2016-11-25

集団に合わせるの辛すぎ

幼稚園では一人遊びが最高の楽しみだった、自分世界だけで生きていた

朝顔のたねを潰して、砂を掘って、壁に登った


小学校では図書室の図鑑けが休みの私を癒してくれた、外遊びには興味が持てなかった

ロケットコンピュータに憧れた


中学校では、体育の時間の後で全員が制服に着替えても一人だけ体操服で授業を受けた、そのほうが涼しいから

こんな自分クラスのみんなはそっとしておいてくれた


高校では体育祭をサボって図書室で本を読んでいた、拘束されるのが嫌だったか

数学の美しさに触れ科学に惚れ込んだ

親が泣いても文化祭に行かなかった、それまで一日もクラスを手伝ってなかったか

遠足ときは家を出てから学校病欠の連絡をして満喫で時間を潰した、もう親を泣かせたくなかったか


大学天国だった

友達はみんな過度に干渉しないオタクだった

授業は面白かった、つまらなくても過去問単位を取った、科学こそ自分のスキなことだと感じた

サークルに熱中した、気づいたらリーダーになってすべてをつぎ込んでいた


大学院は思っていたのとは違った

科学者って根性論がスキなんて知らなかった

空気を読んでテーマ決めて、空気読んで指導うけるのが辛かった

科学への渇望は消えていなかったけど修了と同時にアテもなく飛び出した、先生研究室には我慢限界だったか


僕は10年経っても体育祭から逃げていたんだ。集団から、どこからともなくリーダーが現れて全員に無言の圧力不文律押し付ける。集団の中で、時間場所思考自由を奪われていくあの感じ。社会蔓延するあの体育祭空気から、きっと抜け出せると信じていたんだ。それでも、自由になれなかった。


まだ、後夜祭のキャンプファイヤーは消えずにいる。

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