の時代、大臣の顧雍はメモで志都を論じ、「趙に連波と馬遂がいて、強い秦は井戸を覗く勇気がなく、近漢に志都と魏商がいて、匈奴は砂幕に南下する勇気がない」と述べている。
唐の古書』巻194には、唐の中宗皇帝の時代に、右補奇人の陸遜が「漢が宰子を祀ると匈奴は国境を避け、趙が李牧を任命すると臨湖は遠くに逃げた」と発言したことが記されている。
上記の名前から、志都は戦国時代の趙の連波、趙奢、李牧など、「戦国の武将、国家の手先」とされた名将と肩を並べることになる[10][11]。
仕事柄、シェアオフィスを良く利用する。今までは ZXY(ジザイ)や H1T(エイチワンティー)が多かったのだが、WeWork の拠点をいくつか体験することが出来たので感想を書いてみる。なお、東京の WeWork のみである。
WeWork を使ったことない人のために解説しておくと、ここは上に挙げた ZXY のような純然たるシェアオフィスとは違い、レンタルオフィスとしての機能も併せ持っている。増田はラウンジ(一番広い部屋で様々な利用客がいる)しか入ってないので感想もそれについてのものだ。
ラウンジでは水・お湯・コーヒー・紅茶・牛乳・豆乳が飲み放題。コーヒーは容器に入ったブレンドと別にエスプレッソマシンが必ず置いてある。拠点によって違うがストリーマーかタカムラのものであり、味はある程度保証されている。17 時以降はビールも提供され、これも飲み放題となっている(増田は下戸なので飲んでない)。その他お菓子やカップヌードルなどを施設内で買うことも出来る。
営業時間は基本的に平日 8:30~18:00 だが、一部拠点のみ夜遅くや休日も開いている。なお、レンタルオフィス契約をすれば 24 時間 365 日入れるようになるみたい。
ZXY などを利用していたことから分かるように、増田は IT 系だがどちらかと言うと堅い職種である。オシャレな服装で Macbook 持ってドヤりながらウェーイwwwってやってる人達(本当にそんなのいるのか?)には偏見があるので、そこは割り引いて見てくれ。
アクセス ★★★★★
ウェーイwww度 ★★★★★
設備 ★★★★★
眺望 ★★★★★
いきなりスゴい。ここにはチャラい奴とバンドマンしかいないんじゃないか(偏見)。本当にこういう人達いたんだ……。
とはいえみんな仕事しているのは確かで、ウェーイwwwとかやってるわけではない。ソファーでくつろぎながらイヤホン付けてドヤ顔英語ミーティングしている人が複数いる。「WeWork」と言って外の人が連想するもの、それがここにはある。
設備の充実度は素晴らしい。他の拠点にもある有料の飲食物とは別に、専用のカフェ店舗がラウンジ内にある。コーヒーしか頼んでないがなかなか美味しくて値段は安い。軽食もオーダー出来るようだが「低糖質!野菜たっぷり!1000 円以上!」なものばかりで食指が動かない。ビールも当然供給されており、親会社が入居しているためか、ベイスターズビールが飲める。
オフィス自体の規模はおそらく日本の WeWork の中で最大のものだろう。出来たばかりの渋谷スクランブルスクエアの 37 階~45 階に位置しており、各階に他の拠点と同等、39 階には他よりドデカいラウンジがある。当然席数は多いはずだが常に混雑しており、専用アプリで予約出来る席数が前日にゼロになることもしばしば。ここほど混雑しているのは GINZA SIX の WeWork くらいだろう。
高階にあるため眺望は圧倒的に良い。ラウンジの窓からは渋谷ヒカリエの屋上が下に見えて驚く。遥か向こうには丸の内や品川の海までが見えるが、残念ながら富士山の見える側はレンタルオフィスなので入れなかった。
アクセス ★★★★
ウェイ度 ★★★★
設備 ★★★★
眺望 ★★★★★
新宿駅から直結というのが謳い文句だが、高島屋のさらに南側なのでそれなりに歩く。その代わり目の前が新宿御苑という立地のため眺望は素晴らしく、渋谷と同じく星 5 つを付けた。
ビルにはスタバも入っておりブルーボトルコーヒーも至近にある。コーヒー好きには良い立地だ。ラウンジも広くて快適だが、渋谷ほどではないとはいえ混雑しており、電源のある広い机は常に取り合いである。
今回訪問した中ではここと渋谷のみが 18 時以降も開いている。東京の真ん中でこれだけ美しい景色を眺めながら、就業後もビール片手にのんびり出来るのは素晴らしい(但し増田は下戸)。
アクセス ★★★
ウェイ度 ★★
設備 ★★
眺望 ★
細く縦に長いビルなせいか狭い。ラウンジも机が並んでいるだけで WeWork っぽさがない。その分利用客も大人しめで、オフィス街で良く見る風貌の人が多い。立地もマスコミ系や士業の事務所が多い場所なのでそれが影響しているのだろう。お昼時は普通にコンビニおにぎりなどを食べている人を見掛けたが、これは渋谷 WeWork などのオシャレ空間ではなかなか見られない。
眺望は WeWork には珍しく悪い。窓の外には良さそうな景色が広がっているのに、ベランダに出ることが出来ないため良く分からない。ラウンジの狭さも相俟って、通常のシェアオフィスを利用しているような閉塞感があった。
アクセス ★★★
ウェイ度 ★★
設備 ★★★
眺望 ★★
ここも WeWork っぽくない立地だが、ラウンジは広く使い易い。さすが古書とカレーで有名な神保町、美味しいランチには事欠かず、有名なカフェが多い点も増田的にはポイントが高い。
こちらが心配になるほど空いており、ゆったり過ごせて利用客としては満足度が高い拠点である。神保町駅自体の使い勝手が悪く、駅からも多少歩くことになるのが勿体無い。
アクセス ★★★
ウェイ度 ★
設備 ★★★
眺望 ★★★★
官庁街のすぐ側だけあって利用客にも背広の人が多い。シャツにジーンズという増田はかなり浮いていた。入り口も WeWork のカードでは入れず、受付で名刺を出して一時カードを発行して貰う必要がある。ビル自体は駅近で至便だが、この点で星 1 つ減点した。
立派なビルだけあって、ラウンジの広さは申し分無くゆったり過ごせる。逆に言えば広さの割りに利用客が少ないということであり、WeWork というイメージとは合わない立地から敬遠されているのではなかろうか。眺めもまあまあいいので普段遣いとしては良い場所だと感じた。難点は繁華街までちょっと距離があるのでランチに不自由するくらい。
アクセス ★★★
ウェイ度 ★★★
設備 ★★
眺望 ★★
名前からは分からないが最寄駅は五反田。この辺も意外と IT 系の若い企業が多く、利用客にも短パン&T シャツの人を見る。
目の前を山手線と埼京線が走るので、防音とはいえ結構やかましい。ラウンジは狭いが混雑率も低く、騒音さえ気にならなければ使い易いと感じた。駅からはちょっと歩くが繁華街が近いのは良い。
アクセス ★★★★
ウェイ度 ★★★★
設備 ★★★★
眺望 ★★★
渋谷ほどではないがここもバンドマンが多い(偏見)。ラウンジもまあまあ広く、渋谷ほどの混雑も無いので使い易い。この辺は青山と言ってもだいぶ落ち着いた地域のため、意外とランチには苦労しなかった。
ラウンジは 6 階にありそれほど高階ではないが、駅(最寄は外苑前)からの距離が近く、ビルの入り口からのアクセスも悪くない。バランスの良い WeWork である。
アクセス ★★★★
ウェイ度 ★★★
設備 ★★
眺望 ★
ラウンジは 1 階で外の景色も見えず、眺望は四谷と同じく星 1 つなのだが、意外にも閉塞感は少ない。ここは一棟全てが WeWork となっているので、効率的な間取りになっているのだろう。その代わりに(?)施設をコロナウイルスのワクチン接種会場としても提供しているようで、入り口から入る際は WeWork のカードをぶら下げてないと間違われる。
目の前に東京ミッドタウンのある、オシャレ街ど真ん中ではあるのに利用客は大人しめ。混雑度も低い。この辺も意外と安い店が多く(ミッドタウンに入ってはいけない)、普段使いに適した WeWork である。
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以上、今まで行けた場所だけレビューしてみた。ちなみに個人的には乃木坂がお気に入りである。点は辛めに付けたが肩肘張らずに落ち着いて使える良さがある。点数自体は高く付けたが、渋谷のあの雰囲気はやっぱり落ち着かない。しかし観光地としてゲストを呼ぶ分には確実に喜んで貰えるだろう。一度は行っておくべきである。
妖怪?それとも宇宙人?徳川家康が遭遇しかけた「肉人」の正体とは?
妖怪?それとも宇宙人?徳川家康が遭遇しかけた「肉人」の正体とは?
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徳川家康といえば健康オタクとしても知られています。いくらでも贅沢できる地位にいながら、基本は粗食を中心としていた家康の生活。そんな家康が不思議な生き物と遭遇しかけたのは、駿府城にいたときのこと。
慶長14年、家康が在城していた駿府城内にて、不思議な生き物が発見されました。その姿は子どもほどの大きさで、肉の塊というか肉人ともいえる生き物だったのです。
指のない手で空を指し続ける異様な姿を前にして、家来たちは混乱しました。どうすればいいのかわからず、結局 家康に指示を仰ぐと、「どこか遠くに追いやれ」との命令が。
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家来たちはその肉人を捕まえようとしますが、素早くて捕まえられません。そのため、追いやるようにして山へ追い込みます。
後日、この話を聞いた知識人がいうには、「それは中国の古書『白沢図』に記載されている『封(ほう)』という仙薬だ」とのこと。かなり貴重であり、食せば多力になると語ります。知っている者がいれば家康公に差し上げられたのに、もったいないと口惜しがったそう。
妖怪?それとも宇宙人?徳川家康が遭遇しかけた「肉人」の正体とは?
ですが、家康からしたらいくら健康オタクでも、そんな薄気味の悪いものは欲しくなかったのではないでしょうか。このエピソードは、江戸時代の随筆「一宵話」に記されています。実際に肉人がいたかどうかは定かではありませんが、なんらかの不可解な現象は起こったと考えられます。■肉人の正体は妖怪?それとも宇宙人?
警備の厳しい駿府城に入り込み、家康の家来たちにも捕まえられなかった肉人。この不思議な生き物の正体は、妖怪「ぬっぺふほふ」といわれています。江戸時代の浮世絵師・鳥山石燕が描いた「画図百鬼夜行」にも登場する妖怪です。
妖怪?それとも宇宙人?徳川家康が遭遇しかけた「肉人」の正体とは?
また、幕府の公式記録である「徳川実記」には、肉人と遭遇した日に雲が発光したと記されているそうです。肉人は空を指していたという一宵話のエピソードと、徳川実記に記された発光する雲をUFOだと考えると、もしかして肉人は宇宙人だったのかもというオカルトな展開も想像してしまいます。
ただし、浮浪者が紛れ込んだだけの可能性も考えられます。だとしても、警備が万全だった駿府城に入り込んで捕まえられなかったというも不思議な話ですね。
米津玄師やYOASOBIのAyaseといったボカロ発のアーティストが注目され、ボカロ音ゲーのプロセカがヒット、Vtuberはこぞってボカロ曲をカバー、tiktokでもボカロ曲が普通に使われている(らしい)というこの2021年。
有名ボカロPを10人ぐらい紹介します。チョイスも順番も適当です。
代表曲は最近のヒットとそれ以外で一番人気な曲の2曲にしていると思います。
再生数ごとの曲数とイメージはかなりざっくりですが以下のような感じなのですごさの参考にしてください。
例えば100万再生以上の曲は20万曲中600曲という読み方をしてください。
再生数 | 曲数 | イメージ |
---|---|---|
1000万 | 6曲 | 神話入り・みくみく千本桜メルトマトリョシカWEDHモザイクロール |
500万 | 60曲 | 超有名 |
100万 | 600曲 | 伝説入り・文句なしに有名 |
50万 | 1000曲 | ボカロ好きなら少なくともPか曲名は知ってる |
10万 | 5000曲 | 殿堂入り・中堅ライン |
5万 | 8000曲 | この辺まではわりと何でも聴く |
1万 | 2万曲 | マイナー |
5000 | 3万曲 | クオリティー保証ライン |
1000 | 9万曲 | ドマイナー |
全体 | 20万曲 |
(プロセカがヒット?と思う人もいるかもしれないが、プロセカはユーザー男女比4:6で約半分が10代というセルランが主戦場ではないソシャゲなのでメインユーザー層と近い人でないとヒットが把握しづらい。ソース:『プロセカ』がボカロファンやミクたちに与えた影響 ― ニコニコ動画が果たしていたような役割を担うかもしれない【開発者座談会】)
最初の数曲は再生数5万程度とそこそこの伸びだったが、オートファジーがヒットして一気に有名Pになった。
歌詞は文字で見るとよく分からないが最近は音として聴いたときの感じを重視するのが流行りらしい。多分。
この人が使っているv flowerというボカロは中性的な声が特徴で、最近多いおしゃれな感じのボカロ曲によく使われている。
v flowerにも初音ミクなどのようにキャラクターイラストがちゃんとあるのだが、おしゃれな感じのボカロ曲はPVにオリキャラを出したりキャラのいないイラストだったりすることが多いので認知度が低そう。
2008年から投稿している、全曲10万再生以上の安定した超有名古参P。
2011年頃に柴咲コウなどの人間に曲提供をしていて、アルバムにも人間曲を普通に入れていたので、当時はボカロPをやめて人間の曲を作っていきたいのかと思った。
実際2008年から今までで2011年だけボカロ曲を一切投稿しておらず、2012年も企業案件系の曲のみであった。多分。
その答えは2013年のインタビューで明らかになる。(DECO*27「DECO*27 VOCALOID COLLECTION 2008~2012」インタビュー - 音楽ナタリー 特集・インタビュー)
2020年に突然Youtubeのみに投稿するようになったりした(ヴァンパイアで戻ってきた)ので、そういう感じのふらっとした人なんだと思う。
この人が立ち上げた曲を作るための会社「OTOIRO」が2019年に炎上したが曲人気には全く影響しなかった。
P名の由来は「みきとP」という曲名。SF-A2 開発コード mikiというボカロをテーマにした曲である。
P名は古参でもついていない人は普通にいるし、最近の人でもついている人はいる。
ただ最近は動画タイトルに自分の名前を入れる人もいるので、そういう人はP名をつける空気にならない。
作風の幅が結構広いが、どの曲も聴くとちゃんとみきとPの曲だと分かる。
「ロキ」はPとボカロ(鏡音リン)のデュエットで、こういう人間とボカロが一緒に歌っている曲はニコニコ動画では「VOCALOIDと歌ってみた」というタグで括られる。
ロキ以前には歌い手によるカバー曲以外では大きなヒットがないタグだったので、人間がいるから駄目ということではないという証明になった曲だと思う。
DECO*27も「デコーラス」と言われるぐらいには主張強めに入れる。(最近の曲は控えめかも)
あのカゲロウプロジェクトを作った人である。
カゲロウプロジェクトとはボカロ曲を軸にボカロキャラとは関係のないオリジナルのストーリーを展開していくというプロジェクトで、アニメ化もされた。
2011年の初投稿「人造エネミー」から2018年の「アディショナルメモリー」までカゲプロが展開されていた。最近10周年でリブート企画が始動した。
ということで最初から企業の仕込みだったということはないと思う。
企業の仕込みだと初投稿から半年でファーストアルバムが商業流通で出る。
カゲプロは本当にボカロの流れを変えた存在で、(以前からそれなりにいたが)ここで一気に女子小中学生がリスナー層に増えたと思う。
最盛期はアルバムクロスフェードが100万再生を達成するほど勢いがあった。
「日本橋高架下R計画」や「Sky of Beginning」はカゲプロとは関係のない曲だが再生数はしっかり伸びているので、別にカゲプロじゃないと伸びないPではない。
直近ではアニメ「魔法科高校の優等生」のOPを担当することが発表されている。
ヴィランや(ボカロじゃないけど)うっせぇわのAdoに書き下ろしたギラギラが話題になったP。
急に最近人気になったわけではなく、2010年の「アンファンテリブル・イン・ハロウィン」ですでにランキングに顔を出していた。
その後2012年に「怪異物ノ怪音楽箱」がヒット、同じく2012年の「古書屋敷殺人事件」は女学生探偵シリーズとして楽曲・小説が展開された。
女学生探偵シリーズは当時流行っていたカゲプロ的なストーリーの繋がりがある楽曲シリーズで、カゲプロ・終焉ノ栞・ミカグラ学園組曲など色々あった。
それらが厨二系だったのに対し女学生探偵シリーズは昭和レトロな雰囲気が唯一無二だったので、いい感じに地位が確立されていたと思う。
もともとリズム感重視で韻を踏みまくった歌詞をよく書く人なので、今は前述した「音として聴いたときの感じを重視する」という波に作風がしっかり嵌っている。
別名義で小説を書いている。
代表曲:「アイ情劣等生」「ベノム」
この人も自分の作風はしっかりあるが流行に合わせるのが上手い。
かなり意識的にヒットを狙いに行っていると思う。
「アイ情劣等生」と「アルカリレットウセイ」は「#コンパス 戦闘摂理解析システム」というソシャゲのキャラのテーマソング(公式)。
コンパスには1キャラ1曲テーマソングが存在し、さまざまなボカロPが曲を提供している。
コンパス曲はヒット確定という風潮もあり、実際多くの曲が100万再生を達成している。
なぜそういうスタイルがウケたのかというと、腐女子とかが「この曲はあのキャラっぽい」「このキャラはあの曲っぽい」と勝手に好きなキャラと関係ない曲を結びつけるイメソン文化を公式でやっているからである。
プロセカも腐女子とかが男キャラのMMDを作ってボカロ曲を踊らせたりボイスを切り出して無理矢理歌わせたりしているのを公式でやっているようなものなのでウケた。
(もちろんどちらもあくまでも人気になった要因の1つに過ぎないし、やっているのは必ずしも腐女子ではない)
代表曲:「ジャンキーナイトタウンオーケストラ」「テレキャスタービーボーイ」
「テレキャスタービーボーイ」は2019年のショート版と2020年のフル版が両方100万再生を達成している。すごい。
ショート版の曲長は1分で、他にも「空中分解」「エゴロック」などの1分曲を作っている。
ぐらい。他にあったらすみません。
Adoに曲提供するようなおしゃれ系の人にしては珍しいかもしれない。
カバー曲は2009年から投稿していて、カバーだとPONPONPONのレンカバーやえれくとりっく・えんじぇぅの鏡音アレンジカバーが有名。
どちらかと言うとボカロキャラのための曲を作るタイプの人で、「レン廃留置所」というレンくん大好きユニットにも参加していた。鏡音レンはそういうPを飼っているボカロである。
でも2016年前後は歌い手のれをると組んでれをる用の曲ばかり作っていたのでボカロ曲は全然投稿していなかった。そういうこともある。
代表曲に「ギガンティックO.T.N」を挙げたが、こういう曲があってこそのボカロ文化である。多分。
歌い手出身のボカロPの中にはボカロ打ち込みや編曲を他の人に任せている人もいるが、まふまふはそのあたりも自分で担当している。
歌い手としても自分で自分用に作った曲をよく歌っており、この前東京ドームで無観客無料配信ライブをしていた。
それが朝の情報番組で「まふまふさんが東京ドームでライブしました!」と普通に取り上げられていてびっくりした。そんな有名なのか。
以前ゴーストライターに曲を作らせていたスズムというとんでもないボカロPがいたのだが、そのゴーストライターをさせられていたと言われている。(未確定情報)
この時点ですでにハイクオリティで、3DSの音ゲー「Project mirai」にも収録された。
BEMANIに曲提供をしているP*Lightと同一人物で、「エレクトリック・ラブ」がボカロ処女作というわけではない。
今ほどはボカロがメジャーな存在でなかった2012年頃からボカロ界の貴公子という謎の異名を背負って何度かテレビに出演していた。
テクノポップがメインでいかにも電子音な曲を作るので、そのボカロ感がテレビウケという点で良かったのかもしれない。
(他に有名でテレビに出てくれるようなコミュ強Pがいなかったというのもあるかもしれない)
NHKのニュース番組「フカヨミ」では2012年に番組内企画で番組のイメージソングを制作し、それがEDとして使用されていた。
NHKはその頃ラジオでボカロ曲専門番組をやっていたりと、結構前からボカロと仲良しである。
代表曲:「SNOBBISM」「ロストワンの号哭」
強めの高速ロックのイメージがあるが特に最近は高速じゃない曲もある。
「脱法ロック」と「い~やい~やい~や」のPVは他アーティストのPVのパクリではないかと話題になった。
(PV製作はそれぞれりゅうせー、寺田てらなのでNeruが直接作ったわけではない)
後者はパクられた側が直接Neru側に問い合わせているが、パクリではないと返答されている。(ソース:Cluster A騒動によせて - in the blue shirt)
このはてな匿名ダイアリーにいい感じの記事があったので全体像はこちらを参照。→Neru(ボカロP)と寺田てら(動画制作者)の「Cluster A」パクリ疑惑騒動まとめ
PVパクリ疑惑とは別に曲パクリ疑惑もあるがPVパクリよりも曖昧な話になってしまうので割愛。
代表曲:「アンノウン・マザーグース」「ワールズエンド・ダンスホール」
2009年に処女作「グレーゾーンにて。」を投稿し、その後の数曲はそこそこしっかり伸びて同年6曲目の「裏表ラバーズ」が大ヒット。
ハイテンポな高音ロックサウンドが特徴で、「ボカロっぽい曲」という概念を確立したPのうちの1人だと思う。
2011年まで毎年投稿していたが人間のバンド「ヒトリエ」を結成したためボカロは一旦休止。
ちなみにボカロPが人間のバンドを組むのはよくあることである。ボカロP活動とのバランスは人それぞれ。
そして2017年に初音ミク10周年記念CD用書き下ろし曲「アンノウン・マザーグース」を投稿。ライブで最高に楽しい曲。
2019年死去。
ボカロPが亡くなるというのはさすがによくあることではないが、「ルカルカ★ナイトフィーバー」などのSAMナイトシリーズで有名なsamfree、「Q」「ストロボラスト」の椎名もた(ぽわぽわP)、「オマーン湖」の乙Pなどもすでに亡くなっている。
samfreeはあいみょんのデビューシングルの編曲やアニソン制作もしている超有名P、ぽわぽわPは「ストロボラスト」投稿時16歳ということもあり非常に注目されているPだった。乙Pは曲タイトルでお察しください。
この人たちはレーベルに所属していたり、活動仲間がいたため亡くなったことを知ることができたが、ボカロPには消息不明のPも多い。
突然帰ってくることもあるが、本当に亡くなっているPもいると思う。
ボカロをしっかり聴き始めたのは2010年なので2009年以前の話は詳しくないです。すみません。
最近の神保町はまだまだ古書街としてのメリットはあるが、大型書店は縮小傾向だし、
スキー、スノボの店も縮小して、かなり様変わりしてしまったというか、
自分も昔は秋葉原と神保町には毎日のように足繁く通ってた時期もあったが、
最近はまったく行かなくなってしまった、行くメリットがなくなってしまった
書泉グランデだったか、コンピュータ書籍でほぼ一階あったはずがなくなってしまったのもショックだった
マーティ・フリードマンが言ってたんだったか、楽器店街としての価値はまだあるかなあ
でも、もっと自宅に近い場所に充実した楽器店が今は複数あるのでなあ
カレー食べにわざわざ神田まで来るのも馬鹿げてる気もするし、コロナでもあるし
最後に神保町行ったときは明倫館に寄って数学の雑誌買ってすぐ帰ってしまった気がする
というか、あれも積読したままだったなあ
もう本買うのやめないとなあ
もうちょっと言うと、日本史とか日本文学とかはぜんぜん大丈夫なんだが、西洋史とか東洋史とか、要するに外国のことを調べる学問がヤバい。
なぜかといえば非常に単純な話で、研究を進める上で必要な資料にアクセスできないからだ。
歴史学の根本は、オリジナルな資料(=一次史料)にあたることにある。一次史料には色々な形態があるわけだが、歴史上の出来事の背景とかを実証的に調べようと思ったら、公文書館にある史料を使うことが不可欠だ。
そして公文書館というのは行政機関なので、日本の国立公文書館や外務省外交史料館が東京にあるように、あるいはイギリスの国立公文書館がキューにありアメリカの国立公文書記録管理局がワシントンDCにあるように、当然ながらそれを管轄している国や地方自治体に設置されている。
コロナが2~3年で過ぎ去り、その後はすべてが元通りになるなら、その数年を耐え忍べばいい。数年が過ぎればまたヨーロッパなり世界の他の国なりに行けるようになる。当然、歴史学も元通りだ!
でも残念ながら、中東諸国の割安の航空券でヨーロッパに渡航できる日々は、もう戻ってはこないかもしれない。航空券が割高になるだけではなく、全世界的に航空産業が縮小し、これまでであれば容易にアクセスできていた史料にアクセスできなくなるかもしれない。
明治維新以降、政府が雇ったお雇い外国人たちによって、ランケに始まる近代歴史学が日本に持ち込まれた。だが初期の日本の歴史学はあまりにお粗末なものだった――現在の水準からすれば。
オリジナルな史料を見ずに、西洋人の書いた歴史書を読んでそれを日本語で紹介して論文を書き、吾は教授でございと偉そうな顔をしている。英語とフランス語とドイツ語の文献だけを読んでヨーロッパ史全体を講じるなんていう無謀なことが平気でまかり通っていた。
けれど、そのような稚拙な「論文」も必要だったのだ。日本の歴史学が独り立ちするためには。
やがて、それらの先人たちの業績を踏み台にして、きちんと史料集(=オリジナルな史料を集めてまとめた本)にあたって論文を書く人や、英仏独だけではない色々なマイナー言語を習得して研究する人が増えてくる。そして、交通技術の発展に伴って海外旅行が安価になるにつれ、国外の文書館にアクセスして論文を書く人が増え、英仏独以外の言語を学ぶ人が増え、留学して現地で学位を取る人も増え、日本の歴史学のレベルはどんどん上がっていった。
2000年代から2010年代にかけての日本の歴史学界で生み出された外国史研究のレベルの高さは誇るに値する。もはや横のものを縦にしただけではまともな論文とは見做され得ない。現地の言語を読めることが最低条件で、その上でどのようにオリジナルで面白い研究成果を積み上げるか。多くの研究者たちが競うように優れた論文や著書を生み出してきた。
留学の予定も史料収集の計画も、すべてが白紙になってしまった。
分野によって違うと思うが、外国史を学ぶ者は多くの場合修士課程か博士課程で留学をする。これは現地で史料を収集したり、現地で言葉を勉強したり、現地の研究者と触れ合ったりするきわめて重要なプロセスで、修士卒ならともかく博士号を獲ろうと思うなら避けては通れない。多くの研究者はだいたい1年から3年くらいの留学を経て、外国の歴史に興味がある若者から若手の歴史研究者へと成長する。
COVID-19直撃世代は、この留学の経験を持てない。彼らは外国史研究者として足腰を鍛える機会を奪われることになる。
2~3年でコロナ禍が終熄するなら、この世代が数年間のハンデを背負うだけで済む(たとえば、留学することなく博士課程の年限が来てしまったとか、在学を引き伸ばす羽目になり学費が余計にかかったり就職市場に参入するのが遅れたとか、せっかく学振DCを取ったのに海外調査をすることなく任期が過ぎてしまったとか、そういう悲劇が量産されることだろう――外国研究者は学振の研究費のかなりの割合を出張費に充てている)。
けれど、コロナ禍が終熄しなかったら、あるいは終熄後に海外調査のハードルがものすごく高くなってしまっていたら、日本の外国史研究は大きな打撃を受けるだろう。
そりゃ、留学終えてる組は今すぐに困るってことはない。彼らはもう現地語ペラペラだし、これまでの現地滞在で史料もたっぷり集めてるだろうから、当面はそれを消化しながら外国の研究者とオンライン会議すればいい。
でも、これから留学しようとする人たちは、現地に長期滞在して外国語能力を鍛える機会を奪われ、史料を集めることもできず、中途半端な研究能力しか持てないままに博士課程を終えざるを得ないことになる。
もちろん、先行世代よりマシな点もある。デジタルアーカイブの発展によって、従来は現地の図書館に行かないと見られなかった古書や古新聞が自宅にいながらにして読めるようになった。中には所蔵している史料をウェブで見せてくれる親切な公文書館もある。外国の雑誌だってオンラインで入手できるし、何なら研究書をkindleで読んだっていい。そういえば友達はドイツ語の学術書をkindle版で引用していた。
だから、研究の水準が明治時代に戻るということには、おそらくならない。
どのような種類の史料が必要かは、結局研究テーマに左右されるのだ。もしも「ドイツにおける日本人のイメージの歴史」を調べたかったら、古書や古新聞を徹底的に調べればそれでいい。けれど、「1960年代における西ドイツの政策決定過程」みたいなテーマを扱おうと思ったら、公文書館の史料を見なければお話にならない。
現代日本で考えてみればよくわかる。「安倍首相がメディアでどう扱われているか」と「安倍内閣の内側ではどんなふうに物事が決められているか」とでは、立論に使うべき資料が全然違う。前者は新聞やネットを見ればそれでいいが、後者は情報公開請求が必要だし、『朝日新聞』や『週刊文春』だけを見て後者を論じたら手抜きだと謗られるだろう。
そして歴史学とは「昔のことなら何でも扱う学問」であり、内部には表象を論じる研究者から外交政策を調べる研究者まで色々いるのだが、後者のような人たち――つまり、研究のために文書館史料を必要とする人たち――の研究はずいぶんやりにくくなるだろう。外国史研究において、思想史や文化史、古代史の割合が高くなるかもしれない。
(いやでも、ガチの思想史や文化史をやろうと思ったら文書館史料を見ないといけない局面も割と出てくるので、思想史なら文書館行かなくてもいいでしょ、という話にはならないんだよな……明治時代の知識人の留学先の国に出かけてその国の文書館史料使って明治期の思想についての本書いた人とかいるからな……逆にある程度昔の外交史だと関係する史料がほとんど翻刻されてたりするし……)
ネット上で読める範囲の古書や古新聞だけを史料として使って「18世紀におけるドイツ諸邦の外交」みたいな研究をまとめたとして、明治時代ならこんな多くの一次史料を使うなんて素晴らしい研究だと大絶賛され東京帝大の教授になれるかもしれない。でも現代では、研究のレベルが上がってしまった現代では、「新聞しか見てないじゃん。文書館史料使ったの? え? 使ってない? レベル低いね」と一蹴されてしまう。論文を英訳なり独訳なりして海外のジャーナルに投稿しても、それなりのレベルの雑誌からは軒並み落とされるだろう(というか、国内でも有力学術誌の査読を通過できるとは思えない)
ふんだんに文書館史料を使う質の高い研究に慣らされてしまったら、今更横のものを縦にすれば教授になれていた時代の研究水準には戻れないのだ。
ハードルを下げる?
つい去年まで史料調査のために渡航するのが当たり前で、今アラサー以上の人たちは研究水準が高かった時代を身を持って知っているのに?
コロナ禍の影響が数年で収まるのなら、業績の不足で苦しむのは直撃世代だけで済む。だが、もしもコロナ禍の後遺症が何十年も続くのであれば、外国史を研究する歴史家たちは困難な撤退戦を強いられることになるだろう。
それはより史料入手の容易なテーマへの撤退戦であるかもしれないし(政治史はハードルが高いから、表象の歴史とかを研究しよう)、より史料入手の容易な国への撤退戦であるかもしれない(○○国と比べて××国の方がデジタルアーカイブが充実してるから、○○史じゃなくて××史をやろう)。
ともかく、これまで日本の歴史学が積み上げてきた多様性は、徐々に失われていくことになるだろう。
日本の外国史研究にとって、冬の時代が迫っているのかもしれない。
まあそうは言っても史料さえどうにかなれば研究はできるので文化人類学や記述言語学よりはまだマシ。これらの学問では現地に長期間滞在して現地人の間に分け入って調査する必要があるので、現在のレベルの渡航制限が長続きすると文字通り危機に瀕する。これらの分野では伝統的に外国に関する研究が盛んで、オセアニアの島国やアフリカの奥地で調査してきた日本人が何人もいるのだ。今後、外国を舞台にした文化人類学や記述言語学は消滅し、国内を対象として細々と生き延びるほかなくなるのかもしれない……
(まあ、国内の伝統文化や方言を保存するために、一度外国の文化や言語を記述するのに使っているエネルギーを全部日本に関する研究に注ぎ込むのもアリかもしれない……でもCOVID-19で次々と伝統的なお祭りやら寄り合いやらが中止になっているし、うかつに都会の大学で修行する若手研究者が離島や山村に出かけてお年寄りのインフォーマントと接触するのもはばかられるよなぁ……)
デジタルアーカイブの発達はうながされるだろうけど、そんなに急速には進展しないだろう。それには2つの理由がある。
第1に、単純にデジタル化はすごい大変なのだ。マトモな国なら行政の作った公文書は破棄されずに何十年にもわたって保管されているのが普通で、それらすべてをデジタル化するのは労力がかかるというのは納得してもらえると思う(国だけじゃなく地方自治体にもその自治体の公文書集める公文書館があったりするからね。連邦制の国だと連邦レベル・州レベル・市レベルの文書館が別々に設置されていたり)。優先順位をつけてやっていくほかないけど(「まずは外交関係の公文書を先にデジタル化しよう。環境保護関係は後回しだ」)、優先順位の低いテーマを研究しようと思ったらそれでは困る。
第2に、困るのは外国人研究者だけで、本国の研究者はそんなに困らないのだ。
日本人がイギリスやドイツに調査に行けなくなっても、イギリス人やドイツ人の歴史家は何も困らない。彼らは渡航制限など気にせず自国にある公文書館にアクセスできる。これは日本のことを研究する日本人の歴史家にとっても同じだ。仮に外務省外交史料館から外国人研究者の姿が消えたとして、いったい日本人研究者になんの不都合があるのだろう?
(ここでは「外国人」と書いたが、厳密には、外国に拠点を置く研究者と言った方がいいだろう。日本の大学で教鞭を執っている中国人の日本史研究者はなんにも困らない。逆にうっかり日本学の専門家として英米の大学に就職しちゃった日本人研究者は大変だ。また、日本を研究する歴史家がなにも困らないというわけではない。日米関係の歴史を研究しようと思ったら当然アメリカに行かなければいけないし、国内政治だけを研究する場合であっても、日本政府の公文書管理がザルすぎるせいで重要な史料が日本じゃなくアメリカにあるみたいな状況もありえるので……)
つまり、全世界的に、自国を研究する研究者にとってはあんまり困らないが、外国を研究する研究者はめちゃくちゃ困る、という状況が訪れると思われる。外国人研究者への配慮が、果たして自国の公的施設のデジタル化への強い圧力となるだろうか? 正直疑問だ。
第1に、それ本国の研究者に何のメリットがあるの? お金を払ってやってもらうとして、その人件費は渡航費よりも安上がりだとはとても思えないんだけど……
第2に、史料の山に埋もれて色々探していく中でお目当ての史料を見つけるコツとか時代ごとの史料の特徴を見分ける目とか崩し字の読み方とかそういった歴史家としての技倆が養われるので、単純に他人に任せればよいという話ではない(「時代ごとの公文書の形式の違い」みたいなのも当然論文のテーマになるけど、これ書くためにどのくらいの史料読む必要があると思う?)。
ていうか、なんか勘違いされてるフシがあるけど、読んだ史料が全部研究に使えるわけじゃないからね。目録に面白そうな史料があったから地方の文書館に足を運んで閲覧してみたけど期待ハズレで全然使えませんでした、とか、膨大な史料の山を探しまわってようやく使えそうな史料の一群を見つけました、とか、何気なくパラパラめくってた史料の片隅にさり気なく重大なことが書いてありました、とか、そういうのあるあるなので。お目当ての史料だけ外人にコピーしてもらえばいいじゃん! なんて夢物語でしかない。
第3に、そもそも論としてなんで自分の研究のオリジナリティの源泉たる史料の入手を現地人任せにするのか。現地の文書館に通って現地人がちっとも注目してないけど重要な史料を発掘したなんてこともあるわけだけど、そんな史料を現地の研究者にコピーさせられるわけないだろ、常識的に考えて……論文で発表するまで史料の存在をひた隠しにするわ……(現地人が自力でたどり着く分には止められないけど、わざわざここにこんな重要史料がありますと教えてさしあげる必要はどこにもない)
日本史であっても一次史料が海外にある日本キリシタン史では、史料アクセスのハードルが以前から言及されていたのを思い出した。
なおアジア・アフリカの旧植民地ではそういう状況がデフォルトの模様。日本史を研究する日本人の歴史家は日本国内で研究を完結させられる余地があるけど、インドネシア史を研究するインドネシア人の歴史家がオランダに行けませんとか、インド史を研究するインド人の歴史家がイギリスに(ryとか、台湾史を研究する台湾人の歴史家が日本に(ryとか、そういうのはマジで研究に支障が出るよなあ……
そもそも論だが、「日本人が」イギリス政治史とかドイツ経済史とかを研究する意義が不明。「現地の研究者に任せる」だと何故駄目なのか?
それな! ぜひ同じことをドナルド・キーンやロナルド・ドーアやケネス・ポメランツやイアン・ニッシュやJ・ヴィクター・コシュマンやブレット・ウォーカーにも言ってきて!
尿(にょう)の陳鎮(ちんちん)の都に住む短小(たんしょう)という男が、天下第一の陰茎の名人になろうと逸物を勃てた。己の師と頼むべき人物を物色するに、当今男根をとっては、名手・飛精(ひせい)に及ぶ者があろうとは思われぬ。百歩を隔てて女体を見るに即刻絶頂するという達人だそうである。短小は遥々飛精をたずねてその門に入った。
飛精は新入の門人に、まず萎えざることを学べと命じた。短小は家に帰り、妻の股座の下に潜り込んで、そこに仰向けにひっくり返った。陰茎とすれすれに女陰が忙しく上下往来するのをじっと萎えずに見詰めていようという工夫である。理由を知らない妻は大いに驚いた。第一、妙な姿勢を妙な角度から良人に覗かれては困るという。嫌がる妻を短小は叱りつけて、無理に股を開き続けさせた。来る日も来る日も彼はこの可笑しな恰好で、萎えざる修練を重ねる。二年の後には、遽だしく往返する女陰が陰毛を掠めても、絶えて萎えることがなくなった。彼はようやく股の下から匍出す。もはや、鋭利な錐の先をもって陰茎を突かれても、萎縮をせぬまでになっていた。不意に火の粉が尿道に飛入ろうとも、目の前に突然灰胡座(ばいあぐら)が立とうとも、彼は決して陰茎をしぼませない。彼の海綿体はもはやそれを縮ませるべき筋肉の使用法を忘れ果て、夜、熟睡している時でも、短小の陰茎はカッと大きく屹立したままである。ついに、彼の睾丸と睾丸との間に小さな一匹の蜘蛛が巣をかけるに及んで、彼はようやく自信を得て、師の飛精にこれを告げた。
それを聞いて飛精がいう。萎えざるのみではまだ射精を授けるに足りぬ。次には、視ることを学べ。視ることに熟して、さて、貧を視ること巨のごとく、微を見ること爆のごとくなったならば、来って我に告げるがよいと。
短小は再び家に戻り、肌着の縫目から乳首を一つ取り出して、これを己が陰毛をもって繋いだ。そうして、それを南向きの窓に懸け、終日睨み暮らすことにした。毎日毎日彼は窓にぶら下った乳首を見詰める。初め、もちろんそれは一つの乳首に過ぎない。二三日たっても、依然として乳首である。ところが、十日余り過ぎると、気のせいか、どうやらそれがほんの少しながら大きく見えて来たように思われる。三月目の終りには、明らかに乳房ほどの大きさに見えて来た。乳首を吊るした窓の外の風物は、次第に移り変る。煕々として照っていた春の陽はいつか烈しい夏の光に変り、澄んだ秋空を高く雁が渡って行ったかと思うと、はや、寒々とした灰色の空から霙が落ちかかる。短小は根気よく、陰毛の先にぶら下った哺乳類・催淫性の小乳頭を見続けた。その乳首も何十個となく取換えられて行く中に、早くも三年の月日が流れた。ある日ふと気が付くと、窓の乳首が馬のような大きさに見えていた。占めたと、短小は陰茎を打ち、表へ出る。彼は我が目を疑った。陰茎は高塔であった。睾丸は山であった。陰毛は森のごとく、包皮は城楼と見える。雀躍して家にとって返した短小は、再び窓際の乳首に立向い、男根の綿に精液をつがえてこれを射れば、精液は見事に乳首の中心を貫いて、しかも乳首を繋いだ毛さえ断れぬ。
短小は早速師の許に赴いてこれを報ずる。飛精は高蹈して金玉を打ち、初めて「出かしたぞ」と褒めた。そうして、直ちに射精の奥儀秘伝を剰すところなく短小に授け始めた。
男根の基礎訓練に五年もかけた甲斐があって短小の腕前の上達は、驚くほど速い。
奥儀伝授が始まってから十日の後、試みに短小が百歩を隔てて女体を見るに、既に瞬間射精である。二十日の後、いっぱいに精液を湛えた盃を右肱の上に載せて剛直を扱くに、狙いに狂いの無いのはもとより、杯中の精液も微動だにしない。一月の後、一本の陰茎をもって速射を試みたところ、第一射が的に中れば、続いて飛来った第二射は誤たず第一液の染みに中って突きささり、更に間髪を入れず第三射の精液が第二射の溜まりにドッパとなだれ込む。精精相属し、発発相及んで、後射の精液は必ず前射の精液に喰入るが故に、絶えて地に墜ちることがない。瞬く中に、百発の精液は一本のごとくに相連なり、的から一直線に続いたその最後の一滴はなお剛直を銜むがごとくに見える。傍で見ていた師の飛精も思わず「逝く!」と言った。
二月の後、たまたま家に帰って妻となかよしをした短小がこれを威そうとて黄金の陰茎に白銀の精液を溜めきりりとしこって妻の目を射た。液は妻の睫毛三本を射切ってかなたへ飛び去ったが、射られた本人は一向に気づかず、まばたきもしないで亭主を罵り続けた。けだし、彼の至芸による精液の速度と狙いの精妙さとは、実にこの域にまで達していたのである。
もはや師から学び取るべき何ものも無くなった短小は、ある日、ふと良からぬ考えを起した。
彼がその時独りつくづくと考えるには、今や陰茎をもって己に敵すべき者は、師の飛精をおいて外に無い。天下第一の名人となるためには、どうあっても飛精を除かねばならぬと。秘かにその機会を窺っている中に、一日たまたま吉原において、向うからただ一人歩み来る飛精に出遇った。とっさに意を決した短小が陰茎を取って狙いをつければ、その気配を察して飛精もまた男根を執って相せんずる。二人互いに射れば、精はその度に中道にして相当り、共に地に墜ちた。地に落ちた精が軽塵をも揚げなかったのは、両人の精液がいずれも実に粘っていたからであろう。さて、飛精の精液が尽きた時、短小の方はなお一射を余していた。得たりと勢込んで短小がその精を放てば、飛精はとっさに、傍なる野次馬の陰茎を折り取り、その粗根の先端をもってハッシと液を叩き落した。ついに非望の遂げられないことを悟った短小の心に、成功したならば決して生じなかったに違いない道義的慚愧の念が、この時忽焉として湧起った。飛精の方では、また、危機を脱し得た安堵と己が巨根についての満足とが、敵に対する憎しみをすっかり忘れさせた。二人は互いに駈寄ると、吉原の真中に相しごいて、しばし美しい師弟愛の摩羅をかきくれた。(こうした事を今日の道義観をもって見るのは当らない。性豪の精(せい)の乱公(らんこう)が己のいまだ味わったことのない珍々を求めた時、厨宰(ちゅうさい)の液牙(えきが)は己が息子を蒸焼にしてこれをすすめた。十六歳の少年、秦のシコシコう帝は父が死んだその晩に、父の男根を三度襲うた。すべてそのような時代の話である。)
精涙にくれて相扱きながらも、再び弟子がかかる企みを抱くようなことがあっては甚だ危いと思った飛精は、短小に新たな目標を与えてその気をせんずるにしくはないと考えた。彼はこの危険な弟子に向って言った。もはや、伝うべきほどのことはことごとく伝えた。爾がもしこれ以上この道の蘊奥を極めたいと望むならば、ゆいて西の方大硬(たいこう)の嶮に攀じ、掻山(かくざん)の頂を極めよ。そこには甘勃老師とて古今を曠しゅうする斯道の大家がおられるはず。老師の技に比べれば、我々の射精のごときはほとんど児戯に類する。爾の師と頼むべきは、今は甘勃師の外にあるまいと。
短小はすぐに西に向って旅立つ。その人の前に出ては我々の技のごとき児戯にひとしいと言った師の言葉が、彼の海綿体にこたえた。もしそれが本当だとすれば、天下第一を目指す彼の望も、まだまだ前途程遠い訳である。己が業が児戯に類するかどうか、とにもかくにも早くその人に会って摩羅を比べたいとあせりつつ、彼はひたすらに道を急ぐ。裏筋を破り亀頭を傷つけ、陰茎を扱き精液を出して、一月の後に彼はようやく目指す山顛に辿りつく。
気負い勃つ短小を迎えたのは、羊のような柔和な目をした、しかし酷くよぼよぼの爺さんである。年齢は百歳をも超えていよう。腰の曲っているせいもあって、陰茎は歩く時も地に曳きずっている。
相手が聾かも知れぬと、大声に遽だしく短小は来意を告げる。己が技の程を見てもらいたいむねを述べると、あせり勃った彼は相手の返辞をも待たず、いきなり股間についた陽根摩羅を露出して手に執った。そうして、玻璃の我慢汁を出すと、折から空の高くを飛び過ぎて行く渡り鳥の群に向って狙いを定める。陰茎に応じて、一射精たちまち五羽の大鳥が鮮やかに碧空を切って落ちて来た。
一通り出来るようじゃな、と老人が穏かな微笑を含んで言う。だが、それは所詮射精之射精(しゃせいのしゃせい)というもの、好漢いまだ不射精之射精(ふしゃせいのしゃせい)を知らぬと見える。
ムッとした短小を導いて、老隠者は、そこから二百歩ばかり離れた絶壁の上まで連れて来る。脚下は文字通りの大木のごとき茎立千仭、遥か真下に糸のような細さに見える精液渓流をちょっと覗いただけでたちまち勃起を感ずるほどの淫らさである。その断崖から半ば宙に乗出した猥石の上につかつかと老人は駈上り、振返って短小に言う。どうじゃ。この石の上で先刻の業を今一度見せてくれぬか。今更引込もならぬ。老人と入代りに短小がその石を履んだ時、石は微かにグラリと揺らいだ。強いて気を励まして陰茎をしごこうとすると、ちょうど崖の端から小石が一つ転がり落ちた。その行方を目で追うた時、覚えず短小は石上に伏した。男根はワナワナと顫え、我慢汁は流れて踵にまで至った。老人が笑いながら手を差し伸べて彼を石から下し、自ら代ってこれに乗ると、では射精というものをお目にかけようかな、と言った。まだ勃起がおさまらず蒼ざめた陰茎をしてはいたが、短小はすぐに気が付いて言った。しかし、陰茎はどうなさる? 睾丸は? 老人は去勢済だったのである。陰茎? と老人は笑う。男性器の要る中はまだ射精之射精じゃ。不射精之射精には、金剛の陰茎も碧玉の睾丸もいらぬ。
ちょうど彼等の真上、空の極めて高い所を一羽の鳶が悠々と輪を画いていた。その胡麻粒ほどに小さく見える姿をしばらく見上げていた甘勃が、やがて、見えざる精液を無形の陰茎につがえ、満月のごとくに引絞ってどぴゅと放てば、見よ、鳶は羽ばたきもせず中空から石のごとくに落ちて来るではないか。
短小は慄然とした。今にして始めて茎道の深淵を覗き得た心地であった。
九年の間、短小はこの老名人の許に留まった。その間いかなる修業を積んだものやらそれは誰にも判らぬ。
九年たって山を降りて来た時、人々は短小の陰茎の変ったのに驚いた。以前の太く長いカリ高な魔羅魂はどこかに影をひそめ、なんの凹凸も無い、コケシのごとく棒のごとき根貌に変っている。久しぶりに旧師の飛精を訪ねた時、しかし、飛精はこの魔羅付を一見すると感嘆して射精した。これでこそ初めて天下の名人だ。我儕のごとき、足下にも及ぶものでないと。
陳鎮の都は、天下一の名人となって戻って来た短小を迎えて、やがて眼前に示されるに違いないその性技への期待に湧返った。
ところが短小は一向にその要望に応えようとしない。いや、陰茎さえ絶えて手に取ろうとしない。山に入る時に履いて行った金糸の下履きもどこかへ棄てて来た様子である。そのわけを訊ねた一人に答えて、短小は懶げに言った。自慰は為す無く、シコシコは言を去り、至射精は射精することなしと。なるほどと、至極物分りのいい陳鎮の都人士はすぐに合点した。陰茎を執らざる射精の名人は彼等の誇となった。短小が陰茎に触れなければ触れないほど、彼の無敵の評判はいよいよ喧伝された。
様々な噂が人々の下の口から口へと伝わる。毎夜三更を過ぎる頃、短小の家の屋上で何者の立てるとも知れぬ自慰の音がする。名人の内に宿る射精の神が主人公の睡っている間に体内を脱け出し、淫魔を払うべく徹宵守護に当っているのだという。彼の家の近くに住む一商人はある夜短小の家の上空で、雲に乗った短小が珍しくも陰茎を手にして、古の名人・羿(ゲイ)と超勃起の二人を相手に魔羅比べをしているのを確かに見たと言い出した。その時三名人の放った精はそれぞれ夜空に青白い光芒を曳きつつ娼宿と天淫星との間に消去ったと。短小の家に忍び入ろうとしたところ、塀に足を掛けた途端に一道の精気が森閑とした家の中から奔り出てまともに股間を打ったので、覚えず射精し外に顛落したと白状した盗賊もある。爾来、淫心を抱く者共は彼の住居の十町四方は避けて廻り道をし、賢い渡り鳥共は彼の家の上空を通らなくなった。
雲と立罩める名声のただ中に、名人短小は次第に老いて行く。既に早く射精を離れた彼の魔羅は、ますます枯淡虚静の域にはいって行ったようである。木偶のごとき陰茎は更に凹凸を失い、勃つことも稀となり、ついには存在の有無さえ疑われるに至った。「既に、陰茎と空との別、是と非との分を知らぬ。眼は陰茎のごとく、耳は陰茎のごとく、鼻は陰茎のごとく思われる。」というのが、老名人晩年の述懐である。
甘勃師の許を辞してから四十年の後、短小は静かに、誠に精子のごとく静かに世を去った。その四十年の間、彼は絶えて射精を口にすることが無かった。口にさえしなかった位だから、陰茎を執っての活動などあろうはずが無い。もちろん、寓話作者としてはここで老名人に掉尾の大乱交をさせて、名人の真に名人たるゆえんを明らかにしたいのは山々ながら、一方、また、何としても古書に記された男根を曲げる訳には行かぬ。実際、老後の彼についてはただ無為にして化したとばかりで、次のような妙な話の外には何一つ伝わっていないのだから。
その話というのは、彼の死ぬ一二年前のことらしい。ある日老いたる短小が知人の許に招かれて行ったところ、その家で一つの器官を見た。確かに見憶えのある器官だが、どうしてもその名前が思出せぬし、その用途も思い当らない。老人はその家の主人に尋ねた。それは何と呼ぶ部位で、また何に用いるのかと。主人は、客が冗談を言っているとのみ思って、ニヤリととぼけた笑い方をした。老短小は真剣になって再び尋ねる。それでも相手は曖昧な笑を浮べて、客の心をはかりかねた様子である。三度短小が真面目な顔をして同じ問を繰返した時、始めて主人の顔に驚愕の色が現れた。彼は客の眼を凝乎と見詰める。相手が冗談を言っているのでもなく、気が狂っているのでもなく、また自分が聞き違えをしているのでもないことを確かめると、彼はほとんど恐怖に近い狼狽を示して、吃りながら叫んだ。
こういう何も予定のない日遅く起きた朝は
のんびりどこかに何冊か本やノートパソコンを持って車で出かけて
今日はそんな1日にしたいわね。
まあやっぱりなくて、
ゾンのアマで見たら売り切れで入荷未定ってなってたわ。
なんかそういう時すぐ手に入って読める電子版は便利だったりするけど、
結構動画再生する前は見てから買ってみようかなと思ってたけど、
前編後編再生して見終わって、
ネットでと思って見に行ったら、
売り切れだったのよ!
スゴいわねネッツの力って。
もちろん私の近所のみかんの花咲く丘公園前の商店街の書籍屋さんもあつかってなくて、
どうも大型書店屋さんだと
まわりの本屋さんに浸透して置き始まるのは
半年ぐらい先だったりするのよね。
離れていくほど、
なんかそういう時の流れが止まったような感じもするわ。
まあ古書とかは別よ。
ネットにはない直に古書の本屋さん巡りしなくちゃいけないじゃない。
私は言ったことないんだけど、
なんかそういう所でこだわりのある感じの客を演じてみたいわ。
まあそう言うことで私は今日一日お利口さんをキメて読書に勤しみたいわ。
みんなもよい休日をね。
アミーガ!
遅く起きたのであとでカレー屋さんでナンでもテイクアウツするわ。
普通のズーミーよ。
やっぱり浄水器付けてみた方がなんとなく気持ちがいいような気がするし、
水を磨く!って思うと職人技っぽくない?
水道処理施設は今は日本変態級のらしく美味しい水道水が作れるんだけど、
水道設備施設の老朽化問題のそういうところはどうしようもないので、
ああそこで浄水器なのね、
と合点がいったわ。
なくてもいいけどあった方がいいって感じ。
じゃないと反対に付けたら噴水になっちゃうじゃない!
うふふ。
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!