はてなキーワード: 有理数とは
この論文は最初は、「ある種の不定方程式の解に関する研究」として開始されたが
x^p+y^p=z^p に対しては、クンマーという教授が、67%ではOKであるというイデアル理論という珍奇理論によりやったが、全部証明ではないということで、解釈が間違っているから
両辺をzで割って、
楕円関数と有理数点で扱って、 有理数体と、楕円関数の複素関数上のモジュラー性を考えないといけない。
予想(Conjecture)であってまだ定理かどうか分からなかったということです。 1950年代の数学者は、定理には、驚愕性が必要だが、このコンジェクチャーにはそれが備わっていないということで
それはいいとしても、高等学校程度で習う定理だと、 sinの加法定理とかがありますが、 sin(α+β)は書き下せるというものである。 sinとcosには、 sinθ^2+cosθ^2=1
という有名な関係がある。
n=2までは無数にあるのに、 n≧3を境にして全然ありませんということが驚愕なのか、それとも、 u^p+v^p=1 という楕円関数は有理格子点を通過しないことが驚愕
なのか分からなくなった問題である。数学の定理では、 「確実な真理同士の一見無関係性」が美しさの重要要素と説明されているが、フェルマーではその性質が分からない。二次元平面上
には有理数格子点が存在し、楕円関数として扱うことで、しかし、 n≧3では存在しないということは、「確実な真理同士の一見無関係性」が言えていないのでその方向からは証明できない
のではないか。志村五郎や谷山豊、ニックカッツ教授などが、無限降下法という2000年前からある手法を断念してこちらの方向から検討した結果、実り豊かな理論が得られることになったのも
時代の風潮だったのだろうか。
はい、だから、 u^n + v^n = 1 という美しいかたちをしている楕円関数、え? 楕円関数っていうのは、高校数学3Cに出て来る奴です、演習問題は大量にあります、楕円関数の
焦点とかが決まってる奴です、ただの楕円関数です、それの、u,v の値が、格子点っていうのは、両方とも整数であるか有理数であるようなデカルトの上の座標をそう言います
フェルマーの言っている美しい主張というのは、上の関数が、その格子点を通らないというだけの、そういう状態のものであるということです。なんでそうなるのかの証明をしなければいけませんが
そういうのはできないのでここではやりません。あのー、ワイルズがちゃんと証明したっていうのは、専門的な議論をしてるので、何が書いているのか分からないので、
今日息子と一緒に考えたテーマは「無理数に覆われた世界」です。
高さと底辺をそれぞれ1とする直角二等辺三角形を作図することで数直線上に√2をとることができます。
またそのようなことをしなくても有理数である1と1.1の間に無数の無理数を見出すことができます。
息子はショックを受けましたが、半日間一生懸命うんうんと色々考えていました。
デデキント切断を知らない息子がそのメソッドを捉えるか捉えないかのところで一生懸命考える様子に、子供の無限の可能性を見出すことができました。
これまでの数に対する認識を改める良いきっかけになったと感じています。
中学受験を終え、息子の友人や同級生は中学校の数学と英語を1日でも早く終えようと息巻いていますが、私の場合、息子には「当たり前」と思っている物事に対して常に「なぜ?」を持ち、考える習慣を身につけて欲しいと思っています。
有理数でええやんという話
そこで、その自称数学ができるゴミクズは実数が無限個存在するのに、「自然数が無限個存在するから」といい始めた。
これは明らかにこれは間違っていて、
まず「集合Aの真部分集合Bが無限集合のとき、Aが無限集合」であることを証明しろ、言ったら「自明ですよね」といったので、
「自明は明らかだから説明いりませんのね、の意味であって証明が不要であるって意味じゃねえよ」と喧嘩になった。
次に、自然数が無限個だから、有理数は数え上げで無限集合と飛躍させても良いかもしれないが、
この話になったときは、「有理数が無限個あるんだから、無理数が有限個しかなくても、実数は無限個ありますよね」と言い始めた。
虚数と実数は、複素数の部分集合であり、互いに排他的ではない。
また、虚数は実数直線上にはないが、複素数平面上では実軸と垂直な虚軸に沿って表される。
したがって、虚数と実数は全く別のものではなく、複素数という枠組みの中で共存している。
一方、chatGPT(人工知能)と人間(天然知能)は、知能の種類や性質が異なるものである。
chatGPTはプログラムされたルールやデータに基づいて会話を生成するが、人間は自然言語や感情や経験に基づいて会話を行う。
chatGPTは人間の言語や文化を模倣することができるが、人間の思考や感覚を本質的に理解することはできない。
したがって、chatGPTと人間は全く異なるものであり、知能という枠組みの中で対立している。
以上のように、この文章は虚数と実数の関係を誤って用いており、chatGPTと人間の関係を正しく表現していない。
むしろ、chatGPTと人間の関係は、虚数と実数ではなく、有理数と無理数に例える方が適切である。
有理数と無理数は、実数の部分集合であり、互いに排他的である。
また、√2は無理数であり、有理数ではない。また、有理数は分母と分子によって表されるが、無理数は小数点以下が無限に続くために表せない。
したがって、有理数と無理数は全く別のものであり、実数という枠組みの中で対立している。
このように考えると、chatGPT(人工知能)は有理数に例えられる。
chatGPTはプログラムやデータによって表されるが、その範囲や精度に限界がある。
p進ホッジ理論とか、俺は数学専門じゃないので全然わからないけど、解説を見るともし頑張って勉強すればある程度は理解できそうとは感じる。
https://ja.wikipedia.org/wiki/P%E9%80%B2%E3%83%9B%E3%83%83%E3%82%B8%E7%90%86%E8%AB%96
なんとなくこういうことかなと想像すると、p進ホッジ理論は、p進数という実数でない数構造がたくさんあってそいつらを何らかの基準の下に分類する手段を与えるもので、それがホッジ理論つまりその数構造の上で定義される幾何的なオブジェクトの性質によって作れるよと言ってる気がする。
一方で、p進数はそれを定義した時点で自然な足し算や掛け算の演算が定まってるっぽいんだけど(有理数を完備化するときにp進距離というもので完備化するものなので、有理数上で定義されている足し算や掛け算をp進距離完備化と矛盾しないように拡張する方法が一意かわからんけど何か定まるんだろう)、
この辺の解説を読む限り、IUT論文に出てくるHodge theatreという概念はその演算自体を変形することを考えてるっぽいな。そうするとそうやって演算を変形した数構造はたぶんもはやp進数ではないと思うんだけど、それでもホッジ理論に基づくある種の分類基準は定義可能ということなんじゃないか。そうするとホッジ理論ひとつに対して数構造が1個付随してるんじゃなくて可能な変形の全体が付随してる感じになるということなのかなと想像する。それがtheatreということなんじゃないか。
しらんけど。
そう考えると
https://www.kurims.kyoto-u.ac.jp/~motizuki/Inter-universal%20Teichmuller%20Theory%20I.pdf
のFig. I1.4とか、あーなんかそういう感じの話か〜みたいな雰囲気はしてくるな。なんかこうある種の対称性を備えていることを「演算」の定義として、その対称性を通常のものから拡張していってる感じがする。Fうんたらという記号の意味は1ミリもわからんけど。
https://anond.hatelabo.jp/20210907184611 の続き
たとえば、以下のような問題を考えます。演習問題に限らず、教科書の本文や、解答の一文一文も「証明問題」だと捉えてこのような態度で読み解く必要があります。
x2 - 2a|x| - b = 0
それほど典型的な問題ではありません。少なくとも、何か簡単な公式があって2aやbなどを代入すれば答えが出てくる、というものではありません。
この問題を解くには、左辺の式が何を意味しているのか理解していなければいけません。これは、何か上手いやり方があって機械的に解ける場合でもそうです。
とxの二次式になるので、既に知られた方法で解の個数を求めることができます。ただし、たとえば方程式f≧0(x) = 0の解は、x≧0を満たすものだけを数えることに注意が必要です。したがって、単に判別式の符号を調べるだけでなく、二次関数f≧0(x)のx≧0の範囲での増減を調べる必要があります。x<0の場合も同様です。
結局、この問題を解くには
ということができる必要があります。特に前者を理解していないのは、問題文の式が何を意味しているのか分かっていないということですから、解法を覚えるとか言う以前の問題です。当然、これらが分からなければ調べたり他人に聞く必要があります。その際は、定義の数式を形式的に覚えたり当て嵌めたりするだけではなく、具体例を通じて、その意味を理解する必要があります。絶対値記号|x|であれば、xが正の数ならどうなるのか、負の数ならどうなるのか、y = |ax + b|や、y = |ax2 + bx + c|のグラフの概形はどうなるのか、等。
もし二次関数を調べた際に平方完成が分からなければ、それも調べる必要があります。平方完成を調べて文字式の展開で分からないところがあれば、それも調べる必要があります。そもそも、二次方程式を解く際になぜ(一次方程式では必要無かった)平方完成をするのか。そういった問題が解ける理屈(あるいは類似の問題と同じやり方では解けない理屈)を理解している必要があります。
また、自分で問題を解いて、たとえば場合分けの仕方が解答と異なるならば、それらが本当に同値なのかをきちんと確かめる必要があります。最初のうちは計算ミスをして符号などが逆になることもあるでしょうが、それもどこで間違えたのかをきちんと確かめる必要があります。
そういうことをすべて完璧にこなして初めて、この問題を理解したと言えるのです。
以下、解答例を載せます。匿名ダイアリーなので文字のみですが、実際は図を付けた方が良いでしょう。
f(x) = x2 - 2a|x| - bとおくと、
f(x) = 0の実数解の個数は、y = f(x)のグラフと、y = 0のグラフの交点の数であるから、これを求める。
とおく。y = f≧0(x)のグラフは、(a, -(a2 + b))を頂点とする下に凸な放物線で、y軸との交点は-bである。一方、y = f<0(x)のグラフは、(-a, -(a2 + b))を頂点とする、下に凸な放物線で、y軸との交点は-bである。
したがって、y = f(x)のグラフは、y = f≧0(x)のグラフのx≧0の部分を、y軸に関して対称に折り返した形をしている。
f(x)は、x = ±aで最小値-(a2 + b)を取る。したがって、y = f(x)のグラフとy = 0のグラフの交点の数は、
f(x)は、x = 0で最小値-bを取る。したがって、y = f(x)のグラフとy = 0の交点の数は
以上、(1-1)〜(1-5), (2-1)〜(2-3)がf(x) = 0の実数解の個数である。
上の解答例ではy = f(x)のグラフの位置関係を用いましたが、もちろん、f≧0(x) = 0、f<0(x) = 0の解を実際に求めても解けます。
この場合は、それぞれの解がx≧0、x<0を満たすかどうかを確かめる必要があります。そして、それぞれの場合でf≧0(x) = 0のx≧0を満たす解の個数とf<0(x) = 0のx<0を満たす解の個数を足したものが答えになります(x≧0とx<0に共通部分は無いので、これらを同時に満たすことはありません)。
f≧0(x) = 0の解は、
x = a ± √(a2 + b)
である。同様に、f<0(x) = 0の解は
x = -a ± √(a2 + b)
である。
とおくと、ra(b)はa2 + b≧0の範囲で定義される。また、ra(b)はbに関して単調増加であり、ra(0) = |a|である。つまり、f≧0(x) = 0およびf<0(x) = 0の2つの解が同じ符号を持つか否かは、b = 0を境界にして分かれる。
したがって、a2 + b≧0のとき、f≧0(x) = 0の解は
同様に、f<0(x) = 0の解は、a2 + b≧0のとき、
また、D < 0の場合は、f≧0(x) = 0、f<0(x) = 0ともに実数解を持たない。
以上をまとめると、f(x) = 0の解の個数は、以下のようになる。
(1-1) a2 + b<0のとき、0個
(1-2) a2 + b = 0のとき、2個(③と⑥でD = 0場合)
(1-3) a2 + b>0かつb<0のとき、4個(③と⑥でD>0の場合)
(2-2) b = 0のとき、1個(②と⑤で D = 0の場合)
何度も書いているように、たとえばx2 - 2ax - b = (x - a)2 - (a2 + b)などの式変形の意味が分からないのであれば、二次関数の復習をする必要があります。解答文中に出てきた「単調増加」などの用語も分からなければ調べる必要があります。
上記の場合分けが(a, b)のすべての組を網羅しているのか、と言ったことも注意する必要があります。
解答例2の①〜⑥の場合分けは、y = f≧0(x)およびy = f<0(x) のグラフとy軸との交点を考えています。これの符号と軸の位置で、どの範囲にy = 0の解が存在するかが決まります。たとえば、下に凸な放物線がy軸と負の値で交わるならば、x軸とは必ず正負両方の値で交わらなければいけません。逆に、y軸と正の値で交わるならば、x軸とは交わらない(D<0)か、放物線の軸がある方で2回交わります(D = 0の場合は1回)。解答例2ではra(b) = √(a2 + b)という関数を用意しましたが、このy軸との交点と軸に関する条件を代わりに説明しても良いです。このように、数式や条件が図形のどのような性質に対応するのかを考えることも数学の勉強では重要です。
また、「二次関数f(x)が下に凸で最小値が0以下であれば、f(x) = 0は実数解を持つ」ということを認めています。これは明らかに思えるでしょうが、極限を習った後であれば
実数値関数fが区間[a, b]で連続であれば、f(a)とf(b)の間の任意の実数γに対して、γ = f(c)となる実数c∈[a, b]が存在する。
という「中間値の定理」を暗に使っていることを見抜けなければいけません。このような定理が出てきたら、Part1でも述べたように、具体的な関数でどうなっているのか(たとえばf(x) = x2 - 2に対して、f(a) = 0となる実数aが存在することなど)、仮定を緩めたら反例があるのか(たとえばfの定義域が有理数ならどうか、連続でなければどうか)などを確認する癖をつけましょう。
y = x2 - 2a|x| - bのグラフとy = 0のグラフの交点を考える代わりに、y = x2 - 2a|x|のグラフとy = bのグラフの交点を考えても良いです。これは、本問と同値な方程式
x2 - 2a|x| = b
を考えていることに相当します。記述量はそれほど変わらないでしょうが、こちらの方が見通しは良いかも知れません。
仮に本問と異なり、aが定数の場合、たとえばa = 1であれば
y = x2 - 2|x|
のグラフは変数に依りませんから、y = bとの交点を考えるのは容易です。
実際、y = x2 - 2|x|のグラフは、頂点が(1, -1)、y軸との交点が0の、下に凸な放物線のx≧0の部分をy軸に関して対称に折り返した形です。
したがって、この場合は
です。
以上のことは、問題を解く際だけに行うのではなく、教科書本文、問題文、解答例の一文一文を「証明問題」だと思って常に意識する必要があります。
本稿では、和田秀樹氏らが提唱している暗記数学というものについて述べます。
受験数学の方法論には「暗記数学」と「暗記数学以外」の二派があるようですが、これは暗記数学が正しいです。後者の話に耳を傾けるのは時間の無駄です。
まず、読者との認識を合わせるために、暗記数学に関するよくある誤解と、それに対する事実を述べます。
暗記数学は、数学の知識を有機的な繋がりを伴って理解するための勉強法です。公式や解法を覚える勉強法ではありません。「暗記」という語は、「ひらめき」とか「才能」などの対比として用いられているのであり、歴史の年号のような丸暗記を意味するわけではありません。このことは、和田秀樹氏の著書でも繰り返し述べられています。
類似の誤解として、
などがあります。これらは事実に反します。むしろ、大学の理学部や工学部で行わていれる数学教育は暗記数学です。実際、たとえば数学科のセミナーや大学院入試の口頭試問などでは、本稿で述べるような内容が非常に重視されます。また、ほとんどの数学者は暗記数学に賛同しています。たまに自他共に認める「変人」がいて、そういう人が反対しているくらいです。大学教育の関係者でない人が思い込みで異を唱えても、これが事実だとしか言いようがありません。
嘘だと思うならば、岩波書店から出ている「新・数学の学び方」を読んで下さい。著者のほとんどが、本稿に書いてあるように「具体例を考えること」「証明の細部をきちんと補うこと」を推奨しています。この本の著者は全員、国際的に著名な業績のある数学者です。
そもそも、暗記数学は別に和田秀樹氏が最初に生み出したわけではなく、多くの教育機関で昔から行われてきたオーソドックスな勉強法です。和田秀樹氏らは、その実践例のひとつを提案しているに過ぎません。
暗記数学の要点を述べます。これらは別に数学の勉強に限ったことではなく、他の科目の勉強でも、社会に出て自分の考えや調べたことを報告する上でも重要なことです。
一番目は、従来数学で重要なものが「ひらめき」や「才能」だと思われてきたことへのアンチテーゼです。実際には、少なくとも高校数学程度であれば、特別な才能など無くとも多くの人は習得できます。そのための方法論も存在し、昔から多くの教育機関で行われています。逆に、「"才能"を伸ばす勉強法」などと謳われるもので効果があると実証されたものは存在しません。
大学入試に限って言えば、入試問題は大学で研究活動をする上で重要な知識や考え方が身についているのかを問うているのであって、決していたずらな難問を出して「頭の柔らかさ」を試したり、「天才」を見出そうとしているわけではありません。
二番目はいわゆる「解法暗記」です。なぜ実例が重要なのかと言えば、数学に限らず、具体的な経験と結びついていない知識は理解することが極めて困難だからです。たとえば、
などを、初学者が読んで理解することは到底不可能です。数学においても、たとえば二次関数の定義だけからその最大・最小値問題の解法を思いついたり、ベクトルの内積の定義や線形性等の性質だけを習ってそれを幾何学の問題に応用することは、非常に難しいです。したがって、それらの基本的な概念や性質が、具体的な問題の中でどのように活用されるのかを理解する必要があります。
これは、将棋における定跡や手筋に似ています。駒の動かし方を覚えただけで将棋が強くなる人はまず居らず、実戦で勝つには、ルールからは直ちには明らかでない駒の活用法を身につける必要があります。数学において教科書を読んだばかりの段階と言うのは、将棋で言えば駒の動かし方を覚えた段階のようなものです。将棋で勝つために定跡や手筋を身につける必要があるのと同様、数学を理解するためにも豊富な実例を通じて概念や定理の使い方を理解する必要があります。そして、将棋において初心者が独自に定跡を思いつくことがほぼ不可能なのと同様、数学の初学者が有益な実例を見出すことも難しいです。したがって、教科書や入試問題に採用された教育効果の高い題材を通じて、数学概念の意味や論証の仕方などを深く学ぶべきです。
そして、これは受験数学だけでなく、大学以降の数学を学ぶ際にも極めて重要なことです。特に、大学以降の数学は抽象的な概念が中心になるため、ほとんどの大学教員は、学生が具体的な実例を通じて理解できているかを重視します。たとえば、数学科のセミナーや大学院入試の口頭試問などでは、以下のような質問が頻繁になされます。
教科書や解答例の記述で分からない部分は、調べたり他人に聞いたりして、完全に理解すべきです。自分の理解が絶対的に正しいと確信し、それに関して何を聞かれても答えられる状態にならなければいけません。
たとえば、以下のようなことは常に意識し、理解できているかどうか自問すべきです。
ほとんどの人はまず「自分は数学が分かっていない」ということを正確に認識すべきです。これは別に、「数学の非常に深い部分に精通せよ」という意味ではありません。上に書いたような「定義が何で、定理の仮定と結論が何で、文中の主張を導くために何の定理を使ったのか」といったごく当たり前のことを、多くの人が素通りしていると言うことです。
まず、用語や記号の定義が分からないのは論外です。たとえば、極大値と最大値の違いが分かっていないとか、総和記号Σ でn = 2とか3とかの場合に具体的に式を書き下せないのは、理解できていないということなのですから、調べたり他人に聞いたりする必要があります。
また、本文中に直接書いていないことや、「明らか」などと書いてあることについても、どのような性質を用いて導いたのか正確に理解する必要があります。たとえば、
などと書いてあったら、これは
という一般的な定理を暗に使っていることを見抜けなければいけません。上の命題はpが素数でなければ成り立ちません。たとえば、l = 1, m = n = 2として、4l = mnを考えれば、mもnも4で割り切れません。他にも、
は正しいですが、逆は一般的には成り立ちません。nとmが互いに素ならば成り立ちます。それをきちんと証明できるか。できなければ当然、調べたり他人に聞いたりする必要があります。
l'Hôpitalの定理なども、もし使うのであれば、その仮定を満たしていることをきちんと確かめる必要があります。
さらに、単に解法を覚えたり当て嵌めたりするのではなく、「なぜその方法で解けるのか」「どうしてそのような式変形をするのか」という原理や意図を理解しなければいけません。たとえば、「微分で極値が求まる理屈は分からない(或いは、分からないという自覚さえない)が、極値問題だからとりあえず微分してみる」というような勉強は良くありません。
そして、教科書の一節や問題の解答を理解できたと思ったら、本を見ずにそれらを再現してみます。これは「解き方を覚える」と言うことではなく、上に書いたようなことがすべて有機的な繋がりを持って理解できているか確かめると言うことです。
はじめの内はスラスラとは出来ないと思います。そういう時は、覚えていない部分を思い出したり、本を見て覚え直すのではなく、以下のようなことを自分で考えてみます。
こういうことを十分に考えた上で本を読み直せば、ひとつひとつの定義や定理、式変形などの意味が見えてきます。また、問題を解くときは答えを見る前に自分で解答を試みることが好ましいです。その方が、自分が何が分かっていて何が分かっていないのかが明確になるからです。
以上のことは、別に数学の勉強に限った話ではありません。社会に出て自分の考えや調べたことを報告する時などでも同様です。たとえば、近年の労働法や道路交通法の改正について説明することになったとしましょう。その時、そこに出てくる用語の意味が分からないとか、具体的にどういう行為か違法(or合法)になったのか・罰則は何か、と言ったことが説明できなければ、責任ある仕事をしているとは見なされないでしょう。
逆に聞くけど、質問を質問で返すのは詭弁のガイドラインに抵触するのは承知の上で、貴方は「計算機が実数を扱っているという前提が間違っている」のを知っているのか?
逆に何でその程度のことすら知らないと想定してんだよ。意味不明すぎるだろ。そもそも「計算機が実数を扱っているという前提」なんて存在しねーぞ。お前は実数の定義を知ってるのか?有理数を完備化したもんだぞ?有理数が稠密だということを理解してるのか?そもそも自然界に「実数」が存在してるなんて証拠は一個でもあるのか?物理学が実数体でないと致命的におかしくなるケースが一個でもあるのか?
たとえば、カオス理論が起きるのは「計算機科学で物理学と同じように小数を扱ったから」なのだけど、あれは古典物理学を学んてきた人がおかすミスなんだよ。あれはローレンツが有効数字というまやかしに引っかかって起きたのと、十進法と二進法の互換性が無いことに起因したケアレスミスなんだよ。俺はカオス理論を否定するのじゃなくて、カオス理論も偶然が生んだ産物だという上で言っているのよ、念の為。
意味不明。カオスは初期値に鋭敏だというだけだぞ(細かいことを言えば色々あるが)。計算機がどうとか関係ねーし有理数も実数も関係ねー。パイこね変換のカオスは離散系だろうが。何言ってんだ。
https://www.ajimatics.com/entry/2021/03/22/174633
これについていたブコメ
id:versatile 「実数の中には、「2乗して0になる数」というのは0しかありません」の証明ってどうやるの?
メタブを見に行ったら、そういう数が存在した場合は逆数をとると矛盾が引き起こせるよっていうスマートな背理法が書かれてたんだけど、これはかなり危うい議論に見える。
というのも、その議論は0でない実数は必ず逆数が取れるよねっていう前提を所与のものとして扱っているわけで、じゃあその「0でない実数は必ず逆数がとれる」って命題はどうやって証明するのという話になる。
そんなの当たり前の話じゃないかと感じられるかもしれないが、我々の証明しようとしている「二乗して0になる数は0以外にない」という命題も同程度には当たり前のことであって、つまりこれは当たり前から当たり前を示す、基礎論的なところの問題なのである。
こういう議論では、話の土台が何より重要で、よく知られた性質の中でもどれは使っていいのか、どれは使ってはいけないのか良く整理してから始めなければいけない。
なぜなら証明済みの性質を贅沢に使って基礎的な部分を証明してしまうと、その元の議論のほうの前提に実は今証明している命題が間接的に入っているんだよということになりかねない。
だから、「当たり前のものを示す時」には、議論が「逆流」しないか十分気にする必要がある。
で今回の問題が具体的にどう引っかかっているかと言うと、実数には有理数という土台があって、有理数は整数という土台から作られている。
ここでもし、「二乗すると0になる0でない数a」が【整数の中に】含まれていると、有理数上で、(1/a)*(1/a)の答えが定義できなくなってしまう。
そうなるとそもそも有理数上の掛け算の定義が壊れているということなので、実数の構成どころの話じゃない。
つまりこの掲題の疑問は有理数に掛け算構造を与える際にこそ気にすべき問題なのである。
逆数という概念は掛け算の成立後にようやく有効になる話であって、その前段階にあるはずのこの疑問に対して逆数の性質を使ってしまうのは若干論点先取というか、真芯を外している回答のように思う。
もちろん実数の話であるからには土台にある有理数の基本的な性質は所与のものであるという考え方も間違いではないけれど、それはこの疑問の「心」が見えていないんじゃないかな。
で実際どうやって証明すべきかというと、まずは上述のように【整数で】この性質を示すべき。
もっと言うと整数の土台には自然数(ここでは0を含む)があるので自然数上で非0×非0が非0になることを示す。
そうして得られた性質を整数、有理数、実数へと順々に拡張していく。こういう流れになる。
自然数上での証明は、0でない自然数には前者関数Preが適用できることを用いて、
a*b=a*Pre(b)+a≧a>0
という感じで示せる。(もちろんもっと厳密にやるけどね)
整数は自然数のコピーを貼り合わせてできている。自然数上での非0×非0=非0という性質から、整数上でも容易にそれが示される。
有理数は整数の分子分母のペアに約分という同一視を入れてできている。ここでも整数上の非0×非0=非0の性質を簡単に有理数上に拡張できる。
最後に実数は、有理数の無限数列を極限の考え方で同一視してできるので、有理数上の性質をうまく実数上にも持ってくることができる。
概要だけざっくりだけどこれを組み立てれば疑問への回答になると思う。
(道筋だけ最後まで立てられることがわかったら途端に興味を失うやつ)
【追記】
文章が長ったらしくて申し訳ないけど、やっぱ伝わってないね…。
前半部は、「当たり前のことを証明する時には当たり前の前提を無批判に使っちゃいけない」ってことを言ったつもり。
ブコメで貰ってる「両辺をaで割って〜」っていうようなのも、実は割り算の存在が無意識に前提とされているけど、零因子があるかないかっていうのは【割り算の構成のためにこそ】必要な話なんだ。
だから「割り算というものが存在する」って無邪気に考えることすらもこういう問題では危険だよと言いたかった。
横だけど、天才っていうか初めからセンスがある奴はそもそも一般人が言う意味での「努力」はしなくても学習できるんだよね。一般人と同じ経験をしても脳が勝手に抽象化して概念獲得するから学びの密度が全く違う。掛け算九九の表を渡されたら一般人は頑張って暗記するみたいになるんだけどセンスあるやつはあーねっつって有理数の積くらいまで一瞬で理解し終わるみたいな。それって一般人の数ヶ月とか数年とかの努力に相当するんだよね。
もちろんそれでもセンスある奴だけの世界でやっていくなら「努力」が必要になるんだけど、そこまで行かず一般社会でいいやってなるなら努力の必要自体が無いというのは全然あり得る。
Xの点列(x_n)は以下をみたすとき、Cauchy列であるという。
任意のε > 0に対して、ある自然数Nが存在して、n, m ≧ Nならば、d(x_n, x_m) < ε。
収束する点列はCauchy列である。実際、lim[n→∞] x_n = x ならば、任意のε/2>0に対して、ある自然数Nが存在して、n>Nならば|x - x_n|<εとなるので、任意のε>0に対して、n, m>Nならば|x_n - x_m|≦|x - x_n| + |x -.x_m|<ε。
逆に、Xの任意のCachy列がXの点に収束するとき、Xは完備であるという。
(x_n)を実数のCauchy列とする。
まず、(x_n)は有界である。実際、ε>0に対して、Nが存在して、n>Nならば|x_n - x_N|<εなので、任意のiに対して、|x_i|≦max{|x_1|, |x_2|, ..., |x_N|, |x_N|+ε}である。
Bolzano-Weierstrassの定理より、有界な実数列は収束する部分列を含むので、自然数列n_1<n_2<...<n_i<...と実数xが存在して、lim[i→∞] x_(n_i) = xとなる。
xが(x_n)の極限である。lim[i→∞] x_(n_i) = xより、任意のε/2>0に対して、ある自然数Iが存在して、i>Iならば|x-x_(n_i)|<ε/2。(x_n)がCauchy列であることより、任意のε/2に対して、ある自然数Nが存在して、n, m>Nならば|x_n - x_m|<ε/2。この2つより、任意のε>0に対して、n>max{I, N}ならば、|x - x_n|≦|x - x_(n_n)| + |x_(n_n) - x_n|<ε。□
√2に収束する数列(1, 1.4, 1.41, ...)はCauchy列だが、Qの元に収束しない。
f_n(x)を以下で定める。
xが有理数で、xを既約分数a/bに表したとき、bがn!の約数ならば、f_n(x) = 1。それ以外は、f_n(x) = 0。
各f_nは有限個の点で1になる以外0なので、Riemann積分可能で、∫|f_n(x)|dx = 0。
しかし、その(各点収束)極限は、xが有理数のとき1、無理数のとき0となる関数であり、これはRiemann積分不可能。(有理数の稠密性から、区間の細分をどれだけ細かくとっても、各区間に1を取る点と0を取る点がそれぞれ存在するため、Riemann和が収束しない)