はてなキーワード: ブラスとは
日本では'76年に、フィレス・レーベルの作品がまとめて再発売されたことがありましたが、ボックス形式としては本邦初で、しかもCDのボックスとしては今回が世界初ということになります。また同時に、<ヒーズ・ア・レベル>という、関係者のインタビューを中心にした本が白夜書房から発売されます。それを読みながらこのBOXを聞きますと512倍楽しく聞けることを保証致します。
1958年、17才にして彼は”スター”でした。この後ポップスの歴史を彩ることになるクリスタルズやロネッツ、キャロル・キングやバリー・マン、ビーチ・ボーイズやビートルズの誰よりも先に<NO.1ヒット>を持っていた!、このことが良くも悪くもスペクターのその後の人生を決定づけたと思います。ポップス史上、#1ヒットを星の数ほど作り続けたリーバー&ストラーや、ジョージ・マーチンも、自らの#1ヒットはなく、このことが彼を単に<プロデューサー>の範疇では捉えられない最大の理由です。<彼を知ることは、彼を愛することだ>というデビュー曲の<彼>は、もちろんスペクター本人の意味で、そこには強引さ、傲慢さも感じられますが、実はそれが力強くもあり、<スターの要素>そのものだともいえます。彼の仕事ぶりを評して、全てを自分一色に染めてしまう、という批判をよく聞きますが、これはことの本質を理解してい居ない人の発言です。かれは<裏方>ではなく<スター>なのです!それを、アーティストの持ち味を引き出すのがプロデューサーの仕事だ、という常識的な意味で彼を捉えようとするから批判的になるのです。彼こそが<スター>で、誰が歌おうか演奏しようが、他の人は全て脇役なのです。単に映画監督と言う視点でヒッチコックを捉えるとおもしろい解釈は生まれない、というのにも似ています。(誰が主演でもヒッチの映画になります。黒沢さんもそうですね。)
デビュー・アルバム「TEDDY BEARS SING」のB-1「I DON'T NEED YOU ANYMORE」の<ステレオ・バージョン>はナント、リード・ボーカルの女の子の声が左で、真ん中がフィルのコーラス、しかも、ところどころリード・ボーカルの3倍くらいの大きさでコーラスが<邪魔をする>といってもいいほどの前代未聞のバランス!です。
デビュー前からしてこうなのですから、自己主張とかワガママなどという、なまやさしいことではないのです。
SCHOOLもの
のちにブラック・ミュージックにのめり込んでいった彼ですが、スタートは白人ポップスでした。まずは自らのヴォーカリスト、ギターリスト、および作曲家としての才能を試すところからはじめた、というところでしょうか。'50年代後半は、まだ黒人音楽は一般的ではありませんでしたが、若者の間では熱狂的な指示を得ていました。スペクターもいろいろな黒人アーティストを聞いていたようですが、こと自分のデビューに関しては、世間的に穏便な方法をとったところなど<奇[...]
また'50年代中期には「暴力教室」をはじめ「HIGHSCHOOL CONFIDENTIAL」など<怒れる若者>をテーマにした映画が続々と作られ、その代表としてJ・ディーンが登場し、代表作が「理由なき反抗」-REBEL WITHOUT A CAUSE -でした。このように、当時の若者のキー・ワードの一つは<REBEL>であり、「乱暴者」のマーロン・ブランドのような皮ジャン、サングラス、バイクというスタイルが流行しました。
彼のでデビュー・ソングはたしかに<学園もの>でしたが、それまでの、例えばドリス・デイの「先生のお気に入り」調のホンワカしたものではなく、女の子が自分の想いを直接的、また積極的に<ナゼわかってくれないの?>と切々と歌い上げるというのは冬至の若者のフィーリングにピッタシきたようです。実はこの手法、スペクター特有の<ソフィスティケーションの中の直接性>というもので、彼を理会する上で大事なことなのです。
ある程度、あるいはそれ以上の音楽の素養がなければミュージシャンや作曲家になれなかったジャズと違って、ギター1本あればだれでもロックンローラーになれる、というのがロックの時代でした。子供が技術を会得して成長し、大人の仲間入りをするのがジャズだとすると、ロックは、子供が子供のままで音楽ができるというのが特徴でした。ヒョットしたらオレにもなれるかもしれないと、多くのシロウトがわれもわれもと参加したことが、音楽の単純化に拍車をかけました。ジャズが豊満でふくよか、とすると、R&Rは骨と皮だけといえましょう。ジャズが大人の音楽で、背景はナイトクラブと女性とお酒が似合いましたが、子供の音楽として誕生したR&Rの背景に一番ピッタリだったのはナント、<ガレージ>でした。
麻雀同様4人(あるいは3人)いればすぐにできたのがR&Rの特徴でしたが、ニュー・ヨークのようにせまいところで大声を上げれば、お母さんに怒鳴られるだけですからストリートへ出るわけです。50'sのDoo Wapブームの背景は街角-ストリート・コーナーが似合ったわけです。
それにくらべて土地の広大な中西部や西海岸は車がなければ不便なので、当選、どこの家にもガレージがあり、ここが若者の格好の練習場所となりました(蛇足ですが、今の日本のロックのサウンドの背景は<貸しスタジオ>--密室--ではないでしょうか?)。さて、楽器は感覚でどうにか弾けますが、作曲というのは簡単そうでもやはり多少の音楽の素養は必要です。しかし、若者の、なんでもいいからR&Rをやりたい!という想いはこんなことではくじけません。骨と皮だけのロックを、さらに皮も捨てて骨だけにしたのです。それが<ギター・インストゥルメンタル>でした。これは、楽器を感覚的にかき鳴らすだけですから、とりあえずだれにでもできました。ジャズの単純化がロックとすれば、これはさらに、ロックの単純化で、その極致であったわけです。
これが<ガレージ・サウンド>の正体でしたが、この時代に呼応するかのように、新しく生まれた現象がありました。それは、録音機が少しずつ普及し始め、ガレージや居間などでの<ホーム・レコーディング>が行われるようになったことです。そして、デモ・テープのような、ある意味では乱暴
チャートに登場するようになり、まさに音楽の大衆化が、内容だけではなく、音質までにも及んだのです(エルビスもバディ・ホリーもデビュー曲は地方の、オヤジさんが社長、オカミさんが専務、というような町工場風のスタジオで録音したものです)。
それまでの録音は、演奏者と録音技師はガラスを隔てて別々の仕事場でした。技師が演奏者にマイクの使い方を指導することはあっても、演奏者の方が技師に注文をつけるというケースはめったにありませんでした。しかし、ホーム・レコーディング特有の、機械いじりの好きな少年の思い付きや、また機材不足からひねりだした斬新な工夫は、新しいサウンドの母体となるのです。
スペクターは、テディー・ベアーズの録音の時から、スタジオ内と調整室を行ったり来たりして、録音技師を困らせていたようですから、コダワリの姿勢は最初からのようです(口述しますが、後年よくいわれるワグナー好きやソウル・ミュージックの追求というのは、スターにありがちな<後付け>である、と私は考えています)。
このホーム・レコーディングが、実は<スペクター・サウンド>の根幹なのです!<BACK TO MONO>の意味もこのことなので、一つのかたまり、大人数、熱気、乱雑の中の整理、複雑の単純化、そして<ホーム>、これが彼の求めたものでした。かたまりは<MONO>、大人数はミュージシャンの数、熱は<ハル・ブレインのドラム>、整理は<J・ニッチェのアレンジ>、単純化は<L・レビンのミックス>、そしてホームは<西海岸>、これがスペクター・サウンドの中味の分析ですが、詳しくはこれも後述します。
この当時のロックンロール少年と同じく、スペクターもギター少年でした。本名のフィル・ハーヴェイとしてインスト・レコードも発表しています。また'58、'59年はインスト・ロックの当たり年で、チャンプ栖の「TEQUILA!」が#1になったり、B・ホリーのインスト版ともいえるファイヤーボールズ、リンク・レイ、そしてジョニーとハリケーンズ、サント&ジョニー、サンディー・ネルソン(「TO KNOW HIM~」のドラムはデビュー前の彼です)、そして極め付きはギター・インストの王者、デュアン・エディーの登場でした。
日本ではなぜか、ほとんど評価されませんでしたが、ギターリストとして一番の人気とヒットのあった人で、そのサウンドのユニークさとポップ・シーンへの影響は大きいものがありました。またイギリスでの人気は特に異常で、'60年の人気投票では1位でした(すごい!)。近年リバイバル・ヒットした「PETER GUN」などは後の<007シリーズ>や<バット・マン>のもとになったともいえますし、日本では未公開の映画「BECAUSE THEY'RE YOUNG」のテーマは、彼の"トワンギー・ギター"と流麗なストリングスとのコンビネーションは、すぐアル・カイオラが取り入れて「荒野の7人」となって登場、西部劇のインスト・テーマの基本形となりました。また「ビートルズがやってくる ヤァ!ヤァ!ヤァ!」のジョージ・マーチン楽団の「リンゴのテーマ」も、まさにD・エディーのマネジャー兼プロデューサーがレスター・シルで、テディー・ベアーズの録音の際、隣のスタジオで仕事をしていて知り合ったといわれ、この人と出会ってなければ<スペクター・サウンド>はこの世に存在しなかったといえるほど重大な出会いでした。
シルはこの時すでにスペクターがプロデューサー向きであることを見抜き、早速契約を結び、最初に買った曲のタイトルがナント「BE MY GIRL!」。
スペクターについては、まわりにいた人に才能があったので、本人にそう才能があったわけではない、という人もいますが、これは間違いです。確かにまわりにいた人々は有能でした。しかし、彼はプロデューサーとして一番重要な要素である<何をやりたいのか>ということが明確にありました。それは前にも述べましたがいろいろな意味での<直接性>というテーマを持っていたことです。これはもちろんR&Rのイディオム(佐野元春調)ですが、荒々しいサウンドの中の直接性より、スペクターがポップスに折り込んだ直接性の方がより<暴力的>ですらありました。
例えば、R&Rの時代になって<BE>という動詞で始まるビッグ・ヒットは「BE MY BABY」が第1号です(BE CAREFUL~などの慣用句を除く)。簡単なようですが、作る側にまわってみると、これが簡単に言い切れるものではないのです。まさにこれをスパッと言い切れるのが<スター>なのです。「TO KNOW HIM~」の断定と「BE」の命令。このシェイクスピア調の、時代がかったともいえる口調が、逆に新味を呼んだのではないでしょうか。この大時代的で、且つ直接的な手法は「I WANT TO HOLD YOUR HAND」(ユーモアの点ではJ&Pの方が数段上ですネ!)に共通したものを感じます。
シルと契約直後、スペクターはD・エディのセッションを見学しています。さっそく実地訓練をさせようというシルの計らいで、時は'59年の4月の後半でした。この年のエディーの最大のヒットは6月に発売された「FORTY MILES OF BAD ROAD」(9位)で、この曲はナント<ベース・ドラムだけをイントロでフィーチャーした、ポップス史上初のヒット曲>なのです。さて、ベース・ドラムのイントロといえば「BE MY BABY」ですが、この2曲の因果関係についての疑問を、10年ほど前の<ニュー・ミュージック・マガジン>で発表したことがありましたが、時期的にはこの推論が成り立つようです。が、モチロン、その因果については全く憶測の域は出ておりません。
エディーのスタジオは1トラックのテープ・レコーダーが1台しかないという粗末な設備ながら、そのエコーを駆使してのサウンド作りは、特に録音にはうるさかった若き日のスペクターには刺激的な体験だったと思われます。トワンギー・サウンドの秘密であった水道管やドラム缶をエコーに使用するという一風変わった手法は(そのためシルは何10個もドラム缶を買い、しかも一番響きのいい缶を探したといいます)スペクターが興味を持たなかったはずはありません。
そのような多彩な録音技術を駆使していた人は、D・エディー・サウンドの製作者<リー・ヘイズルウッド>でした(エンジニアはエディー・ブラケット)。ヘイズルウッドといえばナンシー・シナトラとのデュエットやアストロノーツの「太陽の彼方に」の作者として日本ではおなじみですが、エディーのプロデューサーとして最初に評価された人なのです。
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中したスペクターは、一瞬たりともヘイズルウッドの背後から離れなかった>と発言しています。
その後シルは、スペクターをプロデューサーにすべく、今度はニュー・ヨークのリーバー&ストラーのもとへ送り込みました。’60年代の代表的なコンビがレノン&マッカートニーとすれば、’50年代はリーバー&ストラーの時代で、ロック・ビジネスを目指す人々にとっての目標でした。スペクターの学校の先輩でもあった彼らのデビューに一役買っていたのが、これまたレスター・シルでした。シルがマネージャーをしていたコースターズをきっかけに、ドリフターズ、そしてエルビスへの曲提供やプロデュースを行い、初のR&Rにおける独立プロデューサーとしての地位を確立したのがこの二人なのです。
スペクターにとって、このニュー・ヨークでの修行時代の最大の収穫はベン・E・キングのヒット曲「SPANISH HARLEM」をJ・リーバーと共作できたことでしょう。これはR&Rビジネスへの切符を手に入れた、つまり、お墨付をもらったということ......って、最大の自信となったことは疑う余地はあり.....
ま.... ドリフターズの「THERE GOES MY BABY」...にストリングスをフィーチャーする手法を....ことも<スペクター・サウンド>への引金になったと、私は思います。その手法でプロデュースしたジーン・ピットニーの「EVERY BREATH I TAKE」は、全くドリフターズ調でしたが、すでに<スペクター・サウンド>は出来上がっていた、ともいえる、本家を凌ぐ作品でした。<ゴフィン&キング>との最初の作品でしたが、この日のセッションにはリーバー&ストラーをはじめ、B・バカラック、B・マン&C・ウェイル、アルドン出版社の代表のD・カーシュナーら、そうそうたる顔ぶれが集まったといいます。そしてこの作品が、ここに集まった全ての人にスペクターの印象を強く与えることとなり、一緒の仕事が始まるわけです。特にこの曲で印象深いのはドラムのフレーズですが、G・ゴフィンの証言によれば、フィルはドラマーのゲイリー・チェスターに指示をして、それが実に的確だった、ということです。
この修行時代にすでに、J・ニッチェやH・ブレインがいなくても、これだけのものを作っていたことは見落とせません。スペクター・サウンドを作ったのはやはり彼なのです。
この曲は残念ながら大ヒットにはなりませんでしたが、来たるべき<スペクターの時代>の幕開けを飾るにふさわしい素晴らしい曲でした。
また、この頃、レスター・シルとリー・ヘイズルウッドは共同活動を解消、スペクターは新たなパートナー、いわば後釜としてシルと関係を結び、それが二人の頭文字を合わせた<PHIL+LES>の誕生となりました(シルとヘイズルウッドのレーベル名は二人の息子の頭文字から<GREG+MARK>というものでした)。
なんか書いたけどクソ長いから外国の精神科措置病棟が気になるやつは下までスクロールしてくれ。
お前らは精神科に入院したことはあるか?俺は一回もなかった。でも精神科/心療内科に通院はしてた。俺はADHDだから、毎日ストラテラを飲まないと仕事にならない。ストラテラは処方薬だから医者に行かねば貰えない。毎回医院に行って1分話して処方箋貰って金払うだけ。
ある時、俺は海外に一身上の都合で引っ越した。医療制度というのは国毎に大幅な差異がある。引っ越した先の国では生憎ストラテラは18歳以下のみの保険適用だった。やっとのことで見つけたクリニックの先生は、ビバンセを勧めてきた。言うには最新の作用機序でリタリンよりODの不安もない。そして保険適用。かつてコンサータがまるで駄目な方にしか効かなくて3日でやめた記憶もあったものの、軽い気持ちでスイッチしてしまった。
ADHDにはニ種類の薬がある、と俺は思ってる。集中力を高める薬と、気が逸れにくくする薬である。似たような響きだがまるで逆だ。後者が俺の相棒であるストラテラ、前者はコンサータ(どちらも先発名)。コンサータは薬というと聞こえはいいが、どちらかといえばヤクと読むべき、ほぼ覚醒剤である。もちろん患者が薬物依存になるとまずいので、徐放剤といってガツンとキメないように調整はされている。先生の勧めてきたビバンセもこの覚醒剤サイドで、違いといえば覚醒剤原料が体内で覚醒剤に変わるというところである。ビタミンAじゃなくてカロチンなのかくらいに俺は認識していた。間違ってたら教えて。
そうして薬をビバンセに変えたら途端に寝れなくなった。初日なんて考えてるだけで夜が明けた。今思えば当たり前で、覚醒剤なんだから眠れなくなるのは当然だ。でも俺は一日の睡眠が減っても活動できると喜んでいた。季節は夏。高緯度の日照も相まってたいそう便利だった。
しかし季節が進むにつれ、困ったことが出てきた。まとまって考えることができないのである。仕事の都合上ゆっくり腰を据えて考えられないのは致命的だ。家族にも最近まるで話ができないと呆れられている。俺は薬が足りないのだろうと考えた。先生に相談して薬は一日40mgから徐々に増え、ついには120mgまで達した。高緯度では夏昼が長いかわりに冬がとことん暗い。俺史上で最悪の冬が迫っていた。
冬になると俺の考えはいよいよまとまらず、出前一つ頼むにも1時間かかるレベルになっていた。仕事でも当然頭は微塵も回らない。上司は進捗の無さに苛立ちを隠せず、俺は完全に途方に暮れていた。家族は心配してるものの俺にも全く見当がつかない。しっかり薬を飲んでるのに…俺は焦って更に薬を飲んだ。そうして寝室に籠もって考えると、ふと人生とは詰んでいる気がしてきた。人生とは詰んでるから人生は詰んでるのだ!ただの循環論法、小泉進次郎も逃げ出すくらいのアホくさい"証明"だが、当時の俺にはQEDと思えた。そして俺は一切の社会活動をやめた。
俺は恐怖に怯えて布団にこもる。世界は詰んでるから何をすべきかわからない。俺は何日も何週も寝てないように感じた。もはや家族もこの世界を詰ませた陰謀の一角に違いない。俺は家族の一人をその首謀者と断定し、他の家族と俺は囚われているから処分しなければならないと画策した。幸いこの企てはすんでのところで失敗し、家族は俺を行きつけの精神科に連れて行った。そこでも俺は先生に向かっていかに家族が俺の世界をダメにしたか語った。診断は統合失調症、なんか薬を処方されて俺はそれを飲まざるを得なかった。そして俺は意識を失った。
意識を取り戻すと俺は大変なことに気づいた。家族は俺を陥れるのに成功し、完全に俺は世界から分断されてしまった!行動するのは今だ、そう思った俺は誰かに家族の陰謀を告白するたった5,6行のメールを2時間かけてしたためて、覚悟を決めて救急車を呼んだ。俺はこの内容を見せて告発するんだ。しばらくして警察が家に来た。俺はぱっと玄関に出た。あれ、俺は鍵かけて閉じ込められてたんじゃなかったのか?それに警察?でも俺が家族に嵌められてることを説明するには誰でもいいか。そう思い俺は警察官についていった。本当は俺が傷害罪の犯人っぽいから警察署に連れて行かれたんだけど、俺は家族が悪いと信じて決めつけている。警察官も通訳挟んでもまるで話が通じない東洋人にさじを投げたのか、救急車で措置入院と相成った。
救急車は外国っぽい青いライトを光らせて夜の山道をひた走る。救急車に本人として乗るのに怪我一つしてないのは不思議なもんだなと、妙に冷静なつもりの俺は思っていた。どれくらい走ったか、救急車は薄暗い建物の前に止まった。俺は促されるとおり建物に入った。石造りの古い建物で、照明もロクにない薄暗い廊下を右に折れて、15人位入りそうなでかい部屋に通された。巨大な机の向こうに何人か人がいて、書類に何通かサインさせられた。正直何喋ってるのか全然わかんなかった。部屋が暗かったのか、その人たちは顔だけ真っ黒に塗りつぶしたように見えた。その後は夜も遅かったこともあり、すぐ相部屋の寝室に通された。枕元にはスーパーで一番安い炭酸水のボトルが置かれていた。一杯だけ飲んで徐々にせり上がってくる不安に蓋をした。途中同房の人にトイレの場所を聞いたところ、寝ているように見えたもののすぐ教えてくれた。でも何言ってるか分かんなかったから自分で探した。
次の日起きて俺は焦っていた。なんで精神科に入院してるんだ…言ってる意味が全く分からないと思うが、マジで焦っていた。
朝起きたら何もすることはない。みんなおもむろにロビーに出たり朝飯を食べている。それがまず気に食わない。生産的ではない気がする。周りのやつの目が全部死んでるように見える。ここにいたら俺は終わりだと思った。なんのことはない、家族を仮想敵に仕立ててたのが精神科になっただけだ。なんだけど、俺は自分の危機的状況に最悪なリアクションを取った。錯乱だ。
まずはでかい声を出して職員を探した。しかしまるで相手にされない。そのまま逃げようと思って大声を出しながら雪の上を素足で走った。しかし、精神科だけに柵がある。逃げ場はなさそうだ。少しだけの理性で俺は柵をよじ登るのを諦めて戻った。すると職員が騒ぎを聞きつけて何人か集まってきた。外に出れるチャンスか?俺は必死に自分はまともだからここから出せと迫った。しかし職員はつれない態度ですぐ俺を元のロビーに戻して対応をやめようとする。なるほど、騒ぎを大きくすればするほど対応する職員も増えるんだな。それを学習した俺は更に声を荒らげて職員を捕まえた。
彼は俺にこういった。あなたがまともなら、それでいいじゃないですか。俺は焦った、こいつはこのまま話を終わらせようとしている。逆を言えばいいのか?そう思って俺は自分がサイコパスだから危険だから病院から追放したほうがいいと逆張りしてみた。そうすると職員はサイコパスかどうかは血液検査しないと分かんないですねと返してきた。んなわけないだろ、その時の俺ですら分かった。分かったが、検査を受けないと何も変わらない気もしていた。なので必死にサイコパスだね俺は危ないねと話を合わせ、とうとう採血までされるに至った。
しかしどうだろう、検査が終わったら彼は、はい用済みと言わんばかりに俺をロビーに戻すではないか。これまでの会話で勝手に検査=退院と思い込んでいた俺は完全に頭にきて、いよいよ本気で暴れた。そうすると複数の職員が外国語で(当たり前だ)何か言いながら迫ってきた。それがちょうど進撃の巨人の普通の巨人みたいに見えた俺は恐ろしくて走って逃げた。ロビーから裏の通路を通って行き着く先は袋小路。ドアが閉められたとき、俺はそのドアにドアノブがない事に気がついた。
入った部屋は6畳くらいで、日本人の感覚で言えば十分な広さだった。床はリノリウム、壁はクリーム色一色で、はめ込みの厚い窓が冬の寒々しい景色を切り取っていた。部屋には唯一つベッドが置いてあった。退院するために暴れてたのに閉鎖病棟に入れられるだって?冗談じゃない。俺はドアをバンバン叩くがまるで開けてもらえなさそうだ。覗き窓からゴミを見るような職員の顔がちらりと見える。次に俺は窓を開けようとした。割ろうとも思ってこちらも叩くがなかなか頑丈でヒビひとつ入らない。この時点で俺は寝たら廃人になると思い込んでいた。ここ10日寝てない(体感)から、寝たらパソコンのRAMのように頭に入ってる記憶知識知恵すべてが失われ廃人になるに違いないと。しかし体は完全に疲労困憊していた。トイレに行きたいが行かせてくれる気配もまるでない。いよいよ俺は錯乱して部屋の中で小用を足した。これがもしかたら窓の外から目に止まり救出されるのではと思ったが、あとから思えばもし見えたとて重度の精神病患者が暴れてるようにしか見えないだろう。ともかく俺は疲れ果てて寝落ちした。
どれほど寝ただろうか、気がついたら閉鎖病棟に寝ていた。さっきの部屋だ。少なくとも廃人というには認知能力や記憶の連続性は失われてなさそうだった。あと、漏らして寝たはずなのに服やシーツは取り替えられていた。それには少なくとも満足した。
しかし俺はあまりの空腹と便意ですぐ耐えられなくなった。部屋は暗く時間も何日たったのかすら分からない。とはいえ2大欲求が充たされないことには始まらない。俺は再度ドアを叩いた。しかし飯が全く出されない。トイレも連れて行ってはもらえない。刑務所の部屋にはトイレがついてると聞いたことがあるが、この部屋はベッドしかない。ドアをひたすら叩いてようやく職員から得られたものは、おまるですらない用を足すお椀であった。このとき俺は完全に人権を失ってることを理解した。その後しばらくして食事も与えられた。ツナと冷たいジャガイモを混ぜた犬のエサレベルのもので、俺はさらに人権がないと思って涙をこぼして食べた。こっちはよくよく考えると、実はただのメシマズな賄いだったのかもしれない。ともかく起きた日は俺の人生でも指折りの人権のない日だった。
次の日俺はまたトイレの交渉をしてみた。ダメ元だ。しかしあっさり外のトイレに連れて行ってもらえた。人は一度酷く当たられると、多少でもマシな扱いをされた時いいことをしてもらったのではと勘違いする。その時の俺はまさにそれで、トイレに行けただけで感謝した。同時にトイレに行けない可能性に恐怖した。何も口答えする気がなくなった。そしてその日はパンとバターだけ食ってたまにトイレに出て終わった。
次の日は更に良くなった。部屋の扉を常に開きっぱなしになるように、食事も他の患者たちと取るようになった。もちろん俺はクワイエットルームに逆戻りしたくないから何も口答えはせず唯々諾々と従った。病棟全体には10人ほど入院していた。そのうち数人から閉鎖室に入れられるなんて可哀想にと同情されてしまった。そうして開かれた閉鎖部屋に何日いただろうか、ほどなくして相部屋に移された。
相部屋の相手はまともな学生さんに見えた。挨拶もするし自己紹介もしてくれた。ただ、虚空に向けて話し出すときと、段ボール箱をラジオと称して実際には携帯で音楽を鳴らすときだけはヤバい奴だと思った。実際彼は軽症なのか、一週間ほどで退院していった。他の患者は古株そうに見えた。分かんないけど。常に冷蔵庫に自分の食い物を入れては食べてるおばあちゃん、常に食洗機を回すおばあちゃん、常に電話してるトルコ人の女、2chにいそうな青年、偶数日はクレオパトラ級のゴリゴリメイクで奇数日はサロペットの地味子になる女の子、みんなそれ相応に精神を患ってそうに見えた。
部屋から出られるとはいえ閉鎖病棟で自分のいる階から外には出られない。と言っても中で暮らしていくのは暇な事以外何も不自由はなかった。朝昼晩三食食事は出るし、キッチンで持ち込みの食事を作るのも自由だ。途中から家族に文明IT機器を持ち込んでもらってからは暇潰しも簡単だった。社会に触れるのは怖かったから、オフラインのゲームだけを黙々と遊んだ。ゲームは時間を埋める作業か、あるいは順序立てて行動する訓練のように思えた。ゲームでもいいから何か進捗がないと人間としての価値がなくなるような切迫感を感じてプレイし続けた。
夜は就寝時間があり、あまり遅くまで起きていると当直の人にハロペリドールを飲まされた。すごく頭が鈍くなって好みではなかったが、あの部屋に戻りたくはないから諦めて飲まざるを得ない。
先に書いた通り閉鎖病棟から俺は一歩も出られなかった。当たり前に聞こえるけど、俺だけ外出が禁止されていた。他の患者たちは毎日午後一時くらいにお散歩に出かけていた。たまには俺も外に出たいと思って参加していいか職員に尋ねたが、あなたのズボンと靴がないんですと残念そうにみな口を揃えた。自分の足で歩いて入院したのにズボンと靴が無いことがあるだろうか?しかし何度聞いても埒が明かないので、ズボンと靴は汚れて捨てられたのだろうと解釈した。家族に頼んでズボンと靴を差し入れしてもらった。そうしてズボンと靴が揃ってもなんやかんやと言い訳して外に出れず、入院して2週間たちようやく外に出ることができた。
散歩は病棟の唯一外に出る玄関を職員が開けて、その引率でぞろぞろと歩いてついていく。まず、俺が最初にいた病棟を通った。驚いたことに、この病棟は外の道路からなんの障害もなく行き来できるようだ。柵があって出られないと思っていたが、反対側は正面の入口に繋がっていた。はじめにもう少し理性があったら閉鎖病棟に連れて行かれなかったのにと思う反面、理性がないから入院したわけだし、あの錯乱状態で外に出たら車にはねられてそうだなとも思った。
この散歩、想像していたものよりずっと大規模だった。30分から一時間位精神病院の周りの住宅街を黙々と歩いて回る。歩き電子タバコに歩き火タバコで吸い殻を投げる精神病患者達に近隣住民から苦情は来ないのか、非喫煙者としてはヒヤヒヤする。患者同士しゃべりながら歩いていて、小学校の遠足くらい伸びた列を定期的に立て直す。そしてなぜおばあちゃんが冷蔵庫に食品を蓄えてるかも分かった。多分自分でスーパーに買い物に行ってるのだ。そうなってくると家なんだか閉鎖病棟なんだかよく分からない。散歩で外の空気を吸えるのは嬉しいが、また俺はここにいたら駄目になると思った。今度こそ話で退院に持ち込まねばならない。
職員はのらりくらり退院の話を誤魔化し続け、医師の診察もろくになく、どうなってるのかと思い始めた、入院一ヶ月後。小原ブラス似の職員の引率で卓球とテーブルサッカーを遊んだ帰りに唐突に俺は数日後の退院が告げられた。退院する支度中に、その職員が「あ~ここにあったわ〜」みたいな猿芝居をしながらロッカーから俺のズボンと靴を出してきたが、既に俺にはツッコミを入れる気力は残されて無かった。彼らからしてみたら、話の通じない患者にどうやって秩序を与えるか、自分の気が狂わないか考えた結果がその猿芝居なんだろう。
そうして退院して数ヶ月はものすごく不安で仕方なくどうなるかと思ったけどその後はすっかり元通りになった。相変わらずのADHD、薬を飲まねば仕事にはならない。先生も上手いことストラテラを保険で落ちるようにしてくれた。ビバンセは少なくとも依存性は無かったようで、リタリン系の薬を飲みたいとも思えない。元々飲んでキマってた訳では無いからかもしれない。そのあとめちゃくちゃ面倒なことになったんだけどそこは割愛。勝手に敵に仕立てて迷惑一方的にかけたのに見捨てない家族には感謝の言葉しかない。
Cymbalsのベースだった沖井礼二とシンガー清浦夏実によるユニットTWEEDEESより、今月リリースされたアルバム「World Record」 帯の元ネタはThe Style Councilらしい
そんなアルバムの中からの1曲目 いきなりスキャット!鐘!豪華な編曲!沖井礼二のベース!最高~
こうやって12月中に名曲が出てくることがあるので、12月の初めに今年のまとめみたいなことするとちょっと勿体ないんですよね
神保彰の脱退後、新たなドラムスとして有形ランペイジのメンバーでもある今井義頼を迎えCASIOPEA-P4名義でリリースされたアルバム「NEW TOPICS」のこちらも1曲目
ジャパニーズフュージョンのアルバムがこういう景気いい曲で始まると本当に楽しい
大阪を拠点に活動し自らをネオネオアコと呼ぶ2021年結成のバンドNagakumo
ネオにネオつけてどうするんだと感じもありますが、これを聞くと続けて「three cheers for our side」も聞きたくなります 本人たちもフリッパーズ・ギターからの影響を公言していますね
今度は阿佐ヶ谷 2014年結成の5人組バンド、阿佐ヶ谷ロマンティクス
今回のアルバム「大人幻想」はSpotifyでは別の曲がグローバルでバズっていますが、個人的に一番刺さったのはこっち
ピアノで盛り上げるタイプのバラード サビ直前のキメで一人だけ弾き続けちゃうベースも好き
6位にユーミン
過去の自分の声を合成音声で再現して今の自分と一緒に歌うという面白い作品 過去もともあったメロディーに新しく歌詞をつけたとのこと 単に楽曲を聞いただけでも良いし、こういう新しい挑戦をしていることも良い
で、やはり気になるのは「どこの技術を使った合成音声なのか」というわけで、ラジオでは曲は流れてもそんな話は出てこないしググっても出てこない。もしかして歌詞カードにちらっと書いてあるのかもと思って今回のベスト盤発売まで待つわけです。いよいよリリースとなっていざ歌詞カードを開いてみると、全国のラジオリスナーから集められたユーミンにまつわる思い出話が多数掲載されてるのに結局技術的な話は何もない。そんな……と思ってこのタイミングでもう一度検索してみると、CDフラゲ日になってやっと(協力した研究室の)プレスリリースが出ていました
https://www.i.u-tokyo.ac.jp/news/press/2022/202210032121.shtml
どうしてどうして……
ラジオではじめてこれ聞いた時はこんなん出されたら誰も勝てないじゃんと思いましたが結局5位
そういえば宇多田ヒカルの新曲がすごいみたいな話を年上の人としたんですけど、あの人の親を誰だと思ってんのみたいな返答されたんですね。そうじゃなくて私はこの曲そのものが好きなんですよ。ど~せ私はAutomaticすら後追いで聞いた若造ですよ~~
恥ずかしいことにこの作品を聞くまで原曲を知らなかったのですが、中原めいこの1988年のアルバムから表題曲のカバーです
深いリバーブに気だるそうなボーカルやキラッキラしたブラスとシンセ、並行世界の80年代みたいなサウンドがいい味出していますが、シンガーの寧音は2008年生まれ
編曲のevening cinema原田夏樹はRainychのカバー作品も担当していましたね evening cinema名義でも今年アルバム出てるんですがこっちも良かったです
完全に狙って作ってる感じのジャケも必見
ポスト渋谷系コンピレーションシリーズ「Pastelphonic」に楽曲を提供したこともある、ぺのれり・ぷに電による作品
そういえば、「渋谷百景」などで有名な邦楽系情報サイトのradiodAzeにもこのアルバムの情報が載ってて驚いた
http://radiodaze.g2.xrea.com/KKKva.htm
あのサイトはもう何年も新しいアルバムの情報は書いてなかったようだが、あのサイトに載るだけの影響力がある名コンピであることは確か
そんなアルバムでも活躍していたこの両氏のタッグなので当然期待して聞いたわけですが、まさに大当たり
ここ最近急に影のある曲を出すようになった2人組バンド、エルスウェア紀行(何があった?)
スローテンポにどんどん熱くなるギターが目立ちますがベースがずっと忙しそうにしてるのもGood
1987年にデビュー、角松敏生プロデュースを経て自身もソングライターとなる今井優子によるキャリア35周年のアルバム「Spell of Love」(実は今井優子も今年知ったアーティストなのですが)
その中の1曲目かつ表題曲
シンセも担当する安部潤による編曲で、いかにもフュージョンなイントロから始まり、ラテン風味かつフィル満載のドラム・パーカッション、スラップしまくりのベース、よく練られたコーラス……と豪華なバックトラック それに負けてない今井優子自身による作曲 今年のベストトラックです
https://open.spotify.com/playlist/21kp6A9R6hUBijiEe2ia4Z?si=46236e3810db44da
中華ポータブルオーディオがすごい。
有識者に言わせれば、それこそ「何を今さら」な話題だと思うが、2000年代日本国内で興きたポータブルオーディオブームから数えて二十数年離れていた筆者からすると今の中華ポータブルオーディオは本当にすごい。
ここでさっそく筆者の年代を挙げれば現在30代であり、青春の10代を振り返れば「iPod」が登場し、日本国内で大きなシェアを持っていた「MiniDisk(MD)」が徐々に斜陽化していっていた。
筆者も例に漏れずMDプレイヤー、そしていわゆるiPodに代表されるMP3などを中心に扱った「シリコンオーディオプレイヤー」という遍歴を辿る。
ただ、筆者と同年代であり同時期に青春時代を過ごした者であるならば、Webメディアで語られるポータブルオーディオの歴史とは些か違った遍歴を歩んだという者も少なくないのではないか?(※HDD搭載iPodは厳密にはシリコンオーディオプレイヤーではない)
世の成人したアーリーアダプターたち(主にApple系コミュニティの人たち)がiPodへ熱狂するそのとき、日本で青春時代を過ごした我々が熱狂したのは「Playstation Portable(PSP)」だったのだ。
もしかしたら年代が10歳前後離れているだけで当時のPSPの勢いを肌で感じることは難しかったかも知れない。
一部の成人ゲーマーなどは「モンスターハンターポータブル」あたりでPSPを頻繁に持ち出していた可能性はあるが、実はそのときの学生世代の間ではPSPはiPodと肩を並べ、用途によってはiPodを凌駕するポータブルデジタルメディアプレイヤーとして運用がなされていたと聞くと驚く人も居るかも知れない。
何せ「当時のPSPはゲームソフトを持っていないのにPSP本体は所持していたという女子学生が存在した」くらいなのだ。
これは当時のiPodでは起き得ないことであり、陰鬱としたオタクというイメージが現在のオタクのイメージへ転換していく過渡期の中でPSPは少なからず影響を与えたハードウェアとして記録していく必要があるように思う。
筆者と同世代のオタクであれば「2ちゃんねるニュー速VIP」ブームを経て、YoutubeからのBANや動画の違法アップロード祭りなど古今東西どう考えてもアウトな「ニコニコ動画」のローンチなどを経験したと思うが、怒られ叱られ叩かれ裁かれ逮捕者を出しながらも独自と言って良い文化を形成できた。
当時の動画の違法アップロードで一番の被害者であった角川書店とドワンゴが今では同じ会社になるとは時代の変化とは恐ろしいものだ。
そういった独自の文化の中心にあったのは「東方」「アイマス」「ボカロ」のいわゆる「ニコニコ三大ジャンル」ではあるが、それらとほぼ同時期に萌芽するのが「歌ってみた」「踊ってみた」である。
そして歌ってみた、踊ってみたの興隆を後押しするのが「涼宮ハルヒの憂鬱」であり「ハレ晴レユカイ」なのだ。
先に挙げたPSPが当時の若い世代に支持された理由がMP3のほか、大画面でMP4動画を再生できたからで、しかもPSPの動画プレイヤー機能はコマ戻しコマ送りが物理ボタンで可能だったこともあり、特に踊ってみたジャンルで練習するためのハードウェアとして選択された。
更にPSPには別売のRCA(赤白黄)変換ケーブルによってPSPの画面をTVなどのディスプレイモニターへ出力することも可能で、アニソンや電波ソング、ボカロソング、ゲームソング、同人ソングなどの配信が乏しかったカラオケ店へPSPを持ち込んでカラオケ機材へPSPを接続しカラオケ配信楽曲以外を歌うという手法が現れた。
これへ呼応するように登場したのが勝手に字幕を付けてカラオケ用動画とする「ニコカラ」だ。
特にアニソンやゲームソングでは無許可で版権素材を活用した高クオリティで手のこんだニコカラ動画も存在しており、JOYSOUNDがその需要に気付くまで人気を博していた。
稀に「なぜあんなにPSPが売れているのかわからない。モンハンだけじゃ説明付かない」というガジェット好きが居るが、ニコニコ動画を中心としたサブカルという背景があり前述したように「当時のPSPはゲームソフトを持っていないのにPSP本体は所持していたという女子学生が存在した」ほど売れていたのだ。
PSPは当時のSONYが夢想したマルチメディア戦略の中でほんの一部界隈(ほぼサブカル界隈)でだけ成功を収めていた事実は周知されておくべきだろう(UMDやPSP Goとかで失敗してるけど)。
そしてその需要をiPod Touch、iPhoneが奪っていくというのは知られたとおりだ。
多くの人々が音を聴くようになれば良い音質で聴きたいという需要が生まれるのは必然。
iPod登場当初その付属イヤホンの品質の低さが取り沙汰され、MD Walkman派やアジア系ポータブルオーディオプレイヤー派から揶揄されるたびApple信者が「あのイヤホンは音が鳴るか確認するためのオマケ。欧米ではそれが普通。付属品にまでケチ付けるのは日本人だけ」などと言い訳し擁護していたらAppleが競合他社と同等品質まで付属イヤホンの品質を引き上げるというお家芸の梯子外しがあったこともあり、その煽り合いが起きた前後で音の良いイヤホンへ注目が集まり始めた。
最初期に評価されたのはバランスドアーマチュア(BA)型ドライバー本家本元であるEtymotic Researchからリリースされていた「ER-4」だった。
BA型ドライバーは従来のダイナミック型ドライバー(DD)と比較して小型軽量に製造することが可能で、音を発生させる振動板の質量も小さかったため慣性の法則的に非常に反応が良く、iPod付属イヤホンの低品質さも相まって高い評価を受けることになる。
続いて注目されたのがマイクで有名なShureの「E5c」だ。
こちらもBA型ドライバーを何と2基も搭載したリッチなモデルで、BA型ドライバーはその構造上音域が狭くなりがちなのを高音域〜中音域用と中音域〜低音域用に2基とすることで欠点をカバーした製品だった。
更にER-4は現在主流の耳栓型イヤーチップとは形状が違う長めのイヤーチップを採用していたこともあり装着者を選ぶ傾向にあったが、E5cはSONYが売り出して大流行を果たす現在主流の形のイヤーチップを採用しており広い範囲の装着者をカバーできた。
しかしこれら評価の高いイヤホンは学生の懐には大変厳しいという問題があった。
ER-4は約4万円、E5cに至っては約6万円でとてもとても学生には手が出ない高級品であり、着メロの打ち込みから端を発したDTM小僧だった筆者はなけなしのお年玉をはたいて有名ミュージシャンがレコーディングでよく装着しているヘッドホンSONYの「MDR-CD900ST」を約2万円で購入し愛用していた(ちなみにこのMDR-CD900STは修理しながら今でも現役)。
しかし流石にいつでもどこでもMDR-CD900STを常用というのは辛くあり、当時評価の高かったSONYのイヤホン「MDR-EX90SL」を常用するようになる。価格は約1万円。
しかしMDR-EX90SLはBA型ではなく従来どおりのDD型、無論MDR-EX90SLには評価されるだけの音質があり十分に満足していたのだが、BA型イヤホンへの想いは募るばかりであった。
それから二十数年、社会人としてもそこそこ経験を積み、ちょっと頑張ればBA型イヤホンも買えるようになりBA型イヤホンをいくつか購入した後にポータブルオーディオからは距離を置いていたが、何故かふと近年話題の中華ポータブルオーディオへ興味を持った。
調べてみると本当にすごい。技術の進歩と大量生産により当時憧れだったBA型イヤホンが当時のMDR-EX90SLと同等価格どころか下回る価格で販売されているではないか。
これはもう実際に入手して試してみる他ないとさっそく動いた。
最初に入手したのがKZの「AS16 Pro」で、これは以前に「AS16」というイヤホンがありブラッシュアップして登場した製品。価格は約1万円。
AS16 Proはこの記事を懐かしく読んでいて今まで中華ポータブルオーディオへ触れてこなかった読者は驚くはずだ。
なにせAS16 ProはBA型ドライバーを搭載しているが、その搭載数は片側8基、LR両側で合計16基というとんでもない搭載数を誇っている。
これが約1万円で買えるのが中華ポータブルオーディオの世界。
その音の傾向はBA型ドライバーのみを多連装しているだけあり全音域がハイレスポンス、機敏に発声し無駄な余韻なく消音する。音と音がよく分離しており違いをはっきりと聴き分けることができる。
低音域と高音域が少々強調された弱ドンシャリ型のチューニングがなされていて現代のイヤホンでは派手な鳴りが好まれる傾向にありAS16 Proも例に漏れず弱ドンシャリの派手な鳴りだ。
ハイレスポンスで音の分離感が良いと言っても音楽制作用のMDR-CD900STのような分析的な鳴りではない元気でエネルギッシュ、タイトなサウンドの多い電子音楽を聴きたくなる鳴りだ。
ただ逆に言えばレスポンスの良さは空間表現の苦手さにも繋がっており、MDR-CD900STでは継続する余韻がブツ切りするかのように消えてしまうことがあるのは気になった。
ホールの残響感も音楽の一部と捉えるようなオーケストラなどは少々苦手な音楽ジャンルと言って良いだろう。
本当に鳴りがハイレスポンス&タイトなので筆者はボカロソングが多数収録されるリズムゲーム「プロジェクトセカイ」や、電子音楽も多数収録される定番の「アイドルマスター シンデレラガールズ スターライトステージ(デレステ)」、なぜサ終してしまうのか「東方ダンマクカグラ」をプレイし、思った通りリズム隊がよく聴こえる事を確認。
現代のポピュラー音楽リスニングに、リズムゲーム用のイヤホンとしてAS16 Proは非常にオススメだ。
ハイレスポンスなBA型ドライバーだが欠点がないわけではない。
その構造上の制約でBAドライバー単体ごとの音域が狭くなりがちで結果としてBA型ドライバー複数基を多連装することで欠点をカバーしているのだが、音というものは低音域ほど大きく空気を動かす必要がある。
小型軽量のBA型ドライバーは小型軽量であるが故に低音域になればなるほど鳴らすのが苦手という制約を持っており、非常にタイトな低音域を持つが深く沈むような表現が不得意なのだ。
それをAS16 ProとMDR-CD900STの比較でしっかりと認識した筆者が次に手に入れたのがTRNの「VX Pro」だ。
AS16 Proと同様に片側8基、LR両側計16基のBA型を多連装しつつ、従来のDD型を片側1基、両側2基を搭載する、全ドライバー18基ハイブリッド多連装という化物スペックなイヤホンである。
このスペックでVX Proも価格は約1万円。とんでもない価格破壊。
VX Proは高音域から中音域にかけてまで非常にハイレスポンスでありながら、低音域を担当するDD型のお陰で低音が発音する際に大きく空気を動かせてAS16 Proと比較して低音域がよく沈む。
耳が従来のDD型に慣れているというのもあるだろうが、この低音域の感覚は非常に好ましく、万人へAS16 Proとどちらをオススメするか?と言われると筆者はVX Proを推す。
AS16 Proのハキハキとしたタイトな低音域を好む人も少なくはないだろうが、迫力ある豊かな低音域のほうが万人に好まれる傾向があるのは確かだ。
VX Proも現代イヤホンらしく鳴りは派手、高音域と低音域が少々強調された音楽的な弱ドンシャリ型のチューニング。
キラキラと分離感のある高音域と、しっかりと空間を感じられる低音域はあらゆる現代ポピュラー音楽を聴きたい衝動に駆られる。
昔話も絡めて話しているのだからココは様々な楽器音が飛び交って音域も広い「ALI PROJECT」はどうだろうか?もちろん最初に再生するのは「禁じられた遊び」「聖少女領域」だ。
音楽制作でミキシング経験がある者ならばわかるだろうが、別々の楽器であっても担当音域が被ると両方とも目立ちにくくなってしまうことがある。
例えばそれが現代ポピュラー音楽では重要なボーカルと、そのボーカルを支えるバックで流れる楽器の音域が被るとボーカルも聴こえにくくなってしまう。ミュージシャンはそれを経験則的に知っているのでミキシングの時点でイコライジングして聴感上のバランスを取る。
それと同様にミュージシャンが例えイコライジングしていても音域の分離感が悪いイヤホンだと各々の大事な要素が被ってしまい聴こえにくくなるのだが、VX Proはそれがほとんど無い。
ボーカルはボーカル、ブラスはブラス、ストリングスはストリングスとしっかりと"書き分け"ており、オーケストラサウンドをフューチャーしたプログレッシブロックALI PROJECTが誇るバックバンドを聴かせつつ、宝野アリカの表現力のあるボーカルを損なうことがない。
特にDD型によるベースラインの深さは特筆に値する。底がしっかりしているおかげでALI PROJECT全体の音楽が世界観が明確になる。単に目立つ派手な高音域ばかり推せば良いわけではないのだ。低音域の支えによる相対的なコントラストが輝くような高音域を演出するのだとVX Proは教えてくれる。
欠点がないわけでない。
やはりDD型の宿命か、タイトさが求められたときフルBA型構成であるAS16 Proの歯切れの良さが勝る。まさに得手不得手の問題だ。
同時に2つ紹介しているのはKZの「ZAS」とCCAの「CA16 Pro」はハウジング筐体デザインが違うだけの姉妹製品だから。CCAはKZのサブブランドのような立ち位置であるらしい。
実際に購入する場合はハウジング筐体デザインの違いや販売価格を吟味して購入すると良いだろう。
ちなみに1万円以下8千円前後くらいの価格の安さも魅力だ。
筆者が購入したのはKZのZAS。
箱出しで早速聴いてみたが何と音がスッカスカ。事前のレビュー調査では低音域が非常に豊かであると触れ込みだったのだが・・・。
実はZASには罠がありZASの性能を十分に発揮するには付属のイヤーチップが低品質過ぎる。これも多くのレビューで触れられているので筆者も先人の導きによって神奈川県所在の株式会社Finalが販売しているイヤーチップ「TYPE E オールサイズ」を別途購入した。
ZASの優れたコストパフォーマンスがサードパーティイヤーチップを別途購入することで少々損なわれるのは口惜しいが、自身に合ったイヤーチップのサイズ感を調べるきっかけにはなったので良しとする。
Final TYPE Eイヤーチップへ交換し再度ZASで聴いてみると派手を通り越した大げさと言って良いチューニングだ!事前のレビューで読んだ通り低音域は前へ出ており深く深く沈んでいく。
ZASのドライバー構成はBA型が片側7基でLR両側計14基、DD型が片側1基でLR両側計2基、合わせて16基ハイブリッド多連装構成で当然ながら低音域はDD型が担当し、BA型が高音域〜中音域を担当するという仕様だ。
前述した通り、もう本当に低音域がすごい。
試しにTVアニメ「アイドルマスター XENOGLOSSIA」のオープニング曲「微熱S.O.S!!」を聴いてみる。
冒頭一発目から入る超重低音が特徴で、曲中もキックやベースが非常に目立つのだがZASで聴くともうブルンブルンだ。
BA型よりも大きく重いDD型の振動板がこれでもかと震えているのが感じられ、そのせいで耳たぶも一緒に振動してるんじゃないかと錯覚してしまいそうになる。これは笑うしか無い!
続いてはアニメ「魔法先生ネギま!」からオープニング曲「ハッピー☆マテリアル」だ。
冒頭のバスキック三連打が気持ちよく、そして低音域だけど思われがちなZASだが14基のBA型がタイトにハキハキと高音域〜中音域を発音し、豊かな低音域を更に深めてくれるように感じた。ZASは低音マニアへ是非とも奨めたくなる非常に面白いチューニングになっている。
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/anond.hatelabo.jp/20220628145642
ラブコメを全部エロ枠扱いは雑。/不人気で打ち切りも多いので、ジャンプでエロコメは不利。/ジャンプはアップデートしろとか言ってたフェミ、アオのハコもっと押してもいいのにとんとそういうの見ない。
エロ枠にも濃淡あると思う。ジャンプにはおそらくラブコメ枠みたいなものがあるんだから、ラブコメをほぼ無条件でエロ枠に入れてたらそりゃまあ実質エロ枠も常設になるだろうけどちょっと恣意的じゃないか。
ラブコメとエロを別物として扱う人はさ、客観的に双方の要件をあげられますか? 恐らくかなりの部分が被るし、程度なんて個人の主観による所が大きいでしょ。/個人の好みでこれはエロだと決め付けているだけでは?
ラブコメはエロいかエロくないか話題になってたので、主観で週刊少年誌のラブコメのエロ度ランクを1~10でつけてみたよ!
ちなみにエロ度10はToLOVEる、あやかしトライアングル、ゆらぎ荘の幽奈さんくらいのイメージで、エロ度0はアオのハコのイメージです。この辺は読めば分かるだろうからいいよね!
いわゆるハーレムラブコメから結構続いてたの3作品ずつ選んだよ! そんなたくさんやってられないからね!
最近流行りの単体ヒロインものは外したよ! なんでかっていうとジャンプと条件を揃えるためだね。
イメージだけど単体ヒロインのがエロい気がする。フェチ的な。一人のヒロインの魅力で引っ張っていかなければならないからかな多分。
北大路さつきで抜いた男子中学生は相当いるだろうし、東城もまあエロい。外村妹とか先生とかのサブキャラもエロかった。
でも健康的な西野が一番人気というのは色々示唆するものがあるよね。
お色気担当だった鶫はブラスケとかそこそこあったけど他の三人はあんまりそういうシーンはなかったはず。
温泉シーンとかはあったけど。そういう意味で0じゃないけど、エロいかっていうと全然。
少なくともジャンプの中では相当健全な方だったから、そういうのもあって売れてるんだろう。
ゆらぎ荘と同時期にやってたから比較してあんまりエロくないイメージ持ってる人もいそうだけど結構エロいよ!
執拗にスカートにパンツの線浮き出させてるしブラ透けとか着替えシーンとかラキスケ描写も相当多いよ! エロくないように感じるのは絵柄が可愛い系だからかもね!
さつきみたいに体で迫るキャラはいないけどその分トイレに閉じ込められたりとかノーブラでバスケやったりとか無理なシチュエーションが多いね! じゃあエロ減らせ? それは違うよ!
でもまあエロ推しだと売上的には弱いのかもね。ゆらぎ荘もだけどアニメ化しても全然売上上がらなかったし。
そこそこエロいね! でも不思議設定急にぶち込むのやめて? 未来予知くらいなら「へー」ですんだけどエンドレスエイトは「は?」ってなったわ。伏線あったっけ?
いがみ合ってた女の子たちとイベントこなしながら徐々に仲良くなってく古き良きラブコメって感じで、弟子であっても五等分の花嫁の後継にはなり得ないけどそこそこ好きだよ!
でも令和の時代に合わせてるのか露骨なエロは減ってるね! たまにはあるから希少性が高まるからそれもいいと思うよ!
それなりにエロいところもあると思うけど……。主人公のウザさがエロさより上回るっていうか……。
ヒロインのエロさ可愛さとか俺がわかればいいんであって主人公に逐一解説されたくないんだわ。言語化しなくていいところもあるのよ。萎える。
これは作者が意図的にそういう描写は減らしてたらしいので当然だね。
そのおかげもあってか女性とか小中学生のファンも相当映画に来てたのでやり方としては正解なんだろう。
あの絵柄はエロくない。ニチアサでアニメやっただけあるわ。でもヒナギクはエロい。
ラブコメ枠に入れていいかわからんけどコメディと萌えるキャラの作り方が強かったよね。
もっとエロかった覚えがあるんだけど読み返すとたいしてエロ描写がないな……?
当時からなんか知らんが女性読者をそこそこ見たのはエロ描写が少なかったからか?
エロゲオタの作者の割にはエロより可愛いに寄っていた。意外な発見だ。
江火野さんエロかったね! 少年のアビス読んだ後に見返すとそういう気分には全然なれないんだけど……。それはそれとして確かにエロかった。
指宿くんはかわいいけど、でもやっぱ江火野さんいいよね……長身巨乳いい……。太眉好きになれたよ。
ひらかわ先生~~~~~!!!!! クソ推し作家なので4つ目だけど入れとくね!
初期のもう男にしか見えない眼力の強さとちょろかわな女の子の表情になったときのギャップは分かるしいいんだけど、でもやっぱ男にしか見えんわ……
からの眼力が弱まった最近は普通に可愛いけど若干の物足りなさを感じなくもないね! でもどっちか選ぶなら今の方選ぶのでひらかわ先生ありがとうございます!!!!!!!
めっちゃかわいいんだけどエロいかっていう基準だと全然エロくはないね! 今週の二虎の赤面はクソ可愛かった!
次に来るマンガ大賞にノミネートされてるのでみんなよろしく!!!!
やってみて思ったけどラブコメ=エロってイメージ、単にジャンプのラブコメがエロいってだけじゃない……?
アンケート至上主義のジャンプでアンケート取るのにエロが強いってだけじゃない……?
少なくとも他誌にはイコールで結ばれるほどの広がりがあるように思えない。
他に類を見ない、似た曲を探してもそれしかないような曲を10曲紹介するぜ!
『James Blake - Unluck』
James Blakeの1stは衝撃的だった。ジャンルはpost dubstepとかになると思うけど、この曲は異色すぎる。いまだに何拍子か分からない。昔ライブを観たことがあって、どうやってリズムをとって演奏するんだろうと思ったら、体を円を描くように回してリズムをとってたのも衝撃的だった。
『SOPHIE - LEMONADE』
音像がぶっ飛びすぎ。こういうプラスティックな質感の音作りは最近の流行りで、今となってはHyperpopなんてジャンルが出来たけど、結局はSOPHIEみたいな音が皆んな作れないから、わざと音を歪ませまくってるんじゃないかって個人的な考察。こういう音の曲、PC MUSIC周りのアーティストの曲を昔はBubblegum Bassなんて言われていたけど、浸透は特にしなかった。
『Hercelot - kit kat fat cat chat』
サンプリングの鬼。"おもちゃ箱をひっくり返したような"とはこのこと。いったい何処からサンプル持ってきてるのか気になる。これだけのサンプルを1曲にまとめ上げるのはマジで狂気的。
『Jacob Collier - With The Love In My Heart』
鬼才Jacob Collierから1曲。ジャンルを超越しすぎ。ハイセンスなアイディアの押し売りみたいな曲。特に3:18〜からの展開は最高すぎる。
『Ary Warnaar x Ben Aqua - ANARCHY』
『TAEMIN - Drip Drop』
K-POPから1曲。海外のプロデューサーに好き勝手に曲を作らせてて、割と面白い楽曲が多いK-POP。この曲もカテゴライズできないアレンジで、こういうハイクオリティな楽曲が何百何千万と再生されてちゃんと評価されてるのは、純粋に音楽ファンとして嬉しい。
『Pino Palladino + Blake Mills - Ekuté』
どんだけ乾いた音なんだ。ブラスにファズでもかけてるのか、まるでエレキギターを聴いてるかのよう。
『black midi - John L』
ジャンル的にはプログレになるんだろうけど、ここまで存在感があるのは凄い。次のアルバムも発売決まったし、本当に楽しみだ。
『Dos Monos - in 20XX』
異色すぎるJapanese HIPHOPユニットDos Monos。もちろん日本語ラップではあるが、やってることはラップという歌唱法を使ったプログレ。トラックの元ネタをいったい何処から持ってきているのか知りたい。
『imoutoid - PART2』
エディットの鬼。元ネタの「ダ・カーポ 〜第2ボタンの誓い〜」のイントロのたった数秒間だけを使って、ここまでアレンジを展開させるのは本当に神業。
如何でしたか。
良かったら皆さんの衝撃的だった曲も教えてください!
椎名林檎をちゃんと追ってるわけではなかったけど、「女の子は誰でも」をCMで聞いた時にオッと思い、数年後これを聞いてなるほど~~って頭ブンブン振っちゃったね
https://music.apple.com/jp/album/1385322133?i=1385322148
未就学児の当時よく歌っていたらしい(!?) 後になって作者が大物であることを知り驚く
自分はハチ・米津玄師の楽曲に対して、なんでこんなのが流行ってんだよみたいなマジで穿った見方をしてた、これを聞くまでは……
皮肉まみれの歌詞が当時だいぶ物議をかもしてた気がするけど、曲はそんなのどうでもいいくらい、悔しいくらいカッコいい
https://music.apple.com/jp/album/1268503456?i=1268503458
ライブ音源です 21世紀の未来のアイドルがこういう曲で踊ってる(しかもロサンゼルスで)という面白さ
安部潤のシンセはT-SQUAREリスペクトらしい 生で聞けたらどんなに楽しかっただろう
https://music.apple.com/jp/album/642832495?i=642832943
まずメロディでこれはHungry Spider以来久しぶりのダークなマッキーじゃ~んと思って、次に歌詞をちゃんと読んで完全に泣いた 同じ性別の人を好きになった人の気持ちがこんなにもわかるか?
https://music.apple.com/jp/album/548245136?i=548245147
ポップンやってた中高の頃、ゲーム内で気になる曲の作曲者を調べたらことごとくwacだったのがちょっと怖かった
その例外がHomesick Pt. 2&3 / orangenoise shortcut、と思ってたけど今調べたら編曲にwacが関わってるらしい マジかよ……
https://music.apple.com/jp/album/498158513?i=498158523
配信サービスで後追いで知る(このリストの硝子の少年とプラチナを除く2005以前の曲は全部後追いですが)
音楽サブスクにおけるレコメンドエンジンというのは恐ろしい大発明ですね このあたりの(自分が能動的に音楽を聴く前の)年代のお洒落な邦楽って絶対たくさんあるはずなのでこれからも掘っていきたい
https://music.apple.com/jp/album/1486281113?i=1486281117
あつぞうくん名義(もともとMelting Holidaysというウィスパーボイス・ソフトロック系のユニットをやっていた)での2枚目のオリジナルアルバム「メガネディスコ」の最後から2曲目がこれ 実質的にはこれがトリ
当時インタビューでRoger Nichols and The Small Circle Of Friends、The 5th Dimention、ピチカート・ファイブに影響を受けたと書いてあるのを見て、それぞれ聞いてみると3グループ全部が自分の好みであったことから、いわゆる渋谷系とその"元ネタ"という概念にハマるきっかけとなる
https://music.apple.com/jp/album/1565906466?i=1565906478
原曲(sm12173659)は非公開・配信無し・CDも入手困難となっていたのですが、2021年に新録されたリアレンジ版がコンピに収録されサブスク配信されています これも良いんですけどどうにかして原曲も聞いてみてください
今考えると初音ミクの登場から数か月という段階(メルト以前!)でこんなに完成されたスキャットが出てきたことが本当に恐ろしい…… オーパーツですか?
OSTERのオリジナルアルバムに何度もリアレンジ・リミックスが収録されたり(ほとんどがアルバムの最後もしくはそれに準ずるような場所に入ってる 曲順が解釈一致ですありがとうございます)、令和の時代になってもゲームでカバーされたり、公式/公認だけでも数えきれないバリエーションが存在する
歌い継がれてほしい
https://music.apple.com/jp/album/662012326?i=662012451
配信で聞けるのはベスト盤向けセルフリミックス(↑)(※Spotifyには無い)、プロセカ(ワンダショ)のカバー(Spotifyで聞くならこれ)、PSBハヤシベトモノリによるリミックスのみ
渋谷系ニワカのときにたくさん買ったCDの中にあった ベストアルバム「PIZZICATO FIVE JPN」の最後の曲だった
攻撃的なリズム隊! 荒ぶるストリングス! キラッキラしたブラスセクション! 淡々と歌う2人! 最高~
Don't Take Your Time元ネタの楽曲は全部好きだけどこれは別格
ここまで楽しくて悲しい曲は聞いたことがない
https://music.apple.com/jp/album/1484037087?i=1484037108
1作曲者につき1曲縛りとした
平均年齢高めのはてな諸兄なら、なんとなく覚えている人も結構いると思うが、今ほどシンセサイザーが発達する前の昭和の歌番組は、伴奏やジングルのためにお抱えのミュージシャンが多数出演するという、現在では考えられないほど贅沢な造りだった。
なおかつ演奏者の調達の都合(まとめて声掛けできる)からか、それが歌番独特のサウンドを生んでいた。
そのサウンドを自分の耳で聴いた感じや、当時の関係者が昔どこかのサイトに書き残していた情報によると、どうやら楽器編成は以下の通りのようである。
さて、「自分の耳で」と書いたが、これは別にyoutubeに上がっている昭和の歌番組のアーカイブだけが頼りではない。
というのも、このサウンドは平成を通じて令和の現在に至るまで、着実にアップデートしつつ受け継がれているからだ。
個人的には主にアニメやゲームとかの2次元コンテンツ関係で見る機会が多いので、以下全てそっち系から、古い順に曲紹介である。
昔と違って予算の関係もあるのか、曲によっては弦やリズムセクションが打ち込みだったり、更にはブラス隊まで打ち込みになってそうなのもあるにはある。
ただ最近のシンセ音源はかなり高品質なようで、そこそこ「生っぽい」感じ。
ともかく、いずれの曲も華やかなトランペット、印象的な旋律を奏でるヴァイオリンがとても魅力で、上手いアレンジだとピアノの立体感、サックスの艶、トロンボーンの直線的で力強い咆哮、ヴィオラ・チェロの全体を包み込むような響きも楽しめる。
聴き慣れてくると癖になるサウンドだし、何よりバンドやユニット以上に「プロミュージシャンが集まって奏でている」迫力がひしひし伝わってくるのも良い。
なので、今は色々厳しい話も多いと思うけど、細々でもいいから無くなってほしくないサウンドだ。
あと、個人的に当時の昭和の歌番のサウンドが途方もなかったと思うのは、予算や人の都合からか、レコード(CDすらない時代)の原曲と同じかそれに近い楽器編成を実現できない場合でも、番組ではレコードと同じに聞こえた点。
少なくとも素人の視聴者には違和感ない程度に一緒に聞こえるというのは、個々のミュージシャンがちゃんと歌手の個性とか歌の性質を理解し、音に仕上げていたことを意味するわけで、これこそプロの技だよなあと感心してしまう。
プーチンが、ついにウクライナ内部に樹立された「人民共和国」の独立を承認した。
これは一連のウクライナ戦争において、今までで最も重大な回帰不能点(ポイント・オブ・ノーリターン)だ。クリミア併合よりもその重大性は大きい。
クリミアとドネツク・ルガンスクの何が違うか。それは「戦争前の地位」だ。
戦争前、クリミアはウクライナ内部において「自治共和国」の地位を有していた。ロシアのクリミア併合は、このクリミア自治共和国が「クリミア共和国」としてウクライナからの独立を宣言し、その後ロシアとの併合条約を結んだ、という形式になっている(ロシアは連邦制の国であり、国内にいくつもの共和国がある。タタルスタン共和国やサハ共和国、チェチェン共和国あたりが日本では有名だろうか。したがってクリミアも、併合後は「クリミア共和国」としての地位を享受している)。
ある国家内の自治領域が独立宣言を行うこと自体はよくあることだ。たとえば、ソ連の解体も、ソ連に属していたウクライナ共和国やベラルーシ共和国といった連邦構成共和国がソ連からの離脱を宣言するという形で行われた。ユーゴスラビアの解体に際しては、スロベニア共和国やクロアチア共和国といったユーゴスラビア連邦内の共和国が独立宣言を行い、それを西欧諸国が強引に承認するということもあった。
もちろん、クリミアの地位は共和国よりも一段劣る「自治共和国」であり、ウクライナ憲法は国土の不可分性を謳っていたのだから、クリミアの「独立」が上の先例と並べられるかという疑問は出てくる。しかし、それに先立つ2008年に、自治共和国よりもさらに劣る「自治州」の地位にあったコソボの独立宣言を、コソボはセルビアの領土だと明記されたセルビア憲法に背く形で欧米や日本が承認した以上、「なぜコソボ独立はよくてクリミア独立は駄目なのか?」という反論にもそれなりの説得力があった(ウクライナ憲法は守らねばならないがセルビア憲法は守らなくてもよい、というのはセルビア人への蔑視や差別意識があると言われても仕方ないのではないか?)。
だが、ドネツクとルガンスクについては話が違う。これらの地域は、ウクライナ戦争前にはなんらの根拠も持っていなかった。ウクライナ共和国内のドネツィク県とルハンシク県に過ぎなかった(ウクライナ語のオブラスチは「州」と訳されることが多いが、「県」でも間違いではない)。戦争中に親露派武装組織――つまりロシアの手先――が占領した領土を「自治共和国」だと勝手に宣言したにすぎず、ウクライナは当然それらの地位変更を認めていない。
つまり、満州国だ。あれも、中華民国において確立された自治領域ではなかった。関東軍が占領し、溥儀を傀儡に立てて建国を宣言した。プーチンのしていることは関東軍と同じだ。
クリミア併合までは、「欧米が認めたコソボの独立と同じことをしているだけだ、それの何が悪い?」と、いちおうは国際法に則った言い訳ができた。ドネツィク・ルハンシク両県への軍事介入も、「あれは現地の武装勢力が勝手に騒いでるだけで、ロシア正規軍は何も関与していない」という白々しい建前をいちおうは貫いていた。ここまでは、色々とツッコミどころはあるだろうが、最低限の国際的な建前を意識した行動だった。
それが、ドネツク・ルガンスク両「人民共和国」の独立を認めたことで、ついに越えてはならない一線を越えた。他国の領土に勝手に樹立された政権を承認する。これは明白に国際法を踏みにじる行いだ。なんの言い訳もできない。ロシアは完全に無法国家になった。
もともとかの国に遵法精神など期待する方が無駄だったといえるのかもしれない。しかし少なくともこの半世紀、ロシアは国際法を建前としては尊重しようという姿勢を見せようとはしていた。その姿勢すら見せようとしなくなったというのは、やはり重大な転換点といえるだろう。
そして、世界には、「紛争によって勝手に宣言された自称自治州や自称独立国家」が多く存在する。今回のプーチンの独立承認は、それらにも影響を及ぼさずにはいられない。
真っ先に思いつくのは、沿ドニエストル共和国だ。モルドバ領内のドニエストル川左岸地域が、ソ連解体とモルドバ独立をきっかけに自治を宣言した。その後、独立を宣言し、ロシアが事実上の後ろ盾についてはいるが、あくまで国際的にはまったく認められていない。
あるいは、北キプロス・トルコ共和国の例を挙げてもよい。キプロス共和国内でトルコ系キプロス人の武装勢力が(トルコ軍の協力を得て)占領した土地を勝手に「共和国」と宣言したが、当然トルコ以外にはまったく認められていない(余談だが、国内に非承認国家を抱えた紛争中の国がEUに入れてしまったのは本当に制度のバグだと思う。ギリシャがゴネるから入れざるを得なかったんだよな……なお、国連が提案した南北再統合案を蹴ったのは南側な模様)。
もっと言うと、ボスニア・ヘルツェゴビナ内戦では、セルビア人勢力が占領した土地に勝手に「スルプスカ共和国」を建国した。現在、ボスニアにおいてスルプスカ共和国は連邦を構成する共和国として認められてはいるが、コソボと違ってその独立は承認される見込みがない。戦争前には存在しなかった国だからだ。内戦時にクロアチア共和国領内で樹立されたスルプスカ・クライナ共和国も、最後まで国際的に承認されることはなかった(なお、スルプスカ・クライナ共和国はクロアチア軍の大攻勢によって崩壊し、数百年にわたってクロアチアに居住してきたセルビア人が大量に難民として流出することになった。ザ・民族浄化の典型例である)。
ドネツク・ルガンスク両「人民共和国」の独立が、これらの紛争地域にどのような影響を及ぼすのかは何ともいえない。国際的な監督下に置かれ主権が制限されているボスニアの一部であるスルプスカ共和国や(現在のボスニアは高等弁務官が民主的に選出された政府高官の罷免権などを持っているので実質的にEUの保護国であり主権国家とはいえない。なんで国連入れたの?)、国連による再統合交渉が続けられ、かつ形式的にはEU加盟国の一部である北キプロス・トルコ共和国に与える影響は小さいかもしれない。だが、何も影響がないということはありえないだろう。
そして世界のどこかには、未来のドネツク・ルガンスクがあるはずだ。ロシアの行為は、それらの地域で独立を夢見る人びとにとっての範になる。本当に、越えてはならない一線だった。
なお、このへんの危うさを一番わかっているのが中華人民共和国である。かの国は、コソボもクリミアもアブハジアも南オセチアも、一切承認しないという態度を貫いている。チベット人やウイグル人に対してジェノサイドを行い台湾への締め付けを強めているだけに、一方的な独立宣言の恐ろしさをよくわかっているのだろう。もちろん中華人民共和国による少数民族への抑圧は決して宥恕されるべきではないが、しかしコソボの独立は認めながらアブハジアの独立を認めようとはしないどこかのダブスタ国家に比べれば、遥かに道理というものをわきまえた行動ではないだろうか。日本政府は今からでもコソボとアブハジアに対して一貫した態度を取ってほしい。
5chに連投コピペで貼られてたんだけど、ググっても元の文章が出てこない。
・すぎやまこういち(1931年東京都生。作曲家。日本バックギャモン協会会長)
・植松伸夫(1959年高知県生。神奈川大学外国語学部英語科を卒業後、TVCM等フリーで活躍し、1986年スクウェア入社)
(要約)
すきやま:
だんだんドラクエ関連のスケジュールだけで1年終わっちゃうみたいな有様になってきちゃって、
あんまり他のことができなくなってきてるんだよね。困ったもんだよ。
ドラクエやると、やれCDブックだアニメだときて、レコードもブラスバージョンやエレクトーンバージョンやピアノバージョンが出て、
そうなると色んな出版社がピアノ譜やエレクトーン譜を出す。そんなことやってるから1年潰れちゃうもんね。
植松:
すきやま:
どうしても大変だと思いながら、「このゲームが好きだなあ」ってことになるとついね。
植松:
まさか本当にやって頂けるとはね。言ってみるもんだなとつくづく思いましたよ(笑)
すきやま:
でも楽しかったね、あれは。FFVも大変だったね。やっと僕も上がったんですけどね。
植松君は働き者だなとつくづく思いましたよ。何曲あるの、あれ?
植松:
60近くはあるかもしれないですね。
すぎやま:
60曲あのゲームの中にあるということは、実際作った曲はその裏にもっとあるでしょう。何曲ぐらい?
植松:
1コーラス作ったという感じで言ったら100曲ぐらいいってるかもしれないですね。
すぎやま:
働き者だなあ(笑)
植松:
曲数が多いというのも一既にいいとは言えないとも思ってるんですよね。
すぎやま:
植松:
そんなでもないんですけどね、それでも10曲ぐらいは少ないかな?
すぎやま:
そうでしょ。やってる時はこの曲面白いなと思うんだけど、終わったあと覚えてる数が少ない感じがしたね。
その原因は何だろうと思ったんだけど、多すぎるというのがあるのかもしれないな。
でもやっぱりどんどん意欲が湧いて、ここはこういう曲にしちゃおう、ここはこうしようっていうのが出てきちゃうものだよね。
植松:
作ってる方としてはまだ足りないんじゃないかという気もするんですよね。完成したあとに自分でやってみますよね。
そうすると、こことここの音楽変わってないやっていうところがいくつかあるんですよ。
だから作った本人は全部曲覚えてるから別に問題ないんですけど、
自分以外の一般の人にとっては多いかなとは思ってるんですけどね。
30曲に抑えようとしたんですよ。IVのときもちょっと多いと思ったんです。
今回は絞り込んでやろうと思ってたんですけど、欲が出てしまいますね。
すぎやま:
僕も曲を絞り込むときは断腸の思いでね。切る作業が大変ですよ。
前にも言ったと思うんだけど、むこうのミュージカルなんかを見ると本当に曲数少ないんだよね。
でも植松さんのやり方でいいなと思うのは、1つの曲をシーンに応じてアレンジを変えて出すケースが多いでしょう。
植松:
すきやま:
働き者なんだよ。FFVの曲は植松さんの趣味趣向がはっきり出てるから、
それがある意味でいい個性になってていいなというのがありますね。
スコットランド民謡をはじめとして、民族音楽への傾斜というのがあるでしょ。
植松:
今回そのアイルランドのリールっぽい曲を入れたのって初めてなんですけど、あれを入れますと
ユーザーの意見なんかのハガキに「アイルランド行ってきて帰ってきたらもうこれだ」というのがあるんですよ(笑)
別にアイルランドから帰ってきて、その影響受けてやってるわけじゃないんですけど。
以前から凄く民族音楽に興味がありまして、入れたかったんですけどファミコンのときとかって難しいじゃないですか。
すぎやま:
ちょっとやりにくいよね。
植松:
いつかやってやろうと思ってたんですけど、あんまり興味本位で民族音楽好きだから
入れるというのも安っぽく見えてイヤかなと思ったんですけどね。
先日、すぎやま先生がうちの職場にいらした時にお話ししたんですけど、今トルコ音楽を習いに行ってまして、
すぎやま:
植松:
日本人だったら日本の音楽ルーツとして民謡とかがあるはずだと思ってるんですよ。
日本に昔からある音楽が自分の血の中にあるはずだって自分では思ってるんですけど、
一度「雅楽(古来の宮廷音楽の総称)」の“ひちりき”(雅楽用の竹製の管楽器)を習いに行ったことがあるんです。
そうすると自分の中に流れている血というよりも、逆にそれがすごく新しい、
ブライアン・イーノのシンセサイザーの音楽に近い印象があったんですよね。
すぎやま:
笙(雅楽用の管楽器)のハーモニーなんかは音の響きが非常にシンセサイザー的な新しさがあるよね。
植松:
そうなんですよ。だからこれはものすごく面白いけど、自分にとっての血ではない気がしたんですよ。
雅楽は朝鮮からのものですけどね、そういうルーツみたいなものを考えていったら、
逆にヨーロッパの民族音楽がすごく自分にピンとくるものがあったんです。
自分にとってピンとくるものを追っかけていく方が面白いんじゃないだろうかと思って、
最近は自分が日本人だから日本古来の音楽をどうのこうのという考えはなくなってきてるんですよね。
すぎやま:
僕ら日本人で日本の文化の中で暮らしていると、いつかは三味線音楽や琴の音楽が耳に触れてるわけ。
和風喫茶やレストラン、エアラインなんかでもいつの間にか聞こえてくる。
アメリカで生まれ住んでるとそれは耳に触れないで大人になっちゃうでしょう。
僕らは耳に触れてるから、知らない間にそういう音感は身についてると思うの。
町の音楽「ミーファー」ってメロディがいくときに、もう1つの声部が「ミーミー」とそのまま引っ張って、
ミとファが平気でガチャーンと使ってるのがあるでしょう(トゥールの村などの音楽)。
植松:
バッテンなんですよね。
すぎやま:
植松さんはあれにある種の美しさを感じるからやってるわけでしょう。
で、僕も日本人だから聞いて「あ、ここいいな」と思ったんですよ。
「ソーミーファー」というのと「ソーミーミー」というところでミとファがぶつかっているのは、
西洋音楽のエフメジャーセブンの中のミとファのぶつかりの意味とは全然違う意味のミとファでしょ。
それは江戸時代の三味線や琴の音楽でしょっちゅうやってることなんだよな。
「ラファミミファミミファファミ」といってるときに、1は「ミミミ」といってミとファがぶつかってるという、
そういうテンションに美しさを感じるという江戸時代の音楽家らの伝統みたいな感覚の流れがあるんだよね。
あの部分を聞いて植松伸夫もやっぱり日本人だと思ったんですよ。
で、僕もアレをイヤだと思わずに、あぁこれいいなと感じて、僕も日本人だなと再確認したんです。
植松:
ミとファの半音でメロディと伴奏が平気でぶつかることがしばしばあるんですよね。
自分でもああぶつかってるな、クラシックの音楽のテストなら絶対にバツだなと思っても、
その響き欲しいしと思ってそのまま残すこともあるんですよ。
すぎやま:
それが間違いか間違いじゃないかというのは、感覚的にそのぶつかりが許せるかどうかなのよ。
いいと思うかどうかなのね。だから西洋音楽なんかも近代音楽以降はガンガンぷつかるでしょう。
それが前後の関係や音楽全体の姿からいって、感覚的にこれが美しいと思えるものはマルなのね。
ミとファのぶつかりあいが美しいと思える感受性があってやったものであれば間違いじゃないんだよ。
ただそれが自分一人でいいと思ってるだけで、世の中全員が気持ち悪いと思ったら
植松:
難しいですよね。音楽を学問にした人というのは、かなり強引だと思ってるんですよ。
どうやって音楽の点つけるんだろうって未だに僕思ってるんですよね。
小中学校を通して音楽というものを学校の教育に取り入れて100点取った人は偉い、
大人になって楽器を手にしなくなっちゃう人が多いんじゃないでしょうかね。
すぎやま:
音楽教育というのがどうあるべきかというものは、これはもっと考えなくてはいけない問題で、
植松:
すぎやま:
笛を吹いたことについて点数つけることよりも、笛吹く楽しさをわからせるのが大事だよね。
だからファイナルファンタジーとかドラゴンクエストの音楽というのは大事なんですよ。
植松:
ドラゴンクエストの音楽が好きになってコンサート行きますよね。
すぎやま先生なんかのコンサートはフルオーケストラでやってらっしゃるでしょう。
それはものすごい影響力だと思うんですよね。
子供がオーケストラを生で聞くチャンスが普段あるかというと、少なくとも僕は子供の頃そんな経験はしてないんですよ。
そうすると、ある意味ですごく羨ましいんですよね。小学校2-3年という頃に、N響の音が年に1回、生で聞けるわけでしょう。
すぎやま:
他のオケなんかのコンサート数えると、20-30回やってるよ。全部ドラクエじゃないにしても、1コーナーとかね。
だから、あちこちに頼まれて棒振りに行く仕事もやってます。それは大事なことだからね。
植松:
すぎやま:
しかし、いつもゲームの音楽作るときに、昔の大作曲家の作品聞くじゃない。
とてもかなわないなと思うことが多いね。
植松:
すぎやまさんがそんなこと言ったらこちらの立場はどうなるんですか(笑)
すぎやま:
昨日久しぶりにバレエ見ようと思って神奈川県民ホールに「くるみ割り人形」見に行ったの。
チャイコフスキーのド天才めって感じだよ(笑)。とんでもない天才だね。
植松:
チャイコフスキーは僕もすごく好きですね。音楽は誰が好きなんですかなんてインタビューとかであるじゃないですか。
すぎやま:
とんでもない大天才だよね、あの人は。
あの時代で20世紀の音楽家が考えて書くようなヴォイシングやってたりするわけよ。オーケストレーションのうまいこと。
植松:
この前、西田敏行がロシアに行ってチャイコフスキーの足跡を辿るという番組をテレビでやってたんですよ。
僕もチャイコフスキー好きだから見てたんですけど、チャイコフスキーはホモであるというのを聞いて、
「ああ良かった」と思ったんですよね(笑)
すきやま:
その良かったというのはどういう意味なの?
植松:
チャイコフスキーも人間だったんだなというね。ま、噂なんですけどね。
すきやま:
モーツァルトなんか完全にいってるよね。大天才でも大欠点があるという。
植松:
チャイコフスキーにしろモーツァルトにしろ、メロディが非常にわかりやすいんですよね。
クラシックって難しいから嫌いという人が多いですけど、そんなことないと思うんですよ。
すきやま:
ベートーベンとかブラームスあたりはみんなそうだよ。いいメロディもってるよ。
植松:
すぎやま:
植松:
だからドラクエなんかはオーケストラでやっても子供が聞けるんですよ。
すぎやま:
ドラクエにしてもFFにしてもメロディ大事にしてるからそこに強みがあるでしょう。
他にもFFでは民族音楽的なのがありましたな。デデンッデデンッ…てやつ(笑)
植松:
すきやま:
だからそのうちトルコも出てくるぞ(笑) FFでは吟遊詩人というジョブがあるじゃない。
吟遊詩人がマップの中のトルコやアイルランドみたいなところへ行ったりするとそこの音楽を覚えて、
それを戦闘中に唄うと何かが起こるみたいなことがあれば面白いんじゃない。
植松:
すぎやま:
増えるね(笑) でも吟遊詩人というジョブがあるから使えそうな気もするね。
植松:
一度何かに絡めてやってやろうと思ってるんですけどね。
どうしても容量がそういう余分なところまで回らないんですよ。
すぎやま:
植松:
すぎやま:
ダンジョンも違う?そんな気もしたんだけど。
植松:
いや、ダンジョンという曲は1曲しか用意してないんですよね。他で使ってるのを使いまわしてるんです。
すぎやま:
でもなんかすごく多い気がしたな。
植松:
実際多いんですよね。飛空艇は1曲ですし、チョコボは2曲だし。
すぎやま:
チョコボはまた面白いね。あの音楽と動きを見事にシンクロさせてて良かった。
植松:
あそこらへんはプログラマなんかと楽しんで作ってましたよ。
すぎやま:
植松:
ヘタクソなやつが最後はコンサートピアニストぐらいにしてくれと言われたんで、
最初はメトロノームにも合わせられないようなところから始めて、最後はドビュッシーまで弾けちゃうんですけど、
あのドビュッシーの曲(月の光)をみんなあんまり知らないんで、ガッカリしちゃったんです。
すぎやま:
グリークとかチャイコフスキーのピアノコンチェルトみたいな方がコンサートピアニストみたいな気がするからね。
植松:
そうですよね。最後のが弱かったのが残念だったな。
すぎやま:
植松:
息抜きというやつですね。でも結構一生懸命やっちゃうんで、息抜きできなくなっちゃうんですけど。
すぎやま:
作ってる本人はいいんだよ。遊ぶ方は息抜きできるんだから。植松さんはドラクエは上がったの?
植松:
実は最後のダンジョンの手前でFFVのアレンジCDの仕事に入っちゃいまして、まだなんですよ。
すぎやま:
上がってないの!?
植松:
今日までに終わらせるつもりだったんですけど。
すぎやま:
僕は対談頼まれたときに、12月中だと聞いてそれまでにFFVを終わらせる自信ないって言ってたんだけど、
元祖プロゲーマーを称してるからには面目にかけても上がろうと、しゃにむにやって上がりましたよ。
途中でやんなっちゃうゲームだと上がれないけど、やってて楽しかったから相当寝不足になりましたよ。
植松:
今回はアマチュアの勝利ですかね。スクウェアのメンツって、単独で独立して音楽で食っていけるか、
絵で食っていけるか、企画で食っていけるかという連中がまだ1人もいないんですよね。
すぎやま:
植松:
いえいえ。平均年齢がまだFFチームでいうと25ぐらいなんですよね。
すぎやま:
ドラクエチームもそうですよ。皆さん若い。僕1人だけ飛び抜けてるんだ。
植松:
結局若い、何かやってやろうという奴らが集まってるんですよね。
そいつらが泥まみれになって一緒くたになって限度知らずの頑張りをするんですよね。
全てのプロの人がそうというわけじゃないんですけど、中にはお金と割り切って仕事をする方もいらっしゃいますよね。
そうするとある程度から先の気力とか頑張りを越すというのは難しいというのがたまにあるじゃないですか。
そういうことが5のチームには無かったんですよ。
とにかく最後の最後まで、〆切のマスターを任天堂に送る朝まで、どこまでできるかということをみんながやったので、
そこらへんの適当なプロの人を集めて作っても、ああいう気合いの入った作品は出来なかったんじゃないかなと思うんですよ。
今になってやってみると、あそこをこうした方がいいというのはうのはいっぱいあるんですけど、
終わった時点ではもうこれ以上はできない、とみんなが思ってるんですよね。僕もあのときはそうでしたしね。
すぎやま:
結局世の中を見てると、FFにしてもドラクエにしてもそうだけど、
好きで好きでとことんまで頑張るという人が集まってるところのゲームがヒットしてるんだよね。
植松:
電子楽器の年代とかはある程度ある。あとヒップホップの流行とかもある。
たとえば、70年代以前はスクラッチとかラップとか出てこない。ホーンセクションが生
ギターのリバーブがバネ式でチョワンチョワン言ってるとか、クライベイビーがワウワウ言ってるとか
ハモンドオルガン、MINIMOOG、ARP ODYSSEY、ソリーナの音、ローズエレピ音とか、
プロフェット5の音とか
DX-7のFM音源のブラス音とかベース音とかE-muのサンプリング音とかオーケストラヒットの音とかシモンズドラムの音とか
そのあとブラジル音楽、アフリカ音楽の流行があって、日本だと琉球音楽とかの流行があった。
90年代に急にアコースティック、生が大事って言いだして、シンセサイザー控え目になる。
2000年代は音や機材ではわかりにくいような気がする。音文化的には退化してるような気も。
なんでもかんでもラップになってるのがこの辺りw
ヒュンケルの場合、
原作でも初戦では敗れている。クロコダインの助太刀はこの場合入らない。
魂の貝殻のメッセージ抜きでは改心して味方になることもまずない。
クロコ戦・ヒュンケル戦でのレベルアップを差し引くと、楽観的に見ても五分五分以下、残念!
ダイは殺されないと思うが、記憶を消されて魔王軍に回ることになる。
ポップ逃走。人類滅亡。
展開が想像しにくいが、紋章の力とか出した時点で素性を見抜かれる。
バランに引き合わされ魔王軍入りとかではなかろうか。ポップ逃走。人類滅亡。
ザボエラの場合
たぶん自ら前線には出てこずに、妖魔師団とともにいきなり洗脳ブラスを差し向けたと思う。
ポップが逃げずにマホカトール使ってくれれば切り抜けられるかも。