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2017-05-19

円仁(えんにん、延暦13年(794年) - 貞観6年1月14日(864年2月24日))は、第3代天台座主。慈覚大師(じかくだいし)ともいう。 入唐八家(最澄空海・常暁・円行・円仁・恵運・円珍・宗叡)の一人。下野国の生まれ出自壬生氏。

目次 [非表示]

1 円仁人物

2 遣唐使の渡海の困難

3 天台山を目指すが…

4 在唐新羅社会の助け

5 五台山巡礼

6 長安への求法

7 帰国の旅の苦難

8 関連文献

9 脚注

10 関連項目

11 外部リンク

円仁人物像[編集]

794年延暦13年)下野国都賀壬生町現在壬生寺)に豪族壬生氏(壬生君:毛野氏一族)の壬生首麻呂の子として生まれる。兄の秋主から儒学を勧められるが早くから仏教に心を寄せ、9歳で大慈寺に入って修行を始める。大慈寺の師・広智は鑑真の直弟子道忠の弟子であるが、道忠は早くから最澄理解者であって、多くの弟子最澄師事させている。

※生誕地については

美加保ノ関(藤岡町三鴨の都賀字館)

手洗窪(岩舟町下津原

壬生寺壬生町

などの説があり、順徳天皇撰による「八雲御抄」では、みかほの関、みかほノ山での誕生が記されている。

また、美加保乃関は万葉集歌人によって和歌も詠まれており

下つ毛野 みかもノ山の越奈良の須 目ぐはし頃は 多が家かもたむ

あずま路の 人に問はばや みかもなる 関にもかくや 花は匂うと

石ふまぬ 安蘇の川原に 行き暮れて みかほの関に 今日やとまら

下野や 安蘇の川原に 行きくれば みかもの崎に 宿をかりなん

この他、近くにある円仁ゆかりの安蘇の川原は、みかほの関を沼越しに眺める名所として多くの和歌が詠まれている。

安蘇山の麓に生まれたという説では、慈覚大師円仁の出生については「桓武天皇延暦13年、廣智菩薩大慈寺住職とき南方に紫雲がたなびき、尋ねていくと安蘇山麓現在の三毳山のふもと岩舟町下津原手洗窪)…下津原の手洗窪は「慈覚大師誕生の地」として栃木市史跡指定されている。

15歳のとき、唐より最澄帰国して比叡山延暦寺を開いたと聞くとすぐに比叡山に向かい最澄師事する。奈良仏教の反撃と真言密教興隆という二重の障壁の中で天台宗確立に立ち向かう師最澄に忠実に仕え、学問修行に専念して師から深く愛される。最澄が止観(法華経注釈書)を学ばせた弟子10人のうち、師の代講を任せられるようになったのは円仁ひとりであった。

814年(弘仁5年)、言試(国家試験)に合格、翌年得度出家)する(21歳)。816年(弘仁7年)、三戒壇の一つ東大寺で具足戒(小乗250戒)を受ける(23歳)。この年、師最澄東国巡遊に従って故郷下野を訪れる。最澄のこの旅行は、新しく立てた天台宗の法華一乗の教えを全国に広める為、全国に6箇所を選んでそこに宝塔を建て、一千部八千巻の法華経を置いて地方教化・国利安福の中心地としようとするものであった。817年(弘仁8年)3月6日大乗戒を教授師として諸弟子に授けるとともに自らも大乗戒を受ける。

性は円満にして温雅、眉の太い人であったと言われる。浄土宗開祖法然は、私淑する円仁の衣をまといながら亡くなったという。

遣唐使の渡海の困難[編集]

836年(承和2年)、1回目の渡航失敗、翌837年(承和3年)、2回目の渡航を試みたが失敗した。838年(承和5年)6月13日博多津を出港。『入唐求法巡礼行記』をこの日から記し始める。志賀島から揚州東梁豊村まで8日間で無事渡海する(しかし「四つの船」のうち1艘は遭難している)。円仁の乗った船は助かったものの、船のコントロールが利かず渚に乗り上げてしまい、円仁はずぶ濡れ、船は全壊するという形での上陸だった(『行記』838年(開成4年)7月2日条)。

上陸である唐の開成4年7月2日日本の承和5年7月2日と日付が一致していた。唐と日本で同じ暦を使っているのだから当然ではあるが、異国でも日付が全く同じであることに改めて感動している(『行記』838年(開成4年)7月2日条)。

天台山を目指すが…[編集]

最後遣唐使として唐に留学するが、もともと請益僧(入唐僧(唐への留学僧)のうち、短期のもの)であったため目指す天台山へは旅行許可下りず(短期の入唐僧のため日程的に無理と判断されたか)、空しく帰国せねばならない事態に陥った。唐への留住を唐皇帝に何度も願い出るが認められない。そこで円仁遣唐使一行と離れて危険を冒して不法在唐を決意する(外国人僧の滞在には唐皇帝勅許必要)。天台山にいた最澄の姿を童子(子供)の時に見ていたという若い天台僧敬文が、天台山からはるばる円仁を訪ねてきた。日本から高僧が揚州に来ているという情報を得て、懐かしく思って訪れて来たのだという。唐滞在中の円仁の世話を何かと見てくれるようになる。海州東海県で遣唐大使一行から離れ、一夜を過ごすも村人たちに不審な僧だと警戒され(中国語通じず、「自分新羅僧だ」と主張しているが新羅言葉でもないようだ、怪しい僧だ)、役所に突き出されてしまう。再び遣唐大使一行のところに連れ戻されてしまった(『行記』839年(開成4年)4月10日条)。

在唐新羅社会の助け[編集]

当時、中国山東半島沿岸一帯は張宝高をはじめとする多くの新羅人海商が活躍していたが、山東半島新羅人の港町・赤山浦の在唐新羅社会の助けを借りて唐残留成功不法在留者でありながら通行許可証を得る等)する。遣唐使一行から離れ、寄寓していた張宝設立の赤山法華院で聖林という新羅から天台山の代わりに五台山を紹介され、天台山はあきらめたが五台山という新たな目標を見出す。春を待って五台山までの約1270キロメートルを歩く(『行記』840年(開成5年)2月19日4月28日の58日間)。

五台山巡礼[編集]

840年、五台山巡礼する。標高3000mを超す最高峰の北台にも登山する(47歳)。五台山では、長老の志遠から「遠い国からよく来てくれた」と温かく迎えられる(『行記』840年(開成5年)4月28日条)。五台山を訪れた2人目の日本人だという(1人目は、最澄とともに入唐し、帰国せず五台山客死した霊仙三蔵)。法華経密教整合性に関する未解決問題など「未決三十条」の解答を得、日本にまだ伝来していなかった五台山所蔵の仏典37巻を書写する。また、南台の霧深い山中で「聖燈」(ブロッケン現象か。『行記』840年5月22日条、6月21日条、7月2日条)などの奇瑞を多数目撃し、文殊菩薩の示現に違いないと信仰を新たにする。

長安への求法[編集]

当時世界最大の都市にして最先端文化の発信地でもあった長安へ行くことを決意し、五台山から1100キロメートルを徒歩旅行する(53日間)。その際、大興善寺の元政和尚から灌頂を受け、金剛界大法を授き、青竜寺の義真からも灌頂を受け、胎蔵界・盧遮那経大法と蘇悉地大法を授く。また、金剛界曼荼羅長安絵師・王恵に代価6千文で描かせる。

台密にまだなかった念願の金剛界曼荼羅を得たこの晩、今は亡き最澄が夢に現れた。曼荼羅を手に取りながら涙ながらに大変喜んでくれた。円仁は師の最澄を拝しようとしたが、最澄はそれを制して逆に弟子円仁を深く拝したという(『行記』840年10月29日条)。描かせていた曼荼羅が完成する(『行記』840年(開成5年)12月22日条)。

しばらくして、唐朝帰国を百余度も願い出るが拒否される(会昌元年8月7日最初)が、その間入唐以来5年間余りを共に過して来た愛弟子・惟暁を失う(『行記』843年(会昌3年)7月25日条。享年32)。また、サンスクリット語を学び、仏典を多数書写した。長安を去る時には423部・合計559巻を持っていた(『入唐新求聖教目録』)。そして、842年(会昌2年)10月、会昌の廃仏に遭い、外国人僧の国外追放という予期せぬ形で、帰国が叶った(会昌5年2月)。

帰国の旅の苦難[編集]

当時の長安の情勢は、唐の衰退も相まって騒然としていた。治安悪化不審火も相次いでいた。その長安の街を夜半に発ったが(曼荼羅や膨大な経巻を無事に持ち帰るため)、夜にもかかわらず多くの長安住人の送別を受けた。送別人の多くは、唐高官の仏教徒李元佐のほか、僧侶及び円仁長安暮らしを支えた長安在留新羅人たちが主であった。餞けとして絹12丈(30m余)を贈ってくれた新羅人もいた(845年(会昌5年)5月15日)。歩くこと107日間、山東半島新羅人の町・赤山まで歩いて戻った[注 1]。

この際、新羅人の唐役人にして張宝高の部下の将・張詠が円仁のために唐政府の公金で帰国船を建造してくれたが、密告に遭い、この船では帰れなくなる。

円仁が無事生きている」という情報日本に伝わっていたらしく、比叡山から弟子の性海が円仁を迎えに唐にやってきて、師と再会を遂げる。楚州の新羅人約語(通訳のこと)劉慎言に帰国の便船探しを頼み(彼は新羅語・唐語・日本語を操れるトライリンガルであった)、彼の見つけた新羅商人金珍の貿易船に便乗して帰国する。円仁は劉慎言に沙金弐両と大坂腰帯を贈っている。朝鮮半島沿岸を進みながらの90日間の船旅であった。新羅船は小型だが高速で堅牢であることに驚いている。博多津に到着し、鴻臚館に入った(『行記』847年(承和14年)9月19日条)。日本政府円仁を無事連れ帰ってきた金珍ら新羅商人に十分に報酬を報いるように太政官符を発し、ここで9年6ヶ月に及んだ日記『入唐求法巡礼行記』(全4巻)の筆を擱いている(『行記』847年(承和14年)12月14日条)。54歳。

この9年6ヶ月に及ぶ求法の旅の間、書き綴った日記が『入唐求法巡礼行記』で、これは日本人による最初の本格的旅行記であり、時の皇帝、武宗による仏教弾圧である会昌の廃仏の様子を生々しく伝えるものとして歴史資料としても高く評価されている(エドウィン・ライシャワー研究により欧米でも知られるようになる)。巡礼行記によると円仁は一日約40kmを徒歩で移動していたという。

目黒不動として知られる瀧泉寺や、山形市にある立石寺松島瑞巌寺を開いたと言われる。慈覚大師円仁が開山したり再興したりしたと伝わる寺は関東に209寺、東北に331寺余あるとされ、浅草浅草寺もそのひとつ岩舟町観光協会HP)。このほか北海道にも存在する。

後に円仁派は山門派と称された。(円珍派は寺門派、両者は長期にわたり対立関係になった)。

2015-12-07

http://anond.hatelabo.jp/20151206193422

千葉県だろ?

どんなもんかと思って見たら、

Category:上総国の人物 - Wikipedia

Category:安房国の人物 - Wikipedia

日蓮小野忠明と菱川師宣がいるじゃん!

日蓮仏教日蓮宗開祖法然親鸞と並んで鎌倉仏教代表する高僧だ。

小野忠明はこちらは剣術小野派一刀流の開祖で同時代では最強とも言われる剣豪

菱川師宣浮世絵の創始者で「見返り美人図」などが有名。

うーむ、千葉県文化の始まりを生む土地柄なのかもしれんな。

そもそも千葉県のあたりは桓武平氏本拠地みたいなところで、

いにしえの平将門はもちろん上総広常や千葉常胤など有力豪族ごろごろしてたんだぜ。

源義朝とも縁が深いし、関東においては江戸なんかよりよっぽど重要土地だったんだよ。

もっと自信持てよ。

2015-10-11

穢れなき処女とかどこから来た文化なんだろう

まず神道ではない。

神道は血を穢れとしているために、生理出産など血に関わる事の多い女は穢れとされやすい。

しか神話でも度々性交が行われ、大昔から神主が妻帯しているのを見ても解るように性交は穢れではない。

仏教では女性が穢れという概念はなく、日本仏教女人禁制独自文化で、海外から日本国ひとつのわらひごとありと笑われて法然親鸞批判的だ。

性交に関してはかなり厳しく禁じており、坊主は性行為自慰、異性との接触、卑猥言葉等々数多く禁止されているが、日本ではその辺も独自進化をとげており、坊さんのほとんどが妻帯している。

しろ結婚をして跡取りを作る義務があるくらいだ。

なので日本仏教においては性交は穢れではない。

本当にどこから来たのか解らない、キリスト教なんだろうか。

しかしそれは時代が下がりすぎる気もする。

2015-05-04

俺、親鸞共感しまくり。

 生まれてきて、大人になって、暮らしを営んでいることに幸あれと本当に思う。碌でもない出来事が日々石ころのように転がっていて、それを道から除けるか、避けて通るか、人それぞれなんだけど、なんというかその、道があることが愛おしい。僕らはみんな生きている。生きているからすごいんだ。

 世を苦行だと捉えるのが一般的仏教根本原理だ。聖なき衆生が業のもとに救いなく永久に続く苦行を生きる煩悩の有様を目に見える世界だとする。解脱とはメタ世界への移行でその業の世界から脱出意味してそれを神聖視するわけだけど、そもそもの動機は業からの逃避な訳で。ものを食って、うんこしてる身で。要は、苦行してるお坊さん方は、世の中から逃げたくて逃げたくて仕方がなかった。だから糞下流には混じり合わず、己の世界の内でしんどいことをやり続ければ報われる、というのが原始仏教。こいつらくだらねぇな、つきあってられねぇな、なんて、分かりやすエリート意識

 しかし、苦しい世だからこそ、そこに生きることが尊いのではないか。そこで泥水をすすり、愛欲に溺れ、駆け引きを駆使しながら己と子を護り、肉を喰らって、眠りと朝日保障する。おい、ねえ、すごくない?俺できないし。というのを愚直に見つめた男がいる。それが親鸞だ。

 教義としてのオリジナリティ法然にあるのかもしれないが、親鸞事実、泥水をすすりセックスをし、酒を飲み肉を喰らいながら、そんな俺が信じてるよ、と阿弥陀の救いを説いた。私が知る、あなたたちをこそ救わずして、何が仏か、と。

 ここからは俺の独自解釈。かつて僧という「形」のために頭を剃った愚行を「愚禿」と表わし、今現に業を一身に背負うこと=菩薩行を積んでいる目の前の人々をこそ、哀れまず慈しまず尊んで、己より行を達した者とし、敢えて同じことをした。世は、かき集めた金をつぎ込んで寺を建て、加持祈祷をさせれば徳=得の時代。そのような儀式、「計らい」は要はショートカットであり邪であるとし、業に直面しながら苦しみ生きることこそ解脱の道であり尊い行いだと、己の身をそこに投じた上で彼は知って、そして説いた。

 生きよ、生きよ、生きよ。あなたたちは尊い。何が何でも生きて生き抜く中で、だからこそ届く念がある=救いがある。「南無阿弥陀仏」とは、何者をも超越した阿弥陀仏帰依いたします、という意味だけど、きっと多分なんでもよくて、怒られるかもだけどアーメンでもきっと全然良かった。念仏なんて要するにお題目しかない。生きよ、あなたたちは間違っていないと、そのためになんか支えが要るならとりあえず南無阿弥陀仏っていっとけ、それを親鸞は言いたかったのだと俺は思う。


 結果いろいろあったんだけどね。親鸞だって所詮エリートだ。パンピーとは頭の出来が違うし、思想の落としどころも多分違う。阿弥陀の前に人は平等まではいいけど、衆を集めて暴力的人権運動が起こせまでは多分思ってなかったろうし。いやまあ、どうなんだろうそこのところはまだ腑に落ちてないんだけれども。

 ああ、酔っぱらって書いてるから面倒くさくなってきた。誰か、増田にも真宗門徒いんだろ。西でも東でもいいや、門外漢のお説に捕捉してくれ。

2009-10-24

http://anond.hatelabo.jp/20091024200952

あなたの言ったのは「東洋価値観」だよ。

それが何?俺は現代の日本が属しているようなものを「東洋」と言ったわけで、当然何の断りもなければ「現代」になる。西洋の影響を一切排除したものでなければ「東洋」でないというのなら当然15世紀以前でなければならんわな。そんなアホなという話になるが。

だいたいそもそも「東洋」「西洋」という切り分け自体が「西洋」由来のものだわな。もし日本人が切り分けるなら、境界線はウラル山脈ボスポラス海峡なんかじゃなくてインドあたりになるだろうよ。

とりあえず法然漁師になにを言ったかぐらい調べてからそういうことを言ってくれ。

何でそれが平安時代の肉食禁忌令などの反証になるのかわからない。

はあ?誰も「肉食禁止令」の反証なんかしてないだろう。ものを食うということは殺生という業を背負っているという感覚日本人には伝統的にあって、それが日本の文化的背景だといってるの。くだらん藁人形論法はよしてくれ。

「人道的な屠殺」っていう実践は偽善で、「罪の意識感謝の気持ち」って内面の問題こそ大事って主張に対する批判だよ。

誰がそんな主張した?

大事なのは何を殺して食べるか、とかではなく

自分の生きる糧となってくれた生命感謝して、

自分の命を大事に生きることでしょうよ

http://anond.hatelabo.jp/20091010141506

この人。そこからの流れなんだが。いまさら誰が、と言われても困る。

それは俺じゃないし俺はその考えに同意しないので俺に絡まれても困る。

俺はあくまであんたが俺の考えを「妄想」認定した部分に反駁しただけで、他人が何を言おうが知ったこっちゃない。

http://anond.hatelabo.jp/20091024183016

前近代とか言い出したのはあんたなのでどうでもいい。

あなたの言ったのは「東洋価値観」だよ。

まさか西洋化後の近代日本を持って「東洋価値観」の代表と言うわけ?

とりあえず法然漁師になにを言ったかぐらい調べてからそういうことを言ってくれ。

何でそれが平安時代の肉食禁忌令などの反証になるのかわからない。

というか、君の言う「動物植物東洋価値観では」理論だと罪の意識にさいなまれるのは漁師よりもまず農家でなければならないのだが。

どっちにしても、「いのちの食べ方」とか「ブタがいた教室」なんて映画に象徴されるように、現代日本でそういう生物観が支配的なことは君も認めざるを得ないだろう。

そういう「動物植物も同じ」「人道的屠殺偽善」って主張の人が君みたくそれなりにいることは確かだが、「いのちの食べ方」とか「ブタがいた教室」はどちらも動物の話でしょ。

あとの点はもう面倒くさいから君が勝手に勝利宣言してくれ。俺は菜食主義は正しいか正しくないかなんて議論には興味ないんで、好事家だけでやってくれればそれでいい。

こちらとしては議論の適切さにしか関心がないので、立ったら最初っから首を突っ込まなきゃいいのにと思うわけです。

菜食主義動物福祉が正しいと言ってるのではなく、元増田みたく薄弱な論理で勝利宣言する連中が気持ち悪いので。

「人道的な屠殺」っていう実践は偽善で、「罪の意識感謝の気持ち」って内面の問題こそ大事って主張に対する批判だよ。

誰がそんな主張した?

大事なのは何を殺して食べるか、とかではなく

自分の生きる糧となってくれた生命感謝して、

自分の命を大事に生きることでしょうよ

http://anond.hatelabo.jp/20091010141506

この人。そこからの流れなんだが。いまさら誰が、と言われても困る。

俺からすれば「人道的な屠殺」という偽善の方がよっぽどおぞましい。

要するにこれは西洋風の信仰人間動物を獲って食っても構わないが、同時によき支配者・管理者たるべし、)と、東洋風の信仰植物動物問わず生き物を殺すことは本来は罪である、殺してしか生きられない業の重さをかみしめよ)の対立の問題なわけよ。だから、どっちが正しいなんて決められないし、決めるべきでもない。

太字の部分が重要。要するに、向こうの信仰からみてこちらの生物観がおぞましいように、こちらから見て向こうがおぞましいということもあるから「どっちもどっち」であり、そこから先には立ち入るなという話だよ。

これって何かを論証しているの?事実なのは単に意見の対立があるってとこまでだと思うよ。

http://anond.hatelabo.jp/20091024010610

ただそこっから、前近代日本が「動物を食べるのも植物を食べるのも同じ罪だから云々」な文化だって主張を成り立たせるのは誤りだろう。

前近代とか言い出したのはあんたなのでどうでもいい。

一応肉食禁忌の流れは平安時代からあったはずだが、色々な変遷はあっただろうけど。でもそれでさえあなたのいう「東洋的発想」の反証には十分。

とりあえず法然漁師になにを言ったかぐらい調べてからそういうことを言ってくれ。どっちにしても、「いのちの食べ方」とか「ブタがいた教室」なんて映画に象徴されるように、現代日本でそういう生物観が支配的なことは君も認めざるを得ないだろう。あとの点はもう面倒くさいから君が勝手に勝利宣言してくれ。俺は菜食主義は正しいか正しくないかなんて議論には興味ないんで、好事家だけでやってくれればそれでいい。

「人道的な屠殺」っていう実践は偽善で、「罪の意識感謝の気持ち」って内面の問題こそ大事って主張に対する批判だよ。

誰がそんな主張した?もう一度俺が書いたことを抜粋するぞ。

俺からすれば「人道的な屠殺」という偽善の方がよっぽどおぞましい。

要するにこれは西洋風の信仰人間動物を獲って食っても構わないが、同時によき支配者・管理者たるべし、)と、東洋風の信仰植物動物問わず生き物を殺すことは本来は罪である、殺してしか生きられない業の重さをかみしめよ)の対立の問題なわけよ。だから、どっちが正しいなんて決められないし、決めるべきでもない。

太字の部分が重要。要するに、向こうの信仰からみてこちらの生物観がおぞましいように、こちらから見て向こうがおぞましいということもあるからどっちもどっちであり、そこから先には立ち入るなという話だよ。

勝手独善菜食主義者の裏返しみたいな俺様文化帝国主義者にしないでくれ。

あなたのいう「感謝の気持ち」や「業を背負う」ことが大事って主張は、「人道的な屠殺」だの動物福祉だのベジタリアン偽善と見下す以外に何の意味があるのかわからない。

明らかに俺は「東洋風の信仰」と「西洋風の信仰」という風に相対化して書いてるわけで、東洋風の「信仰」こそが「大事」なんて思ってるわけないだろ。つまらんいちゃもんはよしてくれ。

2009-10-11

http://anond.hatelabo.jp/20091011184447

とりあえず1000年前の宗教論争蒸し返すのは本当に不毛だからやめた方がいい。鎌倉仏教で散々論じられた問題だから。法然とか親鸞がなに言ってたか調べてごらん。

宗教の問題じゃないって言うかもしれないけど、「感謝するのが当然」と言っている以上は宗教としか思えないのであえて宗教的文脈で答えるけど。

2009-01-14

念仏ドグマ日本人気質の悪しき土壌を作った。

乱暴な一般論化と言われるかもしれないが、念仏者たちを観察してきた経験上から言えば、

長いものには巻かれろとか、石橋を叩いて渡るならまだしも叩き過ぎて壊すとか、迷って迷って自分ではなかなか決められないとか、お上には逆らえねぇとか、どうせ生きてるの無駄だとか、どうせ俺なんてとか、人の幸せの為に自分犠牲にしますとか、生意気なこと言うなとか、こういう権力者に迎合しやすくて女々しいナヨナヨな気質を作ったのは全て念仏思想ドグマだよ。

死んでから極楽逝きますとか言ってるから生きるちからが弱っちくなるんだよ。

釈尊はとんでもないスーパーマンで、凡夫はとうてい仏の足元にも及ばない馬鹿だから易しい教えしか救えないとか、経典の批判を直接しない代わりに、浄土三部教以外の経典を聖道門というレッテル言葉で持ち上げ褒め殺しにし、信仰の道を閉ざして有名無実の無用の長物にしてしまった。そんなのは中国のドンランが作った歪曲教義でしかない。

彼らは一見謙虚そうな態度にみせて、実は理想化された釈尊に押しつぶしされた卑屈根性に過ぎない。それは

オウムのようなカルト奴隷信者となんら変わらないではないか。

そして、その信仰意識すらないものであっても、念仏ドグマの影響に毒された思考のひとをたまにみる。

しかし、

釈尊人間である。

そして、阿弥陀仏西方浄土も、どこか遠い違う世界にあるのではなくて人間の心が生み出した概念に過ぎない。

現実にはありもしない西方浄土阿弥陀仏を追い求めるのは現実逃避オカルトだ。

現実逃避だからそれを信じれば人間がますます弱くなる。

鎌倉時代封建社会のなかで権力者に念仏が重宝がられたのは、民衆を無力化して大人しいく飼い慣らすためだ。

法然仏教を仏に成る宗教から、仏にすがる宗教に変質させたのだ。

だから俺は、織田信長のように念仏嫌いだ。

2008-10-01

http://anond.hatelabo.jp/20081001001643

キリスト教の救済
イエス・キリストアダム以来延々と続く人類の罪を一身に背負って十字架にかけられたことで、人類の罪は贖罪されたのだと考える。イエス・キリストを信じる、というのは、要するにイエス人類の罪を贖罪したのだということを信じるということ。イエスを信じることによって、その人の罪もイエスによって贖われることになるので、死して後、最後の審判のときが来ても、地獄に落とされずに済むかもしれない。
阿弥陀浄土教)の救済
昔現世にいた王様が誓願を立てて修行したのちにブッダ如来)となったのが阿弥陀如来。で、阿弥陀如来はその誓願において自分に帰依する者は残らず西方浄土に導いて成仏の道を歩ませよう、と誓った。この阿弥陀如来への帰依を表すのが「南無阿弥陀仏」という念仏で、法然の場合はとにかく念仏を唱えれば浄土へ行けるのだ、という手軽さが衆生にウケた。親鸞はそこからさらに先に進んで、阿弥陀仏による絶対他力への信仰という形をとる。いたずらな・中途半端な自力本願は阿弥陀仏への帰依の邪魔となるだけなので、戒律すらも構うことなく、阿弥陀仏へのひたすらの帰依を行うことこそが救いなのだとした。さかしらな善人面をした修行者よりも、自らの性根が悪であることを自覚した「悪人」のほうが、かえって浄土への道は近い、としたのが浄土真宗の「悪人正機」。

こうやってまとめてみると、キリスト教=罪と贖罪思想仏教=苦(一切皆苦)と涅槃思想、というように分けられるかもしれない。

付記:

 悪いことをする→「それはあなたの罪になるよ」というのがキリスト教

 悪いことをする→「だからあなたは苦しい(苦しむ)んだよ」というのが仏教

 良いことをする→「神の意志に沿った行いをしているよ」というのがキリスト教

 良いことをする→「だからあなたは嬉しい(楽しい)気持ちなんだよ」というのが仏教

2008-09-30

キリスト教浄土真宗

アルファルファモザイクにあったんだけど

755 おさかなくわえた名無しさん :2008/09/08(月) 11:42:35 ID:r1uAsXLp

221 名前:おさかなくわえた名無しさん 投稿日:2008/09/07(日) 01:11:17 ID:Oy8wBgQj

浄土真宗系のできかたって、いかにも日本的だと思うんだよなー。

仏教開祖のお釈迦様が、当時の日本思想エリートが導き出したこの結論を見たら

モニタに茶を噴くのは間違いないと思う。w

比叡山修行した法然。→浄土宗

ぶっちゃけ悟って仏になるの、俺ごときでは無理(←このへんが日本人的謙遜)

働いてる一般人なんかもっと無理。今の仏教は金と暇のある金持ちにしか役立つ可能性がない。

でも安心しる。阿弥陀様って偉いお方が、自分が十分にレベルうpしたら

おまいらも引っ張り上げてやんよ、ていってる。これはそこに張るしかないっしょ。

はらたいらさんどころじゃないよ。「あみださまに、全部」 さあ何度でもいいつづけよう」

親鸞浄土真宗

法然さまはおおむね正しいけど、阿弥陀様なめすぎ。

念仏言った回数で差別するような方じゃねえはずだよ(←このへんが日本人的舶来びいき)

心に思うだけで、修行とか、戒律とか自分をどうにかする必要もないよ。

だから俺なんか結婚だってしちゃうもんね。ただ阿弥陀様に乗ればいいのさ」

おまけ 一遍→時宗

「おまーも阿弥陀様なめすぎ。あの方は信者だろうと何だろうと、一切区別しないの。

つまり俺たちは阿弥陀様のおかげで勝ち組。もう決まってんの。(←日本人的暴走)

だから感謝の踊りを踊ろうぜ、let's dance!」

こういうのみると、いつも思い出せなくてイライラするんだけど

ーーーーー

キリスト教の教えとと浄土真宗の「悪人正機」は通じるところがある。

キリスト教も伝来していない文明日本でこのような教えをしていたなんてありえなーい

外人がびっくりしてたよ。

ーーーーー

って書いてあった本を読んだことがあるんだよね。

キリスト教浄土真宗って通じる所あるの?

id:finalventなら教えてくれるのかしら?

 
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