はてなキーワード: 川原礫とは
はい。
「そういう設定」派が優勢だけど、「単なる表現」派も無視できない割合、という感じ。
こういう時こそアンケート機能を使うチャンスなのでは!? と思ったので使ってみます! 現代日本が舞台のアニメ等に出てくる、髪の毛がピンクや水色や黄緑色のキャラクターは、— 川原礫;SAO23巻12月10日発売 (@kunori) January 4, 2020
roirrawedoc 真面目にこんな話してる横で目の大きさが頭の1/3もある事には触れてないの可笑しい
2020/01/06
https://b.hatena.ne.jp/entry/4679648957243667298/comment/roirrawedoc
ということだけど、
今日読んでたマンガで、ピンク髪のキャラを他のキャラが「あのピンク髪の子」と呼ぶシーンがあって、しばし脳が止まったんですよね。なんというかこう…生来その色だとするとそういう遺伝子が存在する平行宇宙になるし、染めているとするとなかなかのパンクガールになるし…(続く)— 川原礫;SAO23巻12月10日発売 (@kunori) 2020年1月4日
この作家は
「ピンク髪は表現手法だと思っていた(表現手法ならどんな突飛な色でも飲む)が、設定に食い込んできてる事例を見て悩んでいる」
という話をしている。
この作家は元より絵の表現手法なら違和感は持っていないという認識を示しており、当然飲み込めるだろう。
作中で「人類の眼球は顔面の3分の1を占める」と言及されだしたらその時は悩むわけだ。
roirrawedocとこれに星をつけた人間はあまりにも文盲である。
てめえがこのていどの話も読解できないバカの分際で「可笑しい」とはなにごとか。
俺「なろう系 洋画、検索っと…(いかがでしたかブログでいいから引っかかってくれ…頼む…)」
Google「なろう系とかいうわけわからん単語は除外しといたぞヨウガキジズラー」
かくしてGoogleがまるでポンコツなので、私はいにしえより伝わるプランB(適当なことを書いて識者に突っ込ませる)をとることになった。
ロサンゼルスの有名レストランで総料理長を務めるカールは、口うるさいオーナーや自分の料理を酷評する評論家とケンカして店を辞めてしまう。心配する元妻イネスの提案で、息子パーシーを連れて故郷のマイアミを訪れたカールは、そこで食べたキューバサンドイッチの美味しさに驚き、フードトラックでサンドイッチの移動販売をすることを思いつく。カールはイネスやパーシー、仲間たちの協力を得て、マイアミからニューオリンズ、ロサンゼルスへと旅を続けていく。(映画.com)
最近見た中でいちばんなろうっぽいあらすじだと思ったのがこれ。パーティー追放→スローライフな感じがまさに。
各賞も取ってる評判のいい(し実際面白い)映画なのだが、なろう漬けにされた脳髄にはお約束が足りなく感じる。
もっと新店舗開店前後のドタバタを書け!最初は訝しんでたお客さんがいずれ常連さんになるような変化を描け!
「なにこの下賤な食べ物…」→「このキューバサンドうんめぇですわ!」みたいな感情の成長を描くんだよ!
貧富の格差が激化し、多くの人々が荒廃した街に暮らす2045年。世界中の人々がアクセスするVRの世界「OASIS(オアシス)」に入り、理想の人生を楽しむことが若者たちの唯一の希望だった。そんなある日、オアシスの開発によって巨万の富を築いた大富豪のジェームズ・ハリデーが死去し、オアシスの隠された3つの謎を解明した者に、莫大な遺産とオアシスの運営権を明け渡すというメッセージが発信される。それ以降、世界中の人々が謎解きに躍起になり、17歳の孤独な青年ウェイドもそれに参加していた。そしてある時、謎めいた美女アルテミスと出会ったウェイドは、1つ目の謎を解き明かすことに成功。一躍オアシスの有名人となるが、ハリデーの遺産を狙う巨大企業IOI社の魔の手が迫り……。作中のゲーム世界には、アメリカはもとより日本のアニメやゲームに由来するキャラクターやアイテムなどが多数登場する。(映画.com)
川原礫の3文字で説明が終了しそう。結末はともかくいい映画ではあった。
しかしなろう脳には敵の配置が不十分であるように思われる。この映画では「ライバルチーム」的なものがほとんど出てこない。なろう系では結構そんな鞘当てが楽しいのである。
「ただ金を稼ぎたいだけのオッサン」をラスボスとして書くのではなく(一部出してもいいけど)、「オアシスドップリな中毒者同士のドロドロファイト」を描いたほうが良かったのではないかなあと思う。
桜坂洋のSFライトノベル「All You Need Is Kill」(集英社スーパーダッシュ文庫刊)を、トム・クルーズ主演でハリウッド実写化。「ギタイ」と呼ばれる謎の侵略者と人類の戦いが続く近未来を舞台に、同じ時間を何度も繰り返すはめになった兵士が、幾度もの死を経験し、成長していく姿を描く。戦闘に対して逃げ腰な軍の広報担当官ウィリアム・ケイジ少佐は、戦闘経験が全くないにもかかわらず最前線に送り込まれてしまい、あえなく戦死。しかし、死んだはずのケイジが意識を取り戻すと、周囲の時間は戦闘が始まる前に戻っていた。再び戦死するとまた同じ時間に巻き戻り、不可解なタイムループから抜け出せなくなったケイジは、同様にタイムループの経験を持つ軍最強の女性兵士リタ・ヴラタスキに訓練を施され、次第に戦士として成長していく。戦いと死を何度も繰り返し、経験を積んで戦闘技術を磨きあげていくケイジは、やがてギタイを滅ぼす方法の糸口をつかみはじめる。(映画.com)
「死に戻り」系のかなり初期のやつの映画化。非常に良い映画化だと思うが原作に比べてヒロインの萌え度が大幅にナーフされており、論ずるに値しない。
唐突だが、変なこと語りだすよ。
次元の壁を超えて2次元へ行きたいというのは割とコモディティな願望だと思う。
一斉を風靡したセカンドライフ的なもの、現代でわかりやすくいえばSAOのアインクラッドのような場所に(デスゲームは勘弁してほしいが)行きたい訳だ。
で、叶うなら男性ならアスナ、女性の場合はキリトみたいな男女とイチャコラしたいみたいな話である。
もちろん、LGBTの方でも思い思いの相手がいることでしょう。
それを現実で叶えるのは難しいので、せめて仮想世界で実現したいのである。
それは逃避といえば逃避であろう。
でも、現実では自由度が低いが故に、別の世界で自由に過ごしたいというのは至極当然の発想ではある。
それゆえの逃避を誰が責めることができるだろうか。現実で辛い目にあったことがないものだけが石を投げよという話だ。
だがしかし、やはり仮想世界には制限が発生する。現実が仮想世界を侵略するのである。
例えば誰かを嫁に娶りたいとする。
まず、その仮想世界でセックスし子を成すとするなら、その時点でそれがエロゲーとして扱われる。
それくらいならまぁ成人指定であってもいい。実際に結婚だって成人がするものであるから。
だが、婚姻を成したいキャラはまずそんな世界に呼べないのである。
権利者というお父様が、そんなエロいことをさせるために産んだのではないというのである。
これも現実に近いといえば近い。
だが、現実世界では、いつかは嫁に送り出さなければならないと考えているだけまし。
2次元では誰もそのように考えていない。ずっと箱入り娘でいさせればいいと考えているものである。
そもそも結婚というシステムは現実では共同生活を送り、次の世代へ子孫を残すためのものである。
しかし仮想世界ではそんな制約はない。だからどれだけ請い恋い焦がれていたとしても、叶わないのである。
なんということだ。仮想世界は現実世界の侵略により現実よりも不自由になることが確定しているのである。
現実世界が仮想世界を尊重し、第二の現実世界であるという共通認識がされない限り、この制約は覆ることはない。
茅場晶彦は、何よりも現実の侵略から反逆し、別世界へ移住することを強く望んだんだなと思う。
彼の場合、それがデスゲームという形で表れてしまったのは少し残念ではあるが。
倫理コードを解除するとセックスができるというのも、単にエロいことをしたいという話だけでなく、
そもそも生活の延長として当たり前のことが当たり前にできるようにしたいという一環で実装されていたに過ぎないと考える。
決して川原礫が物語を紡ぐための都合として存在している機能ではない。実現しておくべき機能だから実装されていたのである。
あと、アスナはNPCじゃなくPCであるから倫理規定が必要だが、高度なAIを搭載したNPCの場合、同じように倫理規定が必要なのだろうか。
その場合、願望は叶わず、NCPには婚姻を拒否され、共に暮らすことは叶わない。
そんな現実を突きつける仮想世界にダイブしつづける意味がない。
仮想世界に於いても何者にもなれない。運命の果実は独りで食べるしかない。
そんな訳で、仮想世界へ逃避すれば妄想が実現すると考えがちであるが、現実世界の認識が変わらぬ限り、
プレイヤーはエロゲーしたいだけの奴に成り下がる上、本当に過ごしたい相手はその世界に呼べず、
今の暮らしで抑圧を感じている人への代替世界を提案してみたいと考えてみたが、このような理由により今のままでは代替不可能であるとの結論に至ってしまったのである。
ソードアート・オンラインの全裸さん――アドミニストレータは、
人の理から半ば外れ、神にも等しい力を持った、冷酷かつ妖艶な女性であって、
そのキャラクター性を裸体によって表現しようというのは、特におかしな発想ではない。
彼女は別に露出好きというわけではなく、カーディナル同様アンダーワールドが外界の人間に造られた仮想世界だと知っているので、アバターの裸を晒そうがどうでもいい、むしろ恥ずかしがるのは滑稽だと思っているわけです。つまり矜持とかそういうやつです!— 川原礫;2/17コミティア《あ13a》 (@kunori) 2019年3月9日
原作者もこのようにツイートしているように、他人の視線など意に介さない、彼女の超越的な立場を強調しているのである。
いや、賢明なる皆さんは「それは口実でしょ?」と思われるかもしれない。「本当はエロを描きたいだけなんでしょ?」と。
原作において、アドミニストレータの容姿について描写されているところを引用すると、こんな感じになる。
横たわっているのは、ひとりの女性だった。
銀糸の縁取りがついた淡い紫――《ステイシアの窓》とまったく同じ色――の薄物をまとい、身体の上で、白く華奢な両手を組み合わせている。腕や指は人形のように細いが、そのすぐ上で薄い布を押し上げるふたつの膨らみは豊かで、慌てて視線を通過させる。広く開いた襟ぐりから覗く胸元もまた、輝くように白い。
――13巻『アリシゼーション・ディバインディング』
ここから怒涛の勢いでアドミニストレータの美貌が称賛されていくのだが、身体の部分に言及しているのはこの箇所だけである。
また、この直後のユージオが誘惑される場面はなかなかにエロティックであるものの、それは精神汚染のようなものであって、アドミニストレータの淫靡な姿態が描写されるわけではない。
さすがに紫の薄衣は爆風に絶えられなかったのか、引きちぎられて消滅してしまったようだが、一糸まとわぬ己の姿をまるで意に介さず、アドミニストレータは右手を持ち上げると長い銀髪の乱れを直した。
この部分は先日のアニメで放送された箇所にあたる。元増田が言っているのもこの部分だろう。
読んでのとおり、全裸であることがさらりと示されるだけで、卑猥さは特に感じられない。
【マイリスト】SAOアリシゼーション21話 アドミニストレータのみ https://t.co/Ef7Si5Q8FU #sm34753890— ヨナ (@ExtraAteriaru) 2019年3月11日
小説だと「彼女は一糸まとわぬ姿をしている」と書けばそれだけで済むが、
アニメでは「一糸まとわぬ姿の彼女」を描き続け、映し続け、動かし続けなければいけないのである。
今回の件については、以上のような媒体の違いが原因としてある。
川原礫『ソードアート・オンライン アリシゼーション』
時雨沢恵一『ソードアート・オンライン オルタナティブ ガンゲイル・オンライン』
綾野ことこ『ツルネ』
友麻碧『かくりよの宿飯』
大森藤ノ『ダンジョンに出会いを求めるのは間違っているだろうか』
伏瀬『転生したらスライムだった件』