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2024-11-09

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pixiv

なんか見覚えのある名前の人にフォローされたなと思ってその人の投稿みたら、

ひそかにすきな絵師だった

寡作だけどたまにかくのが自分ストライクものが多いっていう

いやー恐れ多いわ

その人と同じキャラ二次創作をしてたからってのもあるだろうけど

すきな絵柄の絵師と すきな きゃらがかぶる って うれしいな

同担拒否とかないよ全然うひひ

あはは

2024-10-26

月刊漫画ガロ史上最も重要漫画10

anond:20241012181121

 ガロは書く人も居なさそうなので、元読者の義務感に駆られて書いてみた。リアタイで読んでいたのは80~90年代の一部なのでいろいろ偏っているとは思う。選択基準としては、漫画史的な重要性や、後世に与えた影響を優先した。バックナンバー単行本アンソロジー、関連書籍(が多いのもガロの特徴ではある)などの知識も動員したが、記憶に頼って書いているので誤謬などはご容赦。むしろ先達から突っ込みが欲しいです。なお、ガロ分裂後のアックス誌の作品にはここでは触れない。

カムイ伝白土三平

 まずはなにを差し置いてもこれ。そもそもガロという雑誌の創刊自体長井勝一による「カムイ伝」を掲載する媒体を作りたいという並外れた理由によるもので、「ガロ」という奇妙な誌名も作中人物の「大摩のガロから取ったものだった。どちらかと言えば現在では「読まれない」作品になりつつある印象なので当時の熱狂を図るのは難しいが、漫画史的には「どうやら漫画という媒体歴史的社会的な諸問題を描き得る(と読者に思わせた)」点がエポックだったのではないかと思う。今であればそんなもん当然だろうと思われるかもしれないが、所詮我々はこのような巨人の肩の上にいる。

ねじ式つげ義春

 つげ義春ガロ誌に発表した短編は悉くが傑作なのでとても一本に絞りきれるものではなく、作品の完成度からすればむしろゲンセンカン主人」や「赤い花」ではないかとも思うのだが、後世に与えた影響の大きさを考えればこれを選ばざるを得ない。「見た夢をそのまま描いた」という誤解を受けることも多い本作だが、実のところは多種多様コラージュや巧みな漫画技法に満ちていて、きちんとした作為の下に統制して作り上げられた「シュール」の傑作であることがわかる。

赤色エレジー林静一

 若い男女の同棲破綻物語と描けば無数の類例が思い浮かぶが、1970年の発表当時には極めて新しかったはずである。なにしろ婚前交渉などという言葉が現役だった時代だ。主人公職業アニメーターというのも新しく、しゃれていたのではあるまいか。この作品の画期は、漫画に「俺たちの等身大青春(あるいはそのように夢想したいもの)」を持ち込んだ点だったのではないかと思う。林静一洒脱な絵は上村一夫などによる後続作に比べても洗練されていて、今見ても色あせない。

ピクルス街異聞(佐々木マキ

 漫画(に限らず表現)とはなにものかを描かなければならないのだというドグマがまだ有効だった60年代漫画から意味というものを完全に取り去ってしまった佐々木マキの一連の作品センセーショナルであったらしい。画風はおそらく杉浦茂系譜にあるのだが、もはやナンセンスという言葉も不適当だと思われるぐらいに徹底して意味物語排除されている。その衝撃は若き日の村上春樹にもはっきりと影響を与えたらしく、のちに佐々木村上著作の挿画を担当することになる。

寺島町綺譚(滝田ゆう

 簡素な絵でナンセンス漫画を濫作していた滝田ゆうが、心機一転、自らが少年時代を過ごした戦前私娼街・玉ノ井の風景をおそろしく緻密な絵柄で描き出した。「三丁目の夕日」的なノスタルジアものの先駆ではあるが、最終回戦火は玉ノ井の街を焼き尽くして終わる。ここに描かれているものは、卓抜した記憶力と画力により再構築された、失われて二度とよみがえることのなかった風景なのである

マッチ一本の話(鈴木翁二

 ここまでは疑いなく殿堂入り作品が並ぶが、ここから判断に迷う。70年代ガロから永島慎二宮谷一彦を外してはいけないかもしれないのだが、活躍のメインはガロ誌ではなかった作家だし、やはり当時の熱狂現在から嗅ぎ取るのは少々難しい。安部慎一花輪和一古川益三(のちのまんだらけ社長)の諸作品も思い浮かぶけれど、ここでは作品の強度と詩情、卓抜した画力を取って敢えて鈴木翁二で。

ペンギンごはん湯村輝彦糸井重里

 これも当時の衝撃をいま追体験するのは難しいのかもしれないが、ヘタウマ不条理がどっさり詰め込まれた本作が半世紀近く前のものと考えるとやはり衝撃的だし、こういうギラついた脳天気さは、結局は80年代「軽チャー」の苗床になったのではないかと思わされる。

少女椿丸尾末広

 80年前後ガロにはニューウェーブカテゴライズされる作家も少なからずいて、例えば川崎ゆきお蛭子能収ひさうちみちお、奥平イラなどが挙げられるのだが、個々の作品への愛着はさておいて結局のところ今に至るまで強い影響を与え続けているのはむしろニューウェーブ埒外にいた丸尾末広ではないかと思う。圧倒的な画力漫画のみならず演劇音楽にも影響を与えたし、世代を超えたファンも多い。なお本作の初出はガロ誌ではないのだが、代表作として外せないのと単行本青林堂だったのでご容赦を。

タケオの世界根本敬

 80年代ガロではこの人の名前も外せない。「過激な」作風と言われ「特殊漫画」を自称他称もしている人ではあるけれど、実のところは非常に息の長い物語を紡ぎ出せるストーリーテラーでもあり、日本近代史や土俗性を容赦なくぶち込んでやるから覚悟しろよというぎらついた野心も垣間見える。その試みがもっとも巧くいった作品の一つが本作。水爆投下とともに発射された精子自我を持つ話です……と書くと面白そうでしょ?

道楽者の海(逆柱いみり

 ガロ最末期の90年代から一人と考えて、古屋兎丸山野一ねこぢるなども思い浮かんだけれど、漫画表現の圧倒的な強度に鑑みて本作を選んだ。この地上には存在しないはずなのによく知っている風景がどこまでもどこまでも展開される。いつかうなされながら見た夢が、ここに具現化されているという驚き。「ガロがなければ世に出ることのなかった」作品の一つの頂点であると思う。逆柱作品はどれをとっても傑作なのに単行本の多くは絶版で、とんでもないプレミアが付いてたりする……。

追記

個人的にはつげ忠男の大ファンで、実際「無頼の街」「河童の居る川」など傑作も数多いのだが、漫画史的重要性を優先して涙を呑んだ。

赤瀬川原平言及に迷ったけど、ガロ誌での漫画作品(『お座敷』など)よりも、その外での活躍が多かった人という印象なので選外に。ガロ系の作家ではこういう人も多いのですが。

・「ガロにおける有名作家」という問題もある。水木しげる矢口高雄池上遼一といったビッグネームもあれば、のちのどおくまんも一度作品掲載しており、末期ガロにも吉田戦車のような意外な面々が顔を覗かせる。珍しいところでは、SPA!誌で掲載を断られたゴーマニズム宣言の回を小林よしのりガロに持ち込んで掲載された例がある。

ガロ出身で他誌で活躍することになる人も多い。上記の他、新しい世代では花くまゆうさく福満しげゆき東陽片岡古泉智浩あたりか。

80年代ガロでかなり迷ったのは、トラバでも言及のある久住兄弟泉晴紀泉昌之渡辺和博などの面々。このあたりのナンセンス作品群はわりと影響も大きかったようなんだけど、作品単体でどうこう言えるものが思い当たらなかったので除外。

つりたくにこやまだ紫杉浦日向子近藤ようこといった女性作家たちの極めて良質な作品についても言及しておきたい。特に津野裕子は最末期のガロに、寡作ながら優れた作品を残した作家で、機会があればぜひ一読をお勧めします。

・その他、この10選に選ぶには及ばないけれど間違いなくその人にしか描き得ない作品を残し、ガロという媒体がなければ目にすることもなかったであろう作家たちについても、その名をリスペクトしておきたい。淀川さんぽ、とま雅和、谷弘兒、三橋乙耶、菅野修、等々……。

さら追記(含ブコメ反応)

 思いのほかガロ漫画への反応が良くて嬉しい!

90年代ガロ文章ページが(文章ページのほうが……)充実してた感があり、呉智英四方田犬彦など結構な面々が連載していた。

投稿ページの「4コマガロ」も相当(雑誌カラー的な意味で)レベルが高く、ここ出身の有名作家福満しげゆき

・同時期にやっていた「ガロ名作劇場」という好企画があって、90年代半時点では入手困難だった作家を含め、ガロ出身の名作家を回顧的に紹介してくれた。林静一「まっかっかロック」なんてものすごい衝撃受けたし、楠正平や勝又進なんてこんなことでもなければまず読むことができなかった作家だったと思う。

ねこぢるはやはり入れるべきだったかなーという迷いは今でもあり、代わりに削るとすればペンギンごはん鈴木翁二か。リアタイ勢だったんだけど初読の際の衝撃は今でも覚えていて、90年代サブカル的にはわりとよくあった「無邪気な残酷さ」が普遍性を持ち得た希有な例だったんじゃないかと思う。(その点では山田花子には自分は少々点が辛い)

・>ビレヴァンいけば売ってる? >なんか漫画系のサブスクはこういうのの乗っかってどんどんセット売りとかして欲しいよな。

 これは本当にそう思うところで、ガロの名作群はとにかく作品へのリーチが困難。古川益三作品なんてマジで読めないし古書には衝撃的な値が付いてたりする。電書にするにしたってタダじゃないのは分かってるけど、なんとかならんかな。

・>「ガロ」はフォロワー・影響度では計れない作家作品が多すぎて。簡単に真似されるような作品ガロ的ではないとも言えるし

 これも本当に同感で、孤立峰みたいな作家が多すぎるんだよなー。熱を込めて語られるけれど模倣はされない、って、表現としてはすごいことなんだけど。

・>ちびまる子ちゃんクラスメイト名前ガロ作家名前から取ってると聞いたときは「へー」となった

 これモデルになった某作家さんはスゲエ嫌がってるみたいですね(伝聞)

2024-07-06

20代前半の頃絵本を描くグループに入ってて、その時仲良くなった子がいた

私も彼女会社員で、絵本かいて生きていきたいね〜なんて話してた

ふと思い出して彼女ペンネーム検索したら地域インタビュー記事が出てきた

あれから割とすぐ結婚して会社辞めて、寡作ながら絵本を書いて出してるみたい

すごく感じのいい子だったから恵まれ結婚ができるのはあたりまえっちゃーあたりまえだけど、いいなあ

2024-05-16

でもセックスを楽しんだほうがオタク消費も生産も捗った

小6からずっとオタクグループにいるオタク女なんだけど、処女時代オタク体験特有の楽しさというのはあって、その後彼氏できて二次元オタク趣味どころか全趣味エネルギー喪失した時期があって、その後エネルギーが復活したという変遷があった。

最初彼氏ができたときは、恋愛に夢中になってオタクをやめたというパターンではなく、幻滅と軽い鬱みたいになって何もかもが楽しめなくなってしまった。セックスが全く気持ちよくなかったのと、前から自分がブスである自覚はあったけど本当にブスの貧乳で無価値なんだなって思えて同人誌やグッズ類を一回全部処分したし、ライト乗り鉄みたいな感じでいろいろなところに一人で出かける趣味も失ってしまった。消費も生産もあのときは完全に止まった。「生産エネルギーが凄い童貞生産を続けさせるために童貞のままでいさせろ!」みたいな声があるけど、それはこういう理由なのかもしれないなと今でも思う。夢が壊れて読めないし書けない状態になることはあるんだなと思う。私が生産をやめて困る人は別にいないけど、その人の創作依存している読者が大勢いる商業作家であればそういう干渉も起きるもんなのかなと思う。作家感性に不可逆な変化が起きてほしくないと思うわなと。

別れたら恋愛・性のコンテンツとは無関係なところから趣味が復活してきて、これはこれという感じで徐々にフィクションも楽しめるようになってきた。その後、別の人と付き合ってセックス気持ちいいのかよ…となり、急に実写映画など二次元以外のコンテンツも楽しく感じられるようになってインプットの幅が広がって(これが個人的に一番デカ体験だった)、創作寡作だけどまたできるようになった。支部でのブクマ数みたいなところでいうと前より数字出せるようになった。もちろん評価よりも自分仕事生活と両立できて適切な距離感でやっていけることが一番なんだけど。交流や、オフラインでの活動がかなり時間金も溶かすので、そこが無くなっただけで他にも時間が使えるようになる。時間は有限だけど密度みたいなものはある。コンテンツなのかコミュニケーションなのかというのはトレードオフじゃないんだ、生産と消費もトレードオフじゃないんだ、インプットをたくさんすると「個性」を失って他者から評価が減じるわけでもないんだ、というのを思う。そんなに単純なものではない。あと思えば自分のことを個性的だと思い込んでたとき自分って個性的だったのではなく、オタクテンプレートに準じていたただの痛いアニメイトJCの延長だったのでは?むしろ類型的だったのでは?とも思う。

オタクセックスが下手みたいなレッテル意味がないんだよね。元彼も現夫もオタクだし、両方瘦せ型の眼鏡から、「見た目の特徴で見分けろ」みたいなことには意味がない。違いをいうなら元彼友達彼女がいない人ばかりで、現夫の友達彼女がいる人が多くて、年を重ねるうちに既婚者になっていった。そういう傾向が、今思えばあるなというくらい。見た目はまじで両方瘦せ型の眼鏡しかない。とくに高収入とかでもない…むしろ元彼のほうが職業領域としては高収入職のルートに行ったのではないかと思う。追いかけてないけど。

元彼との交際中はメンタルデバフがかかってて何も楽しめないという感じだったし、あれを「現実恋愛しているかフィクション不要になってた」という解釈だけはマジでできない…フィクション大事だし、現実に劣る存在というふうには思わない。低カーストのブスである現実自分から逃れるためのフィクションという位置づけではなくなってからのほうが、むしろ商業という責任の生じる形でコンテンツ生産を担っている人々への敬意や感謝を持つようになった。そして今の夫と交際開始したことがバフなのかというと、バフとちょっと違って、経験値が上がったような感じがした。小中学生の頃は現実と切り離すためのオタク消費・生産であって相互の影響はないと思いたかったし強固にそう思っていたけど、今思うのは、現実経験が「どういうコンテンツを好むか」という好みの部分にかなり影響を与える。実際にやったセックスをそのまま創作晒したり友達モデルにして作品に出すような行いはしてないけど、コンテンツから良さを感じとる幅が広がって多様な小説映画などから影響を受けるようになって、インプットするコンテンツの幅と量が激増したかアウトプットも変わったという感じがする。あと経験っていうのは現実恋愛セックスだけじゃなくて、ほかの対人関係仕事などの影響も結構割合としてある。学生のころ部活で後輩を指導するような役割から逃げ回っていて、職場で後輩ができてついに「先輩」役から逃げられなくなって、案の定うまくいかないとかの経験もかなり大きかったように思う。

自分ダメさを思い知るとかも含め、人生経験があったほうがコンテンツの消費も生産楽しい。私の場合はだけど、生産において評価数字も前より出るようになった。ただ、それは好きな時に好きなだけ趣味創作をして無料で公開するという一番責任の発生しない形のものしかなく、安定性が要求される商業とは違うもの。また、人と付き合うことで鬱状態みたいになると全部にデバフかかって何も楽しくなくなるから人間関係リスクではある。人を求めた結果、ホストりりちゃんにハマってめちゃくちゃというケースもあるんだろう。結局、何の単純化もできない。

 

元彼と関わるとなんで軽く鬱みたいになっていったのか。なんで元彼と付き合ったのか。

https://anond.hatelabo.jp/20240517171536

2024-02-05

anond:20240205073133

一発ヒット作出してその後は寡作になる漫画家とかは、金があってのんびり好きなの書いてるんだろうから、いい身分なんだけどな。

そんなに売れてなさそうなのにずっとやってるベテランとかどうやってるんだろうって感じだな。

2023-04-13

最近

61歳に手が届こうかといういま、仕事に追われる毎日で、自分趣味寡作なれど、音楽作っている)に費やせる時間殆ど無い。

これはおかしいのではないか、と思い、いま仕事をやめて繰り上げ年金暮らしていけるかどうか、ばかり考えている。

実際、マンションのローンは払いきってしまったので、ある程度貯金はあるし何とかなるとは思うが、カツカツなのは目に見えている。

一方で、結婚経験の無い独身男性平均寿命がかなり短い(67歳くらい?)、ということが話題になっていたりもする。

それを信じると、もう60歳を過ぎたいま、仕事をやめて貯金を食いつぶす気で生活しても、なんとかなる。

問題は、もし間違って長生きしてしまったら、ということだ(身体だけは丈夫にできているようなので)。

それを考えると、簡単には踏み切れない、というのが現実

ちなみに、自分父親小学校教員、ずいぶん前に故人)は、58歳で退職していた、つまり、いまの自分の年齢では既に仕事をしていなかったことになる。

当時は現在よりは年金も高かっただろうから、そういった選択可能であったであろう。

しかしながら、なんか妙にもやもやする。

2022-12-18

Twitter中学生DMで絡まれちゃった

水星魔女のグレス二次創作をやっているんだけど

地雷なし雑食だからスレミオもラウグエも4スレシャディミオもモブボブもふたなりスレグエも割となんでもいけてしまうのね

それでどんなカップリングでも雑食にいいねしていたら、「グエスレ以外をいいねしないでください」っていうDMが来てしまった

送ってきたアカウントツイートを見たらテスト期間の話などをしていて明らかな中学生

リアル中学校友達ともやり取りをしていて部活もわかっちゃったし掘れば地域もわかりそう

SNSってオープンすぎて怖いなぁ…

っていうか弱小の寡作アカウントにもこういうDM来るのね…

2022-10-30

Youtubeにある隠れた名曲ライブ)を紹介してほしい

Youtubeには数えきれないほどの動画アップロードされている。その中には、あまり知られていないがとんでもないクオリティライブがあがっていることがある。僕個人はまぁまぁな音楽オタクなので、いくつか秘蔵のものがある。それをシェアするので、みんなのとっておきを教えてほしい。ジャンルは問いません。5は本当に消されたくないので、知っていてもネタバレしないでください。

1. Pat Martino Trio with John Scofield - Sunny

Pat Martino TrioにJohn Schofieldが加わってSunny演奏したもの。後半のJohn Scofieldジャズギターが本当にロックしていて、ジャズも好きだけどロックもやりたい!というギター少年の心をがっちりと掴んでいたと思う。

2. Bernard "Pretty" Purdie: The Legendary Purdie Shuffle

スタジオミュージシャンの神、Bernard Purdieの教則ビデオの一節。ドラマ死ぬほど、本当に死ぬほど上手いので、教則ビデオすら音楽昇華されている代物。本人の説明さえ何かグルーヴィー。これで踊れる人いると思う。

3.たま イカ天初出演

たまがイカ天に初めて出演した時の動画演奏より前、登場からすべて残っている。とぼけた知久さんとの会話からまり、どんな曲が始まるんだろうと思ったら素晴らしい「らんちゅう」がはじまる。もう何度も見ているが、初めて見る人は、飛ばさないでちゃんとじっくり見てほしい。この曲から始まって紅白に出る、という凄さよ。

4. NIPPS / ISLAND(REMIX)未発表音源!!

寡作NIPPSソロで出したISLANDの謎のりみっく。正直、どのバージョンISLAND正式なのか分からないが、この生っぽい感じは素晴らしい。本人のやる気のない声が重ねられているのもまた雰囲気がいい。

5. ???

これは本当に消されたくないので、自分で探してほしい。分かる人は分かると思う。ある芸能人が司会をしている番組で、アーティスト二人がアコギ一本でゆるゆると曲をセッションを始めるという動画だ。ほんとに緩く始まったのに、とてつもなく息のあったハーモニーを見せつける二人。間奏において「これ贅沢だよなぁ」とつぶやく司会も含めて、素晴らしい雰囲気ライブになっている。いつ聞いても感動してしまう。

2022-08-30

anond:20220829193650

同人作家には商業作家よりもうまい作家が何人かいる。

しか寡作コミケ100には出てこなかった・・・

から別の作家で使えるやつを、その作家の絵柄に変えるみたいなAIが欲しい。

いまはその作家学習して似たような絵を作るだけしかできないので早く革命起こしてね。

寡作で超H級作家

HGTラボ

MTSP

きい

チンジャオ娘。

ほーすている

夏目ベンケイ

堀出井靖水

2022-02-25

anond:20220225142825

リドリー・スコットはマジの天才だと思う

寡作で名作揃いの監督は少なくないけど

あんだけ弾撃ちまくってあの平均点はヤバい

2021-07-20

anond:20210720090548

いうて水嶋ヒロが書いたHAKEROUも売れたし、イェス又吉か書いた小説も売れたし、

ジャニーズのなんかが書いた小説も売れて映画化もしたし

小説も変わらんよ

 

現在絵本作家寡作から一発あてたらデカい顔ができるのはあるけど

2021-03-01

必読書コピペマジレスしてみる・自分オススメ41冊編(2)

戻る→anond:20210301080105

倉橋由美子聖少女

まり男性女性がとは言いたくないのだが、女性作家の描く知的早熟少年たちというのは、エルサ・モランテの「アルトゥーロの島」なんかでもそうなんだが、男性が描くときはまた違った魅力を発する。サリンジャー知的論理的自分を追い詰める子供たちとはまた別の硬さがあってよい。新城カズマサマータイムトラベラー」の高度に知的でありながら情緒は年相応な少年少女もいい。

さておき、これは近親相姦お話なのだが、印象に残っている描写は次の通り。主人公たちの仲間に大食漢の男がいて、しばしば生肉弁当の代わりに食らっている。回りの女子生徒たちも面白がって彼に餌付け(?)していたのだが、ある女子生徒がブルマーを入れていた袋の中に隠していたウサギを、生きたままで彼に与えた。血まみれで凄惨な場面でありながらも、大食漢は実においしそうに平らげていた。

例の文学少女から薦められて読んだことでも思い出深い一篇。

ミラン・クンデラ存在の耐えられない軽さ」

頭が良くてモテる男が主人公なのでいけ好かないモテること、たくさんセックスすることこそが人生の目的になっているような奴は理解できない。なんか知らないやつにいきなり人の部屋をのぞきまれ、「お前の人生にはエロスが足りない!」と叫んで出ていかれるような気分がする。しかし、これもまた祖国を追われた人間が、知性と皮肉現実適応しようとした姿なのかもしれないのだ。

それと、この本で感謝しているのは、さまざまな政治的活動に対して感じていた居心地の悪さを、「キッチュ」をはじめとしたさまざまな言葉言語化してくれたことだ。ポリコレを正しいと信じているのに、そこにあるどうにも解消できない居心地の悪さが気になる人が読むといいんじゃないかな。

あとは頭が良すぎて、多くの人が無視したり忘れていたりしていることが見えてしまい、幸せになれない著者みたいなタイプが読むと幸せになれそう。イワンカラマーゾフとか御冷ミァハみたいに、頭が良すぎて不幸になるというか、自分の知性をどこか持て余してしまタイプキャラクターが好きだ。

メアリーシェリーフランケンシュタイン

死体から作られた怪物がただただかわいそう。容貌醜悪なだけで化け物として追われ、創造主からも拒絶された彼の孤独を考えるだけで悲しくなる。まったく同じ理由で「オペラ座の怪人」も好きだ。どちらも間違いなく殺人者ではあるのだけれども、容姿馬鹿にされたことがあるのなら共感せずにはいられないだろう。関係ないけど、オペラ座の怪人ヒロインから振られたことを受け入れられたのって、やっぱり正面から振ってもらったからだよな、と思う。音信不通フェードアウトされたら怨念はなかなか成仏しない。

それと、これはSF的な感覚かもしれないが、人間離れした(時としてグロテスクな)姿を持つ存在が、非常に知的であるというシチュエーションがとても好きで、その理由から後述の「時間からの影」や「狂気山脈にて」も愛好している。

ロード・ダンセイニ「ぺガーナの神々」

架空神話ショートショート形式で述べられていく。ただそれだけなのにこんなに魅力的なのはなぜだろう。彼の作品基本的に短く、しょうもないオチ作品も割とあるのだけれども、時に偉大で時に卑小な神々の物語は、壮大な架空世界に連れて行ってくれるし、すぐ隣に隠れているかもしれない小さな妖精魔法も見せてくれる。

テッド・チャン「息吹」

あなたの人生の物語」とどっちにするかやっぱり迷った。映画メッセージ」の原作が入ってるし、増田で盛り上がってるルッキズムテーマ作品だってある。だが、寡作な人なのでこの2冊しか出していないし、片方が気に入ったらきっともう片方も読みたくなる。

表題作は、意識を持ったロボットのような存在がいる宇宙お話なのだけれども、そのロボット自分の脳をのぞき込んでその複雑な仕組みに心を打たれる。そして、世界を観察することで、何万年も経てばこの世界は滅んでしまうことを悟る。人間とは全く似ても似つかないロボットたちだが、やっていることは人間サイエンス、真理の追求という営みと本質的には同じだ。何かを知ろうとする営為の尊さについて語っている。得られた知恵で、自分たちも世界もいつかは終わってしまうと知ることになろうとも、知識を求める崇高さは変わらないのだ。

イワンセルゲーヴィチ・ツルゲーネフ「初恋」

学生時代自分女性に冷たくされる文学が好きだった。からかわれたりもてあそばされたり馬鹿にされたりする作品のほうが好きだ。そのほうがリアリティがあったから。寝取られ文学が好きなのもそれが理由だし、谷崎潤一郎作品も同様の理由で好きだ。

自分馬鹿にしていた少女が突然しおらしくなり、自分に近づいてくる。いったいどうしたことか、と思って期待しながら読んで、絶望に叩き落されるがいい。

イサク・ディネセン「アフリカの日々」

ライ麦畑」でホールデン少年が感動した本。アフリカ植民地で暮らす女性視点からその生活を書いている。友人のイギリス人が亡くなったとき、まるで故郷をしのぶかのように墓が深い霧に包まれたシーンがとても美しい。

個人的には、当時の基準からすればアフリカの人々に対して丁寧に接しており、評価も概して公平であるように感じた。ところどころ「有色人種特有の」といった表現があったり、アフリカ前近代社会とみなしたり、古い進歩史観は見られるし、植民地支配者側から視点批判的に読まなければならないが、色眼鏡比較的少ない観点に心を動かされてしまったのは事実だ。

植民地時代アフリカって、宗主国以外の人もたくさんいたこともわかって面白い。当時は英領東アフリカだが、そこにはスウェーデン人もいればノルウェー人もいる。古くから貿易相手としてのインド人だっている。独立後、彼らは日本人満州朝鮮半島台湾などから引き揚げたように、撤退したのだろう。植民地について理解するためにもおすすめ

J・R・R・トールキン指輪物語

はまった。十代の頃にとにかくどっぷりとはまった。今でも表紙のエルフ文字を使って誰にも読まれたくないことをメモするレベルではまった。

かに話の展開は遅い。重厚に過ぎる。設定を語るためのページも多い。しかし、この長大小説を読むことで、開始数ページで読者をひきつけなければならない現代小説からは得られない、長い旅をしたという実感を得られるのは確かだ。小説家には良き編集者の助言は必要だが、今のように急ぐ必要のなかった時代もあったことは忘れたくない。

中島敦「狼疾記」

李陵」や「弟子」や「山月記」じゃなくてなんでこれなのか、という声もするのだけれど、自意識過剰文学少年の思っていることをすべて言語化してくれているので推さずにはいられなかった。十代の頃の感受性は、何よりもこうしたものを求めていた。親の本棚にこれが積んであったのは幸運だった。

これは「三造もの」と呼ばれる中島敦私小説的の一つであり、世界の滅亡や文明無意味さに対する形而上学的な恐れや不安意識の片隅にある人間なら確実に刺さる内容だ。最後説教パートもさほどうっとうしくない。なぜなら、きっと文学少年文学少女たちは、その言葉無意識のうちに自分に投げかけてきたからだ。

ウラジーミル・ナボコフロリータ

膨大な知識と華麗な文体を背景にして、あらゆる性的な乱行を正当化してしまうのがナボコフ作品の一つの特徴である。語り手ハンバート・ハンバートは十代前半の少女を性の対象とする中年だ。自分初恋の思い出がどうこうとか述べているが、それだって言い訳だ。

しかし、この作品はただの小児性愛者の物語ではない点が油断ならない。少女ロリータはただ性的搾取されるだけの存在ではなく、自ら性の冒険に乗り出す。清純で清楚な少女という幻想は、最初からハンバート夢想の中にしか存在しない。ハンバートにはロリータ内面や考えなど最初から見えていなかったし、見ようともしてこなかった。

ただのスキャンダラスな本ではない。これは一人の身勝手男性心理の解剖である

新美南吉「屁」

ごんぎつね」の作者として知られるが、こんなふざけたタイトルの話も書いている。しかし、これは「自分は常に正しい、正しく道徳的であらねばならない」としてきた子供挫折を描いた小説であり、この社会弱者にあらゆる責任を擦り付けている様子を全く卑近話題から告発した話なのだ自分がした屁の責任かぶらされた、いつも屁をこいている少年への同情と軽蔑は、僕らの弱者への姿勢のものじゃなかろうか。

短いし、青空文庫で読めるのでオススメ

https://www.aozora.gr.jp/cards/000121/files/3040_47823.html

仁木稔「グアルディア」

遺伝学の発展が少し早かったパラレルワールド未来舞台にした愛憎劇であり、変身ヒーローものでもある。ただのSFと違うのは、さまざまな文化が変容を受け、再解釈を受けて受容されることまでもプロットの一部として組み込んでいるところだ。さらには疑似科学陰謀論社会関係も描いている。今、読まれてほしい作家の一人だ。

仁木稔作品は僕の好み、ストライクど真ん中なんだけど、世界史や文化史、自然科学物語論の素養がないと(かじるレベルでいい)作者の構想を味わい尽くすのが難しいので、滅茶苦茶売れる作品にはならなそうだというのは認めざるを得ない。現に舞台ラテンアメリカ日本人になじみが薄いし、シリーズの別の作品中央アジアだ。それでも、伊藤計劃と並んで、社会学なんてつまらないって誤解を解いてくれた大きな恩がある作家だ。早くこのシリーズ最新刊が出ないか、今か今かと待っている。

イザベラ・バードイザベラ・バード日本紀行」

明治一年日本都市から農村を実際に歩いて見聞した手記である。率直に衛生状態の悪さやはびこる迷信批判している箇所はあるものの、その率直さが当時の日本がどんなだったか身びいきなしに教えてくれる。現代日本人が近隣の、例えば東南アジア諸国を見聞して不満がる、偽ブランドの横行や衛生状態の悪さ、家畜との同居や騒々しさなどが明治日本ではごく普通だったってことは知っておいていいと思う。

著者は北海道にも足を延ばした。アイヌ民族について日本人よりも好意的に描いている場面もある。しかし、当時の西欧人の感覚でよくわからないのだが、「粗野な外見だけどとても優しい目をしている」と褒めた民族のことを、別のところでは「将来の可能性を閉ざされ民族である」と書く点だ。もしかして、かつての人々が持っていた、文明と野蛮の間にある壁・差異イメージは、僕らが直観するよりもはるかに深刻な差別意識内包した、強固な偏見に根差しものだったのかもしれない。単純な軽蔑どころではない、もっとひどい無理解に基づいた恐ろしい何か。同じように、キリスト教によってこそ日本の悪習は絶えるという発想がどこから来たのか。そういうことを考える意味でもおススメしたい。

ハン・ガン菜食主義者」。

とても面白かった。父の暴力を遠因として、あらゆる動物的なもの嫌悪するようになった妹と、ただやり過ごすことで生きてきた姉を軸に描かれた三連作。壊れた夫婦描写に優れる。

妹は最後には精神を完全に病んで、何も食べられなくなるのだけれども、彼女が持つ植物になりたいという妄念が、本当に精神病の患者さんを観察したんじゃないかってくらい、細部にリアリティがある。

姉はおとなしいのだが、自分はただ忍従し、やり過ごしてきただけで、自分人生を全く生きていなかったのだと、夫の裏切りによってやっと気づく。夫は夫で、そのおとなしい妻に対して息苦しさを感じている。他の家庭のように、怒鳴り散らしてくれたらどれほど楽か、と嘆くのだ。

韓国ってよく叩かれているけど、日本と同じように家族のしがらみとかとかで苦しむ描写が多いので、意外とわかりやすい気がする。

進む→anond:20210301080225

2020-11-15

今日相互フォロワーブロックした

今日、深めの付き合いがある相互フォロワーブロックした。

その人は私が小説同人誌を出すときに私の小説校正や誤字脱字チェックをしてくれていたし、隣の市に住んでいることもありこのご時世でもリアルで会って萌語りが出来る貴重な友達だった。

それでもブロックするに至ったのには訳がある。

その人とは今年の3月ごろにツイッターで知り合った。

私のTwitter垢は専らBL二次創作小説のために使用しており、彼女がリプで私の小説感想を送ってくれたことで私も彼女小説を読むようになり、相互フォロー関係になった。

私も彼女文字書きで、お互いに小説を書いたり感想を送りあったりしていた。

私が多作彼女寡作タイプなので、送られる頻度の方は私の方が多かったかもしれない。

やり取りするうちに近所に住んでることが判明し、コロナ第一波が過ぎた頃にはリアルで遊ぶ仲になった。

最初は定期的に遊んでくれたり、私のやりたいことに付き合ってくれるいい人だと思ってた。

5月ごろに私が小説同人誌を出す際、誤字脱字チェックが大変だとこぼしたら手伝いを申し出てくれたのもありがたかった。

でも違和感が出始めたのは、その人が二作目の小説を書いてるときに「実体験じゃないと書けない」と言っていたこと。

じゃあ今までの推しカプのホモエロ小説って実体験だったんか?とちょっと気持ち悪くなった。

違和感が大きくなり始めたのは、その人が支部に上げてた小説書き下ろしをつけた小説同人誌を出すと言い始めた今年の6月ごろ。(ちなみにその同人誌は今現在もまだ発行されていない)

彼女は私に小説同人誌作る技術的なことや物語の作り方、挙げ句の果てに部数をしつこく聞き出しておきながら、逆に私が物語の作り方や技術的なことを彼女質問しても適当にはぐらかすだけで教えてくれない。

部数に関しては「部数を聞くのは年収を聞くのと同じくらい下品行為だよ」とは伝えて一度は引いてくれた。

しかしそのあともしつこく部数を聞いてくるので、根負けした私は嘘の部数を教えた。

その部数をn部だとしたら「じゃあ私は2n部刷ればいいね!」って言ってたのもドン引きだったけど、まあ誤字脱字校正の件で世話にはなってたので関係は続いてた。

コロナの影響で会う予定がポシャったので、8月まれ彼女誕生日プレゼントを郵送したら、お礼も何もなく一切ガン無視されたのも地味に傷付いたけどまあ内容が気に入らなかったんだろうなと思って気にしないようにしてた。

後日軽く突っ込んだら「届いてない」って下手くそな嘘をついてたけど、嘘だと思いたくなくてそれを信じることにしてた。

でも一番決定的だったのは文字数やブクマ数でマウントとってきたこと。

かにひと作品に対する文字数は相手の方が多かったし、ブクマ数も相手の方が取ってた。

かに彼女は美しい表現ドラマチックかつ繊細な心理描写が散りばめられた小説を書いていたので、そこに異論はないし正当な評価だと思う。

でも私の主軸は私の性壁を表現できるかどうかで、他人が主軸のブクマ数は関係ない。

そう思っても事あるごとに「ブクマ数が古参大手より多かった」「今回も文字数が5万文字超えちゃったから読んでもらえるか心配」って話をしつこくされるとしんどかった。

一回だけ文字数とかブクマ数とか数字の話をされるとしんどいからやめてくれって直接言ったけど、その場で謝るだけでまたすぐに文字数こんなに増えちゃった!とかブクマ数がいくつになってた!っていう話を続けてた。

ブクマ数や文字数は他人比較して大小が分かりやすいからこそ、気になってモチベーションが下がりやすくなる。

から見ないようにしてたのに、彼女は聞いてもないのに教えてくるしガンガン話を振ってくるのでモチベーションが下がる。

彼女との友情自分小説を書くモチベーションを天秤にかけたときモチベーションの方が大事だったから、私はブロックすることにした。

思うに、彼女は嘘がつけない、正直な人なんだと思う。

相手が格下だと分かればそれを隠しきれないし、物語の作り方や相手が刷ってる部数について、知りたいと思ったら好奇心を抑えきれずに聞いてしまう。

もらった誕プレも気に入らなかったら社交辞令のお礼も言えない。私はそういう素直すぎるところに耐えられなかった。

素直すぎるからきっと、切る理由を伝えたらツイッター上で私の名前をはっきり出した上で盛大に愚痴ってフォロワーに慰めてもらいたがりそうだから、私は何も言わずブロックする。ツイッター上で愚痴も言わない。ここで吐き出すことくらいは許してほしい。

彼女は「他人に嫌われるのが一番苦手」と言っていたので嫌いにならないようには努力してたけど、今の私は間違いなく彼女のことが嫌いだ。すまん。

どうか私の知らない場所勝手幸せになっていてくれ。

でも、6月からずっと出すと言い続けて絵師に表紙描いてもらって予約まで取った同人誌はそろそろ出さないとまずいと思う。

…これきっと、彼女脳内ではネットでの評価に対する嫉妬に狂ったフォロワーブロックされたってことになってるんだろうな。それでもいいや。真実必要ない。

2019-12-25

SPY FAMILY」の遠藤達哉

月華美刃読み切り版)とかWITCH CRAZEの頃は、寡作ながらコアなファン熱狂的に支持されるタイプ漫画家で、どうにかヒットしないだろうかと思っていたけど、まさかこんな大衆受けするとは思わなんだよな。

2019-09-30

なんや司馬遼太郎って68冊くらいしか本だしとらんのけ?

栗本薫よりも寡作やんけ!

2019-09-26

anond:20190926100819

宮崎駿作品で繰り返し用いられてるモチーフってなんだよ。

記号的な飯シーンとかやたらオーガニック挙動する機械とかは差別化のためのベンツエンブレムみたいなもんでモチーフのものちゃうやろ。

庵野寡作から正直分からんキューティーハニーラブ&ポップかに共通する要素があったりしたんか?

2019-05-20

anond:20190520173513

多作からっていいわけでもないし、(あんまり多いと飽きられやすそう)

寡作からって駄目なわけでもない。(あんまり少ないと忘れ去られるけど)

まっててくれる人がいる、増田さんのファンというか支持者に

届いて、響くものを。

🐈まってるよーみんな🐕🐑🐇🐟🐅

2018-09-19

ミンクがなくなるらしい

ミンクといえば夜勤病棟

夜勤病棟といえばミンクだった

ミンクを模したかわいいブランドロゴも好きだった

夜勤病棟は衝撃だった

最初に見たのは電撃王エロゲーページだった

電撃王普通ゲーム雑誌に見せかけてエロゲー紹介コーナーがあるという少年に優しい雑誌だった

スクラップしてファイリングした

めちゃくちゃかわいい絵柄であんえげつないエロがあるということが衝撃すぎた

原画だけでなく、塗りも当時としては割と革新的だった

淡いけど肉感的で不潔じゃない

後にエロアニメになったときはその淡さとかまったくなくてタダのスカトロアニメになってたけど

でも自分攻略できなかった

ただの選択肢式のゲームじゃなかった気がする

どっちかというと鬼作とかに似てるちょっとめんどくさい系のゲーム

からひたすらエロがみたかった性欲の亡者だった俺はすぐ諦めてしまった

当時はセーブデータネットDLしてCG開放とかも知らなかったから、もうほんとに悔しかった

夜勤病棟ミンク看板作品

2,3、麻雀、ifスピンオフなどたくさん出た

原画師が変わるなどのトラブルはあったみたいだけど、おおむね似た絵柄と塗りで、自分にとっては良質のオカズであり続けた

エルフが消え、ミンクも消えた

アリスランスが終わってこれからどうなるのか

リーフアクアプラスとホワルバあるからまあ大丈夫・・・・なのか?リーフとしては・・・

カクテル・ソフトとF&Cはまだ死んではないらしい

ともみ・・・

トロエロゲ以外で目立ってるけど寡作ながらいまだに出してくれてる

ライアーソフト・・・コンスタントに出してる

ソフトハウスキャラ・・・同上

key・・・まあ触れるまでもないか。もうエロはやんないのかな。Naga絵ならエロあってもいいけど一般向けで間口広げる方向いってるもんな

やっべもうブランド名が出てこねえ

えっとエロ中心。。。ゲームストーリー中心だったから詳しくねえわ・・・

あっかぐや

かぐや・・・コンスタントにがんばってるね 知ってるのは姉汁と最終置換電車ダンジョンクルセイダーくらい。

原画チョコチップよりM&M派

シルキーズはまだいきてんのかな

あーシルキーズもエルフ傘下だから死んだのか・・

もうここ10年くらいの新ブランド全然わかんねえなあ・・・

あっあと猫猫ソフトもあったなアウクソー氏が好きらしいが

ソフト銀色と朱を買ったけど結局まったくプレイせず処分してしまった

みずいろバグはまだ覚えてる

2017-09-22

anond:20170922140002

もちろんあるよ。

デビュー作は荒削りで良かったのにそこから変にまとまっちゃってダメだとかね。

最初は売れなかったけど路線転換してヒットした作家のその初期作が好きだったのに、とかあるよね。

逆に売れ線描いてた頃は好きだったけど趣味に走ってダメになった、とかね。

他の作品ダメだけど、この作品だけ奇跡的に自分好みの要素を詰め込んでいる、みたいなパターンもある。

個人的にはガンダムSEED DESTINYなんかがその枠。

ラブライブは好きだけど、公野櫻子が好きかというと?

うーん、まあGODコアなファンが付いてるのは分かるけど俺は違うし、他の大多数のラブライバーも違うと思うぞ…

あとは作者が寡作だった場合

たとえば「耳をすませば」が好きでも「近藤喜文作品が好き」とは言わんよね。

映画ゲーム製作者が多すぎて逆に意識しなくなるよね。

最近観た映画だとBvSが好きなんだけど、じゃあザック・スナイダーが好きなのかと言われれば別に…

DCEUの雰囲気は全体的に好きだけどね。

ゲームだとか、まあ中にはプロデューサーが前に出てきてるのもあるけど、

ゼルダBotWが面白いからといって青沼英二が好きだとか言わんし、

信長の野望が好きだからといって「シブサワコウが好きです」よりは「SLGが好きです」だよなあ。

2017-07-03

小原英治という漫画家について

まず言っておかねばならない。彼は間違いなく天才的な漫画家「だった」。

彼は『コリンズ先生気をつけて』というタイトル読み切りデビューしたらしい。らしい、というのは現物が手元になく確認できないのだ。

なんでも、1985年発売の「マガジンフレッシュ」とかいマガジンの増刊に載っていたようなのだが、マガジンフレッシュなどという雑誌存在インターネットからほとんど消失してしまっているのである。これではどうしようもない。

入手不能のデビュー作は置いておいて、デビュー単行本の話に移る。

先に言っておくが、この作家、たったの一冊しか単行本を出していない。

そのタイトルは「がんばれアニマルズ」……。タイトル地雷漫画のようだが、当然中身も地雷である。なんも面白くない。地雷中の地雷である。一巻で打ち切りになったのも当然である

ちょっと待て、小原英治は天才なんじゃないかって? それもまた真である

なぜならがんばれアニマルズは原作作画が分かれているのだ。小原英治は作画担当。クソおもんない脚本に対する責任は負っていない。

このがんばれアニマルズにおいても、小原英治はいかんなくその才能を発揮している――。躍動感溢れる画面、息を呑むスピード感。でも、脚本があまりにも異次元レベルでおもんないので、作画も霞んで見える。悲しい話だ。

……作画面に全く問題が無かったのかと言われると、女体が致命的にえろくないとか、カラーがひどすぎるとかい問題があるが、それでも圧倒的に脚本責任のほうが重い。

彼が真の才能を発揮するのは、この後描かれた漫画である。その読み切りたちのタイトルは「ベガ将軍の憂鬱」「ひとつだけ光るもの」「俺は待ってるぜ」「あとは神様にでも言ってくれ」だ。タイトルから察せられるとおり、この短編たちはストリートファイターアンソロジーに寄せられたものだ。

この短編脚本作画小原英治によるものだが、なんとまあ。おもしろいのだ、これが! なぜデビュー単行本原作をつけたのか問えるものなら問うてみたい。明らかに、彼一人ですべてこなしたほうがよかった。足を引っ張られすぎだ、あれは。

愚痴はここまでにしよう。この小原英治という漫画家、何が良いのかと言われると全て良いとしか言いようがないのだが、(コマ割りも構図もテンポもなにもかも上手い、絵が緻密だが読みにくくならないように白と黒割合が考えられている、ページに対する情報の詰め方が上手い。漫画教科書採用されてしかるべき出来だ)

なんといっても上手いのは、台詞回しである

とくに台詞が優れている、「ひとつだけ光るもの」の台詞引用しよう。

(場面は夜。たった一軒の家と、小高い丘、その上にはひとつだけ小さな墓標が立てられている。その傍に一人の男が居て、暗闇の中紫煙をくゆらせている。その傍らには一仕事終えたらしいスコップが置かれている)

――以下引用


ケン(妻が死んだ)

ケン膵臓ガン まだ20代の若さだった)

ケン(この手に残ったものといえば 家と幾何かの金 それに 発狂するには充分過ぎる程 退屈な日常

(なにかを思案して、家に入っていくケン

ケン(俺は昔 身を置いた世界へ再び 足を踏み入れた)

(ここで場面転換。ディージェイ相手ファイティングポーズをとっているケン

ケン(借り物の人生に 別れを告げるために)



ここまで引用――

どうだろう。この間、わずか一ページである。一ページで完全に舞台設定と登場人物の背景と物語の導入が、流れるように行われている。

なんだよそれだけかよ、たいしたことないじゃん、大げさじゃないか?と思われてしまうだろう。残念でならない。俺のつたない描写力では、彼のきわめてすぐれた台詞回しを支えている画面描写についてまではカバーしきれないのである

彼の漫画をここに貼り付ければ、この一ページを目撃しただけでたちどころに1万人程の人間がショック死することは請け合いなのだが。


ところで、この漫画、「イライザ死んでるって、どういうことよ!?」と思ったかたもいらっしゃるだろう。

それもそのはず。小原英治のスト漫画は、一つたりとも原作に準じていないのである

あらすじを列挙してみると、


ベガ将軍の憂鬱

ザンギエフブランカが女たちを奴隷にして死闘を演じさせている! リュウケンは助けを求める女の手紙に応え、(スケベ心混じりに)中東へ飛んだ。

からくも悪の幹部を打ち倒すとベガどや顔でやってくる。以下、台詞引用

ベガ貴様ら2人を政府高官に対する暴行障害の罪で拘束する」

ケン「!!」

ケン「ベ ベガ

ベガ「と言いたいところだが 今回は見逃してやる 早く逃げろ」

リュウ「なんで貴様が?」

ベガ「実は今この国で将軍をやっておる」 「知らんのか」

ケ「知らなかった」

ベ「三ヶ月前までは万事順調だったんだがなあ ザンギエフブランカ野郎国王にうまくとり入りやがって 見ての通りやりたい放題よ しか親衛隊ともなると俺もうかつには手が出せん」

ベ(そこで俺は一計を案じた)

ベ(女の名を騙って一筆書けばスケベで脳カラマッチョが来て奴等を始末してくれるのではと…)

ベ「しかしこれ程うまくいくとは」

ケ「お おいじゃこの手紙

ベ「私が書いた」 (日ペン三級)

ケ(なんつーガラに似合わぬ字だ)

ベ「おっ サツが来たぞさっさと帰れ」

ケ「てめえ こんだけこき使ってくれたんだ ギャラの一つも払ってくれるんだろな お」

ベ「つけとけ」

ケ「糞ったれの×××野郎!! ×××かんでしね~」

……という顛末である

「スケベで脳カラマッチョ」というあまりにもあんまり罵倒語個人的お気に入りである

ひとつだけ光るもの

上記導入の通り、イライザが亡くなり、ケンは格闘業を再開する。(この話において、ケン一時的に格闘業を廃業していた。……というか、財閥御曹司ですら、ない。取り柄といえる格闘家としての自分を捨て、おとなしく夫として

生きていたのだろうが、妻が亡くなったためにケン文字通りからっぽになってしまったのだ)

より良い闘いを求め、ケンは昔の仲間を頼るのだが、

フェイロン俳優として専念、キャミィ専業主婦本田親方としての仕事に集中し、ガイルに至っては行方不明である

チュンリー言及されていないが、おそらく(エンディング通りに)格闘家廃業している。刑事もやめているのかもしれない。

リュウに対して触れていないのは――死んだんだろう、たぶん)

落胆するケンに、ザンギエフが諭す言葉がつらい。(台詞引用

ザンギエフ時代が違うんだよ ケン

ザ「今や ケンカってえのは 衰退種である人類に許された最後蛮行なんだぜ そいつを見せ物にしない手はねえ 巨大資本メディアがついて廻るのさ」

ザ「今どき無償で痛い目にあう輩なぞいやしねぇよ」

ケンあんたはどうなんだい」

ザ「俺だって そうさ ここ何年かはショープロレスで喰ってる ロープに飛んで帰ってナンボの世界よ」

ケンは魂の抜けたような目で、静かにこう考えている。

ケ(俺はただ生き続けたいだけなんだよ)

これは1人の格闘家が牙を抜かれ、「借り物の人生」を生き、妻の死を契機にまた自分人生を生きる物語だ。

であるのに、最後モノローグは言いようもなくもの悲しいのだ。

サガットなら真面目に戦ってくれるだろう、という助言を手に、ケンサガットの元へ。(以下引用

ケンクエスチョン!」

ケンザンギエフが言うにはあんたは俺と同種なんだそうだが」

かませ「なんだよあんたそこをどけよ 俺選手

(かませを殴り倒すケン

ケ「そりゃ 真かね ダンナ

観客「ゲーッ なんだ おい 飛び入りかよ!! マジ?」

観客「これじゃカケになんねえよ」

サガット「シッ」

ケン「ぐが」

(わざとらしい殴り合いをしている 顔面血まみれ)

観客(こいつら― わざと―)

ケ「こりゃあ ズブロッカ4本は安かったかな」

サ「奴に言っとけ 4本しか飲れんようじゃ 退引け時だとな」

ただ1人本気で戦ってくれたサガットを倒し、満足げにリングに立っているケン

モノローグ引用

(ああ イライザ 僕はもう少し 生き続けることができそうだよ―)

スポットライトを浴びながら、そんなことを考えている。そうやって、ケン死ぬまで生き続けるのだろう……。そんな未来を思わせる終わり方だ。

「俺は待ってるぜ」

生意気アレックスをくたびれたロートルケンが殴る。

あらすじはそれだけで、この話は会話劇がたまらないのだが……。

現物を 入手 してほしい

この話に関してだけはちょっともう抜粋した台詞なんかでは到底伝わらないと確信が持てる。どうにかして手に入れろ。「ストリートファイターⅢ」のアンソロジーだ。今は潰れてる新声社のアンソロだ。

とにかく手に入れてくれ。話はそれだけだ。

I'll be waiting for you,kid.


「あとは神様にでも言ってくれ」

ガイルアベルを殴る話。

この話はフルカラーなのだが……。……。……。

ちょっと言いたくないのだが。小原先生カラーが下手だと思う。

2009年に発表された「あとは神様にでも言ってくれ」を最後に、小原英治は漫画から姿を消した。というか、この作品も十年越しぐらいに発表しているので、基本的寡作である

俺は最後短編が発表されるまでは「病気になったのだろうか、漫画が描けない程の……」と思っていたのだが、どうもそんな気がしなくなった。

「あとは神様にでも言ってくれ」はデッサンも整っているし、線が乱れているわけでもないし、空間認識力は問題がなさそうだ。色彩感覚は元から妙なので病気をしたということもなさそうだ。

俺の考えていた脳や神経や目の病気という線はどうも薄いように感じるのだ。

であれば、残るのは経済的問題だ。

漫画家で稼げるのはごく一部の人間だけである

であるので、たぶん、別の業種に行ったのだろう。ふつうサラリーマンでもやっているのだろう。

……悲しい。

損失である。彼の新作漫画が読めないという事実は、全人類にとって大きな損失である、と断言できる。

もしも彼が「漫画家では生活が立ちゆかないから」漫画家をやめたのだとしたら、言いたい。

あなた生活が安定すること」よりも。

あなた漫画を描いていること」のほうが、明らかにこの宇宙において優先されるべき事項であると。

もしも彼の知人がこの文章を読んでいるのなら、彼を無理矢理にでも表舞台に引きずり出してほしい。

だいたい、今どき絵で金を稼ぐのがそんなにハードル高いのか。

ただの漫画家ならともかく、彼は天才だ。できる。やれる。金を稼げる。絶対稼げる。

から、描いて欲しい。

というか、描け。漫画を描け。可及的速やかに描け!

以上、一ファンの主張でした。

2017-04-17

http://anond.hatelabo.jp/20170415230107

追記:

とりあえず直接の疑問について。

そもそもそんなすぐバレる事確実な犯罪を何故犯すのか、って事になるんだけど。

ん。だから前文で「ある程度は衝動的な犯行ではあっただろうが」と書いている。合理的判断すればリスクに見合わない行動であっても、時として人はそこまで完全に自分自身を理性下に置くことはできない。だからこそ間違いが起きる。

殺せばバレないと思ってた?でもそれにしては証拠残しすぎ

口封じや事件の隠匿を狙った殺人効果的だ、という話はしていない。ただ、罪を犯してしまった人の心理として、明日捕まるのと1週間後に捕まるのでは、そこには越えられない壁があるという話に過ぎない。そのまま被害者目撃者)を放っておけば、短時間で捕まってしまうだろうと考えた加害者が、事件発覚を遅らせるためさらに重大な犯罪に手を染める、という心の動きはそこまでおかしものではなかろう。…それが頭の悪いものであっても。

証拠を残しすぎなところを見ても、計画性の薄いかなり衝動的な犯行であったが故の悪あがき(殺人死体遺棄)であったように思う。

あと、なんというか、ロリコン得体のしれない理解不能ものとして犯行動機を探るよりは、鉄道車両痴漢が発生するプロセスから紐解いた方が理解やすいんじゃなかろうか。

痴漢というのは、狭い車内に沢山の人が乗り込む満員状態によって引き起こされる。これは多数の人間同士が密着することによって、誰の身体が誰の身体に触れているか判断がつかない状況が生じているせいだ。こういった状況下で気が大きくなる心理というのは、容易に理解できるかと思う。匿名ブログサービスからついつい余計なことを書き込んじゃう心理は、自分が今味わってるそれだ。

幼児を狙った性犯罪誘拐がセットになるのは、成人女性に比べて単独でいる時間が少ないせいというのが主な理由だろう。あと運びやすさ。性犯罪殺人強盗に比べて犯行にかかる時間が長い。故にターゲットを人目につかない場所まで誘導誘拐する必要が出てくる。人気のない夜道を歩く女性や、一人暮らし女性宅が狙われやすいのは、犯罪者からすれば自明の理だ。

からこそ幼児を狙った性犯罪の多くが、身内や近しい人間犯行となりやすい。妻の連れ子や、学校や塾の教え子などは長時間密室ふたりきりになる機会が生じやすく、また社会的立場により口封じがし易い(自分我慢すれば母親が悲しまない等)環境も整っており、多くの悲劇を生んでいる。

今回の件も、たまたま相手誘導のしやすい子で、かつ目撃者のいない空間が整っていたからこそ魔が差ししまった、という単純な話ではなかろうか。

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なんというか、こんな的外れロリコン分析を真に受けちゃうのかと驚かされる。

性犯罪にかかわらず、殺人副次的ものである場合加害者の心の動きというのは、だいたいが口封じのためだ。

今回の事件でいえば、ある程度は衝動的な犯行ではあっただろうが、徹頭徹尾パトスに駆られた人物という犯人像は、いくらなんでも現実的ではない。逮捕された容疑者男性が実際に犯人であるなら、亡きロバートKレスラー苦笑いしそうな心理分析必要なく、「顔見知りに近い人物による犯行がための目撃者被害者)の殺害」で説明は事足りる。というか地理的な要素をまず検討するってのは、殺人事件捜査では基本じゃなかろうか。

無論、増田友人が想像するような犯罪者がいないわけでもないだろうし、上記の分析仮定仮定を重ねたものだが。

いずれにしても、ロリコンがすべて同じような理想を抱いているという増田友人の言は、暴論にすぎる。あまりにもモヤモヤするので、ロリエロマンガについての個人的な分類を語りたくなってきた。

ロリエロマンガは大雑把に2つに分類されると考えられる。

リアル系ファンタジー系(仮称)だ。

それぞれの特徴を説明する前に、身体的にも精神的にも経済的にも未熟な幼児を性の対象とするということがどういったことか、改めてざっくりと説明しておきたい。

相手苦痛・損害を与える、だ。

当然ではあるが、だからこそ幼い子供は法によって保護されている。

ロリエロというジャンルを捉えるなら、まずここが出発点といえるだろう。

リアル系の特徴

これは現実的シミュレーションを含んだもののことだ(リアルだとは言っていない)。上記の点により肉体的・精神的な苦痛を伴ったり、救いのない展開や、レイプ児童売春性的搾取といった犯罪的な要素がついてまわる。

また、リアル系の傾向はストーリーだけではなく、絵柄にもその傾向が見て取れる。

それらの特徴を内蔵的と仮称する。

内臓的絵柄とは、人体デッサンにおいて、皮下の骨格や内臓といったものをしっかりと踏まえた、解剖学的な正しさを感じさせる絵柄のことだ。かなりざっくりと説明するなら、ごつごつとしていたり、あばらを描いていたり、目の大きさが現実的サイズの絵柄のことだ。

こういった身体的なデッサンの人体は、苦痛表現するのに適しているのだろう。猟奇的作風作家にも多い傾向だ。

LOたかみち氏の爽やかな表紙に反して、こっち系の作家が多い。というか、町田ひらく氏といったこっち系のドきつい人がいたりするので、リアル系が苦手な人には正直、キツイ

キツイ

ファンタジー系の特徴

ファンタジーといってもRPG世界といった意味ではない(お約束)。現実リアル)の対義としての非現実ファンタジー)だ。どうしても犯罪臭はあるもの苦痛や鬱展開はほとんどなく、概念としてのロリを具現化させた存在と戯れる傾向にある。

そのため絵柄の特徴もリアル系内臓的なものとは対照的スキン的絵柄となっている。具体的には、きめの細かい肌触りや柔らかさといった表層の部分を重視する人体デッサンのことであるつるぺたという表現死語化してひさしいが、要はあんな感じだ。

LOでこっち系といって思い浮かべるのは阿骨打先生だ。個人的トップに入る好きな作家だが、死亡説が囁かれるくらいには寡作な方である(そうなる事情も分かるので複雑だ)。

余談だが、熟女エロマンガの絵柄の特徴は肉的だ。

ロリエロマンガは出発点が出発点だけに、分類がはっきりしているジャンルだと感じる。

が、近年はスキン的絵柄のリアル系ストーリーみたいなハイブリッド型の作品じわじわと広がってきている。クジラックス氏の例の作品あたりが起点だろうか。

ともあれ、人の性的指向なんて十人十色から惹かれ合ったりするわけで、一口ロリといっても、それのどこに着目するかは人それぞれなのだ。と書いたら急に口調がアライさんみたいになってしまったのだ。

フェネック、もう終わるのだ。

2016-11-06

3巻以内完結のおすすめマンガ (2016)

1年前ぐらいに書いたこエントリー

3巻以内完結のおすすめマンガ

http://anond.hatelabo.jp/20151017231411

がそこそこ好評だったので、改めてタイトルを追加してみようと思って書いてみます

順不同で、試し読みがあったものリンク貼ってます

リーチマン(3巻完結)

http://morning.moae.jp/lineup/121

主人公テツローはフィギュアの造形師を目指す主夫だが、数年間くすぶっている。

そんなテツローと、彼を支える嫁との生活を描いた作品

ほぼ作者の実体験にもとづいて描かれており、自分の夢に向かいながら生きることの難しさや不安真摯に向き合った作品だと思います

テツローと嫁の掛け合いがたまらなくいいです。というか嫁がかわいくて強い。

初めて父親になるシーンはとても美しいです。

バランスポリシー(2巻完結)

http://shonengahosha.net/works/baransupor_001.html

EAT-MAN』『地球放課後』の吉富昭仁による、トランスセクシャルフィクション

女性出生率の減少した世界で、国の要請子供を産むために性転換した少年と周囲の関係性を描く。

作品全体を包むやるせなさ、物悲しさがたまらなく良いです。

・HaHa(1巻完結)

http://www.moae.jp/comic/haha

ハイスコアガール』の押切先生騒動最中に始めた、自分ルーツと向き合う物語

裏表紙にある

自分をこの世に生んだ人間の半生、

必ずそこには物語存在する。

歴史の授業で赤の他人の事はたくさん知ったのに

目の前にいる母の歴史は何も知らない。

いつか母が死んでしまった時・・・

母の事をもっと聞いておけばと

後悔の念で涙するのは嫌だ。

僕は思う

親の半生に関心を持ち敬意を持って

人生話に耳を傾けるのも一つの孝行だと」

という先生言葉がこの作品を端的に表しています

自分ルーツとしての母親の半生をたどるという試みを面白く、感動的に描いている作品です。

雲出づるところ(2巻完結)

http://kc.kodansha.co.jp/product?isbn=9784063002416

2012年に亡くなった土田世紀作品

駆け落ち同然で結婚した出水と十一。

駅で拾った子供を育てながら幸せ暮らし、やがて出水妊娠する。

しかし、同時に子宮頸がん発症していることが判明。

癌を患いながら出産を決意した出水と十一の、闘いの日々を描く。

生きていくことの不条理さを詰め込んだ作品で、希望があるのかどうかすらわかりませんが、

それが著者が人間の生死というものに徹底的に向き合った結果なのだと思います

この作品を読むたびに私は勇気づけられます

・名づけそむ(1巻完結)

http://shodensha.tameshiyo.me/9784396766740

誰もが持つ、「名前」にまつわるエピソードを集めたオムニバス

日常の意外な瞬間に、ありふれた名前を通して、ささやかな喜びや希望、そして胸が締め付けられるような切なさや痛みを感じる人々の姿を全10編で描く。

上にある試し読みのように、短編でこれだけ描写の重さを乗せられるのはすごいなと思いました。

個人的には元吹奏楽部長の話が好きです。

・闇夜に遊ぶな子供たち(1巻完結)

http://renta.papy.co.jp/renta/sc/frm/item/6274/

『死人の声をきくがよい』のひよどり祥子の、うぐいす祥子名義の作品

霊感が強く、よからものが近づくと体調を崩す少女マコとその兄・トシオに降りかかる災難の数々。

多少のグロOKであれば読んで損はない作品です。

私の中では『度胸星』『預言者ピッピ』に並んで続きが出て欲しい作品。誰か。

・木版漫画集 或る押入れ頭男の話(1巻完結)

(試し読みがありませんでした)

あとがきで「私は、二冊の木版漫画集を刊行する為だけに、私の人生、10年間をそっくり使い果してしまった。

それが良かったのか、わるかったのか、今は判らない。」というぐらい寡作な藤宮史先生作品

人間不信から内向的になり、大学にも通わずアパートの一室に引きこもった青年が、何もかも捨てていっそのこと押入で暮らしたい、いや押入そのものになってしまいたいと思っていたら、

ある日男の顔は本当に小さな押入れ然となっていた。家を追い出されその日暮らしをする中で、彼はどこに辿り着くのか。

木版ならではの重厚さとストーリーの重苦しさがマッチしていて、これまで味わったことのないような読み口の作品でした。

その他、最近読んだ漫画では

・こども・おとな(1巻完結)

http://www.s-manga.net/omf/omf_978-4-08-890409-2.html

人魚王子(1巻完結)

http://sokuyomi.jp/product/ningyoouzi_002/CO/1/

なども良かったです。

最近漫画の読み方が保守的になってきているので、自分にムチを入れる意味も込めて書いてみました。

みなさんのオススメも教えてください。

というか、増田って見ない間にこんなスパム汚染されてたんですね。ビックリした。

2015-11-16

ジョアンスファールがシャルリー・エブドの漫画家だって!?

フランス語圏漫画日本ではバンド・デシネ、略してBDとして紹介することが多いわけですが、そのBD世界で、ジョアンスファールは例外的なほど多作、かつアニメ実写映画監督を務めるなど多才なことでも知られています。一般にBD作家日本漫画家と比べると寡作なのですが、スファールの場合は、ほとんど日本漫画家かというくらいに多作なようです。

スファールの作品の中には宗教に対する風刺もあります。ただし作風は、おそらく一般にシャルリー・エブドの風刺漫画から想像されるようなものとは異なっています。たとえば長編ラビの猫』(これは自ら劇場アニメ版監督もしています)では「猫はユダヤ教宗教儀礼を受けてユダヤ人になれるのか?」という設定からストーリーが展開します。(さらに付け加えると『猫』ではユダヤ教ラビイスラム教修行とある出来事を通じて意気投合するシーンが描かれますさらに終盤は共に旅する仲間となります)

とりあえず、シャルリー・エブドで作品を描いたことによってスファールを「シャルリー・エブドの漫画家」と考えると誤解に繋がることは言っておきたい。

スファールという漫画家はシャルリー・エブドに作品を描いたこともある」というくらいの理解適当かと思われます

ただし、スファールは、シャルリー・エブド襲撃事件を受けていくつもの作品を発表しています

たとえばフランス語版ハフィントン・ポストの『Si Dieu existe』という作品

http://www.huffingtonpost.fr/joann-sfar/carnets-dessins-si-dieu-existe_b_6602154.html?1423152000

猫が言います

"Si Dieu existe, il ne tue pas pour un dessin."

神様はいるよね、でも神様は1枚の絵のために殺したりしないよね」

最後に、日本語訳のある2冊の本を紹介してこの増田を終えたいと思います

星の王子さま(バンド・デシネ版)

http://www.amazon.co.jp/dp/4861139562/

プチバンピ―学校へ行く

http://www.amazon.co.jp/dp/4870316544/

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