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はてなキーワード: 主体性とは

2018-04-10

マナー研修意味

記憶が一部あいまいだがこれは一年前の話。

私は新入社員だった。

始めの一週間は会社の指示で外部のマナー研修に行っていた。

マナー研修疲れた

なんでこれをやらないといけないかよく分からず、大声を出したり、挨拶練習をしたりしていた。

ある朝、今までの振り返りについてたまたま講師に当てられた。

自分はなんでマナー研修をやってるのかという部分がいまいち理解できていない、という話をした。

講師の回答は、とりあえずやってみよう、だったように記憶している。

帰り際に君はマナーは何だと思うかと聞かれた。

私はその部族風習だと思うと答えた。

講師は君が会社でうまくやっていくために学んでほしいと言った。


そして今日新人マナー研修を終えて出社してきた。

噂によると、今年の新人講師マークされていたらしく、おそらく私の発言が原因らしい。


当時の自分マナー研修意味を考えることで、マナーに対する深い考えや主体性を持てると考えていた。

感情的には、心身ともに疲れるマナー研修を受けるに納得できる理由、心を動かされる理由が欲しかったのだと思う。


とは言えマナー研修をやる意味は、会社でうまくやるため、以外に特にない気がする。

でもそれ以上の回答があるなら聞きたかったなと思う。

例え同じ意味でも納得感の高い言葉があればなと思う。

2018-04-05

結局のところ

勘違いするやつが悪いの?

勘違いさせるやつが悪いの?

いずれの場合ももちょっと自分言動主体性責任もってよ!

2018-04-04

大手SIer入社した僕がゾンビになるまで

Qiitaにいるような人たちとはまったく違う、意識が低かったがゆえの自己責任の話。


大分昔のことだが、新卒大手SIer入社した。

それまでプログラミングなんてしたこともなかった人間入社させてくれるのが大手SIerである

覚えることは沢山あったし、関わるプロジェクトによって言語Webアプリケーション開発用のものから汎用機のものまで様々。

設計運用もそれぞれ違う。

毎回付いて行くだけで必死で、仕事以外ではストレス発散のためにプログラミングとは別のことをしていた。


勉強は嫌いじゃなかったと思う。資格取得が奨励されていたのもあって、自分もいくつか持っている。

でもプログラミングが好きかと言ったら、特に作りたいものも思いつかず、プライベートでの勉強はしていなかった。

自分にとってプログラミングとは仕事で関わるシステムありきだった。

その時関わっているシステム関係すれば必要最低限のことは学ぶし、それ以上ではなかった。


大手SIerというのはそういう人間も沢山いるのだ。

PM職でもないのに(システム業務要件機能仕様理解しなくてもやれるのはPMなどのマネジメント職だけだと個人的には思う)、関わっているシステム言語さえ学ぼうとしない人もいる。

そういう所である

そういう所の中では自分はまあまあ上手くやれていたと思う。


大手SIer技術力など期待してはいけない。

研究部門を抱えている所も最新技術を開発している所もあるだろうが、そういう優れた人たちは組織のごくごく一部だ。

マネジメントも含めて、優れた人間などそんなにいない。それどころか設計コーディングさえあやしい人たちも沢山見てきた。

まあ自分が見ていない所に優れた人が沢山いた可能性もちょっとだけある。


自分マネジメントにも興味がなかった。それは数字管理をしているだけのように見えた。

リスク管理ヒューマンリソース管理などの概念自分になかったとも言う。


それまでどんなきつい所でもそれなりにやれてしまった経験があったため、自分には警戒心がなかった。

ある日、マネージャーが詳細を教えないプロジェクトにぶち込まれた。ぶち込まれた、というのがまったくふさわしかった。

詳細は伏せるが、SAN値が削られて行くようなものであった。

新しい技術が学べるといったプラスの側面も一切存在しない。

やがて周囲が倒れ、自分も倒れた。


以来、無気力になって生きている。


自分のいるSIerにいるマネジメント職は成功や失敗について学ばない。学ぶ人もいるんだろうけど自分の見た範囲では学ばない。

なぜ成功したのかもなぜ失敗したのかも分析をしない。

名ばかりのPM職を送り込んだって失注するに決まってるじゃん…というようなアサインを繰り返す。

PM職に払っている給料の元を取りたいんだろうか?そうやっても失注するんだけど。


大型プロジェクトゆえに新技術の取り込みが遅れるとしても、そのプロジェクトなりに効率良く開発するための準備はあるのにそれをしない。

どこで失敗してしまうのかを学ばず、人の数だけ増やして、その増やした人間が頑張ればできると考える。

増やした数の中には最低限のことさえしない人も含まれている。

そういう人たちも、プロジェクトの進め方も、改善しないままにぶち込まれるのが続く。

改善提案?している。けれども一緒に動こうとする人なんかいないのだ。

個人努力でどうにかなるならプロジェクト炎上なんてしないのではないかな。水源も道具もないのに消防士というだけで消火できるなんてことはない。






主体性がないというのはゾンビのようなものだな、と思う。

技術自分で学んでこなかったから、自分で選んで環境を変えることができない。技術がないというのはそういうことだ。

システム自分を合わせるだけで済ませているというのはそういうことだ。

仕組みの中だけで終わらせているというのはそういうことなである

気付くのが遅すぎたが、ゾンビでも自力歩行ができるように、あるいはきれい燃え上がって終わりにするために、自分のために少しずつ学び始めている。

anond:20180404132322

んで結局

主体性がない」

とか言われて切られるタイプ

2018-04-03

https://anond.hatelabo.jp/20180402235801

あなたは何も悪くないよ

とでも言って欲しげなのであえて言うけど

今のあんた人との交際に向いてないよ

彼女がかわいそうだ

主体性も何もないただの受け身で無責任な態度

誰が見てもあんたは交際に向いてない

仕事で疲れて余裕がないなら

彼女のもとに必ず戻る約束をして、距離を置きなさい

そして、約束は必ず守る

ふられたら、それまで

あんたの価値はそれまでよ

2018-04-02

彼女喧嘩した

といっても一方的に向こうが愛想つかしているだけかもしれないけれど

なかなかデートに誘わないその姿勢についに堪忍袋の緒が切れたようだ

実は前も同じことで怒られて、”全然変わってない”と言われている

その指摘はご尤もだし、全面的こちらが悪い


「これからどうしたいんですか?」


と聞かれても正直わからない

その質問が、その言い方がものすごく今ストレスになっている


彼女のことは好きだけど、楽しくもない仕事を長時間こなして休日ポジティブ彼女デートしに行こうという精神になれない

それは彼女が嫌、というわけではなく自分主体性がないからだ

むかしからそうだった

一人が好き、というよりも自分に自信がないか自分目的で誰かと一緒に行動すると物凄くストレスを感じてしま


彼女は怒ると敬語になる それがすごい怖い

自分は人に対して怒らない 他人に期待していないか

からこそ人から嫌悪感や不満に近い感情を持たれてるのを感じると、どうしていいかからなくなる


今日もまた朝返信があったのに頭の中でもやもやしていたら夜になってしまった

寝る前に嫌な気持ちになって文面を考えるのはとてもしんどい

別れたいわけじゃないけれど、このままじゃ続けていくのは無理かもしれない


渡しそびれたチョコレートはとっくに賞味期限切れ

anond:20180402201031

底辺卒屑やってる身から言うと本人の主体性が一番大事学力とか頑張りは後からついてくるのかなって思う 頑張ったからではなくて本人が自然体で関わっていた結果がある面から見ると頑張りとかにりあるから見ると学力かになる

から結果でしかなく何の原因でもない学力とか頑張りを仕立てようとしても効果は薄いし結果は出ないしそれならとにかく入学させた方がまだマシ

本当に個人的邪推をさせてもらうと願望を隠して中立を装って体面の保てる好みのところに入れようとされるのはしんどかったしすべてが無駄だった

anond:20180402170734

いやいや

被害女性勇気を持って立ち上がり確固たる主体性を持って主張し要望鉄道会社にぶつけたんだろう?

なんで痴漢コントロールされて仕向けられたことになるのよ

どこまで女性馬鹿にしてるんだ

2018-04-01

スーツとか服選んでくれるような彼女が欲しい

となると、ある程度の知識積極性主体性、信頼などが必要になってくるから、それなりに頭の良い子である必要がある。

俺レベルの男だと、せいぜい自己肯定感の低い低偏差値の子しか好きになってもらえない。

そんな子に頼んでも「わかんない。」「なんでウチが?」となるのがいつものなのだ

から服を選んだり家計アドバイスしてくれたり、引っ張ってくれる子にとても憧れる。

あとできれば年下がいい。

2018-03-25

anond:20180324204110

伸びるかなと思ってたら伸びたな。

パラドクス哲学についての回答の1例を記す。

 

テセウスの船

ある物体オブジェクト)の全ての構成要素(部品)が置き換えられたとき

基本的に同じである同一性アイデンティティ)と言えるのか?

これは「観測者」に定義依存する。

観測者が「テセウスの船であることを認めない」と主張した場合は、その観測者にとってその定義有効とされ、

別の観測者が「テセウスの船であることを認める」と主張した場合は、別の観測者にとってはその定義有効とされる。

そして広義的な定義多数決によって執り行われる。

この場合部品を置き換えられた結果の船を周知していながら関連者はテセウスの船である認識しているため、

これはテセウスの船であると言える。

ただし、これにはオリジナルテセウスの船自体主観性がないとする。

日常において構成物質が変わっているのにも関わらず同一個体として認識されているものは「人間である

物体としては焼け落ちた城を再建させた城についても同じことが言える。

この場合も周りの観測者が大阪城と認めるから大阪城定義できる。

 

水槽の脳

あなた体験しているこの世界は、実は水槽に浮かんだ脳が見ているバーチャルリアリティなのではないか

正しい知識とは何か、意識はいったい何なのか・・・

これは仮定としては十分成立する。

反論として現代科学において脳にこのような仮想世界を作り出すために必要コンピュータを作り出すのは物理的に不可能だというものがある。

しかしこれは現実世界科学技術物理法則を元に論じられており、

水槽の脳実在する世界」においては別の物理法則や遥かに進んだ科学技術を持っているという仮定をするだけで条件をクリアできる。

映画マトリックス世界がそうであったかのように。

そのためこの世が仮想現実であるという主張に対して、完全な反論存在しない。

その説そのものが、科学的な進歩において何の有益性もないという科学者や論者がいるが、

その事実仮想現実論の否定とは結びつくわけではない。

 

哲学的ゾンビ

外面的には普通人間と全く同じように振る舞うが、その際に内面的な経験意識クオリア)を持たない架空人間

哲学的ゾンビは存在可能なのか?なぜ我々は哲学的ゾンビではないのか?

これに関しては解答不能である

人間とまったく同じふるまいをする、主観的意識を持たない哲学的ゾンビを作り出すために必要構成物質定義できないから、である

例えば魂と言われる霊的存在主観的意識人間のようなふるまいに必要不可欠であった場合哲学的ゾンビは成立しない。

魂の研究に関してはまだ発展途上の段階であり、最近になって発見されたクォーツなどのように、

仮に未だ見つかっていない法則や粒子が主観的意識構成する物質であり、必要な要素であった場合哲学的ゾンビは成立しないからだ。

まり主観的意識の有無が哲学的ゾンビの成立に関与するかどうかを科学的に証明できない限りは反論可能である

地球が平らであると信じられていた時代においては端にいくとその先に何があるか、という論議は成立するが現代では成立せず、

仮に魂の構成物質機能発見が終わった後にもまた、この問いかけは成立しなくなる。

私自身は魂がまだ未発見の粒子により構成されているという説が正しいと信じている。

 

スワンプマン

ある男が沼の傍で突然雷に打たれて死んでしまう。

その時、もうひとつ別の雷がすぐ傍に落ち、沼の汚泥不思議化学反応引き起こし、死んだ男と全く同一形状の人物を生み出してしまう。

この落雷によって生まれた新しい存在のことを、スワンプマン(沼男)と言う。

スワンプマンは死んだ男と全く同一の構造・見た目をしている。記憶知識も全く同一である

沼を後にしたスワンプマンは死んだ男が住んでいた家に帰り、死んだ男の家族と話をし、

死んだ男が読んでいた本の続きを読みながら眠りにつく。

そして翌朝、死んだ男が通っていた職場へと出勤していく。

人格同一性問題を考えるための思考実験

こちらもやはり主観的意識構成する物質存在し、

それがコピーできないもの代替できないものである場合

全くの同一性定義上満たしていないことになる。

職場家族スワンプマンと元の男を見分ける術がないが、

これは素人が本物とよくできた贋作を見分けることができない程度の認識問題となる。

 

また、仮に最初落雷がある男に落ちずに沼に2度落ちた場合は、スワンプマンを含めた男は計3名となる。

しかし3名全員の主観的意識はそれぞれ別個に存在しており、

その点だけをくみ取ってもスワンプマンたちに同一性は成立していない。

よって沼にはじめて来た男とスワンプマンは同一存在ではないと定義できる。

 

哲学において同一性テーマが語られることが多い。

これは魂・霊的存在主観的意識科学において未だに解明されていないことを意味している。

科学的に解明されていない余地があるからこそ、思考実験バリエーションが多く組まれる。

また、観察者の能力についても、人類は正確に把握できていない。

そのため主体性意識を持つ存在認識定義について論じない、触れない哲学も多くみられる。

観測行為観測する者の不在では論じれない量子力学最先端物理学においては必要不可欠であり、

哲学が未だ観測者の能力機能性について、正確に学問体系に組み込めていないというギャップ引き起こしている問題だと考える。

2018-03-24

anond:20180324111607

こいつは、

自分のことを「右翼」と言っているが

それは、一般的右翼定義では無く

アメリカ追従保守寄りの主体性の無いジャップ

という特殊属性に根差した分類だから

そんなやつの発言を基に、右翼定義議論するのは生産性がないよ、という意図

2018-03-21

出生前診断現代資本主義の表れ

から気分が悪い。

友人に誘われて飲んだいたのだけども、飲みすぎた。

そいつネトウヨ思想で知っている人も多い弱小ゲーム会社内定みたいなものを得ている。

ものすごい薄給でびっくりしたが、彼はそれで満足しているようだった。

安い給料で満足する豚だと思ったが、自己実現的なビジョンとしてはいいのかもしれない。

経営者の思う壺ではあるが、ゲーム自体が水物だし仕方ないのか。

その一方で、自分就職できなさそうだ。

説明会ではどこの会社も「主体性」が大事だとかいうことを社員が話す。

労働運動賃上げ交渉などに期待しないで、自己啓発に勤しんで人的資本になれと言うことだ。

アウシュビッツ入り口の「働けば自由になる」と、あまり大きな違いはないと思っている。

最近、また出生前診断話題だ。

これは結局のところ現代資本主義社会要請した技術なのではないか

人的資本にならないものを極力排除したいと言うことだ。

そして、それは身体機能もだが、コミュニケーション不能がとりわけの理由になりそうだ。

最近身体障害のある人間環境改善されたところもあるとかウェブで見る。

事実かどうか精査する必要があるが、見てくれがいい人間優遇されてそうだなとか感じたこともある。

結局、現代資本主義がコミュニケーションを重視するために見てくれが良ければ身体障害も受け入れてやるとかいう話なのだろう。

出生前診断もそうだが、見てくれが悪いコミュニケーション不能者は排除される時代なのかもしれない。

女が悪いというよりも、世の中が良くない。

しかし、ネオリベフェミニズムを見るとあれこれ言いたくなるものだ。

あれは自由を求めているのかと。

資本主義がない社会想像するのが難しい時代と言ったりしている人もいる。

それでも諦めずに新しい道を地道に探ると言うのが今の時代に求められていることなのだろう。

2018-03-18

根性がない」「主体性がない」とは何なのか。

僕はよくいろんな人に「根性がない」「適当」だとか言われることが多い。

今まではそれでいいと思っていたし、むしろいいところだとすら思っていた。

社会人になって、気づいたがこの僕の特性はもしかすると、致命的なのではないかと思う。仕事をする時、指示を受ける、指示のとおりに行動する。それでいいと思っていた。

自分が考えるより自分より頭がいい人(上司)が考えた指示をそのままこなす。それの方が全体として良い結果が生まれると思っていた。というか、指示をそのまま実行しないやつって頭が悪いとすら、思っていたが、実際は違うらしい。

この考え方はよく考えると小学生の頃に付いた考え方なのかもしれない。ソフトボールをしている時、怖い監督がいた。怒られるのが怖くて、怖くて、ビクビクしながらソフトボールをしていた。だから、怒られないようにするためには、監督の言うとおりにすること。それが一番、穏便に済むし、怒られないようにする方法だった。大人になった今、監督に怒られないようにするという考え方は非常に他人のせいにしてると思う。自分の行動を人のせいにしている。自分の行動に責任を持っていない。

なぜなら、僕の行動は他人が考えたものであって、失敗したら僕のせいではなく、監督のせい。成功しても監督のせい。人のせいばっか。

自責とは何か。自分責任とはなにか。責任とは失敗した時の批判避難を受け入れるということ。

じゃ、どうすれば自分責任として受け入れ、他人のせいにしない、自分人生を生きることができるのか。それはやはり、自分で考えて、行動する。人の考えを鵜呑みにしない。たとえ、それが上司でも、社長でも、教授でも、ノーベル賞を取ったすごい頭のいい人でも、それはその人の考えであり、自分の考えではない。自分の考えを持とう。あらゆる人からインプットがあるが、それをアウトプットに変えよう。そうすれば、自分人生を生きることができるだろう。

2018-03-16

anond:20180316125741

大きな栗の実がなる木

「が」を挟むことで主体性が前段階にあることを示して区切ることができる

英語だとwho的な表現 英語の方がずっと構造は分かりやすくて単純

日本語が明文化ルールを作るのがたいへん・下手なのは表現の重ね合わせ状態が多すぎて

お前みたいに意識しないと読むだけで混乱しだすから

悪意を持って読めばいくらでも誤解できるので、そもそも議論に向いてなくて当たり前

2018-03-11

anond:20180309162913

古い性役割を「抑圧」と呼んで壊そうとするのが昨今のウーマンリブであり、ディズニー作品はそういう社会を反映している。

誰かの救済を待つのでなく、みずからヒーローになること。

自分問題自分解決できるのだという確信主体性を持つこと。

期待される「プリンセス像」を捨て、「ありのままに」なることが抑圧から解放だと描くこと。

それらが今の時代に生きる多くの女性の支持と共感を集めたんだと思う。

すべての男性ヒーローになれるわけではない。弱い人、賢くない人、色んな事情を持った色んな人がいる。そこを配慮せず弱者を切り捨て、マッチョイズムだけをよしとする社会は公平さに欠け賢くない。

...

多様性時代になってるわけだし、弱いもの底上げ必要なんだと思う。アファーマティブアクションってやつ。女性もそうだけど、いわゆる「弱者男性だってそうだ。誰もが自尊心を持って生きる権利がある。

前半でこういう価値観の変化を論じていてふむふむと思っていたのに、後半になると

Metoo」や「女性専用車両」や「女性だけの街」、性犯罪ジェンダー話題はとにかくネット炎上やすい。

そのときの会話の噛み合わなさに、いつも此岸彼岸の隔たりのことを思う。見えているものが違いすぎると思ってしまう。「女性専用」という言葉や、性犯罪者の告発に怒り狂う男性たちはあまりに不可解で、言葉が通じない恐怖がある。

「すべての男性性犯罪者ではない。俺を犯罪者扱いするな」というのがよく言われる意見だ(ノットオールメン)。しかしそんなことは自明なわけで、誰も「男全てが性犯罪者だ」なんて言っていない。

なのになぜ自分を「男性」という共通項のみで性犯罪者側に寄せ、「俺への攻撃だ」と思い込んで怒るのだろう? 同じ「善良な市民」という共通項で、被害者女性側に寄せ、性犯罪者に対して怒ることはできないんだろうか?

という話になって「え?」と思った。

女性専用車の話が一番分かりやすいと思うのでその話をするけど、女性専用車って結局「男は暴力的な生き物だ」「男は女を守るために献身的になるべきだ」みたいな古い固定観念を追認するものでしょ。こういう固定観念がなかったら、女を別の車両隔離したら性犯罪が減るとか男は多少の不便さを受け入れるべきだなんて発想は生まれるはずもないよね。

そういう性別のみに基づいた役割押し付けから脱却して、《誰かの救済を待つのでなく、みずからヒーローになる》《自分問題自分解決できるのだという確信主体性を持つ》ような社会を目指していくべきだっていうのなら、女性専用車という概念むしろ邪魔だよね。女性専用車が存在する限り、我々は「男から女への性暴力けが電車内で起こるトラブルである」「いつも男が加害者で女が被害者である」みたいなまやかしをずっと刷り込まされていくことになるんだよ。

こういう古い固定観念に基づいた差別を指摘する声に対して「どうして男は女の気持ちに寄り添わないのか」みたいなことを言ってる限り、《同じ「善良な市民」という共通項》を共有することなんて無理だよ。

2018-03-10

anond:20180309162913

自分問題自分解決できるのだという確信主体性を持つこと。

>期待される「プリンセス像」を捨て、「ありのままに」なることが抑圧から解放だと描くこと。

はっきり言えばいい、女が男に変わって社会的強者になりたいのであると。女がそれを言わないから、男側は疑心暗鬼にならざるを得ないだけの話。

>そんな感じで「脱プリンセスありのままわたし運動は着々と進むのに対して、「脱ヒーローありのままのおれ」運動全然進まないように見える。

いや、一部の男はすでに脱ヒーローを目指しているよ。男性の草食化であるとか、女から気に入られるように容貌に気を使う男であるとか。

しかし、今の日本社会は、男の容貌の美しさや受け身性を評価する仕組みが無いからね。

>だけど、すべての男性ヒーローになれるわけではない。弱い人、賢くない人、色んな事情を持った色んな人がいる。そこを配慮せず弱者を切り捨て、マッチョイズムだけをよしとする社会は公平さに欠け賢くない。

だって同じことだろう。全ての女が美人ヒロインになれるわけではない。いや、美人な女なんて一握りだし、大部分の女は自身容姿コンプレックスに押しつぶされそうになりながら生きているはず。アナと雪の女王映画は、女の自立を歌った作品であるが、女の大部分のそのような闇の部分については見て見ぬふりをしているよね。

そもそも主人公アナとエルサ自体美人である時点で、女同士の分断を増長するだけではないのか。

アナとエルサだけではなく、美人ではない女の存在排除している時点で、あの映画は女の自立につながるのだろうか。

2018-03-09

男たちは呪われているのか-「アナ雪」のクリストフに見る脱ヒーロー

若干話題が古いけど、こういう対談がある。

アナと雪の女王」のクリストフはなぜ業者扱いなのか? 夏野剛×黒瀬陽平×東浩紀の3氏が男性視点で新解釈 https://www.huffingtonpost.jp/2014/08/07/anayuki-genron_n_5660493.html

ざっくり要約すると「アナ雪は女性だけで解決してしまい、クリストフはただの業者扱い。男としては疎外感を覚える」というような内容。

この対談、女の自分から見ると「???」なところが多くて、

>「わざわざ男いらないって強いメッセージを出している。なんでそこまで王子モデル攻撃しないといけないのかと」

というくだりには被害妄想めいたものを感じてしまった。

クリストフ王子様じゃないけれど、誠実で素朴ないいやつだ。孤独変人だけど、仕事家族を大切にしている。

そこらの王子モデルよりよほど親しみが持てるし、ありのまま人間らしく描かれていると思う。

ただ役回りが脇役で、「なんでも解決できるヒーロー」ではないだけだ。

そのクリストフを「業者」と呼んで、アナ雪を男の「排除」「攻撃」と感じる男性心理っていったい何なんだろう???

個人的に、「アナ雪」は「男いらない」とは言っていないと思う。ただ「ヒーローの男はいらない」と言っているだけだ。アナもエルサも自分たちの問題自分たちで解決したいし、しなきゃいけない。

ヒーローの男がいると、女は人形みたいなプリンセスとか、救われる村娘Aとか、後列で回復呪文を唱える係とか、とにかく救済されたり、弱者だったり、よくてサポート役回りを演じさせられる。物語ラストには弱い自分を救ってくれたヒーローと恋に落ちて、結婚するまでが一連の流れだ。まるで舞台装置か優勝トロフィーみたいに。

そういう王道ストーリーを完全に否定するわけじゃないけど、もう古いよねっていうのが今の時代の流れだ。

古い性役割を「抑圧」と呼んで壊そうとするのが昨今のウーマンリブであり、ディズニー作品はそういう社会を反映している。

誰かの救済を待つのでなく、みずからヒーローになること。

自分問題自分解決できるのだという確信主体性を持つこと。

期待される「プリンセス像」を捨て、「ありのままに」なることが抑圧から解放だと描くこと。

それらが今の時代に生きる多くの女性の支持と共感を集めたんだと思う。

(私個人としてはアナ雪はそんなに好きじゃなかったけど、こういう社会問題をいち早く取り扱って幼児向けのエンタメにできるディズニーってやっぱすげえなと思う)

そんな感じで「脱プリンセスありのままわたし運動は着々と進むのに対して、「脱ヒーローありのままのおれ」運動全然進まないように見える。

こっちの此岸では「美しく従順でなんでも受け入れるプリンセス像」を火にくべ始めたのに、

あっちの彼岸では「強くて賢くてなんでも解決できるヒーロー像」を街の中心に据えて崇拝し続けているように見える。「美しく従順でなんでも受け入れるプリンセス像」も現役アイドルだ。

日本では特にその傾向が強いのではないかと思う。

からそのヒーロー像、プリンセス像を正面から否定してみせた「アナ雪」に、対談の男性たちは反感を覚えたのかもしれない。

男性社会最高神であるヒーロー像」を否定することが、まるで「男という性別」への攻撃のように感じられたのかもしれない。

ただ思うのは、脇役のクリストフこそ、「ありのままのおれ像」なのではないかということだ。

かに、そういう強いヒーロー像を崇拝する男性社会はこれまで人類史で栄華を誇ってきて、結果も出してきた。歴史があるし今も続いている。

だけど、すべての男性ヒーローになれるわけではない。弱い人、賢くない人、色んな事情を持った色んな人がいる。そこを配慮せず弱者を切り捨て、マッチョイズムだけをよしとする社会は公平さに欠け賢くない。

ヒーローの強さだって言っちゃえば暴力だし、そんなのこの21世紀アナログすぎる。

から多様性時代になってるわけだし、弱いもの底上げ必要なんだと思う。アファーマティブアクションってやつ。女性もそうだけど、いわゆる「弱者男性だってそうだ。誰もが自尊心を持って生きる権利がある。

ヒーローにならなくていいし、「ありのままのおれ」でいい。

多くの男女の自尊心を削る「ヒーロー像」「プリンセス像」は一度打ち壊して、火にくべるときが来た。父権社会解体が、今世界的なムーブメントになっている。

ただここからがやっかいで、男女関係や性の問題だ。

男性はどうも「モテ」に固執してしまうふしがあるようで、女を「モノ」にすれば「男になった」と認められるような悪習がある。

まるで男が自尊心を得るには、女の人権をかすめ取らなきゃいけないみたいな言い方だ。

より多くの美しい女を取得することを自己価値バロメータとして、他者と比べあい自分いじめるみたいな悪癖がある。

女性もそういうことは普通にするけど、男性のそれは比じゃないというか、ちょっと理解範疇を超えてくる。

そこには生物的な性欲の違いや繁殖欲だけでは説明しきれない、人間的なドロドロとしたもの文化形成された支配欲や加害欲と入り混じった、「女」への憎悪・悲哀・妄執を感じる。

そういう恋愛観のまま接するからお互いうまくいかなくなる。女からすればそういう男は背後に暴力性がちらついて見えるわけで、嫌悪感や恐怖感が出てくる。性行為と性暴力って全然のものだと思うのに、相手はしばしば混同しているように見える。

そもそも自尊心自己肯定感というのは、自分の中で育てるものだ。社会的地位や容姿、「モテ」「非モテ」と関係なく、無根拠に持っていていいものだ。自己価値は異性にアウトソーシングして調達するものではない。

やはり男性も、「ありのままのおれ」になるときだ。「男らしさ」から解放されるときなのだ

Metoo」や「女性専用車両」や「女性だけの街」、性犯罪ジェンダー話題はとにかくネット炎上やすい。

そのときの会話の噛み合わなさに、いつも此岸彼岸の隔たりのことを思う。見えているものが違いすぎると思ってしまう。「女性専用」という言葉や、性犯罪者の告発に怒り狂う男性たちはあまりに不可解で、言葉が通じない恐怖がある。

「すべての男性性犯罪者ではない。俺を犯罪者扱いするな」というのがよく言われる意見だ(ノットオールメン)。しかしそんなことは自明なわけで、誰も「男全てが性犯罪者だ」なんて言っていない。

なのになぜ自分を「男性」という共通項のみで性犯罪者側に寄せ、「俺への攻撃だ」と思い込んで怒るのだろう? 同じ「善良な市民」という共通項で、被害者女性側に寄せ、性犯罪者に対して怒ることはできないんだろうか?

もちろんそういうことが自然にできている男性もいるが、現状では少数派に思えるのだ。

そういった怒りの背景には内面化された強固なホモソーシャル価値観や、ミソジニーや、「ヒーロー像」へのコンプレックスがあると思うのだが、ここらへんを掘り下げた男性自身の話はあまり聞かない。

社会で男であるということは、特権であると同時にプレッシャーでもある。うまくやれればまだいいが、うまくやれない人はやはり苦しい。

社会ゆえの苦しさを、男社会ゆえの特権でもって、女に加害したり、女に癒されようとしているように見える。そうやって留飲を下げる男性たちは歪んでいるし、やはり何かに呪われているように見える。

脱線したけど、そういったヒーローになれない男性が救われるかどうかは、男性意識問題なのだと思う。

ヒーロー像」を手放すこと。「プリンセス像」を押し付けないこと。

クリストフみたいなキャラクター否定せず、「ありのままのおれ」を受け入れること。自分と同じように、他者尊重すること。

旧来の「男らしさ」にとらわれて、自分を大きく見せようとしたり、誰かを貶めないこと。ささやか自分自身の中に自尊心を見出すこと。

そのへんが大事なんだと思う。

ツイッター観測範囲だと、そういう呪いを手放して楽になった男の人も散見するようになった。今は過渡期なのかも。

男だ女だって主語デカイ話書いたけどみんな楽になればいいのにな。いや理想論だけど理想のないリベラルって存在価値あんのか? 民主主義だって奴隷解放だって女性社会進出だってかつては理想論だったやん??って思う(このへんルトガー・ブレグマン著『隷属なき道』にくわしい)

そういう引き算がこれから時代大事なんだろうな。

呪いをひもとく面白プレゼン動画

マイケル・キンメルatTEDWomen 2015

なぜジェンダー平等が皆のためになるか―男性を含めて

https://ted.com/talks/michael_kimmel_why_gender_equality_is_good_for_everyone_men_included?utm_source=twitter.com&utm_medium=social&utm_campaign=tedspread

2018-03-08

お絵描き練習中こーすけ氏について

TwitterYoutube小学生の頃からイラストをアップしている「お絵描き練習中こーすけ」(OekakiKosuke)という子が居るんだけど、彼の技量は模写もそうでないものも非常に高く、ツイートによると中1にして美術系の大学予備校に通っているらしい。

たぶん同年代の子で彼に憧れている絵描きは非常に多いだろう。

ただ、俺は結構長い間彼を見てきているから思うんだが、彼のご父兄は、やや彼をデザインし過ぎでは無いだろうか?

彼が小学生時代Youtubeクラスメイトと共に撮影した紹介動画などを見た時は、とても子供思いの良い親だと思った。

だけどTwitterにおける言動の丁寧さ、非の打ち所の無い文章構成をずっと眺めているうちに、(彼は意識していないだろうが)彼の言動の4割以上が親に支配されているはずだと疑わずはいられなくなった。

ネットを何が何でも取り上げる親に比べたら素晴らしい親だ。だけど、単にパターナリズム以外の目論みで彼の発言を(高度な技術を以て)コントロールしてはいないだろうか?

彼がTwitterフォローしている相手が0人なのはパターナリズムだと好意的解釈するとしても、あのプロフィールを含めた一連の言動だけはどう見ても親の強い意志が介在している。あるいは親の顔色を常に窺って行動している子供のそれにしか俺は見えないのだ。

今は親の喜ぶ顔が見たくて行動しているところもあるだろうから、誰も損はしていない。

だけど俺は彼がいつの日か主体性を強く持つようになり真にやりたい事を見つけたその時、それが親の期待にそぐわない何かであった時、つらい気持ちになると思うんだ。下手すれば壊れてしまう。

重要なのは彼が今絵の大学を目指しているという点だ。親もそれを本気で応援しているということも見ていて良く分かる。

彼が目指している道は、彼の親が今やっている事からは縁遠い精神が求められる世界だと俺は思う。

今すぐにと言いたいところだけど、せめて高校生ぐらいになったら好きにやらせてあげて欲しい。我が子のやることに対してすべてを肯定してあげて欲しい。

(現状でも全てを肯定する「言動」は取っているだろうが、そういうことじゃなくて。)

anond:20180308150312

行きたくない時は欠席すればいいだけだろ

こういう主体性の無さを他人責任転嫁してるアホは最悪

2018-03-07

anond:20180307063111

そういえば「空気読めないやつ」「KY」みたいな言葉女子高生からまれてたよな。。。

世界観として、主体性主体的に獲得するみたいなものではなくて、空気みたいに自然存在する、という世界観なのかなー、と思った。

まぁ、頭弱いように見える。ただまぁ頭悪い男性もいるし、しゃーないかな。

2018-03-06

僕が19歳の頃に書いた文章が出て来た。

引越しの為、部屋の整理をしていたら僕が19歳の頃に書いた文章が出て来た。恐らく、何かの評論を読んで感想を書いたのだと思うが、日本語として意味が通らない所もあったりして、言いたい事がイマイチからない。増田たちは分かる?

近代、近現代合理性客観性を追求する時代は過ぎ、相対主義時代がやってきて、コトバは「〜のである」「よって」「かつ」などの主体性主観感情を取り戻そうとする。

合理的客観的文章伝統として歴史に刻まれ、もう一度「(第二の)言文一致」が起こっているのではないか? いわゆる"ラノベ"的な文章である

記号の組み合わせ顔文字表現したり、終助詞・間投助詞の多用、またより口語に近い「〜っていう」「わ」など…。

これは言葉使いの乱れではなく、時代を取りまり思想・考えが言葉に表れてきたものではないか?私はいつか新口語文の天才(ここでは文章力文学的意味での)が現れると確信している。2012年8月30日(木)

2018-02-28

anond:20180227134241

わかる。

いろいろ自分でさっさと行動すりゃいいことを、いちいち他人視線を伺って、まわりに承認を得られるか気にしてさ。

オトナなら自分ひとりで勝手にやればいいものを。

多分、成長期に褒められたり貶されたり、が多かった(本人にとって)のかな、と思う。

赤ちゃん幼児はともかく、児童以降の褒めて伸ばすは、青天井で推奨されるものではないね評価や総括を他人に牛耳られ、主体性が奪われる。

2018-02-19

福祉こころが死んだ

障害児者支援仕事をしてきた支援員だけど、この仕事ってつらすぎない?

何度か転職してきてわかったことは、この業界にいる人は全員心に闇抱えてるってことだった。学歴コンプから知的障害者支援してると心が休まるって人、虐待受けてた過去自分の代わりに発達障害児を救いたいって人、など働く動機自分のためでしかない。しか法人側も職員も、さも人の役に立ちたいってキラキラした大義を掲げてさ。気持ち悪いんだよ。

露骨な人は、立場が弱い人に八つ当たりしてお金もらえて、こんないい仕事ないなって言ってた。利用者を怖がらせて笑って、でも本人には善意を装って「あなたに自立してほしいから厳しいこと言ってるんだ、わかるよね?」なんて話してた。

社会福祉士勉強で、利用者主体人権尊重、施しではなくエンパワメントをなんてつらつら覚えてきたけど、実際そんな聖人君子たことない。「現場では支援員が主導権握らないとなめられる、自己管理もできないのに権利主張してるんじゃねえ、彼らが何の役に立つ?自立?できると思うか?」って言葉をたくさん聞いてきた。

そろそろ辞めどきだな。自分利用者権利擁護して、意思決定支援して、主体性尊重するんだって気張って働いてきた。利用者さんとも信頼関係ができて「やさしい〇〇さん いつもありがとう」なんて手紙もらったりもする。けど、上司からは「世の中理不尽なんだよ、きれいごと言ってんじゃねえよ、お前はお勉強ばっかりしてきて、世の中わかってねえな」って毎日罵倒されていい加減疲れた

少し前から精神科行ってたが、ついに診断名ついて休職が決まった。支援する側からされる側になった 。人生ってつらいよな。いつか聖人君子降臨するまでなんとか生き抜いていこうな。

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