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2021-07-05

鉄砲よりましな抗議について

鉄砲による抗議はなぜ失敗したのか。


まずここでいう失敗とは五輪開催について政治家が躊躇せざるを得ないうねりを作れなかったことと定義している。

その意味で水鉄砲による抗議は一般人に対する攻撃として捉えられ、聖火ランナーに対する同情を誘い、むしろ五輪開催に向けた警備強化を正当化する理由を作ったように思う。

(水鉄砲を放った人物は人に対する攻撃と捉えられるとは想定していなかったかもしれないが。)


今回の水鉄砲の直接的な被害者一般人であった。であればより有名な選手大会関係者であれば良かったのか。

いや、その場合はより問題になっていただろう。自陣に負い目のある状態で主張を続けることは難しい。被害者のいる陣営の主張は同情を誘うことになる。

暴力的な行動に出た時点でその陣営の主張の支持は減るだろう。特に人命を理由に開催の中止を主張するならなおさらだ


今や五輪開催については国民過半数以上が中止か延期を望んでいる。実際に、インターネットによる署名活動医療従事者によるプラカード行進、抗議デモなど、これまでにも五輪開催については数多の抗議活動が行われてきた。

しかしながら現状政府委員会などが強引に開催に向けて進めており、五輪は中止されることなくほぼ間違いなく開催されるだろうと予想している。

このことはいずれの抗議活動政府委員会意思決定の決定打にはなり得なかったことを示している。

では今の政治体系や社会構造の中でどういった抗議方法であればより効果的であっただろうか。


五輪を中止させる最も効果的な方法は、五輪に対する人々のリスペクトゼロにすることである

五輪五輪たりうる理由は、人々がその大会勝利した人を尊敬するからである地元小学校のかけっこ競争勝利たからといっても履歴書に載せるのは憚られるだろう。

五輪に参加した。五輪で優勝した。五輪スポンサーをした。このことに価値があるからこそ開催に意味がある。

ではどうしたら五輪に対するリスペクトゼロにできるか。


五輪は人々が価値を感じることによって価値が生まれているという点で貨幣と似ている。

例えば日本国内流通する通貨である日本銀行券はお札という紙でできた券である。それ自体には何の価値もない。ただし人がこれを価値あるものだと信じるから価値がある。

このように人々の間で持たれる共通の信頼によって流通する貨幣のことを信用貨幣というが、その価値を支えるのは発行者に対する信頼、価値の安定、そして強制通用力の三つの条件であり、そのいずれかが崩れた場合価値を失う。

それぞれについて簡単説明すると、発行者に対する信頼とは、偽物が存在しないと信じられること。

価値の安定については価値が昨日今日で変動せず、おおまかに一定であること。

そして強制通用力は「これには価値がある」と主張できる強力な後ろ盾があることである


例えば犯罪者偽札を大量に流通し始めれば貨幣に対する信頼は落ちるだろう。

一日おきに同じ金額で購入可能ものが変わるような貨幣についても人々は受け取りたくないだろう。

また日本においてはその価値が人々の間で共通のものとなるよう日本銀行券を決済の最終手段として認めるという法律存在し、国家権力によって貨幣に対する信頼を補強している。


さて、貨幣と同じような価値構造を持つ五輪ではそれぞれに対して何が対応するだろうか。


発行者に対する信頼については、類似する大会がないことや参加する選手関係者不祥事がないことが対応する。

価値の安定については、ある年の金メダルは全大会金メダルより価値が少ないと人々が思わないような施策を打つこと。

強制通用力についてはメディアによる宣伝などで「この大会には価値がある」と人々に共通認識を与えることが対応するだろう。


貨幣と同じような構造を持つのであれば、これらのいずれかが崩れた場合五輪価値を失う。いわゆるブランド力を失うということになる。

そうなった場合選手大会価値を感じなくなり参加しなくなる。また人々が注目しないのであればスポンサーをする意味もなくなり開催に必要資金を集めることもできなくなる。

こうなると五輪実質的に開催不能である


ではそれぞれの条件がどのような状態で崩れるかを考えてみよう。


発行者運営選手)に対する信頼を揺るがせることについては五輪関係者政治家汚職選手の身勝手な行動などを喧伝するだけで人々の反感を誘うことができるため、容易に取れる手段かもしれない。

ただしこの方法だけでは中止には至らない。なぜなら人ひとりふたり程度の汚職犯罪程度では開催が揺るがないほど五輪は大規模であるからだ。

また、五輪運営側や選手不祥事が発生したとしても、その問題あくま個人問題であって五輪に参加した人物は変わらずリスペクトするという人が多い場合については、いくら喧伝しても五輪価値は下がらない。

このためこの方法では五輪に対する信頼はすべての試合八百長だったと発覚するなどよほどの事件が発生しない限り減りにくく、また減ったとしても中止に至るほどのダメージではない。

一方で五輪不祥事の多さや意思決定不明瞭さについては現状多くの人が疑問に思っているところだろうから、そのあたりのクリーンさをアピールした代替大会が開催されるとなれば五輪ブランド力はそれなりに失われるのではないだろうか。


価値の安定については、東京五輪についてはかなり自爆しているように思える。

4年に一度開催され、多くの競技が行われる世界で最も伝統的な大会というのが五輪の特徴だとすると、開催側としてはその特徴を傷つけることは避けるべきである

新型コロナウイルス流行によって2020年の開催が延期されたことによって4年に一度の開催という特徴は陰りを見せてしまったが、こちらについては天災によるものとして納得できる人が多いのではないか

しかしながらその後の対応として政府委員会世論的な反対とは逆に開催に向けて強行してしまった。五輪理念であるリンピニズムをかなぐり捨てたその動きに嫌悪感を抱く人が増えたと予想している。

新型コロナウイルス蔓延して人々が苦しみ、五輪の開催に疑問を抱く人が多くいる中、無邪気に「五輪開催に参加です!」と表立って言える人はなかなかいないだろう。

その意味五輪五輪自身のためにも開催に向けて動くべきではなかったと言える。


強制通用力についても考えてみる。

五輪名前の通り歴史的権威などを使って武装し、基本的テレビ新聞などメディアによる宣伝によってその価値喧伝してきた。

多くのメディア五輪話題にあげ、参加し優勝などをした選手を称えることで人々は五輪に対する価値を認めてきた。

メディア五輪の大きなスポンサーとなっていることが多く、五輪話題になればなるほど収益が上がる構造となっている。

想像するに、一度五輪が開催されれば反対していた人々でさえテレビ動画配信を通して五輪を観るだろうからメディア世論五輪中止へ誘うことは考えにくいだろう。

このため、メディアの力を頼っての五輪価値毀損は難しい。

ほかの毀損手段としては、有名なスポーツ選手などが五輪に対する不快感などを表明し、不参加や不支持をすることが挙げられる。

しかしながらスポーツ選手が声を上げることは現在スポーツ業界では難しいだろうから現実的ではない。

以上のように五輪特性上、強制通用力については崩すことが難しいだろう。


ここまでを踏まえてまとめると、貨幣との類似性をもとに五輪の中止を扇動を考えるのであれば、

1.五輪関係者不祥事喧伝しつつ、クリーンさをアピールした別の大会を開催すること

2.五輪関係者五輪開催の強硬によるブランド力低下のリスク理解させること

の2点が効果であるのではないかと思う。


しかしながら1については五輪に代わる大会が増えるだけであり、今回の五輪を中止したいそもそも理由に対する解決にはならない。

2については希望は残るが、運営理性的だったとすると、スポンサー政策契約上の問題などによってそのリスク承知の上で強硬したほうがましな結果と試算した可能性があり、また運営理性的でないならそもそもリスクについて理解はできないだろう。


ここまで長々と話してきたうえで、私が考える最も効果的かつ全く推奨しない方法について述べる。

とても簡単に言えば、人々が五輪価値を徹底して否定することが最も効果的だと考えられる。

貨幣と同様、五輪五輪価値があるという信頼、あるいは権威性によって成り立っている。ここまで述べてきた3つの条件はあくまでも人々の信頼を補完するものしかない。

このため、人々が「五輪価値を認めない」と宣言してしまった場合五輪価値はその瞬間消し飛ぶ。

具体的には、五輪に出場する選手スポンサーとして参加している企業五輪に関わる政治家などをリストにしたものWebサイトなどで公開し、開催に賛成の個人法人としてレッテル貼りをしたうえでSEO対策をし、SNS上などで拡散するといったものだ。

ここで重要なのは個人法人に対する直接的な攻撃は行わないことだ。個人法人に対する直接的な攻撃をしてしまうと、五輪反対派は過激だというレッテルを貼られ、人々は逆に賛成派に対して同情的になるからだ。

あくまでこれらの人たちが「五輪に賛成している」という事実を述べ、関係者に対するワクチンの優先接種など、制度構造に対する批判のみを宣伝する。これであれば直接的な攻撃とは受け止められにくい。

そういったリストが公開された場合にどういったことが発生するかは想像に難くなく、私であればそのようなリスト名前を連ねたいとは思わない。

これらの行動は中傷扇動にあたるだろうし、人としての倫理観が怪しいところなので私自身は全くしようとは思わないし、ほかのだれかがやっていても軽蔑するだろう。


しかしながら、五輪開催の条件すらあいまいなまま強行していく開催者側と交渉するには、水鉄砲よりは効果的なのではないかと思う。

2021-06-07

anond:20210606155019

おめーがどの立ち位置というか、次の選挙でどこに入れるつもりなのかは知らねーけど

結局政党支持率上ってねーじゃん

どうせ「あーあ、これだから立憲には入れられないんだよ、とりあえず自民

って思ってんだろお前

からだよ

結局は立憲による国民への不信感

どうせ自民選ぶんでしょって言う

広島補選でも投票率が上がったうえでの野党勝利ではなかったからね

政権交代はまだうねりになってない

そこを冷静に見極めただけのことだろ

立憲に立ってほしければうねりを作り出せよ

大きな声を張り上げろよ

どうせ立憲は反対ばかりって言う、その反対の声に力を貸せよ

別にデモだのなんだのしろとは言わんが、立憲を冷笑して貶めてきたおまえら自業自得ではあるよね?

つーか立憲は反対ばかりってのもあまりにも根拠のないわめきだけれども

フラットに見ろよな。未曽有の大災害の時に民主を厳しい目で見た、その目で今の自民党を見てみろよ

立憲には厳しいけど自民には甘いとか言うジャップダブスタの結果だろ

次の衆院選普通に負けると思うよ、立憲つーか野党

「そんなんだから勝てないんだよ(冷笑)」じゃねーよ勝ってほしいなら頑張ってほしいなら頭下げろよっていう

あっ俺は別に立憲信者じゃないから。れいわだから

寄付金も投じたしね

2021-05-23

anond:20210523085234

なんかパヨクってオリンピック問題で全国民味方につけた気でいるけど違うから

違うんか?

このうねりを生かして2009年のような政権交代まで持ち込めればと

2021-04-14

うねりとまではなっていない

スパイクタンパク質軸足内かかと部分の歯を細胞表面に食い込ませ、細胞表面からの反力を利用して振り出す身体操作法を用いることができていないということだ

2021-03-21

(ネタバレ)新劇場版しか見てないんだけどシン・エヴァ面白かった

TV版、旧劇場版を全く見たことなくて序破Q→シン・エヴァだけを見た人間ネタバレ感想です。

序を見てみようと思ったきっかけは覚えてない。最初から話を語り直すよという点が後発組としては見やすいというか、せっかくだから見てみるか!くらいの軽い気持ちだったんだと思う。

序の感想は「あれ、思ったよりも全然わかりやすい?」だった。もっと難解な話だと思ってたので、意外にとっつきやすくてびっくりしたし、何より絵が見てて楽しい戦闘シーンにワクワクした。

破の感想は「あれ!?なんかめちゃくちゃ面白くない!?」だった。爽快感があった。ウジウジしてることで日本一有名な中学生シンジくんが、アスカレイと協力して使徒を倒してて感動したし、ラストシーンは自らの意志レイを救うために突き進んでて、そんな明確な自我の発露できる子だったんだ?!ってびっくりした。あそこでかかる翼をくださいは怖かった。

でも、Qの感想は「…やべえ何だコレ全然わかんねえ!」だった。まじで一気に何もわからなくなって、シンジくんばりに放り出された気分になった。ピアノいたことないはずなのにがっつり連弾できとるの嘘やろ?になって笑ってしまった、カヲルくんとのピアノのシーンばっかり印象が強くて、あとは正直なにも覚えていない…!

そして今回のシン・エヴァの公開。インターネット考察感想で賑わいまくっていて、せっかくならネタバレを経ずにちゃんと見たいなと思い、映画館に行くことを決める。そしてあまりにも話を忘れていることに気づいたので、まずはもう一度序破Qを全部復習した(まじで大半を忘れていたので、見てよかった)。

9年ぶりのQはやっぱしんどかった。見ててとにかく「ディスコミュニケーションは本当に良くない」ってそればっかり思った。シンジくんには、本人にはどうしようもない14年間の空白があるのに誰もそれを埋めてくれなくて、突き放したり否定的言葉を投げつけるばっかで、ようやくすべてを説明してくれたのはよく素性を知らないカヲルくん。とにかく優しい彼にすがるように何か前に進まなきゃ!ってなるシンジくんだけど、あろうことかカヲルくんは目の前で首ぶっとんでしんじゃうし、あまりにもひどすぎる。いや誰かもっと序盤で説明したれよ!みんな、頼むからもっとコミュニケーションをとってくれよ…。でも、「たぶんそういう『他者とのコミュニケーション』がままならないゆえに苦しんでいる話だよな…それをいっちゃあおしまいだよな…」って思って、最後に何を見せてもらえるのかを待とう、って改めてQを見直しながら決意。

そうして復習してから見たシンエヴァなんですが、すごく面白かったです。そして冒頭に、「これまでの新劇場版」を丁寧に振り返る数分間があってずっこけました。復習タイムのいらない親切設計だとは知らなかった。

今回、一番の感想としては、先述の「ディスコミュニケーション」が徹底的に解決されていたところにとても感動したというか、安心させてもらえた。

ものすごく真正から、愚直過ぎるのでは?って思うくらい丁寧に、他者とのコミュニケーションの有り様が描かれていて、見ていてこちらまで肩の荷が下り気持ちになった。

まず第3村の描写、あれこそがずっとシンジくんに足りなかったものだと思った。どうしようもなく傷ついて一人でいたいとき、突き放さず、過剰に干渉せず、でも一人きりにはしないあの距離感大人になったトウジやケンスケ、内面大人アスカシンジに接するあの姿は、Qまでの世界の中でシンジが一度も与えてもらえなかったものから、あの時間物語を終わらせる上で、シンジを立ち上がらせる上で重要なのは納得感しかなかったし、見ていてこちらも癒やされる感覚があった。あの尺は絶対必要だったと思う。でも、加持さん死んどるのはつらすぎた…。

「これが最後だと思うから」って明確に言葉に出してシンジと会話をしに来るアスカ。いやお互いにめっちゃ話通じてるやんけ…ってなって泣いた。

甲板でのミサトさんとのお別れのシーンは、「行きなさいシンジくん!」の呪いから、静かにお互いを解放できている感じがして、どうしたって泣いた。もう会えないことが薄々わかってる、いってきます/いってらっしゃいは辛い。そのあとミサトさん犠牲になるのもえーなんで!?って思ったけど、後を託されたリツコが全く動じずに「ベストを尽くすわ」って引き受けるところ、そのものわかりの良さが辛くて泣いた。

ゲンドウとの対話は、お父さんいつからそんな喋れるようになったん!?ってくらいめちゃくちゃどストレートに心情吐露するからただただびっくりしたし、「いやそれでこの物語成立する?大丈夫カタルシスまれる?」って一瞬ヒヤヒヤして醒めた感じになりかけて見ていたのに、それでも!幼いシンジを抱きしめて謝るシーンは、やっぱりぼたぼた涙が出た。おとうさーん。。気づくのおせ~よ!!!

最後シンジの内側からユイが出てきて守ってくれるところも、そんな都合よくていいんかー!?とも思ったけど、抱き合う両親を後にして自分人生に改めて旅立つことができたシンジくん…って思ったら、いや何よその解放と祝福、って気持ちでまた泣いてしまった。

レイアスカカヲルそれぞれと会話してじゃんじゃんケリをつけていくところも、シンジくんがそんなふうにしっかりとした自我を持って、他者のために自分言葉を使おうとできてる事実が尊くて泣いた。

まり、かなりしょっちゅう泣いて見てました。でも別に「泣かされてる!お涙頂戴だ!」って感じではなくて、物語の持つ情動というか、エネルギーうねりみたいなもの、エンドマークに向かって絶対にこのでかい塊を運んでいくんだっていう意志、そういうものを感じたりもして、ええもん見たな…って涙だった。半ば説明がつかないような、見てると勝手に出てくる涙って感じだった。

ラストシーン、あのシンジくんが!?大人になった姿…!14歳の姿から逃れて、自立した大人として最後に現れるのって、なんて力強く、全力の「今を生きること」の肯定なんだろうと思う。そこでマリが隣にいることには、何故かわからないけど、とてもすんなりと納得がいった。そして何より、海が青くて嬉しかった。

鑑賞後に色んな考察を読んだけど、リアルタイム世代の人とは見ているものバックグラウンドが違いすぎるから、その観点の違いだけでも面白かったです。アスカ名前が変わったことと、旧劇場版ラストとを絡めて、惣流/式波ふたりともきっと救われている、っていう考察複数読めたのが特にしかった。そして宇部興産全然からなかったので知識が増えました。戦闘シーンが物足りないという意見はなるほどと思った。たしかに序破で感じた絵的なカタルシスはなかったかもしれない…というか、シン・エヴァ戦闘シーンは全体的に画面内の情報量が多すぎて、ついていけなかったかも。。

大量の新用語とかカヲルくんの立ち位置の謎っぷりとか理解できてないところも正直たくさんあるんだけど、それでも「楽しかったなー!」って思った。

こんなふうに屈託なく(といったらいいんだろうか?)楽しまれる作品であることを、果たして過去監督作品自体や、はたまたファンが望んでいたのかは正直わからないんだけど、

新劇場版しか知らない人間のひとりとして、最終地点を物語として楽しめた!という感想でした。見てよかったなと思う。せっかくだからなにか感想を書こうと思ったらけっこう長くなってしまった…

2021-02-22

懺悔

会社女性社員が靴を脱いで椅子の上でぺたんこ座りをしていた

そうすると私の席から彼女の白い靴下の裏が見える

その靴下が、とても汚かった

最初、そういう柄なのかと思ったのと同時に女性の体をジロジロ見てはいけないなと思ったのだが

わず二度見するぐらい汚れていた

履き古しただけなのか、洗っていないのかはわからないが、とにかく汚かった

そうとわかった瞬間、私は彼女に踏んでいただきたい気持ちでいっぱいになってしまった

私はマゾではないが、自分より立場が上の女性に踏まれたい衝動があるのだ

それはそのような創作物で発散していたが、初めて現実で踏んでいただきたい女性だと思った

彼女は年下で仕事について私が教えることもあるが、会社間の関係においては私よりも上の立場にあるとも言える

そんな彼女の汚い靴下を見てしまい、私は踏んでいただけないかと思ってしまったのだ

靴下の裏を見ていたのは時間にして10秒も無いぐらいだった

けれどもそれはもう心のシャッターを切り心のアルバムに保存してしまった

さなければならない

人間には内心の自由があるとはいえ限度というものがある

20代若い女性が何かしらの事情で汚い靴下を履いていたことを職場の歳上の人間に覚えられていることは間違いなく不快

しか

それでも私は彼女の汚い靴下のことを今も思い返してしま

なんて素敵なおみ足なのだろうか

ああ

私の肉慾も、あの足のうねりにまかれたい。あの靴にうたれて、くゞりたいと思つた。私は足をだきしめて、私の肉慾がみたされてくればよいと思つた。私は肉慾の小ささが悲しかつた。

2021-02-20

オタク美容院遍歴の話

私が高校生の頃、恐れていたものがある。美容院だ。鏡と数十分対面、オシャレな空間……。化粧も服も大好きだけど(出来栄えは置いといて)、美容院は苦手だった。そして一番いけなかったのは、当時の髪形だ。黒髪ひっつめ、前髪なし。前髪が長すぎてもう限界! とかそういう事にはならなかったので、極端な話、ずっと行かなくてもよかった。それでも、私は毛量が多かったし、何より、手入れされてない長髪ははっきり言って汚かった。なので、半年に一回くらい、死ぬ覚悟美容院電話し、樹海に行く気持ち美容院へ行っていた。ちなみに、美容院とは言っているが、私が幼少時代から10年以上通っている1000円カットである。店主が一人でやっている、席が一つしかない店。店内はナチュラル系でまとめられており、テレビではアニメが流されていた。壁にはたくさんの漫画、棚には作りかけのウィッグ。そう、ここは人の髪を切ると同時にコスプレウィッグ制作もやっていた。オシャレ過ぎない個室、アニメの話もできる、そして安い。ここまで聞けばオタクにはさぞ居心地が良いと思うだろう。けどこの店には、致命的な欠点が二つあった。一つめ、電話予約しか受け付けていない。コミュ障は死んでしまう。二つめ、店主の話題恋愛トークしかない。正直、これが嫌で美容院を変えたといっても過言ではない。当時私は女子校に通っていたので、彼氏だの好きな人だのの前に、男子がいなかった。それなのに、ふられる話題恋愛ばかりだった。「好きな人いないの?」「女子校なんで」「通学路で素敵な人見かけないの?」「そんなに周り見ないんで」「好きなタイプは?」「えーよくわかんないです」などなど……共学に通っていたら恋愛トークできたのかというとそういう訳ではないが、「女子校だっつってんだろ!」と叫びたくなったことは一度や二度ではない。それに、当時はすっぴんひっつめで通っていたので、「このビジュアル人間恋愛トークできると思ってんのか?」などと思っていた。一応言っておくが、カット技術はめちゃくちゃ上手い。

けれど、恋愛トークに嫌気がさした私は、大学一年生のとき美容院を変えた。ここを、美容院Aとする。ホットペッパービューティーで予約した近所の美容院だ。カット2000円、今までの倍である。だがここではひどい目に遭った。店に入った瞬間、「失敗した」と思った。客のおばちゃんパーマをかけながら、おばちゃん美容師世間話をしている。明らかに年齢層が違った。それでも、「髪を切るだけだから」と腹をくくった。担当してくれたのは店主だというおじさんで、この人がまあタバコ臭いの何の……しかも下手。左右均等に切れないのか、しきりに左右の髪を手で合わせていたし、「うねりがあって長さが分からない」とストレートアイロンをかけられた。元からストレートだし、私の髪で「うねっている」と言ったらうねっていない人などごくわずかだ。それに、そんな事は他の美容院では一度もされた事はなかったし、今のところでもされていない。この時点で、「下手だな」と見限り、15cm切ってほしいと頼んでいたのを5cmにした。二度と来るかこんな店と誓って帰宅するとビックリ、左右の長さが2cmくらい違っていた。二度と行きたくないがお直しは無料のようだし、三日後くらいに行って直してもらった。

直してもらった私は、やはりきちんとした技術接客のためには金を積まねばならんのかと新たな美容院を探し始める。この頃、ようやく前髪を作ろうとし始め、骨格に合う髪形を提案してくれるところを探していた。そして見つけたのが、美容院B。カット4500円。ここが、今もなお通い詰めているところである。ここがめちゃくちゃいい。恋愛トークしてこないし、技術接客も申し分ない。それに、提案してもらった前髪が自分でも驚くほど似合っていた。この時はじめて自分を「かわいい」と思えたし、かわいくなったおかげで美容院が怖くなくなった。もっと言えば、自己肯定感が上がった。

ここは、はじめて行ったとき、席に着くなり「後ろめっちゃVの字ですけどどうしたんですか」と聞かれた。Vの字なんて全く身に覚えがなかったが、鏡で見せてもらうと、後ろ髪のシルエットがくっきりとVの字になっていた。「Aでやられたな」と気づきあの時の怒りを思い出したが、Bで無事に直してもらった。かわいい前髪ばかりかAでの損傷も直してもらい、私は「絶対また来よう」と誓った。その後、何だかんだでカラーリングカットをしに通っている。

2020-11-06

街中の音楽しんどい

街中のポスター看板セクハラだみたいな話、よく上がってるけどさ、何気に店でかかってる音楽がきついときない?

流行歌歌謡曲だかの、重いメロディに重い歌詞失恋だかなんだかの重いストーリー

不用意に入った定食屋百均でこの手の曲がかかってて、がっつりこっちの精神に食い込んでくる。

こういう音楽必要な人がいることはわかるのよ。

でも、音楽もっとパーソナルなものであって、流行ってるからってみんな失恋の歌聴きたいわけじゃないよねぇ。

最近の若手のアーティストで、才能あるなぁって思う人もいるのよ。

でもそれとこれとは話が別なのよ。

今はまだその場を去ればいいだけだけど、昔、職場でとりあえず802流しとけって感じで、聴きたくないJポップ聴かされてた時代はきつかったなぁ。(大阪ではどこいっても802が流れてる時代があった。)

今もそんな職場あるんかなぁ。

あったとしたら、環境ハラスメントだとか何とか言ってはてなやり玉に上がっててもおかしくないよねぇ。

個人的には、ジャズとかイージーリスニングとか、歌詞がなくて(あるいは外国語で)、旋律うねりの少ない、ストーリー性の少ない音楽なら街中でも大丈夫なんだけど、これも人それぞれなんかな。

駅のananの巨大ポスターしんどい人もいて、音楽しんどい人もいてもおかしくないよねぇ。

2020-10-20

もしかしてお米に寄生されてるんじゃない?

お昼頃に自転車を漕いでいる途中、歩道カマキリを見かけた。

両手のカマを振り上げて、前後に体を揺らしていた。

すると、おもむろに片側1車線の車道にゆらゆらと飛び込んでいったのだ。

「なんで?」と思った。カマキリ道路を横断するメリットはないからだ。この県道渡り切ったとしても、その先はコンビニ駐車場であり、緑は一切ない。なのにどうして?

ドーキンスの『利己的な遺伝子』を読んだばかりだった。こんなに阿呆な子の遺伝子が生き残っているとは思えなかった。突然変異というやつかな?

……カマキリが片側の1車線を渡り切った。残るは反対車線だ。頑張れ!

軽自動車ココアに、20tトラックに、プリウスに、フォルクスワーゲンに、野良犬に、ビッグスクーターに、なんかもう色々と車が通り過ぎる度に、カマキリの体が風に揺られていた。

頑張れ。あともうちょっと。残りは4分の1。

「危ない、轢かれる!」

と思っても、大乗仏教なことが多かった。目の錯覚というやつで、轢かれる!と思っても、カマキリの頭を掠めるほどで済んでいる。そういうものなんだと思って、自転車に跨ったまま、ずっとその子を見ていた。

白い軽自動車カマキリに迫っていた。尻尾の真後ろを通過すると思った軽自動車タイヤは、私が思い描いたとおりの軌跡を描いていた。

カマキリの真後ろをサッと通り抜けると思ったら、プジャアッ‼ という鈍い音とともに――ヤツは弾け飛んだ。轢かれるコースだった。

こんなに音がするんだと思った。カマキリ自動車に潰されても音はしないものだと思っていた。大きい音だった。

にゅるにゅると、カマキリお腹の辺りで何かが蠢いている。黒い色で、びよびよとうねりながらアスファルトの上にいた。

生きてるヤツは初めて見た。かの有名なハリガネムシだった。実物はかなり長い。15cmはある。

悲しげな動きでハリガネムシはのたうっていた。たぶん、もう死ぬだろう。路上を移動する能力はないし、そのうち車が通ってぺしゃんこになるんだろう。

離れたくはないが、見ていたくもない。T-BOLANの歌詞を思い出した。多分違う。自転車を漕ぎ始めた。

家に帰ってググった。

ハリガネムシカマキリ寄生すると、宿主認識回路を変えるらしい。光を好むようになる。

自然が豊かなところで寄生されたカマキリは、水面のきらきらとした反射に飛び込んで自殺する。すると、お腹の中から本来は水棲であるハリガネムシが出てきて水の世界に帰るのでした。めでたしめでたし

そういえば、車両の反射板って太陽光でも輝くのだろうか? だとしたら、寄生を受けたカマキリの行動にも説明がつく。



ある夜、イトメンチャンポンめんを食べている時だった。

今日炭水化物をたくさん食べたな、太ったら嫌だなと考えていた時、閃いた。

炭水化物って、もしかして人類寄生しているのでは?

私の家はお米を作っている。毎年、干からびた水田を耕して、用水路から水を入れて、農協から苗床を買って、トラクターに苗を乗せて田んぼに植えて、水を入れたり抜いたりを繰り返して、時期が来たら収穫して、トースで引いて、30kgぐらいの袋に詰めて出荷する。

収穫された稲は全滅ということになるけど、世の中には収穫されない稲も一部あって、次世代の苗として育てられる。人類が生き残ってる限り、お米がこの世から消えることはない。

お米は、育てられて食べられてを繰り返すことになるけど、種が絶える可能性は低い。人類滅亡後に種が絶える可能性はあるけど、まだ千年は大丈夫だ。

お米に寄生されているお陰で、人類はいい思いをしている。

炭水化物はおいしい。白米や玄米は大抵のおかずに合うし、乾麺には脂ぎったスープの味がよく染み込むし、ケーキ病みつきになる甘さだし、お陰で人類生存が有利に働いている。

カマキリみたいに一方的に利用されてるんじゃなくて、むしろ人類が利用している側なんじゃ? だって、どれだけ炭水化物を食べても直接的に死ぬわけじゃないし。

自分でも何が言いたいのかわからなくなってきたので、この辺りで終わりにする。学生戯言を読んでくれてありがとうイトメンチャンポンめんは是非おススメしたい。

この作品をffrog氏に捧げます。いつもブックマークありがとう

2020-07-24

ハロコン2020大阪公演の感想メモ

ハロコン2020大阪公演の感想メモ


全体的な感想

  • 全員「聴ける」レベル歌唱からこそ成り立つ企画だと思った
  • もちろん中で上手い下手はあるし,プロ歌唱として「この人の歌を聴きたい」いうレベルの人は限られると思うが,52人全員障りなく聴けるレベルというのは相当なものでは
  • バンドではなくもちろんカラオケだが,(たぶん52曲全ての)トラック既製品ではなく,このコンサート用に独自に作ったものだと思われる
    • さすがに全トラックを生楽器で作ったとは思えないので,打ち込みが大半だとは思うが,それにしてもかなりの手間ヒマはかかってると思う
  • 個人的な好みでは B > C > A (好みであって上手い順ではない)
  • 選曲的には「適合型」と「挑戦型」の2タイプに大きく分けられるように思う
    • 前者は歌唱者に合った曲を,後者は(スキル表現の幅を広げるために)あえて歌唱者のスキルタイプからは外れる曲を選ぶもの
    • 挑戦型の場合,歌い方等が合わないケースはともかく,声質に合わない曲を歌うことになると割とつらい印象
    • 本当に上手い人はそういうの関係なく歌を掌中に収めて自分の歌として昇華させていたように思う

表記は以下:

  1. 歌唱者名: 『曲名

Aチーム:0718昼,0719夜

  1. 譜久村聖: 『僕は君に恋をする
  2. 松永里愛: 『ただ泣きたくなるの
  3. 船木結: 『大阪で生まれた女』
    • これはぴったり;もちろん上手い;MCでの「プチ千秋楽」に拍手
    • 船木さんの年齢でこの曲の哀切さを出せるのが意味不明で,人生何周目?という感じ
  4. 羽賀朱音: 『もしもピアノが弾けたなら』
    • ネットの評判に反して普通に上手かった;けど哀愁が足りない気が(年齢的に厳しいのでしかたないとは思う)
    • 素っ気ない感じが哀愁の足りなさの原因?
  5. 川村文乃: 『未来へ』
    • 伴奏ピアノのみなので難しいはずだが,上手い
    • 初回より(さらに)情感がこもっていたように思う;その分少し行き過ぎてしまった部分もあったように思うが,個人的にはこの回の方が良かった
  6. 新沼希空: 『会いたくて 会いたくて』
    • 新沼さん上手いし曲にも合ってて良かった
    • この人がグループで歌割り少ない理由がわからない;声が特徴的すぎるのだろうか?
  7. 加賀楓: 『楓』
    • この回のNo.1大サビ感動したし,曲は相当難しいはずなのに(特にサビから降りていくところ)ちゃんと歌えてた
    • Bメロ少し声が弱いかと思ったら,サビは力強かったので,サビとの強弱を付けるためにあえて弱くしたのかもしれない
  8. 高瀬くるみ: 『Time goes by
    • 上手いし情感も込められてて良かった
    • 加賀さんと並んでこの回のNo.1;安定して上手いのだが,個人的にはスキル面より感情を乗せる部分で初回より良く感じた
  9. 西田汐里: 『PRIDE
    • 悪くないけど何か違和感
    • 曲に対して声が絶望にのどかなのが辛いのかもしれない
  10. 秋山眞緒: 『春なのに』
  11. 石田亜祐美: 『なごり雪
    • 本人も言っていたがたぶん苦手な曲調なのでは;『ふるさとの夢』を連想した
    • 情感は出てたと思うが,声が震えてしまっている箇所がけっこうあった
  12. 江口紗耶: 『Lemon』
    • すごく上手いわけではないがこれはこれで個人的にはかなり良かった
    • この曲難しいのでところどころミスはあったが,曲意はつかんでたと思う
  13. 井上玲音: 『糸』
    • 非常に良かった;中低音はほんとに強い;高音曲も聴いてみたい
    • 中低音の豊かなので,同じ「糸」でも彼女の織り成す布は柔らかい布,という印象
  14. 段原瑠々: 『見上げてごらん夜の星を
  15. 小片リサ: 『明日へ手紙
    • 悪くはなかったが,上手いと言われているほどではなかったように思う
    • ほぼ全曲ファルセットなので,初回の評価は多少厳し過ぎたかもしれない
  16. 小林萌花: 『私はピアノ
  17. 岡村まれ: 『M』
    • 悪くはなかったが,オリジナルがかなり強いので,それに寄ってしまうとどうしても比べてしまって評価が厳しくなる
    • 歌えてはいると思うが,この歌を歌うには声が絶望的に幼い

Cチーム:0718夜,0719昼

  1. 横山玲奈: 『ひまわりの約束
    • 悪くはないが普通過ぎた気がする
    • 出だし声が震えてたような;曲に対して声質が甘過ぎるのかも
  2. 植村あかり: 『駅』
    • 悪くはなかったが,正直これは植村さんには厳しい曲だと思った
    • 出だし良かったがその後が少し平板になってしまう感じ
  3. 岸本ゆめの: 『やさしいキスをして』
  4. 工藤由愛: 『さよなら好きな人
    • 上手かったが,さらっと流れすぎている気がした
    • 1回目より高音の情感が出てた気がして良かった;足開き気味で棒立ち歌唱するの何でだろう?
  5. 宮本佳林: 『オリビアを聴きながら
  6. 笠原桃奈: 『あなたに逢いたくて~Missing You~』
  7. 清野桃々姫: 『香水
    • ビックリするくらい上手かった;この曲相当難しいはずなのに,ほぼ完全に歌いこなしていたように思う
    • 本当に上手い;リズムだけじゃなくグルーヴがあるのが凄い
  8. 一岡伶奈: 『TOMORROW
  9. 牧野真莉愛: 『夢をあきらめないで』
  10. 岡村美波: 『あなたに会えてよかった』
    • 悪くなかったが曲のイメージに合ってないような
    • 原曲と比べて声が可愛過ぎるのがイメージに会わない原因かも
  11. 山崎夢羽: 『愛唄』
  12. 浅倉樹々: 『カブトムシ
  13. 小田さくら: 『もののけ姫』
    • 上手い;一ヶ所だけ「ん?」と感じたところがあったが,この難曲をそれ以外ノーミスで歌いきったのはさすが;しかキーを上げてるとか凄い;ただこの曲技術は示せても情感の表現はないので,なぜこの選曲という疑問はある
    • 今回はノーミスだったように思う;足開き気味で棒立ちで歌うのはなぜ?
  14. 橋迫鈴: 『セーラー服と機関銃
  15. 竹内朱莉: 『雪の華
    • 岸本さんと並んでこの回のNo.1岸本さんと違い,オリジナルからは離れた竹内朱莉の歌になっていた
    • やはり優勝;斜め立ちなのなぜ?;初回もそうだが1か所「し」が「ち」に聴こえた
  16. 山崎愛生: 『手紙拝啓 十五の君へ~』
    • 悪くはないが,上手いという評判だったので思ったよりは「?」だったような…
    • 曲調が数分の曲の中で目まぐるしく変化するので難度は高い;声が少し裏返ってしまパートが実は一番良く感じた
  17. 谷本安美: 『打上花火

Bチーム:0719朝

  1. 平井美葉: 『海の声
    • 普通に上手いし,曲と声質が非常に合っていて良かった
  2. 島倉りか: 『スローモーション
    • さすがと思わせる上手さ;曲を完全に掌中に入れていて,随所にオリジナリティを感じた
  3. 稲場愛香: 『明日への扉』
    • 上手いが声が可愛過ぎて曲と合っていない感……
  4. 前田こころ: 『366日』
  5. 小野田沙栞: 『プラネタリウム
  6. 高木さゆき: 『ワインレッドの心』
  7. 小野瑞歩: 『I LOVE YOU
    • 上手い;この曲は声量がないと囁くように歌うところが(逆に)ダメになると思うのだが,ちゃんとできていた;原曲尾崎豊込みで強すぎるため,独自表現に振ってきた感じだったが,それが成立していた;この回のNo.2かも
  8. 佐藤優樹: 『ひこうき雲
    • 低音にやや課題がある感じだが,上手い
  9. 佐々木莉佳子: 『ハナミズキ
  10. 森戸知沙希: 『会いたい』
    • 高音ちょっと苦しそうだったが,基本良かった
  11. 上國料萌衣: 『さよなら
  12. 野中美希: 『Hello, Again ~昔からある場所~』
  13. 山岸理子: 『想い出がいっぱい』
    • 音域が合っていないのか,ところどころ音程しかった印象
  14. 里吉うたの: 『赤い風船
  15. 金澤朋子: 『Jupiter
    • 低音が凄い;完璧に近い;高音も伸びよく出ていた;ただ金澤さん割とファニー・ヴォイスで,それが曲のイメージと少し合ってなかった気はする
  16. 北川莉央: 『ありがとう
    • 上手かったと思うが,なぜか印象が薄い
  17. 生田絵里奈: 『キミを忘れないよ』
    • 外しているというほどではないけれど,ところどころフラット気味に感じた
  18. 伊勢鈴蘭: 『三日月

2020-07-17

東京ネーションとその後

Go To トラベルの乱は都民地方軋轢を生んだ。


国家レベル経済力もつカリフォルニア州独立運動「キャレグジット」にならい

東京日本から独立する「トーキョーイグジット」運動が急拡大した。


数年後、

現実味を帯びてきた東京ネーションうねり

地方経済困窮に背中を押されるかたちで我先にと東京なだれ込む移住者


国民全員まさかと思ったが東京独立した。


独立から数十年後、

かつて日本と呼ばれていたその国の99%は環境保護区となり、

大気汚染に対する多大なる貢献から東アジアの肺」と呼ばれている。


「表向き」には無人とされているが、

監視ボット人類らしきデータが記録されたとの噂もあり、

詳細は不明である

2020-06-20

万有淫力の法則

きみの目の前の机が、なぜ直線で構成されているかわかるか?

目の前のモニタ、辺りを囲う壁、外界を隔てる窓枠が。

生産効率性?製品規格の均一化? 違う、それは結果だ。

恐ろしかったのだ

人間は恐ろしかったのだ。ジャングルの中でどこまでも続く木々うねり、水溜りの淵、豪雨をもたらす雲の不定形。流れを変える川の濁流、無限に広がるような海の波。曲線に支配されたカオス世界が。

そしてまた、人間自身が恐ろしかったのだ。身体の曲線、それに誘われ導かれ、半ば半強制的繁殖を行ってしま自分たち自身本能、野生。曲線に支配されてしま動物としての宿命が、ただただ恐ろしかったのだ。

そうしてそれを克服するために、何千年にも渡って身の回り環境、すなわち住居、装飾品、道具に直線を持ち込み、磨き上げたのだ。野生的な曲線から理性的な直線への脱却を目指して懸命に。成長と死を意味する山なりの曲線から脱出永遠の成長を意味する直線への渇望。それがきみの目の前にある直線の理由なのだ

まり自然界のあらゆる曲線はえろす。

2020-06-19

sub-cult-ure

人気の映像コンテンツ投稿者の魅力によって支持されている。ひたすら楽しいばかりのコンテンツが無数にあって、支持者たちは信仰の代価に多大な時間を費やす。ある個人組織感性に基づいた表現作品に対して、何かがあると思って夢中になる、感情を動かされる。彼らはどこへ連れて行ってくれるのか、期待が膨らむ。夢中であるのを肯定できることは幸いである。感化されて、ある者は自らの感性で新たな表現者として高みにのぼることもあろう。

とき単独提示された謎掛けのような作品がある。どうとでも解釈してください、という割には、遡ると、取材に乏しい、目新しさはあるが才能溢れる独創性もない、そうして下火になったコンテンツがある。これに対する考察の深まりが、どこまで私の生活感性資するだろう。社会集団なす者としての人間は、共通認識を土台とした相互意思疎通を行うが、表現の造形や背景にこだわることを放棄した作品は、コミュニケーションの具にするには身がなさすぎる。そうなると熱心な蒐集家によって辞書的に記憶されるようにはなっても、見出しとして以上の価値は無くなってゆく。(あるいは様式慣用句として生き残る。)

翻って流行を超えた価値の見出されたもの古典としての地位を獲得してゆく。この社会うねりは、世代を超えた古典価値というレーティングを施すアルゴリズムであるといえる。

それでは、視聴数や独自アルゴリズムによってソートピックアップされた映像作品の視聴サービスは、どうだろう。上位に表示された映像作品は、いかなる意味において価値があるのか。それは語るに値して、われわれを夢中にし、どこかへ連れて行ってくれるのだろうか?

2020-06-18

anond:20200618150823

波動の力を信じるのです。それは、毎日上下をしているように見えるが、やがて大きなうねりとなり、長期的には大きな山型を描き上昇をしていくでしょう。これこそが成長への信仰心市場への信心なのです。波動の力を信じきれないものは小さなうねりの中で、波打ち際への逃げを打ってしまうでしょう。しか信仰心の大きなあなたなら、小さなうねりなど気にするまでもない。より遠く、より大きな力を感じるためにその全財産うねりの中に投じることができるのです。

2020-06-11

ニンジャスレイヤーから離れてしまった話

ニンジャスレイヤーというコンテンツがある。通称忍殺。ネットやってる奴なら名前くらいは聞いたことがあると思う。詳しく説明する気はないので気になったら検索するなりしてほしい。

以前の自分はかなり重篤なヘッズであったと思う。ヘッズというのはこの作品ファン自称だ。物理書籍が出始める前後から何となくツイッターで読み始め、物理書籍世界観を把握した後はずるずるとハマってい行った。仕事時間帯の関係ツイッターでの実況には参加できなかったが、専用アプリやまとめに頼って読んだ。wikiも読んだ。

1部。ヘンテコな世界観に笑い、レイジゲンストトーフで掴まれモブ市民の生き死ににハラハラし、ラオモトに勝ったときは震えた。

2部。1部とは違うディストピアが描かれる。格差社会。新キャラもそれぞれ魅力があり、引き込まれた。シャドウウィーヴが好きだった。

3部。また違うディストピア。今度は管理社会だ。ディストピアSFが好きなのでたまらなかった。ニチョームウォー、ロンゲストデイ、アガメムノンとの決着。市民ニンジャの行動がうねりとなってアマクダリを打ち倒す。たまらなかった。

アニメ漫画もそれぞれにクールだった。アニメについては色々言われているし納得できる意見もあるが嫌いではなかった。

そしてプラットフォームnoteに移り、4部が始まった。新しいニンジャスレイヤー。滅茶苦茶になった世界で強かに生きる人や機械ニンジャヤクザ最初の頃は楽しかった。noteマガジンにも勿論登録し、次々に更新される記事を貪るように読んだ。

だが途中から、今になって思うとフジキドが再登場した頃から、ノれない自分に気が付き始めていた。ニンジャスレイヤーでなくなったフジキドは、ニンジャ圧政に苦しめられながら自分を助けてくれた子供に報いることな自分の国に帰ってしまう。あれ?という感じだった。

ストーリーがつまらなくなったわけではないと思う。変わったのはコンセプトだ。4部は一つの話が大河的に長くなっており、長い話の中では必然的にマスラダら主人公物語が描かれる。一方、note短編で主役を張るのは過去に登場した(あるいは情報けが既出の)人気キャラ。悪くはない。面白い

だが、「ディストピアモブ市民が振り回され、奮闘し、報われたり報われなかったりしてオチが付く」という形式短編を好んで忍殺を読んでいた自分にとっては食い足りない。3部までは革命闘争の話としても楽しんでいたのだけれど、4部になるとマスラダもフジキド支配体制社会構造をひっくり返そうとしてくれない。そうなのか、という感じだった。本編の長さも、一エピソードが終わるとまとめて読むというスタイルで読んでいた自分としては、まとめ読みのタイミングが掴めない。

更新された記事を溜めることが多くなり、有料マガジンの購読は止めてしまった。ツイッター連載では明智光秀が大変なことになっているようだが追う気力が湧かない。特にオチはない。

2020-05-30

anond:20200530005817

ハッシュタグ祭りは5月だけど?2月とかにそんなうねりは全くなかったよ。

結局世論うねりは、あの極めて怪しいポンチ絵なくては得られないものなんだよ。

2020-05-19

うねりは感じたか

https://b.hatena.ne.jp/entry/s/www.jiji.com/jc/article?k=2020051800607&g=pol

うねりは感じたかと聞いている。


このフレーズちょっとしたムーブメントとか引き起こして鬱陶しさを感じさせる前にひっそりと終息してほしい。


もう完全に忘れてるけど。

google:月は出ているか?

リファレンス

https://youtu.be/-opVQp_mC4Q?t=73

改めて見ると劇伴まらんね。

2020-05-14

[] #85-1「幻の10話」

“激動の時代”という文言は、さしずめボジョレー・ヌーボーのようなものだ。

ティーンエイジャーの俺や、その時代に実感の伴わない人間にとっては「10年に1度の出来」という評価ほど空虚ものはない。

だけどワインを飲める人にとって、やはりそれは確かな変化なのだろう。

フィレオフィッシュにはチーズが乗っている。

ヨーグルト付属していたフロストシュガーは別売りになった。

オレオ時代うねりと共に何かが変わり続けているらしい。

もちろん変わったのは食べ物だけじゃないけれど。


例えば、俺の父親が勤めているアニメ制作会社

早口言葉みたいな会社名がついているため、内外共に「ハテアニ」って略称で呼ばれている。

そんなハテアニもまた、激動の時代が訪れようとしていた。

「それでは第○○回、『チキチキ! ヴァリオリ制作委員会』の会議を始めます

総務である父の宣言と同時に、その会議は厳かに開かれた。

モグモグ

クチャクチャ

談合室に集まったスタッフたちは、拍手の代わりに咀嚼音で応える。

昼時だったので、会議は昼食と平行して行われていたんだ。

「ああ、もう! カレーの粉が溶けてない!」

そうボヤくのはプロデューサーのフォンさん。

やや神経症の嫌いがあり、この日はカップカレーうどんに苦悩していた。

ロボットAI企業を席巻しているのが当たり前の時代に、いつになったらカップカレーうどんは進歩するんだ!」

「まるでこのスタジオみたい~ってか」

「確かに未だ人材資本ですが、ハテアニだって進歩はしてますよ。労働待遇一般企業並みに良くなったでしょう」

「そこは誇るところじゃないだろ。カップ麺に虫が入ってないことを自慢する企業がどこにいる」

フォンさんに茶々を入れたのはシューゴさん。

ハテアニの看板作品である『ヴァリアブルオリジナル』、通称“ヴァリオリ”の総監督を務めている。

シューゴさんは、また同じメーカーランチボックスですか。それ好きですねえ」

「好きじゃねーよ。量も少ないし、味も好みじゃない」

「じゃあ、なんでそればっかりなんです」

使い捨ての容器と箸が付いているからだ」

シューゴさんはアニメ制作以外に労力を使いたがらない。

食事満足度二の次で、“食べるのが楽かどうか”が基準である

彼にとっては絵コンテを描きこむことよりも、洗う食器を一つ増やす方が遥かに負担なんだ。

「では食事をしながらいいので聞いてください。三回目となるヴァリオリの完全版制作について……」

から見ると緊張感に欠ける光景だが、ハテアニで働く者達からすれば日常茶飯である

何度もやっている会議で、内容の想像がつくので昼食の合間で十分なんだ。

この日のスタッフたちも、そのつもりで高をくくっていた。

しかし父から告げられた言葉によって、場の空気は一変する。

「今回は特典の一つとして……第2シーズン“幻の10話”を追加しようかと」

シューゴさんとフォンさんの箸が止まった。

次 ≫

2020-05-12

https://www.asahi.com/articles/ASN5D71YCN5DUTFK00M.html

うねりは感じないってよ

これはもう国会前に詰めかけるしかないでしょ

600万人で

2020-03-25

ノイジーマイノリティネット民いくら騒いでもワニくんは国民キャラクターになる

ドラえもんハローキティトトロピカチュウリラックマくまモンふなっしーなど。ここにワニくんが追加される。

PPAPタピオカときて100日後に死ぬワニ。

流行は確実に存在するしこの時代うねりは止められない。

2020-03-22

( ・3・) クラシック好きの上司ディランを聴きたいと言いだして 1

https://anond.hatelabo.jp/20150214223556

( ・3・) クラシック好きの上司ジャズを聴きたいと言いだして、から数か月後――

ある朝の会話

その朝、彼が職場に着くと、クラシック好きの上司は目を閉じて見えないオーケストラの指揮をしていた。腕の動きが激しさを増し、握った拳が垂直に振り下ろされる。1、2、3、4、5、6、7、8、9、1011

おはようございます」と彼は上司に声をかけた。

「なんだ、来ていたのか」と上司は目を開いて言った。「春の祭典の第二部なんだが、どうにも縦の線が揃わなくてな。リハーサル不足だ」

空想オーケストラにもリハーサルがあるんですか?」

「高度に発達した空想現実と見分けがつかないくら不自由ものだ。ティンパニ奏者とシンバル奏者はもう何年も口をきいていない。――それはそれとして、ボブの件、明日の日曜はどうだ?」

ボブというのは、ボブ・ディランのことだった。上司の娘さんが英語の授業で「はげしい雨が降る」を習ってきたらしく、それ以来、上司は彼にディランについてのレクチャー要請しているのだった。彼が娘さんに教えるのではなく、彼が上司に教え、上司が娘さんに教える。ディランことならパパに任せなさい、と目論んでいるのは明らかだった。

明日。彼は断ろうとしたが、適当な口実が見つからなかった。高齢の親戚はひと通り殺してしまっていたし、このあいだ死んだ祖父にもう一度死んでもらうには、まだ少し時間必要だった。

「じゃあ、決まりだな」

事の次第

こうして、彼は休日をつぶして上司の家を訪ねることになった。どの作品を題材にするべきか迷ったが、一日でディランキャリアを追いかけるのは無理だと割り切って、彼自身ディランを聴き始めた高校生のころに感銘を受けたものを選ぶことにした。『ブラッド・オン・ザ・トラックス』だ。このなかの数曲を検討するだけでも、一日まるごとかかってしまうだろう。たくさんのアルバムを持っていかずに済むのが救いといえば救いだった。

駅に到着

最寄駅に着くと、もう上司は車で迎えに来ていた。大きな声で名前を呼ぶので、きまりの悪い思いをしたのをわたしはよく覚えている。車に乗り、しばらく走ると、左手惣菜パンの店が見えてきた。看板にはアルファベットDELI BAKERY と書かれていた。

デレク・ベイリーCD今日こそは返していただきます」と彼は言った。

「そんなことを気にしていたのか」と上司は笑った。「大丈夫。おまえは持ってきたもの以上を持ち帰ることになるだろう」

おまえは持ってきたもの以上を持ち帰ることになるだろう。それはまるでデルポイの神託のように聞こえた。彼は運命うねりが身に迫ってくるのを感じた。しかし、現実物語とは違う。成就しない予言。読まれない遺書。途切れる伏線。それが現実だ。

デレク・ベイリーというのは、あのヴェーベルン風のギタリストだな?」

「そうです」

「あれをかけると、猫たちが爪とぎを始めるんだ。何か感じるものがあるのかもしれないな」

「猫たち、とはどういう意味ですか?」

「猫たち、とは」と上司は言い、長めのフェルマータを置いた。「猫の複数形だな」

「また拾ってきたんですか?」

「いや、拾っていない。拾ったのはちーちゃんだけだ」

「猫の方から入ってきた?」

「いや、入っていないし、出してもいない」

「じゃあどうして増えるんですか?」

「さて、どうしてでしょう」

家に到着

ちーちゃんベルリオーズリムスキー=コルサコフストラヴィンスキーお客様にご挨拶だ」と上司居間の扉を開けて言った。居間には母猫のちーちゃんと、三匹の子猫たちがいた。上司公園で拾ったときちーちゃんはすでに出産を間近に控えていたのだ。

「お母さんとは名前方向性が違うようですが」

里子に出すまでの幼名だよ。正式名前里親がつければいい」

猫たちは来客には関心がないようで、ストラヴィンスキーリムスキー=コルサコフに背後から跳びかかり、ベルリオーズは伏せの姿勢でおしりを振りながら取っ組み合いに加わる間合いを計っていた。

「みんな元気だな。よし、そっちに掛けてくれ。いまコーヒーを淹れてくる」

ブラッド・オン・ザ・トラックス』までのボブ・ディラン

( ・3・) まずはバイオグラフィからだな。ボブの経歴をざっとまとめてくれ。

――いえ、それをやっていると時間がなくなるので、今日は『ブラッド・オン・ザ・トラックス』というアルバムだけを聴きます

( ・3・) それにしたって、そのアルバム位置づけくらいは踏まえないと。

――では、Rate Your Music のページを見てください。

https://rateyourmusic.com/artist/bob-dylan

――アルバムが発表順に並んでいますね。デビューしてまもなく、1963年最初ピークが訪れます。このころのディランがお手本にしていたのはウディ・ガスリーで、ギターハーモニカ、歌というフォークスタイルで世に出ました。

( ・3・) 「はげしい風が吹く」か。

――「はげしい雨が降る」と「風に吹かれて」です。ディラン1941年まれなので、22歳前には代表作を発表していたことになります

( ・3・) 詩人早熟なんだよな、たいてい。

――1965年から66年にかけて、二回目の、そして最大のピークが訪れます演奏フォークからロックへ変わり、詩の内容も変わります

( ・3・) どう変わるんだ。

――初期の詩は、一言でいえば真面目で、真面目な人たちに支持されるものでした。そこに、散文的な感覚では理解できない要素が入ってきます。「イッツ・オールライト・マ」「デソレイション・ロウ」「ジョハンナヴィジョン」といった大作が次々に書かれるのがこの時期です。

( ・3・) 理解できない要素というのは?

――たとえば、「ジョハンナヴィジョン」はこんな感じです。

Inside the museums, Infinity goes up on trial

Voices echo this is what salvation must be like after a while

But Mona Lisa musta had the highway blues

You can tell by the way she smiles


( ・3・) 「ダビデの職分と彼の宝石とはアドーニスと莢豆との間を通り無限消滅に急ぐ。故に一般東方より来りし博士達に倚りかゝりて如何に滑かなる没食子が戯れるかを見よ!」

――どうしました?

( ・3・) 西脇順三郎だよ。よく分からない詩には、よく分からない詩で対抗だ。

――なぜ対抗しなくてはいけないんですか?

( ・3・) ただなんとなく。

――はい。続けますが、1960年代後半は、ロックが急成長する時代です。しかし、ディラン自身は、その運動の先頭に立とうとはしません。1969年の『ナッシュヴィルスカイライン』は、カントリーアルバムでした。

( ・3・) 帽子に手を添えてにっこり。

――捉えどころのない人である、というディランイメージは、このころにはできあがっていたと思います。そして、三回目のピークが訪れるのは、1975年

( ・3・) 『ブラッド・オン・ザ・トラックス』だな。

――録音は1974年なので、33歳のとき作品です。

( ・3・) 33歳。――それだけ?

――伝記的な情報はいろいろあるのですが――というか、常に伝記を参照しながら語られる作品なのですが――今回は知らないふりをします。「この女性は誰々がモデルから」といったアプローチとりません。捉えどころのない人、謎めいたよそ者であることを行動原理にしている人が、久しぶりに本気を出したらしい、くらいで結構です。

( ・3・) そう、じゃあ聴いてみようか。1曲目は――

――1曲目は後にして、2曲目から始めましょう。「シンプル・トゥイスト・オブ・フェイト」。「運命のひとひねり」という邦題がついています

( ・3・) なんで? 有名な曲なの?

――ほかの曲より易しめだからです。ディラン重要な曲を挙げるとしたら、おそらく50位以内には入ると思いますが。

第一タン

オーディオ

https://youtu.be/sGnhyoP_DSc

歌詞

https://www.bobdylan.com/songs/simple-twist-fate/

They sat together in the park

As the evening sky grew dark

She looked at him and he felt a spark tingle to his bones

’Twas then he felt alone and wished that he’d gone straight

And watched out for a simple twist of fate


――ディラン歌詞は本人のサイトで公開されているので、それに基づいて進めていきましょう。では最初のスタンから、どうぞ。

( ・3・) 訳すの? 俺が?

――訳ではなくてもいいので、どういうことが歌われているのかを説明してください。

( ・3・) 夕暮れの公園男と女がいた。女に見つめられると、男は体の芯に火花が走るのを感じた。彼が孤独を感じたのはそのときだった。彼は思った。まっすぐに歩いていればよかった、運命のひとひねりに気をつけていればよかったと。

――はい特に難しいところはなかったと思いますが。

( ・3・) そうだな。恋人たちがいい雰囲気になっているのかと思いきや、なんだか雲行きが怪しい。急に孤独を感じちゃったりして。

――人は恋に落ちると孤独を感じるものではありませんか?

( ・3・) そうなの? で、まっすぐに歩いていればよかった、というのは比喩的表現だな?

――もちろん。

( ・3・) われ正路を失ひ、人生の覊旅半にあたりてとある暗き公園なかにありき――

――?

( ・3・) ともかく、この男はあるべき道を見失って、運命の力が自分に働きかけているのを感じているわけだ。でも運命って、注意していれば回避できるものなんだろうか?

――回避できたら運命ではないような気もしますね。

( ・3・) 運命からねえ。

脚韻について

――次のスタンザに進む前に、脚韻の形式を見ておきます。2小節ごとに改行を加えると、以下のようになります

They sat together in the park

As the evening sky grew dark

She looked at him and he felt a spark

Tingle to his bones

’Twas then he felt alone

And wished that he’d gone straight

And watched out for a simple twist of fate


( ・3・) 1行目・2行目・3行目の park, dark, spark で韻を踏んでいるな。4行目・5行目の bone(s), alone もそうだ。それから6行目・7行目の straight, fate も。

――はい。この形式は次のスタンザ以降も同様です。

サブドミナントのひとひねり

https://twitter.com/kedardo/status/1241415360672219137

――ついでにコード進行確認しておきます。これは実際に鳴っている音ではなく、説明のために簡略化したコードです。元のキーはEですが、ここではCに移調しています。 [1]

( ・3・) いったい誰に対する配慮なんだ。

――まずは1小節から8小節目まで。何か気づいた点はありますか?

( ・3・) 見たままじゃないか。ド、シ、シ♭と半音ずつ下がっていって、ラに落ち着く。

――はい。ラはサブドミナントコードであるFの構成音です。しかし、まだラは終点ではありません。

( ・3・) 半音下降は続くよどこまでも。

――Fの次のコードFmです。どの音が変化しまたか

( ・3・) Fの構成音は「ファ・ラ・ド」で、Fm構成音は「ファ・ラ♭・ド」だ。長三度のラが短三度のラ♭になる。なんだか言うまでもないことを言わされているようだが、どこに誘導しようとしているんだ?

――ラからラ♭へ半音下がることによって、コードに影がさします。その箇所ではどんなことが歌われていますか?

( ・3・) 「彼が孤独を感じたのはそのときだった」

――はい。彼が孤独を感じるのは、サブドミナントコードメジャーからマイナーに変化するときなんです。

( ・3・) ああ、それが言いたかったのか。つまりコード進行歌詞の内容とが結びついている、と。

――そうです。それから、もう一点。この曲は、コードが頻繁に変わる曲でしょうか。それとも、あまり変わらない曲でしょうか。

( ・3・) また誘導が始まった。1小節から10小節目までは、2小節ごとにコードが変わる。C7からFへの進行を除けば、コード構成音のうちのひとつ半音下がるだけだし、曲のテンポゆっくりだし、あまり変わらないんじゃないか

――はい11小節から12小節目、"and wished that he'd gone straight" と歌われるところはどうでしょう

( ・3・) ここは2拍ごとにコードが変わる。あまり動かなかったコードが動きだす感じだな。

――"and wished that he'd gone straight" の "straight" は、この曲の旋律で最も高く、長く、強く歌われるところです。コードの動きと旋律との関係を見ると、11小節目に助走が始まって、12小節目の頭で大きくジャンプするようにできています

( ・3・) ……ハーモニック・リズムと言えば済む話じゃないのか?

――その用語は使わず説明していたのですが。

( ・3・) いったい誰に対する配慮なんだ。

小休止

( ・3・) はっさく食べる?

2020-03-20

こじらせててつらいのでカウンセリング行ったら楽になった話

スペック

(いくつかフェイクあり)

この記事を書いた理由

カウンセリングを受けて何かと楽になったので、知見を共有したい。

それに、カウンセリングを終えてからそろそろ1年が経過するので、ちょうど過去を振り返るのにちょうどいいと考えた。

増田でも、多くの人が「カウンセリングに行ってみたら?」と時には本気で、時には冗談で言うのだけれど、そこが実際にはどんな場なのかを知らないせいで、行くのをためらっている人が多い現状を、変えたいというのもある。

増田だけではなく、ネット上の多くの人が、少しでも楽になれるように祈っている。その助けになれば幸いだ。

どのようなことで困っていたか

長くなりそうだし、愚痴っぽくなるのも嫌なので、代表的ものだけを箇条書きで挙げる。

カウンセラーはどんな人?

臨床心理士資格を持っている50代の女性中学生くらいの子供がいるらしい。

髪の毛が長く、少しやせ型。落ち着いた物静かな女性だが、明確な自分の考えを持っている印象がある。初恋の人に似ている気がするがおそらくは気のせいというか、投影しているのは間違いない。

実際のカウンセリングではどんなことをするのか

初回は風景構成法を行った。これはカウンセラーの指示に従って、順番に山や川、家や田んぼ人物などを配置していくもので、専門書に当たれば具体的な解釈方法が書かれているが、自分専門家ではないので省く。当日に描いた作品を今になって振り返ってみると、道のど真ん中に障害物の石が置かれていたり、山が雪に閉ざされていたりと、寒々とした印象を受けた。描かれている人間逆立ちをしていて、何やら不穏である。蛇も不気味にとぐろを巻いていた。

二回目からは主に夢分析を行った。カウンセリングカウンセリングの間の一週間に見てきた夢を記録して、それを材料に話をする。つかみどころがないようだが、意外なことにかなり効果があった。理屈はわからないが、この治療中は同じようなテーマの夢を見るようになる。さらに、肝心なのは夢の内容そのものではなく、夢の話をしているうちに自分が何を思い出したか、あるいは漠然とした印象をどのように語りなおしたかで、それによって、自身の考え方の偏りや傾向が見えてきた。現に、夢の内容を話す時間は案外短く、後半の三十分は、そこから思い出した過去出来事や近況、それについて自分がどう感じたについて話し合うことに費やされた。そうした雑談きっかけに、突破口を開いたこともある。

夢分析が行き詰まった時には、箱庭療法を試みた。これは、砂の敷かれた箱の上に人形模型を配置していくもので、話しながら人形を動かしたり、砂の上に模様を描いたりした。うまく説明できないが、非言語的なものを明確にするのに役立った気がする。例えば「このタヌキ(の置物)は寂しくて困っている。友達がいなくて寂しそう。上下がひっくり返って困っている。悲しくて暴れている」などと比喩的な話をすることで、日常使っている言葉論理で語りたくないことを口にしていた。小さな人形を触っているうちに気分が落ち着いたり、逆にひどく動揺することがあったり、不思議経験だった。箱庭療法最初の一回も、自分心理的混乱が反映されていたのか、人形同士がにらみ合ったりひっくり返ったり無意味に積み上げられたりと、非常に張り詰めた印象のもので、カウンセラーも「ちょっと怖い」という印象を漏らしていた。

これらの技法は、ある種のきっかけというか呼び水だった気がする。どんなことを語っても許されるというか、傾聴してくれる場というのはそれだけで貴重で、話しているうちに自分の思いがけない本音や、ダブルスタンダードに気づいた。また、夢のような一見「どうでもいい」話ができる仲になることで、普通は人に話すこともはばかられるような、野外オナニー願望についても話すことができた。

治療も後半になると、こうした技法ほとんど用いず、通常の雑談に近くなった。自分はこういうことをしてこう言う結果になった。自分気持ちはこうだ。そうしたことが素直に言えない人のために、これらの技法はあるのかもしれない。

カウンセリングの進行、そこで自分はどう変化していったか

始め、自分は藁にも縋るような思いでカウンセリングを申し込んだ。と同時に、どこか疑ってもいた。自分カウンセリング技法についての基礎的な知識はあったし、大体どのようなことをされるのか予想がつくと思い込んでいた。精神分析に関するフロイト著作だって読んだことがあるし、河合隼雄の「ユング心理学入門」も読んでいた。しかし、カウンセリングの概略を知っていることと、実際にカウンセリングを受けることとは、まったく別の経験だった。水泳理論と、実際に水に入って泳ぐこと以上に隔てられている。なんといっても、何年にもわたって定期的に同じ人間と会うのだから必然的相手には強い感情を持ってしまう。結局、人間が強い感情を持つの人間に対してであり、人間が変わるのも対人関係を通してだ。

カウンセリングでは何について話すことも自由だった。幼少期の悲しみ、いじめられた経験、両親から受けた不条理仕打ちなどなど。それだけではない。女性にするべきではないとされている話もした。自分の性生活自慰行為風俗店での出来事など、自分は露悪的なまでに細部を語ったが、しっかりと耳を傾けてくれた。

そして肝心なのが、何度同じ話をしても相手は退屈する様子を見せない点だ。自分は、同じ話を繰り返すことで忘れていた細部を思い出すことがあったし、それに新しく意味付けをすることもできた。

最後に、カウンセリング時間が終わりに近づくと、カウンセラーは僕の話した内容を簡潔に言い直す。そうすると、自分はこういうことを考えていたのか、と毎度のように驚かされる。まとめられた内容を反芻しながら次の一週間を過ごすことで、自分の考えが深まっていった。他にも、自分がすべての不平不満をぶちまけた後で、それに対する解釈を投げ返されることで、その負の感情自分の一部として取り込むことができるようになった。「あなたがそこで腹を立てるのは当然だ」「あなた感覚はそれほどおかしものではない」という趣旨言葉を返してくれるだけで、自分過去を少しずつ受け入れることができるようになっていった。

カウンセリングの中で、カウンセラーを好きになること

ところで、カウンセリングに通ったのが、2014年3月から2019年8月ことなので、4年以上も同じ人と毎週のように会っていたことになる。途中から自分の気分が落ち着いてきたので隔週に切り替えたのだが、それでもかなりの頻度だ。自分は、自分のあらゆる感情や悩みをぶちまけて、それでも受け入れてくれる存在がうれしかった。モテないあまり風俗に浸っている自分軽蔑しない彼女存在が尊く思われた。

珍しくないことだが、自分カウンセラー好意を持つようになった。自分は、職業倫理上その気持ちは受け入れてもらえないことだと知ってはいたけれど、「あなた尊敬しているし、とても強い好意を持っています」と伝えた。カウンセラーからは「私もあなたと会うのが楽しみです」という趣旨の返事をもらった。と同時に、僕は、なぜこのカウンセラーが好きになったのかをじっくり考えだした。すると、自分には好きな人自分の悩みを洗いざらい吐き出したいという願望があったのだ、と気づいた。同時に、自分知的水準の高い女性に強いあこがれを持つことも改めて認識した。年齢などどうでもよかった。比較的若く見えるが、相手は五十代の人妻で、自分が手を出すわけにはいかないのだけれど、叶わない想いだとは知りながら、相手尊敬の念を持ち続けるというのは、思ったよりも悪くなかった。おかげで、自分にとって他人を好きになるとはどういうことかを言語化できたし、他人尊重することを身をもって学んだ。

一人の女性を好きになり、それを軽蔑されたり馬鹿にされたりしないこと安心感を、自分はたくさんの悩みに取り組む支えとしていった。僕は、このカウンセラーのことが好きになれて、本当によかったと今でも思っている。

カウンセリングを通じての自分認識の変化

過去のどのようなつらい経験も、自分はそれぞれ意味があったのだと、迷いなく考えられるようになった。それから、今までは様々な物事を与えられて当然だと感じていたが、やっとのことで与えられた物事感謝することを学べたように思う。

また、自分の恐れの感情トラウマにとらわれずに行動できるようになったことで、自分の外側の世界に対して、うまく働きかけることができるようになった。

もちろん、上に書いたような悩みのなかには、直接解決しなかったものもある。でも、それはそれで仕方がない、と受け入れられるようになった。

何よりも現実検討能力がついた。不安不安のままかかえておけるようになり、不安で頭が真っ白になることがほとんどなくなった。自分の中の膨大な不安エネルギーが、落ち着くべき場所を見つけたかのようだった。

上記の悩みに自分は具体的にはどんな答えを見つけていったか

悩みの解決過程言語化するのは難しい。自分の考えがどんな風に変化していったかを記すにとどめる。人によってたどるべき道のりは異なるし、僕の頭の中の理屈をそのまま文字にしても、納得できないことは十分に考えられるからだ。

過去いじめ、対人関係トラブルはとても悲しいものだった。でも、おかげで自分は人をできるだけ傷つけないようにしようと心掛けられるようになった。それと同時に、絶対に誰のことも傷つけない発言表現というのも無理だとも知った。男性であれ女性であれ、相手を一人の個人として尊敬することが大切であり、それは自分相手は異なっていると認識することだ。だから、できるだけ丁寧に接することは大切だけれども、自分他人は別の存在なので、礼儀正しくしていたとしても、絶対不快な思いをさせないでいることは不可能だ。かつての自分は、自分女性から不快な思いをさせられた経験から絶対女性を傷つけてはいけないというルール自分に課していたのだけれども、それは不可能だと知った。過度に自分を縛る目標は、ある種の呪縛だ。

それに、世間はいろんな女性がいる。優しい人、冷たい人、知的な人、ちゃらんぽらんな人。一人の女性自分暴力を振るったからと言って、そうでない人もたくさんいる。女性一般や平均的女性像みたいなものに、振り回されなくなった。

フェミニズムとの距離感もうまく取れるようになった。納得できることはうなずき、わからないことについては調べ、おかしいと思うことには反対する。それは、フェミニズムだけではない。自分とは違う考えの相手に対する対応の仕方と全く同じだ。

仕事に関しては、転職をした。自分能力に見合った仕事に切り替えることでやりがいも感じられるようになった。給与は下がったが、例えば600万稼ぐ人間が300万稼ぐ人間の2倍偉いのかといえばそういうわけでもないし、僕にとっての一番大切な価値観は、早寝早起き快食快便が守れる生活が維持できるかどうかだと知った。

男らしくないのではないか、というのも気にしなくなった。世間価値観がどうあれ、自分が好きなことを好きなようにする。自分らしくあることが自分にとって男らしいことと定義しなおした。

その中で、家族との関係改善した。今にして思えば、両親は自分と非常に適切にかかわってきてくれた気がする。圧倒的にすがりたいと思っていた両親も50~60代のただの人間なのだ、と実感することができた。しかし、ただの弱みもある人間からこそ、大事にしたく思えるようになった。距離感が適切になった気がする。

処女厨ロリコンも治った。正確には、そういう願望があることそのものに対して、思い悩まなくなった。一つには、50代の女性に恋をすることで、実際に小学生恋愛したって、物足りなくなるに決まっていると心の底から理解したというのがあるし、人生経験豊かな女性の魅力に気付いたのもある。さらに、処女厨の根源にあった、「セックスとは汚いものだ」という意識も弱まった。「セックス気持ちよいものだし、誰かを愛することは素敵なことだ」という感覚しかなかったら、処女喪失を汚れとは認識しないだろう。それよりも、出会った二人が新しく一緒に思い出を作っていくことの喜びに目が向くようになった。まだ彼女はできていないけれども、一緒にデートしたり、他愛のない話をしたり、うとうとしたりしたいし、それに向けて今でも努力している。

女子小学生の裸を見たいという感じもほとんどなくなった。確かにあの年頃の女の子かわいいけれど、それだけのことだ。どんな感情を抱こうとも人間自由だと思えるようになったことで、かえってそうしたロリコン的な願望から自由になった。

同時に、野外オナニー願望も消えた。なんというか、得体のしれないドロドロした性欲のエネルギーに、適切な形が与えられた感覚がある。よく夢で、性器露出したり全裸になったりするパターンが多かったのだけれど、カウンセラーと話すうちに「おちんちん見せるだけじゃ意味ないよね?」みたいな話になり、そうしたことを話しているうちに、セックスって相手あってのことだよね、みたいな認識に到達した(このあたりの話が非常にわかりにくいのではないかと恐れている。ラポール、とでもいうのだろうか、クライアントカウンセラーの間には、長い間の会話の積み重ねからくる膨大なコンテクストの共有があり、ある種のツーカー関係が出来上がっているので、会話だけも書き起こしても非言語的な部分が多くを占めていて、客観的にはわかりにくくなりがちだ)。

死への恐怖は、とりあえず先送りされた。これは個人的な経験だけれど、死ぬのが怖くてたまらないときというのは、何か大きな変化を恐れているときか、未知のものに飛び込まなければいけないときに強まるような感覚がある。

カウンセリングを終えたきっか

カウンセラーには日々の出来事を何でも話すことができたが、別にカウンセラーに聞いてもらわらなくても、別に大丈夫になってきた。さらに、ここで話をしても、これ以上自分は楽にはならない気がするようになってしまった。

とても感謝はしているけれども、自分自分を励ます考え方ができるようになっていて、あとは毎日出来事淡々カウンセラーに報告するだけみたいになっていた。

というのも、自分の悩みを解決できるのは、最終的には自分だと思うようになったからだ。話を聞いてもらって勇気をもらったり、現実的なアドバイスを受け取ったりすることはあったけれども、実際に行動するは他ならぬ自分なのだ

ならば、これ以上ここにいても、自分は変われないのではないか、という気がした。そして、3月という区切りのいい時期であったので、そこで終えることにした。

最後にもう一度風景構成法を行った。山には緑があふれるようになり、街には人がたくさん姿を見せるようになった。蛇は道や川のうねりへと姿を変えた。困ったときには駆け込めるような病院や、芸術を鑑賞できるような美術館も街に描かれていた。そこでは、たくさんの人々が連れ立って歩いていた。ずっと住み心地のよさそうな風景だった。

そして、僕は無事にカウンセリング卒業した。

続き→ anond:20200320072823

2020-02-24

パンケーキ食べたい!パンケーキ食べたい!

民衆の怒りをまとった「パンケーキ食べたい」という叫びうねりとなり、最終的にマリアントワネットの首を切り落とすまでになった。

2020-02-22

銅鐸の使い方を知っていた最後の人

銅鐸という古代祭祀具がある。日本史弥生時代のとこで習ったアレだ。

卑弥呼時代の直前くらいに銅鐸は使われなくなる。

私たちはいまだに神社では鏡や剣を神器として尊ぶのに、銅鐸は使わない。

研究者見解では多分こういう風に使うのだろう、ってのはある。

が、正確なところはわからない(特に大型化した以降)。

ただ一つだけ言えることは、絶対に一人、最後に銅鐸の使い方を知っていた人がいる。

銅鐸をどうするのか? どう祭祀で使うのか。

知っていた人が、必ずいる。

複数人集団を想定してもいい。その集団の最も長生きした人を想像するのも良い。

彼、彼女人生について、よく寝る前とかに想いを馳せる。

先祖から受け継いでいた銅鐸の使い方を、歴史うねりの中で失う。

おそらく、使い方を知っているが、もう使うことがなくなった(鏡や剣を祀るスタイル一般化した)というのが想定される一つの可能性だ。

そのうち、なんか爺さんが使い方についてなんか言ってたなぁ? くらいになって、やがて誰も、誰も、世界宇宙で誰も、銅鐸の使い方を知らなくなる。

その最後のひとときに、どんな物語があったのだろうか。やっぱ卑弥呼が「そんなん使うんじゃねえですわ!」とか地域命令したんだろうか。


私たちは髷の結い方や着物の着方をわざわざ専門的に習わないと、もう覚えることができない。

私たちはそろそろタバコを吸う時のちょっとした仕草や、PHSガラケーの使い方を知らなくなる。

私たちはやがて炎を見ないで一生を終えるようになるかもしれない。

私たちのいまだ知らない未来のある振る舞いですら、歴史の中で役割を終える時が来るのだろう。

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