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はてなキーワード: 副次的とは

2020-05-24

anond:20200521175300

スクール意味がないのか?

意味はある

なぜか?

プログラミングには無数の落とし穴や、慣れのポイントがあって人に聞かないと最初はわからないため

・敷居が下がるので、はじめの一歩を踏み出しやすいため

しかし、覚えてみれば(慣れれば)かんたんだと思われることも多いため

結果的必要なかったなと思われてしまうことも多い

プログラミング生業にするには何が必要か?

特になにも必要はない

なぜか?

・運よく会社に潜り込めて、運よく相性の良い上司や同僚に恵まれれば生業といえるほどには続けられる

・運よくなにか作りたいものが見つかったら、思いのまま作れば良い、副次的に様々な技術習得し、貢献できる

・運よくプログラミングと相性がよく、趣味を兼ねた状態になれば、楽しく続けられるだろう

2020-05-16

安倍さんの致命的欠陥

黒川氏と2人で会ったことはない、と発言してすぐに2人で会ってる記録を突きつけられてる訳だが。

安倍サポのみなさんが「密会してるって意味だろJKパヨク日本語読めねーのか」とかエクストリーム擁護してるが、そうじゃないんだなあ。批判を読めてないのは安倍さんで、ズレた反論してるのも安倍さんなんだな。

 

批判派は黒川氏と密会してるかどうかは問題視してない。なんなら1度も会ったことなくてもいい。

問題は、今まで政権意向に沿うような判断をしてきた検事を、実際に閣議決定で定年延長してる訳で、都合のいい奴を優遇してる時点で問題であり、会ってるかはどうでもいい訳だ。

 

それを安倍さんは、関係性に疑惑を持たれている、会ったことないことにすれば疑いは晴れる!と思って「フタリデアッテナイ」とか言ったんだろうが、会ったことあるかないかはどうでもいいんだよな。勿論密会している方が疑念は強まるのだが、二人の関係性ではなく、黒川氏の行動と内閣意思決定の関連性が問題な訳だ。

 

これってモリカケの「妻が関わってたらヤメル!」や「加計さんと会ってない!」のときとも同じで、野党から指摘されてイライラして、反論にならない反論根拠薄弱で返す欠陥を安倍さんは持っている。

ただ、実は副次的効果はあって、事実をともとに再反論していくと本題からドンドンずれていく。だから批判側がさも些末なことに拘ってるように見える。安倍サポはそこを殊更大きく取り上げて野党たたきに回る。内政ではそれでなんとかうまく支持率維持しているように思う。

だが、俺は外交交渉ときにこの悪い癖が出てないか心配してるんだよな。

2020-05-08

コロナくんが死ぬ前に実現してほしいこと

コロナくんが想像以上に早く死んでしまいそうで困っている

これが全部実現されるまで、コロナくん死なないで


2020-05-04

チー牛っていう煽り流行ってて悲しい気持ちになる

この煽り元ネタとある絵師が描いたイラストで、内容はメガネをかけた青年が「すいません、三色チーズ牛丼の特盛に温玉付きをお願いします。」って口にしてるだけのもの

絵師曰くこのイラスト自画像でもあるらしい

これが元イラスト

https://i.imgur.com/y4hIO4q.png

・このイラスト青年の見た目が地味で冴えないという意味で「陰キャ」の特徴を見事に捉えていること

・注文台詞早口でボソボソ喋ってそうなこと(後述の流行の経緯から見るとこれは副次的もの)

こうした理由から主に匿名掲示板煽り自虐目的で使われる様になり、そこからまとめサイトを経由してTwitterでも使用される様になり、現在では日本インターネットのそこかしこでこの画像やこの画像から発展した「チー牛」というジャーゴン煽り目的で使われる様になっている

前述した様に元々は「陰キャ」の優れた表象として評価された「チー牛」だったが、今ではその立場が完全に逆転してこれまで「陰キャ」が使われていた場面でも「チー牛」が使われることの方が多くなってきた

もはや「チー牛」がインターネット界を席巻しており「陰キャ」はすでに過去の栄光になりつつある

そして俺はこの「チー牛」煽りが苦手だ

説明口調の長文を書く人や対抗言論を述べる人に対してこの「チー牛」煽り使用される傾向にあるのだが、これって単純に気に入らない奴に「ブサイク」って言ってるのと変わらないんだよ

思い出してほしいんだけど、チー牛が流行ったのは陰キャブサイク→チー牛イラストブサイク陰キャっていう循環的な連想があったからなんだよ

流行の初期は陰キャ自称する人が「俺マジでこんな顔だわ」って自虐を込めて貼り付けたり、「お前らどうせこんな顔してるんだろ?」と陰キャ揶揄する目的の人が貼り付けたりしてたのが「チー牛」イラストなんだよ

いやだったらそもそも大元の「陰キャからしてブサイク揶揄する意味が込められてんじゃん?って指摘は当然起こると思う

それはその通りなんだよ

でも「陰キャ」にはブサイクだけではなく「根暗」とか「インドア」とか「内向的」っていう意味も含まれてて、そうした「陰キャ」の多義性が「陰キャ煽り精神逃げ口でもあったんだよ

から当然「陰キャ」界隈には英雄もいるわけ

米津玄師とか本郷奏多とか正にそれね

陰キャ」だけど世間から肯定的承認を集める存在

陰キャ煽りっていうのはそういう意味で致命的なものではなかった

だけど「陰キャから派生した「チー牛」は上述した通り完全に「(早口)ブサイク野郎」って言ってるのと同義なんだよ

これ本当に酷い致命的な悪口なんだよ

逃げ場がないんだよ

「(早口)ブサイク野郎」として世間から肯定的承認を集める「チー牛」の英雄かいないんだよ

からこれものすごい鋭利な投げナイフなんだよ

なのに「チー牛」っていう可笑し味のある語感のせいでインターネットの至るところでこんな危険物が気軽に投げつけられる現在惨状を招いてるわけ

本当にこれは酷いインターネットだよ

2020-04-27

anond:20200427131353

そこで大事になるのは「検査」じゃねぇよな

「軽症者の隔離」であって

検査しないと隔離のしようがないとか言い出すかもしれないが

検査に対する反論が「医療崩壊」だったのだから

この場合キーワードは、「隔離施策の充実」であるべきで

検査副次的ものだよな

2020-04-02

anond:20200401224108

マスク着けない情弱も国から賜ったと喜んで着用する。

そういう層の支持を期待してるんだよ。

しかマスクを着けるという「副次的効果もあって合理的

2020-03-27

anond:20200327151415

それで?

血圧にも一生薬漬けっていってまわるの?

あと完治例本当に2例はあるよ、骨髄移植副次的ものだけど

2020-03-11

anond:20200311084314

いやマジで

ムカつかせるのが目的煽り

言いたいことを言った(副次的な)結果、そいつがムカつくかどうかは知らん=煽りじゃない

2020-02-19

anond:20200219001117

いやまあ買いに来るとかは話はあくま副次的な話で(母親が買いに来たっぽいのもあん記憶にないけど)、ジャンプの読者層と比較しても明らかに少ないでしょ? って話してるんだけど…

2020-01-26

anond:20200126214616

もちろん、

給料が無くても生存できる従順スーパーマン無尽蔵に従えることができなければ経営は成り立たない」

という荒唐無稽要求を掲げてはいるが、

経営者諸氏はそれが荒唐無稽であることを十分に承知しているし、

ポーズとしてこの要求を掲げることで得られるであろう様々な副次的効果を狙っている。

2020-01-19

自由研究ができない子だった

小学校中学校夏休み、どこの学校でも自由研究宿題に課されていたと思う。

私はそれがひときわ苦手だった。

まず、テーマが出てこない。自分が何をやりたいかが出てこないのだ。

出てきたとしても、それは既存実験やら本に記載されたアイデアの焼き直し。

小学校の頃は、親に渋々手伝ってもらって、テーマを一つに固定して行ったことを覚えている。

中学の頃は、統計のような資料を基にしてある種あたりまえのようなことを述べるだけだった。

そしてそのどちらも、テーマに関する考察や疑問が設定できず頭を抱えたものだった。


今になって思えば、ああい課題子供発達障害(の一部)を見分けるために出しているのかもしれないと邪推している。

紋切りや媚びた文章で覆い隠されがちな読書感想文よりも、よっぽど自己発露が試されるからだ。

ちゃん自発的に考えられるか、きちんと疑問を持ち、それに対して解決できる小柱や実験計画できるか。

そういったことを見定めるある種のファクターとして活用できる、もしくはされていると思う。


現在の私は理系の院をなんとか卒業し、企業に勤めている。

ただそれは、研究室時代子供の頃から矯正放棄されていた考え方を改善されたから。

教授や先輩にミッチリしごかれたからこそ、無事論文を提出し、就職できたと思っている。

今でこそ研究テーマ自分から持っていき、質疑や討論を出来るようになったものの、

(たまに重箱の隅をつつくような意味なし質問をしていまうこともあるけれど)

配属当初はアウトプットボロボロすぎて「君はなんのために研究をして学問を学ぶのか」と詰問された程だ。


矯正すれば治るけれど、それに気付かない大人子供も多い。

それを発見するツールとして、自由研究有用だと思える。

私のように大人になって直すよりも、早い内から矯正していけば、本人にとっても周囲にとっても楽だろうし。

本来課題目的に削ぐわない副次的な考えではあるものの、是非ともこの様な活用法をして頂きたいと切に思う。

2020-01-07

ソシャゲのオートプレイなんて甘えだろと思ってたけど

あるゲーム体験してみて考えが変わった。ゲームのオートプレイ機能は、スキマ時間を奪い合う現代の娯楽において、スキマ時間の消費を非同期化できるという効果があるのだ、ということに気がついた。

オートプレイを使うと、たまにオートプレイの様子を確認するだけで諸々進んでいくという感じになるので、スキマ時間をまとまって確保する必要がなくなり、読書みたいな別のことをしながらでも余裕でクエストをこなしたりできるようになる。心理的ハードルはかなり下がってる気がするし、その間はスマホではゲームが動いてるので別のことにうつつを抜かせないという副次的効果 (???) も生まれる。

ソフトウェアエンジニア向けに言うと parallel (並列) / concurrent (並行) のうち、concurrent (並行) にスキマ時間を使える、という感じ。スキマ時間を parallel (並列) につかうメディアというのも存在して、ポッドキャストを聴きながら家事をする、みたいのはそういうのにあたるんだろうと思う。

2019-12-24

anond:20191224204644

俺の理解では、少女向けであるというのは、物語目的が、「楽園の維持」に向かっているということ。

俺の世代では、ふしぎ遊戯なんかが顕著だったんだが、たとえ冒険に出ているとしても、敵を倒すことや困難を達成することは副次的な要素で、本質的には仲間と仲間の関係を維持して保つこと、破綻仲裁して元の鞘に戻すことが物語目的なんだ。だから敵はそもそも家族であるべき相手……皇弟だとか……が望ましいし、主人公は隣を歩く仲間のことを信頼どころか、基本理解できないと思ってる。

あと、漫画とか絵がつくコンテンツなら、絵柄やバックボーン楽園感が出るのが望ましい。美しくて線が細い浮世離れした、あるいは可愛らしい柔らかいぬいぐるみ世界

 

ちなみにこの意味での少年向けってのは、基本的に外に冒険に出て、外敵を倒し、未知を知ることに主眼がいく。

ワンピでは、ウソップ一時的に仲違いしても、それは外敵と戦う上での一つの困難であって、仲が良くなれば解決とかではない。それ以外の場面でもルフィ理解できない家族を気遣ったりしない。仲間は信頼しきるし、仲間や家族基本的理解できる。

 

少年けが少女漫画手法を取り込んだっていうのは、仲間を理解できない存在にすることで、キャラクターに深みが出るんだよな。

仲間をより理解しようとする主人公になる。

ちゃん主人公と仲間たちをキャラクターとして掘り下げるってのは、特に少年向けでは、わりと最近発明だよ。

ドラゴンボールの中でベジータだけやけに人気があるのはそれが斬新だったのがあるし。スラダン選手たちとハイキュー選手たちの差面白いぞ。そして同じチームの選手間の掛け合いだけでいえば確実にハイキューのが深いのがわかると思う。銀魂とかもコメディーでありながらそこは内向きで、むしろ外に出ていく冒険ものが不得意だったんじゃないか?あの人。だから女子に受ける。

 

最近は逆に、そういうのを女々しさと捉える少年漫画もちょいちょいあると思うけれど。

ともあれ男子漫画女子漫画化ってのは、それが面白いからという理由で、近年ある訳だ。

2019-12-04

anond:20191204105045

伝言ゲームかは兎も角、

後者問題で前者は問題いか副次的

・前者と後者は一体として問題

の両方いる。ネットで目立つのは大抵2番目だけど。

2019-11-04

お前らは全員フェミニズム理解していない

献血ポスターの件でまたあちこち燃えているけれど、フェミニズムについて両陣営がよく理解していないまま戦争しているなあ、と考えていたらふと学生時代に書いたレポートを思い出したので供養しようかと思う。

これは「ポルノグラフィ法規制」に対してのフェミニズム観点テーマであって今回の件とは必ずしも直接は関与しないが色々なところが補助線として使えるのではないかと思うのでもし議論の整理に何らか役立てば。

字数が切れていたので分割。

anond:20191104142158

以下本文

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1. 問題設定

レポートでは、ポルノグラフィとその法規制について、いくつかの観点から検討する。ポルノグラフィは、フェミニズム運動の中でリプロダクティヴ・ライツやセクシュアル・ハラスメントなどと並んで一定地位を占めてきた。一方で、その規制は、日本国憲法21条や米国憲法修正1条にいう表現の自由と正面から激突するものでもある。本レポートにおいては、日本国憲法の射程に限定しつつ、これらがいかに衝突するものであり、どう分析されるべきかを簡単に整理することを目標とする。

2. ポルノグラフィ定義

最初検討されるべきは、規制対象たりうるポルノグラフィいかなるもの定義されるかということである。もちろん、いかなる性的描写ポルノグラフィであって規制対象たりうる、という立場自体不可能ではない。しかし、表現の自由が強く保障されることを前提としたときに、容易には首肯しがたい立場であるということは言うまでもない。表現の自由への制約は可能な限り小さくなくてはならないというのが前提であるとすれば、規制対象となるべきポルノグラフィもそれ自体また狭く定義される必要があるであろう。

まず、一般的ポルノグラフィ定義について俯瞰する。いわゆる四畳半襖の下張事件において、「わいせつ性の判断に当たっては、文書全体としてみたとき、読者の好色的興味に訴えるものであるかどうか否かなどの諸点を検討することが必要で、これらの事情総合し、その時代健全社会通念に照らして、チャタレー事件で示したわいせつ要件に該当するといえるかどうか判断すべきである」という判断がなされており、わいせつ要件(通常人羞恥心を害すること、性欲の興奮、刺激を来すこと、善良な性的道義観念に反すること)をベースとしたうえで、社会通念に照らして文書等のわいせつ性が判断されるという判例を構築している。

判例立場は、わいせつ性が前面に出ているのか否かという観点を取り入れることによって性的対象を扱った作品であっても、芸術的価値の高さなどに応じてわいせつ物該当性を認めないという形で一定の制約を設定しているといえる。ここには、表現の自由との緊張が見て取れる。つまり本来性的表現であっても、直接他者危害を与えるものでない限り、国家によって自由を制約されるべきではない。しかし、わいせつ該当性があるならば、例外的規制することが許されるとしていわゆる定義づけ衡量を行ってわいせつ図画を規制しているものであるといえる。

一方で、Andrea DworkinやCatherine McKinnonはポルノグラフィいか定義たか。それは、実際に彼女たちが起草した反ポルノグラフィ条例に見て取れると考えられる。ミネアポリス市の反ポルノ条例第三条 は、「ポルノグラフィとは、図画または文書を問わず写実的描写され、性的にあからさまな形で女性従属させるものであり、かつ次の各事項の一つまたはそれ以上を含むものを言う。(1) 女性人間性を奪われた形で、性的な客体、もの、または商品として提示されている、(2) 女性苦痛や辱めを快楽とする政敵対象物として提示されている、(3) 女性レイプされることに性的快感を覚える性的対象物として提示されている、(4) 女性性が縛られ、切りつけられ、損傷を加えられ、殴られ、または身体を傷つけられた性的対象物として提示されている、(5) 女性性的服従姿勢提示されている、(6) 女性が、その身体の部位……に還元されるような形で示されている、(7) 女性が生まれつきの娼婦として提示されている、(8) 女性がモノや動物によって挿入された状態提示されている、(9) 女性が、貶められたり、傷つけられた李、拷問されたりする筋書きにおいて、汚らわしいものないし劣等なものとして、または出血したり、殴られたたり、傷つけられたりして描かれ、かつそれらの状態性的ものとする文脈の中で提示されている」と詳細に定義している。最高裁判例の打ち立てた上記基準と比べるとこれは、はるかに明快である

ところでこの二つの定義には、その明確性を超えて、根底的な部分でのポルノ観の相違が明々白々と見て取れる。これは、ポルノ規制日本において考える際にも重大な差異であると考える。

最高裁におけるわいせつ概念定義は、三要件を用いたその定義から明らかに社会的性道徳、善良な性風俗といったもの保護対象としている。つまり、過度に扇情的ポルノ作品市場に氾濫することで、社会を成り立たせている道徳基盤が破壊されることを防ごうという目的である。いわゆるチャタレイ事件控訴審における判決理由中の「かゝる文書猥褻文書として排除せられるのは、これによつて人の性慾を刺戟し、興奮せしめ、理性による性衝動制御否定又は動揺せしめて、社会的共同生活を混乱に陥れ、延いては人類の滅亡を招来するに至る危険があるからである」という文章は、まさにこの懸念わいせつ文書規制するべき理由であるということが念頭に置かれているものであると考えられる。

ミネアポリス市かいくつかの都市で起草された条例は、こうした目的のもとにポルノグラフィ規制しているのではない。それは、McKinnonらの論文や、また、条文そのものから明白である。ここで、ポルノグラフィはまさしく「女性差別」そのものとして認識されている。

ポルノグラフィは、女性を隷属させ、性的対象化objectificationするものである、とラディカルフミニストたちは考える。つまり、「ドウォーキンはいう。『女性従属においては、不平等のものがセクシュアルなものにされる』。マッキノンも次のように述べている。『ポルノグラフィーは女性の不平等をセクシュアルなものにする。それは女性の不平等セクシーものに仕立て上げる。それは、言葉の最も広い意味で、支配服従をセクシュアルなものにする』」 。

ここで、ポルノグラフィに対する定義が、二方向のアプローチを有しうることが示されている。つまりポルノが消費されたときに、社会倫理的道徳的にどのような影響を受けるかという観点と、道徳観点を一切取ることなく、ポルノの中で女性がどのように扱われているか、またポルノを消費する男性女性に対してそれを再演することでどのような危害が生じるか、という観点である

Millの提示した危害原理を素直に適用する限り、後者観点の方が規制根拠としては明らかに優れている。前者において、明白な危害存在していない。先に引用した人類滅亡論などは、まさしく論理の飛躍であろう。一方で、後者アプローチをとるならば、それが証明される限り、実際の危害が生じていると言える。これは、いか表現の自由価値絶対視し保護するとしても、しかしそれを規制する十分に強力な根拠たりえる。次章では、ここで主張される危害について検討する。

3. ポルノグラフィ危害

ポルノグラフィが「危害」を有するものであるならば、それは表現の自由を主張してもなお規制に当たることは言うまでもない。表現の自由に対して強く保護を与えることを主張したアメリカのOliver Wendell Holmes Jr.判事であっても、満員の劇場で「火事だ!」という嘘を叫ぶことをいかなる表現の自由保護しないと明言している 。また、実際にポルノグラフィ一般的危害を生ぜしめないとしても、上記の条文を見るに、発生しうる危害から逆算的にポルノグラフィ定義されており、これは限定列挙であると考えるべきであろう。

もっとも、注意しなくてはならないのは、ここで挙げられたものは、危害を「創作」したものまで範疇に含まれることである。つまり女性傷害を受けるという「現実」の存否にかかわらず、そうした創作は、ポルノグラフィとして定義される。そうした映像が、現実における傷害と必ずしも一致しないことは、あらゆる劇作の前提である 。そして、実際に生じた傷害については、こうした条例法律にかかわらず民事上、刑事上の責任を負わしめることが可能である

危害がどの広さで認識されるべきかということについては、確定的な見解はいまだ存在しないものと考える。元来はMillのいう危害原理、すなわち身体的な危害を指していたものであるが、現代的にはこれを精神的(に深刻)な不快の限度にまで拡大した不快原理offense principleと言われるものまで提唱されている 。もっとも、身体的な危害については明確で客観的基準の定立が可能である一方で、主観的不快およびその深刻性については、客観的判断が困難であり、現行の法システムに馴染むのかという点で深い疑義がある。

ラディカル・フェミニズムの主張する「危害」がそうしたグラデーションの中でどこに位置するものであるかは、詳細な分析必要とする。McKinnonの言明する危害は、ポルノグラフィはそれ自体性差別であり、それによって女性従属化されるということである。そして、そのポルノグラフィ撮影において、また、ポルノグラフィが再演されることによって、女性は「縛られ、殴られ、拷問され、貶められ、時には殺される場合さえある。あるいは、単に犯され、使用されている。視角ポルノに映し出されているあらゆる行為のために、女たちは実際に、縛られ、切りつけられ、焼かれ、猿ぐつわをはめられ、鞭うたれ、鎖でつながれ、肉吊り棒や木からロープで吊り下げられ、あるいは、……放尿させられ、排泄物を食べさせられ、ウナギネズミナイフピストルで貫かれ、喉の奥までペニスで侵され、血や泥や糞便や精液で汚される。……ちなみに、膣にペニスが挿入されるという意味での性交は、そこでは副次的テーマに過ぎない」 。すなわち、ポルノグラフィは、男性女性に対する性欲そのものが充足されるためのものではなく(それは副次的テーマに過ぎない)、もっぱら女性に対して暴行を加え、二級市民化することによって従属せしめることが目的とされ、そのためのプロパガンダとして成立しているものであるとされる。「ポルノグラフィ女性憎悪純粋蒸留物であり、女性経験の中でレイプ女性殴打、近親姦強制売春と結びついている。そのことを考えるなら、ポルノグラフィ擁護して発言する自称フェミニストがいったいいかなる道徳的・政治的原則にもとづいているのか、とうてい理解することができない」 と彼女は断言する。

実際にこれらが物理危害として発生しているのならば、それは全く看過することのできない危害のものであり、規制はされてしかるべきものであるしかし、これらは実際の刑法典、民法典の規定によって補足可能ではないか? という疑問が生じてくる。McKinnonはこれに対して、現実にそうした摘発がなされていないことをもって実質的に法は存在せず、それゆえ国家及び社会ポルノグラフィ公認していると見做される旨主張する。

McKinnonの熱烈なポルノ批判に対し、Drucilla Cornellはポストモダンフェミズムの立場のもと、一定距離を置く。「私たちは、ポルノグラフィ生産に対してとられるべき法的行為措置を、ポルノグラフィの配給に特化してとられるべき行為措置から区別すべきである。私は、この区別が、ポルノワーカーを含めた女性たちが、人格となるプロジェクトを引き受けるのに十分なだけ自己を固体化していく、というフェミニスト目的根本的に寄与すると主張する。この産業女性たちを連帯に値しない不幸な犠牲者として扱うことは、彼女たちの基本的尊重を拒絶することである」 という言葉は、ポルノワーカー女性について、「ポルノグラフィに出演している女性の多くは、子どもとき性的虐待の被害者であった。……自宅から性的虐待を逃れて都会に出てきた子どもたちは、そこでヒモに拾われ、レイプされ、殴られ、麻薬づけにされ、売春ポルノグラフィ従事させられるのであるポルノグラフィに出演している女性の多くは貧しく、たいてい教育を満足に受けていない。ポルノグラフィ存在している社会は、女性経済的に不利な立場に置かれている社会である」 と記述するMcKinnonらを批判対象としている。Cornellはさらに、「私は二つの特殊フェミニスト的な理由からポルノグラフィ規制法律に過度に頼りすぎることに対して懐疑的である第一に、反差別法の基礎としてステレオタイプ女性性を強化すべきではない。言い換えると、キャサリン・マッキノン仕事のように、女性を「ファックされる者 fuckee」か犠牲者に切り詰めたうえで、そのような存在としての女性に対する保護要求するような、文化的コード化された女性性を促進するような法はいらない。そういうわけで私は、マッキノンやアンドレア・ドゥウォーキンのそれのような、ポルノ規制の適切な法的手段としての市民権条例案を拒否する」 と言う。

2019-11-01

乳袋」が問題なのだろうか?

宇崎ちゃんポスターに対しての批判の中に、実在巨乳への批判を避けたいが為か「乳袋」に絞って問題視する声は度々見られたが、

この点にとても違和感があったので少し考えてみた。



乳袋」的な誇張表現90年代には確立、いや発祥を遡ると恐らく70年代頃にはあったと思うが、その体系的な解説は識者に任せるとして、

そもそも乳袋」という言葉自体ネットミーム化したのは比較最近のことであり、朧げな記憶だが恐らく2010年前後

ニコニコ大百科記事106月作成されていることから、大きくはズレていないだろう。


https://dic.nicovideo.jp/a/%E4%B9%B3%E8%A2%8B


その記事内にも言及があるが、元々は巨乳イラスト現実に即していないという批判的な文脈からまれており、

裏を返せば「乳袋」という言葉が出て来るまでは、オタク達は無意識批判的にその表現を受け入れていたこととなる。


そう言うと批判側の「オタク達は(乳袋エロではないと)麻痺している」との言説に一定説得力があるように思えるが、自分としては実情が異なる印象だ。

乳袋表現は、言ってしまえば、実在巨乳に対する無理解からまれイラスト巧拙や、デフォルメ表現としての流行表現確立としての側面が強く、

オタク側の需要によって生まれ表現ではないからだ。

類似例として、巨大すぎるリボンや、カラフル過ぎる髪の色も、(判子絵的な)キャラ区別する為に生まれ創作者側の都合によるものと考えられる。


まり乳袋」はオタク的には直接的なフェチ表現ではなく、イラスト表現の変遷で発生したものであり、副次的に受け入れてきたものだろうということ。

その証拠としてあげられるのが、pixivタグ検索。「#乳袋」のタグがついたイラストは現時点で2578作品フェチ表現としてオタクに人気な気がする「#黒タイツ」の44025件に比べると寂しい数字だ。

タグがついていないだけで乳袋とされるイラストは膨大にあるからフェチ表現ではなく、表現技法として根付いているように見える。


根付いているのでは麻痺と一緒では?」と思った方もいるかもしれないが、ここで主張したいのは「乳袋」は巨乳表現する技法一種しかないこと。エロに対して直情的だから蔓延した表現というのは誤認である

批判するのであれば、「乳袋」ではなく、漫画アニメイラスト業界蔓延する過度な巨乳女性安易に描く風潮そのものでなければ、抜本的には解決しない。

(その風潮が生まれたのは、男性の性欲からという点は否定しない。男はだいたい女体が好きであり、それを空想として描くとき現実離れするのは不自然なことではない。安易であるが)

しか巨乳女性イラストへの批判は直接的な表現規制になり得るし、実在巨乳女性へ飛び火する危険性や、国民作品へのバッシングにも繋がる。それを分かってるから批判側もそこまでは言及せず分かりやす記号である乳袋」にターゲットを定めた心理があるのだろう。

だがそれはオタク文化への直接的な加害であり、オタクからすると「カラフルな髪の毛は現実に即していない!」と同レベル文化侵略であるように感じられるし、また単なるオタクヘイト区別がつかないのである



余談的となるが、宇崎ちゃん巨乳設定は、漫画を読む限り読者を扇情させる為の魅力というより、ウザい後輩キャラ的な属性をその大きなおっぱい文字通りクッションとなって印象を和らげる為に機能としてあるようにも見える。漫画としてはエロよりずっとラブコメの色が強い。

あと、2巻3巻の表紙は確かに乳袋」だが、1巻の表紙や漫画内ではいわゆる乳テントで描かれてる部分も多いので、「乳袋」は宇崎ちゃんにとって重要構成要素ではないこともわかる。

漫画の印象に関しては読む人によって意見が別れるだろう。ただ巨乳設定=扇情と限らないのはアニメ漫画を嗜む者には理解して貰えると思う)

作品表現ポスターとしての問題を直結する必要はないが、特にエロ権化でもない宇崎ちゃんが「乳袋」の絵だからといって性的搾取シンボルとして掲げられるのは不憫しか言いようがない。


そんな感じで、一介のオタクとしては、「巨乳ではなく乳袋批判だ」という詭弁的な批判ではなく、男性欲望と直結してしまってる創作界隈の巨乳文化ターゲットにして貰いたい。

その声が大きければ、自主規制による創作界隈のアップデートは十分起きうるだろう。巨乳がいなくなれば当然「乳袋」もなくなる。無論個人的には望まないが。

岩渕氏が先陣を切って批判を行い失墜したように見えたが、これはオタク側のバイアスだろう。

2019-10-29

とりあえず汚部屋掃除を少し進めた

雑巾で部屋の埃をひたすら拭き取ったら空気が多少マシになったように思う

ただ根本的に物が多すぎていくら片付けて整理しようにも抜本的な生活環境の改善は難しいというのを痛感した

多分自分能力だと部屋に置く物はかなり厳選して最小限のコスト掃除が済むようにしないといけないのだろう

また副次的問題として自分電子書籍がどうしても苦手で紙の本じゃないと内容が頭に入ってこないのだが

これも紙の本を手元に置くことは諦めてどうにか電子書籍適応しないといけないのかもしれない

2019-10-21

anond:20191021022147

よくわからないけど、そもそもキャンペーンでなんらかのキャラを使うなんて企画はおおよそすべて「必要性」は無いと思う。

アニメキャラに限らず、キャンペーン自体別に必須条件としてやってるものではなくて、累加的というか副次的ものというかそういう立ち位置な気がする。

2019-10-19

anond:20191018215206

オタクの内部」という言葉でくくれない程度には、現代において「オタク」なる言葉は複雑化していると理解した方がいいと思う。

古のオタクがどんなにかっこつけても、現代の「オタク文化というのはファッションとしての側面が強いんだ。その文脈において、セクシャル表現というのは、自らのアイデンティティと密接に結びついたセクシャリティ表現するための代えがたい手段でもある。(gender expressionや、身近な例ではミニスカートのように。)単に性器を擦るための一プロセスではないんだよ。たとえ副次的に「性器を擦ることに流用可能」だったとしてもね。それは、たとえ恋人セックスするのが普通のことだったとしても、それを他人に詮索されない権利があるのと似ている。「それをエロい目で見ているかどうか」なんて、質問のもの暴力的であることに気付いてほしい。

あなたは「オタク問題」を「自分問題」のように語っているけど、きっとそれは優しいからそう考えてしまうんだろうけど、時にそれは傲慢だよ。あなた個人に「オタク」を代表する権限はない。要らぬおせっかいセクハラになる場面もあることは、下記のような例とも重なる。

ポスター表象されている「女性キャラクター」はもちろん架空人物だ。一方、それを描いた人、企画に携わった人、それらを鑑賞する人はすべて血の通った人間だ。この場において、性の主体者は誰なのか。客体は「何」なのか。その性のあり方を侮辱する権利はあるのか。それらをゆっくり問い直して欲しい。

2019-10-15

ここにきて優先順位を整理しておくと

まず人生において最重要なのはゆきさんの愛が欲しいということ

次に副次的目標としてゆきさんのおまんこやおっぱいが見たり触ったりしたいということ

それ以外の物事は全てどうでもいい暇つぶしあるいは自らの格を高めるの修行しかないこと

2019-09-29

anond:20190929234451

障害者に困った障害を補うためのカネをあげるのは政府 

その窓口は自治体役所 

役所要求するのは診断書 

診断書をつくるのは医者 

医者判断するのは患者の訴え

 

まり本人が生きづらさを感じていなければ障害は診断も補助金も要らない、最初からなかったことになる

副次的に「周囲の人(家族)」が「本人は平気だけどこっちが大迷惑」という訴えも通じることもあるだけ

2019-09-09

世の中に馴染めない

さびさに人間と共に過ごして辛くなってきた

自分自分でなかったら、とこれほど思うことはない

今日もまたジャニーズの話になってしまって、無言でお茶を飲んでいた

ああこの人たちがジャニーズの話なんかしなきゃいいのに、と思うが

会話の内容まだコントロールする権利など無いわけで

他人が思い通りにならないことに苛立ちを感じることは、一体何歳になれば卒業できるのか

(この歳までダメだったのだ。生涯このままの可能性の方がが高い)

悲しいことに未だ苛立ちという感情封殺することが出来ないので、せめて隠し通そうと2人が話している間私は疲れたふりをして無言でいたのだ。(本当のところ拗ねていただけだ)

コントローラブルからは程遠い人生翻弄され、他人が思い通りにならないことを赤ん坊のように苛立っている自分にも、この無力な人生にもうんざりするし

ただなんの意味もない気がする

きっともっと人間に近い人間に生まれられれば、こんな風に自分から一歩引かずに「どうして私が興味ないってわかってるのにジャニーズの話するの!💢」とか言って不機嫌になれてたかもしれない

そうすれば優しい友人のことだから、私に気を使って別の話題に移ってくれただろう

結局のところ、言うべきことを言わないことで人生が思い通りにいかないのだ

しかし、他人が思い通りに動かないことには苛立つが、思い通りにしたいとは思わないし

幼稚な事を言えば、後から幼稚な発言をした自分にも嫌気がさすことは目に見えている

他者と関わる事で自分を感じるとは言うが、この臆病で陰険で幼稚な人間性を感じたくないから、人付き合いは嫌いだ

人間自体は好きなのだ。話すのは好きだ。人肌も好きだ。副次的に発生する自己認知が嫌いだ。それは特に自分他者が違えば違うほどはっきりと感じられる。

ああなぜ私は私なのだろう。友人すら他者と呼ぶほど他人との距離が遠い。人に心を開かない。パーソナルスペースは広くとりたい。近づいてこないでほしい。肉親の葬式でも泣かなかった。泣くべきだったのに。大事なのだが、大事分の執着がもてない。他人に興味がもてない。そして一応アスペではないのだが、軽度にその傾向が入っているのは確かで、興味のあるフリすらできない。

人は色々なものに執着していられるので羨ましい。好きなものがたくさんあったら幸せだろう。どうして好きでいられないのだろう。その辺のオスを運命相手だと信じ込んでヒロインになれる動物的に正しい人生があってもいいじゃないか

羨ましい。他人のことが好きで、興味を持てて、人間と常に過ごすのが苦でなく、同族と群れを作り生きる人々が。

一方で彼らのようになりたいとも思わず、彼らを嫌い嫌悪している自分もいる。

人とは仲良くしたいが、距離を置きたい。でも都合がいい時はそばにいてほしいと思うのだから傲慢だ。自分自身の傲慢さを許容できればよかったのだが、残念なことに健全精神の育成に失敗した半生のせいで理想には程遠い自分を許すことができない。こんな傲慢自分を人に見せるわけにはいかないので、他人とは取り繕えるだけの短期しか会いたくない。

自己の中で色々なことが相反し、それを処理しきれない。処理しないまま傍若無人に生きている人もいて、そうなりたい気持ちと、別にどうでもいいような気持ちと、ああはならないようにしなくてはという強迫観念から逃げきれずにいる。

それはジャニーズを好きになりたい気持ちと(人間の女に迎合したい)、別にどうでもいいような気持ちと(生来興味がないのだと思う)、あん馬鹿っぽい奴らを(と母がいつも言っていた)奴らを好きになってはいけないのだという観念によく似ていると思う。

どうなってはいけないか、どうしたらダメか、といつも考えるのだが、肝心の自分が「どうしたいか」ということはよくわからない、というかあまりその欲求がない

どうにもなりたくない。

しまなければそれで良いのだが、幸せを勝ち取ろうとしない限り+1どころかマイナスに陥るのが人生だろう。(下方婚増田系の増田はその辺を理解していないのではないかと思う)

人生が0に近づければそれでいいのに、漸近線で永遠に0には近づかない。プラスを望む人間は少なくともマイナスはいないように見える。

生きていくのはよくわからない。あと10分生きること、あと10年生きること、何が違うのだろう。終いには全てなくなる。自分死ぬことを私は観測できない。よくわからない。この溺れ続けるような人生意味が。

上へ、水面へと、もがかなければ沈み続ける。

しかし、どれだけもがき続けようと最終的には沈む。早く沈んだほうが楽ではないか

しかし、それは間違った考えで、世の中というのは皆が正しいということの方が大抵正しい。私だって昔は多くの間違った考えを持ち、それを正しいと信じていたいたが、成長するにつれて自分の間違いのほうが圧倒的に多いと気づいた。

まりこの死生観は間違いである。少なくとも、幸せ人生を送るためにはニヒリズムを捨て去る必要がある。

だが、ニヒリズムとの付き合いは遡ること幼稚園の頃からのことであり、エラーのように生まれてくるニヒリストの1人が私であった不幸はもう取り返しがつかない。

意味がない人生に、「意味を見出すことが幸せである」と信じながら、見出せずに生きていくのだろう。

世の中に馴染みたい。だがそれにもなんの意味もない気がする。このような思考こそが全く意味がないことであり、今は明治時代のように人生意味など考えている暇があったらタピオカの列に並ぶのが正義である時代だ。ああつまらない。人など皆死ねばいい。

せめてこの世に絶望することぐらいは否定しない世だったらよかった。しかし、嘆きは文句と取られつべこべ言わず幸せになるなり死ぬならしろというのが今の世だ。

黒板の上に学級目標の「ポジティブに」の文字に押し潰されそうな気持ちでいた頃から何も変わっていない。

ただ私だけ禅問答のドツボにはまり人生を嘆いている間に、人は実態幸せを手に入れたり捨てたりしているのだ。取り残されていくように思うが、初めから私は同じところにいなかったようにも思う。

2019-08-31

おっさんのための活動量倍増計画

俺はおっさんだが、疲れたおっさんではない。まぁまぁモテる

脱臭方法を書いたら「出来ない。疲れてるから」が散見されたので、俺のHackを共有する。疲れてるおっさんの知見になると良い。

疲れを減らして出来るを増やそう!

決断力、思考力は、どうやら有限らしい。

  • 「もう少し寝れるかな?」「何を着よう?」「何を食べよう?」こんなのでも脳の燃料が減る模様。
  • 脳が疲れると、体が疲れる。
  • 起きてすぐの行動をルーチンにして、服の選択肢を減らし、決まった朝食を食べる。
  • 俺の場合 [起床、歯磨き洗顔仏壇に水を供え、水分補給散歩]
  • 脳みそブーストに甘いもの有効濫用で耐性がつくので注意。

部屋が散らかってると、脳への入力が多くて疲れる

脳みそを騙すHack

達成感という麻薬

以上のことは小手先テクニックレベルを上げてフィジカル殴るぞ

かく言う俺も、過去にはモノが多い汚部屋に住んで、郵便受けグシャグシャで、休日は一日中ゲームして、みたいな生活だった。カネは無いし、時間もないし、イライラしてた。今思えば、カネの使い方、時間の使い方だ。

人は変われる。俺が出来ることは、あなたにも出来る。未来は変えられる。

だって」「でも」「どうせ」

ダ行の言葉って……。

せっかくだから俺は「出来らぁ!」を使うぜ。

「『出来てる人がいるんだから、俺にも出来るはずだ』と思ってたら、俺にも出来たよ」

と言った先輩。感謝している。

でも独身なんでしょ かっこわらい

2019-08-22

なんでYESかNOの二択で答えられないわけ?

グダグダ話が長いし、最後まで我慢して聞いても「うん、つまりNOってことだな」ってなるんだけど

なんなの?制約と誓約でもしてるのかってくらい断固として賛成、反対をハッキリ口にしないのは。

そのせいで話の方向があっちこっち行って進まないし、副次的関係なかった地雷も爆発するし、しまいには本題を忘れる。

そりゃ理屈の上では「100%のNOではないからNOとは言えない」ってわかるよ。

でもそんなの当たり前じゃん。

80%の割合で受け入れられないか総合的に判断して最終回答は「NO」っていう風にみんな判断するんじゃん。

10年かけても未だにそれができない、断固として口にしない意味がわからいから、もう「話し合い」しなくていいかな?

事実だけ伝えて、それを受けて「どうするか」は各自勝手に考えて実行するようにするか。

もう、疲れた

2019-06-30

退職エントリー書くために会社辞めてんの?

これ退職エントリー書くために辞めてないか

http://www.oddmutou.com/article/467492032.html

私はここの社員でもなんでもないですが、こちらの退職エントリーを読んでいて納得するケースよりも疑問を持つケースの方が多いので、少しまとめてみました。

「一番の下手くそ」になったら自分を追い込めて爆速で圧倒的成長できるかなみたいな…。?

あと人生で一回は大企業に入ってみたかたから。

本来面接ときにどんなことをやりたいのか質問されると思うのだけど、上記の回答で入社が決まるって理解できないのだが。大抵は[自分スキル×御社事業]でこんな事業立ち上げたいとか御社でこんなことやりたいですとか言うんじゃないの?自分の成長性と大企業に入りたい欲のみでやりたいことは入ってから決めようってインターンシップ志望動機と変わらないよね。

福利厚生についてですが,自費負担500円のマッサージや,それなりに美味しくて高くはない(いうほど安くもないけど)社食などがあってよかったです。

(正確には 「おにぎり一個+スープ」と「サンドイッチ2つ」が選べる仕様)(ちなみにおにぎりコンビニおにぎりよりしょぼくて小さい)

これって会社選択する上での副次的もので、ここに不満があるのならそれを担当者に告げることは充分にできると思うのだが。朝食を食べる人が少なく少数の食事を作るのがコストになるケースもあるので、自分で変える等のアクションを行ったのでしょうか。

チームに入ってから最初の2ヶ月くらいは,チームのひとたちが沢山MTGやっててすぐには何も決まらなくて(新機能要件的に難しかったんだと思う),タスクがなくて暇でひたすら既存コードテスト書くみたいなことやってて面白くなくて,入社三ヶ月後あたりでのんびり転職活動始めました。

他の事業を少しでも覗いてみたり、話しを聞いたのでしょうか。場合によってはほかのチームに異動させてもらえることもあるので、社内を最大限活用することも考えてもいいのではないかと思いました。yahoo場合事業領域が広く、技術者の中にもトップカンファレンスに通しているような方もいると思うので、そういった方とのつながりを求めても良かったのではないかと思います

ボーナス考えて入社・退社タイミング前後させるのとかキモいのでやらなかったのですが,これのせいで前年度より年収大幅ダウンっぽいです。

転職で入る場合希望給与提示も含めて面談すると思うのですが、それをやらなかったとなると年齢的に新卒と同等程度しかもらえなかったのかもしれませんね。yahoo場合はそれなりにボーナスが良い可能性もあります。いずれにせよ、自分なりに給与希望額があるにも関わらず、それを一切聞いていないのはおかしいと思います

半年会社辞めるのキャリアとして良くないことはわかってます。でも23歳(現在)の自分技術的に成長できなさそうで,面白さもなく,給料も高くない環境に長くいるのって時間もったいないなあと。20前半のうちは失敗も含めていろいろチャレンジしてみたいんです。

本社神戸スタートアップで,東京開発拠点の立ち上げメンバーになります

元々システム業務委託さんに開発してもらっていたところで,資金調達をきに社内で開発チーム立ち上げ&内製化ってところです。VCからアドバイスもあり(社長曰く),本社のある神戸ではなく東京エンジニア集めていきます

技術的な成長を求めるとか面白いとは何なのでしょうか。スキルのみで考えるならyahooにも優秀な方々はたくさんいたと思いますが。退職エントリーを読むと、福利厚生等の副次的な不満から最終的に給料に話しになり、最後スタートアップ転職という流れなので、給料(+α)が最終的な決断要素ですかね。αの部分は働く人や社風、環境等があるのでしょうか。いずれにせよ、退職エントリー書く方って「思ってたのと違う」という不満が多いのですが、変えるアクションもしていないのに一方的に不満を書くのはおかしいのではないかと思います。変化のアクションを取ったのにダメだったとか、変化のアクションを取りにくい環境だったとか、不満をぶつけて返ってきた結果を書くべきだと思います

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