はてなキーワード: 主体性とは
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/www.akaneshinsha.co.jp/news-ad/21038/
↑この記事で圧倒的に★を集めているトップブコメが、以下のもの。
hutaai774a7b
前段階として豪の保育所で91人1600件超の児童性的虐待発覚、社会問題化→H&Mが女児服を「性的魅力で振り向かせよう」と宣伝→炎上、撤回→日本人LO作家が茶化して炎上の流れ。2次と現実の切り分けが出来ていると言う欺瞞
はてブでもこれがあたかも事実のように語られているが、Buzzfeedが続報したように、
この広告を攻撃し、炎上を煽ったメディア評論家のメリンダ・タンカード・リースト氏の批判投稿は
↓
H&M、制服姿の女児の広告を撤回 ⇒ 目立った抗議理由は「性的表現」よりも「ルッキズム助長」だった(オーストラリア)
https://www.buzzfeed.com/jp/kenjiando/hm-girls
そもそも初報の段階での小宮先生による解説も、戸惑い含みというか、歯切れの悪いものだったよな。
小宮氏:児童への性的虐待に対する危惧、女性がより性的対象にされやすい現状への問題意識などが議論のポイントになっていると考えられる。
広告は一見すると、女の子を性的対象にする描き方はされておらず、むしろおしゃれをしようという女の子の主体性が描かれているともとれる。
しかし、だから問題ないという話にはならない。あくまで広告には作り手がおり「どういった価値観を表現しているのか」が問われる。
小宮先生も初見で「これのどこが問題なんだろう?うーん、でも批判を正当化せねば」と頭をひねったであろうことが伝わってこないか?
しかしメリンダ氏の投稿は「性的虐待に対する危惧」ではなく「アパレル企業が子供にまでルッキズムを煽ること」への批判が主である。
小宮先生もちょっと困って「などが議論のポイントになっていると考えられる」といううすらぼんやりした表現を使ったのではないか。
それでも広告狩りを正当化したい人々が「Make those heads turn in ~という表現は性的なニュアンスが強い」などと言い出したが、
記事を見る限りオーストラリアではこの表現自体は別に問題視されていない。
この光景ももはや何度見たことか、日本のネット民の悪い病気の一つだと思う。
だいたいさ、はてブで最初にホッテントリ入りした以下の記事のブコメを見てほしい。
↓
「女児の性的対象化につながる」H&Mの広告に批判殺到→削除し謝罪 消費者は広告とどう向き合うべき?識者に聞いた
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/maidonanews.jp/article/15133686
性的対象云々以上にルッキズムを煽ることへの批判でしょ。とくに女児にオシャレに対するプレッシャーをかけることが正しいのか。
女児は思った以上に気を付けて見ておかないとすぐにおしゃれを通じて承認欲求を煽られる事で摂食障害や危険な整形手術にシームレスに繋がってしまう現状を知ってるかどうかでこの主張の理解度変わると思った
大人の視点を子供に押し付けてないかという問題だと思う。女の子達から見てこの広告は素敵に映るだろうか?個人的には子供より大人・親へのアピール感が強くて微妙。
批判は正しい。ナニを表現したいか、そして、広告だからこそ、受け手の評価がすべて/印象としては、女児を素のまま広告塔にする意図が透けて見えるから気持ち悪い。これでケバケバしくヘイクしてたら気持ち悪くない
男子2人の親だけど、子供を消費者に仕立てあげるマーケティング活動が年々対象年齢を下げていることに危惧を覚る 経済的自立が可能な年齢を対象にして欲しいと、子供が接する各種メディアを横で見ていて思います
これくらいでと思うかもしれないが、その“これくらい”が無数に積み上がって若い女子の無理なダイエットや拒食過食整形などに繋がるので。男子も未成年の脱毛や整形希望が増えて親が困ってたり他人事じゃない。
表現の自由と、ルッキズムに煽られてすぐ摂食障害やら港区女子になってしまう女子のリスクと。家庭で教育したくとも外の世界で友人や雑誌、漫画、アニメ、広告から影響を受けてしまうのよね。
「女児を素のまま使う広告の意図が透けてみる。ケバくメイクしてればキモくない」(これが一番意味不明。素のままか???)
なのに全員が「これは誰がどう見ても◯◯って意味でしょ。普通わかるでしょ。ロリコンどもはとぼけるな」ってテイなのがまたよくわからん。
非難してる人たちも「正直どこが問題なのかよくわからないが、白人様によるリベラル的な立場からの性搾取批判っぽいから肯定せねば(使命感)」みたいになってないか?
俺の姉も多分それだ
周りはやたらカウンセリング行かせろとかどこそこのメンタルチェックやらせろとか言うけど明らかに本人の意思で進んでなったビッチだし、特定の男と付き合って揉めまくってた時期に比べて遥かに生き生きしてる
親が「自棄になってそういう荒れた行動を取ってるんじゃないか」「余計傷付いて泣く事になるだけだぞ」的な指摘をした時も「私は自分の価値が安いのを分かって割り切った関係の者同士後腐れなく楽しんでるだけだから干渉してくんな」「流された自分が悪いのにあとからビービー泣く主体性のないさせ子と一緒にすんな」みたいな事言ってたわ
俺は自分さえ迷惑かけられないなら姉がクソビッチでも何でもいいし、他のヤツもそうな筈だと思うんだけど、何の接点もない他人なのにやたら「ビッチになるのはメンタルに理由があるからだ」とか言ってカウンセリングとか勧めたがるヤツ多いよな
じゃあ婚活の極意教えてやるかな
釣り増田が自慢げに「実質言ってることは同じなのに言い方の違いで騙されるんだろ?アホはてな民乙」みたいな論建てをしていて
レスバ大好きはてな民が「同じだってわかってたしー」と混ぜ返してるが
この二つは違う、全然違う
何が違うのか?
まず自分で考えてみてください
分かりましたか?
そうですね、言い方が違いますね
言い方が違うことの重要性を理解できないのは大げさに言っていしまえば「異常」です
婚活というのは何か?
普通以下に落ちぶれ、敗者復活戦を自力で勝ち抜けない「異常」な人々を相談所が頑張って「正常」の枠に嵌めて出荷すること
それ以上でも以下でもありません
その意味では増田が最初言っていた「結婚できない男は平均よりカネ稼いで相手を養うことでディスアドを補うべし」という戦略自体は正しいです
頑張って正常になりましょうね
しかしそれ以上に「言い方が違うのは全然違うこと」を心から理解するのはもっと重要です
「論理的に同じことを言ってるのに、大げさ・露悪的に言うか、それっぽく粉飾して言うかで価値判断のネガポジが反転するのは非論理的」なんていう
感情欠落病患者の一部はてな民にしか通用しない「異常」な考えを捨てるべきなのは当然でしょう
考えてみてください
一般人は同じ契約書でも言い方の違い一つでサインするかしないかを容易に変えます
危険な金融商品でもオブラートに包めば購入してくれる可能性は上がります
安全なものでも「有害性」のデータをうまく張り付ければ忌避させられます
だからクソ商品を合法的に売り抜ける営業職やらがなくならないわけですが
ともかく普通の人は長文を見たときまず丹念に論理展開なんて追いません
快不快や敵味方の判定が最初で、そこから大体の結論を出し、あとから論拠を足りない頭で頑張って構成するのが「正常」です
「この二つは全然違うでしょ!とにかく増田はアホ!」という結論から始まり意味不明なアホ理屈を書いていたアホのはてな民のほうが「正常」なのです
価値判断はほとんど最初に決まります、だから最初に目に入る見た目で人的評価のほとんどは終わります
あとから覆すのはとっても大変です
もちろん学歴や年収なども最初に目に入るのでまあまあ効果的ではあります
しかしそもそも婚活している段階でもはやスペックを上げるというのはちょっと現実的ではありませんね
例えば婚活開始している時点で、見た目をよくしよう!年収を上げよう!とか言う発想
泥棒を見つけてから縄を綯うよりは少しマシですが、方向性は同じですね
遅い遅すぎる
転職とか整形とかそれなりに高リスクですしどうせやるならもっと若いうちにやるべきですね
もうすでにあるブツをすでにある環境で売り抜けるしかないのです
「言い方」が最大の問題になるのは当たり前ですね
しかし私が言いたいのは「言い方に気をつけろ」というだけの話ではありません
同じ商品を「言い方の違い」で売り抜ける
そのためには単に「このクソ商品を口八丁で売り抜けてやるぜ」という発想ではダメです
ではどうするか
そのためには「理由」を業務時間以外もすべて四六時中三百六十五日常に唱和しましょう
例えば
「平均以下の男と違い女性を全く見下しておらず対等に付き合いたいので常に主体性をもって女性をリードします」
「自分はほかの男とは違う真の男女平等主義者だから女性のキャリアは邪魔しません。しかしもし専業主婦を希望するなら喜んで養いたいです」
という内容を本気で行うには
「これは結局相手を見下して行っている慈悲的差別だけど結婚生活の維持のためにはやるしかないんだよな」などというクソの役にも立たないメタ認知は完全に邪魔です
反革命思想の本を読んで「これは二重思考なんだよなー」なんて思いながらも党に忠誠を持つ演技を続ける頭脳派キャラは、絶対最後は捕まるのと同じです
そんなことを思いながら演技できるほどあなたが器用なマインドセットを持っているなら間違いなく婚活に苦しむ羽目にはなりません
ギリギリ婚活だけを切り抜けることはできるかもしれませんがそのスタンスで結婚したなら離婚されないためには一生やる必要がありますよ?
メタ認知が強いほど、二重思考のストレスが高まり、目をそらすため増田でレスバなどをして発散する羽目になるでしょう
それよりも
「女性を見下しておらず対等に付き合いたいので常に主体性をもって女性をリードします」
「自分は真の男女平等主義者だから女性のキャリアは邪魔しません。しかしもし専業主婦を希望するなら喜んで養いたいです」
という内容をひたすら信じ、妻に向かって常に言い、はてなやツイッターに書き散らすほうがずっと簡単です
「一般受けのため、スポットライトが当たった時だけ言い訳のようにきれいごとを言う」というのはまず破滅します
しかし「一般受けのため、常にパターン化したきれいごとを言えるようにしておく、そのためにキャッチフレーズを常に唱和する」これは実は非常に簡単で再現性が高いのです
そのためには「実質的に同じことを言っている露悪的な文章」を見たら即座に「悪」として叩くことも非常に重要です
そしてその訓練に最適なサービスとは?
うちの五歳の息子も自主的、主体的に歯磨きをせずに延々とタブレットでYoutubeを見続けます
親としては自己責任と放置せずに説教してタブレットを取り上げ洗面所に向かわせます。
うえーん、みたいよぉと泣くが
やかましい長幼の序、親の命令は絶対だ、理屈じゃない、理屈を言うたところでキミにはまだ理解できない、とりあえず親に従ってればいいのです。
目が悪く、頭が悪くなる、寝不足になる、まぁ理由はあるわけだが大人の知見で制御すべきものは制御し、経験と知識が足らない愚かな子供を一人前に育てるのが親の役目です。
大人試験を権力者の都合の良い難易度に調整されたら?ヤバいよね
ならば、相応の能力があれば相応の所得を得て納税するはずだから選挙権は納税額で線引しよう。
これもやって失敗した
「年齢」で一律区切るしか無いわけです。
「なにをエラソーにwガキが」の一蹴で良いのです
お見合いの席でまず二人で会話をするが、話のつまらない人は「自分の軸がない」。
仕事に思い入れがあるわけでもなく、「自分がしたい仕事」をしているわけでもない。
そういった人の趣味は、旅行、食べ歩き、散歩が多いのだが、その場限りの楽しみを追い求めている人が多い。
看護師はお金もあるせいか、海外旅行に何度も行っていたりする。
だけど、町並みがきれいだったとか、きれいな景色を見たとか、それは悪いことではないけど、
パーッと遊んで楽しかったというだけで、後に残る何かがあるわけでもない。
で、そういった女性に限って、男に依存したい考えが垣間見える。
経験的に知ってることだけど、自分の軸がない女性は(男もだけど)、男に多くを求める。
「男は〜であるべき」「男はスマートにお会計を払うもの」「車の運転はしてくれるもの」・・・。
軸のない性格の人は大抵こうだ。
なのに、偉そうだったりもする。
仕事が人生の中心ではなくても、茶道が好きで長年続けているとか、
サッカーが好きとか、プログラミングの勉強をむっちゃ頑張っているとか、
そういうのがない人って案外、多いんだなって、婚活をしていて思った。
結婚生活の楽しみは旦那(もしくは妻)がもたらしてくれると言わんばかりだ。
自分に軸がなくて行動も積極的でない人と出会うと、これは苦労しそうだと思ってしまって、お断りする。
そんなものじゃね?
・脳破壊(され)おじさん
・そういや2人のおじさんが各々のやり方で脳破壊されとる…
こんなクレジットの出し方初めてみたオシャレや
3%のヤギかわいそう…でもこの行動は監督の思想が反映されての行動だからそこに関しては監督と考え方がちょっと違った部分であって駄作という訳では決して無い…ロブスターとか女王陛下で監督の畜生観はなんとなくわかってたやろ…!ヤギだって群れで行動してたら「俺なんか他の個体と色々ちがくね?」で病むとかわいそうだけど恐らく邸宅内で比較対象なく終生飼育だからまあええか…というきもち
・紛うことなくオサレで眼福映画だがテーマは何だろうアートメインの映画かな?と思ったら格差貧困女性自身の性の主体性・選択権を持ち自立して生きるという予想以上に社会派テーマだったし説教臭くなく手段が目的になってないヨルラン監督、流石だぜえ!の映画だった
・おじさんが脳破壊される途中は「男女の恋愛の機微、よくわかんない…」ってみてたけど格差社会〜のくだりけら「おおっ」となってパリから「なるほどそんな感じのテーマの映画か目茶苦茶今な感じのテーマやんな」ってなった
・格差社会×労働×階級の上下がまんま物理的にも上下とかそのへん逆転のトライアングル連想した
・理解ある彼くんに逆プロポーズのくだりで「よかったね…!」という気持ちと同時に湧いた「性に奔放なのは選択の自由として行動に伴うリスク(性病)は?」に即質問で回収しててよかった
・理解ある彼くんと努力が素直に反映される優秀な頭脳があれば…叶えうる理想やね…これは啓発というか励まされるための映画だから…これは物語だから…理想を形にすることから社会が変わる一歩になるんや…
・米映画、やたらフェミフェミしてんなとは思うけど中絶禁止法?やらが現実に出てきて論議に上がってる世界と対岸の事として見てるジャパンの己とは「マジさ」が違うんだろうな〜とは思った
・パッパ…よかったね…泣いた
・
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・賞レースガンガンなのは納得の良作品なんだけど若干心が凪なとこあるな…なんでだろと思ってたら