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2021-02-22

魔術士オーフェン雑語り

今、テレビアニメ放送中の魔術士オーフェンはぐれ旅の原作小説について、雑に語ろうと思う。ネタバレ満載原作4部まで話すので、ネタバレ苦手な人は回れ右

回ったかドリルで穴あけ殺す勢いで回ったな?じゃあ、話す。

魔術士オーフェンというシリーズ90年代ファンタジーラノベ金字塔と言われている。私は98年くらいかオーフェンを読んでいるが、確かにあの頃にとても売れていた。いわゆる夢と冒険ファンタジー的な売り文句だったと思うが、今思うとほぼ全ての読者がこの物語本質を誤解していたから売れていたのだと思う。

私もオーフェンを夢と冒険ファンタジーだと思っていた。が、当時巷に溢れていた物語とは何かが違うとも思っていた。その時にはただの予感でしかなかったが、あれから20年以上経った今になって、それはようやく確信となった。魔術士オーフェンという物語は夢と冒険ファンタジーではない。人間倫理についての思考実験だったのだ。

まず、第一である西部編。これは罪と償いについての物語である。一巻でチャイルドマンを殺したアザリーが、その罪を償うために何が出来るのかを模索したのが第一部だ。

先に言っておくと、作者の秋田禎信氏は殺人という罪を否定しているが、それを人間絶対的な汚点とは見做していないと考えられる。なぜそう思うのかというと、第一部では主人公も含めて殺人者が登場するが、彼らに物語の神の立場で罰を与えてはいいかであるしかし、安易な赦しも与えていない。彼らが殺人であるという事実に直面させ、その上で彼らの生き方を描いている。これについては同作者のエンジェルハウリングにも同様の特徴がある。

そして第一部では、アザリーチャイルドマンへの償いを通じて、この世界秘密が語られる。この秘密の明かし方は非常にドラマティックに演出され、私は陶酔すらした。

この演出の妙があまりにも素晴らしかったので、私も含めて多くの読者はこの物語を夢と冒険ファンタジーだと誤解したのだと思う。精緻に設定された世界を楽しむ物語なのだと。

しかし違った。作者は世界を描くということに、もっと自覚的であった。その自覚が存分に描かれるのが第二部、東部である

東部編は西部編で明かされた世界秘密、滅びに晒されている世界を6種のドラゴン種族の長たちだけで守っているという事実に対して、そのために現れる世界の歪みと、その世界の在り方をどう捉えるのかということを克明に描いていく。これもまた、倫理的な話である

最終的に、オーフェンにはその歪みを好きなように書き換える機会が与えられた。歪みを正す機会ではない。好きなように書き換える機会である

この時の彼は神にも等しい魔王の力を持っており、ドラゴン種族の守りをより完璧にすることも、自身ドラゴン種族の代わりに世界守護者になることも、好きに選べた。

しかし、オーフェンはごく僅かな人々が世界を守るという在り方を否定した。世界が滅ぶことによって死ぬかもしれないというリスクは全ての人で平等に背負うべきだという道を選んだ。そして、ドラゴン種族の守りを消し去ったのである

例えば、これをかつての王制になぞらえることも出来ると思う。王制と言えば王権による暴力ばかりが注目されがちだが、政治という大きなものをひと握りの人間押し付け装置でもあった。これをドラゴン種族の長達による世界の守りと同等の問題だと見做すことは出来るだろう。

そうした世界の在り方を認めてよいのか?という問題に否という答えを出したのが第二部であった。

そして語られない第三部は飛ばし、第四部の話をしよう。

四部では、力と人間の極限を描く。力の強大化が行き着く先はどこか。人間が強大化する力を持ったとき、いつまで人間と呼べる存在でいられるのか。そうした問題を扱う。

オーフェンが第二部のクライマックスで手に入れた魔王の力はそれから20年経ってもまだ彼の中に残っていた。しかし、オーフェンはその力を振るえば自分人間はいられなくなると考え、その力を自らの自制心だけで抑え続けてきた。オーフェンドラゴン種族の守りを消し去ったことが原因で遭遇することになった神人災害でどれだけの人が死のうとも、それらを全て蘇らせることが出来るのに、だ。

この、とても人間とは思えない自制心故に人間でいられるという二律背反を背負ったオーフェンと、それを生み出した作者の秋田禎信氏に深く敬服の念を抱く。

集中力が途切れたのでこの辺で。とにかく、魔術士オーフェンシリーズ倫理観を問う話だと思う。

2021-02-13

anond:20210213022137

それならそれでいいんだけど

いざ「産めよ育てよ」なんて発言したらぶっ叩かれるから

そんでいて子供社会で育てよう!子供支援しよう!ベビーカーに優しくしよう!

なんて二律背反取られても精神的に納得できるわけない

2021-01-21

SNS評論家自決

音楽評論家がYOASOBIを批判して炎上している。

ふと評論家一般人(含むオタク)の違いは何なのか、と言う疑問が浮かんだ。

音楽漫画など作品が作れないのは一緒。

作品を聴いたり読んだりしている量も(オタクと比べて)一緒。

専門知識をどこかで学んでいるわけでもないことも一緒。

では評論家一般人、何が違う、または違ったのか。

個人的に3つの違いが過去あったのではないかと推測している。

ただ、その違いはSNSによりほぼ駆逐されたと考えている。

1. 発信する場を持っているかいないか

かつて評論家雑誌などに記事を書き、自分評論を世に出していた。

一方、一般人は一部同人誌という形で評論していた人もいたが基本的自分評論を世に出す手法を持っていなかった。

炎上した宇野も確か元はロキノン記者だったと思う。(名前を見た気がする)

ただ、今やSNSで誰もが発信することができる。

そしてSNSつぶやきの方が雑誌の発信力より大きいのは間違いない。

国民総発信の時代に、評論家一般人の間にこの違いは存在しない。

2. 新しい作品アーティストに関する情報

評論家の元にはかつて様々な情報が集まっていたと思う。

そして、評論家が1.で挙げた発信力を使うことで"見つかった"アーティストはたくさんいた。

ただ、新たな才能を発掘して世に出すという仕事も最早不要だ。

何故なら評論家評価してもらうよりtiktokでバズった方が売れるし多くの人に見つかるからだ。

また、そういうバズりに頼らなくとも、めざとい一般人オタクが才能を見つけ出し、SNSブログ記事を書くことで見つかることもある。

藤井風もはてブで知った)

才能をいち早く見つけるのが評論家必要はなくなった。

というより、評論家は今何千万人といる一般人とどちらが早く才能を見つけられるか競争することを強いられているのだ。

勝ち目は無いだろう。

3. 文章力

これが評論家最後の砦だと思う。

ただこれもどうだろう。今の時代ブログSNSで発信することを鍛えられている一般人もなかなか読ませる文章を書くようになったのではないか個人的には思っている。

更に宇野のようにSNSに引き摺り下ろされた評論家場合たかが百数文字表現する必要がある。

その文字数で文章力の差は出にくいので評論家評論家最後の砦文章力も役に立たない。


評論家SNSなどネット活動の場を移しているが、それは評論家一般人の違いを無くし、自らを一般人に毛の生えた存在貶める行為だと思う。自殺行為だ。

ただ、SNSを使わないと評論家としての自分世間に見つからないことも事実だ。

SNSが普及し影響力を持った今、評論家SNSで発信しないと評論家として生きていけない、ただSNSで発信することが自らの価値を貶めているという二律背反に苦しんでいるのではないだろうか。

2020-12-30

政治とか権力欲って、けっきょくは欲望だよな

https://news.yahoo.co.jp/articles/285eeb4b994a31904dd5dbbe0da5bc2815265751

これ見て思ったが、けっきょく政治って私欲による椅子取りゲームだと思う

その根源は、軍事力となんら変わらない、暴力威力の誇示なのである

そしてそれは私欲と利権が源泉にあるわけである

信長偉人だが、信長天下統一直前に亡くなってしまたか評価ができないとされる

しか楽市楽座や、軍隊農民をわけたあたりの政策をみると、

人間プロフェッショナルにして、経済的自由にしようという思想があったと思われる

血で血を洗う戦国時代を終わらせようとした人間であり、そこには私欲というものは見られない

もし私欲を重視していたら、さっさと織田幕府を開いていただろうし、それ以前に

今川義元服従して桶狭間で道をゆずって大名で生涯を終えていただろう

二宮尊徳はすぐれた農本政策をもって数多くの貧窮した農村を救ったが、その源泉に私欲はまったくなかった

小田原藩財政復興大臣に任命される直前に、利権を重んじた名もない家老たちに止められた

彼らは自分たち欲望を重視した結果、もちろん歴史に名を遺してはいない

しか二宮尊徳は今も歴史に名を残し、手本を後世に伝えている

おもうに人間権力にとりつかれた状態というのは、一種悪霊病気の類ではないかと思う

たとえば最近夫婦でワイロをばらまいて逮捕された法務大臣名前忘れた)がいたけど、

彼は数年前のインタビューで「政治ポリシーは善良と誠実さです」みたいに言っていた

その二律背反陳腐精神はまさに私欲という名の悪霊にとりつかれているとしか思えない

権力ゲームに身を乗り出した時点で、そこから逃れることは難しいのである

そういえばこんな優秀そうな若手サラリーマン書き込みがあったが、

https://anond.hatelabo.jp/20201230034745

仕事にまい進してきた一定期間を超えると、権力やカネへの固執の萌芽がみられることが確認できる

どんな人間でも、成長のベクトルを私欲や利権に切り替えてしまポイントがあるのである

それはたいていの場合30代~40代ではないだろうか

自身権力基盤である観光業利権のため、GoToトラベル国民を引っ掻き回しウイルス蔓延させ、

外交では中国から臓器を買い、日本の国力を弱めることに全精力を費やしてきた、

まさに欲望権現ともいうべき最後政治家の引退後、どんな人間日本を救ってくれるか楽しみである

2020-12-14

葛藤

読書したい

勉強したい

仕事を続けたい

料理がしたい

人生は短い

仕事で忙しい

から効率的にやらなきゃ

時間割を作らなきゃ

でもそれは嫌だ

まるで物事に振り回されているようだ

自分をなくしたくない

そんなの楽しくない

世界は悲しみに満ちている

でも僕は色々を楽しむ

それはいいのか

いやだめだ

一人ぼっち

それを改善しないまま

趣味に走るのか

一人でやっても

楽しくないよ

虚しいよ

でも

一人はだめだってのは決めつけだ

時間は過ぎてくよ

もう若くないのに

でも

何でも若いうちにってのは嫌いだ

趣味って意味あるの

それを死ぬまでやって後悔はないの

そうやって

常に未来を見続けるのは馬鹿

やればできるだろう

でも

大事なのは動機なんだ

そうじゃないと

なんにも意味がない

楽しめない

結果を求めてるんじゃない

過程も楽しみたいのさ

二律背反

葛藤

めんどくさい

めんどくさい

2020-12-03

埼玉まれ育ちが田舎どころか鹿児島離島に嫁に行った話

ここ数日、はてな匿名ダイアリーで、都会から田舎引っ越してだるーんな人の記事話題になっておりましたので、ここで一つ自分の話をしようと思いました。

私はまず埼玉の、池袋新宿まで自宅から1時間くらいのところに産まれ20才で家を出て、東京23区内に10年、多摩地区に2年、そして鹿児島とある離島に嫁いで12年になります

何で離島まで行ったかと言えば、色々事情が重なり、夫婦共々義実家にお世話になる以外選択肢がなかったからなので、行きたい嫌だ以前に、行かざるを得ません、という感覚ですね。

で、特徴を箇条書きしてみます

1.一軒家かつ隣が遠いので、騒音を気にせず音を出せる。

これは住んでみると案外大きかったです。

声量や足音を気にしないで行動できますし、いつでも音楽を流せます

あとは家族夫婦で怒鳴り合いも気にせずできます

コーポやマンションはそうもいかないと思いますが、大体見知った仲の人たちがぐちゃっと住んでいるらしく、お互い様感覚だとか。

2.買い物する場所がない

こちらはデメリットとして大きな方です。

私は車の免許を持っていないので(取ったら人を死なせるか自分死ぬかのチキンレース)、徒歩で買い物に行きますが、10圏内だと個人商店が2軒だけで、20分で薬局雑貨屋、といったところです。

肉や魚は冷凍、他の食品も高いので、夫が休みの時に車で15分くらいのスーパーに買い出しに行きます

私の住んでいる場所から20〜30分のところに島で一番栄えてる港がありますが、そこもスーパーが3軒、ホムセンが1軒、あとは個人の専門商店が多いです。

何でか知りませんが肉屋が多くて、関東よりお肉がおいしいです。

ただ、通販の著しい発達で欲しいものは大体Amazon楽天で揃います

食品類は最近生協個人宅配で済ませています

ウィンドウショッピングや、書店レコード屋がないためジャケ買いができないのはキツいです。

3:都会を一番感じるのはコンビニ

島にはファミマが3軒あります

3軒あるなら別々にして欲しいですが事情があるので仕方ありません。

この島で流行最先端や都会の匂いを嗅ぎたければコンビニが手っ取り早いです。

品物の入れ替わりが頻繁ですし、流行しているものを多く取り入れてますから

島には書店がないので、雑誌流行しているマンガ単行本などは本来の発売日より3日遅れで棚に並びます

流石に鬼滅の刃は置いてありませんでしたが、予約取り寄せはしてくれるようです。

4.娯楽施設がない。

これ、長期滞在の島外から移住してきた人はつらいです。

大きな公園遊園地動物園水族館博物館美術館映画館ゲームセンターショッピングモール、全滅です。

あと、男性の一部にとってはつらいかもですが、キャバクラ風俗がありません。

鹿児島と我が島に予算や力が無いのと、風営法が絡んでそのような状態になっています

我が家インドア派なので、休日TVPCスマホゲーム機がフル稼働していますが、正直なところこの環境で他の家庭が休日に何をしているのかさっぱりわかりません。

いや本当に何してるんだろう?

5.自然豊富だが四季はない。

なんか、山林はたくさんあります

ただ、本州ではみたことのない樹木植物がワサワサしていて、それらは常緑樹?みたいで、紅葉や落葉をしません。生体よく分からない。

また、夏場はハブがでるので草深いところに行くのは厳禁です。噛まれたら死にます保育園避難訓練に「ハブ」がある程度には頻繁に出ます

あと、割とイノシシとのエンカウント率が高いです。

6.主な産業農業

農作物に関してはサトウキビ畑がうわーっと広がっていて、その間に個人所有の畜牛の牛舎があって、秋になると空き地が耕されジャガイモを植えます

その年によって台風気候がかなり違うので、取れ高キロあたりの価格も相当違いますが、島で農業をしている人はそこらへん余り気にしていないようです。

高く売れたらヤッホー!安い時はショボーン、みたいな。

まあ皆さん元々がいいかg…おおらかなので、そこも大雑把でやってるようです。

7.帰省が難しい

飛行機を1回乗り継ぎます。移動で1日かかります

何より交通費だけで大人1人往復13万はきつい…

かなり長くなりましたが、こんな場所で生きてます

イマドキの増田さんなら、こんなところで生きたく無い育ちたく無いと感じる方も多いでしょう。

もう子どもの頃からネットに触れて、全国、特に大都市圏事情を知っている人がここにきたら、出生・移住ガチャで大失敗をした、と感じるはずです。

ただ、私としては、ネットがあるから隣の芝生エメラルドグリーンに見えちゃうし、ネットがあるからこんな僻地でも生きていける、という二律背反はひしひし感じます

嫁いでから島に友人知人が全くできなくとも寂しく無いのは、リアルタイム住まいがどこであろうと友人達アクセスできるからですし。

いや、人として1人くらいリア友いるべきなんでしょうけど。

長々と書いてしまいましたが、何というか、暮らしに飽きたりモノがないことにブーブー文句言いながらも、割と快適に生きてはいるよ、という感じです。

住めば都、とは申しませんが、まあ都会の方が圧倒的に楽しいのはそうですけど、楽しいばかりが生活でもないので。

何か尻切れ蜻蛉ですが、これにて。

2020-11-02

なんかやりたいけどなんもやりたくねえ

二律背反・俺の人生

2020-10-27

anond:20201027181140

なるほどな。

しか二律背反が隠れているのかもしれないな。ただ、元増田も言ってるけど、間合いの取りかたとか自然な付き合い方とか、もうわかんないんだ。ほんとわかんない。ごめんしか言えない。でもまあ、いいさ。他者不用意にかかわってややこしい目に会いたくない。おれには他にやることがあるし、それには昔死んだ嫁の思い出がある。それだけで十分なのさ。つきあってくれてありがとな。

2020-07-19

部署は在宅勤務なのに自分部署だけ毎日出勤でストレスが溜まっている

吐き出す場所がないので気に食わないところを書きなぐる。さんざん言われてるだろうけど自分で書かなきゃ気がすまない。

通勤費が実費支給されない

 私の会社では半年分の交通費が4月分の給料と一緒に振り込まれる。今年度もその頃には(対象者限定で)在宅勤務が始まっていたのにも関わらず通勤費は全社員へ満額支給された。

 出勤の有無に関わらず既に交通費支給されているので、出勤すればするほど手元の金は減っていく。完全在宅なら満額懐に入るし"会社からお小遣い"とか言ってる奴もいる。何が小遣いだ即刻返納しろ

会社設備が動いていない

 特に給茶機。お茶はまあいいとしてお湯も出ないのが辛い。喉が渇きやすい体質なので毎日何回も自動販売機を使うことになる。

 自販機ボタンを押すたび「在宅勤務だったらこの出費は無かったのに」と屈辱感と怒りを感じる。

 コップのドリンクが1杯100円だろうがペットボトル1本120円だろうが一日でそこそこの出費になるし、一月分で使ってる金額なんて考えたくもない。

 仕事必要毎日会社に来てるんだからお湯くらい出してほしい。”経費削減のため”とか張り紙されてるけど他に削るところなんていくらでもあるだろう。

雑用が集中する

 部屋の掃除、居室のレイアウト変更(会社に誰も来ないのにこんなことやってんの馬鹿じゃないの?)、電話応対、郵便物の受け取り全部。

 新聞ネット記事を読むと「在宅勤務してると家のこともやらなきゃいけないし負担が大きい」とか載ってるが他人の家庭なんざ知ったこっちゃない。というかお前は今まで家庭のことを何もしてこなかったのか。

 雑用全部他人押し付け本業に集中したんだから今期末にはさぞ高い成果をご家庭から上げてくれるんでしょうね。今から期待が止まらない。

通勤時間

 仕方ないと思わないわけでもない。でも殆ど社員家賃通勤時間を天秤にかけて、自分なりの妥協点を探りながら家を選んでいたはずなのに、会社の都合で選ばれた奴らだけが二律背反から解放されてしまった。

 クソ安い部屋に住みながら起床後5分で仕事仕事ができる、何それ羨ましい。私も同じ生活したい。無理なのは分かってるから通勤時間を一部でも業務時間に入れてほしい。

 「在宅勤務になってから家族との時間が増えました!」じゃねえんだよその時間全部仕事するか満員電車代わりに棒立ちで家の前に突っ立ってろ。

完全在宅勤務ができる会社就職するんだった。

業種上完全在宅は無理。出勤率を下げるために在宅勤務可能職種4月上旬から在宅が始まって、一部の特定部署だけ変わらず毎日出社が続いている。

契約上は同じ労働条件のはずなのに、在宅勤務が導入されてから不公平感ばかり募る。今すぐ在宅勤務制度全廃して明日から全員強制出社にしてほしい。交通費受け取ってるんだから明日からでも来られるだろう。

コロナ前にもネットサーフィンばかりして成果物ゼロだったバブル入社(平社員)、月報に「進捗なし」って何なんだ在宅なのをいいことにさぼってんの丸わかりじゃねえかとっとと会社辞めろ

2020-06-09

下等遊民になる自由が俺は欲しかった

生きるための条件として労働強要される時代が終わったあとの世界を行きたかった。

それが夢だった。

そんな世界を作りだせる人間になろうともがいたこともあった。

無理だった。

おれは望んだ世界を行くことも、望んだ世界を作ることも出来なかった。

下等なるもの遊ぶべからず。されど、天与人権象徴たれるもの、この限りにあらず。

この世界流れるつの神話弱者必滅弱者救済の二律背反

その隙間に埋もれたる無数の弱者として、苦しみ蔑まれながら生き続けるために働き続けるのが本当に辛かった。

俺が行きたかったのは下等を受け入れれば酔生夢死ボヘミアンとしてただ何も生み出すことなく生きれる世界

この道の先にそれはなく、その果てへと道を伸ばすには己は無能すぎた。

全ての人間が、真に天与人権神話のもとで暮らせる社会。己の心を炉にくべられることを拒絶し続けても生を許される社会、その道の半ばに生まれ落ちれることだけを望む。

そして、それはもう生まれ落ちたあとの今では叶わない

2020-03-25

長崎では保守派日本の加害を否認し、被爆者こそが南京事件記憶を求めている - 法華狼の日記

https://hokke-ookami.hatenablog.com/entry/20200320/1584632675

原爆投下には正当性があり、南京事件には正当性がないという古谷氏を擁護するだけの根拠がない。

⑵また南京事件については、おそらくどの軍隊も同じ境遇、つまり上海戦という激戦直後の部隊が休息や配置換えなしに南京攻略を命じられ、なおかつ食料が現地調達だが略奪はするなという二律背反命令を受ければ、そりゃどの国の軍隊も大なり小なりやらかすだろうという、構造的な学びが必要なんだよ。

2020-03-20

コロナ感染者が日本で少ないのは

戦後培ってきた世界トップクラス医療体制と優秀な現場スタッフ努力に拠るところが大きいと思うんだけど、

激しく無脳な首相自分の手柄にして世界に発信しそうな気がプンプンとするぜぇー!

無能トップと有能な下士官というのが太平洋戦争から変わってないの、つらたん

台湾トップみたいに有能なリーダーだったら称賛するけどさ!

うちの首相、どう考えても現場を混乱させるだけでいらんことしかしてないじゃん。

トップの手柄になるのは業腹だけど、現場の方々には頑張っていただくしかないこの二律背反

2020-03-15

フェミニズム界隈を巡る反論

 日本フェミニズムが抱えている問題複数あって、煎じ詰めれば「思想善悪如何はともかく、その行動が全く効果的ではない」という一事に尽きる。

 女性地位向上。大いに結構。その、地位向上のためにある種攻撃的な手段を用いること、これまた結構

 しかし、攻撃的な手段を用いている割には、その効果殆ど出ていないことに問題があるのである

 むしろ結果的にそのような手段が、フェミニズムに対する周囲から評価を下げてさえいるのが問題なのだ


 古来より女性男性による抑圧を受けてきた。この事実を頭から否定することはできない。

 例えば、近代イギリス小説家サマセット・モームは、作品『月と六ペンス』の中でこう書いている。「女性自分を殴る男性を好んでいる。むしろ自分を殴ることのできない男性のことを見下しているのだ」と。

 このような記述は、文脈的に言えば主人公チャールズストリックランドタヒチを訪れた際に語られているものである。ここからは、モームがどのような立場女性一般化しようとしていたのかが読み取られ得る。

 また、自然主義人間本質を虚飾なく描くことを目的とした主義思想作家大家である近代フランスエミール・ゾラが書いた『居酒屋』では、登場人物の男らが、まるで息をするように女性達を殴りつける描写が、散りばめられている。貧民層の現実標榜した彼の作品においてもまた、女性に対する暴力が大いにクローズアップされている。


 このように、国の内外を問わず女性に対する男性から暴力というもの散見される。流石に、このような状況は現代において相対的改善されているものの、未だどこかしらに不満を残す女性がいることに不思議はない。その女性らが、自らの権利を向上するための運動を行ったとして、何の不思議があろうかとも思う。


 問題は、それらの行動が評価を得にくいこと、あるいは、フェミニズム評価を落としていることである。それらの行動の多くが、効果がないどころか逆効果であるという点である

 具体的に、何故そのような問題が発生しているのか?

 以下に論点を纏めていく。


1:フェミニズム議論ソフィスティケートされすぎており、一般女性男性認識に馴染まない


 古代ギリシャ劇作家アリストファネスは、自身の著した喜劇『女の平和』にて、女性らのセックスストライキを描き出している。


 女性達が、「そんなに戦争が好きなら、私達を抱かなくとも大丈夫なんだね?」

 と、戦争反対のため断固セックス拒否する痛快さ。このような鮮やかさは、現代人にさえ快い衝撃をもたらすものである

 女性の最大の魅力は何か? それは性である、とアリストファネスは言う。

 このような言説は当時のギリシャ男性においてのみならず、近代フェミニストらにも見られる。

 女性が短いスカートを履くこと、自身の魅力を以て大いに社会地位を占めること――その権利回復せねばならないということ。それを目的として、20世紀フェミニストらが声を張り上げていたことは言うに及ぶまい。

 その運動社会において大きく効果を上げた。

 イランのごとき保守的国家においては、女性が人前に出る際には目元を除き身体ベールで覆う必要がある。そのような規則女性利益担保しているのか、損なっているのか、議論の難しい点には違いないが、現代においてはそのような保守的傾向の多くが拒否されている。女性らは、身体ベールで覆うことを一般的によしとしない。

 女性が獲得した権利はそこに見られる。つまり、性の発露である

 性はそれまで女性自由にはならなかった。構造主義先駆者とされるレヴィ・ストロースは、「女性男性らの所有物であり、婚姻という形で交換が行われた」という意味の主張を行っている。彼に対する当時のフェミニストらの批判推して知るべしだが、女性婚姻父権立場にある人間によって執り行われることは多く存在していた。そういう意味で、女性にとって婚姻も性も自由とは言い難かった時代存在していたのである

 自身の性を管理行使する権利が、婚姻不自由によって制限されていた時代があったことは、間違いない。この文脈に沿って言うならば、間違いなく女性権利現代において拡張されたのである

 ここまではフェミニズムにおいて一般的な議論範疇である

 とは言え、問題はこの延長線上にある。


 女性自身身体的魅力を大いに利用すること、それはアリストファネス喜劇に見られるように、女性自由を支えている。そこには、フェミニズムと密接に関係する女性権利の実現が確認できる。

 しかし、昨今、この身体的な魅力を大いに活用することは、「性的搾取」に繋がることが指摘されている。


1-2:性の解放性的搾取

 相対的な性の解放が、性的搾取に繋がること、これは表裏一体の問題と言える。


 当然、女性社会進出をする上で、女性自身の性を政治手段として用いることには、危うさが秘められている。

 そのような危うさをして、現代フェミニストらは「性的搾取」の大号令を行う。

 アイドル、性産業広告業芸術

 これらの分野における女性露出性的搾取危険を秘めている、と現代フェミニストらは声を揃える。そこには危険があり、権力の影がある、と。

 ここにおいて、深刻な二律背反が生じているのは明らかである

 女性スキームとして用いる性が、危機的な結果に繋がっている。ここでどうするべきなのか?

 残念ながら、この問題に明快な結論は出ていない。


 政治家の大多数が男性であるこの社会において、支配者と被支配者の対照は、男性女性という対照を想起させる。

 男性狡猾である――多くの女性の思う以上に――男性狡猾である男性暴力行使することができる。端的に言って、男性の筋力は女性に勝り、悪しき意志が備わりさえすれば、女性尊厳根本からなうことを可能とする。恐らく、文明以前の原始時代においては、男性はこれらの暴力を非常に効果的に用いてきた。そこには、ある種暴力弁証法とも呼ぶべき歴史があった。例えば、あるコミュニティコミュニティが衝突する――。一方が敗北すれば、その敗者側のコミュニティに属していた女性は、勝者側に所有されることとなる。多くの場合、そこにおいて女性尊厳考慮されることはない。

 昆虫動物らに見られる、コミュニティコミュニティの争いや、イスラム国による女学校の襲撃を思い出して頂ければ、上記の言説の正しさは容易に担保されると思う。

 男性狡猾であり、暴力性を有史以来、あるいは以前において大いに活用してきた。

 勿論、現代においても男性による暴力が根絶されたわけではない――とはいえ、その状況は改善されている。暴力には法が対応する。無論、適切な対応が成されない場合存在するが、少なくとも有史以前に比べれば状況は好転している。

 その進歩の影には、恐らく全ての心ある女性と心ある男性の尽力があったことだろう(思うに、倫理を生み出すのは常に狂気じみた努力である)。

 人類は持てる限りの理性を用い、公私において倫理を整備してきた。

 我々は持てる限りの能力を用いてきた。そこに、女性の尽力が関わっているのは間違いあるまい。

 女性はその能力を大いに用いてきた。


 さて、端的に言って、性的魅力は女性能力である

 それは、女性が何かを望む際に、その実現を助ける能力になり得る。例えば、意中の人と結ばれる際にその能力は大いに役立つ。

 性的魅力は疑いなく女性能力である女性自身尊厳担保し、増進させるために、その能力は用いられ得る。


 しかし、その能力女性自身らの尊厳の為に活かすことと――それと、男性(や女性)によって、その能力が利用されること――とは二律背反となっている。

 近代において、女性の魅力や能力が、適切に用いられることをフェミニストは願ってきた。しかし、ここに来てその努力は一つの壁にぶち当たることとなる。

 例えば、大きな胸を強調したポスター女性の魅力が強調されてはいるが、不適切方法で強調されているのではないか――そういう議論が起っている。

 女性の魅力をみだりに利用することは、女性に対する搾取である、と人は言う。

 この命題は決して間違っていない。「女性の魅力をみだりに利用することは、女性に対する搾取である」。決して、この命題は間違っていない。

 とは言え、ここが言わばロドスである


1-3:ソフィスティケートされ過ぎた議論

 女性の魅力をみだりに利用することは、女性に対する搾取となり得る。


 勿論それはそうだ。とは言え、そこには議論錯綜するポイントがある。

 まず第一に言えるのは、女性の魅力の発露=性的搾取といった、シンプルかつ誤謬を招く等式が発生し得ることだ。

 女性が何らかの能力を――この場合には性的魅力を――社会において発揮すること。その能力を発揮することにおいて、何らかの報酬を得ようとすること。それ自体は悪ではない。

 自分能力への対価として報酬を貰うことは、多くの場合善悪とは関係ない行為である

 例えば、女性の高く伸びやかな声、時に力強い声。歌手はそれを披露する。

 例えば、ダンサーは時に挑発的に、曲線的なライン身体を躍らせる。挑発的に、攻撃的に。

 絵画において、裸婦は笑う。裸婦は草原に寝そべり、微笑んでいる。

 これらは全て、(努力などによって獲得された)肉体的魅力を発揮する行為に他ならない。当然のことながら、これらの行為をして悪であると断ずることはできない筈だ。とは言え、それらの魅力や能力の発揮が、「搾取」に繋がると人は言うのである。つまり、その行為は翻って女性地位を貶め、最終的には女性全体に対する不利益を導くものだ、と叫ぶのである


 例えば、女性歌手楽曲を作り、歌う。彼女は、男性への恋心を叫ぶ歌謡曲を作り、歌う。その曲を批判して、「媚びている」と誰かが叫ぶ。

「媚び」はこの場合、不自然女性立場貶める行為であり、最終的な女性不利益を招く行為を指している。端的に、それは搾取対象であると、誰かが指摘する。

 例えば、写真家女性写真を撮る。彼女は、頬杖を付きながら、気だるげに微笑む。その写真批判して、「媚びている」と誰かが叫ぶ。

 その「誰か」は、最終的に女性不利益を招くと指摘する。

 例えば、

 例えば、例えば、例えば――


 女性が魅力を発露すること、それが搾取対象になり得るということ――それは必ずしも同じではない。しかし、そこには矛盾がある。女性尊厳担保し、増進するために、魅力が用いられること。そのような魅力が搾取対象とされてしまうこと。

 女性能力を発揮すれば、それは女性全体の利益を貶め得ると誰かが叫ぶ。

 能力を発揮すれば、誰かがそれを利用し搾取すると、その誰かは叫ぶ。最終的には、女性全体の立場は貶められ不利益帰着すると、その誰かは指摘する。

 これが、フェミニズムソフィスティケートされた結果なのである。それは、端的に矛盾である

 カメラに向かって微笑みかける誰かの存在を、「性的搾取であるとし、それがゆくゆくは女性全体の利益を損なうと指摘する――。

 このような言説には致命的な混乱が含まれていると言って差し支えないだろう。近代フェミニズムによって獲得された、女性自身能力や魅力を自身権限によって行使する自由は、ここにおいて壁にぶち当たっている。


 能力を発揮することは搾取に繋がる。能力を発揮してはいけない。

 このような論理は、一般的な男女を納得させるに足る論理であろうか?

 勿論それは不可能であるフェミニズム矛盾にぶち当たっている。

 そして、その矛盾を解消し得る論理が未だに発見されていない現在――少なくとも、フェミニズム論理一般的な男女を――あるいは当事者であるフェミニスト自身らさえ――説得できる状況にない現在思想としてのフェミニズムは大きな困難に直面していると言わざるを得ない。


2:結論

 結局、フェミニズムが直面している矛盾を、フェミニスト自身らが解決できていない状況において、その混乱を抑えられていないのが現状と言えよう。

 その混乱のさなかでは、到底周囲の人々を納得させ得る行動など、示せるわけがないのである

 昨今のフェミニズム運動空虚さ、反感のみを招く徒労さはそこに根を置いている。これまでに獲得してきたものと、これから獲得しようとするものとの間に生じる矛盾――その矛盾解決することなくして、現代フェミニズムは正しい舵取りを行うことなどできない。

 結論としては以上となる。

2020-02-11

二律背反

論理的にも事実的にも同等の根拠をもって成り立ちながら,両立することのできない矛盾する二つの命題間の関係をいう。

 

例えば、命題「私は常にうそを言う」が本当なら、その発言内容からして、うそをついていることになる。そこで命題うそだとすれば、「うそを言う」のがうそから、本当のこととなる。

 

例文)

「もし俺が謝って来られてきてたとしたら、絶対に認められてたと思うか?」

 

フェミニズム界隈を巡っての反論

 日本フェミニズムが抱えている問題複数あって、煎じ詰めれば「思想善悪如何はともかく、その行動が全く効果的ではない」という一事に尽きる。

 女性地位向上。大いに結構。その、地位向上のためにある種攻撃的な手段を用いること、これまた結構

 しかし、攻撃的な手段を用いている割には、その効果殆ど出ていないことに問題があるのである

 むしろ結果的にそのような手段が、フェミニズムに対する周囲から評価を下げてさえいるのが問題なのだ


 古来より女性男性による抑圧を受けてきた。この事実を頭から否定することはできない。

 例えば、近代イギリス小説家サマセット・モームは、作品『月と六ペンス』の中でこう書いている。「女性自分を殴る男性を好んでいる。むしろ自分を殴ることのできない男性のことを見下しているのだ」と。

 このような記述は、文脈的に言えば主人公チャールズストリックランドタヒチを訪れた際に語られているものである。ここからは、モームがどのような立場女性一般化しようとしていたのかが読み取られ得る。

 また、自然主義人間本質を虚飾なく描くことを目的とした主義思想作家大家である近代フランスエミール・ゾラが書いた『居酒屋』では、登場人物の男らが、まるで息をするように女性達を殴りつける描写が、散りばめられている。貧民層の現実標榜した彼の作品においてもまた、女性に対する暴力が大いにクローズアップされている。


 このように、国の内外を問わず女性に対する男性から暴力というもの散見される。流石に、このような状況は現代において相対的改善されているものの、未だどこかしらに不満を残す女性がいることに不思議はない。その女性らが、自らの権利を向上するための運動を行ったとして、何の不思議があろうかとも思う。


 問題は、それらの行動が評価を得にくいこと、あるいは、フェミニズム評価を落としていることである。それらの行動の多くが、効果がないどころか逆効果であるという点である

 具体的に、何故そのような問題が発生しているのか?

 以下に論点を纏めていく。


1:フェミニズム議論ソフィスティケートされすぎており、一般女性男性認識に馴染まない


 古代ギリシャ劇作家アリストファネスは、自身の著した喜劇『女の平和』にて、女性らのセックスストライキを描き出している。


 女性達が、「そんなに戦争が好きなら、私達を抱かなくとも大丈夫なんだね?」

 と、戦争反対のため断固セックス拒否する痛快さ。このような鮮やかさは、現代人にさえ快い衝撃をもたらすものである

 女性の最大の魅力は何か? それは性である、とアリストファネスは言う。

 このような言説は当時のギリシャ男性においてのみならず、近代フェミニストらにも見られる。

 女性が短いスカートを履くこと、自身の魅力を以て大いに社会地位を占めること――その権利回復せねばならないということ。それを目的として、20世紀フェミニストらが声を張り上げていたことは言うに及ぶまい。

 その運動社会において大きく効果を上げた。

 イランのごとき保守的国家においては、女性が人前に出る際には目元を除き身体ベールで覆う必要がある。そのような規則女性利益担保しているのか、損なっているのか、議論の難しい点には違いないが、現代においてはそのような保守的傾向の多くが拒否されている。女性らは、身体ベールで覆うことを一般的によしとしない。

 女性が獲得した権利はそこに見られる。つまり、性の発露である

 性はそれまで女性自由にはならなかった。構造主義先駆者とされるレヴィ・ストロースは、「女性男性らの所有物であり、婚姻という形で交換が行われた」という意味の主張を行っている。彼に対する当時のフェミニストらの批判推して知るべしだが、女性婚姻父権立場にある人間によって執り行われることは多く存在していた。そういう意味で、女性にとって婚姻も性も自由とは言い難かった時代存在していたのである

 自身の性を管理行使する権利が、婚姻不自由によって制限されていた時代があったことは、間違いない。この文脈に沿って言うならば、間違いなく女性権利現代において拡張されたのである

 ここまではフェミニズムにおいて一般的な議論範疇である

 とは言え、問題はこの延長線上にある。


 女性自身身体的魅力を大いに利用すること、それはアリストファネス喜劇に見られるように、女性自由を支えている。そこには、フェミニズムと密接に関係する女性権利の実現が確認できる。

 しかし、昨今、この身体的な魅力を大いに活用することは、「性的搾取」に繋がることが指摘されている。


1-2:性の解放性的搾取

 相対的な性の解放が、性的搾取に繋がること、これは表裏一体の問題と言える。


 当然、女性社会進出をする上で、女性自身の性を政治手段として用いることには、危うさが秘められている。

 そのような危うさをして、現代フェミニストらは「性的搾取」の大号令を行う。

 アイドル、性産業広告業芸術

 これらの分野における女性露出性的搾取危険を秘めている、と現代フェミニストらは声を揃える。そこには危険があり、権力の影がある、と。

 ここにおいて、深刻な二律背反が生じているのは明らかである

 女性スキームとして用いる性が、危機的な結果に繋がっている。ここでどうするべきなのか?

 残念ながら、この問題に明快な結論は出ていない。


 政治家の大多数が男性であるこの社会において、支配者と被支配者の対照は、男性女性という対照を想起させる。

 男性狡猾である――多くの女性の思う以上に――男性狡猾である男性暴力行使することができる。端的に言って、男性の筋力は女性に勝り、悪しき意志が備わりさえすれば、女性尊厳根本からなうことを可能とする。恐らく、文明以前の原始時代においては、男性はこれらの暴力を非常に効果的に用いてきた。そこには、ある種暴力弁証法とも呼ぶべき歴史があった。例えば、あるコミュニティコミュニティが衝突する――。一方が敗北すれば、その敗者側のコミュニティに属していた女性は、勝者側に所有されることとなる。多くの場合、そこにおいて女性尊厳考慮されることはない。

 昆虫動物らに見られる、コミュニティコミュニティの争いや、イスラム国による女学校の襲撃を思い出して頂ければ、上記の言説の正しさは容易に担保されると思う。

 男性狡猾であり、暴力性を有史以来、あるいは以前において大いに活用してきた。

 勿論、現代においても男性による暴力が根絶されたわけではない――とはいえ、その状況は改善されている。暴力には法が対応する。無論、適切な対応が成されない場合存在するが、少なくとも有史以前に比べれば状況は好転している。

 その進歩の影には、恐らく全ての心ある女性と心ある男性の尽力があったことだろう(思うに、倫理を生み出すのは常に狂気じみた努力である)。

 人類は持てる限りの理性を用い、公私において倫理を整備してきた。

 我々は持てる限りの能力を用いてきた。そこに、女性の尽力が関わっているのは間違いあるまい。

 女性はその能力を大いに用いてきた。


 さて、端的に言って、性的魅力は女性能力である

 それは、女性が何かを望む際に、その実現を助ける能力になり得る。例えば、意中の人と結ばれる際にその能力は大いに役立つ。

 性的魅力は疑いなく女性能力である女性自身尊厳担保し、増進させるために、その能力は用いられ得る。


 しかし、その能力女性自身らの尊厳の為に活かすことと――それと、男性(や女性)によって、その能力が利用されること――とは二律背反となっている。

 近代において、女性の魅力や能力が、適切に用いられることをフェミニストは願ってきた。しかし、ここに来てその努力は一つの壁にぶち当たることとなる。

 例えば、大きな胸を強調したポスター女性の魅力が強調されてはいるが、不適切方法で強調されているのではないか――そういう議論が起っている。

 女性の魅力をみだりに利用することは、女性に対する搾取である、と人は言う。

 この命題は決して間違っていない。「女性の魅力をみだりに利用することは、女性に対する搾取である」。決して、この命題は間違っていない。

 とは言え、ここが言わばロドスである


1-3:ソフィスティケートされ過ぎた議論

 女性の魅力をみだりに利用することは、女性に対する搾取となり得る。


 勿論それはそうだ。とは言え、そこには議論錯綜するポイントがある。

 まず第一に言えるのは、女性の魅力の発露=性的搾取といった、シンプルかつ誤謬を招く等式が発生し得ることだ。

 女性が何らかの能力を――この場合には性的魅力を――社会において発揮すること。その能力を発揮することにおいて、何らかの報酬を得ようとすること。それ自体は悪ではない。

 自分能力への対価として報酬を貰うことは、多くの場合善悪とは関係ない行為である

 例えば、女性の高く伸びやかな声、時に力強い声。歌手はそれを披露する。

 例えば、ダンサーは時に挑発的に、曲線的なライン身体を躍らせる。挑発的に、攻撃的に。

 絵画において、裸婦は笑う。裸婦は草原に寝そべり、微笑んでいる。

 これらは全て、(努力などによって獲得された)肉体的魅力を発揮する行為に他ならない。当然のことながら、これらの行為をして悪であると断ずることはできない筈だ。とは言え、それらの魅力や能力の発揮が、「搾取」に繋がると人は言うのである。つまり、その行為は翻って女性地位を貶め、最終的には女性全体に対する不利益を導くものだ、と叫ぶのである


 例えば、女性歌手楽曲を作り、歌う。彼女は、男性への恋心を叫ぶ歌謡曲を作り、歌う。その曲を批判して、「媚びている」と誰かが叫ぶ。

「媚び」はこの場合、不自然女性立場貶める行為であり、最終的な女性不利益を招く行為を指している。端的に、それは搾取対象であると、誰かが指摘する。

 例えば、写真家女性写真を撮る。彼女は、頬杖を付きながら、気だるげに微笑む。その写真批判して、「媚びている」と誰かが叫ぶ。

 その「誰か」は、最終的に女性不利益を招くと指摘する。

 例えば、

 例えば、例えば、例えば――


 女性が魅力を発露すること、それが搾取対象になり得るということ――それは必ずしも同じではない。しかし、そこには矛盾がある。女性尊厳担保し、増進するために、魅力が用いられること。そのような魅力が搾取対象とされてしまうこと。

 女性能力を発揮すれば、それは女性全体の利益を貶め得ると誰かが叫ぶ。

 能力を発揮すれば、誰かがそれを利用し搾取すると、その誰かは叫ぶ。最終的には、女性全体の立場は貶められ不利益帰着すると、その誰かは指摘する。

 これが、フェミニズムソフィスティケートされた結果なのである。それは、端的に矛盾である

 カメラに向かって微笑みかける誰かの存在を、「性的搾取であるとし、それがゆくゆくは女性全体の利益を損なうと指摘する――。

 このような言説には致命的な混乱が含まれていると言って差し支えないだろう。近代フェミニズムによって獲得された、女性自身能力や魅力を自身権限によって行使する自由は、ここにおいて壁にぶち当たっている。


 能力を発揮することは搾取に繋がる。能力を発揮してはいけない。

 このような論理は、一般的な男女を納得させるに足る論理であろうか?

 勿論それは不可能であるフェミニズム矛盾にぶち当たっている。

 そして、その矛盾を解消し得る論理が未だに発見されていない現在――少なくとも、フェミニズム論理一般的な男女を――あるいは当事者であるフェミニスト自身らさえ――説得できる状況にない現在思想としてのフェミニズムは大きな困難に直面していると言わざるを得ない。


2:結論

 結局、フェミニズムが直面している矛盾を、フェミニスト自身らが解決できていない状況において、その混乱を抑えられていないのが現状と言えよう。

 その混乱のさなかでは、到底周囲の人々を納得させ得る行動など、示せるわけがないのである

 昨今のフェミニズム運動空虚さ、反感のみを招く徒労さはそこに根を置いている。これまでに獲得してきたものと、これから獲得しようとするものとの間に生じる矛盾――その矛盾解決することなくして、現代フェミニズムは正しい舵取りを行うことなどできない。

 結論としては以上となる。

2020-02-10

フェミニズム界隈を巡っての反論

 日本フェミニズムが抱えている問題複数あって、煎じ詰めれば「思想善悪如何はともかく、その行動が全く効果的ではない」という一事に尽きる。

 女性地位向上。大いに結構。その、地位向上のためにある種攻撃的な手段を用いること、これまた結構

 しかし、攻撃的な手段を用いている割には、その効果殆ど出ていないことに問題があるのである

 むしろ結果的にそのような手段が、フェミニズムに対する周囲から評価を下げてさえいるのが問題なのだ


 古来より女性男性による抑圧を受けてきた。この事実を頭から否定することはできない。

 例えば、近代イギリス小説家サマセット・モームは、作品『月と六ペンス』の中でこう書いている。「女性自分を殴る男性を好んでいる。むしろ自分を殴ることのできない男性のことを見下しているのだ」と。

 このような記述は、文脈的に言えば主人公チャールズストリックランドタヒチを訪れた際に語られているものである。ここからは、モームがどのような立場女性一般化しようとしていたのかが読み取られ得る。

 また、自然主義人間本質を虚飾なく描くことを目的とした主義思想作家大家である近代フランスエミール・ゾラが書いた『居酒屋』では、登場人物の男らが、まるで息をするように女性達を殴りつける描写が、散りばめられている。貧民層の現実標榜した彼の作品においてもまた、女性に対する暴力が大いにクローズアップされている。


 このように、国の内外を問わず女性に対する男性から暴力というもの散見される。流石に、このような状況は現代において相対的改善されているものの、未だどこかしらに不満を残す女性がいることに不思議はない。その女性らが、自らの権利を向上するための運動を行ったとして、何の不思議があろうかとも思う。


 問題は、それらの行動が評価を得にくいこと、あるいは、フェミニズム評価を落としていることである。それらの行動の多くが、効果がないどころか逆効果であるという点である

 具体的に、何故そのような問題が発生しているのか?

 以下に論点を纏めていく。


1:フェミニズム議論ソフィスティケートされすぎており、一般女性男性認識に馴染まない


 古代ギリシャ劇作家アリストファネスは、自身の著した喜劇『女の平和』にて、女性らのセックスストライキを描き出している。


 女性達が、「そんなに戦争が好きなら、私達を抱かなくとも大丈夫なんだね?」

 と、戦争反対のため断固セックス拒否する痛快さ。このような鮮やかさは、現代人にさえ快い衝撃をもたらすものである

 女性の最大の魅力は何か? それは性である、とアリストファネスは言う。

 このような言説は当時のギリシャ男性においてのみならず、近代フェミニストらにも見られる。

 女性が短いスカートを履くこと、自身の魅力を以て大いに社会地位を占めること――その権利回復せねばならないということ。それを目的として、20世紀フェミニストらが声を張り上げていたことは言うに及ぶまい。

 その運動社会において大きく効果を上げた。

 イランのごとき保守的国家においては、女性が人前に出る際には目元を除き身体ベールで覆う必要がある。そのような規則女性利益担保しているのか、損なっているのか、議論の難しい点には違いないが、現代においてはそのような保守的傾向の多くが拒否されている。女性らは、身体ベールで覆うことを一般的によしとしない。

 女性が獲得した権利はそこに見られる。つまり、性の発露である

 性はそれまで女性自由にはならなかった。構造主義先駆者とされるレヴィ・ストロースは、「女性男性らの所有物であり、婚姻という形で交換が行われた」という意味の主張を行っている。彼に対する当時のフェミニストらの批判推して知るべしだが、女性婚姻父権立場にある人間によって執り行われることは多く存在していた。そういう意味で、女性にとって婚姻も性も自由とは言い難かった時代存在していたのである

 自身の性を管理行使する権利が、婚姻不自由によって制限されていた時代があったことは、間違いない。この文脈に沿って言うならば、間違いなく女性権利現代において拡張されたのである

 ここまではフェミニズムにおいて一般的な議論範疇である

 とは言え、問題はこの延長線上にある。


 女性自身身体的魅力を大いに利用すること、それはアリストファネス喜劇に見られるように、女性自由を支えている。そこには、フェミニズムと密接に関係する女性権利の実現が確認できる。

 しかし、昨今、この身体的な魅力を大いに活用することは、「性的搾取」に繋がることが指摘されている。


1-2:性の解放性的搾取

 相対的な性の解放が、性的搾取に繋がること、これは表裏一体の問題と言える。


 当然、女性社会進出をする上で、女性自身の性を政治手段として用いることには、危うさが秘められている。

 そのような危うさをして、現代フェミニストらは「性的搾取」の大号令を行う。

 アイドル、性産業広告業芸術

 これらの分野における女性露出性的搾取危険を秘めている、と現代フェミニストらは声を揃える。そこには危険があり、権力の影がある、と。

 ここにおいて、深刻な二律背反が生じているのは明らかである

 女性スキームとして用いる性が、危機的な結果に繋がっている。ここでどうするべきなのか?

 残念ながら、この問題に明快な結論は出ていない。


 政治家の大多数が男性であるこの社会において、支配者と被支配者の対照は、男性女性という対照類推させる。

 男性狡猾である――多くの女性の思う以上に――男性狡猾である男性暴力行使することができる。端的に言って、男性の筋力は女性に勝り、悪しき意志が備わりさえすれば、女性尊厳根本からなうことを可能とする。恐らく、文明以前の原始時代においては、男性はこれらの暴力を非常に効果的に用いてきた。そこには、ある種暴力弁証法とも呼ぶべき歴史があった。例えば、あるコミュニティコミュニティが衝突する――。一方が敗北すれば、その敗者側のコミュニティに属していた女性は、勝者側に所有されることとなる。多くの場合、そこにおいて女性尊厳考慮されることはない。

 昆虫動物らに見られる、コミュニティコミュニティの争いや、イスラム国による女学校の襲撃を思い出して頂ければ、上記の言説の正しさは容易に担保されると思う。

 男性狡猾であり、暴力性を有史以来、あるいは以前において大いに活用してきた。

 勿論、現代においても男性による暴力が根絶されたわけではない――とはいえ、その状況は改善されている。暴力には法が対応する。無論、適切な対応が成されない場合存在するが、少なくとも有史以前に比べれば状況は好転している。

 その進歩の影には、恐らく全ての心ある女性と心ある男性の尽力があったことだろう(思うに、倫理を生み出すのは常に狂気じみた努力である)。

 人類は持てる限りの理性を用い、公私において倫理を整備してきた。

 我々は持てる限りの能力を用いてきた。そこに、女性の尽力が関わっているのは間違いあるまい。

 女性はその能力を大いに用いてきた。


 さて、端的に言って、性的魅力は女性能力である

 それは、女性が何かを望む際に、その実現を助ける能力になり得る。例えば、意中の人と結ばれる際にその能力は大いに役立つ。

 性的魅力は疑いなく女性能力である女性自身尊厳担保し、増進させるために、その能力は用いられ得る。


 しかし、その能力女性自身らの尊厳の為に活かすことと――それと、男性(や女性)によって、その能力が利用されること――とは二律背反となっている。

 近代において、女性の魅力や能力が、適切に用いられることをフェミニストは願ってきた。しかし、ここに来てその努力は一つの壁にぶち当たることとなる。

 例えば、大きな胸を強調したポスター女性の魅力が強調されてはいるが、不適切方法で強調されているのではないか――そういう議論が起っている。

 女性の魅力をみだりに利用することは、女性に対する搾取である、と人は言う。

 この命題は決して間違っていない。「女性の魅力をみだりに利用することは、女性に対する搾取である」。決して、この命題は間違っていない。

 とは言え、ここが言わばロドスである


1-3:ソフィスティケートされ過ぎた議論

 女性の魅力をみだりに利用することは、女性に対する搾取となり得る。


 勿論それはそうだ。とは言え、そこには議論錯綜するポイントがある。

 まず第一に言えるのは、女性の魅力の発露=性的搾取といった、シンプルかつ誤謬を招く等式が発生し得ることだ。

 女性が何らかの能力を――この場合には性的魅力を――社会において発揮すること。その能力を発揮することにおいて、何らかの報酬を得ようとすること。それ自体は悪ではない。

 自分能力への対価として報酬を貰うことは、多くの場合善悪とは関係ない行為である

 例えば、女性の高く伸びやかな声、時に力強い声。歌手はそれを披露する。

 例えば、ダンサーは時に挑発的に、曲線的なライン身体を躍らせる。挑発的に、攻撃的に。

 絵画において、裸婦は笑う。裸婦は草原に寝そべり、微笑んでいる。

 これらは全て、(努力などによって獲得された)肉体的魅力を発揮する行為に他ならない。とは言え、それらの魅力や能力の発揮が、「搾取」に繋がると人は言うのである。つまり、その行為は翻って女性地位を貶め、最終的には女性全体に対する不利益を導くものだ、と叫ぶのである


 例えば、女性歌手楽曲を作り、歌う。彼女は、男性への恋心を叫ぶ歌謡曲を作り、歌う。その曲を批判して、「媚びている」と誰かが叫ぶ。

「媚び」はこの場合、不自然女性立場貶める行為であり、最終的な女性不利益を招く行為を指している。端的に、それは搾取対象であると、誰かが指摘する。

 例えば、写真家女性写真を撮る。彼女は、頬杖を付きながら、気だるげに微笑む。その写真批判して、「媚びている」と誰かが叫ぶ。その「誰か」は、最終的に女性不利益を招くと指摘する。

 例えば、

 例えば、例えば、例えば――


 女性が魅力を発露すること、それが搾取対象になり得るということ――それは必ずしも同じではない。しかし、そこには矛盾がある。女性尊厳担保し、増進するために、魅力が用いられること。そのような魅力が搾取対象とされてしまうこと――。

 女性能力を発揮すれば、それは女性全体の利益を貶め得ると誰かが叫ぶ。

 能力を発揮すれば、誰かがそれを利用し搾取すると、その誰かは叫ぶ。最終的には、女性全体の立場は貶められ不利益帰着すると、その誰かは指摘する。

 これが、フェミニズムソフィスティケートされた結果なのである。それは、端的に矛盾である

 カメラに向かって微笑みかける誰かの存在を、「性的搾取であるとし、それがゆくゆくは女性全体の利益を損なうと指摘する――。

 このような言説には致命的な混乱が含まれていると言って差し支えないだろう。近代フェミニズムによって獲得された、女性自身能力や魅力を自身権限によって行使する自由は、ここにおいて壁にぶち当たっている。


 能力を発揮することは搾取に繋がる。能力を発揮してはいけない。

 このような論理は、一般的な男女を納得させるに足る論理であろうか?

 勿論それは不可能であるフェミニズム矛盾にぶち当たっている。

 そして、その矛盾を解消し得る論理が未だに発見されていない現在――少なくとも、フェミニズム論理一般的な男女を――あるいは当事者であるフェミニスト自身らさえ――説得できる状況にない現在思想としてのフェミニズムは大きな困難に直面していると言わざるを得ない。


2:結論

 結局、フェミニズムが直面している矛盾を、フェミニスト自身らが解決できていない状況において、その混乱を抑えられていないのが現状と言えよう。

 その混乱のさなかでは、到底周囲の人々を納得させ得る行動など、示せるわけがないのである

 昨今のフェミニズム運動空虚さ、反感のみを招く徒労さはそこに根を置いている。これまでに獲得してきたものと、これから獲得しようとするものとの間に生じる矛盾――その矛盾解決することなくして、現代フェミニズムは正しい舵取りを行うことなどできない。結論としては以上となる。

2020-01-31

anond:20200130222134

なぜ二律背反になる?

個人主義国家主義のいいとこどりで成立してるのが我々の社会でしょう

2020-01-16

anond:20200116084447

わたしにはあなたがなにをしたいのかがわからないし

どういう結論に導きたいのかもわからない。

なので一般の人が見ているところでいえる共通意見共通掲示板に書き込んだ。

ただ、二律背反的な質問はきかれるほうにもストレスが大きい。

さいきんはそういうのがあって、なんどもたおれたし

ますだはあまりそういうのにむかない。みんなの避難所から

2020-01-03

anond:20200103230306

これなかなか二律背反な縛りじゃない?

それだけの大金があったら異性にはモテる。女であっても、天から降ってきたで手にしたキモオタ性別不問)であっても。

 

ということは、モテに使わないのなら老後の安泰のために使おうと思って

土地を買っても異性が「素敵♡」という目で見てくる、ということだ。

 

そうなると条件にひっかかるのであれば、

100奥の金を持っていても経済活動には使えない、100億枚の暖炉の薪ということになりかねないか

 

もう少し条件を考えて付与したほうがいいと思う。

2019-11-02

anond:20191102224838

ちょうどそれ反出生主義の話でも出てきてて、生まれるべきか生まれないべきかの二律背反に陥らないためのヒントが古代仏教にあるかもって書いてあったなー

2019-09-20

眠れない

ここ最近夜になると悲しくて泣いてしまう。

前は泣くことなんか一年に一度あるかないかぐらいだったのに、泣いてしまう。syrup16gの生きているよりマシさを聴きながら泣いている。

今いる界隈はどうしても絵優遇で、できることがなくてつらい。わたしがそう感じているだけなのかもしれないけど。

別にわたしが書いたものが注目されるされないは大きな問題じゃない。「目立つ(人権がある)/目立たない(人権がない)」以前に界隈に貢献できることが「ある/ない」という感じ。

2次創作なんか自分本位ものから、誰かから見られたいとか評価されたいとか、そういうのは二の次でいい。けれどそもそもの行動の選択肢が無いように感じてしまう。

自分でも、こんなことを思ってコンプレックスに感じてしま自分が嫌で仕方ない。僻まないとメンタルを保てない自分が嫌で仕方ない。できるならもっと健やかに生きていたいものだ。

最近寝付きが悪すぎる。不安になることばかりでそわそわしてしまう。心臓の下のあたりがずっとそわそわしてキュウっと締まる感じだ。落ち着きたい。落ち着いて眠りたい。

それなのに少しぐらい不調な方が、せめてものハンデを負っているように感じて自分が生きていることを少し許せる。生きている罰をもらっているような気がして安心してしまう。二律背反だ。

2019-09-02

私が彼氏と別れたくないけど別れたい理由

考えてみた。

1)嫉妬してしまうのが辛い

・彼はとある言語勉強しているのだけど、日本レベルを上げるためにはネイティブ恋人を作るのが一番いいとか言ってくる。

→その考えは正しいと思うし、他意はないと思うのだけど、傷つく。悪かったな、日本人で。

・実際、外国女の子とやり取りしている。

→いいんだよ、勉強したいんだよね、話せるようになりたいし、海外友達作りたいんだよね。わかるすっごくわかる。でもね応援したいけど、ちょっとさみしいんだ。


2)彼氏のやる気・元気・生命力がすごい

仕事も、遊びも、自己研鑽も、ストイックすぎる。

→私も私なりに自分人生のしく頑張って生きてる。でもここ十年の中で一番不調の今、私にとって眩しすぎるよー。

・いっしょにやろうってさ

→やりたいよーーーやりたい。でもわいには無理なんだよ。。。


3)自己嫌悪に陥りたくない

嫉妬する自分がやだ

嫉妬って自尊心高い人でもするもの自分に自信がないひとだけ?こんなことに心かき乱されず、自分人生をきっちり生きたいのに。

無能無気力自分がやだ

→私が彼を尊敬しているのと同じだけ尊敬されたいって思っちゃう



書いてみると、本当小学生レベル恋愛精神年齢だわw


応援したい↔そばに居てほしい

尊敬したい↔自分の糞さ

みたいな二律背反的な葛藤って、みんなどう乗り越えた?


宮台真司さんと二村ヒトシさんの対談でだれかが言ってたけど、恋すると恋人が光になるゆえ、自分人生が暗闇だったことに気づいちゃうんだよね。

多分、彼氏に負けないくらい私も自分人生ストイックにやりきる他ないのだと思うのだけど、彼氏と良い関係を築きたいために自分人生を頑張るって目的手段が逆転してるじゃん。。。なんのために生きてるのかわからなくなる。

恋愛は楽しくて辛い。

2019-07-30

表現に関する権利もっと細かく分けて話すべき

これなんかツリー論点がぐちゃぐちゃになってるんで整理しないと俺の意見説明できなさそう

https://anond.hatelabo.jp/20190722182852

なんで整理するな。俺の立場は反規制派。元増田の分類では右派に属すると思う

自認としてはオールリベラル比較的素朴な自由主義者だと思ってる

以下では表現権利について俺が守りたいもの不要だと思うもの、その中間などについて説明する。 

好ましい表現アクセスする権利

これについては右も左も反規制派で反対する者はいないと思う

権力者に好ましくない情報隠蔽してもいいという法律が作られそうになったら

真っ先に反対する

記者クラブのあり方に反対するとかの問題はここに分類されるはず

好ましくない表現アクセスしない権利

これは左右で意見が別れる。ヘイトスピーチとかエロゾーニングとかが相当する

俺としてはここにそこまで忌避感はない

というか見せる/見せないの二律背反ではなく、テクノロジーバリアフリーにすべき

ネット上では情報に適切なタグをつけるとか、親ツリーに分類するとか

うっかり見てしまう前にメタ情報アクセスできることで解消するだろうし

リアル社会では難しいけどエロとかヘイトとかが問題になりそうであれば、特定区画特定時間帯は情報が裏に隠れるとかできればいいと思う

ポイントは欲しい人は簡単アクセスできるようにすべきという点で

例えばエロが高スキル人間アングラで探さなくてはいけないような社会であってはならない

あくまスキルではなく、その人が望むかどうかがフィルターになるべき

好ましくない表現アクセスさせない権利

これは邪悪。ここに無自覚に手を出すのは左派ターナリストであり、反規制派として仲間にしたくない

エロの強い規制を望む人間とかがこの手の思想に染まりがち。

だいたい子供保護言い訳規制をするのが常套手段だが、

何を根拠にご自分は今までの規制のない世の中で「正しい」思想に目覚め、

他人は悪い情報に触れると「悪」の道に進むと思うのか

他人を悪の道に進ませたくなければ自分が善だと思った情報で上書きすればよいだろう、かつての自分のように

 

と、まあ大きく3段階に権利認識が別れていて、共闘できたりできなかったりするのはどのレベルか見定めたら

あいつはこっちとあっちで言うことが違ってダブスタだ」みたいな

不毛なやり取りは少なくなるんじゃないか

id:goadbin

好ましいかどうかは自分判断できると思ってる。正しいかどうかは非常に慎重に判断しなきゃいけないので、複数基準がある方がよいというのが俺の考え。

ちなみに左派よりの人は正しいことを判断するのは誰だという立場にたつのかな?ブコメではそこが読み取れなかった

id:Arturo_Ui

すまん。右派ターナリストも好ましくない表現アクセスさせないよう行動する。

左右の違いはおそらく自覚的かどうかで、右派はハナから自由主義を重視していないと思われる

無自覚に」を追記しといた。指摘ありがと

id:daydollarbotch

そう、俺とお前にとって2番目と3番目は大きく異なる権利なんだが、ツリー見てわかる通りここがシームレスだと感じる人も多い。

積極的自由とか闘う民主主義とかが好きな人たちがここにすっぽり嵌まるっぽい

2019-05-02

日本沈没しても「自分は助かる」という現実がむず痒い

はてブ見ていると貧困系の話が出てきて自分政府対応かには怒りが湧くんだけどさ。

でも一方で「自分大丈夫」と安心している側面もあるの。

フリーランス年収1000万あるし、その気になれば海外移住できる蓄えあるし、仕事も完全リモートでできるように環境整えてるし、不労収入が少しずつ増えるように手を打ってるしさ。

ツイッターフォロワーも1万超えてるから承認欲求も満たされてるし、「まぁ、俺は大丈夫だろうなぁ」と実感するのよ。

もちろんそういうことを頑張るのも将来への不安があるからなんだけど、「非正規で苦しいです」みたいな人よりはぜんぜん大丈夫だろうと安心している自分がいるのよ。

そういう情報を一切遮断して現実に目を背けるのも嫌だし、かといって景気に対しては何もできないし、自分個人がぶくぶくと蓄えを増やすだけなんだわ。

この二律背反に引き裂かれそうだわ。とりあえず選挙では共産党投票しているけどさ……。

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