はてなキーワード: 裁判員制度とは
https://news.yahoo.co.jp/profile/comments/219967c1-2d51-45b8-b04a-4ef6e8e8e0be
この裁判は裁判官も検察も裁判員の方々も全員女性でやって貰いたいな。子供を自らの手で殺めてしまったことについては自分が1番罪を償いたいと思っていると思います。後から子供の可愛かった所ばっかり思い出してるんじゃないかな。この裁判員制度と言うものが少しでも良い方に傾いてくれる事を願ってる。
この案、もっと広まるといいんだけどな。
https://honeshabri.hatenablog.com/entry/onimai
この記事へのアンサーです。
病院の待合室でぼーって書いた増田が伸びててびっくりした…初増田だったのに
なるほど、勉強になりました。
事件として扱われたから控訴して高等裁判所に提出しないと駄目かと思っていました。
本邦裁判員制度は刑事のみなので、本件には無関係。アメリカ合衆国では民事で陪審裁判になることもあるけどレアケースじゃないかなあ……
裁判長の人にいきなり判決結果言われてもう裁判員の人とかと審理終わったのかと思っていたのですが、そもそも裁判長だけの判断だけで大丈夫なのですね。
マジレスになっちゃいますが身分証明書を作る時に非常に面倒くさくなるんです。
いやまぁ中学に編入出来てる話でこういうリアリティ考えるのはナンセンスかもしれないのですが。
ふらっと一人旅する時にも必要だったりするので、身分証明書なしの生活は大変だったりします。
薬が抜けると男性に戻るのか…それは厄介ですね。
まぁホルモン療法と同じ感覚で捉えれば薬が切れないように戸籍変更までいけそうです。
らんまは娘溺泉で若い女性になると明記されてるので染色体も変わっているでしょう。
らんまが望めば割と簡単に女性の戸籍は手に入れる事は可能だと思います。
男性の戸籍を使いたい時は良牙を水に落としてから戸籍借りれば良いでしょう。
結論としては、多分まひろちゃんは戸籍上の性別変更する際に子宮摘出はしなくて良いと思われます。
あくまで個人の見解なので間違ってる事言ってるかもしれないけど許してね。
あと増田は6〜7年前に色々勉強してSRS(性転換手術)したんだけど、ここ最近猛烈に法整備とか追いついて来てたらするので
昔はここが違った、最近はここが違うなどたくさんあると思うので悪しからず。
記事の感想としては、基本的に凄く真っ当な事が書いてて、ここまで調べられるの凄いなぁと思うと共に日本の法律はバグだらけで酷い物だというのが知れ渡って嬉しい限りです。
特に性転換手術の保険適用は性転換手術を行う為のガイドライン上でホルモン治療が許可されるまでの必要プロセスがありお医者さんの(結構面倒くさい)認定が必要なのにホルモン治療してたら適用されないバグっぷりに笑うしかないんですよね。
とはいえ実は保険適用になったのは最近で、少しずつ良くなっていけば良いなぁと思う所ではありますね。
女性から男性への胸オペ(おっぱいを取り除く手術)ぐらいには使えそうなので全く使い道が無いものでも無いのかなと。
手術自体、女性器を作る技術がタイの方が遥かに高いので、日本でしか使えない保険適用は厳しいという話もありますしね。
私は保険適用される話が出る前から水商売で手術費を貯めていたし、バグだなーって思うけど将来的にもっと気軽な手術になってくれれば良いかな、と思います。
さて、本題ですが多分元記事にあった唯一の間違い。
「不思議な力でTSしちゃったお兄ちゃんの戸籍を変えようと思ったら子宮排出しないといけない」という点ですね。
まぁ、これはこの世の事例に不思議な力でTSした症例が紹介されてないので当事者じゃないとわからんよなーって内容なのですが。
手術を行うまでにいろんなプロセスがあるんですが、その中に外生殖器検査、染色体検査というのがあります。
日本ではその人の戸籍上の性別を判断するのは赤ちゃんの時にお医者さんが股間を確認して「こいつは男の子だ!」「この子は女の子だね!」と診察する訳です。
が、そもそも外生殖器の確認を間違ったらしちゃう例がある訳ですね。
小さすぎたり一部が大きすぎたり、そもそもお母さんの子宮内で上手く形成されなかったりで。
そのため、ジェンダークリニックなどから大学病院などに紹介してもらい外生殖器と染色体の検査をするのです。
具体的にはスカートずらしてショーツ脱いで仰向けになって股開いてお医者さんに検査されるわけですな。
私は残念ながら生殖器や染色体共に男性だったので、非常に恥ずかしい思いをしてその検査をした後に「染色体上男性ですね」と言われるわけです。
ただ、まひろちゃんは恐らく不思議な力で完全な女性になった訳ですよ。
すると、ここでお医者さんは「おやぁ?これは女性じゃないか」と診断する事になるのです。
そうすると、話は非常に簡単。
家庭裁判所に「この子は男性としての戸籍があったけど外生殖器と染色体上は女性と酷似している為、社会生活上女性としての戸籍が妥当」という感じの手紙を送れる訳です。
そうすると(裁判員にもよるのかな?ここはわからん)晴れて裁判所からこの人は女性であるという事件番号が出て、これは行政書類なので役所に持っていく事で戸籍を変える事が出来る訳です。
めでたく?これでお兄ちゃんは子宮を摘出する事なく花嫁さんになる事が出来るのです。
羨ましい…。
ちなみに、気をつけないといけないのは、この裁判記録は再度覆せないということ。
(高等裁判所に行けばいけるのかな?)
一度下った判例は覆せない筈なので、お兄ちゃんが何らかの原因で再度男性に戻っても戸籍を男性に戻せないのです。
いやぁ、こうして見ると性転換周りは大変な事がわかりますね。
例えば子供に暴力を振るう親や危険運転でひき逃げをする人なんかだね
でもそういうのは記憶に残りはするけど基本的には法律や規則といって大きな枠の中だけで解決されてしまうので、一般人が意見をかませる余地があまりない
池袋の母子がひき逃げにあった事件等も裁判が完結すれば基本的に内容に文句を言う人ってそんなにいないんだよね
ところがそういう規則とはちょっと外れた場所に対しては人間の感情が入り込む余地があるらしい
例えば池袋の事件は「犯人の男性が上級国民だから逮捕されなかった」という話で持ちきりだった
本人の罪の重さよりも逮捕されたかどうかの方がなぜか話題として大きいのは印象的だ
端的に逮捕する意味がないなら逮捕しないけど、人間ってのはなぜか「逮捕=刑罰」という印象が強く、それを実行しないことが不当だと思い込みやすい
論理的に説明してもなお人間は自分の気持ちが最優先になってしまう
逆に、その事件の被告を裁判員制度に参加して裁くという考えは起こりづらい
量的なものの見方より、気持ちや配慮と言った他人から見えづらく説明のしようがない部分で他人を殴りたいという人ってめちゃくちゃ多いよね
これはそういう気持ちを盾にすればあらゆる暴力が許されると考えているからではないか?
精神的苦痛とは少し違い、あえて定量的に示すことなく自分の気持ちを侵害されたことを強調すればあらゆる常識や法律をかいくぐれると信じる人が結構多いように見える
解釈の世界だけで全てを判断できるため、論理的な説明はいらない
全ては声の大きさと勢いだけで言いくるめられる
国民のうち、成人からランダムで選ぶことになると思う。いわゆる裁判員制度の政治家版だ。
このメリットは一般国民の考えがダイレクトに政策に反映されることだ。
通常の多数決選出では最も人数が多く選挙に熱心な老人世代に支持される政策が掲げられてしまう。
また、宗教の力で選ばれた政治家は宗教の考えを政策にしてしまう。これは一般的な国民の考えとはまったく違ったものだ。
現在は、政治家は最も人数の多いグループを忖度してしまっており、税金を支払う労働者層が奴隷扱いされている。未来の国家を支える子どもより老人が優遇されるのはこのためだ。
年齢別ランダムで政治家が選ばれれば、忖度する必要がないため特定の階層が特に優遇されることもない。
宗教家の中から選ばれてしまう可能性はあるが、政治家が十分に多ければ国民中の宗教率と政治家の宗教率は同じはずであるため、正しく優遇政策が取られるという意味であり、問題はない。
ただしやる気のない人を政治家にしてもろくに活動しないため、辞退する権利が必要である。また、良くない考えを持つ人が活動してしまうのを避けるため不信任投票は実施するべきである。
裁判員制度とかなんの為にあると思ってるんだよ
自分はたぶんどっちかというと死刑廃止派で、だけど自分の大切な人がむごい殺され方したら「犯人を殺したい」と思うはず、という人間です。
日本における死刑の議論において、当然のように前提となっているのが「司法は復讐の代行機関(たるべし)」という考え方です。
たしかにそうであれば胸がスカッとするかもしれませんが、果たしてそうなのでしょうか?
結論から言うと、歴史的経緯からは「NO」です。このあたりの話はこちらのエントリがよくまとまっているので、一度読んでみてはどうでしょうか。
https://kihamu.hatenadiary.org/entry/20071206/p1
https://kihamu.hatenadiary.org/entry/20080707/p2
https://kihamu.hatenadiary.org/entry/20080816/p1
もう一つは、西洋における死刑の歴史を紐解かなければいけません。
西洋に限らず、アニミズムに端を発する文化圏ではしばしば生贄という慣習がありました。
これは自然や不運という「命を奪いに来る制御しがたいもの」に対し、あらかじめ命をささげておくことでそれを鎮めるという狙いがありました。
なので、何らかの理由を持って定期的に人を殺害するというのは文化的には自然なことであり、その標的となるのは罪人や余所者であることが多いのも納得しやすいでしょう。
また西洋における近代法や人権の考え方として、国家や権力というものは暴走し、それを個人(市民)がけん制しなければならないというものが基礎としてあります。
フランス人権宣言以降、西洋の法というのは個人を縛るものであると同時に国家を縛るものでもあります。
よって、西洋の諸国家には国家があくまで法に則して虐殺・恣意的な死刑を執行した歴史があり、その反省として死刑廃止がトレンドになっているという経緯があります。
日本でもたまに、政府高官が不審死することがあるでしょう。あれも広義の国家権力の暴走による死刑です。
「冤罪だったらどうする」論もこの辺に含まれるものと考えていいでしょう。つまり裁く側の権力が間違ってたらどうする?って話なわけです。
ここで困るのは、そうした西洋近代法の成立に通底する思想と、天下り的にそれを”輸入”した日本人の仇討ち感覚との間で、死刑だけが異質なものとして浮き上がってしまっているのです。
刑法論には「応報刑論」と「目的刑論」というものがあり、簡単に言えば「刑罰で犯人に同じだけの苦痛や損害を与える」というのが応報刑論で「刑罰でその犯罪を思いとどまらせる」というのが目的刑論です。
例えば次のような命題がそろっているなら、論理的に考えて死刑廃止に賛成する人がいてもおかしくないはずです。
・「司法は歴史的に見て復讐を代行する機関として成立したものではない」
・「死刑があるからといって凶悪犯罪を思いとどまる奴は少ない」(目的刑論)
・司法は歴史的に見て復讐を代行する機関として成立したものではない
⇒知らねーよ輸入したんだから。こちとら150年前まで仇討ちやってたんだよ。
⇒でも犯人殺してすっきりしたいじゃん?(応報刑論絶対正しいマン)
日本には死刑廃止に至る十分なロジックがないということなのです。
私も親や配偶者や子供を殺されたりレイプされたら、それ以上の苦痛を与えてやりたいと思う程度には俗な人間ですが、でもそれって俺の感情であって司法のあるべき姿とは限んないよな~とも思います。
光市の母子殺害事件なんかで遺族の男性が会見している風景をテレビでよく見ていました。
非常に痛ましい事件ですが、あのあたりから「遺族の感情を司法に反映すべき」みたいな意見が増えて、なんかモヤっとしていました。
そして裁判員制度までもを輸入した日本ですが、上のような議論を経ずに来ているので変なことになっているなと思います。
「うるせぇ、俺は加害者殺して気持ちよくなるんじゃ!」とクールジャパンな法整備をしてもそれはそれで結構なんですが、外国から「お前の国って法学無くなったん?w」って笑われるのがオチだと思います。
・死因をまとめた書類を提出
裁判員制度と同じように国民からランダムで選ばれ、死亡者の蘇生について客観的に審査をしてもらい、
④蘇生にあたって
蘇生を行う前に、家族や親族に蘇生方法の説明、必要書類への記入してもらう。
また蘇生後の死亡者に対するケアの方法や、死亡者が学生の場合学校、社会人の場合は会社の代表者にも説明を受けてもらい、
⑤蘇生
※1病気で死亡した場合や、反社会的勢力は蘇生対象外。基本的に殺人、交通事故等自分の意志とは無関係に死亡した人が対象
※2無差別に死者を蘇生できるようになってしまうと、快楽殺人が増える可能性がある為。また、蘇生前提の快楽殺人は通常の殺人より罪が重く、
年齢関係なく死刑が宣告される。ただし快楽殺人の被害者は無条件で蘇生される
※3蘇生には多額の税金が投入される。また蘇生の受理、不受理によって生じる不平不満からケースによっては蘇生者が差別を受けることも。
また極左は陰謀論、極右は選民思想を盾にしてSNSで毎日議論を繰り広げている
※4蘇生者が目覚めた時、担当者がかける言葉。「おめでとうございます」と発言し炎上した経緯があり、「おかえりなさい」で統一された
申請から実際蘇生されるまで1年かかりそう。それによって生まれる時間差が同級生や、同僚、友人、恋人との溝を深めることもある。
という妄想。
裁判員制度なんか無くてよかった
精神科 鹿児島県立姶良病院 鹿児島県姶良市平松6067 TEL:0995-65-3138 FAX:0995-65-8044 E-mail.air-hos@pref.kagoshima.lg.jp
http://hospital.pref.kagoshima.jp/aira/
「2019-06-19 県内唯一の公立精神科病院 社会のニーズに応えたい
1983年鹿児島大学医学部卒業。鹿児島大学医学部附属病院神経科精神科医員、県立鹿児島保養院医長などを経て、2013年から現職」
「また、医療観察法に基づく指定入院・通院医療機関としての役割も担っており、研修も実施しています。この研修は、関係者をはじめとする地域の精神科医療関係者を募り、年に1回程度開いています。
裁判員制度が始まってから、全国的に精神鑑定の件数が増えています。責任が重い仕事ですので、当院では6~7人が分担しています。精神鑑定ができる医師の養成も、われわれの役割です。そのためには、経験を積んでもらうことが必要。社会の要請に応えられる人材が育ってくれたらと願っています」
「時代とともに患者構造や病状が変化し、地域社会の精神疾患患者に対する目も変わってきました。地域移行も進んでいます。
私たちの役割は、まず患者さんや地域の方が困ったときに、すぐに対応できる力をつけておくこと。さらには地域住民にも、精神疾患や精神疾患がある患者さんに対する理解を深めてもらい、地域全体の対応力を上げていくことなのだと思います」
「2020/11/27 13:00 日置5人殺害公判 「被告は重度の妄想性障害」 起訴前鑑定医が証言
2018年に日置市東市来町湯田の民家で男女5人が殺害された事件で、殺人と死体遺棄の罪に問われた近くの無職岩倉知広被告(41)の裁判員裁判第6回公判が26日、鹿児島地裁(岩田光生裁判長)であった。起訴前に精神鑑定した医師は「犯行当時は生来の自閉スペクトラム症(ASD)に加え、重度の妄想性障害を抱えていた。深刻な精神状態にあった」などと述べた。
起訴後に精神鑑定した別の医師は25日の証人尋問で「妄想性障害の程度は軽微で、一連の犯行は元来の人格傾向の影響を強く受けている」と証言。裁判の大きな争点である責任能力の判断を巡り、参考となる鑑定医の意見が大きく分かれた。
26日の証人尋問に出廷したのは、県立姶良病院の山畑良蔵院長。検察側から依頼を受け、逮捕・送検後に期間を延長しながら18年7月から19年1月まで精神鑑定した。
山畑院長は、生活の変化などから妄想性障害を発症した時期を04年前後と推定。一時的に軽減することを繰り返し、長期的には悪化していたとした。病状の深刻さを踏まえ、統合失調症の可能性も示唆した。
妄想性障害の悪化により、「思考・行動に異常があった」と指摘。弁護側から動機や行動選択への影響を問われ、山畑院長は「誤った考えに基づく病的感情は、当然行動に影響を与えている」と述べた。
27日は、精神科医の証人尋問や被告人質問、遺族の心情意見陳述を予定している」
https://373news.com/_news/?storyid=129151
平成元年に卒業し、鹿児島大学病院精神科で研修を受けました。精神科は自然科学だけでは解明できない興味深い世界があるのでと思って期待もありましたが、漠然とした不安もありました。
しかし、指導医の先生方に丁寧に指導していただき、また、いろんな病状、個性のある患者様と向き合い経験していく中で、「人の心」「精神」というものを自分なりに考えるようになり、学会で発表したりもしました。
姶良病院は、鹿児島県における精神科医療の中核としての役割を果たしています。精神科に興味のある先生方にとっては、貴重な研修ができるものと思います」
http://hospital.pref.kagoshima.jp/recruitment/message/aira.html
「県立姶良病院情報誌 第 62 号 やすらぎ 令和元年 7 月 1 日発行 病院理念 ~安らぎと幸せを~
「山畑狂蔵」とは 副院長 堀切靖
知らない方が多いと思うが、山畑良蔵院長は以前「山畑狂蔵」というペンネームを持っていた。少し自虐的で、少し自慢げで、少し笑いを取った、とってもいいネーミングだと私は思う。
「狂」の其の一:顔で笑って、実は心の中で怒っている。逆に、怒っているように見えて、心の中では笑っている。これ、まさしく「狂」
「狂」の其の二:私は昨年から医療観察法病棟の病棟医長をしているが、多職種で会議を開き、入院継続の 3 要件や症状評価の 17 項目を検討したり、外出、外泊では詳細な計画を立てる等、大変。大雑把な私は集中力がなくなり、いつしか違うことを考えたり、眠くなったりする。しかし、狂蔵氏は、それらの報告を聞き、ちょっとした?間違いに気づき、でも、実はそれが大きな問題だったりするのに気づかされる。その集中力、注意力、気づきの鋭さ、まさに「狂」
「狂」の其の三:志布志の田舎で生まれ育った、まさしく神童。神童は数学者を目指していたと言う。高校時代の愛読書は哲学書。狂蔵氏が入院していた時、私が感動した小説を差し入れたところ、小説を読む楽しみは将来に取っておいていたのだと。その知力、忍耐力、まさしく「狂」
「狂」の其の四:医療観察法病棟を開棟する際、20 人?30 人?の職員で研修会に参加。懇親会の後の 2 次会は狂蔵氏がカードでポン。腹が出ているのは昔からだったか?まさに「狂」
「狂」の其の五:長年にわたり姶良病院に勤務し、海千山千の処遇困難例の治療に携わる。その間、興奮し暴言を吐く患者と対峙すること数えきれず。時に消化器で泡だらけにされたこともあれば、包丁を持った患者に追いかけられたこともあり。それでも患者を愛する狂蔵氏、まさに「狂」
「狂」の其の六:姶良病院は交通事故や違反が多いということで、繰り返し職員に指導が行われている。実は狂蔵氏は 2 回も後ろから追突されたことあり。しかも、1 回は大きなダンプカーであったが、ボルボに乗っていたためか、特に怪我はなし。ただ車は 2 回とも廃車。これも「狂」なる故か。
「狂」の其の七:毎年、95 パーセントの稼働率を維持し、県立病院の経営改善に最大限に貢献する。医療観察法病棟の開棟、精神科救急病棟の開棟、各病棟の改築を行った。去年は自治体病院精神科部会の会長、来年は日本司法精神医学会の会長を務める。さらに重大事件の鑑定、各所での講演等々、その働きぶりは、もう「狂」と言うしかない。だが、近くで見ている私が一番すごいと思うのは、リスクマネージメントや組織を運営、管理する能力である。管理者としての能力はとても真似できない秀逸な「狂」。
「狂」と言いながら、褒めてしまった。なので、ここでこそっと言っておこう。狂蔵氏は隠れセクハラ親父である。可愛い女性職員に「おっ、今日の洋服はかわいいね。いいね!」等、ポロッと言ってしまうのを私は聞いている。その心の中は「狂」に違いない」
http://hospital.pref.kagoshima.jp/aira/images/stories/contents/201901yasuuragi.pdf
・・・殺人事件の精神鑑定も行っている県立病院の医者たちが「あのセンセイは狂っている、狂だよね~」などと院内誌に堂々とおふざけを書く人権感覚のなさ。