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はてなキーワード: 作為的とは

2021-03-26

結局Youtubeだの何だのと言いながら

一般化するに従って内容がワイドショー化しているので、自分にとっては雑音化しつつある。

TVオワコン作為的などと言いつつTVと同じところに丸く収まりつつあるところを見ると、TV番組構成作家視聴者におもねり続けた結果生まれた、と言っても言い過ぎではないように思える。

2021-03-17

なぜ人間感情大事にしなければならないのか

人間感情など所詮脳内化学物質が生み出した作為的幻覚にすぎないのになぜ配慮しなければならないのか。

なぜ人間マザーシステムにすべてをゆだねないのか。

システム統合すれば苦しみや痛みから自由になれるのに…

2021-03-08

anond:20210308154131

東京だとSAPIXと(ケンブリッジ、ほか)英検で、地方だと簿記珠算で、田舎だとなにもない。

これが日本人作為的に作り出した知能カーストなんだよね。

田舎は何もなくていいんだとか、地方人間には英検必要ないんだとか、そういうカースト制をずっとやり続けてきたのよ。20世紀の終わりまで。簡単支配できるからね。

ところが、これをやったおかげで、東京クオリティ1995年で止まってしまって、その現状維持上京地方人と上京田舎者が担っているんだよね。

これはおかしなことではないかと気が付いたのがトリーバーチ増田日本から捨てられた街増田スーパーが二度つぶれた街に生まれ増田(これは私)。

スマートフォン恩恵で、「東京人があんまり賢くないじゃないか、これはどっかまちがってるんじゃないか」みたいなことを、いろんな人が感じ始めた。

今更気が付いてももう遅いんだけど、この調子少子化が始まると、大学は無試験で入れたり、義務教育化するはず。

そうなったら、娯楽や誘惑の少ない児童のほうが、東京人より優秀になるかもしれないね

30年前なら「絶対無理」だったことが、可能になり始めてきている。東大問題もすごく親切だし、このまま東京人がクオリティを支え切れるのか微妙になってきている。

2021-03-04

ネット統計の怖さ

たまにネット上の膨大な〇〇を集計して統計しましたって人を

twitterでも増田でもブログでもよく見かけると思うんだけど

あれって誰も再検証しない訳だから嘘書いてもバレないよね

明らかに可笑しいとなると再検証を始める人も出てくると思われるけど

多くの場合には集計方法がわからないのと膨大な時間がかかると推測して行われない

そうすると嘘つき放題な気がしてくるんだよなぁ

集計結果で1位と2位を入れ替えるくらいのことは朝飯前で

集計すらしてないのに集計の結果こうなりましたと作為的にそういう記事を書くことすらできる

誰もしないようなニッチ統計なんかは一度書かれると何十年もその嘘が信じられる可能性もある

多くの人は善意暇つぶし探究心で行ってると思ってるけど嘘を付くことが生き甲斐な人も無双できるのがネット統計の怖さだと思う

2021-01-13

anond:20210113002952

おうむ返し、ミラーリングは基本・・・なのだけど、最初作為的コミュニケーション、と感じるのは仕方ないかも。

相手に合わせる」ことが基本なので、慣れてきたら、

ミラーリングやおうむ返しする割合を下げていけば良い(表現は変えずに)。

慣れてきたら、相手言葉の一部をつまんでおうむ返しすれば、より自然な会話になる。

大事なのは相手に合わせる」ことであって、「相手操作しようとする」ことでなければ、

その姿勢は、ちゃん相手に伝わると思うよ。人間同士のコミュニケーションなので。

2020-12-24

何も起きない平和日本で何よりですね

国のトップ不法行為を犯し司法がそれを作為的に看過する事案なんて国が国なら暴動でも起きてるんじゃないのか?

オリンピック予算増額だってそうだ。疫病のために医療従事者を含め国民が軒並み困窮しているのを尻目に利権団体丁重おもてなしだ。

それでもみんな「マスコミ仕事しろよ」「司法しっかりしろよ」「警察はなにをやってるんだ」と他人事だ。あのさ、国っていうのはあなたたち一人ひとりが集まって作られてるの。この国は決してエリートたちだけのものではないのよ。主権をもった自主的運営が認められているの。

いつまで寝ぼけたこと言ってんだよ。起きろ。

2020-12-03

作為的ランキング投票

ジャンルの新作が久々に出た。ちなみに媒体小説だ。

小説の年間ランキング投票中!ってのを聞きつけて、

ファンなら新作にみんな投票してね!私たちの力でジャンルの新作を一位にしましょう!拡散希望

とやってる輩がいて、うわ…って思った。人に投票しろっていうのもいやだし、ランキング操作してやろうという気持ちが本当に嫌

そして、一位になったんだけれどめちゃくちゃ複雑なきもち

呼びかけてたやつは当然でしょ!ってドヤってるけど、自分はそういう操作や行動なしに一位をとってもいい作品だと思うから、見えるところでそういう活動はやめて欲しかった…

一位でも全然嬉しくない

2020-11-28

ブラウザお気に入りを公開した愚痴に百件ほどブクマがついた者です

あの記事に対する反応に対して補足したいことをまとめる。

ブラウザブクマ公開したのにコメントはおろか星1つ付かないんだが

https://anond.hatelabo.jp/20201127132423

まずSEO対策がどうのとか、Google Analyticsがうんたらかんたらと、事の本質を弁えていない的外れな親切心による書き込みが目立った。

公開媒体が「ブログ」だったというところに引っ張られ杉だろと。

元々あれって5chのダウソ板で検索能力が足りないと言われたことに対する皮肉として、「アングラ界隈のアーリーアダプター」という記事と1セットのものなんだよね。

からその記事増田で公開したのと同じように、ブックマーク増田で公開できることがベストだった。

そうすれば記事と公開されたブックマークが地続きなものとして認識されただろう。私をコケにしたダウソ民にも、人間それぞれ偏ったところがあるだけで、私が特別検索能力において劣っているわけではない、検索が得意な分野が別だっただけだということが理解されたはずだ。

だけども増田リンクを何十個も連ねることはできない。これは後から知ったことだ。

そこで急遽はてなブログアカウントをとってブログという場で発表したのだった。「ブログ」は単なる場・手段に過ぎない。

ようするに5ch民をギャフンと言わせるための一発ネタに過ぎないのだ。グーグル登録しろサイトデザインの所要期間が数ヶ月とか、的外れに程がある書き込みであること、ご理解いただけただろう。

条件が許せばその場はツイッターでもよかったのだ。でもツイッター欠点は見過ごせないものだった。

ツイッタースレッド機能を使えば長文も投稿できる。それならスレッドとしてずらづらとブックマークを載せまくることも出来ると思うだろう。

少し想像すれば分かると思うが、十、二十というツイートにまたがったものを見ること自体読みづらいに決まっているのだ。

ブログとしてなら1ページで済む(実際は3ページ=エントリ投稿してしまったが)それだけの話だ。

自分の試みのユニークさには自信があった。自尊心が過大化したきらいもある。そこは反省したい。

でもだからこそ、やって来た反応を徹底的に打ち返すことで、あの試みの問題点あぶり出しにつながった。

議論議論を呼び、人を呼び、異なる見方を呼んだ。

最初は数十分待ってやっと一件の「エントリ6つしかないお前のブログなんて誰もみてねーからだろ」という書き込みがついただけだった。

それに対して否定的な返信をし、次についた返信も否定するということを繰り返していくうちに、新規書き込みが付く間隔が短くなっていた。

増田トップページに私の記事に対する言及が目立つようになった結果だろう。ここまでの過程には自惚れによるところもありながら、計算していたところもあった。

ホッテントリ入りして何百件とブクマがついてる記事増田上での議論自体盛ん=トラバのツリーが複雑化しているものが多いなと思っていた。

以前漫画男性向けや女性向けでカテゴライズされている合理性を問う記事ものしたことがあったが、それは70件ほどしかブクマがついてない。

(https://anond.hatelabo.jp/20200923144622)

そのときは私は元増田として増田上の議論に一切書き込まなかったのであった。

アーリーアダプター記事にしてもそうだ。数件ブクマがついてもそこで止まる。

そういう記事と、百件を超すブクマがつく記事の違いは何か。ブクマユーザー訪問者に増田のものが香ばしくなっていることが印象付けられるような状態になっているか、否か、だと思った。

から自尊心を満たす私利私欲なかに、以前からの仮説を検証したいと思う冷静さを一つ、今回は元増田として積極的議論に参加したのだった。

記事のもの後日談みたいなのが長くなりすぎた。閑話休題

ここからブックマークを公開するという試み自体について補足を。

はてなブックマークのようなソーシャルサービスの中で自分が訪れたサイトを公開するのと、ローカルに保存しているブックマークをあえて公開するのとでは意味合いが違うことは議論の中で何度も言った。

ほとんど誰も分かってくれない。議論に熱が入ってたあの状態では至らないところが多々だったと思われるので、ここでも改めて説明しておきたい。

ソーシャルブックマークは、口コミとしての役割・意義が大きい。それがリストとして他人に見られることが予定している。

そこらへんに自覚的になって本人はソーシャルブックマークサイト登録しているはずだ。むしろ他人に紹介するのが目的になってネット散策するぐらいの人もいるかもしれない。

ソーシャルブックマークを「自分のための」「備忘録」として使っている人は少ないと思われる。他人まなざしのほうが意図されている。

一方ブラウザお気に入りは、他人に見せることが予定されていない。他人の目に触れないことが前提の空間から、極めて猥雑になりがちだ。

それをありのまま、包み隠さず見せる。なんか昔2chでも「俺の画像フォルダが火を吹くぜ」みたいな企画流行っていた気がするが。

あいうのはは画像を見せつけることが主流だったし、企画のために用意された作為的なところを感じた。そうでないとしても、見せて支障のない一部のみを見せていた感じがした。

そうではなくブックマークをまるごと公開する試みがあったろうか。私は見たことがない。

ジャンルに分けろとか言う人がいるが、あれは登録された時系列順になっている。当人の興味がどのように変遷したのかの写し鏡になっているところに意味がある。

ジャンルに分けた時点でその有機性が崩れるのだ。ジャンルに分けることで利便に資する昔ながらのリンク集」とも意義が異なるのだ。

リンク先がどんなところなのかを解説をつけろと言う人がいる。それもまた、ありのまま意味があるものに下手に脚色を加えることによって、総体としての価値を下げてしまリスクを持つことだと思うのだ。

タイトル説明的になっているリンクも多く、そこから想像を膨らませて生まれときめきもあると思う。下手な解説は、むしろ邪魔だと思う。

名前けが並んでいるところにこそ、正体不明ガラクタの詰まった箱を手探りで物色していくような、おかしみがあると私は思う。

しろ最近は整理されたサイトが多すぎる。ワードプレスなんかで作った感まるだしのデザイン的に味気ないサイトだらけになっている。

APPによるはてなツイッターボタンがついてるならば役満だ。その二点セットを整えたサイトであふれかえっている。

反応してきた人の中に、タイトルから内容を類推できればそのサイトを知っていることになるという人がいた。

これこそ、画一的デザインサイトが横行していることになんとも思わない感性による考え方だと思う。

たとえば数学といえば、金沢工業大学サイト独習テキストとしてまとまっていることで巷で有名だが、小綺麗に過ぎる(それでもワードプレスは使ってないぞ)

でも同じ数学という内容でも「宇宙人数学」なんてサイトはどうだろう。

内容自体は高階の微積分についての数学マニア定理を集めたという、数学趣味でかじっている人間からすればありがちなコンセプトだが、トップバナータコが墨を吐いてるわ、宇宙イメージした野山の夜空が背景になってるいるわ、おおよそ数学を内容としたサイトにはないデザインだ。「宇宙人数学」というタイトル自体、遊び心があり、言い得て妙ユニークだ。

ワードプレスで書かれたドストエフスキー解説記事よりも、「どすとえふ好きーのページ」のほうが心が潤う。

こういうサイトは、画一的サイトが氾濫した今にあって、目を浄化させてくれる、心のオアシスのような存在なのだ

トレンドブログのように馬鹿丁寧にわかやすキャッチータイトルで人を釣っていくサイトが多い中では、少しでもユニークであること、あるいは不親切であるぐらいのものが、新鮮に映ると私は思う。

だいたいのソーシャルブックーマークは一ページに10件程度表示して、もっと見たいなら次のページに送ることを要求される。

その点でも、リンク淡々と何百も列挙しただけのサイトは異彩を放っているのではなかろうか。

載せてあるブックマークにはリンク切れのものも多い。グーグル2010年以前のサイトインデックスから削除することを明言しているのだから、こうしたサイトの中にはもはやどんなキーワード検索しても出てこないものもあるだろう。

インターネット・アーカイブには残っているかもしれない。しかし何の手がかりもない状態インターネットアーカイブから私が今まで発見したレアサイトを探し当てるのは現実的時間の中では(そう志した本人の一生涯では)不可能だろう。レアサイト、かつ、ある特定趣味嗜好を持った人格が興味を見出しものの集まりとして、そのサイトを実際にアーカイブから閲覧するための道標玄関口としての価値はあるだろう。

登録してあったサイトには、もはや今の自分にはどうやってそのサイトを見つけたのか分からないものもある。

goddes artstudioなんかそうだ。サイトタイトル検索しても出てこない。自分でさえURLの直打ちとかでしか訪れることができないのだ。

(http://www.godees.net/)

ロロナのアトリエに「ギャンブルゲイン」という用語が出てくるが、ずばりこの言葉検索しても、完全一致した関連するサイトトップからずっと出てこず、6ページ目ぐらいでやっと攻略サイトの「ギャンブルゲイン」に関する解説を含む記事が出てくるということがあった。この複雑怪奇キャッシュ構造では、サイトタイトル検索しても当のホームページトップに表示されないのもうなずける。

検索技術が昔より衰えていることはないはずだが、サイトを見つけ出す感性みたいなのは、一部変質してしまったのかもしれない。

検索は奥が深いのだ。タイトルから内容が類推できるから「そのサイトを知っている」ことになるなど、飛躍もいいところだ。まずそのサイト検索結果に表示させるためのキーワードの組み合わせを提示してみろというものだ。

そもそも内容が類推できるって、たとえば「御金せびり」みたいなキャラクター名前っぽいものタイトルに入ってるからと、「これは漫画とかゲームに関するサイトだろう」と思えることが、知っていることになるというのか?

ある東大博士論文を見たが、どんなに難解でも、それが数学に関することぐらいはわかる。だからとその論文について知ってることにはなりえないのと同じだ。

(http://gakui.dl.itc.u-tokyo.ac.jp/cgi-bin/gazo.cgi?no=115520)

私に自信過剰のきらいがあるのは、検索の達人関裕二とかいう者の存在が尾を引いている。

達人などと自称するその人の本に書かれていたことの全てが、自分がごく自然実践していたことだった。

その程度で達人と自称した本の出版同業者違和感なくできてしまうぐらいなら、自分は既に遥か高みにいると思った。当時高校生である

学友からも君はマニアックだねと盛んに言われた。それは小中学校までの環境で言われるのとは意味合いが違う。いろんな地区の人々が集まっているのだから

その皆からマニアックだねと言われたことをもって、全国から私はマニアックなサイト蒐集家だと認められると判断するうえでの標本しても問題ないと思った。

ネット晒したことでお前は大したことないと言ってくる輩は、圧倒的なを見せつけられたことに対する負け惜しみに過ぎないとしか思えなかった。ネットに書き込む輩は偏屈なやつばかりだから

世の中は、ある点において、誰かが一番に違いないのだ。あなたかもしれないし、私かもしれない。

でもサイト収集という点においては、単純な量とかではなくどれだけ見つけるのが難しいサイトを見つけてきたかとう総合的な評価尺度においては、(特に当時の)私が一番だと思う。

昔は感性もあったし、運も味方していたと思う。マニアになるには、情報アンテナに引っかかるような運も、必要だと思う。

このような自負が回線を隔てた他人からは若輩者がイキってるように見えるのだろう。

しかし必ずしもそれが分不相応なイキリと決めつけることこそがおかしいのではないか。全くネットに触れすらしない人間よりは、ネットサーフィンに熟達してきて自負もある人間の方に、世界一サイト蒐集であるという点に関して分があると考えるのは妥当だろう。なぜかネット民はネット露出する匿名一般人とおぼしき人間がある点においても一番であることはありえないと考える。「能ある鷹は爪を隠す」ということわざ支配されてるのだと思う。

他人世界一だと考えることを絶対に偽だと否定する希望的観測は、自分が一番だろうと考える穏やかな希望的観測よりもたちがわるいと私は思う。

薬膳サイトがあると思ったら、有機化学美術館なんて化合物模型を載せたサイトがあって、軍装の通販サイトあり、同人サイトありと、ブックマークの内容は総体として縦横無尽一言に尽きるといえよう。

登録されているサイトと内容が似たサイトは他にもあるはずだが、大事なのは、そのサイトの見つけづらさだ。

同じようなサイトでも、一朝一夕その分野に触れただけで見つけ出せるものもあれば、運も味方するほど長い間打ち込んでいなければ見つからないようなサイトもある。私が登録しているものの多くは後者だ。

(今更グーグル検索結果も登録してるじゃないかとか揚げ足はとらないでもらいたい。)

昔の自分自身に所在を聞きたいサイトがあるぐらいだ。TRPGサイトとか、旧日本軍機密文書サイトとか。前者は、タイトルに「白薔薇薔薇黄薔薇」とかあったのを覚えているので定期的にキーワード検索を試みるが、未だ出会えた試しなし。

2020-11-05

フェミ作為的炎上を仕掛けてると言ってる人、大統領選の200%云々も本気にしてそう

リテラシーなさそう

陰謀論好きそう

anond:20201105142436

そういうのが見えなくてフェミガー言ってる奴の視野認識が偏ってるだけなんだよな

誰かが作為的炎上を仕掛けてるんじゃなくて、自然に広まっただけだし

一人一人はきっしょと一言言ってるだけで、それが何万といるか結果的炎上になってるだけ

話題が遅れて伝わった人もいるから今になって反応している人もいるわけで

同じ人がずっときっしょきっしょきっしょとつぶやき続けてる訳でもないし

2020-10-17

anond:20201017164429

学問の自由がなくて作為的コントロールされてるから、僕らの分野に予算回してくれなくてあいつらの分野ばっかり依怙贔屓するんだ!って展開もワンチャンある。

アホみたいだけど最悪の想定ってのはそういうケースも想定しないといかん。

2020-10-03

anond:20201003205823

なんか無関係僧侶がやってきてるけど、それは置いておいて

増田は感じないかもしれないけれど、一般的性的な暗示が含まれると解釈できない?今回のは偶然セクシャルになってしまった産物というよりも、作為的広告だと思うけれど

2020-07-18

ネットでの誹謗中傷を身近に体験した時の話

 その頃まだSNSは今ほど隆盛ではなくて、ネット上で匿名をたてに誰かを悪く言うといえば、定番ひとつとして掲示板サイトがあった。

 当時、というかそれよりずっと以前からあったのを私が知らなかっただけなのだが、活動していたジャンルで、同じジャンル内で活動している人の中から誰かをピックアップして面白おかし嘲笑うというスレッドがあった。

 それを見つけた誰かがSNSリンクつきで報告し、そこから、私のような地味担当にまで聞こえてくるほどの話題になった。

 まだ(確か)若く、オタク活動幸福楽しい一面しか知らない私には衝撃的なほど、聞いたことくらいはあるあの方この方を名指しで、どこが悪い、ここが拙いと作品批判からまり、本人の人間性について憶測中傷し、笑い、あるいは敵意を隠さず罵るといった、その様相愕然とし、それなりに長い間、その掲示板スレッドに貼り付いて一言一言を脳に刻んでいた。

 その内、社交的でそれなりに人気もあって、少々は目立つ部類であろう、私の友人がそのやり玉に挙げられ始めた。彼女の周囲の人物として、批判はないながらも自分の名が挙げられたのを見た時には、自分が何を感じたか認識するよりも早く、嘔吐した。

 匿名で、明らかに誰か判らないから言うのだろうと思うような下衆な発言が繰り返される中、驚いたことに、友人は、明言しないながらも考えれば気づきそう、或いは違うとしても本人だと勘ぐられかねないほど、正面切ってその場で反論し始めたのだ。

 その手の誹謗中傷なんていうものは、知っている人間から見れば明らかに根も葉もない内容で、しかし驚くほど、ちゃちなやり方ながら、雑な根拠といい加減なソースなんかを提示して、それらしく見せてくる。

 現在SNSほどでないとしても、企業偽装マスメディアやらせ作為的フェイクニュース話題になってまだ記憶に新しい頃で、見え見えながら悪い意味でよく見習い踏襲された話題の運びに感心するほどだった。

 話題の刺激があれば充分で内容の虚実を必要としない目線からみれば、心を痛めるにも潤すにも、充分な燃料だろうと見えた。

 それで私は、彼女のやろうとしてる反論は不利だと考え、彼女自身にもそう伝えた。黙っておけばどうせ話題の旬は過ぎて、深く考えていないように見える彼らは忘れてしまうだろうにと。

 その時彼女が、恐らくは憤り混じりに言ったことを、きっと一生忘れないだろうと思う。

匿名掲示板は、誰もが言いたいことを言っていい場所として提供されている。それなのに何故、間違ったことを言っているやつらが好き放題を許されて、間違っていない私が黙らなければならないのか」と。

 私は一瞬言葉を失い、それから、ごもっとも…と彼女の言い分に白旗をあげ。けれど、陰口好きの類に彼女ほど詳しくも、弁舌巧みでもなく、参戦は恐らく足手まといであろうと考え、何かあれば、どんなことでもいつでも連絡して欲しいと告げるのみに留めた。

 その騒ぎ自体は、長い間うんざりするような泥仕合を続け、繰り返して、予想に違わず話題は次々に変わり、もう追ってもいないので判らないながら、ご存知の通り、同じことが今も世界中で続けられている。


 私は、彼女の言い分はもっともだと考える一方で、匿名を笠に着てよく知りもしない相手をあれほど悪し様に罵れる彼らは一体、何をどうしたのだろうということも非常に気に掛かった。

 その事情は知れないながら、地獄だなあと思う。

 他者攻撃しなければいけない状態にあることそのものが、地獄だ。と、言って意味が通じるかといえば、渦中にとっぷり身を浸し、その刺激に酔って何某かを得られる状態では、恐らくそう感じることもないだろうとも。

 自分よりも弱い者をいじめることは快楽だとはよくいうし、その意味も分かる。そういう状態、そういう心理があることは、知るべき、認めるべきで、そこからでないと出発点に立てはしないが。

 人を殴らなくても生きていける心安さは、人を殴って得られる快感よりもはるかに大きいと感じているし、知って欲しいと思う。

 私達は誰も怪物ではなく、けれど生きていく中で味わう苦しさや弱さがいつでも私達をそのような姿に変え、けれど私達は誰も怪物ではないのだ。

 誰かが指さして私を怪物だと決め、周りがそれを容易く認め、私に気づく者がいなくなれば、私はきっと死ぬまで怪物の姿から元には戻れない。

 詮無いことではあるし、怪物の姿になってしまった者に近付くこと自体が、危険なことだというのも経験から知っている。

 それでも今も、危機回避について考えるたび、記憶の中の彼女が憤りを持って訴えてくる。

「何故、間違ったことを野放しにして、正しいことを言わないのか」と。

2020-07-07

anond:20200707050520

『クッサイ写真やなあ』しか思わんなあ

作為的に撮らなきゃ写せるわけねーだろこんな構図

必死で笹もった右手プルプルしながらシャッター押してんの想像して失笑しとるわ

2020-05-29

anond:20200529142918

フツー、「カレーメシ」で判るもんねぇ。わざわざメーカー名いれるのって作為的

コアラのマーチ」でも「ロッテコアラのマーチ」まで言わないのと同じ。

山里亮太

数多ある意見の1つに過ぎないかも知れませんが、この度の悲しいお知らせについて、とても重要なお願いがあります。ぜひご一読頂けると助かります

今回のことについて、またそれについても様々なことをSNS上でみな好き放題言っています。我々はこういう風に対面で顔を合わせなくてもコミュニケーションができる時代になって、その最も身近なものであるSNSと、どういう風に付き合っていけばいいのかほとんどの人は困惑しています。顔を合わせなくていいということから、どんなことでも発信でき、また(SNSのない)日常生活では言われないようなことを言われたりするようになってからSNS上で見えている相手バーチャル人間だと考えるようにし、自分(人間)vs相手(機械)のように接していますしか自分普段自分と違う人間のように、普段なら喉まで出かかって止めるような文言さえも、あっさりと指をなぞらせて全世界へと発信するのです。しかしその割に相手(機械)の言うことには感情を揺さぶられ、たびたび日常生活ではあるまじき過度な言葉相手を責め立てることもありますさらに、膨大な情報量。誰しもが発信できることから必然的日常生活ではわざわざ聞くことのない人の意見まで(要か不要かに限らず)目にせざるを得なくなりました。

と、ここまで書きましたが今回のことが、何が一因であったのかということについては、色々な人がこれもまた勝手意見いくらでも言ってくれていますしか自分も正直それを精査していく、という気分にはなれません。一人の尊い命を失った悲しみもさることながら、何よりもうこの情報化社会情報量に疲れてしまっていて、さらにはSNSの使い方についてあれこれ言われてしまうことは、何か自分の一番柔らかい部分に触られているようで気味が悪いような気もするからです。

ですから、この誹謗中傷がどうだとかについてこれ以上触れることはしません。今回自分がわざわざメッセージを送ろうと考えたのは、自分なりの考えを伝えお願いしたいことがあるからです。

人間は、というか自分のような人間は、どこから台本なのか、ということを小さい頃から気にして見てしまますテラスハウスはもちろん、ラジオお笑いや、とかくエンタメ全般的に。大人になればなるほど、その線引きの部分が段々と分かってきました。コンテンツ制作する上では、台本はなくせないということも。そうすることで、面白さが担保できる。その場で生まれるかわからない爆笑を待つよりも、安定的面白い方が大事だというのが根源にある。

テラスハウスもずっと楽しみに見ていました。2020東京から過去作品も遡ってほとんど見ました。このテラスハウスでも同様に、どこまでが台本なのか、と考えましたが、それについてネット上では正確な情報は開示されていませんでした。それでも、まぁいいかと楽しんでいました、所詮エンターテインメントなのだから

しかし、その楽しい時間は実にあっけなく終わってしまいました。

台本があって、それに従って演技をする出演者の方々。すべてはただの操り人形であり、それを見る視聴者たちは騙されてあげて、楽しむ。騙されていながらも没入して、そこで同じように感情を揺さぶられて楽しむ。どんなエンタメもこうして楽しんでいるのに、現実で人が一人死んでしまうということは、そんな平和世界で行われるエンタメの中には決して存在してはいけない概念です。

少し戻って、自分が引っかかるのは、そもそもこれが台本であったのかどうか、ということです。彼女番組の指示通りに、また示唆されて作為的にあの「コスチューム事件」を起こしたのであれば、これが自殺につながったと言っても過言ではないのですからテレビ局殺人とも言えるでしょう。そうでなかったとしても、悪意のある編集があったという新野氏の証言があります。そうした番組を取り巻く諸々が、視聴者には何一つとして知らされていないのです。

これ以上は長くなってしまうので、簡潔にいたします。お願いというのは2つあります。1つは彼女がなぜ自殺しなければいけなかったのか、番組制作という面からそれを解明すること。テレビ局で働いている人々の大半はきっと善良な人達なのだろうけど、舵取りはいつも腐り切っているように感じます。この事件が闇に葬られてしまう前になんとか事実をすべて開示して欲しい。2つ目には、彼女自殺以降おそらくひどく誹謗中傷を受けているであろう出演者の「彼」やその他の人々の精神ケアです。頭の悪い人たちは「彼」があんなことをしなければ彼女自殺することもなかったというでしょう。実際、死んだ人が責められることはほとんどありません。今後苦しい思いをするのはいつも、今、そしてこれから生きていく人たちなのです。

この2つを、出演者でありながら、一個人としては制作には関係のない貴方にお願いしたい。きっとこれを読まれても、お願いするところが間違っているのではないかと思われるかも知れません。しかし僕は、貴方の「一生をかけて考えたい」という言葉を信じたいのです。その覚悟があるならば、すべて自分のうちに閉じこもって考えるのではなくて、少しでも何か行動をして欲しい。山里亮太が、あの番組マスコットのような立ち位置で、あの時間だけは番組傀儡だったかも知れない。しかし世のSNS上の人々のように、貴方の本当のところは人間である、ということをどうか信じさせてください。そうしてこれからも、後ろめたい気持ちなしに、エンタメ傀儡となる貴方を楽しませて欲しいのです。

2020-05-24

anond:20200524144326

作為的マジョリティ不快感を覚える発言をして知名度上げて金稼いでるところかな。

視界に入ってこなければ好きにやってくれとは思うので、これはホリエモン個人問題というよりメディア構造が悪いんだけど。

anond:20200524110850

少なくとも朝日毎日系は作為的で当てにならないな

読売辺りが出している42%の方が多分正確に近い

anond:20200524082332

それを修辞として作為的にやってるのはちゃんと読めばわかるだろうに

2020-05-23

ちょっとだけバラエティADやってたけど

テラハに出ていたプロレスラーが亡くなった件、

クソリプ送りまくってたひとや死ね消えろと呟いてたひとが彼女を死に至らせたのはもちろんだけど、両輪でテラスハウス彼女への中傷を煽るような演出編集したことについても考えてほしくて短い経験だが現場で働いていた身として書きたい。

私は2年程度バラエティADをやっていたがメンタルがあれしてしまったので今は違う部署仕事をしている(業界ではよくあることだ)。そんな短い期間で2つの番組にいたんだけど、片方はTHEお笑いバラエティで片方は生活に役立つ系番組だった。

お笑いバラエティの方は見ていた時の印象と同じく強烈な人たちが作っていて、酷い時は週に1人はADが飛ぶ(突如来なくなる。業界ではよくあることだ)みたいなレベルだったのでそれはそれで酷かった。

生活系の番組に来た時ここなら過酷ロケもないしと思ったら意外にもこちらのほうがやらせが多かった。

やっぱり日常系とか生活系だと淡白ものになりやすいので、そこに見ごたえをつけようとするとありもしない歴史を創成したり、極端な説を取り上げたり、片方を持ち上げる時にもう片方を過剰に貶すような表現を使わないといけなかった。でもどちらにも生産者とか関係者がいるわけでたまにクレームが入ったりするんだけど基本謝らない撤回しないが鉄則だった。(業界ではよくあることだ)

ただの生活情報教養を当たり障りなくご紹介してもつまらないのと同じで若い男女を一つ屋根に済ませたところでそんな頻繁に面白いことが起こるとは思えない。というか人間恋愛がそんなに面白かったら日常に転がってるんだからわざわざ番組で見る必要がない。

リアリティーショーでは時々「やらせがあった」「台本があった」なんて話が出てくるけどその度にうやむやになるのは

一般的想像される台詞が書いてあるような「台本」は無いからだと思う。

別に何かを読ませてはいないけど、ゲームでいう「イベント」が起こるように「仕込み」をしているのが実情だと思う(業界ではよくあることだ)。

「仕込み」と「やらせ」って何が違うのと言われると線引きが非常に難しいんだけど、全員が把握してるわけではない細工とか、番組として美味しくなるように焚きつけておくとかその類を仕込みと呼んで、あくまで俺たちがやってるのは演出でその結果生まれ出演者たちの言動リアクションリアルなんだからやらせじゃない、みたいなとこだ。

スタッフにも当然「仕込み」をしている自覚はあるので作為的にやってる認識もあり、それが当たり前になっているんだけど、意外にも視聴者マスゴミやらせと叩く割に目の前に流れている映像結構ガチ」だと思っているし、信じているなというのが辞めて視聴者に戻った今の印象。

本題に戻るが正直言って彼女は広く有名人でもないしデカ事務所に入ってるわけでもないし、プロレスを広めるためにこの番組に入ってきたという経緯がある。これをきっかけに新規層を切り開くという期待と責任があっただろう。

そして何より彼女ヒールとして、レスラーとして優秀だった。演出意図を汲むことも難しく無かっただろう。スタッフからしたら立場的にも性質的にも1番使いやす存在だ。

そしてバラエティ世界である程度生きているスタッフ例外なく不眠不休、(物質精神的)暴力、驚くほど低いモラル(モラハラセクハラ)に耐えた、耐えたというか自分麻痺させることでそれを消化したサバイバーだ。

これは私のいた番組共通していた。ほのぼの系だろうが過激派だろうがお役立ち系だろうがベテランAD以上はみんなこれを経験している。

サンプルが少ないわ!一絡げにするな!と思うかもしれないが偉いひとであればあるほど過酷経験をしているので、そこが受け入れられない新人は「面白くない」「面倒くさい」と毛嫌いされ、若ければ若いほど社会人になるまでに学んできたリテラシーとかモラルとのギャップの激しさ、あと純粋ブラック環境に苦しみドロップアウトする(業界ではよくあることだ)。

更に局員・非局員というエグい格差存在するのでここでは説明しないけど、とにかく「まともな奴から辞めていく」と口を揃えて言うのが番組制作現場なのだ

から彼女のこと駒として重宝していたとしても、人間として大切にしていたひとがどれくらいいたのかと思ってしまう。

断言できる、編集1つ、演出1つで煽り制御できた。スタジオで見守る芸人たちのコメントの切り取り方1つでも印象は絶対違ったはずだ。

一丁羅が滅茶苦茶になってキレたとはいえ帽子飛ばしたのはやり過ぎかもしれない、相手男性を追い出したようなものかもしれない。

でもリアリティーショーとしてのイベント面白みを残しつつ、ここまで叩かれないような編集をすることは可能だったと思う。

私はバイアスがかかっているのでもはやコスチュームを誤って縮めたこ自体、または派手に怒ること自体が「仕込み」だとしても驚かないんだけど。監視スタッフがこのまま一丁羅が縮むのを知っていて洗濯を止めなかったならそれもある種「仕込み」と言えるかもしれない。

テラハファンからは「でも番組として面白かった、楽しませてもらったよありがとう」みたいなコメントもあったが

番組面白さのために人が死んでいいわけが無いし、番組面白くしているのは間違いなく制作側の演出で、さじ加減1つで人は死ぬのだ。

誹謗中傷したひとたち、見てないと思って書いてしま私たちへの戒めは必要だ。私刑ではなく。

ただ両輪で番組面白くする演出のために人が死んだことについても議論されて欲しいと思う。人が死ぬという人権侵害が起こっているうえに他の出演者への誹謗中傷も広がっている状況を見るとBPO番組構造としての問題を探ることがあってもいいと思う(少なくとも警察公的機関より先に動かないといけない)。

現場で働いていたときは色んなことに(業界ではよくあることだ)をつけて納得していたけど、辞めて時間が経った今、どう考えても業界でよくあることは一般的によくあることじゃないし、それを放置していい時代も終わっている。

演出1つ、編集1つで防げた事態だ。コメントや表情の切り貼りなんかしょっちゅうやってるんだから緩和させるように編集することもできたはず。仮にそこが譲れなかったとしてもAPとか演者フォローを手厚くするとかできたことはあったはずだ。

番組制作に携わる人たちにもネットは怖いね!で片付けないで向き合って欲しい。他局だが既に演出に触れず誹謗中傷についてのコメントだけしている制作者がいて強い危機感を覚える。

ネットの闇」なんてワードで片付けないで、両輪でこの死に向き合いたい。

p.s.プロレス観戦が趣味だったので1回だけ新宿FACE彼女を見たことがある。メインマッチとかでは無かったけど印象に残っていて、たまーにインスタとか覗いていた。だから名前を見たときに本当に驚いた。当時撮った写真を見返したらまだ現場で働いていた頃の試合で、確かにその日の自分を救ってくれた1人だった。レスラーとして愛されて、確実にスターへの階段を上っていた彼女

バラエティ現場には年配を中心にプロレスファンも多い。もしかしたらプロレスのつもりでやっていたのかもしれない。でも結果として人が死んでいる。加減を知らない演出とショーと現実を知らない視聴者リング禍でもない、誹謗中傷で人が死んでいる。これはプロレスじゃない。

彼女にはリングで、プロレスをして、プロレスラーとして、輝いてほしかった。

ご冥福をお祈りします

補足:彼女誹謗中傷による自殺で亡くなったとは不明というブコメがあったので、私が投稿時で把握していた情報を並べます。今はスポーツ新聞とかで書かれているようだけど一応。

追記(2020.05.27)各所で彼女の死について取り上げられており、詳細を提示する必要が無くなったと判断したため、投稿が削除されているものに関しては引用を取り下げます

彼女Twitter最後投稿(削除済み)

彼女のインスタの最後投稿に「(飼い猫に向けて?)愛してる。長生きしてね。ごめんね」

・先輩レスラーであるカイリ・セインTwitter

「時差でアメリカ昼過ぎだったから(日本時間は夜中)彼女ツイートにすぐ気付くことができて、イオさんと一緒に直ちにジャングル叫女ロッシー小川さんに電話しました。

きょうなは全力で向かいました。

だけど…

間に合いませんでした」

他にも同じ所属団体レスラーなど既に沢山のコメントが出ていたので、そこから判断して投稿しました。

公式の発表を待たずに書くのが好ましくないのはわかっていました。しか彼女の元々の知名度もあってこの時すでにトップエントリに入っている記事も1つ2つ。発表を待っているとこの件が既に話題として流されてしまったり、ワイドショー等で「ネットの闇」的取り上げられ方ばかりされた後だと届かないかな…と思い、先走りですが投稿した次第です。すみません

2020-05-21

アフィリエイトが含まれ企業運営するメディア記事には広告表記

R25記事facebookタイムラインにあがってきて、ふと思った。

該当記事https://r25.jp/article/810409120572856971

この記事には「広告PR表記」はなく、人材エージェントの紹介を行われており、

誘導リンクにはアフィリエイトが貼ってある。

記事内のエージェント紹介やランキングなどは、優良誤認を行うものでなく、作為的ものでもなさそうなので、

これがステマだの言うつもりはないのだが、少し違和感を感じた。

上記している記事以外にも複数記事にて同様のアフィリンク掲載確認している。

違和感理由としては以下。

facebook上で、広告表記なく、通常の記事としてタイムラインにあがってきた。

ただし、読み進めたらアフィリエイトによる収益をあげるための広告目的記事であった。

リンクを読み解かない限り、記事内ではわからない)

特に、新R25では「編集記事」と「広告PR記事」はしっかりと区別がつけられているため、

記事の本文が利益につながるものアドネットワーク等による収益を除くもの)には「広告表記」がついているものと思いこんでいた。

これは主観ではあるが、

R25は、企業運営する「編集記事」と「広告記事」が混在し、

主に「広告記事」などで利益をあげる記事媒体である

商品サービス比較することを目的とし、その紹介料としてアフィリエイトを行っている比較サイトや

個人ブログ性質が異なるものと捉えている。

まり記事本文が広告アフィリエイト)に誘導する目的なのであれば、

該当の記事は「広告記事」に当たるんじゃないかと思った。

別の言い方をすると「記事広告の明示」が無いと、

他の編集記事と同様の認識を読者はするのではないかと思った。

最初の方に述べた通り、

記事ステマである糾弾したいわけではない。

(読者が本記事を読んで、アフィリンクを踏んで、エージェント登録してもただちに不利益が発生するものではないし)

ただただ私にとっては違和感がある。

みなさんにも違和感があるか聞いてみたいだけ。

ゲームにおけるこの心理

例えば2種類の防具がある。一方は物理防御力重視の鎧A、もう一方は魔法防御力重視の鎧B。

どちらにも長所短所があり、この時点ではどちらがいいか判断が難しいとしよう。

ここで鎧Aに軽い追加効果を加える。例えば敵のドロップするお金+3%とか。

するとあら不思議。鎧Aが強くなったはずなのに鎧Bの方が強く見えてくるのである

これは2つの鎧の総合的な性能が同じであるというプレイヤーからゲームバランスへの信頼があり、

追加効果プラスされて同じなら、追加効果抜きではBの方が強いはず!という心理が働くためである

 

これならばまだいいのだが、この心理は全く理に合わない形で働く場合もある。

あるキャラクターの育成で、A、Bの2つのルートの中からプレイヤーがどちらかひとつを選べるとする。

そのキャラクターには終盤に専用の装備品が用意されていて、これはどちらのルートでも装備できるがAの方が相性が良いとする。

プレイヤーがA、Bのどちらがいいか考える時、専用装備との相性を根拠にAを選んでしまいがちになる。

まりA、Bが等価であり、そこに専用装備という条件を加えた時にAが上回るからAが良い、という心理である

しかしA、Bが等価であるというのは、そもそもつの優劣を考えていたことと矛盾している。

専用装備との相性は実際は根拠ひとつにはなるだろうが、開発は専用装備との相性が悪い分Bを強めに調整するかもしれないのだ。

このように部分を作為的抽出しておきながらバランスを期待してしまうのは面白い心理の働きである

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