はてなキーワード: ヴィクトルとは
1978年にイギリスに亡命したソ連軍参謀本部情報総局(GRU)の情報将校、ウラジーミル・ボグダーノヴィチ・レズン(亡命後のペンネームとしては“ヴィクトル・スヴォーロフ”の名を用い、この名の方で著名である)によってであり、レズンは当時としては機密の壁に阻まれて謎の多かったソビエトの軍事情報について西側に数多くの情報を提供した。民間に広く知られたのもスヴォーロフ名義の著書である『Aquarium』(英語版)(1985年刊)に記述されていたことがきっかけである。
『Aquarium』の記述によれば
"He carries on his right calf a huge knife ... and on his left calf four spare blades. The Spetsnaz knife is no ordinary knife. It has a powerful spring in it so that when you remove the safety catch and press the release button the knife blade shoots out with a terrible hiss ... the blade can carry 25 meters. If It lands in a tree it is not always possible to pull it out"
「(スペツナズの)兵士は右ふくらはぎに大型のナイフを携行しており(中略)左ふくらはぎに4本の替刃を携行している。スペツナズの用いるナイフは通常のナイフではなく、強力なバネが内蔵されており、安全装置を解除してリリースボタンを押し込むと、刀身が大きな音を立てて射出される(中略)刀身は25メートル飛翔し、木に命中した場合なら簡単に抜くことができないほどに突き刺さる」[注釈 4]
完全男向けの企画ならそれでいいのかもしれないけど、温泉のお客さんは男だけじゃないからなぁ。
たとえば『ユーリ!!! on ICE』が唐津の温泉とコラボするとかいうのは、主にその作品のファンである女オタクを呼び込むというターゲット層狭小企画なんで、登場人物のヴィクトル・ニキフォルフが女好みのイケメンであることが非難対象にはならないだろ。
それと同じに、ファン層主に男性のアニメ作品が、登場人物の実家の生業が温泉宿経営で、それが縁でご当地温泉とコラボってるとかいう場合は、そのキャラが男好みの可愛い娘さんであることが非難対象にはならん。過剰にエロくなければの話だが。
「ロシア語の表記揺れはなぜ起きるのか」(anond:20200904111105)の増田だよ! みんな前の増田ではたくさんのブクマありがとう!
全米オープンで大坂なおみ選手が優勝したね! おめでたいね! そして決勝戦の相手はアザレンカ選手だったね! 名前をニュースで聞いて「ん?」と思って気になって調べてみたらやっぱりベラルーシの人だったね!
前回の増田を踏まえて、ベラルーシ語の事情についてちょっと語るね!
ウクライナでは苗字の語尾に-енкоってつく人がとても多いんだ! ちょっと前のオレンジ革命では、ティモシェンコとかユーシェンコとか、そういう名前をたくさん聞いたね!
この「~エンコ」で終わる苗字は、ウクライナだけじゃなくてロシアやベラルーシにも分布してるよ! 函館空港に強行着陸したベレンコ中尉とか、ベラルーシの独裁者ルカシェンコ大統領とか、一度は聞いたことがある名前だと思うな! ちなみにこの形の苗字は男女で形が一緒だよ!
そして、アザレンカ選手の苗字も、この-енкоで終わる苗字の一種なんだ!
え? どういうこと? って思うかもしれないけど、Wikipediaでアザレンカ選手の名前を調べてみるとよくわかるよ! ロシア語版でもウクライナ語版でも、彼女の苗字は「アザレンコ(Азаренко)」って書かれてるんだ!
じゃあどうしてそれが「アザレンカ」になるのかな? そうだね、ロシア語の強勢に関するトリビアを思い出してみようね!
ロシア語では強勢の置かれないоは「ア」みたいに発音される、っていうのは前の増田で説明したよね! だからХорошоは「ハラショー」なんだね!
これは発音と綴りが乖離してるので、学習者からするとちょっとめんどくさいかな! ロシア人の子供も書き取りテストとかで間違えたりするらしいよ! 日本の子供も「ぼくわげんきです」とか「これおください」とか書いちゃったりするもんね!
だから、強勢が置かれないоは、語源的にはоであってもаって書かれるよ! ロシア語の「頭」はголова(ガラヴァー)だけどベラルーシ語だとгалава(ガラヴァー)、「牛乳」はロシア語でмолоко(マラコー)だけどベラルーシ語だとмалако(マラコー)になるよ! ロシア語で「ベラルーシの」という形容詞の女性単数生格形はбелорусскойだけど、ベラルーシ語だとбеларускайになるんだね!
ここまで読めば、昔「ベロルシア」って呼んでた国をどうして「ベラルーシ」って呼ぶのかもわかるんじゃないかな? そうだね、ロシア語Белоруссия(「白いロシア」の意)の強勢はуに置かれるから、оがаみたいに発音されるんだね! そしてベラルーシ語だとそれを忠実に綴りに反映するからБеларусь(「白いルーシ」の意)になるんだね!
だから、ロシア語では「アザレンコ」と呼ばれる苗字は、ベラルーシ語では「アザランカ(Азаранка)」になるんだね!
あれ?
そう、増田も調べてみてビックリしたけど、ベラルーシ語だと「アザランカ」なんだよね!
ベラルーシ語には現在一般的に使われている正書法とタラシケヴィチ式正書法(タラシケヴィツァ、Тарашкевіца)という2つの正書法があって、Wikipediaには現代標準ベラルーシ語版とタラシケヴィチ式ベラルーシ語版の2つの版があるんだけど、どっちを見てみても綴りは「アザランカ」だったよ!
確かに強勢は2番目のаに置かれるから、еが弱く読まれるのは言われてみればわかるよ!
だからベラルーシ語だと、アザレンカ選手のフルネームは「ヴィクトールィヤ・フョーダラウナ・アザーランカ(Вікторыя Фёдараўна Азаранка)」になるんだね!
ロシア語の「ヴィクトーリヤ・フョードロヴナ・アザーレンコ(Виктория Фёдоровна Азаренко)」と比べて、どこが弱く読まれてるか見てみると面白いね! ちなみにウクライナ語だと「ヴィクトリヤ・フェドリウナ・アザレンコ(Вікторія Федорівна Азаренко)」になるよ! 真ん中の部分は「フョードルの娘」って意味だね! 「アザランカ家のフョーダルの娘のヴィクトルィヤさん」だね!
でも、なぜか彼女は英語では「ヴィクトリア・アザレンカ(Victoria Azarenka)」って名乗ってるんだよね! ロシア語でもベラルーシ語でもなくない!?
どうして彼女がこう名乗ってるのかは、彼女本人に聞いてみないとわからないね! でも、実はベラルーシでは「正しい」ベラルーシ語を話す人はそんなに多くないんだ! 国内ではロシア語の方が通じたりするし、農村部のベラルーシ語話者が喋っているのは「方言」であって「標準語」じゃないから、きちんと教育を受けた人じゃないと「正しい」ベラルーシ語を話すことができなかったりするよ!
アザレンカ選手も、英語で自分の名前を書くときに、Azarenkaという綴りが一番自分にしっくり来るから選んだのかもしれないね!
最近の英語でのベラルーシ政治に関する論文とかでは、政治家の名前がベラルーシ語表記されることが多くなってきているね!
たとえば今話題の独裁者ルカシェンコ大統領も、ベラルーシ語読みの「ルカシェンカ」って表記されることが多いね!
日本のジャーナリストはロシア語を通してニュースを仕入れているんだろうからロシア語読みになっちゃうのは仕方ないところもあるんだけど、せっかくだからベラルーシの人名はベラルーシ語で書いてみない?
今年の大統領選挙でルカシェンカ大統領に立ち向かったスヴェトラーナ・ゲオールギエヴナ・チハノーフスカヤ(Светлана Георгиевна Тихановская)氏も、ベラルーシ語だと「スヴャトラーナ・ヘオールヒエウナ・ツィハノーウスカヤ(Святлана Георгіеўна Ціханоўская)」になるし、その旦那さんは「シャルヘーイ・レアニーダヴィチ・ツィハノーウスキ(Сяргей Леанідавіч Ціханоўскі)」になるね! 新聞とかでは「スベトラーナ・チハノフスカヤ」「セルゲイ・チハノフスキー」っていうロシア語読みで書かれることが多いけど、「スビャトラーナ・ツィハノウスカヤ」「シャルヘイ・ツィハノウスキ」って書いてもいいと思うな!
ノーベル文学賞を受賞したスヴェトラーナ・アレクサーンドロヴナ・アレクシエーヴィチ(Светлана Александровна Алексиевич)氏も、ベラルーシ語だと「スヴャトラーナ・アリャクサーンドラウナ・アレクシエーヴィチ(Святлана Аляксандраўна Алексіевіч)」氏になるね! よかった、苗字の表記は変える必要がないね!
わわわ、こんな人がいるんだね! 教えてくれてありがとう!
ベラルーシ語だと「アルィーナ・シャルヘーエウナ・サバレーンカ(Арына Сяргееўна Сабаленка)」だけど、ロシア語だと「アリーナ・セルゲーエヴナ・ソボレーンコ(Арина Сергеевна Соболенко)」さんだね! 苗字にあるоが全部аになってて、いかにもベラルーシって感じだね! 英語ではAryna Sabalenkaと名乗っているみたいだけど、これはベラルーシ語の忠実なローマ字表記になってるね!
サブスクリプションサービスの発達で、毎年どんどん見る本数が増えてく。
「バッカーノ!」
1930年代、禁酒法時代のアメリカを舞台にした群像劇。オシャレな雰囲気の絵柄・音楽が大人にとってもグッとくるアニメだが、とにかく話が面白くなるまでが長い。ほんと、長い、時系列がバラバラのストーリー、名前を覚えきれない大量の登場人物に、多くの人が挫折するかもしれない。でも、9~10話までは頑張って観ていただきたい。最後にはすべての話が繋がり、「そ、そういうことだったのか~!!!」と納得させられる。そんなジェットコースター級のカタルシスのあるアニメ。原作の成田良悟は後述する「デュラララ!!」でもこの手法をとっている。OP曲はニコニコ動画で手書きパロディが流行した。
働くすべての人に見てほしい、PA WORKSのお仕事アニメの傑作。目指した理想と追いつかない現実、社内や外注先との仕事に対するモチベーションの違い、破綻するスケジュール、板挟みの調整やスランプに陥る焦り……など、誰かがどこかで体験したであろうトラブルを共感できるよう描いている。むしろ、共感しすぎて胃が痛くなるレベル。転職する人や、業界自体を去る人を描くのも印象的。こう……アニメって、強いヒーローが主人公となって大逆転をかますものが多い中、SHIROBAKOは「目立たないけど、仕事にしっかり向き合う、頼れる大人の仲間」がたくさん描かれてる。そこがいい。こういう社会人の活躍するアニメ、もっと増えてほしいよね。
大ヒットを記録した男子フィギュアスケートのスポーツアニメ。なかなか結果が出せない日本代表フィギュアスケーターの勝生勇利は、ひょんなことからロシアの伝説的スケーターのヴィクトルをコーチに迎え、グランプリファイナル優勝を目指すことになる。作画の美しさも話題となったが、このアニメの良さはストーリー構成にあると思ってる。今後の展開を期待させる導入の1話、3話のライバル対決、各国を舞台に繰り広げられるGPシリーズ、そしてクライマックスのGPF。12話をバランスよく完璧にいかしたストーリー構成で、最終回ギリギリまで予想できない展開を引っ張りつつ、最後はきっちりと話をまとめる。アニメのお手本のような構成である。なお、アニメ放送後に現実の競技がアニメを超えてしまったため、2017年以降に放送していたらイマイチになってただろう奇跡のタイミングにも注目。
「赤髪の白雪姫」
純粋さと爽やかさの心地よい、王子様と薬剤師の王道ラブストーリー。少女マンガ原作の中でも、花ゆめ系が万人にオススメできる理由は「女の子が芯のあって強い」点だ。ヒロインの白雪は、ゼン王子の隣に立ちたいという目標のために、宮廷に使える薬剤師として試験を乗り越え、人との関わりの中でしっかりと信頼を得ていく。たとえ悪人に囚われても、王子様の助けを待てない、知恵と行動力で自力解決しちゃう自立派の強いヒロイン。そんな強さが最高にかわいいくて、かっこいい。少女マンガは、冴えないヒロインになぜかクラス1のイケメンが強引に言い寄る~、といった受け身モテモテ展開が多くみられる。けど、赤髪の白雪姫は「白雪ちゃん堂々としててイケメンすぎて惚れてしまうわ~」とヒロインの魅力に納得させられる、そんな恋愛アニメ。
「91days」
マフィアに家族を殺された主人公が、狡猾な作戦と駆け引きで繰り広げる91日間の復讐劇。攻勢も陣営もどんどん変化していく息つく暇ない展開な上に、ポンポンと人が死んでいくので、公式サイトの相関図を見ながら視聴すると話がわかりやすい。「ゴットファザー」とか好きな人ならハマるかもしれないちょっと硬派なドラマ。そして、いかついオジサンばっかり出てくる。各話のラストの引きがすごく計算されていて「どうなっちゃうの~?このあとどうなっちゃうの~?」とソワソワさせられる、緊張感あるアニメ。放映時は中盤に総集編が入ったのだが、もともと密度が高いストーリーだったせいで4分おきに登場人物が死んでくすごい総集編になってた。視聴後はなぜかラザニアを見るとドキっとしてしまう。
「桜蘭高校ホスト部」
お金持ち学校に入学した庶民の主人公・ハルヒが、ひょんなことから学園の女子をもてなす「ホスト部」に入部してしまうとこから始まる物語。個性豊かな部員とど派手な学園生活を過ごすお金持ちラブコメディ。男子制服を着ているが、ハルヒは実のところ女の子。タイトルだけ見ると女性向けのアニメに見られがちだが、ストーリーは破天荒で常識破りなお金持ち達がおりなすコメディが中心。主人公のハルヒのボーイッシュな見た目や、無頓着で歯にきぬ着せぬツッコミ、時折見せる女の子らしさにノックアウトされた人は少なくないと思う。リボンの騎士もベルばらも、いつの時代だって女の子の男装はぐっとくる。連載が続いていたため、アニメオリジナルのラストになりながらも、ほぼ矛盾なくすっきりとまとめあげた傑作。ボンズの作画の美しさや、人気の高いOPも必見。
「巌窟王」
小説「モンテ・クリスト伯」を原作とするSFアニメ。モンテ・クリスト伯爵の復讐劇を、復讐相手の息子アルベールを主人公にして描いた人間ドラマが見所。伯爵の博識で理知的なふるまいと、その不気味な魅力にひかれていった人は多いはず。アルベールの両親達の隠してきた過去が少しづつ暴かれ、伯爵の目的と悲しい真実が明かされていく。最後に救済はあるのか、本当の愛と友情をアルベールら子世代が体現していく。欠点は、序盤のアルベールがあまりに無知で純粋すぎて、見てる側が若干イラッとしてしまうところ。また、この作品の特徴は何といっても映像。テクスチャをふんだんに使った革新的な映像は、最初のうちは見づらいと感じるものの、慣れてくるとその美しさや世界観のとりこになること間違いなし!
「デュラララ!!」
首なしライダーのセルティと、一癖ある池袋の人々との群像劇。散りばめられた伏線やそれぞれ登場人物の行動が、物語終盤に一気に収束していくさまが、なんともスカッとするアニメである。主人公・セルティは妖精デュラハンで、首がない。首がなくても、その人間味あふれるしぐさと時折見せる乙女な発言(?)に、「頭なんてもんはな、飾りなんだよ」という新たな発見を私たちに与えてくれた。登場人物には、主人公が首なしライダーであることが気にならない、ED曲もこれまたニコ動でパロが大ヒットした。
オジサンのベテランヒーローと、若手のイケメンヒーローが街の平和を守るバディものヒーローアニメ。スポンサー企業がつき広告を背負いながら戦うヒーローは、働く中年の歯がゆさも共感できるよう描かれる。メインコンビの虎徹&バーナビーのかっこよさもさることながら、濃すぎる各ヒーロー達のキャラクター性が素晴らしい。王道アメコミな要素、まっすぐなストーリーで老若男女問わず楽しめるアニメだったと思う。アニメ放送時は、ルナティックさんの決めセリフから「タナトスの声を聞け」が私の観測範囲でよく聞かれたと記憶している。
「ハイキュー!!」
ジャンプ原作の高校バレーボールアニメ。低身長ながら驚異の運動神経を持つ主人公と、「コート上の王様」と呼ばれる天才セッターのコンビを中心に、チームメンバーの成長と情熱を描く。テニプリのようなトンデモ展開はほとんどなく、ギリギリ人間的な試合が行われるのでご安心を。このアニメ、ライバルチームの描き方もすごく丁寧で、主人公のチームが勝っても負けても複雑な感情になる。どっちにも勝ってほしいと願っちゃう。特に好きなのが山口。目立たないキャラなんだけど、とても努力家。同級生たちの活躍に影響され、サーブに特化した猛練習をするんだけど、強靭なメンタリティの選手が多い中、山口は弱さも逃げも見せてしまう。自分に対するふがいなさに涙をためる姿に、グッと共感したくなる。ストーリーでは、練習の伏線の回収のしかたも優秀で、技のインフレや、突然のスーパープレイが少ないのもよい。あくまで練習で学んだことをベースに試合が進んでいくところ。
説明不要の大ヒット魔法少女アニメ。魔法少女アニメの定石を覆し、すべてのマスコット動物に不信感を植え付けるきっかけになった作品(個人の感想)。衝撃の3話の噂を聞いて見始めたクチだが、10話の真実が明かされた時にはもう号泣しすぎて目パッサパサにしてしまった。すべてがFになるもびっくりの叙述トリック系アニメだと思っている。2010年代のアニオタ共通認識的な作品として、広く根強いファンを持つ。
コンクール全国出場を目指す北宇治高校吹奏楽部の青春を描いた部活アニメ。演奏シーンの作画の美しさ、音へのこだわりが前面に出ていて、最高クラスの質のアニメになっている。人間関係もリアリティとファンタジーのバランスがちょうど良い。吹奏楽部って強豪校は実力主義だけど、人数も多いからトラブルもあったりして。先輩を退けて合格する居心地の悪さとか、部員間の噂で不信感が広がるとか、ソロパート再オーディションでは部員達は実力差を感じながらもどちらにも拍手できない描写とか、揺れ動く高校生のリアルな反応がすごく良い。そういった衝突やさまざまな想いを経て、ラストのコンクールへ。演奏シーンでは色んな感情が詰まって大号泣します。
「スタミュ」
ミュージカル学科を舞台に繰り広げられる青春男子ミュージカルアニメ。うたプリ的な突然に歌いだす展開+ジャンプスポコン的熱血要素+アイドル性を全部混ぜ合わせて昇華させたようなトンデモ内容。最初のうちはギャグ的なツッコミを入れながら楽しんでたら、いつの間にかデコボコなチームメンバーがひとつになって目標に向かう姿に涙してた、そんなアニメ。注目したいのは、物語中盤のミュージカルダンスの作画演出。優等生で完璧なチーム柊、それと対照的な主人公チーム鳳の「荒削りで伸びしろだらけだけど、オリジナリティがあって、引き込まれるダンス」が、ちゃんと作画でわかる。これだけ細かい演出は、ダンス作画だと難しいところ、こだわりが光っていた。そして、主人公・星谷くんがメンタル鋼すぎてすごい。どんなに相手に冷たくされてもめげない圧倒的コミュ力でばったばたと反発キャラを懐柔していくところも見所。
●DATA SPEC
タイトル:『モンスターハンターダブルクロス』ハンター生態調査
調査日 :2017年5月4日(ソフト発売から1か月半)8~15時
調査場所:SUPER COMIC CITY 26・2日目(東京ビッグサイト)
有効集計:302名
集計者 :https://twitter.com/mwiwai
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前回、上野のリアル集会所で行った調査に続いて、今度はSUPER COMIC CITYのイベント会場で集めたギルドカードを集計してみました。客層は99%以上が女性なので、いい意味で「女性ハンターのいま」的なバイアスのかかったデータになっていると思います。
((男性のデータも混じっているとは思いますが、誤差の範囲でしょう))
12% 06% 下位
39% 15% G級
39% 62% 上限解放
早速、リアル集会所との差が出てきました。リアル集会所に比べて、下位ハンターが2倍。上位ハンターは少なめですが、G級は2.6倍。逆に上限解放は40%を切る結果となりました。おおよそ、『MHX』から引き継いで『MHXX』を始めたが、あまりがつがつプレイはせずに、G級クエストを上限解放に向けて頑張っている最中といったハンターさんが多いんでしょう。
各ハンターさんが「一番多く使っている」武器を集計してみた結果がこちらです。
1 太刀
2 双剣
3 操虫棍
4 弓
5 大剣
7 片手剣
8 ニャンター
9 ハンマー
13 ヘビィボウガン
…お気づきでしょうか? ニャンターを含めると15位まであるはずの武器種。ええ、ランスとライトボウガンを「一番」使っている人は、304人中ゼロ。一人もいませんでした…。
1 双剣
2 大剣
3 太刀
4 操虫棍
5 弓
6 片手剣
8 ハンマー
9 ガンランス
HR解放者のみで集計をし直してみると、さらに極端な結果に。何と、「一番使っている武器」には、15種類中10種類しか登場しなくなりました。特に特徴的だったのが、ニャンターが一人もいなくなったことです。その他、狩猟笛やヘビィボウガンも0人に減っています。
次に、複数の武器を使用している人を結果に反映させるため、ベスト3までに使用頻度の高い武器をカウントした結果がこちら。
1 太刀
2 操虫棍
3 双剣
4 弓
5 大剣
6 片手剣
7 ニャンター
8 ハンマー
13 ガンランス
14 ライトボウガン
15 ランス
武器の使用頻度ベスト3までを集計すると、さすがに「まったく登場しない」武器はなくなるものの、「一番多く使っている」武器ランキングとの間に、若干の変化が。具体的には、スラアクが下がり、ニャンターとハンマー、チャージアックスがランクアップしています。特にニャンターとハンマーは「一番使っているわけではないけれど、2~3番目には使う」使い勝手のいい武器として認識されているんでしょう。
1 大剣
2 双剣
3 弓
4 太刀
5 片手剣
6 操虫棍
7 チャージアックス
8 ハンマー
9 ニャンター
13 狩猟笛
14 ヘビィボウガン
15 ランス
さらに、ベスト3までの結果を「HR上限者のみに限定」として集計し直したのがこちら。1位だった操虫棍が6位へ。2位の太刀も4位へランクダウン。代わりに、4位だった大剣が1位へジャンプアップしています。これを、さきほどの「一番使う武器」(HR解放者)と比較すると、1~2は変わらずなので、妥当な結果と言えそうです。
08% 151時間以上
プレイ時間は、26~75時間が一番多く、26~75時間の合計は48%と、ほぼ半数。リアル集会所では、51~150時間がメインだったので、平均値がやや下がっています。
この時点で発売から48日目だったので、26時間の人は1日30分。75時間の人でも、1日90分という健康的な感じ。
余談ですが、この時点で272時間プレイしていた筆者は、1日5時間半だったご様子…。
今回の調査で、村の最終クエストを終えていたのは、たったの一人。302人中の1人なので、0.3%となります。でも、ここまで少ないと「村クエ終わったの? 凄いね」って思って貰える相手も少なく、それどころか「あいつ、暇人なんじゃあ?」ってどん引きされる危険性もありますね…。
ハンター名は普通(?)なんですが、オトモアイルーの名前が「ヴィクトル」「ユーリ」「ユリオ」など、『ユーリ!!! on ICE』の登場人物名になっているHR62のチャージアックス使いを発見。ところが、そういう視点で見ていくと、オトモアイルーに「ユーリ」または「ヴィクトル」という名前を付けているハンター、5人もおりました…苦笑
((僕がいたエリアは『ユーリ!!!』と『忍たま』本のエリアだったんですよ…))
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今回の結果、いかがでしたでしょうか? リアル集会所に比べて、女性のカジュアルゲーマー率が高い印象が現れているようで、僕自身も集計していて楽しかったです。それでは、良いハンターライフを!
■前回の調査
自分の性癖が確立され、他のものを受け入れる余地が減ってしまったのだろう。
昔は許せた事でも、些細な事が気になり気にくわなくなり受け付けない。
その事をTwitterなどで好きじゃないと呟きたいが、それをよくリプ飛ばしあっていた人が好きと知っているのでなかなか呟き難い。
今ならのユーリ!!! on ICEの勇利が苦手というより嫌いだ。
日本代表としてその他の人達を押しのけ勝ち上がったのに、あの傲慢且つ卑屈すぎるメンタル。
勝っても「僕程度が、僕なんか」と言って他の日本の選手の地雷を踏み抜き嫌われているだろう。
勝って世界で戦うのならば、せめて負けた人達がこの人に負けたなら仕方ないと思えるような意気込みや意識を見せろ。
家族や周りの人や故郷の人達の暖かい応援に対して言った「微妙な感情」についても、何を言ってるんだこいつとしか思えなかった。
競技を続けるにあたり両親にどれほどの金銭的負担があったか、夜遅くに押しかけて教えてくれる先生の気持ちを、リンクを貸してくれる幼なじみも、こんなに大切にされているのに感謝一つしてない所が非常に腹立たしい。
元々身勝手極まりない人間だったのに、神様であるヴィクトルが側にいて信じてくれさえすれば他は何も、どうでもいいという更なるクズになって終わるストーリーも受け付けなかった。
BLがどうのこうのというより、掘り下げる程のキャラクタ性もなくストーリーもない。
正統派スケートアニメという触れ込みだったのに作りたいもの、伝えたいものがぶれすぎていて結局「お前ら腐女子はこんなん好きだろwww」っていう舐めきった作品になってしまっている。
スケートアニメならもっとスピンやステップ、採点や演技構成など、今後実際のスケートを見るときに「ああ、これがユーリで言っていたやつか」と何かそのジャンルにプラスとして残るものくらい入れろと思う。
海外のデザイナーさんの部屋の件がようやっとひと段落したらしい
ユーリオンアイスというアニメで海外のデザイナーの部屋が無断使用される
↓
そのデザイナーのサイトからファンがヴィクトルの部屋の元ネタを見つけてきた!とツイート
↓
↓
心配した方がデザイナーに連絡を取る(ファンかアンチかはわからないが素晴らしい行動力だと思う)
↓
無断使用されたデザイナーがMAPPAに連絡をとり「自分の名前がクレジットされればOKだよ」と連絡
↓
だがユーリオンアイスはそれを無視してDVD一巻を発売(2016年年末)
↓
上塗りされ改造された原型をとどめていない部屋にされたままDVD一巻発売(パーツなどは同じ)
↓
そのあと件にデザイナーと連絡とった方が「解決はしたが、連絡が途切れた」と2chに書き込み
↓
何故か今更DVD三巻で海外のデザイナーさんの名前がクレジットされる(2017年二月末)
一部のファンの間では「解決した」「良かった」などというツイートが広がっている
デザイナーの部屋はうわ塗りされもはや原型をとどめていない
彼の部屋が本当にきちんとした形で使われていたならば何故DVDで修正しされたのだろうか?
それはもう彼のデザインではない。それなのに何故クレジットをしたんだろう?
本当にこれは解決したのだろうか
俗に言うサイレント修正をし続けるユーリオンアイスに不信感だけが募る
最終話のエキシの件はどうなっているのだろうか
“息を吸うように交わされるホモ行為。もう男同士で手を繋いだりハグをしたり顔を近付けたりは日常茶飯事で、最初は「これユーリやなくて、ホーモやないかーい!」と陽気なツッコミでエンジョイしていた自分も、回を重ねるごとに露骨になっていく描写に耐えきれなくなり、10話でエンゲージリングに見立てたペアリングを贈って疑似結婚式を始めたところで、完全にドン引きしました。このシーン、今思い出してもめちゃくちゃ気持ち悪かったです。
こうやって「気持ち悪い」とはっきり述べてしまうと、私はLGBT否定論者の差別主義者だと受け取られるかもしれません。しかし、私はゲイそのものに拒絶反応を感じているのではなく、ゲイではないくせに(認めていないくせに)ゲイを気取っている男どもが気持ち悪いと感じただけ。そう、これだけ勇利とヴィクトルの2人は同性愛を匂わせていながら、互いがゲイであることに一切言及しないのが問題なんですよ!
断言できますが、もし勇利がヴィクトルのことを真剣に愛した上で指輪を贈っていたのなら、私は気持ち悪さなど微塵も感じることなく、2人のことを祝福していました。セクシャルマイノリティであろうと、周囲に何ら引け目を感じることなく、実直に求愛できるのは大変麗しいこと。でも、勇利がヴィクトルに指輪を贈った理由には、「お守りだから」「お礼だから」という苦しい言い訳が入り、これだけ直接的な行為に及んでいながら、2人がゲイである事実から頑なに目を背けようとするから腹立たしくて。
10話放送後、作者の久保ミツロウさんはTwitterで「この作品を現実の皆さんがどのように思われても、この作品の世界の中では絶対に何かを好きになることで差別されたりはしないです。その世界だけは絶対に守ります。」と、差別主義者には屈しない! というスタンスで反論されていましたけど、作中でゲイであることを認めていないからとても滑稽に聞こえます。
本当にこの世界が、あらゆる愛情のカタチに差別が入り込まない世界であるなら、「その世界だけは絶対に守ります」と豪語するなら、どうして彼らはゲイであることをはっきり認めようとしないのでしょうか? 同性愛を肯定しながら、一方で師弟愛や友情を隠れ蓑にしてゲイである事実を誤魔化そうとするやり口は、とても卑劣で悪辣だと私は思います。ゲイに対して不誠実ですし、これこそ差別です。
結局、本音ではホモを匂わせて腐女子を釣りたいだけのくせして、差別がどうのこうのを持ち出して正当化させようとするから気持ち悪さを感じるのですよ。ユーリ!!! on ICEという素晴らしいアニメに対し、私はただひたすら絶賛だけがしたかったのに、こんなくだらないことに長文を割かなくてはならないのが何よりも残念です。“ttp://ndsk.net/anime/yurionice.html
本人はこれを差別だと自覚していないようですが、なぜ勇利らが「ゲイ」であることを認めなければいけないのか考えが足りなすぎるのでは
そもそも恋愛や性愛について「同性愛」「異性愛」「両性愛」「汎性愛」「全性愛」「無性愛」「ホモフレキシブル」「クエスチョニング」「ポモセクシャル」「ポリセクシャル」「バイキュリアス」「デミセクシャル」「オブジェクトゥムセクシャル」、、、、、と数限りない愛の形があるのに勝生勇利とヴィクトルは自分たちを「ゲイ」と認めなければいけないのかよくわからない
5話で
【僕の愛。それはわかりやすい愛や恋ではなくて、ヴィクトルとの絆や家族や地元に対する微妙な気持ち ようやく自分の周りにある愛のような物に気付く事ができました。はじめて自分でつなぎ留めたいと思いたい人、それがヴィクトルです その感情に名前はないけど、あえて愛と呼ぶことにしました】
彼の気持ちは「既存の愛ではない」と語られているのに、浅生大和(あそうやまと)氏はゲイかゲイじゃないかというふうにしか二人の関係を考えられないってこと?
【この作品を現実の皆さんがどのように思われても、この作品の世界の中では絶対に何かを好きになることで差別されたりはしないです。その世界だけは絶対に守ります。】
これについて
【と、差別主義者には屈しない! というスタンスで反論されていましたけど、作中でゲイであることを認めていないからとても滑稽に聞こえます。本当にこの世界が、あらゆる愛情のカタチに差別が入り込まない世界であるなら、「その世界だけは絶対に守ります」と豪語するなら、どうして彼らはゲイであることをはっきり認めようとしないのでしょうか? 同性愛を肯定しながら、一方で師弟愛や友情を隠れ蓑にしてゲイである事実を誤魔化そうとするやり口は、とても卑劣で悪辣だと私は思います。ゲイに対して不誠実ですし、これこそ差別です。】
一体どう解釈すればこのような文章を書けるのか疑問。てかホモ、ゲイと書いている時点で立派な差別なんだがな、、、
同性愛について見識深いみやきち (id:miyakichi) さんの意見も伺いたい
2016年も残りわずか、今日という日もあと数時間で終わりということで2017年にこのもやもやを残さないべく、非常にどうでもいい話を吐き出させてください。
ちなみに当方24歳女性、恋愛経験ゼロ、男性経験もゼロ、社会人二年目の独り者です。
この前最終回を迎えたYOI、あれを観ていたら無性に羨ましくなって同時にさびしさを感じて死にたくなりました。
勝生勇利とヴィクトル・ニキフォロフが最終的に師弟というか公私ともにいいパートナーとなっていくじゃないですか。
勇利は自分のことをどこにでもいる日本人選手だなんて言うけれど、たとえそれが本当だとしてもバンケットでヴィクトルに手を伸ばして求めたのは勇利自身で、私にとってそれが何よりも眩しく映りまして。
すごい個人的な話なんですけど、先日子宮がん検診に行ったら処女は別に検査しなくても平気だよ!なんだったらワクチン打ってもいいんだよ!!なんてお医者様に言われたばかりだったんですよ。
だからといって今後男性と結ばれる予定なんて一切ないわけですよ。周りの女性はみんな検査室に入っていくとなかなか出てこなくて、あぁ検査受けてるんだななんて勝手に変な目で見ちゃって、余計に自分がみじめになってしまってですね。
あの日真剣に自分の将来を考えて死にたくなって、急に寒気がしたのを今も鮮明に覚えています。
そんな鬱屈した気持ちを抱えていた矢先にYOIを観ていたらですね、余計に羨ましくなったわけです。
もちろん脚本やらシナリオやらによって描かれたものなのは分かってるんです。
分かってても年末のよくわからないさびしさに押しつぶされそうになった自分がいたのは確かで。
2017という新しい年を迎えるためには心機一転このやるせなさと一緒に生きていく自覚をもたなくてはいけないので、ここに捨てていこうと思います。
30歳までに一人で生きていくか結婚するかを決めなくてはいけないと以前先輩(32歳)に言われました。
アニメにダメージを受けることは今後たくさんあるんだと思います。
YOIはそれを私に教えてくれたきっかけとなりました。
あーーーーーーーーーしんどいよーーーーーーーー。
嘘です。ありがとうございました。
タイトル通り、YOIは男主夢なのか?という疑問を夢を好む側の人間から考えてみたいと思います。
初めて自分の考えているところや疑問点を書いているため、読みづらい点が多々あるかと思いますが、どうかお付き合いいただけると嬉しいです。
【当記事で申し上げたいこと】
「シンデレラストーリー」や主人公が誰かと出会って成長する話といえば世の中にごまんとある一般的な「主人公補正」というものの範囲内ではないでしょうか。
Twitterなどで、「YOIは勝生勇利の夢小説」や、「YOIは久保氏の男主夢」などのつぶやきが散見されています。
放送終了した今は検索しても流れてしまってなかなか見つけづらいのですが、、、
個人的な感覚であり一切の非難の意図はありませんが、感覚それ自体にとても驚きました。
http://makun0uch1.hatenablog.com/entry/2016/11/26/222114
にて多彩な夢小説の形が紹介されているように、これが夢小説だ!と、このような記事を書いておきながら恐縮ですが、明確に提示することは大変難しい事だと思います。
そのように申し上げておりますが、それでも勝生勇利とヴィクトル・ニキフォロフの関係が夢であるかと問われれば疑問が残るものであると申し上げたいと思います。
では、なぜそう思うのか、認識のずれはどこからきているのだろうと疑問に思い、当記事を書くに至りました。
・夢小説についての考え方がずれている
ずれている、という表記は私に向けられているものであり、「YOIは勝生勇利の夢小説」や、「YOIは久保氏の男主夢」などとツイートされた方へ向けたものではありません。
私と、「YOIは勝生勇利の夢小説」や、「YOIは久保氏の男主夢」とツイートされている方の認識のずれがあると言う意味で使用しています。
どちらの認識も極論を言えば正答などないものです。自分の意見が正しいという主張でもなければ、考えを押し付けるつもりもありません。
「YOIは勝生勇利の夢小説」や、「YOIは久保氏の男主夢」などというツイートを書いていらっしゃる方の九割以上が、腐女子とプロフィールに書いていらっしゃいました。
もしかして、現在検索除けが夢界隈の「マナー」として定着して久しく、Pixivへ投稿するならタグや注意書きを書くことを半ば強制され、ツイッターのプロフにサイトURLを書こうものならマナーがなって居ないと晒される状態で、SNSが同人の主流になった今、10代の方や最近同人を知った方などはあまり夢小説の事をよく御存じでなかったり、昔夢を好んでいらっしゃって現在BLを好んでいらっしゃる等、夢小説というものの認識のアップデートをされていらっしゃらないのではないかと思いました。
https://togetter.com/li/324664
上記記事で記述されているような類のものや、#夢小説あるあるというタグが付いているツイートで茶化される夢のスタイルの認識でいるのではないかと。
夢のひとつのスタイルをいちいち束になって茶化す事や何かを貶めるシーンである特性を指すときに侮蔑的なニュアンスを含む「夢」表記に関して個人的に悲しく感じるのですがそれはまた別の話なので割愛します。
そういった、夢のスタイルとして広く認識されている「誰か素晴らしい特性を持った人から見初められて運命が一転し、その過程で成長する話」のことを指して夢と呼んでいるのではないでしょうか、というところに落ち着きました。
個人的に、それは夢というのは最適解というには首をかしげたく思います。
「シンデレラストーリー」や主人公が誰かと出会って成長する話といえば世の中にごまんとある一般的な「主人公補正」というものの範囲内ではないでしょうか、と思います。
以上です。
ここまで読んで下さってありがとうございます!
ユーリ!!!onICE、6話からリアタイして毎週わくわくしながら見ていた。最終回も感動し、二期も来てほしいと思った。時間がある時に何回か流し見したり、考察を見るのも好きだった。
それくらいには好きだったのでトレパクという件を見てショックを受けた。
エキシビジョンは感動しただけに辛かった、知る前までは何度も見ていたが、知ってからは元の選手に申し訳なさすぎて見れない。
DVD、BD1巻ではヴィクトルの部屋が差し替えられて完全に黒になってしまったが、公式からの弁明は一つもなく。
脚本・10話EDを担当した久保ミツロウ先生はほぼツイートしなくなり、トレパクについてはだんまり。@欄にはトレパクについてリプライが飛び交っている。
過去発言については今と立場や考え、ネットの状況も変わってる場合もあるしあまりそこまで取り上げてあげるなよ…とは思う。
時々相手に敬意を示していないような発言をするのでもともと好きではなかったが、この件で更に好きではなくなってしまった。
だからといってユーリ!!! on ICEを好きじゃなくなったわけではない。
アニメは色々な人が携わってできた作品であり、しかもこの作品には衣装デザイナーや振付師の方などの専門の人たちが関わっている。音楽やスケートの作画などもとても良かった。
そういった各々の協力によって作られた作品であり、素晴らしい作品だったと思う。
一部のトレパクによって作品全体が悪く言われるのは、連帯責任とはわかっているとはいえ心苦しい。
だから作品自体はとても素晴らしいのにどうして謝罪がひとつもないのか。
正直アレを面白いと思って見てた野郎としては「面白いアニメだった」以外に変な論争持ち込んでめんどくせーなーと眺めてる。
LGBTは昨今の情勢上配慮はしたんじゃないかとは思うが、はたから見りゃ勇利とヴィクトルの絡みは間違いなくBLだけども。
ただ、他の選手も1クールの短い中で各々の信念は見て取れたし、スケート描写の手抜きも無かったし、本格スケートアニメの看板も間違いじゃないんじゃない?
なんで「BLアニメだ!」「本格スケートアニメだ!」の2極で考えるん?どっちも両立したアニメってのじゃダメなのか?
LGBTを体現したアニメだ!ってそんな堅苦しい視点で娯楽作品を見て疲れない?
とっ散らかった感想文になってるけど、要は、
ユーリ面白くて数時間後に迫った最終回が楽しみすぎるので思ってること書くよ!
私は好きなものや気になったものについて、よく検索かけて他の人がどう言ってるのかを見たりする。勝手に同意したり反論したりして楽しむ。まあこの習慣のせいで最近はしんどい思いをすることも多くなってきたのでやめたほうがいいのかなとも思うんだけど。
ユーリでももにょ案件は結構あった。ユーリにかこつけて実在のスケーターの画像をBL的に消費して楽しむファンとか、最初は面白かったのにホモで気持ち悪いとかトレパクとか。
実在人物のそういうアレで大騒ぎするのは小学生が「AくんとBちゃんが付き合ってまーす!」って騒いでるみたいで品がないなあと思う。ああやって騒ぐタイプの人とは仲良くできないな。それこそいわゆる生物案件なんだから腐女子が得意な検索避けで楽しむべきなんじゃないの..あとユーリに限らずクソコラやめてほしいな〜〜〜〜楽しいのはわかるけど失礼じゃないかな...
ホモで気持ち悪い、あるいはホモじゃないから尊い、みたいなゲイフォビア発言が大手を振ってまかり通る日本はまだまだ遅れていて悲しいなあ。わかる、わかるよ、私も昔はどっちかってとBLに対し否定的だった。例の水泳アニメを見てうわあ...って思ったりもした。
でも、今から思うと多分「普通じゃないこと」に対しびっくりしちゃっただけだったんだよね。「これまで自分の中で培われてきた常識から外れている」「衝撃的」な絵面に対する拒絶反応。最近は考え方が変わって、どういう性別だろうと親愛の情を抱くことは当たり前のことだと思うようになったからユーリもなんの違和感なく見ている。キスしたからって恋愛とは限らないし逆も然りじゃない?いろんな解釈があっていいと思う。全部当たり前で普通だよ。
ここからは個人的な見解だけど勇利とヴィクトルの関係は師弟愛から始まってはいるけどいろんな愛情が混ざり合って結婚して当然だしセックスしててもおかしくないかなってくらいには発展してるとおもう...ただGPF終わったら離婚しそう(ごめん)っていうか、なんか一種の青春みたいだよねっていうか、最後のGPFという刹那っていうか、まあこの辺は日本語得意な人に任せた!
そしてトレパクはまあ専門外なので論ぜぬ。黒だったら残念って感じ。「検証画像がフォトショ」みたいな反応も見かけたし個人的には白を信じたいけどな〜〜〜〜。
あとまたこれは別の問題だけど、「ホモで気持ち悪いという感想をおおっぴらに言えないために鬱憤の溜まった人たちで構成された集団が好機とばかりに卵アイコンで叩いている」という印象が拭えないので、なんかもう、地獄だな、と。大勢が好きだ、面白いと肯定するもののよさが自分だけちっともわからないみたいときのマジョリティに対する腹立たしさ、圧迫感みたいな気持ちめちゃくちゃよくわかるんだよ...それで鬱憤溜まるのも叩きたくなるのもわかるんだよ...地獄...
私とある漫画のとあるマイナーキャラが大好きだったんだけど、その子が理不尽に殺されて、でも殺した方のキャラが人気で、私は許せないのに殺した方のキャラを擁護する声の方が大きくて、あまつさえ「彼こそ主人公」みたいなコメントがたくさんあって、重要キャラだから公式でもどんどん優遇されて、一方私の好きな彼はグッズやサブコンテンツでもハブられ続けて...そんな風潮を見て悔しくて悲しくて腹が立って、眠れない夜とかあったくらいなんですよ...だから気持ちはよーーーーーーーくわかる。しんどいよね。そのうちエネルギーが怒りに向かうんだ。 違う話だって?そう思うならごめん。でも私は一緒だと思う。
あとはあれだ、「本格的じゃなかった」みたいな批判。まあそれはわかる。スポ根を期待して見たらスポーツを題材にした少女漫画だったのでがっかりした、という人がいてもおかしくはないかな。私は少女漫画も好きなのでこれはこれで、といった風に楽しんでるけれど。あと演技中の心理描写は本格的を謳うのにふさわしく緻密だと思うよ!きっと修行パートが足りないんだな。ユーリに12話は短いよ!!!!!
個人的な見解もういっちょ。ユーリを作品としてLGBT問題とくくりつけるのは賛同にせよ批判にせよお門違いだと思うよ!!!!!そんなにウェイト大きくないよ!!!理想の世界ではあるけど!!!まあユーリみたいな雰囲気の創作物が増えたらいいなあとは思うかな。
さて、こういう話はもういいかな!ここからはJJの話させて!私はJJが大好きです!!!
あーJJ!!!!!!!大好き!!!!!!!初登場回の初演技で、あのずっとこちらと目が合ったままの謎スピンで一目惚れしました。アニメに限らず、スケートにも限らず、私ああいう根っからのエンターテイナーな選手が大好きなんです!!!!
パフォーマーには二種類いると思ってる。一つは己の内面を見つめ己を表現するアーティスト型。もう一つはお客さんを感動させることを目的とするエンターテイナー型。両者の違いは端的に言えば内向的か外向的かってところなんだろうと思う。ユウリカツキなんかは典型的な前者だよね。そして私の解釈ではJJことジャン・ジャック・ルロワは絶対後者。スケートどころか、氷上に限らず彼の生き方そのものがエンターテイナー。あー好き!!!!!!!!
JJの彼女も大好き。イザベラちゃんっていうらしいね。JJってたくさんのJJガールズに愛想振りまいて、EDでは左右に女侍らせてたりもして、それでもイザベラちゃんは全く意に介してないどころかJJガールズの存在を自慢にまでしていている。多分左右に女侍らすJJを見ても「さすが私のJJね!」って肯定してくれそうだし、イザベラちゃんはジャンジャックルロワの「JJ」という理想、生き方をまるごと肯定してくれる女性なんだなって思った。JJみたいなタイプの極めて外向的なパーソナリティを支えるには最高のパートナーだと思う。
どーも最近のコンテンツでは「飾らない自分を愛してくれる」みたいな、たとえ世界中に否定されてもたった一人に肯定してもらえればそれでいい的なことを信奉しがちな気がするけど、JJはそんなこと求めてないんだと思う多分。たった一人に肯定されるだけじゃ足りないからどこまでもどこまでもストイックに上を向く、立ち止まらない、立ち止まれない状況に自らを追い込む。そんなJJに向かって「あなたの良さは私が知ってるから十分でしょ」みたいなこと言うタイプのパートナーは窮屈だろうなと思うよ。今のところは。
オーケー、優勝を逃し婚約がおじゃんになって、イザベラちゃんの前でどういう顔をしたらいいのかわからない19歳のただのジャンの前で、エンゲージリングをはめたままの薬指を愛おしそうに握り込めて「楽しみだわ、JJ」ってイザベラちゃんが微笑んでくれるところまで妄想した。さあ来い最終回!!!!!!!
(さっき今のところは、って言ったんだけど、私はもともとオタクとして闇属性なのでどうしてもこのGPFまでがJJの選手としての絶頂だったとしたらって事態を想像してしまう。大会に出ても成績が振るわず、どんどん優勝が退いていくJJに対してイザベラちゃんがどう反応するのかってのは...まあ...気になる...)
否!!!!!!!!!!!!!!!!一人のJJガールズとして宣言します!!!!!!!!!私はJJの大逆転優勝を信じてる!!!!!!!!!!頑張れJJ!!!!!!!頑張れイザベラちゃん!!!!!!!!!!!!!ジャン・ジャック・ルロワをどうかよろしく!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!最終回楽しみ!!!!!!!!!
ユーリ on ICEについて、巷で色々言われている。やれ腐向けだ、公式がやりすぎだ、トレパクだ云々…
個人的には、ヴィクトルと勇利の関係はどこまでも師弟的だと思う。もう近すぎとかそういうのは慣れた。
ちなみにユーリは1話から見てるけれど、普段男がメインのアニメはあんまり見ない。理由としては、単純に萌えアニメが好きだからだ。とらドラではみのりんが好きだし、true teasでは乃絵派。アマガミでは梨穂子が好き。
だから最初、ヴィクトルの距離感にびっくりしたけど10話のED後ならあの接し方も納得がいく。てか勝生勇利のアレは中々にひどい。
最初は優子ちゃんのことをヒロインだと思ってた。めっちゃ可愛いって。
「ヴィクトルと戦ってるとこ、はやく見たいな」って言われたら頑張るしかないよなー、人妻だったのは衝撃だった
えー、マジかって
中国大会まで、そこまで好きなキャラはいなかった。でも、中国のFSを見てピチットくんが素敵だと思ったんだよね。
あれに心が奪われた。
10話でも真っ先に親友を祝福していたし本当にいい子なんだなーって、それでいて嫌味を感じない。
おかげで11話見るときも気が気じゃなくて、ピチットくん大丈夫かなと思いながら視聴してた。いや、彼は本当にいいキャラだと思う。1クールアニメでこんなにキャラに肩入れするとは思わなかった。
11話SPを見て思った。あのプログラムでは表彰台には登れないかもしれない、だけど舞台の上でピチットくんが表現したいこと(王様とスケーター)をやりとげたんだなあって。
演技が終わった後の涙も、あーっよかったピチットくん、ってなった。
ちなみに好きなシーンはピチットくんがハムスターと戯れてるとこと、サグラダファミリア前での自撮り。何あれ、萌えキャラか?ハムスターになりたい。
彼女いい人だった
どこまでも真っ直ぐでキラキラしているキャラクターってすごく魅力的なんだなーって再認識した。
ちなみにピチットくんの前髪は下ろしてるほうが好きです。
なるほどユーリの後ろから物語を見ていると、そういう見え方になるんだな。
元増田のもやもやを抱えたままだと、例えば10話でユーリがヴィクトルにひとしきり苛立ちをぶつけた後、はせつの海を持ち出すところも、見てる方としては、色々あっても結局勇利中心に世界は回ってるのか、けっ、みたいな形で捉えちゃって、益々もやもやするだけで、もういっそ何処かで勇利がボロ負けしないとカタルシス得られない気がするんだよね……。それは単なる恨み晴らしでしかなくて、多分あとからどっと虚しくなるパターンだと思うし、そもそも展開として、まあ、ありえないわな。
そういう点では、あの作品はやっぱり勇利の物語であって、フィギュアスケーターの群像劇、ではないんだろう。残念だけどね。
一人のキャラクターが完全に物語の主人公になってる作品の脇キャラを好きになると、まあ、こういうモヤモヤと戦い続けないといけなくなるのは、仕方の無いことで、下手な作品だとあっという間に退場しかねないので、悩ましいところだなー。と思った。
私は腐女子であること、ユーリが好きで、メインの二人に疑問があり、批判的になってしまうこと、
モンペと呼ばれるだろうが、皆がこうではないので前置きしておく。
1話をわくわくして見ていた。話が進むにつれて疑問に思う点が増えた。
ユーリやヤコフ、スケートそのものが蔑ろにされているように感じるからだ。
ヴィクトルと勇利の関係はしばしば、大きく崇高な愛、恋愛よりももっと深いもの、などと表現される。
果たしてそうだろうか。
もし二人に、その関係に、(ファンが言うようなLGBTについて世界に何か影響を与えるほどの)大きな愛があるなら、
周りの気持ちを尊重できる人間であってほしかった。とても大勢の人が「尊い」と称えるほどの人物には見えない。
代わりに泥酔して腰を擦りつけた勇利の約束を守りに海を渡った。
なぜその憧れの気持ちに差をつけられなければならないのか。
ユーリは、とりわけヴィクトルが日本へ渡ってしまって以降、真摯にスケートをしている。
常に勝ちたいと思っている。他国の選手も同様。勇利達はそうではない、と私は思う。
勇利が一人で戦えば応援して、ピロシキを一緒に食べる。万全の彼に勝ちたいからだ、ライバルだと思っているからだ。
そのユーリに、二人は試合前、スキンシップをとりながらにこにこして「ガンバ」だとか「僕の方が体力ある、ばーか」と言う。
馬鹿にしていると思った。
マジアガペーを見て焦るどころかのん気に応援してくるライバル、約束を反故にした張本人。
怒って当然だ。
それを見て、応援する二人かわいい、怒って嫉妬してるユーリかわいい、という感想を多く見かけた。
コーチ代理のシーンも、ユーリとヤコフの気持ちが尊重されていないと思う。
その上憧れた人のコーチに緊張したり、キスクラでは有難いと話を聞くそぶりもない。
空港内を並走して抱き合いプロポーズみたいだね、と言う二人が不思議だった。
真っ先にマッカチンの無事を喜ぶよりも、自分のヴィクトルへの気持ちが優先されてしまう。
コーチをしてくれるヴィクトルに対しても、弱いメンタルを察してくれと怒る。
バンケットでは現在のコーチがいる前で、別の人間にコーチを頼んでしまう、
ダンスバトルだって長谷津での勝負だって、本来ユーリはしなくていい勝負に負けたのだ。
完璧な人間はいない、リアルだ、と言われても、その人間性に疑問を持つことに変わりない。
雑誌の版権絵で大人二人がブランドの袋に囲まれニコニコと密着している間も、
名前が同じキャラを出したかった都合上生まれ、ライバルらしいライバルにも据えられず、
もっといろいろあった気がするが、つまりスケートに対する向上心と、周りのキャラへの尊敬、敬意が見えないからもやもやする。
そういう部分で、最近話題の本格スケートアニメが見たかった、という意見には同意した。
作画が良い、技が忠実、そういうことではない。
同性愛だって異性愛だって、どんな愛が描かれてもいい。ただ、それを魅力的と言うには、
努力や葛藤を重ねて、真摯にスケートにとりくむ人だから素敵と思える、そんな描写が圧倒的に足りない。
代わりにあるのは、そういったものをすっ飛ばして育まれる二人の愛のシーン。
葛藤があるからいいアニメ、というわけでもないのだが、魅力に感じる作品には
やはりそれを乗り越えていくキャラの様子が描かれていて、その過程に萌えたり、熱くなるものなんだと思う。
だから、薄味に感じるこの作品がここまで高尚なものと称えられると、?と思ってしまうのだ。
他作品や現実の選手まで引き合いに出して、ユーリはやっぱりすごい、と言ってしまう空気が、私にはちょっと苦しい。
本格スケートアニメ、二人のユーリというふれこみに、勝手に期待したといわれればそれまでか。
とは言え、ファンの人たちはそういった部分を読み取って楽しんでいるんだろうし、それを全て否定するつもりはない。
違和感があるのは、腐女子が同性愛の関係を性的に消費しながら、アニメに絡めて声高にLGBT差別がなくなるといいとか、これは差別の無い理想の世界、とあまりにも過剰に賞賛することだ。
現実で差別があったがこのアニメは違う、と言う翻訳ツイートたった一つで、それをすぐに信じ込んでしまい、スケート界って大変なんだねと盛り上がり
制作側が差別のない世界を描いたと発信し、そういう素晴らしいアニメだという話が一斉に広まった。
考え方は立派で否定されるものではないが、正直、一人が言い出したからよく考えず我も我もと高尚なアニメを見て感想を言うことが目的になり、
試合のあとに高揚したまま、抱き合ったりキスしたりすることはあるだろうが、
過剰な演出、特にバンケットでの勇利や、妊娠しそうの発言は必要だったんだろうか。
これが男女であっても、人前でそういうことをするのはあまり好ましく思えない、
だからこそ男性同士にそれをさせることが、いかにも同性愛の男性はこういうことをしそうだというレッテルのようにも、
差別されない世界なら、これらの行為は本当に咎められないのか?男女がそうしたセックスアピールをしていたら、尊い愛だと言えたか?
電車の中でいちゃつくカップルを見ているような気持ちを、差別とは言わないはずだ。
男性同士の恋愛が差別されているから影で楽しんできたのではなく、男女や百合のエロと同様、自分が性的に消費しているから隠すべき趣味としていた部分が大きいと思っているので、カップリング名がトレンドに入って喜ぶことも理解できなかった。
LGBTを賛美しているから同人誌を書いたり、アニメを見ているのか?少なからず切欠は違うと思う、萌えて、エロいことをさせたいと思ったから、ついキャーとはしゃがずにはいられないのではないか。
そうである限り、成人向けなどのコンテンツが人に見えにくいところで楽しまれるように、現実の問題とは分けて、ひっそり楽しむもので、だからといってBLを区別することが差別だと言うのも違うだろう、と思う。
特に、当事者ではない私達が深く理解していない段階のまま、LGBTにとって理想の世界と断定してしまうのは間違ってはいないだろうか。
それを判断して、見るか見ないか、どう思うか決めるのは私達ではないので、どうかどこでも誰にでも押し付けるようなことはやめてほしい。
とにかく目に入ってくる反応と、本編の内容、キャラの内面があまりにかけ離れていないか?BL趣味に現実を巻き込みすぎてはいないか?と思った。
もともと腐女子なんだけど、ここ数年ホモを純粋に楽しめなくなっていた。
結論から言えば、おそらく現実の男性と、男性たちが作るホモソーシャルの厄介さを知ってしまったからだと思う(ホモソーシャルと併記して語る時に都合がいいのと、セクシャリティの問題とは離れて考えて欲しいためにあえてホモと書くことをご容赦ください)。
新卒で入社した会社は、男女比が8:2くらいの体育会系の男社会だった。そこで初めて知ったのは、大人の男性は自分が想像した以上にグループ(派閥)を作るのが好きで、そこに属そうとしない人間は普通に無視したりヒソヒソしたりすること。少年漫画によくあるように、男性は女と違ってサバサバサッパリしてるものだと思い込んでいたので、女よりよっぽどドロドロしたその姿にすごくびっくりした。
だいたいそういうのは年上の男性なんだけど、仲良い同僚とか後輩とかにはすこぶる調子がいい。派閥の中だけで通じる俺ルールとか作って、後輩をいじったりして楽しそうにしている。でも、気に入らないなら放っておけばいいのに、女のくせにとか女だからとか言ってやたらと絡んでくきたり、私に彼氏がいるかいないかとかで陰口を叩かれたりして、わりと精神的にきた。しかも最悪なのは、こういうことをするのが1人じゃないことだった。複数人そういう人がいて、それぞれ好き勝手にやってる。地獄か。
そんなこんなしていたら、ホモを楽しめなくなっていた。面白い漫画とかアニメとかたまに見つけるんだけど、どうしてもホモ萌えできない。部活モノとか昔なら絶対ホモ萌えしてたはずなのに、当時は体育会系の上下関係や男ばっかりで完結している世界観を見て、「こういう人たちが社会に出てから私みたいな人間を苦しめるんだよなあ」としか思えなかった。むしろ途中で苦しくなって泣いたりしていた。
そんな精神的地獄に長く耐えられるはずもなく、私は5年で会社を辞めて転職した。転職先の会社は、良くも悪くも同僚のプライベートに踏み込んでこない感じで居心地がいい。女性も4割くらいいるので、表立って「女のくせに」とか言ったらかなりヤバイ雰囲気もある。
で、ここのところユーリオンアイスを見ている。そしたら、自然とホモ萌えできている自分に気づいた。これまでが嘘のように、スッとホモを想像して喜んでいる自分がいた。それぞれのキャラクターも好きだ。勇利尊い。ヴィクトル尊い。ユリオ尊い!
その時初めて、ああ自分は解放されたんだなあと思って嬉しくなった。今ではいろんなホモを想像しては楽しんでいます。世界がキラキラして嬉しくて楽しい。またホモを楽しめるようになって、私は本当に幸せです。
オチはないです。
そんな僕が今期見ていて好きなアニメは響け!ユーフォニアム2とユーリ on ICEである。
この2作品はなんか見ててよく似てるなとおもう。
ユーフォだと真剣に吹奏楽に取り組む少女たちが描かれ、百合っぽい描写がある。
ユーリだと真剣にフィギュアスケートに取り組む少年たちが描かれ、BLっぽい描写がある。
でもなんか同性同士の絆みたいなものがいいなって感じられるのである。
ユーフォだと前期の8話が好きだ。
麗奈と久美子が祭りの喧騒から離れた山の上で2人だけの話をする場面。
あれは画面が綺麗すぎたのも相まって、釘付けになった。
ユーリの話をしようと思う。
そういえば斬新だなと思った点が、勝生勇利がもう世界レベルのトップ選手だということ。
メンタルが豆腐で自信が持てずにパッとしなかった彼が、コーチとの出会いでどんどん内面が引きずりだされてるのが面白い。
ユーリ7話で良い演技をした主人公・勇利と喜ぶコーチ・ヴィクトルがキスしたのかハグかの判断を視聴者に委ねるようなシーンがあった。
僕はあのシーンをホモくせえと思うことは意外にもなかった。
それは彼らが努力したことを視聴者として知っていると同時に、あれを喜びを表す手段として見ていたからだと思う。
だって女子フィギュアだったら多分違うところに目線がいくから笑
でもそんなことはないのかもしれないと最近思った。
僕はユーフォを見ても、登場人物がエロいとかそういう視点で見てないことに気づいた。(水着回以外)
ただ一生懸命に何かを求める、あがき続ける。
・ピチットくん(タイ)…僕はずっと信じてたけどね!と真っ直ぐいいきって実現するところにしびれた。SNS狂で現代っ子ぽいのに正統派の爽やかさがある。見てて気持ちいいというか、清涼剤。
・グァンホンくん(中国)…ただただかわいかった。ぬいぐるみのシーンにやられた。内面は意外と男らしいのも好印象。そういえば公式サイトに「夢はハリウッドセレブ」と書いてた。人は見た目によらない笑
・南くん…スケート演技がキャラクターを表してて好き。勇利を崇拝するだけじゃなく、真っ直ぐに意見を言ったのがよかった。
書き出したけど、目がくりくりで、真っ直ぐでかわいいキャラクターに弱いみたいだ笑