はてなキーワード: 祝意とは
げふっ(吐血)
しんろーしんぷの画像に
そうかぁ
おめでとう
と伝えるべきなんだけど、、、さすがに。さすがに。
はぁ
見てないってことにしておこう
時間たって、、、言うか
わかっちゃいたけど、こうやって見てしまうと、、、しょんぼりするねorz
新婚で妊娠してて
しあわせなわけだ
最強の光属性じゃん
SNSってきっついなーー
おうふ
正直、、落ち込んだ
鉛を食った気分
どよよよん
つうか、まだこんなに落ち込む余地があったんだね
もーいーでしょう・・・・
まだまだ残ってる部分もあったかな
ほんとお世話になったんで
欺瞞かも
でも少しはある
ただ、、、きっついなーーーーー
まぁ、、、きつくはあるけれども
もういいよな、という気持ちを後押ししてくれるのかな
もうないよな~~~~~~
もろに光属性「弱」を付かれた感
それにしても、この気持ちの取り扱い、、、難しいなぁ
押し殺したくなく
抱擁しつつ
好きなひとの花嫁姿
強烈だなぁ・・・・やっぱり
ふられた傷跡がまだふさがってなかったのかな
全員幸せってむりなんだな
リソースが限られてるから、誰かが満たされれば、誰かが満たされない
ふぅ
まだ、素直におめでとうって言えない
大人じゃないなぁって思うけど、欺瞞を塗りたくるよりかは・・・・
いつかはいおう
http://www.kore-eda.com/message/20180607.html
Twitterとか見ると変な部分に突っかかって是枝監督に怒りをぶつけてる人が多い。
多分元の文章をまともに読んでないせいだと思うので、きちんと整理しておきたい。
一般的には「喜びを祝う気持ち」のことを指すけれど、文脈を見ると
国会の参院文科委員会で野党の議員が「(是枝に)直接祝意を表しては?現場をとても鼓舞する。総理に進言を」と文科相に問いただしているやりとりを目にし、更にその後「林文科相が文科省に招いて祝福したいという意向を示した」と伝えられたとNHKのニュースで目にしました。
実は受賞直後からいくつかの団体や自治体から今回の受賞を顕彰したいのだが、という問い合わせを頂きました。有り難いのですが現在まで全てお断りさせて頂いております。
つまりどこかに呼ばれて表彰、みたいなことは断るよ、ってだけの話なんだよね。
デマ。
実は受賞直後からいくつかの団体や自治体から今回の受賞を顕彰したいのだが、という問い合わせを頂きました。有り難いのですが現在まで全てお断りさせて頂いております。
「顕彰の問い合わせ」に対して「有り難い」って書いてあるじゃん。
何を勘違いしたのか
親から仕送り貰って、大学卒業したり優秀な成績残した時に親からおめでとうと言われた際に「親からの言葉は受け入れない」とか言ったら批判されるよね。
親からの「おめでとう」を断るのがカッコイイとか、それが許されるのは反抗期まで。 成人でもみっともないと言われるのに、還暦近い人がそんなの言うとか流石に度を越している。
国から給料貰っておきながら、国家も歌わず日の丸に敬意を示さないどっかの教員連中も同じ精神構造なんだろうね。いつまで経っても反抗期の子供なんだよ。
親と子供の関係に例える人なんか特に多いが、その例えは明らかに間違っている。
(文化庁は親ではないし、お金の出処は税金または文化庁への寄付であって"親"が汗水たらして得た金ではない)
まず、「告発を目的とした映画ではない」と発言していることは知ってもらいたい。
この「公権力を批判」というもの。人によって想定してることがぜんぜん違うんだけど。
「公権力そのものを否定する」というようなアナキスト的思考ならともかく、「社会の問題点を指摘する」レベルのことは独裁政権以外なら誰だってやっているよね。
以下の文にあるように、是枝監督が「映画を撮りながら考えていたこと」は「それほど目新しいものではない」。
「単身者が孤立」とか「自己責任論」とか、多くの日本人がすでにテレビや新聞、ネット上で共有している。
助成金もらっているからってこのレベルのことも言ってはならない、なんてことはないはず。
取材の中で「何故社会からこのような“不可視の”家族が生まれると思うか?」と作品の背景としての社会的、政治的状況を聞かれた。その告発を目的とした映画ではないことを前提に自分の考えを述べた。あくまで私見としてではあるが。今回僕が話したのは「共同体」の変化について、であった。日本は地域共同体が壊れ、企業共同体が壊れ、家族の共同体も三世代が一世代、単身者が増えて脆くなっている。この映画で描かれる家族のひとりひとりはこの3つの共同体「地域」「企業」「家族」からこぼれ落ち、もしくは排除され不可視の状態になっている人たちである。これが物語の内側。そして孤立化した人が求めた共同体のひとつがネット空間であり、その孤立した個を回収したのが“国家”主義的な価値観(ナショナリズム)であり、そこで語られる「国益」への自己同一化が進むと社会は排他的になり、多様性を失う。犯罪は社会の貧困が生むという建前が後退し、自己責任という本音が世界を覆う。恐らくあの「家族」はそのような言葉と視線によって断罪されるだろう。…ということも話した。これが背景。これは『映画を撮りながら考えたこと』という拙書でも既に述べている考え方である。まぁそれほど目新しいものではないだろうことは自覚しているが。
論点を整理しておきたい。
先に筆者の立ち位置を説明しておくと、賛否両論の、どちらかといえば否の方の人だ。
まとめ主の主張はこうでしょ?
①「金をもらったくせに、祝意を受け取らないとは失礼だ」
②「金をもらうというのは公権力と潔く距離を保つことにはならない」
この主張のうち、①には全く賛同しない。
②は同意ってことはないけど、そう思う人だっているかなぁ?程度。同意率10%
そう思っているたくさんのブコメが否の意見を付けてることを明記しておきたい。
(と感じたんだけど、否のブクマさんそうですよね?違ったらごめんなさいえへへ)
みたいなのが人気ブコメになっていると、もやぁもやぁってする。
祝意を受け取るってことが、言いなりになるとか、指図を受けるってことにはならないと思うのだけど
そこのところどうよ、みなさん。
あと「安倍政権の人気取りには与しないってことだ!」みたいな意見もあるけど、
「是枝監督に祝意を届けるなんてさすがは安倍政権!次の選挙で入れちゃうもんね」
って感覚に全然ならねぇ、全くならねぇ。官僚どもが不正ばっかしてんのに何で厳しくつっこまねぇんだこのdotekaboty
カンヌの山田孝之を見て知ったけど、カンヌ映画祭のパルムドールってすげえ賞なわけじゃん。
(相手のゴールにシュゥゥゥーッ!!)
それに対して祝意を称するって別に時の政権がしたっていいんじゃないの?
昔からしてるわけだし、日本に限らずどこの政府でもしてるわけだし、なんかフランス人の怒ってたし。
変に捻くれなくても、素直におめでとうって言葉を受け取ればいいのにって思ってしまう。
おめでとう?お前に言われてもうれしくねぇよ!!死ね!!
同僚が結婚したって聞いて、何気なくおめでとうって伝えて、お、おうすまねぇってなった気分。
念のためもう一回言っとくと、助成金を受け取っても、政府の言いなり感はないし、政府と距離を保ていると思う。
じゃんじゃんもらったらいい。そんで、政権批判バンバンしたらいい。
それはなんも批判されることはない。批判しているやつはおかしい。
そう理性では感じている(理性で感じるとは何だ)のだけど、なんか僕が違和感を感じる(トートロジー最高)のは、
公権力!なんて人生で使ったことないし、潔くっていうと、一切俗世との関わりを絶ってます!!て感じがする。
攻撃的で喧嘩腰で、距離を保つというより、もう日本政府とむっちゃ距離を取ってます!!みたいな感じがするのに、
悪そうなやつとはだいたい友達なくせに、ラブアンドピースって歌われても……みたいな。
あぁでも”悪そう”だから、実際悪い奴じゃない可能性もあって、それはいいのか。
この悪そうなって歌詞のミソを今知ったわ。KJすげぇ。
オルフェーヴルは史上七頭目の三冠馬として日本競馬の頂点を極めながら、気性の荒さからたびたび問題を起こし、“暴君”と称された個性派である。
逸走してから驚異の追い上げを見せた阪神大賞典や、一度は抜け出しながらヨレて差された凱旋門賞を覚えている方も多いだろう。
「スプリント」と呼ばれる、1200mの短距離GIを史上初めて三連覇、さらに世界中の短距離馬が集まる香港スプリントを制し、翌年には圧勝で連覇した。
まず間違いなく日本競馬史上最強のスプリンターと言ってよい。顕彰には十分な実績である。
顕彰されるには75%が必要である上に、顕彰馬投票では初年度に最も票を獲得しやすい。
なぜ彼は顕彰されなかったのか。
それには日本競馬の、特に古い世代における「短距離軽視」という背景がある。
日本競馬において「王道」とされるのは、2000mから2400mまでの中(長)距離路線である。
そこから、まずマイル(1600m)路線が整備され、徐々に注目度を上げていき、やがてタイキシャトルが顕彰されるに至った。
スプリント(1200m)路線は、そのマイルからさらに遅れて整備された。
つまり、短距離軽視の風潮を引きずった老人たちが決定権を持っているというわけだ。
実は、オルフェーヴルとロードカナロアは同じ年に引退している。
そして、その年の代表馬として選ばれたのは、ロードカナロアだった。
まさか三冠馬ではなく短距離馬が選ばれるとは、日本の競馬界にも遅まきながらスプリントを差別しない空気が作られつつあるのか、と感心したものだ。
しかし、この記者投票の結果を見るかぎり、それは幻想だったと言わざるを得ない。
こうして長々と愚痴を書いてみても、記者たちに与える影響は皆無だろう。