はてなキーワード: 四部とは
第一部 低学年編 地元の企業までを巻き込み社会進出 上級生からの嫌がらせを回避し手下にする 謎のジジイにメンタルを叩き込まれる
第二部 高学年編 メディアへの露出増える お手伝いをしているだけで右肩上がりなんですよねが流行語に 世界的な金融危機をしのぎ切らせる
第三部 エスカレーターで中学編 独自通貨を全国展開する 著書出版 ある企業の不正を見抜いたため命を狙われるがコネクション充分で周りの大人に助けられる その企業を見事立て直し
第四部 独立編 15にして実績充分のため日本が誇るグローバル企業の取締役に 謎のジジイは会長だった
どうせあるんだろ?
https://anond.hatelabo.jp/20210317235416
ネトフェミは女性以外の何かが優遇されてたら無条件でキレるBOTくらいに思ってた方がいいよ
それが女性以上の弱者であるLGBTであろうが障害者であろうがね。
フェミを自称している人でLGBTや障碍者に対しても敵対的な発言を平気でする人いるでしょ。
あれ単純に「女性は誰よりも姫様扱いでヨイショされるべき」っていう古い考えの人が
フェミニズムを勘違いしてわめいてるだけだから相手にしたら負けだよ。
ジョジョの奇妙な冒険の第四部にアンジェロっていう奴いたでしょ。第三部のアレッシーでもいいけど。
「人をたくさん知れば知るほど、代わりを見つけるのがやさしくなって、それがロンドンのような所に住んでいることの不幸なんじゃないかと思う。わたしはしまいには、どこかの場所がわたしにとって一番大事になって死ぬんじゃないかという気がする」
二つの家族の間を行き来しながら、人間の記憶や、場所への執着を捉えた文章。それはまるで、漱石のいいところだけ抜き出したような文章だった。
ところで、同じ著者の「インドへの道」もいい。これは大英帝国支配下のインドで、未婚女性が現地の男性に暴行されたという疑惑を巡る話だ。女性を守ろうとする騎士道精神と排外主義が結びつき、支配者と被支配者の亀裂が広がる様を描く、不幸にして極めて現代的な作品である。冤罪をかけられたインド人が、「誰があんな不美人な年増を」と心の中で毒づくの、とても嫌なリアリティがある。たぶん、帯を工夫したら売れるし、どっちの「弱者」がより保護されるべきか的な話題で定期的に盛り上がる増田の住民にも刺さるんじゃないかな。
切れた靴紐を昼休みに買うだけの、注釈だらけの何だかよく分からない小説。細やかな観察眼と都市生活者が思わず共感してしまう日々の経験で、要するにあるあるネタで延々と読ませる。すごい。こういうのが現代文学なのね、みたいに一席ぶつのにも使えるかもしれない。
真面目な話をすると、文学にはいろいろな機能があって、それは作者の意図とはかけ離れているかもしれないのだけれども、その結果的な機能の一つとして、その時代で言語化されていないものを文字化するというのがある。だから、文学賞を受賞した作品だからと言って、実は今の自分が読んでも面白いかどうかは全くの別問題なのだ。文章が巧みで、いかにも知的な主人公の知的な悩みを描いた文学だけが主流な時代は終わっているのかもしれない。そういうのが好きな人は古典で充分であるし、逆に言えばいろんな立場の人のきれいごとではないこじれた気持ちが知りたければ現代文学は面白い。
理由は書かないが、自分は周囲の期待を一身に背負っていたエリートが挫折する話が好きだ。前途有望な若者が、将来を棒に振ったり挫折したりする筋書きに対するこの偏愛ゆえに、自分は「ゲド戦記」第一部の前半部分や「スターウォーズ」のエピソード3に対する執着がある。
生きていくとは何らかの失望を味わうことであり、時間をかけてそれらを味わいつつ咀嚼していく過程であるのだけれど、こうした自分のどうにもならない感情を言語化した先行作品があることで、自分は孤独ではないとわずかな慰めが得られる。
「鏡の中の鏡」「魔術」「薔薇の名前」などの元ネタとなる作品を書いた人。「バベルの図書館」は聞いたことがある人もいるかもしれない。
非常に濃密な短編を書く人で、このネタで長篇普通に書けちゃうだろ、みたいなネタをそのまま短篇で調理する。どの作品も非常に濃密で、読み解くのにエネルギーがいる。文体は簡潔で、物語も必要最小限の描写できびきびと進む。ただ、具体的に何が起きているのか、そしてなぜそうなったのか、その設定の意味は何か、を追うには読者に教養が要求される。読破すると、それ以上のものが得られる。読み終わったらカルヴィーノだとかスタニスワフ・レムの「虚数」だとかミロラド・パヴィチ「ハザール事典」だとかそういう沼にようこそ。
キリスト教文学の癖にルシファーがめちゃくちゃかっこいい。地獄に落ちても神への反逆を続けよとアジる場面は音読したくなる。そのくせ、彼の弱く情けない姿もまた魅力的だ。アダムとエヴァが楽園で楽しげにしているところを見て、自分には愛する伴侶もなく、人類に与えられている神からの恩寵も既に失われたことを嘆く場面もまた、声に出して読みたい。そして、彼は人類への憎悪と嫉妬のゆえに、アダムとエヴァを堕落させる。この叙事詩の主役はルシファーだ!
好きなヒロインは六条御息所。自分の意に反して生霊を飛ばし、他人を苦しめてしまうことに悩むのがかわいそうでならない。今でいうなら、好きという感情をコントロールできなくて、それでも好きな人が振り向いてくれなくて苦しんでいるタイプで、感情のエネルギーが強い自分としては大いに共感する。
他に好きなキャラクターというか、嫌なリアリティがあっていいと思うのは薫で、その優柔不断さがいい。「この子とつきあいたいけど、でもこの子にそっくりな別の子とはいい雰囲気だしなあ」みたいな優柔不断というか欲深さは、男性心理をよく観察していないと書けない。そういう意味で、自分の中では紫式部の評価がすごく高い。
情けない夫が不機嫌な妻に、お前それだけはやっちゃダメだろ的な行為を延々続け、妻から完全に軽蔑され、とうとう上司に妻を寝取られてしまうだけの話で、一人称の視点から延々と繰り返される言い訳はひたすらに情けない。ねえ、僕のこと愛してる? 嫌いになっちゃった? と尋ねまくって、わかっているくせにとぼけないで! 今忙しいから後にして! うるさいからほっといて! もう愛してないったら! あなたを軽蔑するわ! と怒らせるのは、完璧な反面教師であり、ギャグすれすれだ。
しかし、作者は妻のことを相当恨んでたんだなあ。
身体に劣等感を持つ主人公が、付き合うだけで不幸をもたらす浮気性の彼女を振り切って、幸せにしてくれる女性を見つける話。多くの人が何かしらのコンプレックスを持っているし、何であんな自分に敬意を払ってくれない人を好きになったんだろうって記憶を持っていることだろう。王道過ぎるといえばそうかもしれないが、結婚してハッピーになる王道の何が悪い!
ローマ皇帝が自分の治世を振り返る体裁でありながら、欺瞞と自己満足をさほど感じないのは文体のせいなのか。時代も性別も文化も言語も超えて、別の個人に憑依しながらも、己を見失うことなく語る著者の声は、他人の視点に立って(歴史)小説を書くとはどういうことなのかを、これからも厳しく問い続けることだろう。
中年や老人にならないと書けない小説がある。そして何年もかけて書かれる小説があり、構想から数十年が過ぎて着手される作品もある。そうした重みを持つ文学作品がどれほどあることか。
技巧も素晴らしく、文体も素晴らしい。こうした作品に出合えるのは、年に一度か二度だ。
説教臭い頑固おやじのブログ。基本的には仏教説話が多いが、それらに交じって挿入される、「〇〇という迷信には典拠がない」だの「〇〇という習慣は最近のもので、本来のありようや精神とはかけ離れている」だの「〇〇という言葉は語源を考えれば正しくは〇〇と言うべきだ」だのが、まさにその辺のおじさんがいかにも言いそうなことで面白い。
ただ、それだけじゃなくて、第三十九段の「或人、法然上人に、……」のエピソードは、「とりあえずできるところから頑張ればいいじゃん?」的な内容で励まされるし、十八段の「人は己れをつづまやかにし、……」は身軽に生きていくことの幸せさを教えてくれる。
最高だった。ラヒリ大好き。体調崩すレベルで刺さった。アイデンティティの混乱という古典的テーマもさることながら、ラストシーンで過去と不在の人物の記憶が、そして小説の全体が何気ないものによって濃密によみがえってくる様子がすばらしい。そのイメージはプルースト以上に強度があるかもわからない。
これは、インテリのインド系(ベンガル人)移民の第一、第二世代の話なんだけれど、読んでいるうちに海外赴任者の寄る辺なさを思い、つまりイギリスで暮らしていた自分の両親の境遇を勝手に連想させられ、ついつい感傷的になってしまった。随分と勝手な読み方だが、小説の読み方はいつも私的なものだから構わないだろう。
外国では気候も習慣も何もかもが違う。両親の教えることと学校でやることが矛盾していて、両親が里帰りしても子供たちは故郷のノリについていけない、ってのが、すごくパーソナルなツボをついてくる。こういう経験がなくても、地方と都会として読み替えると、増田でいつも議論されている話にも近づくんじゃないかな。
正直なんでこの時代にラブクラフトを読むのか、というのはある。人種差別主義者だし、排外主義者だし、クトゥルフ物はパターンが決まっているコントみたいだし(人類に理解できない名状しがたいものに触れて発狂するのが基本的なオチ)。でも、彼の持っていた宇宙の巨大さと人類の取るに足らなさという感覚は、まさにセンス・オブ・ワンダーだ。そして、「人間の感情の中で最も古くて強いのが恐怖であり、その中で最も強いのが未知のものへの恐怖である」という言葉の通り、究極的には理解できない「他者」という存在の恐怖にまっすぐに向き合おうとしたことを何よりも評価したい。
この作品が好きな理由もまた、不気味なクリーチャーが非常に知的であり、かつ知識欲が旺盛だということによっている。
一巻から三巻までは、ゲドという人物の自我の確立に始まり、他者を助けることや世界を救う英雄的行為が扱われる。しかし、実はゲド戦記は第四部からが本番なのだ。あらゆる魔法の力を失い無力な存在となった彼が、魔法のある世界でいかに生きていくか。これは、老いに直面する男性の物語だ。
そして第五巻! ゲドの生涯で一番の功績が、実は重大な誤り、人類の傲慢に過ぎなかったのではないか、という仕事に生きてきた男性には非常に厳しい可能性が示される。
しかし、ル・グインはゲドにとてもいい歳の取らせ方をしている。果てしなく努力をすれば、男性が女性を、女性が男性を理解できるのだと作者はどこかで述べていたが、その希望を見せてくれるし、そこに女性作家を読む喜びの一つがある。
いわゆる毒親について書かれた小説なんだけど、ねちねちしていなくていい。文体は軽く、描写も簡潔。だからこそ、彼の育った環境の異常さが際立ってくる。なんでこんな親子関係になっちゃったのかについて掘り下げられることもほとんどない。
そして、暗鬱なだけの作品にならないのは、にんじん少年の異常なたくましさだ。ひどい目に合っても受け流し、冷淡な母から何とか愛されようともがいている。読んだときの年齢によって、感想は大きく変わるだろう。
今、テレビアニメ放送中の魔術士オーフェンはぐれ旅の原作小説について、雑に語ろうと思う。ネタバレ満載原作4部まで話すので、ネタバレ苦手な人は回れ右。
魔術士オーフェンというシリーズは90年代ファンタジーラノベの金字塔と言われている。私は98年くらいからオーフェンを読んでいるが、確かにあの頃にとても売れていた。いわゆる夢と冒険のファンタジー的な売り文句だったと思うが、今思うとほぼ全ての読者がこの物語の本質を誤解していたから売れていたのだと思う。
私もオーフェンを夢と冒険のファンタジーだと思っていた。が、当時巷に溢れていた物語とは何かが違うとも思っていた。その時にはただの予感でしかなかったが、あれから20年以上経った今になって、それはようやく確信となった。魔術士オーフェンという物語は夢と冒険のファンタジーではない。人間の倫理についての思考実験だったのだ。
まず、第一部である西部編。これは罪と償いについての物語である。一巻でチャイルドマンを殺したアザリーが、その罪を償うために何が出来るのかを模索したのが第一部だ。
先に言っておくと、作者の秋田禎信氏は殺人という罪を否定しているが、それを人間の絶対的な汚点とは見做していないと考えられる。なぜそう思うのかというと、第一部では主人公も含めて殺人者が登場するが、彼らに物語の神の立場で罰を与えてはいないからである。しかし、安易な赦しも与えていない。彼らが殺人者であるという事実に直面させ、その上で彼らの生き方を描いている。これについては同作者のエンジェル・ハウリングにも同様の特徴がある。
そして第一部では、アザリーのチャイルドマンへの償いを通じて、この世界の秘密が語られる。この秘密の明かし方は非常にドラマティックに演出され、私は陶酔すらした。
この演出の妙があまりにも素晴らしかったので、私も含めて多くの読者はこの物語を夢と冒険のファンタジーだと誤解したのだと思う。精緻に設定された世界を楽しむ物語なのだと。
しかし違った。作者は世界を描くということに、もっと自覚的であった。その自覚が存分に描かれるのが第二部、東部編である。
東部編は西部編で明かされた世界の秘密、滅びに晒されている世界を6種のドラゴン種族の長たちだけで守っているという事実に対して、そのために現れる世界の歪みと、その世界の在り方をどう捉えるのかということを克明に描いていく。これもまた、倫理的な話である。
最終的に、オーフェンにはその歪みを好きなように書き換える機会が与えられた。歪みを正す機会ではない。好きなように書き換える機会である。
この時の彼は神にも等しい魔王の力を持っており、ドラゴン種族の守りをより完璧にすることも、自身がドラゴン種族の代わりに世界の守護者になることも、好きに選べた。
しかし、オーフェンはごく僅かな人々が世界を守るという在り方を否定した。世界が滅ぶことによって死ぬかもしれないというリスクは全ての人で平等に背負うべきだという道を選んだ。そして、ドラゴン種族の守りを消し去ったのである。
例えば、これをかつての王制になぞらえることも出来ると思う。王制と言えば王権による暴力ばかりが注目されがちだが、政治という大きなものをひと握りの人間に押し付ける装置でもあった。これをドラゴン種族の長達による世界の守りと同等の問題だと見做すことは出来るだろう。
そうした世界の在り方を認めてよいのか?という問題に否という答えを出したのが第二部であった。
第四部では、力と人間の極限を描く。力の強大化が行き着く先はどこか。人間が強大化する力を持ったとき、いつまで人間と呼べる存在でいられるのか。そうした問題を扱う。
オーフェンが第二部のクライマックスで手に入れた魔王の力はそれから20年経ってもまだ彼の中に残っていた。しかし、オーフェンはその力を振るえば自分は人間ではいられなくなると考え、その力を自らの自制心だけで抑え続けてきた。オーフェンがドラゴン種族の守りを消し去ったことが原因で遭遇することになった神人災害でどれだけの人が死のうとも、それらを全て蘇らせることが出来るのに、だ。
この、とても人間とは思えない自制心故に人間でいられるという二律背反を背負ったオーフェンと、それを生み出した作者の秋田禎信氏に深く敬服の念を抱く。
https://anond.hatelabo.jp/20210215101500
・しょうもない犯人、しょうもない気付き、しょうもないミステリの元祖。
ウィルキー・コリンズ「月長石」
・長さのわりにミステリを期待して読むと徒労に終わる。ドラマ観れば十分。
・ミステリか? 別にいいんだけど。主人公の臭い自意識に長時間堪えられるのなら。手塚治虫の漫画版で十分。
コンラッド「闇の奥」
・「闇の奥」そのものより、「闇の奥」をもとにした無数のコンテンツのほうがおもしろい。『地獄の黙示録』とか。
F.W.クロフツ「樽」
・『樽』はタルい。これミステリ界の常識アルよ。クロフツはもっと薄くておもしろいのがいっぱいある。
・ヴァン・ダインとか今更読むやつおる??
・これもルールタビ―ユくんのキャラ小説なんだよな。意外にミステリしてる点は評価できなくもない。
・別のトラバの人も言ってたけど、悲劇四部作は通しで読めよ。おまえはスター・ウォーズをEP5から観るのか?
・オカルト〜〜〜〜〜〜wwwwww すいません、ふつうに好きです。
・クリスティならなんぼでもこれよりおもしろいのがある。まあ、ある種のパターンを確立したという意味で必読ではある。
イーデン・フィルポッツ「赤毛のレドメイン家」
・いいかげん昔の人が評価してたからって理由だけでレドメイン家をこういうリストに入れるのやめない?
・アイルズ入れるのは当然として、バークリーも入れないのは理解に苦しむ。
ウィリアム・アイリッシュ「幻の女」
・惰性でオールタイム・ベスト入ってる系の古典としては意外なほどエキサイティング。アイリッシュはもっと評価されてもいい。
・ハッタリのきかせ方は歴史に残るけど、わりに印象に残りにくいんだよな。
・これも型を確立したという点で必読ではある。
・出たよホッグ。20年くらい前ならおもしろかったのかもしれんけどさ。
・知名度の割に、ブクオフに行ったらかならず置いてあるだけの理由はあるものだ。
・出来不出来が激しい作家の一人。奇妙な味勉強したいんなら異色作家短編集読めば。
・そういえば映画版が最近リメイクされてましたね。つまんなかったなあ。ヒッチコック版と原作はいいです。
レイモンド・チャンドラー「長いお別れ」
・御三家のなかで一番キツい。春樹訳はさらにキツい。ロバート・アルトマンくらいの諧謔が加わって初めて鑑賞に堪えうる。
・ハードボイルドの先鋭性をもっともよく表した作家ではある。本篇より諏訪部浩一の『「マルタの鷹」講義』のほうがおもしろい。
・ロスマクの一冊を選ぶとなると戦争が起きる。法月綸太郎みたいなものさ。ここでもな。
・めちゃめちゃエキサイティングなんだけど、分厚いし今手に入りにくいし……。
・ル・カレのなかでは読みやすい部類だし、正解だと思う。
・ボアナルほんとに読んだことある?俺はない。映画は傑作だった。
・ルポルタージュミステリとしては先駆的だったのかもしれないが、今読むと長いしタルいし冗長。カポーティの美点がほとんど失われてしまっている。
・ポップでしょ。
・たかだかミステリ読みごときにエーコの真価が理解できるとはおもわない。
ローレンス・ブロック「八百万の死にざま」
・一発ネタで長編まるまるひとつ持たせた奇跡のような書物。とはいえレンデルはもっと濃ゆいのがある。
ジェイムズ・クラムリー「酔いどれの誇り」
・ネオハードボイルド作家たちは再評価されるべきだと思うが、中途半端に古くなってしまった感もあり、難しい。
・反面エルロイは古びない。ただLA四部作は何も知らない人が「ブラック・ダリア」だけ読んでもわからん気がする。
ジャック・ヒギンズ「鷲は舞い降りた」
・冒険小説も進化してるので、いつまでもヒギンズを引きずるのは不幸というか、グリーニーとか読ませたほうがいいのでは。俺は嫌いだが。
・マクリーンなんかよりイアン・フレミングのほうがよほどリストに入れる意味あるよ。
・作者がキモい。
・このリストのなかでは比較的新しい作品で、オールタイム・ベスト的なリストでみかけるのは珍しい。個人的な思い入れがあるのか? たしかに発売当時からそこそこ評判高かったけれど、薄い記憶を掘る限りそこまで評価する理由が見当たらない。気になる。
・ライスはたまに読むと心温まってよいが、それはスレた読者の愉しみなのであって、入門者が読んでも伝わりにくい。
・たしかに仕掛けはミステリなしおもしろい小説なのだが、別にこのリストに入れる必要はない。なんでミステリの人は文学にコンプレックスを抱くのだろう。
・うーん。
リチャード・二ーリィ「心ひき裂かれて」
・オールタイムベストでも陰が薄い存在なので、入っていると嬉しい。まあでも数合わせだよね。
ケン・フォレット「針の眼」
・フォレットもそろそろ再評価されるべきだと思うのだが、ダン・ブラウンみたいなものと思われているのだろうか。
・北欧系の元祖ではあるのだろうが、だったらよりエポックなミレニアム入れたほうが誠実な気がする。
・はあ。
江戸川乱歩「孤島の鬼」
・え?
・変格って今読むとふつうにつまんないの多いよね。
・そりゃ読んでも損はないとは思うが。
・当時としてはアベレージはある作家だろうが、そこで鉄鎖を選ぶ理由がよくわからない。
・うーん……いいんじゃないんですか。
・どう読むかによる。単純な出来でいったら虫太郎にはもっといいのがいくらでもある。すまん、いくらでも、はない。
・横正の作品をチョイス理由を添えずにポンと出されても困るんだよな。高校生も困ると思うよ。こんなんだけ読まされても。しょうがない。
・本格ベタな安吾のなかでもなんでよりによって一二を争うほど不出来な作品を選ぶのか。嫌いなのか?
・高木彬光でこれがあがってしまうのは、消去法の結果なのだと思う。
・通っぽいセクレトだが、そこは素直に「天狗」にしとけ。コケまくったサンドマンが唯一正位置になってしまった作品なのだから。
・映画の印象は強いが、清張であえてピックアップするほどかといえばどうか。
・変化球狙いすぎて外しとる。
・流れ的にはわからないでもない。
仁木悦子「猫は知っていた」
・と思ったらいきなり脳死みたいな。
・今あえて読むほどのものではない。
・同上。長いだけ。
笹沢左保「暗い傾斜」
・飛鳥高の長編ってそんな良いイメージないのだが。賞とったってだけで入れてない?
・今選ぶとなると難しい作家だが、針の誘いとかでいいのでは。
陳舜臣「玉嶺よふたたび」
・パッションだけで突っ走った奇跡であることは間違いないが、三大奇書にならべて語るほどかといわれれば疑問符がつく。竹本健治は”今”が面白い現役の作家だ。
・不可欠だとは思うが、真剣に読んでる人は少数派だろう。
・そうね。
・またひねくれたもん入れてくるな。
・ごめん、森村あんま興味ない。
西村寿行「滅びの笛」
・戸川昌子の話をすることはあるかもしれないな。
・マスト。
・鉄板。
・入れても良いとは思うが、そういえば結城昌治がおらんな。
・エッ? そこ?
栗本薫「絃の聖域」
・読んでない。そろそろ疲れてきた。
連城三紀彦「宵待草夜情」
船戸与一「猛き方舟」
・このへんはね。
・入るよね。
・急に九十年代っぽくなったけど、2000年代にもインスタントクラシックな作品はたくさんあると思うよ。
皆川博子「死の泉」
・皆川博子がミステリ的に評価できるかといえば微妙なんだけど、ミステリ界以外で評価される土壌がさほどないようなので、不運な作家だと思う。偉大な人です。
先日も述べたように自分はポーの作品が好きではあるのだけれども、ミステリの黎明期は今でいうところの禁じ手を平気で使っているものが多く、純粋にストーリーを楽しもうとするとずっこけることがある。とはいえ、論理と推論をたどることによって面白い話を作りだすのを始めたのは彼なので、ミステリが好きなら読んでおきたい。確かに意外な真犯人ではある。
同じく、今でいえばお粗末な話も時折あるのだけれども、ホームズとワトソンの関係が好き。中でも「三人ガリデブ」でワトソンのピンチに思わず熱くなったホームズは必見。なんでこのシーンが好きなのかというと、聡明すぎてどうしても人を観察対象としてしまうホームズが、知的ではあるが彼ほどではないワトソンを心から思いやっているからだ。知的に対等ではない人間を愛することができるかどうかは、鋭敏な知性の持ち主にとっては人生最大の試練だ。女性人気が高いのもうなずける。
ルパンシリーズのこの巻だけ親が買ってくれたし、何度も読み返していたのだが、なぜか続きを読もうとは思えずに現在に至っている。ミステリというよりは冒険小説に近い気もするが知恵比べ的な面もあり、そこが面白かったのかもしれない。しかしそうすると、これをミステリ100選に入れるかどうかは迷う。ライトノベルの定義がライトノベルレーベルから出ているかどうかだとすれば、東京創元社か早川書房から出てはいるからミステリとしてOKかもしれないが。
自分は新世界の神になれると信じて殺人を犯したのに日和ってしまい、純粋なソープ嬢に救われる話。これも謎を解くというよりも心理戦を描いている。心理戦というかやっぱりドストエフスキー名物の神経質な人間の独白だ。基本、ドストエフスキーの登場人物にはまともなやつなどおらず、この作品も例外ではない。主人公の妹をつけ狙うロリコン野郎だとか、娘がソープで稼いだ金で酔いつぶれ、その罪悪感からまた飲むというどうしようもない親父だとか、神になり切れなくてプルプル震えている主人公だとか、そういうキャラが最高なのだ。これではまったらドストエフスキー五大長編を制覇しよう。ミステリじゃないのがほとんどだが、心配はいらない。ドストエフスキーの過剰な語りにはまった人間の前ではそのようなことは些事だ。
ちなみに高野史緒「カラマーゾフの妹」は二次創作小説として最高なのでみんな読もう。
こういう非人道的な植民地を持っていた王様の銅像だったら国民から倒されても文句は言えんよな、的なベルギー領コンゴをモデルの一つとしているのだけれども、これってミステリかね? ひたすら謎の人物を追いかけて、地理的にも深いところへ分け入っていき、目的の人物と出会うが彼はあっさり死んでしまうというあらすじは、神話的な単純さと力強さがあるが。クルツは何を恐ろしがっていたのかで語り明かしたい本である。
自分は育ってきた境遇上英米のわらべ歌(マザーグース、ナーサリーライム)は身近に感じるのだが、そうではない読者がどこまでこの趣向を楽しむことができるかどうかはわからない。
この作品で特筆すべきことは、探偵が犯人と対決するときの命を懸けた大博打だが、今の倫理的な読者はこの方法で犯人を裁くことが適切と考えるかどうかはわからない。ミステリにおける倫理(後期クイーン問題とかそういうの?)を語るなら読んでおきたい。
確かに単体で一番面白いのはこの作品だけれども、せっかくだからドルリー・レーン四部作は一気読みしたい。ただ、衝撃の真犯人といわれても、すっかりすれてしまった現代の読者からすればそこまでショックを受けないかも。そういう意味では登場人物の反応も大げさに見えてしまう。
個人的には「Zの悲劇」以来(テコ入れのために?)登場したペイシェンスという活動的なヒロインが女性史の観点から興味深い。当時としてはすごく斬新なヒロインだったんじゃなかろうか。恋人と一緒にパンツを買いに行くし。
クリスティはどれを選ぶか迷う。ただ、わらべ歌物の中ではなじみが少なくても楽しみやすいんじゃなかろうか。一人ずつ減っていくという趣向は非常にわかりやすい。謎を解く手記が多少不自然といえなくもないが気軽に読める。
ちなみに舞台版ではハッピーエンドに改作されているのもあるとのこと。
「チャーリーとチョコレート工場」など児童文学の作者としても知られる。児童文学ではスパイス代わりだった毒がメインディッシュになっている。
ところで、読者諸氏は年末に「岸部露伴は動かない」をご覧になっただろうか。ドラマ化されていないが、シリーズの中に命を懸けて賭けをする場面がある。あるいは、「ジョジョの奇妙な冒険」第五部でライターを消してはならないという賭けが出てくる。その元ネタとなったと思しき「南から来た男」が収録されているので、ジョジョファンは一読をお勧めする。オマージュや翻案とはこういうのを言うのか、って気持ちになる。なお、ダールは「奇妙な味」の作家としても知られている。
筆者はフィリップ・マーロウの良さがわからない。必要のない危険にわざわざ飛び込んでいき、暴力的な人間を挑発する。ただし、この作品が日本の文化に与えた影響は大きい。
ハードボイルド小説以外から例を挙げよう。一つは村上春樹のいわゆる鼠四部作だ。「羊をめぐる冒険」での鼠の足跡を訪ねてのクエストはチャンドラーの強い影響を受けている。あるいは「ダンス・ダンス・ダンス」の警官による拷問や親友の犯罪が明らかになるシーンの元ネタも見つけることができる。一度村上春樹の登場人物の系譜はどこかでまとめておきたいと思っている(村上春樹のヒロインをまとめていた増田と自分は別人)。
もう一つは「スペースコブラ」の「坊主… 口のききかたにゃ気をつけな… オレは気が短けえんだ!」「腹を立てるとなにをするんだ? うさぎとワルツでも踊るのか」の元ネタがあること。「……俺は頭が切れやすくってね」「頭が変になったら何をするんだい? 地リスとタンゴを踊るのか?」。どこがかっこいいのかは残念ながら筆者にはわからなかった。
エーコについては書きたいことがたくさんある。キリスト教と笑いについて問いを投げかけたこと、中世を舞台にしているようで当時のイタリアについての無数の言及があること、それから次の名言。「純粋というものはいつでもわたしに恐怖を覚えさせる」「純粋さのなかでも何が、とりわけ、あなたに恐怖を抱かせるのですか?」「性急な点だ」
しかし、この作品で一番深刻なのは、キリスト教文学であるにもかかわらず、主人公の見習い修道士以外の誰もが、誰のことも愛していないことだ。キリスト教とは愛の教えであるはずだ。弱いものに施したことは、神に捧げたことになるはずで、福音書にもそう書いてある。しかし、修道士たちは貧民を見捨てて権力争いに明け暮れ、異端審問官たちは民衆を拷問し、主人公を導くはずの師匠も人間を愛していない。彼が愛しているのは知識だけだ。
主人公は、言葉の通じない村娘とふとしたきっかけでたった一回の性交を行い、彼女に深く恋し、それでも魔女として告発された彼女を救えない。彼が村娘の美しさを描写する言葉がすべて、聖書からのつぎはぎなのが痛々しい。
勿論、知的な遊び心にもあふれている。主人公の不可解な夢の持つ意味を解き明かした師匠は「もしも人間が夢から知識を得る時代が来たら世も末だ」という趣旨の台詞を漏らすが、これはフロイトへの当てこすりである。同じく、深刻な場面で、とあるドイツの神秘主義者が「梯子をのぼったらその梯子は不要なので捨ててしまわなければならない」と述べたことが言及されるが、ウィトゲンシュタインに言及したジョークである。中世にこんなセリフが出てくるはずがない。
難解かもしれないが何度でも楽しめる。なんだったらあらすじを知るために映画を先に見てもいい。ちなみに、この映画のセックスシーン、村娘が修道士を押し倒すのだけれども、多感な時期にこんなものを見たせいで女性が男性を襲うアダルトビデオが好きになってしまった。そういう意味でも自分にとっては影響が深い作品。
人間嫌いだった筆者が最高に楽しんだ本。文明が野蛮に回帰していくというモチーフが好きなのだ。何を持って野蛮とするかは諸説あるが。大体、中高生の頃は自分を差し置いて人間なんて汚いという絶望感に浸りがちで、そういう需要をしっかりと満たしてくれた。舞台と同じ男子校出身だしね。
三部作の一冊目。実はこれ以外読んでいない。読んだ当時は、双子たちのマッチョ志向というか、とかく異様に力を手に入れようとするところだとか、著者がフランス語で書いたにもかかわらずフランス語を憎悪しているところとかが、何とも言えず不快だった。
今読み返したら、双子たちが過剰に現実に適用しようとする痛々しさや、亡命文学の苦しみに対してもっと共感できる気がする。個人的には頭が良すぎて皮肉な態度を取り続けるクンデラのほうが好きだけどね。「存在の耐えられない軽さ」よりは「不滅」派。
子供の頃より腕力がなくてやり返せず、口も回らずにいつも言い負かされ、片想いしていた女の子といじめっ子が仲良くなるのを横で見ていた自分にとって、自由と財産と恋人を奪われたことへの復讐を主題としたこの作品にはまることは必然であったと思う。とにかく面白い。特に、モンテ・クリスト伯が徐々に復讐心を失っていく過程が、非常に良い。
大人になって完訳版を読むと、ナポレオン時代の国際情勢を背景がわかってさらに面白かった。
犯人当てや宝探しなど派手な展開がてんこ盛りだし、犯人の動機の一部は自分が醜悪に生まれたことに端を発しているから、貧困とか弱者とか非モテとかそういう問題に敏感な増田にとっても議論の題材にできそう。
読んだからと言って別に正気が失われないけれども、チャカポコチャカポコのくだりで挫折する読者が多いと聞く。大体あの辺りはあまり深刻にとらえず、リズムに乗って楽しく読めばいい。スチャラカチャカポコ。
話のテーマは、基本的には原罪的なものだろう。自分が人を殺しているかもしれないという恐れ、親の罪を受け継いでいるかもしれないという恐れ、それから生きることへの恐れだろうか。
難解な雰囲気は好物だが、かなり自己満足的でもある。ヴァン・ダインの二十則破りまくりだし。言葉の連想テストで犯人を指摘し、余計な情景描写や、脇道に逸れた文学的な饒舌にあふれ、探偵があっさり暗号を解読して、事件の謎を解く。作者の知識の開陳を素直に楽しみましょう。ただ、これ読むんだったら澁澤龍彦の本を何冊か買ったほうがお得であると思うし、膨大な知識が注ぎ込まれているがリーダビリティの高い点でもエーコに軍配が上がる。
差別用語が出てくることで有名で、先ほど出てきたわらべ歌による見立て殺人の影響を受けている。
血のつながりによる犯行の動機や、実行の決め手となる偶然の出来事、その皮肉な結末が個人的に好き。自分は謎を解くことよりも、犯人たちの心理状態、特にその絶望のほうに興味を持つからだろう。
メタフィクションを個人的には愛好しているのだけれども、話が入り込みすぎていて結局どういう話であったか覚えていない。巻末の書き下ろしのおまけで、探偵が少年にパンツの模様を聞くシーンがあったことだけを覚えている。
とはいえ、癖のある登場人物から、大学の文学やミステリサークルの雰囲気を思い出して感傷に浸るのにはおすすめか。大体、小説を好きこのんで読む人間は大抵どこかこじらせているものだし、読みたいリストや他人にお勧めする本リストを作り出したらもういけない。そしてそんな奴らが僕は大好きだ。
以上。
「イリアス」は捕虜の奴隷女の配分をめぐった交渉がこじれた結果、勇者が拗ねて戦場に出ず、味方がどんどん死ぬところからスタートするので、昨今の倫理観からは問題があり、神話初心者にはこっちをお勧めしたい。「オデュッセイア」も家で待っている妻を忘れてよその女のところで数年過ごすが、まあ魔法をかけられていたということでこっちのほうがマシだ。舞台もあちこち移動するから飽きないし。
ユニークなのは、劇中劇的にオデュッセウスが時間をさかのぼって事件の進展を語る箇所があることで、ホメロスの時代にはすでに出来事が起きた通りに語る手法が飽きられ始めていたのかな、と想像できる。
実は「ラーマーヤナ」とある共通点があるが読んでみてのお楽しみ。
聖書はなんせ二千年前以上の宗教書だから、原典に当たる前に基本的な出来事の流れと時代背景や当時の常識を理解していないと読解が難しい。当時のユダヤ民族の偏見も混じっているし。加えて、ところどころ立法全書的に当時の習慣や禁忌を延々述べる箇所があり、通読はさすがにできてない。新約聖書だけは何とか意地で読破した。
ところで、どうして「創世記」だけを取り上げたのだろう。たとえば物語として盛り上がるのは「十戒」の「出エジプト記」だ。「ハムナプトラ」とかでエジプトが悪役になるのは大体これのせい。いきなりこれにチャレンジするのなら、手塚治虫の聖書物語のほうがいいかもしれない。
犯人探しが不幸を呼ぶことから嫌ミス的な要素もあるし、ギリシア神話の「不幸な運命を避けるために必死になって行動した結果、結局その運命を呼び寄せてしまう」というアイロニーが大好きな自分としては、その典型例なので好物だ(予言を鵜呑みにした結果ドツボにはまる「マクベス」も好き)。
これが面白かったら、アイスキュロスの「オレステイア三部作」もおすすめしたい。何世代にもわたる恨みの念が恵みの女神として祀られることで鎮められるというモチーフは、異国のものとは思えない。
一般教養で唐詩の授業を取ったので岩波文庫でぱらぱらとめくった覚えがある。なにぶん昔のことなので記憶は曖昧なのだが、はっきり覚えているのが王梵志の「我昔未生時」で、天帝に生まれる前の時代の安らぎを返してくれるように願う詩だ。当時は反出生主義が哲学・思想界隈でここまでホットなトピックになるとは予想してはいなかった。
酔っ払いの詩。酒が飲める酒が飲める酒が飲めるぞーという内容。著者は文学者であっただけでなく天文学者・数学者としても知られるが(三次方程式を解いた実績がある)、ここで展開されている詩はひたすら現世の美しさとはかなさをうたったもので、酔っ払いは世の東西を問わず、というところか。イスラム世界の厳格なイメージをひっくり返してくれるので面白い。ガラン版のアラビアンナイトや高野秀行の「イスラム飲酒紀行」とあわせてどうぞ。
フィレンツェを追放されたダンテが苦しみの中生み出したキリスト教最高峰の文学のはずだけれど、とにかく気に食わない政敵を地獄でめちゃくちゃな責め苦に合わせているところを面白がる下世話な楽しみ方ができる。地獄にいる人物は聖書やギリシア神話、歴史上の人物も多く、ヨーロッパの歴史や文学をざっくり知っているとダンテがどれだけやりたい放題やったかがわかるので愉快。
ただし、地獄編の続きの煉獄編・天国編はキリスト教哲学をかじっていないと結構しんどく、しかも風景が山あり谷ありの地獄と比べてひたすら恵みの光が明るくなっていくだけなので、絵的に面白いのは地獄のほうだ。
ついでに、ヒロインがかつて片思いをしていたベアトリーチェという女性なので、ベアトリーチェの美しさを歌う箇所も下世話な目線で楽しめる。妻帯者の癖に未練たらたら。
未読。後述のラテンアメリカ文学とかジョイスとかは読んだんだが、そこに出てくる過剰なものや糞尿譚も結構楽しんだので、いつかは読みたいと思っている。
四大悲劇と「ロミオとジュリエット」はざっくりと読んでおくと、いまにも受け継がれているネタが結構あることがわかって楽しいし、意外と下ネタのオンパレードなので当時のイギリス人に親しみを持つことができる。ついでに上記のうち二作は黒澤明の映画の元ネタでもある。
興味深いのは、劇中劇というかメタフィクションが必然性を持って登場することだ(父を殺した叔父の目の前で、その殺人の場面そっくりの劇を演じて動揺させるシーン)。すごく先進的だ。かっこいいぞシェイクスピア。
基本的には正気を失ったおじさんが繰り広げるドタバタ劇で、下巻では著名になったドン・キホーテをからかう公爵夫妻までも出てくる。これだけだと精神を病んだ人をおちょくる悪趣味な書物だとしか思えないのだが(というか最初は時代遅れの騎士道精神を批判するために書かれた)、昨今はドン・キホーテに同情的な解釈が主流。最近テリー・ギリアムが映画化した。
自分が道を踏み外した元凶。誰だこんな子供を人間嫌いにする本を児童書の棚に並べたのは。クレヨンしんちゃんを夕方アニメにするレベルの蛮勇だ。四部作だが、最後の馬の国では人間という存在の醜悪さをこれでもかと暴き立てており、おかげさまですっかり自分は人間嫌いで偏屈な人になってしまった。作者の女嫌いの影響を受けなくて本当に良かった。
とはいえ、当時のアイルランド支配はこれほどまでの告発の書を書かせるほどひどかった、ということは知っておきたい。
夏目漱石「吾輩は猫である」に出てくる。基本的にはふざけた話であり、著者が自分の誕生から一生を語り起こそうとするがなかなか著者自身が誕生せず、しかも物語の進捗が遅いせいで半年ごとに本を出す約束なのにこのままでは永遠に現在の自分に追いつかない、みたいな語りで笑わせてくる。挙句の果てに著者が途中でフランス旅行に出かけてしまう。英文学というジャンルがまだ黎明期なのに、こんな愉快なのが出てくる懐の深さよ。
だが、これだけふざけているのに、登場人物の一人がうっとうしい蝿を「この世の中にはおれとおまえと両方を入れる余地はあるはずだ」といって逃がしてやるシーンはいい。
未読。「毛皮を着たヴィーナス」と「眼球譚」は読んだんだが。バタイユどんだけおしっこフェチなんだよ。自分もお尻とかブルマーとか競泳水着が好きだから笑わないけどさ。
個人的にはとても好き。人生できっと何かを成し遂げられるはずという万能感ある思春期に読みたい。主人公の行為は決して褒められたものではない。様々な悪事を働き、幼い少女を妊娠させたうえ捨ててしまう。このシーンのせいで、もしかしたら二十一世紀には読み継がれない古典になってしまうかもしれない。しかし、主人公が最後にたどり着いた境地の尊さの価値は失われることはないと信じている。現世で最も美しい瞬間とは何か、あらゆる物質的な快楽を手に入れた主人公が見つけた答えを読んでほしい。後半はギリシア神話を知らないとつらいかもしれないが、そのためにギリシア神話入門を読む値打ちはある。
未読。同著者の「赤と黒」は貧乏な青年がひたすらのしあがろうとする話で、あまりピンとこなかったのだが、文学サークルの友人から最近来たメールに「訳者を変えて再読したら面白かった」と書いてあった。
さえないかわいそうなおじさんが好きなので好き。ロシア文学というものは、名前がややこしいうえに同じ人物が様々に呼ばれるので敬遠されがちなのだが(イワンが何の説明もなくワーニャと呼ばれるなど)、登場人物をメモしたり、ロシア人名の愛称の一覧を頼りにしたりして飛び込んでほしい。このハードルさえ超えれば最高の読書体験が待っていることは保証する。ロシア文学はいいぞ。
ポーは大好きなんだけどどうしてこれを代表作に選んだのかはよくわからない。個人的には王道の「黒猫」とか「アッシャー家の崩壊」とかを最初に読むのがいいと思う。中学生の頃、狂気や暗鬱さにどっぷり浸っていた頃に読んだのだが楽しかったし、作中の詩が今でも世界で一番好きな詩のひとつだ。ちなみに、東京創元社のポー全集には、ポーのユーモア作品もいくつか収録されており、意外な顔を知ることができる。もっとも、今読んで面白いジョークかどうかまでは保証しないが、こじらせ文学少年・文学少女としては必読か。
最高の昼ドラにして非モテ文学。俺は愛されずに育った、俺は永遠に誰からも愛されない、だから他人の幸福を破壊してもいい、的な気分に一度もでもなった人は何としても読んでほしい。
映画「マチルダ」の中で児童書に飽きた天才少女がこれを読もうとする場面があるんだけど、これ小学生が読む本じゃないだろ。単純に難しいのではなく、とにかく話が脱線しまくる。まともにストーリーが進まずに、著者自身のクジラに関するうんちくが延々と続く箇所もある。雑学隙の自分は楽しく読んだが。
敵のクジラを殺してやろうとするエイハブ船長の狂気についていけるかどうか。
自分が人妻萌えを発症した元凶の一つであり、世界文学初のカーセックスシーンがあることでも知られている(自動車ではなく馬車でだが)。ストーリーは夢見がちな女性が夫に幻滅して若い男やチャラ男と浮気し、サラ金から借金を重ねて自殺するという「闇金ウシジマくん」的なノリ。妻の浮気を知ったさえないボヴァリー氏の哀れな反応は必見。自分が寝とられ文学が好きになってしまった元凶の一つ。
同時代のジャンプの看板で、海外でも人気。「持たぬもの」であった主人公の優しさと男女共学で頑張る姿が今らしい
最近終わった作品で、アニメは高品質で、女子人気もひときわ高いことで有名だよ!
明治時代を部隊にしており、不殺を誓った剣士が主人公。刀の必殺技や、呼吸を使った攻撃もあるよ! 敵にも悲しい物語があり、悲しみと情念に満ちているのが特徴。
・ジョジョの奇妙な冒険(第一部・第二部)
元人間の吸血鬼やゾンビ、柱や、純粋な悪の存在、復讐など鬼滅がかなり影響受けてるよ。第三部、第四部、第五部もおすすめだよ!第四部で実質主人公になるコーイチ君は地味系のチビだし、優しいよ。
・どろろ
和風で、半人半妖みたいな妖怪のボスを刀でどんどん倒していくよ。主人公は悲しい運命を背負った孤独な男だよ。じめっとした悲しい物語を背負ったキャラが魅力だよ。
に続き備忘録として簡単な感想と一緒に当時見ていた作品を書き記してみたい。anond:20201009122752に続く
一期のラスボスが二期で意外な活躍を見せる所が面白かった。キャラデザのイメージに反して意外と皆真面目な公務員なのも地味に面白ポイントだったり。
島﨑信長さんが演じる黒崎さんと櫻井孝宏さんが演じる瀬名さんがバディを組んで、大川透さんが演じる船坂さん達がそれを支える展開に某ロボアニメを連想してニヤリとしたり。
亜人の佐藤さんが大暴れするアニメ。以前劇場版アニメも作られていたそうだけど、TV放送版とは内容が異なるらしい。
不死身の体と目に見えない幽霊を操作する能力を持った亜人達が戦いを繰り広げる作品で、とにかく佐藤さんのキャラが強烈だった。大塚芳忠さんが演じる壮年のおじさまは本当に強い。
宮野真守さんがEDの曲を歌っていたけど本当に歌が上手いんだなと思った。
アルスラーン戦記の第二期。コミック版の内容を追い抜いてしまったので、漫画ではなく小説を参考にアニメ化されていた。ラストはアニオリ要素が強かった気がする。
藍井エイルさんの歌う主題歌「翼」が本当に良い曲だった。放送から何年か経ったけど今後続編が作られる望みは薄いだろう事は残念。
高校ラグビーを題材にした漫画のアニメ化作品。2クール目OPの生者ノ行進という曲が泥臭くてカッコ良かった。
内容は真剣にラグビーをやっているんだろうけど、キャラが妙にもじもじしていたのが気になった。多分原作者の雨瀬シオリ氏は女性だと思う。
少女漫画原作の青春物作品。他の作品でも思ったけど高橋優さんの手掛けたOP曲が爽やかで良い感じだった。
未来の自分から送られてきた手紙を読んだ主人公達が過去を変えようと頑張る話だけど、どうやって未来の人間が過去に手紙を送ったかは詳しく説明されていなかった気がする。そこは気にしなくてもいいかも。
TRIGGERが送るSF青春アニメ。個性豊かなキャラクター達が恋をしたり友情を結んだり好きな相手を巡って喧嘩したりとかそんな作品だったような気がするけどあまり覚えていない。
岡田磨里さんが携わった作品だけど、最初から主人公に好意を向けていた女の子が振られて、最終的に皆それぞれ良い感じの相手とくっ付く展開を他に見た事あるような気がする。
二期の放送終了からそろそろ4年経とうとしているけど未だに良く話題に挙がるガンダム。
全体的に破滅へと繋がる暗いノリが続く。1クール目の終盤からは最終的にどういう展開になるのか読めないという点で本当に先が気になった。
終わってみると僕は賛否両論のどちらかで言うと賛側の人間だったので、今となっては特に不満は無い。そういう展開TVガンダムでやれるんだ…と感心してしまったくらい。
OVAで展開していた作品をTV放送用に編集したアニメ。一部作画の描き直しなどが行われていたらしい。
僕はUCのOVAは2巻くらいまでしか見ていなかったので新鮮な気持ちで見る事が出来た。番組の中で視聴者から送られてきたハガキなどが紹介されているのを見て、小さい子でもガンダムを見るんだなと驚いた。
副音声に原作者の福井晴敏さんも出演されていたけど、実はZZはUCの原作の執筆を始める一年ほど前に初めて見たと仰っていて驚いた。Zの後ZZを飛ばして逆襲のシャアを見る人が多いという話は本当だったんだ。
ゲーム逆転裁判のアニメ化作品。逆転裁判は体験版で触れた内容くらいしか知らないけど、それでもゲームの要素をアニメに取り入れて作っている事は伝わってきた。
梶裕貴さんのナルホドくんは意外なキャスティングだと思ったけど、終わってみれば合ってたと思う。第一期EDの「Message」を主題歌も好きだった。アニオリっぽい雰囲気の話も好きだったな。
人の言葉を話せる熊さんと中学生巫女さんが田舎で暮らしてる話。放送終了後に最終回のアニオリ展開がどうとかで非常に荒れてた覚えがある。
僕はヤンキーっぽい人が登場したあたりで何かこのアニメ怖いな…と思ったけど、最終回はそこまで荒れるような物だとも思わなかったので炎上した事が非常に不思議だった。まちちゃんが可愛かった。
灰は時を超え夢は遥か彼方へ向かうロボットアニメ。OPをGLAYが担当した事で僕の中で話題になった。アクエリオンロゴスと放送時期が近かったような気がする。
ロボットアニメなのにロボットで戦闘する回より学園生活を描写した回の方が多かった記憶がある。モブっぽい人達が敵に結構残忍な殺され方をしていたのが非常に印象深い。
いかにも悪人っぽい外見の人が実は最後まで良い人のままだったり、色々とお約束を外しに来ていたのが楽しかった。女性陣を始めキャラデザも良い感じだった。好きな作品。
吸血鬼とゾンビの中間のような怪物カバネと日ノ本の侍達の戦いを描いたスチームパンク物。美樹本晴彦さんのキャラクターデザインはまだまだ現役で通じるという事を知らしめた作品だと思う。
監督が進撃の巨人を手掛けた荒木哲郎さんで音楽がガンダムUCの楽曲を担当した澤野弘之さんだったり何とも豪華な作品。その後劇場版が公開されたって事は評判も良かったんだろうか。
ラスボスを務める悪役美馬様を始め終盤の展開に色々文句を言われていた記憶があるけど、僕は最後まで楽しんで見ていた。僅かな描写で父親への複雑な愛憎が感じられる美馬様は個人的に面白いキャラだと思った。
最近主人公生駒の声を担当した畠中祐さんとヒロインの無名ちゃんの声を担当した千本木彩花さんが現実で結婚された事は記憶に新しい。
大人気異世界コメディ。雨宮天さんといえばお馬鹿キャラの声というイメージはこの作品から広がったような気がする。
主人公カズマの声を担当した福島潤さんもこの作品のヒットから仕事が増えるようになったとか。良い事ですなぁ。
何て言うか直接的なシーンは少ないんだけど雰囲気がエッチなアニメだった記憶がある。確か水樹奈々さんがOPを歌っていた。恋する女の子ってエッチなんだなぁと思った。その雰囲気に惹かれて見てました。
リゼロと放送時期が被っていたお陰で声が小林裕介さんのスバルくんってキャラが同じクールに二人も居るのが面白かった。
OPのCOOL!COOLER!COOLEST!ってフレーズだけは何年経っても忘れられないし本編もそんな感じで滅茶苦茶濃かった記憶があるスタイリッシュなコメディアニメ。
坂本くんはもう他の声が想像出来ないくらい緑川光さんの声がハマっていた。坂本くんに憧れる不良くんの声は杉田智和さんだった。全体的に声優さんが豪華なアニメだったのかな。
このOPひょっとしてBUMP OF CHICKEN?と思ったら本当にBUMP OF CHICKENだったそんなアニメ。これまた主題歌がどれもこれも全部好きなアニメだった。
河西健吾さんは鉄血のオルフェンズの三日月の印象が強かったけど零くんの声が河西さんって事にスタッフロールで名前を見るまで気付かず雰囲気の違いに驚く。
その零くんの身近に声が櫻井孝宏さんの林田先生や声が細谷佳正さんの高橋くんが居るのは某ロボアニメと放送時期が近かったのもあって妙にニヤニヤしてしまう。
プロ棋士の生き様が題材の話なんだろうけど、どうも学校での女子生徒のいじめの話とか将棋と関係ない話も多くて見ていて暗い気持ちになる事も多かった。後何年かしたらまた続編が作られそう。
はっきり言いますとタイトルに釣られて視聴しました。「12歳。大人でもない、子どもでもない微妙なお年ごろ」ってキャッチフレーズに12歳って子供じゃんって突っ込んだ僕は甘かったです。想像の何十倍も12歳は進んでいました。
この作品に登場する王子様役の高尾くん、本当に何でも出来ます。能力も成熟した精神も完全に子供の物ではありません。僕はこのアニメを見ていて自然と彼の事を高尾様と呼ぶようになり度々黄色い悲鳴を上げていました。
主人公の綾瀬ちゃんと高尾くんのカップルは正に安定した恋人そのもので見ていて安心感を得られますが、もう一人の主人公結衣ちゃんと桧山くんのカップルはそうは行きません。一難去ってまた一難の連続です。
そしてどちらのカップルの方が見ていてドラマティックかと言われると、それは間違いなく結衣ちゃんと桧山くんの二人です。彼女達は仲良くなったと思ったらまたちょっとした事ですれ違ったり、その後また仲良くなったりの繰り返しです。
彼女達の恋愛模様はまだ完全な大人の物ではないかもしれませんが、完全に子供の域を逸脱しています。正にキャッチフレーズの「大人でもない、子どもでもない微妙なお年ごろ」の通りでした。
12歳。小学6年生の内に濃密な恋愛を体験してしまった彼女達がこれから先中学生、高校生と成長すれば一体どうなっていくのか…とても末恐ろしいですが、恐らくそこまで描かれる事は無いのでしょう。ちゃおの作品ですから。
大人気恋愛アドベンチャーゲームマブラヴの外伝小説のアニメ化作品。2010年代になって鈴村健一さんが主役を演じた珍しいロボットアニメだと思う。
原作はかなりハードコアな描写がある小説らしく、アニメでもそれを匂わせる描写があった。CV田村ゆかりさんの悪役キャラが最後まで強かった。
メインを張る声優さんがめちゃくちゃ豪華でしかも皆落語に精通しているという凄いアニメ。落語も凄いけど人間関係のドロドロっぷりも凄い。
ファンの人達による最終回の考察を見ると主人公の与太郎が一番可哀想だなって思う。主人公は八雲師匠の方かもしれないけれど。本人は幸せそうだから良いのかもしれないけど、数年経った今でも与太郎が可哀想で仕方ない。
詳細はよく覚えていないけれどスパイの話だったと思う。CV堀内賢雄さんのボスが滅茶苦茶カッコ良かった。D機関に所属する諜報員は一人も例外も無く超優秀で凄いなって思う。
現実にもこういうスパイの人達が実在したのかもしれないと考えるとロマンがある。D機関を一方的にライバル視する風機関って組織とそのメンバーは今でもカルト的人気を誇っているらしい。
初めて見たTVアニメ版ジョジョだった。一部~三部はそれまでのゲームやアニメでキャスティングされた理由が好きという理由でどうしても見れなかったけど、これまでメディアミックス化された事の無い四部なら…という理由で見始めた。
原作を読んでいるから先の展開は全部分かっているのにそれでも面白いというのは不思議な感覚だった。OPはやっぱり3つめのGreat Daysが好きかも。ジョジョのアニメはジョジョを好きな人が作ってるのは伝わって来て良い物です。
ジャンプSQで連載している和風ファンタジーバトル漫画のアニメ化作品。月刊連載で原作ストックがそんなにある訳ないだろ!と思っていたけどやはり思っていた通り3クール目くらいからはもうほぼアニオリ展開オンリーだった。
声優さんのキャスティングはハマっていたと思うしイトオカシの楽曲も好きだった。時々異常に作画が良い回があるのもstudioぴえろ作品って感じ。一部アニメ先行で出したキャラが原作漫画にちゃんと出てくるのも良かった。
アニオリのデスラップキャラにはアニメを置いてけぼりでぽかんとさせられた。アニメ終了後原作にそのキャラが逆輸入されたけど、未だにそのぽかんとした時の思い出が蘇る。
2016年にもなってタイガーマスクってマジかよ!って思ったらマジだったアニメ。実在プロレスラーも出てくる。OPもEDも本当にカッコいいんですよこのアニメ。
田中亮一さんと柴田秀勝さんが半レギュラーで出てるアニメとか嘘でしょう!?と思ったら旧作のタイガーマスクから続投のオリジナルキャストなんだとか。多分オリジナルのタイガーマスクを知っていればもっと楽しめただろうと思う。
島田敏さん演じるイエローデビルってヒールレスラーが強くてカッコイイの何の…終盤ザ・サードって三人目のタイガーマスクになってから弱体化した?と感じてしまった。何か最終回付近は女子プロの話だったような気がする。
2クール目からだけどやっぱりKinKi Kidsの楽曲は良いなあ…と思ったアニメ。昔から思っていたけど僕はジャニーズがタイアップで歌うアニソンは結構好きだったりする。皆歌が歌って踊れるアイドルだから歌は上手だし。
作品のノリは「実は今教科書で教えられている歴史は全て嘘だったんだ!」という一期より「歴史上の偉人と仲良くなってアイテムを譲ってもらおう!」という二期の方が好きだった。ツボに入って笑った回も結構あった気がする。
ホリさんの滝口順平さんの物真似とかキムタクの物真似とか、CV三宅健太さんのスズッキーってキャラがミヤッケーって弄られたり、放送枠ネタでヒロアカのオールマイトネタやったり、声優さんを使ったネタは出てくる度に笑っていた。
駄菓子を題材した漫画のアニメ化作品。ほたるさんもサヤ師も可愛かった。一期は尺が長すぎて大変そうで、二期は尺が短くて見てるこっちは何か物足りないという、帯に短したすきに長しなアニメ化だったような印象がある。
細谷さんってこういう淡々と冷静に突っ込むキャラ向いてるよなーって思ったアニメだった覚えがある。女の子の中に1人空気が読めていないようで実は誰が誰を好きかとか瞬時に見抜く観察眼を持ってる子が居たような気がする。
田中くんと太田くんって名前は爆笑問題から取られたって話は有名だけど原作者さんは爆笑問題好きなんだろうか。そういえばあの二人モンスターズ・インクとアイス・エイジで吹き替え声優さんしてたなぁ。
テガミバチの浅田弘幸さんがキャラクター原案を担当したアニメだった。
けれど尺の問題なのか、肝心のチアリーディングの描写が少なくて消化不良だったような?小説が原作らしいけど、そっちだと違うんだろうか。
最初ははいふりってタイトルで1話のラストでハイスクール・フリートでタイトルが明かされたんだっけ?女の子達が軍艦に乗って戦うアニメだったと思う。
放送中にやたらと叩かれていた記憶があるけど、現在でも作品の展開が続いているという事は間違いなく人気はある。キャラが可愛いし割と満足しながら見ていたけど、この作品に海のガルパンを求めていた人達が居たみたい。
細谷佳正さんが少年役として主人公の声を演じる珍しい作品だった記憶がある。異世界転移?物らしいけどアニメを見ただけではどういう状況でああなっていたのかは分からなかったと思う。
ゴブリンスレイヤーより先にひたすらゴブリンを狩っていたアニメとして時々語られていた気がする。二期は…今のところは無いんだろうな。
Twitterでもはてなでも掲示板でも、コンテンツへの不満を語ったやつが「嫌なら見るな」「not for you」でボコボコにされるのをすげーよく見るようになったけど、作者と鑑賞者の関係として歪んでると思うわ。
そりゃね、こじらせアンチになって叩くためにそのコンテンツに粘着してるやつは、他の趣味の方がいいぜ、下手すると犯罪になるぜって感じだけどさ。
追い続ける程度に好意は持ち続けてる人間であっても、この売り方は不快だとか、新展開に納得できないだとかの不満を持つことは当然あるわけじゃん。
ジョジョの二部四部七部が好きだが三部八部は面白くないだとか、龍が如く極の演出やストーリーはいいけど戦闘がだるいだとか、1st2ndアルバムは名盤で3で落ちたが4で盛り返したと思ったら新しく出た5枚目はがっかりだとか、Switchで遊ぶのは面白いがコントローラーの誤動作はマジで何とかしろとか、ランダム特典商法エグすぎとか、Twitterに面白い奴もいるがクソうざい奴もいるとか、あるだろ。
でもその不満が語ったやつが「じゃあ見るな」「not for youだっただけ」「黙って去れ」みたいに言われまくるようになってるのは、労力をかけてコンテンツを作った側と、金と時間を払ってそれを買った側の関係として、だいぶ不健全だろ。
不満や批判に対して、腰据えて再批判するならいいよ。「お前の批判内容は間違ってる」は健全だよ。
でも昨今は、「批判という行為をすべきでない。ファンなら全部褒めるべき、文句は口に出すべきでないしそれができないなら消えろ。全肯定ファン以外はファンにあるべからず」って風に切り分けたがる感覚が広まってるように感じる。切り分けが言いすぎなら住み分けでもいいけどさ。
なんか、それを鑑賞する者たちの空間ではほめることしか許さないのって、コンテンツ制作者もしくはコンテンツ自体を偶像・崇拝対象として扱うのが常識になりつつあるみたいで、居心地よすぎて居心地悪い。
大学生時代に「涼宮ハルヒの憂鬱」ブームを経験した三十代。当時はひねくれた人間だったので、ハルヒが流行っている真っただ中に、原作ではなくその元ネタとなった「ハイペリオン」に手を伸ばした。当時の自分はきらきらとした学生生活にあこがれていたくせに、そういう青春をテーマにしたラノベを避けていた。みんなと同じものを読むのが嫌だったのと、そういうきらきらしたものを読むと、自分の灰色の生活と引き比べてしまうからだ。そういうわけで、「涼宮ハルヒの憂鬱」の知識は、書店で一気読みした第一巻と、ウィキペディアの情報、断片的に見たアニメの数エピソードに頼っている。おそらく粗があるので、話半分に聞いてもらいたい。
「ハイペリオン」とはダン・シモンズが1989年に発表したSF小説である。邦訳は1994年に出版された。ヒューゴー賞・ローカス賞・星雲賞を受賞している超大作で、登場人物である長門有希が読んでいる。
ジャンルは一応スペースオペラなのだが、あえて言うならばSF全ジャンルと英米文学のごった煮である。というのも、七人の登場人物がそれぞれの身の上を語るのだが、それぞれがホラーだったりサイバーパンクだったり時間SFだったりで、しかもそれぞれの出来がいい。
続編として「ハイペリオンの没落」「エンディミオン」「エンディミオンの覚醒」がある。作者の思想がややうるさいところもあるが、絵になる場面が多くて楽しい。また、人類の各文化の多様性を高らかに褒めたたたえているのが、やや西洋・アメリカ中心主義ではあるが、気持ちがいい。
長門は「情報統合思念体によって造られた対有機生命体コンタクト用ヒューマノイド・インターフェース」であり、言い換えるならば「宇宙人が作った人間の形をした存在」ということになる。「情報統合思念体」には「主流派」「急進派」「穏健派」「革新派」「折衷派」といった派閥が存在し、それぞれの思惑ごとに動いている。
一方、「ハイペリオン」には、英国の詩人ジョン・キーツの人格を再現したサイブリッド(人造人間みたいなもの)が登場する。これは、人類に様々な助言をするAI群「テクノコア」によって、ある目的のために作られたものである。彼は長門ほど万能ではないが、この背後にいるテクノコアには「穏健派」「急進派」「究極派」が存在していることが共通している。ちなみに、それぞれの立場としては、当面は人類とは共存する、さっさと人類を滅ぼして自分たちが覇権を握る、人類も自分たちも滅んでもかまわないので究極の知性を創造する、である。このAIたちはとっくの昔に人類を超えており、人類を裏切ろうとしている。というか、作中ではすでにある方法で人類をひどく搾取しているのだが、これは読んでみてのお楽しみだ。
設定の上ではよく似ているけれども決定的に異なるところがたくさんあり、よくできたオマージュだと思う。
結論から述べると登場する。そもそも、舞台となるハイペリオンという惑星には「時間の墓標」なるものがあり、そこの封印が開くと未来から様々な事物や情報が送られてくる。同時に「シュライク」という殺戮マシーンが封じられているが、シュライクは時折人間の願いを叶える、とされているのだ。七人の登場人物がハイペリオンまで巡礼に向かうのもそれが理由だ。
ここで未来と述べたのだが、実は未来は確定していない。「テクノコア」が作り出す究極知性が宇宙を支配するか、人類の集合意識が生んだ究極知性が覇権を握るか、この二つの間で揺れ動いている。ここでいう究極知性とは神と言い換えてもいい。つまり、遠い未来で行われる人類とテクノコアの戦いが、現代にも影響を及ぼしているのだ。なんといったって彼らは神なのだから、なんでもありなのである。
この状態は、まさに朝比奈みくる(大)の周囲の事情とよく似ている。現代に干渉し、自分たちの望む形の未来を確定させようと活動している点が近い。
「涼宮ハルヒの憂鬱」の全てを読破したわけではない自分が、本文から有効な証拠をあげることはできない。というか、いくつかのブログでそれを示唆する記述が十分に述べられており、自分が付け加えることは何もない。
よって本記事では、「ハイペリオン」で行われたテクニックを間接的な証拠として用いたい。以下、「ハイペリオン」のネタバレに触れる。読みたくない方は引用部分を読み飛ばしてください。
「ハイペリオン」の七人の登場人物は、旅の無聊を慰めるため、それぞれの出自を語る。一人はフィドマーン・カッサードという兵士である。仮想訓練の度に謎の美女モニータと遭遇し、そこでむさぼるように体を重ねるが、彼女とは仮想空間とでしか会うことができなかった。やがてアウスター(人類連邦に所属しない宇宙の蛮族)の襲撃を受けるが、そこで彼女と再会し、殺されかける。カッサードは彼女との再会を目指している。
もう一人の人物はソル・ワイントラウブという学者である。彼は娘である赤ん坊を抱えて巡礼に来た。彼の願いは、娘であるレイチェルの病を治すことである。レイチェルはかつて学者としてハイペリオンを訪れた際、シュライクによって年齢を逆行する呪いをかけられてしまった。父と同じ聡明な学者であったレイチェルは日に日に幼くなり、とうとう赤ん坊にまで戻ってしまった。レイチェルが「誕生」の日付を迎えるまで、あと数日しかない。
さて、結論を簡潔に述べよう。レイチェルの病は癒される。そして彼女は未来世界へと連れていかれ、そこで再び大人へと成長する。やがてレイチェルはモニータと名乗り、カッサードと出会うのである。
つまり、「涼宮ハルヒの憂鬱」のオマージュ元である「ハイペリオン」では、意外な二人の人物が同一人物であった、そしてその片方は未来人であった、というギミックが存在するのである。
もちろん、年齢遡行までオマージュしているのかどうかはわからない。記憶に蓋をしているだけかもしれない。ただ、妖艶な美女と無邪気な赤ん坊が同一人物であった、という驚きを、朝比奈みくる(大)とキョンの妹が同一人物であった、というかたちで本歌取りしている可能性は、検討される余地はある。
どうなのだろう。キョンの妹は小五だが低学年にしか見えないという記述もあるので、実は成長がストップし、年齢が逆転し始めているのかもしれない……。
鶴屋さんは「宇宙人と未来人だったら、どっちがいい? そろそろ決めといたほうがいいかもにょろよっ!」と発言したそうだが、これは今後の展開を予測する大きな鍵となる可能性がある。というのも、「涼宮ハルヒの憂鬱」が「ハイペリオン」をどこまでなぞるかははっきりしないが、もしも設定を強く意識しているのなら、「ハイペリオン」で「テクノコア」が人類を裏切ったように、「情報統合思念体」が最後には人類に敵対する可能性があるからだ。そして、みくるは人類と「情報統合思念体」との争いの中で、少しでも人類に有利な未来へと導こうとしているのではないか。となると、長門とみくるの決別は避けらないことになる。みくるが長門を幾分苦手としている描写を考えると、興味深い。
少しだけ触れておく。「ハイペリオン」「ハイペリオンの没落」のなかには、超能力は出てこない。出てくるのは「エディミオンの覚醒」以降であり、主人公たちがある能力に目覚めることで、クライマックスに人類の命運を大きく変えるのだが、これも読んでみてのお楽しみだ。
「ハイペリオン」であらゆる願いを叶えるとされるのは殺戮者シュライクである。実に気まぐれな神なのだ。そういうと、ハルヒが悪役シュライクだということになってしまうのだが、自分は違うと思う。明るい青春ラノベにこの設定は似合わない。願いが叶う、ということだけを拝借したのだろう。とはいえ、物語全体を通しての謎の一つ、ということは決定している。
それと、実はシュライクの正体は作中でも若干ぼやかされている。テクノコアが作った殺戮マシーンを人類側がのっとったことが示唆されているが、時間を行き来できるのだから時系列がはっきりせず、筆者の記憶も確かではない。
「エンディミオン」「エンディミオンの覚醒」の語り手はいたって普通の青年ロールであり、彼は破天荒な少女アイネイアーの守護者に任命される。とはいえ、物語の大半は奔放な彼女の振り回されながら進む。それこそ「涼宮ハルヒの憂鬱」の本編のように。
しかし、ロールとアイネイアーは最後にはひどくつらく悲しい別れ方をしなければならない。この設定が本編のキョンとハルヒの関係に輸入されていないことを願う。
それと、ジョン・キーツ(ジョン・スミスではないが)のサイブリッドは二つ存在し、片方が殺される運命にある、とだけ述べておこう。
彼は「ハイペリオン」四部作ののちに「イリアム」「オリュンポス」を発表している。トロイア戦争の世界、遠未来の没落した人類、機械知性たちの話が入り組んでいて、文学とSFのマッシュアップ具合が楽しいのだが、残念ながら「ハイペリオン」四部作で述べた人類の多様性を寿ぐ姿勢から後退し、明確なイスラム嫌悪が出ているのはいただけない。さらに、邦訳されていない最近のシリーズは、ヒラリー・クリントンが大統領になったパラレルワールドで、国民皆保険で怠け者になったアメリカ人が薬物におぼれているというすごく政治的に偏向した作品なので、翻訳されないんじゃないかな……。
【追記】最新作ではないのだが、2011年の「Flashback」という作品。シリーズではなかった。失礼。
【もう一つ追記】その薬物は、いつでも自分の人生の最高の瞬間を追体験できるというしろものだ。そして、世界のほとんどがイスラム過激派に支配されている。経済は日本に牛耳られ、南西部の州はメキシコのギャングに支配され、作中では地球温暖化が否定されている。アメリカの保守的な世界観を煮詰めたような感がある。
ヒラリー・クリントンについての記述は記憶違いかもしれない。ただ、イスラム嫌悪が強いのは間違いない。
https://sosbrigade.miraheze.org/wiki/ハイペリオン
おそらく、ハルヒ全盛期の頃に、こうした議論は出尽くしていると思う。だが、検索をしても類似した意見が見つからなかったため、ここに記録した。
それから、ろくに原作を読んでいないのに、そして記憶もいい加減なのに、好き勝手言ってどうもすみませんでした。
多数のコメント、感謝しております。また、「全部読んでいないのに書くなんてずうずうしい」との指摘、まったくもってその通りです。ファンの気持ちを逆なでするような行い、お詫び申し上げます。また、立ち読みも迷惑でしたね。未成年の頃とはいえ、今にして思えば赤面ものです。
自分としては、「ハイペリオン」を読んだ人間からは、「涼宮ハルヒの憂鬱」の設定はこう見える、と伝えたかったのです。笑ってやってください。また、類似した意見がネットになかったので、記録しておこうという思いもありました。
ただ、ブクマカにもあるように、ジオシティーズやインフォシーク、ヤフーブログなどの一斉削除が原因の可能性のほうが強いですね。はからずもアーカイブの問題にも思いをはせることになりました。
それでは、失礼します。
棺桶は二重底だった
カーズ「サンタナ? あーこいつら奴のことそう呼んでんのね、合わせたろ」
最初期スタープラチナの射程範囲が広いのは承太郎の精神が安定していなかった=スタプラの能力が安定していなかったため
GEの感覚暴走は描写されてないだけでチョコラータ戦でも発動している
ブラックサバスの矢に刺されたGEがレクイエム化しなかったのはジョルノがまだその器ではなかったから
保護色(を持った恐竜にお前を変えてやるがどんな気分)か?ランプ(の擬態)は好きか?(恐竜なので)明かりはつかないという意味(の皮肉)だが
ポコロコがストーリーの本筋に絡まなかったのは荒木に忘れられていた訳ではなく、幸運ゆえにスタンドバトルを回避した結果
ジョジョリオンはすべてその場のノリだけで描かれているので考察は無意味
大人は噓つきではなくまちがいをするだけ
スーパーエイジャの波紋増幅効果が後世に伝わってなかったのは波紋戦士が柱の男に全滅させられた時代に口伝が途絶えてしまったため
虹村父の身体はトニオの料理で治せる(アニオリではあるが否定された)
ミスタはローリングストーン(ズ)戦で自分が近いうちに死ぬ運命にはないことを知ったので無茶が出来た
グリーンデイ&オアシス戦におけるチョコラータの立場には本来フーゴが立つ予定だった(フーゴが元々敵に回る予定だったのは事実だが、大量虐殺をさせるつもりだったと荒木が明言したことはない)
MIHは『ジョルノへの攻撃』ではないのでGERは発動しなかった
最終的に遺体の所有者になったのはルーシー(以前は定説だったがジョジョリオンで普通に持ち出された為に降格)
宝石の赤ちゃんは四部で仗助を救ったヤンキーと同根で「そういう奴が昔いた」というだけ
DIOが子作りしたのはジョナサンと疑似セックスしたかったから
ジョルノがいなければディアボロがプッチ神父の天国到達を妨げていた
ジョジョリオンのラスボスのスタンド能力は過去改変(矛盾とか前振りの放置だと思われていたものは全てこの伏線)
あとひとつは?
スーパーエイジャの波紋増幅効果が後世に伝わってなかったのは波紋戦士が柱の男に全滅させられた時代に口伝が途絶えてしまったため
虹村父の身体はトニオの料理で治せる(アニオリではあるが否定された)
ミスタはローリングストーン(ズ)戦で自分が近いうちに死ぬ運命にはないことを知ったので無茶が出来た
グリーンデイ&オアシス戦におけるチョコラータの立場には本来フーゴが立つ予定だった(フーゴが元々敵に回る予定だったのは事実だが、大量虐殺をさせるつもりだったと荒木が明言したことはない)
ポコロコがストーリーの本筋に絡まなかったのは荒木に忘れられていた訳ではなく、幸運ゆえにスタンドバトルを回避した結果
最終的に遺体の所有者になったのはルーシー(以前は定説だったがジョジョリオンで普通に持ち出された為に降格)
宝石の赤ちゃんは四部で仗助を救ったヤンキーと同根で「そういう奴が昔いた」というだけ
あとひとつは?
いや実際に聞こえるのはハミングどころじゃないんだが。
今私は学位を取るために必死に追加実験と執筆を重ねていて恒常的に多忙である。
畢竟徹夜も続くわけだが、そのせいか最近幻聴が聞こえるようになった。
先日も誰もいない中研究室で作業していると、ふと声が聞こえてくる。
最初はノイズ程度だったのだが、はっきりしてくるにつれて内容が分かるようになった。
混声四部合唱だ。右耳は女性パート、左耳からは男性パート(時々女性も混じる)。
曲目は皆目見当がつかないが、パートごとの追っかけもあるし、ハーモニーもしっかりしている。
このまま譜に起こせば新しく合唱曲として売れるのではないか、と思う程度にはしっかりした構築だった。
幸いというかこの日は二、三時間ほどで幻聴のコンサートは終演となったわけだが。
そこからまた徹夜続きになると度々聴こえてくる。徹夜の数を重ねるほど、声も曲調も深みを増していく。
体の酷使が原因なので、出来ればこの幻聴から早めに脱却したいのだけれど。
ああ、今日もまた。