はてなキーワード: 講談社漫画賞とは
下賤の女の子が姫の身代わりになりゅ
一応せめこませないようにーみたいなのとかはあるけど基本ありがちな少女漫画のテンプレ
審査員が漫画家だからマンガ的な側面から、服のデザインとかまでこって決められてるのがすごいみたいにほめられてたけど、
天真爛漫で図々しくてひっかきまわすくせに、いざとなったらいきなりシュン・・・ってなったり、恋愛脳全開になってぐちゃぐちゃにするせいですげーイライラさせられる
セトとアズどっちとくっつくのか、金髪クールか黒髪クールかって
いわゆるおもしれーやつテンプレでしかなくて新鮮さもないしくそつまんねー
読んで損したわ
amazonレビューみたら1巻にはかろうじてそういう感想もあるけど2巻以降はセトアズ(はぁと)みたいなのばっかでみるにたえんわ
なろうのコミカライズ風情が講談社漫画賞になぜノミネート?と思って読んだらたしかに納得
賞とったのは天すらのマンガ版だけど、個人的にはこっちのほうが断然面白い
なろう系コミカライズにありがちな1冊の内容がすげー薄いこともないし、もう何より絵がすごくいいの
正直駄目なとこ探して叩くのが好きな俺でもちょっとたたくのはきついくらい
唯一最大の欠点が、ありふれたなろう系クソマンガと思われてしまうタイトルくらい
おそらく原作レベルでの突っ込みどころもいろいろあるっちゃあるけど、それを補ってあまりなる絵とアクションとマンガとしての魅力がある
納得だわ
脱帽した
8巻くらいまでよんだ
正直おもしろいの序盤だけだったなー
仲間ふえてきてつまんなくなった
ひとりで試行錯誤してるときが楽しくて安定してくると楽しくなくなるのなんなんだろーなー
あと別ゲーの話も結構はいってきて本筋が進まなくてイライラするし
なんとなーくだけどまだまだ全然本筋入ってない気がする
2001~2005までマガジンで連載され全27巻という結構な長さであり講談社漫画賞少年部門受賞のクニミツの政があるぞ。
http://news.kodansha.co.jp/20170811_c01
最近ならガッチャマンクラウズの二期も選挙を重要視したアニメだった。
「お前は研究者だ。学生と思って甘えるな」といった意味が暗に含まれているようにも思う。
こんな中でほぼ唯一、「先生」と呼んでよい存在が南部陽一郎先生だった。
弦理論も、量子色力学も、電弱統一理論とその鍵であるヒッグス粒子も
偉大な仕事がたくさんありすぎて何に対してノーベル賞を与えれば良いかわからない。
「南部は10年先を行く」
そして10年後に重要性がわかる、もしくは再発見されることが度々あった。
例えば「南部-ヨナラシニオ模型(1961年)」。
量子色力学どころかクォークすらなかった時代に書かれた論文である。
まったく僕には理解ができない。
南部さんの仕事はまるで「全てを知っている未来人が当時の人にわかる言葉で説明したような」研究なのだ。
南部さんはそれだけ超越した天才だった、ということなのだろう。
2008年、益川さん、小林さんと共にノーベル賞を受賞された。
ノーベル賞なんて別に嬉しくないと言った益川さんが「南部先生といっしょに受賞できるなんて」といって泣いた。
あの様子は例えるなら
「藤子不二雄と手塚治虫が講談社漫画賞を同時受賞して藤子藤雄Aが泣いた」
といったところだった。
受賞時にアナウンサーの1人が
「今になって認められたお気持ちはどうですか?」と小林・益川氏にマイクを向けた。
それを見ていた人たちは怒った。
小林さん・益川さんが凄いのだ。
当時いろんな人がいろんな表現で説明しようとしていたけれど
あまりうまく伝わっていなかったように思う。
ノーベル賞自体は400年後には忘れ去られているかもしれない。
アインシュタインの名も、相対論も、僕らが忘れる事はないように。
南部先生の訃報のあとはてなであまり話題になっていないようで寂しいので書きました。
(本来僕なんかよりもっと詳しい人が書いた方が良いと思うのですが皆 twitter に移行してしまったのか・・・)
この記事を読んで解りにくい、読みにくい、誤解を招く表現などありましたら
それは全て僕の低い文章力や知識の少なさが原因です。申し訳ありません。
http://jodo.sci.u-toyama.ac.jp/theory/Nobelsympo2009jpssp/NobelSymposium-files/PDFS1/Eguchi.pdf
「お前は研究者だ。学生と思って甘えるな」といった意味が暗に含まれているようにも思う。
こんな中でほぼ唯一、「先生」と呼んでよい存在が南部さんだった。
弦理論も、量子色力学も、電弱統一理論とその鍵であるヒッグス粒子も
南部さんは控えめな方だと知られていた。
自分の発見であってもそれを決して主張されない方だったそうだ。
そして南部さんの理論は往々にして理解されず、10年後に重要性がわかる、もしくは再発見されることが度々あった。
ベーテ・サルピータ方程式はその何年も前に南部さんが発表していたことが「発見」された。
自発的対称性の破れと南部・ゴールドストーンボゾンは今日日あらゆる物理分野に顔を出す。
ハドロンのために創られた弦理論は現在ではTheory of everything 候補だ。
2008年、益川さん、小林さんと共にノーベル賞を受賞された。
ノーベル賞なんて別に嬉しくないと言った益川さんが「南部先生といっしょに受賞できるなんて」といって泣いた。あれは例えるなら
「藤子不二雄と手塚治虫が講談社漫画賞を同時受賞して藤子藤雄Aが泣いた」
ようなものだった。
受賞時にアナウンサーの1人が
「今になって認められたお気持ちはどうですか?」と小林・益川氏にマイクを向けた。
それを見ていた人たちは怒った。
小林さん・益川さんが凄いのだ。
当時いろんな人がいろんな表現で説明しようとしていたけれど
あまりうまく伝わっていなかったように思う。
ノーベル賞自体は400年後には忘れ去られているかもしれない。
それは奇跡のような事なのに、知らない人がいるのはもったいないと思った。
ノーベル賞の顛末を見る限り、南部さんの死はあまり大きく報道されないのかもしれない。
だから増田で誰かと語りたい、誰かが語るのを聞きたいと思った。
ただ、ただ、悲しい。
南部さんは高齢になられても、たまに阪大付近の研究会に現れては
僕は一度もお会いできないままだった。今は後悔しかない。