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はてなキーワード: 自己批判とは

2023-12-07

千田先生キズナアイにゴメンナサイしないといけないよね

ADOKAWAジェンダー本の刊行中止「抗議して委縮させるのは卑怯」 武蔵大の千田有紀教授 産経ニュース.html

https://www.sankei.com/article/20231206-3KFCAMLHYJGPZLDG4UDXYPYAHM/

学者先生が『女性差別的なステレオタイプ再生産している』的な批判してて炎上しそうだからVチューバ―使うの止めとこ」

ってクライアントが委縮して流れたVチューバ―の企画もあったかもしれない。

まずは自己批判から始めてほしい。

2023-12-06

近藤誠日本国に学ぶキャンセルカルチャー批判:「SNSで伝染する性転換ブーム悲劇」は実在する

追記 (10:05)

明らかに長く書きすぎているので短縮版をまとめておきます

トランスジェンダーの命を守るためと称して、トランスヘイターには対話の場を与えない、主張の発表の場も与えないという戦略を、学者活動家たちが実践している。

今回のKADOKAWA刊行停止はその1つの実例である

しかしこれは30年前の近藤誠トンデモ本」に対して日本医学界が実践したことと同形であり、この前世紀に起きた「キャンセル」は、蓋を開けてみればむしろ失われる命や尊厳が増えたという悲劇に終わった。

キャンセルの力は「対話を重んずる側」に向かっており、患者を守ると称して守られたのは、「正しさ」をパターナリスティック押し付け権威メンツだけだった。

そもそもトンデモ本」が、日本屈指の高リテラシーである編集者たちの会議を通り出版されようとするのは、学術界の市民に対するコミュニケーション課題があることを示唆しており、

今回も、刊行停止本が問題提起した「勘違いトランス」は、多く実在し苦しんでいるのにも関わらず、社会運動上都合が悪いために目が背けられているという実情があるではないか

我々が見習うべき模範例として、『もう一つ上の日本史 『日本国紀』読書ノート』という、ただの揚げ足取り本にとどまらない優れた通史が出版される結末に終わった、『日本国記』騒動提示する。

本文

学芸ノンフィクション編集部よりお詫びとお知らせ | KADOKAWA

[B! 出版] 学芸ノンフィクション編集部よりお詫びとお知らせ | KADOKAWA

2023年12月5日KADOKAWA来年1月24日の発売を予定していた書籍『あの子トランスジェンダーになった SNSで伝染する性転換ブーム悲劇』の刊行中止を発表した。

ブコメもこの決定を「トンデモヘイト本出版されるべきでない」と概ね支持しているようだ。

しかし、これは表現の自由侵害するキャンセルカルチャーであるばかりか、現実存在する問題から目を背けるという極めて問題のある対応だと私は批判する。

トランス弁護士南和之の証言性同一性障害特例法の法律相談で多いのは、戸籍女性に戻したい「勘違いトランス男性」」

KADOKAWAトランスヘイト本宣伝」の数週間前、インターネットTV・アベマプライムが「トランスヘイト番組作成したとのことで物議を醸したことがあった。

【風呂トイレ】性の多様性と女性スペースどうなる?不安の解消は?女装男の暴走は?トランス女性の生きづらさとは?|アベプラ

しかしここで取り上げたいのは「トランスヘイト」側の女性たちの声ではなく、彼女らに反論する役割として招かれた、性同一性障害特例法訴訟代理人南和弁護士発言である

上の動画へのリンクは、南和弁護士発言から始めているので「トランスヘイト」な声が怖いという方もご心配なく再生してほしい。書き起こしは以下の通り。

性同一性障害特例法で私は多くの案件もやってますけれども、女性の体を持って生まれた人が男性法律上の取り扱いになりたいというケースの方が私の体感としては圧倒的に多く感じますし、

たこ法律で取り扱いを変えたんだけれども、やっぱり戻したい・間違いでしたっていう方の相談比較的多くて、

それもやはり生まれた時の体は女性だけれども、女性であることのしんどさから私は自分性同一性障害だと私を勘違いした、だから男性って戸籍を変えたけどそれは全然違うかったというわけなんで、

そういった事例も見るとですね、結局女性社会いかに大変かっていうことの合わせ鏡のようではあるんです

まり『あの子トランスジェンダーになった』が問題提起する、「勘違いトランス」は明らかに実在し、そしてそれも全く珍しくないことを、実務家として現実を最もよく知る弁護士が認めているわけである

南和弁護士言及する「女性」に戻りたい彼女らは、一度、女性から男性に一度戸籍を変更しているわけであるから、もちろんただの「自称男」だったわけない。

性同一性障害診療ガイドラインに基づき、2名以上の専門医が「彼は出生時女性に割り当てられた男性なのだ」との診断で一致したはずである

ホルモン治療継続して受け続け、乳房生殖器への手術も行ったのだ。

そこまでしても「誤診」は、「比較的多く」生まれしまうのである

なお、このような「活動家には都合の悪い事実」が、迂闊にも「トランスヘイト番組」で発言されるという珍事が生じたのは

南和弁護士は、活動家である以前に実務家であるという点が強く影響していると思われる。

そもそも純粋活動家トランスヘイター対話を行ったりしない。これを、「ノーディベート・ノープラットフォーミング」戦略という。

この手の内を実践者として明らかにしたものとして、清水晶子東京大学教授2022年8月講演「キャンセルカルチャー学問の自由」が広く知られている。

文字起こし全文は、anond:20220805225632 などにあるが、要点を引用すると

トランスフォビアや反トランス発言を、

ハッピーダイバーシティ食卓自由に表明してよいような、ただのありふれた観点として扱うことはできない。

食卓を囲んでいる誰かが、別の誰かを抹消すべきだと、意図的あるいは事実上主張しているときに、そこに対話など存在しようがない。

あなたを会話から抹消したがっている誰かと「討議あるいは対話」をするとしたら、

「討議や対話」はそれ自体が抹消のテクニックになる。

特定の討議や対話を拒絶することこそが、したがって、生き延びる鍵となる戦略になりうるのである

トランス問題に関するSNSの動きを見ていると、このような思想に殉ずる活動家学者と、現実問題に向き合う弁護士らは、かなり質的に異なる主張をしていることがわかる。

トランスヘイターとは議論しない」と強く対決を訴えるMtF弁護士仲岡しゅんですら、「活動家には「TERFと同じことを主張している」と見做され、私は嫌われている」と漏らすほどである

トンデモ本なのか?トンデモ本出版停止にされるべきなのか?

そうはいっても、「作者の Abigail Shrier はイスラエル信者極右だ!」とか「学術的に徹底的に否定されている!」とまで言われている本だ。

「偶然、問題提起の部分だけあってるだけだ。トンデモ本を元に現実問題議論してはだめだ」との声もあるだろう。

しかし、仮にそれを信用し前提とするとしても、出版停止に追い込むほどの本なのか?

キャンセル問題を最も鋭く突いていると私の考える、「橙⚡️@_0ranssi_」氏のツイートを紹介する。

500000000回言ってるけど、ストレートに人を殺す代替医療本が出版できるのに、たかたがアメリカ有本香お気持ち本が出せないの本当におかしいだろ。底が抜けた感ある。

そりゃあこの本はほとんどが客観情報でなく当事者家族インタビューというストーリーと少しの学術論文(大部分はすでに撤回された論文)に依拠しているけど、ジェンダー界隈で出る本としては特段エビデンスレベルで大きく劣るようなもんではないだろ。出してから批判するのではなぜいかんのだ

https://twitter.com/_0ranssi_/status/1732000851848466644

一方、この論法には以下のような反論も考えられるであろう。

「いやもちろんトランス当事者の命を奪うトランスヘイト本と同様に、「ストレートに人を殺す代替医療本」もキャンセルされるべきだ。あなたが声を挙げるなら協力しよう」

私の反論はこうである

「命を救うためトンデモ医療本は昔キャンセルしたんですけど、むしろ命奪われる人が増える結果に終わったんですよ。本を焼くものは人も焼くって詭弁に見えてある種の真理を突いてます、たとえトンデモ本でも対話を重んじましょう」

我々は「近藤誠からキャンセルカルチャーへの教訓を学ばなければならない。

日本キャンセルカルチャー被害者としての近藤誠医師

現在近藤誠は、「いったいどれほどの人が彼のトンデモ医療で亡くなっただろう!」と最も強い言葉非難されるアンチ医療代表者であるが、彼は出版活動を始めた80年代のその当初からトンデモ」であった。

当時の近藤誠は、誰よりも患者との対話を重んじた(患者主治医の正しい治療をそのまま受け入れろよトンデモ医師め!)。

乳がんに対しては乳房温存する治療法を提案した(乳房全摘すれば安全じゃないか患者を殺したいのかトンデモ医師め!!)。

そして、治療法の選択については統計データを誰よりも活用した(統計個人集団は違う当てにならないよトンデモ医師!!!)。

もちろん読めば分かることであろうが、近藤誠の主張は現代観点からすれば全くの正論である。ただ、当時の日本医療水準からすると悲しいことに「先進すぎてトンデモ」だったのだ。

そのため、近藤誠医師は当時の医学界でハブられ、バカにされ、酷いパワハラに受け、出世の見込みのない窓際に追い込まれたとされている。今で言う「キャンセル」だ。

キャンセルカルチャーの標的とされるのはいつも対話を重んじる側だ。権威は、パターナリスティックに「正しい」結論のみを、「命を救うため」として押し付ける。

これは現代の「ノーディベート」「ノープラットフォーミング」を唱えるジェンダー学者に通ずるものである

その後長い時が過ぎ、医学界においてインフォームドコンセント乳房温存療法・EBMはどれも標準治療となったが、その普及に近藤誠寄与は大きくないものとされている。権威トンデモ認定した近藤誠の話など誰も聞き入れはしなかったからだ。

そして、前時代の「ノーディベート・ノープラットフォーミング」の末に、近藤誠医師はどこかでぽっつりと心が折れ、真のアンチ医療トンデモ医師に変わった。

当時の医師たちは、近藤誠キャンセルしなければ、多くの命が失われると見做したのかもしれない。

しかし当時の医師たちが、「自分たちの医療は誤っているかもしれない」と自己批判する度量を持ち、近藤誠医師対話を行っていれば

近藤誠医師の唱えていた先進医療が早期に導入されただろう、不必要乳房を失い尊厳を傷つけられた患者も減っていただろう、そして後の「トンデモ医師」の誕生が防がれていただろう。

当時の医学界の行ったキャンセルは、救命真逆、命を奪う結果に繋がっていたのであった。

感染症権威として知られる神戸大学医学教授岩田健太郎近藤誠氏との対峙の仕方 として、こうまとめる。

からぼくは近藤氏の本(ワクチンに関する新刊)を真摯に読んだ。そしてまじめに反論するのである。もちろん、再反論の機会は十全に保全して、である

もはや真のトンデモに堕ちた風に見えても対話は続けなければならない。

そうでないと、命を奪う結果に終わった過去キャンセルから、我々は何の教訓も学ばなかったことになるし、

そもそも大手出版社の編集部という日本屈指のハイリテラシー層の編集会議を通るという時点で、「真のトンデモ本」であっても現在学術コミュニケーション課題を示しているのだ。

キャンセルしたところで何も問題解決しない。膨れ上がってより酷い制御できないかたちで爆発するだけである

「命を救う」と称する権威は、トンデモキャンセルが「命を奪う」形に繋がったことが明白になっても誰も責任をとらない。むしろ責任回避のために引退まで自己正当化を続けるので、被害者は膨れ上がり続けるだろう。

百田尚樹日本国紀』騒動に見る真のリベラル勝利とは

私は「実はトランスジェンダーでなかった」問題はそれ自体で1つの本として取り上げられるべき大きな問題ではないか、と考える。

今は「トランスジェンダーヘイトによって自殺する」「ヘイト本は燃やさないと命が失われる」という意見権威だったとして、未来はわからない。

近藤誠キャンセル事例を思えば、「あの本を契機に議論を深めれば……、不要トランス診断・治療を行ったせいで自殺に繋がった事例が減らせたかもしれないのに」となる可能性は相当有りうるのだ。


先に引用した橙⚡️@_0ranssi_氏のツイートでは『あの子トランスジェンダーになった』の作者を「アメリカ有本香」と例えている。

これは、百田尚樹日本国紀』を意識した発言ではないかと思う。有本香編集に深く関わった『日本国紀』は多くの間違い・デマが含まれている歴史修正主義者本だと、左派リベラルから強く非難された。

先程、「真のトンデモ本出版であっても、学術界のコミュニケーション課題を示していると述べた。

日本国紀』ベストセラーという結果にもそれが当てはまる。日本の歴史を統一的に通史として理解したいという読者の需要に、学術界が十分に答えられていなかったのだ。

その学術的により正統な答えとして1つの日本国紀」の批判本、浮世博史『もう一つ上の日本史 『日本国紀』読書ノート』という成果物が生まれている。

この本は、日本国紀批判本でありながら、1つの通史としても読むことのできるよう書かれた名著である

私はこれを『日本国紀』を出版停止にできなかったリベラルの敗北ではなく、成功として見る。

本は燃やすのではなく、批判本によって答えるべきなのである

余談

左派の中で「右派歴史修正主義者たちはこんな愚かなことを言っているwww」といった言説が出回ることがある。

これには私の経験上注意が必要だ。一度LITERAのある記事を読んで元ネタ確認したところ、「LITERA右派歴史修正主義者のやってること以上にひでぇ曲解してるじゃねーか」と感じられたことがある。

実際、敵対する右派からといってそれほど愚かではないし、彼らなりのロジックはあるのだ。迂闊な左派活動家安易に断言してしまうような根拠微妙なところを突いてくることだってある。

もちろん、まともな歴史学者ジャーナリストは、この右派論理を把握した上で、そのような主張は受け入れられないし歴史修正主義だと適切に反論している。

しかし結局より拡散されるのは「右派歴史修正主義者未満」の雑々批判の方であることがあるのである

世の中にトンデモ本は多く、すべてを自分で読んで批判することは困難ではある。

しかし、「アレはトンデモ本だ!」という指摘を読んで、SNS拡散する前に、

その発信が、「読んから批判する」という基礎ができるという人たちなのか、見せかけに身を包んだ扇動家なのか、まず注意深く見定める必要があるのではないか

なおさらに余談であるが、「右派とも歴史問題対話余地があるはずだ」と唱えた代表論客に、日本キャンセルカルチャーの極地ともいえる共産党で「党首公選」求め除名処分を受けた松竹伸幸その人がいる。

2023-12-02

グリッドマンユニバースアマプラで☆5とかアホ抜かしてるから見てやることにした

いやこれは面白いわ。

俺の個人評価だとグリッドマンは☆3.5(ラストトリックが「で?」にしかならんかったので)、ダイゼノンは☆3なんだけどこの映画なら☆4出していいな。

まあ正直、最近見たゴジマイのガッカリ部分との対比でめっちゃよく見えてるだけかも。

適切なテンポで入る戦闘シーン、物語全体に存在する一貫性過去作に対しての理解度、そういった基本的な「ここちゃんとやってくれないとやっぱマイナス評価なんすよね~~」が入り込む余地バリバリだったゴジマイに対してこっちはそういうの全部埋めてある。

序盤のうちに自己批判して「グリッドマン怪獣?そんなことあるわけないやろ?なっとるやろがい!」とか「ダイゼノンって要するに「ミイラが蘇って恋人が出来ましたってことね」いやいやそうだけど」とか言ったりしてたのが着地点に対しての情報共有として上手く成功してたな。

まあ全編通してこれやっておけば受けるやろの集合体みたいな所あるんだけど、娯楽映画でそれ以外のことやる必要ってないんですよね良く考えてみたら。

時間しかないんだから客に受けることだけしかやる時間なんてないんだよな本来

でもこれ1クール作品2本見てないと何がどう起きてるのか分からねえ感じはあるな。

グリッドマンダイゼノングリッドマン差し戻ししてることでエモくなってるシーンが結構いからなあ。

まあでもそれでいいんだよな。

ぶっちゃけこれ見るのってダイゼノンまで全部見たやつだけだろ。

まりこの映画ってファンしか見てないアイドルコンサート動画みたいなもんか。

あれも☆5多いジャンルだしなあ。

アマプラの点数ってガチで「特定の母数の中での平均点」なんだなあ。

まあでもそれで点数高いってことは「どういう客が見に来るかを考えてそれに合わせて作った」ということだよな。

それって凄い立派なことだよ。

可処分時間を奪い合う現代においてとにかく誰でも良いか顧客にしちまえが横行する中そもそもの敷居を高くしてそれに応えるってのはフェアだねえ。

ゴジマイもシンゴジも「ゴジラを見に来た人」「庵野を見に来た人」「ALLWAYSを見に来た人」をごった混ぜにしてたのアカンのやろなあ。

まあそもそもの話として座組みの仕方が客の数を増やすためになんでもごった煮抱き合わせにしてたのが客に対して不誠実な態度だった感じよなあ。

有名アイドル使ってることを客寄せに使って演技後回しにしてる映画みたいなことしてる時点でゴジマイはアカンかったんやなあ。

最初からダメだった映画の割には頑張ってた方なんだろうなアレは。

いい作品ダメ作品を許せる気持ちを見てる人間に与えるなあ。

2023-11-04

自己批判したのによちよちしてもらえないなんて!って憤ってるブクマカがおるけど

反省が足りるまで小突き回されるのぐらい覚悟しろ

2023-11-01

anond:20231101125813

恥ずかしい幼稚な人間日本男にはこうも沢山いることに驚き

やっぱり高齢中高年男性なの?

日本高齢中高年男性人類の中でも人間性が低くてワーストクラスゴミって聞いたけど

日本が没落したのも納得だね

無知自己批判ができるようになるといいね

anond:20231101112206

実際に海外に住んでるとヤリモクちやほやというのは女性蔑視で当たり前に嫌われる行為というのが常識なので、そこで勘違いしてる女は少ない印象

しろAV萌えアニメのせいでYameteとか日本女についたエロイメージにブチギレてる女が多いですね


しろ無知なおじさんとか変なバックパッカーとかが、とりあえず日本好きですとか日本食べ物美味しいとか日本に行きたいとか適当社交辞令お世辞を言われて「世界中から日本は愛されてる!」とすぐ勘違いしてる印象

都合よくミソジニーちゃう前に自己批判できるようになった方がいいですよ

2023-10-22

BUNKAタブーなんで今さら反暇空に鞍替えしてんの?

https://www.youtube.com/watch?v=2CqnaONH9J0&t=2580s

暇空のこのライブ動画発言に対して

https://imgur.com/HQuKcBp.jpeg

実話BUNKAタブー編集部@BUNKA_taboo

漫画とかアニメとかの創作物で「救われた」とか言ってる人たち、それらに触れただけで救われたんなら、大してどん底だったわけじゃなく、絶対ぬるま湯生活を送ってましたよね

実話BUNKAタブー編集部アカウントがこんな腐しをしていた

あのさ、みんな忘れてるか忘れたフリしてるんだと思うけど、

BUNKAタブーって以前、暇空本人に執筆依頼してまでcolaboを攻撃する記事載せてたよな。

なんで今さら編集部ごと暇空サイド弾劾する流れにシレっと変えてんだよ

手下のロマン優光にこんな事まで言わせてるし

暇空氏に便乗して無分別デマをばらまいたり、誹謗中傷をおこないにっちもさっちもならないとこまできてしまたこういった人たちは愚かだが、ある意味正直者だともいえる。

自分ではそういった発言をしないが、お気に入りRTアンチフェミニズム的なものでいっぱいな人。海乱鬼はRTしないが、もへもへはRTする人。 そういうタイプの人(高学歴高収入、家庭にも恵まれているような人もいる)が、初期に暇空氏をRTしながらも自分では発言はせず、便乗組が暴走したりして雲行きが怪しくなると、まるで最初から関係がなかったかのようにサッと立ち去るという見事な立ち振舞いをしていたわけで、ある部分では今回Colaboと和解したような人たちよりもタチが悪いと私は思っている。


もう一度言うけどBUNKAタブーは 暇 空 茜 に 記 事 書 か せ て ま し た よ ね ?

暇  空  茜  に  c  o  l  a  b  o  バ  ッ  シ  ン  グ  記  事

書   か   せ   て   掲   載   し   て   ま   し   た   よ   ね   ?   ?   ?

何   無   か   っ   た   こ   と   に   し   よ   う   と   し   て   る   ん   で   す か   ?   ?   ?   ?


「BUNKAタブーはそういうゲススタンス雑誌から、わかってやってるからw」「怒る方がバカww」って擁護にならない擁護沸いてきそうだから言うけどな

何事にも  限  度  つーもんがあると思うんだよ。

食い物やら流行りもんやらでそういうゲス記事やんのは別にいいけどさ、社会派ジャーナリズム気取ってそういう事をやられるのは幾らなんでも限度を超えてんだろ

はっきりと害悪だよ

テレビ局が今ジャニーズ忖度自己批判しているように

BUNKAタブーのみなさんも暇空に忖度してた事を自己批判なさったらいかがですか

ねえ?編集長保坂健太さん?

追記

https://anond.hatelabo.jp/20231022080329

BUKKAタブーに正しい倫理観を求めてる奴初めてみたわ 金払ってみるチラシの裏だぞ

から限度があるだろって話だろ

「BUNKAタブーはこういう雑誌なのでw」って開き直ってれば何したって許されるの?BUNKAタブーなら人殺しても許されるの?

関係ないですけどあのバッキー事件実行犯の一人がBUNKAタブー出版してるコアマガジン編集者だったって事ありましたよね。

https://seesaawiki.jp/w/kobalos/d/%A5%D0%A5%C3%A5%AD%A1%BC%A5%E1%A5%F3%A5%D0%A1%BC

2023-10-17

立命館大学学友会」という特異的組織

立命館大学学友会は日本最大の学生自治組織である。というよりも、勝手日本最大になった。

早稲田大学自治放棄し、日本大学にはそもそも自治組織存在しなかった。

私は学友会が進んでいるとさえ思っていた。他の大学が諦めたことを立命館不断努力によって続けてきたのだ。最近になって自己批判に晒されている。それがまやかしなのかという疑問が沸々と湧いてきて、組織として上手に隠して運営されていると結論に至る。

学友会と関わりが深かった先輩の言葉を思い出した。「学友会とは時代遅れ組織である」と。


なぜ多くの大学学生自治放棄たか自明の理である。それが生徒会堕落してしまたからだ。

http://www.asaho.com/jpn/bkno/2014/0331.html雑談(105)今時の学生たち(2)――大学生徒会?,2014年3月31日

この文献が端的でわかりやすい。大学学位取得を目指す人間学生なのである。決して生徒ではない。自らの力で、学生地位向上のために動く組織自治組織たりえるのだ。生徒会とは、学校小間使いしかない。近年、多くの大学生徒会になった。私は単にナショナリズムの欠如だと思っている。大学に不満を抱いても、インターネットでそれを補完できてしまう。大学側も少子化によって学生選抜するのではなく、お客さんとしてきてもらうためにサービスを拡充させて学生数の維持及び向上を目指している。今の学生学生全員が一致団結して争議できる議題は何もない。かくいう立命館大学学友会も前年度、これまで一致団結のスローガンとしてきた学費争議からリタイアした。値上げ反対の姿勢を崩し、学費増額を致し方ないとした上で「未来に向けた議論をしたい」と言い切った。最後まで学費増額に反対する立場を取り続けたのは教職員組合だった。

いまの立命館大学学友会を学生組織として機能させているのは、会費の代理徴収制度である大学学費と同時に自治会費を徴収し、学生のみで扱える金銭自治会に差分するものだ。他の大学権限放棄させられた。学生責任を握らせることはできないと。立命館大学学友会は、代理徴収権限をひたすらに守った。代理徴収がなくなれば学生学生自治する、学生自治で無くなるために、必死制度を守った。その頃はまだ学費増額への提議、反対勢力の一翼を担う力があった。だが、大学の融和政策に堕ちた。学費増額への反対は、もはやハリボテだったか理念を変えた。その先は学園共創という大学に都合の良い存在しかなりえない未来である

いまの立命館大学学友会は、大学の犬なのだ

学園祭新歓行事スポーツなども含む課外活動学生間の互助活動大学との学園共創活動財政の公開、それら役員選挙

その全てを、

無給で、

学生自治組織であると本気で信じて、

取り組んでいる。

ここまで読めばなぜ解散しないんだという思考がよぎるだろう。

から先輩は、この結論に辿り着いた。

「学友会は時代遅れ組織である」と。

学生自治なんてものは、もはや存在しないのだ。

2023-09-28

anond:20230927112031

自分は、己の中に存在する男性という本能自己批判できる人間だ、というオナニーが大好きなんだと思う。

そういう人たちは、「大半の男は」とか、反省して男という性を超越した自分以外の男を批判しようとし、

それを誰かに認めてほしいか女性にすり寄る。そこには女性に対する慈しみはない。

まり自分快楽のためにフェミニズムを消費する変態しかない。

2023-09-27

anond:20230927140527

日本男性学は、学問としての水準はともかく、道徳的にはかなり優れた学問だと思う。

たまに、それでもフェミニズム研究者から自己批判が足りていないと指摘されることもあるけど、女性無謬性をベースにした上で男性性を議論するところは信頼できる。

2023-09-06

今求められる社会学

またまた起こった社会学(者)への強い批判

まぁ定期と言っていいだろう。

https://b.hatena.ne.jp/entry/s/togetter.com/li/2218700

社会学バッシング社会学により社会の真理が暴露されることが気に入らない勢力によるもの

https://b.hatena.ne.jp/entry/s/togetter.com/li/2218032

社会学上野千鶴子学問中立性や客観性否定していた。「不利なエビデンスは隠す」だけでなく、覆面査読拒否、「学問中立性や客観性抵抗勢力」と主張。

https://b.hatena.ne.jp/entry/s/togetter.com/li/2217225

宮台真司がどうとかよりも「社会学者憎し」がこれ程潜在的にある・あった事に大変驚く。みんな社会学の事が本当に分かってないか、初めから価値と決め込んでるんだな。社会学価値を認めないということはそもそも社会」に価値を認めないということなんだろうな。

https://b.hatena.ne.jp/entry/s/togetter.com/li/2216185

社会学者の宮台真司、処理水放出反対派の出鱈目解説を「すばらしい。本質抽象的に概念化」と絶賛、さらに誤りの指摘を罵倒

この手の議論となったとき、多くの場合社会学(者)不要論から文系不要論に進んでしまい、非常に迷惑している。

いつも、特徴として、

○間違った知識で専門外のことを決めつける。

サイエンス手続きを軽視する。

○間違いが指摘されても認めない。

社会大衆)が間違っていると根拠なく主張する。

といったところが見て取れる。

ただ、仮にも学者を名乗っているのであれば、ここで社会学(者)に求められるのは、「ワタシ悪くないもん!」と主張するのではなく、以下のようなことではないだろうか。

社会学第三者から激しい批判を浴びる原因の科学分析

もちろん、これは「社会学社会の真理を解き明かすから」などのお気持ち表明ではなく仮説を立てて実証する。集団(群集)心理研究なんかは正に社会学テーマと言えるでしょう。

というか今回の宮台先生だって、処理水の安全性ではなく、何故不安に思う人々がいるのか科学的に分析していたなら正に社会学者の仕事と言えたのにね。

サイエンス手続を軽視する学者が多いことの研究

「不利なエビデンスは隠す」と公言するほか、査読への拒否感など手続きを軽視する姿勢が甚だしい。そういった者が主流となり、同業他者からほとんど批判もされない理由分析必要です。これも正に社会学研究テーマと言えるでしょう。

というか、いつも「○○の社会学」って他の分野に切り込んで課題クリエイターとなるくらいなら、まず「社会学者の社会学」をやったらどうですか?

まぁ、他の多くの文系分野同様(経済学法学の一部(商法など)を除く)に左派色が非常に強い(というか形だけでも左派理解を示さないと出世できない)中で、出世に重きを起きすぎたせいでこうなったのかなぁ、という漠然とした印象はありますけどね。

こういったところまで視野を広げてアカデミズム社会学をやろうとすると放逐されるんですよね、知ってます

これをすると講座制から脈々と続く、後任は前任が事実上指名する体制崩壊するからね、仕方ないね

(ちなみに、「保守派学問を軽視する」という研究は認められますが、「リベラル派は~」となるとかなりオブラートに包まないと無理です。実例あり)

追記

的はずれなブコメがあったので。

アカデミズムから放逐」(笑)ブルデューも知らんの?https://tinyurl.com/yfdnu3ah幼稚な学問イメージで一つの学を全否定できると考えるバカ戯言社会学人文学がこの手のバカに敵視されることがその必要性の証明

ブルデューのは「社会学社会学」だよね。

ここで提示したのは社会学社会学ね。違いが分からいかな?

からないなら分かるように書けなかったのが悪かったね、ごめんね。

社会学という学問への自己批判だけでなく(これは社会学社会学)、何故このような人たちが出世してしまったのかの分析必要ってことね

2023-08-25

https://anond.hatelabo.jp/20230824235929

なんとかい左翼報道カメラマン大御所みたいなやつが最近レイプ常習バレたり

学生運動過激派の中でも女はモノ扱いされてきた、自称リベラルこそ空気みたいにアナクロマッチョイズムを身体化してる問題は散発的にはずっと告発されてきた。

まあ外部から見ればそりゃそうだろうねという話なんだけど。世直しヒーローのつもりの思い上がった独善家なんだから組織の下っ端の女なんか当然備品扱いするわな。

左翼性奴隷奴隷うっせえのも己の投影だったりするわけよ。

で、当の左翼ジジイ自己批判するわけないのも当然として、上のチズコみたいな左翼フェミ勢が党派性からそこは見て見ぬふりしてきた歴史はもう今更言い訳しようがない

2023-08-22

anond:20230822115542

その時点以降、自己特定評価をつけ続けるという境界線が「釣りレッテル貼りなんじゃない?

そうではない情報場合、その次の時点以降から自己評価他者評価を取り入れたり組み合わせたりして派生をさせたり再評価したりするんだと思うよ

評価の最終点としての「俺は降りる」を「それはお前が乗るの値しないからだ」という意を込めて自身ポジションあくまでその文脈にのせたまま表すことじゃないかと俺はおもうよ

自分に合っていない話だと、自分が思ったからつける評価

自分に合っていなければその話題接触しないようにすればいいだけ

③なのにわざわざ自分から接触しにいって接触した理由特定評価をつけるためだけ

自分がその情報において表現したい(したということを認知され好適な評価をされたい)ためにそうでないもの批判するために情報に触れる

たとえば、石を投げるという行為について

・石をなげられる原因

・原因があったとして石をなげつけるという行為

・その行為自体を知って見に行くもの

・その行為自体を知って止めようとするもの

・止めよと言っているが止められていない状況について

・石をなげられているものと見に行くもの・止めようとするもの関係性について

・それらの関係性についての評価

関係性の評価価値基準と別問題比較

・別問題比較する意義についての意味づけ

みたいな行動をとる人間がそれぞれいるとして、その規範行為確認した段階で「その行動は一貫性がなく自己批判をしないのか」と関係ない話題に方向転換された場合

それ以降の継続不可を示す自分説明より「相手が”釣り”だったから」として「関係ない話題への方向転換」を批判することが「釣り評価をしてそれを発信することじゃないか

びっくり系やどっきり系のものみたいに、自分話題の方向転換をしたら全体を制御できているような万能感を感じようとする行為に対し、それを仕掛けた側への不満を表明しての離脱離脱する意思を繰り返すことでその回数や範囲に対し自分の救済としてる)かなと思うのでどっちにしても相手調子づかせて、それに呼応するように自己肯定をかけると終わりがなさそう

そういう意味でいえば、記事に対してブコメ批判と賛成と少なからずその他の言及があったとして「結局ブコメたちは」と記事に対してでもそれに対する自分意見でもなく、全然関係ない他人について自己評価をし始める謎のスタンス俯瞰した自分自己肯定しようとしてるものに似てるって気がするね

まあようするに「俺がそう思ったから」だよ

anond:20230821202633

経験の有無や交際経験豊富さで男性評価するの、まんま男性ホモソーシャルに乗っかってる価値観なんだよね

ホモソーシャルや家父長制を批判している癖に自己批判は一切行わないからこういう矛盾に一切気づかないしモンスターが生まれるんだよね

2023-08-14

可哀想ランキングってそんなに悪いことですか?

大衆が哀れみ慈悲をかける対象立場の弱い人間に限られる。

この同情の優先順位可哀想ランキングというらしい。

造語を広めた人間は更に社会的救済の批判としての意味も込めたみたいだが、有名無実化してる。


まぁ誰にでもある観念だなぁと思った。だから自己批判的に使われるのだろう。

でも僕は批判しようとすら思わない。

社会的弱者強者ステレオタイプは頭の中に嫌でも浮かぶし、

その中での優遇、苦労の度合いによる人助けの指標みたいのもある。

例えば、弱者強者で結ばれた数直線があって、僕が手を差し伸べる人間を探すとしたら

弱者の方から探すに決まってる。

それは当たり前すぎて言葉にするのも難しいくらいの倫理的常識で、

弱い人間ほど助けを求めてるに決まってるって経験に基づく相関でしかない。


使い所の是非はあれ、そのプロセス批判しようがないはずだ。

もちろん、その数直線の並びは人によって変わるから

強者位置に僕が言う弱者がいるのもあり得る、

でもそれだっておんなじことだろう。

救済のリソースが限られてるなら、平等なんてのは無理だ。

この個々の可哀想ランキング社会的指標になってるのも仕方がないと感じる。それが民意から

2023-08-10

anond:20230810114856

フェミお気持ちに任せて意味不明の長文を書く傾向にあるのでAIに要約させた。リンク元も読ませてある。

ミソジニー連呼する高齢オタクエビデンスのかけらもない独りよがり論理だということがわかると思う。AIはこう指摘する。

AIのほうが説得力あるね。

2023-07-26

共同親権推進派の界隈、色々すごい

しばらく共同親権界隈の出来事を見守っていて、いやはやこれはすごいことになってるわと思った。たぶんこういう世界に関わり合いのない人達からすると、目も眩むようなような世界が広がっている。

共同親権絡みの話題って、ネットで目にするものだけ追ってると、「別居親(特に父親側)みんなが共同親権求めてる」みたいな印象持っちゃうけど、そもそも別居親みんなが共同親権くれくれ派ではないのよね。

現時点で別居親の境遇にあって、子どもとの面会交流の機会が充分に持てないなかで、「子との面会交流の機会を持ちたい」って希望をかなえるために頑張ってる人達がいる。そゆ人達は、別居に到った理由(たとえば自分のモラ傾向とか)を反省しつつ、同じ境遇の別居親アカウント情報交換したり慰め合ったり愚痴を言い合ったりしつつ、一生懸命に元妻や元子どもに誠意をアピールし、時には「全面屈服」みたいな自虐的表現も交えつつ、うまくいった人は徐々に面会交流の回数や時間を増やしたりもしてる。中には「元家族から『よりを戻そう』という申し出を受ける」という幸福な段階に至れた人もいる。つまり子どもに会う機会が欲しい」という自分目的がわかってて、そのためにやれることを地道にやってるクラスタ。このあたりは、AAとかの依存症自助団体に似た雰囲気もある。自分を見つめ直し、自己問題を受け入れましょう、そこからスタートです、的な(実際、そういう当事者団体もある)。こういう人達はおおむね自己葛藤を繰り返しつつ目的のために誠実に実績を積み上げてる。目的手段合致してるといってもいい。彼らの多くは共同親権制度化についても賛同はしてるけど、そこに望みを託してるわけじゃないし、「共同親権界隈の運動」のことは醒めた目で見てる。

そのネットの「共同親権推進派」のほうは、「そもそもそういうことができない別居親たち」の吹きだまりになってる。別居親当事者がこの界隈を指してしばしば使う言葉に「他責思考」ってのがあるんだけど、ほんとその通りで、とにかく全般的論調がめちゃめちゃ他責的。今の自分が別居親という境遇にあるのは、妻が悪いからだ、あるいは義実家が悪いからだ、人権派弁護士が悪いからだ、家裁が悪いからだ…と、とにかく理不尽不条理な「敵」の悪意や攻撃被害者として自分をとらえてる。

んで、自分をそのような境遇に陥れた元配偶者やそれを支援する人達を、連れ去り事案だ、実子誘拐だ、片親疎外だ、児童虐待だ、洗脳だ、国際的スタンダードに則してないと罵倒し、同じような考えの別居親当事者とつるんで怪気炎を上げる。自分家族とは無関係な、共同親権に対して慎重な弁護士たちの懲戒請求をする。面会交流支援施設での写真ネット晒してその仕組みの不当性を訴える。いつできるかもわからず、自分がその恩恵を受けられるかもわからん法律の成立のために、ネット上で支離滅裂な「運動」するよりも、今すぐに取り組めて実効性もある「もっと子どもと会うためにやれること」はいっぱいあるはずなのに、それはやらない。

さらに怖いのが、その「俺は一切悪くない」の人達の中に、「ちょっと手を上げられた程度で」「一度『出て行け』と言ったくらいで」とか普通にTwitterに書いちゃうやつが一定数いること。自分自身がDVをやったり追い出しをかけたり(どっちも法定離婚事由の「悪意の遺棄」にあたる)した有責配偶者であることを認めてるのに、でも「俺は悪くない」という認知ツイートで「虚偽DV」みたいな言葉を振りかざす人達も、そのことは咎めない。そんな雰囲気から、今回のハッシーの件も、共同親権界隈にはハッシーの行動を擁護する声も多い。自分自身が「出ていけ」と言い放った妻子に対して、言われたとおりに出て行った後で「連れ去りだ」と激怒する支離滅裂メンタリティが、問題視されずに「そうだそうだ」と受け入れられている。クワ持って殺人未遂事件を起こしたやつは悪くない、悪いのは実子誘拐をしたヨメや片親親権という悪法だ、ということになってしまう。

こういうタイプの人は、仮に一念発起して家裁の面会交流調停弁護士に依頼しても、途中で辞任されるケースが多いらしい。なんせ弁護士アドバイスをまともに聞かない。事前に「不利になるからNG」と念を押されていても、堂々と「妻が暴力を振るわれてもしかたない理由があった」「家族なんだからそれぐらいは当たり前」みたいなことを平気で言っちゃうんだから調停がうまく行くわけがない。離婚案件に詳しい堀井亜生弁護士によると、モラハラ夫の依頼者は「弁護士を変える、必要証拠を提出しない、遅刻する、裁判官意見に納得ができないと怒る」みたいなことが多いそうな。さもありなん。

そういう連中の語りを読み続けて薄々わかってきたのは、彼らにとって共同親権というのは、結局「子どもとの面会交流の機会を得るための手段」じゃないってこと。「かつて、自分自身の振る舞いのせいで失ったもの家族というリソースと、それを一時は所有・支配していた自分の権能とメンツ)を、自分の側は一切の譲歩も努力も歩み寄りも謝罪もせずに、法的な強制力によって、コスト0で取り戻すための手段」なの。「俺は悪くない」の変形で、報復

もちろん共同親権推進派にも、運動論的な目線で「そんなこと言ってたら、世間的に共同親権推進派は頭おかしいやつばっかりだと思われる」「批判すべきは批判すべきだ」という良識派はいるんだけど、主流派からは叩かれたり黙殺されたりしている。ネット共同親権界隈のメインストリームは「憎悪他責共同体」みたいなところがあって、その仲間意識を乱すような、自己批判や自浄を促すような言説を一切受け入れない当事者も多い。本当にきつい界隈だなと思う。

https://anond.hatelabo.jp/20230725121700

自分お気持ち感想を述べるのが非論理的だ、というのはちょっと間違っている。そもそも論理的というのは文章がつながっている状態を指していて、米国型の文章構造ピラミッドスラクチャーを持つ(ミントピラミッド原則)。これは科学技術論文で広く採用されている方法だ。ちなみに日本風フランス風論理は違うということが示されており、論理的とは単に慣れであり、文化依存する(*1)。構造さえできてれいば、その内容がお気持ちだろうが、料理の手順だろうが、交渉だろうが、論理的文章になる。

感想を述べるにしても論理構造を作ることができるし、それを通じて論理的文章を書くことができる。たとえばアメリカ教育で用いられている4square writingは、中央に例えば「おばあちゃんが大好き」と書いて、その理由となる事柄を3つのマス目に書く。「話が面白い」「お菓子をくれる」「においが好き」とか。そして最後のマス目に「だからおばあちゃんが好きです」と結論を書く。話題が一貫しており、列挙された情報に基づいて結論誘導されており、論理的となる。

これはハンバーガー構造や5段落エッセイとも呼ばれていて、主張、根拠1、根拠2、根拠3、言い換えた結論、という段落構成を学ぶことにステップアップしていく。高校生のころにはこの構造を極めて小論文エッセイ)を書くのが卒業要件だったりもする。イシューに対する議論だったり、ディベートを通じて強い根拠を上げる訓練をしたり、モノポリーで遊びながら交渉術を学ぶことになる。口述でも文章でも、5段落構造がしっかりと植え付けられる。

なので、大学に入った段階で構造的な文章を書く経験豊富である。そこで初めて感想感情から切り離して情報を伝えるテクニカルライティングによる訓練がはじまる。事実などの根拠提示一般常識や前提条件を論拠ととして組み合わせて新たな意見を述べる(トゥールミンモデルなど)、自己批判で主張のリミテーションを掛ける、といった論述の基礎も覚える。

なので感情から切り離すことや事実意見を分けるというのは、論理的文章のうち研ぎ澄まされた金字塔ではあるものの、最初から取り組むべき課題ではない。取り組むべきは、話題がつながって構造を作る文章を書くことにある。

最初話題読書感想文テンプレも、段落内では「なぜなら」でつながりを持たせてはいものの、全体をつなぐ構造がないことが問題だと思う。3つの段落情報バラバラのままである。そこが問題なのであって、感想文を書くこと自体問題があるわけではない。論理的構造を作る訓練になっていないことが心配である

私は卒論修論博論指導する立場の人だけど、増田の言う通り悲惨文章ばかりを目にして実質リライトすることになる。その問題お気持ち文章からではなく、論理的構造がないことに原因があると感じている。といつつ自分人一倍文章を書くのが苦手で、いまだに多くの本を読んで訓練を続けているし、これまでの指導者に苦労を掛けてきたと思うので、恩返しのつもりで学生さんたちに指導をしているよ。

*1 渡辺雅子さんの文化比較研究

https://berd.benesse.jp/berd/center/open/berd/backnumber/2006_06/fea_watanabe_01.html

2023-07-24

anond:20230724025058

パヤオエスタブリッシュメント自分大好きだから

君生きでも風立ちでもエッセイ風のなにかでも食うものに困ってた時代に高級品(普通は手に入らないもの)食べて素敵な環境で過ごしたアピールしてる

いわく、自己批判戦争成金エリート批判意味合いもあるらしいが、まぁそうは見えない

 

80歳になってもいい暮らしたぞ!って言ってくれるんだから親御さんも頑張った甲斐があったよな

 

 

※それはそれとして食うものがないは先進国ではないと思う。

2023-07-08

地域でやってるeスポーツイベントには気を付けた方がいい

大概オタクの内輪イベントからな。

ただつまらんだけならなにも言わないんだが、イベントやるようなオタクは大概モラル最低だ。群れて気が大きくなってる上に周りが同質の人間しかいないか自己批判もできない連中だからな。

突然暴言吐かれたりカンパ求められたりする。窃盗とかもあるかもな。

俺もある自治体イベントで入場料払った後複数人に囲まれカンパを求められた。話に聞いてないから断ったらずっとネチネチ遠くからなんか言ってたり、SNSで仲間内悪口三昧。気分悪いやつらだったよ。

2023-07-07

無知の知自分の至らなさを常に認識する。そんな事は大前提として、自信を持って自分はここが優れていると思った方が良い時もある。他人に対して毅然と言い返すべき場面だってある。

でも他人に対して何か苦言を呈すると、コイツは偉そうな事言ってるけど自分が賢いと思ってるだけのアホだ。オレはちゃん自分の了見の狭さを分かってるから、そんな恐れ多い事は言えないけどな。分相応にしてるぜ。

みたいな事言う奴が湧いたりもする。特にネットだと。

なんか絶え間なき自己批判意識を持った方がええんやないって話を、単なる謙遜とか予防線を張るって事と履き違えてるんとちゃいまっかって思う。

2023-06-28

anond:20230628094712

めちゃくちゃ同感

自分20代後半だけど今、自分も同じような状況でつらいっす

自分はもう行き詰ったら暴れようかなと思ってるからクソ適当に生きましょうぜ~

自責を重んじるやつらにおれたちを救わなかった責任ぶつけていきましょ

自己批判はそういうやつらがするべきだ

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