はてなキーワード: 主体性とは
これは結構難しい話な気もする。
まず、ゼロ年代までの日本において、政治組織は主婦層の奪い合いを行っていた。
数が多く、政治活動を行う暇があり、組織に拘束されておらず、思想的に特定の傾向がないが横のつながりはあるという、まさに格好の動員対象だったからだ。
ただし当たり前だが動員というのは上から自由に政治的思想を植え付けられるわけでなく、自由なタイミングで動員できるわけでもない。
比較的どうでもいい案件については積極的に下から吸い上げて常に運動欲を満たし、「自分たちが動かしている、声が届いている」という実感をもたせるのが重要。
主婦層に共有された嫌悪感があり、社会悪だという方向に持っていきやすく、婦人会による規制運動を展開することで低コストで定期的に運動実績を満たしやすい。
要するに叩くのに丁度いいから自民も公明も各種の野党も性表現規制論をだし、逆に政敵の手柄になりそうな風向きのときだけそれを批判してきた。
矯風会もこのころ潜り込んでいろいろやっているが、別に思想的には主体性を発揮したわけではない。
あくまで普通の女性が、「素朴な感性」を運動で増幅させた結果に相乗りしただけだ。
大半の政治家にとっては「自分の票にならなければどうでもいい、だがある程度便利使いするため風向きを読んでたまにコメントする」程度の話題だった。
リベラルと呼ばれてるが中身は様々な人々にとっても大半は同じだろう。
しかし、ネット時代で性表現市場が拡大し、規制論者もオタクの声もでかくなったことで、この話題はそれなりのネタに昇格した。
ただ、山田太郎はうまくやったが、ワン・イシューで国会に1議席確保できるぐらいというのは、小さくもなく大きくもない、なかなか微妙なラインである。
これも基本的には思想や強力なトップダウン利権があるわけではない。
普通のオタクが「素朴な感性」を運動で増幅させた流れをうまく利用したということになる。
こういうネタは言論屋や政治プレイヤーとしては非常に扱いが難しい。
「普通の人々」の「素朴な感性」というのは、たいてい思想的にはメチャクチャであり、民主主義にも自由主義にも完全に敵対している。
なんとなく思ってるだけならまだしも、運動で増幅させるとカルトの原理主義と対して変わらない。
それでいてカルトと違って思想的核のない多数派だから、批判にも難儀する。
山田太郎も統一教会と絡んだりしているが、こういう連中がオタクを「操って」いるというのはいろいろな意味で間違っている。
オタクの普通の言動に素直に乗っかれば自分の主張が認められる部分がありそうだから、のこのこやってきたというだけだろう。
矯風会が政治に熱心な主婦層によってくるというのも、主流はあくまで強大で消し難い「素朴な感性」のほうで、矯風会なんてのは張り付いた雑菌の如き存在だ。
「素朴な感性」に公然と敵対する人間は、たとえ理屈の上で正しいことを言っていても、政治レベルではあっさり抹消される。
逆に、そうなってない人間というのは、理屈以前の話で、「素朴な感性」にうまく忖度しているからこそ生き残れている。
だから、問うべきは、リベラルの人々は、一般人の、あるいは自身の中の「素朴な感性」と自由主義が対立する事実にどう向き合うか?
という話だが、これに真剣に答えること自体も「素朴な感性」への敵対の一種であるから、政治プレイヤーとしては公然と議論することは難しいだろう。
最近知って驚いたのだが、あれだけフェミニズムを全面に押し出してるのに立憲や共産って当の女性に全然支持されてないんだな
https://anond.hatelabo.jp/20220507233316
「たわわ」がNGで、園子温が無罪になる、フェミニストの不都合な真実
https://anond.hatelabo.jp/20220506182417
“やる”とフェミニストは言うわけだけど。
それってどこかで止まるの?いつか止まるの?
は主客転倒してたりしない?
↑に従って活動が行われた結果、
「マイクロアグレッション」
とか
とか
だんだんと“先鋭化”とみなされてきてるんじゃないの?
冒頭の行動原理が先鋭化に繋がってない?
その辺りにだんだん皆、歪さを感じてきてるんじゃないの?
アンチフェミが思うより、公式のフェミニズムが二次絵の広告を批判する筋道はずっと細く脆いものなんじゃないかな。
周りのバカがやいやい言うのとたまに勇み足もあるせいで話がややこしくなってしまうが、公式?本流?の論理では、作品が流通すること自体に文句を言っているわけではないと理解した方がいいと思う。
「作品が単なるラブコメだとしても、ポスターの女性は明らかに胸が強調されたもので女性の主体性を奪う表現(=性的客体化)である。日本赤十字という公的な役割を帯びた法人の広告としては不適切ではないか。」、
今回の月曜日のたわわであれば、
「絵柄に配慮が見られるとはいえ、未成年者の女子高生を性的に見る内容であることは表題からも明らかで、日経という大新聞の全面広告にそれが載ることは未成年への性的眼差しを容認するというメッセージになり得るのではないか。」
というところだろうか。
(宇崎ちゃんは2018年7月~12月に連載されていた2巻の途中で20歳の成人を迎えているので、3巻の表紙をもとにした献血ポスター炎上時(2019年)には成人していたものと見なす。)
気を付けた方がいいと思うのは、決して作品が直接社会に悪影響を及ぼすとは言ってないわけ。そう言うのは一部のバカだけ。
フェミ公式が発してるのは「その広告が暗に示すメッセージ(この解釈次第で広告の是非が割れてしまうのだが)、それは社会として受け入れていいものなのですか?」というもので、あくまで問いの段階なんだと思うんだよね。
たぶんこれは「是」とも「非」とも結論の出ない問いなのではないかと思う(つかほとんどの案件は必然的にグレーになる)。
個人的な感想としては、月曜日のたわわはキャラが未成年であるという一点でグレーかなあ、と思う。いくら本編で痴漢行為が否定的に描かれていたとしても、あの広告に性的な記号がないでは通じない。ただ逆に言えば記号や題字レベルに性的アピールを抑制したともいえ、許容範囲とする意見も分かる。
一方の宇崎ちゃんは絵柄的にはより強烈かも知れないが、それだけをもって性的客体化とする議論は正直よく分からない。あれだけセンパイを煽るセリフが付いていて主体性が奪われたはないだろうし、表情についての誤解(×アヘ顔○ドヤ顔)も多かった。
なのでフェミニズム本流の論理は、細く脆くそして「淡い」という印象なんだよね。確かにその理屈で絵柄を判定しようとしても線引きが難しい。
たわわについては「未成年者」という分かりやすい一点があるためにその問題点が分かりやすかったが、それでもそこからの建て付けとしては「その表現が流通すること自体に問題はないけど、公的なメッセージとして発された場合は適切と言えるのか?」という細い一本線の論理になる。
https://twitter.com/cnntnst/status/1507156475285700640
この漫画は女性蔑視表現が少ないので安心して読める、と女性読者が言う時それは「ご飯に砂が混じってないから食べやすい」という”余計なストレスが無い”ニュアンスなんだけど、この作品の面白さはそこじゃないんだが?!と怒り出す輩がいる。
いや勿論 面白さの軸はそこじゃないよ。そんなの分かるわ。
つまりさ、ご飯に砂が混じってるとかじゃないんだよ。お前ら専用のレストランは既にあるんだよ。
男向けに発展してきたレストランに女が足踏み入れてこれ脂身多いカロリー高いとか言ってるだけで、それに気遣って男向けのレストランが対応し始めたってだけなんだよ。
大前提として女の住処はあるんだよ。その時点で男女平等は為されてる。
それが自分達が不快だって事だけ拾って男向けに作られてきたものを砂が混じってるとか、ただの蔑視じゃん。
わざわざ女向けのスイーツが甘すぎて不快だからって男が砂扱いしたらなんて言うんだってだけの話だよ。
女向け漫画に出てくる男も男の主体性なんてなくて女主人公に都合よく動いてるイケメンばっかで女の妄想だろ。
お互い様なんだよ。
そこで、日本の学校教育について思うことがあったので、少し書こうと思います。
学校ではプログラミングの授業があります。なので、エラーが起きたり実行が出来なかったりなどのトラブルが必ず発生します。
しかし、一部の学生はそれらのトラブルが発生しても、質問や相談をしてきません。社会人として働きだして、分からないことが発生してもそのままにしてしまうのかと何度も思いました。
何故このようなことが起こるのかと考えた結果、日本の学校教育に問題があるのではないかという考えに辿り着きました。
日本の一般的な教育機関では、学生は受け身で授業を受けます。自ら意見を言ったり、アクションを起こすという機会が殆ど無いように思います。
黒澤美寿希さん:服を性的だと感じる内心はコントロールできないが、着画へのセクハラリプはやめてくださいね
ハートクローゼット購入・着用者:黒澤さんがセクハラリプに反対しているということは、黒澤さんは「巨乳女性を性的消費する男性」から巨乳女性を守ってくれて、トラウマを解消してくれる英雄的な強者女性だ。私たちの願いを代わりに叶えてくれる英雄的強者女性の庇護があるからハートクローゼットの服を着よう、高いけど
アンチフェミ:巨乳の女性経営者が、服を性的だと感じる内心はコントロールできないと言ってる。つまりアンチフェミの味方だということだな。購入者が着画を載せるのは、巨乳を誇って男性に性的消費されたいからだろう
黒澤美寿希さん:月曜日のたわわ4巻まで読了しました!胸が大きい女性のことが好きな男性のロマンを詰め込んだファンタジーギャグ漫画なんですね。「明らかに未成年の女性を男性の性的な対象として描いた漫画の広告を掲載することで、女性にこうした役割を押し付けるステレオタイプの助長につながる危険があります」は、善悪を判断できる男性、嫌だといえる女性に対して失礼だなと感じたところです。
ハートクローゼット購入・着用者:黒澤さんは「嫌だと言える強い女性」の味方であって、「嫌だと言えない弱い女性」を守るつもりはないんだ。裏切られた、がっかりした、傷付いた、いままでの黒澤さんへの期待は間違っていたんだ(号泣)
ツイフェミ:顧客である巨乳女性に乳袋服を売って、エロ着画を撮らせてキモオタにオカズを差し出す、名誉男性が作る悪魔みたいなブランド!
アンチフェミ:巨乳の女性経営者が、たわわを支持してジェンダークレーマーを批判してる。つまりアンチフェミの味方だということだなw女の敵は女w
黒澤美寿希さん:【皆様にお願い】HEART CLOSETは胸が大きい女性が自分らしく自己表現するのを支援するブランドです。他者を勝手な判断で性的だと判断し、性消費する行動や言葉を押し付けないでください。各々が胸が大きい女性の主体性を尊重し、尊重されるべきです。切に、お願い申し上げます。
黒澤美寿希さん:この度、私どもに対する名誉毀損・業務妨害など悪質な投稿について、弁護士にも相談のうえ、法的措置を講じましたのでご報告いたします。
その価値観そのままの女性の主体性や性被害を軽視して女性をモノ化することを批判するのが表現に求められていることなんだよね
そこでその表現をそのまま取り込んだモノを作ったら批判されるのは当たり前やで
無くすべき悪習だもの
言論や表現の自由も「右派のもの」になってしまった。30年前には左派が標榜していたようなものがどんどん右派のものになっていく。
渡邊先生も時々ダメなことを言う。左派は現在でも表現の自由の断固たる味方で全く変わりはない。
性的表現が表現の自由を意味していた(正確にはそのように錯覚させていた)のは、「貞節」の規範がそれなりに強く、そうした表現が露出する場所がごく限られていた30年前までの話。男性側も、そうした性的表現を素直に喜ぶより「けしからん」と言っていた人間が多かった時代。「島耕作」「ゴルゴ」などのマッチョな漫画ですら、セックスについては女性から積極的・主体的にアプローチするという描写になっていた。
現在は「貞節」規範は消滅し、ネット上で性的なコンテンツは膨大に溢れており、性的表現が自由を意味する時代はすでに終わっている。逆に、男性の女性に対する性的な視線が、女性の主体的な発言を表現を抑制するような時代になっている。「たわわ」は男性の性的欲望そのものの漫画で、女性の主体性は表現されていない。表現の自由がこれまで通りだったら、男性マジョリティの表現の自由でしかない。だから、真の表現の自由を実現しようとすれば、公共的な場面における性的な表現には一定の規制が必要になる。これが現在の左派の立場だ。
憲法に拠って「たわわ」を擁護する学者や弁護士も、形式的な表現の自由に居直るばかりで、その限りでは正論も含まれているが、実質的な表現の自由についてはほとんど無関心である。たとえば男性が多数の会議で、その中心にいる男性が下ネタ混じりで爆笑を誘いながら持論を展開している時に、そこに女性が割って入って主張することは事実上困難であり、言論の自由は奪われている。表現の自由戦士たちは、下ネタ混じりの発言も「言論の自由」であり、女性も発言の機会は十分に与えられている、と開き直るのだろうが。
これは、確認した訳では無いが、もし起きているなら心苦しく思うし、あるべきではないと思う。
というより、そんな輩は表現の自由を守ろうともしていない大馬鹿野郎だと本心としては思う。
ただ・・・そうした切断処理を受け入れては貰えないだろう・・・という事も分かる・・・難しい。
一つ確かに言えるのは、表現の自由戦士の一人である私はそういう事を許されるべきではないと思っている。表現の自由戦士といっても一枚岩では無いし、そういう輩ではない者も居る、という事は分かって欲しい。
(ただ、一方で少なくとも表現の自由戦士を自称している者の中にもそうした目に余る輩が居る事は認識している。そういう輩に対しては私達も現状無力であり、申し訳なく思う)
少なくとも「顧客をそんな変態どもに売り渡した経営者」というのはあなたの解釈で、しかも悪意的な解釈だと思う。
実際はそうではないと私は思っている、黒澤氏は本心から広告や作品に問題を感じず、女性の主体性を大事にするが故にああいった意見を表明するに至った、少なくともそういう可能性があるという事自体は否定できないと思うが、どうだろう?
もしそのような可能性が少しでも残っているなら、黒澤氏の言動も否定されるべきものとも言い切れないのではないだろうか?(尤も、既に述べたように商業的にリスクの高い行動ではあった・・・・)
表現の自由戦士として思う事を正直に書く。
まず、たわわの件について胸の大きい女性と言う当事者として意見を出して貰えるのはありがたかったし心強かった。
ただ、ありがたい反面、黒澤氏の様な「失うもの」がある人がそこまでしなくても・・・と正直な気持ちを言うと思ってしまう。
匿名の私と黒澤氏ではあの件に言及するリスクが違う。リスクを負うのは私達でいいのに・・・と思ってしまった。(ただ、こういう言い方は却って黒澤氏の主体性を軽視しているかもしれない・・・)
今回、出版社や日経側はコメントを出さない事で批判をやり過ごし、(少なくとも傍から見る限りは)ダメージも大きくなさそうなだけに、そこでここまでリスクを冒す必要が有ったのか・・・とは思ってしまう。
私は今、黒澤氏に非常に同情している。
彼女があの広告や作品に問題を感じなかったのは本心なのだろうし、
それを公に意見として出すのも見かけた情報(anond:20220426211805)を見る限りブランドの理念に直結するものなので、譲れない思いがあったのだと思う。
そうしたポリシーを否定し抑圧するのは一消費者として忍びないし、出来ない。
ただ、リスクの高い行動ではあった。
(ただ、そのような商業的なリスクによって個人の意見を出すことを抑圧してしまう事は、正義に悖らないか?という事は考えられるべきだと思う。例えば経営者が差別反対を表明する事に商業的なリスクがある場合、差別反対を表明する事は間違いだったと言ってしまって良いのだろうか?)
謝罪が出て、このまま事態が収まり、顧客がかえってきてくれれば良いと願うけど、謝罪自体やその後の反応で彼女が傷付いていないかが心配だ。
黒澤氏を批判していた人達や、ブランドの愛用者に、そうした気持ちがあればと思う。
意見の相違があったとしても、いずれにしても今黒澤氏はキツイ状況にある、それは事実だと思う。そうした状況に少しでも同情を寄せ、穏便な解決へ持っていけないものだろうか。(勿論ブランドの愛用者の中には過去や今現在も何らかの被害に遭い、傷付いている人も居ると思う、そうした人々に今、黒澤氏へ少しでも同情心を分けてあげられないかと提案するのは心苦しくもあるが、しかし、何とかお願いできないだろうか)
表現の自由戦士として(と言っても勿論その中の1人に過ぎないが)今後黒澤氏がこうした議論に参戦し、リスクを冒してまでこちらに味方してくれる事は一切望まない。
だから、なんとか今回の件は白紙に戻し、愛用者は元の愛用者に戻っては貰えないだろうか。
今後黒澤氏がこうした議論に関わらないなら、そちらにリスクもデメリットも無い筈だ。
そして同じ表現の自由戦士には、今後黒澤氏にこの件に関わる様促したりする事は止めて欲しい、彼女はこうした件に関わるにはリスクが大き過ぎる(それに、黒澤氏の事業は多くの胸の大きい女性にとって助けになるもので、それがダメージを受ける事により顧客の彼女達にも間接的な被害が及ぶ事を危惧している)。勿論私個人に出来るのは、そうお願いする事だけだが。
私は争いがしたいのではない、勝ち負けを決めたいのでもない、フェミニストを言い負かしたい訳でも無い、
ただ、表現の自由が守られて欲しいし、表現の自由の侵害や、それに関連する議論で人が傷付いて欲しくない、それだけだ。
だから人が傷付くのは最小限にしたい。この件も同じ、黒澤氏がこちらと手を切ってこれ以上傷付かずに済むなら、それを望む。
どうか、考えてみて欲しい。
Twitter等で検索してみると似たような主張が大量に発掘される、それをキャプ翼論法とでも呼ぶべきか・・・
つりがねむし @Tsurigane_mushi
「漫画アニメなどの表現は人に影響など与えない」と言ってるオタクに「じゃあキャプテン翼の影響でサッカーを始めた人は?」と言っても、堂々と「それは悪い影響じゃないから問題ない」と返してくるので徒労になる 彼らはオタク・表現無罪論を唱えたいだけなので、これがダブスタとの自覚すらない
https://twitter.com/Tsurigane_mushi/status/1479650987459907593
しお(汐街コナ) @sodium
女は淑やかにと言われた時代に描かれた「ベルサイユの薔薇」や「はいからさんが通る」は、少女たちに、もっと主体性を持って生きて良いんだと伝えただろう。
表自界隈はこの不都合な論法を卑怯にも無視・・・してはおらず、周回遅れの議論であることが指摘されていた
DiamondらやFergusonらの査読付き学術論文を読んでいれば、「キャプ翼はどうなんだ?」みたいな雑な議論はとっくの昔に通り過ぎているとが分かるでしょう。
ダブスタというか、単につりがねむし氏@Tsurigane_mushiの科学的知見がアップデートされてないだけ。
https://twitter.com/TeshimaKairei/status/1480086090749194242
表現悪影響論・表現規制論に対抗するための『理論武装』~その科学的根拠~|手嶋海嶺|note
汐街コナ氏の表現論、その問題点~多様性、悪影響、炎上~|手嶋海嶺|note
この指摘以降もキャプ翼論法やそれに類似した主張(例えば下記の記事コメント・・・飲食物論法?)は各所で擦られ続けているので、今後もリテラシーの低い周回遅れな議論は繰り返されることだろうが・・・
[B! togetter] オタクなら誰でも一度はマンガやアニメに影響されて特定の食品や飲み物を継続的に摂取した過去がある説→「ほぅ…炭酸抜きのコーラですか…」