はてなキーワード: 人格者とは
正直理解できてない。私みたいな感覚のずれが分断につながるんだろうなーと思う
なんか勝手にハードル高くしてそのハードルは超えられないって嘆いてるように見えるんだよなあ、そんな卑下しなくて大丈夫だって
俺は大谷翔平にはなれないと悟ってバット捨てるみたいな極端さを感じる
その上で他責なのが気になる
大谷翔平を求める女のせいで俺は野球をやめざるを得なかった、みたいな?
彼氏が大谷翔平じゃなくてもいい、草野球を嗜むおじさんでも河原でキャッチボール少年でもいいという女もいるのにね、少なくはないと思うよ
女は弱者のこと眼中にないというが、本当に弱者なのか眼中にないのかは知らんが、とりあえず嘆いてる側は都合のいい女以外は視界に入れないようにしているように見える
まあ環境要因でそういう選択をせざるを得ない、そういうフィルタをかけざるを得ないってのはあるだろうからなんか辛いことあったんだろうなと同情するが
挨拶しても目も合わせてくれなかった人が微妙に会釈してくれるようになったときめっちゃ嬉しかったもん
あとちょっとずれるけど結婚やモテがゴール、既婚者は成功者で人格者みたいな論調の人がいるのもなんだかなと思う
世の中でろくでもないやつ(犯罪者とかそう言うレベル含め)も結婚してたりするじゃん
子供殴る既婚者より大喜利ではしゃぐ未婚者のほうが好きだぜおれは
なんかぐだぐだしすぎてわかんなくなってきた。みんな幸せになれー
叔父の仕事仲間などは、金目当ての女による冤罪に違いない!あいつがそんな事するはずがない!女許せない!と口々にいった。
たしかに、叔父は優しくて周りに信頼されていて、人格者と言って差し支えなかった
だけど私達は知っていた。叔父が何度も痴漢で逮捕されていたのを
その度にもうやらないと反省するものの結局またやって逮捕されるのを
示談を繰り返していたのを
会社にはバレずに済んでいたのを
叔父は痴漢をやめられない自分に苦しんでいたのかもしれない。だから、絶望して、終わらせるために自殺したのかもしれない
だけど、された女性にとっては罪から逃げて、それどころか自分に冤罪加害者の汚名を着せる「自殺」という手段は卑怯なんだろうな。
15年くらい前
私とHは創作仲間
一緒に旅行したり本を作るくらいには仲良し
未来の夢を語り合う仲間だった
10年ほど前
HがSさんと仲良くなる
Sさんが別ジャンルで起こした騒動を信用してるRさんから聞き警戒する
5年ほど前
Hが会いに来てSさんとの関係を説明してくれる、SさんとHは同居しはじめた。
また会うようになる、Sさんを交えて出かけたり、ネームの感想を言い合ったり。
Sさんから発表前のネームを見せ合うのは盗作問題で揉めるからやめたほうがいいと言われる。
HはSさんに心酔してるように見えた
私はSさんを警戒しつつ見定めていた
3〜4年前
SさんがHのアカウントから私の鍵アカを見てもいいかといわれOKする。
SさんはHのアシスタントをしているがHは育てるのに苦労していると聞く
私がアシスタントを探しているとHが条件にあいそうだとSさんを紹介してくる
HにSさんとのSkypeのやりとりを見ていていいかと言われ過保護だな…と思いつつOKする。
『(顔の)デッサンを直したらいいですか?』と言われる。
SさんがHのところでその作業をしていたのは知っていたが、親しい仲ならいざ知らず初めての職場で作家にそんな事を言うなんて…とショックを受ける。
私が10年勤めたアシスタント業を馬鹿にされたように感じてしまった。
明らかなエアリプで私の態度に憤慨していた
理由はアシスタントへの愚痴が止まらなくなってしまい、鍵アカにいる元アシスタント業の友人達を傷つけるのが怖くなったからだ
私はこの時期仕事が限界で友人への不義理が多く、返事をしてないものもあった。
1〜2年前
Hがそこでアピールしたい趣味が偶然私のペンネームと同じだった
Hの仕事ツイートなどはRTしていて交流は続けているつもりだった
ある日、HからのRTがまったく無くなっている事に気づき私もRTをやめた。
『Sさんを傷つけたのは申し訳なかったが、Sさんとは今後関わりたくない。でもHとは友達でいたい』
という内容の手紙を出す。返事はもらえず
えっお父さん有名人だったん・・・?
テレビとかネットでやるような試合とか出ないし、家じゃ猫へ顔をうずめて変な声出してるだけのオッサンなので何とも思ってなかった
けれど最近Youtubeに誘われるようになって「○○先生!」みたいにすごい勢いでコメントしてるお父さんのファン(教え子?)みたいな人がいっぱい出てきてビックリする
中学校へ入るくらいまでは道場へ行ってたけど次第に行かなくなり私は武術とは疎遠になって、ふと当時を思い出して突きをするだけで膝と腰と肩と肘と手首に激痛が走るほど弱ちんになっちゃってるくらいには武術まったくやってない
それをたまたまお父さんに見られると「弱っ!www」ってバカにされるんだけど、そのあと絶対に「道場来る?道場来る?」とウザいので「太くなるから絶対ヤダ」と言って断ってる
Youtubeで観るお父さんはなんだか人格者っぽくて「格好付けてるなぁ」なんて思うんだけど、共演してる武術家の人とかアシスタントの人とか門下生がするお父さんへの配慮を見ると「何だか私の知ってるお父さんじゃないなぁ」って感じ
なんかもっとこうお父さんはお茶目な人なので、イタズラとかしてあげたほうが喜ぶのに周囲は丁重に扱いすぎてるように感じちゃう
コメント見てて思った1つだけ気になった傾向と言えば「物凄いキレですね!」みたいなコメントする人いるけど、お父さんの動きは先生として基本に忠実で見えやすいようにやってるっぽいので、お父さんの動きの癖のまま本気出したらもっとキレて速いと思うよアレ
彼氏?ではないらしいけど書き捨て
好きな人ができたとかなんとかでわたしの母から離れる宣言をしながらも、
気に入った家が見つかるまでと居座ってるらしいので
私もこの人とは二十年くらいの知り合い。
「好きな人ができたとは言ったが恋愛感情がわからないので違うかもしれない」
の繰り返しで、こんなに話通じない人だっけ…となっていた。
変わってる自分に酔ってる?なんなのかな
母もそこそこ年齢が行っていて、
母の感情の起伏が激しくなっているのも気になるし、
お金の問題ならホテル代を出すので家が決まるまでビジネスホテルに宿泊してほしい。
と伝えても「僕は気にしない」「僕が見る限り体調は大丈夫」と…
挙句「きみよりお母さんといる時間は長いんだから僕のほうがわかってる」と言う。
ただただ悲しかった。
若いころの彼を知っていて、
人格者だなあと思っていたので母だけじゃなく私も結構動揺してしまい、
とにかく一度は娘だと言った人間のわがままだと思って聞いてほしいと押し通した。
彼が母と一緒に住むとなったとき(すでに私は独立してたけど)、
「じゃあこれから〇〇ちゃんが娘なんだね、目に入れてもいたくないね」
と言っていた彼を信じてしまっていた。
結局彼はそんなこと言ったことすら覚えていなかった。
「変わらず何かあったら呼んでほしい」
と言われたが、本当に、本当に申し訳ない、無理。
「家族」となる前ならできたのかもしれないが、
こんな終わり方じゃ無理だ。
なんというか20年も母も私も、何を見ていたんだろうという気になってあれからとてもむなしい。
揃って見る目がなかったんだな。
【追記】
なんか優しいコメントもらっていた。
ありがとう。泣いた。
母と件の男性が知り合って20年、一緒に住み始めたのはここ数年ってかんじです。
人に説明しづらいところがあったので吐き出せて少しすっきりした。
だから向こうの一緒に住む=結婚じゃないって主張は分からなくもない。
多分向こうはそれじゃ変わらないしもともとそういう人なんだなと思い直した。
昔の母と私がしんどかった時期に支えてくれた人でもあるんだけど、
眼の前の翁は憂いを帯びた目でディスプレイを見つめながらコーヒーをすする。
「わざわざ言わなくても、そんなのいつものことでしょう。インターネットなんて有象無象が罵詈雑言を浴びせ合うつまらない場所です」
「昔はそうでもなかったのだよ」
翁はゆっくりと首を振り、そしてため息を吐いた。
「集合知やweb2.0といった言葉が持て囃され、ゲーム系2chまとめwikiは充実し、数々の名コピペやブログ記事が日々刻々と生み出されていた。
今の腐海に沈んだインターネットしか見たことのない君には信じてもらえぬだろが、かつてのこの場所は、殺伐としながらも輝きに満ちた場所であったのだ」
「とてもじゃないですが信じられませんね」
「アーカイブすら失われた今となっては、それを証明する手段もない。仕方のないことだ」
翁はコーヒーを淹れてくると言って席を立ち、後には俺だけが残された。
検索結果はゴミのような記事で汚染され、人々は争いを求め、自分こそが正義でありお前らは悪なのだと糾弾しているばかりの、踏み潰された犬の糞のような日常。
人間の本質の片鱗が表出せずにはいられない場所、それがインターネットだ。
いや、たしかに中には人格者もいるだろうが、それは大多数の愚かで醜悪で、かつ自分がそうであると認識できない、そんな救いがたい人間たちの濁流に飲まれてしまう。
私はコーヒーカップの縁をなぞりながら、自分はあのような人間共のようには絶対にならない、と思いを新たにする。
やがて戻ってきた翁は、空になっていた私のカップに素晴らしい香りのするコーヒーを淹れてくれた。
ああ、願わくばインターネットなどには関わらず、いつまでもこのような穏やかな日常を過ごしたいものだ。
しかし、そのような日常を私に提供してくれる翁もまたインターネットから生まれた存在ということも事実なのである。
その矛盾に私は目をつむる。
「スポーツで人格形成が成される」という強者のための詭弁である。
自分の肉体的な弱さを認められても精神的な弱さは認められない。
スポーツで結果を出すためのルーティーンをどれだけ磨いても私生活においては過剰なアドレナリンを抑えられない。
強ければ正しい世界に染まれば自分の欲望だけを満たそうとすることを批判されても聞く耳を持たない。
これはね。
証明されたばかりなんですよ。
プーチンをみなさいよ。
「柔」の「道」をひたむきに鍛え上げた人だ。
だがどう見ても彼には柔らかい物腰など身についてないし、人としての道なんて踏み外しきってる。
でもそれは「スポーツをやれば人格形成が出来る」ということへの否定でもある。
心根のネジ曲がった輩はいくらスポーツをしても人格が歪みきったままだと言うなら、心根の立派なスポーツマンはスポーツなんてしてなくても立派な人だったということではないだろうか?
どうしても言い張りたいならウクライナの方に向かって「プーチンさんは立派な人格者だ!だって彼は黒帯だから!」と何万回でも叫んでみなさい。
何回積み上げても嘘が嘘であることを塗り替えられないような虚しいまでの嘘っぱちが存在することを思い知ることでしょう。
スポーツの世界はいい加減この誇大妄想じみた看板を卒業するべきだ。
「人格形成が出来るのかどうかは知らんがとにかくスポーツをするとスポーツが出来てスポーツが上手くなるかも知れないぞ」だけで勝負しなさい。
嘘を平気でつくような人達が「先生」と呼ばれてニタニタ顔でパワハラセクハラを繰り返し続ける限り、スポーツなんてものは真っ当にはならんよ