はてなキーワード: そんじょそこらとは
アカザっていうのはそんじょそこらに生える雑草の類いらしいのだが、しかし私は自分の生活圏で見た覚えがあまりない。近い種類らしいシロザという草なら、庭とか空き地とかに生えているのを見たことがある。
アカザとシロザの違い。葉っぱの付け根辺りが赤い粉をまぶしたように色づいているのがアカザで、白い粉をまぶしたように色づいているのがシロザ。そしてアカザのほうがでかく丈夫に育つようだ。ちなみに、アカザとシロザは食おうと思えば食える植物らしいのだが、食べた後に日に当たると、血中に入り込んだ草の成分と日光が反応して皮膚炎になることがあるそうだ。
アカザの杖とは、でかく育ったアカザの茎を乾燥し、漆を塗ったりして加工したもの。ただの草とは思えないほど硬いが、長さはそんなになく、腰が曲がって小さくなったお年寄り向きかもしれない。独特の風合いが仙人の杖を思わせる。
都会では高級傘を扱うお店にアカザの杖が置いてあることがあるらしい。田舎の方だと、民芸品として安いお土産価格で売られていることもあるとか。
例の件を最初に見た時点では、あーこれまたフェミのおやつじゃんよーやるわ、くらいにしか思ってなかったんですよ。
逆にそれ以上は何もなかった。いやだっていくら苦情が入ろうが擁護が入ろうが結局最終的にどうすんのか決めんのなんてフェミでも俺らでもないわけじゃん?
だからツイッター流し見てあーはいはいなるほどね完全に理解したってやるだけで明日には忘れてんだろうと思ってたわけですよ。
でも見つけちゃったんですよ。
「この広告がエロくみえるやつは普段からエロしか頭にないだろ」
んなわけ無いだろ・・・
月曜日のクソみたいな気分をでかいおっぱいとかわいいお顔でふっとばしてくれてたキャラクターが!エロくないわけ!!ないだろ!!!!
大体お前らいつもこういうのでエッッッッ!!!とか言ってんじゃねーか。抑えてても反対側から見えるおっぱいとかお前ら大好物だろ。
っていうか比村乳業だぞ。アイちゃんの由来だってバストサイズだっただろあれ確かそうだったよね自信無くなってきた。そもそも月曜日の「たわわ」だぞ。
あの作品は「おっぱいでかいかわいい女の子」がメインコンテンツだろ。そこにエロスを感じる少年のマインドを持った人間たちを元気にしてた作品だろ。
いや実際巨乳のきれいな子が電車内に現れたら「おっ」っと思いつつも自己防衛のためにまず距離離すだろうけど、それが「非現実の絵」として供されたからこそ俺らは後顧の憂いなく元気になれたんだろうが。
なにが「これのどこが性的なんですか?」だ。これにエロを見いだせないならオタクやめちまえ。
フェミの意見を否定したいからって作品の持つエロスを否定したらやってること大差ねーじゃねーか。
「漫画の広告を新聞とか中吊りに掲載することになんの問題が?」っていうぐうの音も出ない正論パンチが可能なのに、なんでそういう意味わかんない方向に擁護しようとするんだ。
正直、昨今の情勢考えたらこんな広告出した瞬間フェミが火つけにくるなんて火を見るより明らかなわけじゃないですか。素人の僕だって第一印象が「フェミのおやつ」ですよ。広告出す側が想定してないわけないんですよ。
じゃあなんでこれが世に出たかと考えた。
僕が思うに、フェミがつけた火を誘蛾灯に、フェミに対する反発を購買意欲に変換する令和最新版の炎上商法ですよこれは。自分で火をつけないあたりそんじょそこらの炎上商法よりはるかにタチが悪い。
老害になりつつある古いオタクの僕は迷惑系ようつべrが炎上動画で話題に登るたびに動画は見ずに冷笑してたクチで、平たく言えば炎上商法とか唾棄すべきものだと思っているタイプなんですが、時代は変わってもはやオタク文化が炎上商法仕掛ける側になったのかと急にスン…ってしちゃったんですね。いや多分僕が知らないだけでそんな事例以前からあるんでしょうけども。観測範囲に入ってきたのは初めてだったからうろたえちゃったんですね。
これに対してツイッターでしこたま反応したしここでこんな駄文までしたためてる自分もその炎上商法に加担してしまったのだなぁと。
まあ他にも賢者タイムと酒とのコラボで「文化」と「資本主義」の関係性についてとかまで考えが及んでひとしきり友人にクダ巻いてめんどくせえなぁお前と言われたのが昨日までのハイライト。
いや賢者タイムってすごいですよアレ。ちゃんと制御しないとどんどん話が明後日の方向に広がってくし主語も目的語も際限なくデカくなる。
賢者はこれ制御できるんですかね?常人の僕には無理です。みんなも賢者タイムに鍵なしSNSで持論ブッパするときは気をつけようね!あ、僕は鍵垢です。セーフ。
で、アレですよ。
悲しいことに僕はもう月曜日のたわわを見るとこれは僕の嫌いな炎上商法では?という色眼鏡が外せない呪いにかかってしまったので、素直にこのコンテンツから元気をもらうことは難しくなってしまいました。
でもよくよく考えたらそんなの大した問題じゃないんですよ。
というわけでブルアカ始めました。
https://www.youtube.com/watch?v=_9BHTNFFSnM&ab_channel=%E3%81%88%E3%81%84%E3%81%BFchannel
淡々と、「学校の男の子たちが、可愛い女の子によって行って、やっぱ顔じゃんって思った」みたいな話から、「
そこから美容アカウントを見て、美容やりたくてお金必要と思ったからセクシー女優になった」とのこと。
しかし、そんなシンプルな話を、「やりきる」のは異常な努力が必要だし、そう言う努力して、「目的叶いました」みたいなのはほぼあり得ない。
あり得ないことを成し遂げた上で、「この業界じゃなかったら、ここまで美容拘らなかった」と言い切る。
社会の中で一番きついレベルの競争で女として勝ち抜いてこのシンプルな話。
凄すぎてびびった。
今回の仁藤氏、正直「温泉むすめ自体の是非」がメインで話し進めてるでしょ。
今までの論争であった「公的機関が」「公の場で」というのはそんなに重視してないと思う。
「性差別コンテンツがある!そのうえ!国が推奨している!」でしょ?「公的機関が」というのは一番ではないでしょ?
そんなに読み違えてないよね。これ。
いわゆる古のオタクで、艦これやらなんやらを「何でもに萌えに結び付けやがって」とか、「最近のオタクは作品を分析・研究しない」とか言ってた人は、
どこかのタイミングで、ツイフェミと古のオタクで乖離が起きるよ。
だって、いまセリフをいちいち聞いて「性差別!」って言ってるんだよ?
そんじょそこらのコンテンツで、逆鱗に触れそうな要素一つはあるよ。
今後はコンテンツごとぶっ潰そうとする動きが高まってくと思うよ。
古のオタクも「最近のお宅は萌えさえすればよいからレベルが低い」的なこと言ってるから、そんなに乖離しないかもしれないけど…
とにかくオタクは運営を責めがちだがsideMが廃れたのはオタクのせいではという気持ちしかない。
まず各方面に喧嘩を売りすぎた。他社アイドルゲーどころか「女性向け」という巨大なくくりにすら喧嘩を売っていた。
サービス開始時から「そんじょそこらの女性向けとは違う」「ただの女性向けじゃない」って普通に女性向けジャンルを愛好してるオタクに喧嘩を売っていたし、声がつくようになってからはキャストが後から発表されたものは声優のパクリ、出演者がかぶってると実質SideMで声優かぶってるってだけでsideMの宣伝をして顰蹙を買ってた。
その後どう考えても発注書に貼り付けるポーズ集同じの使ってるんだなで終わるような構図被りに対して指の線を一本ずつ角度を合わせるとなんとなく線が重なるからトレパクだ、頭の大きさを合わせると肩幅が同じになるからトレパクだと難癖をつけだして、自浄も働かなくなったからこのへんで同じゲームやってるの恥ずかしくなってやめた。後からフォントを無断使用無断改変して製作者に文句いわれたり、アニメでもトレパクしててるのには笑わせてもらった。
新しいユニットもアイマス基準だとあんスタのパクリだけど自分がするぶんにはいいんだなって思う。
ライブで声優クラスター出してちょっと話題になってたから覗いてみたけど相変わらずろくでもない集団だ。
その他も当初からちょっとでも不満を言えば嫌ならやめろってこれはアイマスだアイマスの流儀に従えないなら出てけって追い出して最終的に過疎ジャンルになったなって印象なのに、とにかく悪いのは全部運営で運営さえちゃんとしてたらキャラはいいからもっと流行ってたっていう幻覚はどんな薬を使って見てるんだろう。
ここ何年かは全然関係ないイベントの物販でsideMはもっとちゃんとしてたsideMを見習えって言いだすオタクも、声優がかぶってるからsideMをお願いしますって言いだすオタクも見なくなったので、今いるオタクは前よりはまともな人の割合が増えてるかもしれない。それでもまともな人はむやみに騒がないから、目立つのは害悪オタクなんだろうな。
オタクの気持ち悪さ以外だと、オタクがホーホー叫ぶ用に曲縛ってたのが一番不満だったな。特別歌がうまいわけでもオケに金かけてるわけでもないから本当に聴いてて飽きる。
今、ここ日本に、そんじょそこらのスポーツ万能さんが束になっても敵わないような才能と、部活動で有名な学校の生徒全員を合わせても足りないような努力量と、周囲にどんな誘惑や雑音があろうとひたむきに目標に向かって命を削る勢いで取り組むような精神力の持ち主が世界中から集まって、現時点での(下手したら歴史上の)実力世界ナンバーワンを決めようとしているわけだ。
これが興味の対象になるというのが分かんないんだよな。個人的には。
しかも努力量は割と人それぞれなんじゃねって思う。なんか話題になってる数学ポスドクで金メダル取った人なんて、努力量はどう考えてもその競技だけに全力を注ぎ込んだ人よりは少ないわけだし(努力の密度とかいう測定不能な謎概念の話をするのかもしれないが)。
あと「周囲にどんな誘惑や雑音があろうとひたむきに目標に向かって命を削る勢いで取り組む」みたいなこともよく言われるけど、その割にオリンピック選手村では大量のコンドームを配ることが慣例になってるという事実との整合性がよく分かんないんだよね。
今回の開催にはコロナ禍という意味でも招致の経緯からも反対してきた。何なら現時点でも反対。
首相、森喜朗、橋本聖子、バッハの発言にも頭に血が上るほど腹が立っている。
自分たちには何もできない、と言っているアスリートたちの無責任ぶりにも顔をしかめている。
でも、こうして水泳や柔道といった前から好きな競技が始まると、見ずにはいられない。
分かってる、どれだけ上で書いたことと矛盾した態度かというのも理解している。
俺みたいなのがオリンピックの開催を後押しして、結果感染拡大して命が失われる可能性があるというのも、言われなくても分かっている。
でも、でも。
今、ここ日本に、そんじょそこらのスポーツ万能さんが束になっても敵わないような才能と、部活動で有名な学校の生徒全員を合わせても足りないような努力量と、周囲にどんな誘惑や雑音があろうとひたむきに目標に向かって命を削る勢いで取り組むような精神力の持ち主が世界中から集まって、現時点での(下手したら歴史上の)実力世界ナンバーワンを決めようとしているわけだ。
そんなことが時差もないおかげでテレビのチャンネルを合わせればすぐにでも見られる状況にある。
そう考えただけで、もう見ずにはいられないんだ。興味を持たずにはいられないんだ。
見なくても死なない、誰が金メダルとろうと日常生活には関係ない、日本人が勝ったところでお前が何か達成したわけではない、そういう言説は死ぬほど聞いてきたし、理解もしている。
でも、選手たちの全力を出す姿を見て、未踏の領域に挑もうとする様子を見て、これまでの人生を賭けるその直前の表情を見て、つまらない自分が少しでも生きる希望を持てたのも事実なんだ。
頑張る力くらい人に頼らず自分で捻り出せ、って言われそうだけどさ、俺みたいに自分の力が信じられなくて、限界を自分で決めてしまって、結果いつまでも伸び悩んでいる人間からすると、極限まで自分を追い詰めて今この瞬間に爆発させている選手たちの姿はこれ以上なく輝いて見えるんだ。
腹の立つ政治のニュースを見てるとこの世からおさらばしたくなるけど、選手たちの姿を見ていると生きる力が湧いてくるんだ。
こんな話を聞くと腹が立つんだろ?
こんなオリンピックを楽しめるなんて呑気で馬鹿だと思うんだろう?
こういう奴がいるからオリンピックは変わらないし、日本も変わらないんだって思うんだろう?
たぶん君らの言ってることが正しいんだよ。自分もオリンピックに興味を持てない人間だったらどんなにか楽だったかと思うよ。
でも俺はスポーツに、アスリートに興味を持ってしまったんだよ。見るなと言われても無理なんだよ。それはつまらない日々を生きろと言われてるのと同じなんだよ。
オリンピックのことをSNSでつぶやかない。つぶやいたらそれはこのオリンピックを盛り上げることに繋がるから。
同じ理由で職場でも話題に出さない。ネットの記事にもアクセスしない。
ただ、テレビを見て家族内で盛り上がるだけに徹する。それくらいは許してもらえないかな。
ごめんよ、でもどうしても見たいんだ。
【追記】
> ここに巣食ってスポーツ選手に呪詛ふりまいてるのなんて一般社会からみたらごく一部のやべえ変わり者でしかないんでそんな奴らの意見を主流派だって勘違いしないように。十分にオリンピック楽しんだらいい
俺は、今回の五輪の騒動でスポーツ選手に対する世間の印象は少なからず悪くなったと思っている。
このコロナ禍の最中にさまざまな特権を得ながら自分たちが主役の祭典を行うって、逼迫している医療現場の人たちや苦しいのに入院できないでいる患者およびその家族、自粛を要請されている飲食店からすれば、憎悪の対象でしかないと思う。
彼らの思いがやべえとか極端だとも思わない。それを知りつつオリンピックを観戦する自分の方がむしろどうかしているのかも、とすら思っている。
読んだ。ほぼ同じだと思うけど、蓮舫氏は選手への祝福の言葉をつぶやいてしまっているのがまずいと思う。
俺も書いたけど、そういう行為はオリンピックを間接的に盛り上げるのに貢献してしまっている。
こういう隙を見せてしまうところが立憲民主党の悪いところだよな…と思いながら見てた。
家族もスポーツ好きであれが見たいこれが見たいと言い合いながら楽しんでいるんだが、これは巻き込んでいるということになるのか?
> テレビで見るだけならそれ全部「日本でやる」かどうかは全く関係無いよね。今までの他国でのオリンピックと同じ。何がいいたいかよくわからん。見たけりゃ見りゃいいじゃん。俺は今までの五十余年と同じく一切無視。
そう、今までの他国のオリンピックと同じく今回も見るという話。日本でやることがどう関係しているかというと上にも書いたけど「時差がない」こと。
これが日本時間で真夜中にやっているみたいな状況だと諦めもつくんだけど、今回は生活時間内に見ることが可能。なので見てしまうんだ。
何が言いたいかこれで分かった?
歴史的経緯を無視して現代の動きだけ見てもトヨタ労組は共産党の主張を支持できないのよ。
何せ欧州のCAFE規制は明確なトヨタ潰しであって、CAFE規制そのものが原発を前提に組まれているものだからな。
原発へ強い反対主張を繰り返す共産党とトヨタが融和するわけもなく、更に言えば大企業というだけて内部留保をもってバッシングを続ける始末で、原発ナシにする技術開発する資金すら貯め込んじゃいけないと来たもんだ。
原発レベルの高効率エネルギー理論の開発研究がそんじょそこらの低予算で出来ると思ってるのかと。いま使ってない金を将来どう使うかもわからんのに。
しかもKKOとか男じゃなくて、フェミとかお気持ち長文腐女子とかに多い
逮捕しちゃうぞのアニメ版みたいなの、そういうのが読んだり書いたりしてる悪役令嬢モノも1000倍劣化コピーだけど基本プロットあんな感じ
だから俺、ツイッターとかで女性差別問題とかで毎日毎日ニュースで紛糾しているの見るたびに、全然他人事のように感じてしまう
多かれ少なかれ社会に言論で殴りに行くやつらってのは、自分の理想の社会にしたいからするんだが、その頭の中の「自分の中の理想像」っていうのが異様に古いから全然理解も共感もできないんだよ、こういう人ら
エヴァQ以前の男見せたシンジ君はどーでもいーよってスタンスだったネット民が、なんもできんウジウジした情けない無能の側面だけ抽出したようなエヴァQでは自分のことを言われたと感じたかのように発狂してる奴ら多いのと一緒なんだろうな、ああいうの
そういう腐女子とかクソフェミが好む漫画とか創作ってだいたいさ
ギベーーガベーギョボボ---!!!みたいな奇声まき散らして奇行に走って、サバサバ系とか称して親の教育疑うような愛想もなんもないオッサン臭いことして
それを『そんじょそこらの女とは格が違うア・タ・シ(キリッ』と悦に浸ってるのが気持ち悪ぃんだよ、純粋に
そんなコンサータ飲んでないADHDみたいなキ〇ガイみたいな類人猿と付き合おうなんて奇特なイケメンいるわけねえだろ、精神科の医者とか精神病の研究者とかなら検体として付き合ってくれるかもしれんけどよ
典型的な自分のことを面白い人間と思っている対人コミュニケーションできない人間のソレ、クラスに昔一人はいたアレ
美人美女と一級の女扱いされたいから、コメディアン枠でカースト上位に入ろうとするけど
他人のことを自分をちやほやする介護要員としか見てないから総スカン喰らう人まんま
そんな無駄な努力して周りに不快感まき散らすくらいなら、整形外科にでも行って顔面改造手術でも受けてきたら?ショッカーの死神博士みてぇな医者にさ
こういうブス女とかブサイクな男は大体どいつもこいつも
ギベーーガベーギョボボ---!!!みたいな奇声まき散らして奇行に走って
それを『そんじょそこらの女とは格が違うアテクシ(キリッ』と悦に浸ってるのが気持ち悪い
典型的な自分のことを面白い人間と思っている対人コミュニケーションできない人間のソレ
イケメンや美人美女と一級の女扱いされたいから、コメディアン枠でカースト上位に入ろうとするけど
他人のことを自分をちやほやする介護要員としか見てないから総スカン喰らう人まんまだよね
ココシャネルみたいに堂々と勝手に他人の富裕層のマジモンの令嬢に成りすまして
戦時下のドイツに単独潜入して上流階級やナチス高官相手に悪役令嬢ごっこでもすりゃ良いだけ
個人的にはオペラよりも好きかもしれない。特に、愛した女性の墓を掘り起こして遺体に直面するシーンがあるところとか。不毛な愛情というか、すれ違いや失恋ばかり読んでいたことがあり、これを読んだのもそんな時期だ(「エフゲニー・オネーギン」とか「マノン・レスコー」とか)。というか、そもそもオペラって「乾杯の歌」とかすごい好きなんだけど、台詞が聞き取りにくいし、台詞を同時に歌う箇所もあるし、なんか難しい。
ちなみに主人公の独白に曰く、「ああ! 男というものは、その偏狭な感情の一つでも傷つけられると、実にちっぽけな、実に卑しい者になってしまうものです」。……バレましたか。
自分が日本SFを読むきっかけになった人で、ハヤカワのJA文庫の小川一水とか林譲治とかが特に好きだった。
この作品は、太陽の表面に異星からの物体によってメガストラクチャーが作られ、日光を奪われた人類が滅亡の危機に瀕するのだが、若干のネタバレを言うと、最初からエイリアンには悪意が全く存在していなかった。僕はそんなところが好きだ。基本的に自分の好きなシチュエーションは、他者との接触により悪意はないにもかかわらず傷つく、というのがあるのだ。
ちなみに日本のSF作家をより広く読むようになったのは大森望と日下三蔵の年刊日本SF傑作選のおかげ。感謝感謝。
三十歳で婚約者がいるのに、親戚の十八歳の女の子に手を出しちゃったダメな人が主人公。結婚の約束をした女性からは婚約を破棄されてしまい、彼は思い出の品を集めた博物館を作りだす。イヤリングはともかく、自分が家をのぞき見た瞬間を画家に描かせた作品や、下着までも集めているあたり、ただの変態である。帯には「愛に生きた」とあるけれど、愛情というか執着や妄念であったような気がする。けれども、不毛な愛のほうが読んでいて面白い。
ところでトルコという国は、女性がスカーフを被るかどうかだけで政治的な立場の表明になってしまう国であり(ハイヒールを履くかどうかも政治的立場の表明ではあるが、トルコはその傾向が顕著だ)、その点からも読んでいて面白い作家であった。
映画オタクのゲイと政治犯の獄中での対話劇。ゲイはどうやら看守から政治犯の様子を探るように頼まれているようなのだが、いつしか二人には友情が芽生えていく。緊張感のある対話劇であると同時に、ゲイがお気に入りの映画を語るときの調子は推しについて語る幸せなオタクそのものである。安易に神という表現は使いたくないが、語りが神懸っている。ゲイの口調が女言葉なので、少し古い訳なのかもしれないが。
大学時代、年齢不詳の友人がいて、今も何をして食べているのかよくわからないんだけれども、今でも時々強烈な下ネタのメールが来る。そんな彼が薦めてくれた小説。村上春樹の「世界の終わりとハードボイルドワンダーランド」の「世界の終わり」パートに影響を受けた作品を部誌に掲載したらものすごい勢いで薦めてくれた。
彼は物にこだわりがないというか、読み終えた本をよく譲ってくれた。同じブローティガンの絶版になった本やシュティフターの「晩夏」などもおかげで読めた。「晩夏」はくどいのでいただいてから十年後に読んだのだが、現代の小説では確実に切り捨てられる長さの風景描写を含む小説を、定期的に読みたくなる。
就職のために架空の宗教団体によるテロをでっちあげる侍の話。時代劇の形を借りているんだけど、時代考証は完全に無視している。そして、自意識過剰人間とクレーマーとおバカしか出てこない語りの芸だ。だが、大体町田康の作品は大体そんな感じだし、人間って元来そんなもんなのかもしれない。オチも基本的に完全に投げっぱなしだが、爆発落ちや死亡オチのギャグが結構好きだったりする自分がいる。文学っていうのは自由でいいんだよ。
ムーミンシリーズ以外のヤンソンの文学作品を選ぶべきかどうか迷ったのだがこっちにした。友人からなぜかヘムレンさんに似ていると言われていた時期があったことだし。
児童文学や短篇って長篇とは違った難しさがある。短い文章と簡潔な表現という制約の中で、キャラクターを端的に表現しないといけないから。そのお手本みたいな作品がここにあり、内向的な人間にやさしい世界がここにある。ちなみにとある哲学者の持っている本の名前が「すべてがむだであることについて」であり、すごく笑える。
全く関係ないが僕は萩尾望都の「11人いる!」のヴィドメニール・ヌームにも似ていると言われたことがある。緑の鱗に覆われた両性具有の僧侶で、とても善い人で行動力もあるのだが、説明するときにやや言葉が足りない。
嘘つきで利己的で、のし上がることにしか興味がない空っぽな存在に恋をしてしまった善良な青年。「悪い娘」の人生の航路は語り手の人生におおよそ十年ごとに交叉するが、一貫して彼女本位な関係に終始する。
これはどうしようもない女の子に恋してしまって、四十年間ものあいだそれを引きずった男の物語だ。地位も財産もなにもかもなげうって、何度裏切られてもひたすらに与え続けた。そんじょそこらの悪女ものとは格が違う。シェル・シルヴァスタインの「おおきな木」のように。
猥褻だということで昭和時代に裁判になったというので読んでみたが、どこが猥褻なのかちっともわからない。しかも、作者の思想がうるさいので文学的な美を損なっている。
性表現は露骨というよりも、おちんちんに花飾りを結ぶみたいなのどかなヒッピー文化的な感じで、エロティシズムについては性描写の無い仏文学のほうがずっとぐっと来るものがる。しかし、時代を先取りしていていたという意味では素直にすごいと思うし、この程度で猥褻だと騒いでいた時代はさぞ不自由で息苦しかったのだろうなあとも思う。
最強のファーストコンタクトもののひとつで、ネタバレするとオチは「意識やクオリアとはときとして生存に不利かつ無駄であり、この宇宙では淘汰される可能性がある」という絶望的な結論。人間の心も愛も宇宙の中では無だ! みたいなSFが大好き。
基本的な構造は「宇宙のランデブー」の変奏で、未知のエイリアンの遺物の中を探検するのだが、強烈な磁場の中で意識が攪乱され様々な精神疾患を一時的に患うという違いがある(実際に脳に強烈な磁場を近づけると活動する部位が変化する)。言及されるコタール症候群や半側空間無視といった症状もすべて実在するが、脳科学の知識がないと全部作者のほら話なんじゃないかって読者が誤解するんじゃないか若干心配。
それと、ハードSFとしてはすごい好きなんだけど、どういうわけか吸血鬼が味方に出てきて(人類を捕食していた類人猿の遺伝子を組み込んだ改造人間という設定)、味方のはずなのにこちらに危害を加えようとする不可解な設定があり、これは作者の吸血鬼やゾンビに対する偏愛のせいだろうが、プロットの上であまり関係がないし必然性もなく、そこが無駄に思われた。そもそもなんでそんな遺伝子組み込んだ危険なやつを作るんだ?
以上。
だって、あのリストは「バカにあっさり扇動されるカモのリスト」に他なりません。
プペルの興行収入が鬼滅の刃を上回るような自体が起こってもおかしくありません。
騙されるような奴らのリストなんです。
詐欺師がよだれを垂らして欲しがる代物だ。
カモれることが確定していて、政治思想、とりわけ右翼方面でヨイショすれば簡単に食いつくバカの集まりってことまで見えてるからな。
こんなものが世の中にばら撒かれちゃならん。
「バカがカモられるだけだから大丈夫でしょ?」って思うかも知れないが、バカをカモって力をつけた詐欺師はそれを元手に次の詐欺の先行投資が出来るようになる。
先行投資先は、次のカモリスト、そこにはもしかしたらボケ始めた君たちの両親が載ることになるかも知れない。
わかるか?
詐欺師が餌にありつく機会をゆうゆうと見過ごしちゃいけねえよ。
院長の判断は正しい。
畑中を初めて認識したのは中1の3学期だった。中高一貫の母校では毎年高3送別会として各学年の有志が出し物をするイベントがあった。学年が上がれば各学年のカラーが出てきてそれぞれに工夫を凝らした出し物になるのだが、高3との関係性も薄い中1はたいてい合唱と相場は決まっていた。その合唱の練習にいった多目的ホールで、なんかやけに綺麗な子がいるなと思った。すらりと背が高くて顔が小さくて、鼻筋は高く通っているけど鼻先は少し丸くて親しみがあって、真顔でも口角が上がっている猫のような顔。胸下まである長い髪が静電気で少し膨らんでいた。
いつどのように仲良くなったかはどうしても思い出せない。気が付けば毎日のように畑中と手紙を交換し、イラストの練習をし、力尽きて眠るまで長電話をし、プリクラの新しい落書きを開発し、ハリーポッターの世界に浸り、塾をさぼって何をするでもなく新宿のマクドナルドに居座り、インターネットにハマってブログを開設して高校生ブログランキングでいいとこまで行ったりしていた。私たちはたいていランキング上でも並んでいて、いつも畑中の方が上にいた。高1か高2の球技大会中、早々に負けて残りの2日間ヒマだったのでピアッサーを買いに行って次の日学校の廊下で畑中にピアスを開けてもらった。私はどこにピアスを開けるのがおしゃれかなんて分からなかったし、穴を増やすつもりもなかったので完全に畑中にお任せして場所も決めてもらった。実際にピアスを開けるときよりも畑中がハイテックで耳たぶに位置決めのマークを書いている時の方がなぜか緊張した。畑中はピアスに凝っていて、形がいいと褒められるから右の耳にはもうピアスは開けないんだと言って左耳にばかり穴を増やしていた。
畑中に話していないことは何もなかったし、お互いの人生の登場人物は全員把握していた。高2の時にくだらないことがきっかけで大喧嘩して、喧嘩の勢いでお互い言わなくていいことまで言ってしまった。引っ込みがつかなくなってしばらく初めての別行動をして、一緒に観に行きたかったなって思いながら観たロードオブザリングは全然面白くなかった。後から仲直りして、「ロードオブザリング、一緒に観たかったのに」って言ってくれたときはやっぱりうちら親友だねって思ったよ。
私は畑中が一番の親友だったけど、畑中にはもう何人か細く深い友達がいて、その子たちはみんな学校では少し浮いている性の香りのする女の子たちだった。彼氏が途切れない女バスのギャルグループみたいな男好きするムードとは違い、〇〇ちゃんの彼氏って、社会人らしいよ……と噂が立つタイプの、今にして思えばクラスメイトは幼稚で話が合わなかったんだろうなというような早熟なはぐれ狼と仲が良かった。畑中自身は何人かに告白されこそすれ試しに付き合ってみても全然ピンと来なくて別れる、みたいな感じだったので、畑中は恋愛にあんまり興味ないのかな?なんて思っていた。なんせ畑中は美人だし、そんじょそこらの男が付き合えると思ったら大間違いよ。だから大学に入ってから、予備校の仲良しグループの男の一人と付き合いだしたときは(あんまかっこよくないし背も低いのになぁ)なんて勝手に思っていた。
そうして安心して自分を委ねられる相手ができたことで、畑中のメンヘラの才能が開花した。元から畑中は時間にルーズだったり忘れ物が多かったりルールを無視したりするタイプだったけど(そういうところが私も似てたからお互い遅刻しまくりながら長く付き合っていた部分もある)なんかそういう自分本意で、自分が良ければあとはなんでもいいようなところが加速していた。畑中は受験がうまく行かなくて不本意な大学に通っていたのもあって、大学1年の時はとても不安定だった。でも1年後再受験することに決めて、無事第一志望の大学に合格した。私は畑中の受験が終わるのをすごく楽しみにしていて、受かったらお祝いに一緒に沖縄に行こう!って言って旅行を予約していた。「やっぱり行けない」と言われたのは出発の3日前。うち厳しいし旅行のことも怒られるから言ってない、今更言えない、キャンセル代は払うからと言われて落胆し、怒り、「なんでもっと早く言ってくれなかったの」と詰った。「だって聞く耳持たずって感じだったじゃん。勝手に決めちゃうからさ……」と言われた。私が一人で先走って空回ってただけ。キャンセル代は銀行振り込みだった。さすがにショックだったけど、志望校に受かった畑中は明るさを取り戻し、また魅力的なやつに戻っていたのでなし崩しに今まで通りの付き合いが続いた。
畑中が受かった大学はたまたま私の家の近所にあって、私はその大学で別の友達が立ち上げたサークルの手伝いをしていた。私がグループで集まれる数少ない友人の一人が、とある企画のために入学直後から大変な苦労をして作り上げたサークルだった。畑中はそのサークルに興味を持って入ることになり、美人なのにおちゃらけた性格でもってすぐ溶け込んだようだ。前後関係は忘れたけど、前の彼氏と別れた後はサークルの仲間の一人が恋人になったようだった。その頃私はほとんどそのサークルには関わっていなかったんだけど、そこでまあよくあるサークル内の小競り合いみたいなことに発展し、畑中はサークル創立者の友達と対立して揉めた。泣かせた。その友達からこんなことがあって……と話を聞いている最中、畑中からメールがきた。「今六本木で飲んでるよー!増田もおいでよ!」
ナメられてんな~と思った。私のことも蔑ろにして、私の大事な友達のことまで傷つけるんだ。人が作ったサークルに後からやってきて我が物顔でぶち壊そうとしている。それで呑気に飲んでんの?六本木で?なんかもう限界だった。小さく積み重ねてきた「大切にされていない」という思いがここで臨界点に達し、「私が何も聞いてないとでも思ってる?もう連絡しないで」と返し、メールを受信拒否して連絡先を消した。それから今日に至るまで会っていない。
畑中は小さい頃にママを病気で亡くしている。仕事で忙しいパパと厳格なおばあちゃんに育てられて、畑中はずっと愛が足りなかった。パパには再婚したい相手がいて、多分畑中が学生のうちはやめておこうと思っていたのか籍はいれていなかったけど、その相手の女の人の影がちらつくたびに畑中は不安定になった。中学生の私ですら、畑中にはパパしかいないんだから再婚なんてしないでよと思っていた。畑中はずっと誰かに愛されたかった。そしてそれは私ではだめだったのだ。私が誰より一番畑中が好きだったのに。よく男女の恋愛で「私はあんたのママじゃない」なんて台詞があるけど、私があんたのママだったのに。本当に大好きだったのに、趣味もセンスもあんなに合う友達あれから十何年経ってるけどできないよ。でも時間や決まりごとにルーズすぎて、私との約束も適当に反故にしちゃって、ないがしろに扱っていい相手だって思ってたことが分かってるからもう会えない。大人になった今なら再会しても適度な距離感で付き合えるかもしれないけど、きっとまた同じことで私がキレて終わりなの。畑中の一番にはなれないから。畑中の愛されたいを満たすのは恋愛じゃないとだめで、ただの友達じゃそんなもん満たされなかったのだ。私が畑中が自慢したくなるようなイケてる友達だったらなんか違ってたのかな?眠くて何度も切ろうとした電話を「まだ寝ないで、もっと話そうよ」って言ってきたのはいつも畑中だったじゃん。でも恋じゃないけど愛してたよ。もう一生会いたくないけど、寂しい夜が少ないことを祈ってるよ。