はてなキーワード: 爆笑問題とは
「僕は無自覚に人を傷つける人が許せないんです」と言い。
それに対しさんまが「たけしさんなんて、奥さんどんだけ傷つけてるか!おまえ!」と言い、
「ちょっとおま」とたけしが言いかけたのを遮るように太田が「いや僕は無自覚な人が許せないんです。たけしさんの場合は相手が傷つくとわかっててやっている」
「えらい」とたけしが言う非常に身勝手な会話があったんだけど。
僕はこの会話を妙に気に入っていて、今、この瞬間にこれを思い出したんだけど。
はあちゅうはいろんな事に無自覚で、さらに自覚的になる気もさらさらないんだなと日頃の所作から感じさせるから、嫌われるんじゃない?
僕は是非、彼女にセクハラの研究者や、哲学者や詩人などと、彼女が今置かれている状況について対談させる企画を
編集者は立てるべきなのにと思っている。彼女は今、童貞差別という透明な存在だったものが言語化されていく中心にいるんだ。
なぜ、それを記録に残さないのか。
ウーマンラッシュアワーの漫才が賛否両論で話題になって大変結構なことだ。
政治ネタ、際どいネタがたくさん入って刺激的だったのは良いが、一方で面白くは無かった、という声も多く聞かれる。
なぜ面白くなかったのか、いくつか理由はあるが、おもに漫才の構成の観点から指摘したい。
序盤は良かった。軽い吉本批判、芸人批判からの自虐。緊張と緩和、高慢さと滑稽さの落差が大きく笑いの量も多かった。
続いての原発ネタも同様に社会批判的でありつつ、福井で夜間に電気がついておらず電気が必要ないという発電量とのコントラスト。背景に発電地と消費地がなぜ違うのかという社会問題はありつつ、それが気にならないほどの落とし方。ここが一番笑いの量が多かった。
その後は、そこに住みたい人はその地に対する愛情を示せ、そうでなければ住ませない、というやり取りのミニコントが繰り返される。ここからがややこしい。
始めは福井。新幹線かがやきが福井に来る30年後には福井の高齢者は星になって輝いている、というかなりブラックなオチ。ブラックであることもだが、これを言うことが福井愛を示していることになっているのかわかりにくい。「輝いている」と言うことを肯定的に捉え、褒めている、と言うことなのだろう。まずここで少しつまづく。が、それほどは気にならない。話芸の達者さと勢いで笑える。
次に、東京。都民ファーストが自分ファーストになっている、と言う都知事批判がオチ。これも東京愛になっているのか非常にわかりにくい。都知事は東京のためになっていない、それを指摘することが東京愛になっている、と解釈するのか。かなり好意的な解釈をすればそうなる。この辺りからほとんど勢いだけで進む。
沖縄、熊本に関しては、最も社会派発言として評価されている部分かもしれない。ここは構造的に地方への配慮を訴えることが地域愛に繋がり先述の戸惑いはほとんどない。その代わり、正論になってしまい笑いの量もあまり多くない。とはいえ、ここは次の展開へのネタ振りパートとも言えるので勢いで押し切れば十分と考えて良いだろう。
突然のアメリカ。これ自体は話の飛躍があり面白い。しかし、日本はアメリカにとって都合の良い国、と表明することがオチだが、これもアメリカ愛なのか疑問。
次に北朝鮮。ここも地域のチョイスは面白い。しかし、キム総書記の「単なる太った動物」という悪口は自分のことだろう、というオチは、それこそただの悪口で北朝鮮愛になっていない。体制に反対している北朝鮮国民目線、ということかもしれないが、説明なしでその設定はかなり無理がある。
最後は日本。この展開は綺麗で良い。ここもこれまで同様だが、ニュースの内容が悪いのは国民の意識が低いから、というオチ。もはや愛でもなんでもない。
後半は当初のコントの構造がほとんど崩壊しており、メインは二人で社会批判を勢いよく言い切る、ということだけが目的化されている。そこを面白さと捉えるなら面白いが、それにしては社会問題の切り取り方に偏りもあり、真面目すぎるようにも見える。この場合、意見に対する賛否や見る側の個々の問題に対する距離感で面白いかどうかはかなり変わる。
そして一番最後に村本が、「お前たちのことだ」と観客に指をさしながら批判して去っていく。ここでそこそこ大きな笑いが起きる。
これが笑いになるということは、つまりこれまでの社会批判は芯を食っていない、ということを示している。早口でまくし立てていること自体がやりすぎであり、ある種の道化となっているわけだ。視聴者には、このような少しぶっ飛んだ人に少々批判されても笑えるという余裕が生まれている。一段低いところからわあわあ言っている人。そのようなポジションを村本は意識的に作り出している。だからこそ、社会批判が全体として笑いに変わっているわけだ。
これは逆に言えば、社会批判が軽くなってしまう、ということでもある。
上述のように、笑いの構成として整合性にやや無理がある。それはおそらく、強引に社会批判をねじ込んでいるからだろう。その強引さ自体が笑いでもある。
つまり、社会批判の強さ、正しさと笑いの量は相反するものとなっている。
そうなると、一部で熱狂されているような、よくぞ言ってくれた、という賞賛は笑いの量の少なさ、つまり面白くない、ということの象徴とも言える。
とは言え、これも含めて計算通りなのだろう。笑いの量を減らしても話題性、あるいは自分の言いたいことを言う、と言うネタなのだ。その意味では、大いに成功していると言える。一方で笑いが多少犠牲になってしまったことも否めない。
今後、同じようなスタイルは難しいだろう。今回は話題性としては非常に良かったが、この先同じようなことを繰り返せば、笑いの量が減っていくか、道化として批判のインパクトが失われるか、どちらかに収斂して行かざるをえない。同じ社会批判の道化には爆笑問題太田がいる。彼はかなり道化よりだ。
まあ、もともと村本も同じことを繰り返す気もないだろうから要らぬ心配なのだが、一部の賞賛者が期待するような、お笑いに変革が起きて社会風刺が増える、というような形には良くも悪くもならないと思われる。
http://bunshun.jp/articles/-/3929
「ドラム日野ビンタのダウンタウン松本さんと爆笑問題太田さんの意見が真逆すぎた」
http://www.kansou-blog.jp/entry/2017/09/04/073456
「日野皓正児童虐待(ビンタ)事件について元ジャズミュージシャンが考えてみた」
http://k-yahata.hatenablog.com/entry/2017/08/31/日野皓正児童虐待(ビンタ)事件について元ジャ
https://www.daily.co.jp/gossip/2017/09/01/0010515517.shtml
正直、他人の出番を無視してドラムを延々と叩いてた子がビンタ食らっただけでこれだけ喧々諤々の議論が巻き起こるのはうらやましいし、近年ネットで体罰動画などが拡散され、教師が処分されている事等を考えるとネットという存在が体罰への抑止力として働いているのは確かで、ろくでもないものも多いネットのもたらした大きなメリットのひとつだと思う。
で、僕がこれからするのはそんな便利なアイテムが普及してない時代のろくでもない体罰という名の暴力の話だ。
舞台は96年の東京高田馬場にある保善高校。偏差値でいえば55前後、昔ラグビーの名門で花園に出た以外に特に語る事のないパッとしない私立高校だ。
ちなみにお隣には後年某ブラックチャイルドな有名バスケマンガのモデルになった偏差値70台のエリートな高校があり、お隣だが近所の早稲田大学への距離は全く違うと言われていた。
我々が入学する前、この高校の理事だかなんだかわからないが、お偉いさんが「このなんの特徴もない学校をお隣みたいな超進学校にしよう」等とドラゴン桜みたいな事を考えた。
目的のみをみれば「少子化を見越し、進学校としてブランド価値を持たせる」という戦略は悪いものではないのかもしれない。
だが、彼らにドラゴン桜のような「外部の優秀な講師を招いて生徒の学力をup!」という策などあるわけがなく、結果としてできあがった保善高校特進クラスは地獄になった。
「三年の間に偏差値55前後の人間を普通に早慶受かるようにしろ」そんな無茶な目標を与えられた現場の教師達は大混乱しただろう。
それはそうだ。彼ら教師のほとんどが一般的に二流と言われる大学を出てこの高校に教員として努めている人間であり(文系だった我々のクラス担任は獨協の英文科卒だった )、当然だが中堅高校の生徒をトップレベルの私大に合格させられるノウハウといったものを持っていない。
そんなこんなで上に対して自分達が頑張った事をアピールしつつ、失敗しても責任を回避できるだろうと考えた彼らがとった方策は授業時間を8限までにするという手段だった。
そして入学してからその事を聞かされた特進クラスに選ばれた我ら生徒達は当然反発する。
部活を目当てにした生徒も多かったし、そもそも強制で8限までの授業なんて受けたい人間はいない。
正直、ここまでなら大人になった今になって考えると教師達に同情の余地がないでもない。
上の無茶に対してかかる現場への圧力のつらさは、それなりの歳になり、上と現場の板ばさみになってから嫌というほど知った。
現在の自分が負担をかけてしまっている現場の人達にひたすら頭下げたり、飲料を差し入れ、それでもイラつかれるように保善高校の現場教師達には我々生徒が分かりえない上の人との板ばさみのつらさがあったのかもしれない。
だが、我々の反発を抑えるのに担任教師が使った方法は頭を下げるでも飲料を差し入れるでもなく、「嫌ならやめろ」と暴力のセットだった。
そして出来上がった授業自体も適当なやる気ないプリントを配ったりするくらいで、正直これを8限聴くくらいなら予備校の授業1限聴いた方がはるかに有益なんじゃね?となる受験にはなんの役にも立たない内容だった(事実、自分は浪人して予備校通ってた時期に英語の偏差値がグングン上がり、今までやらされていた勉強がいかに非効率かを知った)。
結果的に我々は3年間に渡り、ほぼ毎日の様に殴られ、22人いたクラスメイトの内、3人は部活も自分のやりたい事もできない状況を受け入れられずに自主退学に追い込まれ、残った19人も相当に精神を病んだ。
正確な因果関係を立証する事はできないが、卒業時の我々の精神状態を鑑みると、遺族が因果関係を否定するならともかく、当時の保善の教師達が「関係ない」等とほざく事は許さない。
ここまで読んで何人かの人は「なんで体罰に対して対策をとらなかったの?通報するなりいくらでも手があるだろうし」と思われるだろう。
今にして思えば何故自分自身、当時の自分がなんら手を打たず、3年間、殴られるままでいたのかが理解できない。
現在の30代半ばの自分で、今の時代であれば同じ状況でもいくらでも手が打てる。
「教師が生徒を殴ってるのを動画なり音声をを記録し、youtubeに放流」「動画や音声を教育委員会や区議会に送りつける」「動画や音声をもって弁護士のところへ行き、教師を退職に追い込み、学校からは金を引き出し、なおかつ現況の改善する」「逆にこちらから暴力で制圧する」等。
だが残念だが、我々の時代には便利なものはなかったし、他の手段をとる勇気もなかった。当時の時代でも打てる手はあったのかも知れないが、結局我々は何も打てる手がないままひたすら3年間を暴力に耐え続けて過ごした。
他の教師に相談しても「君達の事を思ってあえて自分でもやりたくない事をなさってくれてるんだから」と黙殺されるし、「嫌ならやめればいいだけ」と常に脱落への恐怖を感じさせられ逃げられなかった。
それが事実だ。
今の自分のみならず、多くの人達当時の自分は怠惰に写るのかもしれない。
いくらでも打てる手があるし、場合によっては金にもできたのに何故なにもしなかったのかと。
言った瞬間、発言者を糞馬鹿認定する言葉では「公共の福祉」と並ぶ「自己責任」という言葉を使いたくなる。
だが、異論=即暴力&否定という立場に置かれるのは当時の10代の子供にとっては逃げ道のない牢獄で看守に見張られているようなものなのだ。
常に暴力や脱落の恐怖に晒される状態で冷静な判断ができるかと言われれば今の自分でもこころもとない。
現在自分内最高漫画を更新し続けてる「パンプキン・シザーズ」で主人公は8巻で町ぐるみの人身売買に巻き込まれ、結果共犯者になった住人を慰める為に「人間は新しい環境に放り込まれた時にまるで即興劇に放り込まれた役者のように本能的にその舞台を壊さないよう行動する」と言っていたが、結局我々はその舞台から3年間逃げ出す事ができなかった。
昔、自分はナチス、ソビエト、クメール・ルージュだのに属して上の言うままに行動する人々を笑えたが、この保善高校の体験を通して以降、全く笑えなくなった。
さて、色々回りくどい事を言ったが、ここら辺で私怨タイムにさせて頂く。
曳地利秋、お前はガチな屑だな。お前は三年間俺達の担任教師だったわけで、その間お前を「センセイ」と呼んでたが、お前を教師だとも尊敬する人間だとも思ったことは一度もなかったよ。
平賀が自殺して少しは反省したのかと思ってたが、仕事で出会った8歳下の保善のOBの人に聞いたらお前はあの後もなんら反省せず、特進クラス以外でも生徒を殴り続けてたらしいな。
もっとも俺達以前にも暴力を奮ってたろうし、「口答えする特進クラスの生徒」というのはお前にとって殴れる大義名分を更に与えただけだったろうが。
お前は殴る相手が反抗すると「いつか社会に出れば俺に感謝する時がくる」とかいってたが残念ながらそんな時は来なかったよ。
社会を知れば知るほどわかるのはお前という人間が対等な立場では殴り合い一つできない生徒に対し、能力でも人格でも統率できず、自分が殴られない立場に甘えて一方的に生徒を殴ってた屑である事。
それだけだ。
お前は教師でもなんでもない。
お前が定年退職したかどうかは知らないが、現在、学校でも塾でもあらゆる教職に関わってない事を心から祈ってるよ。
残念ながら俺やクラスのみんなに対しての暴行への公訴時効は過ぎてるんでお前に刑罰を与える事ができず、こういう形で書いたが、お前がこれを読んで反省するとかかけらも思っちゃいない。
原国の片山、お前は俺達が曳地に毎日殴られてると度々訴えたときも「曳地先生は生徒のためを思ってるんだ。甘えてるんじゃない!」とかほざきやがったな。
お前も曳地の同類の糞虫だよ。
そして96~98年に保善高校にいた教師達。お前ら俺達が散々殴られて助けを求めていたのを知りながら、無視、罵倒を対応にしてたよな。曳地も含めてお前らが全員地獄に行ってくれる事を心から願ってるよ。
ここまで書いといてなんだが、「抵抗できない相手を一方的に殴るのは保善高校の教師達と同じ」という心の声が聞えたんでこっちの身分もそっちに対して分かる範囲で明かしとく。
96年~98年に在籍し、文系特進クラスで正面二番目の列にいて、その後一浪経て法政大学に進学した生徒。それが俺だ。
そこから俺の名前はgoogleでたどれるようにしてあるし、そこからくれば答えるし、名誉毀損で訴えたいならばいつでもどうぞ。
・体罰、何も伝わらなかった 「殴られた」生徒語る - 朝日新聞デジタル http://t.asahi.com/9v
【田村剛】私立保善高校(東京都新宿区)の男性教諭が、男子生徒に暴行した罪で今月4日に罰金30万円の略式命令を受けた。被害者の生徒と、その友人で「同じ教諭に殴られた」と主張するもう一人の元生徒が、朝日新聞の取材に応じた。「もっと早く周囲の大人に気付いてほしかった」と訴えた。
2人によると、1年生で同じクラスにいた2011年の1学期ごろから、空手部の顧問でもあった担任の40代の男性教諭から、校内で平手打ちなどの暴力を受け始めたという。
携帯電話を学校に持ってきた▽読書感想文の本を忘れた▽授業中のおしゃべり……。さまざまなことがきっかけとなった。この生徒(17)は「高校では暴力が当たり前なのか」と思い込んだ。他の教諭も止めに入ってくれなかったという。
2年生になって登校できなくなり、休学した。親に話すうちに普通ではないと気付き、警察に届けた。
学校側は謝罪のため生徒宅を訪れ、暴行の理由も説明した。それでも、殴られなければならないとは思えなかった。「ただ苦しかった。先生の言いたいことは何も伝わってこなかった」と振り返る。この教諭は、この生徒を複数回にわたって平手打ちをするなどしたとして、略式起訴された。
もう一人の元生徒(18)は、暴力を受けても「先生の言うことを聞きなさい」と話す親を前に、学校に行きたくないと言えなかった。「誰にも相談できず、どこにも行き場所がない感じだった」と語る。
耐えられず、昨年5月に退学。一時はうつ状態になって精神科に通った。「同じことをしたらこうなる」という周囲への見せしめが、暴力の目的だったと感じている。「次は自分ではないか」と、他の生徒がビクビクしているのが伝わってきたから。
「自分はたまたま自殺せずに済んだ。でも、親や周囲の先生にはもっと早く気付いてほしかった」。大阪市立桜宮高校の教師による体罰で生徒が自殺したことが問題になり、そう思う。
同校の青木繁副校長は取材に「教諭が何度も暴行したという認識はない。生徒らの話は過大で、学校が把握する内容と大きな違いがある」としている。教諭の暴力については「許されないことだが、2人の就学姿勢を立て直すという思いがあった」と説明する。
という記事が出てきた(元記事は既に消えてるが)。当時の自分達の気持ちをそのまま表している記事だった。お前ら、90年代にあれだけやらかしたにも関わらず、何一つ反省してなかったんだね…
正直、我々の時代に体罰という理不尽な問題を取り上げ、裁判なりで戦って「教師が生徒を殴らない」という当たり前の権利を勝ち取っていれば彼がこのような目に合う事はなかったのかもしれない。
そういう意味では我々抗議の声を上げなかった人間も彼の目からすれば保善の教師と変わらないのかもしれない。
だが我々には声を上げる知恵も勇気もなく、結局、放置し、自分と同じ、もしくはもっと酷い状況を10数年後に後輩に味あわせた。
そして偏差値は51~58と我々がいた当時と何ら変わらない状況。
「進学校にするため」という大義名分で我々に奮われた暴力は結局何の意味もなかったのだと脱力するしかない。
保善高校の理事だの教師だの糞虫ども、正直お前ら全員死ねばいいと思うよ。
お前らは教育者でもなければ、経営者としても糞だ。お前らには何一つ敬意を持てるものがないし、何一つ美しいと言えるものがない。
「質実剛健」とか本当に笑えるわ。
とりあえずこの記事呼んで保善高校への受験を辞める人が増え、一人でも保善高校の犠牲者が増えない事を元生徒として祈っている。
「日本の『お笑い芸人』は、国際水準のコメディアンとはかけ離れているし、
本当に『終わっている』
茂木健一郎氏は、日本の芸人を批判する前に、自分が「国際的な脳科学者」になるべきだと思う。
2015年 9月26日『土曜ワイドラジオTOKYO 永六輔その新世界』 最終回
2015年10月 3日『土曜ワイドラジオTOKYO ナイツのちゃきちゃき大放送』放送開始
2015年12月 9日 野坂昭如逝去 * 『六輔七転八倒九十分』「野坂昭如さんからの手紙」
2016年 3月 4日 小林悠、TBS依願退職 * 『小林悠 たまむすび』
2016年 4月 6日 秋山ちえ子逝去 * 『秋山ちえ子の談話室』
2016年 4月 8日『大沢悠里のゆうゆうワイド』最終回
2016年 4月 9日『大沢悠里のゆうゆうワイド土曜日版』放送開始
2016年 4月11日『伊集院光とらじおと』『有馬隼人とらじおと山瀬まみと』『ジェーン・スー 生活は踊る』放送開始
2016年4月頃 爆笑問題、高橋秀樹、高橋維新と論争 * 『火曜JUNK 爆笑問題カーボーイ』
2016年 6月 2日 荻上チキ、ギャラクシー賞DJパーソナリティ賞受賞 *『荻上チキ・Session-22』パーソナリティ
2016年 6月 8日 田中康夫、参院選出馬表明 *『ナイツのちゃきちゃき大放送』準レギュラー
2016年 6月14日 『火曜JUNK 爆笑問題カーボーイ』放送1000回
2016年 6月30日 ポッドキャスト配信終了、「TBSラジオクラウド」に移行
2016年 7月 4日『いち・にの三太郎 赤坂月曜宵の口』放送開始
http://bylines.news.yahoo.co.jp/tvnosukima/20160412-00056451/
あえてつまらないボケをしているということを前提に、グダグダとコピペしている。
つまらないボケでも、ある種の古典の域に達していれば、それだけで面白いということはあると思う。
でも、爆笑問題・太田の言動ってその域に達することはなく、今はただ不快感なり嫌悪感を与えているよね。
つまらないボケをあえてしているんだ!とか擁護しなくてはいけない惨めさ。
なんで大物扱いされてるの?
べつに批判したいわけじゃなくて、単純に謎。特に時事ネタなんて、サラリーマンの飲み会で言っても痛々しいレベルだと思う。
人によって好みもあるだろうけど、太田光を面白いと言っている人を見たこともない。
ちなみにおれは、好みでいうと、35歳ぐらいまでの松本人志が好きでした。それ以後まっちゃんは全く面白くなくなったけど、それまでの人気から地位を維持しているのは理解できる。
以下、追記。(2016/1/25 18:30時点)
ここで「いや面白いよ」と言っても個人の感覚の違いと言って終わりになるのでいいとして、売れた今でも若手に混じって新ネタの漫才やってちゃんと会場の笑いとってるのは本当に凄いと思う。
俺も面白くない派。一方で彼は努力家だとは思っている。元日のネタ番組で大晦日の紅白をいじる漫才が披露できるスキルは尋常ではない。
⇒たしかにね。
「太田光を面白いと言っている人を見たこともない」 ここに面白いと言ってる人が現れたとして(もう何人も現れてるけど)この人の考えは変わるんだろうか
⇒変わるかも。「面白いと言っている人を見たこともない」が「ほとんど見たことない」や「見たことはある」に変わるだけだけど。
面白いと思う。でも、それ以上にしつこい時とウザい時が多すぎるとも思う。三振かホームランみたいな印象だから、ついつい期待しちゃう。(そして外れる)
⇒確かに、しつこい時とウザい時が多すぎるね。おれがダウンタウン好きだったのは、そういうマイナスがほとんどなくて、安定してたっていう点もあるかも。松本の「一人ごっつ」に、しつこくてウザい時間帯はほぼなかったと思うし。(こういう発言は、昔の2ちゃんとかだと、ナイナイファンや爆笑問題ファンから「信者」として叩かれたもんですw)
別に爆笑問題を特別好きでも何でもないけど、自分が認めてないものが世間から評価されてる時にこんな風な思考になることにそろそろ名前がついて良いと思う。大物扱いとお前の好みは1ミリも関係ない。
⇒自分に理解できないものが流行ってたら「なんで?」って思うのは当たり前のことなので、べつに名前つけなくても良い気が。
既視感ある。太田ってテンプレ的にこういう意見沸くよね。面白いか?と必ずいうけど、実際はそこよりも政治的・文化的発言に相容れなくて反感持ってるんだろうなと感じる。
⇒俺は反感はべつにもってないけど、もってる人たしかにいるよね。
そう思った時期もあったけど、ラジオを聴いてガラッと印象が変わった。投稿を読み上げる太田光は、役者そのもの。自分に限って言えば、腹を抱えて笑うこともある。
太田さんというか爆笑問題が大好き。太田さんが時事や文学について語るのには「意見が違うなぁ」と思うけど、齢50を越えた二人が中学生みたいな喧嘩をするのがおかしくてたまらない。ラジオ聞けラジオ。
ラジオ聞けばわかるけど、あの人は他の誰かの筋書きを論評なり演出なりするのがうまいんであって、あの人自身がどう、ってのはあまりないんだよな/なんでみんなもっとウーチャカの狂気に気づくべき
⇒ラジオきけっていうコメントがたくさんあった。なるほどねー。ただ、昔ネットで、「伊集院光のラジオを聞くと彼が天才であると分かる」みたいな説を振りまいている集団がいて、聞いてみたら、そんなに面白くなかったという経験はある。
コネはあるよ
面白いとか面白くないとかではなく、アンタッチャブルなものに触ってくれるんじゃないかという期待感だけでそこに居る。
(まあコネというか、談志に非公式にではあっても後継指名されているのが無下には扱われない理由の1つではあると思う。あと奥さんの能力と)
マジレスするとビートたけしとパイプがあるからでしょ?同様にビビる大木も「抱き合わせ販売」状態ってどこかで見たぞ。カラクリはあるだろうにanonymousを叩くコメの意図がわからん。マウント取りたくて仕方ないのか?
⇒そうそう、信じるかどうかは別にして、こういうのが気になったの。べつに、太田がテレビに出てるのが嫌とかいうのは全くなくて、単純に、お笑いとしてのクオリティが低い(と俺には感じられる)のにそれなりの地位に付いている理由が知りたいなぁと思っただけ。
僕も爆笑問題は好きではないけど、こういうのはなんというかダサいな単に。/ 「太田光を面白いと言っている人を見たこともない」と「爆笑問題ファンから「信者」として叩かれたもんですw」が矛盾
⇒たしかに、「見たこともない」は言いすぎたな。しかしよく考えたら、昔「ダウンダウン信者」とネット上で抗争を繰り広げていたのは「めちゃイケ派」や「笑う犬派」だった記憶が蘇ってきたので、「爆笑問題ファン」をわざわざここに挙げるほどみてない気は依然としてする。
太田の面白さも理解しかねるが、「それ以後まっちゃんは全く面白くなくなったけど、それまでの人気から地位を維持しているのは理解できる。」こっちの方が理解できない。
⇒賛成できるという意味での理解ではなく「世の中そんなこともあるだろ」っていう意味での理解です。
あの人は不思議な感じで、面白いと思った事がないんだけど「俺が見てないとこで面白い事言ってるんじゃないか」という謎の期待感というかハッタリがきいている。/テレビ・ラジオっ子には分かるまいw
⇒なんか分かる気がする。
⇒そういう上手いボケを連発してくれる期待感がないんだよなぁ。
なんか思ったよりブクマがついて微妙にホッテントリに上がってて、太田さんに申し訳なくおもっておりますが、意外に「いや、面白いから」みたいなコメントがたくさんあったので逆によかったということにしときましょう。