はてなキーワード: ダンス・ダンス・ダンスとは
人類にとって書くべきものは既に全て書かれたんじゃないか、という話ではなくて、もっと個人的な話。
過去に読んだものを読み返しても、けっこうな確率で忘れてるからまた楽しめるし、
(そりゃあ当時気に入った作品だから再読して面白いと感じるのは当然だ)
しっかりと覚えているものや、三度四度と読み返すものにもいつも新たな発見がある。
既に何作か読んだ人の新作については読む方が時間の無駄な気もする。
こないだふと気が向いて村上春樹の短編集『女のいない男たち』を買って読んでみて、1作目の雑さにガッカリしてしまった。
そのあとなんとなく『ダンス・ダンス・ダンス』を読んだらめちゃくちゃ面白かった(最初読んだ時はそんなに気に入った方の作品でもなかったのに)。
毛玉 - ダンス・ダンス・ダンス https://song.link/s/7Js6XuMw1ZjQ35TZAA9nvN
Bialystocks - Winter https://song.link/s/1Vn8DQQLEuupmtW2HfaPyo
HECATOMB - Vast Perpetual Nothing https://song.link/s/7kwHfygLd0F8VcCmw9dXA1
UA - JAPONESIA https://song.link/s/68Z38T9KDFsHHEkeyiXhzW
ウ山あまね - siriasu https://song.link/s/5bW22IpeAXx8qYaZhyxHNy
「鼠」は「風の歌を聴け」に始まる「鼠四部作」に登場する。主人公の友人であるが、ある日突然行方をくらまし、「羊をめぐる冒険」では自ら死を選ぶ。語り手と主人公の仲は深く、あたかも語り手の半身のようである。己の半身が半ば死の世界にいるというモチーフはこの後に何度も繰り返される。
この半身のように親しい友人は「世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド」のなかでは幻想パートの「影」に姿を変える。彼は語り手の半身であり、語り手の記憶を保持している。壁の中に閉じ込められた世界を脱出するためには二人がそろっていなければならないが、土壇場で語り手は壁の内側にとどまることを選び、影は死ぬことになる。
「ノルウェイの森」では彼は「キズキ」になる。物語の序盤で排気ガスによる死を選んだことが語られ、交際相手であった直子の死の遠因となる。
また、直接の半身ではないにせよ親しい友人で自ら死を選ぶ点で共通しているのは、「ダンス・ダンス・ダンス」の「五反田君」だ。彼は連続殺人犯であったことを明かして死ぬ。このあたりのくだりは恐らくチャンドラーの影響が深い。
このように、半身はしばらくのあいだ無力な存在だったが、「海辺のカフカ」以降では様子が変わる。「カラスと呼ばれる少年」は、「カフカ少年」のもう一つの人格のように見えるが、彼は「カフカ少年」を客観視し、適切なアドバイスを与える。一貫してサポートしてくれる存在だ。半身が異界の住人であるというモチーフであり、「鼠」の系譜に属しているが、そこに自ら死を選ぶような面は見られない。「海辺のカフカ」は主人公がとても若い点でも特異だ。
ただし、佐伯さんが現実感を失った生活をするきっかけとなった、東京の大学紛争で殺された友人は、佐伯さんがノルウェイの森の「直子」の系譜に属するとすれば、「キズキ」のもう一人の子孫だ。
キズキと直子が、そして佐伯さんとその恋人は幼い頃から自然に性交をしていたが、まるで思春期の完璧さを求める性向が現実によって打ち砕かれるかのように、その関係が死によって断たれる点でも、この二つのカップルは類似している。
村上春樹の小説には一貫して何らかの精神疾患を患った、少なくとも感情的に不安的な女性が出てくる。
デビュー作の「風の歌を聴け」の時点から、「小指のない女の子」として出てくる。彼女は話している途中に突然泣き出してしまう。また、周囲の人々がひどいことを言うとも語るが、これが事実なのか、精神疾患ゆえの妄想なのかどうかは判然としない。
この系譜が「1973年のピンボール」の中ですでに亡くなっているかつての恋人「直子」につながり、さらに「羊をめぐる冒険」の「誰とでも寝る女の子」につながっているかどうかはわからない。ただ、「ノルウェイの森」の「直子」には直接つながっているだろう。語り手の過ちによって感情を失った「国境の南、太陽の西」の「大原イズミ」も、彼女の裏面だ。「色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年」の「白根柚木」もその子孫だ。
また、恋人または妻の一つのアーキタイプとして、「ねじまき鳥クロニクル」の「クミコ」「加納クレタ」や「スプートニクの恋人」の「にんじん」の母にも発展しているようにも思える。
より明確な形としては、「海辺のカフカ」の「佐伯さん」が子孫のようだ。前述のように恋人の死をきっかけに精神を病む、少なくともある種の現実感を失ってしまう点が共通している。ただし、佐伯さんは後述の老女の系譜にもつながっている。ピアノができたことを考えると、「スプートニクの恋人」の「ミュウ」も「色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年」の「白根柚木」も同じカテゴリに入れていい。
そもそもこのキャラクターの流れについての記述は、誰が後の作品の誰に直接発展したかを明確に追うことではない。おそらくはいくつも混ざり合っている。むしろ、これは村上春樹の作品を解釈するための補助線として見るのが適切だろう。
彼女がやたらとタフになったのが「1Q84」の「青豆」かもしれない。あるいは、生命力にあふれている点では後述の「ミドリ」だろうか。
直子とは対照的な心身が比較的健康なタイプの女性の系譜もある。
性に対する好奇心の強い「世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド」の「太った娘」もそうだが、彼女は後述する「少女」の系譜につながる面もある。
同じく制に対して罪悪感を持たない「ノルウェイの森」の「ミドリ」、「国境の南、太陽の西」の「島本さん」、「スプートニクの恋人」の「すみれ」、「海辺のカフカ」の「さくら」(どうでもいいがこのキャラのせいでおねショタに目覚めた)、「1Q84」の安田恭子へとつながっている。
村上春樹の作品を時系列順に読み返すと、ある時点で突然新しい属性を持ったキャラクター群が登場する。それは、どことなく巫女的な力を持った若い女性である。
前兆としてあらわれるのが、「羊をめぐる冒険」では耳専門のモデルをしている21歳の女性だ。彼女は不思議な力で主人公を羊へと導くが、物語の終盤を前に姿を消してしまうので、いくばくか影が薄い。しかし、「世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド」に出てくる肥満の17歳の女の子は語り手を「やみくろ」の支配する東京の地下世界にいざなう。
より少女性が強まるというか、単純に年齢が幼くなるのが「ダンス・ダンス・ダンス」に登場する13歳のユキで、彼女は五反田君の殺人の痕跡を巫女のように感じ取ることができた。
「ねじまき鳥クロニクル」での「笠原メイ」は、映画「ロリータ」を思わせる登場の仕方をするし、終盤では主人公を救う力の源であるかのように描写されている。月光の下で裸身をさらす姿は、今までの村上春樹にはなかった描写である。確かに「ノルウェイの森」で「直子」がそうするシーンはあるが、彼女は成人した女性だ。
「海辺のカフカ」では夢の中に現れる十五歳の佐伯さんの姿を取る、ここでは少女との性交が初めて描かれる。
巫女的な少女の系譜がより明確になるのが「1Q84」に出てくる17歳のカルト教団育ちである「ふかえり」だ。彼女は何らかの学習障害を患っていて独特の話し方をするが、彼女との性交は異世界との経路となる。
村上春樹が歳を重ねて少女との性交を書くのをためらわなくなっていったのは面白い(【追記】「ふかえり」にいたっては巨乳の文学少女という属性!)。というのも、「世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド」では肥満の女の子から私と寝ないかと誘われて断っているからだ。
大学の先輩がこう述べていた。ある種の作家は自分が生まれる十年ほど前の出来事をテーマにすることがある。なぜなら、自分が参加できなかった「祭り」だからだ。これが事実かどうかはわからないが、村上春樹は古くから第二次世界大戦と中国がテーマに含まれている。「鼠」の父親も戦争とその後の混乱で金持ちになった人間だ。興味深いことに村上春樹の父は中国に従軍している。
(余談だけれどもこの先輩は村上春樹作品にしばしば出てくる井戸は「イド」つまり無意識を示唆しているのではないかと言っていた)
さて、老人がキャラクターとして物語の信仰に深くかかわるようになったのは、「羊をめぐる冒険」の「羊博士」からだろう。彼はいるかホテルにこもったきりで、外に出ようとしない。しかし、探し求めている羊がどこにいるかという重大な情報を指し示す。
「世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド」でも、現実パートには「老博士」が出てくるし、幻想パートには退役した「大佐」がいる。
軍人という属性が前面に出てくるのが「ねじまき鳥クロニクル」の間宮老人だ。彼はノモンハンにて過酷な体験をするし、そこである種の悪しき力に取りつかれる。
「海辺のカフカ」には「中田老人」が出てくる。彼もまたある種の不可解な力(後述の闇の力?)の犠牲になり、記憶や知性の多くを奪われてしまう。一方で、彼は「カフカ少年」に代わって父殺しを遂行する半身でもある。
「1Q84」では少し特殊で、これは近過去SFであり、戦争の経験者やその前後に生まれた人々が相対的に若い。それゆえ今までのパターンを単純に当てはめるのが適切かはわからない。
天吾の父がこの系譜に属するだろうか。「1Q84」では善悪が入れ替わることが多い。幼い天吾を無理やりNHKの集金に連れまわす点でネガティブに描かれていたにもかかわらず(村上春樹はこうした巨大組織を一般に「システム」と呼んであまり肯定的に扱わない)、後半では声だけの存在になった彼が助けに来るのだ。
なお、戦場に行っていたという点を考慮すると、これらの老人たちは村上春樹の父親の世代に当たるだろう。
米軍基地にいたという点でジェイもここに属しているかもしれない。
一世代上の女性が出てきたのは「ノルウェイの森」の「レイコさん」だ。彼女は心を病んではいるものの、主人公たちを導いてくれる。「直子」のルームメイトとして、彼女の心身の安定に寄与している。
それがおそらく「ねじまき鳥クロニクル」の「赤坂ナツメグ」になるし、「海辺のカフカ」の「佐伯さん」を経て「1Q84」の「緒方静恵」になる。
彼女たちの多くは戦争をはじめとした暴力の中で深く傷つき、その中でもある種のコミュニティ・安全地帯を運営し続けている。「レイコさん」は精神病院の患者たちのまとめ役だし、「赤坂ナツメグ」は女性向け風俗(?)で女性の性的空想を現実にし、「佐伯さん」は図書館という静謐な環境を守護し、「緒形静恵」は性暴力を受けた女性の避難所を運営して、しばしば法を破ってでも報復を行う。年齢的にはかけ離れるが、「スプートニクの恋人」の「ミュウ」もこの老女の系譜に属するか。
彼女の息子たち(血縁があるかどうかはともかく)の系譜は、「赤坂ナツメグ」の息子「シナモン」、「佐伯さん」の図書館で司書を務める「大島さん」、それから「緒方静恵」の柳屋敷でセキュリティを担当するタマルだ。セクマイであることが多い。
「1973年のピンボール」の双子の女の子を除いて、概して二人組の登場人物は不吉な前兆だ。体格は対照的なことが多い。
「世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド」では「大男」・「ちび」の二人組が語り手に刺客を差し向け、第三勢力になって儲けようとだましに来る。「ダンス・ダンス・ダンス」ではまるで「長いお別れ」みたいな嫌がらせをしてくる「文学」「漁師」と語り手があだ名をつけた警官が出てくる。「海辺のカフカ」に出てくる二人組は、軽率な発言から「大島さん」を傷つけてしまう自称フェミニスト二人組だ。「1Q84」には「さきがけ」のリーダーの警備をする坊主頭とポニーテールの二人組がいる。
ただし、何度か繰り返すが善悪のシンボルを意図的に逆転させることが多いのが村上春樹の作品で、おなじ「海辺のカフカ」でも「カフカ少年」を森の奥に導くのは同じように体格が対照的な二人組の日本兵だ。
また、よくよく考えてみれば、「風の歌を聴け」の時点でも、「小指のない女の子」には双子の妹がいたのである。直接姿を見せず言及されるだけだが、このモチーフの萌芽とみていいだろう。
村上春樹はある時点で純粋な悪の起源はなんであるかについて語ろうとしている。
それは悪しき登場人物の姿だけでなく、クトゥルフ神話的な怪物としても姿を見せる。
現に「風の歌を聴け」に出てくるデレク・ハートフィールドの伝記は、ラブクラフトやバロウズをはじめとしたパルプフィクションの作家たちを混ぜ合わせたものだ。
「鼠四部作」のなかでは「羊」がそれに該当する。不可解な暴力や権力の中心に存在し、人間に憑りつくことで現実的な力をふるう。あるいは、「世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド」の現実パートの「やみくろ」たち、幻想パートの「門番」。「ねじまき鳥クロニクル」の「ねじまき鳥」や、綿谷昇の属する政治の世界。そして「海辺のカフカ」に登場する「ジョニー・ウォーカー」や、「中田老人」の口の中から出てくる不可解な物体。
非人間的な力ではないが、「ノルウェイの森」の「レイコさん」の精神を悪化させる原因となった少女も、この系譜に属していると見なしていいかもしれない。
だが、「1Q84」のリトルピープルの存在は解釈が難しい。今までとは異なり、単純な悪ではないようだ。初読時には「これは人が複雑な現実を物語化する能力の具現化で、善にも悪にもなりうる、ある種の単純化する力ではないか」と思ったが、再読したら違う印象を受けるやも知れない。また、「牛河」も悪しき力の手先のように見えるが、離婚した妻子がおり、生きた人間であって化け物ではない。
善悪が曖昧と言えば、「海辺のカフカ」では「圧倒的な偏見でもって強固に抹殺するんだ」が主人公サイドと敵役サイドのいずれでも使われる。
こんな風に、村上春樹はある時期から善悪を意図的にぼかし、単純化を避けるようになった。
【追記】アフターダークの暴力を振るった深夜残業してたサラリーマンもここにいれていいかも。
村上春樹後半期のテーマの一つをまとめるとしたら「どれほど不適切な養育環境で育ったとしても、その現実を受け入れてスタートするしかないし、ときとしてそこで学んだことに結果的に心が支えられてしまうケースがある」だろう。言い換えると「歴史・過去を消し去ることはできない」だ。
あと、「国境の南、太陽の西」の「にんじん」はうまくしゃべれないけど、「海辺のカフカ」の「カフカ少年」の造形に影響を与えたかもしれない。
別に結論はない。ただ、こういう順で発展していったのだなと考えながら読むと楽しいだけである。
もう一つ興味深いのは、親が亡くなるかそれくらいの年齢に近づくと、ちゃんと親と向き合ったような小説を、みんな書き始めることだなあ。
アニメが好きだった。いや、今でも好きなんだけどさ。でも昔とはなんか違う。
なんというか、見たいアニメの種類が変ったような気がする。昔はバトルとか、残虐なのとか、サブカル感ばりばりの作品が好きだった。今だと、「うん。こういうのでいいんだよ。こういうので」的なやつが好きになった。
Shenmue the Animation
恋は世界征服のあとで
SPY×FAMILY
阿波連さんははかれない
可愛いだけじゃない式守さん
Shenmue the Animation
であいもん
若い頃は、エログロなやつが好きだった(キリングバイツ)けど、最近だと受け付けない。
思い返せば、20代半ばのあの頃は底辺フリーターだった。それが地元のスーパーで正社員になって、地元の市役所で働いていた頃の嫁と店内で出会って、何度かご飯を食べて、付き合うようになって、結婚しようとしたら相手の家族に反対されて、無理やり駆け落ちしようとして、福岡駅を出る時に相手の親族に捕まりそうになって、大急ぎで新幹線に乗り込んで、見知らぬ土地のボロアパートで暮らし始めて、結婚して、娘が二人できて、今小さい建設会社の専務やってるんだけど。
社会人になったらさ、いろんな人が頑張ってるのを見ることになるじゃん。するとさ、エログロとかくそみそなコンテンツとか、例えば『アカメが斬る!』とか『ゆゆゆ』とか、頑張ってるいい奴が無残な目にあう物語を見るのが辛くなる。
https://anond.hatelabo.jp/20220510105802
の元増田です。
ブコメやトラバを読んでやっぱりハガレンは入れておけばよかったなーと思ったけど、
人それぞれのTOP30を見てみたいと思うので、あえて元記事は修正しません。
客観的な指標ではなく、個人的な好みによるTOP30も見たいという声が思いのほか多かったので、一生懸命考えてみました。
このランキングはあくまで好みなので、ジャンルの偏り、作家の偏りもあるし、思い出補正も入ってると思います。
その時の気分とか読み返しによって変動する要素も大きいですが、参考程度にどうぞ。
30 ダンス・ダンス・ダンスール
29 岡崎に捧ぐ
27 ハトのおよめさん
26 ヒミズ
25 雪の峠・剣の舞
22 クローズ
21 賭博黙示録カイジ
19 レベルE
18 ギャグマンガ日和
15 グラップラー刃牙
14 ヴィンランド・サガ
13 無限の住人
9 喧嘩稼業
8 へうげもの
5 プラネテス
3 寄生獣
【前編】
https://anond.hatelabo.jp/20220502223251
次は、私が現場で直接に『畜生』と対峙した際の経験だ。「マジでクソだな」の2つ目になる。
あるアニメの記念すべき回の収録(製作委員会の各社代表が参加。弊社からは私)が終わった後、スタジオの待合室で出版社の人と雑談をしていた。この後で飲み会をする約束を取り付けてから、私が座椅子を立ってトイレに向かう途中の廊下で、それは起こっていた。
男性声優(以下「男」とする。声優と呼ぶだけの価値はない)が、違う事務所の女性声優の手首を掴んで言い寄っていた。男は、自動販売機の近くの壁に女性を押し付けるようにして口説いていた。ご飯に行こうよ、とのこと。女性に逃げ場はないし、顔も近かった。女の敵は権力者だけではない。あらゆる状況において存在する。
私は距離を取って観察していた。考えが誤っている可能性があるからだ。しかし、やはり女性は嫌がっている。顔はこわばり、体は斜めを向いて男と視線を合わせないようにしている。それを確かめて私は、ぐいぐいと2人の方に歩いて行って、声をかけた。
「ちょっといいですか。この子は嫌がってるみたいです。やめた方がいいと思うのですが」
「あ?いやいや……おかしいやろ」
歯切れの悪い言葉とともに男は黙った。お互いに顔は知っているが、話したことはなかった。
返答を待っていると、男が「こっちのことなんで。うちら同士のことなんで関係ないでしょ」と、女性声優を連れて移動しようとした。
私の記憶では、「待て!」と叫んでいる。左手で男を制したはずだ。
「やめろと言ったろ。私がどういう立場の人間かわかってるよな?」
そう言って睨みつけると、男はまた黙った。
「今回に限っては、この子の事務所に報告するだけで済ませる。あなたの事務所には話さない。その子の手を離して、もう帰ってくれ」と彼のための逃げ場を用意したのだが、それでも手を離さなかった。
目いっぱいまで男に近付いて、額の辺りを睨みつけた。「帰れ」とだけ告げて、それでまた男の目を見続けた。
すると、男が女性の手を放した。舌打ちをして玄関の方に移動していった。収録の時は大人しい印象を受けたが、こんな人間だとは思わなかった。
女性を見ると、真下を向いていた。鼻をすする音が聞こえる。顔は前髪で見えなかった。
「マネージャーに報告しないとだめだよ。難しかったら、私が一緒に行ってあげるから」と言うと、「ありがとうございます」とだけ返ってきた。そういうわけで、その場は事なきを得た。
飲み会前のトイレに行った後、出版社の人とスタジオを出る時、その子がマネージャーと一緒にいるのと確認して安堵したのを覚えている。
それで、入口の自動ドアを通り過ぎたところで、ある理由でマネージャーに呼び止められた。以後数か月の間、さっきの声優の子と色々あったのだが……これは別の物語、いつかまた、別のときにはなすことにしよう。
まずは以下のサイトを紹介する。エンタメ作品をレビューするためのサイトだ。
1回で読み切れる量ではないため、後でまとめて読まれるのを推奨する。
https://sakuhindb.com/janime/7_DOKIDOKI_21_20PRECURE/
https://sakuhindb.com/janime/7_Star_20Twinkle_20Pricure/
概要を説明すると、前者はプリキュア暗黒期(2011~2015頃。男児向け作品の出身者がプロデューサーだったのに起因するらしい。確証はない)と呼ばれる作品のひとつだ。後者については、「東映アニメーションが若手女性プロデューサーを大抜擢!」というアニメ雑誌の記事が記憶に残っている。
上のサイト(作品データベース)では、プリキュアシリーズにおいて「非常の悪い」の評価数が多いものがたまに現れる。
ネタバレを回避しながらコメントを紹介していく。『ドキドキ!プリキュア』だと、「主人公が実は一番自己中」「パロディが多く、児童向けとしてふざけている」「赤ん坊になんてことを」といった【作品の感想】を見つけた。
同じく、『スター☆トゥインクルプリキュア』だと、「主人公の声が無理」「追加メンバーの扱いが悪すぎる」「最後のあたりでメインテーマである多様性を否定」といった【作品の感想】があった。ここまではいい。批判というのはあってしかるべきだ。
稀にではあるが、質的に異なる評価やコメントがある。スタッフを誹謗中傷することが目的であり、作品の内容は二の次、三の次といった次元のレビューを見かけることがある。プロデューサーの経歴にやたらと詳しく、シリーズ構成や脚本家が過去にどんなシナリオを作ってきたかを把握している。業界用語もポンポン飛び出す。
こういったレビューは言うまでもない。アニメ業界内部の人間が書いている。「なぜ私じゃなくて、あいつが評価を受けるんだ。なぜあいつが表舞台に立っているんだ!?」という至ってシンプルな理由――妬みや嫉みである。
彼ら彼女らは、特定個人をこき下ろす目的で公共の場にコメントを書き込んでいる。製作スタッフしか知らない内容や、業界人でないと考察できないレベルの内容がつらつらと並んでいるのを見ると、慙愧に堪えない思いをすることがあった。
嫉妬なのだろう。他人が成功することで自らの地位が低下するという思考に由来して、こういった行動が起きる。彼らは悲しい存在だ。他人を蔑んでいる時点で、相手が自分より優れていることを認めている。このように仲間を大事にできない者は組織も大事にしないし、自分すら大事にできないことが多い。
これとは逆に、相手を賞賛するというのは、事実を客観的に把握したうえで仲間を尊重する行為だ。自分=相手=組織、という感覚があるから相手を自然に認め、褒め称えることができる。仲間が成長して賞賛を受けると自分も気持ちいい。そういう原理が働いている。
特に、健全で安定した自尊心(自分に価値があるという意識。誇り。自分は影響力のある、重要な存在だという感覚)をもてるかどうかは、りっぱな価値ある仕事を自己の内部に取りこみ、自己の一部にできるかどうかにかかっている。
完全なる経営(2001/11/30) アブラハム・マズロー (著), 大川 修二 (翻訳) P.25
人間は、精神的に未発達な時期がある。少年期~青年期は特にそうだ。自分はすごいと思いたがり、他人はすごくないと思いたがる。常に上に立っていたい。だが、精神が成長すると、人間を比較することに大した意味はないことがわかる。
エンタメ業界の問題点は、精神的に未発達な人間が多すぎることにある。そういうわけで、公共のインターネット掲示板で、同じ会社の仲間を糾弾するといった行動で鬱憤を晴らそうとする。嘆かわしいとは思うが、あくまで当人の課題であり、私にはどうすることもできない。当人が成長することでしか解決しない。
アニメ業界で活躍していきたいと考える人が、有象無象に足を引っ張られない未来を願っている。私には、そういった人間を相手にし続けてなお、作品作りへの情熱を燃やすだけの『好き』がなかった。
だから、この業界を辞めた。心が限界で、いつしかアニメが好きではなくなっていた。
だから、残業が少ない仕事を選んだ。今はしみじみと会社員兼農家として生きている。
以上でこの日記は終わりだ。一万字もお付き合いいただきありがとう。デリヘルの人ではないから安心してほしい笑
これまで、私を育ててくれた業界に感謝を述べたい。楽しかったことも、嬉しかったことも、悲しかったことも、憎しみを覚えたことも、とにかく多くの経験を与えてくれた。
私はこの業界から去って、田舎で暮らすことを選んだ。けれど、業界に残ったあなた達が、今でも人の心を動かせるだけのコンテンツを作り続けているのを知っている。
最後に、大人の男性向けに春アニメを紹介する。今は5月なので5本を挙げる。
それぞれ400字以内になるよう心がける。順番に意味はない。思いついたものからだ。
放送前は「まだ0話だけど切るわ」という意見がちらほらと散見された。今では覇権枠候補として認識されている。
これ子ども向けだよね?と思っているのなら、はっきりいって違うので、ぜひ3話まで視聴してほしい。音楽好きにはお勧めだ。
作品全体として優れている。P.A.WORKSらしい安定した作風である。
コンセプトも、脚本も、演出も、作画も、キャラクターもすべてが及第点以上だ。
孔明の英子への愛情が見て取れる。彼女の歌を1人でも多くの人間に、世界に届けるために奮戦する姿に胸を打たれる。
2. ダンス・ダンス・ダンスール
バレエが題材だ。
こういう独自性のあるアニメは、面白いかつまらないかの二極になりがちだ。当作品は、もちろん前者である。
作画はかなりOK。人間が動いている感じがするだけでなく、その実際の動きを見ている者がどう視覚するかまで含めて画を描いている。
そういう描写が1話からビュンビュンと飛び出してきて、まさに圧巻だった。
シナリオもいい。作者がどれだけ等身大の中学生を描いているかを垣間見ることができた。リアルだ。あまりにもリアル。あー、昔はこんなんだったな、と感じてしまう。
課金して原作を読んでみたけど、やっぱり原作者(ジョージ朝倉)の実力が違う。レベルが違うとはこのことだ。
スタッフが本気で作っていると断言できる。というか、今季アニメは当たりが多すぎる。最終回まで残り2ヵ月もある。楽しみだ。
これが好きな人は、『ボールルームへようこそ』も楽しめる。
3. であいもん
こういうのでいいんだよ。こういうので。
4. SPY×FAMILY
覇権枠だ。
製作委員会がそれぞれ大量の資金とスタッフを出し合い、平均的なアニメの実に3~5倍以上の予算と時間を使って最高のものを作り上げる。これは、そういう類のコンテンツだ。
WIT STUDIOとCloverWorksの共同作品になる。
(「進撃の巨人」と「青春ブタ野郎はバニーガール先輩の夢を見ない」の制作会社)
原作者は長年漫画家として活躍しており、ベテランの域に入りつつある。
この『SPY×FAMILY』の漫画原作の序盤は、無理やり感のある脚本運びだ。
あまりにこじつけ的な舞台設定や、シナリオや、キャラの言動が見受けられる。それらは間違いない事実だ。
だが、中盤以降はキャラクターがどんどん生きてくる。
ネタバレはしない主義なので伏せるが、尻上がり的にどんどん面白くなっていく。
このアニメを見続ける価値はある。最初の方だけ我慢すれば、きっと楽しめるようになるだろう。今後の展開をお楽しみに。
ニコ動出身のクリエイターユニット『HoneyWorks』の楽曲のスピンオフアニメ。
ハニワというと、やはり「女性向け」を想起する人がおられるだろう。
これは、男性も楽しめる作りになっている。ハニワは女性メンバーが主体だが、男性も一緒になって創っている。安心してほしい。
主人公はいい子だ。ドジなところにも明るさがあって、人生への本気度があって、好感が持てる。
私が好きな社会心理の本に、「男性はカタログとシチュエーションに萌え、女性は物語と関係性に萌える」という文言がある。
まず、女性向けという観点でいうと上の相関関係は合格点を超えている。細かくは述べないが、人間関係は大変濃いうえに、ドロドロすることもある。
男性向けという観点からは、「シチュエーション」を挙げよう。第3話のMV撮影回において、とある胸糞描写がある。終わりの方で、まさに倍返しとばかりの展開があるのだが、これがまた爽快だった。この回で全話視聴しようと決意した。芹澤優の演技がバッチリはまっていた……。
原作知らないけど期待できそう
面白く無いことはないので、一応毎週見よう枠
原作者も楽しみにして放映まで盛り上げてたのを見てるからネガティブなことは言いたくない。
でも初回の最初で「あ、これ駄目だ」ってなった。
だからあの酷いバレエになるのは技術不足やリソース不足ではなく、スタッフがバレエをあのように見てるってこと。
業界屈指のアニメ技術力を持ちながらあんな物は作らない。作るわけない。
スタッフがバレエに何も感じてないのがあのアニメを見れば手に取るようにわかる。
じゃあなんでこんなもんアニメ化したの?
そこが不思議。
溺れるナイフはもう映像になってるから今連載中の~みたいになったか。
とにかく『ダンス・ダンス・ダンスール』のこともそんな好きじゃないね。
あとさあ、
登場人物が吹き出しの外の手書きでゴチャゴチャッと喋ってる台詞を
ああいうのはカメラを他所へ振って画面外でちょっと遠い音で早口で喋らせたりしろ。
でもうひとつ
主人公の潤平の声が汚いんよ。
いや声優は上手い人なんだろうけどさ。
なんか三枚目的な汚い声、善逸みたいな声を出すわけ。
違うだろうよ。
本来女の子みたいな、見た目だけなら王子様で通る少年なんだよ潤平は。
父の死で無理にマチズモをまとおうと頑張ってきたけどちゃんと繊細な感性を持ってる少年。
だからもっときれいな声をベースに「ババア!」みたいな台詞を言わせるんだよ。
剽軽な汚い声でがならせてどうする。
もう何もかも駄目なんだよな。
3D使うのはいいけど腕の動きひとつだって動かし方のタイミングだろうが。
ただ腕を動かすだけでも下手糞の棒みたいな動きから凄い表現力を放散する動きまであるぞっていう
そういうことを原作ではさんざんやってるわけでな。
あれ読んであんな、普通のアニメと何も変わらない程度の労力しか籠ってない動かし方をするなら
ならなんでこんなもんのアニメ化に手を出したの?
それが本当に不思議で。
拘り込めることをさぼったり感激なく作品を作ったりするならこんな仕事やめちまえよ。
だが作画監督がバレエ…というか踊りに対して感激する感性全くない人間なのは確信してるよ俺は。
バレエの作画するにあたってたぶん振り付けは頑張って資料を揃えてる。
でも感性はない。
だから振り付けを正しくなぞる以上のことがなんにもわからない。
そういう人間が付けてる動きだって言うことは一目見ればわかる。
俺が何にこんなにムカついてるのか、アニメ未視聴の人は1話でいいから見てみてくれ
別に高度な水準の話はしてないのでわかる人は一目でわかると思う。
技術的な限界の問題じゃなくて、表現しようとしてない、踊りに何か感じたことがない、って5秒見りゃわかる。
見てないのもそこそこ
一覧、あらすじはアニメイトのサイトが便利(https://www.animatetimes.com/tag/details.php?id=5228)
前期で面白かったのはセーラー服、オンエアできない、着せ替え人形、プリコネ
感想には偏りが強い
今期おすすめ
SPY×FAMILY
まちカドまぞく 2丁目
1期を見たorこれから見れるならこれ
畳み掛けるコメディが心地いい
以下順不同
この絵でお色気展開進めるのは見続ける人絞られそう
阿波連さんははかれない
ただ逃し屋ってだけで展開進めるのは厳しいからこの先にかかってる
2話見たけどもう細かいこと気にしないでヘラヘラ見るのがよさそう
1話で目新しさ無し
カッコウの許嫁
取り違え子のスタートから結局ヒロイン3人の王道ラブコメになってしまいそう
可愛いだけじゃない式守さん
自信ない系主人公にめちゃ美人の彼女が居てオチが俺の彼女かっけぇわ!って話
地味にクオリティが低くて原作のヒロインの可愛さ、かっこよさが出てない、絵が負けてる
日常編もあまりパッとせず旧時代のラノベ感があって飽きが早そう
例えば明日ちゃんのように決め場面で原作者にイラスト描いて貰えばまだ違ったのでは
境界戦機
1期が思ったより伸びず子供向けなのが伝わってなかった感
Youtubeで毎週配信してたにも関わらずプラモ爆死だけど止まれない
くノ一ツバキの胸の内
クオリティは高い
原作未読なので展開に期待込めてもう少しみようとは思う出来
群青のファンファーレ
天下のJRAが協力してこの完成度は酷すぎる
とりあえず見ようにも色々と雑なのが気になって集中できない
恋は世界征服のあとで
あとは主人公サイドにどれだけヒロイン力のあるかませ犬が出るかどうかぐらいしかなさげ
このヒーラー、めんどくさい
試し読みした原作がずっとこの方向だったので合う人には楽しめる1クール
このまま3期やりそうな勢い
サマータイムレンダ
Tver配信もあるらしいけどこの先1話でも見逃すのはミステリーにとって致命的
あとあの着地で1話終わるならopはカットしてればよりインパクトあったわね
コミュ障+最強のまま転生
作者的にコミュ障を意識したかどうかは不明だけど行動がもはや不審者
あまり目新しい展開はなさそう
ひたすら無心で癒し系が見たいなら圧倒的にこれ
転生ものと思わせといて捻ったパターン、キャラデザがそこそこ良い
このまま目新しい展開で進めればキャラデザの良さと相まって楽しめそう
3話まで見た、百合って程じゃないけど邪魔な男が出てこないのもいいね
今期1番の怪作
フォークダンスDE成子坂のコントをアニメでやってる
アニメ絵のコント番組として見れば所々面白いが自分で調べないとアニメとしては説明不足すぎる
盾の勇者の成り上がり Season2
1期と間が空きすぎて全くこれまでの内容が思い出せない
基本的に胸糞悪い展開〜やり返し〜また困難に直面〜といった具合だったような
クオリティそこそこだったはずだけどさすがに間空きすぎてストーリー思い出せないのは辛い
2話まで見たけど足の引っ張り合いから素直に協力までが早すぎてもう何が書きたいのかわからん
会話と行動が噛み合ってなくて変な感じ
であいもん
原作既読で楽しみにしてたけどなんか微妙、中盤から作画崩れる気配あるかも
BIRDIE WING -Golf Girls’ Story-
話題になった原作からやっとアニメ化、クオリティ充分でオススメ
全体的なクオリティは並〜下
極端にクオリティ悪いわけじゃないけど目新しさはあんまない展開になりそう
本好きの下剋上 司書になるためには手段を選んでいられません 第3期
これも久しぶり感ある3期、完全にコミカライズ追い抜いた
少し不穏な展開で進んでるのが気になるけど目標は最初から一貫してるのでストーリーが迷子ってほどではない
魔法などに関する設定で目新しさはないので見ればスッと見れる世界観
キャラデザは気合入ってるけどこの無力系主人公は見てて若干ストレス
15分というのがまた良い
八十亀ちゃんかんさつにっき 4さつめ
これも5分程度なのが見やすくていい
救った後に居場所がなくなるまでのストーリーが妙にリアルで納得できるのが良い
2話見てお仕事系と知る、主人公万能だけどそれだけで全部解決しないのが好き
コメディ要素もバンバン入って楽しいかもしれない、当たり作品の予感
先日も述べたように自分はポーの作品が好きではあるのだけれども、ミステリの黎明期は今でいうところの禁じ手を平気で使っているものが多く、純粋にストーリーを楽しもうとするとずっこけることがある。とはいえ、論理と推論をたどることによって面白い話を作りだすのを始めたのは彼なので、ミステリが好きなら読んでおきたい。確かに意外な真犯人ではある。
同じく、今でいえばお粗末な話も時折あるのだけれども、ホームズとワトソンの関係が好き。中でも「三人ガリデブ」でワトソンのピンチに思わず熱くなったホームズは必見。なんでこのシーンが好きなのかというと、聡明すぎてどうしても人を観察対象としてしまうホームズが、知的ではあるが彼ほどではないワトソンを心から思いやっているからだ。知的に対等ではない人間を愛することができるかどうかは、鋭敏な知性の持ち主にとっては人生最大の試練だ。女性人気が高いのもうなずける。
ルパンシリーズのこの巻だけ親が買ってくれたし、何度も読み返していたのだが、なぜか続きを読もうとは思えずに現在に至っている。ミステリというよりは冒険小説に近い気もするが知恵比べ的な面もあり、そこが面白かったのかもしれない。しかしそうすると、これをミステリ100選に入れるかどうかは迷う。ライトノベルの定義がライトノベルレーベルから出ているかどうかだとすれば、東京創元社か早川書房から出てはいるからミステリとしてOKかもしれないが。
自分は新世界の神になれると信じて殺人を犯したのに日和ってしまい、純粋なソープ嬢に救われる話。これも謎を解くというよりも心理戦を描いている。心理戦というかやっぱりドストエフスキー名物の神経質な人間の独白だ。基本、ドストエフスキーの登場人物にはまともなやつなどおらず、この作品も例外ではない。主人公の妹をつけ狙うロリコン野郎だとか、娘がソープで稼いだ金で酔いつぶれ、その罪悪感からまた飲むというどうしようもない親父だとか、神になり切れなくてプルプル震えている主人公だとか、そういうキャラが最高なのだ。これではまったらドストエフスキー五大長編を制覇しよう。ミステリじゃないのがほとんどだが、心配はいらない。ドストエフスキーの過剰な語りにはまった人間の前ではそのようなことは些事だ。
ちなみに高野史緒「カラマーゾフの妹」は二次創作小説として最高なのでみんな読もう。
こういう非人道的な植民地を持っていた王様の銅像だったら国民から倒されても文句は言えんよな、的なベルギー領コンゴをモデルの一つとしているのだけれども、これってミステリかね? ひたすら謎の人物を追いかけて、地理的にも深いところへ分け入っていき、目的の人物と出会うが彼はあっさり死んでしまうというあらすじは、神話的な単純さと力強さがあるが。クルツは何を恐ろしがっていたのかで語り明かしたい本である。
自分は育ってきた境遇上英米のわらべ歌(マザーグース、ナーサリーライム)は身近に感じるのだが、そうではない読者がどこまでこの趣向を楽しむことができるかどうかはわからない。
この作品で特筆すべきことは、探偵が犯人と対決するときの命を懸けた大博打だが、今の倫理的な読者はこの方法で犯人を裁くことが適切と考えるかどうかはわからない。ミステリにおける倫理(後期クイーン問題とかそういうの?)を語るなら読んでおきたい。
確かに単体で一番面白いのはこの作品だけれども、せっかくだからドルリー・レーン四部作は一気読みしたい。ただ、衝撃の真犯人といわれても、すっかりすれてしまった現代の読者からすればそこまでショックを受けないかも。そういう意味では登場人物の反応も大げさに見えてしまう。
個人的には「Zの悲劇」以来(テコ入れのために?)登場したペイシェンスという活動的なヒロインが女性史の観点から興味深い。当時としてはすごく斬新なヒロインだったんじゃなかろうか。恋人と一緒にパンツを買いに行くし。
クリスティはどれを選ぶか迷う。ただ、わらべ歌物の中ではなじみが少なくても楽しみやすいんじゃなかろうか。一人ずつ減っていくという趣向は非常にわかりやすい。謎を解く手記が多少不自然といえなくもないが気軽に読める。
ちなみに舞台版ではハッピーエンドに改作されているのもあるとのこと。
「チャーリーとチョコレート工場」など児童文学の作者としても知られる。児童文学ではスパイス代わりだった毒がメインディッシュになっている。
ところで、読者諸氏は年末に「岸部露伴は動かない」をご覧になっただろうか。ドラマ化されていないが、シリーズの中に命を懸けて賭けをする場面がある。あるいは、「ジョジョの奇妙な冒険」第五部でライターを消してはならないという賭けが出てくる。その元ネタとなったと思しき「南から来た男」が収録されているので、ジョジョファンは一読をお勧めする。オマージュや翻案とはこういうのを言うのか、って気持ちになる。なお、ダールは「奇妙な味」の作家としても知られている。
筆者はフィリップ・マーロウの良さがわからない。必要のない危険にわざわざ飛び込んでいき、暴力的な人間を挑発する。ただし、この作品が日本の文化に与えた影響は大きい。
ハードボイルド小説以外から例を挙げよう。一つは村上春樹のいわゆる鼠四部作だ。「羊をめぐる冒険」での鼠の足跡を訪ねてのクエストはチャンドラーの強い影響を受けている。あるいは「ダンス・ダンス・ダンス」の警官による拷問や親友の犯罪が明らかになるシーンの元ネタも見つけることができる。一度村上春樹の登場人物の系譜はどこかでまとめておきたいと思っている(村上春樹のヒロインをまとめていた増田と自分は別人)。
もう一つは「スペースコブラ」の「坊主… 口のききかたにゃ気をつけな… オレは気が短けえんだ!」「腹を立てるとなにをするんだ? うさぎとワルツでも踊るのか」の元ネタがあること。「……俺は頭が切れやすくってね」「頭が変になったら何をするんだい? 地リスとタンゴを踊るのか?」。どこがかっこいいのかは残念ながら筆者にはわからなかった。
エーコについては書きたいことがたくさんある。キリスト教と笑いについて問いを投げかけたこと、中世を舞台にしているようで当時のイタリアについての無数の言及があること、それから次の名言。「純粋というものはいつでもわたしに恐怖を覚えさせる」「純粋さのなかでも何が、とりわけ、あなたに恐怖を抱かせるのですか?」「性急な点だ」
しかし、この作品で一番深刻なのは、キリスト教文学であるにもかかわらず、主人公の見習い修道士以外の誰もが、誰のことも愛していないことだ。キリスト教とは愛の教えであるはずだ。弱いものに施したことは、神に捧げたことになるはずで、福音書にもそう書いてある。しかし、修道士たちは貧民を見捨てて権力争いに明け暮れ、異端審問官たちは民衆を拷問し、主人公を導くはずの師匠も人間を愛していない。彼が愛しているのは知識だけだ。
主人公は、言葉の通じない村娘とふとしたきっかけでたった一回の性交を行い、彼女に深く恋し、それでも魔女として告発された彼女を救えない。彼が村娘の美しさを描写する言葉がすべて、聖書からのつぎはぎなのが痛々しい。
勿論、知的な遊び心にもあふれている。主人公の不可解な夢の持つ意味を解き明かした師匠は「もしも人間が夢から知識を得る時代が来たら世も末だ」という趣旨の台詞を漏らすが、これはフロイトへの当てこすりである。同じく、深刻な場面で、とあるドイツの神秘主義者が「梯子をのぼったらその梯子は不要なので捨ててしまわなければならない」と述べたことが言及されるが、ウィトゲンシュタインに言及したジョークである。中世にこんなセリフが出てくるはずがない。
難解かもしれないが何度でも楽しめる。なんだったらあらすじを知るために映画を先に見てもいい。ちなみに、この映画のセックスシーン、村娘が修道士を押し倒すのだけれども、多感な時期にこんなものを見たせいで女性が男性を襲うアダルトビデオが好きになってしまった。そういう意味でも自分にとっては影響が深い作品。
人間嫌いだった筆者が最高に楽しんだ本。文明が野蛮に回帰していくというモチーフが好きなのだ。何を持って野蛮とするかは諸説あるが。大体、中高生の頃は自分を差し置いて人間なんて汚いという絶望感に浸りがちで、そういう需要をしっかりと満たしてくれた。舞台と同じ男子校出身だしね。
三部作の一冊目。実はこれ以外読んでいない。読んだ当時は、双子たちのマッチョ志向というか、とかく異様に力を手に入れようとするところだとか、著者がフランス語で書いたにもかかわらずフランス語を憎悪しているところとかが、何とも言えず不快だった。
今読み返したら、双子たちが過剰に現実に適用しようとする痛々しさや、亡命文学の苦しみに対してもっと共感できる気がする。個人的には頭が良すぎて皮肉な態度を取り続けるクンデラのほうが好きだけどね。「存在の耐えられない軽さ」よりは「不滅」派。
子供の頃より腕力がなくてやり返せず、口も回らずにいつも言い負かされ、片想いしていた女の子といじめっ子が仲良くなるのを横で見ていた自分にとって、自由と財産と恋人を奪われたことへの復讐を主題としたこの作品にはまることは必然であったと思う。とにかく面白い。特に、モンテ・クリスト伯が徐々に復讐心を失っていく過程が、非常に良い。
大人になって完訳版を読むと、ナポレオン時代の国際情勢を背景がわかってさらに面白かった。
犯人当てや宝探しなど派手な展開がてんこ盛りだし、犯人の動機の一部は自分が醜悪に生まれたことに端を発しているから、貧困とか弱者とか非モテとかそういう問題に敏感な増田にとっても議論の題材にできそう。
読んだからと言って別に正気が失われないけれども、チャカポコチャカポコのくだりで挫折する読者が多いと聞く。大体あの辺りはあまり深刻にとらえず、リズムに乗って楽しく読めばいい。スチャラカチャカポコ。
話のテーマは、基本的には原罪的なものだろう。自分が人を殺しているかもしれないという恐れ、親の罪を受け継いでいるかもしれないという恐れ、それから生きることへの恐れだろうか。
難解な雰囲気は好物だが、かなり自己満足的でもある。ヴァン・ダインの二十則破りまくりだし。言葉の連想テストで犯人を指摘し、余計な情景描写や、脇道に逸れた文学的な饒舌にあふれ、探偵があっさり暗号を解読して、事件の謎を解く。作者の知識の開陳を素直に楽しみましょう。ただ、これ読むんだったら澁澤龍彦の本を何冊か買ったほうがお得であると思うし、膨大な知識が注ぎ込まれているがリーダビリティの高い点でもエーコに軍配が上がる。
差別用語が出てくることで有名で、先ほど出てきたわらべ歌による見立て殺人の影響を受けている。
血のつながりによる犯行の動機や、実行の決め手となる偶然の出来事、その皮肉な結末が個人的に好き。自分は謎を解くことよりも、犯人たちの心理状態、特にその絶望のほうに興味を持つからだろう。
メタフィクションを個人的には愛好しているのだけれども、話が入り込みすぎていて結局どういう話であったか覚えていない。巻末の書き下ろしのおまけで、探偵が少年にパンツの模様を聞くシーンがあったことだけを覚えている。
とはいえ、癖のある登場人物から、大学の文学やミステリサークルの雰囲気を思い出して感傷に浸るのにはおすすめか。大体、小説を好きこのんで読む人間は大抵どこかこじらせているものだし、読みたいリストや他人にお勧めする本リストを作り出したらもういけない。そしてそんな奴らが僕は大好きだ。
以上。
手術の前後は必ずいなければならないのだが、親がすることできることは限られていて、概ね退屈な時間が続く。持参した本を読み終えて、院内文庫で本を借りることにした。頭は使いたくないが、すぐ読み終わるようなものは困る。村上春樹の「ダンス・ダンス・ダンス」があった。好きな小説だが、ここ数年は読んでいなかったので、これを読み始めた。
小児病棟というのは、悲劇が日常になっていることが、感じられないくらい空気に溶け込んでいる場所だ。
付き添いで泊まり込んでいる若い母親が、もう泣きたいよーと笑いながら話す声が聞こえる。子供なんて、普通に生まれたら普通に育つもんだと思ってたら、まさか癌になるとはね。私からは見えないところから、笑い声の合間に鼻をすする音はするが、声は乱れず明るい。
細い足をむき出しにした小さな子を抱っこ紐で抱えたパンクファッションの母親が、エレベーターを待っている。母と話す声で、その子が女の子であること、思ったよりずっと年齢が高いことが分かる。髪は産毛のようにふわふわして、地肌が見えている。
長期入院から退院した少女が、まだ入院中の友人に会いに来ている。馴染みの看護師の噂話や、院内学級の話をひとしきり交わす内に、看護師が検査のため友人を呼びに来る。二人の少女は、またねと言い合って別れる。外から来た少女は冬の服、病棟に戻る少女は素足にサンダルだ。
医師が少年に話している。君の病気は、完治は見込めない。今は寛解と言って、症状を抑えている状態だ。明日で退院だけど、薬とは一生の付き合いになる。少年は静かに聞き入っている。
私の子供は何度か手術を受ければいいだけで、生きるか死ぬかなどというものではない。悲劇にも度合いがある。我が家のそれは、単なる煩わしさであって、悲しみの入る余地はない。しかし、多くの家族があの場所で嘆き悲しみ、それでも懸命に日々を生きている。ある子は完治して去り、ある子は病と共に生き、またある子はそこで命を落とす。
そんな場所で読む「ダンス・ダンス・ダンス」は、信じられないくらい薄っぺらく、陳腐だった。あんなに大好きで共感していた主人公は、鼻持ちならない傲慢なナルシストにしか思えない。
作中に出てくる人物は、並外れて奇妙か、または美しくて服装がファッショナブルでないと、ネガティブ、あるいは評価に値しないような扱いを受ける。
この小説に私が出てきたら、こんな風だろう。
「その母親は化粧気がなく、部屋着も同然の姿をしていた。顔つきは暗く、目に力はなく、何もかもが灰色でそそけだっているように見えた。親しくなりたいタイプの女性ではない。」とかなんとか。「そそけだって」の所には傍点が付く。英訳されたら、この部分だけ全部大文字になる。
村上春樹は何も悪くない。他の作家なら違和感を覚えなかった訳でもなかろう。
ただ、ずっと好きだった作品を久しぶりに読んで、ここまでがっかりしたのがショックなのだ。
示唆に富み、人生の本質を探り当てていると思っていた小説が、陳腐で皮相的としか読めないのが悲しいのだ。
結局最後まで読まずに返却し、その後はクロスワードパズルをして過ごした。子供が起きられるようになってからは、二人でクロスワードパズルを作ったり、絵を描いたりして暇を潰した。
家に帰ると、本棚に数冊の村上春樹の本がある。日常の中で読めば、元のように親しみを感じるかもしれないが、今は手に取る気になれない。
たかが数日の入院に付き添った私でこうなのだ。ずっと付き添っている人達はどうしているのだろうか。どんな本を読むのだろうか。こんなことを気にすること自体が、お気楽な証拠なのだろうか。