はてなキーワード: 殺処分とは
http://yaroneko.blog55.fc2.com/blog-entry-1850.html?sp
311 2016/03/1122:49 2 -
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覚えてますか?
屋根犬20110402午後5時
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⇒ http://yaroneko.blog55.fc2.com/blog-entry-1145.html
が・・・
※宮城
⇒ http://sp.kahoku.co.jp/tohokunews/201511/20151102_13013.html
それも事故で…
亡くなった時は5歳にもなっていない頃。
死ぬには若すぎる!
これから書くことで
もし気分を悪くしたらごめんなさい。
読むんじゃなかった。
だって…
嫌なんだもん、この記事!
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※【動画】海上ガレキ漂流後奇跡生還犬:「飼い主と再会できたバンちゃん」
https://youtu.be/ZZaMbI1WVSY @YouTubeさんから
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※【動画】3週間漂流犬飼い主と再会。 https://youtu.be/YxZQBU_-Mi4 @YouTubeさんから
なのに、そのバンが無残な最期を迎えたというのにまるで他人事のような言い草。
お前のせいでバンは死んだんだよ!
お前が適切な飼い方してないから!!
外で放し飼いしてたんでしょ?
たとえ復興事業の車両が昼夜構わずひっきりなしに通る道沿いにお宅があるとしても
この飼い主には二度と動物は飼ってほしくない(もう次の子飼い始めたようですが)。
せめて今度こそ、行政主導で講習か何か強制的に受けてもらって、適切な飼養方法をしっかり学んでいただいた上で、次の犬を飼っていただきたかったですね。
でなきゃまた同じ間違いを繰り返すだけじゃないですか。
その後たった1年で飼われることになった柴犬だってバンと同じ目に遭わせてしまう危険性大ですよ。
たとえ寂しかろうと(該当記事はすでに消えてたけど、新しい犬を飼った理由は寂しかったから!)
バンをあんなひどい目に遭わせておいてよくもまぁたった1年で別の犬を飼おうと思えるね。
それもその柴犬、ペットショップで買った1歳弱のまだ子犬らしい!
http://www.j-cast.com/2015/11/02249623.html @jcast_newsさんから
やっぱり放し飼い!!
たとえ震災時に奇跡的に助かったのは鎖に繋いでなかったからだとしても、今度は震災前のような穏やかな自然たっぷりの平穏な頃と違って、復興のためお宅の前を大型車両がひっきりなしに通る環境に変化してるんだからさ、ちょっと考えたら以前と同じ飼い方したら、バンにとってどんな危険なことが起きるかわかりそうなもんでしょ?
奇跡的に助かった命なのに
あんなに再会を喜んでたのに
バンの分までしっかり長生きして、ご長寿で、天寿を全うできますようにと祈ります。
検索かけて関連記事を読み漁り、詳細が明らかになるにつれ、この飼い主に益々怒りがこみあげてくる!
全く懲りてないよ、この飼い主!
どうすればこれが美談になるの?
今日は、今日だけは静かに穏やかな心で祈りの気持ちでいたかったのに…
あぁ…気分悪い!
※別の参照記事
【訃報】未曾有の大災害 東日本大震災を生き抜いた『漂流犬・バンちゃん』復興事業関連の車両にはねられ・・・・(涙)【事故】 - 『徒然と』・・・道楽 http://blog.livedoor.jp/dourakukousuke/archives/1094278.html
種は違えどうちにも同じ名前の猫がいるんでね
他人事とは思えなくって。
だからね、あまりに悲しい最期だったから私、バンのためにお話を書きました。
「バンに捧ぐ」
だけど、死ぬ間際、朦朧とした意識の中で必死に神様にお願いをしたの。
「神様、お願いです。このまま死にたくない。もう一度だけ飼い主に会わせてください。」
神様もバンを可哀そうだと思し召し、願いを聞き届けてくれました。
一つ条件付きで。
「バン、お前はすでに死んでおる。だから長くこの地上にはおられぬぞ。
そして、この世を去ったものが再度死ぬのだから、それなりの別れ方をせねばならぬ。
今より辛く苦しい思いをせねばならぬがそれでも良いか?」
そして再び期限付きの命をもらってあのがれきの上に立ち、助けを待ったのです。
だからこそ私たちが首をかしげ、奇跡と呼ぶほど傷一つなく、あんなに元気だったのですよ。
そのあとのことは報道で伝えられた通り。
が、その幸せは長くは続かなかった。
飼い主は無意識のうちにバンを震災前と同じ放し飼いにしました。
「バン、時は満ちた。別れの時だ。」
柵を超え道路に出て、
近づいてくる車の前に身を投げ出しました。
だって願いが叶ってもう一度、愛する飼い主と再会し、共に暮らせたんですもの。
それがどんなに短い間であっても。
再び巡り会って3年も暮せなかったけど。
飼い主とまた再会するまで
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マジで分かってなさすぎるだろ……。
殺人犯の言い分を聞いてしまったら、コミュニケーションの手段としての殺人が広まってしまうと思っているとかならいいんだが、本当にただ理解できないだけなのだとしたら呆れるほどの共感能力の低さだ。
関わりたくない相手を拒絶して「救う必要のない赤の他人」という立場に押し込めることで解決しようとする世界の無責任さに対して、「お前ら!この社会の歪みを弱いやつに押し付けることに加担し続けたツケは突然払うことになるぜ!自分たちが持つべき責任から背を向けてきた罪を受けろよ!」という叫びがぶつけられているのは明白だろ。
「理不尽」「なんで私(あの人)が」「唐突すぎる」「周りは何をやっていたんだ」「自分のことしか考えてない」、こういった大量殺人犯への言葉はそのまま、自分たちが日頃弱い人間、たとえばクラスでいじめにあっている人間を「アイツは社会からはみ出たから仕方ないんだよ」と切り捨て続けてきた行為へと帰ってくることからずっと目を逸らすのか。
せめてメディア関係者、その分野について取材や考察を行った人間ぐらいはそこに背を向けて誤魔化すのはやめろよ。
なんつうかさ、そういう態度が結局また次の大量殺人犯を生むんじゃねえかな。
まあ現代社会においてそれなりに生きていくにはこの世界の歪みを弱い立場の人間に押し付けるしかない所はあるよ。
でもそれは自分はそういうのに加担してませんよって態度を不特定多数にまぎれてやれる時だけにしろよ。
少なくとも自分から近づいていって「社会からはみ出た失敗作がよお……「普通の人間サマ」に迷惑かけてんじゃねえよ……?殺処分されてえのか?この駄犬は???」って首根っこ掴みに行くようなのは流石にアウトだろ……。
「国民の多数が選んだ指導者が決めたことだから、反対する少数の生命を本人の意思に反して捨てさせる人権侵害も仕方ない」
国民から選挙で選ばれたヒトラーが、「ドイツ民族の存続を害する」ユダヤ人や障害者を殺処分してる光景みても「ドイツ国民が選んだことだから仕方ない」て傍観してそう
保護犬譲渡の話が話題になってたけど、これ経済活動と思うと難しくてな
https://togetter.com/li/1889903
例えば需要が100、供給が100、供給のための単価が100円だったとすると、需給に変化がないなら100作って100円でそれを売って、全部で10000円の市場として安定している
でも、思ったように供給ができない事態とか、急な需要増や、販売の拡大なんかを目指して利益を上げていこうとか思うと、供給側は常に需要より少し多く作らないといけない
そうすると供給コストが10300円になるので、需要100への販売単価は103円になる
値上がり分で需要が減るのを見越すなら105円で販売して購入者は99なら、売り上げは10395円になるので、実際はこんなもんだろう
そうすると、経済活動する分には誰も困らなくて、需要側も手に入るし、急な需要変動や供給変動にも市場が乱れることもなくなる
とても便利で誰にとってもいい方向なんだけど、ただ、商品は4余るようになる
これがただのモノなら、SDGsとか物を大切にしなきゃとか、資源がとかいう面からはよくないかもしれないけど、でも別に誰も損しないし利便性もある
なので、保護活動というのは、経済活動から必ず生じるこの需給のギャップの4匹について引き取る活動じゃないと意味がない
つまり、「犬なんかいらないんだけど、余ってるなら面倒見てやってもいい」でしか価値がない
「犬は飼いたいと思ってるんだけど、保護に貢献したいから保護犬から」という思考だと、本来の需要が保護犬にシフトしているだけになる
そうなると需要はあるのに正規のペットショップから売れなくなるので、販売者側は保護犬としての販売方法に舵を切るしかなくなる
だから告発漫画みたいな「保護犬譲渡の皮をかぶった経済活動としての供給」をせざるを得なくなる
だから、そういう悪質?と言われてしまってる保護犬譲渡団体がなぜあるかって、正しい需要なのにペットショップから買わないからある
つまり、いらないんだけど庭が広いから、別にええで、みたいな感じじゃないと意味ないんだよなーと思う
でも、そんな人なんてたくさんいるわけもないので、本当に殺処分のない世界を目指したいのなら、ペットの流通、ペットを使った経済活動を全て否定しなきゃいけなくなるわねー
そこまでせずに法でしばるなら、常に需要より少ない数の生産しかできなくなって、経済活動としては旨味は消え去るでしょう
あー犬手に入ったんだ、いいなあ、みたいな社会
まあ、それはそれでいいかなと思うが
それを確認して殺処分でもしてくれるなら球技がカリキュラムに入ることに意味があると言えるが、楽しめるやつは楽しめるというだけだと意味がないことへの反論にはなってないな
よく、ペットは家族と同じという人がいるけど、自分の家族の首に鎖つけたり部屋に軟禁する人はいないよね(それしたら、犯罪だ)。
犬だって猫だって自由に走り回って、自由な時間に排便したいに決まってる。
犬や猫が飼い主になつくのは、その環境に押し込められた側の生存戦略でしかないんだから、動物を拘束する時点でどう考えても虐待。
本来、ペットって、それを飼う人が癒しを得るという自らの利得のために行ってるのに、殺処分などの動物保護活動に精をだすのは偽善そのもの。
そもそも、本当に動物のことを考えてるなら、犬猫をペットなどにせず野良猫や野良犬のまま暮らしていける環境を提供するのがスジなんじゃないの?
先週の月曜日に拾った子猫を、今週の水曜日にひとにやった。ほんの短い間だけ、どたばたで面倒を見た。私の、女性の平均値をだいぶ下回った小さい両手にも乗るくらい小さな子猫だったが、それがたった一匹いなくなっただけで室内にすきま風が吹いたような淋しさがあり、改めて猫ってすごいなと思わされた。
とはいえ子猫に会いたいかというと、それよりも子猫の新飼い主に猛烈会いたくないという気持ちの方が遥かに勝るので、子猫には是非とも私の知らんところで幸せになっていてくれと願ってやまない。新飼い主には、子猫が思う通りにならなかったとしても、うちをあてにすることはしないで欲しいと思う。もう私は知らん。
https://twitter.com/Sato_adachi/status/1527562865292746753?t=VhTjz4vOS5ZMsOwStVliuA&s=19
これは犬の話だけれども。
もしも子猫の貰い手が見つからなかった場合は、動物愛護団体を頼ろうと思って色々調べたり各所に問い合わせをした。それで知った事をちょこっと書いておこうと思う。大して多くないけど。
というのも、犬の飼育は法律で登録制とされていて、また、野良犬は捕獲対象だからだ。ある程度人間には害のある生物視されているというか。
一方、猫は犬とは違い飼育に登録は不要で、野良猫を捕獲するための法的根拠がない。民家の庭にうんちをしたりゴミ収集所で生ゴミ漁りをしていても、それが迷惑だからといって駆除することはないらしい。
また、猫は繁殖力が強く、民家やその敷地内の狭い所に隠れるので、駆除しようとしたところでそれは無理なのだ。
じゃあ、野良猫をどうするのかというと……県庁や自治体のホームページを読んだところ、野良猫は地域猫とし、人と猫との共存を図るということだった。いくら野良猫が邪魔だとしても虐待したり殺したりするのは違法なのでやらないように。猫を捨てるのもご法度である。じゃあ人間は野良猫改め地域猫が増えて行くのを手をこまねいて見ているだけなのかというと、そうでもなくて、地域猫の避妊手術を行う活動というのがあるらしい。
ともあれ、犬はよく管理されているので保護犬の数は少なく、猫はそうでもないから保護猫は多い。
動物愛護団体の譲渡会は犬猫の両方を受け入れていても、実質猫の譲渡会のようになっているっぽい(これは動物愛護団体のレビュー情報)。
ネットで県内や近県の動物愛護団体の連絡先を検索したところ、数件ヒットしたのだが、後に県営の動物愛護センターに電話したところ、信用できる民間の動物愛護団体として紹介されたのは、たったの二件だけだった。
動物愛護センターに問い合わせたところ、もしも保護した子猫に対して情があって生きていて欲しいと思うなら、預ける先はここじゃない、と言われた。動物愛護センターで動物が保護される期間は短く、多くの動物が殺処分となるのが現状だそうだ。
動物保護センターでも譲渡会を行っているが、現実にセンターに収容されている動物は、新飼い主にお迎えされない何かしらの事情を抱えているものばかりだそうだ。
動物愛護センターから紹介された民間の動物愛護団体が、どちらもホームページを持っていたので、閲覧した。ウェブ上でも写真つきで猫の里親を募集していた。
アーカイブを見ると、やっぱりというか……成猫は長々と募集状態であり、子猫は里親決定済みかトライアル中となっていた。どんな犬猫でも受け入れるという決意を持っていても、可愛い子猫を見ちゃうと、この子がいいってなるんだな……。
数年前、動物愛護団体の譲渡会に里親希望として参加して嫌な思いをしたという事を書いた増田がいたが、では逆に譲渡希望者にとっての動物愛護団体はどう見るのか。
うちは結局、譲渡会に足を運ぶ前に子猫の貰い手が見つかったので、直接ボランティアの人達と対面することはなく、電話で話したきりだったけれど。でも、電話で受けた説明やホームページに書かれた事を信用するなら、普通に頼れそうな感じだった。
譲渡希望者が個人情報を根掘り葉掘りされる事はなさそうだった。ただ、サインすべき書面があり、提出しなければいけない書類もあった。保護動物の健康診断書、検便検査結果(陰性でないと譲渡会には参加不可)、ワクチン接種1回目の領収書だ。
保護動物の健康診断書を出すからといって、譲渡会に参加できる動物が健康体に限るという訳ではなく、持病や障害があってもよいそうだ。どういう病気や障害があるのかを知るための健康診断書なので。
ワクチン接種代の領収書の提出必須な理由は、譲渡会の参加資格に関わるからだった。譲渡会に参加する時の月齢・年齢なりに受けるべき予防接種を受けていることが譲渡会参加資格の一つだ。それと、ワクチン接種代は里親になる人に、貰い受ける保護動物の面倒を生涯見るという決意表明として支払ってもらうという。ボランティアスタッフが里親に請求し、得た代金はそっくり譲渡人に返される。
譲渡会当日は、譲渡希望者は会場に出向いて動物とそのエサと使い慣れたトイレをスタッフに預け、提出書類を出し、参加費を納め、書面にサインをして、あとは譲渡先が決定するか閉会までは会場の外で待つ。里親希望者との交渉はボランティアスタッフの担当だ。それはコロナ対策のためだそうなので、平常時は譲渡人も会場に居れるのかもしれないが、そこの所は詳しく聞かなかったのでわからない。
もしも譲渡会に出した動物に貰い手がつかなかったら、譲渡者は動物を自宅に連れて帰って世話をし続けなければならない。その動物愛護団体では、人手と費用の問題から動物の預りは行っていないのだそうだ。
なお、私が問い合わせた動物愛護団体の場合、譲渡会の参加費=動物愛護団体への寄付金だった。譲渡会の参加費は里親希望者が5000円以下で、譲渡希望者はその半額以下だった。
これが相場なのかどうかは知らないが、Twitter漫画の怪しい動物愛護団体とそれが運営する譲渡会と信用できる動物愛護団体とその譲渡会とでは、金額も譲渡会規則もだいぶ異なっていることは確かだった。
動物愛護団体のホームページの里親募集コーナーで、先に登録された成猫にいつまでも貰い手がつかず、後から登録された子猫が早くもトライアルに入っているのを見たら、子猫を譲渡する時には頼れると感じる一方で、子猫のために「(自称)どんな猫でも受け入れる覚悟がある」を里親希望者を先に登録されていた成猫から奪ってしまうようでどうなのかなと思った。ま、成猫の保護猫でずっと貰い手のつかない猫にはそれだけ事情があるのだろうし、簡単に子猫の可愛さになびいてご宗旨変えするような人間になんか引き取られない方が幸せかもしれないが。
うちの子は小型犬エリアだったんだけど見るからにうちの子より小さい犬ばかりで大丈夫かな?と思ったんだよ。
でも、下に降ろした瞬間、ちっこいやつらがうちの犬を囲って腰を振り出した。(うちの子はオス)
もうめちゃくちゃに気持ち悪かった。
マウンティングっていう、格上であることを証明する行為らしいが、マジでショックだった。
必死にそのちっこいのを手で払い除けて救出。
「おい飼い主💢ちゃんとしつけろよ」という怒りを抑えながら周りを見渡すも、こちらを見る人の姿はなし。
ようやく、向こうの日陰で談笑するババアたちを発見。このババアたちが飼い主だった。
その後しばらくして犬同士は打ち解けてはしゃぎあっていたが、
また腰を振り出すやつが現れた。
すると今度は、ババアの1人が走ってきて「すみません💦」と犬を持ち上げてった。
その日はそんなことの繰り返しだった。
は?
「すみません」じゃないのよ…
なんで躾けてないのに目を離すわけ?
同じ入場料を払っているにもかかわらず、犬だけじゃなくてこんな程度の低い人間も見ないといけないわけ?
うちは犬が何かしたらイカンと思ってずっと見てたのに、それ以上に注意を払うべきはお前だろうが。
でもこれがドッグランなんだろうな、と飲み込んだ。
一旦はそれでよかった。
その後、思いの外犬同士は仲良くなりマウンティングも見なくなり、そこのドッグランにも通い詰めるように。
大型犬は小型犬と違って人間でも制御できないくらい力があるし、犬にとっては遊びでもかなり激しい。
心配になるような犬の鳴き声も「まあそういうもんなんだろう」と次第に慣れていったんだけど…
だけど、この日だけはなんか鳴き声が違った。
メスが1匹だけだったせいで、他の犬たちがこぞって狙い始めた。
もう追いかけっことかいうレベルじゃない。メスは必死に逃げて、助けを求めて鳴いているようだった。
それなのに、追いかける側の飼い主はヘラヘラ他の飼い主らと談笑。
メスの飼い主は止めに入るも、犬が大きくてなかなか入り込めない。
しばらくして追いかける側の飼い主らが止めに入ってたが、吹っ飛ぶくらい苦戦してた。
その後、メスは入り口に避難してようやく事態はおさまったようだったんだけど…
は?
犬の飼い主ってみんな”こんな”なのか…!?
そもそも、基本的にドッグランでのトラブルは飼い主間に責任があるので、余程良心的なところでない限り監視する人はいない。
そこは管理者の方がかなり良心的で常に見ててくれるから今まで何もなかったのもあると思う。
でも、さすがに手術しないのも、しつけをしないのも施設に甘えすぎじゃないか?
見てるだけでしんどくなって、途中で帰ったもんだからそれ以上は知らん。
で、最近のこと。
たまには違うドッグランを利用してみるか!と冒険していった先は、犬の大きさで区別されてなかった。
最初はめちゃくちゃ怖かった。
ぶっちゃけ引き返すつもりだった。
でも、ウチの犬も日頃から友好的だし大きい犬と触れあう機会も多いし、ラン内にも小さい犬の方が圧倒的に多くて「これはいける」と踏んだんだ。
これが間違いだった。
もう、とんでもない勢いで向かってくる大型犬とおんなじ位の犬。
見慣れた光景だったから大丈夫だと思った。でも「ギャン!」って声で場が凍る。そこには囲まれて尻尾を丸めて逃げ惑ううちの子。
もう辛かった。なんで誰も助けてくれないの。
そんなの、うちの犬が一番そう思ってるに違いないのだが…
でも、大型犬の方は悲しい目をしてたから、悪気はなかったんだろう。
しばらくして飼い主がきて謝ってくれた。
いや、ちゃんと見ててくれよ。
なんで何か起きてからアクションを起こすんだよ、人間社会で生きたことないの?
自分の子供が腕を食いちぎられても「見てなかった」って言われて許せるわけ?
いや…流石にこれは自分も悪かった。判断ミスだった。猛省に猛省で、帰り道はめちゃくちゃ泣いた。
でも、冷静になってみれば、それ以上にドッグランにも責任はあるだろうが💢
お金払って利用してるんだから少しは介入してくれよ。なんで1km圏内に管理人がいないんだよ。ここはどこだよ?
うちの犬に怪我はなかったものの、自分の不注意で怖い思いをさせてしまった。
でも、責任が飼い主間にしか発生しない以上、目を離すなんて論外だろうが。
本当に犬のために来てるのか?自分たちバカのコミュニティのために来てるんじゃないのか?
まったく、腹立たしい。
お前たち(一部の利用者)は自分とこの犬が他の犬・あるいは人間に危害を加えても良いと思ってるのか?
犬は法律上は「所有物」でしかないんだよ?仮に犬が何かトラブルを起こしても「たまたま持ってた包丁が当たった」って言ってるのと同じだよ?
お前たちは加害者になるリスクを抱えながら平気で生きてるんだよ。
もちろんこれは一部のアホだけであって、ちゃんとしてる人も沢山いる。
中にはそういう「一部のアホ」に対してわかりやすくガンを飛ばすモンペもいたりするくらい、犬の飼い主のあり方にはムラがある。
けど結局犬は人間ほど賢くないし犬にとってのルールがない以上、所有者である人間が制御すべきなのは事実。
でも今の日本じゃ、犬は金さえ払えば誰でも手に入れられるし、
バレなきゃ狂犬病の予防接種もせず、マイクロチップも入れず、捨てることだってできる。
月曜日、カラスの落とした獲物だった子猫を拾ってからやったこととか、知ったこととか。
拾ったのが朝6時半で、受診できたのが9時半。こんなに短時間で受診にこぎ着けられるなんて、知らなかった。たまたま暇な日だったのか、電話をかけた一時間後に予約を入れてもらえた。
自分で飼う意思がない癖に捨て猫とも野良猫ともつかない子猫を受診させても、嫌な顔一つされなかったのが意外。
うちはペット禁止の戸建て物件のはずが、何故か隣人は犬を飼っている。すごくよく躾けられていて、無駄吠えをしない大人しい犬だ。
「増田さんも何か飼いたくなったら飼っていいのよ」
と以前大家さんは言った。謎におおらかだ。
猫を拾ったらまず交番に連絡するものなんだって。その発想は私にはなかったのだが、猫の保護の仕方についてググって知った。
こんな事で交番に連絡して「はぁ?」みたいな塩対応されたらやだなと思いつつ電話をしてみると、
「あーはいはい、猫拾ったのね。動物愛護団体に預けるんにまず警察に聞いてからにしてって言われるんでしょ。ではまず氏名住所と、拾った場所を教えてください」
と、慣れた対応をされた。世の中の人達は猫を拾ったら普通に交番に届けるものらしい。知らなかったぁ……。
お巡りさんから、飼う意思の有無を訊かれたので、飼う意思はないけど子猫を生かしたいですと答えたら、ちょっくら対応を審議するので折り返し電話するねと言われた。
一時間もしないうちにお巡りさんから電話がかかってきた。調べた結果、子猫を落としたという届はなかったので、子猫を自分で飼うなり人にあげるなり私の好きにしていいとのこと。子猫は落し物・拾得物扱いらしい。
交番で預かるとなると、元の飼い主が名乗り出ないまま預り期間を過ぎた場合、県営の動物愛護センター行きとなる。だがそこも預り期間があるわけで、期間内に譲渡先が見つからないと殺処分になる。従って、猫に生きていて欲しいとなると、自分で動物愛護団体を頼って譲渡先を探した方がいい、と。それで、お巡りさんは県営の動物愛護センターの電話番号を教えてくれて、そこに電話して訳を話して、民間の動物愛護団体の連絡先を教えてもらうように、と言った。
フレンドリーに対応されて驚いた。最近は、役所関係に電話するとどこでも親切対応ですごい。20年前のどこにかけてもクソゴミ対応された時代がうそのようだ。
言われたのはお巡りさんが言っていたのと大体一緒。
「ここはどうしても飼い主が見つからなかった時の最終手段だと思ってください」
だそう。収容動物の譲渡会も開いてはいるらしいのだが、里親が見つからないこともよくあり、収容期間も短いので殺処分になってしまう可能性があると。子猫の場合は貰い手が見付かりやすいから、ここではなく民間の動物愛護団体の開催している譲渡会に参加して貰い手を探す方がいいそう。信用出来る二軒の団体の連絡先を教えてくれた。私が自分でググってみたところ、県内に複数の団体があるようだったのだが、その中でどこが信用出来るかまではネットでは分からなかったので、有難い。
あっちこっちに声をかけて来たものの、芳しい返事はない。しかも、うっすらとキモがられてしまう。宗教やマルチの勧誘と同一カテゴリーなのかな。
そんな中、唯一ポジティブな反応をしてきたのが、仕事仲間の若者で、その人は未婚で両親と同居中。動物愛護団体の譲渡会だと審査に受かり難い属性で、動物を飼うには自分で拾うかペットショップで飼うしかない。本人もペットを飼ってみたいのだが、それ以上にご両親もペットを欲しがっているとのこと。
ただ、その人は数ヶ月前にペットショップで見かけた仔犬に一目惚れをしたが、仔犬は売約済みだったという悲しい思いをしたそうで、出来ればその時くらい可愛いと思える動物を飼いたいという。都合よく子猫に運命を感じられるのかどうか謎だ。
動物愛護センターから教えて貰った団体のホームページを閲覧したら、犬も猫も生後2か月まで親元で育てることと書かれていた。子猫は推定生後1ヶ月だが、親猫とは生き別れになってしまっている。それでも2か月、うちで育てていいのだろうか。
子猫は何も一人で出来ない状態で、とても世話が焼ける。他人に譲渡するならトイレトレまでちゃんとやって手間がかからないようにしてから送り出したい気持ちがありつつ、世話は大変とはいえ可愛い盛りなので、是非すぐにでも引き取ってお世話をしてみたいという人もいるんでないかと思うが、どうだろうか。
てかまず、団体の規約を読む限り、譲渡する子猫は捨て猫ではなく繁殖させた(させてしまった)子猫を想定しているような?
「生後2か月までは、親兄弟との関係を通して社会性を身に付ける、大切な時期です」
そんな風に書いてあるけど、うちみたいに他に猫のいない環境で育った猫はどうなんだ。
そこで考えてしまい、まだ愛護団体に電話をしないでいる。今日電話するつもりだけど。数年前、動物愛護団体の譲渡会に(里親希望で)参加して嫌な思いをしたという増田を読んで、なんか動物愛護団体こわい……と思ったので、電話するのすごく緊張する。
拾った日は歩き方もお覚束無く、ミルクも自分で飲めず排泄もできずだったが、今はもう普通の猫のように歩けるし、皿から餌を食べられるようになっている。すごい成長だ。だが、排泄はまだ人の介助がないと出来ない。
拳銃を携帯しパトカーに乗車している警察官およびこれを利用しようとして110番通報をする市民等は日本世間内においていかんともし難い存在であるから
平成18年から19年にかけて警察および警察関係者に対し平成の女子供が一斉にブサイクとのバッシングを浴びせた挙句一部の日本人が将来的に
警察官の顔になるような子供は予め殺処分した方がいいとして殺した事件等もあったのは最近の情勢に鑑みると相当であり平成の女子供が警察およびその関係者
を抹殺しマックスバリューが誰も警察についていかないようにしようとしていることも正当であり、日本人が天皇を死刑に処したことは正当である。弁護人は
警察がいないと生活ができないとか何とかを云々するのであるが意味不明であり全く採用の限りでない。現在の社会が災禍に見舞われているのは全くもって
警察関係者が存在するためであり特に警察は弱者で構成される世間の存在が認められずその弱者に手を出すのはほとんど不可避である。このことに鑑みても
パトカーに乗車している警官を死刑に処し直ちに死刑の執行をしたのは相当であり所論は全く採用できない。したがって本件再審請求を棄却し主文のとおり決定する。
裁判官 家令和典
私は猫が嫌いだ。
というのは嘘で、猫好きな人が嫌いだ。
さらに言うと今の猫ブームや猫が好きなことを当たり前だとする風潮も嫌いだ。
最近は殺処分はかわいそうだ虐待だと言って、東京でも殺処分ゼロを目指し野良猫が放置されている。
そのせいで家壁に糞尿をかけられて悩む住民や、畑の作物に糞尿をかけられて嘆く農家のことなど気に留めてもいないのだろう。
保健所に連絡しても「殺処分はできません。ご自身で餌やりをする人に止めるよう注意してください。ご自身で捕まえて動物病院で去勢の処置をさせた後放してください」だそうだ。
補助金も港区や千代田区辺りはTNR(去勢)処置のほぼ満額を出してもらえるようだが、そうでなければ1万円は自分で負担する必要がある。
また、猫好きの人たちは病的なまでに猫が好きだ。もはや信仰と言っても過言ではない。怖すぎる。
猫はたしかに可愛いだろう。愛くるしい姿をしているだろう。それは否定しない。
だが、一度猫の話題でTwitterでバズると「そんな話題よりうちの猫を見てください!」と言わんばかりに自分が飼っている猫の写真を貼る輩が出てくる。
何か悲しい事故や事件が話題になると「うちの猫の写真を見て癒されてください☺️」と言って(無関係なタグと共に)猫の写真を貼る奴もいる。
猫飼ってる人は自己顕示欲を猫を使って満たそうとするさもしい人ばかりなのか?
検索の邪魔でしかないし、最近ではこういったツイートを目にするたびに不快になってしまうので自己嫌悪である。
ちなみに犬ではこういったツイートを見かけないので不快に思うことはない。
ワクチンを打ち終わる期限を1年ぐらい設けて、期限中にワクチンを打ってない犬は防疫を理由に殺処分でいいでしょ。
ワクチンを打った犬は身体にワクチンを打ったことを意味する入れ墨を義務付けて、その入れ墨がない犬を発見したら保健所への通報を奨励しよう。
入れ墨が入ってない犬は近所の人間が勝手に殺しても許されるし、殺そうとしているのを邪魔したら犯罪にしよう。
狂犬病は本当に恐ろしいよ。
俺の爺ちゃんも狂犬病に殺されてるし、俺の従兄弟も狂犬病で死んでる。
狂犬病を野放しにしている飼い主を殺したいぐらいだけど、人間が人間を殺すのは良くないから犬だけを殺すべき。
でも犬だって人間の都合で子供を作らされて殺されるのは可愛そうだからワクチンを打てば許してやろうと思う。
狂犬病を野放しにしている飼い主は飼い犬に殺された方がいい。
死んでくれ。
俺の従兄弟は本当に良いやつだったけど狂犬に噛まれて死んだよ。
許せねえ