入るかどうかは、あなた(とアイヌのコミュニティ)に自由な決定権があるんじゃないでしょうか
和人が和人を諌めるのは自己決定権を侵害しないことが自分の社会にとって重要だからであってアイヌを決めつけるっていう方向なのかなとまあ後付けの理論としては考えられるけどどうなんだろう
街のコーラは毒が混ざってるぞ。
わずらわしい人間関係はいやだけど、かといって山篭りするような孤独にも絶えられない。
そこで得られる共感はとても薄味で、いくら飲んでも喉は潤っても心は潤わない。
事件以降の、彼と彼のなしたこと、これからなしたであろうことを惜しむ声に違和感を覚える。
俺は彼のブログをときどき眺める程度だったから、「2ちゃんの下世話な話をまとめる人」
「炎上したネット有名人をおちょくる記事を書く人」という印象で、
良い悪いはともかく品がない人だなと思っていた。
同じくらいの頻度で誰かをこき下ろすことそれ自体が目的の記事だったと思う。
彼は俺が思うよりずっと人気者だったようだし、有能でおもしろい人だったのかもしれない。
殺される理由はなかったし、その死は痛ましく悲しいものであると思う。
でも、彼は少なくとも聖人ではなかったし、たぶん善人でもなかったと思う。
思いの外長くて四行目以降読んでませんが、文化の盗用問題はアメリカあたりから流れてきた流行りであって、流行りであるからにはそのうち廃れるので深く考える必要はなかろう。
いじめについての記事が多くて、隅に追いやられたことのある人間だけが持つ感覚や感情ってやっぱりあるんだなと思ったよ。
それで、ナントカ先生とも沢山書かれているその感情にも関係ないんだけど、自分にある独特な感覚にふと気づいた。
「誰かに悪口を言われている気がする」という感覚。絶対にそんなことないだろ!って場面でも、どうしてもまずそれが頭に浮かぶ。
コソコソ言ってるのは自分に対しての悪口なんじゃないか、今クスって笑ったのは自分に向けてるんじゃないか
(実際はただ小声で話してるだけ、全然違うことで笑ってるだけ)
上手く聞き取れない時は勝手に脳が悪い方に補正する。電車で、飲食店で、赤の他人なのに。
後で冷静になって違うって気づくし普通に街歩けるけど、ワンクッションでこの感情が入るから知らないうちにストレス溜まってそうだなと自分で思う
デリケートなところに効く軟膏っぽい