リストカッターとは、読んでそのままリストカットをする人のことである。
リストカットとは、カッターや剃刀等の刃物で手首を切る人のことである。
所謂メンヘラと呼ばれる人がする行為であると言って差し支えないだろうが、
世間的にはその印象は二つに分かれる気がする。
一つは「構ってちゃん」、
Twitterで「リスカ」もしくは「リストカット」と検索すると、
いかにも自己顕示欲の強そうな、殺しても死にそうにないSNOW盛り盛りの女の自画撮りか、
病んだ雰囲気の絵ばかりが出て来る。
つまり、Twitterにわんさかと居る、鍵も掛けずに「リスカした」と呟く奴らは大体前者に当たるだろう。
もう片方の「自殺未遂」だが、これには少し誤解がある。
本当に死のうと思ったとき、リスカで死のうと思う人間はあまりいないのではないかと思う。
何故なら確実性が限りなく薄いからだ。
包丁で縦一千に血管を掻き切ればまだしも、剃刀で横に一筋線を入れただけではまるで死ねない。
なので、リスカをしている人間に「自殺したいほど辛かった」と思うのは間違っている、と私は思う。
私は自殺願望がある精神科通院者だが、リストカットは自殺願望とは全く関係がないと思っている。
勿論人によって違うので、死にたいと思って手首を切る人も居るだろうが、それは恐らく衝動だろう。
考え抜いた末に「手首を切って死のう」と思う人はほとんどいないはずだ。
それなら首を吊った方が遥かに確実だと思う。見た目は汚くなるかも知れないが、それはそれだ。
まぁこの記事を書いているからには私もリストカッターな訳だが、切る理由はその時によって様々である。
ただ、何故切るに至るかというと、八割が「我慢」、残りの二割は「癖」だ。
先に「癖」について説明しておくと、これはもう単に、腕を切ることが癖になってしまっているだけだ。
大なり小なり理由はあるにしろ、一度切ってしまうともういいかと言う気分になり、傷が増えていく。
完全に悪癖である。
私の場合、ここ4年ほどその悪癖は鳴りを潜めつつあったのだが、三十手前にもなって今更再発してしまった。
一年に一回程度はしていた気もするが、ここまで腕が傷まみれになったのは久し振りである。
一番病んでいた高校生の頃以来かも知れないし、もしかしたらそれ以上かも知れない。
閑話休題。
さて、ここからは、腕を切るに至るまでの八割を占める「我慢」についてを話そうと思う。
切る理由は様々だと先ほど書いたばかりだが、正直に言って、「切ろう」と思うまでの、
全ての感情が「我慢」に繋がるので、切る理由もまた「我慢」なのかも知れない。
私には、病み始めた小学生高学年の頃から一番病んでいた高校生の頃、
果ては三十手前になった今に至るまで、常に存在していた衝動があった。破壊衝動である。
ただ、それを他人にぶつけるのは憚られた。
武器など買えば良かったのかも知れないが、何故だか買わなかった。
そして、私はかなり早い段階で破壊衝動を他人に向けることを諦め、
本来他人にぶつけたい衝動を、自分にぶつけることで、どうにか逃そうと苦心していたのだった。
何故自分の体を傷つけることで解消しようとしたのかが今の私にも分からないのだが、
幼く馬鹿な割に、人を傷つけてはならないと考えたのではないだろうか。
まぁ、それも、今思えば、というだけであって、切り始めた中学生当時は、
親しい友人に傷を見せてみたりもしていた。
余談だが、この友人は「へー」というだけで心配など何もしなかった。
幸いなことに今も友人なので、機会があったらあの時の馬鹿な私について訊ねてみたい。
それは置いておき、最初は「破壊衝動の我慢」から始まったリストカットは、
範囲が広がっただけだとも言えるが、実はそれは、「切るに至るまでの理由が増えた」ということでもある。
この年になって、と思わなくもないが、苛々の我慢、自分に対する怒りの昇華、時には眠気を我慢する意図でも
腕を切るのだから、まったくもって救いようがないと思う。
だからつまり何が言いたいかと言うと、リストカットをやっている奴は全員紛れもなく面倒なので関わるな。
間違ってでも力になりたいと思うな。
構ってちゃんであろうが本気で死にたい奴だろうが癖でやっている奴であろうが、全員間違いなく面倒だ。
具体的に言えば、夏に長袖を着て暑そうな素振りをするのに決して脱がない奴だ。
そういう趣味嗜好の人だとしてもそれはそれで頑固で厄介だから逃げた方がいい。
もうすぐ夏ですね。暑くなりますね。
私は今年、半袖が着られません。
放っておいたら傷跡って消えるの?
ちょっと深いと残ります。 ただ、カッターで浅く切った程度じゃ全く残らないと思います。
切り傷は結構浅くてもちゃんと傷口をくっつけられてないと残る。
リスカ跡あっても気にせず腕出してる人はそんなにヤバくない。 長袖着てるやつはマジでヤバイ。自意識過剰。
これ
どれ?