はてなキーワード: 閑話休題とは
そんな堺雅人が、ひょんなことから殺し屋の香川照之と入れ替わることから始まるドタバタ劇とホロリラブコメディ
運命じゃない人見て面白かったので同じ監督の映画を探したら、あっこれ聞いたことある、と思って選んだ
結果、すごくよかった
運命じゃない人よりも好き
運命じゃない人が街だとしたら、こっちは428って感じ
言い換えると運命じゃない人は群像劇がバラバラでそのまま終わる感じだけど、こっちは一本に収束していってきれいにまとまって終わる
なので1本の映画としてはこっちのほうが爽快感があってわかりやすいエンタメになってる
有名な人もいっぱい出てる
それにただのアイドルで終わらずに女優として活躍してるのはすごい
話それるけど水着グラビアばっか出てた人が女優としてドラマでまくってるのもなんか個人的に不思議ですごいと思う
タイトルがよくわからずになんとなく意識高い系で敬遠してたけど、
いざ見てみると、すごくわかりやすかった
ラストのスタッフロールの途中でオマケが始まるのもこの監督の伝統?
運命~と違ってまるまる2時間あったから描写不足や時間不足も感じられず、必要十分に終わった印象
運命~よりも少ない登場人物で長い時間を描いたんだからまあ当然か
いやほんと今の所運命じゃない人の比じゃないくらいこっち好きだわ
アフタースクールも見てみるかな
すでに見たやつより評判はよくないみたいだけど
何がって、黒ストッキングの話だ。
2013年から2014年がピークだっただろうか。ティーンから40代に至るまで、幅広い層で秋冬ファッションにおける黒ストッキング/黒タイツの着用が広がったのだ。
合わせる靴も、その少し前まで流行っていたニーハイブーツやロングブーツが消え、ショートブーツやパンプス、スニーカーなど、足首が見えるスタイルが多数派に。また、ボトムスもショートパンツやミニ丈のスカートなど、膝上から太ももまで見せるものが普通となっていた。
足首から太ももまであらわになった脚線。その広々としたうねりを包んでいたのが黒ストッキングである。黒ストッキングがあるから安心して脚線を露出できる。脚線を露出する服装だから黒ストッキングが必要となる。その相乗効果により、世はまさに大・黒スト時代であった。
では、その後の黒ストッキングの後退の理由はなんだろうか。現在、街を見渡すとルーズシルエットやワイドパンツが闊歩しており、その流行を理由として挙げる声は多いだろう。
しかし、本増田は、決定的な理由は別にあると考える。それは「黒ストッキング=透け感が重要」言説の登場である。
増田読者諸兄は、「デニール数が少ないほどイイ女!」……そんな記事を見たことはないだろうか。曰く、デニール数(ストッキングの厚さ)が少ない、すなわち、薄くて素肌の色が透けて見えるストッキングがセクシーでいいのだそうだ。同時に、厚手のストッキング/タイツはセクシーではない(男ウケが悪い等)、と。
調査を行なったところ、2015年初頭からそのような言説の記事が登場。単発ではなく、後追い粗製乱造ウェブ記事の増加(2016年のDeNA WELQ事件を思い返してくれればよい)が拍車をかける。
ここで疑問に思われる方もいるかもしれない。
「薄い黒ストッキング=セクシーとなれば、今度は薄手のものが流行するのではないか?」
だが考えてみてほしい。例えば、ある冬の寒い朝、高校1年のあなたの娘さんはいつものように110デニールの黒タイツを履いて学校へ出ていった。その翌日。突然、30デニールの透け感たっぷりの黒ストッキングを履いて学校へ行こうとしている。頑固親父ならずとも「どうした?」と言わざるを得ないだろう。かように、セクシーであるというのはハードルが高いものだ。単に年齢・性別の問題ではなく、セクシーであっていい場面というのは非常に限られているという意味でも。
この「黒ストッキング=透け感が重要」言説、国内老舗ストッキングメーカーのマーケティングも絡んではいるのだろう。2014年時点に立ち帰れば、黒ストッキング/黒タイツ市場はもう飽和してしまったから、「秋冬の防寒用」から「年中の基本着用」へと(ベージュを中心とした)パンストの復権、パンストのレコンキスタ、パンスト維新を企図していたことがうかがえる。しかし、「セクシー」を強調したことが仇となったか、ファッションの変化のあおりも受けてパンスト・タイツの消費自体が低迷する結果となってしまった。
(※国内供給量の推移:2013年 3400万デカ → 2017年:2800万デカ)
「デカ」とは靴下の単位で、10着(セット)のことを指すらしい。閑話休題。
かくして、我々がその攻守のバランスを愛していた80デニールの黒ストッキングは「やぼったいもの」の烙印がおされることになった。ファッション都落ちである。我々はセクシーではないことの方が多い日常を過ごし、でもほんの少しのセクシーさを求めていただけなのに。
まもなく、寒さとともに本格的な秋冬ファッションのシーズンが来る。黒ストッキング/黒タイツはどのような2018-2019シーズンを迎えるのか。あなたのワードローブに眠っている黒ストッキングはお元気ですか。
https://digital.asahi.com/articles/ASL8R4S75L8RUCFI00B.html
回答としてとても全うで、納得のいくものだった。だったのだが、当然回答者が岡田斗司夫である以上、「朝日新聞は岡田斗司夫が指導者という立場を利用したりして精神不安定な女性数十人と異性関係を持ったことが判明したあとも、彼を切らなかった。metooと程遠い人権感覚の会社だと思ってる。 」というブコメがついている。
ブコメをつけた人を非難したいわけじゃなくて、これは正にme tooにおけるある種の「正義」の本質を表している。つまり、「言動そのものや、その人が作り出したものの是非ではなく、その人の社会的状況に応じてその人の言動を判断する」。
これは、不正義の是正を誰かに任せるのではなく、評価者自身の判断で不正義を是正するものだ、ということになる。一面の真理はあると思う。社会は完璧ではないので社会や公的機関が必ずしも正しい在り方をしているわけじゃなく、それを正すのは社会に生きる人間であるべきだ。そのような仕組みが市民社会であり、社会的不正義に対して暴動や大規模なデモが起きるのはある種「健全」なこととは言えて、そういう事例が散見されるアメリカやフランスと違ってどうして日本は……という話題は、本筋からズレるので閑話休題(こういったある種の国ごとの政治態度や市民感覚の違いをまとめてる研究書どっかにないですかね。真面目に読むので割と本気で募集している)。
そういった考えの裏には、実のところかつてのモヒカン族とは全く逆の価値観がある。評価するかしないか、という価値判断だ。
上記の例で言えば、岡田斗司夫は評価されていい人間かどうかである。とりあえず自分の評価は差し控える。その全く真逆の例で言えば、〈ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー〉シリーズの監督を務めていたジェームズ・ガンが、過去の不適切なツイートを理由にシリーズ監督から降板させられた事件だ。その二つの違いはなんなのか。違いはいくらでも挙げられる。実際に問題になっているのが実在の女性との実際の関係に関する話題か、不特定多数に対する言及だけか。日本国内で活躍する批評家か、全世界的にヒットした作品を生み出した監督か。社会的な評価の違い。味方についた人がどの程度いたか、それが大きく報じられたかどうか。「不正義」とされるものは白か黒かではなく様々なグラデーションが存在し、「灰色は白である」=推定無罪の価値観はあくまで刑事事件=公的権力が市民を罰する際に発生するものであり、このような違いが発生するのは当然である。だが一方で、ジェームズ・ガンは擁護されるのに、『二度目の人生を異世界で』の原作者「まいん」氏が炎上した挙げ句にアニメ化が中止になるのは当然であるとされる。問題発言が日本における大きな政治的争点かどうか、という違いはあるが、それ以上に大きな違いは、2人がどんな作品を書いていたか、と言ってしまっても差し支えないのではないか、と個人的には思っている。一方で、慰安婦を揶揄していた「月曜日のたわわ」の比村奇石はさほど炎上せずに未だに活動を続けている。比村奇石が炎上しないのは不思議だなと思っているが、とはいえ自分自身、「うっわー気持ち悪いことしかやってねーなこの人、でもめっちゃエロい作品書くな。もっとやれ」って思いながら毎週月曜日を楽しみにしている。しかし本当に邪悪。
雑多になってしまったが、何が言いたいかというと、me tooというのは「何が正しいか」ではなく「どんなかたちの正義を指示するか」というある種の価値観、雑な表現であるところの「政治的態度」を求められている。正義に対するコミットメントである。だが正義は一枚岩ではなく、黒と白の間には無限のグラデーションが存在し、結果me tooのような価値観はある種のダブルスタンダードを許容する。
社会において「理性的判断」というのは存在せず、人間は社会のなかでしか行動ができず、社会のなかで行動するなら結果的に社会にコミットしなければならない。あたかも村上春樹がデタッチメントからコミットメントへの転換をした(「せざるを得なかった」と言っていいのかは、正直わからない)ように、これはある種当たり前のことなのだが、その事実を前に困惑するひとは少なからずいるのではないか、と思っている。自分は比較的その変化を受け入れている側の人間ではあると思うが、困惑する人間がいるのはよくわかる。人間は矛盾する生き物だからね。
だがはあちゅうてめーは駄目だ。
男女の家事比率を給料に合わせて4:6とか3:7にすれば?とか。
私は下方婚したが、他の人に勧められない。
一経験談としてご参考に。
正社員でガンガン働いていると、周りに専業主夫希望の男性はいなかった。
代わりに、私よりももっと収入が低い企業で働いている人はたくさんいた。
私は、たまたま好きな人の収入が自分より下だったがその人と結婚した。
実際には家事負担はこっちが多かったけど別に特に不満もなかった。
産前産後は給付金的なものもあり、入ってくるお金はゼロではないが
仕事ができなくなってる女性は、収入が激減しているんだけどね。
正直なところ、仕事ぶりを見ていると無駄が多く効率的ではない。
夫は裁量労働制で年俸が決まっており、残業しても年俸は変わらない。
だからこそ、結婚前は家事も負担できるって早く帰れるから子育てもやると言っていたのに
ぜんぜんできる状況じゃない。ワンオペ育児になってしまってる。
裁量労働制でも入ってくる仕事は調整できなくて忙しいって本人は言っている。
出産前には収入の多い少ないにかかわらず対等に、協力してやってきたが
夫が働くより私が働き続けた方が良いのになあと思ってモヤモヤする。
こんな不満が内側から湧き上がってくるとは思わなかった。
たとえば、妊娠出産、産後育児は自分の計画通りいかないことが多く
胎児の状況や生まれた乳児の体調など一切コントロールできないことが多い。
そして生物学的女性にしかできないことが出産前後の女には沢山あり
夫に代わりにやってもらうのは無理なことばかりだ。
そんな時に金銭面の心配をしなきゃならないのは結構ストレスである。
上昇婚であればこのようなモヤモヤは一切生じないと思われる
男が専業主夫になればいいんじゃない?って意見には賛同できません。子供持つまでは、それもありかな?と思ってましたが。
私の年収が1000万であってもです。
年収が高いと、産休育休中、収入が減るのに住民税は高いままです。夫が主夫で産休中の収入がないのは問題外です。
出産は命がけです。妊娠中に仕事して流産した友人も多くいます。私も早期胎盤剥離で死にかけました。子供もかわいそうです。
だから、子供を持つなら女性が仕事をセーブしても安心できること、出産を機に身体を壊し前のように働けない場合でも安定して生活出来ることが重要です。
上方婚で男性が働いている場合にはこれらの点がクリアできるので安心でしょう。
私は子供を不幸にしないように夫を叱咤激励し折り合いをつけて生活していこうと思います。
個人として上方婚の方がいいなんて当たり前だろ(笑)。「批判」ってのは社会全体では辻褄が合わないって話だよ。ここまで純度100%の馬鹿は久しぶりに見た。笑いすぎて腹痛い
笑っていただけたようで、なによりです。
社会全体で辻褄が合わないので、女性の上昇婚は困るという意味、だけではなく
多くの女性に改めて、下方婚について考えていただきたく思い経験を記載しました。
あくまで仕事を給料に変換するスキルが低いという意味と捉えていただいて構いません。
『個人としては上昇婚の方がいいなんて当たり前。批判ってのは社会全体では辻褄が合わない』
という意味で決して上昇婚を目指す個人を非難している訳ではないようですので
女子のみなさんは、ぜひご自身のために遠慮せず上昇婚を目指してください。
こんな文章書く人は管理能力低い。他人を見切ったようなこと言える頭とは思えんな。/ 下方上方関係なく、激務同士が結婚したって相手にはタッチできないというただそれだけ。心も技術もないのは結婚に向いてねーよ。
「下方上方関係なく、激務同士が結婚したって相手にはタッチできない」
「相手にはタッチできないという」言葉は日本語としての意味がよくわかりませんし、
他人を見切ったようなこと言える頭とは思えんです。笑います、すみません。
閑話休題。
激務同士でも、夫が私以上の給与、お金を稼ぐ能力があれば私は自分の仕事に全力を注ぐことを諦め、
時短で勤務時間を最大限減らすことを検討してもいいと思います。
しかし、下方婚では申し上げた通りそれは難しいので家事も育児もやって仕事もする必要が出てくるのですよ。自分の自分が出産する側でないなら、別になんとも思いません。
また、コメント見ていると、私の夫評価をご自分に言われたかのように捉えて
反応している方が多いように見受けられます。
そうとらえないでいただきたいです。
皆さまを下方であるとか、皆様の給与がやすいのは能力が低いからだと
もうしあげたいわけではありませんので!
哲学なのか医学なのか、分野はよくわかりませんが昔から「人の心はどこにあるのか」という議題があります。
「心が大事だよ」というジェスチャーをするとき恐らくほとんどの人は、胸を叩いたり、指したりすると思います。でもそこにあるのは心臓で、心はないですよね。
「そんなことは分かってる。皆イメージでやってんだよ!」
ごもっとも。心というのはつまりは感情や意思のことですから、当然脳にあるわけです。でも脳を指してもしっくりこないので、胸に手を当て考えるわけです。
では、魂はどうでしょうか。
そもそも「魂は存在するのか!?」という議論もありますが、ここではその辺はフワッとした概念的な感じで話を進めます。つまり、"職人魂"だとか"魂の一球"みたいな感じの魂です。これも脳にあるのでしょうか...うーん、いまいちしっくりきません。
私が思うに魂とは「そのものをそのもの足らしめている一番重要なもの」なのではないでしょうか。「画竜点睛を欠く」の「点」ですね。...答えは闇の中。
閑話休題。
日本人が生きていれば必ず直面する疑問の一つに、R18の謎モザイクがあります。
誤解を恐れず率直に例をあげるならば、乳首。
地上波のテレビ番組や少年漫画などで女性の上裸が映る時、一体どの部分がハレンチ(死語)なものとして規制され、隠されるかといえば、ヘソでもワキでもなく、チクビです。
ではなぜ規制が入るのか。それは「卑猥だから」に他なりません。なぜ卑猥なものが規制されるかと言えば話は簡単で、見た人が性的な劣情を催すからです。つまり、男性でれば勃起してしまうからです。
女性の方はわからないかも知れませんが、意図しない場面で勃起してしまうととても困ったことになってしまうのです。最悪、捕まります。そういった事件を防ぐため、規制がされているのでしょう。しかし、ここで一つの疑問が生じます。
みなさん、おっぱい好きですよね?興奮しますよね?おそらく程度の違いはあれ人類は皆おっぱいが好きです。大好きだと言っても過言ではありません。生れたばかりの頃などは毎食おっぱいを貪るしまつです。嫌いな人などいるはずがありません。
しかし、現実はそうではありません。例を出すならアニメの水着回やテレビの温泉リポート。それどころか、なんですかマイクロビキニとか貝殻とか、挙げ句の果てには絆創膏!何も隠れていません。胸部の99%が露出しているではありませんか。
では隠れている1%がどこかと言えば、それが乳首です。つまり我々は乳房ではなく乳首におっぱいを感じ、恋い焦がれ、興奮していると。となれば、仮におっぱいから乳首を分離し、乳首だけを皿に盛って「どうぞお納めください」と提供されても興奮できるということです。
.....ダメだ!私には出来ません。どれだけ乳首を山盛りにしてもフルコースにしても興奮できるビジョンが浮かびません。これ、凄く不思議じゃないでしょうか。
規制されている卑猥なものはおっぱい全体ではなく乳首だけなのに、それ単体で提供されても意味がない。だとすれば我々は一体おっぱいのどこに魂を感じているのでしょうか。
画竜点睛の意味で言えばもちろんそれは「乳首」なのでしょう。故事に言う「おっぱい乳首を欠く」ですね。しかしそれだけでは不十分。いくら乳首がたくさんあってもそれがあるべき乳房がなければ意味がありません。つまり乳首が魂の居所ではなく、乳房に乳首が付いて初めて魂となりうるのです。とするならば魂とはどこかにあるものではなく、存在そのものなのです。人であれ、芸術であれ、それを構成する必ものが揃って初めて魂へと昇華するということなのです。
以上のことから、おっぱいの魂は、乳首にも、乳房にも、ましてや脳にあるわけでありません。おっぱいの存在そのものこそが、我々を魅了し、時として争いをも引き起こす至高の果実そのものこそが、魂であるということなのです。
御静読ありがとうござました。
VRにおいてもアダルトビデオはキラーコンテンツの一つとされているが、
こと実写のVRアダルトビデオについてはいくつかの重大な問題が存在している。
現在のアダルトビデオはVR用語で言うところの「3DoF」になる。
https://www.irasutoya.com/2018/05/vr3dof.html(3DoFのイラスト)
https://www.irasutoya.com/2018/05/vr6dof.html(6DoFのイラスト)
3DoFの映像だと、周囲を見回すことはできても、撮影空間内で動き回ることはできない。
つまり、撮影対象に自分から顔を近づけたり、背後に回ってバックから眺めたりすることは不可能なのである。
余談ながら、視点を自由に動かすような「6DoF」の映像は、大量のカメラを並べないと撮影できない。
「奥行き」情報付きの映像を撮影できるカメラのことを「ライトフィールドカメラ」というが、
VR用のライトフィールドカメラはさながら「カメラで出来た壁」といった趣きである。
https://vrinside.jp/news/lytro-2/
将来的には、壁や天井に大量のカメラが埋め込まれた撮影スタジオが作られるのだろうか。
閑話休題。
よって現在のアダルトビデオでは、男優の一人称視点で撮影されていることが多い。
男優が座っているか寝そべっていて、その頭の位置にカメラがあり、
女優があれこれと絡んでくるあいだ、男優はほぼマグロ、といった構図である。
肝心の部分が視界の外なんだから。
ここに現実のセックスとVRアダルトビデオの本質的かつ決定的な差がある。
現実のセックスであれば触覚が満たされていれば視覚は不要なわけだが、
AVの場合は触覚がないので視覚が満たされていなければならない。
口淫よりも挿入よりも「キス」が最も興奮する、
という極めてプラトニックな状況が立ち上がってくる。
というわけで、VRアダルトビデオはいまだ問題だらけで、よく言えば発展途上にある。
180度だけでも6DoFに対応できればだいぶ違ってきそうだが、
そもそも6DoFに対応しているHMDがまだまだ少ないので前途多難である。
(視点移動はコントローラーでやりたいんだが?とかの問題もある)
この点について言えば、3DCGを使ったアダルトアニメのほうが有望だろう。
今回の東京医科大だけど、女性の社会進出をどう捉えているかが、ブクマから読み取れる。
これは医師に限らない。
女性の社会進出は自己実現を目的にしたものか。それとも、社会の労働力の確保なのか。
この議論が混在しているように思われる。
輪にかけて質が悪い主張として、「女の方が優秀」という自己の願望を投影した風説を流布しようとするのもいる。この議論は上記の2つの混在と別物の、極めて低俗且つバカ丸出しの主張である。が、突っ込まれにくいのは、混乱に乗じて、批判が分散されるからだ。バカに付き合う余裕がないだけであるが、あまり批判がない中でそうした主張を泳がせているうちに勝手に周囲はそれが事実だと勘違いし始める事を狙っているのだから、これは議論を深めたいからというより、扇動しようとしているのだ。
やたら、論文をあげて正当性を主張するが、読めばツッコミ満載だったりして、更にアホだとわかる辺り、どうにかならないものだろうか。 一般いう 優秀 というのは男女関係なくランダムだろうとお思うけどね。
閑話休題。この問題の元を辿れば、ブラック労働で成立する医療システムが源であろう。
詳しくはわからないが、医療システムも元を辿れば、その場しのぎの制度設計の上に成立したというのが関の山ではないだろうか。結果的に、男性医師がやってきたことができる女性医師以外は退場させられてしまう。
そこで、男性と同じ事を女性ができるかと考え直してもらいたいが、産休や育休を含めて見ると、全然無理な話だ。体力をつけるのはメチャ頑張ったらできるかも知れない、代理出産まで含めればできるかもだが、それは現実的でない。つまり、現行システムではどうしてもデメリットとして残る。
一方でその分男性も苦しむ。忙しすぎて家族に会えない。女の3倍働かされるとか、ブラックすぎるでしょ。とはいえ、この状況で最も大変なのは、やはり入学できなかった女性だし、従来の女性の生き方に見切りをつける意識変革を求められる女性医師である。
育休を男性にも義務付けるのはやりやすいだろう。しかし、社会通念的にも男性が育休を取らないのは見過ごされて来ており、現場としても現実的でないので、結局は男性医師は既得権益の受益者として強者に仕立て上げられ、女性医師は弱者としてしわ寄せが来る。
それじゃ、もう少し、余裕のある働き方を実現する仕組みにすればと思う。定員増だ。でも、しない。人口減少するからというけど、本音は歯医者のように、格差が広がって平均年収は下がる事を恐れてるからだろう。でも、最大の懸念は、破格の年収を得られる場所も出てきて、そこに優秀な人が移るから、年収が良くない大学病院から更に人がいなくなるからではないだろうか。
この定員制限の発想って患者のことを考えてないなと思うし、このやり方が上級国民のやり方と批判されても仕方ないと正直思う。
なぜ、声を上げられないかというと、専門家集団なので、上司に見限られたら出世はできないし、技術も教われないままになるからであろう。
蔑ろにされて来た、プライベートの充実が並立できる仕組みの重要性を真剣に捉え直すと時代に差し掛かっているのではないかと思う。
そのために、男性は下駄は貸されていたのは事実としても、女性の方が優れてるとか、対立を煽る奴にはお前がA級戦犯だぞと言いたい。
僕はミリオンライブが好きだ。
「また新規に常に飢えているミリPのダイマか」と思われるかもしれない。
だが、どうして自分がミリオンを好きなのか、また自分だけでなく、ミリオンが何故多くのアイマスPに好かれているのか、歴史的な経緯について説明したいが、あまり長いのも読みづらいと思うので、言いたいことをざっくり書いていく。
765ASのゲームがあって、少しずつ人気を拡大しながら続編を出したりしてて、ロボアニメやって、DSも出て、少しもめたこともあったけどアニメで知名度が上がって、シンデレラが生まれて、ミリオンが生まれて、sideMも生まれて、アニメとか色々やりながらそれぞれアプリでも展開されて、シャニマスという新しいタイトルも生まれました。←いまここ
どれを好きになってもいいし、気が向かなければ触らなくてもいい。もちろん、全部楽しんだっていい。
そんなの、言われるまでもなく大半の人はわかってると思うけど、一応書いておきます。
また、自分が好きじゃない(詳しくない)他のタイトルをバカにしたり貶したりする権利もない。
超当たり前のこと書いてごめんね。
閑話休題。
好きな理由なんて人それぞれでしょ。
僕は箱Pです(アケも触ったけど)
なので、765ASはずっと好きです。
みんなまとめてアイドルマスターの由来である団結という曲もリアルタイムで聞いていました。これは箱マス時代の765プロを歌った曲です。※2010?ややこしいから無視!
そして、最近公開されたunion!!という曲は、ミリオンにおける765プロを歌った曲です。
同じようでいて、この2曲は全然違う曲です。
前者は歌詞では仲間だもんげと歌っていますが、この時代のゲームでアイドル同士の絡みはほとんどなく、プロデューサーとアイドルの二人三脚で頑張るゲームでした。※一応ユニットでプロデュースできた?CDドラマでは絡んでた?ややこしいから無視!
だから、みんな同じ事務所の仲間だけどバラバラというか、各々のトップアイドルへのストーリーがある。
そんな個性豊かなメンバーが765プロなんですよ、そんな曲でした。
後者はミリシタがリリースされてからの1年を直球で歌っていて、グリマスからの5年間のことも暗喩しています。
仲間との絆や思い出、そしてみんなで目指す夢について歌った曲です。
ミリオンライブにおいても、もちろん個々でトップアイドルを目指してはいるんだけど、Pとアイドルが53人54脚で目指している印象が強いです。
でも、どっちも765プロの団結を冠した曲なんですよね。
そして、この2曲が全然違う曲であることが、僕がミリオンライブを好きな理由です。
765ASだけの世界だったら、union!!は生まれませんでした。
765ASがない世界では、ミリオンライブは生まれなかったでしょう。
僕は、765ASの世界に、37人と2人が加わって変わった世界が好きです。
ただ、僕はこっちが肌に合っただけです。
765ASは後輩(※グリマスではほぼ同輩?ややこし(ry)を得たことで、先輩アイドルとして、さらなる飛躍を遂げようとしています。
シアター組は、少なくともミリシタ世界線ではまだまだ、アイドルとしてこれからです。
これをミリオンライブに感じるわけですよ。
だから好き。
この先の物語が見てみたいし、成長した52人が見てみたい。
他のPの好きな理由も機会があれば聞いてみたい。
担当が可愛いからとか、曲が好きだからとか、ライブが好きだからとか、今流行ってるからとか、声優さんが好きだからとか、アイマスが好きだからとか、もっと想像もつかない理由が飛び出てくるかもしれない。
色んな人が僕の好きな作品を楽しんでいると思うと嬉しい。
だから、最近ミリオンライブの話をよく聞くようになって本当に嬉しい。
ミリオンを好きなお仲間さんたちは、もっともっと好きを発信してほしい。
昔話くらいしかできないクソジジイだけど、頑張ってアンテナ張って聞きに行くよ。
余談:なぜ僕がこれを書くに至ったかというのは、わざわざ説明するまでもないと思うので、古参の765老害兼グリマスからのミリPとして、今後のミリシタのますますの発展をお祈りいたします。
少し前のお話です。梅雨明け宣言とは何だったのか。データとしての気象情報は、しっかりとチェックしていますが、天気予報は鵜呑みにしないようにしています。雨の量、日照、気温の上昇と生育やそれを阻害する要素となりうるので、発表ごとにチェックしています。天気予報の発表は、朝5時、11時、夕方5時の3回です。雨雲レーダーやアメダスの統計は1時間ごとです。気象庁発表のデータは、2から3日単位の気象の予想と気温の確認に使っています。直近の雨のデータは、XRAINでチェックしています。雲は西から東へ流れるのが、セオリーです。この流れが南から北、東から西のように流れているときは、異常気象が発生する可能性が高いです。話題の線状降水帯が現れるときも雲の流れがおかしいときがほとんどです。
閑話休題。1週間目を離している隙に浮き草が大量発生していました。春に錦鯉屋さんでメダカの生体を買ったときにほんの一つの浮き草が付いてきたのを確認していました。これがこんなに増えるとは。一つでも残っているとネズミ算式に増殖していくので、手とすくい網で丹念に取りました。1→2→4→8→16→32→64→128→256→512→1024と増えていきます。倍になるのに7日かかるとすると最初に買ったときから10週間なので、手に負えない数になっているわけです。増えるときの数が倍ではなく、3倍や4倍だとすると、もっと早く手に負えなくなります。
スネイルさんもあれだけ取り除いているにも関わらず、どんどん目の届かないところでどんどん増殖しています。これだけ勝手に増えるので、目についたら除去、透明なタマゴも除去の方針で間違いなかったです。水換えをした水槽にこびりついているので、水換えごとにまとめて除去している感じです。容器を洗って流すか、天日干しして除去です。レッドラムズホーンも増えていますが、スネイルに比べるとゆっくりです。
そもそもどうして低能先生はこんなに増田に執着していたんだろう。
なんで1日にIDを3回も5回も取り直してまで投稿を続けていたんだろう。
どうして自分を罵倒する相手に対してバカ丁寧に返信を続けていたんだろう。
こんな意味のわからないキチガイがどうして生まれてしまうんだろう。
その歪んだ動機を理解しない限り同じ様な事件が二回起こるのを防ぐのは無理だと思うし、何をやっても徒労に終わるだけだと思う。
自分は昔、低能先生と同じことやってたから、その気持ちが少しだけ分かるんだ。想像の範疇でしか無いし、この後あるであろう供述と全然違ってたらそれでいいんだけど、彼のことについてあれこれ考えている人がいて、仮にその助けになれたら幸いに思う。
中学生の頃、2chの某スレに張り付いて1日100回近く書き込むのを年単位で続けていた、あるいは某ネトゲのSNSにずっと張り付いて毎日顔真っ赤にBBS戦士をやっていた、小学校で引きこもりになって高校は中退して今はヒキニートやってる惨めな人間の昔話。
結論から言えば、「いじめられっ子がインターネット上に自分が昔いじめられていたのと同じ教室を作り出してかつてのいじめっ子も創出して彼らを苛々させる事で昔のいじめっ子に対する歪な復讐を続けていた」以上の話は無いと思うんだ。それだけで彼の異常な執念も奇妙な行動方針も殺人に至った経緯もその対象がhagex氏だったのも全部当然の結果として出てくることだと思うけど、まぁいいや、説明のために昔実際にあった似たような事について少し話させてほしい。
某スレにほぼ同一の内容を書き込むのを最初は1日に30回くらいのペースで始めてから、1日何件か反応があった。でもそれは全部、「なんか変なの湧いてんなぁ」みたいなもので、自分が求めてたものじゃ全くなかった。当然のなりゆきとして自分はすぐに無視されるようになった。
それでも1週間くらいだったのかな、まぁとても短い期間だったと思う、どんなに勢いが速くったって1日に30回以上も同じようなレスを続けてたら自分の存在がスレ住民に周知されるには早いものだった。
スレッドが自分を起点にして勝手に荒れ始めていった。自治厨達がNGしろと言い始めて、それを見て面白がって自分にレスをつける奴がいて、自治厨達が憤慨している中相変わらずのらりくらりとまるで何の話も起こっていないかのようにいつもの調子でレスし続けて、当時の人生では一番楽しい時間だった。でもそれはスレッドを荒らすのに成功したからなんて楽な理由じゃなかった。一個だけ絶対に守っているルールがあった。それは「延々と書き込み続けるけど自分からは誰にもレスしない、どんなに腸が煮えくり返ってもレスしない、でも自分にレスが来たら肯定的であれ否定的であれ絶対に返信する」という決まりごと。なんでそんな意味不明な事が大事なんだって思うかもしれないけど、いじめられた経験しか無い自分みたいな人間なら分かるんじゃないかな。
そもそもどうして他人を苛立たせるような行為をするのかって、そんなの学校でいじめられた人間はそうなるからに決まってる。あの時の復讐をどうにかして果たしたいからに決まってる。でもいじめっ子はもう目の前にいない。じゃあどうすればいいのか。作ればいい。
「世界の人間は誰もが自分を蛇蝎のごとく嫌うはずだ」という強烈な信念を幼少期に植え付けられているせいで、自分が嫌われていないという世界が想像すら出来ない。自分が嫌われていない空間から不安で逃げ出したくなる強迫性障害まで抱えるくらい、いじめられっ子の心は酷く歪む。だからそれを再確認するために、「自分はいじめられているはずだ」という信念の側に世界を補正するために、他人が苛々するような事を書き続ける。そして「存在しているだけ」の自分に危害を加えるいじめっ子と同じ存在を大量に自分で作り出して、自分は言葉でしか反撃しないし自分から危害は加えないという酷く奇妙な正義を伴った行動方針に従って、そして現実の教室とは違ってレスの記録が全部残るから、「自分は何も悪いことなんてしていないし最後まできちんと言葉で言い返しているのにあいつらはみんな逃げるか通報して垢BANするなんて野蛮で低脳な手段しか知らない」という歪んだ形の勝利を収める。
そういう動機。
凄く幼稚なことだと思う。そうなんだ。幼稚なんだよこれは。でも実際こういう人間っていうのは発生してしまうものなんだ。自分もそうだったし一歩間違えてたら低能先生氏と同じようになっていただろうと思う。というか昔同じことやってたし。
いじめられて学校を辞めた奴やいじめられる側しか経験しなかった人間っていうのはその歪んだ価値観と顔も名前も覚えてない同級生への復讐心だけを脳味噌の全部にされたまま小学生の心を抱えて残りの生涯を何十年も惨めに過ごすんだ。
大昔に学校の教室で受けた怨みを、学校の教室と似たような空間を見つけて、あるいは作り出して発散する。その仮想教室の広さは、デカければデカいほどいい。自分をいじめていた人間たちがひょっとして増田ユーザーになっているかもしれないし、どの道、自分をいじめいてた奴らと全く同じ様な人間が歯がゆく苛つき続けているのは最高の愉悦だから。
ちなみに、該当スレッドでは自分に非常に侮辱的な通称がつけられた(いや最初につけた人間は愛称のつもりだったらしいんだけどさ)。低能先生氏がその侮辱的な通称を全く気にしていなかったどころかそう呼ばれるのを喜んでいたのと全く同じように、自分はその侮辱的な通称をとても気に入った。他人から侮辱的な名前をつけられて呼ばれるということは、そっくりそのまま自分を虐める人間が苛々してくれているという事の裏返しだから。いじめっ子に対する復讐になるから。通称は侮辱的であれば侮辱的であるほど良い。苛々してそんな風に呼んでくれるだなんて本当にありがとう。
これは本当に憶測になるけど、彼がそもそも「低能」という罵倒を使い続けたのは、匿名ダイアリーでありながら自分を特定個人として認識できるようにする意味合い以上に、そのワードで自分に侮辱的な名前をつけさせて相手を見下すという物凄い歪んだ動機がどんなに無意識的にでも少しはあったんじゃないかと思う。
これはいじめられっ子の歪んだ復讐で、この時点で物凄く歪んでいるんだけど、更に歪んだ、いじめられっ子の側が絶対に犯してはいけない、自分で遵守しなきゃいけない、絶対的なルールがもう一つあるんだ。
教室の中で存在感を高めるように大量にpostし続けるし、自分にレスした人間にはそれが肯定的なものであれ否定的なものであれ絶対に返信をするけれど、その代わりとして、「自分にレスしない無関係な人間には絶対に危害を加えないこと」。これは守らなきゃいけない。
「自分に勝手に苛々しているのはお前。人に勝手に苛々して危害を加えるような人間は全部邪悪。自分は邪悪ではないのでレスバトルは醜いけど無関係な人間には危害を加えないからまだ高尚」という信念を貫くのが何より大事。たとえその「勝手に苛々しているお前」が実際には自分を除いた全ユーザーであっても、全ユーザーが苛々する状況を引き起こしているのを自覚していても、あくまで勝手に読まれて勝手に苛々されて無視することも出来ないで勝手にレスをつけてくれるのが大事。容姿や行動が気持ち悪くて教室でいじめられるって本当にそういう事だから。そして一回でも自分に危害を加えたなら先にやったのはそっちだからその後いくら粘着しようと悪いのはお前。心から謝るまで絶対にやめない。
マジですっげえ惨めだけど、その程度の惨めさなんて現実の惨めさと比較したら全くどうでも良いくらいの人間だからそんな行動に走るんだ。少なくとも自分はそうしてた。低能先生がどういう方針だったのかは知らないけど、まぁ多分1回でもはてブのコメントで煽られたら標的にしてたんじゃねえの。
それでなんでhagex氏が殺害のターゲットに選ばれてはてなの人間まで殺されそうになったのかって話なんだけど、いじめられっ子は心の中でしか復讐しないし、出来ない。言葉で言い返そうとしたのに相手はきちんとした返答をしないで馬鹿にしたり殴ったりしてきた、あいつらみんな馬鹿だ、そういう価値観がいじめられっ子の根底にある。無視するどころか発言する機会を奪う人間はただ嘲笑する人間よりも遥かに最悪に映る。ましてや通報するのを助長する記事を書く人間なんて、彼の目には殴って口を塞ぐいじめっ子と本当に同じように映っただろうよ。hagex氏が選ばれたのは偶然でも適当でもないんだ。彼は低能先生氏から言葉を奪う行為の手助けをしたんだ。
集団通報で垢BANを続けるのは、人を殴って黙らせるのと全く同じ行為なんだ。いじめられっ子の目にはそう映るんだ。そして殴られながら心の中で醜悪に笑っている。こいつらは言葉で言い返せない頭の悪い人間だから垢BANするしか出来ないんだって。
低能先生氏にとって、垢BANされ続けたのも正直愉悦だっただろうさ。ああ、やっぱりこいつらは殴るしか出来ないんだ、そして俺は基本的に言葉で返信を続けているし、最悪殴るときでさえ報復しかしないから偉い。IDコールであれ、粘着的にトラックバックをつけるのであれ、罵倒されたのだから当然のものとして言い返すだけ。あっちから勝手に罵倒してきて言い返しているだけなのに集団通報をして言葉以外の手段で排除しようとするいじめっ子なんかより出来るだけ言葉で話を続けようとする俺の方がずっと高尚で偉い存在だ。
なあ、実に惨めだろう。でもいじめられっ子ってそういうものなんだ。自分がそうだから分かるよ。
そうやって歪んだ復讐を続ける事が自分の人生に折り合いをつけて自殺も犯罪もしないで生き続ける最後の支えだったのに、hagex氏が「通報するとほぼ即BANに近い効果がある」という事を広めてしまってから、低能先生氏が最低限まともに発言出来ると思えるラインを越えてアカウントがすぐに削除されるようになってしまったのだろう。(hagex氏の該当記事には「低能先生です」とだけ書いて通報したら3分でBANされたってまで記述まであるしな。)現実どころかインターネットの上ですら言葉を奪われた。現実に最早存在しない彼にとってそれは殺されたのと同義だっただろうから、同程度の報復として殺害を選ぶのも十分想定される成り行きに思われるし、殺害後すぐに出頭したのも、どういう経緯であれ言葉でなく手を出す地平に落ちてしまったからには自分も報いを受けるという彼なりの義理を貫いたのだろう。死刑にはなれないだろうし、自殺しておいた方が良かったと思うが。あるいはインターネット上で既に殺されているのだから当然の報復を行ったまでで出頭してる分だけまだ偉いとか思ってるかもしれない。
hagex氏の記事がどの程度アカウント削除に効果があったのかは、分からない。だけど低能先生氏にそのように映ったのであればそれだけで復讐の対象になるには足る。
なあ、真面目な話、「匿名ダイアリー」の名前を冠したサービス内であるにも関わらず、「発言内容が特徴的なため同一人物に思われる、発言回数が多いだけの個人」を、その発言内容の如何を問うたり口できちんと言い負かすのでなく集団で通報して口を塞ぐなんて酷い行為を正当化出来るか?自分には出来ないと思う。確かに彼が垢BANされたのは彼が規約違反に相当する暴言を繰り返していたからだが、「低能」って言った程度で垢BANされるってんなら一体何%の増田ユーザーがBANされないで済むってんだ?はてなサポートは低能先生氏に同じくらいの暴言を投げかけたユーザーのIDはきちんと平等にBANしていたのか?低能先生も恐らく通報していたんだろうとは思うが、その通報にはちゃんと同じレベルで応えてたのか?「低能」でBANするからにはバカとか死ねとかでもちゃんと全部BANするんだよな?というか、BANし続けてきたんだよな?まぁ全部してこなかっただろうし、そもそも出来ねえよな。知ってるさ。だって低能先生氏の罵倒と同レベルの発言を行っただけでBANするようにしたらこんなサービス誰も使わなくなるからな。別に低能先生氏に限った話じゃなくここいつ見たってマジで罵詈雑言ばっかりじゃねえか。それにも関わらず殆どBANされない。だけど低能先生氏についてだけはユーザーの大多数からの通報があったから特例としてBANし続けた。結局はてなは、自分たちのコンテンツの存続のために、自分たちの利益のために、一人の個人を不当な基準でBANし続けてきたってわけだ。正直この件はどうやってもはてなサポートと増田ユーザーが連携した極めて悪質なネットリンチにしか見えないしましてやそれを加速させたhagex氏には微塵も同情できない。
第一なぁ、人の発言機会を奪うのに加担しておいてなぁ、立派な当事者になっておいてなーにがネットウォッチだよ。それとも「僕は単に低能先生って書いて通報するだけで凍結してくれるって記事を増田じゃなくてはてブロにpostしただけですよ~」って建前で第三者のウォッチャーだって言い張ってたつもりだったんだろうか?もう同レベルの人間達が子供じみた喧嘩してて一方が数の暴力と非常に陰湿な方法で相手から言葉を取り上げるのに成功したから報復として一人刺されただけだよこんなの。学校の教室でいじめっ子が刺されたのとマジで何が違うんだよ。あとhagex氏の普段の芸風もちょっと見させてもらったけど本当に同情のしようがないわ。普段からこんな発言繰り返してる奴に垢BAN速度加速されてトドメ撃たれたんならそりゃ刺すわ。いじめられっ子なんて何十年経っても根に持ってるくらい怨み深い人種なのに大昔に1回言及しただけだから自分は標的にならないだろうと思ってリアルで公演するなんて馬鹿じゃねえの……。
そしてhagex氏の死の責任の所在がどこにあるかと言われたら、間違いなくはてな、特にBAN方針だと思う。
低能先生と同レベルの罵倒が跋扈してるこの場所で、特定の個人を狙い撃ちして垢BANを続けて、恐らくは低能先生側からあったはずのBAN要求には全く応えず、ネットリンチに加担したはてなの運営だと思う。
こんなサービスをやってる時点で低能先生みたいな人間が遅かれ早かれ出現するのは止めることが出来ないし、現れたが最後、5chと違って完全に野放しというわけにもいかない。5chは個人情報とかについては発信元開示や削除を簡単に行ってくれるけど、暴言や誹謗中傷、名誉毀損について対応しなくて済むのはいくら訴えられても困らない体制だからだ(管理人がひろゆきじゃなくなった後にどうやって訴訟や賠償金を逃れてるのかは知らんが)。暴言や精神的被害程度を理由に発信者情報開示請求をされたくらいで何かしら対応しなきゃいけないような国内の企業がこんなサービス始めた時点でこういう事がいつか起こるのは当たり前だし、というかもっと言うなら低能先生氏は年単位であんなことやってたのにのらりくらりと適当に特定個人を狙い撃ちにした垢BANだけして他の罵詈雑言は放っておいて、その間に当然行うべきだったBAN方針をより明確にする、低能先生氏を訴える等の処置を全くしなかった。まぁどっちもできねえけどな、繰り返しだけどやったら誰も使わなくなるから。そんで今回はhagex氏がたまたま垢BANを加速させたから身代わりに死んでくれたが、これじゃどの道はてな社の人間が誰か死んでただろう。結局今回の件で人死に出した原因はお前らだよ。あぁ、これがはてなへの名誉毀損になるっていうんなら訴訟でもなんでもどうぞ。事実でも名誉毀損は認められるから。
増田を使ったのは初めてだったのだけど、こんなにも「忙しい」ものだとは思わなかった。
調子に乗って色んなエントリ投げたら全部トラバがついてるか確認しなきゃいけないし、トラバがついていたら返信しなきゃいけない(これは自分がちょっと他のサイトの文化に染まりすぎているのかも知れないけど。そしてこれは本文とは関係ない)。
部外者の自分がこれ以上書いても仕方ないと思うし何より時間が食われすぎるのでこのエントリからは退散します。もう流石になんか1個勝手にわちゃわちゃやってるの以外はトラバつかんと思うけど、万が一ついたら返信は多分します。
論点を整理しておきたい。
先に筆者の立ち位置を説明しておくと、賛否両論の、どちらかといえば否の方の人だ。
まとめ主の主張はこうでしょ?
①「金をもらったくせに、祝意を受け取らないとは失礼だ」
②「金をもらうというのは公権力と潔く距離を保つことにはならない」
この主張のうち、①には全く賛同しない。
②は同意ってことはないけど、そう思う人だっているかなぁ?程度。同意率10%
そう思っているたくさんのブコメが否の意見を付けてることを明記しておきたい。
(と感じたんだけど、否のブクマさんそうですよね?違ったらごめんなさいえへへ)
みたいなのが人気ブコメになっていると、もやぁもやぁってする。
祝意を受け取るってことが、言いなりになるとか、指図を受けるってことにはならないと思うのだけど
そこのところどうよ、みなさん。
あと「安倍政権の人気取りには与しないってことだ!」みたいな意見もあるけど、
「是枝監督に祝意を届けるなんてさすがは安倍政権!次の選挙で入れちゃうもんね」
って感覚に全然ならねぇ、全くならねぇ。官僚どもが不正ばっかしてんのに何で厳しくつっこまねぇんだこのdotekaboty
カンヌの山田孝之を見て知ったけど、カンヌ映画祭のパルムドールってすげえ賞なわけじゃん。
(相手のゴールにシュゥゥゥーッ!!)
それに対して祝意を称するって別に時の政権がしたっていいんじゃないの?
昔からしてるわけだし、日本に限らずどこの政府でもしてるわけだし、なんかフランス人の怒ってたし。
変に捻くれなくても、素直におめでとうって言葉を受け取ればいいのにって思ってしまう。
おめでとう?お前に言われてもうれしくねぇよ!!死ね!!
同僚が結婚したって聞いて、何気なくおめでとうって伝えて、お、おうすまねぇってなった気分。
念のためもう一回言っとくと、助成金を受け取っても、政府の言いなり感はないし、政府と距離を保ていると思う。
じゃんじゃんもらったらいい。そんで、政権批判バンバンしたらいい。
それはなんも批判されることはない。批判しているやつはおかしい。
そう理性では感じている(理性で感じるとは何だ)のだけど、なんか僕が違和感を感じる(トートロジー最高)のは、
公権力!なんて人生で使ったことないし、潔くっていうと、一切俗世との関わりを絶ってます!!て感じがする。
攻撃的で喧嘩腰で、距離を保つというより、もう日本政府とむっちゃ距離を取ってます!!みたいな感じがするのに、
悪そうなやつとはだいたい友達なくせに、ラブアンドピースって歌われても……みたいな。
あぁでも”悪そう”だから、実際悪い奴じゃない可能性もあって、それはいいのか。
この悪そうなって歌詞のミソを今知ったわ。KJすげぇ。
7月放送予定のドラマ「幸色のワンルーム」を関して、肯定派と否定派で激しいやり取りが行われている。
この件に関しては、Togetterなどで確認できるので、興味があれば確認してほしい。
事前に立場をはっきりさせておかないと非常にややこしくなるため、初めに宣言を行わせてもらうことにする。
・漫画の内容について:非常に考えさせられる、変に批判する前にきちんと読み込んでほしい
・ドラマへの抗議について:不当、どちらかというと後述する理由で放送したうえで社会に訴えるべきである
書籍になる際に若干ストーリーの修正が行われており、かなり考えさせる内容となっていた。
幸色のワンルーム - pixivコミック | 無料連載マンガで公開されている無料分だけ読んでもらってもわかるように、
主人公の幸は親、教師、同級生などから虐待、性的要求、いじめを受けている。
家と学校というのは学生にとって世界の7割近くを占める程依存度が高い空間であるのだが、そこに彼女の居場所はない。
先日、5歳児の虐待死の事件が報道されたが、あれとかなり似通った状態にまで追い込まれていたことになる。
そんな時に、その世界から連れ出してくれる人間が現れたら、幸と同じ選択をする可能性も出るだろう。
作品・ドラマ化の批判者は、「そんな白馬の王子の模倣が出る」或いは「他の誘拐された子供も
実はこのように幸せだったのではないかと錯覚するものが出る」といった的外れな意見を持ったようだ。
流石に誘拐したいとかいう怪しいお兄さんについていって今より状況が好転すると考えるとは思い難い。
もしそんな判断をするような、虐待を受けている児童は自分の置かれた状況がフラッシュバックし、
この話を読む余裕などないだろう。
このドラマについてはもっと話題にするべきだと思われる点は、幸ほどではないにしろ社会から
だが悲しいことに民事不介入などの要因もあり、明らかに虐待の痕跡が見つからない限り児相も
警察も役には立ちにくい。
ましてや学校内の教師からのセクハラ、性的虐待、同級生からのいじめ、性的暴行などはかなり
隠されているものもあると思われる。
物語では誘拐犯によって救われてしまってはいるが、本来は誘拐犯ではなく、しかるべき公的機関が
救ってあげてほしいのだ。
ただ、予算が少なく職員も確保しにくいために稀に救いの手からこぼれてしまうこともあるのがつらい、
もっと動きやすいように職員の数を増やしたり予算を組み込んで取り組むべき問題なのだ。
批判してドラマを取りやめさせ、子供を虐待の檻に閉じ込める人々の言葉など聞く必要はない
きちんと作品もドラマも許容したうえで、「こんなに優しい誘拐犯は現実にはいないけど、
代わりに救ってくれる公的機関はある。だから虐待におびえないできちんと相談してほしい。」
そういうメッセージとして使っていくのがよいのではないだろうか。
性犯罪を形容する言葉として「魂の殺人」というものが用いられているのをよく見る。
数年前に私が初めてその言葉を見たときもその用法で使われていた。
#Metoo運動もまだなく、ジェンダーについての議論もそれほど活発ではなかった頃。その時私は、この言葉は虐待を形容するのにもドンピシャだなと思った。
自分の中のごちゃごちゃとした気持ちが正しく簡潔に表されるというのは気持ちがいいもので、こんなに的確な言葉を使うことができて羨ましいと思った。
その「魂の殺人」が元々児童虐待を表す言葉だったと知ったのは最近のこと。
アリス・ミラーというスイスの心理学者の著書だ。彼女は児童虐待について研究していたらしく、この本もそのことについて書かれているらしい。
らしい、という言葉遣いからお察しの通り、私はこの本を読んでいない。読んだらものすごくスッキリするか、ものすごくしんどくなるかのどっちかだろうなと予想できるからだ。こういう予想ができるだけに、それが大外れして何も変化がなかった時の落胆も酷そうだから今は読みたくない。
閑話休題。
「魂の殺人」というのは邦題で、原題は"For Your Own Good" 英語は得意ではないから自信はないけれど、さしずめ「あなたの幸福のために」といったところだろうか。
原題とかなり違うので気になって文中検索をかけたところ、確かにアリス・ミラーは"murder the child's soul","psychic murder","Soul Murder"という言葉を使っていた。さらに、彼女よりも先にモートン・シャッツマンという人が"Soul Murder"というタイトルで教育熱心な親による子供への迫害について綴った本を出版していたことも分かった。こちらの本も「魂の殺害者」という邦題で「魂の殺人」よりも後に日本で出版されている。
「魂の殺人」の訳者は「あなたの幸福のために」よりも「魂の殺人」(≒"Soul Murder")のほうがよりインパクトがあり、より虐待について書いたことが分かりやすいと判断し、そちらを邦題に選んだのだろう。
「魂の殺人」という言葉は、この本が出版された1983年、虐待を意味する言葉として使われたのだ。
元は幼児虐待を形容するための言葉だったと知って、深く納得するとともに、自分の道具を取り上げられたみたいな気持ちになった。
私は性犯罪被害で苦しんだことはないから分からないが、私が最初にその言葉を見た時みたいに、性犯罪被害者の人もドンピシャだと感じて使うようになったのかもしれない。自分の魂はソレによって殺された、と。
もちろん、偶然という可能性もある。1983年よりも先に別の人が性犯罪を形容するために使っていた可能性だってある。
私が今後虐待を形容する言葉として「魂の虐待」を使用しても何ら問題ないし、使うなとまだ誰かに言われたわけでもないから「取り上げられたみたいだ」という気持ちは完全な被害妄想だ。けれどもう既に私の中では「魂の殺人=性犯罪」というイメージがついていたから、私と同じくそういうイメージを持った人に何か言われるんじゃないかと思ってしまうし、とても使いにくい。
「被虐待児のための言葉だ」とか「(だから)使うな」言う気は毛頭ない。言う権利もない。けど、やっぱり使われている場を見ると少しモヤモヤしてしまうようになった。
かねてより、ジェンダーについての議論が活発になされている場を見るたび、虐待についてももっと世間の目が行けばいいのになと思っていた。その羨ましさと、この「魂の殺人」という言葉をめぐっての私の色んな気持ちが混ざってゴチャゴチャしている。
とりあえず、
『ある心理学者は、幼児虐待を"Soul Murder"と形容することにし、
いや、実際のところ、ベストセラーはやっぱりすごい。こどもの感性にピッタリフィットした場合、誇張抜きで100回ぐらい読むから「これで1,000円? 激安やな!」って思うんです。
以上、1歳から2歳の成長過程でこどものハートを盗んだ順。このへんは、もう、ほんと聖書と書いてバイブル。
一方で、お散歩ついでに図書館で本を借りるときは、ディスプレイされている絵本を気楽にポンポン借りる。2週間に1回、5冊借りて帰るとして、1年で100冊超。そうすると、もし本屋で見かけたら「誰が買うんや、この絵本」と思うような一冊が、こどものハートをがっちりつかんで離さない、ということがあるわけです。
前置きが長くなってしまった。というわけで、あらためてバンドメンバーの紹介させてくれ。
トリスウィスキーのキャラクターでおなじみ柳原良平のベストセラー絵本。シンプルな絵で人間のいろいろな表情を描く。
前置きの趣旨だと「ちょっとマイナーな絵本を紹介します」って感じになると思うじゃろ?いきなりベストセラー絵本です。だって、こどもが気に入ったんだから仕方ない。
自分が小さいころ読んでもらってなかったので「あんまり絵が好みじゃないな」と思って買わずにいたけど、借りて読んだらこどもがドはまり。内容が面白いのではなく、読んでる大人が絵本の表情をまねる顔が面白いだけ、という声もあります。
ところで、この絵本を読んだことのあるお父さんお母さんにききたいのだけど、「かなしいかお」と「ないてるかお」って同じにならない?ワイの表情筋が死んでるだけ?
ゾウやトラ、ライオンなどの動物の顔や体を、実物大の写真で見せる動物図鑑。
2冊目にして、絵本ですらない。でも、こどもが気に入ったんだから仕方ない。自由に書くのがおれのインターネットだ。
閑話休題。よくあるかわいらしいイラスト調の図鑑(これはこれで楽しい)だと、ネコと区別がつかないトラやライオンも、この図鑑だとシッカリハッキリ大型肉食動物。「こいつに首をかまれたら死ぬな」という雰囲気が、近所の動物園で遠巻きに見ているよりもリアルに伝わります。この図鑑を見て以降、こどもはトラのことを「かわいい」とは言わなくなりました。ワニのページに至っては、開くと半泣きになります。
この本はシリーズがたくさんでていて、どれも本当に面白いけど、「ほんとの大きさ動物園」「もっと! ほんとのおおきさ動物園」の2冊が特によかったです。
いないいないばあ!のゴットンのデザインでおなじみ、新井洋行の赤ちゃん絵本。
「何が面白いのか、大人にはわからん」が「しかし確実に赤ちゃんの心をつかんで離さない」系絵本。amazonのレビューにも「息子が11ケ月のときに図書館で借りてきましたが、他の本と食いつきがまるで違い、即購入しました」「図書館で借りたらとてもお気に入りになったので購入しました」と書いてありますが、マジでうちの子もそうだった。他の絵本とは、安いルアーと青イソメぐらい食いつきが違います。この本と「だるまさんシリーズ」と「いないいないばああそび」は、10カ月~1歳半ぐらいまでのあいだ、我が家の主力として権藤権藤雨権藤していました。新井洋行の絵本は他にもたくさん借りてみたけど、これがダントツでよかったです。マジおすすめ。
しかけ絵本。カラフルなお面のページをめくると表情豊かなどうぶつたちの顔が見える。
tupera tuperaの「やさいさん」や「くだものさん」、エリック・カールの「はらぺこあおむし」のような仕掛け絵本の「お面バージョン」をイメージしてください。…THIS IS IT !!(byマイケル)。もしくは、
しかし、上記の諸作品とこの絵本の違うところは、読み終わったあとに各ページを使って、文字通り「お面」として遊ぶことができるところです。これが楽しい。めちゃ楽しい。
こどもも「絵本が読みたい」というよりは「お面で遊びたい」ってかんじで持ってきます。2歳になったばかりの今現在、こどもはたぶん、この絵本が一番好き。
この絵本を読むと、うちのこどもは、絵本の中の恐竜の傍若無人なふるまいについては「きょうりゅうさん、ねないといけないね」とか「きょうりゅうさん、よくないね」と冷静かつ客観的にコメントします。でも、いざ自分が寝室の電気を消されると、絵本の中の恐竜と同じように、小一時間泣きわめき、あの手この手を使って「1秒でも長く起きていたい」と大暴れします。そのギャップが、あまりにもかわいい。かわいいかわいいかわいい!
というわけで、図書館に返却後、夫婦満場一致で即購入しました。これまでの4冊は「こどもが楽しむ絵本」でしたが、これは「読んでいて大人が楽しい絵本」。たぶん、こどもはそこまで好きな絵本ではないです。寝かしつけに悩むお父さんお母さんにオススメ。
書き出すと長くなってしまった。つまり、何が言いたいかというと
ってことだよ。
リストカッターとは、読んでそのままリストカットをする人のことである。
リストカットとは、カッターや剃刀等の刃物で手首を切る人のことである。
所謂メンヘラと呼ばれる人がする行為であると言って差し支えないだろうが、
世間的にはその印象は二つに分かれる気がする。
一つは「構ってちゃん」、
Twitterで「リスカ」もしくは「リストカット」と検索すると、
いかにも自己顕示欲の強そうな、殺しても死にそうにないSNOW盛り盛りの女の自画撮りか、
病んだ雰囲気の絵ばかりが出て来る。
つまり、Twitterにわんさかと居る、鍵も掛けずに「リスカした」と呟く奴らは大体前者に当たるだろう。
もう片方の「自殺未遂」だが、これには少し誤解がある。
本当に死のうと思ったとき、リスカで死のうと思う人間はあまりいないのではないかと思う。
何故なら確実性が限りなく薄いからだ。
包丁で縦一千に血管を掻き切ればまだしも、剃刀で横に一筋線を入れただけではまるで死ねない。
なので、リスカをしている人間に「自殺したいほど辛かった」と思うのは間違っている、と私は思う。
私は自殺願望がある精神科通院者だが、リストカットは自殺願望とは全く関係がないと思っている。
勿論人によって違うので、死にたいと思って手首を切る人も居るだろうが、それは恐らく衝動だろう。
考え抜いた末に「手首を切って死のう」と思う人はほとんどいないはずだ。
それなら首を吊った方が遥かに確実だと思う。見た目は汚くなるかも知れないが、それはそれだ。
まぁこの記事を書いているからには私もリストカッターな訳だが、切る理由はその時によって様々である。
ただ、何故切るに至るかというと、八割が「我慢」、残りの二割は「癖」だ。
先に「癖」について説明しておくと、これはもう単に、腕を切ることが癖になってしまっているだけだ。
大なり小なり理由はあるにしろ、一度切ってしまうともういいかと言う気分になり、傷が増えていく。
完全に悪癖である。
私の場合、ここ4年ほどその悪癖は鳴りを潜めつつあったのだが、三十手前にもなって今更再発してしまった。
一年に一回程度はしていた気もするが、ここまで腕が傷まみれになったのは久し振りである。
一番病んでいた高校生の頃以来かも知れないし、もしかしたらそれ以上かも知れない。
閑話休題。
さて、ここからは、腕を切るに至るまでの八割を占める「我慢」についてを話そうと思う。
切る理由は様々だと先ほど書いたばかりだが、正直に言って、「切ろう」と思うまでの、
全ての感情が「我慢」に繋がるので、切る理由もまた「我慢」なのかも知れない。
私には、病み始めた小学生高学年の頃から一番病んでいた高校生の頃、
果ては三十手前になった今に至るまで、常に存在していた衝動があった。破壊衝動である。
ただ、それを他人にぶつけるのは憚られた。
武器など買えば良かったのかも知れないが、何故だか買わなかった。
そして、私はかなり早い段階で破壊衝動を他人に向けることを諦め、
本来他人にぶつけたい衝動を、自分にぶつけることで、どうにか逃そうと苦心していたのだった。
何故自分の体を傷つけることで解消しようとしたのかが今の私にも分からないのだが、
幼く馬鹿な割に、人を傷つけてはならないと考えたのではないだろうか。
まぁ、それも、今思えば、というだけであって、切り始めた中学生当時は、
親しい友人に傷を見せてみたりもしていた。
余談だが、この友人は「へー」というだけで心配など何もしなかった。
幸いなことに今も友人なので、機会があったらあの時の馬鹿な私について訊ねてみたい。
それは置いておき、最初は「破壊衝動の我慢」から始まったリストカットは、
範囲が広がっただけだとも言えるが、実はそれは、「切るに至るまでの理由が増えた」ということでもある。
この年になって、と思わなくもないが、苛々の我慢、自分に対する怒りの昇華、時には眠気を我慢する意図でも
腕を切るのだから、まったくもって救いようがないと思う。
だからつまり何が言いたいかと言うと、リストカットをやっている奴は全員紛れもなく面倒なので関わるな。
間違ってでも力になりたいと思うな。
構ってちゃんであろうが本気で死にたい奴だろうが癖でやっている奴であろうが、全員間違いなく面倒だ。
具体的に言えば、夏に長袖を着て暑そうな素振りをするのに決して脱がない奴だ。
そういう趣味嗜好の人だとしてもそれはそれで頑固で厄介だから逃げた方がいい。
もうすぐ夏ですね。暑くなりますね。
私は今年、半袖が着られません。
このゴールデンウィーク、家族も友達も、当然恋人もいないぼっちとして予定ひとつなくぼんやりと過ごしていた。
その孤独の中で小さな光明としてあったのがAbemaTVによる怒涛のクレしん映画連続放送である。新作映画のプロモーションとして一日一本過去作を放映していたそれを何の気なしに見始めた。どうせやることもないし、程良く笑えて程良く感動するものだろうと思った。完全にナメてた。
子供の頃に軽いトラウマになっていたブリブリ王国の秘宝やヘンダーランドなんかは今見ても充分怖さがあった(クレしん映画は全体的にホラーのシーンが結構怖い)塩沢兼人さんの演じるぶりぶりざえもんも久しぶりに聞いたが、どこか耳の奥に染み着いていたんだと思う。すごく懐かしく感じた。
知っている話は何となく思い出しながら、知らない話はわくわくしながら見ることができた。
その中で、野原みさえという女性のかわいさに気付いてしまったわけだ。
今更プロフィールなど要らないだろうが知っている範囲で少し書いておこう。多少間違っているかもしれないが。
野原みさえ 旧姓小山みさえ 現在29歳の専業主婦であり、夫 野原ひろし(35)(双葉商事係長)、長男 野原しんのすけ(5)(幼稚園児)、長女 野原ひまわり(0)(乳児)と同居している。両親ともに健在であり、姉と妹を持つ次女である。
長男からは「みさえ」「三段腹」「おべんぴ」「妖怪ケツデカおばば」などと呼ばれているが、しんのすけの級友の母親と比べても決して遜色はない。
そもそも作品の舞台が平成初期なので今とは世相が全く違うわけだが。
(余談として、連載当時から年をとっていたらみさえはそろそろ還暦が見えてくる歳になる。また、現在のみさえの年齢から子供の頃見ていたアニメなんかを計算すると、あと数年もすればプリキュアを見ていた世代になるので恐ろしい)
ある時はひとりの母として、ある時は夢見る少女として。
ユメミーワールドはそのどちらも充分堪能できた。ピュアハート!と叫びながらひろしとともに下の毛をすべて剃り上げたうえで幼児のコスプレをし、息子たちのために敵の前に立ちふさがる。これだけいうと相当とち狂っているかもしれないが、子供の心を忘れず、息子たち(子供)のために頑張る姿は親のそれでもある。
また、ユメミーワールドではひとりの母としても印象的なシーンがあり、子への愛情というものを垣間見ることができる。
同じく母親としての印象深さでいえば野生王国なんかも母性全開で大変よかった。なぜ自分はみさえから生まれてこなかったのか。なぜ自分の親がみさえじゃないのか相当悩むくらいには、ひとりの母親として美しい姿を見せてもらえた。
よくいわれるところの名作、大人帝国の逆襲なんかもなかなかに捨てがたい。子供時代を思いだし、かわいい(痛々しい)魔法少女のコスプレを見せたかと思えば母としての強さも垣間見れる。
かわいいコスプレでいえば三分ポッキリ大進撃はかなりよかった。みさえがかわいいという感想しかない。毎回様々な原型のなくなるほどのコスチュームに身を包み、世界を丸ごと救ってしまうそのイマジネーション力たるや。家族内でも一番想像力があるのではないだろうか。変身ヒロインに憧れるひとりの少女としてのみさえが前面に押し出されている。
もちろんこの話でも最終的に母親としての強さや愛を感じられるシーンがある辺りがたまらない。
ならはしさんの演技もまさに実家のような安心感のある声で、これは初期からほとんど変わらない(しんのすけがだいぶ変わっているので面食らったというのもある)
二児の母としての強さ、そして年齢を重ねても色褪せない夢見る少女としてのかわいさ。その両方をあまりにも絶妙なバランスで兼ね備えている。
もちろん映画なので相当美化されている部分もあるだろうが、それでも大人であり子供である、そのかわいさにどうしようもなく惹かれた。
野原みさえは、まちがいなくかわいい。
アニメが始まった頃、しんのすけとほぼ変わらない歳だった自分もついにみさえと同い年になった。家族も友達も恋人も予定もなく、ただただゴールデンウィークにぼっちでクレしん映画を見ていたアラサー女はもはや妖怪にも等しいと思う。
私はとある役者さんを推している、推しに対して盲目なオタクである。いわゆるモンペファンというやつ。
推しはラジオや番組に出る機会も多いし、イベントにも沢山呼ばれている。出演作品も着実に増えてきた。多分、売れている方だと思う。
もちろん推しのことが心の底から大好きだし推しは完璧な存在だと思っているのだが、ひとつだけひっかかっていることがある。
それなりに親しくしているらしい同業者にも「君が怒ってるところを見たことがない」と太鼓判を押される程度には怒らない。
そんな器の広さが推しの美点だと思ってはいるのだが、この性格が災いしてか番組でもイベントでも共演者にいじられる。
けちょんけちょんにいじられる。
馬鹿にされる。
「お前本当にブサイクw」
「先輩、出演作少ないですよね!」
「先輩が演じてたあのキャラ、なんか変な人ですよね?w」
推しが、笑ってるなら……
良くない。全然良くないです。
出演作だってあなたが知らないだけで沢山の作品に恵まれています。
この前のイベントでの推しのパフォーマンスは本当にかっこよくてかわいくて、大切な思い出になりました。
推しが演じてるあのキャラは変じゃないです。個性的でかわいいんです。
大好きな推しやキャラ達を馬鹿にされて何とも思わないオタクがいるんだろうか。
この人たちは推しのファンたちがこれを聞いたときにどう思うかまで考えが及ばないんだろうなあ。
同様に「ディスり愛ww」などと言って自身の推し達を小馬鹿にするオタク達も理解ができない。
閑話休題。
TLで同じように憤慨する同担モンペオタク達のツイートにふぁぼを飛ばしながら、それでも「推しが怒ってないから」と私は怒りのやり場をなくしている。
推しへ。
とても優しいところが推せるところではあるのですが、失礼な人たちに少しは怒って欲しいです。
あなた自身と、あなたが演じる大切なキャラクター達のことを守って欲しいです。
イベントに行ったり番組を視聴する度に悲しい気持ちになることに疲れてしまったよ。
潮時なのかなあ……
昨日投稿したら増田の文字制限にひっかかった。8000字が限度っぽい。
前半はこちら
https://anond.hatelabo.jp/20180504170139
その後、僕はフェミニズムの文献をあさるようになった。性の問題についていけるところまでいってみなければ自分の気がおさまらなかった。僕は男性ジェンダーに批判的になり、一度は大学に「復帰」したものの、卒業しない方が政治的に正しいと考えるようになった。なにかと特権や権力を自己批判するようになり、両親は僕が宗教にでもはまったのではないかと心配したらしい。
実際、フェミニストの方と(特に、男性中心主義社会との闘争を掲げ、意図的に男性を蔑視する方と)交流することで、僕は自己肯定感や性的主体性を失っていったと思う。いいかどうかは別として、フェミニズムにはそのような攻撃性があり、多くの男性が防衛的になるのもあるていどやむを得ない。
また、僕は性欲を男性に向けるように努力し、自分が犯されたり、屈辱的な目にあうことを想像しながらアナルオナニーするようになった。
そしてある界隈に足を運び、男体持ちで僕に性的関心を向ける人と出会い、セックスした。そのときは緊張したが、僕は無事に(?)勃起し、相手のペニスを自分のアナルに入れ、自分のペニスを相手のアナルに入れて射精した。
たしかに性的関心はある程度社会的に構築される、つまり教育や啓発によって、自分の中の異性愛・同性愛傾向を抑圧したり強化したりすることができると思う。しかし、僕はその男体持ちの人に、前の彼女に感じた執着を向けることができなかった。二人の関係は「セフレ」だと伝えたつもりだったが、反対に、その人は僕との関係に本気になった。僕はその人に対して自分のセクシュアリティ(正しい綴り!)をはっきり伝えることができず、なしくずしで関係が始まり、深まっていった。
その人は性的マイノリティであり、IQは高いけれども安定した人間関係を続けることが難しく、広義の「弱者男性」と言えると思う。そしてアカデミックなキャリアが行き詰まり、安定した仕事につけず、セクマイ界隈の一部とも関係が悪化し、追い込まれていくことで僕への性的依存を徐々に強めていくようになった。非モテ男性が異性の恋人によって一発逆転を夢見る心理は、同性の恋人においてもある程度あてはまるのかもしれない。
その人は、フェミニズムを受け入れ積極的なコミュニケーションを取れない「おとなしいコミュ障」の僕のことしか知らない。哲学や科学の一部の分野では僕が堂々と自己表現し、ときには攻撃的にすらなれることを知らない。その人は僕に対して容赦なく感情を爆発させるようになり、僕は一度は距離をおいたものの、あるセクマイ系イベントで再会したのをきっかけに引き戻されてしまった。
僕はそのときも、もうあなたと別れたいとつっぱねることができなかった。その人は、僕と恋人関係にあることを堂々とまわりにアピールしている。僕はそのイメージに流され、僕の意思は違うのだということを言えないままに、あいまいな笑みを浮かべつづけていた。
その人は僕にさらに感情的・性的に依存するようになり、僕は強くなろう、対処法を編み出そうと必死で本を読んだ。google:別れる? それともやり直す? カップル関係に悩む女性のためのガイドは男性ジェンダーとして傷つくことも多いが、つらい関係を終わらせることができるという希望も与えてくれる。ウ・ジョーティカgoogle:自由への旅はしんどいときにつまみ読みした。マインドフルネスのモチベーションを上げてくれ、1時間程度の瞑想ならできるようになった。あと、google:ツァラトゥストラはフェミニズムは奴隷道徳だ、権力を肯定し超人を目指せ!と言っているようで心にしみた。
さて、けっきょく大学を中退した僕は派遣に登録して社会人になった。今は大手メーカーの工場で生産管理をしている。
新しい仕事や住まいがあるていど落ち着いたところで、売り専に登録した。応募はとても緊張した。メールを送ろうかどうか、一か月近く迷っていた。意を決して送信した最初の店は落ちたが、次の店はやとってくれた。
売り専で働く直接のきっかけは、セックスワークについて知り、さらに、男性ジェンダーも性的対象として消費される経験をしてみなければと思ったからだ。友人にもフェミニズムの影響でちょっとだけ売り専をやったことのある人がいた。それに、僕はなんだかんだセックスが好きで、性的関心が強く、その方向で自己実現(?)してみるよいチャンスだと思ったのだ。もちろん、異性にモテてセックス相手に苦労はしないという実現のしかたもあるが、身長が低く押しも弱く吃音気味の僕にはどう転んでもできそうにない。でもそれは性的対象としてはむしろ強みになるんじゃないか?
実際にやってみると、自分に性的な価値があり、それにお金を払う人がいるということは自信になった。僕を指名するひとや、リピーターになる人がいた。僕を買う人はいつも僕の容姿を褒めてくれた。年配の人はチップをくれたりご飯をおごってくれたりした。
あと、僕は中一のときに一度痴漢に遭ったことを思い出した。トラウマとかではなく、自分にはちゃんと性的魅力があったという気づきとして。
僕は男性だが、性的主体でそれ自体に性的価値はないという生き方は向いていないと思うし、男性として性的対象とされることは僕の性に合っていると思う。女性からも自分が性的対象として見られることを意識できるようになり、ファーストキスで彼女が唇を濡らしたように、僕も性的な駆け引きの手段を使っていいのだと思えるようになった。
それに、身だしなみをよくして堂々としていれば、多少のいじりにたいしても動じないし、そのうち相手も一目置くようになるという自信を得た。化粧やファッションが「武器」であり、自分を「戦闘モード」にできるという言い方を女性がすることがあるが、僕もその意味がわかることがある。また実際、その攻撃はある程度効いていて、「向こうが誘ってきたんだ」と言い訳したり二次被害を与えたりする男性は性的な駆け引きにいつも負け続けているのだろうと思う。
閑話休題。得るものは得たと思ったし、またセックスワークを続けることの危険も感じたので僕は半年ほどで売り専をやめた。いままで、僕を買ってくれた人はおおむね常識をわきまえていて、無茶なことはしなかったし「痛い」と言えばセックスを止められた。でも、どこかですごく乱暴な人に出会うかもしれない、という不安をなくすことはできなかった。新しい人とやるときはいつもすごく緊張した。
ちなみに、僕が売り専をしていると知ったとき、当然かもしれないが彼は激しく動揺した。僕がその人以外の人とセックスしていることが耐え難く辛く、またセックスワーカーという挑戦を僕がしたことで、自分が追い越されたと感じプライドが揺らいだのだと思う。
性風俗に対する強い嫌悪感に共感することは、僕には難しい。恋人が風俗で働いたり風俗に行ったりしたことが分かって苦しんでいる(男性・女性の)記事を読むと、こんなに傷ついてしまうのかとやるせなくなる。
もちろん、彼を深く傷つけたと思う。ただ、僕がその人とセックスをするそもそものきっかけは、フェミニズムやセクマイの主張に興味があったからだ。売り専をしたのもそのためであって、新しい恋人がほしかったからではない。その人は性にまつわる社会問題の知識が豊富だったので、僕の行動にできれば理解を示してほしかった。
しかしこの一件で、僕はその人に対して「治療者」として振る舞おうと決心した。僕はあなたの恋人にはなれないということをどこかで伝えなければいけない。しかし当面は、その人が立ち直るのをサポートしようと思った。
そういうわけで、やっとソープの話です。ここまで読んでくれたひとがいるのだろうか…。
僕はこうしてそれなりにセックスを経験したけど、女性の膣に自分のペニスを入れるというセックスだけは一度もしていない。ほんとうは、それは最初に僕を選んだ彼女にあげたいとどこかで思っていた。そういう執着はよくないのかもしれないが、どこかで自分はまだその人の特別な存在になれると思っていた。
しかし、バンクロフトをはじめDV関連の本をあらかた読みこみ、それはDV加害者が被害者に依存する心理と同じであり、僕と別れることをえらんだ彼女に対する甘えであり、僕自身もその人との恋愛から「卒業」しなければならない、と考えるようになった。僕がその人を傷つけたから、その人は別れることを選んだのだと理解できるようになったと思う。
その一方、売り専をやめたことへの区切りもつけたかった。僕はずっと自分を売ってきたが、同じように身体を売っている女の人が何を考えているのか知ってみたかった。それでソープに行く必要はないのかもしれないが、それ以外にチャンネルを知らないし、政治的な連帯というよりはふつうに話しを聞いて体験を共有してもらいたい。もちろん向こうは異性愛男性にサービスを提供するつもりでいるのだから、そんなことは他でやってくれと思うかもしれないが、こっちだってそれなりにお金を払うのだから時間の使い方に多少の自由は許されると思った。
それに、その目的が達せなくても、ふつうの異性愛男性がどういう性的サービスを受けているのかを体験しておくのも意味があるだろう。とかなんとかいろいろ理屈を考えて、ようやく決心して、ソープの予約を入れた。
僕はどちらかといえば、同性や異性に性的サービスをする方が向いているような気もするし、もしそういう仕事があればやってもいいと思う。しかし僕の性的価値がある間に異性に体を売るサービスが一般的になることはなさそうだ。映画google: 娼年を見たけど、お金を払ってあんな乱暴なセックスはしないだろう。まだファンタジーの域を出ていないし、誰か貞操逆転世界な方向でもうちょっとリアルな作品をつくってほしい。
そういえばソープに行く前に、何を思い誤ったかYou Tubeに落ちている女性向けシチュエーションボイスを一晩聞いて「予習」した。本番でまったく使えなかったが、こういうサービスなら僕にもできると思う。
もう少し言うと、異性愛男性がリラックスして射精するというのは分かるのだが、異性愛女性がリラックスしてペニスを入れさせるというのがサービスとして成立するのか?成立しないなら、どういう男性がどういうサービスをするなら成立するのか?そういう需要をホストクラブとかの風俗がどの程度満たしているのかも、ぼくにはよくわからない。レズ風俗が成立しつつあるように、やはりケア役割は女性にとっても女性の方が向いているのかとも思います。
そのときは、男性性欲は男性で解消してもらうのが理に適っているのではないかな…。文句はソクラテスを論破してから言ってください。
ドラえもんがいないのび太くんは、一体どんな人生を送ったのだろう?
ADHDと診断されて半年が経ちまして、今社会人2年目を迎えたばかりなのですが最近限界を感じ始めている
メモをしたから平気と思っていても、どこに書いたのか分からなくなってしまったり
口頭で説明されると、つい上の空になってしまって気付けばはなしについていけなくなってしまったり
机の上や引き出しが汚くて業務に必要な書類がすぐに見つけられなかったり
会議に毎回ギリギリに行ってしまい5分前に来なさいと怒られたり
自分が今何をしたらいいかわからなくて、仕事が溜まって他の方に迷惑をかけたり
身だしなみもいつもストッキングが伝線していたり、服が逆だったりどこか抜けてしまう事が多い
1年目の頃は研修が主だったのでミスはするものの、そもそも業務量が少なかった
2年目になって、色んな方と連携して仕事しなきゃいけない機会も増えた。
でも雰囲気や周囲を見るのも少し苦手で、目の前の仕事につい夢中になってしまう。
ストラテラという薬を飲んでしばらく経つ。私はこういうものは薬を飲めばまともになれると思っていた。
だから自分がADHDであると言われた時は正直ほっとした。ずっと自分が人とどこか違うと思っていたから、その原因がやっと分かった気がして。
だが、薬は元々ー5だった所がー2になった程度で、どうしても普通の人と後少し差が埋まらない。私は長年の夢だった、普通の人間になりたいというものが未来永劫叶わないことをここで初めて思い知った。
優しい先輩は「最初は誰でもミスをする」と言ってくださるのだが、先輩と私にはADHDという違いがあり、それを思い知る度に酷く憂鬱になる。
仕事を辞めたい、最近ずっとそう思っている、けれど、辞めて違うところへ行ってもまた同じ事が起きる気がしてならない。
私のADHDの型は、ネットで見かけたのび太くん型というものに酷く似ている。
注意散漫で細かいミスが多く、片付けられなくて興味のないことや長い話には上の空になってしまう。そしていつも眠そうにしている。思いつきで行動するもすぐに飽きてしまう。そしてミスが多発して慌ててしまう……
ドラえもんのいないのび太くんは、大学受験など人生において多くの失敗をして、挙げ句の果てに自分で立ち上げた会社を火事で無くしてしまう。うろ覚えだけど、確かそうだったはずだ。
そんな悲惨な未来は、ドラえもんが来ることで改変される。ドラえもんが彼のミスをカバーすることで、のび太の未来は最終的にしずかちゃんと結婚し平穏なものへと変わる。閑話休題だがのび太の結婚前夜って優しい映画が私はとても好きだ。
だが、現実にドラえもんはいない。大学までは、特に支障無くぼんやりと曖昧な楽しみを享受して生きて来た。
けれど、社会人になってから余りにも辛い事が多く、家に帰っては眠るばかりの生活をしていると、いよいよ最近自分が生きてる意味もよく分からなくなってきた。
ADHDの特性の中には疲れ易いというものもあるみたいで、仕事の後や休日に疲れて何も出来なかったりすると、いつも自分の体質が憎くなる。
もう随分と長く生き、体も不自由になった祖母が、前に「早く死にたい」と呟いたのを聞いて以来、私は未来にも希望が持てなくなった。長く生きても幸せになれないのなら、今こんな辛いまま生きて何の意味があるのだろうかと。
ADHDであることを今まで関わった方全員に暴露したい気持ちにもなるけれど、きっと理解してもらえない、気のせいだ、誰にでもよくある事だ、そんな言葉に甘えるな……そんな風に言われそうで、私は誰にも言うことができない。そもそも仕事先に言うべきことでもない気もする。
それに、耳が聞こえないことと違って紙に言葉を書くなどの明確な対処法だってないのだから、解決法のない悩みを言ったって困るだけなのだ。
人に迷惑をかける人間なんて生きてる意味がないと自殺を考えたこともあるが、やっぱり自分だと怖くて首に縄を通せないのだ。
私は心が弱いので、いつか安楽死の制度とかが整うことを夢想するばかりだ。そしたら、長く生きなくたって済む。
1人で部屋にこもって好きな音楽を聴いたらゲームをしたり、ぼーっとするのが1番落ち着く。人と会話するといつも途中で集中が切れて、疲れて、早く帰りたくなる。
でも、そんな1人で生きる方法なんてありはしないのだ。
一体いつまで、ADHDを抱えて私は生きればいいんだろう。
ドラえもんがいてくれたらなあ。
(https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180402-00000012-reallive-ent)
噛み砕いて言ってしまえば、声優の武内駿輔の発言が不適切であると判断され、多くのファンから顰蹙をかったことだ。
ここで断っておきたい。私はこの記事を書くにあたって、武内駿輔の行動に対して是非を問うつもりはない。
私が異を唱えたいのは、武内駿輔の発言を端に発する、『魔物』と呼ばれる言葉を用いたファンたちを蔑ろにする行為に対してだ。
■はじめに
渦中の人物、武内駿輔氏について書いておこう。とは言っても、長々と筆者の独断に満ちた紹介を書くよりは、Wikipediaなどのサイトの方が客観性のある文章が見れるだろう。
そのため、要点のみを箇条書きとしたい。
・容姿、歌唱力もあり、『アイドル』を主題としたアニメなどでアイドル役をいくつか務めている。
最後の文言が大分手を抜いているが、今回の記事で重要となるのはこの点であろう。
■経緯
4/1、武内駿輔氏が管理をするTwitterアカウントにとあるリプライが投稿された。
失礼な質問になってしまうかもしれませんが、左手薬指の指輪について教えて頂きたいです
まぁそもそもなんでアイドルじゃないのに気にしなくちゃいけないんだろうね、っていう反骨心と心に決めた女の子がいますよっていう魔除けとしての意味合いもありますが、前者の方が意味合いとしては強いです。嘘ついて人気を得ても個人的には詐欺と同じじゃんと思ってしまうので。正直に生きたい。
主に、『魔除け』と呼ばれる言葉に反応してだ。
武内駿輔氏は、除けるのが必要な程周囲のファンを鬱陶しいと思っているのか……と、ショックを受けたの人が少なからずいたのだ。
その中で主流となった意見は、彼に対してガチ恋と呼ばれる、恋愛感情に近い感情を持つ人間が、裏切られたと暴れはじめた問うことだ。
■閑話休題
ここで、一旦話を中断しよう。
この段階では、恐らく以下の疑問が浮かぶ人が居るはずだ。
・この発言の何が問題なのか? 多少表現は険しいが、正直な若者らしいのではないか?
・そもそも、武内駿輔氏は実際に声優であり、アイドルではないのではないか?
・この発言に異常な反応をすること自体がおかしいのではないか?
一つ一つ書いていこう。
筆者の主観的な意見も入ってしまうが、言い方さえ気をつければ受け入れられる意図であると思う。
それについては、次で纏めて述べよう。
・彼がアイドルではない、と言うことについてだ。
先に述べたが、武内駿輔氏は声優である。確かに厳密にいえばアイドルではない。声優を声をあてる裏方であると判断する読者の方も多いだろう。
だが、昨今の声優の活動は非常に多岐にわたる。実際に人前に出て、それこそアイドルのようにステージパフォーマンスをすることも珍しくない。
実際にステージに上がってアイドルのように歌うこともあり、少なからず糧を得ているだろう。
アイドルでないにしても、それに類する人気商売をしていることに間違いはない。芸だけでなく夢を売っている人間である。
実際に、彼が立つための声優業界を引っ張ってきた先輩には、ドル売りと呼ばれるアイドルじみた活動をし、交際についても節度を持って行動していた。
先に、この発言に問題は無いかと言ったが、やはり以下の点は人によって反発を覚えるだろう。
・今までアイドルじみた活動をしてきたのに、今更嘘をつきたくはない、と言うのは虫がいいのではないか。
・先輩たちがやってきた行動を若者の勝手な正義感で糾弾していいのだろうか。
※ これに関しては、完全に余計な一言だろう。
自分は許せる、と言う人はそれでいいと思う。それは寛容さであり、美徳である。
だが、許せない人も居たのだと言うことも覚えておいてほしい。
さて、人によってはここで、『男性声優が恋愛を公開すること自体が問題ではないか?』と思う方もいるだろう。
だが、それは今回は割愛する。
筆者自身が、別に声優に本命の交際相手がいようが、人間だから当たり前だと思っていることもある。
だが、それ以上に……実は、ファンもある程度気付いていたのだ。
そもそも、武内駿輔氏が左手の薬指に指輪をつけていることに、ファンは一年近く前から気が付いていた。
実際に、交際相手がいると言ったこと自体を問題視する声は殆ど無かった。
人気商売で客前に出る時に問題になりそうなことをするのはどうかとは思うが、武内駿輔氏のファンは、彼が若いから、いつかは矯正してくれるだろう期待していたのだ。
今回の声で彼に対して失望した人の多くは、そう言った節度を守ってくれるだろうと言う期待を裏切られたものだった。
・『魔除け』と言う発言に対して反応することが異常ではないか、である。
と言うのも、この『魔除け』に反応した人間が、ことごとく『魔物』とレッテルを貼られたからだ。
以下に、Twitterに投稿されたツイートの内容を引用しよう。
女オタ「ファンを魔物扱いするな!!!!ファンやめる!!!!」
武内君の「心に決めた人がいるので魔除けの意味も含めて指輪してます(要約)」発言に「ファンを魔物呼ばわりとは何だ!みんなファンやめないと魔物呼ばわりされるぞ!」って怒り狂ってるアカウント見て、「おおこれはまさしく魔物だ」という気分になった
何れも、一万件以上リツイートされている。
『魔物』と言う言葉を定義したのは、嘆き悲しむファンではなくて、その周囲の理解者を気取る人間によるものなのだ。
今回の件で、声優に本気で恋をしている人間が、魔除けは自分たち『魔物』に当てはめられた言葉だと勝手に解釈して暴れていると言う意見が出た。
実のところ『ガチ恋』の人間が憤っていると言うことは無いと思っている。
そもそも、なんで怒っている人間が皆声優に恋をしていると言う発想になるのか?
最初に言った人間自身が所謂ガチ恋で、その価値観に勝手に当てはめたのではないか。
『魔除け』と言う言葉も強すぎる。ファンにしても周囲のスタッフに向けたものにしても、言い方が良くない。
それに、その後に先輩や今までの自分(とそれに付随する今までの自分を追いかけて来たファン)を否定する発言がある。
ファンはファンだ。並び立つことは出来ないけれど、その人に対してお金を払うかどうか判断する権利はある。
だから、こんな適当な発言をする人を信用できない、と出ても問題はない。
彼らは、許せなかったのだ。
そして、『許した』人間は『許せなかった』人間を糾弾しだした。
だって、誰だって怒りの沸点は違う。それなのに、自分は許したから許せなかった貴様らは悪だと断ずするのは間違っている。
もちろん、彼の態度も問題がある。
発端のツイートで、彼本人が『前者の意味合いが強い』と言っていたので、主として言いたかったのは周囲に対する反骨心だろう。
若造が何を言っているのだと筆者は思うが、若いうちはそれでいいとも思う。そもそもそこは重要ではない。
4/4、彼のアカウントのヘッダーが更新された。そこには指輪が大きくうつし出されていた。
騒動の原因をわざわざ強調するのは余りにも迂闊だ。
指輪に反応するような人間はいらないと言うメッセージだろうか?
彼は以前にも『本当のファン』なる発言を言ったこともある。ファンに本物も偽物もない。
そして、イベントなどでも態度の悪さが度々報告されている。
そう言った問題点が重なって、今回、許せない人が多く出たのだ。
■何が言いたいかと言うと。
糾弾した人間は、武内駿輔氏がどうしても許せなくてファンを降りたり物を申した人たちだ。
周囲の理解者を気取る人間が正義を振りかざして悪にしていい人たちじゃない。
少なくないお金と時間を使って追いかけたのに、それを裏切られる様な真似をしたのは確かなのだ。
寛容さは間違いなく善だ。武内駿輔氏を許したように、君たちが貶めた人間の事も認めて欲しい。
そして、その人たちが間違いではないと気が付いてほしい。