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フェミの正体みたりって感じだな
あなたたちの求めて戦った民主の力は我々日本・台湾・欧州・アメリカ・オーストラリア・インドが引き継ぎます
「天安門」元リーダーがNYで惨殺…犯人の女性に中国の“刺客”説が浮上
天安門事件」の学生リーダーのひとりだった弁護士・李進進Photo: 対話中国(Dialogue China Think Tank)
Photo: 対話中国(Dialogue China Think Tank)
1989年の「天安門事件」につながる民主化運動の中で学生リーダーのひとりだった弁護士が白昼のニューヨークで惨殺された。犯人の女は現行犯逮捕されたが、不可解な動機や言動から、北京から刺客としてニューヨークへ放たれたのではないかと疑う者も多い。
22ヵ月間投獄され、亡命
「天安門事件」の学生リーダーのひとりだった弁護士・李進進(リィ・ジンジン、米国名ジム・リー、66)が、3月14日正午前、米ニューヨークのクイーンズ区・フラッシング39番街にあるビル4階の事務所で刺殺された。享年66だった。
当日、李進進の事務所には、3日前に来訪したばかりの中国人女性・張暁寧(ヂャン・シァオニン、25)がケーキを持参し訪れた。11時44分ごろ張は突然、「今日は法律の用件で来たわけではない」と言いつつ李の背後から彼の首を片腕で強くロックし、コートの内ポケットから素早くナイフを取り出して、ためらい無く李の頸動脈を一撃。続けて頸部、胸部、腹部をメッタ刺しにした。
目撃者によると、張は素早くナイフを取り出しためらい無く頸動脈を一撃したことから、相応の訓練を受けたとみられる。
瀕死の李はニューヨーク・プレスビティリアン・クイーンズ病院に搬送されたが、12時8分に出血多量で死亡が確認された。
湖北省武漢市生まれの李進進は1970年、15歳で中国人民解放軍に入隊し、除隊後、文民警察組織の中華人民共和国人民警察に勤務。1979年、湖北財経学院(現・中南財経政法大学)に入学し、のち北京大学の博士課程で学ぶ。
1989年の「天安門事件」期間中はデモで重要な役割を果たした労働者団体・北京工人自治連合会の法律顧問を務めた。同年6月4日に人民解放軍が天安門広場のデモ隊を虐殺したあとは故郷の武漢へ逃げ帰るが、人民を煽動した容疑で逮捕され、22ヵ月間投獄される。
釈放後は起訴を免れ、1993年に渡米。コロンビア大学、ウィスコンシン大学で学び、レストランで下働きしつつ法学博士号を取得。卒業後、ニューヨーク州で弁護士資格を取得した。
犯人の張暁寧は現行犯逮捕された。張は1997年河北省邯鄲市生まれで、北京の大学で学び、2021年8月下旬にF-1学生ビザで米国に入国。渡米直後の2021年9月14日、国連通常総会の開会日当日に張は、国連本部の外でプラカードを持ち、北京市内の精神病院に強制入院させられたことを非難し、彼女をレイプした北京市公安局の警官を厳罰に処すよう訴えるデモンストレーションを繰り返した。
国連本部の外で通常総会当日にプラカードを持ちデモンストレーションをする張
国連本部の外で通常総会当日にプラカードを持ちデモンストレーションをする張
その後、李の存在を知った張は、李が法的な手助けをしてくれるものと期待し、3月11日、李の事務所を訪れた。
李の親友弁護士・朱偉は「後の祭りだが、李進進はあの女に関わるべきではなかった。11日に事務所に来た女は泣きながら、数日前に米国移民帰化局(BCIS)の移民面接に落ち、貧しく無一文同然で、中国で警官にレイプをされたと訴え、庇護を求めた。李は心優しい男。彼女を無償で助けるつもりでいた。あとで女は李に、自分から受信したメールを全部削除しろと要求したが、彼は削除しなかったようだ」と悔しがった。
李進進弁護士事務所向かいの保険会社職員は11日の凶行について、「たまたま開いていたドアから事務所内を見たところ、女性が興奮して、物凄い形相で李弁護士に詰め寄っていた。李弁護士はとても物腰の柔らかな紳士で、事務所の女性職員が慌てて、興奮している女性を彼から引き離した」
「李弁護士が静かに『オフィスで騒がないで。必要なら一緒に警察へ行ってあげましょう』と話すと、女性はその3倍を言い返していた。暴力的な態度で大騒ぎするのを見かねた職員が警察に通報したため、警官が2人来た。李弁護士が警官に、大丈夫だから彼女を逮捕しないでと言うと、女性はそのまま逃げるように事務所を立ち去った」
天安門事件が起きた1989年当時、中国人民解放軍の女性記者だった江林 Photo: The New York Times天安門事件から30年目の初証言──元「人民解放軍・女性記者」が見た“地獄”
カメラの前で逆上
張暁寧は殺人罪で起訴され、3月14日19時37分、警察官によってニューヨーク市警察第109分署から勾留先に移送された。その際、「なぜ殺したのか?」「悔いてはいないのか?」などメディアから中国語で問われた張は激昂しながら、叫んだ。
「後悔なんかしてねーーわッ!」
「後悔しているとしたらお前らの裏切りだ! 中国人なのに反共産主義者を叫びやがって!」
「おまえらは無数の学生を傷つけてきたのに、まだ学生を傷つけるのか!」
【#中国】
米国に住む中国出身の女性、张晓宁 が、天安門学生運動の指導者であった李进进氏(66歳)をナイフで殺害。女性は「おまえらは中国人でありながら、中国共産党に背いている!」と叫んでいる。
米国に住んでいてもこれか。共産党の洗脳、恐ろしすぎる…????
— NEKO????⬛????????????????⬛????????????????⬛ (@usapepe) March 16, 2022
在米華人メディアへの敵視発言から、張暁寧が中国共産党の熱烈な支持者ということが明らかになった。そして留学生である自身は、思うような庇護が与えられない被害者というスタンスだ。
だが、計画的に成人男性を刺殺するような根性の据わった女が、自身をレイプしたという中国警官ではなく、たった一度しか会ったことのない弁護士を刺し殺すというのは説得力に欠ける。
張は学生ビザで渡米したが、これまで一度も通学した形跡が無い。そもそも新型コロナウイルスが蔓延している時期に、中国当局は一般人民の出国許可は出さない。
張は李進進の前に、在米民主団体の中国民主人権連盟に、中国のニューヨーク総領事館から警告があり、圧力を受けていると語り、庇護を求めたという。
殺人罪と銃刀法違反で起訴された張暁寧は3月18日、クイーンズ区刑事裁判所に初出廷する予定だったが、精神不安定を理由に出廷を拒否した。地元紙によると、最高25年の実刑判決か終身刑が科される可能性があるという。
李進進はこれまで、中国政府に迫害されて来た多くの中国人を助けて来た。経済的に困窮している移民からはいかなる代金も受け取らなかったという。筆者にはこの李自身の同胞への献身が命取りの引き金になったような気がする。
北京・中央美術学院の学生によって天安門広場に建てられた「民主の女神」像(1989年6月1日撮影)天安門事件を風化させたい中国共産党─追悼日直前に香港の記念館が休館した背景とは
李進進は、「天網行動」「猟狐行動」(海外逃亡中の知能犯や経済犯の逮捕と不正取得された資産を没収する中国政府の特別捜査キャンペーン)のターゲットになったり、指名手配されたりした人民に米国での法的保護を提供してきた。
特権を利用して実際に不正蓄財や収賄した党員、公務員、汚職事件容疑者などの国外逃亡者が逮捕されるのはともかく、「天網行動」「猟狐行動」は、中国政府の意に沿わない経営者、弁護士、学者、研究者、作家、ジャーナリスト、NGO(非政府組織)関係者、アーティストなどの罪をでっちあげて中国に強制送還する口実にも使われているからだ。李もたびたび「『天網~』『猟狐~』は反腐敗運動ではなく、反体制弾圧の手段」と批判してきた。
李進進は、2008年に中国当局に香港で逮捕され、金融詐欺罪で起訴された「天安門事件」の学生リーダーのひとり、周永潤(ヂョウ・ヨンルン、55)の弁護を担当した。
また、中国政府が政敵を逮捕するために、 国際刑事警察機構(インターポール)が加盟国の申請に応じて発行する国際手配書「レッド・ノーティス」を濫用することに反対していた。
中国で逮捕状が出ている被疑者などについて人物を特定し、海外で発見し次第、中国へ強制送還するよう要請できるものだからだ。
「李進進が“天安門”の元リーダーだから殺された」という憶測は的外れだろう。今年は「天安門事件」から33年。当時、民主化へのうねりを作った学生運動リーダーたちは既に政治的影響力を持たず、中国共産党の脅威ではない。
今になって李進進が「消された」とすれば、「33年前のリーダー」だったからではなく、習近平政権が本気で取り組んでいるキャンペーン「天網行動」「猟狐行動」を邪魔する存在とされたからにほかならないからだろう。
在米弁護士仲間は、李が弁護活動中に得た中国共産党の特務(諜報・謀略・秘密機関)の活動資料を米連邦捜査局(FBI)に提出するのを阻止するために殺したと疑っている。
李進進が惨殺された2日後の3月16日、米司法省は、中国の情報機関、国家安全部の指示を受けて米国在住反体制派中国人に監視や嫌がらせを行っていたスパイ容疑で王書軍、劉藩、林啓明、孫強、マシュー・ツブリスの5人を逮捕し、起訴したと発表した。
暗殺犯の張暁寧は、北京で特務の訓練を受けた捨て駒の刺客だろう。渡米後の反中パフォーマンスやテレビカメラの前の支離滅裂な絶叫は、精神に異常があることを印象づけるための演技と思われる。
李進進の葬儀は事務所近くのチュンフック葬儀場で27日午後に挙行される。関係者は既に、FBIに対し、李殺害事件の捜査を要請した。FBIの捜査によって、李進進が「消された」真相は明らかになるのだろうか。(Text By Jun Tanaka)
ロシア国民及び軍、ついに反乱を起こしプーチンら首脳部を拘束。
暫定政権は直ちにウクライナと講話。ウクライナ全域から軍を撤退させ、また海外資本関係の大統領令もすべて廃止した。
さらには核兵器完全放棄をはじめとした大々的な軍縮やFSB等の解体、ウクライナ等への多額の賠償を行い、国際社会の信用を得るべく奔走。
その甲斐あってどうにか国際秩序への復帰に成功し、国民生活や経済が再起不能になる事態は防がれる。
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プーチン以下被告らには仮釈放なしの終身刑など重刑が言い渡された。
(国際刑事裁判所の判決に死刑を追加すべしという意見は大きかったが、最終的には却下されることに)
またこれまでの経過を見た中国は台湾他への進出は得られるであろう利益よりリスクやデメリットのほうが遥かに大きいと判断、これを断念。
国内の反発を避けるべく「1つの中国」という主張自体は続けるも、軍縮に乗り出すなど有名無実化させていく。
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撤退等が一通り終了した後、国連の選挙監視団による監視及び助言の元ロシアで真に民主的と言われる選挙が実施される。
またベラルーシにおいても独裁政権が崩壊、ほぼ同時期に民主国家となる。
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数十年後、ウクライナ戦争を主題としたドキュメンタリー映画が制作・公開される。
ちなみにモブの老義勇兵役としてゼレンスキー元大統領が出演していることも話題になった。
PS.都合が良すぎると思うだろ?俺もそう思う
でもこんなくそったれなご時世なんだ、少しくらい夢見たっていいだろ?
https://news.yahoo.co.jp/byline/shinodahiroyuki/20210920-00259252
「そしてここでこの事件を通して考えてほしいのは、その無期懲役をめぐる現状、事実上の「終身刑」になっているという、その問題点についてだ。」
『無期』懲役なんだから、終身刑になっているのが当たり前なのでは?
無期懲役と言いながら実体は有期懲役になっている事の方が問題なような。
殺された子供達に未来はないのに、加害者には未来に希望を持つ事が許されるというのが酷い話。
二度の中絶でひどく傷ついた、ってだから何なの…?殺された子供達に何の罪があったの?
相変わらずの不倫女に甘い世論と、にも関わらず不倫は女だけが責められて男は責められないという間違った事実認識の多さに反吐が出る。
「後にこの事件をヒントに書かれた小説が、角田光代さんの『八日目の蝉』だ。小説の中では女性が子どもを誘拐して自分の子として育てようとするのだが、ドラマ化・映画化もされ、ミリオンセラーとなった。」
いやほんとこの小説って最悪だったよね。実際は何の罪もない子供達を焼き殺した加害者を、愛情を持って子供を育てたかのように歪曲する最悪な小説。
真面目に答えてくれる人がいたので、やりすぎると増田らしくないけどちょっとだけお返事します。あと、全体に増田の言ってることはよく理解できるので、特に異論のないとこは省略するよ。
まず「更生と刑は両立する」のくだりについては、「それは日本の制度がおかしいのでは?」としか言いようがない。わざわざ更生させといて、それから殺す。それに何の意味があるのだろう、って、合理的思考ができる増田は不思議に思わないだろうか。だいたい、裁判でも「改悛の情が明らか」であることが減刑の理由にはなるよね。懲役刑だって、反省態度で仮釈放までの期間が変わる。これは実質的な減刑じゃないかな。駐車違反をネタに「反省したら刑が割引なんてないでしょ」という理屈は、ちょっと納得がいきかねるね。
次に「国家」という仕組みへの不信の話。
国家を信じないなら何を信じるのか、というのは旧きリベラリズムにとっての急所だし。そもそも国家が信用ならないなら、終身刑のほうが不安だ。国家が正しく終身刑をやりとげる、という「国家への信頼」はいったいどこから発生するのか。
実は君はここで、致命的なスキを晒していると俺は思う。
なるほど、立場が変われば見方も変わるものだなあ、と感心しながら読んだ。増田の周りの「旧きリベラリスト」たちは、そこで沈黙したのかなあ。
まず、増田は国家を信頼し、犯罪者を「裁く」目線で物を言ってる(一応言っておくがそれがいい悪いという話じゃない)よね。一方、旧サヨクに共感する私としては、国家というモノにいつ何時理不尽に「裁かれ」「殺されるかもしれない」という目線で物を言ってるんだよ。だから、国家が終身刑を「やり遂げる」ことができないとしても「ああ、やっぱりな」と思うだけだ。終身刑を誤るなら、死刑だって誤るだろう。そして、後者を誤るよりは前者を誤る方が、取り返しがつくだけマシだと思う。だって終身刑を失敗して誤って仮釈放してしまったとしても、誤りが判明したらもう一度収監することである程度取り返しはつくけど、「間違って死刑しちゃったわ(テヘペロ)」だと何をどうやったって取り返しなんてつかないんだから。(ここでも、増田は多分誤って釈放された凶悪犯を想定するだろうね。そして私は誤って殺される無実の囚人を想像するわけだ。これは価値観の問題、物の見方の違いとしかいいようがない。)
ついで、「国家に代わる何があるのか」「それが旧リベラルの弱点だ」と増田は言うけど、現代だって、日常的に人々が信じているのはもっと身近なコミュニティや属する組織なんかであって、「国家」などという漠然としたものによっかかって生きてる人って、霞が関の中にもあまりいないんじゃない? いたらあんなに不正がはびこらんでしょ。ああいう不正って、国家とかそういう漠然としたものじゃなくて、自分の目の届く範囲の狭い狭いコミュニティに殉じるからこそ起きるもんだよね。小さな組織、小さなボス、それに従うから、大きな外から見たら「不正」としか見えないことに手を染めるわけで、彼らがいくら「お国の為」と口にしようと、それは口当たりのいい欺瞞に過ぎないくらいのことは、増田にだって分かってるだろう。
それに、たとえば終戦直後、国家が国家として機能していなかったときも人はそれなりにたくましく生きていたわけで、国家がなけりゃ人はない、なんてことはない。もちろんそれが理想的な社会だったとは別に言わないけど、近代国民国家を〈唯一完成した人類社会の最終形態〉みたいに言うとなると、それは無邪気すぎるんじゃないかなあ。国家に不信を抱くのは、むしろ現在と未来を生きる人間にとっては必須の要件だ、くらいに私は思ってるんだけども。
それから、死刑をする最大の理由はお金だ、って話。増田はそれを「現実的」な立場で語ったつもりなんだと思う。その現実主義を揶揄するわけではないよ。けど、それなら次に述べる四つの点についてどう思うかは聞きたい。
米各州で死刑制度廃止の動き、経費削減のため https://www.afpbb.com/articles/fp/2572851
いや、死刑制度を維持するのって、意外とお金かかるんですよ? 「生かしておく方が金がかかるに違いない」というのは思い込みで、文明社会で人一人殺すというのはそんな簡単なことじゃないんだ。日本とアメリカで事情は違うと思うかもしれないけど、見方によっては日本の方が"殺し方"としてはより丁寧であって、それはつまり「よりお金をかけて殺している」ということでもあるんだよね。
さて、そうやって莫大な経費をかけて死刑を執行して、それで社会に一体どんなプラスがあるんだろう。増田も同意してくれたように、そこには見せしめとしての抑止効果もないし、遺族感情なんて不確かなものは宛にならない。つまり、死刑によって得られるプラスなんて、無いんだ。
一方、終身刑であっても、何割かの囚人がそこで「更生」したとする(何割かの更生は期待できる、という話は前にした)。彼らは自らの体験を語るかもしれないし、それが誰かに影響を与えるかもしれない。「更生」という言葉が語るように、それはプラスの効果であるだろうね。事件の全容が「更生」した犯人自身の口から語られることで、社会にあったセキュリティホールを少しふさぐことができるようになるかもしれないし、見落とされていた福祉の穴が埋まるかもしれない。また、道を踏み外しかけた人が、はっと踏みとどまれるかもしれない。何よりも、重大な罪を犯してしまった人でも、心から後悔し立ち直ってもう一度人生を歩もうと思えるようになれるのだ、というロールモデルを示すことは、社会にとって大きなプラスだと思うが、どうだろう。終身刑にだって、制度としての仮釈放はあるんだよ。
前の項目の中にもあげたことだけど、死刑というのは、犯罪の根源についての追及をそこでストップさせてしまう。なぜそんな犯罪が起きたのか、社会はそれとどう向き合うのか。どうすれば類似の犯罪は防げるのか。そういった議論を、全て、「我々の社会とは共存できないモンスター」のせいにして、封じ込めてしまうのがぶっちゃけ「死刑」という制度なんだよね。そういう目線で死刑と言う制度を考えたことはあった? 非文明社会、非文明国なら、それでいいんだよ。というか、それしかできない。たとえば、文明社会から離れた孤島で、30人くらいのコミュニティで原始的な生活を営んでいたときに、原因不明の殺人が起きたとして、明らかに犯人と分かっている奴がいたとする。そりゃそいつを吊るすしかないよな、なにせ原因が分からないし社会の不安を解消する方法がそれしかないんだから。でも、本当は深掘りすれば、殺人衝動を起こさせる風土病が原因だったかもしれないし、殺された奴に原因があったかもしれない。もっと文明が発達して、いろいろと調べる手段があれば、助ける方法があったかもしれないな、と、増田がその島にいたら思うかもしれない。私もそう思うんだよ。現代の「死刑」が、何もかもを明らかにして、完璧に調べつくして、その上で執行されている…というようには見えない。
いや、死刑議論は哲学だ、なんて言を弄するのは止めにして、もうこれいい加減真面目に考えるべきなんじゃないかと思うんだけど、世界で死刑制度の現況を見てみれば、
……という状況なんだよね。でもって、アメリカもさっきのニュースで見たような状況なわけで。で、君、どっちのグループに入りたいねん! て話なんだよ。こと”人権”という視点で世界と向き合う時に、死刑制度を存置しているということは、マイナスに働く要因ではあってもプラスに働くことは一切無いと言える。ここでも死刑制度は明らかに「高く」ついてるんだよ。死刑制度を擁護することは、実質的に人権問題において、中国やイスラムの側に立ちますよと言ってるに等しいわけで、これがリスクでなくてなんなんだろうと思うわけです。
というわけで、増田が「死刑制度を存置するのは、単に経済的合理性のため」という立場を取るなら、以上4点については反論する必要があると思うのだけど、どうだろう。
私は別に「美しい矜持を飾るためにお金払おうぜ」と言ってるわけじゃないし、別に経済的に合理的だから死刑を廃止しようと言ってるわけでもない。私が死刑を廃止した方がいいと思ってる理由は、全く前に書いたとおりだ。でも、単に経済的な合理性を考えても、実は死刑には合理性がないんじゃないかとは思ってるよ。
今まで何度か現実に死刑存廃の議論したことあるけど一番受け入れられたのがこれだった
凶悪犯罪に対して、懲役刑では軽すぎる。そこから死刑やむ無しとなるひとが多いのだけれど、実際死刑でも刑罰は軽すぎる
目には目をで考えるなら、凶悪犯罪に対する死刑は、目には爪をぐらいの話で全然成立してない
それなら現行法のなかで運用されてる刑罰懲罰をアレンジして妥当な罰を与える続けるしかない
例えば、こんな感じ
無期懲役を完全な終身刑にして、今も運用されてる座らされて壁一点を見つめ続けるという罰を生涯かす
いわば、一生反省させ続ける刑
廃止論者の意見はほとんど被害者を蔑ろにしてることに無自覚だから受け入れられないんだよ
罪には罰が与えられる
さてどうなる?
例1
貧しいホームレスがひと切れのパンを盗むという罪を犯した。権力者はそのホームレスに終身刑を言い渡した。
答え
人はこの不釣り合いに対してとてつもない不正義を感じます。この均衡を取ろうとするのが人の正義感と言えるかもしれません
では、次
本題
強盗目的で民家に侵入した男は一家の先ず娘を強姦、その娘を巻き込むためその弟を殺すよう命じます。娘が拒否すると目の前で弟を刺殺。帰宅した家族も次々と刺殺。両親、祖父母も含め合計5人を殺害しました。この加害者には、終身刑が言い渡されました。
私が死刑やむ無しと考える理由は、終身刑では罰が軽すぎると感じるからです
皆さんはどうなりましたか?
国家が人権を制限するのは必要最低限に留めないといけない、というのが基本的な思想としてある。
まずここで相容れないなら話をするだけ無駄。
とりあえず、社会全体の秩序のために秩序を乱した者の人権をいくらか制限する合意が取れたとして。
秩序を乱した度合いに応じて、一定の期間身柄を拘束し、社会復帰のための教育や作業に従事させることにする。
これが懲役。
じゃあ、どうしようもないくらい秩序を乱して、更生もほとんど望めない場合は?
無期懲役というものがある。無期限に身柄を拘束することで、再び秩序を乱すことを防ぐ
無期でも出てくることがあるじゃないか、という指摘をする人には、現代の無期懲役の運用を調べてもらいたいと思う。
それでも足りないという場合でも、そのことがすなわち死刑の必要を生むわけではない。
(ちなみに私は死刑と同様終身刑にも反対である。たとえ建前上のものであっても、人権の制限は一時的なもので、更生を期待するものであってほしいと思う。)
ここで、釈放される見込みのない無期懲役(あるいは終身刑)と、死刑の違いを考えてみる。
冤罪について言われることも多いが、個人的にはそれは別ベクトルの問題だと思うのでここでは言及しない。
まずひとつはコストの違いだ。刑務所は金がかかる。人ひとりの生活費に加え、土地建物、人件費、とても刑務作業では賄いきれないコストがかかる。
死刑で済ませてしまえばある程度は浮く。とはいえ現段階で死刑囚は112名。
死刑囚なんかに税金を使いやがって、という感情面を抜かせば国家予算からすると微々たるものだと考えられる。
もうひとつは感情の問題だ。死刑になるような犯罪はほぼ間違いなく殺人が絡む。
遺族の気持ちからすればなんでアイツだけ生きているのか、殺してほしい。と考えるのは当然のことだ。この気持ちは十分に尊重されなければいけない。
しかし遺族を盾に無関係の人間が社会正義を振りかざし、エンターテインメント的に悪人を断罪するのは下種の極みだ。
これはハッキリと区別して考えなければいけない。
というわけで、釈放される見込みのない無期懲役を死刑に置き換えることによって得られる社会的なメリットは
ということになる。
私にはこれらのメリットが死刑という人権侵害の権利を国家に与えるに値するものとは到底思えない。
なので私は死刑廃止派です。
丁寧に書いててえらいと思う。意見は異なるが。
>いわゆる凶悪犯罪に関する資料を読んでいると、「人を殺したら死刑になる(からやめておく)」みたいな歯止めが一体どれくらい有効なのか
ご存じだと思うが、それは歯止めにならない、がファイナルアンサーでもう出てしまっている。
死刑ある国と無い国の比較、死刑があった時代と無い時代の比較は、データで用意だからね。
それは今の時代、制度側も先刻承知なので、抑止の為に死刑をするわけではない。
抑止にならないから死刑止めよう、って意見は成り立つが、今は少し弱い。もともとそれ狙いじゃないから。
>更生出来る人がいるわけだから、それを否定するのはおかしいとも思う。
ここは明らかにおかしくて、少なくとも日本の死刑制度は、「更生したうえで死ぬ」ことを求めている。
死刑がなかなか実行されないのはこれが理由。麻原彰晃の死刑がなかなかされなかったときに、まだ反省た足りないないから、という理由で先延ばしになってたのが有名だな。
それは日本独自の礼だけども、反省しようがしまいが刑は刑なのが普通だ。反省したら駐車違反罰金割引とかないでしょ。
ここは同感。そもそも感情に配慮とかで司法判断を左右するべきじゃないし、感情は個々人や時間によっても変わる。
その日殺してほしかったが、明日は生きて反省してほしいということもある。
>「国家」という仕組みを自分はそこまで信頼してないんだよね。
結局のところここが全てで、20世紀リベラル教育を受けた世代としてらしいセリフ。君の言う通りここが根幹なのではないか。
ただ現代では、国家よりも国家以外(大衆など)がもっと信用ならないのがバレてしまっているので。ネトウヨと言われるかもしれんが、こういう考えはどんどん無効になっていくだろうと確信している。国家を信じないなら何を信じるのか、というのは旧きリベラリズムにとっての急所だし。そもそも国家が信用ならないなら、終身刑のほうが不安だ。国家が正しく終身刑をやりとげる、という「国家への信頼」はいったいどこから発生するのか。
実は君はここで、致命的なスキを晒していると俺は思う。
>「いや、実はお金がないからお前には死んでほしいんだよねー」って話になってる
遺族感情に配慮すべきではないし、抑止効果はないし、国家の信用の有無は判断基準になり得ないのだから。
でもさ、逆にいったら、金がかかるんだよ。文系哲学やってると金を軽視しがちだが、これは実に重いぞ。
大金をかけてまで、終身刑の人生を、つまり終わりなき苦痛を作っている?
大金をかけてまで、ほんのわずかだが、再犯や脱走のリスクを作っている?
言い方次第でだいぶ話が悪くなる。終身刑と死んでるのとどう違うのか、って指摘している人もいっぱいいるよな。
お金っていうのがさ、いわば他の人の人生のわけじゃない。血税っていうじゃない。我々の血をかき集めてそれをやっているわけだ。
最終的に「死刑をしないことにその金をかける価値があるのか」という判断にしかならない。
だからさ、俺には死刑反対派の意見ってのは「美しい矜持を飾るのためにお金を払おうぜ」と言ってるようにしか聞こえないんだよな。
死刑しないことによりメリットも、死刑することによるメリットも、正直薄すぎるよ。
だったら、コストを使わない、という判断になるのが普通だと思う。
まあイルミネーションみたいなもんにコストを払うのは自由だし、皆で話していざ死刑廃止になったら止めやしないが。
でも、今コスト使ってないものを、もっとコスト使おう!とする理由が無い。
死刑制度が無ければ、自分の大切な人間を殺した人間に報復しても制度に殺される心配が無いから、廃止した方が良いやん?
……というのは冗談だけれども、「復讐したい」という気持ちと「死刑という制度への反対」は同時に成立し得るわけで、その二つを直結させるのは、ちょっと飛躍があるよ。同じく、死刑制度存置派が悪でリアリストで、死刑制度廃止派が善でグローバルスタンダード、みたいな思い込みも、ちょっとものごとを単純に見過ぎているよね。
個人的に感じる、そもそも漠然と「人を殺すこと」への忌避感は、「死刑だ!」と叫ぶ人の中にも当然あるわけだよね(だからこそ殺人に対して過剰に反応するわけだから)。だから、「人を殺してはいけない」という規範と整合的なのは、むしろその「人を殺したくない」という気持ちであって、制度をそちらに寄せて設計するというのはそれなりに理には叶ってると思うんだよ。死刑制度が必要と叫ぶ人は心の中では、周囲が蛮族しかいない状況で暮らしていて制度的にそこまでキツく縛らないと誰もが人を殺しかねない、と感じているのかもしれない。……まあ、昨今のニュースを見ていると、ここが蛮族の地であることを、いまいち否定しきれないけれども。ただ、安心を求めたいのは分かるとしても、それはいわゆる「お気持ち」であって、本当にそれが制度としてベストなのか、っていうのはまた議論の余地があると思うんだよ。
たとえば、いわゆる凶悪犯罪に関する資料を読んでいると、「人を殺したら死刑になる(からやめておく)」みたいな歯止めが一体どれくらい有効なのか、まさに「現実的に」考えて疑問に思うことはあるよね。どちらかというと、「人を殺したら自分が殺されるから利益が無いな」と考えて殺人を止めるという思考はほとんどサイコパスの(=極端に合理的にしか物事を処理できない)それであって、一般的な人は、よほど追い込まれたか自暴自棄になって殺人を犯すんじゃないだろうか。だとしたら、「死刑がある」から歯止めがある、という論には説得力がないよね。まあ、「自殺したいけど自分で死ぬのは怖いから死刑になるような犯罪をやりました」とかいうとんでもない人間がいる時点で、歯止め論は破綻しているんだけども。
いわゆる凶悪犯罪(殺人も含めた)を犯した人が社会に戻って、再び刑務所に入る確率って、だいたい1~2割だと言われている。やっぱり1~2割のヤツは凶悪じゃん! て思うだろうか。それとも、刑務所帰りの人にそれなりに冷たい社会であるにも関わらず、凶悪犯罪をする人だって、状況が違えば、あるいは、適切な教育を経たなら、8~9割の人は殺人なんかしない人だった、と考えるか。これは、半分水が入ったコップを眺める楽観論者と否定論者の議論のようなもので、取りようによって見方によって異なるのかもしれない。けれども、これが(すぐ隣にある)死刑囚にも延長して考えられるなら、少なく見ても「死刑」になる人の7~8割は、状況が違えばそんなことしなかった、「普通の人」なんじゃないだろうか、と推測することは可能だ。まあ、そういう風に考える人も世の中にはいるという話として聞いて欲しい。
……自分自身が、生まれつきそんなこと考えるほど楽観的な人間観をもっていたわけではないんだけど、上のように考えて実際に行動に移す人が世の中にはいるんだよ。そして、多年にわたる行動の結果、「どう考えても救いようなんてないヤツ」としか思えないような言動をしてた死刑囚から、真人間のような言葉を引き出すのに成功したりもしている。いや、そんなことお前にできるのかと言われても、普通にできないと思うよ。でも、出来る人がいるわけだから、それを否定するのはおかしいとも思う。実際やってる人は強いよ。死刑制度というのは、そういう人や考え方を否定する制度だと思うんだよね。それって、おかしくないか。
よく言われる「遺族感情」というヤツ、これもくせ者だと思う。遺族感情って何だろう。遺族は全員「復讐」を望まなくてはいけないのかな。復讐を望むことだけが「正しい遺族」なのかな。なんでそれが決めつけられるのだろう。だって、物語とかなら誰だって言うじゃん、「復讐は何も生まない」とか「復讐にとらわれるのではなく、お前の人生を生きろ」みたいな。で、大体においてそれは正しいよね。現実世界でも同じだと思うんだけど。警察があり裁判制度が整備されている現代では、(死刑制度の有無は別として)不公正な行いに対しては社会的に処罰が行われ、個人的な敵討ちをする必要がなくなっている。それは何よりも、「復讐」から個人を解き放つことが社会としては「正しいこと」だと考えられているからじゃないかな(だから、冒頭の話は私の本音とかではなくて、ただの冗談だよ?)。死刑を存置する理由として「遺族感情」をもってくるのは、個人的には危うい理論だと思う。そもそも検証できない一時の感情を絶対の事実のように語って全体の制度の前提にする危うさ。だから「遺族感情」論にも説得力を感じない。実際に遺族になってみないと分からないし、自分がそうなったとき何を感じ何を望むかは分からない。少なくとも、誰かに勝手に自分の錯綜する内心を決めつけて欲しくないとは思うと思う。
そして、もう一度「更生」に関する話に戻るけど、そんな手間を一人ひとりにかけていられるわけないじゃん、って「リアリスト」的な方々から反発の声があがることも予想できるんよ。でもちょっと待って。それって「余裕が無い=お金がない」という、ただそれだけの話だよね。じゃあ、死刑賛成派のリアリストは、「悪いことしたからお前ら死んで」と言うフリをしながら、本当は「いや、お金がないからお前死んで」って言ってるってこと? それってひどくない。何よりも、そもそも「殺人は(理由のいかんを問わず)許されざる罪」というのは、死刑賛成派の大義名分だったのではないのか。そして、百歩譲って「その殺人の罪が余りにも重いがゆえに、死をもってしか購えず」というのが死刑肯定の最後の妥協点であるはずではないの。なのに、いつのまに「いや、実はお金がないからお前には死んでほしいんだよねー」って話になってんの? それ、お金目当てに強盗殺人とか犯した犯罪者の言い分とどれほど違うのか教えてほしい。そんなこと言う人間に、誰かを裁いて死なせる権利が本当にあるの。自称「リアリスト」による死刑賛成論にも、こうして同意はできないことになる。
そして最後に、これは同意されるかどうかは分からないけど、「国家」という仕組みを自分はそこまで信頼してないんだよね。明治、大正、昭和と近代史を勉強したせいかも分からないけど、ものすごく大雑把に言うと「国家」だって運営しているのは人間なので、とても未熟な人間がやらかしがちな誤りを犯すことがよくあるんだよ。善意でつくった法律がとんでもない運用をされて混乱引きおこしたりとか、末端の人の過大解釈を引きおこしたりとか、それによって取り返しの付かない傷を国家が負ったりとか、そんな事例が山ほどあるのね。その中でも特に致命的で取り返しの付かない被害を引きおこしかねない制度が「国家が国民を直接殺せる制度」なんだよ。たとえ獄中であっても、生きていれば、体制がまともになったときに再び戻ることもでき、取り返しがつくこともある。だけど、死んだら全て終わりなんだ。その意味では、余談になるけど、東京裁判で戦争犯罪人を死刑にしたのも、本質的には誤っていると思ってる。東京裁判自体が勝者の裁きであり……云々という話もそうだけど、彼ら戦争犯罪人に真の意味での「責任」があるかないか、生きて語らせた上で、占領終了後に改めて日本人自身の手で検証をさせるべきだったと思う。危険だと言うなら、終身刑として、検証まで徹底的に隔離して置けばよい。彼らを死刑にしたのは、復讐と、象徴的行為(つまり見せしめ)と、それから一歩踏み込んで言えば、別の責任者を免責するためという、きわめて政治的な行為だったんだろうね。戦争をきちんと精算しきれていない、という問題は、そのせいで今も日本に残る「疚しさ」という課題になっている。まあ、多少の「疚しさ」がある方が結果的には全体として健全さを保てる、という見方もあるから、そのことを100%否定したいわけでもないけどね。
まあ、まとめると、元々あった漠然とした「人を殺すことは正しいのか?」という疑問、更生に関わった人の記録、制度的矛盾への気づき……などから、20代半ばからゆるやかに死刑には賛成できないという立場になったという感じ。死刑賛成論が、純粋な正義感から発していることは重々理解する。けれども、今のところ「消極的に、現状を追認し、急激な変化への対応を先送りする……」以外に、現代において死刑を存置すべき理路が全く見当たらないんだよね。というわけで、質問に答えたので逆に教えてほしいんだけど、死刑を存置すべき、何か自分には想像もつかないような理路が他にあるのかな。それとも「死刑は行うべし」というのは、増田にとってはもう公理なのかな。