はてなキーワード: 死活問題とは
自分はバイトで塾講師をしている大学生で、高3の受験生たちに「もっと夏期講習の講座を取らせろ」と会社から言われている。
でも自分が見ている限り、生徒たちは夏休みには自学自習するのがもっとも効率よく成績を上げて合格に近づける段階にある。
受ける講座を増やしてお金を失うだけならまだいいが、自学の時間まで失って成績が伸び悩む危険性すらある。
このような場合どうすべきなのかネットで軽く調べてみた。すると雇われている身分である限り、会社の方針に従うべきだとされていた。自分もこれには納得できた。もっと講座を取るように働きかけないなら、バイトを辞めるべきである。
でも田舎なので他に満足の行く時給のバイトがない。奨学金とバイトで生活費を賄っているので死活問題である。だから自分は生徒のためにならないと分かっていながら、夏期講習を取らせまくるように働かなければならない……
正義を貫通すRPGというテーマが掲げられたゲームがあったなあ、と思いだした。確かテイルズオブヴェスペリア。正義を貫ける環境にあるってのは、大事だね。
異性愛によって複数の子供が生まれると兄弟(女性も含む。『はらから』)同士で1/4しか遺伝子のかぶりがない。
つまり4/3は他人でしかもわがままな子供だ。(異母兄弟・異父兄弟だと1/8のカブりしかない)
ほぼ他人のわがままな子供同士で育つと、自分はきょうだいにくらべてこういう個性を持っているとか、きょうだいにはこういうケアをしてあげないと勝手に死ぬとかいうことが無理なく刷り込まれる。いやきょうだい喧嘩など無理もかなりあるけれども。だいたい姿を見せないときは悪いたくらみがあるときとか、全力の泣きわめきも30分待てば疲れて寝るとかを体感で学ぶ。
これが定型発達の基礎だ。
一人っ子や一卵性双子のみだとこれは起こり得ないので、発達が不定型になりがちだ。
おなじくらいの知性でわがままで泣きわめくのがいたとしても親以上の年代(認知症や人格障害など)である場合は
子供にとって何を要求しているのかが理解し得ない。「ふられた大人を慰める」など子供にとっては高度すぎる(最近のロリペドフィクションの一部はここを嘘をつきがちで軽率で嫌い。キャラであっても子供に大人対応・神対応をおしつけるな)。
また、他人より凹んだ能力が多くあって不定形な子供も一人っ子の場合、親が「子供だからこれくらいできないのは当たり前」とおもって完璧にカバーしてしまう。
カバーされたまま育ち切ってしまうと、偏食だったり、寝坊がちだったり、忘れ物しがちだったり、子供同士の付き合いが下手だったり、えこひいきされた軽く怒ろうというモードを入手できずいちいち憤死しそうになる、という困った子状態が大人まで続く。
ちなみに兄弟がいると忘れ物は親にもとどけてもらえずにいちゃんねえちゃんにクラスルームにとどけられたあげく、へえ弟ちゃんあの子と仲いいのぉとか余計な詮索をされて地獄だから死活問題である。寝坊、偏食はおいしいご飯をつくってもらえなくなる。親の愛情は分割されてあたりまえなのでどうやって親の機嫌をとるかもそこそこ覚える。
保育園にいけばだいぶ同級生づきあいがカバーされるとおもうかもしれないけれども、それも大人対子供の1対1が多数あるだけで子供同士はわりと隔離しておいたほうが楽なのでそうなってしまっている。そこでも兄弟がいる子といない子ではだいぶ違う。
24時間365日一緒にいて、一緒にお年玉をもらうようなきょうだい付き合いではないし、喧嘩はかならず保育士が止めるので定型にはならん。
まあ、不定形のうち早くから診断名がついていた自閉症については脳内の神経にかんする遺伝子の発現不全が最近発見されてたんだけどね!(完全にうまれつき)
センサーとCPUの配線が狂ったコンピューターは自壊する、としか言えない。
定型のヒトにとっての快適や健康が、すべて不快と感じるようつくられた人造モンスターあるいはアンドロイドがいたと想像すれば
正しく重症自閉症患者やその家族の悲哀が理解できるにちがいない。
栄養のあるものには匂いがあれば食べない。噛むこともできない(歯ごたえが嫌い)。
たまになにかのきっかけで脳内にものすごくイヤな音がこびりつく。それをまぎらわせるため自分が大きな声で叫び続ける。
確かに認知症介護は負担も大きいが、その負担の大きい介護を、なんでアウトソーシングしないと思う?
アウトソーシングしてたら、ほぼ防げる事故だぞ。なにせ事故は企業にとって死活問題だから、介護サービスを提供する企業は、サービス提供以上に事故予防に全力だから。つまり、その失踪の殆どは自宅介護で起きてる。
こんなもん地上で爆発したらどうなるねん
https://www.youtube.com/watch?v=wtthhilAO3Y
昭和17年(1942年)5月、日本軍の攻勢により推移していた太平洋戦争は、後に戦局の変わり目として位置づけられる事になる「ミッドウェイ海戦」を目前に控え、重要な局面を迎えていました。
しかし、戦時中とは言え普段とほとんど変わらない生活を送っていたここ下湧別村の漁民にとっては、そんな国家の重大事など知る由もなく、折しもオホーツク海沖合に現れたニシンの大群の行方が目下の関心事でした。
ニシンの豊・不漁はその年の村民の生活水準にそのまま直結するため、その群の到来に村はにわかに活気づきます。
そんな5月17日、その日も沿岸では村の漁師たちが総出で網を仕掛けていましたが、その作業中に一人が波間に浮遊する金属製の樽状の物体を発見します。
そして、素人目から見ても異様な雰囲気を醸し出すその”水に浮く不思議な鉄の塊”がおそらく「機雷」であろう事に彼らが気付くまでにはそれほど時間はかかりませんでした。
思わぬ危険物の漂着に漁場は騒然となりましたが、「これが機雷であればなおさら放置しておく訳にもいかぬ」との”勇気ある”漁労長指示により網に掛けながらひとまず浜まで引き揚げる事にします。
数十分後、幸い移送途中で爆発する事もなく「ポント浜」の砂上に”恐る恐る”陸揚げされた直径約1.2m・長さ約1.5mの機雷と対峙した一同は、まず警察への通報が先決との判断により代表者が市街地にある派出所へと向かいました。
ところが、その時派出所では村の東側に隣接する「サロマ湖」内で時を同じくして発見された”もうひとつの機雷”を巡って既に大騒動となっていたのです。
”国籍不明”の危険物が二つ同時に漂着したこの”大事件”については、一帯を所轄していた「遠軽警察署」を経て直ちに「北海道庁警察部」へ連絡が取られましたが、意外にも警察部からの回答は「所轄署責任において爆破処理せよ」というまことに素気ないものでした。
実は北海道の特に日本海沿岸地域における浮遊機雷の漂着は当時それほど珍しくはなく、これまでの事例では当該所轄警察署の手によって難なく処理されていたという事実が、先の無関心とも思える本部指示につながる訳ですが、当地では前例がなく、ましてや爆発物処理の専門知識もない遠軽警察署としてはその対処方法に頭を悩ます事になります。
その後即刻開かれた署内幹部会議上では「軍の協力を仰ぐ」という策も提案されたものの、遠軽警察署長としては「他の署が自力で処理しているレベルの事案について他所の助けを乞う」などその自尊心が許しませんでした。
こうして、意地でも地元の手によって行わざるを得なくなった作業は約1週間後の5月26日午後1時に決行すべく、二つの機雷を「ポント浜」一箇所に集め、遠軽警察署の監督の下、その運搬・管理を地元警防団(警察や消防業務を補助する民間組織)に、そして爆破処理を管内にある「生田原銅山」の”発破技師”に依頼する事が正式決定されました。
しかし、この時署長の頭の中ではこれを機にもうひとつの”とんでもない”計画が進行中だったのです。
ここ下湧別村をはじめとする遠軽警察署所轄管内では普段大事件が発生する事もなく、平穏であるがゆえ警察署長の立場としては至って”退屈”な日々を過ごしていました。
また、生活のため日頃と変わらず農・漁業に勤しんでいる人々が、署長の目には「戦時中にも拘わらず危機意識がない不心得者」のようにも映っていました。
そこで、この機雷爆破処理作業を一般に公開、爆発の威力を見せる事で庶民の「戦意」と「国防意識」を高めると同時に、警察の威信を確固たるものにするべく画策していたのです。
かくして、村役場などを介し回覧や口コミで村内はおろか近隣地域にまであまねく周知されたこの”一大イベント”は、物珍しさも手伝っていたずらに人々の興味をそそり、更には当日わざわざそのために臨時列車が手配された事もあって、その日は爆破時刻の午後1時に向けて老若男女合わせて一千人規模の見学者が各地から現場へ向かっていたと聞きます。
さて、決行2時間前の5月26日午前11時頃、現場のポント浜では遠軽警察署長以下警察官9名と、署長命令によってなかば強制的にもれなく召集された下湧別市街及び近隣集落の警防団員約150名が事前集結していました。
二つ並べられた機雷を前に、あとは生田原から火薬の専門家が到着するのを待つばかりでしたが、しかしここに至って爆破方法を巡り現場が混乱する事になります。
通常、機雷の爆破処理というのは水中において一つずつ行われるのが定石であり、その日もそれに従って実行される予定でしたが、当日になってその事実を知る事になった漁業本職の警防団からの猛反対を受けます。
というのも、海中での爆破は一帯の魚介類を死滅させる恐れがあり、それは漁民にとっては明日からの生きる糧を失う事を意味しました。
彼らにしてみれば死活問題だけに警察側からの再三の説得や恫喝に対してさえ一歩も退く事は出来ず、しばらくの”攻防”の末、漁師たちのあまりの頑強さについに根負けした署長は陸上処理への変更をやむなく了承します。
粘った甲斐あって勝ち取った結果に安堵した警防団員たちでしたがその代わり、陸上で爆破するには現在近過ぎる二つの機雷を、誘爆させない距離として設定された約50mの間隔まで引き離す作業が待っていました。
こうして気乗りしないまま予定外の力仕事をする羽目となった彼らの心中には、これらが「既に機能を失った不発弾に違いない」という思いが一様にあったようです。
発見されてから1週間まったくの変化も見せなかったこの”錆びた鉄塊”に対して徐々に警戒心が薄れていった事に加え、ことサロマ湖から運ばれてきた方には、実は数日前に”命知らず”な村の鍛冶屋によってあろうことか持ち寄ったハンマーで叩くという危険極まりない試みがなされていますが、結果その衝撃にもびくともしなかったという事実も、「もはや危険ではない」と彼らを暗に確信させる要因になっていたのでしょう。
それぞれ多忙な仕事が待つ警防団員たちにとって、本業もままならない毎日を無理強いするこの”いまいましい敵”への扱いは、そんな思いもあってか最初と最後では大きく異なっていました。
初めこそその取扱いには慎重を期され、移動も衝撃を与えないように砂上をゆっくり”引きずる”方法がとられていましたが、この段階では労力を惜しんでか本体にロープが巻きつけられ無造作に”転がされて”いたと言います。
しかしやがて、鍛冶屋の”無謀な挑戦”を受けていない方、つまりオホーツク海で発見された機雷が、軟らかい砂から馬車道の硬い轍(わだち)の上に転がり出た瞬間…それは既に浜に到着していた気の早い数百名の”観衆”が見守る中で起こりました。
今まであれほどいかなる反応も示さなかった機雷が、まるでこの時を待っていたかのように火花一閃、大爆発を起こしたのです。
そもそも軍艦をも爆沈させるほどのその破壊力は当初の想像をはるかに超えるもので、破片は爆風に乗って障害物がない砂浜の中を数百メートルに渡り飛散、傍らにいた警防団員や警察官は言うまでもなく、一応安全を考慮して遠巻きに置かれた一般見学者の多くも無事ではいられませんでした。
爆発による黒煙が消えた後には、直径10m・深さ3mの穴と共に、周辺に斃れたおびただしい数の人々が残され、そのほとんどは瞬時にしてその命が失われたであろう様子が一目で判るほど現場は凄惨を極めたそうです。
現場から4kmほど離れた下湧別市街地でさえもその轟音と震動に激しく揺れたと言われるこの前代未聞の機雷爆発事故においては、死亡者112名・重軽傷者112名という未曽有の惨禍を見る事になりました。
そして、この”公開爆破”を企画した遠軽警察署長や、直前において爆破地点を変更させた警防団の代表者も、その過ちを悔やむ時間すら与えられないままこの日帰らぬ人となっています。
この大惨事により現場に居合わせた警防団員のほとんどが死傷し、下湧別村は多くの”働き手”を、そして家族にとっては一家の”大黒柱”を一瞬にして失いました。
「一体誰のせいでこんな事になってしまったのか」…機雷を放った知らざる敵か、現場に丸投げした道庁警察部か、それとも無謀な計画を立案した警察署長あるいは陸上処理を主張した警防団員か…もはやそれをぶつける相手もいない中、人々の行き場をなくした怒りと悲しみだけがポント浜には残されました。
合掌
だから票田を切り崩すため表現規制へ踏み込んだ?
完全な邪推だけれど、本当にもしそうであるならば勘違いも甚だしいぞ。
なぜ勘違いなのか?
第一に与党の勢いを削ぐための手法として表現規制をしても漫画好きは消えることはない。漫画好きを消すには生物的に殺すしかないだろう。
第二に表現規制をして漫画好きを追い込むと漫画好きは反表現規制を掲げる山田赤松両氏を擁する与党を支えようと動く。
第三にそもそも現代の表現規制をはじめたのは与党なので漫画好きは与党ですら疑いの目で見ている。
これらの理由から表現規制は何ら与党の票田を切り崩すことへ寄与しないばかりか、与党支持をより強固とし、野党の得票を減らす効果しかない。
「漫画好きは表現規制されると嫌なんだな。つまり今の動きは効果的というわけだ」という考え方は規制推進派へあるかも知れない。
認めよう。その通りで本当に効いている。効いているからこそ表現規制しようとする勢力から距離を置くし支持することはない。
表現規制推進派が効果的に動けば動くほど漫画好きの心は離れていく。
特に共産党、アナタたちはその党史から党員がマイノリティとして追い込まれた際、党員の結束が強くなったことを経験している政党じゃないか。
アナタたち野党が漫画好きを追い込めば追い込むほどに結束され与党支持の意志を固めていくんだ。
このような作用が気に食わないならば表現規制推進派は漫画好きを生物的に殺すしかない。
漫画を楽しいと思ってしまう心を私は止めることが出来ない。漫画を描くことを面白いと思ってしまう心を私は消すことが出来ない。
私の心をどうにかしようと思うのであれば私を生物的に殺すしかないだろう。
「なんで今どき病室にWi-Fi飛んでないの?」→病院からするとメリットが全然ないから
このトップブコメ見て愕然としたわ。乞食扱い? お前らこういうニュース見たことないの?
コロナで面会制限されてる中でネットの繋がりが入院患者にとって救いになるだろうって発想お前らにないの?
「スマートフォンの通信料は入院前より月一万円ほど多くかかった」ってあるようにそのくらい負担が増えるわけだけど、入院費用に加えてそのくらいの金額を気にせず出せる家庭ばっかだと思ってんの?
「厚労省は先月、医療機関の新型コロナ感染拡大防止のための補助金に、患者用のWi−Fi整備費用を加えた。一病院あたり二十五万円に、一病床につき五万円を追加して補助。」
お前らの大嫌いな厚労省だって入院患者のQOLのことを考えて1病院25万、病床辺り5万円の補助金出して推進してるんだぞ? はてな民は入院患者のQOLなんかどうでもいいどころか乞食扱いしてるみたいだけどさあ。
https://wifi4all.jpn.org/hospital/index.php
よくある疑問
#病室WiFi協議会っていう病院に無料WiFiを普及させようとしてる団体があるんだけど、人のこと乞食扱いする前にこういう団体のホームページを見て、なんで無料WiFiが必要とされてるのかって調べようとしないの?
「遠隔手話通訳を使えないと、ろう者は目の前にいる看護師さんと話をすることさえできません。耳の聞こえる人なら入院しても、目の前の看護師さんと話すためにお金はかかりません。ろう者等だけお金をかけて契約データを使わなければいけないというのはおかしくないでしょうか?」
「ろう者や障害者にとって入院中の外部との通信はエンターテインメントのためでなく生死に関わるコミュニケーションのためです。特にコロナ禍で肉親の面会さえ許されない時に、手話通訳者や介護者を病室に派遣してもらうことはできず、遠隔手話通訳のような通信に頼るしかありません。遠隔手話通訳を含む意志疎通支援は国が市町村の必須事業の一環として提供を義務付けているものです。病院にそのためのインフラがないということは、法的にも倫理的にも問題あるのではないでしょうか?」
例えば聴覚障害者にとって外部との通信は死活問題であるって想像するのはそんなに難しいことか?
患者のQOLの向上に無料WiFiが資すると主張することは乞食扱いされるようなことか?
なんでお前らは女性関係の特定の分野についてはあらゆる主体に無限の配慮を求めるくせに、地方の過疎自治体やこういう患者に対してはネオリベも真っ青の自己責任論振りかざすの?
大豆・塩・水のみを原材料にした赤味噌こそがほんものの味噌だ。
日本において味噌の起源は中国からの伝来であり、わざわざ「赤」味噌などと「赤」の文字をいれずとも味噌とは赤味噌のことだった。
しかしながら、時代が過ぎるとともに豆の使用量をケチって米や麦でかさ増しした味噌が登場することになった。
それが白味噌だ。
白味噌の登場により、従来の味噌は赤味噌もしくは豆味噌と不名誉な再命名(レトロニム)を受けることになった。
勘違いしないでほしいが、「美味い(うまい)」ではなく「旨い(うまい)」だ。
すなわち旨味の成分であるアミノ酸の多さによる比較で、赤味噌の方が秀でているということだ。
米や麦はたんぱく質含有量で大豆に劣るから、味噌を醸造する際のアミノ酸生成量も必然的に少なくなってしまう。
だから、大豆の使用量をケチった(あるいは全く使用していない)白味噌は赤味噌に比べて旨くないのだ。
赤味噌がすでに存在していたにもかかわらず旨味に劣る白味噌をわざわざ発明したのは、日本の歴史を鑑みるに致し方のないことだと考える。
明治時代以前の日本は常に飢饉と隣り合わせの生活を送ってきた。
凶作・不作は死活問題であり、政争や反乱の主要な原因は食糧難だったことは想像に難くない。
江戸時代(徳川幕府)は三百年近く続く長期政権となったが、それとて飢饉による一揆を武力で押さえ続けてきただけのことだ。
そうした時代においては、食糧生産は生産効率やカロリー効率の観点から米や麦の生産に注力していただろう。
それに比べて大豆は米や麦に比べて高価になるので、味噌づくりにおいて高価な大豆の使用を削減しようと白味噌を発明したことは、日本の歴史の必然であったといえよう。
高価な大豆の使用を削減して米や麦で味噌を醸造しようとしてきたことと醸造した白味噌を料理に適用させて新たな食文化を作り上げてきたことには、不断の努力があったことは想像に堪えない。
そうした先人の努力が現在の食文化を育んできたことを想像すれば、白味噌に携わってきた人に対して感謝の念は耐えない。
白味噌の存在そのものはもちろんとして、白味噌を発明した人も醸造してきた人にも罪はない。
製造コストにおいても赤味噌と白味噌とで大きく差が出る訳でもない。
江戸時代から続く老舗であり、かつては宮内省御用達(※)だったカクキューの八丁味噌でも、スーパーで他の味噌と同程度の価格で売られているのだ。[※ 宮内庁ではなく宮内省である。GHQ占領前は宮内省だった。]
八丁という名が示す通り、岡崎城から西に8丁(約870m)の距離にある愛知県岡崎市八帖町で製造された味噌のことであり、製造業者は「まるや八丁味噌」と「カクキュー」の2社である。
しかし、残念なことに八帖町以外の場所で作られた豆味噌でも八丁の商標を名乗る商品がいくつかあるのだ。
しかも、農林水産省の地理的表示(GI)保護制度によって、八帖町以外で作られた味噌でも八丁味噌を名乗れるように行政が推進しているという政治問題をも内包している。
こうした八丁味噌の不遇についても熱く語りたいが、本題ではないので赤味噌(豆味噌)一般に話を戻す。
今でこそ味噌は数ある調味料の一つだが、明治時代以前の食卓においては味噌汁として飲むだけでなく、小鉢に盛り付けておかずとしてそのまま食べることも多かったという。
おかずとして食べる味噌は、なめ味噌という形で今もその文化を残しており、有名なものに金山寺味噌がある。
しかし、食事全体のバランスや水分補給という面を考えると「一汁三菜」という言葉にある通りに(たとえ「一汁一菜」だとしても)「汁」は欠かせないものであり、それはやはり味噌汁だというのが日本の食文化において汎用的なありかたといえよう。
やっと味噌汁の話にたどり着けたが、タイトルで書いた通り味噌汁に使う味噌は赤味噌であるべきだ。
単に赤味噌の方が旨いというだけが理由ではなく、米飯との相性においても赤味噌の方が秀でている。
米と大豆のそれぞれが互いを生かし合って、口内で一つになるのが日本食の基本にして究極といえよう。
米は最上の主食であり貨幣でもあり神でもあり、さまざまに変化をする文化でもある。
かつて白米ばかりを食べていた江戸の町人は江戸わずらいに罹ったという。
江戸わずらいとはビタミンB1欠乏症のことであり、いわゆる脚気である。
カロリー摂取だけに主眼を置いた食糧需給向上において生まれた社会の歪みが健康を蝕むことになったのだ。
似たような例は海外にもあり、19世紀のアイルランドではジャガイモの不作が飢饉となるほどに食糧をジャガイモに依存していたので、国民病と呼べるほどに脚気が蔓延していたという。
では、ジャガイモを主食とする南アメリカ大陸でも脚気が蔓延していたのかというとそうでもなく、ジャガイモと一緒に豆料理も食べるのが伝統的な食文化なので、脚気になることはなかったという。
摂取カロリーのみを目的として食糧をジャガイモに依存した近世の北欧は、さながら白米の生産や流通を高度化して脚気患者を蔓延させた江戸時代の日本に近しいものがあったのだろう。
ちなみに、野菜や穀物を栽培することのできない地域に住むイヌイットは、発酵食品によりビタミンを摂取している。
イヌイットの伝統的な発酵食品にキビヤックがあることは有名だ。
アザラシの腹に海鳥を詰めて発酵させたキビヤックは悪臭の強い珍味として紹介されることも多いが、地元民にとっては貴重なビタミン摂取源だ。
南米やイヌイットの例から、伝統ある食文化には食糧生産やカロリー摂取の効率性だけではなく栄養にも一目を置いているといえよう。
もちろん、食糧生産の効率性向上によって生まれた白味噌なんかではなく、豆味噌たる赤味噌だ。
それにしても、白味噌や白味噌文化を否定するつもりはないが、白味噌の味噌汁は白米の飯に合わないだろう。
米を発酵させて作った白味噌で白米を食べるなんて、まるでライスとライスを組み合わせたライス定食ではないか。
そのような脚気的精神の産物である白味噌ではなく、やはり味噌汁には赤味噌を用いるべきだと断言できる。
米は甘く、大豆は旨い。
タイトルへの返答だけでもいいので、何か建設的な意見くれるとうれしい。
プーチンも側近も、ある程度、大衆の支持がないと政権を維持できないのだから、
核や経済力に匹敵するレベルで、「大衆心理への訴求力」が大きな「戦力」になる。
原始時代からそれは根源的な戦力源だっただろうけど、ネット時代で個々人の発信力が増してきた。
ともかくは目下のウクライナ侵攻。
ロシアに関しては、まず西側の情報に触れている若い人達は「まとも」な人が多い。
「まとも」というのは、
という最低限の状態を指す。
プーチン支持派はこれ以外の組み合わせで、
A.①✕②○ 大嘘に気付かないか、信じたい集団催眠状態で、真実に目覚めたら反戦に回る。
そのためには戦争肯定派の心理の型を徹底的に知らないといけない。思いつくだけでも以下が挙げられる。
・近視眼型 戦争のデメリットが見えない。経済制裁や国際不信の影響を軽視している。
・愛国心型 損得で動かない。団結の一体感で超強力な快感を得ている。敵の脅威を植え付けられることで、
その団結感が一層強まる。「生まれ育ち」という長い記憶に基づくので、愛国心自体は変えられない。
→対策:愛国心はしっかり肯定してあげる。脅威も理解してあげる。「敵」である我々の人間的面を見せる。
抽象的な「敵」を、具体的な「友」に変えて、団結の輪に含まれるようにしていく。
・サイコパス型 共感能力が無い嗜虐的なクズ個体。弱者をいたぶるのが好き。どの社会にもある程度の割合でいる。
→対策:集団の力で無力化するしかない。早期にサイコパス個体の芽を摘むこと。
プーチン支持派ABCは、上記のすべてが一個人の中に混在している状態。
なのでサイコパス性が高い個体を除いて、すべてのアプローチを込めて情報を作成した方が良い。
その点、シャワちゃんの動画は、かなり練られている。まず個人的なロシア愛を語りまくった上で聞く耳を広げ、
それから真実を提示し、子供・老人・女性が殺されていること、若いロシア兵が利用されていることを説いて心を動かす。
ただしロシア人に植え付けられた脅威への手当ては、別途補足がいるだろう。
プーチンが訴える主な問題、①NATOの東進、②これまでアメリカの侵略戦争、③クリミア/ドンバスの戦闘の実態、
④ウクライナのナショナリスト達の行動、これらを整理し、双方の正当性や汚点を正確に公平に併記しないと、
さらに言えば、ロシアや中国のような権威と平等を表面的にでも重んずる社会の構造を深く理解しないと芯には刺さらない。
地理条件が大衆心理を変えるのか。同じ漢民族でも香港人・台湾人と内陸人の国民性は変わる。遺伝じゃないなら希望はある。
またロシアの国粋系思想家が言うように、欧米の個人主義/資本主義における人の幸せもかなり残念なことになっている。
幸せに対する全人類の根本的な手当てこそが、中露の態度軟化に繋がるはず。
西側内の格差拡大や孤独化問題を放置して、「こっちにおいで」と言っても説得力がない。
いい加減、長くなってきた。プーチン支持派にどうやって伝えるかというメディアの話はざっくりと。
ロシア国内でも若い人ならちょっと調べれば、西の情報や動画自体を落とすことはできるだろう。西側のIT屋達も工夫している。
そこで得た情報を、どう配るか。プーチン支持派がネット見ないなら、反戦派がこっそりチラシ配ることになる(多分、もうやってる)。
メールは使える老人もいるだろう。メールの検閲レベルはどれほどだろうか。記録メディアをばらまくっていう手段は対北朝鮮で聞いたことある。
いずれにしても、聞く耳を広げる構成・心理術が大事になってくる。
たらればだが、こうなる前に、ロシア内の西側企業が、もっと巧妙に大衆心理戦へ加担できたんじゃないかなと。中国はまだ間に合う。
人は人を変えることはできないし、変えようとさらっと試みる(注意する、とかね)ことはしても本気で変えようとしてはいけない。
おそらくこれが正常な人の無意識に根付いた感覚なのだろうと思う。
だが虐待や虐めを受けてきた人たちというのは、そうではない。
周囲から力づくで変えられてきた人たちだ。
自分の意見は引き下げる、自分の行動は相手に合わせる、就寝・起床時間まで人にコントロールされることに慣れ切った人々は「人は変えられないなら生きていけない」ということを無意識に刷り込まれる。
よく自己肯定感の低い人はNoが言えないというが、これは自己肯定感が問題ない人から見た感想だ。
「嫌ならNoっていえばいいのに何であいついつもYesなんだ?」
すごい疑問だと思う。
自己肯定感の低い人は「Noが言えない」のではなく、「心の底に刷り込まれたYesと言わなかったときの結果」が恐ろしすぎてNoは絶対に口から出ない。
普通の人がNoっていうのに必要なエネルギーが1なら、こういう人たちが口からNoっていうときは、おそらく本当に今殺されるとか、誰がどう見てもNoだろと言える時じゃないといわないし、そういう時ですら下手するとYesという。
Noって言えないの「言えない」はその人にとってはNoということは死活問題なので言えないのだから、「なんでいつもYesなの?」と疑問に思えるようなレベルの話ですらない。
自己肯定感の低い人というのはこの捻じ曲げられてきた環境が常識であり、自分が弱いから、自分ができないからここまで激しく捻じ曲げられてきた、相手の言うことに合わせて自分を変えるのは常識としてできることという洗脳を親にされているため「いやーとりあえず受け取って平穏に済むならそれがいいかなーって思うんですよ」っていう感じの理屈を言う。
だけどこのNoと言えないの正体は「Yesといわなければ殺される」が客観的な正解だったりするが本人はすべての問題は周囲にではなく自分にあると洗脳されているから主観的な判断しかできなくなる。
そしてこれは同時に強い自己中心性の源泉にもなる。
「ハイハイみんなそう思ってるんでしょ、私がYesっていえばいいんでしょ?言わなくてもわかるわかる、断ってもいいんだよっていう事は内心ちょっとはYesって言えよっていうのあるからそういうんでしょ、そうじゃないなら代わりにやりますくらい言うだろうしね」っていうのが基本的な思考のスタート地点になる。
誰もそう思ってなくても「(いやみんな無意識にそういうのだしてるから、私は敏感だからそういうの読み取れちゃうんだよねーだから)いいんです、私がやりますから」とか言っちゃえたりする。
このカッコ内は一瞬で終わる本人にとって呼吸するくらいにごく自然で当たり前なプロセスであるがゆえに本人も気づいていなかったりする
大豆・塩・水のみを原材料にした赤味噌こそがほんものの味噌だ。
日本において味噌の起源は中国からの伝来であり、わざわざ「赤」味噌などと「赤」の文字をいれずとも味噌とは赤味噌のことだった。
しかしながら、時代が過ぎるとともに豆の使用量をケチって米や麦でかさ増しした味噌が登場することになった。
それが白味噌だ。
勘違いしないでほしいが、「美味い(うまい)」ではなく「旨い(うまい)」だ。
すなわち旨味の成分であるアミノ酸の多さによる比較で、赤味噌の方が秀でているということだ。
米や麦はたんぱく質含有量で大豆に劣るから、味噌を醸造する際のアミノ酸生成量も必然的に少なくなってしまう。
だから、大豆の使用量をケチった(あるいは全く使用していない)白味噌は赤味噌に比べて旨くないのだ。
赤味噌がすでに存在していたにもかかわらず旨味に劣る白味噌をわざわざ発明したのは、日本の歴史を鑑みるに致し方の無いことだと考える。
明治時代以前の日本は常に飢饉と隣り合わせの生活を送ってきた。
凶作・不作は死活問題となり、政争や武力闘争の主要な原因は食糧難だったことは想像に難くない。
江戸時代は三百年近くの長期政権となったが、それとて飢饉による一揆を武力で押さえつけて作り上げた仮初めの平和だ。
そうした時代においては、食料生産は生産効率やカロリー効率の観点から米や麦の生産に注力していただろう。
それに比べて大豆は米や麦に比べて高価になるので、味噌づくりにおいて高価な大豆の使用を削減しようと白味噌を発明したことは歴史の必然であったことだろう。
高価な大豆の使用を削減して米や麦で味噌を醸造しようとしてきたことと醸造した白味噌を料理に適用させて新たな食文化を作り上げてきたことには不断の努力があったことは想像に堪えない。
そうした先人の努力が現在の食文化をはぐくんできたことを想像すれば、白味噌に携わってきた人に対して感謝が耐えることはない。
白味噌の存在そのものはもちろんとして、白味噌を発明した人も醸造してきた人にも罪はない。
しかし、今では大豆は安価で大量に海外から輸入できるのだ。製造コストにおいても赤味噌と白味噌とで
なんで米を発酵して作った味噌を汁にして、米の飯を食わにゃあかんのや。
米と米で相性最悪やろ。
いつもAmazonではったい粉注文してるんだが、発送まで1か月もかかることになっている。
はったい粉を買おうと家から離れた大型のスーパーに行ったけれども、はったい粉は売ってなかった。
オートミールやミューズリーや雑穀米などの穀物は豊富にあったけれども、はったい粉は無かった。
きな粉や白玉粉などの粉ものも豊富にあったけれども、はったい粉は無かった。
どういうことだよ?
はったい粉はマイナーなお菓子の原料なんかじゃなくて、立派な主食だぞ。
事実、チベットでははったい粉を水やバター茶で練って作ったものが主食だ。
自宅のはったい粉のストックがなくなったら、仕方がないからオートミールでも食べようか。
はったい粉に比べたら、食物繊維が3割も少ない欠陥食だが仕方がない。
はったい粉と違い、水で溶くだけでは食べられず、加熱調理が必要で面倒くさいが仕方がない。
米? パン? 麺? 論外だ。
これもお前らがはったい粉を食べないせいだ。
食生活を見直す際には接種カロリーの大半を占める主食の選択に気を使うのは当然だ。
健康ブームでそうした人が増えたからには、オートミールやミューズリーの人気が高まるのも当然だ。
だから健康に気を使う人は、主食の調査の末にオートミールやミューズリーへとたどり着くのも当然だろう。
しかし、そこからさらに調査を深めて、はったい粉という最高の主食へとたどり着かないのはなぜなのか?
おかしいよ
はったい粉を食べて、さらに高いレベルへと至ろうとする気持ちはないのか?
貴様らがはったい粉を食べないせいで、はったい粉が食品として全然流通していないから、俺がはったい粉を食えねーじゃねーか!
おかしいだろ!
俺は、これまで幾年も、健康のために、はったい粉を食ってきたんだ!
今だにこのサイトよくわかってなくて間違えてブログに書いちゃったから移動した
もういい歳だし、子供を産める年齢までには相手を見つけなければ死も同然という悲壮な思いだった
今になって考えると、本当はそれほど異性にも結婚にも興味が持てなかったのだが、それよりも未婚であることで社会不適合者の烙印を押されることの恐怖がはるかに勝っていた
今でこそマッチングアプリやネット恋愛が堂々と語られているけど当時はやはり地下婚活というか、あまりに人に言えない出会い方だった
ただでさえネットで出会う人は一癖二癖あって、辟易していたが背に腹はかえられぬと、しぶしぶ登録していた婚活サイトを久々に開くと、そこにウホッいい男!と思える男が表示された。
特定避けのため詳細は伏せるが男は外国人で、日本語が達者だった
何より私の目を惹いたのは、私がかなりの旅行好きでガイドブックに載ってないようなところに行くほどのマニアだったのだがその男も偶然、同じ場所に行っていた
正直、そこに行く人間なんて日本でも100人くらいなのではというほどレアな場所だった
チャットの会話ではその話を中心におおいに盛り上がり、勝手に運命を感じてしまった
自分の第一条件としては「会話が弾む人」だったのだが、チャットではあれほど盛り上がったのに喋りの日本語はかなり下手で何言ってるかわからなかったし、そのせいで会話が全然噛み合わなかった
しかし「何がなんでも相手を見つけないといけない、さもなくば死」とすら思っていた私は本音をねじ伏せ、彼をキープリストに入れた
おそらく向こうも私をキープリストに入れたのだろう、さほど盛り上がらなかったにも関わらずその後もやり取りは続き、ディナーや団体旅行にも誘ってくれた
そんな中に起きた3.11
当時私は都内で被災した。ビルが倒壊してくるかも知れない恐怖、帰宅できないしんどさ 思い出すと結構きついので省略する
以下、長いけど読んでもらえるとありがたい
男の母国の大使館が避難命令を出し、その国籍の人間は某所にひとまとめにして待機させられたという
男からもすぐさま「大丈夫?」というメールが来て、私も心配されていることに嬉しさをおぼえた
だが同時に男は、そこで同じ母国の女と運命の出会いを果たしていた
すべてが落ち着いた翌月、私はそろそろ会わない?とメールをした
すると一言
納得いかねえ、ふざけんな
じゃあ私に連絡くれてたのは何だったの?
とにかく目標年齢である32歳までに出産しておきたかった私にとって死活問題だった
恥をしのんで言うと「これを逃したら次がない」という焦りだった
言葉も合わないし、一緒にいて楽しいわけではないが収入は平均以上で、ルックスも悪くないし家庭を築くことは可能であると一方的に思っていた
本当に恐ろしい考えだ
ただ唯一、彼の醸し出す雰囲気が何故かリラックスできて好きだったのは事実だ
何とでも言ってくれ 頭がおかしかった
ここからは本当に本当に恥ずかしい話で、今でも反省しているが私はその男に私がどれだけあなたを好きだったかという長文のメールを送り付け、レストランに呼び出した
彼女とは出会った瞬間に惹かれあい、その日のうちに付き合ったという
彼女のことはクレイジーで、優しくて、とにかく大好きだと男は言った
そんな短期間で夢中にさせる女って何?
私は劣等感を刺激されまくった
SNSでは男とまだ繋がっていたので、相手の女との様子が上がってくることがあった
女は体がデカく髪がボサボサで化粧っ気がなく、骸骨のような顔をしていて笑うと歯茎が飛び出るなど、お世辞にも美人とは言えなかった
だが恵まれた家庭で愛されて育ったようでSNSで親からもコメントが付いていたり、笑顔を絶やさず、学歴は欧米の超エリート大学卒業し日本の外資系企業で約2000万程度の年収を得ているらしかった
収入もともかく、男にみそめられるために無理して自分を押し殺し無理して男ウケするファッションや化粧をしたり、理解ある女を演じようとして失敗を重ねていた私とは正反対の女だった
しかも毒親育ちでつねに不幸感しかなく、心から笑ったことなんて数えるほどしかない私とは天地の差だった
「誰かと結ばれれば幸せになれる」そう思い込んでいたのに、見せつけられたのは「もとから幸せな人同士が結ばれる」という光景だった
お前みたいな毒親育ちとは世界が違いまーす、そう言われているような錯覚に陥った
ともかく、ありのままでメロメロに愛されている様子のその女が大嫌いだった
しかも私は結婚相手とは休みのたびに旅行に行きたかったのだが、二人が頻繁に旅行していたのもグサリと刺さった
そして二人が交際してから3ヶ月後には結婚をほのめかすような投稿が上がってきて、1週間ほど寝込んだ
冗談みたいな話だが、それから3年ほどガチで病んで食事が喉を通らなかった
重度の鬱で寝てばかりいたが、這うようにして出勤してた
よせばいいのに、SNSで男とその女に繋がるような情報を検索しては、幸せを見せつけられて落ち込むという時期が続いた
付き合ってもないのに、まるで10年つきあったラブラブの彼氏に捨てられたような感覚だった
これは失恋ではなく、自分が完膚なきまで否定された悲しみだったんだと思う
風の噂で、男は今はその女と家庭を築き子供を日本で育てているらしい
良かったですね
あれから散々もがいたが、これを遥かに上回る衝撃的な出来事(大事な存在との突然の別れが複数回、鬱でクビになりかける等)が続き、この件が自分の中で薄らいでいった
心理的ショックから逃れようと心理学や潜在意識の世界に興味を持ち、大学に入り直して勉強した
大成功もしておらず相変わらずの毎日だが、あの時期よりも確実に世界観が広がったと思う
そしてアラフォーになった今も独身だが、これで良かったんだろうなと思う
何より、本当は非婚主義者である自分を怖くて認めることができなかったのだ
実際、ラブラブだったのに離婚した夫婦が周囲に多いし、ネットを見ても結婚しなくて良かったと思わざるを得ない話がゴロゴロ転がっている
夫の仕事の都合で、通信速度とセキュリティの観点から個別にネット回線を引かなくてはならない。
そこで、物件を管理している不動産屋に確認を取ってから、入居する数日前に光回線を引くための工事の立ち会いをしていた。
すると大家さんが現れて「光回線を引くとトラックが引っかかるからダメ」とのことで注意を受けてしまったのだ。
ちなみにその位置にトラックはなかなか入って来ることはなく、運送屋さんなどは違う場所に駐車している。
「そもそも、マンション全体にワイハイ(言えてない)が使えるようにしてあげているのに、これ以上必要あるの?贅沢ねえ」と言われたが、結局私の代わりに工事の業者さんが説明してくれて、事なきを得た。
観た感じ、VDSL的なマンションWIFIサービスみたいなものかな。
それは違う、多分みんなそんなに深く考えてないし、
サバ読んですら高いって言われるような高身長女性が婚活市場に余ってるってだけでは?
モデル体型じゃない高身長女にとって身長差は割と死活問題だから
私も175cmののっぽ女だけど、
例えば165cmの男と付き合うとしたら相手はどうか
その相手が身長コンプだったら私なんかと付き合おうと思うかい?
自分より高身長の女と付き合ってくれるような男ならこんなことでいちいちギャーギャー言わないと思うのよ
個人的には相手が好いてくれてるなら160だろうが165だろうが良いけど、
こっちから好くなら170ぐらい求めても良くない?
まぁね
今回のは「人権ない」とか配信で言っちゃってるし、思うのは良いにしても言っちゃダメなやつだよね。そもそもあの人150cm台だし
【追記】追記編と初手編、日常用語編、国際編、人物編、二眼の説明を加えた。
anond:20220131231934にインスパイアされてやってみた。
省力のために一部wikipediaからの引用も交えながら独自の解説を記した。
一手で隅をほぼ専有できてしまう反面、中央から遠く発展力やスピードに欠ける。
江戸時代以前の古くから打たれている手であり三々よりは中央に近く、星よりは地に近いバランスの取れた手。
隅を占めるのに二手かかるのが欠点。
4・4の地点で碁盤の目印のある部分のこと。
後述の昭和の新布石時代からよく打たれるようになった手。それ以前は置碁くらいでしかあまり見られなかった。
地に甘いというのは、相手に三々に入られるとほとんど地を奪われてしまうためである。
碁盤において、この地点がもっとも高い地点であり、端は地面という概念となっている。
後述の厚みが確定地ではない未来への投資であるのに対し、序盤から陣地になる可能性が高い場所を実利という。
実利をとれば厚みを作られ、厚みを作ると実利をとられるという表裏一体な関係にある。
盤上において影響力を及ぼすことのできる、しっかりと連絡して眼形の心配もない強力な石の集団である。
「厚み」は「薄み」に対する対義語である。囲碁で「薄い」というのは連絡が十分取れていない形、眼に不安がある石のことであり、相手に攻撃される可能性を持っている状態を指す。
これに対して強力な「厚み」は相手からの攻撃を受ける可能性が低く、周囲に近づいた敵の石に対して攻撃するための基盤となる。また、相手が近づいてこなければ大きな模様や地を形成する拠点となる。
大きな地になりうる可能性のある勢力圏のことを指す。多くの場合、隅から辺、中央へ広がるものを呼ぶ。
手の順番や形を変え、定石等と比べることで本来の形に対して余計な石があることなどを評価し、効かし効かされを判断する。
1933年(昭和8年)に呉清源と木谷實が発表した、中央・速度を重視する新しい囲碁の布石のスタイル。それまでの小目を中心とした位の低い布石に対し、星・三々で隅を一手で済ませて辺や中央への展開速度を重視し、中央に雄大な模様を構築することを主眼とする。その斬新なスタイルと、これを駆使した呉・木谷の活躍により社会現象とも言えるブームを巻き起こした。
またAlphaGoの台頭以後、新布石時代に負けるとも劣らない布石の変化が囲碁界を席巻している。
例えば星への三々入りを序盤に行うの「ダイレクト三々」は相手に厚みを与えるため不利と言われていたがそれが平然と行われるようになった。
隣り合った隅・辺・隅の星を占める布石である。辺を打たず、隣り合った隅の星を占めるのは二連星と呼ばれる。中央に大きな模様を張ることを主眼としたスタイルで、武宮正樹が有名な使い手である。
安永流ともよばれる。星・小目・辺の星脇を組み合わせた配置である。
小目からシマリを省略して星脇へヒラく手法は、江戸時代初期に本因坊道策が使用している。
本格的な中国流の開祖は安永一とされ、中国には陳祖徳が広めたとされる。1965年の日中囲碁交流の際に非常に注目され、日本に逆輸入された。
右上空き隅、小目、相手の星へのカカリから星脇へのヒラキまでの一連の配置を指す。下図下辺の黒の配置がミニ中国流である。右上隅の着点は必ずしも決まってはいないが、星との組み合わせが最もよく打たれる。平成期に流行した構えだが、すでに400年ほど前に本因坊道策が試みていた。このため道策流とも呼ばれる。
序盤早々、周囲にまだ石がない段階で、相手の星に対して直接に三々に打ち込んでいく手段を指す。かつては全く考えられていなかった戦法だが、AlphaGoなどの人工知能がこの手を打つことから注目され、人間の棋士の間でも広く採用されるようになった。ダイレクト三々の名称は、2018年5月から河野臨によって週刊碁の連載のタイトルに使われ、定着した。
囲碁の基本的な手筋のひとつである。アタリの連続で、逃げる側は盤がある限りは逃げることができるのだが、盤の端まで到達してしまうとどうにもできず、石を取られてしまう状態をいう。逃げきれるつもりでこの手順に入ると非常に大きな被害を受けること、シチョウアタリという攻守が全く逆転する危険な変化があることから、「シチョウ知らずに碁を打つな」という格言もある。
シチョウの追いかける先に相手の味方の石がある場合シチョウが成立しないので、この手を選ぶことが多い。
相手の石にフタをするように斜めに置き動きを封じる。
一旦相手のふところに石を打ち、一度は取られてしまうが取った後の姿がアタリになっていてすぐに相手の石を取り返すことができる。
漢字表記では「追い落とし」となる。 ツグ手を打っても引き続きアタリになり、取られてしまう状態をいう。別名をトントン、ツギオトシ、バタバタとも。
相手の石にも自分の石にも触れないような位置に、文字通り「置く」ように打つ手のこと。動詞では「置く」となる。多くの場合一線や二線など辺の低い位置の、敵陣の急所に打つケースを指す。
相手の二団以上の石を同時にアタリにし、二眼を確保する手段。文字通り相手を押しつぶすイメージであることからつけられた。着手禁止点を利用して生きる手筋である。
相手の石をアタリにし、自分の石を相手に取らせた上でもう一度相手をアタリにする一連の打ち方を指す。途中、さらに捨て石なども交えることもある。多くの場合、相手を凝り形にし、自分が形を整える目的で打たれる。また、攻め合いの場面で相手の手数を詰め、攻め合い勝ちに導く手筋としても用いられる。また、あまり効果のないシボリを「西洋シボリ」と称することがある(前田陳爾の造語)。
ある石のダメが詰まることで、各種の不都合が生じる状態を指す。「ダメの詰まりは身の詰まり」という囲碁格言があるように、不必要にダメを詰めてしまうことは身の破滅につながり、碁において戒められる事柄のひとつである。
駄目については後述。追記編を参照。
ヨセ(終盤のこと)において相手の陣地を侵食するための鮮やかな手筋。
一見繋がってないようなところに打つのだが、見事に繋がっていて相手の地をかなり減らすことができる。
盤上にある石の一団は二眼(空間が2つ)ないとゆくゆくは駄目(呼吸点)が詰まり必ず取られてしまう運命にある。
これはルールとして定められているというよりは、石は呼吸点を有してないと取られる、着手禁止点には打てないという2つのルールから導かれる定理のようなものである。
2つ眼があると、駄目が最低でも2つある状態と着手禁止点が2つある状態が存在するため、着手禁止点を同時に2つ塞ぐことはルール上できないので必ず取られない最強の存在となるのである。
この取られない石の状態のことを「生きている」と言い、この「生きている石」の内側の領域が陣地となる。
この石の生き死にさえ理解できれば、初心者の、どっちがどっちを囲んでるのか、これは内側も外側も囲んでると言えるのではないか、という疑問は消えるだろう。
相手にそこを継がれると眼となる部分に先行して打って欠け目にすること。
「打って欠く」(打ち欠く、あるいは内欠く)の意
相手にそこに打たれると完全な二眼ができてしまう部分に先行して打てなくする、相手の石の一団を殺す必殺の手。
隅に打った既存の石から陣地を確保するためにもう一手かけて領域の守りを固める手
ふたつ隙間を空けて打つ手
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自分の石の斜めひとつ空けた場所に置くこと。●から見て★の手のこと。
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相手の石の隣にくっつけて置くこと
相手の石を挟むように置くこと
相手の石の斜めに置くこと
相手の石のつながりを断つように斜めに打つこと
相手の石がそれ以上侵入してこないようにせき止める位置に置く石
相手の石を押すように平行に打たれる石
目外しへのカカリから発生する定石を指す。派生する変化型が多く、複雑な戦いになることから、大斜百変、大斜千変とも呼ばれる、難解定石の代表的なもの。天保頃より特に研究が進み、現代でも多くの変化が生まれ続けている。
小目への一間高ガカリに下ツケする形から発生する定石を指す。最初から接触戦となり、また変化型が多い難解定石の代表の一つ。石が接触しながら戦いになっていく様を「ナダレ」と形容された
小目への一間高ガカリに二間高バサミして生ずる一連の変化を指す。難解で未解明部分も多く、また変化型が多いために誤ると自らも傷を負うところから、村正にちなんでこの名が付いた。大斜、大ナダレとともに三大難解定石とされる。
竹の節のような並び。
一間空けて2:2で平行に並んだ形で、その間をどちらかを相手に打たれたらもう片方で繋がれるので絶対に切られることがない。
仏教用語ではひとつの宇宙が始まって終わるまでの途方も無い長い時間のこと。
囲碁においては、どちらかが譲らない限り永遠に循環してしまう特別な形があり、その形をコウと呼ぶ。
コウの形で石を取られた側はコウをすぐに取り返してはならず、一手別の場所へ打つ必要がある。
通常、白石はハマグリのくり抜きによってできているがそれが語源か。しらんけど
冒頭で説明。
限られた局面、特に序盤においてある程度決まった一連の手の応酬のこと。
定石は手練の碁打ちの長い研鑽、研究により成り立つもので、お互いに必然の手を打ち、双方ほぼ互角のワカレとなるのが定石の前提である
どちらの陣地にもならないどうでもいい地点の事を指すことから日常用語に転じた。
または、石から出ている呼吸点(全部塞がれると相手に取られてしまう)のこと。
囲碁において死活問題とは、相手の石を殺す、あるいは自分の石を活かすための問題(クイズ)のことである。
現代では上手(うわて)が白を持つが平安時代期には強いほうが黒を持っていた。
そのため
と転じたと言われている。
自分が第三者となった視点で戦いを見ると手がよく見える、あるいはそう錯覚すること。
一目は一子(石ひとつ)の意。
囲碁においては強さに差がある場合、相手より多く先に石を置いた状態で始めることから、相手の実力を認め敬意を示す意味に使われるようになった。
手を省くこと。
力を抜くことではなく、相手の打った手に付き合わず、その場所よりも価値の高い場所へ向かうことを言う。
囲碁にはいくつかルールがあり、基本的には江戸期~昭和期まで囲碁の第一人者であり、世界に囲碁を広めた日本のルールが用いられている。
日本ルールは盤上の囲った陣地(目)のみをポイントとするのに対し、中国ルールではそれを含め置いた石の数もポイントになる。
この2つの大きな違いは、日本ルールが自分の陣地に自分の石を置くことがマイナスとなるのに対し、中国ルールではマイナスにならない点である。
このことが死活に関わる局面や終盤の局面での手入れ、手抜きにおいて大きな違いを生む。
日本ルールでは曲がり四目と呼ばれる形が出現した場合、手を入れるのがマイナスになるためそれが死であることの証明を用いないと議論が生じる。
そのため中国ルールのほうが初心者に優しく、コンピューターにも優しい。
他には日本ルールでも中国ルールでも禁止されている自殺手がOK!というルールもある。
碁打衆を保護、「御城碁」の基盤を築く。近世囲碁の発展、振興に絶大な貢献。(日本棋院表彰ページより引用)
永禄2年(1559年) - 元和9年5月16日(1623年6月13日)
江戸幕府における囲碁の最高位だけにとどまらず、将棋の最高位も得た二刀流。
大橋宗桂との将棋対局は将棋の現存する最古の棋譜でもあり将棋界においても重要な人物の一人。
正保2年(1645年) - 元禄15年3月26日(1702年4月22日)
手割りや布石など、数々の発明を生んだ天才棋士。史上最強という呼び声も高い。
文政12年5月5日〈1829年6月6日〉 - 文久2年8月10日〈1862年9月3日〉
ヒカルの碁で著名。
1874年(明治7年)6月24日- 1940年(昭和15年)1月18日
またタイトルとなる前の、「名人は一世に一人」の終身名人制時代の最後の名人でもある。
引退後に本因坊の名跡を日本棋院に譲渡し、選手権制の本因坊戦創設に導いた。2008年囲碁殿堂入り。
「オマ●コ」発言など、昭和の棋士らしい数々の破天荒なエピソードが有名。
棋聖 6期 (1977-82)
名人 2期 (1962・70)
天元 1期 (1975)