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2021-09-19

観無量寿経』の「是旃陀羅」について解説

https://b.hatena.ne.jp/entry/s/www.kyoto-np.co.jp/articles/-/640716

京都新聞真宗大谷派謝罪話題になっていた。私個人として考えるところがないわけでもないけど、多少この問題に関して知識のある方なので、勝手ではあるが、ブックマークにあがっている疑問に答えたい。

kaos2009さんが「 [旃陀羅は古代インド被差別民を指し、同派では江戸から昭和初めごろまで日本被差別身分に例えて説明されていた」 仏説観無量寿経 - Wikisource https://ja.wikisource.org/wiki/?curid=5204 母殺しは王の所業でなく栴陀羅だと」と説明しているけど、だいたいその通り。

記事にもあるように、これは『観無量寿経』のなかのことばである。そこに、阿闍世王が母韋提希を殺そうとしたときに、大臣月光大臣の耆婆が「それは『旃陀羅』のすることだ、ヴェーダ(毘陀論経)にもそう書いてある」と諫めるシーンがある。旃陀羅はヴァルナカースト)以下の存在とされていて、日本では伝統的に、被差別部落民のことと説明されてきた。

まず、『観無量寿経』は異訳も現存しないし、サンスクリットやパーリもない。だから訳しなおしたりするのはきわめて困難、ほぼ不可能である。今後、原本発見されないかぎり。

また、『観無量寿経』は浄土真宗できわめて高い価値をもっている。法然の定めた浄土三部経であり、親鸞の読んだ『観無量寿経』と、それに対する書き込みが残っている(集註(じっちゅう)という)。そのことばを変えるのはおそれおおいというのが、真宗門徒一般的理解なのだと思われる。

さらに「是旃陀羅」問題をややこしくさせるのは、親鸞のつくった和讃和歌)のなかに、「耆婆月光ねんごろに/是旃陀羅とはじしめて/不宜住此と奏してぞ/闍王の逆臣いさめける」というものがある。親鸞が「是旃陀羅」を無視していれば、真宗門徒もそれができたのだが、親鸞自身文章でもこのことばを肯定的に用いているので、それが問題になる。

  • circledcircled 「経典を書き換えるのがOKなら、それはもう宗教じゃなくて「自己都合に利用出来る便利な政治道具」に成り果てるのよね。例えば殺人NGは受け入れるけど、禁酒は受け入れないみたいな摘み食い宗教堕落との区別が無い。」

言わんとするところはわかるけど、経典は非常に多くあって、しか相互矛盾する記述もあるので、「教相判釈」というのが中国仏教で生まれた。つまり、たくさんある経典の中でどれが一番真実なのか、重要なのかということが論じられる。それで、時には経典以上に祖師重要視されてきて、祖師無視していれば無視できると思われる。

今回は、祖師(この場合親鸞)が無視していないか問題になっているのだろう。

そういうふうにも解釈できるけど、これは耆婆も一緒になって行ったことで、耆婆は仏弟子から仏教差別意識をもっていたということでもある。教えの主体釈尊が中心ではあるが、とき仏弟子がそのようにもなる。

2021-06-24

anond:20210624161656

数百年は昔の話に、

蓮生は、九条兼実邸へ行く法然に自ら押しかけて従い、邸宅の外で法然を待っていた。邸宅から法然法話の声がきこえた。それを聞いて大声で「あはれ穢土ほどに口おしき所あらじ。 極楽にはかゝる差別はあるまじきものを、談義 の御こゑもきこえばこそ」と言ったため、兼実が蓮生を邸宅内へ招くと、挨拶もせずに邸内へ入り、法話を聞いた。

だとか。昔からそんなもの

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%86%8A%E8%B0%B7%E7%9B%B4%E5%AE%9F#%E4%BA%BA%E7%89%A9%E3%83%BB%E9%80%B8%E8%A9%B1

2021-04-03

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なぜか仏教雑誌浄土」がブクマを集める。無料公開されて古い号の歴史的価値面白がられている。読み切れなそう。

YouTubeで「中学生から分かるAI数学講座」……で紹介されていた動画を開いてみたが1000弱のブクマを集めている割に再生数数百止まり

2021-03-01

必読書コピペマジレスしてみる・自分オススメ41冊編(3)

戻る→anond:20210301080139

E・M・フォースター「ハワーズ・エンド

「人をたくさん知れば知るほど、代わりを見つけるのがやさしくなって、それがロンドンのような所に住んでいることの不幸なんじゃないかと思う。わたししまいには、どこかの場所わたしにとって一番大事になって死ぬんじゃないかという気がする」

つの家族の間を行き来しながら、人間記憶や、場所への執着を捉えた文章。それはまるで、漱石のいいところだけ抜き出したような文章だった。

ところで、同じ著者の「インドへの道」もいい。これは大英帝国支配下インドで、未婚女性が現地の男性暴行されたという疑惑を巡る話だ。女性を守ろうとする騎士道精神排外主義が結びつき、支配者と被支配者の亀裂が広がる様を描く、不幸にして極めて現代的な作品である冤罪をかけられたインド人が、「誰があんな不美人な年増を」と心の中で毒づくの、とても嫌なリアリティがある。たぶん、帯を工夫したら売れるし、どっちの「弱者」がより保護されるべきか的な話題で定期的に盛り上がる増田住民にも刺さるんじゃないかな。

ニコルソン・ベイカー中二階

切れた靴紐を昼休みに買うだけの、注釈だらけの何だかよく分からない小説。細やかな観察眼と都市生活者が思わず共感してしまう日々の経験で、要するにあるあるネタで延々と読ませる。すごい。こういうのが現代文学なのね、みたいに一席ぶつのにも使えるかもしれない。

真面目な話をすると、文学はいろいろな機能があって、それは作者の意図とはかけ離れているかもしれないのだけれども、その結果的機能の一つとして、その時代言語化されていないもの文字化するというのがある。だから文学賞を受賞した作品からと言って、実は今の自分が読んでも面白いかどうかは全くの別問題なのだ文章が巧みで、いかにも知的主人公知的な悩みを描いた文学けが主流な時代は終わっているのかもしれない。そういうのが好きな人古典で充分であるし、逆に言えばいろんな立場の人のきれいごとではないこじれた気持ちが知りたければ現代文学面白い

ヘルマン・ヘッセ車輪の下

理由は書かないが、自分は周囲の期待を一身に背負っていたエリート挫折する話が好きだ。前途有望な若者が、将来を棒に振ったり挫折したりする筋書きに対するこの偏愛ゆえに、自分は「ゲド戦記第一部の前半部分や「スターウォーズ」のエピソード3に対する執着がある。

生きていくとは何らかの失望を味わうことであり、時間をかけてそれらを味わいつつ咀嚼していく過程であるのだけれど、こうした自分のどうにもならない感情言語化した先行作品があることで、自分孤独ではないとわずかな慰めが得られる。

ホルヘ・ルイス・ボルヘス伝奇集」

「鏡の中の鏡」「魔術」「薔薇の名前」などの元ネタとなる作品を書いた人。「バベル図書館」は聞いたことがある人もいるかもしれない。

非常に濃密な短編を書く人で、このネタで長篇普通に書けちゃうだろ、みたいなネタをそのまま短篇調理する。どの作品も非常に濃密で、読み解くのにエネルギーがいる。文体は簡潔で、物語必要最小限の描写できびきびと進む。ただ、具体的に何が起きているのか、そしてなぜそうなったのか、その設定の意味は何か、を追うには読者に教養要求される。読破すると、それ以上のものが得られる。読み終わったらカルヴィーノだとかスタニスワフ・レムの「虚数」だとかミロラド・パヴィチ「ハザール事典」だとかそういう沼にようこそ。

ジョン・ミルトン失楽園

キリスト教文学の癖にルシファーがめちゃくちゃかっこいい。地獄に落ちても神への反逆を続けよとアジる場面は音読したくなる。そのくせ、彼の弱く情けない姿もまた魅力的だ。アダムエヴァ楽園で楽しげにしているところを見て、自分には愛する伴侶もなく、人類に与えられている神から恩寵も既に失われたことを嘆く場面もまた、声に出して読みたい。そして、彼は人類への憎悪嫉妬のゆえに、アダムエヴァ堕落させる。この叙事詩の主役はルシファーだ!

紫式部源氏物語

好きなヒロイン六条御息所自分の意に反して生霊飛ばし他人を苦しめてしまうことに悩むのがかわいそうでならない。今でいうなら、好きという感情コントロールできなくて、それでも好きな人が振り向いてくれなくて苦しんでいるタイプで、感情エネルギーが強い自分としては大いに共感する。

他に好きなキャラクターというか、嫌なリアリティがあっていいと思うのは薫で、その優柔不断さがいい。「この子とつきあいたいけど、でもこの子そっくりな別の子はい雰囲気だしなあ」みたいな優柔不断というか欲深さは、男性心理をよく観察していないと書けない。そういう意味で、自分の中では紫式部評価がすごく高い。

アルベルト・モラヴィア軽蔑

情けない夫が不機嫌な妻に、お前それだけはやっちゃダメだろ的な行為を延々続け、妻から完全に軽蔑され、とうとう上司に妻を寝取られしまうだけの話で、一人称視点から延々と繰り返される言い訳はひたすらに情けない。ねえ、僕のこと愛してる? 嫌いになっちゃった? と尋ねまくって、わかっているくせにとぼけないで! 今忙しいから後にして! うるさいからほっといて! もう愛してないったら! あなた軽蔑するわ! と怒らせるのは、完璧反面教師であり、ギャグすれすれだ。

しかし、作者は妻のことを相当恨んでたんだなあ。

サマセット・モーム人間の絆」

身体劣等感を持つ主人公が、付き合うだけで不幸をもたらす浮気性の彼女を振り切って、幸せにしてくれる女性を見つける話。多くの人が何かしらのコンプレックスを持っているし、何であん自分に敬意を払ってくれない人を好きになったんだろうって記憶を持っていることだろう。王道過ぎるといえばそうかもしれないが、結婚してハッピーになる王道何が悪い

マルグリット・ユルスナールハドリアヌス帝の回想」

ローマ皇帝自分の治世を振り返る体裁でありながら、欺瞞自己満足をさほど感じないのは文体のせいなのか。時代性別文化言語も超えて、別の個人に憑依しながらも、己を見失うことなく語る著者の声は、他人視点に立って(歴史小説を書くとはどういうことなのかを、これからも厳しく問い続けることだろう。

中年や老人にならないと書けない小説がある。そして何年もかけて書かれる小説があり、構想から数十年が過ぎて着手される作品もある。そうした重みを持つ文学作品がどれほどあることか。

技巧も素晴らしく、文体も素晴らしい。こうした作品に出合えるのは、年に一度か二度だ。

吉田兼好徒然草

説教臭い頑固おやじブログ基本的には仏教説話が多いが、それらに交じって挿入される、「〇〇という迷信には典拠がない」だの「〇〇という習慣は最近のもので、本来のありようや精神とはかけ離れている」だの「〇〇という言葉語源を考えれば正しくは〇〇と言うべきだ」だのが、まさにその辺のおじさんがいかにも言いそうなことで面白い

ただ、それだけじゃなくて、第三十九段の「或人、法然上人に、……」のエピソードは、「とりあえずできるところから頑張ればいいじゃん?」的な内容で励まされるし、十八段の「人は己れをつづまやかにし、……」は身軽に生きていくことの幸せさを教えてくれる。

ジュンパ・ラヒリ「その名にちなんで」

最高だった。ラヒリ大好き。体調崩すレベルで刺さった。アイデンティティの混乱という古典テーマもさることながら、ラストシーン過去と不在の人物記憶が、そして小説の全体が何気ないものによって濃密によみがえってくる様子がすばらしい。そのイメージプルースト以上に強度があるかもわからない。

これは、インテリインド系(ベンガル人移民第一第二世代の話なんだけれど、読んでいるうちに海外赴任者の寄る辺なさを思い、つまりイギリス暮らしていた自分の両親の境遇勝手連想させられ、ついつい感傷的になってしまった。随分と勝手な読み方だが、小説の読み方はいつも私的ものから構わないだろう。

外国では気候も習慣も何もかもが違う。両親の教えることと学校でやることが矛盾していて、両親が里帰りしても子供たちは故郷のノリについていけない、ってのが、すごくパーソナルなツボをついてくる。こういう経験がなくても、地方と都会として読み替えると、増田でいつも議論されている話にも近づくんじゃないかな。

H・P・ラブクラフト時間からの影」

正直なんでこの時代ラブクラフトを読むのか、というのはある。人種差別主義者だし、排外主義者だし、クトゥルフ物はパターンが決まっているコントみたいだし(人類理解できない名状しがたいものに触れて発狂するのが基本的オチ)。でも、彼の持っていた宇宙の巨大さと人類の取るに足らなさという感覚は、まさにセンス・オブ・ワンダーだ。そして、「人間感情の中で最も古くて強いのが恐怖であり、その中で最も強いのが未知のものへの恐怖である」という言葉の通り、究極的には理解できない「他者」という存在の恐怖にまっすぐに向き合おうとしたことを何よりも評価したい。

この作品が好きな理由もまた、不気味なクリーチャーが非常に知的であり、かつ知識欲が旺盛だということによっている。

U・K・ル・グインゲド戦記

一巻から三巻までは、ゲドという人物自我確立に始まり他者を助けることや世界を救う英雄行為が扱われる。しかし、実はゲド戦記は第四部からが本番なのだ。あらゆる魔法の力を失い無力な存在となった彼が、魔法のある世界いかに生きていくか。これは、老いに直面する男性物語だ。

そして第五巻! ゲドの生涯で一番の功績が、実は重大な誤り、人類傲慢に過ぎなかったのではないか、という仕事に生きてきた男性には非常に厳しい可能性が示される。

しかし、ル・グインはゲドにとてもいい歳の取らせ方をしている。果てしなく努力をすれば、男性女性を、女性男性理解できるのだと作者はどこかで述べていたが、その希望を見せてくれるし、そこに女性作家を読む喜びの一つがある。

男性気持ちがよくわからない女性にもオススメしたい。

ジュール・ルナールにんじん

いわゆる毒親について書かれた小説なんだけど、ねちねちしていなくていい。文体は軽く、描写も簡潔。だからこそ、彼の育った環境の異常さが際立ってくる。なんでこんな親子関係なっちゃったかについて掘り下げられることもほとんどない。

そして、暗鬱なだけの作品にならないのは、にんじん少年の異常なたくましさだ。ひどい目に合っても受け流し、冷淡な母から何とか愛されようともがいている。読んだときの年齢によって、感想は大きく変わるだろう。

以上。五十音順計算を間違って40冊の予定が1冊増えた。書いていて非常に楽しかった。

2021-01-30

救済宗教としての大乗仏教

鈴木大拙大乗を情の仏教上座部を理の仏教だみたいに書いてたけどまさにそれ。

でも上座部立場から言わせれば、情でどうするんだと。

なんとなく寄り添って、肩入れして、励まして、あとはお経を唱えるだけで阿弥陀様が救ってくれるからねとかいって、それで解決するのかと。

ちゃん仏法を説いて、理屈説明して、実践手段を与えて、やらせて、指導して、時に「だらしねえぞ」としばいて、頑張らせる、当人が頑張るのが仏教でしょうと。

時代が違うから、救済宗教としての大乗仏教需要がなくなっているのは仕方がない。

もともとの仏教は、個人出家して修行したり知識を得たり戒律を守ったりすることで救われるという宗教だった。そういう自助によって救われるというのは現代の目から見ると納得感があるけど、古代中世時代にはそうとも言えない。

古代中世では庶民は生きるだけで精一杯。戒律を守っている余裕なんかないし、そもそも識字率が低い時代だと仏教教義を知ること自体が困難。

そうすると、救われるのは高位聖職者と金持ちだけになってしまう。そうした人間けが天国に行ける宗教って何よ!?という問題意識からまれたのが大乗仏教。「○○するだけで救われる」というのは、現代から見れば安易に見えるけど、古代中世において庶民を救うには必要なことだった。

から現代視点から大乗仏教宗教堕落みたいに言うのは間違ってる。

ちなみに、律法を守ることを重視するユダヤ教ファリサイ派に反発して、「人が救われるのは律法を守ることによってではなく、神を信じることによってだ」と主張したのがイエス・キリスト。だからキリスト教聖典には、極端に○○せよ~などの決め事がない。

以下の浄土真宗コピペも、以上の理屈を知っていればよくわかる。

比叡山修行した法然

浄土宗

ぶっちゃけ悟って仏になるの、俺ごときでは無理(←このへんが日本人謙遜)働いてる一般人なんかもっと無理。今の仏教は金と暇のある金持ちしか役立つ可能性がない。

でも安心しる。阿弥陀様って偉いお方が、自分が十分にレベルうpしたらおまいらも引っ張り上げてやんよ、ていってる。これはそこに張るしかないっしょ。

はらたいらさんどころじゃないよ。「あみださまに、全部」 さあ何度でもいいつづけよう

親鸞浄土真宗

法然さまはおおむね正しいけど、阿弥陀様なめすぎ。念仏言った回数で差別するような方じゃねえはずだよ(←このへんが日本人的舶来びいき)心に思うだけで、修行とか、戒律とか自分をどうにかする必要もないよ。だから俺なんか結婚だってちゃうもんね。ただ阿弥陀様に乗ればいいのさ

一遍時宗

おまーも阿弥陀様なめすぎ。あの方は信者だろうと何だろうと、一切区別しないの。つまり俺たちは阿弥陀様のおかげで勝ち組。もう決まってんの。(←日本人暴走)だから感謝の踊りを踊ろうぜ、let’s dance!

https://anond.hatelabo.jp/20210130183106

2021-01-15

anond:20210115204646

わしらが生きてられるのはみんな阿弥陀如来様のおかげですって思考停止してればいいかあんたたちは楽だよね。

どこのだれがでっち上げたかわからん弥陀の請願をありがてえありがてえとか馬鹿みたい。

法然親鸞が弥陀に狂ったからといって後の人間がその真似をする必要もないだろう。

自分の頭で考えるのを放棄するのがあんたらの信仰かね。

2021-01-06

聖☆おにいさんに登場する後代の人物カウントしてみたよ

きっかけとなったのはこのツイート

https://twitter.com/dogu_fm/status/1346029676813115393

まとめ

https://sumatome.com/su/1346029676813115393

この主張に関しては、特に問わない。

宗教的に寛容だから笑いにできる」とした言説なんて、あまり聞いた事が無いのだけど。

しろ日本宗教にいい加減だからだと思うんだけどね。良くも悪くも。

そもそも宗教馬鹿にする文化アメリカにもイギリスにも有る。

気になったのはそこでは無くて、キリスト教聖人バンバン登場しているのに、仏教導師祖師が登場しないという分析

これは本当なのか確かめてみた。

以下はその結果。

集計ルール

聖☆おにいさんを読んでいると、キャラクター達は登場パターンで分類出来る事がわかる。

そこで、キャラクターの扱いについて大まかに分けてみる。あくま便宜上の分類。

1. 主人公二人組

2. 二人にがっつり絡むキャラクター天使弟子達)

3. ゲスト的に登場し、二人に絡むキャラクター

4. 二人の会話の回想シーンに登場するキャラクター

これら全て登場人物なんだけど、4は聖☆おにいさん独特の登場パターン

元のツイートで例に出しているルターはこれに相当する。

今回はあくまで後代の聖人導師などや、その他伝説となった人を対象としている。

ペトロとかアナンダなどの直接の弟子カウントしていない。

実在人物でも聖書登場人物などもカウント外。

3の登場パターンは○

4の回想での登場パターンは△

名前だけしか出ていないのは※

集計結果

1巻

特になし

2巻

△ 聖ニコラウス 9話 クリスマスネタ

3巻

空海 18話 伊豆旅行の時にガイドさんが発言弘法大師名義

ルター 22話 免罪符ネタ。1コマ

4巻

△ ヴァレンティヌス 23バレンタインネタ

ダ・ヴィンチ 27話 漫画アシスタント候補として名前が挙がる

ラファエロ 27話 同上

5巻

特になし

6巻

ダンテ 39話 神曲の作者として

空海 41話 ショムジョのチームの一員として登場。セリフあり

三蔵法師 42話

7巻

天草四郎 48話 イエスさんが知っている戦国時代人物として挙げる

8巻

ルター 52話 ボウリング話題

9巻

ジャンヌダルク 62話 聖人認定話題

10

※ 聖ニコラウス 69話 クリスマスネタ

※ ヴァレンティヌス 71話 バレンタインネタ

ゴディバ夫人 71話 バレンタインネタ

11

即身仏 78話 ゾンビ映画ネタの絡みで登場

12

耳なし芳一 81話 ブッダさんの発言

13巻

特になし

14巻

特になし

15巻

特になし

16巻

ニコラウス 110話 クリスマスネタ

△ マルガリ119話 出産系の守護聖人として

ライムンド 119話 出産系の守護聖人として

※ アエギディウス 119話 出産系の守護聖人として

アントニオ 119話 出産系の守護聖人として

17

ジャンヌ・ダルク 123話 大家フランス語教師として登場

○ フラ・アンジェリコ 127話 イエスの絵を描こうと登場

18巻

ジャンヌ・ダルク 131話 セミレギュラー

ゴディバ夫人耳なし芳一は迷ったけど、モデルが居るみたいなので入れた。

即身仏名前は出ていないので、人によってはカウント外だとも思うが、とりあえず入れてみた。

他にも抜けが有るかもしれないけど、とりあえず。

○は仏教2回、キリスト教3回

△は仏教2回、キリスト教8回

※は仏教1回、キリスト教8回

一応、キリスト教多め。だけど…

分かったこ


ツイートへのちょっとしたツッコミ

キリスト教側については使徒はもとより四大天使に旧約の人物や遙か後代の聖人マルティン・ルターまで登場する。ところが仏教側は釈迦十大弟子天部梵天など)、釈尊の血族、悪魔如来観音菩薩は出てくるが、仏教重要な後代の導師祖師は出て来ない。

一度だけ空海イエスブッダに顔を会わせないかたちで登場してはいるらしいが。ともあれ後代の大乗仏教重要ボーディ・ダルマは出ていない。まして日本仏教にとりわけ大きな影響を与えた鎌倉仏教祖師である道元栄西法然親鸞日蓮は登場どころか名前すら出てこない。

マルティン・ルターは回想で触れられるくらいで、それほど。総登場5コマ程度だし。

空海についても何故か伝聞風に書いている(自分で読んだんだよね?)けど、ちゃんと登場しておりセリフまで有る。(登場コマは2コマだけどw)

そもそもキリスト教親鸞に当たる人物となると、キリスト教の成立史に名前が挙がる人物なんだろうけど、Wikipediaキリスト教歴史の項目に出てくる歴史上の人物は、それこそルターぐらいで。教皇も初代教皇ペドロ以外、名前も出てこなかった。

そうなると、作者の単純なネタ選択と考えたほうが自然じゃないかと。

しかし『聖★おにいさん』はあくまでそれらの人物を出さない。この数年はネタ切れなのか北欧神話まで持ち出してきた。七福神神道側として出してきたことも苦しい感がある。「八百万の神」の名は出たもの天照大神イザナギイザナミスサノオ辺りの名を出すのを避けているようにも感じる。

これに関しては、19巻に収録される予定の回でイザナギさんが出てくるので、完全に穿ち過ぎかと。

結論として

最初に述べたとおり、日本人の宗教に対する態度は寛容ではないという意見否定しないけど、漫画作品の描写だけで断ずるのは早計じゃないかな。

そもそも日本人の宗教観を批判する事が念頭にあったのか、バイアスが掛かってる様子だったし。

これだったら、聖☆おにいさんを持ち出さずに自分言葉で論じればよかった。

あと、こういう増田も見かけて面白かった。

一応クリスチャンだけれども聖★おにいさんは大好きだよ

https://anond.hatelabo.jp/20210106032817

つーか、自分クリスチャンじゃないけど、大いに賛同する。

2019-02-05

FGOってやったことないんだけど

鑑真とか行基とか旻とか空海とか最澄とか法然とか親鸞とか

仏教史上の聖人は出てこないの?

2018-07-28

難行から易行への分派活動

ほとんどの宗教で、難行から易行への分派活動は見られるよ。

出家して俗世を捨てて厳しい修行をしたり、たくさんある戒律律法を守ったりすれば天国に行ける」という思想には納得感があるけど、古代中世の日々の生活で精一杯の厳しい世界でそうした生き方ができるのは、お金持ちや高位聖職者だけというのが現実だった。

まり難行系の教義だと、お金持ちと高位聖職者しか天国に行けないということになりがち。ということで、「○○するだけで天国に行ける」という教義分派活動生まれる。

キリスト教が「○○しろ、○○してはいけない」という定めがほとんどなくて、神を信じさえすれば救われるという教義なのは、当時のユダヤ教律法重視のファリサイ派が主流派で、それへの改革運動イエス・キリスト活動だったから。

もっとも、カトリックがあれこれ定めを勝手に付け加えたので、ルターがまた軌道修正せざるを得なかったけど。

以下の浄土真宗コピペも似たような感じ。

比叡山修行した法然。→浄土宗

ぶっちゃけ悟って仏になるの、俺ごときでは無理(←このへんが日本人謙遜

働いてる一般人なんかもっと無理。今の仏教は金と暇のある金持ちしか役立つ可能性がない。

でも安心しる。阿弥陀様って偉いお方が、自分が十分にレベルうpしたら

おまいらも引っ張り上げてやんよ、ていってる。これはそこに張るしかないっしょ。

はらたいらさんどころじゃないよ。「あみださまに、全部」 さあ何度でもいいつづけよう」

親鸞浄土真宗

法然さまはおおむね正しいけど、阿弥陀様なめすぎ。

念仏言った回数で差別するような方じゃねえはずだよ(←このへんが日本人的舶来びいき)

心に思うだけで、修行とか、戒律とか自分をどうにかする必要もないよ。

から俺なんか結婚だってちゃうもんね。ただ阿弥陀様に乗ればいいのさ」

おまけ 一遍時宗

「おまーも阿弥陀様なめすぎ。あの方は信者だろうと何だろうと、一切区別しないの。

まり俺たちは阿弥陀様のおかげで勝ち組。もう決まってんの。(←日本人暴走

から感謝の踊りを踊ろうぜ、let's dance!」

https://anond.hatelabo.jp/20180728124959

2017-11-23

睡運瞑菜

睡運瞑菜実践できるなら良い。でもたいていの人は出来ないだろ。

から、「睡運瞑菜睡運瞑菜」と口に出して唱えるだけで救われる、と考えたのが法然とか親鸞とかの世代だったわけだ。

当然、以前の世代からは総攻撃だって睡運瞑菜しないんだもの

でも、唱えるだけで救われる、という考え方は、実際多くの人を救ったんだ。

鎌倉武士は殺生するからね。

2017-05-19

円仁(えんにん、延暦13年(794年) - 貞観6年1月14日(864年2月24日))は、第3代天台座主。慈覚大師(じかくだいし)ともいう。 入唐八家(最澄空海・常暁・円行・円仁・恵運・円珍・宗叡)の一人。下野国の生まれ出自壬生氏。

目次 [非表示]

1 円仁人物

2 遣唐使の渡海の困難

3 天台山を目指すが…

4 在唐新羅社会の助け

5 五台山巡礼

6 長安への求法

7 帰国の旅の苦難

8 関連文献

9 脚注

10 関連項目

11 外部リンク

円仁人物像[編集]

794年延暦13年)下野国都賀壬生町現在壬生寺)に豪族壬生氏(壬生君:毛野氏一族)の壬生首麻呂の子として生まれる。兄の秋主から儒学を勧められるが早くから仏教に心を寄せ、9歳で大慈寺に入って修行を始める。大慈寺の師・広智は鑑真の直弟子道忠の弟子であるが、道忠は早くから最澄理解者であって、多くの弟子最澄師事させている。

※生誕地については

美加保ノ関(藤岡町三鴨の都賀字館)

手洗窪(岩舟町下津原

壬生寺壬生町

などの説があり、順徳天皇撰による「八雲御抄」では、みかほの関、みかほノ山での誕生が記されている。

また、美加保乃関は万葉集歌人によって和歌も詠まれており

下つ毛野 みかもノ山の越奈良の須 目ぐはし頃は 多が家かもたむ

あずま路の 人に問はばや みかもなる 関にもかくや 花は匂うと

石ふまぬ 安蘇の川原に 行き暮れて みかほの関に 今日やとまら

下野や 安蘇の川原に 行きくれば みかもの崎に 宿をかりなん

この他、近くにある円仁ゆかりの安蘇の川原は、みかほの関を沼越しに眺める名所として多くの和歌が詠まれている。

安蘇山の麓に生まれたという説では、慈覚大師円仁の出生については「桓武天皇延暦13年、廣智菩薩大慈寺住職とき南方に紫雲がたなびき、尋ねていくと安蘇山麓現在の三毳山のふもと岩舟町下津原手洗窪)…下津原の手洗窪は「慈覚大師誕生の地」として栃木市史跡指定されている。

15歳のとき、唐より最澄帰国して比叡山延暦寺を開いたと聞くとすぐに比叡山に向かい最澄師事する。奈良仏教の反撃と真言密教興隆という二重の障壁の中で天台宗確立に立ち向かう師最澄に忠実に仕え、学問修行に専念して師から深く愛される。最澄が止観(法華経注釈書)を学ばせた弟子10人のうち、師の代講を任せられるようになったのは円仁ひとりであった。

814年(弘仁5年)、言試(国家試験)に合格、翌年得度出家)する(21歳)。816年(弘仁7年)、三戒壇の一つ東大寺で具足戒(小乗250戒)を受ける(23歳)。この年、師最澄東国巡遊に従って故郷下野を訪れる。最澄のこの旅行は、新しく立てた天台宗の法華一乗の教えを全国に広める為、全国に6箇所を選んでそこに宝塔を建て、一千部八千巻の法華経を置いて地方教化・国利安福の中心地としようとするものであった。817年(弘仁8年)3月6日大乗戒を教授師として諸弟子に授けるとともに自らも大乗戒を受ける。

性は円満にして温雅、眉の太い人であったと言われる。浄土宗開祖法然は、私淑する円仁の衣をまといながら亡くなったという。

遣唐使の渡海の困難[編集]

836年(承和2年)、1回目の渡航失敗、翌837年(承和3年)、2回目の渡航を試みたが失敗した。838年(承和5年)6月13日博多津を出港。『入唐求法巡礼行記』をこの日から記し始める。志賀島から揚州東梁豊村まで8日間で無事渡海する(しかし「四つの船」のうち1艘は遭難している)。円仁の乗った船は助かったものの、船のコントロールが利かず渚に乗り上げてしまい、円仁はずぶ濡れ、船は全壊するという形での上陸だった(『行記』838年(開成4年)7月2日条)。

上陸である唐の開成4年7月2日日本の承和5年7月2日と日付が一致していた。唐と日本で同じ暦を使っているのだから当然ではあるが、異国でも日付が全く同じであることに改めて感動している(『行記』838年(開成4年)7月2日条)。

天台山を目指すが…[編集]

最後遣唐使として唐に留学するが、もともと請益僧(入唐僧(唐への留学僧)のうち、短期のもの)であったため目指す天台山へは旅行許可下りず(短期の入唐僧のため日程的に無理と判断されたか)、空しく帰国せねばならない事態に陥った。唐への留住を唐皇帝に何度も願い出るが認められない。そこで円仁遣唐使一行と離れて危険を冒して不法在唐を決意する(外国人僧の滞在には唐皇帝勅許必要)。天台山にいた最澄の姿を童子(子供)の時に見ていたという若い天台僧敬文が、天台山からはるばる円仁を訪ねてきた。日本から高僧が揚州に来ているという情報を得て、懐かしく思って訪れて来たのだという。唐滞在中の円仁の世話を何かと見てくれるようになる。海州東海県で遣唐大使一行から離れ、一夜を過ごすも村人たちに不審な僧だと警戒され(中国語通じず、「自分新羅僧だ」と主張しているが新羅言葉でもないようだ、怪しい僧だ)、役所に突き出されてしまう。再び遣唐大使一行のところに連れ戻されてしまった(『行記』839年(開成4年)4月10日条)。

在唐新羅社会の助け[編集]

当時、中国山東半島沿岸一帯は張宝高をはじめとする多くの新羅人海商が活躍していたが、山東半島新羅人の港町・赤山浦の在唐新羅社会の助けを借りて唐残留成功不法在留者でありながら通行許可証を得る等)する。遣唐使一行から離れ、寄寓していた張宝設立の赤山法華院で聖林という新羅から天台山の代わりに五台山を紹介され、天台山はあきらめたが五台山という新たな目標を見出す。春を待って五台山までの約1270キロメートルを歩く(『行記』840年(開成5年)2月19日4月28日の58日間)。

五台山巡礼[編集]

840年、五台山巡礼する。標高3000mを超す最高峰の北台にも登山する(47歳)。五台山では、長老の志遠から「遠い国からよく来てくれた」と温かく迎えられる(『行記』840年(開成5年)4月28日条)。五台山を訪れた2人目の日本人だという(1人目は、最澄とともに入唐し、帰国せず五台山客死した霊仙三蔵)。法華経密教整合性に関する未解決問題など「未決三十条」の解答を得、日本にまだ伝来していなかった五台山所蔵の仏典37巻を書写する。また、南台の霧深い山中で「聖燈」(ブロッケン現象か。『行記』840年5月22日条、6月21日条、7月2日条)などの奇瑞を多数目撃し、文殊菩薩の示現に違いないと信仰を新たにする。

長安への求法[編集]

当時世界最大の都市にして最先端文化の発信地でもあった長安へ行くことを決意し、五台山から1100キロメートルを徒歩旅行する(53日間)。その際、大興善寺の元政和尚から灌頂を受け、金剛界大法を授き、青竜寺の義真からも灌頂を受け、胎蔵界・盧遮那経大法と蘇悉地大法を授く。また、金剛界曼荼羅長安絵師・王恵に代価6千文で描かせる。

台密にまだなかった念願の金剛界曼荼羅を得たこの晩、今は亡き最澄が夢に現れた。曼荼羅を手に取りながら涙ながらに大変喜んでくれた。円仁は師の最澄を拝しようとしたが、最澄はそれを制して逆に弟子円仁を深く拝したという(『行記』840年10月29日条)。描かせていた曼荼羅が完成する(『行記』840年(開成5年)12月22日条)。

しばらくして、唐朝帰国を百余度も願い出るが拒否される(会昌元年8月7日最初)が、その間入唐以来5年間余りを共に過して来た愛弟子・惟暁を失う(『行記』843年(会昌3年)7月25日条。享年32)。また、サンスクリット語を学び、仏典を多数書写した。長安を去る時には423部・合計559巻を持っていた(『入唐新求聖教目録』)。そして、842年(会昌2年)10月、会昌の廃仏に遭い、外国人僧の国外追放という予期せぬ形で、帰国が叶った(会昌5年2月)。

帰国の旅の苦難[編集]

当時の長安の情勢は、唐の衰退も相まって騒然としていた。治安悪化不審火も相次いでいた。その長安の街を夜半に発ったが(曼荼羅や膨大な経巻を無事に持ち帰るため)、夜にもかかわらず多くの長安住人の送別を受けた。送別人の多くは、唐高官の仏教徒李元佐のほか、僧侶及び円仁長安暮らしを支えた長安在留新羅人たちが主であった。餞けとして絹12丈(30m余)を贈ってくれた新羅人もいた(845年(会昌5年)5月15日)。歩くこと107日間、山東半島新羅人の町・赤山まで歩いて戻った[注 1]。

この際、新羅人の唐役人にして張宝高の部下の将・張詠が円仁のために唐政府の公金で帰国船を建造してくれたが、密告に遭い、この船では帰れなくなる。

円仁が無事生きている」という情報日本に伝わっていたらしく、比叡山から弟子の性海が円仁を迎えに唐にやってきて、師と再会を遂げる。楚州の新羅人約語(通訳のこと)劉慎言に帰国の便船探しを頼み(彼は新羅語・唐語・日本語を操れるトライリンガルであった)、彼の見つけた新羅商人金珍の貿易船に便乗して帰国する。円仁は劉慎言に沙金弐両と大坂腰帯を贈っている。朝鮮半島沿岸を進みながらの90日間の船旅であった。新羅船は小型だが高速で堅牢であることに驚いている。博多津に到着し、鴻臚館に入った(『行記』847年(承和14年)9月19日条)。日本政府円仁を無事連れ帰ってきた金珍ら新羅商人に十分に報酬を報いるように太政官符を発し、ここで9年6ヶ月に及んだ日記『入唐求法巡礼行記』(全4巻)の筆を擱いている(『行記』847年(承和14年)12月14日条)。54歳。

この9年6ヶ月に及ぶ求法の旅の間、書き綴った日記が『入唐求法巡礼行記』で、これは日本人による最初の本格的旅行記であり、時の皇帝、武宗による仏教弾圧である会昌の廃仏の様子を生々しく伝えるものとして歴史資料としても高く評価されている(エドウィン・ライシャワー研究により欧米でも知られるようになる)。巡礼行記によると円仁は一日約40kmを徒歩で移動していたという。

目黒不動として知られる瀧泉寺や、山形市にある立石寺松島瑞巌寺を開いたと言われる。慈覚大師円仁が開山したり再興したりしたと伝わる寺は関東に209寺、東北に331寺余あるとされ、浅草浅草寺もそのひとつ岩舟町観光協会HP)。このほか北海道にも存在する。

後に円仁派は山門派と称された。(円珍派は寺門派、両者は長期にわたり対立関係になった)。

2015-12-07

http://anond.hatelabo.jp/20151206193422

千葉県だろ?

どんなもんかと思って見たら、

Category:上総国の人物 - Wikipedia

Category:安房国の人物 - Wikipedia

日蓮小野忠明と菱川師宣がいるじゃん!

日蓮仏教日蓮宗開祖法然親鸞と並んで鎌倉仏教代表する高僧だ。

小野忠明はこちらは剣術小野派一刀流の開祖で同時代では最強とも言われる剣豪

菱川師宣浮世絵の創始者で「見返り美人図」などが有名。

うーむ、千葉県文化の始まりを生む土地柄なのかもしれんな。

そもそも千葉県のあたりは桓武平氏本拠地みたいなところで、

いにしえの平将門はもちろん上総広常や千葉常胤など有力豪族ごろごろしてたんだぜ。

源義朝とも縁が深いし、関東においては江戸なんかよりよっぽど重要土地だったんだよ。

もっと自信持てよ。

2015-10-11

穢れなき処女とかどこから来た文化なんだろう

まず神道ではない。

神道は血を穢れとしているために、生理出産など血に関わる事の多い女は穢れとされやすい。

しか神話でも度々性交が行われ、大昔から神主が妻帯しているのを見ても解るように性交は穢れではない。

仏教では女性が穢れという概念はなく、日本仏教女人禁制独自文化で、海外から日本国ひとつのわらひごとありと笑われて法然親鸞批判的だ。

性交に関してはかなり厳しく禁じており、坊主は性行為自慰、異性との接触、卑猥言葉等々数多く禁止されているが、日本ではその辺も独自進化をとげており、坊さんのほとんどが妻帯している。

しろ結婚をして跡取りを作る義務があるくらいだ。

なので日本仏教においては性交は穢れではない。

本当にどこから来たのか解らない、キリスト教なんだろうか。

しかしそれは時代が下がりすぎる気もする。

2015-05-04

俺、親鸞共感しまくり。

 生まれてきて、大人になって、暮らしを営んでいることに幸あれと本当に思う。碌でもない出来事が日々石ころのように転がっていて、それを道から除けるか、避けて通るか、人それぞれなんだけど、なんというかその、道があることが愛おしい。僕らはみんな生きている。生きているからすごいんだ。

 世を苦行だと捉えるのが一般的仏教根本原理だ。聖なき衆生が業のもとに救いなく永久に続く苦行を生きる煩悩の有様を目に見える世界だとする。解脱とはメタ世界への移行でその業の世界から脱出意味してそれを神聖視するわけだけど、そもそもの動機は業からの逃避な訳で。ものを食って、うんこしてる身で。要は、苦行してるお坊さん方は、世の中から逃げたくて逃げたくて仕方がなかった。だから糞下流には混じり合わず、己の世界の内でしんどいことをやり続ければ報われる、というのが原始仏教。こいつらくだらねぇな、つきあってられねぇな、なんて、分かりやすエリート意識

 しかし、苦しい世だからこそ、そこに生きることが尊いのではないか。そこで泥水をすすり、愛欲に溺れ、駆け引きを駆使しながら己と子を護り、肉を喰らって、眠りと朝日保障する。おい、ねえ、すごくない?俺できないし。というのを愚直に見つめた男がいる。それが親鸞だ。

 教義としてのオリジナリティ法然にあるのかもしれないが、親鸞事実、泥水をすすりセックスをし、酒を飲み肉を喰らいながら、そんな俺が信じてるよ、と阿弥陀の救いを説いた。私が知る、あなたたちをこそ救わずして、何が仏か、と。

 ここからは俺の独自解釈。かつて僧という「形」のために頭を剃った愚行を「愚禿」と表わし、今現に業を一身に背負うこと=菩薩行を積んでいる目の前の人々をこそ、哀れまず慈しまず尊んで、己より行を達した者とし、敢えて同じことをした。世は、かき集めた金をつぎ込んで寺を建て、加持祈祷をさせれば徳=得の時代。そのような儀式、「計らい」は要はショートカットであり邪であるとし、業に直面しながら苦しみ生きることこそ解脱の道であり尊い行いだと、己の身をそこに投じた上で彼は知って、そして説いた。

 生きよ、生きよ、生きよ。あなたたちは尊い。何が何でも生きて生き抜く中で、だからこそ届く念がある=救いがある。「南無阿弥陀仏」とは、何者をも超越した阿弥陀仏帰依いたします、という意味だけど、きっと多分なんでもよくて、怒られるかもだけどアーメンでもきっと全然良かった。念仏なんて要するにお題目しかない。生きよ、あなたたちは間違っていないと、そのためになんか支えが要るならとりあえず南無阿弥陀仏っていっとけ、それを親鸞は言いたかったのだと俺は思う。


 結果いろいろあったんだけどね。親鸞だって所詮エリートだ。パンピーとは頭の出来が違うし、思想の落としどころも多分違う。阿弥陀の前に人は平等まではいいけど、衆を集めて暴力的人権運動が起こせまでは多分思ってなかったろうし。いやまあ、どうなんだろうそこのところはまだ腑に落ちてないんだけれども。

 ああ、酔っぱらって書いてるから面倒くさくなってきた。誰か、増田にも真宗門徒いんだろ。西でも東でもいいや、門外漢のお説に捕捉してくれ。

2009-10-24

http://anond.hatelabo.jp/20091024200952

あなたの言ったのは「東洋価値観」だよ。

それが何?俺は現代の日本が属しているようなものを「東洋」と言ったわけで、当然何の断りもなければ「現代」になる。西洋の影響を一切排除したものでなければ「東洋」でないというのなら当然15世紀以前でなければならんわな。そんなアホなという話になるが。

だいたいそもそも「東洋」「西洋」という切り分け自体が「西洋」由来のものだわな。もし日本人が切り分けるなら、境界線はウラル山脈ボスポラス海峡なんかじゃなくてインドあたりになるだろうよ。

とりあえず法然漁師になにを言ったかぐらい調べてからそういうことを言ってくれ。

何でそれが平安時代の肉食禁忌令などの反証になるのかわからない。

はあ?誰も「肉食禁止令」の反証なんかしてないだろう。ものを食うということは殺生という業を背負っているという感覚日本人には伝統的にあって、それが日本の文化的背景だといってるの。くだらん藁人形論法はよしてくれ。

「人道的な屠殺」っていう実践は偽善で、「罪の意識感謝の気持ち」って内面の問題こそ大事って主張に対する批判だよ。

誰がそんな主張した?

大事なのは何を殺して食べるか、とかではなく

自分の生きる糧となってくれた生命感謝して、

自分の命を大事に生きることでしょうよ

http://anond.hatelabo.jp/20091010141506

この人。そこからの流れなんだが。いまさら誰が、と言われても困る。

それは俺じゃないし俺はその考えに同意しないので俺に絡まれても困る。

俺はあくまであんたが俺の考えを「妄想」認定した部分に反駁しただけで、他人が何を言おうが知ったこっちゃない。

http://anond.hatelabo.jp/20091024183016

前近代とか言い出したのはあんたなのでどうでもいい。

あなたの言ったのは「東洋価値観」だよ。

まさか西洋化後の近代日本を持って「東洋価値観」の代表と言うわけ?

とりあえず法然漁師になにを言ったかぐらい調べてからそういうことを言ってくれ。

何でそれが平安時代の肉食禁忌令などの反証になるのかわからない。

というか、君の言う「動物植物東洋価値観では」理論だと罪の意識にさいなまれるのは漁師よりもまず農家でなければならないのだが。

どっちにしても、「いのちの食べ方」とか「ブタがいた教室」なんて映画に象徴されるように、現代日本でそういう生物観が支配的なことは君も認めざるを得ないだろう。

そういう「動物植物も同じ」「人道的屠殺偽善」って主張の人が君みたくそれなりにいることは確かだが、「いのちの食べ方」とか「ブタがいた教室」はどちらも動物の話でしょ。

あとの点はもう面倒くさいから君が勝手に勝利宣言してくれ。俺は菜食主義は正しいか正しくないかなんて議論には興味ないんで、好事家だけでやってくれればそれでいい。

こちらとしては議論の適切さにしか関心がないので、立ったら最初っから首を突っ込まなきゃいいのにと思うわけです。

菜食主義動物福祉が正しいと言ってるのではなく、元増田みたく薄弱な論理で勝利宣言する連中が気持ち悪いので。

「人道的な屠殺」っていう実践は偽善で、「罪の意識感謝の気持ち」って内面の問題こそ大事って主張に対する批判だよ。

誰がそんな主張した?

大事なのは何を殺して食べるか、とかではなく

自分の生きる糧となってくれた生命感謝して、

自分の命を大事に生きることでしょうよ

http://anond.hatelabo.jp/20091010141506

この人。そこからの流れなんだが。いまさら誰が、と言われても困る。

俺からすれば「人道的な屠殺」という偽善の方がよっぽどおぞましい。

要するにこれは西洋風の信仰人間動物を獲って食っても構わないが、同時によき支配者・管理者たるべし、)と、東洋風の信仰植物動物問わず生き物を殺すことは本来は罪である、殺してしか生きられない業の重さをかみしめよ)の対立の問題なわけよ。だから、どっちが正しいなんて決められないし、決めるべきでもない。

太字の部分が重要。要するに、向こうの信仰からみてこちらの生物観がおぞましいように、こちらから見て向こうがおぞましいということもあるから「どっちもどっち」であり、そこから先には立ち入るなという話だよ。

これって何かを論証しているの?事実なのは単に意見の対立があるってとこまでだと思うよ。

http://anond.hatelabo.jp/20091024010610

ただそこっから、前近代日本が「動物を食べるのも植物を食べるのも同じ罪だから云々」な文化だって主張を成り立たせるのは誤りだろう。

前近代とか言い出したのはあんたなのでどうでもいい。

一応肉食禁忌の流れは平安時代からあったはずだが、色々な変遷はあっただろうけど。でもそれでさえあなたのいう「東洋的発想」の反証には十分。

とりあえず法然漁師になにを言ったかぐらい調べてからそういうことを言ってくれ。どっちにしても、「いのちの食べ方」とか「ブタがいた教室」なんて映画に象徴されるように、現代日本でそういう生物観が支配的なことは君も認めざるを得ないだろう。あとの点はもう面倒くさいから君が勝手に勝利宣言してくれ。俺は菜食主義は正しいか正しくないかなんて議論には興味ないんで、好事家だけでやってくれればそれでいい。

「人道的な屠殺」っていう実践は偽善で、「罪の意識感謝の気持ち」って内面の問題こそ大事って主張に対する批判だよ。

誰がそんな主張した?もう一度俺が書いたことを抜粋するぞ。

俺からすれば「人道的な屠殺」という偽善の方がよっぽどおぞましい。

要するにこれは西洋風の信仰人間動物を獲って食っても構わないが、同時によき支配者・管理者たるべし、)と、東洋風の信仰植物動物問わず生き物を殺すことは本来は罪である、殺してしか生きられない業の重さをかみしめよ)の対立の問題なわけよ。だから、どっちが正しいなんて決められないし、決めるべきでもない。

太字の部分が重要。要するに、向こうの信仰からみてこちらの生物観がおぞましいように、こちらから見て向こうがおぞましいということもあるからどっちもどっちであり、そこから先には立ち入るなという話だよ。

勝手独善菜食主義者の裏返しみたいな俺様文化帝国主義者にしないでくれ。

あなたのいう「感謝の気持ち」や「業を背負う」ことが大事って主張は、「人道的な屠殺」だの動物福祉だのベジタリアン偽善と見下す以外に何の意味があるのかわからない。

明らかに俺は「東洋風の信仰」と「西洋風の信仰」という風に相対化して書いてるわけで、東洋風の「信仰」こそが「大事」なんて思ってるわけないだろ。つまらんいちゃもんはよしてくれ。

2009-10-11

http://anond.hatelabo.jp/20091011184447

とりあえず1000年前の宗教論争蒸し返すのは本当に不毛だからやめた方がいい。鎌倉仏教で散々論じられた問題だから。法然とか親鸞がなに言ってたか調べてごらん。

宗教の問題じゃないって言うかもしれないけど、「感謝するのが当然」と言っている以上は宗教としか思えないのであえて宗教的文脈で答えるけど。

2009-01-14

念仏ドグマ日本人気質の悪しき土壌を作った。

乱暴な一般論化と言われるかもしれないが、念仏者たちを観察してきた経験上から言えば、

長いものには巻かれろとか、石橋を叩いて渡るならまだしも叩き過ぎて壊すとか、迷って迷って自分ではなかなか決められないとか、お上には逆らえねぇとか、どうせ生きてるの無駄だとか、どうせ俺なんてとか、人の幸せの為に自分犠牲にしますとか、生意気なこと言うなとか、こういう権力者に迎合しやすくて女々しいナヨナヨな気質を作ったのは全て念仏思想ドグマだよ。

死んでから極楽逝きますとか言ってるから生きるちからが弱っちくなるんだよ。

釈尊はとんでもないスーパーマンで、凡夫はとうてい仏の足元にも及ばない馬鹿だから易しい教えしか救えないとか、経典の批判を直接しない代わりに、浄土三部教以外の経典を聖道門というレッテル言葉で持ち上げ褒め殺しにし、信仰の道を閉ざして有名無実の無用の長物にしてしまった。そんなのは中国のドンランが作った歪曲教義でしかない。

彼らは一見謙虚そうな態度にみせて、実は理想化された釈尊に押しつぶしされた卑屈根性に過ぎない。それは

オウムのようなカルト奴隷信者となんら変わらないではないか。

そして、その信仰意識すらないものであっても、念仏ドグマの影響に毒された思考のひとをたまにみる。

しかし、

釈尊人間である。

そして、阿弥陀仏西方浄土も、どこか遠い違う世界にあるのではなくて人間の心が生み出した概念に過ぎない。

現実にはありもしない西方浄土阿弥陀仏を追い求めるのは現実逃避オカルトだ。

現実逃避だからそれを信じれば人間がますます弱くなる。

鎌倉時代封建社会のなかで権力者に念仏が重宝がられたのは、民衆を無力化して大人しいく飼い慣らすためだ。

法然仏教を仏に成る宗教から、仏にすがる宗教に変質させたのだ。

だから俺は、織田信長のように念仏嫌いだ。

2008-10-01

http://anond.hatelabo.jp/20081001001643

キリスト教の救済
イエス・キリストアダム以来延々と続く人類の罪を一身に背負って十字架にかけられたことで、人類の罪は贖罪されたのだと考える。イエス・キリストを信じる、というのは、要するにイエス人類の罪を贖罪したのだということを信じるということ。イエスを信じることによって、その人の罪もイエスによって贖われることになるので、死して後、最後の審判のときが来ても、地獄に落とされずに済むかもしれない。
阿弥陀浄土教)の救済
昔現世にいた王様が誓願を立てて修行したのちにブッダ如来)となったのが阿弥陀如来。で、阿弥陀如来はその誓願において自分に帰依する者は残らず西方浄土に導いて成仏の道を歩ませよう、と誓った。この阿弥陀如来への帰依を表すのが「南無阿弥陀仏」という念仏で、法然の場合はとにかく念仏を唱えれば浄土へ行けるのだ、という手軽さが衆生にウケた。親鸞はそこからさらに先に進んで、阿弥陀仏による絶対他力への信仰という形をとる。いたずらな・中途半端な自力本願は阿弥陀仏への帰依の邪魔となるだけなので、戒律すらも構うことなく、阿弥陀仏へのひたすらの帰依を行うことこそが救いなのだとした。さかしらな善人面をした修行者よりも、自らの性根が悪であることを自覚した「悪人」のほうが、かえって浄土への道は近い、としたのが浄土真宗の「悪人正機」。

こうやってまとめてみると、キリスト教=罪と贖罪思想仏教=苦(一切皆苦)と涅槃思想、というように分けられるかもしれない。

付記:

 悪いことをする→「それはあなたの罪になるよ」というのがキリスト教

 悪いことをする→「だからあなたは苦しい(苦しむ)んだよ」というのが仏教

 良いことをする→「神の意志に沿った行いをしているよ」というのがキリスト教

 良いことをする→「だからあなたは嬉しい(楽しい)気持ちなんだよ」というのが仏教

2008-09-30

キリスト教浄土真宗

アルファルファモザイクにあったんだけど

755 おさかなくわえた名無しさん :2008/09/08(月) 11:42:35 ID:r1uAsXLp

221 名前:おさかなくわえた名無しさん 投稿日:2008/09/07(日) 01:11:17 ID:Oy8wBgQj

浄土真宗系のできかたって、いかにも日本的だと思うんだよなー。

仏教開祖のお釈迦様が、当時の日本思想エリートが導き出したこの結論を見たら

モニタに茶を噴くのは間違いないと思う。w

比叡山修行した法然。→浄土宗

ぶっちゃけ悟って仏になるの、俺ごときでは無理(←このへんが日本人的謙遜)

働いてる一般人なんかもっと無理。今の仏教は金と暇のある金持ちにしか役立つ可能性がない。

でも安心しる。阿弥陀様って偉いお方が、自分が十分にレベルうpしたら

おまいらも引っ張り上げてやんよ、ていってる。これはそこに張るしかないっしょ。

はらたいらさんどころじゃないよ。「あみださまに、全部」 さあ何度でもいいつづけよう」

親鸞浄土真宗

法然さまはおおむね正しいけど、阿弥陀様なめすぎ。

念仏言った回数で差別するような方じゃねえはずだよ(←このへんが日本人的舶来びいき)

心に思うだけで、修行とか、戒律とか自分をどうにかする必要もないよ。

だから俺なんか結婚だってしちゃうもんね。ただ阿弥陀様に乗ればいいのさ」

おまけ 一遍→時宗

「おまーも阿弥陀様なめすぎ。あの方は信者だろうと何だろうと、一切区別しないの。

つまり俺たちは阿弥陀様のおかげで勝ち組。もう決まってんの。(←日本人的暴走)

だから感謝の踊りを踊ろうぜ、let's dance!」

こういうのみると、いつも思い出せなくてイライラするんだけど

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キリスト教の教えとと浄土真宗の「悪人正機」は通じるところがある。

キリスト教も伝来していない文明日本でこのような教えをしていたなんてありえなーい

外人がびっくりしてたよ。

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って書いてあった本を読んだことがあるんだよね。

キリスト教浄土真宗って通じる所あるの?

id:finalventなら教えてくれるのかしら?

 
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