2018-06-09

児童虐待と「魂の殺人

性犯罪形容する言葉として「魂の殺人」というものが用いられているのをよく見る。

数年前に私が初めてその言葉を見たときもその用法で使われていた。

#Metoo運動もまだなく、ジェンダーについての議論もそれほど活発ではなかった頃。その時私は、この言葉虐待形容するのにもドンピシャだなと思った。

自分の中のごちゃごちゃとした気持ちが正しく簡潔に表されるというのは気持ちがいいもので、こんなに的確な言葉を使うことができて羨ましいと思った。

その「魂の殺人」が元々児童虐待を表す言葉だったと知ったのは最近のこと。

そもそも「魂の殺人」というのはある本のタイトルらしい。

アリスミラーというスイス心理学者の著書だ。彼女児童虐待について研究していたらしく、この本もそのことについて書かれているらしい。

らしい、という言葉いからお察しの通り、私はこの本を読んでいない。読んだらものすごくスッキリするか、ものすごくしんどくなるかのどっちかだろうなと予想できるからだ。こういう予想ができるだけに、それが大外れして何も変化がなかった時の落胆も酷そうだから今は読みたくない。

閑話休題

「魂の殺人」というのは邦題で、原題は"For Your Own Good" 英語は得意ではないから自信はないけれど、さしずめ「あなた幸福のために」といったところだろうか。

原題とかなり違うので気になって文中検索をかけたところ、確かにアリスミラーは"murder the child's soul","psychic murder","Soul Murder"という言葉を使っていた。さらに、彼女よりも先にモートン・シャッツマンという人が"Soul Murder"というタイトル教育熱心な親による子供への迫害について綴った本を出版していたことも分かった。こちらの本も「魂の殺害者」という邦題で「魂の殺人」よりも後に日本出版されている。

「魂の殺人」の訳者は「あなた幸福のために」よりも「魂の殺人」(≒"Soul Murder")のほうがよりインパクトがあり、より虐待について書いたことが分かりやすいと判断し、そちらを邦題に選んだのだろう。

「魂の殺人」という言葉は、この本が出版された1983年虐待意味する言葉として使われたのだ。

元は幼児虐待形容するための言葉だったと知って、深く納得するとともに、自分の道具を取り上げられたみたいな気持ちになった。

私は性犯罪被害で苦しんだことはないから分からないが、私が最初にその言葉を見た時みたいに、性犯罪被害者の人もドンピシャだと感じて使うようになったのかもしれない。自分の魂はソレによって殺された、と。

もちろん、偶然という可能性もある。1983年よりも先に別の人が性犯罪形容するために使っていた可能だってある。

私が今後虐待形容する言葉として「魂の虐待」を使用しても何ら問題ないし、使うなとまだ誰かに言われたわけでもないから「取り上げられたみたいだ」という気持ちは完全な被害妄想だ。けれどもう既に私の中では「魂の殺人性犯罪」というイメージがついていたから、私と同じくそういうイメージを持った人に何か言われるんじゃないかと思ってしまうし、とても使いにくい。

被虐待児のための言葉だ」とか「(だから)使うな」言う気は毛頭ない。言う権利もない。けど、やっぱり使われている場を見ると少しモヤモヤしてしまうようになった。

かねてより、ジェンダーについての議論が活発になされている場を見るたび、虐待についてももっと世間の目が行けばいいのになと思っていた。その羨ましさと、この「魂の殺人」という言葉をめぐっての私の色んな気持ちが混ざってゴチャゴチャしている。

自分でも何が書きたいのかよくわからなくなってきた。

とりあえず、

『ある心理学者は、幼児虐待を"Soul Murder"と形容することにし、

そう記述された本の日本語訳を担当した学者は「魂の殺人」(≒"Soul Murder")を本の邦題採用した。』

と誰かに知ってほしくてこうして文章を書いた。

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