はてなキーワード: 蛭子能収とは
一人暮らしの俺の部屋に中学の同級生のアバッキオがやってきた。ムーディー・ブルースで俺の普段の奇行を勝手に再生され、二人でゲラゲラ盛り上がる。
その話を聞いたテレ東のプロデューサーが、アバッキオをスカウトし始まったのが「アバ、ついて行ってイイですか?」。アバッキオが街の人々に直接交渉し、家について行ってムーディー・ブルースで外では見せない家の中での行動を再生するこの番組は大いに人気を博し、後に映画化するにまで至る。この活躍によってアバッキオは蛭子能収に負けず劣らずの人気者になったのであった。
ちなみに、同じテレ東で放送されたドラマ「フィッシング・マンモーニ・ダイアリー」は釣り友達のおっさんの正体が組織のボスだと知ってしまった主人公のペッシが殺されたため、2話で終了した。
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/togetter.com/li/2052877
動画をアップする方もそれを喜んで見ている方も、どういう気持ちなんだか心底理解できない。小学校高学年くらいの一番バカだった頃でもこんなことしなかったと思う。
ほんとか?テレビや漫画で「変な人を笑う」っていう事が溢れかえってるのに?
俺の子供の頃とか「学校へ行こう」って番組が大人気だったんだけど、知らない?恋愛企画で出てくる変な男や、未成年の主張や歌企画で変な人出たらみんなで嘲笑する番組
今で言うと月曜から夜更かしがそれだな。
そういうんじゃなくてもジミー大西や蛭子能収を笑うノリって、つまりそういう事だったじゃん。
ちょっとジャンルは違うけど藤波、天龍、長州を笑うのだって同じだよ。
こういう笑いは今もテレビで見るよね。クロちゃんを笑うのだってその延長だと思うぞ。
漫画だってそういうの人気だったよ、浦安鉄筋家族や稲中卓球部がそれ。
海外にもあるよね、ミスタービーンとか初期のジムキャリーとか。
ブコメにも指摘あるけどインターネットだとそういうのがミーム化するよね
性の喜びおじさんとか駅で乳首いじるおっさんとか。この辺は「変態は笑って良い」って事になってるんだろうな
何が言いたいかって言うと「自分が笑えなくても、こういう笑いは世の中に溢れかえってるよね」っていう話。
小学校高学年なんかこんな奴ら腐る程いただろ
さすがにこれ見えてないのは不思議
知名度、後世への影響、漫画史的意義などを独断と偏見で考慮した上でサブカルくそ野郎フィルターで濾した二番煎じを俺も作ってみたぞ増田ァ
一部の反出生主義なオバチャンがタイトルのような主張をしているのを時々見かけるので、n=1でしかないが実体験を踏まえて反論する。
家事と性欲処理の2点だけで考えるとすれば、独身の方がどう考えても安く上がる。
(そもそも結婚をこんなクソみたいなコスパ基準で考えるなという指摘には完全に同意です。同意するのでタイトルのような主張をする女性にも言ってやって下さい)
今は妻子持ちだが独身時代は一人暮らしで、最初はイヤイヤながら家事も自分でやっていた。が、仕事が忙しいとか色々言い訳してあっという間にサボりはじめ、毎日ほぼ外食かコンビニで済ませて掃除もほとんどしない、という自堕落生活になってしまった。
そんなとき、会社の既婚の先輩が使っていた家事代行サービスを教えて貰って、自分も使うことにした。
隔週で来てもらって夕食作り置き、掃除、洗濯で、確か代金3,2000円/月だったはず。
作り置きは流石に2週間は持たなかったが、それでも外食頻度は半分以下になり、食材の値段を差し引いても食費が半分になった。しかも掃除洗濯付き。
また、大学で彼女に振られてからは長いこと付き合いもなく、溜まったら月一回くらい風俗に行ってたので性欲処理の費用は2,0000円/月。二回行っても4万。
というわけで、独り身男の家事+処理の費用は多めに見ても毎月10万円程度である。
しかし、夫婦で暮らす場合は二人だけの生活費でも10万円じゃ到底足りないと思う。私の場合もそうだった。
事情により新婚時から妻は専業だったが、当時は節約しても貯金のペースが独身時代の数分の一になった。
長々書いたが、「タダでS○Xできるわーい!」と言いながら結婚する男の話なんてほとんど聞いたことがない。そんなの蛭子能収さんくらいだと思う。
そもそも男の少なくない割合が「経済的にやっていけるか不安」とかで結婚したくないって言ってる時代に、無料の家政婦もヘッタクレもあるわけない。
健康番組で蛭子能収さんがレビー小体型アルツハイマーと診断されていて、そのときに「死ぬのが怖い」と言っていたのが印象的だった。
へらへらして冗談ぽくいるいつもの様子とは違い、心底から恐怖と拒絶が湧き上がってるといった様子で、
蛭子能収みたいにそれなりに成功してあの年齢まで人生を十分やりきってるなら思い残すことなさそうだなぁ〜とか勝手に思ってたけど、死ぬのが怖いそうです。
自分は今日明日にいきなり隕石で頭吹き飛んで死んでも別になんとも思わないんだけど、何が違うんだろう。
もちろん100歳までは生きる想定だし健康維持のために運動したり食事生活気にかけてたりするけど、寿命が前後したりいきなり明日死んでも特になんとも無い気がする。
60超えて死んでも、まぁそういうもんだと納得出来るし、俺なんて生きてても死んでても世の中に対してなんの影響もないし、俺が死ぬとかどうでもいい気がする。自分が死ぬの悲しい?
痛いとか苦しいとかは嫌なのまぁわかるけど、死ぬこと自体にはそんなに拒絶感あんまりないんだよなぁ。
ブコメとかだと60までに死ぬとか訳知り顔でのたまってるコメントいくつか見かけたけど、こういう人って蛭子さんみたいに現実の死を眼前に突きつけられると狼狽えて、同じように死を拒絶しそう。
自分の生き死にをコントロール可能なものと捉えている感じが、浅はかと言うか、現実見えていない。
もちろん60までに死ぬ可能性十分あるけど、日本人の寿命みてどのぐらいの寿命が想定されるかとか、確率計算して人生設計するだけなのに、そういうことやってないひと多そう
不確実なものを恐怖するのはまぁ本能として理解も出来るけど、人間は不確実性を上手く把握して捉えることの出来る生物になったんだから、いつまでそうやって類人猿みたいなメンタルで生活するつもりだよ!
・何度もルールを覚えようとするけど結局めんどくさくてやめる
・会話の流れで麻雀の話になったときその場で自分だけルールが分からないことに引け目を感じる
・麻雀や公営競技に詳しい友達がなんとなく自分より大人に感じて内心いじける
・でもやっぱりルールは覚えない
・「ルールなんか脱衣麻雀ゲームで覚えるもんだ」というセクハラ野郎が定期的に湧く
・ルールは分からないけどアニメ版のアカギとか咲は楽しんで見ていた
・フリテンくんの内容もほとんど分からなかったけどわりと楽しかった
・でもかりあげくんやのんきくんの方が好き
・ルールは知らなくても『テンパる』という言葉は普通に使っている
・『役満』は良い感じの状態みたいな意味だと当て推量して雰囲気で使っている