はてなキーワード: 師弟とは
身バレ防止のため口調を変えています 某教育番組は子どもどころか大人にもファンが多いのは知っている。 息子(3)は幼い頃からどハマリで最近は録画したその番組を繰り返し見ている 番組内の人気コーナーにビー玉の兄弟の話があるが、それは特にお気に入りであり恐怖にもなっていて(黒玉軍が怖い)その時の気分で「こわい」「ぼくくろだまぐんこわくないよ!」と宣言しながら見ている 第3弾で色々声がついたこともあり、はじめ見るのも拒否していたくらいだったが今では「こわかったねー!」と楽しんで観ている さて、まさにそれがテレビで流れている時その映像を無断転載してBL妄想しているバズツイが目に入った 単純にキモすぎて吐き気がする 子が純粋に楽しんでいるものでBLといえば自分が子供の頃ハマっていた某忍者のたまご漫画があるがそれも大人になって知りドン引きした 昔から好きなキャラがかけ算されている事実に子供時代の自分が憐れに思えた(作者がどうとかは今は置いておく) なぜ彼女(彼)らはなんでもCPにするのか? 別に知りたくもない 腐女子嫌いにも種類があるんだよ 自分はCP厨嫌いなんで二次創作でなんでもかんでもくっつけるのが大嫌いだ そういう意味で腐も百合もほぼ同じ目で見ている その友情が熱いんだろうが それは親子愛・兄弟愛だ師弟愛だ そいつは同性愛者なんて言及されてない そもそも彼女いるだろ 等々公式の事実を積極的に捻じ曲げる大胆さ畏れ入る。マジ無理 なにも腐女子自体に文句を言うわけじゃない これでも他人の趣味嗜好に口を出すつもりはない タバコと同じでマナーを守って愉しんでくれるならさほど気にならない(視界に入らないし)が、歩きタバコだポイ捨てだ喫煙所から離れたところで吸うだなんだされればその目立つバカのおかげで全部嫌いになるみたいな話 でも嫌いだからお前ら全員禁煙しろ、とはならないしそれはタバコ農家と税金がな〜くらいに思っているのではよ税金上げてくれくらいで矛を収めるようにはしている 腐女子に対して思うこともそんなに変わらない こんなんだが二次創作のBLは結構ハードなものまでそれなりに見れる なぜかってそりゃ生きていくために耐性をつけざるを得なかったからだ つけたくてつけた耐性じゃねーわ 生きるために仕方なくなんだわ BL嫌いでも好きなもの追っかける権利あるだろうよ それなのに検索したら腐妄想ばっかり引っかかりやがって、地雷踏みまくらなきゃ腐ってないものにはそうたどり着けないし未開の道を切り開いたってそんなオアシスがあるとは限らない いばらを切り裂くにはそれがいばらかどうか認識しなければならない 鍵もかけなければ検索避けもしないでキャラクター実在の人物お構い無しでエグい妄想吐きくさって 好きなものを好きって騒げないなんてって文句言うならそれが苦手な他者への配慮が必要な嗜好だということを理解しろ 仲間同士で集まるから世間がどうかなんて知らないんだろうが大抵の生き物が男女でつがいになる時点で特殊嗜好だという認識をしろ(実際の同性愛者を否定するわけではない。むしろ応援しているしもっと生きやすい社会になればいいと思っている。あくまで腐趣味に対しての考え) それでいてメディアに取り上げられると「やめて!隠れてるのに!」じゃねーーーーーよ 好きな絵だなと思ってフォローしにプロフィール覗くたび腐女子でがっかりという事例は数え切れないほどあるしこのなんともいえない気持ちを経験した人間は自分だけじゃないはず フォローすることで当然BL絵やBL話を目にすることもあるはずで、それを承知してボタンを押すかどうかの葛藤は凄まじい あんたの絵は好きなんだよ!!!でも「BL嫌いだけどあなたの絵は好きです」なんて感想でも送ろうもんならあんたを困らせるに決まってるから送れないんだよ!!! かといってBL肯定してる人間じゃないから全スルーなんてできねぇよ!! 過去、腐女子が常に腐ィルターを通さなければ何かを見られないことをかわいそうに思ったこともあった でもあいつらそれで見えた世界に狂喜乱舞して絵や小説や本やコスプレや無限に生み出していくから全然かわいそうじゃなかった あまりに地雷を踏み続け、いっそのこと自分が腐女子になれれば世界はもっと楽しいのではとトチ狂った考えが浮かぶこともあったがはたして腐女子にはなれなかった 腐趣味が受け入れられない根本的なところはもちろん大声で下ネタやらかけ算の話やら無理だわ この女優のAVが好きですって道のど真ん中で叫ぶようなもんだろ あと嫌なら見るな厨はどこにでも湧くがそういうのは検索避け徹底してる奴が言え頼むから 言っとくけど問題のツイだけ検索避けして関係ないツイは検索避けしないんじゃ意味ないからな どうしてかもわからないならとりあえず避けとけ この世界で腐女子を意識せずにオタ活なんてできないからな んなことはわかってんだよある程度我慢した上でもう限界なんだよなんだよ新しいキャラ公開されただけであれは受だの攻だの人だわ もう腐女子専用SNS作って隔離されとけ 既にあるらしい話も聞いたけど詳細知らん 腐趣味のない人間にキモいものを見せつけるな この毒吐きに過敏に反応する腐女子はもれなく指差して笑わせてもらう
予断を持たずに事件に取り組み、判決などで具体的な理由を示すにあたっては、最終審としての説明責任を果たす内容になるよう、力を尽くしたい。最高裁には多様な紛争についての不服が申し立てられ、どの事件も最終的な決着が求められている。社会的に影響の大きな事件も少なくなく、責任の重さを日々痛感している。
広い視野の下で、公正な判断を行うことが期待されていると感じる。その期待に応えるためには、判断の内容を説得力ある分かりやすいものにすることが大切である。また、裁判所の存在が国民に身近なものとなるよう、情報発信や手続きの工夫などといった面にも一層留意する必要がある。
地裁や高裁で勤務した時代、3人の裁判官の間でさまざまな議論を重ね、充実した判断につながったと感じられた事件は、著名かどうかを問わず長く記憶に残っている。最高裁においても同じだろうと思う。
任命権限に関わる事柄であり意見は差し控えたいが、現在、バックグラウンドの異なる同僚裁判官とさまざまな角度から率直な意見交換ができる環境にあり、日々の仕事にとって大きな意義があると感じている。
裁判の中で憲法判断を示す立場にあり、お答えは差し控えたいが、憲法は、我が国における「法の支配」の基盤となるものであり、普段からそのありように国民の目が注がれていることは、大切なことであると考える。
前項と同じ。
これまでに関与した定数訴訟についての私の意見は、大法廷判決の中で示してきたところであり、これからも個々の事件の判断の中で示していきたい。
注:16年参院選の「1票の格差」を合憲とする多数意見(17年9月)
法的判断が司法に求められている大きな問題の一つであるが、今後訴訟が最高裁に係属する可能性があるので、意見は差し控えたい。
国民の皆さんの理解と協力に支えられて、制度が定着しつつあることを、刑事裁判に携わってきた者としてうれしく思っている。大改革であり長期的なものさしで改善を図っていくべき課題もなお残っているが、刑事裁判が、「開かれた司法」の方向に大きく変わったことは確かである。
誤判を防ぐためには、一つ一つの事件において、当事者が適切な訴訟活動を行い、裁判官が曇りなき目で判断を下すことが、何より重要である。制度や運用の改善点については、法曹三者の間で、実情をもとにして、率直で冷静な検討を深めることが欠かせない。
国民の間で議論を深めていくべき重要なテーマであると思っているが、具体的事件に関与する立場にあるので、立法論に関わるご質問についてはお答えは差し控えたい。
重大な刑事事件は裁判員裁判によって審理されており、今回の新制度の運用については、裁判員裁判の証拠調べにおいてどのような評価が示されるかが、重要なポイントになると思う。裁判員裁判と同様に、長期的なものさしで検討すべき問題であると考える。
さまざまな課題を抱えていることは認識している。法曹養成制度も教育制度の一つであり、時間をかけて行うべき人づくりの土台だといえる。長期的なゴールを見定めて、じっくり検討していく姿勢も大事だと思う。
国際的な経済活動が原因となった訴訟はこれからますます増加すると思う。裁判官は、紛争の背景にある実情も視野に入れた上で、判断を下すことが求められる。そのためには、研修、人的交流などの機会も一層充実させる必要がある。
「開かれた司法」を推進していく上で、テクノロジーの活用は重要な柱の一つだと考える。それだけに、単に「便利かどうか」というのにとどまらず、司法へのアクセスや裁判手続きの将来のあり方も念頭に置いた上で、総合的に電子化などの改革を進めていく姿勢が大切だと考える。
個人的には、今年は名演と観客席の熱気が一体となったライブに出会う機会が多く、終演後はその場の一員であった幸福感を味わえた(例えば、ロシアの劇作家チェーホフの「ワーニャ伯父さん」)。
「尊敬」という意味とは少し違うように思うが、強さ、弱さを含めて、人間的魅力に富んだ人物として、最近興味があるのは、森鷗外。趣味はコンサート、観劇。好きな言葉はゲーテの「人間は努力する限り迷うものだ」。
千葉聡の「歌うカタツムリ」。身近な生物を手のひらの上に乗せながら、生物進化に関するダーウィン以降の研究の歴史が物語られており、科学読み物として非常に新鮮だった。
約40年間、弁護士の活動から培った経験や市民感覚を踏まえ、弁護士出身の裁判官であることの自覚と誇りを持って、正義と公平にかない、かつ、健全な社会常識にかなう法律の解釈・適用に努めていきたいと考えております。最高裁裁判官に就任して約1年3カ月経過しました。最終審としての判断の重さを更に自覚し、一つ一つの事件に謙虚に向き合い、よりよい判断・解決のため、誠実に職責を果たしていく覚悟です。
裁判所に対して、一つ一つの事件について、迅速かつ適正妥当な判断を期待していると思います。最高裁判所としては、主な事件の判決などについて、ホームページなどでも公表していますし、法廷の傍聴人の方々にも事件の争点など概要がわかるような工夫を積極的に進めています。
個別事件の判決の中で示した意見のとおりであり、これを離れてお答えするのは控えさせていただきます。
いずれの質問についても、憲法で定められている任命権者が判断する事柄ですので、お答えするのは控えさせていただきます。
憲法の改正は、国会の発議により国民投票を経て行われるもので、主権者としての国民が判断される事柄であり、各国民が真剣に考え議論すべきものと思います。
国家存立の基盤である国の安全保障政策については、各国民が自分の問題として真剣に考えるべき事柄であり、司法の立場にある者として、個人的意見は控えさせていただきます。
注:16年参院選の「1票の格差」を合憲とする多数意見(17年9月)
裁判所は、どのような訴訟においても、法にのっとり公平かつ適正妥当な判断をしていかなければならないものと考えております。
裁判員制度はおおむね順調に運営されてきていると思いますが、問題点もご指摘のとおりあります。更なる審理の工夫や制度の広報に努める必要があると考えております。
誤判は絶対にあってはならないものです。刑事事件の事実認定においては、思い込みを排し、様々な視点から十分に証拠を吟味することが大事です。刑事司法に携わるすべての者が、誤判防止に向けて、それぞれの立場で誠実に職務を行わなければなりません。
死刑制度の存廃や終身刑の創設などは、最終的に国民の意見により決められるべき立法の課題であり、司法の立場からの意見は控えさせていただきます。とはいえ、死刑は究極の刑罰であり、その適用は極めて慎重に行われるべきものと考えております。
新制度は、捜査・公判が取り調べ及び供述調書に過度に依存している状況にあるとの指摘を受けて立法化されたものであり、これにより、刑事手続きにおける証拠収集方法の適正化及び多様化がされ、公判審理の更なる充実が期待されます。
具体的な政策についての発言は控えさせていただきますが、法科大学院で5年間教壇に立った者として、法曹養成の理想に向けて開校した有力な法科大学院で募集停止が相次ぐこととなり、残念でなりません。社会の様々な分野で法律家が活動することは、法の支配する公正な社会を実現するために必要であり、大変意味のあることだと思います。わが国社会の今後の発展を支える有為な人材として質の高い法律家をいかに計画的に養成するかという観点で検討されることを望みます。
国際取引事件、家事渉外事件をはじめとする国際的紛争事件に十分対応できるよう、裁判所における人材の育成が求められるものと考えております。
裁判手続きのIT化のあり方としては、裁判手続きの利用者の利便性の向上だけでなく、本人訴訟への対応を含む関係者の手続き保障、情報セキュリティー、事務の合理化を含めた費用対効果などの諸般の事情に配慮しつつ、裁判手続きにとって真に望ましい姿を探る必要があります。
趣味は、歌舞伎鑑賞です。尊敬する人物は自分を育ててくれた両親で、感謝と尊敬をしています。好きな言葉には「道を伝えて、己を伝えず」という言葉があります。日本の幕末から明治にかけての動乱期に、キリスト教の伝道を行った宣教師チャニング・ムーア・ウィリアムズの生き方を表現した言葉です。私はキリスト教の信徒ではありませんが、ウィリアムズは、幾多の困難に全身全霊で立ち向かいながら人々の心を一つにまとめ、教会や学校・病院を造り、社会や世界を動かしました。そのような信仰の姿こそが、「『道を伝え』ることではないか」と思われます。そして「己を伝えず」。真の意味はいまだ計り知れないものの、「自分の考えを相手に独善的に押しつけようとしない」とか、「自分の名誉や欲望のためにけっして人を利用しない」と解釈されています。事実、ウィリアムズは一介の宣教師に過ぎない自分の名が記憶されることを徹底して拒み、日記や手紙の多くを燃やしまでしたとも言われています。
新規事業とか、何かやりたいことを持ってるワナビと、何か詳しいらしい人が話してる光景をよく見る
前者は大体25〜35歳、後者は30〜45歳って感じ
師匠みたいな人は一人も居ない
全部ググったり、本読んだり、経験から考えたりしながらやってる
師匠じゃない、仲間は若干居るけど
別にそれでいいと思ってたんだけど
あまりにも毎日そういうの見るから、こういう師弟関係があるのが普通で、自分みたいなのは珍しいのかなぁとか
ぼーっと思ってしまったりする
(単純に、2,3人集まったら力関係が出てしまうだけだろうか? 私の場合はそれぞれ別の業界のプロなので、完全に対等だ)
教えられる側も、どこかで独り立ちしなきゃいけないはずで、彼らはそれをどこでするんだろう、とか思ってしまう
メンターすら居なかった
先輩、上司、エトセトラ、何かを教えてもらったことがほとんど無い
別にそんなの要らない、と頭では思うんだけど
正直言うと、ちょっと羨ましいのかもしれない
大丈夫日か?
みたいな考えが絶賛されている
多分、その考え方が誤解だ
8時間で仕事は終了するのだが、例えば、2時間(あるいはもっと)自主勉強時間に充てる、いや、充てざるを得ないのだと思う
あるいは単純労働の場合、副業(別の逃げ道、例えばYouTuber)でもいい
これは良かれ悪しかれ避けられない
もっとも、資本主義の考え方自体、労働者の給料に「教育費」も入っているということになっているらしい
(この場合の「教育費」は、労働者の子供の教育費ではなく、技術革新に対応するための労働者自身に対する教育費)
終身雇用はもはや現実的ではないのだが(例外もあるが)、終身雇用の良かった点は長時間労働とセットになっていたという点で、
労働時間の中で上司が教育していた。つまり、教育時間にも給料は出ていた その意味でのサービス残業の横行は、例えば、
さらに言えば、単純労働のサービス残業は教育の意味をなさないため、一方的な搾取であり、企業のモラルはほぼ全壊していたと思う
また、「社内教育」で上司が教育する内容自体、その企業特有の一般性の欠ける物も多く、激しい技術革新にも対応づらい
いずれにせよ、必要となる技術がいつどう変わるか分からないため、いつ自分の所属する事業部がなくなるか分からない状態に近いのかも知れない
受け身の姿勢では上手く行かないと思う
自主的に勉強出来る敷居が低くなった以上、自主的に勉強せざるを得ない
もちろん、日本一国の問題ではなく、世界中で自主的に勉強する人間がほとんど全員参加してくるようなフェアな戦いだ
とすると、例えば、人を集める企業を作る場合、「社内師弟制度」などで社内勉強会でスタープレイヤーから直伝してもらえる
という考え方もありなのかも知れない(もちろん、教えられる方はスタープレイヤーに授業料を支払う必要はある)
某有名人達が「会費を払って働かせてもらう」システムを作っているが、そちらに参加する人間もいるだろう
個々人が個人事業主的に自律的に動いていく必要がある時代が近づいて来ているのかも知れない
受け身のベルトコンベアに乗ったような人生の時代は強制的に終わらされたのかも知れない
受け身でも生きられると思うが、死ぬまで働かされる時代になる可能性が高いのではないか
あまりに凄すぎたので、とにかくこのホットな感動を伝えたいという衝動に突き動かされて今これを書いている。
もう本当に凄い。
クオリティという意味でもそうだし、面白さという意味でもそうであるし、何かもうこの映画の全てを総合して凄いとしか表現しようがない。
もう色々な人に出来る限り観に行って欲しいくらいに素晴らしい映画なのだが、その中でも特にオタク達に観に行って欲しいのだ、この映画を。
何故ならこの映画は普段のディズニーアニメのメインターゲット層であるお子様達よりも、素敵なお姫様と王子様とのラブストーリーに憧れる少女達よりも、大人になってもディズニーラブなお姉様方よりも、それらのどの層よりも、何より冒険と戦いと伝説の勇者にいまだに憧れる馬鹿野郎共にこそ深々と心にぶっ刺さる熱い熱い熱い映画であるのだから。
そう、この映画は大いに感動も出来るし、ハートフルな気持ちにもなれるという普段のディズニーの看板を全く偽ることなく、果てしなく広がる海を旅する冒険と、心を奮わせる激しい戦いと、熱き血潮と筋肉と入れ墨をも同時に詰め込んだスーパーマッチョアクション巨編なのである。
しかしこのまま熱く内容についても語り尽くしたいところではあるのだが、まだ公開して一週間も経っていない今そこまでネタバレしてしまうのは気が引けてしまう。
何よりこれを書いている目的はより多くの人にモアナを見て欲しいという気持ちからであるからして、そんな未視聴の人達から初見の感動を奪ってしまうのも忍びない。
なので、大筋のネタバレを避けつつ「モアナと伝説の海」という作品の魅力をいくつかピックアップして紹介していきたい。
1.ストーリーがいい
すでに巷では海のマッドマックスだのワイルドスピードだのと評判であるが、まずモアナは決してそんなインパクト重視な部分だけの映画ではないことを強く主張したい。
確かに途中から明らかにマッドマックスだし、終盤のセーリングバトルはまさしくワイルドスピードである。
そういう面がモアナのわかりやすくキャッチーな面白さであることは否定しないが、それらに劣らぬ魅力がそんな荒唐無稽な描写を単なるパロディやギャグで終わらせない骨太なストーリー展開にある。
序盤の展開を少しネタバレしてしまうことになるが、ここで軽くその一端を語らせて欲しい。
・村長である両親や周囲の期待に応え、村を継ぐという自分の将来がすでに決まってしまっている少女・モアナ。
・しかし同時に彼女は小さい頃から抱き続ける、海を越えて旅することへの憧れを捨てきれずにいた――。
ここまではディズニーでよくある抑圧されたプリンセスという構図であるが、モアナはここからが少し、いやかなりいつもと違う。
・しかし、村長の娘として過ごす内に、彼女が暮らす島には徐々に異変が現れ始める。
・島の命が涸れていく――。
・異変の原因は、今も口伝で伝わる神話の昔に起きたある伝説に原因があった。
・伝説は嘘ではない。海へ出ることを夢見るモアナの唯一の味方である祖母は、島に危機が訪れた今こそ彼女に真実を語る。
・島の先祖達の真なる歴史、そして島の中のとある場所に封印された船達。そして幼少の頃より海に選ばれし者であった自分の運命。
・島に、いやこの世界全てに危機が迫る今こそ、少女は己の運命と先祖から受け継いだ血に突き動かされて、封印された船を駆り、世界を救う旅へと出発する――!
そう、もう完全に少年漫画なのだ。ジャンプに連載されていても違和感がないほどに完全に少年漫画なのである。
何だったら船をロボットに置き換えても通じる。
飄々とした老人が語る真実。選ばれし血筋と運命。島に封印された兵器で世界を救う旅に出る少女。
まさしくロボットアニメ文法そのまんまである。そんな作品を見てみたいと思わないオタクがいるだろうか。
俺は見たい。そして実際に見た。凄い。この序盤以降も、もう本当に自分が望むままの血湧き肉躍る冒険活劇が繰り広げられるのである。
この時代にガッチリと、一分の隙も無く見事な、全く伝統的でブレることなく王道を真っ直ぐ突き進む冒険活劇が見られるのだ。
それこそが、そんなストーリーこそがモアナ最大の魅力であると、自分はまず自信を持ってオススメしたい。
そして二つ目のポイントもそのストーリーに掛かってくる部分なのであるが、「この映画は全くラブストーリーではない」というところをそれとして挙げたい。
そうは言ってもディズニーで、一応プリンセスが主人公なんだぜ? ラブストーリーじゃないなんてことあるの?、と思われるかもしれない。
自分のようにモテない独身男が一人で観に行っても全く闇を抱えることがない程に、清々しいくらいにラブストーリー要素は一切ないのである。(一応カップリング的なものはあるが、あくまでファンの受け取り方次第である)
前年度のディズニー映画「ズートピア」も恋愛関係というよりはバディものに近い関係性であったが、モアナはそれよりも更にバディもの、なんだったら師弟もののような関係性となっている。
一応に一応を重ねて今作のプリンス的立ち位置であるマウイというキャラクターは存在するし、彼と二人でモアナは旅をすることになるのだが、映画全編通して二人の間には一切恋愛を匂わせるような心の交流は存在しない。
しかしだからと言って二人の関係が薄いということは全くなく、冒険を通じてモアナという少女とマウイという英雄の間には友情のような、あるいは兄妹のような、あるいは師弟のような、固い固い絆が結ばれることになる。
そしてそこに恋愛というモチーフが一切入ってこないというのが、本当に爽やかで気持ちよく思えるのである。
恋愛的感情の一切無い男女のコンビというと「シュガーラッシュ」の例も存在するが、デフォルメの効いたキャラクター同士であるあちらよりも一人の人間としての形を色濃くデザインされた男女二人が恋には落ちないモアナはより珍しく映るだろう。
そしてそんな関係の二人だからこそ、シンプルに恋愛だけでない複雑な魂の結びつきを感じる余地も生まれ、キャラクターとしての奥行きを生み出しているようにも感じられるのだ。
独身男の心を傷つけない優しさという点だけではなく、そういう作品的な深みを生んでいる意味としても、ラブストーリーでないということはかなりオススメ出来る点であると個人的には考えている。
3.単純な悪役のいる物語ではない
これまたストーリーに掛かっているポイントであるが、個人的にもこのポイントは独立したものとして強く推したかったので語らせて欲しい。
さて、ディズニー映画と言えば必ずわかりやすいヴィラン(悪役)がいるというのが御約束である。
時には極悪非道、時にはコミカルで憎めない、そんな多種多様なヴィランがディズニー映画には登場するのだが、彼らはまた必ず物語の最後には主人公達に打倒されるものでもある。
単純な小悪党というパターンも多いが、彼らは多かれ少なかれ作品内の歪みを体現した存在でもあり、彼らが単純に倒されるだけでいいのだろうかというモヤモヤを残していったりもする。
それをして作品に奥行きと考察の余地を与えたり、現代における社会問題を反映させた構図としてみせたりするのがディズニー映画の一つの魅力ではある。
それは個人的にも長所ではあるとも思うのだが、やはり作品を見終えた後でいくらかの引っ掛かりや疑問を抱えたままになるし、それがあまり気持ちのいい感情ではないことも否定は出来ないだろう。
しかし、今回のモアナにはそれが一切存在しなかった(と、個人的には感じている)。
単純に歪みと闇を抱え、倒されるだけのヴィランというものが存在しないのである。
確かにモアナの冒険の途中には、モアナ達を狙う敵達が登場したりはする。
しかし、いずれも己の信念、というよりは生き方に基づいて立ち塞がるのであり、憎み合う敵というよりは障害物に近いものとなっている。
そしてその全てが憎めなくてどこか面白い、魅力のあるキャラクター達となっているのだ。
だからと言って、モアナという作品がそんなただ優しいだけの世界を描き、テーマ性の薄いものになっているのかというとそんなことも一切ない。
作品のテーマは最後まで一本筋の通ったものが存在しているし、それは様々なことを深く考えさせられるものである。
モアナを取り囲む世界も優しさに満ちていることは否定しないが、時にどうしようもない厳しさというのも十分に描かれている。
そして、この世界におけるこれまでのようなヴィランが体現する歪みというものは、モアナとマウイを含む全ての人物が己の心の中に持っているものとされている。
モアナとマウイは冒険を通じて自分の歪みと向き合うことでそれを打倒し、誰にも押しつけることなくそれを昇華する。
だからこそ、明確なヴィランの存在しない物語というものが存在し得るのである。
そして、そんな物語の迎える結末というものが、もう本当に、涙が出るほど清々しく、爽やかな気分にさせてくれるのだ。
何の引っ掛かりも疑問もなく、ただただ爽快感だけを残してモアナという作品は終わってくれるのである。
単純なハッピーエンドではなく、みんながこれからも考え続けていかなければならない。確かにそういう作品は大事だし、素晴らしいこともわかる。
しかし、たまにはここまで気持ちよく、優しい世界を描いた作品を讃えるのもいいではないか。
さらに加えてこの作品はプリンセスの不遇を描くに辺り、誰かしらや何かしらからの悪意が存在したりしないことも個人的には素晴らしいと思っている。
物語の序盤のモアナは抑圧された状況下にあることは確かなのだが、それは全て優しさと正当な理由があってのことなのである。
だからこそ、モアナの旅立ちのシーンが本当に胸を打つものになっている。
そしてそれはプリンセスの生い立ちや状況だけでなく、マウイという存在や行く手を阻む様々な困難の全てに単純な意地悪や悪意だけで構成されているものがない。
そういった部分も、この作品の優しさと爽やかさと気持ちの良さを支えているように思う。
作為的な悪というものが存在しない点。それもまたこの作品における重要なオススメポイントとさせていただきたい。
これについては今更自分のような者が語ることはないほど周知されていることだとは思うのだが、それでも今一度ここではモアナの魅力としてオススメさせて欲しい。
そして透き通るような美しさを持ちつつも精巧な絵画のように鮮やかな色をも見せ、生き物のようにうねる、これがアニメーションで可能なのかと驚愕しきりの海の表現。
愛くるしくも時に凜々しいキャラクター達の活き活きとした表情と動き。
そして何より激しいアクション! グリグリと動きまくる格闘戦! ド迫力な神と英雄のバトル! 躍動する筋肉! 精緻な美術設定によって作られた変態改造船舶!
もう枚挙に暇がないし言葉も足りない程に美しくて活気に満ち溢れた、そして過激かつマッチョなモアナの世界がスクリーンの向こうには広がっているのだ。
なのでこれはもう是非ともディスク化を待たずに劇場へ足を運んで、ドデカいスクリーンでこの映像美を拝んでいただきたい。
そのマッチョでマッハなアクションにはとてつもなく興奮することは間違いないし、そのあまりに美しい世界観に感動することもまた間違いがない。
特に予告編でも一部見ることが出来る夜の海を光る船団が行くシーンは本当に、本当に美しすぎて溜息が出るので絶対に劇場で見て欲しい。
そして海のマッドマックスと呼ばれる所以たるシーンも併せて是非。いや、マジでスゲーのよ。
5.挿入歌の使い方が最高
これもまあ今更自分が語るようなことではないと思うのだが、それでもあまりに感動したので書かせて貰いたい。
劇中歌の強さで天下を取ったディズニー作品と言えば「アナと雪の女王」が記憶に新しいが、個人的にはモアナのそれはアナ雪に勝るとも劣らぬ力があると感じた。
その上で、更にアナ雪よりも強いモアナの要素として劇中歌が挿入されるタイミングがとにかく最高ということが個人的には挙げられると思っている。
アナ雪で一番有名かつ作品のテーマソングともなっている「Let It Go」であるが、実は劇中での使用は一度のみなのである。
それもエルサが城から逃げ出して自身の能力で氷の城を作り上げるという、映像的には圧巻の美しいシーンではあるのだがタイミングとしてはいまいちカタルシスを感じていいのか微妙な部分で使用される楽曲であった。
対してモアナにおけるメインテーマソングである「How Far I'll Go」は、作中で数回に渡って使用される。
そして、それは主人公であるモアナが悩む時、壁にぶつかった時に、己を慰めるように、あるいは鼓舞するかのように歌い上げるのだ。
この劇中歌の流れるタイミングと、ストーリー的なカタルシスの一致がとにかく素晴らしいのである。素晴らしいシンクロ具合を見せてくれるのだ。
そしてこのテーマソングが一度ならず幾度も使用されるというのもありがたい。
作中のシーンに合わせて幾つもの曲を書き下ろすディズニーにしては珍しいしそこを欠点に感じる人もいるかもしれないが、一つの曲を大事に使ってくれる今回の方が個人的にはより好みであった。
そして何より言うまでも無いこの「How Far I'll Go」という楽曲自体の素晴らしさ。
切なくも力強いこの曲のサビの部分は、何度も使用されてこの歌を覚えていくことで作品の後半に進む程により心を震わされ、感動させられる作りになっているように思える。
更にモアナ役の吹き替え声優である屋比久知奈さんの歌声もこれまた最高で、これがあってこそと思えるものであり、この歌声と曲が合わさる相乗効果は本当に言葉にならない。
そして無論、「How Far I'll Go」以外にもモアナには素晴らしい劇中歌の数々が存在しているし、それらの使い方も言うまでもなく素晴らしい。
特に「We Know The Way」という曲はこれまた複数回使用される曲なのだが、映像と力強いメロディーとを合わせて自分の中の冒険心というものをこれでもかとかき立てられる素晴らしい曲であった。
とまあ、とにかくモアナの劇中歌は「曲自体の素晴らしさ」、「それが使用されるタイミング」、「その曲を覚える程繰り返し使用してくれる演出」と三拍子揃ってとてつもない感動を与えてくれるものとなっているのだ。
そしてそれを劇場の迫力ある音響で堪能出来る至福といったらもう、是非とも映画館に足を運んで味わって貰いたい。それ程大きなオススメポイントである。というかモアナでも極上爆音上映とかないですかね……。
さて、以上が自分のモアナという作品で素晴らしいと感じたポイントであり、オタク達にオススメするポイントである。
いかがだろうか、正直書いてる内に止まらなくなって自分でもちょっと引くほど長くなってしまったが、それくらい情熱に任せて書いてしまえる程モアナという作品は面白かったのだ。
なので、これを読んで少しでも食指を動かされた人には、本当に是非、すぐにでも劇場で観ていただきたい。
というか今すぐ観よう、今日のレイトショーで観よう、明日のレイトショーでもいい、休日は言うまでもなくモアナで予定を埋めよう。
誰に何を言われたからでも、観覧特典のような配布があるわけでも、ディズニーから金を貰ったからというわけでもない。
ただただあの優しくも熱い冒険の世界をまた味わいに行きたいからである。
そしてこれを読んでいる皆様にも、是非ともそれを味わっていただきたい。
純粋にそう願いながら、この文章をようやくここで終わらせることにしよう。
いや、やはり最後にもう一度。
…
……
………
…………
……さて。おまけで、かなりネタバレになってしまうがもう一つのオススメポイントを書き残しておきたい。
6.特殊性癖
巨女こそが女神の姿であり、自然であり、豊かな緑であり、巨女が島となり、大地となり、命を生む!
この映画は紛れもなく巨女信仰映画であり、子供達に巨女属性を幼い頃より刷り込ませ、更に一般的認知をも拡大せんとする目的で作られた映画であることは間違いがないだろう。
“息を吸うように交わされるホモ行為。もう男同士で手を繋いだりハグをしたり顔を近付けたりは日常茶飯事で、最初は「これユーリやなくて、ホーモやないかーい!」と陽気なツッコミでエンジョイしていた自分も、回を重ねるごとに露骨になっていく描写に耐えきれなくなり、10話でエンゲージリングに見立てたペアリングを贈って疑似結婚式を始めたところで、完全にドン引きしました。このシーン、今思い出してもめちゃくちゃ気持ち悪かったです。
こうやって「気持ち悪い」とはっきり述べてしまうと、私はLGBT否定論者の差別主義者だと受け取られるかもしれません。しかし、私はゲイそのものに拒絶反応を感じているのではなく、ゲイではないくせに(認めていないくせに)ゲイを気取っている男どもが気持ち悪いと感じただけ。そう、これだけ勇利とヴィクトルの2人は同性愛を匂わせていながら、互いがゲイであることに一切言及しないのが問題なんですよ!
断言できますが、もし勇利がヴィクトルのことを真剣に愛した上で指輪を贈っていたのなら、私は気持ち悪さなど微塵も感じることなく、2人のことを祝福していました。セクシャルマイノリティであろうと、周囲に何ら引け目を感じることなく、実直に求愛できるのは大変麗しいこと。でも、勇利がヴィクトルに指輪を贈った理由には、「お守りだから」「お礼だから」という苦しい言い訳が入り、これだけ直接的な行為に及んでいながら、2人がゲイである事実から頑なに目を背けようとするから腹立たしくて。
10話放送後、作者の久保ミツロウさんはTwitterで「この作品を現実の皆さんがどのように思われても、この作品の世界の中では絶対に何かを好きになることで差別されたりはしないです。その世界だけは絶対に守ります。」と、差別主義者には屈しない! というスタンスで反論されていましたけど、作中でゲイであることを認めていないからとても滑稽に聞こえます。
本当にこの世界が、あらゆる愛情のカタチに差別が入り込まない世界であるなら、「その世界だけは絶対に守ります」と豪語するなら、どうして彼らはゲイであることをはっきり認めようとしないのでしょうか? 同性愛を肯定しながら、一方で師弟愛や友情を隠れ蓑にしてゲイである事実を誤魔化そうとするやり口は、とても卑劣で悪辣だと私は思います。ゲイに対して不誠実ですし、これこそ差別です。
結局、本音ではホモを匂わせて腐女子を釣りたいだけのくせして、差別がどうのこうのを持ち出して正当化させようとするから気持ち悪さを感じるのですよ。ユーリ!!! on ICEという素晴らしいアニメに対し、私はただひたすら絶賛だけがしたかったのに、こんなくだらないことに長文を割かなくてはならないのが何よりも残念です。“ttp://ndsk.net/anime/yurionice.html
本人はこれを差別だと自覚していないようですが、なぜ勇利らが「ゲイ」であることを認めなければいけないのか考えが足りなすぎるのでは
そもそも恋愛や性愛について「同性愛」「異性愛」「両性愛」「汎性愛」「全性愛」「無性愛」「ホモフレキシブル」「クエスチョニング」「ポモセクシャル」「ポリセクシャル」「バイキュリアス」「デミセクシャル」「オブジェクトゥムセクシャル」、、、、、と数限りない愛の形があるのに勝生勇利とヴィクトルは自分たちを「ゲイ」と認めなければいけないのかよくわからない
5話で
【僕の愛。それはわかりやすい愛や恋ではなくて、ヴィクトルとの絆や家族や地元に対する微妙な気持ち ようやく自分の周りにある愛のような物に気付く事ができました。はじめて自分でつなぎ留めたいと思いたい人、それがヴィクトルです その感情に名前はないけど、あえて愛と呼ぶことにしました】
彼の気持ちは「既存の愛ではない」と語られているのに、浅生大和(あそうやまと)氏はゲイかゲイじゃないかというふうにしか二人の関係を考えられないってこと?
【この作品を現実の皆さんがどのように思われても、この作品の世界の中では絶対に何かを好きになることで差別されたりはしないです。その世界だけは絶対に守ります。】
これについて
【と、差別主義者には屈しない! というスタンスで反論されていましたけど、作中でゲイであることを認めていないからとても滑稽に聞こえます。本当にこの世界が、あらゆる愛情のカタチに差別が入り込まない世界であるなら、「その世界だけは絶対に守ります」と豪語するなら、どうして彼らはゲイであることをはっきり認めようとしないのでしょうか? 同性愛を肯定しながら、一方で師弟愛や友情を隠れ蓑にしてゲイである事実を誤魔化そうとするやり口は、とても卑劣で悪辣だと私は思います。ゲイに対して不誠実ですし、これこそ差別です。】
一体どう解釈すればこのような文章を書けるのか疑問。てかホモ、ゲイと書いている時点で立派な差別なんだがな、、、
同性愛について見識深いみやきち (id:miyakichi) さんの意見も伺いたい
日本の正月は何処を見ても旭日をモチフにした新春や賀正の文字が踊っており、
訪日外国人に耐え難い苦痛を与えている事は非常に有名な常識である。
これをなんとかしない限り、東京五輪で大問題、国際問題、超問題になる事はメハクであり、
日本が国債国家として世界に認められるには、旭日モチフ規制を法的にヘイトに盛り込むべきなのは間違いない。
同様に日の丸も諸外国に対して非常に不快であり、ハケンクロイツと同等である。
日本鬼子の汚名を返上するには、新しい国旗、中国の師弟である事を示す
オストラリアとニュジランドの様な関係の国旗とするか、韓国の弟としての
2016年も残りわずか、今日という日もあと数時間で終わりということで2017年にこのもやもやを残さないべく、非常にどうでもいい話を吐き出させてください。
ちなみに当方24歳女性、恋愛経験ゼロ、男性経験もゼロ、社会人二年目の独り者です。
この前最終回を迎えたYOI、あれを観ていたら無性に羨ましくなって同時にさびしさを感じて死にたくなりました。
勝生勇利とヴィクトル・ニキフォロフが最終的に師弟というか公私ともにいいパートナーとなっていくじゃないですか。
勇利は自分のことをどこにでもいる日本人選手だなんて言うけれど、たとえそれが本当だとしてもバンケットでヴィクトルに手を伸ばして求めたのは勇利自身で、私にとってそれが何よりも眩しく映りまして。
すごい個人的な話なんですけど、先日子宮がん検診に行ったら処女は別に検査しなくても平気だよ!なんだったらワクチン打ってもいいんだよ!!なんてお医者様に言われたばかりだったんですよ。
だからといって今後男性と結ばれる予定なんて一切ないわけですよ。周りの女性はみんな検査室に入っていくとなかなか出てこなくて、あぁ検査受けてるんだななんて勝手に変な目で見ちゃって、余計に自分がみじめになってしまってですね。
あの日真剣に自分の将来を考えて死にたくなって、急に寒気がしたのを今も鮮明に覚えています。
そんな鬱屈した気持ちを抱えていた矢先にYOIを観ていたらですね、余計に羨ましくなったわけです。
もちろん脚本やらシナリオやらによって描かれたものなのは分かってるんです。
分かってても年末のよくわからないさびしさに押しつぶされそうになった自分がいたのは確かで。
2017という新しい年を迎えるためには心機一転このやるせなさと一緒に生きていく自覚をもたなくてはいけないので、ここに捨てていこうと思います。
30歳までに一人で生きていくか結婚するかを決めなくてはいけないと以前先輩(32歳)に言われました。
アニメにダメージを受けることは今後たくさんあるんだと思います。
YOIはそれを私に教えてくれたきっかけとなりました。
あーーーーーーーーーしんどいよーーーーーーーー。
嘘です。ありがとうございました。
ユーリ面白くて数時間後に迫った最終回が楽しみすぎるので思ってること書くよ!
私は好きなものや気になったものについて、よく検索かけて他の人がどう言ってるのかを見たりする。勝手に同意したり反論したりして楽しむ。まあこの習慣のせいで最近はしんどい思いをすることも多くなってきたのでやめたほうがいいのかなとも思うんだけど。
ユーリでももにょ案件は結構あった。ユーリにかこつけて実在のスケーターの画像をBL的に消費して楽しむファンとか、最初は面白かったのにホモで気持ち悪いとかトレパクとか。
実在人物のそういうアレで大騒ぎするのは小学生が「AくんとBちゃんが付き合ってまーす!」って騒いでるみたいで品がないなあと思う。ああやって騒ぐタイプの人とは仲良くできないな。それこそいわゆる生物案件なんだから腐女子が得意な検索避けで楽しむべきなんじゃないの..あとユーリに限らずクソコラやめてほしいな〜〜〜〜楽しいのはわかるけど失礼じゃないかな...
ホモで気持ち悪い、あるいはホモじゃないから尊い、みたいなゲイフォビア発言が大手を振ってまかり通る日本はまだまだ遅れていて悲しいなあ。わかる、わかるよ、私も昔はどっちかってとBLに対し否定的だった。例の水泳アニメを見てうわあ...って思ったりもした。
でも、今から思うと多分「普通じゃないこと」に対しびっくりしちゃっただけだったんだよね。「これまで自分の中で培われてきた常識から外れている」「衝撃的」な絵面に対する拒絶反応。最近は考え方が変わって、どういう性別だろうと親愛の情を抱くことは当たり前のことだと思うようになったからユーリもなんの違和感なく見ている。キスしたからって恋愛とは限らないし逆も然りじゃない?いろんな解釈があっていいと思う。全部当たり前で普通だよ。
ここからは個人的な見解だけど勇利とヴィクトルの関係は師弟愛から始まってはいるけどいろんな愛情が混ざり合って結婚して当然だしセックスしててもおかしくないかなってくらいには発展してるとおもう...ただGPF終わったら離婚しそう(ごめん)っていうか、なんか一種の青春みたいだよねっていうか、最後のGPFという刹那っていうか、まあこの辺は日本語得意な人に任せた!
そしてトレパクはまあ専門外なので論ぜぬ。黒だったら残念って感じ。「検証画像がフォトショ」みたいな反応も見かけたし個人的には白を信じたいけどな〜〜〜〜。
あとまたこれは別の問題だけど、「ホモで気持ち悪いという感想をおおっぴらに言えないために鬱憤の溜まった人たちで構成された集団が好機とばかりに卵アイコンで叩いている」という印象が拭えないので、なんかもう、地獄だな、と。大勢が好きだ、面白いと肯定するもののよさが自分だけちっともわからないみたいときのマジョリティに対する腹立たしさ、圧迫感みたいな気持ちめちゃくちゃよくわかるんだよ...それで鬱憤溜まるのも叩きたくなるのもわかるんだよ...地獄...
私とある漫画のとあるマイナーキャラが大好きだったんだけど、その子が理不尽に殺されて、でも殺した方のキャラが人気で、私は許せないのに殺した方のキャラを擁護する声の方が大きくて、あまつさえ「彼こそ主人公」みたいなコメントがたくさんあって、重要キャラだから公式でもどんどん優遇されて、一方私の好きな彼はグッズやサブコンテンツでもハブられ続けて...そんな風潮を見て悔しくて悲しくて腹が立って、眠れない夜とかあったくらいなんですよ...だから気持ちはよーーーーーーーくわかる。しんどいよね。そのうちエネルギーが怒りに向かうんだ。 違う話だって?そう思うならごめん。でも私は一緒だと思う。
あとはあれだ、「本格的じゃなかった」みたいな批判。まあそれはわかる。スポ根を期待して見たらスポーツを題材にした少女漫画だったのでがっかりした、という人がいてもおかしくはないかな。私は少女漫画も好きなのでこれはこれで、といった風に楽しんでるけれど。あと演技中の心理描写は本格的を謳うのにふさわしく緻密だと思うよ!きっと修行パートが足りないんだな。ユーリに12話は短いよ!!!!!
個人的な見解もういっちょ。ユーリを作品としてLGBT問題とくくりつけるのは賛同にせよ批判にせよお門違いだと思うよ!!!!!そんなにウェイト大きくないよ!!!理想の世界ではあるけど!!!まあユーリみたいな雰囲気の創作物が増えたらいいなあとは思うかな。
さて、こういう話はもういいかな!ここからはJJの話させて!私はJJが大好きです!!!
あーJJ!!!!!!!大好き!!!!!!!初登場回の初演技で、あのずっとこちらと目が合ったままの謎スピンで一目惚れしました。アニメに限らず、スケートにも限らず、私ああいう根っからのエンターテイナーな選手が大好きなんです!!!!
パフォーマーには二種類いると思ってる。一つは己の内面を見つめ己を表現するアーティスト型。もう一つはお客さんを感動させることを目的とするエンターテイナー型。両者の違いは端的に言えば内向的か外向的かってところなんだろうと思う。ユウリカツキなんかは典型的な前者だよね。そして私の解釈ではJJことジャン・ジャック・ルロワは絶対後者。スケートどころか、氷上に限らず彼の生き方そのものがエンターテイナー。あー好き!!!!!!!!
JJの彼女も大好き。イザベラちゃんっていうらしいね。JJってたくさんのJJガールズに愛想振りまいて、EDでは左右に女侍らせてたりもして、それでもイザベラちゃんは全く意に介してないどころかJJガールズの存在を自慢にまでしていている。多分左右に女侍らすJJを見ても「さすが私のJJね!」って肯定してくれそうだし、イザベラちゃんはジャンジャックルロワの「JJ」という理想、生き方をまるごと肯定してくれる女性なんだなって思った。JJみたいなタイプの極めて外向的なパーソナリティを支えるには最高のパートナーだと思う。
どーも最近のコンテンツでは「飾らない自分を愛してくれる」みたいな、たとえ世界中に否定されてもたった一人に肯定してもらえればそれでいい的なことを信奉しがちな気がするけど、JJはそんなこと求めてないんだと思う多分。たった一人に肯定されるだけじゃ足りないからどこまでもどこまでもストイックに上を向く、立ち止まらない、立ち止まれない状況に自らを追い込む。そんなJJに向かって「あなたの良さは私が知ってるから十分でしょ」みたいなこと言うタイプのパートナーは窮屈だろうなと思うよ。今のところは。
オーケー、優勝を逃し婚約がおじゃんになって、イザベラちゃんの前でどういう顔をしたらいいのかわからない19歳のただのジャンの前で、エンゲージリングをはめたままの薬指を愛おしそうに握り込めて「楽しみだわ、JJ」ってイザベラちゃんが微笑んでくれるところまで妄想した。さあ来い最終回!!!!!!!
(さっき今のところは、って言ったんだけど、私はもともとオタクとして闇属性なのでどうしてもこのGPFまでがJJの選手としての絶頂だったとしたらって事態を想像してしまう。大会に出ても成績が振るわず、どんどん優勝が退いていくJJに対してイザベラちゃんがどう反応するのかってのは...まあ...気になる...)
否!!!!!!!!!!!!!!!!一人のJJガールズとして宣言します!!!!!!!!!私はJJの大逆転優勝を信じてる!!!!!!!!!!頑張れJJ!!!!!!!頑張れイザベラちゃん!!!!!!!!!!!!!ジャン・ジャック・ルロワをどうかよろしく!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!最終回楽しみ!!!!!!!!!
ユーリ on ICEについて、巷で色々言われている。やれ腐向けだ、公式がやりすぎだ、トレパクだ云々…
個人的には、ヴィクトルと勇利の関係はどこまでも師弟的だと思う。もう近すぎとかそういうのは慣れた。
ちなみにユーリは1話から見てるけれど、普段男がメインのアニメはあんまり見ない。理由としては、単純に萌えアニメが好きだからだ。とらドラではみのりんが好きだし、true teasでは乃絵派。アマガミでは梨穂子が好き。
だから最初、ヴィクトルの距離感にびっくりしたけど10話のED後ならあの接し方も納得がいく。てか勝生勇利のアレは中々にひどい。
最初は優子ちゃんのことをヒロインだと思ってた。めっちゃ可愛いって。
「ヴィクトルと戦ってるとこ、はやく見たいな」って言われたら頑張るしかないよなー、人妻だったのは衝撃だった
えー、マジかって
中国大会まで、そこまで好きなキャラはいなかった。でも、中国のFSを見てピチットくんが素敵だと思ったんだよね。
あれに心が奪われた。
10話でも真っ先に親友を祝福していたし本当にいい子なんだなーって、それでいて嫌味を感じない。
おかげで11話見るときも気が気じゃなくて、ピチットくん大丈夫かなと思いながら視聴してた。いや、彼は本当にいいキャラだと思う。1クールアニメでこんなにキャラに肩入れするとは思わなかった。
11話SPを見て思った。あのプログラムでは表彰台には登れないかもしれない、だけど舞台の上でピチットくんが表現したいこと(王様とスケーター)をやりとげたんだなあって。
演技が終わった後の涙も、あーっよかったピチットくん、ってなった。
ちなみに好きなシーンはピチットくんがハムスターと戯れてるとこと、サグラダファミリア前での自撮り。何あれ、萌えキャラか?ハムスターになりたい。
彼女いい人だった
どこまでも真っ直ぐでキラキラしているキャラクターってすごく魅力的なんだなーって再認識した。
ちなみにピチットくんの前髪は下ろしてるほうが好きです。
この「愛」というのは文字どおり全ての愛のことを指す。家族愛師弟愛友愛性愛といったあらゆる愛の形がBLに含まれる。
「BLが好きです」という宣言自体は何ら恥ずかしいことではない。「愛について書かれた作品が好きです」と意味はほとんど変わらない。「男同士の」愛が好きと言うのは完全に当人の好みの問題である。
例えば「風と木の詩」や「BANANA FISH」は明らかにBLがテーマのひとつとなっているが、ではこれらの作品を好きだと言うことは恥ずべき行為になるのだろうか?
これはBLに限らず、GLやNLも含む全ての二次創作が「腐向け」にあたる。
腐女子が恥じるべきは「肉体関係にない二人組を性愛込みの恋人同士だと捏造・解釈する、他人のセクシャリティを勝手に決め付ける」その腐りきった性根であって、「男同士に萌えてしまう」という部分ではない。
そもそもこのような邪推は同性愛・異性愛問わず大変失礼な行いであることに異論の余地はないだろう。
したがって、公式カップル以外のカップルを捏造し、またそれを愛するオタクはNL・BL・GLといった嗜好に関係なく「腐女子」「腐男子」を名乗るべきである。
アレは腐女子やBLといったカテゴライズを破壊しにきていて、その今までの価値観が壊される危機感を感じてるという可能性はないでしょうか。
わたしも長年腐女子です。このアニメは1話からどハマりして見てて、そして10話で例に漏れずお墓に入りました。
でもわたしがお墓入りした理由と世間の腐女子がお墓入りした理由は違ってて、それで元増田を見て同じかもしれないと思ってこれを書いています。
軽くネタバレ注意。
端的に言うと10話では主人公の男性2人が恋愛とも師弟愛とも家族愛ともとれるかたちで愛を語り合いました。それをあの世界の友人たちは特に特別なものと捉えることなく、不自然なほど自然に受け入れた。
「世間の腐女子」はこれをハッピーなこととしてとらえ、尊すぎる、素晴らしすぎる、おめでたい、ということで墓に入っていたように思います。
でも、わたしにとってこれは受け止めきれない大きな衝撃でした。
「腐向け」でない作品で堂々と愛が語られ、それが作中でも肯定的に捉えられ、つまり視聴側にもそれを求められている。
その他「腐狙い」アニメにおける「過剰な妄想の種まき」とは異なり、このアニメで2人の関係は肯定されるべき清らかなものとして直接的に言及された。2人の関係がなにかしらの愛でありながら、本人も周りも性別を気にかけることなく「人によってはこんな人生もある」と認められてしまったら、そして、それを「特になんの注意書きもする必要のないもの」とされてしまったら、そこに男女か男性同士か女性同士かという境目がないとするならば。
・疑惑について「報道が出る可能性」があり,それを知ったのであれば,
・かつ「このまま竜王戦に入れば七番勝負が中断になる可能性もありますし、将棋連盟にとって最悪の展開は後に隠していたと言われること」が告発の理由なのであれば,
その時点で行動すべきではないのだろうか。
これについては、その時点では「黙殺する」「無視する」という可能性も考えていたのだとすれば合理化できる。
なにせ物証はないんだ。だったら週刊誌による憶測記事として黙殺したっていい(今年の文春の将棋報道なら森内と竹俣の師弟関係破綻とかもあるが、中村記者の力量もあっていい記事になってるが所詮はゴシップの域を出ていない。もちろんそんじょそこらのクズゴシップ記事とは比較にならん出来だが)。
ところが、いざ対局してみて「挙動不審の相手に」「思いもよらない好手を連発されて」完敗し、自分でソフト検証したら「一致率が高かった」。
おそらくこの時点で理性は吹っ飛んだと思うのよね。それで逆に文春を利用して洗いざらいぶちまける手に出た。
このへん、確かに合理性は欠くと思うよ、物証はない、根拠は超一流棋士のカンと、この時点では本人の主観ではそれなりの根拠になると考えていた一致率だけ。
だけどそもそも理性が吹っ飛んでいたとしたら、逆に理解可能だと思うのね。
これも常識的に考えればそうなんだが、しかしこの件は発端からして常識の範囲をはみ出てる。
三浦がシロだったとしても、そもそもは三浦の常軌を逸したレベルの挙動不審が発端なんだし、後から後から出て来る報道を見る限り、ほとんど芥川の『藪の中』のレベルで、関係者が残らず、何らかの嘘をついているとしか思えない(全員が本当のことを言っているとしたら何らの整合性もなくなってしまう)。
だから、この件で誰がどんな嘘をついていて、その理由はなにかということを考えるのはあまり意味がない気がする。
その上で敢えて言うと、俺はこの件、Aであったとしても渡辺はそのことに関する限り嘘をついていないと思う。
それは上記の通り、自分が「被害者」になるまでは黙殺も可と考える合理性がある点、それと竜王戦に関しては、渡辺三浦両者の合意のもと金属探知機で対局前の調査を行うことの決定が10/5付で連盟より発表されていて、おそらく打診と合意は10/3以前に取れていたはずで、渡辺としてもそれで十分と踏んでいたのではないかという点。
毎日新聞に掲載された三浦渡辺の順位戦の観戦記を読むと(これも図書館で確認できたら可)、とにかく渡辺の対局中からの意気消沈が半端なくて、三浦相手に完璧に読み負けていることにすごいショックを受けているんだよね(むろん観戦記者は観戦し執筆した段階では疑惑のことは知らない)。だから、この対局でスイッチが入ってしまった、ということは、それなりに合理性があると思う。
これは『なんで同性婚が必要なのかわからない http://anond.hatelabo.jp/20161015122530 』で
なんかうまく伝わってないなーって感じの点について説明したものです。
上のエントリは異性婚をコピー&カスタマイズして同性婚制度を作ると
本当に同性愛者やその他のマイノリティに優しい制度になるのか疑問だったので書きました。
そういう意味で「なんで同性婚が必要なのかわからない」というタイトルにして意見を求めたわけです。
自分の立場は同性婚がないのは不公平だから改善されるべきで同性婚が必要なのも分かるけど
公正性から同性婚を肯定するならその他の関係性の人達(師弟関係とか親友関係)にも
ソースは忘れたけど、同性愛者の方が家族じゃないからどんなに好きでも看取るときに一緒に居られない
っていう文章を読んで何とかすべきだろと強く思ったんだけど、同時に結婚していなくても
看取られる人が認めたなら誰だろうと邪魔されずに看取ることが出来るべきだろうと思いました。
そんで、同性愛者の方が実現したいことの中には結婚制度に頼らなくても実現できることや、
結婚制度以外で実現した方が多くの人が幸福になることが含まれているんじゃないかと思うようになりました。
そんなわけで夫婦というロール(役割)に含まれる各種の権限と責任を適切に分割して
夫婦以外でも権限と責任を割り当てられるようになればみんなハッピーじゃね?というアイディアが生まれた訳です。
ただし割り当てられる権限がどんなに自由になっても結婚制度が形がい化されてもどんなに人と人との関係が多様化しても
一般的な異性婚の夫婦や同性婚の夫婦というロールあるいは概念は立法府でも民間でも想定され続けると思います。
そういうロールを想定した方が人間の頭は考えやすいからです。それは差別につながりやすいという面もありますが。
さらに言えば今まで異性婚の夫婦を想定して社会を作ってきたから互換性の上パスポートなどに異性婚・同性婚が残ると思います。
さて、夫婦というロールに最後まで残る権限とは何かを考えたところ
「意識不明や急を要するけど連絡取れないなどで当人に関する事を決められないときに最初に話が回ってきて裁定できる権限」
が残ると思います。これを結ぶ契約をして周囲に宣言すれば夫婦と見なしていいと思います。
現在の結婚制度では特別な取り決めがないときは伴侶(0親等)、親・子供(1親等)と
親族関係で自動的に順位が降られる権限のようです(多分この権限は扶養義務とかと連動していると予想)。
そういう極めて強大な権限を取得しなきゃ看取ることが出来ないっていうのは私はどう考えたっておかしいと思うのです。
①権限はできるだけ多くの人が取得可能であるべきだから、排他的でない資源に関する権限は特に制限を受けない。
②排他的な資源に関する権限や公的優遇措置は義務を果たす者・果たすと期待出来る者のみ。
という感じでいいのではないでしょうか?
上で述べた『最初に話が回ってきて裁定できる権』はやはり扶養の義務とかと切り離せないように思えます。
また、少子化対策や子育て優遇の制度は子供のいない異性夫婦や同性夫婦に権利なしですが、
子供を育てている、子供を育てる可能性が高い夫婦なら異性夫婦・同性夫婦に関係なく受けられるべきでしょう。
そして法的分野だけでなく民間分野での改革も必要になるでしょう。
病院で看取りをする際、病室に5名までしか入れないなら5名しか看取りに同席することが出来ません。
現状では特に取り決めのない場合、伴侶(0親等)、親・子供(1親等)といった親族関係で順位づけてる感じでしょうか?
ただ、患者の事前の希望が分かっていればそれに従うべきです。こういうシーンで使われる認証制度が必要です。
認証内容の選定は国会で話し合うよりフットワークの軽い民間で決めた方が利便性が高いと思います。
通常の結婚はゴットと来賓の前で誓いを立てると夫婦になれますが、
極道はゴッドファザーと来賓の前での前で誓いの杯を交わすことで親子や兄弟になれます。
法制度にとらわれないからこそニーズを満たす風習を作れたんだと思います。
故に伝統を重視する視点からの同性婚拒否の保守派にも言いたいです。
教えてくれとブクマで頼まれたので。http://anond.hatelabo.jp/20160818164555
しかしamazonのそういうやつというと、電子書籍レンタルもそうだけどシリーズの1巻目とか…ああいう風にあんまり充実してなさそうだな…。
と思い検索してみたら映画色々あるんだね。まぁなんでも見れるわけじゃ無いか。勉強になった。
ざっとリストを見て、面白いと思っているやつをオススメしていきます。
1はわりと引くほどボコボコになる大泉洋が。2はオッパイに戯れる大泉洋が出てくるんで、親とは見ないでください。
最近の邦画フリークが見ることをノルマ化している山下敦弘監督の映画です。
これも書いたな。ただただ素晴らしいのでぜひ。
これも書いたぞ。あいきゃんふらーいに隠れがちだけど、評価されたのはこっち。名作です。
山田洋次が何故山田洋次なのか、を知りたければ見ると良いと思います。
これも書いた
原田知世とか尾美としのりとか若すぎて、タイムスリップした気分になれますよ。
比較的精神が落ち着いてるときに見ると良い、狂ったやつが集まった場所の話。
余談だけど松尾スズキが演出してるときだけ、クドカンの役者センスが最大に光るのはなんなんだろう。流石師弟?
名作ですよね。
映画なんてこれっきりだと思ったのか、やりたい放題しまくったコミケ舞台のカオス映画。
まさかジヌよさらばで同じキャストで映画とるなんて思ってなかったでしょう。あ、ジヌよさらばもプライムあった。面白かった。
タイトル惹かれるでしょう?そのまま見てください。
いまいち知名度低い方になってるけど、同監督作品見てて気になった人はぜひ。
タイトルに惹かれていかがわしい気持ちで見ると、一気に心洗われてしまう映画。
お、松田優作だ!これは見ておこうぜ!彼を知らない人が見たら「龍平…?」ってなること間違いなし。
周防正行監督作品。おっさんの成長映画として傑作だと思います。
サブカル好き名乗るなら見とくべきかと。名台詞のオンパレード。
この映画の凄いところは、子供たちがほとんどをアドリブでこなしているところです。
実際に子供たちが考え、なにを発するのか。役者なんていらねー、とさえ思わせるリアルさが見どころ。
ここにあがったのってgyaoとかでも無料になってたりするんで、是非どっかで映画みたいなって思ったとき、参考にしてみてください。
押井守が宮崎駿がいるからああいうわけのわからん映画を作ったという発言
作品性を見るとなんだか遠いようでいて皆(宮崎も押井も冨野も庵野も安彦もみんなみんな)実は微妙に互いに気にし合ってそうな関係
これだけじゃなくて他にもいっぱいある。
冨野との対談で逆シャアを賞賛する庵野(そこでチラッと出てくる押井さんの名前
「夢と狂気の王国」で庵野の初対面の印象を「宇宙人が来たかと思った」とうれしそうに話す宮崎駿
庵野の隣で模型を手で動かしてインメンマルターンを再現する宮崎駿
俺はオタクじゃない→BOOOOOOOOM!!!!(※飛行機ごっこをする宮崎駿)というシーンに俺はなぜか泣いた。
なんてチャーミングなんだ。
風立ちぬのラストシーンが「来て」から「生きて」に変わった事を受け止めようとする庵野。
そして「ジブリはもう終わり」と言った駿が終盤で楽しそうに宮崎・鈴木・高畑で話しているのを見て最早俺の顔はグジャグジャだ。
会場に着いたのは17時半頃。マルイ2階入口からエスカレーターで9階まで上がり、階段で11階まで登りました。
階段で登っている時は驚くほど静かでシンとしていて、本当に公演があるのか?と不安になってしまうほどでしたが、11階に着いた途端ざわざわとにぎやかな声が。
会場手前では入場を待っている人や、椅子に腰掛けてのんびり待っている人でいっぱいです。
奥に進むとトレーディング商品を購入した人達が交換をするスペースがあり、ごった返していました。
そこを通り抜けると物販フロア。ここではチケットを持っていなくても買えます。
まずは事前に買ったトレーディングブロマイドセットを引き換え。
次に物販コーナーに並びました。と言ってもまったく混んでおらず、すぐに会計へ。
在庫は売り切れなし。素晴らしいです。
パンフと個人ブロマイドをいくつか買い、持ってきたバッグにしまって開場を待ちました。
トレーディングブロマイドは何が来ても大事にしようと思っていたので交換はしませんでした。
18時になり入場開始。
ですが、18時30分までは椅子には行けず狭めなロビーで待つので、30分まで外で待機していた方が良さそうです。
今日の席は2階席3列目通路寄りです。シアター1010の2階席は初めてでした。
シアター1010の公式サイトをよく見ると分かりますが、転落防止の柵があります。
ここはなぜか上手とセンターブロックの間、センターブロックと下手の間の柵だけ高く延長されています。
2階席で通路寄りになるとこれがもれなく視界に入ります。
公演が始まるとまっっったく気になりませんでしたが。むしろ脳が柵だけ透過処理をしてくれました。
19時、公演開始です。
冒頭は本能寺炎上から。明智光秀と森蘭丸の対峙から始まります。
二人のやりとりを眺めるように宗三左文字が登場。
声にびっくり。ゲームで聞く声によく似ています。役者さんすごい。
オープニングはまさかの刀剣男士そろい踏みによる生歌でした。うわーかっこいい!!
あ、これはにやける…!と頬の内側を噛んでぷるぷる震えてしまいました。
声が!びっくりするほど声優さんに似ています。声帯コピーの技を持っています。確実に。
所作が美しく、優雅。役どころは山姥切国広のサポート兼保護者のような相方と言った感じ。
序盤で「だいに、第二部隊が…」と台詞を噛んだ三日月でしたが、初日ならではの緊張感ですね。お茶を飲み、酒を飲み、茶菓子を食べ、マイペースな三日月ですが、戦うシーンは流石の一言。とにかく麗しい。ひらひらと狩衣を捌き階段を飛び乗り、立ち回ります。
・山姥切国広
これで綺麗なんて言うななんて言う方が無理。美しい。
ボロ布を常に頭からすっぽり被ったままですが美しい。
殺陣も見事。鞘を盾のように使う戦い方に技を感じました。
初期刀で当初は近侍であったものの、過失から近侍を降りている経歴持ち。審神者からまた近侍の命を受け苦しみながら奮闘する役です。ゲームをよく勉強してこられたのか、話し方が声優さんにいました。
・宗三左文字
これまた麗しい!!佇まいが可憐で優雅。けれども殺陣は迫力満点。
2階席からでもたまに見える素足ががっしりといているのが分かります。
本能寺で悩み、苦しみながらも不動行光を支える役。
・江雪左文字
戦いは嫌いですと言いつつ敵をなぎ倒す姿は鬼神。
小夜を案じ、左文字長兄としての優しさを見せる江雪。
終始取り乱すことなく常に落ち着いた動作が印象的でしたが、仮に真剣必殺されたらみんな泣くしかないと思いました。
・小夜左文字
スーパーアクションスター小夜ちゃん。短刀を操り、足技を繰り出し、バク転します。
一番身のこなしが素早いです。観ていて楽しい小夜ちゃん。
・薬研藤四郎
宗三の相方的な立ち位置。へし切り長谷部に対し「その名前、俺は嫌いじゃないぜ」と言ったり、不動行光を気にかけたりとコミュ力高し。
・へし切長谷部
一番面白い人。馬当番をこなします。近侍に再任命された山姥切国広にジェラシーします。
紅白戦では燭台切光忠と対戦。大柄な光忠に対し、斬り合いを軽やかにこなします。
信長を守るために光秀を討とうとする不動を、背後から斬りかかろうとする姿が印象的でした。
・不動行光
本作のキーパーソン。演技の一つ一つが迫真に溢れていて素晴らしかったです。
再開した蘭丸を抱えあげてくるくる回転する不動くんは本当に本当に嬉しそう。
序盤はよたよたしていた不動くんが、終盤で強く成長した姿に感動。
・一期一振
物腰穏やかな話し方に加え、凛とした殺陣。立っても座ってもサマになる一期。
台詞はさほど多くないのですが、無言の演技が出来る方だとお見受けしました。
殺陣はダイナミックで鮮やか。ラスト、傘を持って挨拶をする仕草が紳士然としていて素敵でした。
・鯰尾藤四郎
唯一の脇差だから年少組に入るのかと思いきや、小夜と一緒にいる時は保護者らしく振る舞う鯰尾。
脇差と足を使い素早い身のこなしで演じる殺陣が印象的。背後から忍び寄る鶴丸に振り向かないシーンはアドリブかな?はきはきとした物言いがゲーム版とよく似ています。馬糞は投げません。5月7日が役者さんのお誕生日とのことだそうで行きたかったなあ。兄弟だからか一期と一緒に戦うシーンが多いです。
・燭台切光忠
食べ物担当。毎公演、彼が提供する食べ物は違うそうです。その場面は毎回アドリブですね。
殺陣はダイナミックそのもの。にもかかわらず格好良さを忘れない戦い方が燭台切らしいです。鶴丸とよく一緒にいます。仲がぎくしゃくしそうな本丸を見て二人で紅白戦を提案するなど年長刀としての役割を認識しているようです。
・鶴丸国永
重くなりがちな本丸の賑やか担当。落ち込む山姥切の肩を叩いて慰めたり、不動の甘酒を欲しがったり、細かい演技が光ります。
戦闘は、太刀を肩にかけて飄々とこなすかと思えば豹変して雄々しく闘います。
敵に放つ掛け声が一番荒々しく、男らしさを感じました。
◼︎個人的に印象的なシーン
迫真の演技は圧倒的。死んでいるはずなのに生きようとし、まだ尚信長を守る姿は
・光秀全般
光秀でないと刀剣乱舞としての本能寺の変を掘り下げられないからですね。
蘭丸と二人で登場したカーテンコールは一際拍手が大きかったです。
・三日月と山姥切
織田刀が織りなす本能寺のテーマと並行して進んでいたテーマだと思います。
三日月が月を見て「おぬしも月を照らす陽の光となれ」と山姥切に投げかけるシーン。
それで山姥切は近侍の決意を固めます。その後窮地に陥った三日月の助けに入り山姥切は
「月(=三日月宗近)を照らす陽の光となる!」と宣言します。三日月は「ずいぶんすすけた陽の光だな」と応えるわけですが、熱い。少年漫画のようです。
これ以前の場面の紅白戦で一騎打ちになった時もしつこく追いかけてくる三日月に山姥切が「このクソジジイ!」と叫んで立ち向かうシーンも熱いです。
ラストで三日月が自らの破壊を匂わせる台詞がありましたが、あれは現実にならないとほしいと思います。
刀ステの山姥切国広は仮に三日月が折れたら二度と立ち直れない気がします。
◼︎全体の感想
2.5次元は初めての鑑賞ですが、エンターテインメントに優れていて素晴らしい出来栄えでした。
初日は友人が当選してくれて入れました。6日に自力当選したのでもう一度観劇できます。
今回は二つのメインテーマを重点的に観たので、次回は別視点から楽しみたいと思います。また思うところがあったら感想を書きます。
★★★★☆
最初に言っとく。
ウィキペディアは見るな。
あらすじが注意書きなしで全ネタバレありで書かれてる。
そこでは、一番偉い獣人が神様になっていなくなるということで、
次の獣人界トップを決めるために、二人の獣人が決闘することになっていた。
一人は人格者、一人は粗暴な荒くれ者。
一方人間界では、両親の離婚で父を失い、母方に引き取られた後に事故で母をなくし、無神経な親戚の養子にさせられそうになっていたところを、家出した男の子がいた。
男の子がひょんなことからその世界に迷い込み、荒くれ者に弟子入りしたことから、奇妙な親子のような師弟関係が始まる。
細田守ん中で一番うまくまとまってる気がした。
それでも尺足らずだった感はあるけど。
普通に正統派でいけば2時間でちょうど、もしくはちょっとお釣りがくるくらいの内容だったのに、
ひとひねり入れちゃうことでめちゃくちゃ尺がきつきつになってしまっていた。
それでもなんとか丸め込んでまとまってたから見ててホッとした。
でもどうせなら2時間半か3時間にしてもうちょい駆け足気味だったところはじっくり描いて欲しかったなあ・・・
時をかける少女はまあそこそこ好きで、
サマーウォーズは見てないけど突っ込みどころ満載ってことだけは知っててネガティブな印象しかなくて、
雨と雪は原作小説だけざーっと立ち読みしていまいちだなと思ってネガティブな印象しかないくらいには、
これは面白いと思えた。
ひとひねり・後半部分がちょっとだけ対象年齢あげちゃってるかなーって感じ。
それでも子どもにまったく伝わんないことはないとは思うかな?ってくらいにはエンタメしてたと思う。
これまでの細田守作品がシンエヴァの序とかQなら、バケモノの子は破って感じ。
声優陣は山口勝平しかわかんなかったけど、スタッフロールで役所広司って知ってびっくりした。
役所広司うめえな。
大人役も大泉洋とかリリー・フランキーとか津川雅彦とか全然わかんないくらい違和感なかった。
イカネタバレ
男の子は、弟子として17歳まで過ごし、着々と成長し力をつける。
そんなとき、ひょんなことから久しぶりに人間界に戻ってしまうが、
受験をするという話が出てきて戸籍を見て、離婚した父親のことがあっさりわかり会いに行くが、
過去なんか忘れてこれから楽しく二人で過ごそうと言う父親に反発してまた獣人界に戻る。
荒くれ者が負けそうになっていたところに男の子が応援したことで、逆転勝ちする。
しかし人格者の子が心の闇に飲み込まれ、念動力で刀を荒くれ者に刺して逃亡してしまう。
獣人界には、心に闇を持つ人間を引き入れてはいけないという掟があったが、
実は人格者の方も、過去人間界で赤ん坊を拾って自分の子として育てていた。
しかし、その子に本当のことを伝えず、大きくなったら自分のような獣人の特徴が出てくるという嘘を教え続けたせいで、
ひねくれて育ってしまって心に闇を抱えてしまっていたのが爆発したのだった。
男の子は、過去家出したときに抱えた自分の心の闇で、人格者の心の闇を吸収して消え去ろうとする。
しかし、荒くれ者が刀の付喪神になって男の子の心と一体化して、男の子も人格者の子も死なせることなく勝つ。
荒くれ者は心の剣となって男の子と常にいっしょになった。
ネタバレあらすじざっくりしすぎててごめん。
弟子をとってクマテツを成長させる以外の意味はとくになかったのかな・・・
弟子って位置がなんか必要性があんまりないように感じられて、無理矢理感があった。
前半の獣人界の内容と、中盤からの普通の青春ものっぽいギャップがなんともいえない違和感を生じさせていて、世界観どうなってんのかとムズムズした。
最終的に両方ともこれで終わんのかと別のところでハラハラさせられた。
修行どうすんのかとかロードムービーはじまんのか?とか前半はほんと方向性についてムダな心配をしていた気がする。
結果的に良い感じに省略されてたけど、強さについていろんな人に聞いて回るところはなくてもよかった気がする。
ただやっぱりどうしても尺足らずってのがひっかかってきちゃうなあ・・・・
せめてあと30分あればなあ・・・
もしくは中途半端な人間界に割く時間をもうちょいどうにかするとか。
描写不足なのがなあ・・・想像する部分とかいう擁護はあてはまらない。
でもそういったような、もうちょっと見たかったのにと思わせるくらいには、細田守そんなに好きじゃない人間にも面白いと思わせる映画だったということだと思う。
「就職活動で内定を3つ獲得できなければ、大学院の受験を認めない」というものだ。
https://twitter.com/yuichirookuda/status/324168188290011138
奥田ゼミでは、大学院受験に挑戦するには、就職活動で最低内定を3つ取ることを条件としている。
実際、大学院でやっていくためには、最低限、そのくらいの実力は要ると思う。
就活生の名前でググる人事担当者のために、ゼミ生の氏名を列挙しておこう。
赤城 史哉
今井 淳太
平田 恵介
毛 薇壹
西澤 有加
梁 奕良
天野 航成
黒崎 諒也
上條 渉
須藤 美幸
PATRICIA FELIPE
(フェリペ パトリシア)
(2017/7/29)
なお、事実誤認がありましたら、須藤さんのように、私が観測できるように意思表明をしてください。
事実ではないというエビデンスをご用意いただければ記事を訂正させていただきます。
2年前にお名前を挙げさせていただいた、黒崎 諒也さんの近況についても記しておきます。
facebookによりますと、黒崎さんは2019年1月に共愛学園前橋国際大学を中退されたようです。
大学院受験を理由として卒論指導を放棄したために卒業できなくなった可能性があります。
奥田雄一郎教授は自分の業務であるはずの卒論指導を放棄し、学生を退学に追い込んだ可能性があります。
あくまでも推測ですが。
お久しぶりです。
とことん、異性恐怖症再発するかもしれない。
対人恐怖というより、なんなんでしょう。
なんか、必修来ないくせにラウンジでデカい態度取ってるやつ、腹が立つというか、親の顔見てみてぇわ。
どう言う神経してんねん。
#続お年玉
「円」と「縁」。
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という野心に使いたいです。
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Yusaku Maezawa (MZ) 前澤 友作
· 1月19日
【抽選に外れた方へ①】
応募条件はこちらのツイートにリプライする形で、ハッシュタグ #続お年玉 をつけて、あなたの「100万円の使い道」を書いていただくことです。〆切は1/23 23:59まで。リプの内容を見て独断と偏見で当選者を選ばせていただきます。
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お久しぶりです。