2018-08-19

おっぱいの魂はどこにあるのか

こんにちは思索の申し子、増田マンです。

哲学なのか医学なのか、分野はよくわかりませんが昔から「人の心はどこにあるのか」という議題があります

「心が大事だよ」というジェスチャーをするとき恐らくほとんどの人は、胸を叩いたり、指したりすると思います。でもそこにあるのは心臓で、心はないですよね。

「そんなことは分かってる。皆イメージでやってんだよ!」

もっとも。心というのはつまり感情意思のことですから、当然脳にあるわけです。でも脳を指してもしっくりこないので、胸に手を当て考えるわけです。

では、魂はどうでしょうか。

そもそも「魂は存在するのか!?」という議論もありますが、ここではその辺はフワッとした概念的な感じで話を進めます。つまり、"職人魂"だとか"魂の一球"みたいな感じの魂です。これも脳にあるのでしょうか...うーん、いまいちしっくりきません。

私が思うに魂とは「そのものをそのもの足らしめている一番重要もの」なのではないでしょうか。「画竜点睛を欠く」の「点」ですね。...答えは闇の中。

閑話休題

日本人が生きていれば必ず直面する疑問の一つに、R18の謎モザイクがあります

誤解を恐れず率直に例をあげるならば、乳首

地上波テレビ番組少年漫画などで女性の上裸が映る時、一体どの部分がハレンチ(死語)なものとして規制され、隠されるかといえば、ヘソでもワキでもなく、チクビです。

ではなぜ規制が入るのか。それは「卑猥から」に他なりません。なぜ卑猥もの規制されるかと言えば話は簡単で、見た人が性的な劣情を催すからです。つまり男性でれば勃起してしまうからです。

女性の方はわからいかも知れませんが、意図しない場面で勃起してしまうととても困ったことになってしまうのです。最悪、捕まります。そういった事件を防ぐため、規制がされているのでしょう。しかし、ここで一つの疑問が生じます

みなさん、おっぱい好きですよね?興奮しますよね?おそらく程度の違いはあれ人類は皆おっぱいが好きです。大好きだと言っても過言ではありません。生れたばかりの頃などは毎食おっぱいを貪るしまつです。嫌いな人などいるはずがありません。

だとするならば当然おっぱい規制されてしかるべきです。

しかし、現実はそうではありません。例を出すならアニメ水着回テレビ温泉リポート。それどころか、なんですかマイクロビキニとか貝殻とか、挙げ句の果てには絆創膏!何も隠れていません。胸部の99%が露出しているではありませんか。

では隠れている1%がどこかと言えば、それが乳首です。つまり我々は乳房ではなく乳首おっぱいを感じ、恋い焦がれ、興奮していると。となれば、仮におっぱいから乳首を分離し、乳首だけを皿に盛って「どうぞお納めください」と提供されても興奮できるということです。

.....ダメだ!私には出来ません。どれだけ乳首を山盛りにしてもフルコースにしても興奮できるビジョンが浮かびません。これ、凄く不思議じゃないでしょうか。

規制されている卑猥ものおっぱい全体ではなく乳首だけなのに、それ単体で提供されても意味がない。だとすれば我々は一体おっぱいのどこに魂を感じているのでしょうか。

画竜点睛の意味で言えばもちろんそれは「乳首」なのでしょう。故事に言う「おっぱい乳首を欠く」ですね。しかしそれだけでは不十分。いくら乳首がたくさんあってもそれがあるべき乳房がなければ意味がありません。つまり乳首が魂の居所ではなく、乳房乳首が付いて初めて魂となりうるのです。とするならば魂とはどこかにあるものではなく、存在のものなのです。人であれ、芸術であれ、それを構成する必ものが揃って初めて魂へと昇華するということなのです。

以上のことからおっぱいの魂は、乳首にも、乳房にも、ましてや脳にあるわけでありません。おっぱい存在のものこそが、我々を魅了し、時として争いをも引き起こす至高の果実のものこそが、魂であるということなのです。

御静読ありがとうござました。

  • ぜんぶおっぴろげより隠されてた方が逆になんか興奮するよね

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