はてなキーワード: 何の気なしにとは
数日前のこと、Youtubeで音楽を聞いていた。誰か特定の歌手が目当てだったわけではない。
適当に音楽の動画を開いて聞き、曲が終わったら右の動画リンクに表示されている音楽動画をクリックして聞く。そんなことを繰り返していた。
そうして十曲ぐらい聞いた後だったと思うが、気がつくとnobodyknowsの「ココロオドル」の公式MVを開いていた。
ENJOY 音楽は鳴り続ける IT'S JOIN 届けたい 胸の鼓動 ココロオドル アンコール わかす Dance Dance Dance(READY GO!)
いつ聞いてもノリがよくて楽しい曲だ。そしていつ見てもnobodyknows より女達のほうが映っている時間の長いMV映像は意味不明だ。
思えばこの曲との付き合いは長い。もう20年近く聞いている。ただ「ココロオドル」という曲は馴染みが深いがnobodyknowsというグループには特に思入れがない。
自分にとってこの曲はニコニコ動画の思い出と不可分に結びついているため、あまりnobodyknowsの曲であるという感覚がない。
いや、正直に言えば「ココロオドル」は好きだが、nobodyknowsは好きではなかった。
別に何かはっきりと嫌いになるような理由があったわけではない。自分は彼らのライブに行ったこともなく、人間性も知らない。
じゃあなぜ毛嫌いしていたか、理由は単純で彼らがヤンキーだったからだ。といっても、彼らが本当に不良だったのかどうかは知らない。たぶん違うだろう。
彼らはヤンキーといっても、反社会的勢力とかではなくて、今でいうところのマイルドヤンキーの若者版という感じだった。当時はマイルドヤンキーという言葉はなくて、こういう若者のことをB系と呼んでいた気がする。
nobodyknowsだけじゃなくて、当時のHIPHOP界隈はほぼ全員このB系だったと思う。はっきり言うと自分は彼らのことを嫌っていた。見下していた。自分の人生とは関係がない人たちとみなして関わらないようにしていた。
自分がヤンキー嫌いであることを差し引いて考えても、彼らはみんな同じような格好して、同じような歌詞ばかり書いて、同じようなツレと女と車の話ばかりしていて、HIPだHOPだと言ってるくせに、自分たちが一番型にはまっているのがダサいと思っていた。
まあ、それはともかく、「ココロオドル」はいい曲である。Nobodyknowsにあまりいいイメージをもっていない自分がずっと好きなんだから、逆説的にそれだけ曲がすごいとも言える。
それで「ココロオドル」を聞きながら、何の気なしに動画のコメント欄を見ると、やたらと「THE FIRST TAKE」に関するコメントが多いことに気づいた。
どうやらnobodyknows+が「THE FIRST TAKE」に出演したらしい。しかも、非常に評判がよい。THE FIRST TAKEを見て「感動した」だの「泣いた」だのそんなコメントであふれていた。
(知らない人のために説明すると「THE FIRST TAKE」というのはYoutubeにチャンネルを持っている音楽番組のことだ。特徴としては一発撮りであるということ。つまり、歌の途中で間違ったり、発声がいまいちだったりしても、リテイクはなしで、そのまま動画にして公開する。そういう番組である。もっとも、自分も星街すいせいが出演したときにニュースになっていたな、ぐらいの知識しかないので、あまり偉そうなことはいえない)
自分にはそのコメントは理解不能だった。ココロオドルはいい曲だが、彼らのTHE FIRST TAKEを見て何を泣くことがある。
画面右を見るとリコメンド動画の一番上に、その「THE FIRST TAKE ココロオドル」回の動画があった。だから、せっかくだから見ておいてやるかぐらいの気持ちでクリックした。
動画が始まると、画面中にゆるい恰好をしたおっさん達がぞろぞろと出てきた。このおっさん達が20年ほど歳を重ねたnobodyknowsだった。かつてのB系ボーイはおっさんになっていた。おっさん達はマイクテストをやり始めたが、声も20年分歳をとっていた。
これ大丈夫かな、とちょっと心配になったところで、もう何度聞いたかわからないあの歌がアカペラで始まった。
ENJOY 音楽は鳴り続ける IT'S JOIN 届けたい 胸の鼓動
そしてどうなったか。
やばいくらい感動したね。
動画が終わるころには涙が流れてたもん。
なんなんだろうこの涙は。いい年したおっさんが、なにを泣くことがある(よく考えると自分もおっさんになってたわ)。
いやあ、言葉ではうまく言い表せないが、信じられないぐらいかっこよかったね。
聞いてるうちに自分の脳内で、20年分の日々がフラッシュバックを起こしていた。といってもあまりいい思い出はない。悪い思い出もあんまりない。とりたててどうこういうことのない20年だったが、とにかく自分はフラッシュバックの海の中で泣いていた。
考えるとこれは少し不思議なことだ。というのも、自分は先ほど若いころの彼らが歌うココロオドルを聞いていたのだ。その時はこんなふうに歳月を思い泣くことはなかった。なんなら薄ら笑いを浮かべながら、ベビースター食ってたぐらいだ。
仮に若いころの彼らがファーストテイクに出ていたとしたら、自分は特に何も思わなかっただろう。
中年となった彼らの歌うココロオドルだからこそ、より強い喚起力を持っていた。彼らが超えてきた20年の歳月が歌といっしょに押し寄せてきたかのようだ。
ただのおっさんのノスタルジーじゃねえかと言われると、否定はできない。
ただ、この良さはちょっと、そういうノスタルジーみたいなもんだけでは片づけられないと思うのだ。
そういう懐かしさとは別に、誰が見ても感動できるような、普遍的な良さがこの動画にはあると思う。
この動画のnobodyknowsは魅力的である。余裕があるというか色気がるというか、いい感じに丸くなっている。若いころのギラギラした感じがなくなっている。
それはある意味では、恐れ知らずの若者がマイルドヤンキーになってしまったともいえるわけで、人によってはこれを老化・退廃とみるかもしれない。
だが、自分には好ましいものとして映った。昔に比べたら、当然、容姿は衰えているというか、年相応に老けているんだけど、逆に魅力が増していると感じた。
こんなふうに思ったのは自分だけではないようで、ファーストテイクのコメント欄を見ると若いと思われる人から、「大人もいいもんだと思った」とか「大人になっても面白いことはあると思えた」というコメントが多くついている。
それにしても、かっこいい大人を見たのなんていつ以来だ。ちょっと見ないぞ。少なくともここ10年は見ていない気がする。もっとかもしれん。
もちろん、彼らはシンガーとしての実力と経験があるからかっこいいわけで、普通のおっさんが普通に立っているだけでかっこいいわけではない。
よくよく考えてみれば、彼らも急に20年分年をとったわけじゃなくて、この20年歌ったり、仕事したりなんやかや喜怒哀楽を刻んできたわけだ。
客をわかせて、自分たちも楽しんで、そんなことを続けていたのだろうということが動画からも伝わってくる。まさに呼応する心響き続けるだ。
動画を見て、少し悔しいとも思った。
ヤンキーと見下していた彼らのほうが、はるかにかっこいい大人になっているじゃないか。それに比べて、自分はこの20年、何をやっていたんだ。
かっこいい大人になること。本当はそれはテメーが自分でやりたかったことじゃなかったか。
動画を見ていてそういう悔しさも滲んできた。
ただ、勘違いしてほしくないが、動画を見て流した涙は別に悔し涙ではない。
純粋に感動の涙だ。
なんていうか、この動画のnobodyknowsって見ててすごく楽しそうなのよ。
素人が偉そうなこと言うようだが、音楽を楽しんでいる感じとでもいうのだろうか。
特に中盤、歌詞を間違えてから、みんなが笑顔になって、そこから一気にあげていくのが、本当にかっこいい。
元々のココロオドル自体が聞いていると楽しくなる曲ではあるのけど、彼らが心底楽しそうに歌っていると、なんの関係もない自分もなにか嬉しくなってくる。
自分は初めてココロオドルという曲が心で理解できたように思う。きっとそれには20年の月日が必要だったのだ。
20年前この曲を作ってくれた、nobodyknowsに感謝。20年歌い続けてくれた彼らに感謝。そして20年後にかっこいい大人の姿を見せてくれたnobodyknowsにも感謝である。
というわけで、かつて若者だった現おっさんや現おばさんはTHE FIRST TAKE「ココロオドル」を一度、見てほしい。いずれ、おっさんやおばさんになる現若い人にも見てほしい。もちろん、それ以外の年よりやガキも見て損はない。
「ラストエンペラー」を観たことがある人なら分かると思う最終盤のシーン、ほんの一瞬だけど「アルプス一万尺」が流れる場面がある。
それまで何時間も、溥儀の逐われ釣られの生涯を見届けてきて、変わり果て誰もいなくなった紫禁城へ漸く“帰ってきた”溥儀と少年の関わり、筒から出てきたコロオギに幾らかの救いさえ見出されるようなクライマックスから一転、(公開当時の)現代に移り変わって最初に流れるのが、平べったい電子音の「アルプス一万尺」なのだ。
その音はガイドの女性が観光客を溥儀の玉座へ注目させるためにメガホン状の機械から流したものであり、2回ほど響いた後、彼女は溥儀の生年と、彼が最後の皇帝であったこと、そして没年について説明する。愛新覚羅溥儀の壮絶な生涯を見事に描写した大長編は、生きている彼に直接会ったことさえ無いであろう1人の女性が発する情感も何もない異国の電子音楽と、たった二言三言の解説だけであっさりと幕を閉じてしまう。
だけど、私はこのラストシーンが堪らなく好きだ。
人の生涯、歴史の中の出来事、それらのすべてには決してひと言では表せない様々な事象や感情が複雑に絡み合っているが、そういったことに直接関係ない立場からすれば、「○○年にこういうことがあった」「この人はこういう人だった」という程度にまで情報を押し潰すことはいくらだって可能なのである。数時間をかけて「ラストエンペラー」という映画は、観る人々にとって溥儀という男への感情移入を促し、決して赤の他人のままにさせない作りをしているくせに、自発的にそれまでのすべての時間をペシャンコにしてやるこの最後の一瞬だけで、まるで頭から氷水を浴びせられたような気にさせてくるのだ。
しかし、そうして冷えた頭の前に今度現れるのは、先ほどまで印象的なシーンを演出していた溥儀の玉座──主たる皇帝を喪い空っぽになったそれと、「ラストエンペラーのテーマ」なのである。劇中の様々なシーンで流れたフレーズを繋ぎ合わせたようなこの名曲は、主なき玉座を目にした時に初めて「愛新覚羅溥儀の生涯とその激動」を感覚的に突き付けるものとして完成するように思えてくる。
劇中の人々の中から彼ひとり分の人生が消えて見えなくなったとしても、スクリーンの目の前の人間の中に溥儀は確かに息づいている──あのラストシーンはそういった独特な感触を私に与えてくれるのだ。
「ラストエンペラー」にしかない読後感のようなものを味わうにあたり、そこへ至る物悲しさを得るために「アルプス一万尺」の能天気な音色とガイドの無感情な解説は無くてはならないものだと私は思っている。
たまたますれ違っただけの小学生が手遊びするのを見かける時、YouTubeの動画から偶然それが流れてくる時、或いは何の気なしに鼻歌として自分の中から出てくる時、私はその折々で「ラストエンペラー」のことをこれからも思い出し続けるのだろう。空っぽの玉座と、年老いた溥儀の微笑みを瞼の裏に映しながら……。
はじめに断るが、俺は性的嗜好がナチュラルである成人男性である。以下の文章に性的マイノリティの方々を揶揄したり侮辱するような意図は一切ないことを了承していただきたい。
以前まで自慰を行う際は、一般的な内容のもの、つまりは男性対女性の構図が主となる内容の△▽のみを視聴していた。もちろんそういった△▽は、主な視聴者層が99%男性である。それゆえ撮影の目的も男性の欲望を満たすためのものとなるため、一方的に女性側がかなり男性に施すような内容のものが多いような気がする。もしくは、男性側が自身の好きなように女性を扱うような内容である。例えば、主観モノはその最たる例だと思う。説明するまでもないかもしれないが、主観モノは男性側の視点で女性を撮影したものであり、手軽に没入感を摂取することができる。さらには女性側が男性を悦に浸らせることに必死に動いてくれる感も演出でき、ある種の支配感も手に入れることができる。これまでの嗜好を振り返ってみると、個人的によく好んでこの系統の作品を見あさっていたように思う。しかし好んで見ていたからとは言って、それが完璧なものであったとは言い切れない。例をあげるならば、あの画角でのキスシーンはかなり不自然に映ってしまう。主観モノでなく第三者視点で撮影しているものでは、男優のキス姿がもろ映り込んでしまう。この現象に不快感を覚える視聴者も少なくないと思う。ならば主観モノではそれが克服できたかと思いきや、残念ながらそうではない。女優が顔を近づけるのと同時に、左上の角から急に男優の口が映り込んでくる。今までは撮影方法上仕方ないものだと割り切って、見て見ぬふりをしていた。女優の顔の影で画面が覆い隠されるのならまだしもそこに男優の右顎の影が映り込む、この時の自身の興奮に入り込んでくるわずかな違和感こそが、自慰の質を見えないところで蝕んでいた正体だったのだと、今では思う。結局男性対女性の構図では不可避のキスシーン問題によって、知らずのうちにキスに対する態度が自分のなかで腐っていたのだと思う。それを裏付けるように自身の性生活のなかでも、これまでキスの重要性があまり理解できないまま、とりあえず順序の初手として相手にキスしていたと今では振り返る。
先ほど、とある△▽を視聴した。具体的な作品名は伏せるが、とある女性がナンパして声をかけた女性に話をもちかけ、最終的に行為に持ち込むという内容を全3・4パターンにわたって収録したものであった。この作品が俺にとって初めてのレズもの作品であった。今まで何となく自身の嗜好が妙に変化してしまいそうで見るのを避けていたが、何の気なしにFANZA TV(△▽のサブスクみたいなやつ)をサーチ中に目に留まったため、視聴し始めた次第である。なぜなのか理由が自分でもよくわからないが、この作品は入りから一度もスキップしなかった。今考えるに、この現象は天の啓示の前触れなのだったのだと思う。なんだかんだで屋内のパートに移ったそのあと、そこは驚くべき場面の連続であった。もちろんお互いがキスし始めるのだが、まずそこでその絵面の透明感に驚かされたのである。男優がいないというだけで、こんなにも見やすくなるのかと。普段嫌なものとして目を背けていたものに対して、何の嫌悪感も抱かなかったのはこれが初めてだった。2人がキスしている場面に対して、一切の澱みなく心を開いている自分がそこにはいたのである。今までのキスシーンは観づらい、不自然なものだという固定観念が一瞬でひっくり返された。ちょっとずつ激しくなる唇の開き方が、徐々にナンパされた側の女性が心を開きはじめたのを表しているという、よくよく考えれば当然だけどいまいち実感していない事実と感覚がようやくここで真に理解できた。これまでの慣例の中で、なぜキスが行為の中での始まりとされているのか。今までなんとなくのまま受け入れていた流れの最初のステップの存在意義を初めて理由と共に受け入れることができた。その理解に至った瞬間、これでもかとキスが神秘的なもののように目に映り始めた。
一般的な△▽との最大の違いは、キスシーンの長さである。普通の△▽の場合では一通りキスが終わったあと、次のステップに移ることがほとんどである。それ以降もキスはちょちょっとする程度で、それよりももっと激しく、視覚を刺激するような内容に進んでいくのが常である。しかし、レズものはそうではない。行為が始まって終わるまで、ずっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっぅっとキスをしているのである。ナンパした側の女性が妖艶な言葉遣いで相手を甘えさせながら互いに服を脱がしあう際も、相武しあう時も、ピークを迎えるときも一切2人の唇が離れることが無いのである。この記述は本当に誇張していない。一部の読者のなかではこれだけ長時間キスシーンを観ていて飽きないのか、という疑問の声もあがるだろう。これに関しては断固として否定させていただきたい。キスを長時間行うことによって、ナンパされた側の女性の心に徐々に安心感が芽生え始め、恥の感覚がほんの少しづつ薄れていく。それと同時に緊張してこわばっていた表情筋が緩んでいき、むしろそこから一種の満足感が生まれていく。作品では、50分ほどかけてその模様が微細に変化していくさまが描かれている。あなたはこの過程を本当に最初から最後まで見届けたことがあるのか。見終わったあと、一本のドキュメンタリを見終えたぐらいの読後感が心に生まれた。その読後感は、ナンパされた側の女性が最終的に得た満足感が、視聴者である私と共有された結果生まれたものなのだと思う。傍から見ている側ですらこの満足感を得られるのであれば、じゃあ当事者になればどれほど大きな充足感を得られるのだろう。こう思った瞬間に、自身の今までのキスへの態度を改めざるを得なくなった。自分が成長できるチャンスがこんなところに眠っていたとは。本当にこの世の中は知らないことだらけだということを思い知った。
巷には、『LOVE』だの『フレンド』だの、IQ3くらいの歌詞でヤク中かってくらい明るい曲調の素敵な曲が沢山存在する。
個人の感想だが、テレビに出るアイドルや韓流系アーティスト、ゴリ押しされた若手女性シンガーがそういう曲を歌うイメージがある。
しかし、俺はどうしてもそういう曲が好きになれない。
何なら、最近は子ども向けに作られた曲ですら反吐が出る。純白な幼少期に赤マントのアンパンや青いデブダヌキのテーマ曲を歌っていたことすら黒歴史になりかけている。
だから、最近はめっきり自殺やら死やらメンヘラやら逆襲やら、暗いテーマの歌をよく聞くようになった。
夜に煙草を吸いながら、ノイズキャンセリングのイヤホンでドン底の歌を聴く。
朝に自転車を漕ぎながら、人命を救う職場に行く前に世界をブッ壊す歌を聴く。
おそらくその理由は、俺が本当の意味で社会に適合できず、愛や友情というものを信用できないからなのだと思う。
幼少期から虐められ、教師も生徒も先輩も後輩も敵。親を頼れず、逃げ場はなく、かと言って死ねる程の勇気すら持てず、その場を凌ぐ力を身に着けてここまで生き永らえてしまったから。
一応俺は周りから見れば普通にコミュニケーションが取れる人間だし、温厚で通っている筈だが、内面は絶えず死への重力の支配下にある。
何時だってこの世界を破壊したいと思いながら、笑顔で他人の傷を縫い、病を癒している。
よくニュースで、『あんな人が自殺するなんて』『温厚そうだったのに犯罪に手を染めるとは』なんていうインタビューを見かける。
そして、ワイプに居る何も成し遂げていない自称芸能人が胡散臭い驚きの表情を浮かべる。
結局それは、そのしょうもない関係性の人間が、当該の人間の中にある愛への渇望や破壊衝動を知らなかっただけではないか。或いは、その内面を見つめようとしなかった怠慢の表れではないか。
死とか、絶望とか、満たされない愛欲とか、そういうことを知らない多数派が、自分たちの常識という正論の刃を振り回しているだけではないか。
冒頭の話に戻るが、何も考えていない恋愛や友情や頑張ろうって曲が巷に溢れている現状は、きっとその社会のカラクリを表しているのだろう。
親から無償の愛を受けて、友人と時に喧嘩しながらも楽しく学生生活を過ごし、先輩にイジられ、後輩をイジり、それでも連帯意識を持ちながら社会へと飛び出してきた彼や彼女。
彼らは、きっと愛や友情や努力を信じられるから、こういう歌を楽しく聴いて、誰かを思いながら口ずさんで、能天気に社会を生きている。
しかし、その裏には。
鬱屈した感情や、言葉に表すことすら億劫な衝動、あるいは報われない努力や一向に改善しない自己肯定感を抱えながら、死ぬ思いで生きている人間がいることを忘れてほしくは無い。
周りに笑顔を見せていても、本心では社会に中指を立てている人間がいることを、忘れてほしくは無い。
貴方が何の気なしにイジった彼は、本当に笑ってくれていたのか?
お前がガキの頃に虐めたあの子は、本当にお前のことを許してくれているのか?
まあ、この駄文を読んでくれている貴方は、きっとそんな少数派がいることを忘れてはいない、素敵な人間だ。
どうせ、我々をゴミのように扱った奴らは、俺らのことなんて忘れて、アホみたいな歌の上でしょうもない人生を楽しく生きているんだから。
なんて事はない、前に使っていた携帯電話が居間にあったものだから。
記憶の中でロック解除している指の軌道を思い出すと、パスワードはなんとなく想像がついた。
そのままタップしたらロック解除されたものだから、何の気なしにSNSを見てしまったのだ。
予兆はあった。
数年前、その時も見なければ良かったのにロックを解除してしまった。
これ以上ないくらい、心臓がバクバクしたが検索だけで済んでいた、とその時は判断したのでひとまず写真だけ撮ってそっ閉じした。
それから何かあった時の為にと残しておいたけど、ある日、心が苦しくなって削除してしまった。
仕事に行く前、必ずキスをしてくれる旦那を疑いたくはなかったから。
レスになったのも、自分に魅力が無くなったからだと一人で慰むようになった。
「世の中には知らなければ良い事もある」と何かのキャラクターが言っていた気もした。
あとはもうお察しの通り。
良かったなと思うのは、浮気はしていなくて、プロのお店に行っていること。
(恐らく)SNS上のやり取りだけで留めていること。
おじさん構文的な内容は送っていなかったこと。
心がギュっとしたのは、今日の仕事前にお店で嬢の方に会いに行くこと。
今まさに、この瞬間。旦那は気持ち良さで心と身体を満たしている。
私ではない女性と。
どうしてこんなに悲しいんだーーーーーーーーー????????????????別に一緒に居過ぎるともう「女」として見れないって記事は何回も見て来ただろ?!?!?!?!?!?!?!そういうもんなんだって!!!!!!!!!!!!割り切れよ!!!!!!!!!!!!別に浮気じゃないから良いだろ!!!!!!!!!!お前で満たせない部分をプロに満たしてもらってるだけだろ!??!?!?!??!??!?!!?!?何!?「仕事先の同僚からお土産貰ったからお返ししたい」って言われて一緒に選んだプレゼントが、実は同僚じゃなくてお店の女の子に渡すプレゼントだったのが悲しいのか!?!????!嘘つかれたのが悲しいのか!?!?!??!?!?!?そうなの私?!?!?!?!どうなの!!??!?!??!?!?!!
あーあ明日からどうやって生きようかな、もう知らない頃には戻れないな。
みんなどうやって立ち直ってんだろうな。お金出さなくてもいつでも家には「女」がいるのに。
それでも、お金を出してでも通いたいと思った原因は私にあるだろうから、せめて私の何がいけなかっただけ教えて欲しいな。
別に行くこと自体は否定しないけど、実際に行ってるとなるとちょっと、いや多大にクるものがある。
[以下、追記]
これは本当にまじでそう、本当にそうです。500%私が悪い。
プライバシーを蹴破って、ぎゃーぎゃー喚いているキモ女という自覚はあります。
冷静に読み返すとSNS見るあたり、何の気しかないじゃんね。すまん。
直接的に書くとBANされるかもと思ってしまった。すまん。
文章を書いているのが妻側なので、そっち目線の内容しか書けないけれど。
まあよくある話で、ずっと一緒に住んでいて回数も少なくなり、こっちから誘うも「仕事で疲れている」 「今はそのタイミングではない」と断られ。
いつも旦那のタイミングで致して、私のタイミングでは致した事がないので、「流石に私のタイミングでもさせて欲しいかもしれない」と4年前ぐらいに話し合いを設けた際、言われたのは「やっぱりお風呂あがりとかに恥じらいがなくなると…」だったので、流石に全裸で歩き回ったりはしていないにせよ、Tシャツ+下着で歩き回ったりはしてしまっていたから反省し、そういった事をなくしたのだが、結局「仕事で疲れている」と言われ、もう5-6年レスです。
そら毎日しゅきしゅきセックスしたかったよ。いつ致しても良いようにVIOつるぴかにしてたよ。
なので、私目線だと旦那かなと思うけど、旦那は多分私のタイミングが下手だからって思ってそうだなって書きながら思った。
だからきっと、原因はどっちも。
そういや書きながら思い出したけど、「そろそろ(年齢的にも)勃たなくなってきた」って事も話し合いの時に言っていたな。
後出しが嫌われることは重々承知なのだが、ここ半年、軽いうつ状態の時があり(今回の件とは関係がないので詳細は省かせてくれ)、それで迷惑をかけてしまっていたという自責の念がいつもある。
薬で治療をしているが、そりゃあ、どのタイミングで気分が浮いて沈むか分からない女の相手をするのって本当に大変だよなあ。
癪に障る様な書き方だったら申し訳ないが、多分旦那は私の事も好きで、でも性欲の対象ではもう無くて。
「プレッシャーの捌け口」というコメントを見て、しっくりきたよ。元従業員の方からの最後の一文も非常にくるものがあった。
ちなみに、どこまでが許せる?っていうのは非常に難しい問題で、風俗店に詳しくないので検討違いの事だったら申し訳ないが…。
認可?が降りてる店でプロの方と対峙するなら問題ないと思っていて、例えば家庭のお金を使い込むとか嬢の方に対して痛客になっているとかだったらちょいちょいちょいってなるかも。
今回「ウワーーーッ」となったのはやっぱり、「同僚からプレゼント貰ったからお返ししたい」のくだりかな。
そのプレゼント、キッチン周りの実用品でありがたく使ったんだ。だから、同僚じゃなかったか~~~ってのが1番つらいかも。
嬢の方に貰ったものを使っていることが嫌という事ではなく、嘘をつかれたことがまじでこたえた。いやどうだろ、嫌だったのかな。もう分からない。
結論、パスコードかけてる携帯を見て、知らなくて良い事を知って、ネットで喚いている愚かな女であることに変わりはないです、仰る通り。
もう旦那の携帯は見ません、何も知らなかったことにして、愛想つかされない様に生きていきます。
ただ流石に今日、出勤出来ないぐらいには見てしまった真実に、自責の念も相まって体が動かんので、今だけはちょっと泣かせてくれ。
だいたい2リットル。
淹れる方法はいろいろで、一番多いのはステンレス製フィルター。
気分によっては、モカポット、フレンチプレス、紙フィルター、有田焼フィルター、サイフォン。
でね。
何の気なしに、使った後のドリッパーにお湯を足しておいたのよ。
で、後で見たら、当然ながら、マグカップにコーヒー的なものが入っているわけ。
「薄いだろうなあ」と思いつつ見たら、案外真っ黒。
「飲めるかな?」と思うじゃん?
飲んだら、コーヒーの味がするわけよ。
おいしくはない、けど、まずいと言うほどでもない。
コーヒーの味はする。
俺は、コーヒーは好きだが味にはこだわりが無い、安上がりなコーヒー好きなのだ。
「ミルクでも入れて飲んでみるかな」と思ったけど、これは失敗。
薄いのに混ぜ物しちゃだめだね。
落ちなんてないよ。
現行のSE3のデメリットで大きいのはMagSafeと顔認証が使えないことか。
無線充電に切り替えるならMagSafeは必須レベルだが、有線のままでいいなら関係のないところだなあ(でも無線充電は便利)。
顔認証も慣れてしまうと指紋認証より便利だと個人的には感じるが、まあ指紋認証のままでも別に問題はないので。
地味にUWBに対応してないので、将来的にAirTagを使いたいと思ったときにちょっと使いづらかったりするな。
けっこう何の気なしに使ってるちょっとした便利機能が、実は古い機種では使えなかったり精度が低かったり、というのはあるので、そういうところにどれだけ価値を感じるかかな。
iPhone8をずっと使ってるようなら、いま機種変してもずっと使うだろうから、それなら最新OS非対応になるまでの時間が長い最新機種のほうがよくね、ってのもあるな。
でもまあiPhone15とiPhoneSE3ならチップもそんなに変わらんか。
あとは本体の重量の問題とかもあるので、実際にApple Storeに行って触ってみるというのもあり。
https://anond.hatelabo.jp/20240206165754
自分はバックパッカーで世界中回るのが好きなんだけど昔は旅行が嫌いだった。なぜ昔と今で考え方が180度変わったかを考えると、大人になってからの旅行の方が自由度が上がったからだという答えが出てくる。
高校生くらいまでの旅行といえば、父親の運転する車で行く家族旅行か、学校の修学旅行や部活の遠征くらいなもんである。大抵の場合、目的地は自分で決められないわ、移動手段の選択肢はないわで自由度低く、ただ移動が大変という感想しかなかった。
大学生になって一人暮らしをするようになると、自由な生活とバイトで貯めた自由に使えるお金が生まれた。ちょうど20歳になったばかりの頃、九州の方であるレアなイベントがあり参加したくなった。遠征ツアーが無いかと探したが、見つからなかったので個人で旅行を手配することにした。バイトで稼ぐ金額はしれてたので、とにかく費用を削ることに注力した。まず、大阪まで18きっぷを使って在来線に乗り、大阪から九州まではフェリーで夜間移動。九州での宿泊は漫画喫茶。費用を抑えつつ、バイトを休める数日で目的達成するためにルートを調べまくったのだが、これが思いのほか楽しかったのだ。「こんなルートがあったのか!」「こんな費用削減方法もあったのか」という発見に好奇心が刺激され、旅立つ前から気分が高揚した。最終的に費用が当初見積もりの1/3で済んだこともハマるきっかけになった。「うまく旅程を組めば、適当にプランを練るよりも格段に費用が安くなる」という成功体験を得たのだ。そうやって社会人になる頃までには、夜行バスや企画きっぷ、フェリーを駆使した移動手段で47都道府県を全て回ることができた。(沖縄だけは飛行機を使った)
社会人になって経済力がついてくると同時に海外にも興味が湧いた。ちょうどその頃、LCCが普及しだしてたのとクレジットカードのポイント利用した陸マイルで安価に旅行できるようになったのも海外バックパッカーデビューの後押しになった。海外一人旅は、国内旅行へ行くのと勝手が違う部分も多かったが、18切符での貧乏旅行のノウハウが活かせる部分も多く、そこまで苦労はしなかった。だが、この頃から周囲の旅行観と自分の旅行観のズレに苦しむようになってきた。
皆さんは海外旅行の費用について、どういうイメージを持つだろうか?自分はLCCや陸マイルを駆使したバックパッカーだったので、土日に有給1日つなげた2泊3日コース、近場のアジアで総額3万コースくらいの印象でいた。なので会社の同僚にも毎月のように海外へ出かけているという話を何の気なしにしてしまっていた。
•家族で(4人くらい)
•ハワイ等のリゾート地か、ヨーロッパ、北米、オセアニアを目的地として
行くものらしかった。当然費用も100万コースとなりフットワーク軽く行けるものでは無いというイメージが強いようだった。
周囲はこのイメージで自分の話を聞くので、周りの印象が、「金遣いが異様に荒いのに、お土産を買わないなんかヤバいやつ」的な認識なってしまっていた。このギャップに気がついたのは結構後になってからである。少々話が脱線してしまったが、旅の認識ってホント人それぞれなんで会話する時には気をつけないとヤバいってことを強く主張したい。
なお、お土産の件について補足をすると、予算3万の旅行で考えると、部署全員分の土産買う費用が結構辛いってのとLCCの手荷物制限(7kgのところが多い)が厳しいというのが買わない(買えない)理由になる。2泊3日の弾丸旅行だと、自分の行きたいところ行くのに専念したい(お土産買う時間が勿体無い)というのもある。自分が少々自己中なのはまあ、自覚はしている。
なんか色々書いてるうちにとっ散らかってしまったが、こういう人もいるということで。
私は恋人を責めるのが大好きだ。
恋人が感じてるのを見ると興奮する。
別に私はSじゃない。責めること自体は、大して好きじゃない。挿入の方が好き。
ではなぜ興奮するのか?考えてみたことがある。
男らしいなんて言葉、もはや最近使うと一部の人からしたら不快かもしれない。
確かに、時代はより男女平等、いやなんなら男女もなくLGBTQとか、ジェンダーレスとか
世界は多様性を受け入れて、男らしさ女らしさなんてクソくらえー!みたいな世の中になっているなと感じている。
私もこの考えには賛成だし、一人ひとり自由に生きたら良いし、とらわれた考えを持つ必要はないと思う。
とは言え個人的には、男は女の前では男らしくいてほしい。
会社でバリバリ働いて成果をあげて、愛した女の前ではスマートにかっこつける。
そんななんとも隙がない、完璧な男が好きだ。
ここまでは、あーはいはい夢見ちゃってまちゅねいたた…となるかもしれない。
でも、私はこの完璧な男にオプションでよわよわ乳首が実装されていてほしい。
よわよわ乳首?
完璧な男たるもの、ベッドの中でもスマートに女を抱く…それは大層素敵なことだけれど
私はベッドの中で、男らしさを失くしてほしい。
会社は戦場、まさに戦士。とは言え、戦士でも鎧を外す時は必ずあるわけで、それはセックスの時であってほしい。
私とセックスするときは、かっこつけないでほしい。死ぬほどダサくて良い。乳首でばちこり喘いでほしい。
ここまで責めるのが好きになったのは、今の恋人との初セックスがきっかけだった。↓
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セックスをするのだ。
その時、声は出ていなかったけど
魚みたいに、ビクビクッと腰が身体が動いたのだ。
身長が高く身体もがっしりしているので、動き自体が大きくてびっくりしたが
それより衝撃だった。こんな乳首で感じる人だったのかと。
あの!普段ギラギラバリバリ働く隙のない戦士が今!乳首で感じてる!!
普段の恋人と今、目の前にいる恋人が別人に感じた。ギャップだった。
もう完全にスイッチが入ってしまって、乳首ロックオン、ガチ責めしようと思ったけれど
そこはさすがに第一線にいる戦士、ベッドの中でも隙を見せなかった。
何事もなかったように、やんわり手をどかされた。私を責めようとしてきやがった。
が、ここで諦めたら試合終了。結局紳士セックスで終わってしまう。そーんなのはいーやだ。
ベッドの中じゃ私が戦士なんだよ!
恋人の手を無理矢理押さえつけて、右乳首舐めしつつ左乳首さわさわ!!
困惑してたのも一変、ビクビクに加えてまあまあでかい声で喘いでくれた。すき。
往生際が悪いなと思いつつ、きっと恋人の頭の中に
女に乳首触られてあんあん喘ぐなんてもってのほか言語道断!!恥!!という男塾の塾長がいたんだと思う。
耳元で、
と言ってキス。
もう何故か私もアヘ顔してたんちゃうかと思うくらい恋人の姿に興奮して
「もっと甘えて」
「可愛い」
「いっぱい気持ちよくなろうね」
「挿入せずにこのままイっちゃう?」とか
気付いたら、湯水のごとくじゃぶじゃぶセリフをぶっかけていた。
そういえばこれらのセリフは、過去に付き合っていた人から言われた言葉だった。
当時全く刺さらないどころか、キッショと思ってしまっていたが思わぬところで役に立った。
最終的に「乳首気持ち良すぎるから無理ぃイくイく」まで言わせて
そのあと挿入して即イキ。
ビューティフル。
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てな感じで
男は甘えたい生き物だとは前からよく耳にしていたけれど
それはその通りで、男は戦士だから疲れているから甘えたい、当たり前だよねと。
ストレスに比例して甘えたい欲は増幅している気がする。
自分の中にあるプライド、男らしさ…それらがあるから甘えることに躊躇いがある。きっとそんな気がする。恋人もそうだったんだと思う。
私にはそんなとこがいじらしく思えてしまった。
初めての感情だった。
そんな考え崩して甘えさせたい。
私の前では、全部脱ぎ捨てて何にも考えなくさせたいのだ。
テストステロンダダ漏れオス味が強い男が、私に責められて女の子みたいになるのが見たい。
これはあくまで、本人の意思ではなく甘えさせられたという過程が大事なので
いわゆるMはあまり好きではない。
Mは思ってる以上に注文が多いし、わがままなのだ。知らんけど。
だから、簡単に甘えたくはない人間を甘えさせたいが正しいのだけど、プレイだけでみたら痴女プレイというかそんな風に見えてしまうのもわかっている。
イメージは、膝枕して頭なでなでしてるだけなんだけどなあ…イメージは。
だけど性感帯として機能できてる人は、間違いなく責められ向きなんですよね。例え、責められるの苦手でも。
やり方で変わると思う。
乳首なしでもいいけど、乳首責めながら〜のながら責めができるから、責めにも彩が生まれる気がする。楽しいんです。
長くなってしまったけど、私は私みたいな女が他にも増えたらいいと考えている。
男は外ではバリバリ働いて成果上げて女を守る
帰ったら、外では守っていた女に乳首責められながら甘える
という構図が成り立てば世界は確実に平和だし、経済も回るし夫婦間の性交回数だって増えるんじゃないかなーって思う。
そんな世であれ。
追伸
可愛いオスたちへ
こういう私みたいなのは甘サドというジャンルに当たるみたいなので、同じ性癖の方はAVで甘サドと検索し購入してみてください。
新卒の時はリーマンショックの直後で、就職活動がとても厳しく、紆余曲折あった後に、従業員30人程度の製造業のオーナー企業に入社した。社長(当時60歳ぐらい)のワンマン経営で、コンプラ意識ゼロのガバガバガバナンスだった。3年ほど働いたあと、退職した。退職の意思を告げた日、同期も同じ日に退職を表明していてビビった。新卒で入社した4人は、自分も含めて3年ほどの間に全員退職した。
退職してから時は流れ、早10年。3年に1回ほど、ふと思い出した時に、前職のホームページを見る。
昨日何の気なしに見てみたら、従業員は18人に減っていた。それ自体は事業所を減らしたのもあるだろうし、縮小する経営方針だとか、定年退職による自然減などの可能性もあるから特段おかしなことではないと思うが、驚いたのはその先だ。
度肝を抜かれたのが、会社ホームページの採用サイトによくある、先輩社員の紹介ページ。3年か前に見た時に表示されていた、私が在職していた時にもいた少し先輩の若手のホープ(出世頭?)と、私が退職してから入社したと思われる女性社員が消えていた。辞めたんだろう。
驚いたのはそれだけではない。先輩社員が7人紹介されていたのだが、全員がこの2年位内の入社。ベンチャー企業でもないのに、18人中7人が入社2年以内って、ヤバくないか?
更にびっくりしたのは、そのうちの一人のインタビューで、「若くてもやる気があれば任せてもらえる会社です。私は2年で工場長を任されました。」と書いてある。未経験で入社して、入社2年で工場長!?!?理解が追いつかない。
他にも、「農業やりたいです!農学部出身です!この会社は社長が何でもチャレンジさせてくれるということで入社を決めました!農業やります!」って奴もいた。前職、製造業だぞ??だ、大丈夫か…???
リクナビの新卒採用のページでは、採用予定人数6〜10名と書いてあった。社員数18人なのに…ヤバすぎる。
すっかり動揺してしまった私だが、これからもこの会社の行く末を見ていこうと決意した。
辞めてよかった。
なんか、無理に東京勤務をこき下ろす記事とそれに付いたブコメ見て思ったことを書く。
掲題が全てだが、20代で上京して20年近く住んで最近地方都市に移った中年の率直な意見だ。
東京は最先端に溢れていて、何かイベントがある時に外されることもほぼ無いし、コンテンツを消費したいなら最高の場所であることに異論は無い。
でも、歳を取ってきて、それらのメリットが全て人混みに埋もれていることが受け入れがたくなってきた。
どこに行っても人混み。
自分の意識しないイベントが関東の至る所で開催されてるから、何の気なしにふらっと移動するだけでも意図してない異常な人混みに飲まれることも多々ある。
けど、若い頃はそれが楽しめたんだよな。
そういうことを楽しめるにしろ、楽しめないにしろ、絶対イヤというのでなければ一度は体験してみてもいいと思う。
ただ訪れるだけじゃなくて、住んでみないと分からないことはホントに多い。
けど、ただでさえ減っていく若者がそうやって関東に強奪されると地方はどんどん苦しくなっていくんだよな。
一度住んじゃうと関東から地方に移る難度は上がって戻ってこない率は高まるので、「東京は辛いとこだぞ」って引き留めたくなる人の気持ちもわかる。
半年前、当時付き合っていた彼女との話。寝る前にいつものように彼女と電話をしていたところ、彼女がその日、彼女の父親に取られた言動についての不満を語り始めた。
彼女が溢した不満の内容は結構重く、彼女の話を聞く限りでは「酷い親だな」と感じるようなものだった。とは言っても人の家の話だし、彼女側の言い分しか聞いていないこともあって、あれこれ心配しながらも、一緒になって父親を貶すようなことをするのは避けていた。また、「辛かったね〜よしよし」みたいに甘やかすような対応も、不誠実に感じられたので避けた。
そういう訳で、私は適宜相槌を打ちながら聞き役に徹していた。聞き役に徹していたと言うだけで、内心私は「彼女が辛い目に遭っている」という事実で自分もかなり辛い気持ちになっていたし、適当に聞き流していた訳では決してない。
すると突然、彼女が「君のそういう冷静で理知的に話を聞くところが嫌。こっちは辛い思いしてるんだからもっと寄り添って共感して」と言った感じのことを言い出したのだ。
正直は?と思った。辛かった出来事や悩みを聞かされるのって、こっちのメンタルまでしんどくなって結構大変なのに、なんでそれに対するレスポンスに文句言われなきゃいけないんだよ、と思った。
そりゃ人間生きてりゃ誰かに悩みや愚痴を吐露したくなることくらいある。お互いちょっとずつ相手に寄り掛かって人は生きているものだ。でもそうやって人に頼っておきながら、自分の想定通りの対応が返ってこなかったらキレるなんて勝手過ぎやしないかと思う。
私の好きなYouTubeチャンネルの動画で、ある方が「勝手にコミュニケーションをクイズにするな」と言っていた。この言葉は「共感してほしいのにアドバイスされるのが嫌です」という視聴者からの相談に対しての回答である。本当にその通りだと思う。
勝手に相手の反応の正解を設定した上で、愚痴ったり相談したりして相手に労力を割かせ、相手がそれに沿わない誤答をしたら「こっちは共感してほしかったんだけど」と文句を垂れるなんて、目の前の人間をカウンセラーか何かだと思ってるのかと思う。
そういう人たちって多分「相手は自分の悩みを、わざわざ労力を割いて聞いてくれている」ということまで考えが及ばず、自分の話は聞いてくれて当然だと思ってるんだろうな。繰り返しになるけど、人の悩みや愚痴を聞くのって結構大変なんだよ。
因みにその1か月後ぐらいに彼女とは別れた。私が何の気なしにふと「就活が辛い」みたいなことを溢してしまった時「やめれば?」と彼女に言われて、「あぁこいつは分かりやすく自分を甘やかしてくれる人が欲しいだけで、相手のことを同じように思い遣るつもりはないんだな」と判断し、前々から他にも不満が溜まっていたことから見切りを付けた。
まぁ言ってしまえばこの文章自体も愚痴な訳だが。この文章で書いたような理由から、友人や恋人に愚痴や人間関係の不満を溢すのが申し訳ないので、私はこうしてネットの海に匿名で放流するようにしている。
さっきまで聴いてた曲が今つけたカーラジオで流れ出す。懐かしいタイトルの漫画を読んだら、翌日近くの席の奴らが示し合わせたようにその作品の話をしている。
ちょっとした偶然というか、シンクロニシティみたいなのって割とあると思う。
おれの中でそれの最大級がある。
高校の頃おれはほとんど本を読まなかったけど、何の気なしに図書室で本をいくつか借りた。小説を5〜6冊。それきりあまり借りてない。
1年か2年後に羽田圭介が芥川性を受賞した。又吉とダブル受賞の時だ。
おれが借りた本の中にも羽田圭介の作品があった。確か『黒冷水』だったと思う。
それだけならまあ、お〜偶然だな〜くらいだったけど、さらに1,2年後に荻原浩が直木賞を受賞した。
こちらもおれが借りた中にあった。何冊か借りたと思う。『砂の王国』は超面白かった。
朝のニュースで受賞を知って、なんか非常にインパクトがあった。
高校の図書室だから本も厳選されてて必然的に賞にも近いだとか、本を読まない奴にも興味を惹かせるようなタイトルや装丁だったんじゃないかとか、偶然を必然にするつまらない理屈はいくらでもつけられるけど。
それでも気まぐれで借りた本の中から芥川賞と直木賞の二人が出て、非常に印象深かった。
どちらも別に図書室がプッシュしてたとかはなくて、開架をボーっと眺めてフィーリングで手に取ったから。
慧眼というのとは違う。それは数ある作品を読んで、その中から評価されるであろうものを的確に選び抜く事だろうから。
それが人生トップの偶然で、次点が大学生活中で入り用なのにマジで金がない時、あぶく銭が転がり込んできて事なきを得た時。
詳細は忘れたけど、口座にも財布にも誇張抜きで金がない時にそういう事が何度かあった。それがなくて痛い目見てたらもっとしっかり覚えていたかもしれない。
いやうちの旦那なんだけど。
旦那と夕食を食べながらアマプラ観ようという話になり、旦那が無職転生というアニメを観たいと言ったのでそれをつけることにした。旦那は原作読んだとのこと。
何の気なしに観ていると2話でひどいイジメのシーンがあり一気に食事の味がしなくなった。
いやそういうシーンがあるアニメや映画を一切観ないというわけではないが、いきなり観ると暗い気持ちになって数日引きずるので、観る前には心の準備が必要というか、ネットなどのネタバレを観て、どんな感じのシーンなのか事前知識を得てから観ることにしている。
それなのに、今回は心の準備なく観てしまい、もう本編どころではなくなってしまって、2話で離脱した。
思えば、旦那は、結婚前にも、「これ、面白いから」と言って、私に『リリィ・シュシュのすべて』を観せてきたことがあった。あの時もめちゃくちゃ暗い気持ちになり今でもトラウマ映画の一つといえば、上記の映画である。