義母の話や義兄の話、義兄嫁の言動、そして甥の様子を見ていると虐待も少なからずあったんじゃないかなと私は感じている。
義兄嫁は結婚当初から言動が不安定な人だったらしくて、出産後も子どもといたらノイローゼになるからもう要らないと言ったり、家出したり、泣きながら帰ってきてやっぱり子どもは手放したくない、家族でいたいと言ったり、かと思えば突然義兄に離婚届を突きつけてきたりするそうだ。今は子どもの顔も見たくない時期だからと義実家に子どもを預けて以降連絡がつかないらしい。今までどうにか孫の面倒を見つつやってきたもののついに力尽きた義母が、我が家に助けを求めてきたのが預かるきっかけだった。
いやこれどう考えても真っ先に保健所や児相に相談案件でしょう。
そう思い児童福祉関連施設への相談を提案するも、義兄は虐待はないから行政への相談は必要ないの一点張りだ。
隣県に住んでいて月2、3回会う我が家と義実家とはそこそこ良好な関係を築いている(と思ってたんだけどわからない)のに、これまで義母から義兄家の話はしてこなかった。甥がいてもよく泊まりがけで遊びに来てるのよ、くらいの説明だった。ところが今になって出るわ出るわ我慢を重ねた3年分のトラブルに鬱憤に愚痴。なぜそれをもっと早く言わなかった。
虐待は簡単には表に出てこない。本当に愚かだと思うけど、私たちは身内のことなのに気がつけなかった。でも子どもには間違いなく傷が残るだろう。我が家に来たときの甥はとても大人しくて蚊の鳴くような声でしか話せなかったし、トイレを失敗したときには真っ青になって固まってたし、ジュースをこぼしたら慌てて隠そうとする子だった。今は我が家の男児ふたりに負けじと大きな声で主張し、パンツ履かないで大笑いしながら走り回るし、失敗したらごめんなさいが言えるしっかりした子だ。本当はカウンセリングとかに連れて行ってあげたいけれど、私たちには勝手にはできないよな。虐待されていたかどうかも推測だし、親じゃないし。少なくとも義兄の了解を先に得なきゃいけない。
義兄は離婚するつもりだ。親権もとるらしい。義兄嫁からしてみれば私たちは可愛い息子を奪った敵に見えるだろう。そもそももっと早い時点で介入できていれば義兄嫁も育児を続けられていたかもしれない。
甥だってそうだ。後々あのとき母から引き剥がしたと恨まれるかもしれない。本当は今も母親に会いたくて我慢しているのかもしれない。
私たちは甥を健やかに成長させてあげたい。だけど余計なお世話なのかもしれない。義兄家に介入していれば、と思うこと自体おこがましいのかもしれない。何が正しいのかわからない。全部が堂々巡りだ。身内ですらこうなんだから赤の他人である児相の職員さんはもっと大変だろう。大変な仕事だと思います。本当にお疲れ様です。
とはいえ身内だけで悩んでいてもラチがあかないし法律のことなんかもわからないし、今はとにかく行政に繋げられるように夫が義実家と義兄にかけあっている。近いうちに相談には行ってくれそうだ。
最近は夜になると息子①が私のお腹の上で、息子②が私の右腕の上で、甥が私の左腕の上で寝てる。皆でぎゅーぎゅーに抱き合って寝てる。昼間皆でよく遊ぶから、ぐっすり寝る。子どもは体温が高い。なので囲まれるとめちゃくちゃ暑い。汗だくだ。だけどこの時が私たち間違ってないかなぁという不安が和らぐ唯一の時間だ。
戦隊ヒーロー・仮面ライダー・ウルトラマンは、顔が隠れている。
イケメンだろうとブスだろうと、何なら女子であっても、ごっこ遊びに気兼ねはいらない。
あの仮面の下に自分の顔があると思うだけで、ヒーローになった自分を簡単に想像できる。
強くて可愛いヒーローとしてのキャラを保つのに、可愛らしい顔をがっつり出すことは不可欠だ。
ごっこ遊びをするにあたって、自分はあんな顔じゃない、という違和感をごまかせない。
現代の男児向けヒーローと女児向けヒーローはかように、自分もヒーローになりたいと憧れる子供たちへのホスピタリティにおいて差がある。
理想は、ブスなプリキュアを世に送り出すことだけど、商業的な面から考えれば、それは男の子プリキュアを登場させるよりさらに高いハードルではなかろうか。
だいたい、「そんなに可愛くない(かっこよくない)」キャラの末路はだいたい決まっていて、ふとした瞬間に可愛らしく(かっこよく)見えるみたいな変な描写が出てきて、やがてなんだかんだ悪くない外見に少しずつ矯正されてしまうのだ。
それではリアルブスの絶望には寄り添えない。こういう描写をやる奴はブスのなんたるかをわかっていない。
ていうか、ブスがブスのまま活躍する姿を描けるクリエイターはまだそんなに多くないのだ。まだ、と言ってはおくけど、増えていくとも思えない。
ついてはプリキュアもスタイリッシュなマスクスタイルでキメるべきである。
そうすればみんな気兼ねなくプリキュアになれる。
大きなお友達のみんなが、エグいビジュアルのプリキュアを我慢して見続ける必要もない。
次作以降、プリキュアはすべてマスクスタイルに固定することとする。
あと必ず一人以上ブスキャラと男を含めること。
これな、
映画見て来たんだけど、やっぱり上映前の宣伝あるから時間通りに到着しても余裕があっていいなとか、思いつつでも余分な時間取らないでほしいなとも思いつつ。相反する感想を持っているけど、それはそれとして。
映画前に広告見せられても結局映画見せられたらもう殆ど忘れてるじゃん。
無意識に刷り込むということで言えば成功しているとは思うけど。
やっぱり忘れたよ、映画の内容の方が大事だから。実際予告でいいなって思う物があっても、忘れたら意味ないじゃんね。
かといって映画が終わった後に予告されたら辛い、余韻がなくなるから、思い返して反芻して記憶に止める努力とかするのもある。あるから!
「ペンギン・ハイウェイ」が面白そうだったのでとっさにメモっちゃったぞ。メモらなかったら完全に忘れていた。
こういう人が鉈持ってると思う。
お前らも「犯人ははてな匿名ダイアリーをやっていたそうです」とか書かれることやるんじゃないぞ
枕のおばさんでも呼び出して慰めてもらえば?
やる気出ない
らしいけどさ。
なんなんだろう、このワクワクしない感じ。最近見た映画で「年をとっていくと心が衰えてしまうから、今の感情が辛いものでもちゃんと覚えておきなさい」的な言葉があったんだけど、まさにそれというか。
小学生で初めてキングダムハーツやった頃はもう楽しくて仕方がなかったんだよ。だけど、20代も後半に入って、pvを見ると映画に比べてのCGの粗だったら、声優の違和感だったりが頭の隅にどうしても出てきて、もうあの頃の感動は襲ってこないのかと落ち込んでしまった。
2ちゃんねる(5ちゃんねる)で有名な荒らし、通称「F9」がふたば☆ちゃんねるで有名な大規模荒らし「糞虫小僧」と同一人物であるということが確定しました。
F9と言えばK5と並ぶ凶悪な荒らしで、荒らした規模は2ちゃんねる史上最大とも言われます。
1年ほど前に特定騒動になって炎上していたことを知っている方もいると思います。
http://dic.nicovideo.jp/a/f9%E7%89%B9%E5%AE%9A%E9%A8%92%E5%8B%95
F9騒動
https://2ch.me/vikipedia/F9%E9%A8%92%E5%8B%95
騒動については上記のリンク先のwikiを見てください。ここでは割愛します。
さて、ここではその糞虫小僧とF9が同一人物だと判明したということです。
【速報】ふたば☆ちゃんねるで有名な荒らし「糞虫小僧」、2ch荒らしのF9こと鋼兵さんと同一人物だと判明!!
https://togetter.com/li/1223628
・糞虫小僧というふたば☆ちゃんねるで有名な荒らしがおり、10年以上荒らしていたとされる。ふたば☆ちゃんねるの荒らしは全て糞虫小僧一人だったと判明している。
↓
・F9という2ちゃんねるで有名な荒らしが鋼兵とバレ、住所までもが判明し、特定騒動となる。
↓
・2ちゃんねる上の有名な荒らし達が騒動後次々と姿を忽然と消し、同一人物だったという驚愕の事実が判明する。
↓
・糞虫小僧も同一人物を疑われる。(荒らしの手法や対立煽りから何から何までが似ていた為)
↓
・F9本人の自白で確定。
ふたば☆ちゃんねるの通称「糞虫小僧」の正体はF9ことホットラインセンターの私でした
http://blog.livedoor.jp/f9_5ch_net/archives/9291418.html
このF9という男、対立煽りでアフィブログにまとめたり、業者としてスレを荒らしたりという非常に最低な方法で金銭を得ていました。
鋼兵としてニコニコ動画上で歌い手活動もしておりましたが、徐々に対立煽り系の動画やジャンプスクリプトによる再生数工作といった方法まで使っていました。
これらが全て繋がった今、ネットの荒らしや対立煽り目的のクズは少数であると判明しました。
少数のクズによって壊滅させられたサイトやスレもあると思います。
先日内定をいただいた。生まれて初めて親の力を借りず自分だけの力で勝ち取った。
今までを思い返すと父親が自殺してから母は1人で何個も仕事を掛け持ちして祖父母に頭を下げて受験途中だった私立中学を卒業させてくれた。高校にも行かせてくれ、大学もこんな学部がいいよ、こんな学部もいいよと本当にたくさん手助けをしてくれながら受験させてくれた。
当のわたしは母親に甘えてばかり、たいした手伝いもせず今までのうのうと遊んで暮らしてきた自分が嫌になる。今からでは遅いかもしれない、でも母に楽をさせてあげたい、どうしたらうまく感謝が伝えられるのだろう。どうしたら恩返しができるのだろう。
彼は8割方人間が詰まった山手線車内でそう言った。夕焼けが眩しく、移動中のサラリーマンも、僕らみたいな学生も、各々が干渉を拒み本や耳奥の音楽に逃げていた時に呟いた。
彼が降りる新宿駅に着く一瞬前に。
僕が語彙力の無さからインターネットの隙間に放り込んでしまうように、山手線の端の車両のそのまた端で呟いた。
「……そりゃ…そうだよな」
やめとけ、とか、ウケる、とか、軽く受け流すことはできたはずだけど、僕は妙に感心した。共感した。そりゃそうなんだ。インターネットの一サービスが治安を守るためにルールをつくって罰を実行しても、なにも消されるわけじゃない。溜飲が下がるなんてことはありえない。僕たちは不器用で、真面目で、自分が憎らしいという当たり前の性質を持っている。時折手を伸ばした時にできるささくれに痛いと感じることも当たり前だ。
インターネットはつながるためにやっているわけじゃない。現実の自分を消すためにやっている。「死にたい」というのはちゃんと訳せば「幸せになりたいけどそれがかなわないから痛みもなくここから消えていなくなってしまいたい」であり決して「手首を切りたい」とか「葬式をしたい」ということじゃない。ただいなくなりたい。そのためにインターネットに別の人格を預けるのは緩慢に自殺するようなものなのだろうか。自分ではない、誰かがいるかいないかわからない場所で、めっぽう暗く、簡素な言葉を落としたい。ただそれだけだった。
「Twitterに『殺す』と書いて凍結されたけど心は未だ凍結されない」
そう言った彼は、山手線からつまみ出されるのだろうか。耳に届きギョッとした顔を見せた数人は彼を異常者だと思っているのだろうか。
僕は彼を諌めもせず、電車に載ったままで行き先を少し過ぎるまでボーッと、新幹線の事件の情報をスマホで見ていた。
彼は夕焼けの色をする、もっと人間が詰まった中央線に予定通り乗り換えるだろう。そして明日も予定通り学校に来る。カバンに何が入っているか僕は知らない。