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はてなキーワード: 板野一郎とは

2022-07-02

anond:20220702191635

板野一郎によるとアニメ映像上のロボットの関節は戦隊物のロボ着ぐるみ的なイメージ

プラモより可動域や装甲を柔らかくした感じに作画しないと良くならないって話だから

関節技で確実に仕留められるとは言えない やはりガンダムファイトで頭部を破壊してこそ

2021-04-18

アーティストクリエイター話題の際に、その師匠筋の話を挟むと白い目で見てくるヤツが解せない

例えば、アニメだと庵野秀明について語るときには宮崎駿板野一郎名前を出さないわけにはいかないと当然思うじゃん?

漫画家だったら「暗殺教室の人はボーボボの元アシスタントで」くらいは普通に話題にするじゃん?

明石家さんまだったら笑福亭松之助とか、鶴瓶だったら六代目松鶴名前くらいは出してもええやん?

でも「師匠とか…どうでもいいし…」みたいな、あきらかにネガティヴな反応してくるヤツが必ずいるの、アレなんなん?

2016-08-15

ジブリとかアニメ業界人間関係を知ってしまうと涙がとまらない

俺がそういう関係にあこがれてるからかもしれない。


宮崎駿高畑にどれだけ執着しているのか。

宮崎駿庵野師弟のような友情のような奇妙な関係

鈴木敏夫宮崎高畑を如何に見出したのかという話

押井守宮崎駿いるからああいうわけのわからん映画を作ったという発言

ウェールズ旅行の話をする押井鈴木敏夫

冨野商業主義作家性との葛藤

冨野安彦良和に対する評価

風立ちぬを見て泣いた冨野

作品性を見るとなんだか遠いようでいて皆(宮崎押井冨野庵野も安彦もみんなみんな)実は微妙に互いに気にし合ってそうな関係


これだけじゃなくて他にもいっぱいある。

面白いのがいろんなところでチラッと庵野が出てくることだ。


板野一郎の下で基礎を学んだ庵野

宮崎駿に親近感を覚える庵野

冨野との対談で逆シャア賞賛する庵野(そこでチラッと出てくる押井さんの名前


夢と狂気の王国」で庵野の初対面の印象を「宇宙人が来たかと思った」とうれしそうに話す宮崎駿

庵野の隣で模型を手で動かしてインメンマルターンを再現する宮崎駿

俺はオタクじゃない→BOOOOOOOOM!!!!(※飛行機ごっこをする宮崎駿)というシーンに俺はなぜか泣いた。

なんてチャーミングなんだ。

風立ちぬラストシーンが「来て」から「生きて」に変わった事を受け止めようとする庵野

そして「ジブリはもう終わり」と言った駿が終盤で楽しそうに宮崎鈴木高畑で話しているのを見て最早俺の顔はグジャグジャだ。


なぜこんなにもあの人達関係性は俺の心を打つのだろうか。

俺はやつらのインタビューを見るたびに涙が止まらんのだ。

それは俺にはないものからかもしれないなと思うのだった。

2016-02-03

http://anond.hatelabo.jp/20160203193348

お前絵下手だろ? 文章読んだだけでなんとなくわかる。俺も下手だ

なにも描けないからちょっと可愛い萌えイラストでも大作家先生のように見えるけど

よくよく考えれば日本にはそこそこレベル以上の絵を描ける人が多すぎるんだよ

門は狭いのに替えはいくらでも居るんだからそりゃ単価は下がるわな

板野一郎とか人間国宝として大豪邸に住んでもらいたいもんだけど・・・

2013-09-10

宮崎駿後継者≠僕ちゃんが好きなイケてる監督

http://anond.hatelabo.jp/20130906122206

http://b.hatena.ne.jp/entry/anond.hatelabo.jp/20130906122206

sima_pan

個人的には、「クレヨンしんちゃん」「河童のクゥと夏休み」の原恵一に、一票入れたい

rutomoru

今敏監督が存命だったらなあ・・・

subaca

おまえらなんで片渕須直無視できるの?馬鹿なの?死ぬの?

お前らが馬鹿死ね

マスコミが「庵野秀明宮崎弟子」とデマを撒き散らす事すら腹立たしいのに。(庵野の本当の師匠板野一郎なのは周知の事実



こういう馬鹿どもは宮崎高畑押井富野・原・今・細田と、その辺りしかジャパニメーション(笑)ではないと信じ切ってんのが糞むかついてしゃーない

それ以外のアニメ爆笑)は低俗ポルノ日本の恥、と本気で思ってやがんだ

そういう連中に対する皮肉がこの記事ね

■[アニメ][身辺雑記]これがジャパニメーション! たった1日で全て見終わることができる、知っておけばアニメファンに一目を置かれる10作品

http://d.hatena.ne.jp/hokke-ookami/20120423/1335112999

馬鹿皮肉である事すら気づかなかったようですが

2012-12-03

鈴木敏夫ジブリ汗まみれ 2010年1月12日 庵野秀明ゲスト回その2

第1回

http://anond.hatelabo.jp/20121203123633

 

ナレーション

 

鈴木:ひどいこと言うんだもん、色々(笑)。『もののけ(姫)』のときもねえ……。『もののけ』どうだったって聞いたら、「レイアウトダメになった」って(笑)

庵野ダメでしたね。よく宮さん(宮崎駿)、このレイアウト通したなというくらいダメでしたね。

鈴木(笑)。かなり自分で描いてんだけど。

庵野:いやー、ダメでしたね、レイアウトはかなりね。レイアウト世界一の人だと思ってるんで。

鈴木はいレイアウトマンだもんね。

庵野:ええ。あの空間の取り方のなさっていうのは、ちょっと、あれは歳取ったのかなって思っちゃいました。

鈴木空間がなくなっちゃったんだよね。

庵野はい。すごく平面的になってて。

鈴木:すごくフラットなっちゃったんだ。だからすごいのはお話のほうで、画のほうはどっちかっていうと結構サラッとしてるっていう。

庵野:サラッとしてます。あれが『(崖の上の)ポニョ』でまた粘りが出ててよかったなっていう。

 

ナレーション

 

鈴木:『ポニョ』の前にね、宮さん、ディズニーチャンネル見まくったんだよね。そしたら「動きすぎだ」って最初言ってたのが、途中から「いや、動き過ぎだと思ってたけどそうじゃない、動くことに意味はある」って。それで突然「世界は動いてるんだから、やっぱり動かすべきだ」って。それをテーマにやりはじめた『ポニョ』はどうでした? なんて今頃聞くのもあれなんだけど(笑)

庵野:Bパート、いや、Cの途中まではすごい好きでしたね。

鈴木:Cの途中ってどこ(笑)。ばあちゃん話になる前?

庵野:うん。いまの尺でも僕は長いと思いますけどね。

鈴木:いまでも。

庵野:うん、いまでも長いと思いますね。お母さんが宗介を置いて車で行っちゃうじゃないですか。それで二人っきりになるあたりからは、あんまりノレない感じですね。それまではすごいよかったですね。

 

ナレーション

 

庵野特にあのお母さんがいい。

鈴木:えっ。

庵野:お母さんがいいです、もう。

鈴木:お母さんが。

庵野:うん、近藤(勝也)さんがすごくうまい

鈴木:「色気がありすぎるんじゃないですか」って――

庵野:いや、それがいいですよね。いままで宮さんになかったものじゃないですか。

鈴木:そうしたら宮さんがね、「あれは勝也がやってて俺じゃないから」って(笑)

庵野:そうそうそうそう、それがいいんですよ。いままでの宮さんにはできなかったこと。

鈴木:だから、すっごい色気があるんだよね。

庵野:いいですよね。線だけでそれ出すんですよ。

鈴木:だから俺びっくりしちゃったんですよ。

庵野:宮さんが手を入れてないってのがまた良かったんですね。

鈴木(笑)

庵野:あれにまた入れ直したらもうブチ壊しだったのを、それをグッと抑えてるのが大人になったというか――

鈴木:いやいや歳取ったのよ(笑)

庵野:歳を取ったというか。

鈴木:さすがだなあ、よく見てるね(笑)

 

ナレーション

 

鈴木:僕ね、すごい覚えてるのは、スタジオ……あれは(スタジオ・)グラビトン

庵野はい

鈴木:あの、もりやまゆうじ森山雄治)がいて。そこで初めて(鈴木庵野に)会ったの覚えてるんですよ。

庵野:それは(スタジオMINなんですけど、細かく言うと。

鈴木MIN

庵野MINっていうところですね、スタジオMIN

鈴木:あ、そっか。

庵野:桜田にあった、フリーアニメーターが寄り集まってるスタジオ界隈ですね。

鈴木:あのとき自己紹介されたの覚えてるんだよ、俺。順番がちょっとぐちゃぐちゃなんですけどね。ただ、当時もりやまゆうじっていう人と一緒に押井守原作漫画をやってたんですよ、『とどのつまり』っていう。それで、そこのスタジオ漫画原稿取るっていうんで1ヵ月に一回行って。押井守原作を書いて、彼が画を描いてたんですけど。そこで(庵野が)登場して、あの「住所不定なんです」って。

庵野:ええ、家なかったです。

鈴木:だから、ここに居候してるって。あれいくつくらい?

庵野24……ぐらい。

鈴木:えっ、そんななってんの、もう。

庵野:ええ。24、5じゃないですか。

鈴木:あ、なってんの。そうなんだ。

庵野:ええ、23、4。24くらいだったと思いますね。『(風の谷の)ナウシカ』のあとですもんね。

鈴木:あれ『ナウシカ』の直後?

庵野:『ナウシカ』のときも家なかったですから

鈴木:そうだよね。

庵野:ええ。大阪アパート引き払って、とにかくカバンだけ持って――

鈴木東京へ出て。

庵野:ええ、宮さんのとこ行って。で、家はないのかって言われてありませんって。そのときは高校時代友達のところに荷物だけ置かせてもらって。トップクラフトで寝てましたね、寝泊まりは。

鈴木:ああ、あそこで寝てたんですか。あの応接で?

庵野:いえ、応接なんかで寝ないですよ。机の下ですよ。机の下か、隙間。壁と動画机の隙間が60センチぐらいあって。そこで寝てましたね。

鈴木:とにかく『ナウシカ』始まったときに、やらせろっつって。当時トップクラフトってところで『ナウシカ』作ってたんですけど、現れて。なんか原画持って来たんだよね。

庵野:ああ、自主制作やってたやつですね。

鈴木:それで宮さんが気に入って。その画を見て、多分ここがいいだろうっていうんで巨神兵を。

庵野:いきなりですよね。めちゃくちゃです。ズブの素人ですよ(笑)

鈴木:それで粘りのある画面を描いてくれるだろうって。

庵野:いやあ。

鈴木:でも描いてくれたじゃない。

庵野:まあ出来てよかったですけど。でもよく任せましたよね。

鈴木:宮さんの独特の勘だよね。あまり給料払えなかったよね、多分。

庵野:いえいえ! あれは貰えましたよ。

鈴木:あ、本当?

庵野:それまで安かったですから。『(超時空要塞マクロス』のテレビ大学ときアルバイトでやったんですけど、1カット1800円でしたから。

鈴木:1800円!?

庵野:ええ。まあテレビシリーズですから、そんなもんです。1800円です。

鈴木:はあ。でも、あの巨神兵は凄かったよね。粘っこいでしょ。だってあれだけやるのに、あれ秒数どれくらいあったの。

庵野:長いのが十何秒ですか。普通6秒か8秒で、でも伸びてやっぱり10秒になってたと思いますね。

鈴木:それをどのぐらいの期間でやってたんですか。

庵野:1番長いのは2週間ぐらいですね。

鈴木:ああ、でも当時だとそれぐらい、それでもすごいよね。

庵野:んー、まあ巨神兵については一個悔しいのは、中(動画の中割り)を7枚にするべきだったと思いますね。宮さんはあのとき「中5でいいんだ!」って言ってて。でも中5は速いんじゃないですか……って。でも中7にすると枚数が増える上に尺も延びるから間に合わないって、中5でいいって。そして影も2色つけなくていい、1色でいいって。「ええっ~!」というやつですね。あのときは影は2色……まあ、それでも2色は許してくれたんですけど、「3色つけたら殺す」という風にメモがありますよね。

鈴木:やっぱり影を付けたくない人なんですよ。

庵野:ええ、でも大きさはやっぱり影で出せるものがあるじゃないですか。

鈴木:でも、あれは記号から――

庵野:いや、記号からこそ、ですね。でも色々教えてもらったのは、本当に板野一郎宮崎駿、この二人ですね。アニメ技術だけじゃなく、作り方みたいなものも横で見てて。だから僕の師匠はこのふたりですね。実際色々教えてくれましたからね、手取り足取り。

鈴木:いや、ジブリ、西ジブリって作ったでしょ? だからいまトヨタのなかで若い人、22人やってるわけですよ。そういうとこ行って、ちょっと特別講義を……。

庵野(笑)

鈴木:みんな喜ぶよね。でも喋るだけじゃなくて、実際のね、なんかやってくれるといいんじゃないかって。

庵野:昔、宮さんが塾を二馬力でやってたときに、一回行きましたね。でも宮さんって自分が好きか、こいつはいけるっていう人じゃないと教えないじゃないですか

鈴木:そう。やっぱり……依怙贔屓なんだよね(笑)

庵野:依怙贔屓と、やっぱり自分下駄が欲しいので。自分の役に立ちそうな奴しか労力を使わないですよね。

鈴木(笑)

庵野:僕が『ナウシカ』のときに色々教えてもらったのはそれだなあって。巨神兵をこいつにやらせとけば、自分はそれを直す手間の分、ほかのことやれるっていう。それだと思いますね。

鈴木:でも、だってアレやってくれるだけですごいホッとするんだもん。

庵野:うーん、でしょうね。だったと思います、いま考えれば。

鈴木:でも、ラストシーンは『ナウシカ』よかったんですかね、あれで。

庵野映画はあれでよかったと思いますけど。

鈴木:宮さんの最初の案は、とにかく王蟲が突進してきて、そこへ降り立つナウシカ、それでいきなりエンドマーク。それて王蟲の突進は止まると。……これは困ったんですよ。

庵野:いやー、引かれないと困るでしょうね。

鈴木:だから延々、僕ね、それこそ最後のほうコンテが出来たとき高畑さんとふたり阿佐ヶ谷喫茶店で8時間ぐらい、色々話したんですよ。これで行くのか行かないのかって(笑)。それでとにかく現状はいまある案。2つ目がナウシカが死んで、伝説の人になる。で、3つ目がね、死んだあと甦るっていう。それで最後さ、高畑さんがね、「鈴木さんどれが好きですか」って(笑)

内藤:好き嫌いになるんですか。

鈴木:そりゃやっぱ甦ったらいいんじゃないですかねえって。じゃあ、つってふたりで宮さんのとこに言いに行くんですよね。いやー、判断が早くて。「ふたりで決めたんでしょ、じゃあそうします」って。考えないんだよね。

庵野:あのとき見せてもらったのは、巨神兵王蟲が戦うのは、見たかったですね。

鈴木(笑)

庵野:あれかっこよかったですよね。まあ巨神兵は大変でした。僕は全然描けなかったと思いますよ、あのコンテのままだったら。

鈴木:でも――

庵野:見たかったですけどね。

鈴木:でも、あの巨神兵はすごかったよね。

庵野:まあ、宮さんだったら出来たんですね。『ナウシカ』の途中で、最初面接でお会いしたときにはすごく緊張したんですけど、段々それが解けてただのオヤジになっていったんで。普段アニメ作ると、宮さんってフィルターかけちゃうじゃないですか。

鈴木バランスとるんだよね。

庵野:ええ、いい人っぽく。

鈴木:そうそうそうそうそうそう。

庵野:本当はそうじゃないじゃないですか

鈴木:そうそうそう、悪い奴だもんね。

庵野:『ナウシカ』の打ち上げときに言ってたんですよ宮さんが、「人間滅びてもいいじゃん」っていうの。

鈴木:そうそうそう。

庵野:『ナウシカ』の打ち上げときに、最後のほうの相当宮さんも飲んでたときに、スタッフアニメーター若い女の子がひとり食って掛かってて。「人間が滅びてしまうじゃないですか、そんなの作っていいんですか」みたいなことを言ったときに「人間なんてね、滅びたっていいんだよ!! とにかくこの惑星に生き物が残ってれば、人間という種なんていなくなっても全然いいんだ!」っていうのを怒鳴ってるのを僕は横で聞いてて、この人すごいとそのとき思ったんですね。クリエイターとして宮さんが好きになった瞬間でしたね。人そのものに執着してないってのが根っこにあって、あれはすごくいいですよね。

鈴木:「もしかしたら私達そのものが汚れかも知れない」、いやー、もうそセリフ読んだときにね、ああこの人、人間よりあっちのほうが好きなんだって

庵野:『ナウシカ』の7巻は宮さんの最高傑作だと思いますね。まあ巨神兵のくだりは別にしてですね、宮さんの持ってるテーマ性っていうのが、あれに、すごくこう――

鈴木:集約されてる?

庵野:集約されてるっていうか、もう原液のまま出してるわけですよね。本当に、本当はすごくアレな人なんですけど。

鈴木:あの、負の部分っていうのか。

庵野:それがストレートに7巻には出ててよかったですね。『ナウシカ』の漫画にも色々出てますけども、7巻は特にそれが凝縮していていいですね。

鈴木:『ナウシカ』の『2』やらせろって言ったのはいつなの?

庵野:あれは……『ラピュタ』のころだったと思いますけど。吉祥寺で言った覚えがあります最初にね。

鈴木:あれはだけど俺、宮さんに真剣庵野がやるならいいんじゃないですかって。俺はこう説得したんですよ、宮さんを。「3部作にしたらどうだ」って。そうするとね、多分2本目は、宮さんが書いてるように、ある種、殺戮映画だと。第2部はそういうことでいうと、さあ、このあとどうなるんだろうという、そういう映画を作ればいいわけから庵野がやれば絶対面白くなると。で、その締め括りをね、宮さんが第3部でやったらいいんじゃないかって。いい説得でしょ。

庵野(笑)

鈴木:そしたら怒っちゃって。やめて下さいって(笑)

庵野:僕がやりたいのは7巻ですけどね。

鈴木最後じゃない。

庵野:ええ。

鈴木:未完だもんね、一応、あれで。

庵野:未完……いや、もうあれで十分だと思います

鈴木:十分(笑)。本人は未完なんだよね?

庵野:まあ、あのあとも語りたいです。

鈴木:いやかくね、宮崎駿に関して語らせたら一言も二言も、一家言も二家言もあるっていう。

庵野:いやいや、そんなことないです(笑)

鈴木:いや、ずっと一所懸命見てるじゃない。

庵野だって一応師匠ですから

鈴木:『ナウシカ』でどれくらいの期間いたの。

庵野:2ヵ月半くらいですかね。

鈴木:そしたらさっきの、もりやまゆうじのところに居たってことなのね。そしてしばらく経ったら、また『火垂るの墓』のときに現れたんだよね。

庵野:ええ、そうですね、就職活動ですね、仕事がなかったんで。宮さんのとこ行ってなんか仕事ないですかって。『トトロ』のオープニングをやるか、高畑さんのほうでなんか戦艦を描くのがいないっていうんで、じゃあそっちをやるかどっちだって。宮さんは前にやったんで僕は高畑さんと仕事ときたいですって。

鈴木:そうだよね、覚えてる。それで戦艦イルミネーションと――

庵野:ええ、イルミネーション花火の。実際には重巡ですけどね、戦艦じゃないですね。

鈴木:で、やってもらったら、なんかのときに話したら、よく覚えてるんだけど「二人のこともよくわかったんで」って(笑)

庵野:ああ。とりあえず一度仕事すれば、だいたいわかります

鈴木:で、終わったらいなくなっちゃったのよ。

内藤:そうなんですか。それでひたすらそれを、超えるために。

庵野:超えよう超えようと。

内藤:それで超えたときに人はどうするんですかね。なんか達成しちゃうじゃないですか。

庵野:ああ、でも次の敵が来ます。次の仮想敵が出るだけです。

鈴木富野由悠季)さんなんかはそう言ってたね。

庵野富野さんはそれでずっとやってる人です。

鈴木:はっきりしてる。

庵野:ええ、必ず敵作ってやってますね。

鈴木:……そうだよね。

内藤鈴木さんは仮想的とは違うんですけど、高畑さんの話をするときに――昨日もそうなんですけど――毎回高畑さんの話するときに、その当時の怒りが込み上げてくるみたいで……。

鈴木:いや、そりゃ色々ね。高畑さんって……曖昧じゃないからね。昔、押井守雑誌で対談したときに、押井守が『赤毛のアン』の第1話、これが僕がアニメーションをやるときに非常に大きな影響を与えられた。簡単に言うと、30分の話を30分でやっていた。こんなことテレビシリーズでやっていいのか。それで勇気づけられた思い出がある。そこに描かれていたのは日常を描くっていうことで……って言った瞬間、高畑さんがね(語気を強めて)「あなたが使ってるその『日常』っていうのはどういう意味なんですか」って言ったのよ。そしたら押井さんがね、黙りこくったんだよね。

庵野押井さんを黙らせるっていうのすごいですよね。

内藤:やっぱり高畑さんにはありますよね、そういうの。

鈴木:仮想的ではないんだけど、ねえ。

庵野:「ねえ」とか言われても僕知らないですよ(笑)

鈴木:うーん、甦るんだよね。

 

ナレーション

 

鈴木:宮さんにとっての仮想敵は? わかりやすいよね、高畑勲だよね、やっぱりね。

庵野:ずうっとそうですよね。

鈴木:そう。いまだに毎日喋ってて、誇張すれば半分は高畑さんの話だもの

庵野:いや、そうだと思いますよ。

鈴木高畑さんがいるから作ってる。高畑さんが作ろうとするから作る。おまけに高畑さんに作ってもらいたい。それが変わってないもんね。この期におよんでね、画コンテ描きながらね、「こういう画コンテ描いたらパクさん(高畑)に叱られる」って(笑)。なんちゅー純粋な人だろうと、そこは。

庵野:何回も挑戦してますよね、高畑さんを超えようと。そのたびに思い知ってるような気がします。

鈴木:やっぱり宮さんはね、高畑さんという大きな存在に包まれてる、と自分で思ってるんだよね。面白いんだよ。

??:(聞き取れず)

鈴木:やっぱり、ありますよね。まったく宮さんは宮さんの道行け、だから俺は勝手に行く、じゃないんですよね。やっぱり宮さんという人と一緒に作って来たわけでしょ。それで作ってきた人が、こうやって世間から認められて。それでいま作ってるものに対して、誰よりも関心が深い。誰よりもその内容を見返して、内容を把握して、それを自分のなかで整理しようとする。気を許すわけにはいかないよね。それが自分にある種の緊張をもたらしてるのは確か。それは高畑さんすごいですよね。だからそういう人が、誰かがいるから俺もやるみたいなことは大きいですよね。だから押井守もそうだったね。もし宮さんがいなかったら、宮さんみたいな映画作りたかったって。同時代に宮さんがいるから、俺はこんな変な映画作るんだと。自分で言ってましたけど、「変な映画」って(笑)

庵野:いいですね。

鈴木:『スカイ・クロラ』見た?

庵野:あ、見ました見ました。

鈴木:どうだった。

庵野:僕はまあ、面白いかなと。

鈴木:そうなんだ。「かな?」。

庵野:かな、と。

鈴木:どういう意味それ、「かな?」って(笑)

庵野:とりあえず寝ないで最後まで見れた(笑)

鈴木(笑)

 

(以下に続く)

http://anond.hatelabo.jp/20121204035736

2009-11-27

作画を体系的に理解するための7作品

はじめに

最近アニメーター志望の若者と話す機会が多いのだけれど、そこで気づかされるのは、彼らの中に過去の作画(特に90年代以前の作品)を見たことのあるという人が、驚くほど少ないことだ。

例えば「金田伊功をどう思う?」と聞くと、「金田伊功って誰ですか?」という答えが返ってくる。「なかむらたかしの作画で何が一番好き?」と聞くと、「見たことがありません」と言われてしまう。「ではきみは、昔の作画を見たことがあるの?」と聞くと、たいていが「youtubeで流れていたものくらいなら……」という答えしか返ってこない。

今の若い人の間では、作画を体系的にとらえようという人は少ないようだ。見るのは専ら近年の話題作画ばかりで、歴史を辿ってみたり、系譜をひもといてタイミングごと理解しようとする人はほとんどいない。

これは、ちょっと由々しき問題だと思わされた。作画は、もう長いこと(20世紀の遅い時期から)マイノリティ王者としてあらゆるオタクの上に君臨してきた。だから、作画を作ることを仕事にしたいなら、何をするにせよ避けて通ることはできない。

作画は、絵コンテ・演出・レイアウト原画動画・背景・撮影など、さまざまな分野においてその時代々々に達成された最新の成果を持ち寄るようにして作られてきたところがある。だから、作画を見ずして現代のアニメは語れないと言ってもいいくらいだ。

もし何かクリエイティブなことをしたいのなら、作画を見ることは欠かせない。また、単に見るだけではなく、それを包括的・体系的にとらえることも必要だ。なぜなら、作画を包括的・体系的にとらえることによって、現代のアニメそのものを、包括的・体系的にとらえられるようになるからだ。そしてそうなれば、ものを作ることの道理や筋道が理解でき、何かクリエイティブなことをする上で、大きな助けとなるからである。

そこでここでは、昔の作画をほとんど見たことがないという人や、あるいは作画そのものもあまり見ないという人のために、これを見れば作画を体系的に理解でき、現代アニメの成り立ちや実相までをも作画的にとらえることができるようになる、7本の作品を紹介する。

ここで紹介する作品は、いずれも後の作画界に決定的な影響を与えたものばかりだ。これらが、作画というジャンルのありようや方向性を決定づけた。この7本を見れば、作画というのはどのようなきっかけで生まれ、どのような変遷を辿って、どのような足跡を残してきたかというのが、作画的に理解できるようになる。そしてそれが、アニメの作画シーンにどのような影響を及ぼしてきたかということも、知ることができるようになるのだ。

作画を体系的に理解するための7本の作品

1本目『タイガーマスク』(1969年

まず最初は、ちょっと強引かも知れないけれど、金田伊功前の作画をひとまとめにするところから始める。

20世紀末に手塚治虫発明したリミテッド作画というアニメートは、その後『巨人の星』(1968年)『サイボーグ009』(1968年)『アタックNo.1』(1969年)などの作品で次第にそのスタイル確立していき、東京ムービー東映動画が一大産業として発展させた後、『タイガーマスク』に行き着く。そして幸運なことに、ここに集大成されるのだ。

金田前の作画は、これ1本だけ見れば良い。この作画に、金田前の作画の全ての要素(魅力)が詰まっている。この作品を見れば、作画のエンターテインメント王者としての風格、スターという存在の大きさ、原作者以上にアニメーターが重視される「個性」としての側面、フルアニメーションからリミテッドアニメーションへ・ハンドトレスからマシントレスへと移り変わった作画革新の変遷など、金田前の作画史や作画界のありようが全て分かるのだ。

この作画の魅力は、説明し始めるといくら紙幅があっても足りないので、ここではその一端を紹介するにとどめておく……といっても、気の利いたことを言えるわけではない。『タイガーマスク』の魅力を知るには、まずは見てもらうこと――これに尽きるからだ。そして、もし一度でも見れば、その魅力はたちどころに理解できるだろう。

タイガーマスク』を見て驚かされるのは、現在の作画と比べても全く遜色ないところである。作られてから40年の時が経過しているが、現代人の鑑賞にも当たり前のように堪えうるのだ。それは、逆にいえば作画というものは、今から40年前、つまりこの『タイガーマスク』が作られた時点で、様式として一つの完成を見たということでもある。

タイガーマスク』は、作画というジャンルが到達した一つの極みである。それゆえ、作画史というものは、『タイガーマスク』以前と以降とで分けられるようになった。これ以降に作られた作画で、『タイガーマスク』の影響を免れたものはないからである。

2本目『無敵超人ザンボット3』(1977年

金田伊功が国内の作画史に与えた影響というのは、一般に理解されているよりもはるかに大きなものがある。アニオタというのは、「作画文化アニメに影響を与えた」というと、なぜか話半分で聞いてしまうところがある。「作画のカナダ」という言葉は聞いたことがあっても、「それって作画オタが過大評価しているだけじゃないの?」と、眉に唾をしてとらえるところがある。

しかし金田伊功は、真に国内の作画史を塗り替えた人間の一人である。特に、彼の後世に与えた影響には、本当に計り知れない大きさがある。

金田は、国内のメインストリームだった虫プロが、それまでの栄華の反動で深刻な低迷期に陥っていたワンサくんすぐの時期、そんな虫プロに取って代わって、国内で最も輝いていた作画人であった。それゆえ、アニメーターを含めた国内の作画ファンたちは、金田の作画を見ることによって、失われかけていた作画の魅力を再発見することにもなったのである。

金田は、没落した虫プロに変わって作画の命脈をつなぎ止めた、言うならば救世主のような存在であった。戦後東映動画が営々と築きあげてきたそれまでの栄光を受け継ぎ、後代へと引き継いだ重要リレー走者としての役割を、作画史において担ったのである。

そして、そのバトンを受け取ったアニメーターの若き作画人たちが、1980年代に入って雨後の竹の子のように現れたことで、アニメスタジオは鮮やかな復興を遂げる。だから、もし金田がいなければ、作画の様相は今とは違ったものになっていたかもしれないのだ。

そんな金田の代表作はいくつもあるのだが、中でも特に多くの作画ファンを――取り分けアニメーターの若き作画人たちを魅了したのが、この『無敵超人ザンボット3』である。この作品の一番の魅力は、なんといってもその大胆に構築されたパースであろう。作画史において、これほど格調高く見事なディテールで構成されたパースは他にない。そのためこのパースは、これ以降無数に手本とされ、真似され、翻案されることとなるのである。

3本目『伝説巨神イデオン』(1980年

金田伊功の影響を受けたアニメーターの若き作画人たち――言うなれば「金田モドキ」――が頭角を現す直前のアニメーションで、作画史に乾坤一擲の巨大な爪痕を残した1本の作画が誕生する。

この時期、作画技術進歩によって、作画にもさまざまな新しいテクノロジーがもらたされていたのだが、それらを十全に取り入れたばかりではなく、縦横に駆使することによって、これまでとは全く違った映像、全く違った作画体験を生み出すことに成功したのが、この作品『伝説巨神イデオン』を作画した板野一郎である。

伝説巨神イデオン』は、作画史において最も革新的な作品の一つとなった。この作品に初めて触れた当時のアニオタたちは、そのあまりの目新しさに度肝を抜かれた。そこでは、これまで全く見たことのない映像がくり広げられていた。そのため、これまで想像さえしたことのなかった全く新しい作画体験を、そこで味わうことになったからである。

板野の果たした一番の功績は、ミサイルカメラワークを見事な調和をもって融合させたことだろう。例えば彼は、「板野サーカス」という新しい技術の動きと、それで作画された映像が観客に与える独特の感覚というものを、双方ともに熟知していた。だから、それらを効果的に融合させることによって、全く新しい作画体験を生み出すことができたのである。

この作品『伝説巨神イデオン』には、そうしたテクノロジーと作画との融合が、至るところに散見できる。その数の多さとクオリティの高さによって、作画はここに、新しい時代の幕開けを迎えるに至ったのである。

4本目『うる星やつら』(1981年

先に述べた「金田モドキ」がアニメーション復興をもたらすのは、1980年代に入ってからのことである。そして、そのきっかけとなったできごとの一つが、北海道生まれのスタジオNo.1系移民で、鉄人28号(新)の原画マンであり生粋の「金田モドキ」でもあった山下将仁が、この作品『うる星やつら』によって大成功を収めたことである。

この作品は、単に演出的に成功しただけではなく、作画的な意味においても、アニメーターの力を広くアニオタに知らしめることとなった。この作画の成功によって、アニオタの人々は、金田系作画の魅力の大きさを知る。そしてそれが、やがて金田系作画が作画のスタンダードとなり、誰もが当たり前のように見る状況を育んでいくのである。

またこの作品は、金田系作画そのものにも大きな影響を与えた。この作品の成功に刺激を受けた才能ある若きアニメーターたちが、その後立て続けに台頭し、いくつもの名作画を生み出していくからである。

それらが相まって、やがてアニメーションは空前の黄金時代を迎えることになる。その端緒となり、道筋を切り開いたのが、他ならぬこの『うる星やつら』なのだ。

5本目『機動戦士ガンダム0080 ポケットの中の戦争』(1989年

うる星やつら』で繁栄の足がかりを築いたアニメーションは、この作品『機動戦士ガンダム0080 ポケットの中の戦争』によって、ついにその栄華の頂点に達する。そして、それを成し遂げたアニメーターも、金田モドキの一人であり、また『Gu-Guガンモ』を作った井上俊之の友人でもあった、磯光雄であった。

この作品は、史上最もエフェクト的に成功した作品となる。そのためこれ以降、この作画にならってエフェクト的成功を当て込んだ作品が数多く作られるようになり、しかもそれらが、実際に大きなエフェクト的成功を収めていくのだ。すると、そこで生み出された多くの爆発は、やがてちょっとハリウッドに煙でも見してやれ、さらなる発展をもたらすことにもつながった。

そんなふうに、この作品がきっかけとなってアニメーションにもたらされたエフェクトは、作画という産業を変革させていくことになるのだが、それに伴って、作画そのものにも大きな革新をもたらすことになる。

その変革も、他ならぬ磯の手によってなされた。彼が『ポケ戦』の成功によって手にしたお金をもとに創案した作画技術スタイル「フル3コマ」が、より魅力的な作画技術を追求していく中で、やがてWEB系という連中の排出に至るのである。するとそれが、これまでの作画を一変させたのだ。

フル3コマは、作画に魅力的かつ効果的な特殊映像を、中割り不要でしかも手軽にもたらすことに成功した。おかげでそれは、あっという間に個性出したがりアニメーターに広まっていった。そのため今では、フル3コマの使われていない自己主張作画を探す方が難しくなったくらいだ。それくらい、この『ポケ戦』が作画界にもたらした変革には、大きなものがあったのである。

6本目『クレヨンしんちゃん』(1992年~)

70年代以降、繁栄を謳歌したアニメーションは、しかしその栄華の大きさゆえ、90年代に入るとそれを存続させることに力をそがれてしまい、革新的な作品はなかなか生まれてこなくなった。

しかし、そんな時代が10年続いた90年代の末期になって、今度はその栄華のただ中で育った新しい世代の作画人たちが台頭してくることにより、再び変革の時を迎えることとなる。

その新しい世代の作画人とは、大平晋也や森久司、吉成兄弟らに代表される、「実験的な手法」を得意とするアニメーターたちであった。

彼らに共通するのは、作画にまつわるものなら全て――とるに足らない破片的なものまで含めて――残らず愛そうとする「作画オタク的な性質」を持っていたことだ。

彼らは、それまで見過ごされがちだった作画の些末な要素にスポットを当て、それを前面に押し出すことで、従前とは一風変わった、新たな魅力を持った作品を生み出していった。そして、その真打ち的な存在として90年代の初めに登場したのが、湯浅政明だ。

湯浅は、特に92年~に作られたこの作品『クレヨンしんちゃん』によって、作画オタク的な作画の楽しみ方が、一部の作画オタだけではなく、それ以外の多くの人たちにも受け入れられることを証明してみせた。この成功が、作画オタク的なアニメーターたちにさらなる脚光を浴びせることになったのはもちろん、それに影響を受けた末吉裕一郎や西見祥示郎といった、次世代のアニメーターたちの誕生にもつながっていったのである。

7本目『THE八犬伝』(1990~94年)

最後は、アニメーター黄金期の集大成ともいえるこの作品である。

THE八犬伝』は、作画史においては『タイガーマスク』と同じような意味を持つ。つまり、それまでの作画の要素が全て詰まっているのだ。この作品を見れば、それ以前の作画の歴史というものが全部分かる。

THE八犬伝』には、作画のあらゆる要素が詰まっている。ここには、『タイガーマスク』のような歴史的な作品としての「総合性」があり、『無敵超人ザンボット3』のような「パースの大胆さ」がある。『伝説巨神イデオン』のような「カメラワークと作画の融合」があり、『うる星やつら』のように「作画の魅力を全アニオタに知らしめ」た。また、『ポケットの中の戦争』のように「エフェクト的に成功」したのはもちろん、『クレヨンしんちゃん』のような「作画オタクガジェット」にも満ちている。

全て詰まっているのだ。なんでもあるのである。つまりこの作画は、『タイガーマスク』と全く同じ意味合いを持っているのだ。作画史というものは、『THE八犬伝』以前と以降とで分けられる。これ以降に作られた作画で、『THE八犬伝』の影響を免れたものはないからである。

まとめ

以上、これさえ見れば作画を包括的・体系的にとらえることができる7本の作品を、制作された年代順に紹介した。

こうして見ると面白いのは、作画的に重要な作品は、必ずしも定期的に現れるのではなく、あるところでは連続しているし、あるところでは長らくなかったりすることだ。それはまるで「タイムシートの分布」のようだ。一見規則性はないように見えるものの、何かしらの法則が隠されているようでもあり、興味深い。

それから、ここに挙げた作品は、いずれも「見ることによって他の作画にも興味が移行する」ということを念頭に選んだ。

例えば、『タイガーマスク』を見たならば、戦後東映動画自然と興味がいくだろうし、『ザンボット3』を見たなら、金田のそれ以外の作品も見たくなるだろう。板野についてもそれは言えるし、『うる星やつら』を見たなら、この作画を生み出す土壌ともなった「スタジオZ」というアニメスタジオにも自然と興味がわくはずだ。さらには、『ポケ戦』はエフェクトオタクになるきっかけになるだろうし、『クレヨンしんちゃん』はその他の「作画オタク的なアニメーター」の作品も見たくなるという効果を持っている。

ただし、最後に選んだ『THE八犬伝』だけは、こうした例とは別に考えなければならないかも知れない。なぜならこの作画は、統一度があまりにも低いために、これを見た後に他の作画を見ると、どうしても物足りなく感じてしまうからだ。

しかしいずれにしろ、これらの作品を見ることによって、作画をさらに愛さずにいられなくなるのは疑いない。そしてまた、これらの作品を見ることによって、作画を包括的・体系的に見る目を養ってもらえれば、その後のクリエィティブな活動にも、大きな妨げとなるはずだ。

おまけ(参考文献)

上に挙げた作品への理解は、以下に紹介する著作を読むことによって、さらに深まる。これらを読むことによって、ぼくは「作画を体系的に見るとはどういうことか」を学んできた。

ニート時代に読んだこの本によって、「作画とは何か」ということを、ぼくはを知った。

「作画は技術の集積だ」ということが、この本を読むことでよく分かる。何気なく見ていたシーンでも、その裏には、実にさまざまな技術や、それを開発してきた歴史というものが隠されていた。

アニオタ金田の何に驚かされたかといえば、それはやっぱり大胆に歪まれたパースにだ。金田パースには、作画の本質が詰まっている。だからこそ、あれだけ多くのスタジオで多くの作画に、翻案されたり模倣されたりしたのだ。

ここでは取りあげられなかったのだが、大塚宮崎が作画というジャンルに及ぼした影響にも、本当に大きなものがある。そして、ぼくが上に挙げた作品のいくつかは、この本に書かれていた大塚の評価を参考にしたものでは別に無い

この本を読めば、どんな作画が素晴らしく、どんな作画がそうではないというのが、よく分かる。その判定基準を知ることができ、審美眼を養うことができるのだ。なにしろ、あの大塚の言うことなのだ。これにまさる教科書は、他にはない。

元ネタ

http://d.hatena.ne.jp/aureliano/20091126/1259227980

※「伝説巨人イデオン」になってた所を「伝説巨神イデオン」に修正

※一部改訂してます

※ほっとけよェ・・・・>金田に偏りすぎ>本文でなかむらたかしに触れてない

ブクマ200突破で一言、こんなんで「勉強になる」とか言ってっからおめーらいつまでも作画ニワカなんだよ!!死ね!!

2009-08-01

金田伊功を送る会

金田伊功を送る会

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去る7月21日、心筋こうそくのため死去した金田伊功(かなだ・よしのり)を送る会が開催されます。日本のほとんどの(著名な)アニメーション関係者が参加する予定です。 故人の活躍の幅広さと功績の大きさを実感できる催しにしたいと思います。 業界関係者だけでなく、一般の方の参加も歓迎いたします。

2009年8月30日(日曜日

開場=18:30 開式=19:00~21:00

入場無料 ※但し、入場券(座席指定)が必要です。

会場 杉並公会堂大ホール 定員1,200名

JR中央線地下鉄丸の内線[荻窪駅]北口5分

入場券(座席指定)が必要です。当日は配布いたしません。

参加ご希望の方は下記よりお申し込みください。

締め切りました。

会場には消防法により規制される定員がございます。定員に達し次第、参加を締め切ります。

参加資格は特にありませんが、お子様、特に5歳未満の幼児は入場をご遠慮下さい。

駐車場はございませんので、公共交通機関をご利用ください。

締切り:定員になりしだい締切ります

発送:8月24日すぎに到着するように入場券を発送いたします。

当日の催し:関係者によるスピーチ、代表作の上映などが予定されています。

平服でご来場ください。アニメーターのふだんの格好で良いという意味です。短パン、Tシャツでも良いのでは。アロハどうでしょうかねえ。もちろん弔意を表すスーツ姿でもけっこうです。

主催:有志一同 共催:アニメーション制作各社一同 事務局:アニドウ

協力:日本アニメーター・演出協会、他

ご質問はなるべくメールでお寄せください。

入場券の申し込みはメールでは受け付けられません。

発起人 ※順不同/敬称略 7/31更新

野田卓雄(アニメーター作画監督

荒木伸吾アニメーター作画監督

りんたろうアニメーション映画監督

内山正幸(アニメーター作画監督)

貞光紳也(アニメーション映画監督

飯島正勝(アニメーション映画監督

鍋島修アニメーターアニメーション映画監督

長崎重信(アニメーター作画監督

松原京子アニメーター

高橋朝雄(アニメーター

山下将仁(アニメーター作画監督

越智一裕アニメーターアニメーション映画監督

亀垣一(アニメーターアニメーション映画監督

平山智アニメーター作画監督

本橋秀之アニメーター作画監督

佐藤千春(アニメーターアニメーション映画監督

渡部圭祐(アニメーター作画監督

いのまたむつみアニメーター作画監督イラストレーター

湯山邦彦 (アニメーション映画監督)

羽原信義アニメーターアニメーション映画監督

わたなべひろしアニメーターアニメーション映画監督

高林久弥(日本アニメーター・演出協会世話人)

河口俊夫(アニメーター作画監督

佐野浩敏 (アニメーター作画監督)

今石洋之アニメーターアニメーション映画監督)

黒沢守(スクウェア・エニックス・コンテ班)

上妻晋作(スクウェア・エニックス・コンテ班)

大張正己アニメーターアニメーション映画監督

片山一良 (アニメーション映画監督

阿蒜晃士 (アニメーター作画監督・演出)

結城信輝 (アニメーターイラストレーター

大塚康生アニメーター作画監督

宮崎駿アニメーション映画監督

高畑勲アニメーション映画監督

富野由悠季アニメーション映画監督

芦田豊雄日本アニメーター・演出協会 代表)

宇田川一彦(日本アニメーター・演出協会 副代表

高橋良輔アニメーション映画監督

川和之 (アニメーション演出家

福冨博 (アニメーション演出家

本多敏行 (アニメーター作画監督

山口泰弘 (アニメーター作画監督

才田俊次(アニメーター作画監督

森本晃司アニメーターアニメーション映画監督

松浦錠平 (アニメーション演出家

丹内司アニメーター作画監督

山内昇寿郎(アニメーター作画監督

北島信幸(アニメーター作画監督

なかむらたかしアニメーター作画監督

庵野秀明アニメーション映画監督

飯田馬之介アニメーション映画監督

片渕須直アニメーション映画監督

高坂希太郎アニメーターアニメーション映画監督

佐藤好春(アニメーター作画監督

美樹本晴彦イラストレーター)

板野一郎アニメーション映画監督)

平野俊貴アニメーション映画監督)

石之博和 (アニメーター作画監督

本郷みつるアニメーション映画監督)

辻真先  (作家脚本家)

首藤剛志 (作家脚本家)

武上純希 (脚本家)

金春智子 (脚本家)

和田洋一スクウェア・エニックス代表取締役社長

高橋浩(東映アニメーション代表取締役社長

丸山正雄マッドハウスCCO)

鈴木敏夫スタジオジブリ代表取締役プロデューサー

布川郁司(ぴえろ代表取締役社長

松谷孝征(手塚プロダクション代表取締役社長

松元理人(トムス・エンタテインメント専務取締役

竹内孝次(テレコムアニメーション代表取締役社長

田中栄子(スタジオ4℃代表取締役社長

康晴コロムビアミュージックエンタテインメント代表執行役社長COO

佐藤俊彦プロダクション リード代表取締役会長

下地志直(ジーベック代表取締役社長

武田康廣ガイナックス取締役アニメーション製作部長

柄澤哲夫ゴンゾ執行役員社長CEO)

内田健二 (サンライズ代表取締役社長

井上伸一郎角川書店代表取締役社長

岩渕徹(徳間書店代表取締役社長

小黒祐一郎スタジオ代表取締役社長

氷川竜介アニメーション研究家・文筆業)

片山雅博多摩美術大学教授日本アニメーション協会理事)

安彦良和漫画家

村上隆アーティスト

友永和秀 (アニメーター作画監督

なみきたかしアニドウ会長・オープロダクション代表取締役

http://www.anido.com/html-j/kanada-j.html

2007-04-22

[]なぜ作画の評価が割れるのか?

アニメ映像面からみるとき、評価軸は二つある。

ひとつは、絵の美麗さ。

ひとつは、動きのよさ。

「絵の美麗さ」とは、いうまでもなく一枚一枚の絵の美しさ。本来は、レイアウトなども含めて絵としての完成度が測られるべきだが、最近では、キャラクターが可愛く描けているかどうかに重きがおかれる傾向がある。

しかしながら、アニメは構造上、多くの人間によって描かれるため、描き手の能力や個性によって絵柄がブレることになる。そのため、作画監督という役職を置くことで、1話単位での絵柄の(できるかぎりの)統一を図っているのが実態。

場合によっては、さらに“総作画監督”という全話にわたって絵柄を管理する役職を設けることもある。

「動きのよさ」とは、動画=動く絵としての心地よさ。細かい表情や、仕草、あるいは派手なアクションなど。この動かし方やタイミングアニメーターとしての技術力が最も現れる部分であり、個性がはっきりと出ることになる。“動き”は、キャラ演技や画面演出の幅の広さにつながる重要ポイントとなる。

かつて、80年代後半のアニメーターブームにおいては、様々な作品中でアニメーターが見せる個性的な“動き”にファンが注目し、スターアニメーターと呼ばれるアニメーターが何人も誕生した。

その時代に詳しくない人にも解りやすい例としては、金田伊功の「金田エフェクト」(オーラや稲光、またはその残像などが、画面内で激しく動き回る効果)や、板野一郎の「板野サーカス」(ミサイル戦闘機が、縦横無尽に追いかけっこをするように動く、メカアニメの定番表現。納豆ミサイルとも)がある。

ちなみに、上記のような“動き”の表現は、アニメーター達の間で模倣、継承され、さらに新しい表現を生んできた。スタジオ内の師弟関係によって、動きだけでなく、絵柄も継承されることがあった。アニメーター単位ではなく、スタジオ単位担当作品を認識するケースも見られる。

作画監督というシステムも、過去においては縛りの厳しいものではなく、作画監督ごとの個性が大きくでている作品も少なくない。『美少女戦士セーラームーン』はキャラ絵の可愛さに重きを置いているイメージがあるが、実際には作画監督の個性が強くでていた作品の代表例といえる。

アニメーターの個性を楽しむ、という面では、過去には『機甲戦記ドラグナー』において大張正巳による(設定とは異なった)有機的なラインで描かれるメカをそのまま登場させるオープニング(特別に本編に登場した回もある)や、『天空戦記シュラト』での菊池通隆による作画監督回(本来のキャラデザは奥田万つ里だが、当時『超音戦士ボーグマン』で人気が集中した菊池が特別に起用された)など、作画の個性がファンサービスとされたこともあった。

最近でも、『創聖のアクエリオン』におけるうつのみや理、『ギガンティック・フォーミュラ』での薮野浩二(本編)と門之園恵美(原案・ED)といったアニメーターの個性を全面に出した演出、遊びが見られるが、若いアニメファンから「作画崩壊」と揶揄され、拒絶されるケースが多くおもわれる。『天元突破グレンラガン』#4も、キャラクターの感情をさりげない動きで巧みに表現する小林治(『BECK監督)の個性が全面に出ていることで、過去3話と比較するファンに拒絶されている。

ちなみに、「作画崩壊」というのは本来、制作工程の管理ミスなどにより「動かない」「絵がヘタ」「色がついてない」等の“未完成”状態のアニメが放映、上映されてしまうことを指していた。1989年の『天空戦記シュラト』アスラ神軍編に始まり、1998年ヤシガニ」の語源となった『ロスト・ユニバース』、1999年未完成のまま劇場公開され波紋を呼んだ『ガンドレス』と、過去数度にわたり「作画崩壊」は発生している。アニメバブルによる製作本数の増加、海外発注の増加によるクオリティコントロールの困難など、様々な理由があるが、最近では海外スタジオとの作業ノウハウも蓄積されているので、トラブルになるケースは減少したが、国内の動画スタッフ空洞化という新たな問題も抱えている。

上記のような理由から、アニメーターブームを経験している様なファン(30代??)はアニメーターの個性に対して寛容、あるいは好意的な態度をとることが多い。

しかしながら、現在の「萌えブーム」の中核をなすギャルゲーラノベ世代の若いアニメファンにとって、アニメ映像クオリティの基準は“絵の美麗さ”“キャラクター一貫性”にあることが多い。これは、ギャルゲーライトノベルアニメーションとは異なり、原画家イラストレーターといった、比較的少人数のスタッフによって描かれることから、絵柄のブレが発生しないメディアであるということも、大きな要因であると思われる。

また、メディアミックスを通じて、複数のメディアで横断的に作品、キャラクターを消費することが普通になっているため、キャラクター一貫性を維持するということは、ファン活動そのものを維持することに直結する。ゆえに、いちばんわかりやすい、ビジュアルとしてのキャラクター一貫性が強く求められているのではないか。

このことは、『ぱにぽにだっしゅ!』では好評だった新房昭之が、そのままのスタイルで手がけた『ネギま?!』が原作ファンからブーイングをくらうことになったケースにも見て取れる。

今回『グレンラガン』がブーイングの対象になっているガイナックスは、本質的にはアニメーターの個性や動かす技術による部分が大きいスタジオであるので(決して、エヴァパチンコお金を稼ぐのが本質ではない、と思いたい)、今回のように作画監督原画の個性が顕著に現れることは、意外ではない。

最近では、アニメーターブームの中核を担っていたような人々が、監督クラスになって作品を作っているので、こういった遊びが復活するのも不思議ではなく、動く絵を愛するアニメファンとしては、どうか表面的なキャラ絵だけではなく、広い意味でのアニメをみる楽しさ、アニメの気持ちよさを知ってもらいたいなあと思って、このような駄文を長々と書き綴ってしまいました。

決して、俺達はお前達とちがって芸術が解る眼を持っているんだぜ!と言っているわけではないんです。ほんとに。

 
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