はてなキーワード: 文鎮とは
私は平日にOSのアップデートとかすると何かあったときにバタバタするからやめておく。
と、思ってたんだけどやっぱり待ちきれなくてアップデートしちゃった。
ただいま、うちのiPhoneくんがながーい時間を掛けて新しく生まれ変わってる最中。
ほんとはね、万が一文鎮とかになったら困るから週末の連休までイジらないほうがいいんだけどねえ。
だってさ、やっとさAndroidみたいにアイコンを自由に並べれるようになるんだよ。
ほんとさ、なんでこんなことをもったいぶって何年もやらないのかがわからないよね、Appleって?
ちょっとアホなのかな?
相変わらず指でロックを開くのも出来ない。
そういうのなんでチャッチャとやらないのかな?
やればすぐ出来ることをいつまで経ってもほったらかしにしてやらないってどういうことなの?
よくわからん人らだわ。
導入CFWは多分最新(最後の) LME/Infinity2 導入済みの PSP1000 環境
症状
これでInfinity2によるCFWの直接起動が動くようになる。多分
原因
USB接続でのISOの吸い出し作業で間違えてブート領域を壊してしまったのかな?
シャー芯とシャーペン、鉄砲弾と拳銃、フィルムとカメラ。「本体」は前者で、「消耗品/付属品」は後者に見える。
シャー芯は言わずもがな、単体でもつまめば文字は書ける。弾だって筒に入れてトンカチで叩けば撃てる(らしい?)。フィルムだって最悪専用のカメラがなくても映像を焼き付ける事は出来る。
逆に「本体」だけあっても目的は全く果たされず、ただの文鎮と化す。「本体」だと思われがちなものは、むしろ最終的な目的に向けた補助器具でしかなかったりもする。
シャーペンがなくてもシャー芯で文字は書ける。(専用の)銃がなくたって銃弾は飛ぶ。
だったら肝心要なというか、最終的な機能に作用する部分を「本体」と呼んだって良いんじゃないかすら思う。
でもそれらは使い捨てであったり操作する手元から離れた所にあったりで、どこか軽んじられてる節があるかもしれない。身体の拡張が云々とか、そういう話をしてる哲学で既に言及されてたりするんだろうか。
得てして補助器具に過ぎない「本体」の方に心血が注がれる事も少なくない。
高いカメラを買い漁る人は珍しくもないけれど、本体もそこそこにフィルムの性能に対して徹底的なこだわりを見せるという人はお目にかかったことがない。
このボールペンは良いですよ。書き心地が実に素晴らしい。
なんて高価な文具のセールストークがあったとして、おれは少し違和感を抱く。
確かに操作性、握り心地というのは無視出来ない。無視できないが、ペン先の引っかかりやインクのノリいった筆記具としての重大要素は消耗品である軸が担っている。
軸は消耗品、ある意味独立した存在であって、本体の魅力の説明に含むのには少々違和感がある。汎用の軸でどのボールペンにも適合するというのなら尚更だ。
こういうのってなんか不思議というか、面白いなって思う。別にあってもなくてもいいようなブルシットジョブの方が実入りは良くて、いわゆるエッセンシャルワークの方が無きものにされがちみたいな話とちょっと似てるかもしれないなって思う。なくても困らないにしたって、あった方が心は豊かになるかもしれんしね。ならないかもしれんけど。
離れて暮らす祖母がいるのだが、ドコモのガラケーの携帯を使っており、3Gのサービスが2026年に終了してしまうため、携帯を買い換えないといけない。
そこでらくらくスマホをメルカリで購入した。3000円くらいで。
初めてのスマホで90近い高齢者が使いこなせるか自信がなかったので、すぐに携帯を交換するのではなく、しばらくはスマホと今のガラケーを併用してもらって、スマホを使いこなせるかを判断して、
使えるようならガラケーの番号をスマホに移す、ダメなら別の選択肢を探そうと思った。
自分の使っているMVMOの回線を追加で契約してそのスマホにsimを入れて、GWに帰省したタイミングで祖母に
「とりあえず使ってみてよ」
と渡してきた。
電話番号が違うので、ひとまず慣れるまでは身内にかける時だけこの電話を使って欲しいと言ってきた。
この時は使い方を教える際などに何度も電話をかける動作をおこなっており、何も問題はなかった。
しかし今日になって、電話がかかってきて、スマホの動作がおかしいと言ってきた。
近くに住む親戚にスマホを見てもらって、それでも原因がわからないので、その親戚が電話してきたのだが、まとめると
・電話が切れないので、相手が出ないとずっと電話をかけ続けている状態になる
話を聞いた当初は、祖母が何か意図せず設定を変えてしまったか、中古なのでセンサーが壊れたか、どちらかだと思っていた。
我々の使っているスマホは、電話をするときに耳元にスマホを持ってくると、画面が自動で消えるようになっている。
なので、このあたりの機能が誤作動しているのかなーと思い調べてみると、このような記事が出てきた
電話をするとスマホの画面が真っ暗のままで何も操作ができない!これって何が原因なの?
https://andoroid-repair.com/blogs/cat04/46310.html]
この記事によると、近接センサーがスマホの画面に搭載されており、このセンサーが反応すると、画面が消え、耳に当てている時のタップ動作を止めてくれるようだ。
このセンサーが故障、誤作動すると、電話をかけるだけで文鎮状態になるというのは納得できる。
ということで、ラインで、「近接センサーが怪しいから、掃除してみてよ」とメッセージを送ったところ、すぐに電話がかかってきた。
話を聞くと、祖母はスマホの上部に、自分の電話番号を紙に書いてテープで貼り付けていたそうだ。
この紙が近接センサーを塞ぎ、電話をすると操作不能な状態になっていたようだ。
まさかスマホにそんなことをするなんて思ってもみなかったので、原因が分かった時は笑ってしまった。
普段使う電話番号とは違う、暫定的な番号なので、人に伝える際に困るからテープで貼っておくということが、スマホを使いこなしている我々には想像できなかったし
スマホ上部にテープを貼るとスマホが文鎮になる、ということも想像できなかった。
工学部だったのでフールプルーフの概念は勉強していたが、本当に利用者は設計者が意図しない使い方をしてしまうものなんだなぁとしみじみと思ったわ
ipadを買ったのだが、正直言って使い道がない。家にいるときはPCを使うし、外に持っていくにはかさばる。何しろ外で使うならスマホで良い。
なので、ベッドで横になっているときにYouTubeを見るときくらいしか使っていないのだ。
しかし、これでいいのか?
絵を描いたり、動画編集したり、スタバに持って行ってみたり。そういうことをしたくて、ぼくはipadを買ったんじゃないのか?
焦り始めたぼくは、おもむろにgoogleで「ipad 使い道」などと検索してみることにした。ipadには無限の可能性があるはず。なのだ。
例えばyoutubeで、ipadの動画を見て回ると実に面白い。いろんなyoutuberや配信者が、ipadへの愛を語っている。
中にはipadを頬にこすりつけて、ペット扱いしているような猛者もいる。ipadの魅力おそるべし。正直言って、アップル製品は質感が良いので、頬にこすりつけたくなる気持ちはわかる。
圧倒的に所有欲が満たされる。まさに知恵の実である。
さて、そんなことはどうでもいい。
ipadを「思考の整理」に使っているという記事やコメントが多いのだ。
思考の整理?
ここでぼくは立ち止まることになる。
ipadでメモ帳を開いて、マインドマップを書いたり、企画書みたいなものを書くのか?そういうことか?
ぼくは普段、クリエイティブな仕事をしているわけではないから、よくわからないのだが、
「思考の整理」なんて、日常生活でそんなにすることがあるのだろうか?
普段から思考の整理をする人物とは、どのような属性なのか。その方は企画職なのか?それともアイデアが無限にあふれてくる大学生か?
そうなのか? 思考の整理ってなんだ。そんなにメモすることがあるのか?
日記を書いているのか?
手書きの良さもあるから、わかるのだが。そんなに思考の整理することがあるのか?
デザイナーか?
日常生活で思考の整理をしなくなったぼくは、知的に停滞しているのかもしれない。
こわくなった。
いざとなれば高めの肉壁にもなれるし文鎮の代わりにもなるやろ
常に充電してないと起動すらしないスマホが手元にある
メルカリとかで売っても赤字になりそうなくらいの5年以上前のAndroid6のスマホなんだけど、何か使い道ないか悩んでるところ
条件は以下
・boot loader unlockはできない(怪しいサイトに金払えばunlock codeをもらってできるっぽい)
・32GBの容量があったが、OSなどでいろいろ容量を取られて半分以上は埋まっている
この上で以下をためしていた
・termuxを入れて実質Linux機とする
termuxというアプリを入れるとshellが使えるようになり、sshdも起動するとPCからSSH接続して操作可能になる
色々試したけど、専用のパッケージマネージャが最新バージョンのパッケージは扱えるが、過去のバージョンをアーカイブしてないのか取れないことが判明し
やりたいことが実質できない状態になったので終了。自力で過去バージョンビルドしてみたけどarm64なのがいけないのかうまく動かなかった。
あと性能低すぎてEC2とかの最小インスタンスでもそこまで時間かからず終わる処理が30分以上待たされたりしたので実用するにはハードルが高かった
Alexaアプリのハンズフリー発話の設定を入れればAlexaのほぼすべての機能が使えるのでいい体験になった
しかし、他のAlexaからスマホのAlexaは見えないので他のAlexaから呼びかけ等ができず終了
・Android6の検証機とする
今日日6なんて古いバージョンサポートしなくてもよくなったので終了
以下はまだちゃんと試してない事
スマホ自体を監視カメラにして何かしらのアプリで見られるようにする
懸念点はそこまでカメラの性能が高くない事と、外に設置する場合に電源をどう確保するか、防水をどうするかが悩みどころな点
なんかそういうアプリがあることは知っている
懸念点は持ち運びできないことと、電源の確保
他になにかよさそうな使い方あれば教えて欲しい
ブクマやコメントくださった皆さんありがとう。ひとつひとつ大切に読ませてもらっています。
この日記は、コロナ前の2018-2019年。妊娠&出産したとき書き殴っていたメモがスマホから発掘されまして、削除するのも勿体なかったためここに放流させてもらいました。
あれから我が子はもう3歳になっており、毎日元気にすごしています。(「うちの子と同じくらい!」とコメントくださった方ごめんな...)
・妊娠しているのが判明したとき母親になる実感とか覚悟とか全然なかった。子供は嫌いじゃないけど自分が育てるとなると。。不安と恐怖ばかり。
・仕事や趣味もいっぱいやり残した事あったし、まだもう少し夫と恋人同士でいたかった。でもまあ…40前にもなって結局大成もせず何者にもなれない人生だったが、どうやら母親にはなれそう。か。
・妊娠8wかな。心音確認後、母子手帳交付へ。保健センターは大勢の妊婦さんでいっぱい。つわりが始まりかけていたので、しんどかった。
・エコー写真は相変わらず宇宙人みたいなウネウネ。その得体の知れない存在が怖かった。母としての実感なし。
・空腹が気持ち悪い...かといって何か食べても気持ち悪くて吐いてしまう。。
・つわりの酷かった時期の全てがトラウマに。当時よく食べてた物、よく行ってたスーパー、トイレの芳香剤の香り、よく聴いてた音楽までも…思い浮かべるだけで気持ち悪いよだれが口いっぱいに湧いてきて軽くえづく。
・食材のにおいや鍋の熱気などが気持ち悪くて台所に立てなくなり、以来ずうっと現在に至るまで夫が料理を作ってくれている。。夫は元々料理が趣味だからと快く引き受けてくれている。掃除洗濯皿洗いが私、買い出しと料理が夫。役割分担をしてちゃんとやってるのに、料理をしないことに罪悪感がある。
・15w頃。高齢出産のため出生前検査を受ける。何かしら障害があるのなら生まない選択をするつもりだった...が、容易いことではない。だって、あんな元気な心音を聞かされて、くるくるよく動き回る胎児の姿を見たら。
・18w 結果がわかる。異常なし。いくで!ようやく決心がついた。このあたりから母性と覚悟が座ってきた。
・22w頃。エコーでの最終検査もまったく異常なし。元気な男の子と判明。
・妊娠糖尿病に引っかかる。。1日5回の血糖値測定、毎食の記録、週1糖尿病内科への通院を義務付けられる。
・お腹が大きくなってきた頃、夫以外の男性に生理的嫌悪。道の向かいから男性が歩いてきたら回り道をする、レジ係の男性、会社の同僚と目が合うのも嫌。体の表面が警戒心という電気でビリビリ覆われている感じ。
・妊娠中期〜(産後半年まで続いた)はホルモンバランスのせいか感情過多&涙もろくなる。
・母親学級にて、先生が朗読したポエム「わたしがあなたを選びました」で、おんおん号泣。
・TV番組「ワイルドライフ 野生動物のリアル」産卵終えたばかりで弱っている母ウミガメをバリバリ食うヒョウ。むご過ぎて号泣。
・エコー越しの赤ちゃんが、ただ、ただ、可愛くて愛おしすぎて号泣「可愛い」って感情だけでここまで泣けるものなんだな。
・出産予定日に検診。胎動カウントを聞かれ「そういえば昨晩からあまり動いてないんですよね」と伝えたら即日入院になった。臨月は胎動が落ち着いてくるとか聞いてたから特に気にしてなかったがあかんかったのか。。内診エコーNSTの結果、いまのとこ緊急性はないけど予定日だし促進剤いれてもう産んじゃいましょうって。
・翌朝破水、陣痛はじまる。なんかおかしい...なんか異変を感じるんです看護師さん...→ヘイヘイ赤ちゃん心拍弱ってる〜→緊急帝王切開の流れ。
・硬膜外麻酔で大暴れしてごめんなさい。。陣痛よりも背中に刺す麻酔が1番痛い&恐怖だった…
・感覚のない下半身は、長時間雪遊びしたあとのジーンと痺れる感じに似てた。
・ずっとお腹の辺りでカチャカチャすること約30分後、赤ちゃんの鳴き声。生まれましたよ!と同時、胸元にドサッと生暖かい肉塊を置かれたのを感じた。カンガルーケアってやつ?シートで阻まれ姿がよくみえないうちに連れ去られたw
・術後、朦朧として「お腹の上に乗せてる重り?文鎮ですか?をどかして下さい」と言った。重いと感じていたものは文鎮ではなく、どうやら傷の痛みだったらしい。
・術後の姿を見て「難産だったね…」と義母に同情されたが、赤ちゃんが無事健康に産まれてきたのなら安産だと思う(思ってた。。)のでそう答えた。
・腹の傷の痛みがとにかくつら過ぎた。腹筋どこいった?て感じで腹に力が入らない。あと、傷口にブッ刺さった2本のチューブから出血を溜める小さなボトルがぶら下がってる。トマトジュースのように濁った体液が常にタポタポしてて気持ち悪かった…
・縦に走った傷跡にはホチキスの芯がびっしりと。抜糸はそれを一本一本抜いてく。「陰毛を抜く程度の痛み」とネットで事前に知れたので、恐怖はそれほどでも。
・術後のガスがなかなか出てくれなかったので、入院食はずっと五分粥。お祝い膳をすごく楽しみにしてたが結局出てこなかった…ものすごく豪華で美味しいと評判の産院だったので残念。。
・術後のガス出ない。。お腹はガスでパンパン膨れ、とても産後に見えない大きさw傷口が開きそうで怖くなる。歩くのも苦痛。ガス出すために下剤飲まされたり浣腸されたが無駄だった…肛門ボロボロいぼ痔悪化…。ネットで調べたオナラ体操が一番効いたかな。体をひねってなんとか出した。
・「赤ちゃんと一緒にがんばりましょう♪」という通常分娩を前提としたイメージトレーニングを受け続けてきたせいだろう。緊急帝王切開となり「ちゃんと産めなかった」みたいな負い目がずっとある。泣きたくなる。「出産頑張ったね、大変だったね」の声に紛れて、実母が「この子はラクして産んだから〜」と親戚に話してるのが聞こえて悲しかった。
・産後翌日。保育器に入り色んな管に繋がれた我が子と対面。こんなに可愛い子が胎便漏らすほどお腹の中で苦しんでたなんて...可愛さといたましさに保育器の前で体をくの字に曲げおんおん号泣。異様な姿だったと思う。
・産後すぐ姉や友人たちに送ったメールを読み返すと、出産時の様子を生々しく熱っぽく報告してあって、テンションが二郎レポのそれだった。以上、レポっす!!ってやつ。
・産後すぐ、実母がすごく嫌だった。帝王切開はラクなお産発言とか母乳足りてないんじゃないのとしつこかった。マルチ商品みたいな怪しいドリンク持ってくるし。
・実父が「自分に似てる」と言うのが心底嫌だった。授乳する時思い出しては最悪。。
・ 実家は狭いうえ底冷えがひどく、両親が高齢なのもあり頼れないなと思ってたから里には帰らなかった。かといって、赤ちゃんとの暮らしなんて想像もつかないし実際体験してみないとわからない事だらけだ。退院後すぐ自宅育児が出来る自信がなかったので、産後ケア施設に2週間入所することにした。
・24時間助産師さんのもと赤ちゃんと2人の生活を監修して貰えるのはありがたいと思う。自宅育児が始まる前に、赤ちゃんと実生活しながら育児に必要な細々としたものを揃えていき(夜な夜なAmazonポチポチ)、日々のお世話の仕方をしっかり身につけられてあんしんできた。母乳の状態もみてもらえるし、疲れたら助産師さんに子を預けて休息をとれるし、栄養ボリュームたっぷりな1日3回の食事、おやつ、マッサージと至れり尽くせり。お金があれば、ずうっと入所してたいくらいだった。。。
・2週間、夫は毎日来てくれた。夕食の18時から2時間ほど親子3人で過ごした。たまに夕食を持ち込んで一緒に食べたり。面会終了時間までベッドで横になり、初めて3人一緒に眠ったり。嬉しくて幸せで貴重な時間だった。赤ちゃんの名前はこの時に2人で決めた。
・施設を退所して自宅育児開始。産後0ヶ月は壮絶だった。。赤ちゃんは1日のほとんど寝るか泣くかの繰り返し。愛おしい我が子なのに理由のわからないギャン泣きは異生物感凄くて、正直ギブつって放って逃げ出したかった。独身時代の自由気ままな暮らしに戻りたくてたまらなかった。産後はもっとこう、母性が芽生えて無限の愛に溢れたキラキラママへ自動的になれるものだと思ってたのに。なれない自分に自己嫌悪したり。
・止まないギャン泣き。途方にくれる。リビングが精神と時の部屋化する。
・おっぱい咥えてる間は泣かない、咥えたいだけそうさせればギャン泣きしない。解決!
・産後1〜2ヶ月頃。夢を見るが不思議と我が子は出てこない。一度だけ、仕事もバリバリやってスタイリッシュなオフィス、魅力的な同僚に甘酸っぱい恋、うんとオシャレして素敵なレストランでワインを飲んで…というコテコテの月9かよみたいな世界観の夢みて、まじでどんな悪夢よりもきついものがあった。だって自分には決してもう有り得ないんだもの。
・我が子はものすごく可愛いし毎日幸せでたまらん…のに、退屈で死にそうになる事がある。
・開き直るようになった。これまでは、電話が取れなかったりメールの返事が遅れる自分をだめなやつだと責めてたけど、今では「だって育児してるんだもーんしょうがないでしょ」と。
・お洒落しなくなった。白髪増えていくのにそのまま、化粧も適当、服買わない、身なりに興味なし。
・人とうまく喋れない。言葉がでてこない。話し相手は夫だけ。それも生活上必要最低限の会話だけ。
・自宅育児初日のこと。「沐浴はどうしようか...」となり、とりあえず沐浴マットを敷いたシンクに横たわらせシャワーをジャーっと…したっけ大号泣よ。洗剤スポンジ置く鉄網?を、ちっちゃな手で力一杯握りしめながら怯え泣いている姿を見てハッと我に返った。赤ちゃんをお皿や食材みたいに洗っちゃいかん、これはいかん、わしら何てことをしてしまったんや(寒かっただろうしね…)それ以降は湯舟に一緒に浸かるスタイルで安定。
・母親学級で習った「怒責感(どせきかん)」という言葉が流行る。うんこしたい時の合言葉になった。
(使用例:「怒責感が…」と言ってそそくさとトイレへ立つ。怒責(どせき)ってきた。など)
・オムツ替えは、うんちの回数が多くまぁ進んでやりたいような楽しい作業ではないのもあり、そこでちょっとワクワク感を加えようという思いもあって、うんち量が多いほど小吉〜中吉、うんちがオムツからはみ出したら大吉といううんち占いを
・自宅にて家族3人ようやく念願の川の字になるが、我が子ピンポイントで夫の股間を蹴るため、PK時のサッカー選手みたいなポーズで就寝する夫。
・イベント化する選挙。夫婦2人だった頃の生活上には「投票に行く」なんて一度もなかったが、いまでは選挙があるたび散歩がてら家族揃って投票所へ足を運ぶようになった。
・産後1ヶ月あたりからずーーーっと手首痛い。抱っこが苦痛。おむつ替えのとき、赤ちゃんの蹴りが手首にちょっと当たっただけで痛みにうずくまって泣いた。
・整形外科通院。手首の腱鞘炎に注射。むちゃくちゃ恐怖だったが、硬膜外麻酔よりマシ...!と脳内で繰り返し唱えて耐えた。手首への注射はすんごく不思議ななんともいえん新感覚な感触。。ポクン!て鳴った。
・痛みが緩和されるのはほんの数日。根治治療にはならないのと、あと注射の効きにムラがある。。注射後かえって痛くなる日もあった。
・やたらとオナラがでるんだが。。。
・首、肩、手首、乳首がボロボロ。。首という首がやられる。(足首だけが無事)
・妊娠中20kg近く太り、産後1ヶ月で10kg痩せたが残り10kgェ…
・産後すぐの授乳指導で、助産師さんがおっぱいのあげ方を「手に乗せたハンバーグを差し出すように」と表現したのだが、いまだにイメージがわかない。もしかして単に聞き間違いだったのかな。。
・母乳が壊れた蛇口のようにビャービャー出る。我が子の顔や頭にまき散らして笑ってしまった。
・紐の扱いが天才的にうまいw いつのまにかヒュヒュッと絡め取ってる(見ないで取ることも)胎内で臍の緒で遊んでた名残とも言うがはてさて...。
・新生児期、ミルクあげると両手を胸元でキュッと寄せるぶりっ子ポーズをしたり、ゲップ出しで背中とんとんする際、酔っ払いみたくクッタリする姿がほんと可愛くて。
・いつ見てもホコリや垢を握りしめている。
・布類を顔にかぶせたがる。洗濯物に埋もれていることが多々ある。
・「THIS IS IT」のポーズで大喜びしてくれる。
・たっちができる頃には組み手、歩けるようになったらぶつかり稽古の相手をしている。
・突進してきては抱きついて私の着ている服で口や手を拭ってゆく。
・夜中寝ているとき、ちゃんと生きているのか不安になって呼吸や鼓動を確認する。
実母との関係を心配されているようでしたが関係は至って良好です。母は人から褒められたり持ち上げられると、つい自分sage身内sageをしてしまう性格に加え、母自身もあの頃は孫ハイになっていて深く考えず発言していたんだと思います。実父に対してはほんと理不尽だったなと反省...。
超個人差があると思いますが、ガルガル期、いま振り返ると自分でも異常なほど攻撃的でした。人が変わったように感じることがあるでしょうが一時的なものですので安心してくださいね。
わわわわ~
わわわわ~
クロちゃんです!
わわわわ~!
なんか急に寒くなってきてダウンジャケットを無事実家から持ってきて着込んだところよ。
もう1日遅かったら冬の寒波に乾杯出来なかったところだからパーリーに間に合ったわ。
3つを目標に掲げ頑張っていきたいと思うわ。
季節の順番で言うと夏よりも
秋の次は冬!って感じなのよね。
ゆっくり長期休みの時は温かい鍋でもしっぽりいただきたいところよ。
もうさー
矢野顕子さんの
シチューを食べる歌
ラーメンを食べる歌
ご飯が炊けた歌
お腹が空かないわけないじゃない。
ところでさー
ふと駅の待合室でコーンスープの香り高くコク深く不意に突如漂う
キンモクセイの香りの次にコーンスープの香りだと思うんだけど、
コーンスープどこで売ってるのか私は知らないのよね。
みんなそれどこで調達しているのかしら?って思うほど
パブロンの犬のように
早めのパブロン!って風邪の引き始めに優しくそっと竹下景子さんばりにパブロンを渡してくれない方の
食欲がコーンスープの香りのせいでひしひしと湧いてくるのよね。
そこをガマンして次セントバーナード犬が雪山で救助の時に首から下げていて遭難した人に与える度数の高いお酒が入っている入れ物のそこの中にコーンポタージュスープが入っていたら
きっと遭難した人も温かいコーンポタージュスープをいただいて復活し下山できること請け合いよ!
みんな本当にどこからコーンポタージュスープを持ち込んでくるのか不思議よ。
沸いて出てくるわけでもあるまいし不思議ね。
でもさー
あの冬の雪山遭難救助セントバーナード犬の首からぶら下げている容器の中に何を入れたら面白いか大喜利とかって考えてみるとワクワクするわ。
でもそもそもとして
いまでも雪山遭難救助セントバーナード犬ってスイスとかにいそうな気がするけど本当に存在するのかしら?
あれは都市伝説なのかな?って
雪道で遭難したときにヤマザキパンのトラックがやって来てみんなに物資を配るって幻想ぐらい
その刷り込みは全てアルプスの少女ハイジなのかも知れないわ。
だってなんか大きなセントバーナード犬風な犬って登場してるじゃない。
あの犬種のような気がするけど、
みちょぱのヤギ版とでもいいそうなほど、
ポップなのよね。
そんでいろいろと気になって調べてみたのよ。
よくご飯お茶碗山盛りてんこ盛りフードファイターが食べる並のご飯茶碗の昔話のアニメでも出てくる牛とか馬とか出てくるじゃない。
それで名前が「アオ」って
ネコなら「九十九里浜のミケ」犬なら「大洗海水浴場のポチ」みたいに
それでなんで牛さんとか馬さんが「アオ」って呼ばれているのか
結局見付からなかったわ。
ジッさまが牛さんや馬さんにアオって層読んでる絵本は五万とざっと五万冊ぐらいあるのに、
その由来の文献が意外とないのよね。
それでいろいろな文献を漁っていたけど、
山岳救助隊に所属する犬のセントバーナード犬のことも載ってなかったのよね。
あれもきっとお菓子の家のような絵本の中だけでの話しだったのかしら?
あと、
熊が鮭咥えてる意匠の事も調べてみたけど
あれの由来というか木彫り熊鮭のルーツも知りたいわね。
意外とあれもう見かけないし
そう言った木彫り熊鮭扱ってる民芸品に行って
何か紙切れが飛ばないような文鎮的にも使える
頃合いのいい木彫り熊鮭がないかなーって思うし
きっといつか出会える木彫り熊鮭の事を考えると
すっかりもコーンポタージュスープの香りの出所を探す旅のことも忘れてしまっていたわ。
逆に熊が鮭咥えて持ってきて助けに来てくれても
すかさず寝たふりしてやり過ごすしかないけど
もう寝るのか起きるのかどっちかにして!って感じよね。
そんな北海道からのお土産の木彫り熊鮭クッキーを食べながらそう思ったわ。
木彫り熊鮭クッキーなかなか美味しいわよ!
きっとコーンポタージュスープと一緒にいただいたらもっと美味しいはずよ!
うふふ。
なんか朝だけ突発的に立て込んでいて忙しかったので、
にしました、って言うよりそれしか頂けなかったってところがいただけないわ。
ぺこぺこのぺこだわ。
お昼は食べ損なった朝のおにぎりを頂くわ。
私いいこと思い付いたんだけど、
北海道のキャラクターでマスクメロンとクマのキャラクターってあるじゃない
メロン熊って言うらしいけど、
あれの鮭版シャケ熊を合体させて作っても可愛いかも知れないわよ。
たぶんそれKIRIMIちゃんみたいな熊になりそうだけどね。
可愛いと思うわ。
葛飾北斎の椿と鮭ってあの絵も私グッときてTシャツ買っちゃったぐらいだしね!
やっぱり鮭って可愛くて美味しいのよ。
朝寒いので
とりあえず温かいわ。
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
彼は自分の思っていることを一切言わなかった。というより何も思っていなかったので、主張して伝えることが一切存在しなかった。
お前の考えていることがわからんと口々に言われた。実際何も考えていなかった。
持ち前の勘の良さと運の良さだけでもって生れてから現在までの時間を流されてきた。
ある時オズの魔法使いの劇を観た。自分も何かが欲しいような気がしたが、何かを記憶するのは彼にとっては大変難しいことだったので、家路を歩いている間に劇を観に行ったことすら忘れていた。
彼は17の時に兄に連れられ風俗街で童貞を捨てた。と言っても、娼婦の思わず賞賛の拍手が巻き起こるほどの意地の力でわずかにそれに使える硬さを得た逸物を強引にねじ込まされ、そしてそのまま引っこ抜くついでに突き飛ばされただけだったが。
彼の仕事はといえば、市長の代理で議会の椅子に座らされ、だれが作ったかわからない台本に書かれたYESやNOやSUREなどのごくごく短い文字を誰だか知らない連中からの質問に対して上から順に読み上げていくことだった。なぜこんな役職についているのか彼自身も周囲の人々も知らなかったが、ただ彼の第六感が粛々とすべての運命を決めていた。
彼の22歳の誕生日の日、その茶番を終わらせるべく怒れる市民たちが議会になだれ込んできたが、その凶兆を10年前から受け取っていた彼だけはその日自宅で妹相手にカメムシの触角を使ってでっちあげた数学を教えることで免れていた。
30歳の春の日、彼は妹の結婚式の最中に、突然走って出て行って、町の西側にある断崖をよじ登り、そのままそこで暮らし始めた。誰にもその行動の意味は分からなかったが、とにかく何かの前触れだということで、町はそっくりそのまま断崖の上に移動した。
その頃ようやく彼の頭の中に記憶を留めておくための文鎮や何かを感じたり思ったりするための風見鶏が置かれ始めた。それをこしらえたのも第六感の仕事だった。
彼は言った。
「この崖は町の重さに耐えきれずもうすぐ崩壊する。皆必要なものだけ持ってできるだけそっと降りるように。」
そうして断崖は乗せていた家々もろとも粉々になった。崩れる土砂からくる風で、彼はオズの魔法使いのことを思い出した。夜になって家を失った人々が肩を寄せ合ってふて寝しているのを横目に、崩れた土砂を登って姿を消した。
それか、ガジェオタが外からニュースで聞きかじった程度のことしか語れないような豆腐頭が開発して出来上がった豆腐頭よりちょっと硬くて四角い高野豆腐か、それか文鎮かっていうバカの頭の水準に成果物が規定されるっていうiPhoneに負けた原因そのものが喋って自白して証明してるってことだわな
ほな当時、スマートフォン関連のブログメディアをやってたワイ(現iphone持ち)が補強したろ。
ちなみにワイはAndroidでも良いなってなったのは3-4年前くらいからの話だと勝手に思ってる。
ここに書いてあるように日本製Androidはsony製のXperiaを除いてまともに動きすらしなかったのである。
当時でちゃんと動いたのはHTC、サムスン、sonyくらいなもんで他はもう有象無象だった。
これに加えて今でこそ問題はないと思うけど昔の機種はAndroidはこのverで打ち止めですみたいなのはザラ
大体1年で寿命をむかえ、なおかつスマホ向けの新しいウイルスが出てくる、認証無しのgoogle storeはどこに
恐らくあの当時Androidに買い替えた奴はだいたいこの苦しみというかトラウマを背負ってると思う。
ワイもF-04Eで泣いた。カイロとしか思えない熱さに加えて10分動かしたら熱で再起動をするのだ。
なんだこの熱々の文鎮。
故にiphone4に変えた時は感動していた。ダントツの性能をしていたと思う。
セキュリティ面も開発側がアクセスできるところが限られておりバッチリで端末に専用設計されたOSはスムーズで
素人でもバックアップがしっかり出来る。macで開発をしていたのでitunesに取り込んでいた音楽はそのままスマホにすぐ落とせる。
なんせ熱々のカイロにならない、再起動しない、当たり前の事が当たり前にできる。
で、そこからジョブズが亡くなったりiphoneがクソダサイ公式サイトになり出してついに数年前からもはやカメラの性能と
チップの性能くらいしかわかりやすく上がる部分が無くなって、ついにリンゴマークの入った布切れを売るグッダグダの今に至る訳だが。
正直なところ、もうiphoneである必要はないと思う。曲も動画もサブスクが普及したしgoogle storeも流石に
令和の時代にウイルスが入ってるなんて事はないだろう、今はandroidじゃないので分からんが。
iphoneである理由は慣れ親しんでおり、毎年発表されるナンバリングで次どのタイミングで買えばいいか分かりやすい。
くらいなもんだと思う。
とはいえ、単純に面倒なのだ。今さらどの機種を買えばいいかみたいなのもわからないしこれは中国に限らずだけどどこのメーカーが
良いかを改めて調べるのが面倒なのだ。どうせ10万したって今のチップの性能なら5年は固く、下手すると次の機種は6-7年は戦えるだろう。
なら別に高い買い物でも無いかと思ってる自分も居る。そして未だにアップルなら当時のワクワク感のあるサービスをもう一回やれるんじゃないかと。