はてなキーワード: ハマーとは
ハマースは選挙によって信を得ていたという。ならばその政策の帰結として侵攻を許すことは甘受せざるを得ないだろう。一時の夢に浮かれて原理主義者共を政権に擬したその責任を己で負わずして何の民主主義か。
ガザの外に出る自由もなかったと、青天井の刑務所であったという。日々報復攻撃に苦しんでいたという。失業率が50%で働き口すらなかったという。無為の日々が苦痛であったという。
なぜそのような抑圧を受けるに至ったか。すべては統治を握っていた、あの日熱狂の末に選んだハマースの政策の当然の帰結である。
抑圧されているのならば革命を起こすことこそ、不正を見たのならば加担しないことこそ、正しき人民の義務だったはずだ。
翻って、リベラル人士はこぞって一発の銃弾も打たず、一人の敵国人すら殺さなかったのになお、人民の敵であるという理由だけでアベを殺せ撃てと命じてきたのである。
ならば、リベラル人士はロケット弾を発射し、隣人の老若男女を虐殺した、真に人民の敵であるハマースの首魁共をこそ殺せ撃てとというべきだろう。そしてガザ住民は現にそれを昨日まで怠ってきた。その帰結がこのテロルである。年端もいかぬ赤子の首を鍬で押し切り、住民であるというだけで射殺し、身も知らぬ異国人をそうであるというだけで辱めて殺し、遺体にまで侮りを加える虐殺劇である。
外に出る自由がなかったのではない、出る蛮勇を持たなかったのだ。地中海を見よ、蛮勇によって千万の難民が溺死している。それでも彼らは自由を明日を求めて絶望的な船出に己の身を賭けている。
日々報復を受けていたことは痛ましかろう。ならばなぜその原因となる攻撃を止めなかったか。
働き口すらないのは難儀だろう。しかし逆説的に言えばそれで生活が成り立っているということは、テロ組織のおこぼれにあずかって今日まで来たということだ。テロ組織に対する資金は即ち無為に殺害された他人によって稼がれたものだ。それを承知で、湯気の立った生き血をもせせって浅ましくも生き永らえてきたのだ。
何もできなかった日々ではない、それら正しき行いをせずに空費してきた日々なのだ。
ましてガザの地は全くの徒手空拳であった訳ではない。そこには突撃銃が、爆薬が、ロケット弾が、容易に入手できること日本の、世界に遍在する本物の刑務所の比ではない。なぜ原理主義者共を打倒しなかったのか。自由と職と正義と平和を求めて蜂起しなかったのか。それをガザの住人は大なり小なり怠ってきた。それをしない、即ち肉屋を支持する豚であったからだ。不正を、流血を、戦争を傍観し消極的にせよ支持してきたからこその今日がある。
その前に酒を差し出して、戦車の前で歌を歌って、武器を差し出して和を乞うことこそ、危機に際して人民の正しいふるまいだろう。リベラル人士は常にそう説いてきた。しかしそれを彼らがしないならば、その結果はやはり全くの自己責任であったというべきだ。
選択の時は十分にあった。正しさを選べなかったツケを払う時が目前に迫っている。残念ながらそれは彼らの選択の末だったということだ。
しかし本当か?
古賀 正義(中央大学文学部教授)さんは、学校の子どもの居場所を作れと提案
『「若者/支援」を読み解くブックガイド』(かもがわ出版)をご恵送いただきました。弊社の刊行書からは、『ストリートの歌』(鈴木裕之)と『ひきこもりと家族の社会学』(古賀正義・石川良子編)が紹介されています。この二冊からだけでも、幅広く選書されていることがわかります。
@Chuo_PR
@yasuhikomurakam
困難校の生活指導の先生のエスノグラフィーって面白そうだけどあるのだろうか。清濁併せ呑む日本独特の文化だったと思うので面白いのではないだろうか。
子どもたちの側のは『ハマータウンの野郎ども』や『〈ヤンチャな子ら〉のエスノグラフィー』があるが。
と書いて「夜回り先生か…」と思い至る
𓅢ザイタクチュウデス()
@18991129
返信先: @yasuhikomurakamさん
教育社会学だと古賀正義編の以下の本が挙げられるかと思います。
https://amazon.co.jp/dp/4760892621/ref=cm_sw_r_cp_awdb_c_NR-MDb6HH72JJ
@gomaf502
「『家庭』入れる入れない、もし選べたら?」
@UN_Press
【教育実践を本格的に調査・分析】広田照幸・古賀正義・伊藤茂樹編『現代日本の少年院教育――質的調査を通して』
少年院ではどのような教育が行われているのか? 本格的なフィールド調査を通して、教育学の視点から多面的に分析、イメージを一新する研究。
@mirai_teiban
1990年代後半から2010年の間に生まれた世代のこと。生まれた時にはデジタルツールが当たり前に普及していたことから、「デジタル・ネイティブ世代」とも呼ばれます。そんな世代の人々の価値観とは?
気になって調べてみたので、2022年8月末の状況として簡単にまとめておきます。
今年のこれまでのEVシェアは27%、BEVは20%、前年同月比+112%。去年の2倍以上に増えてます。今年のEV販売数予測は600万台ほど。これは日本の乗用車市場より大きな数字です。
7月売り上げトップはBYD SONG PLUS。BYDが好調で、テスラの納車がない月とはいえEVトップ10中6車種がBYDです。最近になってヨーロッパやオーストリア、日本にも進出し始めたBYDだけど、自国市場でしっかり商品力をつけていることが伺えます。
2035年でエンジン車販売禁止が決まった欧州市場、6月のデータです。
EV比率は21%、BEVは13%。サプライチェーンの問題などでエンジン車を含めた全体としての自動車市場が-17%も縮小する中、BEVは+4%の成長をしています。
売り上げトップはもちろんテスラ。四半期締め月はテスラの納車が集中します。他にはVWやFIAT、Hyundai などがEV売り上げトップ10にランクインしてます。日本車はなし。
カリフォルニアのエンジン車販売禁止が決まり、その他の青い州も同じ規制を導入すると言われているアメリカ市場。日本車がよく売れてるのはまさに東西海岸線沿いの青い州なんだけど、大丈夫ですかね?まず話題のカリフォルニア市場を今年の上半期で見ると、BEV比率は16%。これはHVの比率より高いです。全ての乗用車の中で売り上げトップはテスラモデルY、2位はテスラモデル3。
全米市場全体では細かい数字がわからない(Hyundai Kona とKona EVなどエンジン車とモデル名が同じ場合に内訳がわからない)とのことですが、ブルームバーグのレポートによるとBEV比率は全米で5%を超えたとのことです。去年の今頃は2%ちょっとだったので、だいたい2倍の成長です。
EV売り上げトップはぶっちぎりでテスラ。Ford やVW、Hyundai に続いて10位に日産リーフが入ってます。
バイデン政権がEV投資に前のめり、連邦政府主導で州を跨ぐ高速道路に急速充電器設置しまくるそうです。それを受けて(?)ピックアップトラックが人気な内陸部の赤い州でF150とハマーのEVバージョンの予約が好調です。GMとFordは自分達が強みを持つ赤い州のEV化を狙ってます。
全世界だと14%がEVでした。前年同月比+73%。2021年にEVの売り上げがHVを抜いたと話題になってたけど、差は広がってます。
これだけEVの売り上げが増えてるのに、売るものがありません。
日産リーフは世界で売るには賞味期限切れでしょう。アリアは海外市場でまだ一台も納車できてません。
「水素も本気、EVも本気」なトヨタの本気のEVは、車輪が取れるから走れません。プラットフォームを共通するスバルも。「本気」でこの有り様か…
名著だよね。
ただハマータウン〜は今見ると、「階級」という切り口に振り切った作品だと思う(社会学では念仏のように「階級・ジェンダー・エスニシティ」と、その切り口の多様性を訴えてるでしょ)。
それがいいとか悪いとかではなく、そこにハマータウン〜の特徴と限界があるし、
またむしろ今見えにくくなっているものを炙り出してくれるものでもある。
割と最近でも、(通俗的な言い方をすれば)白人エリート女性社会学者が黒人コミュニティに対して行った参与観察で、むしろ参与観察に入れ込みすぎた結果、キャンセルカルチャーの餌食となった例がある。
→"アカデミズムのサラブレッド"で新進気鋭の社会学者だったアリス・ゴッフマンは、なぜ「キャンセル」されたのか?【橘玲の日々刻々】
https://diamond.jp/articles/-/296647
ゴッフマンの事例もまた是非を置くとしても、ともかく現代社会は「階級・ジェンダー・エスニシティ」のどの切り口も無視することが出来なくなっていることを示す事例ではある。
ここで増田のエントリがタイトルで誤解されてそうなのが気になるんだが、ポールウイリスはマルクス主義者だから、その「野郎ども」が二重の意味での自由を手にして「Learnlng to labour」してしまうアイロニーを指摘しているだけであって、「底辺右翼」みたいに蔑視している訳じゃないと思うんだよね。
そしてハマータウン〜は「持たざる者」がどのような文化戦略を取るかについて、「階級」の切り口の重要さを伝えてくれるものでもある。
むしろ当時のポールウイリスの暖かい目線は、今ならエスニシティやジェンダーで殴られているラストベルトのトランプ支持者なんかを包摂する可能性の方に向けられるものな気がするんだよね。
「資本主義社会の再生産」という点においては、「ジェンダー」の切り口すなわちフェミニズムも、そこに加担するケースがままある。
高所得カップルが移民シッターや代理母を利用することを肯定的に捉えれば、当然「階級」や「エスニシティ」の面から批判される。
「階級・ジェンダー・エスニシティ」の切り口から全くイノセントな存在でいることはかなり困難だ。
ただし、当たり前のことだが人はその立ち位置を選んで生まれてくる訳ではないので、そこから先は個人の「倫理」の問題になるかと思う。
翻って日本の場合について私見を述べれば、男女の家事負担のようなジェンダー不平等の問題にしても、コロナ禍での医療体制の問題にしても、
日本における『労働』の過重性という問題が、あまりに軽視されすぎている。
日本では「階級・ジェンダー・エスニシティ」を問わず、それらを串刺しにする一億総「Learnlng to labour」のような状況があることを、議論の前提としてもらいたい。
て嬉ションするしかないお前の残念な脳ミソには、何も期待してないの。
(ONとOFFの2種類しかない単細胞には少々キツいとは思うが、「ハマータウンの野郎ども」は名著なので、是非これを機に学んでみては?)
学級崩壊動物園で体罰も使えず生徒になめられっぱなしの飼育員であるお前の事情なんざ知るか。
知性が欠如してるのは問題点を認識していながら行動に移さず腐すしか能のないお前。
読解力w
1ビット脳w
いやー楽しかった。
まず「ハマースによる『ロケット弾攻撃』も非難されるべき」という点だが、そもそもの話として、イスラエルが数次にわたる国連安保理決議を無視して領土拡張・侵食を続けているのは明白な事実。そして国土への侵略に対する自衛権は国際法でも認められており、ハマースによる攻撃を「自衛権の行使」と見なすことも可能ではある。なお、日本の報道では「ロケット弾」とされているが、実態は「パイプ爆弾」に近いもので、危険とはいえ殺傷力もさしたるものではなく、しかもイスラエルは「アイアン・ドーム」等の防空システムを備えている。
また、「ハマースは本当に住民から支持されているのか」との疑問に対しては、もともとハマースはエジプトの「ムスリム同胞団」の影響下にあった組織で、当初はムスリムへの民生支援を目的とした組織であり(現在でも組織としては民生部門>軍事部門)、武装闘争を本格化させたのは後からの話である。
ヨルダン川西岸地区とガザ地区は地理的に離れており、人口は西岸地区の方がやや多いため、自治政府議長(=大統領)はファタハから選出される一方、「西岸=ファタハ、ガザ=ハマース」で棲み分けする形となっていた。一時期、ファタハが歩み寄りのため、首相(=大統領に任命権がある)をハマースから選んだこともある(イスマイル・ハニーヤ、2006-07)。しかし近年、イスラエルの「入植地」による侵食が一向に止まらず、さらにファタハ執行部の長期にわたる腐敗・汚職により西岸地区でも住民の支持を失いつつあり、いま選挙をやれば、パレスチナ全体でもハマースの勝利が確実視されている。それはファタハとしても困るし、イスラエルとしては今まで何度も暗殺作戦や武力行使の対象としてきた「テロリスト」であるハマースを、今さら交渉相手とするのは難しい。そうした"利害の一致"があって、パレスチナでの自治政府議長選挙は、2006年を最後に行われていない。
「選挙をやっていない」という点ではイスラエルも他所を批判できず、2018年12月にクネセト(=国会)が解散されて以降、ここまで4回の選挙を行ったが、いまだ内閣が正式に発足していない(=連立工作に失敗し続けている。完全比例代表制なので単独政権が難しいことに加え、ベンヤミン・ネタニヤフの汚職疑惑も影響)。つまり現状のネタニヤフ政権は、実態としては「汚職疑惑で訴追された人物が率いる選挙管理内閣」であり、そもそも今回のような軍事作戦を行使する権限があるのか?という問題点もある。
本気でハマースを殲滅させるつもりなら、いずれ地上での掃討戦を始める必要があるのだが、地上作戦は兵士を拉致される可能性がある(=ハマースとしては捕虜交換の取引材料にできるので、なるべく生け捕りしたい)上に、パレスチナ自治区では新型コロナワクチンの接種が殆ど進んでいない、という事情もある。また、掃討作戦に兵士を割けば、当然ながらレバノンやシリアの国境の防備が薄くなるため、何かしら攻撃を仕掛けられる可能性も否定できない。さらに最近、イエメンのホウシ派が「ハマースと共闘する」旨の声明を出しており、長距離ミサイル、あるいはドローンでの攻撃(後者はサウジアラビア相手に実績あり)があるのでは?とすら取り沙汰されている。そこまで大きな影響を及ぼしかねない作戦を決定する権限が「選挙管理内閣」に許されるべきか?という点は、いずれ禍根となるのではないか。
<ちなみに、レバノンのヒズブッラー、およびシリアのイラン革命防衛隊ともイスラーム教シーア派の影響下にあり、スンナ派系の組織であるハマースとは、もともと折り合いが悪かった。だが、ハマースの軍事部門をヒズブッラーが指導したこと、さらにハマース創設者のアフマド・ヤーシーンが04年、イスラエル軍に爆殺されたことから、今では関係が強化されている>
軍事作戦の正当性に関しては、「テロリスト」の潜伏地点をピンポイントで爆撃する能力を誇示するより、まず逮捕・収監することを目指すべきではないのか?という批判もある。武力においては圧倒的な差がある以上、「逮捕を試みるのは危険」という主張は、常識的には受け入れられないだろう。イスラエルでは通常犯罪に対して死刑を適用していないこともあり、「テロリスト」に対する司法手続きを避けたいだけなのでは?とも指摘されている。
また、いまイスラエル国内では、アラブ系住民へのヘイトクライムや、過剰な警察力行使が問題になっている(アラブ系住民からの反撃も多少は起きている)。それは、かつてユダヤ人が「ユダヤ人だから」という理由で差別や暴力の対象とされてきた歴史を、今度は加害者として繰り返している、とも見なせる。イスラエル以外で暮らすユダヤ系(世界全体では多数派)にとっては、同胞がネオナチと大差ない振る舞いに及んでいること、またイスラエルが実質的な「アパルトヘイト国家」と化していることを、倫理的な観点から批判する向きも多い。
ネタニヤフも既に71歳であり、当座は人気を維持できたとしても、長期政権を担うのは無理だろう。となると後継者が問題となるが、そこで更に強硬派の人物が台頭してきた場合に国際世論の潮目が変わってくるのでは?という懸念は、決して否定しきれないように思われる。
残念ですが手遅れです。
F欄に入学することで彼女は「自分たちは努力で名門に受かった。この子は頭が悪かったんだね。」と認定されます。
精神障害の家族の面倒はヤングケアラーと認定されるかどうか微妙。「毒親のせいにするな」と被害妄想グループに入れられてしまい、黙ってた方がマシだったりします。
すぐにでも家族を捨てて、将来を考え勉強するための時間を少なくとも数年間は確保して、まともな大学でまともに勉強すれば階級を上げられるかな?
学費と生活費を捻出すること、今まで教えられてきたハマータウンの倫理観を捨てること、彼女自身も困難な治療が必要になる可能性の高いこと、低スペ自業自得という偏見に晒され続けること、さまざまな障壁があり
努力するための目標設定のためにまずは希望やモチベーションを持つ、ということができない可能性が高い。
すぐにでもあなたと学生結婚して二人でバイトでもしながら、彼女が経済的に自立するまで子どもをつくらずに頑張る?
ダメな家庭で育った人はまともな関係の築き方がわからないので若い間は特に不幸な結婚生活になる可能性が高い。
渡辺直美 容姿侮辱問題で「黒塗りメイク」コント発掘騒動の理不尽
https://friday.kodansha.co.jp/article/170425
しかし襖から登場すると、顔を黒塗りにしてMCハマーのような髪型をした渡辺が登場。すると、小藪は「うわー!!!」と叫ぶのだ。
と渡辺をいじり会場は爆笑の渦に。渡辺の両親は栃木と茨城出身という設定だったが、途中でゴスペル風の変な歌を歌うなど数々の笑いをとった。
「2人でネタ合わせをして考えていると思うので、渡辺さんの意見も少なからず入っていると考えるのが自然でしょう。容姿侮辱問題の被害者だったはずの渡辺さんが、実は過去に黒塗りメイクをしてネタをしていたことに、ネット上では少なからず疑問の声が上がっているんです。無論、渡辺さんには差別する気などなく、親近感があってやったことでしょう。悪意などみじんもないはずです。ですが『当時も心中穏やかじゃない人もいたのでは…』という指摘が出ている。容姿侮辱問題が出たからこそ、過去の映像も発掘されてしまった。彼女にとってはまさに“もらい事故”状態でしょう」(スポーツ紙記者)
「コロナ禍で全公演中止になりましたが、渡辺さんが主演で‘20年に上演予定だったミュージカル『ヘアスプレー』は、黒人役のキャストもあったのですが、“黒塗りメイク”しないことを決断し、話題になりました。今の渡辺さんは、すべてを理解しているのでしょう。時代によってコンプライアンスや世間の意識というのは変化しますので、過去の画像などで『あれもあった』『こんなのもあった』と一概に非難するというのは、ある意味では危険なことだと思います」(テレビ局関係者)
今回の騒動に乗じて、渡辺は過去の動画までネットで蒸し返されることになってしまった。過去の動画を発掘してきて「この時はどうだったのか」と指摘することが、建設的な議論につながればいいが、実際はそうはならないのが実情だ。
1年前のLINEの書き込み程度なら理解できるが、何年も前の内輪のツイートやお笑い番組まで掘り起こして、バッシング合戦を始めたい人達。
人の意識は数年で変わる。
人は成長し、アップデートされる。
誰もが暮らしやすい社会を作っていく事こそが必要なのであって、誰かを叩くだけが目的の行為には生産性がない。
生産性がない事は、止めよう。
互いの意見聞き、試練乗り越えよう。
過去の誤りにも、ある程度寛容になろうよ。