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はてなキーワード: ウィスキーとは

2021-11-27

シルキー

液体になった月。氷の島。グラスに架かる虹。ささやき。時の音。

華やいだ香りジェニーの夢。ブレンダーマジック

サントリーウィスキー、シルキー

僕は、誰にも似ていない。

2021-11-13

anond:20211113160128

保管にあんまり神経を使わなくていいウィスキーだと、人気過ぎて日本ウィスキー日本あんまり買えない状況になってるよ。

山﨑12年とか。竹鶴12年はなくなったし。

2021-10-19

備忘までに。

彼女と一緒に美術館に行った。「これだから高学歴は」と言われた。

温泉旅館に泊まった。帰りに寺に寄った。

・一緒に神戸に行って、絵を買ってホテルに泊まった。「この角度で犬の絵描く人初めて見た」と言われた。よく笑った。

焼き鳥屋へよく一緒に行った。なぜか毎回興奮して、その日はセックスが盛り上がった。

・一緒に昼ご飯を食べた。

セックスの後、お昼のニュースで「密にならないようにしてください」とキャスターが言っていた。「密っていうかつながっているよね」「中に入ってる」「やめてよ」という会話をした。

ユニクロのUT?を部屋着にしていた。青の車が描かれているものと、緑のギターが描かれているもの。僕もよく着た。

・駅まで迎えに来てくれた。

えくぼがあるね、と言った。タップルがオススメとも言っていた。

・どこかの酒屋だか博物館だかで、小さいウィスキーの小瓶を買ってきていた。一緒に飲んだ、美味しかった。

・一緒に京都へ行った。「京都の人はいつも『京都盆地から暑いんだ』と言う、そんなのどうでもいいのに何回も言う」と言っていた。

・目隠しと拘束をしてセックスした。

・とても嬉しかった。楽しかった。

2021-10-18

寒い日は紅茶ウィスキーをほんの少したらすといいよ。

バドバド

2021-10-15

anond:20211015222230

それだな。

増田にいるような高所得者集団ウィスキーとかワインなんだろうなぁ。

発泡酒でも飲むか…

2021-10-14

anond:20211014144217

Qiitaは「この記事20年物です」みたいなウィスキーみたいなことが書いてあるので嫌い

古ければいいと思ってる

2021-08-13

anond:20210813111550

昔、良いことがあったか今日ちょっと奮発して高級ウィスキーでも飲もうかな、

って山﨑12年たぶん7千円くらいで買えたけど、今2万円位して手が出ない。

anond:20210813102548

高級なお香香水とか国産ウィスキーみたいにどんどん値段上がって買いにくくなるのかな。

2021-06-29

anond:20210628194034

💪両💪にタトゥー入れた宇多田さん(ウィスキー飲むまでちょっぴり緊張気味)、

庵野監督くまさん、息子、息子、綾にゃみレイ、辻田さん、私、

達の話はでてくるけど、ハズバンドの話はさっぱりでてこないのな

2021-06-23

「まずい文章は読まない」というセレブの発想に垣間見る村上春樹冷た

村上春樹の例の発言にずっと違和感を覚えていた。

最初に言っておくべきだが、私は村上春樹の熱心なファンである

スプートニクの恋人以降、発売された長編は発売日に買って読んでいるし、短編も購入するようにしている。

だが、最近なんか違うなと思ってきた。最新の三人称単数に関しては、内容のつまらなさ自体一種文学的仕掛けなのかと勘ぐってしまったくらいだ。

それで例の発言だ。

誰もまずいもの健康に悪いものは食べたくないし、読みたくない。

言うまでもないがSNSは不味いどころか、モノによっては有害でさえある。

だが、育った環境経済状況によってはまずいものしか身の回りにないという場合も充分にある。

善し悪しの判断基準を持たないということも充分にありえる。

そういう人に本物を届けるのも作家役割だと思うのだが、村上春樹視点からはそういう「市民」が欠落しているように見える。

誰もがクラシックを聴いて批評したり、ジャガーに乗ったり、ボストンマラソンを走れたり、アイルランドウィスキーを飲めるわけではない。

例の発言は、読者のQAに答えた形の内容なので、恐らく本人は「個人的には〜〜だと思います。なぜなら〜〜だからです。ですが、別にSNS日常的に利用している人に含むところはありません」

という気持ちで書いたのだろう。

とはいえ村上春樹視野なかにストゼロを飲みながらふわっちを見ている人はいない。

村上春樹はかつて、「全体小説を書きたい」と言っていた。彼の「全体」のなかに、ストゼロとふわっちは含まれないのか。

文学とは、42歳の派遣社員お見合いパーティーで3回連続で誰ともカップル成立しなかった時に、心の支えとなるようなものではないのか。

今の村上春樹スノッブでさえない。冷酷なのだパンがない人のことを想像もしていないのだ。

2021-06-19

anond:20210619092112

そうかなぁ。20年位前のコーヒーはめちゃくちゃ良い香りがしたよ。

別の話だけどデフレ後に高くなってしまったのがウイスキーで、当時山﨑12年が6千円位したけど、マッカラン12年はスーパーに並んでて4千円切ってたし、ニッカの誕生40周年記念ブラックニッカ12年とか2000円切っていたので、学生でも超高級トディを作れた。今山12年買おうとすると2万円位だし、マッカランは8千円位だし(しかも昔と味が違うらしい)、ブラックニッカ60周年は1万円位ださないと買えない。今の若い人がジャパニーズウィスキーの良い味を知るハードルは上がったなぁと思います

父の日によせて

父のことを思うとき、いつも思い出す光景があります

それはある週末、スーパーから自転車で、自宅までの帰り道。

当時私は24か25で、週末は友だちと会ったり、都心に買い物に行ったりすることが多かったんですが、なぜかその日は久しぶりに、父と自転車西友に行くことになったのでした。買い物のためというよりも、恒常的に太っていた父の、運動のためだったかもしれません。

スーパーから家まで自転車10ちょっとの道、なんとなく父が先を走り、私が追いかけていく中で、自然と父の背中が目に入って、思ったんです。

あれ、パパの背中、思ってたより小さいんだな…と。

身長170cmちょっとに対し体重は90kg近くあり、どちらかというと「大きい」印象を与える父でしたが、背中丸めママチャリをこぐ姿は、食卓ビールウィスキー焼酎ちゃんぽんで飲んで管を巻いているときよりも、少し縮んだように見えました。

父はその頃60歳近いので、多少は本当に縮んでたのかもしれませんが、小さく見える理由はそれだけじゃないこともわかっていました。私が就職したことで、私のほうの見え方が変わっていたんです。

その頃はネットバブルと言われた時期の真っただ中で、私はそんな会社ひとつに、運良く入れていました。

そこは日本ではわりと大きな「ITベンダー」とか言われる会社の子会社だったので、親会社からエラい人が続々と天下ってきていました。でも当時まだ光ファイバーはおろかADSLすらほとんど普及してない時代Windows 95が出てから数年って時代なんで、大手ITベンダー出身のはずのエラい人たちでも、じつはパソコンほとんど使ったことがなかったり、せいぜいメールの読み書きができる程度だったりしました。そんな人たちがいきなり、ネット会社役員として送りこまれてくるわけです。しか親会社セミナーと称して顧客集めのイベントを開いて、子会社に送り込んだ役員を登壇させ、「ネット御社ビジネスが変わりますよ」みたいな話をさせるんです。

そこで私がやってた仕事ひとつが、子会社に来て早々に付け焼き刃トークさせられる役員のために講演資料を作ることと、講演当日のカバン持ち(会場のプロジェクターパソコンつないだり。当時はパワーポイントみたいな大きなデータ相手先に送るのも、容量制限でできなかったりしたのです)でした。私自身もその会社に入るまでネットほとんど触ったことのないニワカだったので、資料作りといっても実際はもっとコアな先輩社員に依頼してネタ出ししてもらったりする、窓口的な役割です。

そんな、ニワカな私がニワカな役員サポートする不安な構図だったんですが、講演はそれなりに(多分)好評で、親会社主催のものだけでなく外部のイベント出張っていくこともありました。大きなホテルの「なんとかの間」とかの華やかな壇上で、スポットライトを浴びながらネットビジネス活用を語る役員たちは、頭頂部が多少ハレーションしていても(だからこそ?)、いかにもエラい人っぽく見えました。エラい人「っぽい」だけでなく、ニワカであっても数百人を相手に堂々と話ができる、それは一朝一夕には身に着けられないスキルだと今でも思います

大企業出身エライ人たちはトークができるだけでなく、部下の扱いも丁寧で、いや私が若い女からということもおそらくあったのですが、とにかくそういった講演サポート業務の後は、「お礼」と称して素敵なレストランなどに連れて行ってくれました。私はただ窓口になっただけなので、と言うと、じゃあネタ出ししてくれた人たちもみんなで、となり、ずいぶん大人数でごちそうになることもありました(それが会社お金だったのかポケットマネーだったのかは不明)。

そんなわけで私の会社の人たちは、上司も先輩も同僚も、そこそこ大企業文化の中にいて、都会慣れしていました。「肩で風を切る」ってほどじゃないにしろ、少なくとも必要ときには背筋を伸ばして堂々と振る舞える、そんな人たちが、いつの間にか私にとっての「普通」になっていたのです。

それに対し父は、そんな平成っぽいスマートさとは無縁で生きてきました。そもそも、なぜ私が父を「パパ」と呼ぶことになったのかまったく理解できないような「おとっつぁん」的な風貌だし、人前で話す機会があるとしたら会社の朝礼か親戚の法事くらい、しかも話がムダに長くてつまらない、と家族の中で有名でした。素敵なお店なんか結界が張ってあると感じていたらしく、まれ家族旅行で伊豆ホテルに行ったときには、入り口から赤いじゅうたんが敷いてあることにおののき、「あのー、この、じゅうたんの上、歩いていいんすけ?」(いつも語尾がモゴモゴしている)と質問して失笑を買った、とか、ファミレスアイスクリームを注文するときに、「フレーバーを選ぶ」という概念をまったく知らず、「えーこの、バニラチョコレートストロベリーアイス、頼んます」と全フレーバーを読み上げたとか、そんなエピソードには事欠かない人なのです。

そしてその日も、うら若い娘とお出かけの機会だというのに、会社作業服だか私服だかわからない、着心地だけが最高の服装で、ボロボロママチャリに乗って、西友に行くくらいしかできないのです。

でも私は、だからといって、父の存在が恥ずかしいとか、引け目を感じるとかいうわけでもないな、とも思いました。

しろ、その小さな背中にかかっているものの重さを、改めて感じたんです。

岩手県の奥地でだいたい10兄弟の3〜5番めくらいに生まれた父(兄弟姉妹の半分くらいが子どものうちに亡くなってるのでいろいろ曖昧)は、中学校卒業すると集団就職上京し、小さな運送会社に入りました。最初は15歳で運転もできないので、助手として荷物の積み下ろしから始めて、18歳で免許を取って運転手になり、20代でその運送会社社長の娘と結婚、30代で子どもが生まれ、それが私の姉と私になります。姉が生まれたあたりから家族会社のすぐそばに住むようになり、姉と私は毎日祖父や父、社員の人たちが働く姿を見ながら育ってきました。

祖父会社オイルショックかいろいろありながらも、高度成長期バブル景気でそこそこに拡大、多いとき社員(「若い衆」と呼称)数十人を抱えるまでになりました。祖父会社仕事より、地元運送業の顔役的なことをメインでやるようになっていたので、成り行き的に父が現場の切り盛りをしていました。

でも90年代バブル崩壊以降は会社の業績が右肩下がりになり、銀行から貸し剥がしを受け、頻繁に資金ショートするようになっていました。高度成長期に「若い衆」だった運転手さんたちも実際はもう全然若くなく、平均年齢50歳くらいになっており、お子さんがいる人たちもたくさんいました。2021年の今と違って景気は悪く、ネット通販からドライバー需要も発展途上で、万一倒産した場合ベテラン運転手さんでも簡単に次の仕事が見つかる見込みはありませんでした。

これがドラマだったら、私みたいなネット企業で多少の経験積んだ娘が家業に乗り込み、会社ITで立て直し、引いては業界全体を改革していく…となりそうなところです。でも、そうはなりませんでした。まず私自身、いきなり乗り込んで何か改善できるという自信がなかったし、何ができるかもわからないのに親のコネ会社に入るなんて、社員の人たちに申し訳ないと思っていました。また祖父や父には、私に苦労をかけたくないという思いもあったのだと思います

なので私としては、今にも倒れそうな会社というボロボロ自転車を、とにかく倒してはいけない、続けなきゃいけないんだという思いで漕ぎ続ける父を、ただただ後ろから、見守ることしかできなかったのです。

大きくて、小さくて、でもやっぱり大きくて温かい、父の背中

高価なスーツを着てスポットライトを浴びることもなければ、お洒落レストランに部下を従えていくこともない父だけど、私はどんなに誇りに思っていることか。

西友からの帰り道、緑道にかかる橋をのろのろと上っていく父の背中を見ながら、パパの子どもに生まれて本当に良かった、と思いました。

…こういう話って普通結婚式のときかにするんですよね。

照れくさくてなかなか言う機会がなかったんですが、このコロナ下でなかなか会えないので、今やっと言葉しました。

直接言えよって感じなんですけど、まあ、こういう人たちもいるよってことで、この場所に置かせていただきます

2021-06-09

anond:20210608221139

デパートで買うと確かにハズレは少ない。でも、スーパーで買うなというのは暴論だよ。

うちの近所、地元資本スーパーにある四合瓶で1,182円(税別)の純米酒トップクラスに旨い。精米歩合55なので特別純米酒だけど、この値段。もちろん地元お酒ね。ちなみに、作り方・安い理由・味とも、獺祭が近いと思う。

同じブランド純米吟醸も旨いけど、コスパはこれ最強。今見たら楽天でも1,309円で出てたけどね。

ワインでも、焼酎でも、海外ウィスキーでも、お酒全般に言えるんだけど、確かに高い酒は旨い。ただね、逆は成り立たないのよ。安くて旨いは往々にしてあるのよ。口に合う、料理に合うも含めると特にね。

わたし接待とかでは高い酒を飲んで、家ではコスパ酒を飲む。あと、家では、酒に合わせて料理を作る。まあ、デパートでいい酒買う楽しみを否定する気はないんだけど、こういう旨い酒の飲み方も否定せんといてね。

ちょっと高めのウィスキー買ってきたら「なんか樽の味がしてまずい」って言われた

世界で一番旨い酒なんていうもの存在しない。

割と勘違いしている人が多いから断言するけど、世界で一番旨い酒なんていうもの絶対存在しません。

逆に聞くけど、誰かが「これが世界で一番旨い酒です」って決めたら、それを信じて世界で一番旨い酒だって認めますか?

何かしらのルールやら基準を作って世界一を決めることはできなくはないけど、そもそもそんなことをする意味があるのかという問題になる。

もちろん旨い不味いはある。

だけど、嫌いな人にしてみれば全部不味いし、馬鹿舌な人間にしてみれば全部旨い。

それをわざわざ他人が出てきて旨い不味い決めてどうするんだということ。

じゃぁお酒ってどうやって選べばいいの?という話になるので、鉄板を教える。

まず第一に、旨い不味いではなくて、好きか嫌いかで分けるべき。

しろ、大して優れた味覚があるわけでもないのに、すぐに「おいしい!」とか言わないほうがいい。

実はそれ、めちゃくちゃ安い酒かもしれない。

お酒の味なんて、雰囲気温度、一緒に食べてる料理、人、場所なんかで全然変わってくる。

旅先で飲んだお酒が美味しかたから買って帰って家で飲んだら全然美味しくないなんてことは本当によくある話。

原価厨はこの辺のことを全く理解しようとしないから嫌いなんだけど、プロは適切なものを適切な状態で適切なタイミングで出すからプロなんだよ。

そういうサービスコスト無視して、原価だけで価値判断ちゃうのは本当にもったいないよね。

話を戻す。

ビールワインサワーウイスキー日本酒焼酎、などなど。

アルコールの濃さや原材料、風味、のどごし、飲み方なんかを比べつつ、自分の好みを探すのがよい。

人がどれだけ旨いって評価しようが、嫌いなものは不味い。逆に人がどれだけ不味いって言おうが、好きなものは旨い。それが真理。

次に大事なことは、どんな料理と飲むかで考える。

例えば揚げ物には口の中の油を洗い流してくれるようなビールが合うけど、糖分が口の中にべっとり残るようなフルーティー日本酒は合わない。

獣臭の強いジビエかにスパイシー重厚赤ワインを一緒に飲むと、臭みと香り相殺されて赤ワイン単体では味わうことのできなかった華やかで鮮やかな旨みが引き出されたりする。

さっぱりとした白身の刺し身には甘口の日本酒が合うけど、こってりとした赤みの刺し身には辛口日本酒のほうが相性がいい。

のどが渇いた食前の一杯はビールが旨いけど、満腹で幸せな余韻に浸りたいときはスモーキーウィスキーなめるように楽しむのもいい。

どのお酒も、適切なタイミングで飲めば安酒だろうと旨いし、タイミングを間違えればどんな高い酒だって不味いときは不味い。

かといって別にそんなに難しい話をしているわけではない。

変に通ぶって自分の飲みたいものばかり主張するのではなく、和食なら日本酒モツ鍋なら焼酎イタリアンならワイン中華なら老酒といった感じで、その料理とともに用意されているお酒を飲めばいい。

その上で、どうしてその料理とそのお酒が合うとされているのかが理解できるようになれば、自分なりに組み替えてみるのも楽しみ方の一つだ。

間違っても人に押し付けものではないし、そこに正解なんてものはない。

そういうのをマナーだとか常識だとかって押し付け人間いるかお酒は不味くなるしつまらなくなる。

旨い不味いなんて、考えながら飲んでたらお酒は楽しくない。

好きか嫌いか、その場にふさわしいかふさわしくないか。それが一致すれば勝手に旨いし、一致しなければ不味い。それだけのこと。

旨い酒を探すのはその後。

旨い飲み方を知ってからさらなる高みを目指せば良い。

苦手だからカクテルしか飲めませんでも構わない。でも、何を食べてもカルーアミルクしか飲まないのはもったいない

お茶炭酸フルーツジュースなど、ソフトドリンクでいいから、料理の味を引き立ててくれる飲み物に変えてみてもいいかもしれない。

ラーメンだって好みだし、その時の気分で食べたいものなんていくらでも変わってくる。

それなのに一番旨いラーメンを決めるなんて、ナンセンスどころの騒ぎじゃないだろ。

専門家でもなければ味覚なんてものものすごくいい加減で曖昧もの

旨い不味いにこだわって、楽しむことを忘れてしまうことが一番もったいない

人と飲むのが苦手なら一人で飲めばいいし、店で飲むのが嫌なら取り寄せて飲めばいい。

迷ったらプロに聞く。

楽しみ方を教えてくれるのが本当のプロ

旨いって言いながら高い酒を押し付けてくるやつはお酒プロじゃなくて、お酒を使った商売プロ。これだけは騙されちゃいけない。

https://anond.hatelabo.jp/20210608190114

2021-06-06

何となくエッセー読みたい気分なので俺にも教えて

元増田さんの質問ナイスでした。それも読みたかった。

https://anond.hatelabo.jp/20210605160212

好きなものを語るエッセーを教えて下さい。

村上春樹なら

『もし僕らのことばがウィスキーであったなら』

phaさんなら

『どこでもいいからどこかへ行きたい 』

今日は良い日になりそう!

2021-05-06

父を自宅で看取った

・前々から肺を患っていて、別の臓器が悪くなったからそっちの治療をするために入院していたのだけど、呼吸器管理があまりうまくない(と言ったら失礼なんだけど)病院だったらしく、臓器より先に肺の方がやられてしまった。もう良くはならない、悪くなっていくだけというところまで来てしまった。それで、母が自宅に連れ帰ることを決めた。

病院で人工呼吸器をつけてもらうなどすれば、もう少し長く生きられたのかもしれない。しかコロナウィルスのことがあるから、この1年もお見舞いとか頻繁にはできなかったし、最期ときに看取ることも叶わなかっただろう。自分の家と家族が好きな父だったから、多分これでよかったんだろうと言い聞かせてる。ただ、コロナウィルス感染拡大がなければ、もう少しできることがあったのかなあと思うけれど、そういう『たられば』の話を考えても仕方がない。

10代や20代の頃に、友人が病気になったとか、事件に巻き込まれて亡くなった時などは、悲しみが何もかも埋め尽くして他のことに手が付かず、上を向いていなければ涙があふれるくらいだったけれど、30代ともなるとそんなことはない。仕事は進められるし、ゲームもできる。それくらいの感情制御ができるくらいには大人になった。

・発売をずっとずっと楽しみにしていたソフトがあった(サガフロンティアリマスター)。

発売直前に危篤の報が入ったので、色んなことが落ち着いてからプレイしようと思ったけれど、結局始めてしまった。結果的にはこれが良かった。心に隙間が少しでもできると、父のことを考えてしまう。どこかのタイミングでどうにかできたのではないかと考えて、でも結局どうにもできなかった現実を思い出し、思考堂々巡りになって他に何も考えられなくなる。これがすごく苦しい。真綿で首を絞められるとはこういうことではないだろうか。

から、大好きなゲーム世界に浸っていると、がんじがらめの思考から解放されて、一時ではあるけれど、楽になれる。

(無心になってキャラの育成してるけど本当に楽しい。とてもとても出来のいいリマスター版になったことが嬉しい。

コラボウィスキー当選して手元にあったので、リマスター版発売を祝して発売日に封を開けようと楽しみにしていたけれど、こちらはまだ開けられないでいる)

でも、父が亡くなってからの家のことが思っていたより忙しいし、多分自分自覚している以上に精神的なダメージが大きいようで、気力と体力に少しでも余裕があるときじゃないとプレイできない。まだ半分も進んでいない。連休が明けて、仕事も本格的に再開したので、クリアまでまだ時間がかかりそう。でも、父のことを思い出として割り切れる時が来るよりもずっと早くクリアできるとは思う。

20年以上前から大好きなゲームリマスター版の発売と、父の逝去ほとんど同時だったことを、私は春が来るたび思い出すことになるんだろう。

危篤の報を受けて、実家に戻ってきて、それから所用があるときとか、母と交代で仮眠をとるとき以外はずっと父の傍にいて、大体の時間は父の手を握っていた。

握り返す力はほとんどなく、じんわりと湿っていて、だけど温かだった父の手から日に日に体温が失われていった。指先がだんだんと冷たくなって、さすっても元に戻らなくなってくる。自分の両手で挟んでみて、まだ温かいから大丈夫だとごまかした。

・父はほとんど声を出せなくなっていて、意思疎通もままならない状態だったけれど、不思議と笑っているときとか、楽しんでいるときなどは、傍にいる母や私にもそれが分かった。嫁に行かなくてごめんねと冗談っぽく言ったり、額に頬擦りしてみたり、好きな歌を歌ったりすると、父は笑っていた。それは唯一の救いだったように思う。

最期家族全員で父を看取ったのだが、生と死の境目はよく分からなかった。どこで線が引かれたのだろうか?

・息を引き取る前の父、もう動かなくなった父、死装束をまとって棺に入れられた父、斎場に着いて焼かれて、骨だけになった父、頭蓋骨を砕かれて(すごく可哀想だった)、骨壺に入れられるところまで全部見ていたのに、未だに父が亡くなったという実感がわかないでいる。入院していた期間が長かったし、私も離れて暮らしていたから、まだどこか遠くの病院入院していて、戻ってきていないだけじゃないかと思ってる。

・ふとした心の隙間に父のことに思いを巡らせ、はっと、もう父には会えないという現実に思い至ると、思考事実が一致しないからか、頭がバグりそうになる。

・私は死後の世界何となく信じているけれど、そこまで信心深い訳ではなく、父は立派な戒名をいただいたが、仏様になるとはとても思えない、骨になった父はもはやただの物体である現在科学技術では魂の存在証明できない。だから遺影の手前にあるもの意志とかそういうものはないし、よって、父はもうそこにはいないし、どこにもいない。でも、蝋燭に火をつけて線香を灯し、おりんを鳴らしてから手を合わせ、目を閉じて祈っている間は、心の淀みとか思考の澱とかが取り払われて、澄んだ心持になる。父のためと思えばこそ、線香もなるべくつけておこうと思うし、どんな香りがいいか色んなメーカーのものを見て回るようにもなった。そこにはもういないと分かっているけれど、人には縋るもの必要なのだということがよくわかった。

・今わの際の父には冗談めかして言ったが、三十路過ぎて嫁に行っていないことは本当に申し訳なく思ってる。

結婚願望がないわけじゃないし、思うところがあるから、今からでも嫁に行こうと思う(いけるか分からんけど)。

でも、父を生きている間に花嫁の父にしてやれなかったこと、それ以外にも、もう生きている父に親孝行ができないと思うと、すごくしんどい気持ちになる。

・父や母がその親(つまりから見て祖父母)を見送ったのが50~60代の頃で、私も同じくらいに見送ることになるのだろうか、まだ先のことだと思っていたのだが、30代前半で看取ることになるとは思っていなかった。

・父は7人姉弟末っ子だった。長子の伯母が存命で、この伯母と父はとても仲が良かった。一番下の弟を先に亡くした伯母のことを考えるとなぜだか申し訳ない気分でいっぱいになる。

私自身も4人兄妹の末っ子で、それも父が40代の頃に生まれた子で、私が父の半分も生きていないうちに、父が逝ってしまたことが、切なくてたまらない。

・父は庭いじりが好きだったが、最後の数年間は体力が落ちていて、ろくに世話ができていなかった。なので、今の我が家の庭は少し荒れている。

だけど、それでも、父の庭は美しい。ドウダンの細かな若緑の葉と、鈴に似た真白の花が折り重なってまぶしい。何本かを一列に並べて植えているから、光の通り道のように見える。奥に植えた3本の松はいつでも常盤色をしていて渋く、その手前には幹の太く大きな春もみじが1本植わっている。赤紅の細長い葉を幾重にもまとわせていて、炎のようだ。今はツツジが見頃で、赤と白の花が鮮やかに目に飛び込んでくるのが楽しい

緑が陽に濡れた今年の庭を見ることなく、父は逝ってしまった。そのことがとても悲しい。

この時期じゃなくっても、うちの庭はとても綺麗なのに、お父さんが見ることはもうない。

・大体1ヶ月程度実家滞在していて、昨日一人暮らしの自室に戻ってきた。

隅に片していた寝具のセットに毛布が挟んであって、クローゼットには厚手の衣類が掛けられたままだった。

父が亡くなる前のまま、この部屋の時間は止まっていた。何でもない日々に戻るから時計は動かさないといけない。

・もうどこにも父はいない。そのことが無性に切なくて悲しくて寂しい。

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