「ホルヘ・ルイス・ボルヘス」を含む日記 RSS

はてなキーワード: ホルヘ・ルイス・ボルヘスとは

2021-03-16

雑誌映画秘宝』の記憶」の増田から返答、のようなもの

今回は「8×8さん(仮称)」への応答が大部分となります。この仮称で、ご本人には分かると思います

私が「『映画秘宝』の記憶」と題する一連の文章はてな匿名ダイアリー投稿し始めた時、その(1)の冒頭に「記憶を頼りに記す」旨を記しました。これは、私が過去に所有していた『映画秘宝』のバックナンバーや関連書籍殆どを既に手放していたからです。

記憶が頼りと言っても、私はホルヘ・ルイス・ボルヘスのような天才ではありません。そんな者が記憶を頼りに投稿することは、果たして許されるだろうか?と自問自答しました。結局はご覧のとおり、敢えて投稿を始めた訳ですが、それは「たとえ記憶に頼った記述(証言)であっても、それを為すべき時には為すべきであろう」と私が考えたからです。

何故「為すべき」と考えたのか?

それは、前『映画秘宝編集長岩田和明による恫喝DM事件が発覚した直後、『映画秘宝関係者が「あまりにも事実とは懸け離れた『都合良く美化した自分たち(=『映画秘宝』)』の姿」をアピールし始めたことが主な理由です。もしも、眼の前で詐欺師に騙されている人がいるのを目撃したら、指を咥えて黙って見ている訳にもいかず、思わず「騙されるな!」と叫びたくなりませんか?それと同じです。しかし、私の「理由」と読んだ人の「評価」は、また別の話です。評価は読んだ方に委ねる外にありません。

こうして記憶を出発点にして書き始めた私の投稿に対して、ブックマーカーの方々の反応は様々でした。同じ記憶を共有する方々からは「そんな感じだったよね」と同意をもらえ、他方で「自分は○○は✕✕だったと記憶している」と各自記憶を元に指摘される方々もいました。それらのいずれも有り難いことです。皆さん、ありがとうございます

少なくとも、雑誌『BREAK Max』に掲載された吉田豪による町山智浩へのインタビューを紹介したことで、町山智浩高橋ヨシキが行った女性尊厳を踏みにじる蛮行について、情報共有と注意喚起を果たせただけでも私が投稿に踏み切った意義は有ったものと思っています。それにしても「昔から町山智浩/高橋ヨシキファンだが、この話は知らなかった。ショックだ」と言う人を少なからず見かけたので、正直に言って驚きました。やはり皆さん、騙されていらしたんですね。

==(※)注:ここから次の(※)印までの部分は、主に仮称「8×8さん」に向けたものなので、長すぎると感じた方は飛ばし読みされても、ほぼ問題は無いと思います。==

私は、次のような事を書きました。

―――昔の『映画秘宝』は「切り株映画ファンは悪い事をしないが、美少女アニメが好きな奴は犯罪者予備軍なのでお上通報しよう!」と誌面に書いていた。―――

この私の主張に対して、一人のブックマーカーの方からは「そんな事を書いていたか自分記憶に無い。具体的な記述を示せ」との批判ブコメにて頂戴いたしました。

この批判を書かれた方を、以下の記述では仮に「8×8さん」と略記します。

これについて身勝手承知で私の意見を言えば、8×8さんには「『映画秘宝』は✕✕と書いていた」と『具体的』に書いて欲しかったと思いました。と言うのも、私の投稿に対して反論コメントを書かれた他のブックマーカーの方々は「リリー・フランキーの話は✕✕じゃなかったか?」「柳下毅一郎は✕✕だったと思うけど」という具合いに『具体的な』指摘や反論を記していた方々が多かったように思うからです。

また、私の投稿に対する批判的なブコメを寄せられた他のブックマーカーの方々も、私と同様に「引用元を明らかにしない各自記憶」を元にして書いておられました。しかし、8×8さんは、彼ら/彼女らの「記憶を元にしたブクマコメント」に対しては、別段「『引用元』が書かれていない(=だから信用・検証できない)」と批判はしていらっしゃらないようです。これは何故でしょうか?それらのコメントが「『映画秘宝』にとって不利にならないから」でしょうか?あるいは「8×8さん自身の『記憶』に合致するから」でしょうか?この最後場合、8×8さん御自身の『記憶』には「『引用元』が示されている」のでしょうか?

かに「或る物事出来事が無かった」と云うことを立証するのは、常に、そして非常に困難なものです。また、私が敢えて投稿したのと同様に、8×8さんにも御自分なりの「そう書かずにいられなかった理由」が有るであろうことは想像できますしかし「8×8さんの記憶が無い」ことと「過去の『映画秘宝』に記述が無かった」ことは、イコールではありません。

私には、8×8さんが「『記憶』に無い」と仰るにも関わらず「そのような『記述』は過去の『映画秘宝』には無かった」との意見に強く傾いていらっしゃるように見えて、とても奇妙に感じています。と言うのも、人間記憶とは(それが正しい記憶であろうと誤った記憶であろうと)、通常「✕✕であった」と云う「何かを認識した」状態として存在するものからです。ある人間の中で「✕✕ではなかった」との記憶が甦り得るのは、それに代わる「✕✕ではなく○○であった」と云う認識に依る記憶存在するからなのです。私に反論された他のブックマーカーの方々のように、です。

さらに私が奇妙に感じるのは、8×8さんは「引用元が明らかではないから、この増田(=私)の記事検証できない」とする一方で、私が「書籍タイトルとページ数まで明示して引用した、第三者による検証可能投稿」に対しては、恰も「反応を『避けた』」ように見えると云うことです。8×8さんが「引用元を明らかにしていない」と反応したのは「そもそも最初から引用ではない」と云うことが明白な「私(=増田)の記憶を元に書いた『思い出話』」についてだけなのです。これは一体、どういう事でしょうか?

これは単なる確認のための質問なので、もしも「違う」のならば「違う」とだけ言って欲しいのですが、まさかとは思いますが、8×8さんには「この増田(=私)が、『映画秘宝』の記憶と題して投稿している一連の文章は『ウソである」と、他のブックマーカーの目に印象付けたいと云う狙いが有るのでしょうか?その為に「選択的に反応した」のではないでしょうか?如何ですか?

ここまで書いて、私には一つの記憶が甦りました。それは、松江哲明加害者となった『童貞プロデュース。』撮影現場で発生した性的強要事件告発された時に「町山智浩が何をしたのか」に関する記憶です。この時、町山智浩は「事実関係はいろいろ聞いているが、被害者とされている人物の主張はかなり一方的」「調べた結果、これは監督と抗議者の間の問題だと確信」との見解自分Twitterアカウントで表明しました。しかし、その後、松江哲明事件被害者本人から自分(=被害者)の話を町山智浩が聞こうとした事実は一度も無い」と暴露されて、町山智浩欺瞞が露呈するという結果になりました。ご存知の方も多いでしょう。

基本的には「事の真偽が分からいから態度を保留して、今は沈黙を保つ」というのは「理性的な態度」であると言えます。「基本的には」です。ただし、上に挙げた松江哲明町山智浩の事例のように「言い訳」や「処世術」の手段として、斯様な物言いがされる場合が有ることも残念ながら事実です。

8×8さんの目から見ると、私の投稿も「一方的な主張」に感じるのかも知れませんね。それでは8×8さんは、一方的ではない「引用元も明示されていて、自由検証することが可能な私の投稿」に対しては、何らかの検証を試みられましたか?もしも未だならば、これから検証を試みるつもりは有りますか?それとも「態度を保留」して検証は止めにしますか?その「態度の保留」は何時まで続けるおつもりですか?

被害者の話を実際には聞いていなかった」にも関わらず「確信」とまで言い切った町山智浩

記憶が無い」上に「御自分記憶開陳しない」にも関わらず「そんな記述が有ったか?」と強く反応する8×8さん。

被害者供述が出ると沈黙した町山智浩

明白な引用には反応しなかった8×8さん。

率直に言って私には「何だか二人は似ている」と思えます

8×8さんの御考えや意図勝手推理してしまい、申し訳ありません。

いずれにせよ、8×8さんにとっては気に食わないことかも知れませんが、私自身は引き続き、気が向く限りは、手元に資料が有って引用可能場合には引用し、記憶に頼ってでも「書かねばならない」と自分が考えた事に関しては、やはり書いて投稿しようと思いますこちらはこちらで勝手にやりますので、引き続き宜しくお願いします。

老婆心ながら、私の投稿に寄せられた他のブコメを見るに、8×8さんが「過去の『映画秘宝』にそんな記述は無かった」と主張して信憑性を持たせると云う挑戦は、正直かなり厳しいのではないかと思います。「でも、やるんだよ!」の精神で続けられるのであれば、私は別に止めませんが。

==(※)注:ここまでが、主に仮称「8×8さん」に向けて書いた部分です。==

現在の私は、はてな匿名ダイアリーへの投稿を開始した後に書棚から発掘した『映画欠席裁判』を、明らかに問題発言と思われる箇所に付箋を貼り付けながら再読していますが、本がハリネズミ状態になりました。これらを全て引用するのは骨が折れそうです。気力、持つかな。

さて、私が反発を招いた「切り株映画ファンは悪い事をしないが、美少女アニメ好きな人間は犯罪者予備軍なのでお上通報しよう!」と昔の『映画秘宝』が書いていたか否かと云う点についてですが、私の記憶では『悪魔のいけにえ』のリメイク作品テキサス・チェーンソー』が公開されたり、別冊『実録殺人映画ロードマップ』が出版されたりした頃の前後の時期だったと目星を付けています

もしも今後、これらの資料が入手できて当該記述の箇所を発見確認できた暁には、引用して紹介することを考えています。ただし、私はしがない地方在住者にすぎないので、都市部在住の方々に比べれば資料の入手、情報へのアクセスの面で不自由しています。したがって、仮に期待する人がいらしても、必ずしも御期待に応えることはできないかもしれません。その場合には御容赦下さい。

もしも「昔の『映画秘宝』や当該別冊を今でも自分は持ってるぞ!」という方がいらっしゃれば、一度ご自分の目で読み返してみては如何でしょうか。私が指摘したこと以外にも『映画秘宝』の悪行を発見するかも知れませんよ。

気が向いたら、また何か書きます。ヘイル、サタン

2021-03-01

必読書コピペマジレスしてみる・自分オススメ41冊編(3)

戻る→anond:20210301080139

E・M・フォースター「ハワーズ・エンド

「人をたくさん知れば知るほど、代わりを見つけるのがやさしくなって、それがロンドンのような所に住んでいることの不幸なんじゃないかと思う。わたししまいには、どこかの場所わたしにとって一番大事になって死ぬんじゃないかという気がする」

つの家族の間を行き来しながら、人間記憶や、場所への執着を捉えた文章。それはまるで、漱石のいいところだけ抜き出したような文章だった。

ところで、同じ著者の「インドへの道」もいい。これは大英帝国支配下インドで、未婚女性が現地の男性暴行されたという疑惑を巡る話だ。女性を守ろうとする騎士道精神排外主義が結びつき、支配者と被支配者の亀裂が広がる様を描く、不幸にして極めて現代的な作品である冤罪をかけられたインド人が、「誰があんな不美人な年増を」と心の中で毒づくの、とても嫌なリアリティがある。たぶん、帯を工夫したら売れるし、どっちの「弱者」がより保護されるべきか的な話題で定期的に盛り上がる増田住民にも刺さるんじゃないかな。

ニコルソン・ベイカー中二階

切れた靴紐を昼休みに買うだけの、注釈だらけの何だかよく分からない小説。細やかな観察眼と都市生活者が思わず共感してしまう日々の経験で、要するにあるあるネタで延々と読ませる。すごい。こういうのが現代文学なのね、みたいに一席ぶつのにも使えるかもしれない。

真面目な話をすると、文学はいろいろな機能があって、それは作者の意図とはかけ離れているかもしれないのだけれども、その結果的機能の一つとして、その時代言語化されていないもの文字化するというのがある。だから文学賞を受賞した作品からと言って、実は今の自分が読んでも面白いかどうかは全くの別問題なのだ文章が巧みで、いかにも知的主人公知的な悩みを描いた文学けが主流な時代は終わっているのかもしれない。そういうのが好きな人古典で充分であるし、逆に言えばいろんな立場の人のきれいごとではないこじれた気持ちが知りたければ現代文学面白い

ヘルマン・ヘッセ車輪の下

理由は書かないが、自分は周囲の期待を一身に背負っていたエリート挫折する話が好きだ。前途有望な若者が、将来を棒に振ったり挫折したりする筋書きに対するこの偏愛ゆえに、自分は「ゲド戦記第一部の前半部分や「スターウォーズ」のエピソード3に対する執着がある。

生きていくとは何らかの失望を味わうことであり、時間をかけてそれらを味わいつつ咀嚼していく過程であるのだけれど、こうした自分のどうにもならない感情言語化した先行作品があることで、自分孤独ではないとわずかな慰めが得られる。

ホルヘ・ルイス・ボルヘス伝奇集」

「鏡の中の鏡」「魔術」「薔薇の名前」などの元ネタとなる作品を書いた人。「バベル図書館」は聞いたことがある人もいるかもしれない。

非常に濃密な短編を書く人で、このネタで長篇普通に書けちゃうだろ、みたいなネタをそのまま短篇調理する。どの作品も非常に濃密で、読み解くのにエネルギーがいる。文体は簡潔で、物語必要最小限の描写できびきびと進む。ただ、具体的に何が起きているのか、そしてなぜそうなったのか、その設定の意味は何か、を追うには読者に教養要求される。読破すると、それ以上のものが得られる。読み終わったらカルヴィーノだとかスタニスワフ・レムの「虚数」だとかミロラド・パヴィチ「ハザール事典」だとかそういう沼にようこそ。

ジョン・ミルトン失楽園

キリスト教文学の癖にルシファーがめちゃくちゃかっこいい。地獄に落ちても神への反逆を続けよとアジる場面は音読したくなる。そのくせ、彼の弱く情けない姿もまた魅力的だ。アダムエヴァ楽園で楽しげにしているところを見て、自分には愛する伴侶もなく、人類に与えられている神から恩寵も既に失われたことを嘆く場面もまた、声に出して読みたい。そして、彼は人類への憎悪嫉妬のゆえに、アダムエヴァ堕落させる。この叙事詩の主役はルシファーだ!

紫式部源氏物語

好きなヒロイン六条御息所自分の意に反して生霊飛ばし他人を苦しめてしまうことに悩むのがかわいそうでならない。今でいうなら、好きという感情コントロールできなくて、それでも好きな人が振り向いてくれなくて苦しんでいるタイプで、感情エネルギーが強い自分としては大いに共感する。

他に好きなキャラクターというか、嫌なリアリティがあっていいと思うのは薫で、その優柔不断さがいい。「この子とつきあいたいけど、でもこの子そっくりな別の子はい雰囲気だしなあ」みたいな優柔不断というか欲深さは、男性心理をよく観察していないと書けない。そういう意味で、自分の中では紫式部評価がすごく高い。

アルベルト・モラヴィア軽蔑

情けない夫が不機嫌な妻に、お前それだけはやっちゃダメだろ的な行為を延々続け、妻から完全に軽蔑され、とうとう上司に妻を寝取られしまうだけの話で、一人称視点から延々と繰り返される言い訳はひたすらに情けない。ねえ、僕のこと愛してる? 嫌いになっちゃった? と尋ねまくって、わかっているくせにとぼけないで! 今忙しいから後にして! うるさいからほっといて! もう愛してないったら! あなた軽蔑するわ! と怒らせるのは、完璧反面教師であり、ギャグすれすれだ。

しかし、作者は妻のことを相当恨んでたんだなあ。

サマセット・モーム人間の絆」

身体劣等感を持つ主人公が、付き合うだけで不幸をもたらす浮気性の彼女を振り切って、幸せにしてくれる女性を見つける話。多くの人が何かしらのコンプレックスを持っているし、何であん自分に敬意を払ってくれない人を好きになったんだろうって記憶を持っていることだろう。王道過ぎるといえばそうかもしれないが、結婚してハッピーになる王道何が悪い

マルグリット・ユルスナールハドリアヌス帝の回想」

ローマ皇帝自分の治世を振り返る体裁でありながら、欺瞞自己満足をさほど感じないのは文体のせいなのか。時代性別文化言語も超えて、別の個人に憑依しながらも、己を見失うことなく語る著者の声は、他人視点に立って(歴史小説を書くとはどういうことなのかを、これからも厳しく問い続けることだろう。

中年や老人にならないと書けない小説がある。そして何年もかけて書かれる小説があり、構想から数十年が過ぎて着手される作品もある。そうした重みを持つ文学作品がどれほどあることか。

技巧も素晴らしく、文体も素晴らしい。こうした作品に出合えるのは、年に一度か二度だ。

吉田兼好徒然草

説教臭い頑固おやじブログ基本的には仏教説話が多いが、それらに交じって挿入される、「〇〇という迷信には典拠がない」だの「〇〇という習慣は最近のもので、本来のありようや精神とはかけ離れている」だの「〇〇という言葉語源を考えれば正しくは〇〇と言うべきだ」だのが、まさにその辺のおじさんがいかにも言いそうなことで面白い

ただ、それだけじゃなくて、第三十九段の「或人、法然上人に、……」のエピソードは、「とりあえずできるところから頑張ればいいじゃん?」的な内容で励まされるし、十八段の「人は己れをつづまやかにし、……」は身軽に生きていくことの幸せさを教えてくれる。

ジュンパ・ラヒリ「その名にちなんで」

最高だった。ラヒリ大好き。体調崩すレベルで刺さった。アイデンティティの混乱という古典テーマもさることながら、ラストシーン過去と不在の人物記憶が、そして小説の全体が何気ないものによって濃密によみがえってくる様子がすばらしい。そのイメージプルースト以上に強度があるかもわからない。

これは、インテリインド系(ベンガル人移民第一第二世代の話なんだけれど、読んでいるうちに海外赴任者の寄る辺なさを思い、つまりイギリス暮らしていた自分の両親の境遇勝手連想させられ、ついつい感傷的になってしまった。随分と勝手な読み方だが、小説の読み方はいつも私的ものから構わないだろう。

外国では気候も習慣も何もかもが違う。両親の教えることと学校でやることが矛盾していて、両親が里帰りしても子供たちは故郷のノリについていけない、ってのが、すごくパーソナルなツボをついてくる。こういう経験がなくても、地方と都会として読み替えると、増田でいつも議論されている話にも近づくんじゃないかな。

H・P・ラブクラフト時間からの影」

正直なんでこの時代ラブクラフトを読むのか、というのはある。人種差別主義者だし、排外主義者だし、クトゥルフ物はパターンが決まっているコントみたいだし(人類理解できない名状しがたいものに触れて発狂するのが基本的オチ)。でも、彼の持っていた宇宙の巨大さと人類の取るに足らなさという感覚は、まさにセンス・オブ・ワンダーだ。そして、「人間感情の中で最も古くて強いのが恐怖であり、その中で最も強いのが未知のものへの恐怖である」という言葉の通り、究極的には理解できない「他者」という存在の恐怖にまっすぐに向き合おうとしたことを何よりも評価したい。

この作品が好きな理由もまた、不気味なクリーチャーが非常に知的であり、かつ知識欲が旺盛だということによっている。

U・K・ル・グインゲド戦記

一巻から三巻までは、ゲドという人物自我確立に始まり他者を助けることや世界を救う英雄行為が扱われる。しかし、実はゲド戦記は第四部からが本番なのだ。あらゆる魔法の力を失い無力な存在となった彼が、魔法のある世界いかに生きていくか。これは、老いに直面する男性物語だ。

そして第五巻! ゲドの生涯で一番の功績が、実は重大な誤り、人類傲慢に過ぎなかったのではないか、という仕事に生きてきた男性には非常に厳しい可能性が示される。

しかし、ル・グインはゲドにとてもいい歳の取らせ方をしている。果てしなく努力をすれば、男性女性を、女性男性理解できるのだと作者はどこかで述べていたが、その希望を見せてくれるし、そこに女性作家を読む喜びの一つがある。

男性気持ちがよくわからない女性にもオススメしたい。

ジュール・ルナールにんじん

いわゆる毒親について書かれた小説なんだけど、ねちねちしていなくていい。文体は軽く、描写も簡潔。だからこそ、彼の育った環境の異常さが際立ってくる。なんでこんな親子関係なっちゃったかについて掘り下げられることもほとんどない。

そして、暗鬱なだけの作品にならないのは、にんじん少年の異常なたくましさだ。ひどい目に合っても受け流し、冷淡な母から何とか愛されようともがいている。読んだときの年齢によって、感想は大きく変わるだろう。

以上。五十音順計算を間違って40冊の予定が1冊増えた。書いていて非常に楽しかった。

2019-07-09

ビジュアル系作家四天王

思いつかない。

本戦の1,2回戦で負ける連中なら分かる。

荒木飛呂彦・・・隠せない廊下兆候によりカリスマ激減

京極夏彦・・・21世紀に指出しグローブはねーわ

ホルヘ・ルイス・ボルヘス・・・奇跡の一枚であることが判明して敗退

西尾維新・・・名前がカッコイイだけ

2018-10-11

anond:20181011184334

エビデンス

実証重視の方々にとっては「物語」の代表に見えるであろう精神分析系の心理療法も、ちゃん効果確認されるようになってきたたことです。

それこそ、そのエビデンス(論文)でも提示されればいいんじゃないですかね。

この辺りのこと?

Jonathan Shedler,"The efficacy of psychodynamic psychotherapy."(American Psychologist 2010)

Falk Leichsenring,Sven Rabung,"Effectiveness of Long-term Psychodynamic Psychotherapy: A Meta-analysis"(JAMA 2008)


フロイト理論の諸々の失敗

精神分析医のフィーリス曰く(1)、フロイト派のセラピービクトリア時代の人たちには、うまく機能していたが20世紀半ば以降、人々の「性格の鎧」の質が変わり、セラピーはうまく機能せずに行き詰まって失敗することが多かった。

フロイト派の精神分析法は、「幼少期の体験が成人してから人格の基礎となる」というものが骨子の一つ(2)だが、そのことに大打撃を与える調査が出てきた。1990年代マシュマロ実験の文献を詳しく調べたマーティンセリグマンは、幼年期のできごとが成人してから人格に影響を与えるということは、ひどい心的外傷や栄養失調があった場合にはありうるかもしれないが、それ以外では有力な証拠ほとんどないと結論づけている(3)。子供時代と成人してから性質に、ごくわずかな相関は認められるが、それは主に遺伝的(生まれつきの)性質、つまり概して明るいとか気難しいといった性質の反映として説明できるという。

また心理学者のバウマイスター一同がフロイト提唱する理論メカニズムの数々を現代の文献と付き合わせて検証したところ、最も最悪な理論昇華説だということが判明した(4)。そもそも昇華説には根拠がない上、事実はその逆だと考えられる理由が多いからだ。

もちろん、フロイト理論示唆的で興味深いものが多いし、余談だが「快感原則彼岸」については現代思想の中ではかなり重要位置づけになっている。ラカン執拗にこの論文にこだわるわけだしね。

それに、フロイト批判をしたバウマイスターは、フロイト提唱する説でエネルギー重要位置に置かれていることに敬意を表して、フロイトが使っていた自己を指す言葉自我(エゴ)」を使って、「自我消耗」という言葉を「人の思考感情や行動を規制する能力が減る現象」に名付けた。自我消耗に関しては、後に脳波記録検査法(EEG)で脳内の前帯状皮質におけるスパイク発火(エラー関連陰性電位)が対応する脳機能であることが確認された(5)。


科学的な心理学

著名な心理学者であるスティーブン・ピンカーは、 今回で言えば「人生全体」「物語の蓄積」「人生の深み」といったことで、科学基本的研究方略である単純化(simplify)」を退けようとしていることに苦言を呈している(6)。 研究対象をとなる複雑な現象をいろいろなレベル単純化し、いろいろなレベルごとに 解明していくことを拒んで、複雑な現象ありのまま理解しようとしていたのでは研究はいつまでたっても現状に停滞したままになる。単純化を嫌って、複雑な現象を複雑なままで捉えようとする人文系学問に多く見られるのこうした研究方略を、ピンカーは完全な正確さを求めて「原寸大の地図」 を作った愚かな地図職人を描いたホルヘ・ルイス・ボルヘス(Jorge Luis Borges)の寓話批判している。

現代心理学の始まりブント(Wilhelm Wundt: 1832-1920)のライプチヒ大学での心理学実験室創設とされるように、そのスタートから科学を目指したものだった(7)。 人文学科学化と言っても、物理学化学実験を導入するのではなく、心理学実験手法神経科学実験手法(EEGfMRIなど)を取り入れればいいのである。また、国際的科学心理学学会APS(Association for Psychological Science)の会長だったカシオッポはこうした点に注目し、心理学科学と他の文系学問とのハブとなるべきであると主張している(8)。

個人的には、人生全体から人間理解フロイト理論人間理解よりも、人類史から人間理解(進化心理学)(9)や神経科学から人間理解の方(10)がより多くのことと整合性が有ると思うし、「物語」を一切考慮しないで休職者の約53%を予測したリシテア(11)といったことの研究心理学がより一層取り組んでいくことを願ってるわ。


▼出典

(1)Allen Wheelis,"The Quest for ldentity"(New York: Norton,1958).

(2)Sigmund Freud,"Drei Abhandlungen zur Sexualtheorie(『性理論三篇』)"(1905)

(3)M.E.P.Seligman,"What You Can Change and What You Can't :The Complete Guide to Succesful Self-Improvement"(New York:Alfred A.Knopf,1993).

(4)Roy F. Baumeister,Karen Dale,Kristin L. Sommer,"Freudian Defense Mechanisms and Empirical Findings in Modern SocialPsychology: Reaction Formation, Projection, Displacement, Undoing, Isolation, Sublimation, and Denial"(Journal of Personality,1998)

(5)Michael Inzlicht,Jennifer N. Gutsell,"Running on Empty: Neural Signals for Self-Control Failure",(Psychological Science 2007)

(6)Pinker, S."Science Is Not Your Enemy: An impassioned plea to neglected novelists, embattled professors, and tenure-less historians." (New Republic, 2013)

(7)Bringmann, W. G., Bringmann, N. J., & Ungerer, G. A."The establishment of Wundt's laboratory: An archival and documentary study." (W. G. Bringmann, & R. D. Tweney (Eds.), Wundt studies: A centennial collection (pp. 123-157). Toronto: Hogrefe. 1980)

(8)John Cacioppo,"Psychology is a Hub Science"(Observer 2007)

(9)Martin Daly, Margo Wilson,"How evolutionary thinking inspires and disciplines psychological hypotheses." Pp. 15-22 in XT Wang & YJ Su, eds., Thus spake evolutionary psychologists.(Peking University Press,2011)

(10)一例を挙げれば、心の理論(Theory of mind)における神経科学役割とか。サイモン・バロン=コーエンが有名だろうが、研究は色々有りすぎて挙げきれない。

(11)HR テクノロジーで、人や組織パフォーマンスの最大化を図る 「リシテア/AI 分析サービス販売開始(https://www.hitachi-solutions.co.jp/company/press/news/2016/1201.pdf)

 
ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん