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はてなキーワード: 奴隷道徳とは

2019-08-25

私がフェミニストから離れた理由

私がフェミニズムから距離を置く理由

https://togetter.com/li/1369547

フェミニストであることに疲れた

http://toianna.hatenablog.com/entry/2019/06/25/205348

この辺読んでいて、そういえば自分はツイフェミだった時期があったなと思い反省文を。

フェミニズムに接近したきっか

自分フェミニズムに興味を持ったきっかけというか要因は、人権問題に関心のあるリベラル学生だったからだろう。私は当時ネット上で左派的な言説の多くを観測しており、その流れでフェミニストたちのアカウントフォローするようになっていった。

彼らは現代においてなお残っている実に多くの女性差別を暴き、実に多くの不正義を告発している、ように見えた。彼らの主張はおおむね正しいように見えたし、差別によって苦しみ、不利益を被っている女性がいるのなら、この状況は是正されなければならないと思った。また自身(男性である)が無意識女性差別的な行動を取ってしまっていないか、という点にも大いに過敏になった。

身近に思いっきセクハラ被害に遭っている女性がいたので尚更こういう話題に関心が出たのかもしれない。フェミニストたちの行動の裡に潜む暗い衝動存在に私が気付くのは、ずっと先のことである

といっても、私もフェミニズムに首までどっぷりとは行かなかった。あの界隈には単に男性嫌悪を拗らせただけと見える人も多くいたし、彼らのいくつかの主張(例えば「権力勾配」「まなざし」など)については本当に正しいのか確信が持てなかったので判断を保留していた。

とはいえ各論においてはともかく、総論においては同意していたのは事実だ。

疑問

で、私がフェミニズムという運動のものに疑問を持ったきっかけだが、それは例の「女だけの街」騒動だった。

あの騒ぎ自体はよくあるしょうもない炎上騒ぎなので、わざわざ論じる価値はない。ネット上でよくある異性叩きコンテンツのいち類型にすぎず、個別に論じる事自体時間無駄だと思っている。

ただあの炎上は私にとってひとつ大きな収穫があって、それはフェミニストたちのある姿勢が露わになったことだった。

事の経緯としては、最初とある女性が書いた「女だけの街があったら夜道で怖い思いをしなくて済むのに」といったようなツイートが発端だったと理解している。これ自体はまあ、政治的に正しいかどうかはともかく、単なる愚痴にすぎないだろう。なのでこれ自体を正しいとか正しくないとか言うつもりはない。人間はたまには正しくない愚痴を吐きたくなるものである

が、人権という原則に照らし合わせてこの発言が色々とまずいのも事実だ。ヒトラーだって同じことを言っていただろう。「アーリア民族だけの国があったら良いのに」と。「〇〇だけの街(国)」というアイデア古今東西多くの虐殺引き起こしてきたのだ。

それなのに、フェミニストたちはこれを「素朴な心情の吐露にすぎない」と擁護していた。

なるほど確かに「素朴な心情の吐露」ではあるかもしれない。だが「素朴な心情の吐露」なら何を言っても良いのだろうか?件の発言が「日本人だけの街」だとしても彼らは同じように擁護しただろうか?「女は男に比べて頭が悪い」と素朴に信じている人間自身の考えを披露するのもOKだということになるのだろうか?そもそも、そういう「素朴さ」の裏に張り付いた偏見認知の歪みを告発してきたのがフェミニストではなかっただろうか?

本当なら、フェミニストたちはこの発言擁護するべきではなかったのだ。

政治的に正しくないから袋叩きにするべきだとは思わない。

繰り返すが、人間は時に政治的に正しくない愚痴を吐くものだ。だが炎上してひとつ論点として浮上してしまった以上、擁護するべきではなかった。せめて「気持ちは分かるけどその言い方はまずいよ」と諌めるくらいのことはするべきだった。

なのに彼らはそれをやらなかった。

その時の様子を見て私は愕然としたのを覚えている。単に男性嫌悪をこじらせた似非フェミニストばかりではない。ある程度誠実に、論理的ものを言っている(ように見えた)フェミニストたちも、揃って件の発言擁護し、食ってかかる人間罵倒を浴びせていた。彼らはお定まりお題目ーー男性社会犠牲者ーーを大声で唱えた。私たち被害者だ、奴らが悪いのだ、と。

なんということはない。彼らの行動原理正義などではなく、結局のところつまらない党派性と暗い攻撃衝動にすぎなかったのだ。ニーチェの言うことろの奴隷道徳というやつだ。

彼らの言葉の底が見えた瞬間だった。

日本人だけの街」がアウトで「女だけの街」がセーフだと主張するには、おそらく根拠として例の「権力勾配」という概念を持ってくるしかないだろう。

権力勾配」の扱いは長らく自分のなかで答えが出せていない問題だった。例えば人種隔離政策実施されていた時代アメリカで、黒人白人を殴ることと白人黒人を殴ることを同列に扱うことはできない、なぜなら黒人被差別階級からだ、という主張は、必ずしも狂ったものだとは言えないだろう。

ただ、私としては最終的に、これは否である判断するに至った。理由は大きく分けてふたつある。

第一に、この主張は結局のところ、「人権の内実はその個人属性によって変化する」と主張しているに等しいことがある。

人権というのはつまるところ社会フィクションにすぎないのだが、ここを切り崩すことを許してしまうのはどう考えても悪手だ。女性差別問題にできるのも、つまるところ「万人が等しく人権を持つ(べきである)」という原則があるからだ。その原則がなければ、性別民族性的指向政治志向、その他あらゆる属性によって、恣意的個人権利制限することができるようになってしまう。これは到底受け入れいることができない。「権力勾配」という概念人権という原則に照らし合わせて筋が悪いばかりか、フェミニズムが拠って立つ基盤を自分で切り崩していることにもなる。

第二に、目的手段正当化するか?という問題がある。

女性差別撤廃という正しい目的を達するために、正しくない手段を用いることは正当化できるだろうか。

これは難しいところだ。政治的目的を達するため不正手段を用いることが、一時的戦略として必要であるという考えは理解できる。が、例えば共産主義革命という「正しい」目的を達するためにいかに多くの人が殺されてきたか、ということを考えると、やはり首を縦に振ることはできないだろう、という結論暫定的にだが出すことになった。

例えばアファーマティブアクション(これは自分否定的なのだが)なんかは、マクロな不均衡を是正するためにミクロ差別を導入する、という政策だろう。他にも、件の医大入試における女性差別問題なんかでも、一概に「差別から悪だ」とは言い切れない事情があるのは理解できる。

社会というもの原則どおりには動いてはくれず、難しいものだなと常々思う。

まとめ

ともかく、あれ以来、フェミニストたちの言説がどういうものだったのかが、なんとなく見えてきた。彼らのやり口はネット右翼よりは洗練されているかもしれないが、その本質においては何も変わるところがないことが分かってきた。

敵を作ることで味方を定義し、団結させる。それは人生に不満を抱えた人間たちを動員する効率の良い手段だ。日曜革命家効率的に票田を獲得し、鉄砲玉を生産するための手段。こういうメソッド社会に遍く見られるもので、今日もどこかで誰かが動員されているのだな、とネットで怒っている人を見るたびに思う。

今更気づいたのか、と言われれば返す言葉もないが、当時の私はちょっとばかり難しい本を読んだだけで社会については全く無知学生だったのだ。ちょっと首を突っ込んだだけの段階でフェミニズムおかしさに気づき、取り返しがつかなくなる前に抜け出せたのは僥倖だったのではないかとも思う。

昨今、TERF関連でまたフェミニズム面白いことになっており、トランスジェンダーに対するフェミニストたちの態度を見ていて、あの時フェミニズムから離れた自分判断が正しかたことを再確認している。そのことにはなんの喜びもないが、少なくとも自分がもう彼らの一員でないことは嬉しく思うし、あの集団的狂気から一人でも多くが目覚めてくれれば良いと思う。

教訓があるとしたら、人々の情動喚起して動員する手口を直に学べたことと、原理原則において一貫性を保つことの重要さだろうか。社会運動自体不要だとは思わないが、少なくとも自分は、正義を叫ぶ人間言葉を、以前よりずっと注意深く観察するようになった。それとリベラルが必ずしも味方だとは限らないということも学んだ。

以上。駆け足で書いたので日本語が若干こなれていない感じはするが、推敲も面倒なのでこれで。

2018-07-15

anond:20180715222456

しかも、殺されるのは市民からな。

彼らも本気なら、権力者を標的にすべきだと思うんだけどなぁ。

そこまで奴隷道徳が染み付いているのか。

2018-05-04

ソープ童貞を捨てた話(つづき)

昨日投稿したら増田文字制限にひっかかった。8000字が限度っぽい。

前半はこち

https://anond.hatelabo.jp/20180504170139

はじめてのセックスについて

その後、僕はフェミニズムの文献をあさるようになった。性の問題についていけるところまでいってみなければ自分の気がおさまらなかった。僕は男性ジェンダー批判的になり、一度は大学に「復帰」したものの、卒業しない方が政治的に正しいと考えるようになった。なにかと特権権力自己批判するようになり、両親は僕が宗教にでもはまったのではないか心配したらしい。

実際、フェミニストの方と(特に男性中心主義社会との闘争を掲げ、意図的男性蔑視する方と)交流することで、僕は自己肯定感性的主体性を失っていったと思う。いいかどうかは別として、フェミニズムにはそのような攻撃性があり、多くの男性防衛的になるのもあるていどやむを得ない。

また、僕は性欲を男性に向けるように努力し、自分が犯されたり、屈辱的な目にあうことを想像しながらアナルオナニーするようになった。

そしてある界隈に足を運び、男体持ちで僕に性的関心を向ける人と出会いセックスした。そのときは緊張したが、僕は無事に(?)勃起し、相手ペニス自分アナルに入れ、自分ペニス相手アナルに入れて射精した。

しか性的関心はある程度社会的に構築される、つまり教育や啓発によって、自分の中の異性愛同性愛傾向を抑圧したり強化したりすることができると思う。しかし、僕はその男体持ちの人に、前の彼女に感じた執着を向けることができなかった。二人の関係は「セフレ」だと伝えたつもりだったが、反対に、その人は僕との関係に本気になった。僕はその人に対して自分セクシュアリティ(正しい綴り!)をはっきり伝えることができず、なしくずし関係が始まり、深まっていった。

その人は性的マイノリティであり、IQは高いけれども安定した人間関係を続けることが難しく、広義の「弱者男性」と言えると思う。そしてアカデミックキャリアが行き詰まり、安定した仕事につけず、セクマイ界隈の一部とも関係悪化し、追い込まれていくことで僕への性的依存を徐々に強めていくようになった。非モテ男性が異性の恋人によって一発逆転を夢見る心理は、同性の恋人においてもある程度あてはまるのかもしれない。

その人は、フェミニズムを受け入れ積極的コミュニケーションを取れない「おとなしいコミュ障」の僕のことしか知らない。哲学科学の一部の分野では僕が堂々と自己表現し、ときには攻撃的にすらなれることを知らない。その人は僕に対して容赦なく感情を爆発させるようになり、僕は一度は距離をおいたものの、あるセクマイイベントで再会したのをきっかけに引き戻されてしまった。

僕はそのときも、もうあなたと別れたいとつっぱねることができなかった。その人は、僕と恋人関係にあることを堂々とまわりにアピールしている。僕はそのイメージに流され、僕の意思は違うのだということを言えないままに、あいまいな笑みを浮かべつづけていた。

その人は僕にさら感情的・性的依存するようになり、僕は強くなろう、対処法を編み出そうと必死で本を読んだ。google:別れる? それともやり直す? カップル関係に悩む女性のためのガイド男性ジェンダーとして傷つくことも多いが、つらい関係を終わらせることができるという希望も与えてくれる。ウ・ジョーティgoogle:自由への旅しんどいときつまみ読みした。マインドフルネスモチベーションを上げてくれ、1時間程度の瞑想ならできるようになった。あと、google:ツァラトゥストラフェミニズム奴隷道徳だ、権力肯定超人を目指せ!と言っているようで心にしみた。

はじめてのセックスワークについて

さて、けっきょく大学中退した僕は派遣登録して社会人になった。今は大手メーカー工場生産管理をしている。

新しい仕事住まいがあるていど落ち着いたところで、売り専登録した。応募はとても緊張した。メールを送ろうかどうか、一か月近く迷っていた。意を決して送信した最初の店は落ちたが、次の店はやとってくれた。

売り専で働く直接のきっかけは、セックスワークについて知り、さらに、男性ジェンダー性的対象として消費される経験をしてみなければと思ったからだ。友人にもフェミニズムの影響でちょっとだけ売り専をやったことのある人がいた。それに、僕はなんだかんだセックスが好きで、性的関心が強く、その方向で自己実現(?)してみるよいチャンスだと思ったのだ。もちろん、異性にモテセックス相手に苦労はしないという実現のしかたもあるが、身長が低く押しも弱く吃音気味の僕にはどう転んでもできそうにない。でもそれは性的対象としてはむしろ強みになるんじゃないか

実際にやってみると、自分性的価値があり、それにお金を払う人がいるということは自信になった。僕を指名するひとや、リピーターになる人がいた。僕を買う人はいつも僕の容姿を褒めてくれた。年配の人はチップをくれたりご飯をおごってくれたりした。

あと、僕は中一のときに一度痴漢に遭ったことを思い出した。トラウマとかではなく、自分にはちゃん性的魅力があったという気づきとして。

僕は男性だが、性的主体でそれ自体性的価値はないという生き方は向いていないと思うし、男性として性的対象とされることは僕の性に合っていると思う。女性から自分性的対象として見られることを意識できるようになり、ファーストキス彼女が唇を濡らしたように、僕も性的駆け引き手段を使っていいのだと思えるようになった。

それに、身だしなみをよくして堂々としていれば、多少のいじりにたいしても動じないし、そのうち相手も一目置くようになるという自信を得た。化粧やファッションが「武器」であり、自分を「戦闘モード」にできるという言い方を女性がすることがあるが、僕もその意味がわかることがある。また実際、その攻撃はある程度効いていて、「向こうが誘ってきたんだ」と言い訳したり二次被害を与えたりする男性性的駆け引きにいつも負け続けているのだろうと思う。

閑話休題。得るものは得たと思ったし、またセックスワークを続けることの危険も感じたので僕は半年ほどで売り専をやめた。いままで、僕を買ってくれた人はおおむね常識をわきまえていて、無茶なことはしなかったし「痛い」と言えばセックスを止められた。でも、どこかですごく乱暴な人に出会うかもしれない、という不安をなくすことはできなかった。新しい人とやるときはいつもすごく緊張した。

ちなみに、僕が売り専をしていると知ったとき、当然かもしれないが彼は激しく動揺した。僕がその人以外の人とセックスしていることが耐え難く辛く、またセックスワーカーという挑戦を僕がしたことで、自分が追い越されたと感じプライドが揺らいだのだと思う。

性風俗に対する強い嫌悪感共感することは、僕には難しい。恋人風俗で働いたり風俗に行ったりしたことが分かって苦しんでいる(男性女性の)記事を読むと、こんなに傷ついてしまうのかとやるせなくなる。

もちろん、彼を深く傷つけたと思う。ただ、僕がその人とセックスをするそもそもきっかけは、フェミニズムセクマイの主張に興味があったからだ。売り専をしたのもそのためであって、新しい恋人がほしかたからではない。その人は性にまつわる社会問題知識豊富だったので、僕の行動にできれば理解を示してほしかった。

しかしこの一件で、僕はその人に対して「治療者」として振る舞おうと決心した。僕はあなた恋人にはなれないということをどこかで伝えなければいけない。しかし当面は、その人が立ち直るのをサポートしようと思った。

はじめてのソープについて

そういうわけで、やっとソープの話です。ここまで読んでくれたひとがいるのだろうか…。

僕はこうしてそれなりにセックス経験したけど、女性の膣に自分ペニスを入れるというセックスだけは一度もしていない。ほんとうは、それは最初に僕を選んだ彼女にあげたいとどこかで思っていた。そういう執着はよくないのかもしれないが、どこかで自分はまだその人の特別存在になれると思っていた。

しかし、バンクロフトをはじめDV関連の本をあらかた読みこみ、それはDV加害者被害者依存する心理と同じであり、僕と別れることをえらんだ彼女に対する甘えであり、僕自身もその人との恋愛から「卒業」しなければならない、と考えるようになった。僕がその人を傷つけたから、その人は別れることを選んだのだと理解できるようになったと思う。

その一方、売り専をやめたことへの区切りもつたかった。僕はずっと自分を売ってきたが、同じように身体を売っている女の人が何を考えているのか知ってみたかった。それでソープに行く必要はないのかもしれないが、それ以外にチャンネルを知らないし、政治的連帯というよりはふつうに話しを聞いて体験を共有してもらいたい。もちろん向こうは異性愛男性サービス提供するつもりでいるのだから、そんなことは他でやってくれと思うかもしれないが、こっちだってそれなりにお金を払うのだから時間の使い方に多少の自由は許されると思った。

それに、その目的が達せなくても、ふつう異性愛男性がどういう性的サービスを受けているのかを体験しておくのも意味があるだろう。とかなんとかいろいろ理屈を考えて、ようやく決心して、ソープの予約を入れた。

まとめ?

僕はどちらかといえば、同性や異性に性的サービスをする方が向いているような気もするし、もしそういう仕事があればやってもいいと思う。しかし僕の性的価値がある間に異性に体を売るサービス一般的になることはなさそうだ。映画google: 娼年を見たけど、お金を払ってあん乱暴セックスはしないだろう。まだファンタジーの域を出ていないし、誰か貞操逆転世界な方向でもうちょっとリアル作品をつくってほしい。

そういえばソープに行く前に、何を思い誤ったかYou Tubeに落ちている女性向けシチュエーションボイスを一晩聞いて「予習」した。本番でまったく使えなかったが、こういうサービスなら僕にもできると思う。

もう少し言うと、異性愛男性リラックスして射精するというのは分かるのだが、異性愛女性リラックスしてペニスを入れさせるというのがサービスとして成立するのか?成立しないなら、どういう男性がどういうサービスをするなら成立するのか?そういう需要ホストクラブとかの風俗がどの程度満たしているのかも、ぼくにはよくわからない。レズ風俗が成立しつつあるように、やはりケア役割女性にとっても女性の方が向いているのかとも思います

そのときは、男性性欲は男性で解消してもらうのが理に適っているのではないかな…。文句ソクラテス論破してから言ってください。

2017-06-06

http://anond.hatelabo.jp/20170606151618

「行動したら何かが変わる」が幻想なんだろう。

悩みが深いケースほど、いろいろ行動してダメを繰り返して無力感は増大してるので、

安直ドヤ顔であれこれ言って「出来るだろ!ヤラないだけだ!」と大声出す人はうざがられて当然だな。

もう疲れてどうでもいいしという気持ちが大半の中で吐露してるなら、

そういう反応も妥当だし、やる気出せよ!とか言ったところでムダだよね。

アプローチが間違ってるだけ。

というか、アドバイスして自分の思い通りに動いてくれない!とか文句をつけるなら、初めから近寄らない方がいいよ。

お互い人生のムダだからね。

まぁ、他人世界なんて赤の他人には理解できないんだし、

こうやっていちいちブチ切れるうるさいおじさん達の方が多いので、

悩みがあっても黙って1人で抱えて自分のやれる範囲でアレコレやった方が正解だな。

はてナーに相談したら安易にすぐ「精神科に行け」とか言われるけど、

ダメでも責任取ってくれるわけじゃないしな。

現実問題解決するわけでも何でもないし。


ちなみに、ドヤ顔してニーチェを引いて弱者が~とか言って他人否定してるけど、おまえのやってることも奴隷道徳からね。

いっさいの貴族道徳肯定からまれてくる。これに対して奴隷道徳否定からまれてくる。なぜなら奴隷道徳の基礎にあるルサンチマンもつ人間にとっては、否定のもの価値を生む行為からだ。自己肯定ではなく他者否定こそが、奴隷道徳本質的な条件なのだ

https://www.philosophyguides.org/decoding/decoding-of-nietzsche-genealogie/

2016-10-24

奴隷道徳とは、正義平等の名のもとに

それはつまり反動形成である

反動形成面白い所は、「抑圧し反発したはずの元の欲求を、結局は満たしている」という部分である

・身近な例

1.依存心の強い人

この人が反動形成をすると、なんでも自分でやろうとする独立心の強い人となる

そうすると、この人は自分依存心を自覚しないで済むようになる(防衛成功)

さらに、ワンマンにやればやるほど周りは困ってしまい、あれこれと助けようとする

下手をすれば、「あの人は助けられると起こるから、見えないようにフォローしよう」となる

ここまで来てしまえばもうこの人は自分依存心を自覚して苦しむことなく、依存心を満たせることになる

2.何もかも壊したりめちゃくちゃにしたい人、ごちゃごちゃになっているのが好きな人

この人の場合は、すごく丁寧で几帳面になり、規律道徳などをきっちり守る善良で温厚な人になる

しかし、どうだろうか。この人には世界はどう見えるだろうか

大事に扱おうと物を見るということは、それを繊細で壊れやすものであると見なすわけで

この人には世界は壊れやすもので、壊れてしまもので満ち満ちているということになる

丁寧で几帳面という価値基準を持てば持つほど、世界相対的に粗雑で大雑把な世界となる

結果として、この人はめでたく自分の好きだった世界に入ることになる

3.相手支配したい、自分の正しさを認めさせたい

反動形成は、奉仕や服従、自己犠牲になる

DVしたり酷い要求ばかりするして振り回してくる恋人に傷つけられながらも、それでも献身的に尽くすというのを何処かで見たことはないだろうか

体調の悪いままにパートで働き、子供の世話や家事を行い、夫のためにお酒を買って来た挙句に「お前が居るから俺はだめになったんだ!」と言われる始末の妻

精神的に不安定彼女のために、リストカットをしたと言われれば深夜でも駆けつけ、あれこれと手をつくして慰め、同居させ、挙句の果てには暴力混じりに「あなたは私の事のことなんか全然きじゃないのよ!」と詰られる恋人

さて、この人達はいかにして支配欲を満たし、正しさを主張しているのか

答えは簡単である

この人達相手奉仕し、あれこれを手を尽くせば尽くすほど、相手依存し何もできなくなっていく

献身的になり、親切になるほど、相手自分葛藤を処理たり我慢したりしなくなり、何も考えないでも生きていけるようになる

尊敬し服従すればするほど、相手はそれ以上の成長はしなくなり、与えられた権力に酔って傲慢となり、相手に不当な扱いをするようになる

結果として、相手依存心を増強させ、自制も聞かない赤ん坊のようになり、感情欲求を吐き出すだけの無様な姿となる

にも関わらず、「にも関わらず」だ

それでも決して怒らず、優しくし、辛抱と忍耐を重ね、自己犠牲を続け、文句も言わずに働き続ける

この人達のことを、誰も責めたりせず、むしろ可愛そうで救われるべき正しい人々であると言うだろう

そう、ここが一番のミソである

彼らは自己犠牲をすることによって無事に被害者となることができ、理不尽世界に対して自分正当性を訴えることができるのだ

もはや、彼ら/彼女らは自分から何も主張せずとも、自らの正しさを認められる事となり、奉仕先を支配することができる

ここにおいては、相手を許すという行為はすなわち、相手を罪悪感で縛り支配する手段となる

正答な罰や応報もなく許され、良心の呵責に苦しむ

それを晴らそうとするが、奉仕と服従と自己犠牲に慣れた人間にとっては、それを躱すのは容易い

そして、相手に対して道徳的優越感を得て、奴隷道徳を旗印に勝鬨を上げるのである

2016-10-22

http://anond.hatelabo.jp/20161022025457

んなわけあるかい

いわゆる自然の影響力が現代より相対的に高い古代のほうが行動型の適応は良いでしょうよ

自己抑制を説く必要があるのはそうでないことが横行し、それが一定の力を持っていたからでしょ

強さと逞しさを是とする君主道徳から、正しさと公平さが求められる奴隷道徳に移行したのなんて最近でしょ

人権宣言なんて奴隷道徳の最たるものじゃないか

2016-09-15

[]

創世記さぼってヨシュア記とかいうのを読む。罪人居たせいで戦争に負けたわ、とかいう話。聖書の中でも重要性低いぽい。注釈者もどうでもよさそうな感じ。

あとダーウィンの『種の起源』を読む。めっちゃ面白い

聖書創世記)によれば、神はしょっぱなから人間作ったことになっているが、これは動物が徐々に進化して人類が登場したという理解(=進化論)と矛盾しているのでは?という議論があるらしい。

この点について注釈者は、聖書には

神は御自分にかたどって人を創造された(創世記1章27節)

とあるだけで、創造プロセスについては述べられていない。だから別に矛盾はしないんだ、と書いていた。

苦しいけど、まぁなくはない解釈だと思う。

あとニーチェキリスト教のことを「奴隷道徳」と罵っていたが、これに対する反論が『種の起源』にはあると思う(俺が勝手に読み込んでるだけだけど)。

「強くて優れたものが善であり、弱くて劣ったものが悪である」という支配道徳は、結局のところ動物植物支配されている原理だ。

動物植物支配されているから、人間もその原理に従わないといけない、という理はないと思う。

しろ、「支配者の持つ強くて高いという性質は実は憎むべきものであり、弱くて貧しいものへの同情こそが大事なのだ」という奴隷道徳があることは、人間動物植物区別するものとして、称賛されるべきなのではないか、と思った。

(そういやブコメカテゴリ化したら?みたいなのがあったんだけど、後日やります。)

2016-01-20

http://anond.hatelabo.jp/20160119132454

奴隷道徳を崇拝する者(弱者)は差別主義者となる。

どのような人間奴隷道徳を崇拝するかというと

欲求の階層がまだ未熟な者が崇拝する。

特に承認欲求が強い人間は注意だ。

そしてあなたもまだ未熟なようである


この欲求階層から救われるためにはあなたの欲求階層を一段階上へと上げる必要がある。

常に自分の本当の目標意識しその目標を達成することで自分自分を認めればいい。

この段階になると差別主義者が未熟だから仕方がないとなりあまり気にならなくなるだろう。

2015-06-05

http://anond.hatelabo.jp/20150605104350

頭のレベルが違う所に行ったら誰でも不幸になるよね。

高学歴高学歴らしく上流社会に行き、貧乏底辺のいない場で生きた方がお互いに幸せ

僻むもの下の人間は奴隷道徳に支配された愚かな奴らさ。不幸自慢ばかり。

友達付き合いで遊ぶのは刺激あるから楽しいけど、同じ組織でいたくないよ。

2015-05-27

僕の(私の)考えた最強の弱者

ってもうそれ単純に奴隷道徳だよね。

2015-05-22

あなたが"正しい"事が、あなたの"世界への復讐"になるか

「間違っているのは自分ではない、この世界の方だ」という言葉を、どこかで聞いた事はないだろうか

「私に優しくない世界(学校職場運命他人恋人、親)が悪いのであって、私が悪いのではない」

そう思った事はないだろうか

悪い世界、間違っている世界おかし世界

それに立ち向かうには、正しく良い道理の通った自分を誇示すればよい

間違った要求に対し、こちらの正当性を見せつければよい

それによって間違った世界糾弾し、復讐する事が出来る

しかし、あなたが正しい事が果たしてあなた幸せや強さを保証するだろうか

弱い=正しい・正義、強い=正しくない・悪

これは、弱者奴隷倫理奴隷道徳と呼ばれるもの

弱者を救済せんとする宗教(キリスト教とか)によって発明された倫理観

あなた自分の正しさを喧伝すればするほど、あなた弱者で救われるべきである事をアピールすることになる

2012-10-20

[]「良い」を定義することは権力闘争

ジョルダーノ・ブルーノ。地動説を擁護し火刑に処せられた。

[集団浅慮]世論に総論なし、整合性のない各論あるのみ。

Amazon.co.jp: 禁酒法と民主主義 (社会の科学入門シリーズ)

Amazon.co.jp: なぜ少数派に政治が動かされるのか? 多数決民主主義の幻想 (ディスカヴァー携書)

右翼理想とする「良い」日本
中道理想とする「良い」日本
左翼理想とする「良い」日本
国粋主義者理想とする「良い」日本
リバタリアン理想とする「良い」日本
リベラル理想とする「良い」日本
社会主義者が理想とする「良い」日本
共産主義者理想とする「良い」日本
独裁者理想とする「良い」日本
無政府主義者理想とする「良い」日本




たとえ「日本を良くしたい」という点で利害が一致していても、

そもそも「良い日本」の定義自体を共有できていないことが多いのです

(そもそもニーチェの指摘する通り、

「良い」を定義することは権力闘争のものなので、

そう簡単に「良い○○」の定義は共有されない)。

実りある議論を能率良く行うための身も蓋もない5つのポイント - @fromdusktildawnの雑記帳



君主-奴隷道徳 - Wikipedia

「すべては主観である。」モニモス

民主主義とは『多数派(の世論)による専制政治』トクヴィル

[アローの不可能性定理][民主主義][じゃんけん][trade-off]

 
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