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はてなキーワード: ベートーベンとは

2024-06-29

クラッシクの天才といえばモーツアルトだけど

昭和の頃はベートーベンがそのポジションだったよな。

なんで評価が変わったんだろう。

2024-06-18

anond:20240618101303

コロンブスポリコレへの強い批評だと思うけど、

ポリコレ見直しなんか必要ない

は読み取れないな。

描写されたものすべて視聴者に見せるために描写されたものがあのMVなのだから、「歴史偉人ポリコレ見直しなんか必要ない」を見出すのは無理筋

 

歴史偉人が実際にやってたことってこんなことよ」とわざと植民地主義を強調する作りにして世に伝える

コロンブスMV意図はこれだと思う。

 

歴史偉人が実際にやってたことってこんなことよ」

は、ミセスMV作らなくても知られていたことだよね。だからその内容自体ポリコレなのは当然だと思う。

でもミセスMVを作って

歴史偉人が実際にやってたことってこんなことよ」

を陳列したら、コンプライアンス至上主義者が発火した ←これもポリコレ

事実を陳列されたら、「それはそうなんだけど茶化すのは良くない」とか「陳列するのは良くない」とか、あるいは事実陳列されたと思ってない人が「差別良くない」とわめき始めてもう何がなんだか、とにかく「ミセス謝罪しろ!!!」で結束した ←これもポリコレ

まあ事実陳列というには確かに茶化してるんだけど、でもそれこそが風刺

 

セスコロンブス風刺したというより、コロンブスを使ってポリコレ風刺したんだと思う。

コロンブスを、ベートーベンを、ナポレオン偉人として讃えることをしっかり風刺してるし、偉人から茶化すのはよくないと怒り出す権威主義風刺して、偉人だけど偉人がヤベーことをしてたのも分かってるけどそれつつくと差別だ~って怒り出す外国人がうるさいから黙っとけよと言い出すポリコレ風刺して、「こんなことも分からないなんて無知だな、教養がないんだな」と言って満足する人たちも風刺対象

2024-06-17

anond:20240616124255

わたし(前提)→「コロンブス評価学校で習った頃とは違う」という知識はあった。かつてエスキモーアメリカインディアンと呼ばれていた人々が、イヌイットネイティブアメリカンと呼ばれるようになったのをどこかで聞き齧って知ってるのと同列程度の知識

炎上騒動を聞いて→「へ〜なるほどやっちまったな〜、誰か止める人いなかったのかな」

炎上したMVを見た感想→「あんまり好きなノリじゃないな〜。左側のお猿ずっと人力車引かされ続けててかわいそうじゃね? ベートーベンお前が引けよ」

炎上の結果動画が削除され謝罪が出たのを見た感想→「そっか〜」


炎上させている人たちを見た感想

1) このMVのこういう所が差別的に見えますよという意見 → 納得したし削除と謝罪妥当だと思う。

2) こんな差別的な内容は許せないとカンカンになっている人 → まあ難しいことはわかんないけど気持ちはわかった。だから削除も謝罪妥当だと思う。

3) このMV差別的だと気づかずに作っちゃった人の知識教養のなさを罵倒している人 → 正直MV作っちゃった人より遥かに不快


3)がひどすぎて炎上したアーティスト相対的に少し好きになっちゃったもんねもう。

自分はこの元増田とか国語増田(人格攻撃が酷いから嫌い)とは多分価値観自体はだいぶ違うと思うが、彼らの「『正しい側』にいるというのは安全地帯なので、いくらでも無知な人を罵倒し、笑い飛ばせる」とか、「あなたはその本で得た知見や義憤を『コロンブスコスプレMVをしたミュージシャン』というそ問題とかけ離れた対象にぶつけている」って意見には賛成だし、以前ホッテントリに入ってたロマン優光氏の

コロンブス現代評価を知らない人のほうが多いのが日本現実だ。そのことには問題があるのだけれど、知らなかった人をバカにするようなことをSNSでやるのは禍根を残すだけだし、この件に直接関係のない楽曲の良し悪しとか、メンバー人格とか学歴をわざわざ中傷している人はほんとやめといたほうがいいと思う。それは批評でもなんでもない。


ってブログの内容にも全文同意しかない。

それでも最初炎上が発覚した頃はロマン優光氏が言うところの「なにやってんだ!そんなことをしていたら死んでしまうぞ!」ってトーンの人が多かった印象がある。炎上ヒートアップするにつれて「知らなかったにしても罪である。こんなMVを出すような無学無教養があってはならない」って、強くて正しい言葉で尻馬に乗る人が増えてきた感じ。

2024-06-16

セスベートーベンコスしてる奴

メッチャキモいブサイクなのに厚化粧と女装してぶりっ子してんのが生理的に受け付けない。

2024-06-15

スキーム炎上Mrs.GREEN APPLEコロンブス

差別意識はない説https://anond.hatelabo.jp/20240613203515

一連の事実から推測できることはこうだろう

1 米国企業日本メディアをある程度統制できる(SNS炎上させたり止めたいPVを止められる)

2 米国企業欧州尊厳を守るポーズを取るため欧州史の拡散を止めたい

 1)コロンブスの国は科学が発達していたイスラムグラナダから航海術を得た

 2)フランス革命妨害ナポレオン皇帝復古支配は、銀行家らが資金提供をしていたもの

 3)ベートーベンが好んだワインには鉛が添加されており、難聴の原因となった

3 イスラエルガザ攻撃は止めないが、人種差別反対のポーズも取りたい

4 白人の真似して白人をおちょくって良いのは白人だけだと言いたい

2024-06-14

anond:20240613203515

かなり本気で植民地主義批判している動画に見えるのに、無知または肯定と取られてしまっているのが気になる。

登場人物植民地主義的だと批判された人たち(ベートーベン2021年モーツァルトと共に植民地主義的だと批判されて話題になった)。

コロンブスが攻め込んで、ナポレオン軍事的に、ベートーベン文化的に現地人を啓蒙するストーリー

・そのほか植民地主義象徴するものが、短い動画なかにこれでもかと詰め込まれている。

日本では植民地主義過去のものと考えられがちだが、イスラエル軍事攻撃の根幹にはヨーロッパ植民地主義があるといわれている。

・明るく楽しい販促動画に見せかけて、だまし討ちのようにアメリカ大企業の懐の内でアメリカ批判した。

以上の点から、この動画は、批判方法としてありかなしかを問われるならまだしも、無知ゆえの失敗と笑われるようなものではないと思う。

メンバー征服者を演じているからといって、征服者肯定しているとは限らない。

anond:20240614135306

エジソンベートーベンとか曲名歌詞に出す時も政治的問題になってないかと調べたりすると思うか

コロンブスは大昔の冒険家しか思ってない奴が調べるわけがない

コロンブスMV改善案

コンセプトを同じにして改善するなら、まず自称白人ではなくて上陸される側であるべきだったよなと思う。

それもホームパーティーとかではなくて、ミセスの人たちが普段つかってる音楽スタジオコロンブスらが現れるという形で十分だった。

それで、みんなで楽しげに遊んだり、ベートーベンを乗せた人力車浅草を巡ったり、ナポレオン明治村を巡ったり。

そして、ベートーベンピアノを教わり、ナポレオン乗馬を教わり、コロンブスに……

あれ?

コロンブスには何を教わればいいんだ?

あいつ心底クソだから、何を教わればいいんだろうな。

操船技術?でもなあ、それ現代だと完全にいらないやつじゃん。


結論コロンブスという題材を選んだ時点でもう無理

2024-05-30

anond:20240530102019

手元にすぎやま先生インタビューがあるのでまとめてみた

エニックスとの縁は、エニックスが出していた森田将棋アンケートハガキCPUの駒組みについて文句を書いて本名で送ったら「あのすぎやまこういち先生ですよね?エニックスゲーム音楽を作ってくれませんか」と連絡が来た。それからウイングマン2とかガンダーラとか一緒にやるようになった

ドラクエ音楽はすぎやま先生が参加する前にすでにできていたが、千田Pの強い意向で全部すぎやま先生の曲に差し替えることに。1週間で全曲をファミコン上で鳴らせるようにしろということなので、数日で全部作った。ここでいう全曲というのは「レベルアップの音」「階段を降りる音」「鍵を開ける音」といったME(Music Effect)も含む

序曲は5分でできた。作曲というのは「出物腫れ物」のようなもので、あの時は私もたまたま調子が良かったんでしょう。ただ、それまでの蓄積があったからできたわけで、「54年と5分でできた」という言い方もできる(※ドラクエ1開発時のすぎやま先生は54歳)

ドラクエの初期は開発現場毎日行って、サウンドプログラマーと直接やり取りをしながら作っていた。すぎやま先生自身PCマニアで、PC-8801を使い実装までできた。プログラマー楽器無知だったため、アーティキュレーションの微調整は全部すぎやま先生PC-8801上でやっていた

・よく「ファミコン用にシンプルアレンジを~」と言われるが、ハードウェアに合わせて曲を作ったことなんて一度もない。ドラクエの曲も、1の頃からルオーケストラのつもりで作曲していた。サイン波や矩形波でも、例えばホルンホルンの音形で鳴らしているので、ピコピコ音でも何の楽器かは伝わる

・よく「少ない同時発音数で~」と言われるが、別に2音あればなんとでもできる。音数が作曲の制約になったことは一度もない。制約の中での作曲がどうとか言われる理由がわからない

作曲は頭の中でやる。仕事場ピアノは一応置いてあるが、ほとんど触ることはない。頭の中で鳴らした曲を直接、Overture(序曲)という譜面ソフトDTMソフトに打ち込んでいく

・(頭の中でフルオーケストラを鳴らすのはどういう訓練をしたのかと問われ)いえ、何も訓練なんかしてませんよ。今、貴方インタビュアー)は日本語を話しているが、日本語の訓練なんかしましたかベートーベンや素晴らしい音楽を浴びるように吸収し続ければ、できるようになりますよ(※すぎやま先生東大卒で、音楽専門教育を受けていない独学作曲である

ドラクエは発売前から当時の黄金ジャンプが総力を挙げて毎週巻頭で宣伝していたAAAタイトルで、

そのためにわざわざ(ゲーム会社社員ではなく外部の大物である鳥山先生とすぎやま先生を呼んだんだから元増田の「大ヒットを狙ってなかった」は明らかな間違い。

当時、堀井雄二毎日のようにジャンプ編集部に入り浸ってマシリトと一緒に英語版Wizardlyなど海外RPGを遊びまくっていた。そういう中からまれ企画ファミコンでもRPGを出そう!ジャンプの力でRPG布教しよう!)がドラクエ

説明書イラスト土居孝幸ドラクエロゴデザイン榎本一夫というジャンプ放送局・ファミコン神拳の面々という座組みで、鳥山明の担当編集マシリト

鳥山の起用を含めたジャンプバックアップなくして、あそこまでの爆発的ヒットはなかっただろう。

だいたい数分で作ったから手抜きみたいな論法意味わからん

高度な技術よりも労働時間価値を置くっていう、はてブでよく叩かれてる発想では?

及川眠子さんも残酷な天使のテーゼ資料に目を通して2時間ぐらいで書いたって話と「エヴァアニメは興味ないので未だに見てない」という発言から手抜きだのやっつけだの言われるが、手抜きでもやっつけでもねえのよ。

ドラクエエヴァプロプロとしての技術を尽くし本気出して作ったものではある。たまたまそのときは何かのシナプスが繋がって短時間でできたってだけの話だろう

id:shirabekun

文脈を読み取る能力を身につけてくれよ

俺は唐突に発作を起こして「ドラクエができるまで」を語り始めたわけじゃないの

元増田が「大ヒットを狙ったわけじゃないのにウケちゃった」みたいなボケ発言をしてるので、

それが間違っている根拠として

「当時の黄金ジャンプが全面バックアップしたゲームが大ヒット狙ってないわけないだろ」

という情報提示したんだよ

これが「文脈」というやつな

ジャンプの話をしてるんだからジャンプ関係ない話はどれだけ重要でも触れる必要がない

野村克也日本捕手リード信仰を生み出したという話をしてるとき

「エアプか?王や長嶋に触れないのは~」とか絡まれたら

ちゃん文脈読めよ~」ってなるだろ?

それは今の主題じゃないし、主題じゃないことまで語られてないと気がすまないのはオタクの悪い癖

2024-05-21

anond:20220523135553

まあ、音楽なんて所詮は好みってところがあるから自分に合う合わないで考えた方がいいかも。クラシック音楽ファンの中でも「ベートーベン苦手」とか「バッハなんてどこがいいんや」とか「リストは勘弁して」とか色々あるから。 

はいものの、伝統がたくさん積み上がってる芸能世界は大抵そうだけど、それなりの慣れとか探索とかの個人的な積み上げはモノを言うよ。自分がどんなのが好みなのかを知るだけでも結構時間がかかるから。(クラシック音楽なら何でも好きなんていう人はほぼいない)

2024-05-12

ベートーベン鉛中毒だったんだ

https://www.cnn.co.jp/fringe/35218780.html

  

たぶんワインだよね。ブドウをすりつぶして煮詰めるわけだけど「その鍋やワインカップが鉛でコーティングされてた」って話でしょ。

日本では「まだ大丈夫」とか言ってる、フッ素加工みたいな話だね。

2024-05-02

人生は、ローグライクだ。

さて、ゴールデンウィークですね。

入学入社、異動からはや一か月がたちましたが

皆さんは新しい環境に馴染めているでしょうか。はたまたあぶれてしまったでしょうか。

安心してください人生何度でもやり直し可能ローグライクの繰り返しです。

というわけで、この人生というものを、ローグライクとして分解してみる

まず、一人の人間がオギャーとこの世に生み出されたとする

その時点で、というよりも受精した時点である程度の初期能力が決まる


STR 9

INT 10

DEX 8

CON 12

WIS 9

LUC 10


こんなもんでしょうか。

から筋力、知力、器用さ、体力、精神、運。

MMORPGを思い出しますね。


これらの数値は、モノと質によるがある程度は鍛錬によって底上げ可能

例えば

STR筋トレ

INTは読書、会話。

DEXピアノタイピング習字

CONは走る。

WISはパワハラを受ける。

LUCはゴミを拾う。身だしなみを整える。


ただ、ここの数値以外の、BAD TRAITSを持って生まれることもある。

身体欠損とか、五感の一部がないとか、昭和以前は…ここまでにしておこう。

最近では怒りっぽいとか、飽きっぽいとか、気に病みやすいとか、

そういったことまでアップデートで追加されているよう。


そして現代戦後から平成に至るまで人権、というものが非常に重視されてきた。

戦前戦後日本でも食うものにも困る人がいた時代

からさまなBAD TRAITを持つもの、あまりステータスが低い人間

成人する前に原因不明のまま亡くなった。

あくまで、原因不明。よしなに。

種族全体、集落全体を考えれば致し方ない部分もあったかもしれない。


翻って現代、この日本語を理解できる人間として産まれてきたのなら

先人たちのお陰で、衣食住には困っていないはず。

もちろん、困っている人が一定数いることは理解していますがここでは取り扱いません。


どんなBAD TRAITSを持とうと、どれだけ低いSTRで産まれようと

成人まで生きていける社会

否、生かされてしまう。という風に受け取る方もいるかもしれない。

自殺者が増えている、という切り口で、日本が悪い国だという方がいる。

さも、日本社会が、戦前戦後と比べて不幸せな国になったかのように。

それも当然そのはず。

社会についていけないだろう、あるいはついていけなかった人間は、

十の誕生日を迎える前に亡くなっていた時代があるのだから

しか現代では、そういう人間もあまねく救える社会になった。

それ自体はいいことではある。

けれど、あまねく救ったのなら、彼らが幸せ生活を送れるようにすること、

これはセットでなくてはならない。

もちろん、日本人として生きるのなら勤労、教育納税、これらを行ったうえで、が大前提だ。

その中、ごく一部の、理由なく働きたくないでござる、という人間は放っておいていい。


少々、本題に入るまでに時間がかかってしまいましたが…

ここまでが、大前提


ここからが、人生は配られたカードプレイするしかないのさ

ということへのアンチテーゼ


ここまで述べてきたのが、私たちに配られたカードの話。

まれ持った能力特性。変えられようが無いこと。神様どうか。

わたしの目が悪いのも、ADHDでどうしても忘れ物をしてしまうのも変えようがない。

変えようがないけれども、眼鏡を掛けて、リマインダーを駆使して

何とか生きていけるのが現代社会であり

それは全て先人たちの努力試行錯誤のお陰だ。大いなる巨人の肩だ。


そしてそれらのハンディキャップは、現在進行形で見えなくなりつつある。

バリアフリージェンダーフリーレースフリー


さてそうした時に、だ。

配られたカードが、それほど変わり映えしなくなった後、

一体なにが大事になるのだろう。

この人生というゲームにおいて。


実家の太さか?生まれた国か、地域か?運か?学歴か?親か?国か?


いずれも違う。

人間という漢字、これは本当によくできている。

人の間。人々の間に潜むもの、それが人間ということらしい。


つまるところ、デッキ構成だ。

自分の周囲にいる人間をどういう構成で固めるか、これに尽きる。


まれ持ったデッキ構成、というものはある。


毒兄 毒親 自分 毒親 毒姉 


これはもう詰みかもしれない。


母親 先生 自分 親友 友達


これはどうだろうか。それほど悪くないんじゃないか


ところで、ダンバー数というものがある。

1人の人間が、社会接触を保持している関係の人の数のことらしい。

150人くらいが、社会交流が保たれる限界の数ということが有名な部分だろうが、

3~5人が最も親密な友人関係を築ける人数だというものもある。


よく聞くだろうビジネス関連の格言のようなものに、

あなた年収は、自分の近しい周囲の5人の年収平均値になる。

というものがある。


これが友人なのか、職場の友人なのかしれないが、

実際は両親や兄弟も含めていいのではないかと私は考える。

最も会話をするのがその層なのだから


からもし、年収以外にも、性格民度などあらゆることが

5人の平均値になるのだとして。

あなた中央に、左右に両親、その端に親友先生

といったようにするか。

はたまた空っぽギャル半グレヤンキー毒親、クソ教師

というデッキ構成するのか。

果敢にも、孫正義イーロンマスクジャックマー、ウォーレンバフェット

とするのか。


それは、どこまでいってもあなた自由であり、

人間として生まれあなたに、唯一許された策になる。


ここで唐突自分がたり

おれは、幼少のころからインターネット世界にのめりこんできた。

周囲に馴染む同年代がいなかったマセガキからだ。要するにいじめられっ子だ。

それは、社会人になってからも続いた。


一人っ子だった自分デッキには、両親以外には1人親友いるかいないかで、

あとはインターネット上に様々な年代の知り合いがいた。

親を周囲の四枚に加える必要は無かった。

月一回程度は気に掛けてくれたから。

自分安心して、自分以外の四枚を構成していった。

高校大学地元を出て海外に行ったこともある。

高校でも大学でも、大体の場合10以上年の離れた人間を入れていた。

年代人間と会話するのも面白いものだが、

年上の人間は優れているか別にして、必ず別の視点提供してくれるからだ。


そうして何十年か過ごしてきて、いま。


デッキ構成は常に変化しているが、

一つ変わったのは今までいなかった年下が入り込んでいることくらいか


こうして、時代の潮流と自分の肉体・精神的な変化に応じて、

周囲のデッキを変えていく必要がある。


これが、俺が人生デッキ構築型ローグライクと呼ぶゆえんだ。


ローグライクでいう選択肢、何か挑戦するものがあるかといえば、

仕事子育てなど、人生ターニングポイント的なところになる。


仕事なら、どういうデッキならつつがなく攻略できるのか。

攻略できる算段はないが、失敗したとしても納得がいく構成なのか。


子育てもそう。

どういう人となら、子育てという20年を超える一大事業を完遂できるのか。

お互いの両親の支援はどうか。


自分短所に対する態度もそう。

ADHDから

"仕方ないよね"といって周囲の人間対応させるのか

"こうしたら上手くいくかな"といって何かのツールアシストするのか。


目が悪いから、パイロットを諦めるのは仕方のないこと。

そこでベートーベンやヘレンケラーの伝記を読んで自分を奮い立たせられるのか。


そして上記で挙げたLUC、つまり運は何かと言えば、コネ・人脈の源泉だ。

手持ちのデッキが悪くても、環境が悪くても、他責にせず

自分にできる最大限の努力をしている姿を見れば、誰だってあなたを助ける。

決して腐らず、善い人であり続けろ。神様・仏様は見てくれる。俺も見る。


さて。4月に入って、

どの部活に入るのか。

どのサークルに入るのか。

どの会社に入るのか。

どの仕事コミットするのか。

逆に何かを辞めてみるのか。逃げてみるのか。


あなたの"デッキ"は決まりましたか

はたまた、あなた意見希望は通りませんでしたか


もちろん、あなたも人"間"です。

あなたが人々に影響を与えることもできるのです。

グループを、目の前のマンモスをやっつけるよう鼓舞することもできるのです。

自信がない?

安心してください

何も、指揮することだけがリーダーシップじゃないのです。

あなたステータストレイツに応じた貢献の仕方がきっとあります


さあ、春です。


巨人たちの肩に乗り、素晴らしい仲間たちと、どんなマンモスを倒していこうか。

わくわくしますね。皆さんの新しい門出に幸あれ。

2024-05-01

anond:20240501195751

横だが、  

小学校に入ったら子供のためにアップライトを買おうとかいう行動パターンを取るのは成金層が中心なのでは?

 ってことはない。俺も地方都市郊外住宅地で育ったが、クラスに何人かはピアノを習ってる子がいたし、だいたいアップライトピアノが家にあったよ。普通サラリーマンの家の子たち。俺は幼稚園の時にヤマハ音楽教室に行ってたけど、小学校に上がる時にピアノを習うかどうか母親に聞かれて習わない選択をしたが、妹は習うことにしてアップライトピアノを買ってもらった。周囲もだいたいそんな感じだったよ。

モーツァルトだのベートーベンだのバッハだのを弾くレベルになったら本物のピアノでないと苦しいよ。(だいたい小学生モーツァルトバッハは弾き始める)

2024-03-25

相対主義は悪い」というよりも

この間、SNSである議論に参加というか巻き込まれて、私含めた数人の参加者レベル的にそれで結局答えなんか当然でなさそうな雰囲気だったので

「結局これはどっちもどっちってことなんじゃないの。こんなことしてるより別のことをしたほうがいいよ」みたいな返事をしたら

「それは悪しき相対主義だ」「相対主義の皮を被った保身でしかない」みたいなことをある人からいわれた。(「別のことをしたらいい」というのが相対主義?なのかはよくわからん

でもそいつ全然自分意志があるのか怪しい話しか出来てない感じだったが。

しかし、この10年ぐらいの間に、「相対主義はとにかく悪い」という人たちの意見が目に付くようになった。

今日晩御飯の内容からガンダムみたいなアニメ評論日本アジア歴史問題認識の差まで。軽い話題から深刻な内容まで、一つの物差しでそれぞれの問題を計るわけにはいかないにせよ。

でも「相対主義責任放棄であり社会問題の根源~」みたいなことをいう人はリベラル側に結構いる。

資本主義でも社会主義でも、いじめっ子でもいじめられっ子でも、ドリフでもひょうきん族でも、連邦軍でもジオン軍でもなく、相対主義

ほとんどの日本人は6・3・3制の学校で、まあ、社会処世術とでもいうものを学ぶはず。日本人の「思想」「思考」が問題にされるとき、大体学校教育まで遡って批判されることが多い。

でも、私は小学校から高校まで「相対主義」なんて学んだことはない。相対性理論はあるけど。大学でも、ゼミでいろいろやったが、具体的に相対主義とは言わないにせよ「中立的」な見方記述をするようにはいわれた。

我々もそうだったが、年に何十万人の若者が、中卒・高卒大卒のいずれであれ社会に旅立ち、この社会構成する。そしてほとんどの人々は、リベラル派の危機意識からすれば(どう形容していいかからないが)、「相対主義」者ということだ。

学校で、国が定めた教育課程により(理系は一先ずおいといて)国語社会公民・図工美術音楽語学道徳などの授業を6年間や3年間学び、家庭生活も過した人々が、学校を出る時には「相対主義」者として再生産される。

そしてそれは悪いことなのか、私にはわからない。この国は民主主義であり、自由主義であり、自分思想を選ぶ権利があり、その上で、多くの人々は確固たろうが適当であろうが、相対主義選択し、それで別に社会を維持できている。

少なくともこの社会のかなりの部分が、毎年再生産される「相対主義」で維持されているのは事実だ。相対主義者による虐殺であるとか強制収容であるとかも見聞きしたことがない。何がよほどの悪なのだろうか。

逆に、「相対主義であることを徹底的に拒否する教育生活とは何なのだろうか。

私は相対主義への批判を見るたびに、言っている人々の普段言動比較しても、なんだか検閲全体主義に近しい論調だなと感じ続けている。

社会の授業で世界の国々や選挙制度について学ぶときに、ある国は素晴らしく、ある国は劣っていると教育するのだろうか。ではその上で日本立ち位置をどう教えるのだろうか。

ベートーベンの曲を聴いたりピカソの絵を鑑賞した時に、楽譜や色調に現れる技巧は別として、徹底的に「ベートーベン」「ピカソ」の何たるかを国が定義し・教師もそれに盲目的に従い・生徒に刻み付けるのだろうか。

(よく相対主義の引き合いに出される)機動戦士ガンダムを視聴するときに、連邦軍ジオン軍のいずれかが徹底的な善であり対極は悪であると必ず親御さんが傍で「アドバイス」し続けるのだろうか。あるいは制作時まで遡って指図されるのか。(ゆうきまさみがそんな漫画描いてたな)

相対主義決断責任拒否かもしれないが、では非・相対主義決断責任日常的な強制にはならないのだろうか。それは反世俗主義的なカルトや閉鎖的な集団思考(例えばエホバの証人、旧統一教会搾取目的とした自己啓発セミナー戦前日本政治など)とどう違うのか。

これらの集団若者二世三世信者に対してどう当っているのかも含めて。

もっと言ってしまうと、リベラル的なさまざまな批判や許容の精神は、人々に曖昧に巣食う相対主義という岩盤の上で存続できているのではないか

長々と書いてしまったが、私としては、相対主義であると言われることは受け入れた上で、それが悪いとか変わるべきだとする思考には至らなかった。

ただ考える中で、他の問題も含めて、「教育・学制」というものはかなり意識する必要はあると思った。

毎年、「相対主義」であり、「自民党を『安易に』支持」し、「映画音楽を『表面的』に」しか鑑賞できず、あるいは「胡散臭いやり取りを『プロレス』、くだらない文章を『ポエム』と呼ぶ」大衆再生産されている。

そして大学教授活動家いくら「再教育」しようとしても改まることはない。果してこの毎年の大衆再生産の渦とでもいうもの「悪」「間違い」なのだろうか。

2024-03-04

「もし無人島ひとつだけ持ってくなら」の元ネタ探求をしましょうね

いくつかバリエーションがある

無人島に[ジャンル制限]をn個だけ持っていくなら?」

無人島に[本]をn個だけ持っていくなら?」

無人島に[レコード]をn個だけ持っていくなら?」

……のような

[本]の場合に「聖書」という回答が西洋メジャーなことから元ネタ日本以外なのだろうとあたりをつける

調査の初手はとりあえずこれ

Desert Island Discs - Wikipedia

Desert Island Discs is a radio programme broadcast on BBC Radio 4. It was first broadcast on the BBC Forces Programme on 29 January 1942.[1]

Each week a guest, called a "castaway" during the programme, is asked to choose eight audio recordings (usually, but not always, music), a book and a luxury item that they would take if they were to be cast away on a desert island, whilst discussing their life and the reasons for their choices.

Desert Island Discs は、BBC Radio 4放送されているラジオ番組です。1942 年 1 月 29 日に BBC Force Program で初めて放送されました。

番組中「漂流者」と呼ばれるゲストは毎週、8 つの音声録音 (通常は音楽ですが、常にそうとは限りません)、本、そして船で漂流された場合に持っていく贅沢品を 1 つ選ぶよう求められます無人島での生活とその選択理由について話し合います

このラジオ番組存在から1942年時点で「あるあるネタであることは確認できる

アメリカ一コマ漫画で「無人島もの」というジャンル存在する……が、それが特に流行ったのはだいたい19世紀初頭頃の出来事なので"Desert Island Discs"とそう時代は変わらない

普通に考えれば『ロビンソン・クルーソー』以降なのよ

ロビンソン・クルーソー』は1719年4月25日出版された

これが売れて多くの人に読まれたからこそ"Robinsonade"というジャンルまで生まれ

Robinsonade - Wikipedia

Robinsonade (/ˌrɒbɪnsəˈneɪd/) is a literary genre of fiction wherein the protagonist is suddenly separated from civilization, usually by being shipwrecked or marooned on a secluded and uninhabited island, and must improvise the means of their survival from the limited resources at hand. The genre takes its name from the 1719 novel Robinson Crusoe by Daniel Defoe. The success of this novel spawned so many imitations that its name was used to define a genre, which is sometimes described simply as a "desert island story"[1] or a "castaway narrative".[2]

ロビンソナード (/ˌrɒbɪnsəˈneɪd/) は、主人公が突然文明から切り離され、通常は難破するか人里離れた無人島に置き去りにされ、手元にある限られた資源から生き残るための手段即興で考えなければならないフィクション文学ジャンルです。 このジャンル名前は、ダニエル・デフォーによる 1719 年の小説ロビンソン クルーソー』に由来しています。 この小説成功により、非常に多くの模倣作品が生み出されたため、その名前ジャンル定義するために使用され、単に「無人島物語」[1] または「漂流者の物語」[2] と表現されることもあります

ということは、探すなら18世紀か……

一応シェイクスピアの『テンペスト』も孤島が舞台になる物語だけど…

1611年頃

一応英wikipediaの"Uninhabited island"の"In literature and popular culture"の項にはもっと古い作品について言及がある

Uninhabited island - Wikipedia

The first known novels to be set on a desert island were Hayy ibn Yaqdhan written by Ibn Tufail (1105–1185), followed by Theologus Autodidactus written by Ibn al-Nafis (1213–1288). The protagonists in both (Hayy in Hayy ibn Yaqdhan and Kamil in Theologus Autodidactus) are feral children living in seclusion on a deserted island, until they eventually come in contact with castaways from the outside world who are stranded on the island. The story of Theologus Autodidactus, however, extends beyond the deserted island setting when the castaways take Kamil back to civilization with them.[8]

無人島舞台にした最初小説は、イブン・トゥファイル (1105-1185) が書いた『ハイイ・ブン・ヤクダン』で、次にイブン・アル・ナフィス (1213-1288) が書いた『テオログス・アウトディダクトゥス』が続いた。 両方の主人公(『ハイイ・ブン・ヤクダン』のヘイイと『テオログス・アウトディダクトゥス』のカミル)は、無人島で人里離れて暮らす野生の子供たちだが、最終的には島に取り残された外の世界から漂流者たちと接触することになる。 しかし、テオログス・アウトディダクトゥスの物語は、漂流者たちがカミル文明に連れ戻す無人島の設定を超えて広がります。 [8]



こういうmeme的というか、とりとめのない雑談あるあるネタがいつから存在するかって探すの超大変だ

残念ながら"Desert Island Discs"の1942年以前ではっきりと「もし無人島ひとつだけ持ってくなら」のようなmemeの記述発見できなかった

何故調べる事になったかって、なんもかんもこのツイートのせい

https://x.com/Circle_Halberd/status/1762628685679464845?s=20

有名な「無人島ひとつだけ持って行けるなら何?」という問答の元ネタ坂本龍馬

坂本龍馬は「国ぜよ」と答えて勝海舟を驚かせたという。

……という嘘豆知識

正直フフッと笑ったが、それはそれとして本当の元ネタが気になるのじゃわしは

wikipediaの"Uninhabited island"の以下の記述

The term "desert island" is also commonly used figuratively to refer to objects or behavior in conditions of social isolation and limited material means. Behavior on a desert island is a common thought experiment, for example, "desert island morality".[3]

無人島」という用語は、社会的孤立し、物質手段が限られている状況での物体や行動を比喩的に指すのにもよく使われます無人島での行動は、たとえば「無人島道徳」などの一般的思考実験です。

これの出典がOEDになっている

ひょっとしたらOEDに私の欲しい情報があるかもしれないが、OEDをすぐさま読める環境にないな……

人々が「無人島にもし漂着したなら?」というIFを雑談ネタとして共有できるということは大航海時代以降……"Robinsonade"というジャンル一般認知されている環境……であるはず

しか調査頓挫、有力情報がひっかかるまで塩漬けにする

へたすりゃギリシャ神話時代までさかのぼることが出来るネタかもしれん

オデュッセイア』とか……アルゴー船の冒険の話とか……船旅のエピソードがあるので、無人島に関するなんらかのミームの源流がそこにあっても驚かない

そうなったら手に負えん

日記

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改めてこれを参考に探し直すか……元気な時に

元祖や系譜、起源、お約束、新語などに関する「まとめのまとめ」&関連リンク 『初出・系譜ポータル』 - Togetter

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ちょっと方針を変えてみるか

19世紀後半〜20世紀前半ごろがこの問答が定番になった時期である、という可能性を探りましょうね

近代的なレジャーとしてのキャンプとか、ボーイスカウトとか……サバイバルスキル知識一般に広まったのがおそらくこの時期

その知識がないと無人島何持ってく問答は発展定着しにくいかもしれない

いやーでも聖書って回答が多いって話があるならサバイバルスキル知識関係なさそうに見える……

聖書って回答が多いってのはどこ情報ソース無いですやん

→初期の定番問答は本を問う形式だった可能性もある、なんともいえん

サバイバルガイド的な本が19世紀刊行されてないかを調べてみるか

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"Desert Island Discs"の1942年以前で「もし無人島ひとつだけ持ってくなら」のようなmemeの記述発見

無人島に本を一冊だけ持ってゆくとすれば: ケペル先生のブログ

このことを最初に明言した人はだれだろう。明治期にドイツ系ロシア人哲学者東大で教鞭をとり、学生の人気を集めたラファエル・フォン・ケーベル(画像1848-1923)らしい。彼は「ケーベル博士随筆集」のなかで「無人島に1年間流されるとしたら、自分が選んでもってゆく一冊は、まず聖書である」と述べている。かれは次に、「ファウスト」「ホメロス」「ドン・キホーテ」、ニーチェのものベートーベン楽譜などをもって行きたいと書いている。しかし有名なデフォーの「ロビンソン・クルーソー」(1719)のなかで絶海の孤島に流れついた主人公が「聖書」を読んで信仰の支えにしたことを書いている。

発言時期が不明だが、この方は1923没なので"Desert Island Discs"よりおそらく古い

ケーベル博士随筆集』という本に記載があるらしいが……図書館に行かないと読めない類の本だな

しかしやはり『ロビンソン・クルーソー』が念頭にある発言か……

見立ては大外れしていなかったか

さて、さらにこれ以前に遡れるだろうか?

もうちょっと古い時代にも言及がありそうな雰囲気はある

ケーベル博士ロシア出身日本にやってきた人で、"Desert Island Discs"はイギリスラジオ番組

20世紀初頭には世界中で認知されている定番ネタということじゃないか

しかインターネットだけでの調査はそろそろ限界

本があるならいくらでも読むが、どの本を読めばいいかのあたりをつけるのが難しい

ここらで再び調査打ち切り、有力情報がひっかかるまで塩漬け

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ん……なんか別のバリエーションを見つけてしまったな

ゲーテが『私が獄につながれ、ただ一冊の本を持ち込むことを許されるとしたら、私は聖書を選ぶ。』という言葉を残しているらしい

この発言の出典元文書ちょっとすぐには見つけられていないのだが

偉人名言は「実は言っていない」ってことが往々にしてあるから疑ってかかるスタイル

ゲーテの生没年は1749~1832

無人島に持ち込むものは何問答と直接の関係はないかもしれないが、一種クローズド環境に何を持ち込む?という発想はこの時代からあったということ

Robinsonadeの流行で便利なクローズド環境として無人島一般認知された?

元々「閉鎖環境に一冊本を持ち込むなら」という発想が存在した(その一冊とはたいてい聖書、なんというか最初から聖書という答えありきの仮定に見える気がする)
↓
Robinsonadeの流行で閉鎖環境として無人島が定着した
↓
メディアの発展で本以外(レコードなど)も問われるようになった
↓
さら時代下り、持ち込めるものジャンル制限になった

みたいな流れという仮説を立てれそうだが……

まあまあ、結論を急ぐことはない

頭の片隅エリアにこの疑問を保管してこの疑問は一旦クローズ

2024-02-16

あと一歩のマジックナンバー



まだいくつかあるはず。

2023-12-13

でも結局Adoに求めてるのは技巧性なんだよな、と思った話

https://nikkan-spa.jp/1963162

この記事で言うところの「めちゃくちゃ上手くて心に響く歌手」って既にいくらでもいるんだよね(本来は超難しいことなんだけど だからその「いくらでもいる状況」がおかしいっちゃおかしいんだけど)

本文で例示されてる欧米スターは勿論そうだし、日本国内でも、なんなら今年の紅白歌手に絞っても、まずMISIAがいて、Superflyがいて、JUJUがいて、miletもいるし長屋晴子もいる、ベテラン演歌勢は言わずもがな、挙げてくとキリがない

この飽和状態で今さら別にAdoにそういうポジションを求めてない、というか、まぁそれはそれで「いい歌だね」ってなるんだけど、新規性がないから「別にMISIAでもいいじゃん」ってなっちゃう 自分はね

>> だから、歌や演奏が、難しいゲーム攻略しているように聞こえてしまう。自らの腕を証明するために、曲中にわざと難所を仕掛けているといったら意地悪でしょうか。 <<

これさ〜クラシックでいうところのパガニーニリストみたいな「自分演奏スキルが高すぎるから自分が上手く弾ける範囲内で曲を作ったら超絶技巧曲ばっかりになっちゃった」に似てるんじゃないか

Adoの「踊」も「唱」も、King Gnuの曲も、確かに技巧的ではあるけど技巧一辺倒ではなくて、サビは難易度を落としてキャッチーさを優先させてて、曲全体としてはちゃんポップスとして成立してるから聴きやすくて自分は好きだよ

というか聴きやすいから実際売れてんだと思う

おそらく作り手もそのバランス意識してやってる そんな馬鹿じゃない

「はたしてAdoKing Gnuの曲パガニーニリストに並ぶほどの歴史的名曲か?」まで問うと、それはこれから時代に長く揉まれても淘汰されないか検証必要から今はわかんないけど

少なくとも記事批判されてるほどの欠陥が楽曲にあるとは思えないし、そもそも技巧曲はやる人が少ない(できる人が少ない)から数としてはあんまり出てこない、そして極端に技巧に走りすぎると流行らず廃れる

からAdoKing Gnu基準点として日本の今後のトレンドまで危惧するのは杞憂だと思うし

パガニーニリストは人気だけどベートーベンバッハも人気だから大丈夫だと思う

名曲のかたちはいろいろ、だから音楽楽しい

それと「『超絶技巧曲を歌いこなせる』ということがAdoの唯一無二の個性なんじゃないか?」って最近思ってて

Adoカバー曲とか、大物アーティストから楽曲提供されたオリジナル曲とか、いろいろ聴いて「やっぱ歌うめーなー」って思うんだけど、失礼ながらそれ止まりで、「踊」や「唱」を聴いたときのような「これはどう考えてもAdoしか歌えない」という畏怖や屈服まではいかなくて、ちょっとだけ物足りなさを感じてしま

いや歌の感想で畏怖や屈服って何?って感じだけど、聴き手にそこまで感じさせるのがAdo絶対的個性であり武器だと思う

あとほんとに失礼な話だけど、B’zしか椎名林檎しかりミセスしかり、「普段特定のメインボーカルを想定して書いている作曲家」がAdo楽曲提供したとき、おそらくその曲へのAdo個人なりの楽曲解釈を経て、最終的にAdo歌声で出力されるわけだけど、ひとえにAdo理解力表現力が高すぎる故に「別に本家に寄せにいったわけではないけど、この曲における100点満点の表現を追求したら結果的本家と似てしまった」ケースが割と多いような…?そう感じるのは自分だけ…?ってずっとモヤモヤしてた

B’z曲のB’z節が濃すぎて(あとAdoが歌うますぎて)結果Adoの背後に稲葉がチラついて見える…誰も悪くないんだけど…というか全員が全力で最高の仕事をした結果こうなってしまった感がある

あと自分椎名林檎古参ファンなので、Adoへの提供曲は「新宿系を標榜していた頃の椎名林檎が令和に戻ってきた」感じで懐かしくて嬉しかったけど、あまりにも再現率が高すぎて新規性は無かったし(あれを再現できるのは凄いことなんだけどね)、正直もっと予想を上回る凄いことをやってくれると思ってた…この2人が組むならと期待値が高すぎた感がある

あとヤスタカの「新時代」は、本家?にあたるPerfumeきゃりぱみゅAdoとは対極的な歌い方だから新規性がウケて売れた面もあるのかな?と個人的には思ったりする 知らんけど

聴き手それぞれの「Adoにこんな曲を歌ってもらいたい」と思うものがみんなちがってみんないいけど自分は「踊」や「唱」みたいなやついっぱい聴きたいです

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