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2021-04-08

あえぎ声を書くバイト

大学時代、ひたすらあえぎ声を書くバイトをしていたことがある。

先輩から紹介してもらった、エロゲメーカーバイトだ。

その会社エロゲストーリーに力を入れていて、所属するライター自分文章プライドを持っている人ばかりだった。

彼らからすると、Hシーンのあえぎ声を書くなどというのは苦痛しかなく、学生バイトにでも任せておけということになったらしい。

仕事がどういう感じだったかというと、

1. まず、「チャックを開けた」とか「腰を動かすスピードが速くなっていく」といったHシーンの「ト書き」部分だけを渡される。

2. ここに私が「んっ……」とか「あんあんっ」といったあえぎ声をてきとうな塩梅で足していく。

3. シナリオライターのチェックを受けて終了。

という流れだった。

簡単に思えるかもしれないが、これが意外に難しい。

まず、Hシーンにはある程度の長さがあるので、その範囲内で的確に盛り上げていく必要がある。

使う音に緩急をもたせ、飽きさせず、かつ少しずつボルテージを高めていかなければならない。

さらに、テキストの長さを調整することも重要だ。

短すぎると気持ちいい感じが伝わらないのだが、かといって長すぎるとボイスが冗長になる。

このように、エロ俯瞰的に捉えるバランス感覚と、計画的なペース配分が求められているのだ。

思うままにキーボードを叩いていればいいなどという仕事では決してなかった。

最初仕事は「妹もの」だったが、2回目のHシーンという設定で、「あ」の音の配分に苦労した。

はじめから「あああああ」など言ってると手慣れた淫乱みたいだし、かといって「あん」ではエロさが足りない。

苦労の末に完成させたものの、ライターには「もっと速く上げられない?」と言われる始末。

どうしたものか……と、前任者が残したパソコンキーボード「A」だけ妙にテカテカしている)の前で悩んでいると、あるファイル存在に気づいた。

「あえぎエディタ.xls」と題されたエクセルファイルは、前任者が残したあえぎ声専用のマクロであった。

縦に並んだセルセリフを一つずつ入力していくと、各セリフに含まれ母音・子音等の音声的要素が自動で数値化される。

さらに、その数値を足し引き計算することで、「絶頂度」と呼ばれる値が算出される仕組みになっていた。

この「絶頂度」がミソで、この値がシーンの最初から最後に向かって少しずつ上昇していくように文章を組み上げていくと、理想的なあえぎ声が出来上がるのである

かくのごとき驚くべき神エクセルを、前任者は独力で作り上げたようだった。

そして、秘密ツールとして上司には隠しつつ、後任である私にこうしてこっそり教えてくれようとしたのだろう。

このツールのおかげで、私の仕事はずいぶん楽になり、安定したクオリティであえぎ声を出し続けられるようになった。

そうして仕事をしているあるとき、私はあることに気づいた。

あえぎ声を入力するセルには、理論上どんな文章も入れることができる。

まり、あえぎ声以外のテキストでも、その「絶頂度」を算出できるのだ。

そこで私は、試みに文学史上の名作の「絶頂度」を出してみた。

たとえば、「私はその人を常に先生と呼んでいた。」は12、「親譲りの無鉄砲小供の時から損ばかりしている。」は30という具合だ。

予想もしていなかったことだが、こうして調べていくと、傑作の多くは私の仕事と同じ原則で書かれていることがわかった。

まり最後に向かうほど「絶頂度」が高まっていくのである

とくに顕著なのは芥川で、「下人の行方は、誰も知らない。」など絶頂度367だ。

薬漬けになった人妻が白目を剥いて失神するシーンでもせいぜい330程度なので、どれほど驚異的な数字かお分かりいただけるだろう。

絶頂度」はあらゆる文章通用する普遍的法則だったのである

この事実に気づいた私は、それからあらゆる文章をあえぎ声だと思って書くようにしてきた。

そして、人生のあらゆる場面で成功をおさめてきた。

就活エントリーシートでも、重要なのは絶頂度」の配分である

たとえば学歴欄でも、「絶頂度」の高い名前大学中退し、最終学歴とすることで、ずいぶん見え方が変わってくるようだ。

大学名によっても異なるが、概して「卒業」よりも「中退」のほうが絶頂度は高くなる。)

さて、お気づきの方もいるかもしれないが、この文章もここまで少しずつ絶頂度を高めるように書いてきた。

↑この一文の絶頂度は290だ。

かなり高まってきているので、この辺りで文章を終わりにしたい。

んほぉぉぉぉ! あああぁぁん!!

2021-04-06

anond:20210406101100

じゃあ「うっせいわ」と、「ギザギザハートの子守唄」とか「卒業」比較論って、30代前半以下には、そもそもまったく意味が分からないんだ。

anond:20210405100130

「うせっせいわ」って、「ギザギザハートの子守唄」とか「卒業」レベルに、世代を超えて残っていくとは思えないんだよな。

その辺ターゲットの子供はどう思っているんだろ。

2021-04-04

卒業~ビバナミダ

キモイ」男の隣の席に座りたくない女が涙を流す https://anond.hatelabo.jp/20210321094643

※本作はブコメコピペしますが特定の誰かになにかいいたいわけではないのでIDコピーしません

これをみて多くのひとが反応してます。こういう具合に。

キモい女は泣かれはしなくてもオエーッ!!とか吐き真似されたり絶対机くっつけんなよ!!と脅されたりはするよ。学生時代キモい人への態度は男女問わず残酷だと思う。大人になってもやるやつもいるけどね…

これポイント「涙」にあると思う。

泣く側の心理としてはキモイから嫌なのではなく、友達の近くでないとか思い通りにならなかったから泣くという側面も大きいので「泣く=庇ってもらえる」という負の成功体験を積ませないことが大切かもしれない。

これなんかおもしろい。

友達と近くでないことに泣く。泣くこと自体感情を抑えられない結果ではあるが、その理由である友達と(席が)近くではない」ことをストレート表現するのはなにかいろいろと不都合があるんだろう。「いろいろ」を具体的に表すとしたら大事人間関係への変化があるとか。それをカモフラージュするために気持ち悪い男と隣の席になったことで泣く。んまあ、同情を引くってのもあるし、次の席替え下駄を履かせてもらうって計算もあるんだろうけど。

かように、とても複雑な過程を経ての泣くという行為なのですね。

そこで「卒業」です。斉藤由貴の歌です。

(25) 斉藤由貴 - 卒業 - YouTube https://www.youtube.com/watch?v=oSqTaVzqPIk

サビの歌詞

ああ 卒業式で泣かないと

冷たい人と 言われそう

ももっと 哀しい瞬間に

涙はとって おきたいの

これ。本当に大事な人との別れの前に涙をとっておくということですよね。

逆に言うと、卒業式で涙をポロンとするのはお茶の子さいさいってことでもあるなと。

上記コメントでわかりましたよ。

気持ち悪い男のための涙」というのは非常に計算された上のものだ。

感情の高まりによって出たものか、あえて感情を高めての上のものかはたぶん本人でもわからないだろう気もするが「NO」の意思であることはまちがいないわけだ。

泣かれはしないけど、あーあー!(コイツの隣とか)まじかよー!!!って大声で男に言われてる女はいた。手滑って殴りそうwwwとか加害予告もある。めちゃくちゃ怖いけど先生スルーしてるよね

実際、気持ち悪い女と隣の席になった男が泣いたらどうなるでしょうか? 泣く代わりの行為ですよね? さて、女が泣いた場合先生はどうしてますか? 「泣くなよ」とはいわないでしょ? つまりスルーでしょ。つまりこれらと同じ行為ですね。暴力です。

思えば、何度、「女は泣けばいいと思ってる」ってグチを聞かされたことでしょうか。

泣くと殴ったことになるのは便利でいいですよね!

2021-03-12

シン・エヴァンゲリオン感想(ネタバレ有り)庵野と安野によせて

昨日(3/11)にシン・エヴァンゲリオンを見てきたので

感想を殴り書きで書きますネタバレありです。

キャラ感情の揺れに重きを置いてます

パリ

マヤが「これだから若い男は」と言ったのがよかった。

 エヴァでは「女性は弱い」という描かれ方が旧劇からされてないので良い

マリの「どこにいても見つけ出してみせるからワンコ君」への違和感。そんなにシンジ思い入れある?

三村

・トウジー!生きてた

綾波が「私は綾波レイじゃない」というと、「そうなの、そっくりさん」という流れで自然肯定されてたのがよかった。

 「綾波レイ」でなくても存在肯定されている感じ。

・その後もレイプラグスーツを脱がないけど、「汗水たらして働いて」周りに受け入れられるにつれ、

 「エヴァパイロットではない自分」としてのアイデンティティ確立できて、プラグスーツを脱ぐことができるようになったのがよかった。

レイ委員長に「おやすみって何」「おはようって何」ってたくさん聞いたとき(それこそ赤ちゃんのように)、委員長の答えがお母さんのように優しくて、

 よかったねという気持ちと、女に母性を求める意図が透けて見えて気持ち悪かったという気持ちの両方があった。

・トウジやケンスケがシンジに話しかけるシーン、自分大人になったのにいきなり14歳のままの同級生(シンジ)が出てきたらどう接していいか戸惑うだろうなと思った

ケンスケのことをアスカが「ケンケン」って呼んだのが一番衝撃だった。そして全裸アスカ。動じないケンスケ。あっ・・これはやることやってませんか?

 アスカシンジがくっつくものだと信じていたので、あこりゃだめっぽいなと少し悲しみがありました

 (と思ったけどこれ、ケンケン大人アスカ14歳の体だから動じなかっただけなのかな。そしてラストでは大人の体になっていたので無事ケンケンとくっつけるとか)

ケンスケ、加持さんに少し似てますねと思った

アスカにもDSSチョーカー。後で明かされるけどアスカ人造人間使徒入りのため?

・だんまりシンジアスカが無理やり食事をさせて、そこで無気力にしてるかと思ったら、勢いよく家出していって驚いた。鬱の人ってそんな衝動的に行動できる?

アスカレイに「サードのこと好きになるように設計されてる」と言ってたのが印象的だった。そしてアスカもそう。悲しい。

 アスカ人造人間だったんだ。式波改名されてたのも理由があったんだね。

 シンジ庵野投影だとすると、モテモテ自分みたいなのが透けて見えて少し嫌だった。

アスカシンジのこと「好きだったわよ」というのがよかった。過去形「卒業」という感じを受けた。

 なお、ラストシンジも「僕も好きだったよ」と返すの、さわやかだと思ったけど、庵野アスカ声優一方的に恋してたエピソードもあるので、

 「お互い好きだったけどうちらもう卒業だね(アスカにはケンケンがいるし、シンジにはマリがいる、あとボク庵野には安野がいるし)」みたいな良い話風にねじまげるのはちょっと…と思った

レイが渡したカセットプレーヤーを跳ねのけたのはどういう心境だったんだろう。ただの拒絶?プレーヤーを拾ってくれてたはずの本当のレイはもう死んじゃったから?

ペンペンがたくさんいてほっこりした。トウジと委員長ツバメのシーンでも思ったけど、子を産み、次世代に託していくことの尊さのモチーフがいっぱいあったね。猫とか。

シンジの「どうしてみんな優しいんだよ」の嗚咽、緒方さんほんとよかった。

 旧劇で「どうしてみんな優しくしてくれないんだよ」みたいな台詞があったけど、そのアンサーだと感じた

レイシンジに「名前を付けてほしい」とお願いするシーン、ラストのほうでユイゲンドウに「子供名前決めてくれた?」と尋ねるシーンとの対比でよかった

レイが目の前でLCLなっちゃうシーン、シンジにまた新しいトラウマを植え付けるなんてひどい…と思っちゃった

・加持さん!一瞬綾波式波みたくクローンかと思ったけど子供ミサトさん産休とったんだろうか?とる暇なさそう。

 あと死んだお父さんと同じ名前つけるってどうなってるの?呪い

シンジ乗船後にアスカサクラが話すシーン、アスカは「監視」としてシンジを引っ張ってたんだな・・・と切なくなった。ヴンダーに乗らなくてもいいとも言ってたし、それだけじゃないだろうけど。

ヴンダー

マリアスカにべったり。レズ的に好きなの?そういえば漫画版ではマリユイガチレズで…と思ったけどラストマリシンジ(ry 

・13号機がトリガーなの、13っていう忌み数関係あるのかな?

ヴンダーめっちゃ攻撃受けてるときクルーがみんな最速で状況伝達していてよかった。パリでのマヤとのやり取りと違って弱音を吐かない。

・リツコがためらいなく速攻でゲンドウに発砲したのよかった。旧劇では撃てなかったので…

 リツコのベリーショート昔の男(ゲンドウ)から「卒業」感を感じて好き。評判悪いけど。

ゲンドウが脳みそ拾うところちょっと笑っちゃった。要るんだそれみたいな。

ゲンドウが意味深カタカナ語いっぱい話すの、ビジネス用語を多用しすぎる上司みたいで笑っちゃった

・ところで六分儀ゲンドウっていう旧姓新劇ではなかったことになった件、考察必要ですか?惣流→式波改名意味あったわけだし…。それともユイ苗字綾波にしたかっただけ?

ミサトが一番好きなので、ミサトのサングラスが銃で吹っ飛んで彼女感情が見えるのがよかった。

 誰かが言ってたけど、ミサトとゲンドウはサングラス視線の全部を、アスカは眼帯で視線の半分を隠してシンジと目を合わさないという考察。これでやっとミサトの心が見えるようになる。

サクラ怪我したらエヴァに乗らんでいい、ちょっといかもしれないですけど我慢してくださいね」、その通りなんだが、めちゃくちゃだな…

ミサトがシンジを庇って「私がすべての責任を取ります」というシーン、よかった…よかった…

・そのあと、シンジと抱擁を交わすシーン、シンジ大人になったなあという感じ。親愛はあっても、その間にあるのは大人のキスではなく、他人である別の人間との適切な距離感

ラストに向けて

・「シンクロ率無限」はちょっと笑った。夢小説っぽさがある

・量子テレポート、めちゃシュバババってなってて笑うでしょあんなの…

・親子対決、いきなり特撮っぽいなと思ったけどミサト家や学校やらでいきなりスケール感のおかしエヴァが暴れてるの、どういう演出なの…?シン・ウルトラマン番宣ですか?

シンジゲンドウと対話したいと伝えたの、大人になったなという感じ

ゲンドウの過去、全く想像通りのやつがお出しされてそうだねとなった

ゲンドウがピアノ好きなの、Qでのシンジカヲルセッションが効く演出でいいなと思ったけど、シンジチェロ設定どっかいっちゃった?

・冬月はなんで(どういう理屈で・どんな感情で)LCLなっちゃったの?

ミサトさん…死んじゃって悲しいけど、加持さんのところに行けてよかったね

ゲンドウがシンジの中に「そこにいたのか」ってユイ見出してよかった。

 ユイがいなくなっても、いなくなったからこそ忘れ形見シンジ大事にしなくちゃいけなかった。

 ゲンドウが幼いシンジ大事そうに抱きしめるシーン、今まで描写がなかったので良かった。シンジと向き合えないっていう不器用愛情だけじゃなくて、やっと向き合えた。

 人は子を産み育てることが尊いという生命賛歌。生きてていいんだという存在肯定

・この辺旧劇とそれほど伝えたいこと変わってないのかな?と思ったので、こんな大々的に焼き直す意味はあったのかな

世界中を巻き込んだ盛大な親子喧嘩だったね

・どこだったか忘れたけどシンジの突然のすしざんまいに笑っちゃった

大人ゲンドウを子供シンジが見つめ、今度は子供ゲンドウを大人(少年)シンジが見つめるのがよかった。親のインナーチャイルドを息子が癒してあげたんだね。そういうことあるよね。

・【ちょっと追記

 マリシンジに執着するの、漫画版を読んでいたらマリユイガチレズ感情を持ってたためにユイの息子(シンジ)に執着してたって視点を持てるけど

 映画単体ではそこにたどり着くの不可能じゃない?

 ゲンドウの追憶で出てきた、マリゲンドウにユイを紹介したシーンでBSS(僕が先に好きだったのに)の波動を感じ取れと…?

 その流れから惚れた相手(同性)の息子(異性)に「だーれだ」「胸の大きいいい女」って躾込んでるって考えたくなくないですか…?【追記ここまで】

アスカケンケンカプを公式ダメ押ししててつらかった。そんな、余ったの適当にくっつけるみたいな…

カヲルの救済はなんで加持だったの?接点あった?あと渚指令ってなに?

・「今度こそ君だけは幸せにしてみせるよ」とか意味深だったけど、円環とか言ってたかループ世界だったんだね。

ユイがこのためにエヴァにいたんだというのもよかった。子の背中を押して親は去る。

ラスト

・槍に貫かれて「さようなら、すべてのエヴァンゲリオン」はものすごくきれいだなと思った。ここでも「卒業」を感じた。

 シンジに、ゲンドウに、レイに、アスカに、カヲルに、すべてのエヴァンゲリオンに、そして『エヴァンゲリオン』という作品に。さようなら

シンジマリがくっついたの、旧劇にはいなかったマリ(安野)を手に入れて救われましたっていう庵野と嫁のストーリーだなと感じた。

 なんで神木隆之介なの?君の名は。?なんでスーツ着てるのに昼間から仕事してなさそうなの?

 そもそもシンジマリって接点あった?なんでマリはDSSチョーカー外せるの?

 ていうかDSSチョーカーずっとつけっぱだったんだ…

 チョーカー外すってモチーフエヴァ呪縛からの脱却ってわかるけど、それはエヴァを槍で刺したのとシンジが大きくなってるのでもう分かるし…虚構から現実への移行のトリガーとして外したの?駅構内で?

レイカヲルアスカが遠くにいて(遠くの虚構)、こっちにはシンジマリ(庵野と安野・現実)、そして宇部新川駅(庵野出身地)という現実に帰っていく。

 これは、シンジゲンドウに仮託した庵野個人的な成長ストーリーだったのだ…


え?感想?よかったですよね。エヴァー。


【終劇】

2021-03-09

anond:20210309200311

違う。そういう意味ではなく、アニメマンガに対して、いつか「卒業」するものと見做すのではなく、何なら一生付き合っててもおかしくないと考える世代のこと。

2021-01-16

算数教育における「みはじ」テントウムシが広まりすぎている件

 丸を三つに分けて道のり速さ時間関係を求めるやつ通称みはじについての話をしたい。

 自分田舎子どもたちの勉強の面倒をみている(教師でも塾講師でもない)。そこでの子どもたちを見ただけなのでデータとしては不十分だが、みはじを知らない生徒はほぼいない。とりあえず速さや割合問題に当たったら例の図をかいて考えている。生徒たちにとって、みはじは速さの問題特効のツールなのだ

 かつて自分はみはじ否定派だった。そんなもの使わなくても答えは出るし、加速度運動だと使えないし、必要のないものだと思っていた。そのため、速さを教える時もみはじ図を使わずに教えていた。

 しかし、教えていくうちに自分はみはじ肯定派に変わっていった。少なくとも小学生にとっては、みはじはある程度必要ものだと考えるようになった。

 自分小学生のころにみはじを教えられた。現代小学生と同じように、速さの問題をうまく解けるツールとして例のテントウムシを書いた。それを使うことによって速さの問題を解くことができた。

 中学生くらいまではテスト用紙のはしっこにテントウムシを書いていたと思うが、高校以降は書かなくなった。みはじの図よりも等式をそのまま変形した方が手になじむようになって、みはじから「卒業」した。

 小学校の段階では等式の変形を大々的に扱うことは少ない。割り算の導入で九九の裏(3×□ = 15の□を埋めていく問題)を少しやる以外は、ほとんど教えられていないのではないか。そのため、中学生以降は当たり前であるx = vt を変形したらt = x/v が出てくることも、小学生にとっては当たり前ではない。それを教えるために苦心した結果がみはじ図だろう。

 みはじの図は、比例関係をある程度よく表した図だと思う。これのおかげで助かっている子どもはかなり多いのではないか。いつかは卒業していくものとして、それらを教えることは問題ないと思う。

 

2021-01-01

anond:20210101165503

それは確実にあるだろうな。

日本でたとえAKB系列に入っても「卒業」したあと何にも身についてないってことになるからね。

漠然私大文系に進学するより看護大学行くようなものかも。

2020-12-12

anond:20201212082733

>>そんなことないのにね>>

データ検証してみよう。

1938 8%

1966 14%

1994 20%

2022 51%

これらは日本の四年制あるいは旧制大学学部「卒業」である。意外にも進学後、脱落する人間は多くいる。

1966年には親世代から6%の人間が、公立かどうかはさておき「動物園から脱出成功したということだ。それが1994年までは続いたということである。ところが2022年には親世代から31%の人間が「動物園から脱出成功する。

31%の人間が「動物園から脱出成功したというのなら、もうそれは意見として通るだろう。30%なら野党全体の支持率より高い。毒親叩きも、最近ツィッターSNSを問わず多くなってきたような気がする。数字を見れば当然だろう。

最近学力低下で私学でも満足のいく水準とは全くいえないので、公立動物園ということは言いたくないのだが、統計データの前には沈黙するしかない。

自分動物園サルをやってたやつが『公立中学校動物園』とか言ってる」のが、もしも真実であれば、大学進学率はこのようにはならない。

最後に。

一番心理学的に気になったのはこの文章である

自分だけはまともで観客の側だったとでも思ってるのかな そんなことないのにね」

この「そんなことないのにね」というのは、投稿者の願望であって、事実ではない。

自分だけはまともで観客の側だった」という人間も、ゼロですと言い切ることはかなり難しい。それは「合唱コロナ絶対に防げます」といってクラスター感染させた校の教師のレヴェルではないだろうか。

anond:20201212121708

自己トラバ

わかった。

学歴アイデンティティな人はつまり受験」「学生生活「卒業」代表作みたいなもんなのか。

時間もかかるし大作だから、以降それよりでかいヒット作を飛ばすのも難しかったり、制作途中で看板に掲げる程じゃなかったりするのか。

すこし納得した。

それは誰だって大切に思うわ。

2020-12-11

校内暴力流行ったのは1980年代

増田が1965年ころ生まれの再前後構成されていたなんて…(驚愕


1970年代末期から1980年代にかけて中学校(及び一部高校)に吹き荒れた校内暴力の嵐はすさまじかったです。人、しか中学生がこれほどまでに醜く変わってしまうことには心底驚きましたし、恐怖を感じました。私自身は中学生としてかなり荒れた状況を見てきていますが、対教師暴力がある状況は見ていません。子供同士の暴力はあったものの(よく突然訳もなく殴られることがありました)、自分たち以前の生徒集団の中には「タバコは吸うが先生に反抗したいわけではない(男子の7~8割は喫煙していたのでは・・・)」「先生迷惑をかけてはいけない」という不文律があったように思います

私が中学校卒業して間もない時期に対教師暴力・生徒間暴力が頻発し非行(と言うより犯罪行為)が表立ってまかり通るようになりました。悪いことはコソコソとやるべきだという感覚が失われ、白昼、衆目を集めながら、堂々と犯罪行為が繰り返される事態となっていきました。戦場と化した学校の渦中にいたのは私の2つ下の学年(昭和40年まれ)以降です(校内暴力は全国多発同時的に広がりましたが、地域差学校差があります)。私が見た重篤な校内暴力は生徒としてではなく、教師として見た校内暴力です。1980年代学校で何が起こっていたのかを、見聞を元にレポートしておきたいと思います

その前に、「仮面ライダースナック事件」について述べてみたいと思います。私の中では「1980年代中学校校内暴力」と「仮面ライダースナック事件」はつながっており、「仮面ライダースナック事件」は校内暴力の頻発の予兆であったように思えています

仮面ライダースナック事件

一袋20円か30円で売られていた「仮面ライダースナック」にオマケとしてついていた仮面ライダーカードが爆発的な人気となりました。それまでに流行っていたメンコにとって代わって、小学生カード収集に躍起になりました。

ウィキペディアから引用してみます

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仮面ライダースナック」の売上げは、1972年2月には1日100万袋を越え、最終的にはカルビー社内のメモによると15か月間で6億2000万袋に達した。平均すると当時の男子児童1人あたり、85袋購入した計算になる。金額換算で約87億円を売り上げたとする資料もある。

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メンコが単体で売られていたのに対して、仮面ライダーカードスナックを買わなくては集めることができませんでした。最初のうちはスナックがおいしかったのですが、それにはだんだん飽きがきますカード収集が主目的となり、スナック不要オマケとなってしまいました。

一度に5個から10個の仮面ライダースナックを購入する者も現れてきて、スナックは破棄される憂き目にあうようになりました。それもゴミ箱に捨てられるならまだよかったのですが、公園ポイ捨てされ、それを踏んづけて遊ぶのが流行っていました。踏みつぶされて中身がはみ出たスナックの袋が公園に散乱していた異様な光景は、今でも目に焼き付いています。全国で同時多発的に同様の状況が起こり、社会問題として新聞報道されていたのも覚えています

私はあまりお小遣いをもらっていなかったので仮面ライダースナックを買えませんでした(当時小学校2年生ぐらいだったでしょうか)。私の親は戦争体験しており、飢餓状態に陥った経験があるため、食べ物お金を粗末にするとひどく怒られました。私にはスナックをたくさん買うことも、買ったスナック公園に捨てることもできませんでした。

勝手な推論ですが、「私の2つ下の学年から校内暴力が全国で多発同時的に吹き荒れ始めた」ことと、「全国的に展開された仮面ライダースナック破棄事件」の間には相関があると私は思っています

おそらく戦後経済が発展して社会が裕福になったことと、親に戦争経験していない(経験していても記憶にない)世代が増えてきたことが仮面ライダースナック破棄事件と校内暴力の両方に少なからず影響していたのではないかと思います

校内暴力実態

校内暴力がどんな状況であったのかなどとても一言で語れるものではありません。詳細を書き始めると大変な長さになってしまます露悪趣味ではありませんが、書かねばならない、伝えねばならないと思うので、かなり際どい内容も含めて箇条書きで列挙することにします。すべて自分で見たわけではなく、友人の中学校教師報道から得た情報もあることを断っておきます

● 教師が殴られた、蹴りを入れられ骨折した、土下座させられたなどは枚挙にいとまがない。暴言いやがらせ暴行日常茶飯事であった。

● 生徒間のいじめ悲惨を極めた。排泄物を食わされるようなこともあった。・・・いじめ自殺」でネット検索すると詳細がわかる。

● 職員室の机の上を中学生が走り回っていた。

● 校長室のソファーで生徒がタバコを吸っていた。校長は側にいて黙認。

● 夜間に学校侵入し、全ての窓ガラスを壊して回した。(尾崎豊「卒業」にもその様子が描写されています

● 教室の壁を蹴りまくる、壁に机椅子をぶつけるを繰り返し、とうとう隣の教室と貫通した。

● 「中学生窃盗したバイクを乗り回していた」「それで学校に乗り付けた」というのはよくある話だった。「信号待ちで停車していた車のガラス破壊し、ドアロックを外して運転手を引きずり下ろし、車を窃盗運転した。」という案件も。

● シンナーを吸って窃盗車に乗り、学校の周りを暴走した。

● 授業中の教室花火をしていた。

● 授業中の教室焼き肉をしていた。

● 生徒が教師に刺された。・・・「忠生中学生徒刺傷事件」でネット検索すると詳細がわかる。

● 教師が生徒に刺殺された。・・・栃木女性教師刺殺事件」でネット検索すると詳細がわかる。

● 生徒が生徒を惨殺した。・・・女子高生コンクリート詰め殺人事件」でネット検索すると詳細がわかる。

● 不純異性交遊の横行。・・・修学旅行の宿舎で女子男子を部屋に呼んで売春行為をした(男子お土産代を巻き上げた)。平常から男女が乱交状態に至る学校は少なくなかった。

● ある女性教諭は出勤前に時間をかけてピチピチのジーンズはいた。ピチピチな上にチャックの部分がボタンになったものを選んだので、止めるのにたいへん時間がかかったという。何故そんなものはいたのか。それは、(集団暴行に遭った時にすぐには脱がすことができないように自衛していたのである。脱がされる前に誰かが職員室に通報してくれるかもしれないという「淡い期待」を持ってのことだったそうだ。「生徒−生徒間」「生徒−教師間」の性的暴行性質上表に出にくい犯罪であり、闇に葬られて実態はつかみにくい。

● 酒たばこシンナークスリ濫用

● これらの違法行為犯罪行為の多くが一般社会ルールにのっとって警察沙汰として処理される事が少なく、放置されてしまう結果となった。器物が壊され、暴行を受けても被害者学校教師・生徒)が泣き寝入りする事が多かった。泣き寝入りをしてしまう事が結果的に荒れる生徒たちに足元を見られる結果となり、校内暴力助長させた。

一般社会では逮捕されるだろうと思われるような行為でさえまかり通っている状況で、授業や集団生活を成り立たせることは至難の業です。法律ではない校則をはじめとしたローカルルールを守らせることは、非常に難しいのです。学校無法地帯と化します。

学校教師懲戒権 ~ローカルルールを守らせるという困難

→→→1990年代になってから犯罪行為に関しては学校側が被害届を出すようになってきて、これは一定の歯止めとなっていると思います

https://edupedia.jp/article/5adc5dc232850a0000716e48

2020-10-16

好きなVtuber卒業する

私は特に熱心なVtuberファンというわけではない。活動を欠かさず追い続けている特定Vtuberがいるわけではなく、ましてグッズやイベント投げ銭などの有料コンテンツに金を払っているわけでもない。自分作業ゲームをするときBGM/BGVとして、また暇なときや眠れないときなどに気に入った配信者(Vtuberに限らない)の動画を流したりする程度だ。

そんな私がVtuber配信を見るようになったきっかけになった子が卒業するらしい。

彼女を知ったのはVtuberの身内のゲーム大会で、まだ1年も経っていないのではないか。その集団の中でも有名なVtuberを切り抜き動画で何人か知っている程度だったが、大会での彼女の快進撃には注目せざるを得なかった。

自身思い入れのあるキャラクターたちを相棒として選び、彼らを活躍させて勝つため対戦相手分析し、準備した結果導いた勝ち筋を通して勝利を重ねて行ったのだ。

彼女より登録者が多かったり、有力視されていたりする対戦相手に対しても勇敢に戦い勝利して行く姿は、見ている私をも熱くさせ、すぐに虜になった。それはかつてニコニコ動画などでも見ることができたような感動を思い起こさせるものだったのだ。

その後は時間が合えば彼女配信を見るようになったが、その雰囲気が心地よいものだった。

他のVtuberも見るようになったが、配信の回数を追うごとにVtuberなのか演者のものなのかよくわからなくなってくる人も見受けられる中、彼女彼女自身が考える見せ方にとても気を遣っていたように思う。

彼女場合も、どうしても演者パーソナリティ漏れしまうこともあり、私はそれも含めて好きだったのだが、彼女はそこを見られることはあまり好んでいなかったように思う。

また、私が知ったきっかけの大会に出ているように他のVtuberとの交流もありながら、流行に乗るだけではなく、どちらかといえば一定距離を取ることもあり、自分のやりたいことをして、視聴者とやりとりしつつ配信するスタイルも魅力的だった。

彼女卒業すると聞いた寂しさは、どう例えたものだろうか。

あるいは小学校ときに仲の良かった同級生が転校したときのような、清原引退したときのような、そんな寂しさだろうか。

しかし、同級生は25年経った今でも(おそらく)どこかで人生を送っていることだろうし、清原引退しようが逮捕されようが、「NoシャブNoライフ!」と叫ぼうが、その後に送っている人生を知ることができる。

より近い感覚としては、親が突然余命宣告されたとき、または少しの間会っていなかった友人が急死したときのそれかもしれない(画面の向こうのVtuberに対して親を引き合いに出すのはどうかと思われるかもしれないが、私は世間一般に比して親のことをあまり好きとは言えなかったので、まあ適当塩梅なのではないかと思ったのだ。)。

まりVtuber卒業とは突然の死なのだ。それについては過去に散々議論はされているものと思うが、私はそう感じた。「言葉」ではなく「心」理解できた、と言うべきか。

しかし、卒業の知らせがショックであった一方で、彼女「卒業」という選択をすることができたのはある意味幸福であるようにも思う。この業界(と言うほどに私は詳しくもないが)、突然の活動休止や謹慎、その後の引退契約解除になるケースも珍しくない中で、彼女自分の見せたいことをやりきった結果として、というかそれを完成させるために「卒業」へ至ったようにも見えるからだ。

活動の中で垣間見える演者の人柄を見るに、これまでの人生必ずしも順風満帆ではなかったのではないかと(邪推ならいいのだが)思えることもあった。それが良い方向に向かうよう努力している様子も伺え、内心それを応援していた私としては、演者人生がより良い将来に繋がってほしいものだ。

彼女とその演者彼女を愛した人たちに明るい未来のあらんことを願う。

2020-08-23

仮に萌えキャラ児童書が売れていたとして「児童書は全部この絵柄だな。クソだな」ってなって「卒業」した後には「ガキ向けの象徴」として避けられるようになるんじゃ?

2020-08-06

心が折れそうだから、まずはやりたいことをやってみる継続テスト書き

もうあとほんの少しでも衝撃がきたら、心が根元からボッキリいってしまう気がする。

から、まずは自分がやろうやろうと思っていたことを今日から継続して行おうと思う。

三日坊主なきらいがあるので継続できない可能性もあるが、とにかくやる。

逃げ場がない。作らねばなるまい。

ずっとやりたいと思っていたことを蔑ろにして、毎日毎日心をすり減らして、

洗い物する気力も料理する気力も、やりたいゲームをする気力もなく、

買ってきた弁当なり総菜なり食って寝るだけ。

それでも体は休まってなく、数時間後に勝手に目が覚める。

もう少し寝れると思っても目は冴え、横になっているうちに準備する時間になる。

シャワー浴びて弁当詰めて、(最近上記の通り晩飯作る気力すらないので冷食か諦めてスーパーで買う)

8時前には家を出る。

最近だと家に着くのはそこからまるっと12時間後の夜8時ぐらい。

そこから色々やってとなると、気力がない。

お腹空いてるからすぐご飯食べたいと思うしでも飯作る気力はないしゲームもやりたいしでも明日の準備もしなくちゃだしなんてしてるうちにそろそろ寝るべき時間になっている。

(ひどい人はもっと早くから遅くまでなのだろうが、だからといって私がつらいわけではない。そりゃあ私よりつらい人は山ほどいるだろう。恵まれている方なのかもしれない。それでも私がつらいと思ったことは私の「つらい」だし、同様に私よりつらい環境の人もその人の中で「つらい」だけだ。お互い別個の「つらい」だから比較対象ではない。キャパも違うし)

こんなご時世だから仕事辞めたところで職にありつけるのか謎だし、こんな心持で転職できるのかも危ういし、そもそも勤め人むいてるのか?って思う。

むいてる人なんていないのかもしれない。それでも周りの人間はそれなりに仕事ができて、「めんどくせー」なんていいながら仕事してる。

から見ると「この人たちは適合できているんだな」と純粋にうらやましく感じる。

最初は「学生気分ぬけてないなこの人ら」と思っていた私だが、ふたを開けてみれば私の学生気分が抜けてないだけで、周りはとっくに「卒業」していた。

ミイラ取りがミイラになる」なんてことわざ存在は知っていたけれどまさか私がその当事者になっていたとは。

まあミイラ取りでもないんだけれど。元からミイラだったのかもしれない。生きる屍。うーん否定しきれない。

振り返れば今まで、なにか明確に自分で道を決定したことがなかったような気がする。

なんとなく楽しそうだから、なんとなく楽そうだから何となく面白かったから、何となく受かったから。

色々考えて生きてきたつもりでも、全然考えて生きてこなかったんだな。ウケる

因果応報な気もするが、ただはき違えたくないのは「仕事の為に生きる」のではなく、「生きるために仕事をする」というのが本分であるということ。

仕事なんか(もちろん今している仕事好きな人とか趣味仕事にしている人もいるだろうが)のために命削るのばかばかしくないスカ。

社会的責任が~」とか正直「うるせえ!」って思いませんか。私の人生は私の人生だ。犯罪を犯したとか倫理的問題があるとか、そういう事ならまだしも別にただ生きてるだけでなんで属してる組織社会に捕らわれきららねばならんのだ。息継ぎするスキマぐらい存在したっていいだろうが。

楽しいだけの人生がないのは何となくわかるけど、だからと言ってなるべく多くの「楽しい」を得られるように生きちゃダメなのか?

ダメって言われてもなるべくそうありたいからその問いかけは無駄なんだけどさ。

要約:宝くじ一等当てて慎ましく暮らしたい。

一日目終了、反撃の狼煙

なにへの?

社会に適合できない自分と、そんな社会への。

久しぶりに文章打ってて気づいたことは、このPCクソもっさりだし延々とファン熱いしうるさい。

あと ”「” キーがなんか詰まってるのかめっさ押しづらい。新しいPCほしいな。

あとさっき久しぶりに趣味を行ったら(って表現であってるのかしらんが)すごい楽しかった。

本格的に学ぶとなると金もかかるし継続できるか別だろうけど。でもやってみたい。

やりたくないことやるのってエネルギー消耗するけど、やりたいことをやるってエネルギー湧くな。

いいことに気づいた。それだけでもこれは収穫だったかもしれない。

2020-07-15

天才秀才底辺

ちょくちょくツイッターやらなんやらのインターネット空間の場で、日本学校教育(特に公立中学校)が個性を認めない!学力が正当に評価されない!みたいな話が流れてくる。

まあ実際、そういう個性認めないというか認められにくいというのは場所によってはけっこうあるだろうし全体的には事実なんだろう。

ここで同時に話としてついてくるのは、「日本教育底辺(あえてこういう表現をする)に合わせてるせいだ」とか「頭のいい子をそいつらと別に頭のいい子の都合のいいように指導しろ」とか「底辺底辺だけ集めて指導して学力がある子は学力はある子だけで指導すればよい!」みたいなのとかである。大体は「個性を伸ばす指導しろ!」みたいな感じでまとめられている。

自分にとってはこれがクソほど不快で大っ嫌いだ。吐き気がする。何が個性を伸ばせだ。気持ち悪い。

他にも、趣旨はさっきのやつと違うが、「暗記をするような教え方が悪い!」みたいな話もついてくる。これもクソほど大っ嫌いな話だ。

まあ、これらの言ってることは確かに理屈は通ってるし正しいかもしれんが、自分はこれらがクソほどに不快気持ち悪い話ということは終始述べておきたい。

底辺の妬みって言われたらそれまでだが。

まず第一に、この手の話を言ってる奴らなんて勉強できない底辺実態なんて一切知らないってこと。

基本的インターネット空間でこの手の話をしているのって高校がいいとこ(ここでは偏差値55以上の高校)で大学も国公立!みたいな志望を持ってる/持ってたような奴らである。(もちろん、例外もある。だけど、この手の話をしている奴らって基本的にそういう「奴ら」なのだ大学にいた/いることが前提のような「奴ら」なのである)

そういう奴らは基本的につまずくことはあれど、なんとかできる奴であって、底辺みたいに「なんとかならない」奴とは似ても似つかぬものであること、そして、インターネット空間でそういうことを言えるほどの知識教養がある。

現実でも、インターネットでも、そのなんとかなる空間で集まっている人間個性を伸ばす教育しろって言ってるのが実に滑稽で腹立つ。

こんな文章を読んでる奴は九九ができない大学生とか聞いたことあるかと思うが、この話のように本当に底辺は「なんとかならない」というのをわかっていない。

そして、これが大事な話だが、たとえ天才秀才でもこの底辺に「なりえる」こと。

これはつまり、今まで天才秀才でいた子が底辺になったとき、その子を見捨てることと同義なのだだってそいつの周りには残った天才秀才しかいないし、底辺は実質そいつだけなのだから

こんな馬鹿話、「ありえない」と思うだろう。実際、自分もそうだろうと「思っていた」。だって自分が「そうなった」のだから

自分語りになるが、自分地方高校の名門進学校に通っていた。成績は悪いかいかと言われたら悪いと思っているけど、それでもテスト高得点をとることはあったし、とある科目でクラス一位をとることもあった(別にイキっているわけでもなんでもない)。

そこまではよかったのだが、高二の冬ごろから精神疾患を患い、授業にもでれず、勉強もできない底辺に成り下がった。本当の本当に勉強ができないのである、読んでも書いても聞いても理解できない、本当に地獄だった。あいにく、自分教諭サポート(注意しておきたいが、このサポート「卒業」に関してのサポートである、決して授業理解サポートではない)があって卒業はできたのだが、それがなかったら、高校を退学していただろうし、誇張表現抜きで最悪この世にはいないだろう。このように、底辺へのサポートがなければ、今の自分存在しない。

「それはお前の話だし、そもそも、その底辺でもサポートできるような進学校行けていいじゃないか何が悪いんだ」や「名門進学校行っている時点で底辺とは言わないぞ」みたいな反論があると思う。

自分が言いたいのは、「底辺を知らない」のことの問題であって、自分個人問題ではない。確かに自分は名門進学校に通っていてサポートを受けたが、そこで、実際に勉強が一切できないという「なんとかならない」状態になったのである底辺「卒業」はできるが「勉強はできない」「理解はできない」。これが、底辺が「なんとかならない」ということである。それを理解してほしい。九九ができない大学生が典型的な「それ」である

これを知らないで底辺別に指導できるかって言われたら無理だろう。自分でもどうすればいい?と思う。経験していてもわからないのである

そして、底辺に落ちた場合、拾ってくれるような人がいたらいいが、拾ってくれないとどうするんだ?底辺が一人増えたところで変わらんとか言われそうだが、いきなり一人増えると増えないとでは大きな差がある。「勉強はできない」「理解はできない」を治せばいいのかもしれんが、なんで「勉強はできない」「理解はできない」のか、理解したことあるのか?理由精神疾患だけとは限らないのに。

まあ、こんな自分語りと藁人形論法はこれまでにして、次の話に移るか。

次の話は、田舎(ここでは、周りには田んぼしかなく、交通網もバスが少ししかないような地域のことを指す)に住んでる天才秀才をどのように底辺と分離するかだ。

ここで注意しておきたいのは、自分田舎侮辱する気は一切ない。両親、親戚が田舎出身なのもあり、侮辱するようなことは自分としては許せないし看過できない。ここで述べられている事項は田舎で本当にあることなである

まず、ご存知の通り田舎では人が少ない。そのため、子どもも少なく学校も本当に少ないし小さい。

で、基本的にそのような学校は「公立である都市圏存在するような「中高一貫」という概念なんて存在しない。正直言って地方でもその概念存在しない場合もある。

そして、田舎で一番の問題となるのが、周りに「進学校」というもの存在しないのである

周りに「進学校」がないと、どうなるかわかるだろう。長い道を使って遠方の「進学校」に行く必要があるか近くで下宿する必要がある。

先ほどあった自分語りのように、自分高校の名門進学校に通っていた。そこでも、田舎から片道一時間かけて通っている人はいた。

その人は田舎に住んでて確かに進学校」に通っていた。

けれども、その人の通ってた小中学校はどのくらい「進学校」にいったのか?

しかしたら、その小中学校は頭いい人が多く「進学校」に行っている人も多いかもしれない。

けれども、田舎は「子どもも少なく学校も本当に少ないし小さい」。

もし、そこで底辺天才秀才を分けて指導しようとする、するとどうなると思う?

簡単な話だ。「分離ができない」のである

田舎学校という人が少ない場所で、底辺天才秀才を分けれるような人数いると思うか?

それに、もし天才秀才がいたとして、そいつ指導するための知識提供者が周りにいないだろう。たとえインターネットや本で情報を得ようとしても、地方都市圏と比べて情報の取得量は格段に少ない。

底辺と分離しようとしたら、答えとしてたどり着くのは、田舎から「出ること」である

田舎から「出ること」、それはつまり田舎では底辺天才秀才の「分離ができない」ということの意味のものを指している。

そして、田舎には天才秀才というものは消えていく。人も消えていく。残るのはなんだろうか。廃墟か?

結局のところ、これの最終的に行き着く先は階層再生産なんだろう。

底辺が残ることで底辺が同じ場所で一生を過ごし、そしてそこで新たな底辺を生み出す。逆に天才秀才場所を移動して、その場所で新たな天才秀才を産み出す。同じ人間で同じ人権を持っているはずなのにこんな差が生まれる。

かなり暴力的表現だが、親の文化資本学力成功関係を見ると必然的にそう考えざるを得ない。

個性を伸ばす指導を行うためには田舎を捨てる必要がある。だって田舎では底辺天才秀才の「分離ができない」だもん。

自分地方でも周りに進学校があるような割といいところに住んでたし、言うのもあれなんだが、中流階級(安定した場所に住んでたことと割と安定した収入を持った父親がいたのでそういう分類にした)であったので、本当はこのような田舎問題を語る資格はないかもしれない。

けれども、「個性を伸ばせ!」と言っている奴らは田舎問題のことは無視してスマートフォンパソコンの画面を光回線が繋がった家や整備されたアスファルトの上または電車の中で見ながらこういうことを言っているのである。腹立たしい。

最後に、「暗記をするような教え方が悪い!」の言及だけして終わりにするか。

これね、一個目で言ったように底辺は「勉強ができない」「理解ができない」。たとえ、方法やその原理を教えたとしてもそれらができないせいでまともにその方法を使えない、いわば、馬の耳に念仏猫に小判のような状態になっているんですよ。

から、その底辺有効手段としては暗記が一番で、暗記がなければ底辺はまともに覚えることすらもままならない。

もちろん、一個ずつ丁寧に教えれば理解するかもしれんが、それにいくら時間かける必要がある?誰がやるの?そして底辺全員にできるの?これらの問題を全て解決できますかと言われたら無理でしょう。

勉強ができない」「理解ができない」って言うのはそのぐらい大変なものである。「教え方が悪い」じゃ片付かないんですよ。

以上、元進学校出身現在底辺私立大学に在学している人間嫉妬ポエム

2020-07-14

「「童貞」を「卒業」する」とは、童貞に対して±で何の価値も抱かないことだ

それが出来てないなら、それは単に身体が「童貞」を「卒業」しただけで、心は「卒業」出来ていない。

2020-05-24

テラスハウス」で花を追い込んだのはコスチューム洗濯事件じゃない

この説唱えてる奴は、どうせ花の訃報話題になってから後追いでテラハ見て、直近のエピソードであるコスチューム洗濯事件を見てそれっぽい理由つけてるだけだろ。ラジオリアルタイムで聞かずwebニュース記事ソースにしてdisった社会福祉ヤクザみたいなことはやめろ。

 

違う。最初からテラハ今シーズンを見てる人ならわかるけど、花にはとにかく居場所がなかった。最新話時点で入居してる女性陣は、ロシア系美女ビビ(ビビは最新話で卒業して、代わりに「中国ガッキー」としてSNSでも有名な美女ロン・モンロウが入居)、「世界もっとも美しい顔100人」に2年連続ノミネートされるグラビアアイドルIT企業社員のゆめ、そしてプロレスラーの花。

 

身もふたもないこというけど、恋愛リアリティショーの登場人物という意味キャラクターが弱すぎた。花はプロレス生業としてる珍しさで「掴み」はOKだったけど、その後花と男性陣の間で恋愛的な発展を見せることがほとんどなかった。メンズからは「とりあえずのご飯」を誘われては終わりを繰り返しており、最新話にいたってはほとんど登場することもなかった。撮れ高が低すぎた。コメンテーター山ちゃんも、花にはほとんど触れてなくなってしまった。番組全体に「花こいつどうしよう…」みたいな空気感が漂っていた。

 

テラハを見てる人ならわかるけど、みんな「居場所ねーな」っていう雰囲気を感じるから「卒業」する。好きな人と結ばれたか卒業なんてシーンはほとんどない。花も卒業タイミングを迎えていたと思うがどうも卒業する雰囲気がない。そして最新話で花が話した「コロナの影響でプロレス興行がなくなって収入がない」というセリフ。花は専業プロレスラーであり、コロナ禍において収入がなくなってしまったらしい。(視聴者勝手目線だと)「金がないかテラスハウス無料で居座ってるだけなのでは…?」と勝手に思うようになってしまった。

 

Netflixテラハを追っかけてる熱狂的なエンドユーザー(配信が始まると同接45万人くらいになるとかいう話誰かしてなかったっけ?いずれにせよお化け番組)は、視聴後すぐに「#テラハハッシュタグ番組辛辣感想Twitterに書きまくる。そこまでがワンセットだ。

 

最新話後のTwitterでは、ゆめと社長北海道旅行でのやりとりについて、ロンとしおんの新鮮な展開への期待、レオとゆめの男女としての高度な駆け引きについて書かれることが多く、恋愛に絡んでいけない花にはひたすら触れられないか「早く卒業しろ」「いらない」みたいな投稿ばかりになってしまった。コロナ仕事がなくなりスマホばかり見るようになって、そういう情報洪水を受けた人間がどういった選択をするのか想像するのは難しくない。

 

SNS誹謗中傷するのは良くない!」と芸能人が言い始めてるけどそんなことは当たり前である。頭の悪いこと言ってんじゃねーよ。背景、構造まで踏み込めよ。そうやって反論すらも140文字世界で繰り広げてるからいつまでも世界は変わらないんだぞ。

 

そうではなく、SNSでの炎上見込んで視聴者を巻き込み盛り上がる番組手法倫理的な是非と、それでも続けるなら登場人物への十分なメンタルケア金銭的なケアまで気を配るべきだ。「休眠会員からお金取りません」とか良い人ぶってんじゃねーぞNETFLIX。その金で登場人物ケアしろ

 

テラスハウス今シーズンの残エピソードはもうお蔵入りだろう。1ファンとして残念だけど仕方ない。トランポリンしてる時の花、幸せそうだったな。

2020-03-02

いつまで経っても直せない、人間関係リセット癖についての一考察

人間関係リセットする癖がある。

中学とき高校とき、仲が良かったはずの友達と、卒業後は、連絡がきても1度も返していない。というかLINEを全員ブロックした。同窓会にも欠席した。出席する選択肢がなかった。

高校3年間」というスパンで見ても、仲が良かったはずの友達クラス替えで別々になったら、連絡をとるのがものすごく面倒になった。流石にリセットはしないけど、面倒で連絡を全然さないでいたら、自然と疎遠になった。大学生である今も、割と似たようなことをしている。

このリセット癖が何に起因するものなのか、自分でも分からなかったんだけど、きょう、理由がわかった気がする。

今、めちゃくちゃユリーカ!!!って感じなのだが、唯一使っているSNSであるInstagram友達と繋がってるうえに文章を書くのは向いていないし、あまりに薄情な理由なので、日記を書いている個人ブログに書くのも人間性疑われそうで躊躇するので、ここに書く。はてなってありがたいねありがとうございます

結論から言うと、「友達はじめ、人間関係大事ものと思える価値感が欠落しているから」。ユリーカするまでもない、自明の理ですね。でも今まで気づかなかった。

私の話をさせてもらいたい。

大学に通ったことのある人ならわかると思うけど、大学に行けば、暇な時間は実にたくさん転がっている。

30分超えの暇な時間なら、読書なり、勉強なり、配信サービス映画を観るなりするけど、細々とした空き時間だと、することがない。ないけど、暇だ。ではどうする?

正解は、「人に話しかける」。

内容なんてなんでもいい。相手が誰でも別にいい。とりあえず近くにいる人(手っ取り早いから)や趣味の合う人(どうせなら楽しく暇を潰したいから)と話す。そうやっていると、大学入学して1ヶ月もすれば、「誰とでも話す明るいフランクな人」っていうパブリックイメージができあがる。なかでも頻繁に喋る相手とは、「よく一緒に行動する友人グループ」みたいになる。中学高校のころも、学年が上がる時も、バイト先でも、同じだった。

事実、喋ること自体は嫌いじゃない。バカ騒ぎは苦手だが、色々な人の色々な価値観やもの見方に触れるのはとても楽しい

私は最初に「休日にわざわざ」が嫌い、と書いたけど、学校終わりに一緒にどっか寄って帰る、程度なら大丈夫だったりする。「暇つぶし」の延長だから

「誰とでも話す明るいフランクな人」をやっていると、なにかの幹事になることを頼まれたりする。すげなく断ることでせっかく構築した「暇つぶしの話し相手」を失いたくないし、リーダーシップをとってイベントごとを仕切っていくのは得意なほうなので、よっぽど面倒な役回りじゃない限り、引き受ける。

だが、いったんバイバイを言って、家に帰ったり、1人で寄り道をはじめると、大学友達は、「暇つぶし相手」ではなくなる。少なくとも、「"手近な"暇つぶし相手」では。だって隣にいないのだから。だからLINEがきてもなかなか読まないし、返さない。ただLINEなどのレスポンスが遅い人は一定数いるので、ごめんごめんと言いつつ適当に返して適当無視していれば、「そういう人なのね」と向こうが勝手に納得してくれる。

土日に「遊ぼう」と言ってくれる友達がいるが、土日は大学がないので、彼ら彼女らは「手近な暇つぶし相手」ではない。

なので、その遊びの誘いは、ただただ「面倒くさい」ものとなる。

面倒くさいので、バイトがあるから、とか適当理由をつけて、半分は断る。半分は申し訳ないし暇な時の話し相手を失いたくないしで、遊びに行く。

これが「夏休み」「冬休み」になると、友達の「手近な暇つぶし相手度」は、さらに低くなる。四分の三は断る。それでも4回に1度は行く。

ちなみに「誘いに乗って遊びに行ったらどうなるか」というと、ヘトヘトに疲れ、MPを大幅消費して帰ってくることになる。あの、本当に分からないんだが、ディズニー旅行ならまだしも、ただの買い物やくだらないカラオケを誰かと一緒に行うことのなにが楽しいんだろうか。1人なら誰にも気兼ねしないし自分のペースで動けるし無駄時間がないし、カラオケにしても特に聴きたくもない友達の歌を聴くことに貴重?な規定時間を割くこともないのに。

話が逸れた。

さて、先程の「土日」が「夏休み」になり、さら「卒業」になったら、「友達」は、私にとってどうなるか。

もう答えを言う必要もないと思う。「まったくもって暇つぶしにならない」うえに、たまに連絡が来たりする、「面倒な存在」だ。LINEがきても邪魔なだけなので、ブロックする。

中学とき高校ときもそうだったし、多分大学卒業するときも、同じことをするだろう。

そもそもなんで友達暇つぶしの道具扱いしていると気付いたのかについてそろそろ書かなくてはならない。今日美容院に行ったのだが、美容師さんと趣味の話になり、映画鑑賞が好きだと伝えると、奇遇なことに美容師さんも映画が大好きだという。一通り最新映画の話をしたのち、美容師さんが

「そういえば、Twitterとかやってないんですか? Twitter映画好きの人、いっぱいいますよ。映画感想言い合ったり、映画友達作ったり。」

と言ったのだ。

「えー、いやー、やってないですね。SNS苦手なので。」

「やってみたいとか思わないんですか?私やってますけど、びっくりするぐらい趣味のあう友達できますよ。あ、シャンプーしますね」

いい香りシャンプーで髪を洗われながら、わたしの脳は急速に回転していた。「私、びっくりするぐらい趣味のあう友達別に欲しくない。」→「なんで友達欲しくないんだ? 大学友達と喋ったりは好きなのに。」→「いやでも私めちゃくちゃ友達関係リセットするな。」→「わかった、私あの子たちを友達と思っていないんだ。だから惜しげなくリセットできるんだ。」ユリーカ!!!!!

私は、友人がほしいと、あまり思っていないらしい。というか、人間関係にあまり頓着していないらしい。そう考えると、予備校通いをしていたとき弁当を1人で食べていたら、同じ学校の子に異様に心配されてむちゃくちゃ困惑したこととか、高校でよく「交友関係広いよねー」と言われていたにもかかわらず(実際クラスほとんどと日常的に話しをしていた)、いわゆるスクールカーストみたいなパワーバランス全然読み取れていなくて、友達に言われてはじめて「え、あの子とあの子仲悪いの?!?!」とびっくりしたこととか、二十年以上生きてきて今まで恋愛という意味で誰かを好きになったことが1度もないこととか、他にもその他もろもろ、腑に落ちる。

居るなら居るで適当に付き合うし、居ないなら居ないで、べつに不自由しない。あるならあるでいいし、ないならないでいい。

今日気付いたばかりなので、さら考察を深めていけばまた違う事実が顔を出すかもしれないけれど、今の時点では、自分をこう分析している。人間に興味が薄いのに、映画文学演劇など、「人間が創るもの」が大好きな理由は、まだ分析できていない。

自分の悪癖に暫定的理由けができたのでなんとなくほっとしているが、多分結婚もせず、暇な老後を慰め合う友もおらず、孤独な老人になって死んでいくんだろうなと思うと、ちょっと残念ではある。それはそれで愉快な老後だと思いこそすれ……

2020-02-04

この精神状態で生きていくってマジ?

 初めていわゆる希死念慮存在に気づいたときはまだ15歳とかそんなもんだったので、大人になるにつれて収まっていくと思っていた。自分がいわゆる思春期精神的にメチャクチャ不安定だということは理解していたので死なずに頑張っていればいつか何かにつけて死にてぇ~と思う状況は脱せると信じていた。でもそんなうまい話があるわけもなく、約十年が経った今でも希死念慮絶賛継続中だ。

 希死念慮ってこんなに持久力あるのかと驚いた。しか大人になると降りかかってくるライフイベント一つ一つがクソ重く、結果学生時代より精神状態は深刻になっている。終わりが見えないもんね。十代のトラブルは大概「卒業」まで耐久すればなんとかなったが大人自己責任リスクを取って引越しだの転職だのするしかない。あるいは人生を降りるか。

 実家蟠りがあるタイプ人間から軽率にそちらは頼れんし、メンタル医者は当たり外れが激しいから探すだけでかなり労力になる。一回行ったことあるけどそこで外れを引いて嫌になってしまった。

 みんなこんなもんなのかな、とは思っている。でも、みんなこんなもんだからといって僕の辛さは軽減されない。二十代にして気持ち的には人生詰んでいる。こんな精神状態のままアルコールだのカラオケだのゲームだので騙し騙し残り何十年もあるだろう人生生きていくのか?と思うだけで誇張抜きで気が遠くなる。

 みんなどうしてる?どうしようか?

2020-02-01

ドラクエの死とポケモンリストラについて

ドラクエは死んだ。皆が愛していたドラクエは死んだ。

子どもたちが夢中になっていたドラクエは、もはやおっさんたちのコンテンツになった。ファン層の平均年齢は毎年一歳づつ上がっていくようになった。

こんな自体になった理由はいろいろあるだろうが、一つは「本編が出ない」ことだ。

ドラクエ9が出たのが2009年オンライン102012年で、112017年だ。その間隔はあまりに空きすぎている。

発売時がもっとも盛り上がりの熱を帯びている。そのとき子供を巻き込まなければ子供は「ドラクエ不在の幼少期」を経験して大人になってしまう。ファミコンスーパーファミコンの頃2年ごと3年ごとにドラクエ熱波を浴びていたオッサン層とはあきらかに盛り上がりの熱意が違う。だからこそかつてのドラクエは死んだのだ。

もう少しマシな状況なのはファイナルファンタジーだ。これも本編がなかなかでない。でないのだが、ドラクエと違って世界観モンスターシステムもがらりと毎回変えてくる。「その時の最高水準の画質と演出を」がモットーシリーズだ。日本では低迷しつつあるが、世界新規層を獲得している。遠い未来はともなく、しばらくは安泰だろう。

さて、ドラクエと同じく世界観は似ていてモンスター共通していてシステムも大枠が一緒なのにもかかわらず今でも人気を保持しているゲームシリーズがある。そう、ポケモンだ。ポケモンは相変わらず大人気だ。子供から大人まで巻き込む恐るべきシリーズだ。ポケモンドラクエ、いったいこの差はなんだろうか?

ポケモンのやっていることは単純明快だ。3-4年起きに本編を出す。その合間をリメイクと別バージョンで埋める。とにかく熱気を途切れさせず、子供たちを巻き込ませることに成功しているのだ。一度「卒業」した大人たちを再度引き戻すことにもなる。途切れさせないことの強さをポケモンは知っている。

しかしそれは容易ではない。ファイナルファンタジーが何度も作り直しになって開発期間がずるずると伸びているように、期日厳守はゲームでは困難だ。人員無限ではない。下請けに出すのも可能だろうが、それはあくまスピンオフに限る話だ。本編ポケモンをわかっている者たちではないと、本編はつくれないのだから

そういう状況下において3DS、今まで本編がでていた携帯機というプラットフォームは実は有利だった。

HD時代逆境する低解像度のため、一体一体のポケモンを作り込む必要はあるもの限界は当然すぐ上だ。荒があっても3DSの小さい画面だから見えるはずもない。だからこそ彼らはポケモン新規追加し続けることが可能だった。

しかしそれもついに限界がきた。そう、Switchだ。ついに720pで作り込む必要がある。3DS比でざっくり9倍の労力だ。それを限定された開発期間でだ。当然不可能だった。

今回のポケモン剣盾のリストラ騒動はこういうことだ。ポケモンというシリーズ延命させるために、子供たちをポケモン熱狂から覚めさせないように、できる範囲でできることを選択したのだ。後日ポケモンが追加配信される理由もわかっただろう。間に合わなかったのだ。

今後ポケモンというシリーズが展開されるにあたって、リストラされるポケモンが増えることはあっても、今までのポケモンが全て揃うことはないだろう。そんなことをする余裕があったら新規ポケモンを追加したほうが「これからポケモンに接してくれるはずの子供」は喜ぶだろうから。怒るファンはいるだろうか、彼らの言葉を聞いていたら、本編は10年かけて出すようになるだろう。ファンは待つかもしれないが、子供はまってくれない。そしてポケモンは死んでしまうだろう。

以上、ポケモンを一作もやったことがないドラクエファンより。

2019-11-15

anond:20191115203711

男性ホモソーシャルは男女関係よりも男性同士の関係を重視する。

「女とイチャつくより俺たちと遊んでるほうが楽しいよな?」とか「女なんかにうつつを抜かしてないで部活の仲間のために練習しろ!」みたいなやつだ。

男子ホモソーシャルに属するあいだは女子と仲良くできない。

女子だと素直に友達の恋を応援したりするのかもしれないが、男子はなんとなく「あいつは女子の味方かよ」「男らしくねえな」みたいな感じになって冷やかされたりして恥ずかしいのだ。

から男子は好きな子ができると「話しかけたいけど仲良くはできない」というアンビバレントな状況に陥ってしまい、どちらも満たす手段として「からかう」というチョイスをすることになるわけだ。

いやまあ、からうから好きだというわけではなくて、単に「女なんか何とも思ってねえぜ!」というかっこつけである場合も多いんだけどな。

ただ、そういうホモソーシャル的な圧力は幼いうちは非常に強いけど、成長して自立していくにしたがって次第に薄れてくる。

まりホモソーシャルを抜けて恋人をつくる」という選択肢が生まれてくる。

なんだか「卒業」的な感じ。

一足先に大人になりやがって感。

逆にいつまでもホモソーシャルに属したまま女性と付き合おうとすると「女をモノのように扱うヤリサー」みたいなのになったりする。

「男同士の関係こそ大事だよね、女なんか奴隷だよね」というアピールのために男のコミュニティ女性を引きずりこむわけだ。

(補足するけど、ホモソが極端に悪いかたちで働くとこうなることもあるというだけで、男は全員レイパー予備軍とか言いたいわけちゃうで)

パターンで、女性と付き合えないかいつまでもホモソーシャルから抜け出せないのがオタクと言えるだろう。

社会人になって男だらけの中小企業とか行くとまたホモソーシャルが強まって女性差別的なオッサンになっていったり、

仕事と家庭のどっちが大事なの」というアンビバレントにまた苛まれたり、

結婚して落ち着く」というホモ卒業イベントが再び見られたりするのだが、それはまた別のお話

2019-07-26

「終わりなき日常の終わり」とかいう終わってるコラム

アニメなんてなくても生きていける。

そう論じるのは簡単なことだ。

だが

人間そもそも不完全なものであり、合理性のみで人生を全うすることは難しい。

それが出来る人間もいようがその数は決して多くない。

アニメに限らず、ゲーム、酒、タバコ、異性、ギャンブル、車、ゴルフ音楽アイドルスポーツ観戦、特撮映画小説

多くの人間一見生産ものにひと時その身を浸して癒やしを得、日々の暮らしにおける心の糧にしているものだ。

まずこういったもの批判をすること自体禁酒法時代アメリカ天保の改革風俗取締令のようなナンセンスさがある。

すでに多くの批判が寄せられているが、大阪芸術大学純丘曜彰教授の例のコラムの改稿前のものを長くなるが引用し、思うところを述べていきたい。

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終わりなき日常の終わり:京アニ放火事件の土壌

純丘曜彰 教授博士

大阪芸術大学 哲学教授

/夢の作り手と買い手。そこに一線があるうちはいい。だが、彼らがいつまでもおとなしく夢の買い手のままの立場でいてくれる、などと思うのは、作り手の傲慢な思い上がりだろう。連中は、もとより学園祭体験を求めている。だからファンなのだ。そして、連中はいつか一線を越えて、作り手の領域に踏み込んでくる。/

まりに痛ましい事件だ。だが、いつか起こると思っていた。予兆はあった。たとえば、16年の小金井事件。熱烈なファン豹変し、本人を襲撃。アイドルアニメは、そのマーケットクリティカルな連中であるという自覚に欠けている。

もとはと言えば、1973年手塚プロダクションの瓦解に始まる。同じころ、もう一方のアニメの雄、東映労働争議で多くの人材放出。かれらは、それぞれにスタジオを起こした。だが、これらのスタジオは、アニメ製作ノウハウはあっても、資金的制作能力に欠けており、広告代理店テレビ局の傘下に寄せ集められ、下請的な過労働常態化していく。

そんな中で74年日曜夜に放送された『宇宙戦艦ヤマト』は、視聴率の低迷以前に予算管理製作進行が破綻して打ち切り。にもかかわらず、時間帯を変えた再放送で人気を得て、77年に映画版として大成功。当初はSFブームと思われ、78年の『銀河鉄道999』や79年の『機動戦士ガンダム』が続いた。しかし、サンリオ資本キティフィルムは、80年に薬師丸ひろ子主演で柳沢きみおマンガ翔んだカップル』を実写化し、SFではなく、その背景に共通しているジュブナイル、つまり中高生モノの手応えを感じており、81年、アニメに転じて『うる星やつら』を大成功させる。

このアニメの実際の製作を請け負っていたのが、手塚系のスタジオぴえろで、その応援として、同じ手塚系の京都アニメーション前身が稼働し始める。そして、その後のアニメ業界大勢の方向を決定づけたのが、84年、この監督だった押井守映画オリジナルストーリーうる星やつらビューティフル・ドリーマー』。SF色を取り入れた学園コメディで、学園祭の準備が楽しくて仕方ない宇宙人女の子ラムの夢に世界が取り込まれ、その学園祭前日を延々と毎日、繰り返しているという話。

アニメには、砂絵からストップモーションまで、いろいろな手法があり、セル画式だけでも、『サザエさん』や『ドラえもん』のようなファミリーテレビ番組はもちろん、『ドラゴンボール』や『ワンピース』のような人気マンガを動かしたもの、『ベルサイユのばら』『セーラームーン』のような少女マンガ系、『風の谷のナウシカ』や『AKIRA』のようなディストピアSFさらにはもっとタイト大人向けのものもある。

にもかかわらず、京アニは、一貫して主力作品は学園物なのだ。それも、『ビューティフル・ドリーマー』の終わりなき日常というモティーフは、さまざまな作品に反復して登場する。たとえば、07年の『らき☆すた』の最終回24話は、『BD』と同じ学園祭の前日。エンディングでは、あえて『BD』のテーマ曲を下手くそに歌っている。つまり、この作品では、この回に限らず、終わりなき日常に浸り続けるオタクファンをあえて挑発するようなトゲがあちこちに隠されていた。しかし、「エンドレスエイト」として知られる09年の『涼宮ハルヒの憂鬱』2期第12から19話までとなると、延々とほとんど同じ夏休みエピソードが繰り返され、『BD』に悪酔いしたリメイクのような様相を呈する。

もっと言ってしまえば、京アニという製作会社が、終わりなき学園祭の前日を繰り返しているようなところだった。学園物、高校生サークル物語、友だち話を作り、終わり無く次回作の公開に追われ続けてきた。内容が似たり寄ったりの繰り返しというだけでなく、そもそも創立から40年、経営者がずっと同じというのも、ある意味、呪われた夢のようだ。天性の善人とはいえ社長の姿は、『BD』の「夢邪鬼」と重なる。そして、そうであれば、いつか「獏」がやってきて、夢を喰い潰すのは必然だった。

なぜ学園物が当たったのか。なぜそれがアニメの主流となったのか。中学高校は、日本人にとって、最大公約数共通体験からだ。入学式修学旅行学園祭卒業式教室体育館、登下校。だが、実際のファンの中心は、中高生ではない。もっと上だ。学園物は、この中高の共通体験以上の自分個人人生空っぽな者、いや、イジメ引きこもりで中高の一般的共通体験さえも持つことができなかった者が、精神的に中高時代に留まり続けるよすがとなってしまっていた。それは、いい年をしたアイドルが、中高生ガイ制服を着て、初恋さえ手が届かなかったようなキモオタアラサーアラフォーファンを誑かすのと似ている。

夢の作り手と買い手。そこに一線があるうちはいい。だが、彼らがいつまでもおとなしく夢の買い手のままの立場でいてくれる、などと思うのは、作り手の傲慢な思い上がりだろう。連中は、もとより学園祭体験を求めている。だからファンなのだ。グッズを買い集め、「聖地」を巡礼し、そして、連中はいつか一線を越えて、作り手の領域に踏み込んでくる。それが拒否されれば、連中がどう出るか、わかりそうなものだ。

『恋はデジャブ』(93)という映画がある。これもまた、同じ一日をループで繰り返しながら、主人公精神的に成長するという物語。この話では、主人公だけでなく、周囲の人々も同じ一日を繰り返す。つまり主人公の成長を待ってくれる。だが、映画と違って、現実は、そうはいかない。終わりの無い学園物のアニメうつつを抜かしている間に、同級生は進学し、就職し、結婚し、子供を作り、人生を前に進めていく。記号化されたアニメ主人公は、のび太カツオも、同じ失敗を繰り返しても、明日には明日がある。しかし、現実人間は、老いてふけ、体力も気力も失われ、友人も知人も彼を見捨てて去り、支えてくれる親も死んでいく。こういう連中に残された最後希望は、自分永遠の夢の学園祭の準備の中に飛び込んで、その仲間になることだけ。

起業する、選挙立候補する、アイドルタレント芸人になる、小説マンガの賞に応募する、もしくは、大金持ちと結婚する。時代のせいか、本人のせいか、いずれにせよ、人生がうまくいかなかった連中は、その一発逆転を狙う。だが、彼らはあまりに長く、ありもしないふわふわした夢を見させられ過ぎた。だから、一発逆転も、また別の夢。かならず失敗する。そして、最後には逆恨み逆切れ、周囲を道連れにした自殺テロ

いくらファンが付き、いくら経営が安定するとしても、偽の夢を売って弱者や敗者を精神的に搾取し続け、自分たち自身もまたその夢の中毒に染まるなどというのは、麻薬の売人以下だ。まずは業界全体、作り手たち自身がいいかげん夢から覚め、ガキの学園祭の前日のような粗製濫造、間に合わせの自転車操業と決別し、しっかりと現実にツメを立てて、夢の終わりの大人物語を示すこそが、同じ悲劇を繰り返さず、すべてを供養することになると思う。

まずはこの業界全体、作り手たち自身がいいかげん夢から覚め、ガキの学園祭の前日のような粗製濫造、間に合わせの自転車操業と決別する必要がある。もう学園祭は終わったのだ。休もう。番組も、映画も、穴を開けて休もう。あれだけの京アニ惨事を目の前にしながら、よりタイトな状況で黙々と規定製作スケジュールをこなそうとしていることこそ、異常だ。こんなときくらい、京アニにかぎらず、業界の関連全社、いったん立ち止まって、仕事待遇業界のあり方、物語方向性ファンとの関係見直しあらためてしっかりと現実にツメを立てて、夢の終わりの大人物語を示すこそが、同じ悲劇を繰り返さず、すべてを供養することになると思う。

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京アニは学園ものだけ」という言説に対し、傷痍軍人女性戦後を生きる「ヴァイオレット・エヴァーガーデン」の存在意義が改めて燦然と光り輝いているという事実劇場版企画されており以降もシリーズ化されればそれはもう「学園ものだけ」という批判にはあたらない、はずだったのだが…。

また京アニオリジナルの源流をたどればMUNTOという異世界ファンタジーもあり、今後何が飛び出すか、その可能性は無限に満ちていた。

日本オタク作品の大半が確かに学園ものなのは事実であるが、それは世界観の説明が容易であること、多くの視聴者経験していて没入しやすいこと、といったアドバンテージがある、いわば「手堅い」ジャンルゆえ。

京アニは決して裕福な会社であったとは言い切れないし、またアニメ業界自体流行り廃りが激しく、そんな中で一定収益を手堅くあげる選択をとっても批判されるいわれはあるまい。

エンドレスエイトがいまだに物議を醸す存在であるのは事実だが、話題性が1期よりは希薄になりがちな2期ハルヒを「語る」上で大きな要素になっているという点では意義のある存在ともいえるのかもしれない。

終わりなき学園祭としてひとつ象徴となった「ビューティフル・ドリーマー」、

うる星やつら漫画版で約9年、アニメ版で約5年もの長きに渡り「途切れることなく」続いた学園ものであった記憶もあって、ことにアニメに対して古い感性人間ほど「終わりなき青春」を延々続ける印象もあるが、

近年の製作ペースは1クール12話、月にならせば3ヶ月ほどのスパン基準で、シリーズが続いても2クールか長くても4クールあたりが殆どで、1年を通して続くことはもはや一部の例のみで、1クールないし2クールベースの途切れ途切れの発表ペースになっている。しかうる星が3年を超えて学生生活を描き続けたのに対し、妥当時間経過とともに終わり即ち「卒業」があるのも近年の特徴。

しかアニメファンは常にコンテンツ新陳代謝さらされる中で、コンテンツの完結を一区切りとして、同じ制作会社からといって次に提示される新コンテンツを必ず追い続けてくれるとは限らない。

1期で好評だったシリーズ物の2期ですら、1期以上に人気を得るのは実際難しい。

そしてこの御仁が憂うまでもなくアニメ自体卒業していく人間も確かに存在する。

そういった熾烈なレッドオーシャンで波間の泡のように浮いては消えていくのがアニメ制作会社非情なる現実

そんな熾烈な世界にあって健気に誠実に作品を作り続け、また大きな落ち込みもなく良質な作品供給できる会社を存続させてきた、業界良心の要石のような会社京アニであって、それはこういう批判俎上に上げるべき存在ではそもそもない。

事件からかねがね用意されていたであろう「ぼくのかんがえた日本アニメ概論」をここぞとばかりに持ってきたのだろうが、世界的に見ても比類なきほど理不尽な、そして悲惨事件に対して論じるにはあまりにも適さない代物であったと言わざるを得ない。

このケースは犯人特性も含めて極めて異常であり、安易因果応報的論説にははめ込めないほどの歪さ不条理さがあるのだ。いやしくも大学教授を名乗る立場にふさわしくない浅薄さであったと言わざるを得ない。

この御仁が禄を食んでいる大阪芸大は早くからサブカルチャーに特化した今やオタク御用達大学であり、辺境にありながら高い人気を持ち続けているのはそれ故もあるのに、そこからオタク批判をすること自体、あたかも親の庇護を受けながらヤンキーやってるイキリ中学生のようであり甚だ滑稽でしかない。

オタクにイキって食う飯は旨いか

まぁ一方で確かにアニメ作りすぎなのは事実であるが、それは業界全体レベルの話であり京アニを論って言う話ではない。それは数を作らないと食えないという業界構造にこそ問題があり、是正されるべきものであるのは論を俟たない。だが、かつて勇名を馳せた会社ですら粗製乱造ものも見受けられる中、ひとつひとつ作品を売れる売れないに関わらず本当に誠実に作ってきた会社を取り上げて言うことではない。まして「麻薬の売人以下」とまで蔑まれるいわれはない。

あとアニメうる星はその後綺羅星の如く多くの俊英を生み育てる土壌になり、アニメ産業及びアニメ文化嚆矢ともなったという意味で意義深い作品であり、とりわけビューティフル・ドリーマーアニメ制作班の若き野心とオリジナリティに溢れた傑作であったことも付け加えておく。だがそれに内包されている批判精神は今や一周回って定番になってしまい、それをもってアニメ批判オタク批判をするには「今更感」で一杯で陳腐化していることも。


最後

人的物的、そして心理的にも大きなダメージを負い再起すらも危ぶまれる中、これからの再起を表明した八田社長京アニには、深い敬意を表しつつ、事件前に比肩する制作体制を整えるのはおそらくまだ時間がかかるであろうとも、その行く末を見守っていきたいし、微力であれ力添えもしていきたいものである

そして、亡くなられた方のご冥福と、負傷された方のご快癒をお祈りしつつ、件のコラムのような浅はかな批判論を払拭する新たな可能性に満ちた作品群を期待したい。それがいつになろうとも。

2019-05-24

推し勝手に辞めて、推し勝手に捕まったんだわ

うん、推しが悪いよ

(いや、まぁ"元"推しなんだけど)

ただ、以前はあんなに楽しく話してた人たちがさあ

推しが辞めた途端に全力で推しを叩くのが辛かったなぁってことを、今回の事件で思い出したわ

別に推しを失ったファンに気を遣えよ!」と鼻息荒く言うつもりはなくて、ただ本当に気持ちをどこに持っていっていいかからなかったよ

あいうのを見ると、女性アイドルグループ「卒業」って形の花道は少し羨ましいなと思う

ちょっと書き漏れたか追記

推しと同じグループメンバー「のファンから

推しガンガンに責められてたって話です

そして推しを好きだったファンたちは「私たちだってグループにいた彼がすきだったんすよ…」と行き場のない気持ちを抱いてたっていう

2019-05-06

[] #73-1「娯楽留年生」

好きなものに対する拘りは人によって違う。

ある人は知識豊富だったり、ある人はモノを集めたり、ある人は独特なアプローチを図る。

同じものが好きであっても、理解度や有り様は全く異なるんだ。

それでも言えるとするならば、関心のない人よりも見えている景色が違うのは確かだってこと。

だけど“恋は盲目”って言葉があるように、好きであればあるほど物事は不鮮明に映りやすい。

その時、どういった姿勢が問われるか。

誰が、誰を、どのように問うのか。


…………

「卒業」って言葉を聞くと、俺たちみたいな生徒は学校のことを連想するだろう。

だけど、その他のシチュエーションで使われるケースだってある。

例えばアイドル

「はあ~」

カン先輩、溜め息をつくなら、せめてペースを落としてくれませんか」

「そりゃ、無理な相談やでマスダ。むしろ溜め息で済んでるのを感謝すべきや」

最近カン先輩は、バイト中いつもこんな調子だ。

応援していたアイドルが数週間前に卒業して、未だそのショックを引きずっている。

黙々と作業をしている時にふと思い出してしまい、それらが二酸化炭素として排出されるメカニズムらしい。

「ワイらのアメ子ちゃん卒業……普通女の子に戻ってもうた」

“ワイら”ってことは複数人の共有物なのか、“普通女の子”って何を基準に言ってるのか。

卒業”って言ってるが、要は“引退”の言い換えだとしか思えない。

俺がその界隈について詳しくないからかもしれないが、カン先輩の言動には疑問符が溢れ出てくる。

「気になったんですけど、なんでアイドルが辞めることを“卒業”って言うんです?」

「ああ?……そりゃあ、“辞める”とか言ったらバツが悪いからや」

「“卒業”って言えば、バツが良くなるんです?」

「……マスダ、その聞き方、めっちゃ腹立つわ」


こんな感じで、卒業ってのは学校のそれとは違い漠然としている。

学校における卒業は、様々なことを学んだ結果おとずれる。

次のスタートへ向かうために設けられている、定められた一つのゴールだ。

環境の変化に未練こそ感じても、基本的には前向きに進むものとして存在する。

後ろ向きのまま歩いたんじゃあ、危なっかしくて進めない。

そう認識している俺にとって、他のケースで使われる“卒業”という言葉はどうも計りかねた

趣味などをやめるのも卒業って呼ばれるが、あれも漠然としている。

卒業できる段階、時期がちゃんと決まってないからだ。

そのせいで人々はい卒業するのか、そもそもすべきなのかすら分からない。

不透明な姿で在り続ける留年生だ。

いや、そもそも卒業って表現が不適当なのだから留年生と呼ぶべきではないかもしれないが。

それでも、あえて“留年生”と呼ぶのなら、その人達はいつまで“趣味という名の学校”にいられるのだろうか。

とあるアニメが地上の波を漂う時、一人の留年生はその資質を問われることになる。

ちなみにカン先輩のことじゃない。

次 ≫

2019-04-04

けものフレンズ寓意メモ(加筆)

ビースト

 1期の狂信的ファン。誰彼構わずいかかる

 その最終カットビーストである事を示す黒きオーラが消える

 が、制作陣の淡い願望だろう。

 ホテル崩壊(2期の商業的な失敗)程度で死に(消え)やしないかと。

 

イエイヌ

 1期で切ったソシャゲファン

 もしくは、

 2期を擁護しようと振る舞い、誹謗中傷され心が折れた通期ファン

 ビーストにズタボロにされて引きこもる(隠れファン化)

 

うみのごきげん

 インターネット風評

 

ミライ  … ヒト

かばん  … ヒトのフレンズ

キュルル … 素のヒト(過去のヒト)?

 

 空腹…欲望(儲け)こそがヒトのヒトたる所以

 欲望によって消費する者達が居なければ2期も無かった

 

 ミライソシャゲファン投影先で、

 そのフレンズである かばんとはソシャゲ勢の生き残りの寓意

 でありつつも、1期のみのファンとして乖離、別の主体へ。

 キュルルはネットを知らない素の(旧来的)視聴者を想定か。

 2期の"かばんさん"は、1期を普通に「卒業」したファン

 

サンドスター

 素材(リアル)をネタ(キャラ)に変えるもの

フレンズ

 作られた作品

セルリアン

 物語駆動させる動因としての障害

 商業的な炎上も含むのか?

セルリウム

 ヒトの思いに反応して姿形を得るもの

 視聴者の側で潜在的に抱えている葛藤寓意か。

 それは常に強く出口を探し求めているが故に、

 象徴的に類似性のあるものに反射的に投影され、時に

 全人格的に同化されてしまえば、これの否定人格否定にも

 受け取られるように…。

 ビーストセルリアンの違いは、純粋ファンを経るかどうかか。

 

火山

 サンドスターを産み出す火山とは、出資者制作陣か

 地上は、運営コントロール下のソシャゲ空間

海底火山

 1期とは別の財源?

 海底は、運営コントロールの効かないSNS空間

 

もし仮に、

 ネットでの1期狂信者等によるバーサーカー状態が、

 10制作中時点くらいまでに止んでいたのなら、12話の展開は、

 ビーストセルリアンとの化学反応によって黒オーラが消え(ここまでは描写がある)、

 アムールトラガレキの向こうに消えるのではなく、こちら側に残る…

 という展開も予定していたのかもしれない。

 

 そうだったかもと思える理由は、

 最終話エンディングに1期のオープニングを準備していたこと。

 

 キュルルの願い通りアムールトラをも、ともだちとして対立は溶け、

 その歌詞通りに「♪のけものはいない」と歌い上げたかった故だろう。

 その願いも空しく、2期バッシングはなお苛烈さを極めている。

 その現状を前に安易ハッピーエンド描く事ははあまりにも空々しく、

 現実をそのまま反映するかのように、アムールトラガレキの向こうに

 そのまま残さざるを得ないと判断したのではなかろうか。

 敗北を、厳しい現実を素直に認め、残酷なこの世界の姿をありのままに、

 その通りに提示された訳だ。まさに鏡として。

 

 リアル原作だ …というコンセプトそのままに。

 

 セルリウム  + ヒトの思い = 攻撃する複製体

 セルリウム  + 生 → 死

 セルリウム  ─加工処理?→ サンドスター

 サンドスター + けもの = フレンズ

 サンドスター + 無機物 = セルリアン

サンドスターロウ)

 

 セルリアン ─破壊(生→死)→ サンドスター(多数)

 けもの + くさり + サンドスター = ビースト

    (ヒトの造りしモノ)

 

要素:無機物 姿 細胞 命 人の心 人の思い

 

 人の作った道具=無機物+人の思い(弱い)

 書かれた絵  =無機物+人の思い(強い)

 フレンズ=生きた動物+人の心(サンドスター)

 かばん=ヒトの毛髪(生きてる?)+サンドスター(+α?)

 セルリウム細胞の素?

 細胞+思い(遺伝子的な?)=思いに応じた姿?

 

 セルリウム…生・死、聖・邪、愛・憎を反転させる?

 

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