はてなキーワード: メンマとは
ユニークな立ち位置にあるラーメン屋。 ゆずのいい香りがラーメンとよく合う。もはや語る必要はないだろう。
暑いときに入店。冷やし系のラーメンを注文するも温度ムラもありぬるくて話にならない。これが常態化してるなら優良誤認と言っていいと思う。問題が従業員にあるのか商品開発にあるのかはわかりかねるが、味付き牛肉がとにかくぬるかったので豚の冷しゃぶに変えるなど温度を下げる方向で商品開発すべきだろう。
あったかいラーメンが食べたくなる頃合いになったらもう一度来店しようと思う。味の善し悪しはまあ特に気にならないのでこっちなら問題なく食べられるはずだ。
しょうゆ豚骨を久しく食べておらず懐かしさすら感じる美味しいラーメン。久しぶりだったので鼻腔を突く獣臭さに驚くものの、久しぶりのとんこつラーメンは美味でした。
魚介だしの効いた人気店。毎日使う魚が変わる。ラーメンの後に食べる焼きおにぎりがいい。スープにほぐして〆る。個人的にはみょうがの薬味が大変良かった。
ホタテのダシを取っているラーメン屋。入店時からホタテの香りがすごい。うまかった。
現代的な内装外装と味わいが程よいラーメン屋。オススメはつけ麺。でも私は醤油が一番いい。二郎とか家系を敬遠してる人には特にオススメ。
味玉とチャーシューとメンマとネギと三つ葉のオーソドックス、鳥と昆布のスープ、全粒粉入り麺がうまい「そうそう これでいいんだよ」をアップデートしたかのようなラーメン。デイリーユースですすれるしつこくなくもたれることもない味が良い。
別日にて再来店。今度は塩を注文する。チャーシューと小ねぎと岩のりのバランスがよく、柚子の皮もひと切れ入っていて風味も良い。トッピングでのりを頼んだが5枚80円は今どきなかなかのコスパ。
しいて欠点を言えば大盛りは量が多くて良いのだがスープの量とのバランスが崩れて食べ終わる頃にはほとんどスープが残っていない状況になる(麺が伸びたわけではない)これは食事中麺をほぐしづらくスープも絡みづらいということ。原因はどんぶりの形状である(というと大抵のラーメンヲタクならわかるだろう)から、おとなしく並を頼むのがいいだろう。
関東エリア全体で見ても頭2つくらい抜けてる旨さ。記帳製かつ短時間営業なので土日祝で確実に食べるなら開店1時間前には待機する覚悟を持つべし。リターンは余りあるので安心してほしい。平日も待機列はできてるけどあまり待たなくてもいい、しかしそれでも早めに食べに来ることをオススメしたい。
オーソドックスなしょうゆと塩ラーメンを提供している。店の並ぶ通りの雰囲気から楽しめる立地であり、そこから提供されるあっさりとした口当たりのラーメンはふらっと立ち寄るにはちょうどいい。
小手指駅前通りに位置する味噌ラーメンと中華そばを主体とするラーメン店。味噌と言っても強烈なThe・ミソというものではなく、まろやかで角がなくはっきりとした指向性の味を持たないもののそこに通底する味噌の奥深い味わいはこれもまた味噌ラーメンの系譜なのだなあと思わせるには十分である。余談だがここの立地は過去に花月嵐も入居していたことがあり、ここ10年で数店舗ラーメン店で入れ替わってきている。
麺屋幸生に向かう途中ミスドのある丁字路(以前はここに西友の旗艦店である小手指店があったが惜しまれながらも閉店した)を左折し、直進するとファミリーマートのある交差点にぶつかる。ここを右折しファミリーマート沿いに進むと1分もしないで到着する穴場ラーメン店。魚介系、自家製麺、ほろほろチャーシューで旨いのは確定だが、ここのラーメンもハッキリとした塩味を感じさせず、どこかさっぱりとした食後感があってたいへんおいしい。
所沢駅を出てプロペ通りを直進した先にある旧ダイエーそばにある。ここの店もあっさりした味わいのしょうゆラーメンと鳥白湯ラーメンを提供している。オススメは鳥白湯。
どういう意図で作られたか?ではなくて、どう受け取られたか?が重要で、それによってレーベルやタイアップ企業のイメージがどうなると予想されるか?が問題の本質でしょう?
それなのに、見る側の解釈のせいにしたり分析力のせいにしたりする人を見かける
それってどうでもいい細部にこだわっているだけのように見える
たとえばラーメンを見せれば糾弾される社会があり、そこでうどんの絵を描いたらラーメンと誤認され糾弾された、としよう
そこにラーメンを見せたいという意図がなかったことが分かっていたとしても、ナルトとメンマとチャーシュー乗せたうどんの絵を描けば、そりゃあ批判は免れないでしょ、ってなるのが普通だと思う
現実、多くの人がラーメンと誤認したわけだから、それが本当はうどんだったかどうかなんて関係ないよね、って
でも、現実今回のコロンブスの件で擁護している人たち (擁護ではなく事実の論理的説明だ、という表現もあるが) は、なぜか麵の太さを執拗に解説するような姿勢を見せている
でも、その主張に対する素直な感想としては、うどんなのはそうかもしれないけど、じゃあナルトとメンマとチャーシュー乗せずにかまぼこと海老天くらいにしとけばよかったよね、って思う
だって絵のうどんかラーメンを見分けるポイントってそういう記号的なものから来る印象でしかないのが現実だから
だから、印象を超えた厳密な解釈なんて世の中では広く受け入れられることはない
残念ながら世の中には不文律があって、ここまではOKだけどこれを表現したらアウトね、っていうルールがなんとなく存在する
そのルールを参照したときに、違反に該当すると思われたものは、公には存在できないのがこの世の中の慣習
それがいいか悪いかは議論があると思うし、全面的にいいとは思わないけど、それを言ったところで世の中は変わらないんだから仕方ない
公に、っていうのは、大きな企業が複数絡み、社会的イメージを良好に保ちたい人たちが大勢関わっているときに、という意味合い
アーティストが個人レーベルで、表現に自信や信念がある場合、その表現を取り下げたいと願う関係者が存在しないことから、問題ある表現も取り下げる必要はなく存在できる
でも、今回の件は、アーティスト個人の問題ではなく、所属レーベルとコカコーラのイメージも絡んでいる
「厳密な解釈では差別意図がないのは明白」だとしても、それを主張し続けるよりも企業イメージを優先したいのは当然
シンプルにそれだけの話だ
実際彼らは最短で取り下げ謝罪し、ダメージを最小限に抑える正しい振る舞いをしたわけだ
誉められていいと思う
結局のところ
あのMVが公開され続けるべきか否か?という問いに対しては、ステークホルダーがイメージダウンを懸念する以上存在できない、一般人はその判断に関われない、が答えとなる
じゃあそのイメージダウンに関して、あのMVは本当にイメージダウンにつながるか?という問いに対しては、一定の割合が直感的に問題のある表現と感じた以上はイメージダウンはある、というのが答え
で、そんなわかりきった事実に対して、きちんと解釈すればどうこう、ってのは、正直この問題の本筋から完全に外れた遊びとしか思えない
まさに、解釈なんてどうでもええやん、解釈は本質ちゃうやんって話
本当にそんなにMVの内容解釈にこだわりたいのなら「公開され続けるべき」とか「批判者の解釈は正しくない」とかとは離れた文脈で、フラットに「こういう解釈が正しかろう」という文学的な解説であるべきだ
もちろん批判者側も、センシティブなイメージを想起させるMV内の表現のみに対してアウトを表明する権利があるだけ
アーティストの音楽性そのものを批判するのはもちろん違うし、それどころか人間性や知性について言及するのは完全に間違っている
そこはちゃんとわきまえなきゃいけないのはわかってほしいところ