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2024-03-27

ようこそ陰茎至上主義教室へ

そんなAVが観てみたいと思いました

2024-03-12

何かきっかけがあったわけではないが、ふと思い出してしまったので書く。

子どもがまだ幼稚園に通っていた頃、父の日あたりに父兄参観のようなものがあった。親子で一緒になにか紙工作みたいなものを作りましょうというやつだ。正直、知らない人がたくさんいる空間は苦手なのだが、子どもも楽しみにしていることだし、せっかくの機会だからと行くことにした。結論から言うと、僕はその催しを台無しにして、子どもを深く傷つけることになる。

当日、まずは親子で教室へまりクラスごとにかんたんな朝の会をする。基本的には園児一人につき保護者の参加は1名までとなっていたが元々広くもない教室はすでに満員御礼となっていた。

朝の会のあと、なぜか園児全員でグラウンドに集まり園長先生お話を聞く時間があった。園児たちはグラウンドに並び、保護者達は端の方でそれを見守る。そう、そこまでは別になんの問題もなかった。問題はその直後に起きたのだ。

「それではお父さんお母さんと一緒にもう一度教室に戻りましょう」

司会の先生が告げた途端にワッと散開するおよそ200人の全園児とその保護者たち。右に左に移動する人、人、人。あっという間に僕は我が子を見失った。

ひとまず建物入り口の辺りに立って、自分の子どもを探す。周りには仲良く手を繋いで教室へ向かう園児保護者たち。この時点では僕は、自分の子もも僕を探しているに違いないと信じて疑わなかった。だってさっき先生が言ったばかりだ。保護者と"一緒に"教室へ戻りましょう、と。グラウンドからは人が減っていく。我が子はいない。まだ見つけられない。焦りが募る。どこか物陰で遊んでしまっているのか。もしかして何かを間違えて園の外に出てしまったのではないか。いやさすがにそんなことはないか。頭の中でぐるぐるといろいろなことを考える。

そして気がつくと、外にはもうほとんど人がいなくなっていた。先生たちが遠目にチラチラと見てくる視線が痛い。あの人大丈夫かな、不審者だったりしないかな、そんな声が聞こえてくるようだ。恥ずかしさと戸惑いと、とにかく頭の中はもうパニックだった。どうすれば良いのか、もうわからない。

念のためと思いながら園舎に入り、階段を上がった先の教室へ向かう。果たして我が子はそこにいた。廊下でひとり、鼻歌を歌いながら何事もなかったように遊んでいた。

「なんでひとりで行っちゃうの?」

極力怒りを抑えた(つもりの)声で子どもに問う。子どもは黙り込んで答えない。何が問題だったのかわかっていないような様子だった。この時点ですでに他の子たちは保護者とワイワイ楽しそうに作業を始めている。僕がいつまでも外で子どもを探している間に今日やることの説明などは終わってしまったらしい。当然、教室内にはもう我々が入り込めそうなスペースなど残っていない。

保護者と一緒に行ってって言われてたよね?なんで勝手にいなくなっちゃうの?パパ何もわからないんだよ?このあとどうするの?そんなようなことをまくし立てた気がする。子どもうつむき、答えは返ってこない。周りのチラチラと様子を伺うような視線けが突き刺さる。恥ずかしい、いたたまれない、どうして自分はこんなところでずっと晒し者のような扱いを受けているのか。このあとどうすれば良いのか。何もわからない。そして僕は「もう知らない」とだけ告げて子どもを置き去りにして家に帰ったのだ。最低だということは百も承知子どもの泣き叫ぶ声が聞こえたがしかし、それに構えるような余裕はもうなかった。

その後のことは詳しくは知らない。幼稚園から徒歩3分距離にある自宅に帰り、驚いた妻が慌てて幼稚園に向かって後を引き継いでくれたこと、泣きじゃくる子ども先生がつきっきりでいてくれたということだけは聞いた気がする。

あれから6,7年が経った。今でもこうやって思い出して自己嫌悪で気分が沈む。妻が上手くフォローしてくれたこともあり、謝って仲直りをしたものの、おそらく子どもにもこの件は嫌な記憶の上位として残り続けることだろう。

あのとき一体どうするのがベストだったのか。おそらく「最初から行かない」ことが唯一の正解だったのだろうと思う。当時の僕には誰の助けもない中であの状況を上手く立ち回ることは到底できなかった。でも行かないという選択肢を選ぶこともまた少なから子どもを傷つけることになっただろう。だから結局のところはわからない。

これを読んだ人には世の中にはこんなクソ親エピソードがあるってことをぜひ反面教師にしてほしい。僕みたいにこの先一生後悔し続けるような失敗を避けられるなら、それがきっと一番だから

2024-01-21

ようこそ実力至上主義の教室へ

何を間違えたか「ようこそ実力至上社主義教室へ」と覚え間違えてて、「中共による侵略工作もここまで来たか」って一人で嘆いてた。全然関係なかった。

2023-11-30

今日見た夢

体操着を忘れた僕は体育教師に「借りてこい!」と言われて校内を探すも見つからず途方に暮れていると同じく体操着忘れだった長谷川くんは体操着に似たスポーツウェアなのに体育教師OKを貰っていた。

仕方ないので教室へ戻ると既に授業を終えた女子が数人着替えをしていてそれに気づかず入室した僕は中田さんから罵倒の嵐を受けた。

数学計算問題がまったく解けず苦戦していると「おまえ、このままだと卒業できないぞ」と教師に脅されたが別に卒業できなくていいしィと心の中で反抗していた。

ある日エレベーターの中で林さんが血まみれで倒れているのが見つかり騒然となった。林さんが乗ったエレベーターはそのまま下の階に降りて1階のロビーに到着し何も知らない人達がまたそれを見て絶叫するも一人の若者意気揚々と林さんのそばに近づいて行き両脇を抱えて持ち上げ「死んでるぜ!」と笑いながら言った。

2023-09-26

スイミング短期教室って泳げるようになる?

泳げない小3の母です。

3日間や5日間のコースがあるけど、そんな数日で泳げるのかなと疑問。

スイミング短期教室へ行くか、町民プールで私(スイミング習っていたから泳げる)が教えるのか迷ってる。

なお娘はビートバタ足でつかって2メートルしか進めないし、水にも潜れないレベルの模様


目標は、潜れることと、ビート板なしで浮けるようになりたいと言っている

2023-09-11

恐ろしい夢を見た話

増田大学2年、女。

昨日の夜から今日の朝にかけて、恐ろしい夢を見た話がしたい。

どこにも吐き出せないからせめてここにだけ書き残させて。

夢の内容は

高校時代の友人と数年ぶりに会って現在自分生活高校生活を振り返りながら談笑する」という字面だけ見れば何ら恐ろしい要素は無い他愛のない夢だった。

その友人との関係性を加味しなければの話だが。

・・・

その友人はみらい(仮名)という名前だ。

元々面識はなかったが、高2の新学期コロナによる数ヶ月にわたる臨時休校狭間で行われたクラス替えで同じクラスになり自己紹介で私が「趣味読書で◯◯◯◯◯と◯◯◯◯が好きです」と言ったのがきっかけで仲良くなった。

自己紹介が終わって自由に席移動して気になる人と話していい時間になった時、私は元々友達が少ないためクラス内に友達がいないこと、そして他人に執着しない性格だったこともあり手持ちの本を読んでやり過ごそうとした。

すると、「ねえ、◯◯◯◯◯好きってホントわたしも好きなんだ〜」とみらいが話しかけてきた。

第一印象は「綺麗だな」だった。

二重まぶたに通った鼻筋、光を湛える黒目がちの瞳、細く白い腕、赤い唇。

どこをとっても絵に書いたような美少女だ。

◯◯◯◯◯は私達の世代が好んで読むような作家ではないので本物の読書家だということは問わずとも明らかだった。

その後時間の許す限り◯◯◯◯◯や他の好きなこと、部活などの話をした。

その日の下校の時にはどちらともなく先生の目を盗んで校内でスマホの電源をつけ、LINEを交換するほど意気投合していた。

その日から臨時休校で暇を持て余していたこともありほぼ毎日のようにLINEでいろいろな話をした。

初めて話したときからなんとなく感じていたが、みらいは私と思考パターンが似ていた。

そして学力もほぼ差が無かった。

得意な教科の話になったとき時、二人とも同じ教科を挙げた。

その教科は私が1年の間たった1度だけ1位を名も知らぬ誰かに明け渡してしまった教科だった。

まさかと思いながら「もしかして1位取ったことある?」と返信した。

すると、「もしかしてずっと1位だったの◯◯(増田の下の名前)だったの!?私、1回だけ1位取ったことあってその回以外はずっと2位だったの!」と返ってきた。

こんなことってあるのかと思った。

それと同時に彼女のは切磋琢磨しあえる良い関係になる予感がした。

臨時休校が明けて登校が始まると私達はさらに仲良くなった。

それとともに私の中には負の感情が巣食いはじめた

初めて遠隔ではない担任の授業を受け、二人で談笑しながら教室へ向かっていると、担任からしかけられた。

増田新川(みらいの苗字)(仮名)!お前ら1年の頃から同じクラスだったのか?」

担任にはそれぐらい仲がよく見えたのだろう。

「違いますよ〜!担任なら前のクラスぐらい把握しておくのが筋ってもんじゃないですか〜?」

とみらいが軽口を叩いているのを横目に見ながら私は内心嬉しくて堪らなかった。

こんな美少女と対等な友人関係を築けていることが他人の目から見ても明らかなこと、私はその事実歓喜した。

しかし、その数日後私は地獄を見た。

その日、授業が終わると担任ロッカーを整理しているみらいの所へ向かうのが見えた。

その数秒後、廊下から二人の笑い声が聴こえてきて、今度は私のもとに担任がやってきた。

その担任第一声が

「ごめん。新川増田だと勘違いして声かけちゃった。だってお前ら背丈といい雰囲気といいなんか似すぎなんだよ。」

だった。

信じられなかった。あの美少女を私だと見間違えるなんて。

だって私は重い一重まぶたで背も彼女ほど高くはない。

それなのに見間違えるなんて許せない、彼女の美に対する冒涜だとさえ感じた。

きっと委員会の連絡か何がだったとは思うが、担任のその後の言葉が頭に入ってこないほどの衝撃だった。

担任と会話したあとチャイムがなったので自分の席に戻るともう一度さっきのことについて思索を巡らした。

そこで私は気付いてしまった。

私がおかしいということに。

普通人間なら心の中で喜ぶべきことを私は赦されないことだと感じて、しかも怒りさえも感じた。

どう考えてもおかしい。

他人に執着しないはずの私が、彼女には彼女に対しては何故かこんなに心を掻き乱されている。

もう手遅れだった。

その頃にはもう彼女への、そして彼女の美に対する感情はもはや信仰の域に達していたことを、その時ようやくわからされた。

私とみらいはいつもそばに居た。

休み時間になると彼女の方から私の所へやってくるのが当たり前だった。

その美しさや性格から友達は多いが、その数多くの友達の中で私のことを選んでくれた。

それが私にとっては至上の喜びだった。

クラスメイトが

「みらいちゃんかわいい〜」と言うと

みらいは

「まぁね〜」と当たり前だとばかりに返答していた。

そんな彼女自己肯定感の高さがこの上なく好きで、でもそんな彼女が眩しかった。

だってはいつも彼女の影だったから。

彼女が他のクラスメイトの「かわいい」と言われる時、私はいつも息苦しかった。

私をかわいいと言ってくれる人はいいから。

当たり前だ。わかってる。私が彼女より醜い事は私自身が誰よりも知っている。

決して表には出さなかったが称賛を全てほしいままにしている彼女が横にいると気が滅入ることも多々あった。

それでも私は彼女と一緒にいた。

二人でいる時だけは、その美しい瞳に私以外は映らないから。

それから数カ月後、修学旅行が始まった。

もちろん全ての行動を共にした。

一日目は某県の某資料館へ2学年全員で向かった。

みらいも私も暗い場所は苦手なのでドキドキしながら入館した。

手が触れたのを契機に、どちらともなくお互いに指を絡めて相手の震えを感じながら暗い館内を歩いた。

私は手汗が出やすい体質なので1度手を解こうとしたが、

「怖いから話さないで」と小声で訴えられたので逆らえるわけもなく結局出口までそのまま向かった。

その次の日は班別活動で某県の某洋館へ向かった。

私がお土産を見繕っていると、みらいが

「ねえ、◯◯こういうの好きでしょ?」といきなり声をかけてきた。

彼女の指差す先には、色とりどりの硝子でできた美しいエジプト香水瓶(中は空)があった。

美しい曲線と精緻彫刻

まさに私の求めるもののものだった。

凄く綺麗……とつぶやく

「全部一点ものらしいよ!せっかくだからお揃いで買おうよ!」とみらいはもう買う気満々でその手の中には桜色の香水瓶が収まっていた。

私は彼女のそれとデザインの一部がよく似た空色香水瓶を選び二人でレジへ向かった。

その日の夜食ホテルレストランで食べた。

なかなか量が多く、少食気味なみらいは食べきることができるのかと心配になったのでそれとなく隣にいる彼女を見やるともう限界という顔をしていた。

すると彼女の方から

「これとこれ食べれる?」と言ってきたので有り難く拝借した。

それで終わると思いきや、デザートミニケーキの二種盛りがやってきた。

私はぺろりと平らげたが、彼女はどうしても最後の一つが食べられないようだった。

そして

「ごめん。これ食べれる?」と聞いてきた。

私はうんと言おうとしたが、

私の食器フォークはつい先程席を巡回しているホテルの方に回収されてしまったので食べる術がない。

手で食べるのははしたないしと逡巡していると

はい、あ〜ん」

と私の方に彼女フォークで刺したケーキ差し向けてきた。

同じテーブルの生徒の視線彼女の手と私の顔に集まり、恥ずかしさで頬に熱が走るのを感じた。

いつまでもこのままではいられないと思い、覚悟を決めて顔を近づけ、食べた。

修学旅行でそんなことが起こったため、その後の学校生活ではクラスメイトに彼女との仲をからかわれることも増えた。

「なんかみらいちゃん増田さんって二人だけの世界?っていうか独特な空気感あるよね〜」と言われたりなんかもした。

今まではそう感じたことは無かったがあの修学旅行を経ると確かにと思う自分も居た。

その関係に心地よさを感じる一方、今振り返ればどこか嫌悪感があった。

念のため言っておくと、私は普通の女だ。

小中学生の頃は普通男子と付き合っていたし、好きになるのはいつも男だった。

でも共学は嫌いだった。共学の女が嫌いだった。

あらぬ噂を立てて私と彼氏を引き離そうとする、そういう汚い女が大嫌いだった。

から高校女子校を選んだ。

中学時代仲の良かった先輩から

女子校は本当に生きやすい。男がいないとそういう争いとかもないし。」と聞いていたのもあり必死勉強して女子校入学した。

女子校は先輩の言う通り生きやす空間だった。

秘密の花園なんてのは空想だけれど、進学校だったこともあり皆自分が一番大切だから自然無駄な争いを避けるようになっていたから本当に生きやすかった。

彼女存在けが想定外だった。

今思い返すとというより当時から薄々感じていたが、みらいはボディータッチが多かった。

1日に少なくとも2回以上はハグしてくるし、堂々と人前で手は繋ぐし、とにかく距離感おかしい。

最初こそ戸惑っていた私も仲良くなるにつれて気にしなくなってきたものの、時折嫌悪感に近いものを感じることさえあった。

でも、やめてとは言えなかった。

だってそうされている時だけは自分特別だと感じられたから。

2年の3学期になって3年生0学期なんていう進学校あるあるワード教師の口から出始める中、彼女との関係が変わった(と増田勝手に思っている)出来事が起こった。

2学年最後模試だ。

その前の記述模試から国数英3教科に加えて理社科目が追加された。

その記述模試ではあの教科は二人仲良く同点だった。

最後模試マーク模試だった。

2年最後だしここで一つ頑張ってあの教科でみらいに勝ちたいと密かに思っていた。

毎晩負けまいと勉強して迎えた本番。

習っていない範囲もあったが自分勉強してカバーした分自身はあった。

3月、結果が出た。

私はその教科で全国一桁の順位を取った。

模試順位掲示されるので早速見ると、みらいは私のすぐ下の段にいた。

しか偏差値には20程の差があった。

私は勝ったと思う前に彼女の不調が気になった。

トイレに行っていたみらいがこちらに来て順位が張り出された紙を見ると

「やっぱり◯◯はすごいよ、」と一言言って自分の席に戻っていった。

その日は話しかけてもどこか上の空だった。

次の日、彼女は休んだ。

心配休み時間隠れてスマホを起動させ、LINEを開いてメッセージを送った

すると数分後

明日は行ける。心配かけてごめん。」と返ってきた。

こんな時まで謝ってくるのが彼女らしいなとその時は思った。

次の日予告通り彼女は帰ってきたが、いつものボディータッチは無いしなんだかひどく静かだった。

結局2年の終業式の日まで彼女はずっとそんな感じだった。

3年になるとクラスが離れた。

前はあんなに同じクラスがいいと思っていたのに、最近彼女の煮えきらない態度をあまり好ましく思っていなかったので実際の所は

嬉しさ7割悲しみ3割といったところだった。

しかしその思いはすぐ覆された。

一つがクラスメイトの私に対する反応だった。

2年の時みらいと私ともう一人のクラスメイトの3人でたまに会話することがあった。

3年に進級してそのクラスメイトとはまた同じクラスになったので声をかけると

素っ気無いそぶりですぐ別の友達の所へ向かっていった。

そこで私は気付いてしまった。

結局私は彼女が隣りにいなければ価値のない、何も特別なところなどない人間だと。

みらいとはクラスが2つ離れていたため頻繁には話すことは無かったが、たまに会話するとそれはそれは惨めな気持ちになった。

彼女友達が多い。

私にとっての彼女はたった一人の心を許せる友人だった。

けれど彼女にとっては大勢友達の中の一人でしか無いという事実に串刺しにされる気持ちだった。

から私は彼女抜きで特別になると決めた。

2月模試の結果が私の背を押してくれた。

私にはポテンシャルがあることを教えてくれた。

それだけに縋って、今までの人生でやったことのないぐらい死ぬ気で勉強した。

その成果は存外早く出て6月模試では早速学年1位に躍り出た。

この結果には教師陣も驚いたのか露骨におだててくるようになった。

それをあしらいながら只管勉強した。

7月、もう何ヶ月もLINEなんて送ってこなかったのにみらいから急に連絡が来た。

夏休み日中学校勉強するよね?

良かったらうちの部室くる?」という内容だった。

彼女美術部の期待の星で、大学も某美大を目指していた。

3年に入ってからは画塾にも通い始めたと聞いた。

彼女には夏休み特別に部室の一角占領する権利顧問からもらったらしい。

私はその誘いにあっさり乗った。

彼女と実質二人だけで過ごせる時間をみすみす手放す訳がなかった。

夏休み、みらいの部活の日はみらいの部室で、それ以外の学校開放日はひたすら教室図書館勉強をする日々が始まった。

部室ではみらいが自分の背丈ほどの大きさのキャンパスにひたすら油性絵の具を塗りたくっていた。

正直油性絵の具の匂いは苦手だったが、みらいと同じ空間にいる方が大切なので我慢した。

他愛のない話をしながら、彼女は絵を、私は過去問をそれぞれ仕上げていった。

そんな夏が終わると、また連絡を取る回数が減った。

それもそのはず、彼女は推薦と一般美大受験するため、画塾に通うだけでなく面接練習なども必要になったからだ。

私はただ勉強していった。

この頃には志望校偏差値を大幅に上回る成績を取れるようになってきた。

冬がやってきた。

去年のクリスマス彼女と一緒に過ごしたのに今年はひとりだ。

そんなことを思いながら夜食で出されたホールケーキの残りを頬張りながら勉強していると突然LINE電話がかかってきた。

みらいだ。

素早くスマホに手を伸ばし電話に出た。

「ねえ、受験終わったら卒業旅行行こうよ。

修学旅行でまわったとこ、また二人で全部回ろう」

みらいは電話越しにそう言った。

私が

「うん、絶対行こう。約束

と言うと

「うん。約束。」という言葉最後電話が切れた。

突然そんな提案をしてきたのには驚いたが、その約束は私を鼓舞した。

そして迎えた共通テスト

かつて無い手応えを感じた。

自己採点をするとこれまで取ったことのないほどの高得点だった。

私は私大1本だったか2月受験は終わった。

みらいは家の都合で国公立しか受けられないと言っていたか3月にならないと結果は出ない。

祈るような気持ち2月を過ごした。

3月の頭、卒業式があった。

式が終わってもみらいの元へ向かった

「◯◯、待ってた」

そう彼女は言った。

写真撮りたい」

そう言うと彼女は私にカメラを向けてきた。

自分顔面に自信が無い私はせっかくだから二人で映ろうよと言って彼女スマホを借りてツーショを撮った。

その後は卒アル落書きをし合って別れた。

案外あっさりした別れだった。

そのときはそれでいいと思っていた。

だって卒業旅行に行こうと彼女は言ったから。

その日、LINE彼女スマホで撮った写真が送られてきたのを最後彼女からLINEが送られてくることは無かった。

みらいは志望校合格したら連絡すると言っていた。

彼女志望校合格発表日が過ぎても連絡が来なかったので、私はある決意をした。

整形をする決意を。

幼い頃から親に「醜い顔で産んだから形代は出すよ。ただし、高校卒業したらね」と言われていた。

今こそその時だと思い、すぐカウンセリングの予約をし、施術プランと日程も決まった。

私の思い一重は施術とダウンタイムを経て左右差のない整った二重になった。

大学が始まってからもみらいから連絡が来ることは無かった。

私は私で上京したので新しい暮らしと新しい環境に慣れるので精一杯でみらいに連絡している時間もなかった。

二重になってから人生難易度体感20レペル下がった。

大学同級生とはすぐに仲良くなれた。

それこそみらいが高校時代同級生から言われていたように

かわいい」なんて言われるようにもなった。

高校時代までの私からしたら信じられないほど環境が変わった。

やっぱり美は正義だなと感じた。

前期は友達遊んだテストレポートと格闘している間に過ぎ去っていった

夏休みも終わりに差し掛かった頃、ふとみらいのことを思い出した。

そして私からLINEを送った。

時間後、数日後、数週間後。

待てども待てども返信が来ない。

それどころか未読無視をされている。

プロフィール画像などは変更されているかLINEを見ていない訳では無いだろうに。

つの間にか私は彼女LINE確認しなくなっていった。

しかし私は今でもふとした瞬間にかつての彼女を思い出してしまう。

例えば鏡で自分の顔を見るとき

いつだっただろうか。

私とみらいはあの時担任が言ったように本当に瓜二つだと初めて気付いたのは。

卒業式の後、送られてきた彼女と一緒に写った写真をまじまじと見てみると

私と彼女は鼻の高さ、形、口の大きさ、頭蓋の形が本当によく似ていた。

そう、違っていたのは目だけだった。

私が二重に整形したことで、私の目はぱっちりと開くようになり、彼女の瞳の形そのものになっていた。

今の私と彼女双子のようにそっくりなのだろう。

今の彼女はどんな顔をしているのだろう。きっと美しさが増しているだろう。

そんなことを、私は鏡で自分の顔を見ると考えてしまう。

・・・

今日見た夢は

みらいと数年越しに会って食事なんかしながら

近況や今までのこと、あの時はお互いをどう思っていたかについて話し合う夢だった。

美しいのは相変わらずだなぁなんて彼女を見つめていると、

「◯◯、整形したの?良いじゃん似合ってるよ」なんて言ってきた。

本当に彼女らしいなんて思っているとアラームの音で現実に引き戻された。

起きて夢かぁと思いながら十数ヶ月ぶりに彼女LINEを開いたがやはり既読はついていない。

午後、用事を済ませて家に帰って来ると既読がつくはずないのになんとなくまたみらいのLINEを開きたくなった。

その衝動のまま、トーク画面を開き、自分の送ったメッセージを目で追う

「みらい!最近どう?元気?」

見慣れたそのメッセージの上に目を向けると、そこにはそのメッセージを送った日付が表示されていた。

それを見て息を呑んだ。

そこに表示されていたのは

「1年前の今日の日付」だった。

こんなに都合のいいタイミングで夢に出てくるほど彼女の幻影をいつまでもいかけている自分が心底恐ろしい。

という話。

2023-09-02

anond:20230902004748

誤解誤解💦 整形がルッキズムは違うよ💦

どこかのトップコメントの方も言ってたけど、自他境界を身につけてほしい。

自分 醜いのは不快なの。

他人 醜いのは、むしろ気持ちいいんよ。

整形してる生徒ばかりの教室へ転入生は、「エラの張った顎は当然金を出して整形しなくちゃなほど不快だと思われる」ってのは誤り。その捉え方はおかしい。

「エラの張った顎は醜いと思われてる」それが正しい。

不快だと思われるんじゃなく、醜いと思われるだけ。

さな違いだけど重要だよ。

他人不快だと思われるなら治さなくちゃ迷惑だけど、醜いままでいるのは本人の自由からね。

そしてモブが醜いのは他人にとっては有益しかないのを気に留めておいてほしい。

2023-05-31

教職を辞して1年と少しの時間が経過したので何となく書いてみる。

【経歴】

転職きっかけ】

【所有資格スキル

転職して良かったこと】

転職して悪かったこと】

  • ローンが組みにくくなった。
  • 大病や怪我をした際の保障は下がった。

教職を辞した理由

おまけ

教員時代生活サイクル】

2022-08-09

小3の息子が発達障害かもしれない

私達夫婦共働きで、夏休みも息子を学童に通わせてるんだけど、迎えに行くといつも学童先生に注意をされる。

「息子さん、またお友達トラブルになりました」って毎回のように言われて気が滅入る。

よくある原因を箇条書きにすると、

・思ったことをそのまま言ってしま

ルールを守らない友達に怒る

・なかなか謝らない 

といったところ。

例えば、10人くらいで遊んでる時、「この遊びつまんないのに、どうしてやるの?」とか言っちゃう

他にも、相手ちょっと自分に当たってしまった時「当たったから謝って!」と強く求めてしまう。

そんな調子から友達からも少しずつ距離を置かれつつある。

親としては「そんなこと言ったら友達に嫌がれるから、やめなさい」と言うんだけど、言う事を聞かない。

そもそも本人はこれで問題ないって思ってて嫌われつつあることも自覚してないから、変えるつもりがないんだろうと思う。

もっと私が躾けたらいいんだろうけど、厳しく無理やり直すのも効果的かどうかは疑問が残る。

病院相談に行ったら、発達障害検査しましょうかと言われたが、いざ診断が出た所でどうなんだろうとは思う。

薬はあまり飲ませたくないし。

学校相談したら、「ことばとまなびの教室」というのを学校がやっていて、月に何回か授業を受ける代わりにその教室へ通い、マンツーマンに近い状態で生徒の特性に応じた教育をしてくれるらしい。

自分たちだけでは息子をうまく教育できそうにないので、こちらに頼ろうかと思っている。

息子は確かに幼い頃からまり変わってなくて成長が遅い気がする。ワガママで口が悪いところがある。

でもすごく謝る時は謝るんだよな。母の日サプライズ手作りカードを作ってくれるとか優しいところもある。工作も上手だし。

何より息子の将来の幸せを願う。今後みんなと仲良くできて、社会に出ても一人で生きていけるようにサポートしていきたい。

2022-06-19

anond:20220619030306

行為実習室。ここは教師たちが生徒達へ性行為を教えるための教室である

部屋の中には机はなく、代わりに大きなベッドが設置されている。

そして、その上に裸の生徒達が横一列に並んでいた。

彼らはこれから何が行われるのか理解しているようで、全員が期待に満ちた表情を浮かべている。

「さぁ、今日は待ちに待ったアナルセックス実習ですよ。みんな、アナルの準備はできましたか?」

生徒達は机を移動させると、教室中央に大きな円を描くように座る。

そして、優菜の指示に従い、全員が一斉に服を脱ぐ。全裸になった生徒達の中心で、優菜は生徒達のアナルを眺める。

「皆さん、準備はいいですか?それじゃあ、今からアナルをほぐしましょう。ローションをアナルに塗ってください!」

はい先生

「わかりましたー!」

生徒達は返事をすると、ローションを手に取り、自らの肛門へと塗り始める。

そして、優菜はその様子をじっと見つめる。

先生!もう我慢できないです」

「僕も、早くお尻の穴で気持ち良くなりたい!」

生徒達が切なげな声を上げる。

「ふふっ、仕方がないですね。でも、慌てなくても大丈夫。まずは、指を使ってゆっくりと解していきます

優菜はそう言いながら、生徒達に指示を出す。

生徒達はそれぞれ、自分アナルへと指を入れていく。

そして、最初は恐る恐るだったが、すぐに慣れてきたのか積極的に動かし始めた。

「あっ……んぅ」

あんっ♡きもちいっ…」

「すごい、こんな感覚初めてっ…!」

生徒達は自分の感じるポイントを探し当てようと、必死になって手を動かす。

やがて、ある生徒が一点を擦り上げた時、今まで感じたことの無いような快感に襲われた。

「ひゃうん!?そこぉ……ダメぇ!!」

突然、甲高い悲鳴を上げた生徒を見て、優菜が微笑む。

「あら、どうしました?もしかして前立腺を見つけたんですか?」

はい、ここすごく敏感みたいです」

「なるほど、それは良かったですね。そのポイントを中心に刺激してあげてください」

はい

生徒は言われた通りに、その場所を刺激し続ける。

すると、次第に絶頂兆しが見え始め、生徒は夢中で手を動かし続けていた。

女子の皆さんは男子が羨ましく見えるかもしれませんね。男の子アナルはとっても感度がいいんです。でも、女の子ちゃん気持ちよくなれますよ。だから安心して」

はい先生

男子生徒も、女子生徒も、生徒達は皆うっとりとした表情を浮かべている。

そんな様子を観察していた優菜は、頃合いだと判断して次のステップへと進むことにした。

「さぁ、そろそろいいかしら?次はいよいよ、本番の授業を行います。みんな、ベッドの上に仰向けに寝転んでくれるかしら?」

はい

「分かりました」

生徒達が次々とベッドの上に乗っていく。

全員が横になると、優菜は生徒達の顔を確認するように見回した。

「それじゃあ、これからアナルセックスを始めていきましょう。では、上級生の皆さん!教室に入ってきてください」

ドアの向こうから現れたのは、上級生の生徒達だった。

女子上級生は皆ペニスバンドを装着し、男子上級生は皆、男根をはち切れんばかりに勃起させていた。

「今年も可愛い子達がたくさんいるわね。気持ちよくしてあげるわ」

「優しくするから怖がらなくていいよ」「緊張しないで、力を抜いて」

大丈夫、痛くなんかないから」

口々に声をかけられ、生徒達の体が強張っていく。

上級生は次々とベッドに乗り込んでいき、あっという間に生徒達に覆いかぶさる。

「ふふっ、楽しみにしてたのよね?今日は私がお姉さんが、たっぷり可愛がってあげる。たくさんアナルでイク練習しましょう」

「は、はい……」

よろしくお願いします」

「まぁ、嬉しい。いっぱいイカせてあげるからね」

「は、はい

こうして、上級生と合同でのアナルセックス実習が始まった。

「まずは、基礎的なことを覚えてもらいましょう。皆さん、アナルがよく見えるようにお尻を左右に開いてください」

はい

「こうですか」

生徒達がアナルを強調すると、上級生たちは肛門をじっくり観察し始めた。

「そう、上手ですね。皆さんのお尻の穴、とても綺麗ですよ。では、上級生の皆さん。優しくお尻の穴にペニスを挿入してあげてください」

「痛くないからね。お兄さんを信じて」「お姉さんに全て任せなさい。可愛い後輩くん」

上級生たちのペニスが、ゆっくりと生徒達のアナルへと近づけていく。

そして、先端が触れ合い――

ズプッ

「ああぁ……♡」

生徒達の口から、甘い吐息漏れ出した。

そのまま、少しずつ奥へと入っていく。

「あ、熱いぃ……。先輩のおちんぽ、熱くて硬いですぅ」

「凄いわ。この子アナル、もうトロトロになってる。本当に初めてなの?」

ぬぷっぬぷっという卑猥な音が教室中に響き渡る。

上級生達は、下級生のアナルに深くペニスを挿入し、性感帯を刺激すべく腰を動かす。

「ひゃうっ、ダメぇ!そこ弱いんです!」

「あら、ここが良いんだ。もっと突いてあげるね」「ほら、お尻の穴におちんちんが入ってるところ、よく見るんだよ」

前立腺を押し上げてあげるわ。ほら、トン、トン!」「んぐっ、はいってる、おしりのなか、ずぼずぼされてますぅ」

生徒達の顔は蕩けきっており、それを見た上級生は、さらピストン運動を激しくしていく。

「みんな可愛い顔になったじゃない。気持ちいいでしょう?私達もすっごく気持ち良いよ」

パンパンという音と共に、肉同士がぶつかり合う。

そのたびに、生徒達の身体は大きく跳ね上がる。

「あぁ、すごいぃ……♡」

「先輩のオチンポ、太くて硬くて、最高ぉ……」

「こんなの初めてだよぉ」

初めての感覚に夢中になる生徒たち。

その様子を見た上級生たちも興奮を抑えきれない様子だった。

「ふふっ、すっかり夢中になっているようですね。」

優菜は生徒達の様子を観察し、手元のメモに評定を書き込む。

(やっぱり真くんは凄いわね。この短時間で3回もトコロテン射精するなんて)

快楽教育実習生として派遣されたばかりの優菜にとって、真ほど優れた性感を持つ生徒は初めてだった。他の子たちと比べても、彼の感度はかなり高い。

真は女子上級生のペニスバンドアナルでしっかりと咥え込み、自ら腰を動かしている。

あんっ、イク、イッちゃいます!」

ビュルルルーーッ 勢い良く射精した精液は、ベッドの上に飛び散った。

それを見ていた上級生が、クスリと笑う。

「まったく、なんて可愛い子なのかしら。こんなに出しちゃって…でもまだまだイケそうね」

そう言いながら、彼女は真の乳首を摘み上げる。

すると、再びペニスが大きくなっていく。

「お尻の穴で4回もイッて、まだこんなに元気があるなんて、本当に優秀ね。後輩が優秀で、私も先輩として鼻が高いわ…ほら!前立腺を擦られるの好きでしょう?」

グチュッグチャッグチャッ 水音が教室内に響き渡る。

「あっ、好きれす、そこグリグリされるの大好きですぅ」

「ふふっ、じゃあご褒美をあげなくっちゃね。これでどうかな?」

グイッ!女子上級生のペニスバンドが真の前立腺を力いっぱい突き上げる。

「ああぁっ!?」ビクン 突然の激しい刺激に、大きく仰反る真。

そのまま、激しいピストン運動が続く。

パンッパツパツン 肌が激しくぶつかる度に、大きな音が鳴る。

「どう?気持ち良いでしょう?もっとして欲しいよね?」

はい、欲しいです!あああ、またイキます!また出ちゃう!!」

ビュービュッドピュッドピュー またしても大量の精子放出する。

しかし、それでも彼女の動きは止まらない。

しろ激しさを増していく一方だ。

ダメぇ!!今出したばっかりだから敏感になってて、すぐまた出ちゃいます!あああ、出る!イグゥウウッ!!!

ブシャァアーッ 6回目の絶頂と同時に、今度は潮を吹き出す。

「あら…すごい量…。そんなに良かったのかしら。お姉さんも嬉しいわ」

女子上級生は真の頭を優しく撫でると、貪るようにキスをした。

舌を入れられ、口内を蹂躙されていく。そのあまり快感に耐え切れず、またしても限界を迎える。

「んむっ、ちゅぷ、もうだめぇ……僕、また、またイッちゃいます……」

「いいよ、好きなだけ出して。私の身体たっぷりかけてちょうだい。大丈夫、私が全部受け止めてあげるから

そして、真は7回目の絶頂を迎える。

「で、出る、またイク!あ、あ、あ、あ、あ、あ、ああー!!!

ビュルルルーッ 7回目だというのに、先程よりも遥かに多い量の精液が飛び出した。

まるで噴水のように吹き上がるそれを、女子上級生は全て手で受けとめる。

そして、それを見せつけながら言う。

「ふふっ、すごい量。おちんちんには指一本触れていないのに、これだけ出せるなんて偉いわね」

真の顔は快楽によって蕩けきっており、目は虚ろになっている。

全身からは力が抜けきり、もはや指一本動かせない状態になっていた。

「はぁ……はぁ……はぁ……」

ーーー

アナルセックス実習が終了し、生徒達は一様にベッドの上でぐったりとしていた。

はい、これで今日の授業は終わりよ。みんなよく頑張ったわね」

そう言って、上級生は全員分の水を配り始めた。この学園では、性行為の授業のあとは必ず水分補給をすることになっている。

そして、1番初めに飲み終わった生徒から教室を出ていく決まりだ。

はい、これあなたの分ね。ちゃんと飲まないと脱水症状になるかもしれないわよ。ほら、起きなさい。寝ている暇はないわよ!」

下級生達はまだ快楽の余韻が残っているようで、なかなか動けない様子だった。

しかし、上級生の喝が入り、次々と動き始める。

下級生は水を飲み、雑談ができる程度に回復したところで、ようやく教室から出ていった。

「真くん、7回もイッたらしいわよ。凄いわよね」

「え、本当!?真くん、さすがね」

「ううーん。私なんか2回しかイケなかった。悔しいな〜」

「私は4回だよ。でも、真くんって本当に可愛い顔しているし、イクところがたまらなく可愛いわよね」

「分かる〜。それに、すっごく敏感だし。反応がいちいち可愛くて、つい苛めちゃいたくなるんだよね」

そんな会話をしながら、生徒達は性行為実習室から教室へ戻っていく。

そして、全員が出ていった後、上級生たちは性行為実習室の片付けを始めた。

ーーー

アナルセックス実習を終えた後、真は屋上で休んでいた。

行為実習が終わったあと、いつもこうやって休むようにしていた。

(7回もイッたんだから、くたくたになるのは当然だよね)

特に最後の方は、ほとんど意識がなかったと言ってもいいくらいだった。

今日はすごく疲れたな。早く帰って寝ようかな?)

そう思い、真が帰ろうとした時だった。

背後から声をかけられたのは。

「あれ?君は確か、6年生の子だよね?」

振り返ると、そこには一人の女子生徒が立っていた。

「あ、はい。僕は6年A組の黒瀬 真と言いますあなたは……」

「ああ、ごめんね。自己紹介がまだだったね。私は8年の綾瀬 彩奈。よろしくね」

その少女は、整った顔をした綺麗な人だった。

腰まで伸びた黒髪には艶があり、肌にはシミひとつない。胸は大きくはないが、バランスが取れていて美しい。

そして何より、大人びた雰囲気を感じさせる。

14歳彼女は、真にはまるで10歳以上も歳上のように感じられた。

「あの、僕に何か用ですか?」

「うん。ちょっと聞きたいことがあって」

「……聞きたいこと?」

すると、彩奈は真の正面に立ち、じっと見つめてきた。

「ねえ、君。アナルセックスは初めてだったんでしょう?」

「えっと……はい。初めてですけど」

「ふぅん。初めてお尻の穴をズポズポされて、7回もイッちゃったんだ」

「そ、それは……」

言い淀む真を見て、彩奈はクスリと笑みを浮かべる。

大丈夫、恥ずかしがることじゃないよ。日本では敏感でイキやすい子は高く評価されるんだから

「それはそうかもしれないですけど…恥ずかしいです」

「ふふ。あなた可愛いわね。自信を持っていいと思う。きっと将来は、たくさんの女の子を喜ばせることができるはずだよ」

彩奈の言葉を聞き、真は赤くなった顔を隠すように俯いた。

「彩奈さんもアナルセックス実習を受けたんですか?」

「ううん。私はまだ未経験だよ。でも興味はあるかな。…ねぇ、真くん。私に教えてくれる?」

彩奈は妖しい笑みを浮かべながら、真の耳元で囁く。

「もちろん、私のお尻を使ってもらって構わないから。むしろ、使って欲しい」

「っ!?

わずドキッとする真。ついさっき7回もイッたはずなのに、もう股間が熱くなり始めていた。

「それで、どうするの?私のお尻を使うの?それとも―――」

彩奈は真の頬に手を当て、瞳を覗き込むようにして尋ねる。

彼女吐息がかかるほどの距離で。

「私にペニスバンドあなたのお尻の穴を犯されたいのかしら?」

「ぼ、僕は……」

「あら、違うの?じゃあ、やっぱり私のお尻を使うことになるわね」

彩奈は真の返事を待たず、ズボン越しに肉棒を掴んだ。

そして、ゆっくりと手を動かす。

その動きは滑らかかつ繊細であり、的確であった。

絶妙な力加減によって与えられる刺激は、すぐに真のモノを大きくしてしまう。

「ほら、もう大きくなった。本当に元気いっぱいだね」

快楽教育法に基づいた指導は日に日に真の性欲を増大させていた。今の真には、性欲を抑えることができない。

真は彩奈の身体を押し倒し、はち切れんばかりに勃起したペニスを露わにする。

「いい子。素直な男の子は好きよ」

彩奈は自らショーツを脱ぎ、自らの肛門を強調するように指で広げた。

そして、誘うような視線を送る。

「おいで、真くん」

「彩奈さん、彩奈さん…!」

真はゆっくりと腰を突き出し、彩奈の肛門へと挿入していく。

「あっ、すごい!どんどん入ってくる……。ふぁああ」

「彩奈さんのここ、すごく熱いです。それに、締め付けも凄くて……」

まるで膣内のように締まる腸壁は、真の亀頭をきつく包み込んでいた。

気持ち良いでしょう?もっと奥まで入れても良いんだよ」

はい……分かりました」

言われた通りに根元まで入れると、アナル入り口と玉袋の付け根部分が密着した。

「ごめんなさい、僕もう我慢できません。動かします」

そう言うなり、真は激しくピストン運動を始めた。

パンッ、パァンという乾いた音が響くたび、彩奈の口から甘い声が漏れる。

あんっ、激しいぃ。そんなに強く突かれたら、すぐイっちゃうぅうう」

彼女女性からは大量の蜜液が流れ出していた。

彼女肛門で真のペニスを受け入れながらも、同時に自分の手でクリトリスを刺激している。

その姿は、淫靡でありながらどこか美しさすら感じられた。

「はぁ、はぁ、彩奈さん、彩奈さん……!」

「来て、全部出してぇええ!!イクゥウウッ!!」

ドピュルルルー!!! 真は彩奈の腸内に射精した。

それと同時に、彼女もまた絶頂を迎える。

「あぁ、お尻の穴でイッちゃったぁ……。アナルセックスってこんなに気持ち良かったんだね」

はい、最高ですよ。でも、まだ終わりじゃないですからね?」

そう言って、真は再びペニスアナルに挿入する。

「はぁ…はぁ…あなた…いまのが今日の8回目の射精だったのよね…?まだイケるなんて、信じられないわ」

彩奈の言葉通り、真は何度も射精しているにも関わらず、一向に萎える気配がない。それどころか、ますます硬さを増していっているようにさえ感じられる。

「彩奈さんが可愛いから興奮して止まらないんです。まだまだ、彩奈さんと一つになっていたい」

そう言いながら、彼は再び肛門に向けてピストンを始める。

「ああん!まぁ、嬉しい。じゃあ、私のお尻っ、好きなだけ犯してくれていいよ♡」

彩奈は両足を大きく開いて、真の腰に巻き付けた。

「あぁん、これだとあなたの顔がよく見えるわ。キスしながらしたいな」

二人はお互いの顔を見ながら、舌を絡めた濃厚な口づけを交わし合った。

そのまま、互いの体を抱きしめ合い、肌を重ねる。

「んちゅ、れろぉ……」

二人の唾液が入り混じり、淫猥な音を立てる。

その音をかき消すかのように、肉棒が激しく肛門へ出入りを繰り返す。

そして、数分後、彩奈は二度目のオーガズムを迎えた。

「また来る、また来ちゃうぅうう!!」

ビクンっと身体を震わせ、背中を思いっきり反らせる。

膣内からは潮を吹き出し、結合部からは腸液が溢れ出す。

同時に、腸内では熱いものが放たれていた。

「あ、ああ……出てる。また中に出されたぁ……」

2人はその後、日が暮れるまでアナルセックスをし続けた。

ーーー

続く

2022-04-01

明日ちゃんセーラー服感想

OP曲と映像が好き。最終話まで一度もスキップしなかったのはもちろん、作業中にサブモニタで延々ループ再生するぐらいに。第一印象は「AKBっぽい」。「いやむしろ乃木坂とか欅坂とかか? 1曲も聞いたことないけど」と思いつつ作曲家検索すると実際に乃木坂46をメインにAKBループ楽曲提供してる人だった。ワイの耳も捨てたもんじゃいね

つーかそもそもオーダーが「AKBっぽく」だったのかもしれない。原作は未読で分からんが、少なくともアニメ秋元康世界観に片足をつっこんでる感じがある。象徴なのはOPで70秒ごろに流れる、3組の女の子たちが目をつぶりながら体育館ステージに座ってるシーン。OP流れる映像は、基本的に蝋梅学園での日常を切り取った物と言えるが、あそこだけはその見方が成立しない。日常の中で、16人もの少女が、素足の制服姿で、目をつぶりながら身を寄せ合い、体育館ステージに座る、というシチュエーション自然と起こることはありえないからだ。平たく言えばあれはフェチズムであり、少女制服教室へ信仰である

本作を見た人であれば少女制服に対するフェチズムが詰まった作品という評価異論はないだろう。少女の脚を接写するアニメといえば『けいおん!』を思い出すが、あれはフェチズムからやや遠い。アニメけいおん!』における手や脚の描写は、感情キャラクター同士の距離感場の空気表現であり、我々は、手の微妙な動き、スカートから伸びた脚の並びなどからそれらを読み取ることを要求される。それは『けいおん!』が、というより監督山田尚子の癖と言って良い。『リズと青い鳥』でより直截的に用いられたことは記憶に新しい。

一方の『明日ちゃん~』はフェチズムのそれだ。かきあげた髪束からこぼれる何本かの細い髪、制服用のハイソックス穿く時の布擦れ、口元から髪を払う時に撓む唇の柔らかさ。それらに読み取るべき意味はなく、ただそうあるように受け取ればいい。

ストーリーに目を移せば、コミュ強の小路クラスメイトたちを次々と篭絡していく無双モノといった趣がある。優れた容姿や持ち前の行動力は元より、相手に興味を持って積極的に話しかけるスタンス小路を圧倒的コミュ強にしている。

まだ何も知らない同士なのに

どうしてなの もう君のことが好き

クラスメイトじゃなく 友達になりたい

君に思っていたの 密かにずっと

OP『はじまりのセツナ』の歌詞だが、これは特定の誰かではなくクラスメイト全員に対する小路スタンスを示している。OP小路クラスメイトの誰かの手を引いて駆け出すシーンがあるけど、相手が映っていない点が実に示唆的だ。いろんなクラスメイトと談笑するカットが並ぶのも小路コミュ表現ひとつだろう。

小路は同学年の生徒がひとりもいない小学校時代を送ったからか、教室という社会常識からやや乖離しており、周りがブレザーの中でひとりだけセーラー服を着ていくという浮きっぷりから先行きを心配させたが、蓋をあければコミュ無双というプリミティブな気持ちよさがあった。その結実が最終話の後夜祭であることは言うまでもないだろう。

CGDCT(かわいい女の子たちがかわいいことをする作品を指す海外スラング日本で言う日常系に近い)の系譜に違いはないけど、部活というインナーサークル舞台の中心になる日常部活モノからはやや距離を置く。氷室冴子作品マリみてのような少女小説の趣もあるが、キャラクター間のヒエラルキー排除されている点では逆に日常系に近い。そして全体を貫くフェチズムを勘案すれば男性向けファンタジーとしての少女小説、という辺りに行き着くのではないか

この作品ファンタジー志向しているのは小路の家がメルヘンに出てきそうなレンガ造りをしているところからもうかがえる。母親セーラー服を仕立てるレベル洋裁が出来、車はしっかり2台あって、しかしレンガ造りの家から雨漏りがする、というのはリアリティラインの設定に興味がないからだと思われる。生徒が1人しかおらず廃校が決定している小学校と同じ地域に生徒150人規模の女学園があり、かつバスで行ける範囲ショッピングモールがあるという設定からも同様の指摘ができる。しかしそんなことはどうでもいいのだ。『明日ちゃんセーラー服』は「16人もの少女が、素足の制服姿で、目をつぶりながら身を寄せ合い、体育館ステージに座る」光景へのときめきを満たしてくれる作品なのだから

あと自分のために泣いてくれる他人がいるのって救われるなって心底思った。そういうのをスルッと出してくる、シーン強度への意識がこの作品の魅力だとも思う。

2021-10-11

これのソースって雑誌

5chに連投コピペで貼られてたんだけど、ググっても元の文章が出てこない。

すぎやまこういち×植松伸夫


すぎやまこういち1931年東京都生。作曲家日本バックギャモン協会会長

植松伸夫1959年高知県生。神奈川大学外国語学部英語科を卒業後、TVCM等フリー活躍し、1986年スクウェア入社


(要約)


すきやま:

だんだんドラクエ関連のスケジュールだけで1年終わっちゃうみたいな有様になってきちゃって、

あんまり他のことができなくなってきてるんだよね。困ったもんだよ。

ドラクエやると、やれCDブックだアニメときて、レコードブラスバージョンエレクトーンバージョンピアノバージョンが出て、

そうなると色んな出版社ピアノ譜やエレクトーン譜を出す。そんなことやってるから1年潰れちゃうもんね。


植松

そんな忙しい中で「半熟英雄」やって頂きましたからね(笑)


すきやま:

どうしても大変だと思いながら、「このゲームが好きだなあ」ってことになるとついね


植松

まさか本当にやって頂けるとはね。言ってみるもんだなとつくづく思いましたよ(笑)


すきやま:

でも楽しかったね、あれは。FFVも大変だったね。やっと僕も上がったんですけどね。

植松君は働き者だなとつくづく思いましたよ。何曲あるの、あれ?


植松

60近くはあるかもしれないですね。


すぎやま:

60曲あのゲームの中にあるということは、実際作った曲はその裏にもっとあるでしょう。何曲ぐらい?


植松

1コーラス作ったという感じで言ったら100曲ぐらいいってるかもしれないですね。


すぎやま:

働き者だなあ(笑)


植松

数撃って当てようという方向でいってますから(笑)

曲数が多いというのも一既にいいとは言えないとも思ってるんですよね。

1曲1曲のイメージが薄らいじゃいますからね。


すぎやま:

それはあるよ。IVときのがVより曲数少なかったでしょう?


植松

そんなでもないんですけどね、それでも10曲ぐらいは少ないかな?


すぎやま:

そうでしょ。やってる時はこの曲面白いなと思うんだけど、終わったあと覚えてる数が少ない感じがしたね。

その原因は何だろうと思ったんだけど、多すぎるというのがあるのかもしれないな。

でもやっぱりどんどん意欲が湧いて、ここはこういう曲にしちゃおう、ここはこうしようっていうのが出てきちゃうものだよね。


植松

作ってる方としてはまだ足りないんじゃないかという気もするんですよね。完成したあとに自分でやってみますよね。

そうすると、こことここの音楽変わってないやっていうところがいくつかあるんですよ。

から作った本人は全部曲覚えてるから別に問題ないんですけど、

自分以外の一般の人にとっては多いかなとは思ってるんですけどね。

30曲に抑えようとしたんですよ。IVときちょっと多いと思ったんです。

今回は絞り込んでやろうと思ってたんですけど、欲が出てしまますね。


すぎやま:

僕も曲を絞り込むとき断腸の思いでね。切る作業が大変ですよ。

前にも言ったと思うんだけど、むこうのミュージカルなんかを見ると本当に曲数少ないんだよね。

でも植松さんのやり方でいいなと思うのは、1つの曲をシーンに応じてアレンジを変えて出すケースが多いでしょう。

それでカバーしていくともっと絞り込めるかもしれない。


植松

なんであんなに増えちゃったんだろう(笑)


すきやま:

働き者なんだよ。FFVの曲は植松さんの趣味趣向がはっきり出てるから

それがある意味でいい個性になってていいなというのがありますね。

スコットランド民謡をはじめとして、民族音楽への傾斜というのがあるでしょ。


植松

今回そのアイルランドリールっぽい曲を入れたのって初めてなんですけど、あれを入れます

ユーザー意見なんかのハガキに「アイルランド行ってきて帰ってきたらもうこれだ」というのがあるんですよ(笑)

別にアイルランドから帰ってきて、その影響受けてやってるわけじゃないんですけど。

以前から凄く民族音楽に興味がありまして、入れたかったんですけどファミコンときとかって難しいじゃないですか。


すぎやま:

ちょっとやりにくいよね。


植松

いつかやってやろうと思ってたんですけど、あんまり興味本位民族音楽好きだから

入れるというのも安っぽく見えてイヤかなと思ったんですけどね。

先日、すぎやま先生がうちの職場にいらした時にお話ししたんですけど、今トルコ音楽を習いに行ってまして、

そういう教室へ行くと民族楽器かいっぱい売ってるんですよ。


すぎやま:

なんか君の部屋に不思議楽器が置いてありましたよね。


植松

日本人だったら日本音楽ルーツとして民謡とかがあるはずだと思ってるんですよ。

日本に昔からある音楽自分の血の中にあるはずだって自分では思ってるんですけど、

一度「雅楽(古来の宮廷音楽総称)」の“ひちりき”(雅楽用の竹製管楽器)を習いに行ったことがあるんです。

そうすると自分の中に流れている血というよりも、逆にそれがすごく新しい、

ブライアン・イーノシンセサイザー音楽に近い印象があったんですよね。


すぎやま:

笙(雅楽用の管楽器)のハーモニーなんかは音の響きが非常にシンセサイザー的な新しさがあるよね。


植松

そうなんですよ。だからこれはものすごく面白いけど、自分にとっての血ではない気がしたんですよ。

雅楽朝鮮からのものですけどね、そういうルーツみたいなものを考えていったら、

逆にヨーロッパ民族音楽がすごく自分にピンとくるものがあったんです。

だったらそんな日本人のルーツかいってないで

自分にとってピンとくるものを追っかけていく方が面白いんじゃないだろうかと思って、

最近自分日本人だから日本古来の音楽をどうのこうのという考えはなくなってきてるんですよね。


すぎやま:

僕ら日本人で日本の文化の中で暮らしていると、いつかは三味線音楽や琴の音楽が耳に触れてるわけ。

和風喫茶レストランエアラインなんかでもいつの間にか聞こえてくる。

アメリカで生まれ住んでるとそれは耳に触れないで大人なっちゃうでしょう。

僕らは耳に触れてるから、知らない間にそういう音感は身についてると思うの。


僕が植松さんの音楽でこの人やっぱり日本人だと感じたのは、

町の音楽「ミーファー」ってメロディがいくときに、もう1つの声部が「ミーミー」とそのまま引っ張って、

ミとファが平気でガチャーンと使ってるのがあるでしょう(トゥールの村などの音楽)。

あれって西洋音楽で育った人では絶対やらないことなんですよ。


植松

バッテンなんですよね。


すぎやま:

植松さんはあれにある種の美しさを感じるからやってるわけでしょう。

で、僕も日本人だから聞いて「あ、ここいいな」と思ったんですよ。

「ソーミーファー」というのと「ソーミーミー」というところでミとファがぶつかっているのは、

西洋音楽エフメジャーセブンの中のミとファのぶつかりの意味とは全然違う意味のミとファでしょ。

それは江戸時代三味線や琴の音楽しょっちゅうやってることなんだよな。

ラファミミファミミファファミ」といってるときに、1は「ミミミ」といってミとファがぶつかってるという、

そういうテンションに美しさを感じるという江戸時代音楽家らの伝統みたいな感覚の流れがあるんだよね。

あの部分を聞いて植松伸夫もやっぱり日本人だと思ったんですよ。

で、僕もアレをイヤだと思わずに、あぁこれいいなと感じて、僕も日本人だなと再確認したんです。

意識的にやらずに自然にやったんでしょう?


植松

僕はフラットナインのぶつかり具合とか、

ミとファの半音メロディ伴奏が平気でぶつかることがしばしばあるんですよね。

自分でもああぶつかってるな、クラシック音楽テストなら絶対バツだなと思っても、

その響き欲しいしと思ってそのまま残すこともあるんですよ。


すぎやま:

それが間違いか間違いじゃないかというのは、感覚的にそのぶつかりが許せるかどうかなのよ。

いいと思うかどうかなのね。だから西洋音楽なんかも近代音楽以降はガンガンぷつかるでしょう。

それが前後関係音楽全体の姿からいって、感覚的にこれが美しいと思えるものはマルなのね。

ミとファのぶつかりあいが美しいと思える感受性があってやったものであれば間違いじゃないんだよ。

ただそれが自分一人でいいと思ってるだけで、世の中全員が気持ち悪いと思ったら

これは単なるひとりよがりしかないんだよね。


植松

難しいですよね。音楽学問にした人というのは、かなり強引だと思ってるんですよ。

どうやって音楽の点つけるんだろうって未だに僕思ってるんですよね。

中学校を通して音楽というもの学校教育に取り入れて100点取った人は偉い、

50点取った人はしっかりしなさいという教育を受けてるから

大人になって楽器を手にしなくなっちゃう人が多いんじゃないでしょうかね。


すぎやま:

音楽教育というのがどうあるべきかというものは、これはもっと考えなくてはいけない問題で、

文部省現場教師の考え方に反省点は多々あると思いますよ。


植松

すごい話してますよね(笑)文部省がどうだって


すぎやま:

笛を吹いたことについて点数つけることよりも、笛吹く楽しさをわからせるのが大事だよね。

音楽の楽しさを感じてもらうというのはとても大事なことでね。

からファイナルファンタジーとかドラゴンクエスト音楽というのは大事なんですよ。


植松

最近音楽全然興味ない子供達でもゲームとかで遊んでて、

ドラゴンクエスト音楽が好きになってコンサート行きますよね。

すぎやま先生なんかのコンサートはフルオーケストラでやってらっしゃるでしょう。

それはものすごい影響力だと思うんですよね。

子供オーケストラを生で聞くチャンスが普段あるかというと、少なくとも僕は子供の頃そんな経験はしてないんですよ。

そうすると、ある意味ですごく羨ましいんですよね。小学校2-3年という頃に、N響の音が年に1回、生で聞けるわけでしょう。


すぎやま:

他のオケなんかのコンサート数えると、20-30回やってるよ。全部ドラクエじゃないにしても、1コーナーとかね。

から、あちこちに頼まれて棒振りに行く仕事もやってます。それは大事なことだからね。

ドラクエの棒振りは何はなくとも行くようにしてますけど。


植松

教育の一環ですよね(笑)


すぎやま:

しかし、いつもゲーム音楽作るときに、昔の大作曲家作品聞くじゃない。

とてもかなわないなと思うことが多いね


植松

すぎやまさんがそんなこと言ったらこちらの立場はどうなるんですか(笑)


すぎやま:

昨日久しぶりにバレエ見ようと思って神奈川県民ホールに「くるみ割り人形」見に行ったの。

チャイコフスキーのド天才めって感じだよ(笑)。とんでもない天才だね。


植松

チャイコフスキーは僕もすごく好きですね。音楽は誰が好きなんですかなんてインタビューとかであるじゃないですか。

そのときは一番最初チャイコフスキーを挙げますね。


すぎやま:

とんでもない大天才だよね、あの人は。

あの時代20世紀の音楽家が考えて書くようなヴォイシングやってたりするわけよ。オーケストレーションうまいこと。


植松

この前、西田敏行ロシアに行ってチャイコフスキー足跡を辿るという番組テレビでやってたんですよ。

僕もチャイコフスキー好きだから見てたんですけど、チャイコフスキーホモであるというのを聞いて、

「ああ良かった」と思ったんですよね(笑)


すきやま:

その良かったというのはどういう意味なの?


植松

どこかプラマイゼロじゃないとダメということです(笑)

チャイコフスキー人間だったんだなというね。ま、噂なんですけどね。


すきやま:

モーツァルトなんか完全にいってるよね。大天才でも大欠点があるという。


植松

チャイコフスキーしろモーツァルトしろメロディが非常にわかやすいんですよね。

クラシックって難しいから嫌いという人が多いですけど、そんなことないと思うんですよ。


すきやま:

ベートーベンとかブラームスあたりはみんなそうだよ。いいメロディもってるよ。


植松

やっぱりメロディなんじゃないかという気がするんですよ。


すぎやま:

くそうだと思いますよ。


植松

からドラクエなんかはオーケストラでやっても子供が聞けるんですよ。


すぎやま:

ドラクエにしてもFFにしてもメロディ大事にしてるからそこに強みがあるでしょう。

他にもFFでは民族音楽的なのがありましたな。デデンッデデンッ…てやつ(笑)


植松

民族音楽というか黒魔術の呪術音楽のようなやつですね。


すきやま:

からそのうちトルコも出てくるぞ(笑) FFでは吟遊詩人というジョブがあるじゃない。

吟遊詩人マップの中のトルコアイルランドみたいなところへ行ったりするとそこの音楽を覚えて、

それを戦闘中に唄うと何かが起こるみたいなことがあれば面白いんじゃない。


植松

また曲数増えちゃいます(笑)


すぎやま:

増えるね(笑) でも吟遊詩人というジョブがあるから使えそうな気もするね。


植松

一度何かに絡めてやってやろうと思ってるんですけどね。

どうしても容量がそういう余分なところまで回らないんですよ。


すぎやま:

他を減らさなきゃならないからね。町の音楽全部一緒にしたり。


植松

でも町は2個だけですからね。マップの曲も3つだし。


すぎやま:

ダンジョンも違う?そんな気もしたんだけど。


植松

いや、ダンジョンという曲は1曲しか用意してないんですよね。他で使ってるのを使いまわしてるんです。


すぎやま:

でもなんかすごく多い気がしたな。


植松

実際多いんですよね。飛空艇は1曲ですし、チョコボは2曲だし。


すぎやま:

チョコボはまた面白いね。あの音楽と動きを見事にシンクロさせてて良かった。


植松

あそこらへんはプログラマなんかと楽しんで作ってましたよ。


すぎやま:

ピアノお稽古面白かった。


植松

あれも最後は何の曲にしようかということで、うちの坂口が、

ヘタクソなやつが最後コンサートピアニストぐらいにしてくれと言われたんで、

最初メトロノームにも合わせられないようなところから始めて、最後ドビュッシーまで弾けちゃうんですけど、

あのドビュッシーの曲(月の光)をみんなあんまり知らないんで、ガッカリしちゃったんです。


すぎやま:

グリークとかチャイコフスキーピアノコンチェルトみたいな方がコンサートピアニストみたいな気がするからね。

僕に相談してくれれば良かったのに(笑)


植松

そうですよね。最後のが弱かったのが残念だったな。


すぎやま:

でもああいう遊びの部分も楽しかったよね。


植松

息抜きというやつですね。でも結構一生懸命やっちゃうんで、息抜きできなくなっちゃうんですけど。


すぎやま:

作ってる本人はいいんだよ。遊ぶ方は息抜きできるんだから植松さんはドラクエは上がったの?


植松

実は最後ダンジョンの手前でFFVアレンジCD仕事に入っちゃいまして、まだなんですよ。


すぎやま:

上がってないの!?


植松

申し訳ないっす(笑)

今日までに終わらせるつもりだったんですけど。


すぎやま:

僕は対談頼まれときに、12月中だと聞いてそれまでにFFVを終わらせる自信ないって言ってたんだけど、

元祖プロゲーマーを称してるからには面目にかけても上がろうと、しゃにむにやって上がりましたよ。

途中でやんなっちゃゲームだと上がれないけど、やってて楽しかたから相当寝不足になりましたよ。


植松

今回はアマチュア勝利ですかね。スクウェアメンツって、単独独立して音楽で食っていけるか、

絵で食っていけるか、企画で食っていけるかという連中がまだ1人もいないんですよね。


すぎやま:

植松さんは大丈夫じゃない。


植松

いえいえ。平均年齢がまだFFチームでいうと25ぐらいなんですよね。


すぎやま:

ドラクエチームもそうですよ。皆さん若い。僕1人だけ飛び抜けてるんだ。


植松

結局若い、何かやってやろうという奴らが集まってるんですよね。

そいつらが泥まみれになって一緒くたになって限度知らずの頑張りをするんですよね。

全てのプロの人がそうというわけじゃないんですけど、中にはお金と割り切って仕事をする方もいらっしゃいますよね。

そうするとある程度から先の気力とか頑張りを越すというのは難しいというのがたまにあるじゃないですか。

そういうことが5のチームには無かったんですよ。

とにかく最後最後まで、〆切のマスター任天堂に送る朝まで、どこまでできるかということをみんながやったので、

そこらへんの適当プロの人を集めて作っても、ああい気合いの入った作品は出来なかったんじゃないかなと思うんですよ。

今になってやってみると、あそこをこうした方がいいというのはうのはいっぱいあるんですけど、

終わった時点ではもうこれ以上はできない、とみんなが思ってるんですよね。僕もあのときはそうでしたしね。


すぎやま:

結局世の中を見てると、FFにしてもドラクエにしてもそうだけど、

好きで好きでとことんまで頑張るという人が集まってるところのゲームがヒットしてるんだよね。


植松

その気合いみたいなものが通じるんですかね。

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2021-09-05

夢日記

場所小学校教室だった。

周りには大学友達高校同級生など、様々な時代の知り合いが一つの教室で何かを話していた。

そして、何かの話し合いが始まった。私は隣に座っていた人に、何かをずっと話しかけられていた。

話を聞いているうちに眠くなってきたので、私はトイレに向かった。トイレで用を足し、教室へ戻ろうとしたが、その途中で他の教室の人たちにやたらと見られて恥ずかしかった。

2021-09-02

こんなプログラミング教室は嫌だ

あるプログラミング教室に通わないと大企業就職できない。

大企業からすると、履歴書面接スキルを把握する必要があり、リスクがある。

プログラミング教室には数ヶ月通うので、そこでスキルの把握ができる。

大企業からプログラミング教室へは、自社で本来行う入社教育などを受講生に教えるよう依頼しておく。

大企業は合わない人を雇うリスクが減る。

80万払えば大企業就職できる、100万払えば、・・・と受講料をドンドン値上げすることができる。

2021-07-21

anond:20210721005313

小学生のころ、集団登校というものがあった。

特に仲良くもない同じ地域に住んでいるだけの子供たちが同じ場所に集まって、

交通安全意識づけや1年生が道を覚えるために一緒に登校する。

特に話をするでもなく、ただ歩いて、肛門まで着いたらそこで別れる。

肛門を通ったら、集団登校の班だったものが崩れて、何の関係もないようにそれぞれの教室へと向かっていく。

家族でも友達でもクラスメイトでもないそんな関係不思議だったのを覚えている。

2021-07-15

<要>経過観察案件

ケンカ原因で「教室出禁元中学生足立区提訴「授業を受ける権利、奪われた」|弁護士ドットコムニュース https://www.bengo4.com/c_18/n_13286/

ーー以下、記事より転記ーー

区側は「中学校に入ることは何ら差し支えないこと、生徒指導根拠教育上の生徒指導生活指導の一環であることなどを繰り返し回答した」などと反論している。

また、「自発的謝罪の意を示すことができるまでは原告所属教室で授業を受けることを認めない方針としていたのであり、教室への入室を一切認めなかったものではない」としている。

そのうえで、教育を受ける権利侵害しておらず、今回の生徒指導は「趣旨目的に比して原告に過大な制約が課されていたことはない」として、適法だったとしている。

裁判所は一度、和解提案したが、誠一郎さん側は拒否した。

和解案で、学校教育委員会が謝罪する場を設けるという話がでました。そもそも謝罪とは何か。息子の1年間は何だったのでしょうか。中学校の思い出の三分の一は校門の前ですよ」(誠一郎さんの父)

誠一郎さんも判決での決着を望んでいる。

自分が手を出したのは悪かったけど、それ以外のことは悪いことをしていないと思っています裁判で、学校が悪かったと判断してもらいたいです」(誠一郎さん)

ーー以上、記事より転記ーー

2021-04-11

風野又三郎

宮沢賢治


   九月一日

 どっどどどどうど どどうど どどう、

 ああまいざくろも吹きとばせ

 すっぱいざくろもふきとばせ

 どっどどどどうど どどうど どどう

 谷川の岸に小さな四角な学校がありました。

 学校といっても入口とあとはガラス窓の三つついた教室ひとつあるきりでほかには溜たまり教員室もなく運動場はテニスコートのくらいでした。

 先生はたった一人で、五つの級を教えるのでした。それはみんなでちょうど二十人になるのです。三年生はひとりもありません。

 さわやかな九月一日の朝でした。青ぞらで風がどうと鳴り、日光運動場いっぱいでした。黒い雪袴ゆきばかまをはいた二人の一年の子がどてをまわって運動場にはいって来て、まだほかに誰たれも来ていないのを見て

「ほう、おら一等だぞ。一等だぞ。」とかわるがわる叫さけびながら大悦おおよろこびで門をはいって来たのでしたが、ちょっと教室の中を見ますと、二人ともまるでびっくりして棒立ちになり、それから顔を見合せてぶるぶるふるえました。がひとりはとうとう泣き出してしまいました。というわけはそのしんとした朝の教室なかにどこから来たのか、まるで顔も知らないおかしな赤い髪かみの子供がひとり一番前の机にちゃんと座すわっていたのです。そしてその机といったらまったくこの泣いた子の自分の机だったのです。もひとりの子ももう半分泣きかけていましたが、それでもむりやり眼めをりんと張ってそっちの方をにらめていましたら、ちょうどそのとき川上から

ちゃうはあぶどり、ちゃうはあぶどり」と高く叫ぶ声がしてそれからいなずまのように嘉助かすけがかばんをかかえてわらって運動場へかけて来ました。と思ったらすぐそのあとから太郎だの耕助だのどやどややってきました。

「なして泣いでら、うなかもたのが。」嘉助が泣かないこどもの肩かたをつかまえて云いいました。するとその子もわあと泣いてしまいました。おかしいとおもってみんながあたりを見ると、教室の中にあの赤毛おかしな子がすましてしゃんとすわっているのが目につきました。みんなはしんとなってしまいました。だんだんみんな女の子たちも集って来ましたが誰も何とも云えませんでした。赤毛の子どもは一向こわがる風もなくやっぱりじっと座っています。すると六年生の一郎が来ました。一郎はまるで坑夫こうふのようにゆっくり大股おおまたにやってきて、みんなを見て「何なした」とききました。みんなははじめてがやがや声をたててその教室の中の変な子を指しました。一郎はしばらくそっちを見ていましたがやがて鞄かばんをしっかりかかえてさっさと窓の下へ行きました。みんなもすっかり元気になってついて行きました。

「誰たれだ、時間にならなぃに教室はいってるのは。」一郎は窓へはいのぼって教室の中へ顔をつき出して云いました。

先生にうんと叱しからえるぞ。」窓の下の耕助が云いました。

「叱らえでもおら知らなぃよ。」嘉助が云いました。

「早ぐ出はって来、出はって来。」一郎が云いました。けれどもそのこどもはきょろきょろ室へやの中やみんなの方を見るばかりでやっぱりちゃんとひざに手をおいて腰掛こしかけに座っていました。

 ぜんたいその形からが実におかしいのでした。変てこな鼠ねずみいろのマントを着て水晶すいしょうかガラスか、とにかくきれいなすきとおった沓くつをはいていました。それに顔と云ったら、まるで熟した苹果りんごのよう殊ことに眼はまん円でまっくろなのでした。一向語ことばが通じないようなので一郎も全く困ってしまいました。

外国人だな。」「学校さ入るのだな。」みんなはがやがやがやがや云いました。ところが五年生の嘉助がいきなり

「ああ、三年生さ入るのだ。」と叫びましたので

「ああ、そうだ。」と小さいこどもらは思いましたが一郎はだまってくびをまげました。

 変なこどもはやはりきょろきょろこっちを見るだけきちんと腰掛けています。ところがおかしいことは、先生がいつものキラキラ光る呼子笛ぶえを持っていきなり出入口から出て来られたのです。そしてわらって

「みなさんお早う。どなたも元気ですね。」と云いながら笛を口にあててピル※(小書き片仮名ル、1-6-92)と吹ふきました。そこでみんなはきちんと運動場に整列しました。

「気を付けっ」

 みんな気を付けをしました。けれども誰の眼もみんな教室の中の変な子に向いていました。先生も何があるのかと思ったらしく、ちょっとしろを振ふり向いて見ましたが、なあになんでもないという風でまたこっちを向いて

「右ぃおいっ」と号令をかけました。ところがおかし子どもはやっぱりちゃんとこしかけたままきろきろこっちを見ています。みんなはそれから番号をかけて右向けをして順に入口からはいりましたが、その間中も変な子供は少し額に皺しわを寄せて〔以下原稿数枚なし〕

と一郎が一番うしろからまりさわぐものを一人ずつ叱りました。みんなはしんとなりました。

「みなさん休み面白おもしろかったね。朝から水泳ぎもできたし林の中で鷹たかにも負けないくらい高く叫んだりまた兄さんの草刈くさかりについて行ったりした。それはほんとうにいいことです。けれどもも休みは終りました。これからは秋です。むかしから秋は一番勉強のできる時だといってあるのです。ですから、みなさんも今日から又またしっかり勉強しましょう。みなさんは休み中でいちばん面白かったことは何ですか。」

先生。」と四年生の悦治が手をあげました。

はい。」

先生さっきたの人あ何だったべす。」

 先生はしばらくおかしな顔をして

「さっきの人……」

「さっきたの髪の赤いわらすだんす。」みんなもどっと叫びました。

先生髪のまっ赤なおかしなやづだったんす。」

マント着てたで。」

「笛鳴らなぃに教室はいってたぞ。」

 先生は困って

「一人ずつ云うのです。髪の赤い人がここに居たのですか。」

「そうです、先生。」〔以下原稿数枚なし〕

の山にのぼってよくそこらを見ておいでなさい。それからあしたは道具をもってくるのです。それではここまで。」と先生は云いました。みんなもうあの山の上ばかり見ていたのです。

「気を付けっ。」一郎が叫びました。「礼っ。」みんなおじぎをするや否いなやまるで風のように教室を出ました。それからがやがやその草山へ走ったのです。女の子たちもこっそりついて行きました。けれどもみんなは山にのぼるとがっかりしてしまいました。みんながやっとその栗くりの木の下まで行ったときはその変な子はもう見えませんでした。そこには十本ばかりのたけにぐさが先生の云ったとおり風にひるがえっているだけだったのです。けれども小さい方のこどもらはもうあんまりその変な子のことばかり考えていたもんですからうそろそろ厭あきていました。

 そしてみんなはわかれてうちへ帰りましたが一郎や嘉助は仲々それを忘れてしまうことはできませんでした。

   九月二日

 次の日もよく晴れて谷川の波はちらちらひかり

2021-04-05

高校車椅子生徒の補助係をしていた話

JR車椅子乗車拒否記事を見て、内容的にはあまり関係ないが思うことがあった。

私が入学した高校の1年生のクラス、出席番号後ろの子車椅子ユーザーだった。先生からはその子身体障害についての説明と、高校生活での関わり方をクラス全員に話された。

の子にはヘルパーさんが付いており着替えやトイレの補助はヘルパーさんがしてくれる。だか常にヘルパーさんがいる訳ではなく、移動教室などは生徒が手伝う必要があった。

入学して1週間後、クラス内のグループもある程度できた頃、先生に移動教室の補助を手伝うよう言われた。出席番号が前後で授業で関わることも多かったからだろう。グループ友達2人も着いてきてくれて、4人で話しながら移動教室へと向かった。

それから自然ヘルパーさんのいない時の手伝い=私となった。最初のうちは嫌でもなく、むしろ他の生徒とは違う選ばれた私、のように愚かに優越感を抱いたりしていた。しかし、それも1ヶ月、2ヶ月、半年と続いていくと次第に疲れというか面倒くささが湧いてくるようになった。初めは一緒に居てくれた友達も、「先行っとくね」と言うようになった。移動教室にはエレベーターを使うのだが、東棟の奥にしかないため移動に時間がかかるのだ。予習や課題を授業前に慌ててするタイプ友達にとっては煩わしい時間だっただろう。もちろん私だってそういった時間が欲しかったが、他の子に頼もうにも厄介者押し付けるようで気まずかった。その子は私以外にあまり話す人がいなかったのも一因ではあるが。

担任との面談の機会も何回かあったが、その子の補助係については何も触れられなかった。大変だね、ともいつもありがとう、とも。逆にそう言う事でその子差別している事になると思ったのだろうか。そういえば担任は、健常者が障害者を補うことが当たり前になって欲しいと入学当初語っていた。私がその子の補助をすることを、喜んでまでとはいかないが、まさか嫌がっては無いだろうと思っていたのだろう。面談で補助係嫌です。疲れました。と言えたらよかった。言えなかった。言ったら差別になるから?不親切不道徳?わからないけど、他者から評価は悪くなるだろうという事は悪い頭なりに理解していた。別の日に、周りの子に手伝い大変だね、と言われたことがあった。そこでもそうなの!本当はやりたくないのに押し付けられてるの!と言ってはいけないこともわかっていた。愚痴る事すら憚られた。相手社会的弱者でこっちは強者から

私の高校は3年間クラス替えが無かったので、結局私の補助係は3年続いた。

文化祭で、3年生は体育館で出し物をするという伝統があった。私たちクラスダンスがしたいという話になった。しかし、出し物は全員参加のため、ダンスだと車椅子の子が参加出来ないという事で却下され、結局舞台劇をする事になった。

これには本人も申し訳なさそうにしていた。決してその子存在が悪いんじゃない。けれど、結果としてその子クラス足枷になってしまった。

だって移動教室の前に購買に駆け込んでパンを買いたかった。友達とだらだら話しながら歩きたかった。小テスト勉強をしたかった。高校のこともその子のことも嫌いではないが、どうしても私は3年間"貧乏くじ"を引かされたような気がしてならない。きっとその"貧乏くじ"を引くのは誰でもよかった。健常者なら。それが今の社会である

最近社会が"差別"に非常に敏感になっていると感じる。障害差別性差別人種差別etc 弱者側に目を向けるのはいい事だと思う。差別を無くそうとするのも。けれど、その差別に敏感になるあまり、"強者側"の権利が虐げられるのはどうなんだろうか。

(自分の書いた文を読んで思ったが、1番差別に囚われてたのは私かもしれない。思い切って補助係を断ってもよかったのかも。てへ)

追記 4/6

沢山の反応があってびっくりしてます。私は障害者の否定差別がしたいわけじゃないです。ただ高校でこの様な経験があって、障害者の存在を疎ましく感じてしまたことも事実で、これ以上このような出来事が増えないといいなと思っています綺麗事じゃない、経験した人にしかからないことを伝えたくて書きました。今思うと高校かなりクソだな。学校のあり方社会のあり方個々人の意識を変えてかなくちゃならないよね〜〜

一つ訂正すると、その子は一応自分でも車椅子は漕げました。けど万一こけた時とかの為に誰かが傍にいる必要があったんです。坂道や段差もあるし。実際その子が漕ぐのと私が押すのは半々くらいだったかな、これについては私の書き方が悪かったです。その子が漕いでる時は周りからしたらよくある友達同士の移動中の風景に見えたかもね。。。

2021-03-22

又三郎

風の又三郎

宮沢賢治


どっどど どどうど どどうど どどう

青いくるみも吹きとばせ

すっぱいかりんも吹きとばせ

どっどど どどうど どどうど どどう

 谷川の岸に小さな学校がありました。

 教室はたった一つでしたが生徒は三年生がないだけで、あとは一年から六年までみんなありました。運動場もテニスコートのくらいでしたが、すぐうしろは栗くりの木のあるきれいな草の山でしたし、運動場のすみにはごぼごぼつめたい水を噴ふく岩穴もあったのです。

 さわやかな九月一日の朝でした。青ぞらで風がどうと鳴り、日光運動場いっぱいでした。黒い雪袴ゆきばかまをはいた二人の一年の子がどてをまわって運動場にはいって来て、まだほかにだれも来ていないのを見て、「ほう、おら一等だぞ。一等だぞ。」とかわるがわる叫びながら大よろこびで門をはいって来たのでしたが、ちょっと教室の中を見ますと、二人ふたりともまるでびっくりして棒立ちになり、それから顔を見合わせてぶるぶるふるえましたが、ひとりはとうとう泣き出してしまいました。というわけは、そのしんとした朝の教室なかにどこから来たのか、まるで顔も知らないおかしな赤い髪の子供がひとり、いちばん前の机にちゃんとすわっていたのです。そしてその机といったらまったくこの泣いた子の自分の机だったのです。

 もひとりの子ももう半分泣きかけていましたが、それでもむりやり目をりんと張って、そっちのほうをにらめていましたら、ちょうどそのとき川上から

「ちょうはあ かぐり ちょうはあ かぐり。」と高く叫ぶ声がして、それからまるで大きなからすのように、嘉助かすけがかばんをかかえてわらって運動場へかけて来ました。と思ったらすぐそのあとから太郎さたろうだの耕助こうすけだのどやどややってきました。

「なして泣いでら、うなかもたのが。」嘉助が泣かないこどもの肩をつかまえて言いました。するとその子もわあと泣いてしまいました。おかしいとおもってみんながあたりを見ると、教室の中にあの赤毛おかしな子がすまして、しゃんとすわっているのが目につきました。

 みんなはしんとなってしまいました。だんだんみんな女の子たちも集まって来ましたが、だれもなんとも言えませんでした。

 赤毛の子どもはいっこうこわがるふうもなくやっぱりちゃんとすわって、じっと黒板を見ています。すると六年生の一郎いちろうが来ました。一郎はまるでおとなのようにゆっくり大またにやってきて、みんなを見て、

「何なにした。」とききました。

 みんなははじめてがやがや声をたててその教室の中の変な子を指さしました。一郎はしばらくそっちを見ていましたが、やがて鞄かばんをしっかりかかえて、さっさと窓の下へ行きました。

 みんなもすっかり元気になってついて行きました。

「だれだ、時間にならないに教室はいってるのは。」一郎は窓へはいのぼって教室の中へ顔をつき出して言いました。

「お天気のいい時教室はいってるづど先生にうんとしからえるぞ。」窓の下の耕助が言いました。

しからえでもおら知らないよ。」嘉助が言いました。

「早ぐ出はって来こ、出はって来。」一郎が言いました。けれどもそのこどもはきょろきょろ室へやの中やみんなのほうを見るばかりで、やっぱりちゃんとひざに手をおいて腰掛けにすわっていました。

 ぜんたいその形からが実におかしいのでした。変てこなねずみいろのだぶだぶの上着を着て、白い半ずぼんをはいて、それに赤い革かわの半靴はんぐつをはいていたのです。

 それに顔といったらまるで熟したりんごのよう、ことに目はまん丸でまっくろなのでした。いっこう言葉が通じないようなので一郎も全く困ってしまいました。

あいづは外国人だな。」

学校はいるのだな。」みんなはがやがやがやがや言いました。ところが五年生の嘉助がいきなり、

「ああ三年生さはいるのだ。」と叫びましたので、

「ああそうだ。」と小さいこどもらは思いましたが、一郎はだまってくびをまげました。

 変なこどもはやはりきょろきょろこっちを見るだけ、きちんと腰掛けています

 そのとき風がどうと吹いて来て教室ガラス戸はみんながたがた鳴り、学校のうしろの山の萱かやや栗くりの木はみんな変に青じろくなってゆれ、教室のなかのこどもはなんだかにやっとわらってすこしうごいたようでした。

 すると嘉助がすぐ叫びました。

「ああわかった。あいつは風の又三郎またさぶろうだぞ。」

 そうだっとみんなもおもったときにわかにうしろのほうで五郎が、

「わあ、痛いぢゃあ。」と叫びました。

 みんなそっちへ振り向きますと、五郎が耕助に足のゆびをふまれて、まるでおこって耕助をなぐりつけていたのです。すると耕助もおこって、

「わあ、われ悪くてでひと撲はだいだなあ。」と言ってまた五郎をなぐろうとしました。

 五郎はまるで顔じゅう涙だらけにして耕助に組み付こうとしました。そこで一郎が間へはいって嘉助が耕助を押えてしまいました。

「わあい、けんかするなったら、先生ちゃん職員室に来てらぞ。」と一郎が言いながらまた教室のほうを見ましたら、一郎はにわかにまるでぽかんとしてしまいました。

 たったいままで教室にいたあの変な子が影もかたちもないのです。みんなもまるでせっかく友だちになった子うまが遠くへやられたよう、せっかく捕とった山雀やまがらに逃げられたように思いました。

 風がまたどうと吹いて来て窓ガラスをがたがた言わせ、うしろの山の萱かやをだんだん上流のほうへ青じろく波だてて行きました。

「わあ、うなだけんかしたんだがら又三郎いなぐなったな。」嘉助がおこって言いました。

 みんなもほんとうにそう思いました。五郎はじつに申しわけないと思って、足の痛いのも忘れてしょんぼり肩をすぼめて立ったのです。

「やっぱりあいつは風の又三郎だったな。」

二百十日で来たのだな。」

「靴くつはいでだたぞ。」

「服も着でだたぞ。」

「髪赤くておかしやづだったな。」

「ありゃありゃ、又三郎おれの机の上さ石かけ乗せでったぞ。」二年生の子が言いました。見るとその子の机の上にはきたない石かけが乗っていたのです。

「そうだ、ありゃ。あそごのガラスもぶっかしたぞ。」

「そだないでああいづあ休み前に嘉助石ぶっつけだのだな。」

「わあい。そだないであ。」と言っていたとき、これはまたなんというわけでしょう。先生玄関から出て来たのです。先生はぴかぴか光る呼び子を右手にもって、もう集まれのしたくをしているのでしたが、そのすぐうしろから、さっきの赤い髪の子が、まるで権現ごんげんさまの尾おっぱ持ちのようにすまし込んで、白いシャッポかぶって、先生についてすぱすぱとあるいて来たのです。

 みんなはしいんとなってしまいました。やっと一郎が「先生お早うございます。」と言いましたのでみんなもついて、

先生お早うございます。」と言っただけでした。

「みなさん。お早う。どなたも元気ですね。では並んで。」先生は呼び子をビルルと吹きました。それはすぐ谷の向こうの山へひびいてまたビルルルと低く戻もどってきました。

 すっかりやすみの前のとおりだとみんなが思いながら六年生は一人、五年生は七人、四年生は六人、一二年生は十二人、組ごとに一列に縦にならびました。

 二年は八人、一年生は四人前へならえをしてならんだのです。

 するとその間あのおかしな子は、何かおかしいのかおもしろいのか奥歯で横っちょに舌をかむようにして、じろじろみんなを見ながら先生のうしろに立っていたのです。すると先生は、高田たかださんこっちへおはいりなさいと言いながら五年生の列のところへ連れて行って、丈たけを嘉助とくらべてから嘉助とそのうしろのきよの間へ立たせました。

 みんなはふりかえってじっとそれを見ていました。

 先生はまた玄関の前に戻って、

「前へならえ。」と号令をかけました。

 みんなはもう一ぺん前へならえをしてすっかり列をつくりましたが、じつはあの変な子がどういうふうにしているのか見たくて、かわるがわるそっちをふりむいたり横目でにらんだりしたのでした。するとその子ちゃんと前へならえでもなんでも知ってるらしく平気で両腕を前へ出して、指さきを嘉助のせなかへやっと届くくらいにしていたものですから、嘉助はなんだかせなかがかゆく、くすぐったいというふうにもじもじしていました。

「直れ。」先生がまた号令をかけました。

一年から順に前へおい。」そこで一年生はあるき出し、まもなく二年生もあるき出してみんなの前をぐるっと通って、右手下駄箱げたばこのある入り口はいって行きました。四年生があるき出すとさっきの子も嘉助のあとへついて大威張りであるいて行きました。前へ行った子もときどきふりかえって見、あとの者もじっと見ていたのです。

 まもなくみんなははきもの下駄箱げたばこに入れて教室はいって、ちょうど外へならんだときのように組ごとに一列に机にすわりました。さっきの子もすまし込んで嘉助のうしろにすわりました。ところがもう大さわぎです。

「わあ、おらの机さ石かけはいってるぞ。」

「わあ、おらの机代わってるぞ。」

「キッコ、キッコ、うな通信簿持って来たが。おら忘れで来たぢゃあ。」

「わあい、さの、木ペン借せ、木ペン借せったら。」

「わあがない。ひとの雑記帳とってって。」

 そのとき先生はいって来ましたのでみんなもさわぎながらとにかく立ちあがり、一郎がいちばんしろで、

「礼。」と言いました。

 みんなはおじぎをする間はちょっとしんとなりましたが、それからまたがやがやがやがや言いました。

「しずかに、みなさん。しずかにするのです。」先生が言いました。

「しっ、悦治えつじ、やがましったら、嘉助え、喜きっこう。わあい。」と一郎がいちばんしろからまりさわぐものを一人ずつしかりました。

 みんなはしんとなりました。

 先生が言いました。

「みなさん、長い夏のお休みおもしろかったですね。みなさんは朝から水泳ぎもできたし、林の中で鷹たかにも負けないくらい高く叫んだり、またにいさんの草刈りについて上うえの野原へ行ったりしたでしょう。けれどももうきのうで休みは終わりました。これからは第二学期で秋です。むかしから秋はいちばんからだもこころもひきしまって、勉強のできる時だといってあるのです。ですから、みなさんもきょうからまたいっしょにしっかり勉強しましょう。それからこのお休みの間にみなさんのお友だちが一人ふえました。それはそこにいる高田さんです。そのかたのおとうさんはこんど会社のご用で上の野原の入り口へおいでになっていられるのです。高田さんはいままでは北海道学校におられたのですが、きょうからみなさんのお友だちになるのですから、みなさんは学校勉強ときも、また栗拾くりひろいや魚さかなとりに行くときも、高田さんをさそうようにしなければなりません。わかりましたか。わかった人は手をあげてごらんなさい。」

 すぐみんなは手をあげました。その高田とよばれた子も勢いよく手をあげましたので、ちょっと先生はわらいましたが、すぐ、

「わかりましたね、ではよし。」と言いましたので、みんなは火の消えたように一ぺんに手をおろしました。

 ところが嘉助がすぐ、

先生。」といってまた手をあげました。

はい。」先生は嘉助を指さしました。

高田さん名はなんて言うべな。」

高田三郎さぶろうさんです。」

「わあ、うまい、そりゃ、やっぱり又三郎だな。」嘉助はまるで手をたたいて机の中で踊るようにしましたので、大きなほうの子どもらはどっと笑いましたが、下の子どもらは何かこわいというふうにしいんとして三郎のほうを見ていたのです。

 先生はまた言いました。

「きょうはみなさんは通信簿宿題をもってくるのでしたね。持って来た人は机の上へ出してください。私がいま集めに行きますから。」

 みんなはばたばた鞄かばんをあけたりふろしきをといたりして、通信簿宿題を机の上に出しました。そして先生一年生のほうから順にそれを集めはじめました。そのときみんなはぎょっとしました。というわけはみんなのうしろのところにいつか一人の大人おとなが立っていたのです。その人は白いだぶだぶの麻服を着て黒いてかてかしたはんけちをネクタイの代わりに首に巻いて、手には白い扇をもって軽くじぶんの顔を扇あおぎながら少し笑ってみんなを見おろしていたのです。さあみんなはだんだんしいんとなって、まるで堅くなってしまいました。

 ところが先生別にその人を気にかけるふうもなく、順々に通信簿を集めて三郎の席まで行きますと、三郎は通信簿宿題帳もないかわりに両手をにぎりこぶしにして二つ机の上にのせていたのです。先生はだまってそこを通りすぎ、みんなのを集めてしまうとそれを両手でそろえながらまた教壇に戻りました。

「では宿題帳はこの次の土曜日に直して渡しまから、きょう持って来なかった人は、あしたきっと忘れないで持って来てください。それは悦治さんと勇治ゆうじさんと良作りょうさくさんとですね。ではきょうはここまでです。あしたかちゃんといつものとおりのしたくをしておいでなさい。それから四年生と六年生の人は、先生といっしょに教室のお掃除そうじをしましょう。ではここまで。」

 一郎が気をつけ、と言いみんなは一ぺんに立ちました。うしろ大人おとなも扇を下にさげて立ちました。

「礼。」先生もみんなも礼をしました。うしろ大人も軽く頭を下げました。それからずうっと下の組の子どもらは一目散に教室を飛び出しましたが、四年生の子どもらはまだもじもじしていました。

 すると三郎はさっきのだぶだぶの白い服の人のところへ行きました。先生も教壇をおりてその人のところへ行きました。

「いやどうもご苦労さまでございます。」その大人はていねいに先生に礼をしました。

「じきみんなとお友だちになりますから。」先生も礼を返しながら言いました。

「何ぶんどうかよろしくねがいいたします。それでは。」その人はまたていねいに礼をして目で三郎に合図すると、自分玄関のほうへまわって外へ出て待っていますと、三郎はみんなの見ている中を目をりんとはってだまって昇降口から出て行って追いつき、二人は運動場を通って川下のほうへ歩いて行きました。

 運動場を出るときの子はこっちをふりむいて、じっと学校やみんなのほうをにらむようにすると、またすたすた白服の大人おとなについて歩いて行きました。

先生、あの人は高田さんのとうさんですか。」一郎が箒ほうきをもちながら先生にききました。

「そうです。」

「なんの用で来たべ。」

「上の野原の入り口モリブデンという鉱石ができるので、それをだんだん掘るようにするためだそうです。」

「どこらあだりだべな。」

「私もまだよくわかりませんが、いつもみなさんが馬をつれて行くみちから、少し川下へ寄ったほうなようです。」

モリブデン何にするべな。」

「それは鉄とまぜたり、薬をつくったりするのだそうです。」

「そだら又三郎も掘るべが。」嘉助が言いました。

又三郎だない。高田三郎だぢゃ。」佐太郎が言いました。

又三郎又三郎だ。」嘉助が顔をまっ赤かにしてがん張りました。

「嘉助、うなも残ってらば掃除そうじしてすけろ。」一郎が言いました。

「わあい。やんたぢゃ。きょう四年生ど六年生だな。」

 嘉助は大急ぎで教室をはねだして逃げてしまいました。

 風がまた吹いて来て窓ガラスはまたがたがた鳴り、ぞうきんを入れたバケツにも小さな黒い波をたてました。

 次の日一郎はあのおかし子供が、きょうからほんとうに学校へ来て本を読んだりするかどうか早く見たいような気がして、いつもより早く嘉助をさそいました。ところが嘉助のほうは一郎よりもっとそう考えていたと見えて、とうにごはんもたべ、ふろしきに包んだ本ももって家の前へ出て一郎を待っていたのでした。二人は途中もいろいろその子のことを話しながら学校へ来ました。すると運動場には小さな子供らがもう七八人集まっていて、棒かくしをしていましたが、その子はまだ来ていませんでした。またきのうのように教室の中にいるのかと思って中をのぞいて見ましたが、教室の中はしいんとしてだれもいず、黒板の上にはきのう掃除ときぞうきんでふいた跡がかわいてぼんやり白い縞しまになっていました。

「きのうのやつまだ来てないな。」一郎が言いました。

「うん。」嘉助も言ってそこらを見まわしました。

 一郎はそこで鉄棒の下へ行って、じゃみ上がりというやり方で、無理やりに鉄棒の上にのぼり両腕をだんだん寄せて右の腕木に行くと、そこへ腰掛けてきのう三郎の行ったほうをじっと見おろして待っていました。谷川はそっちのほうへきらきら光ってながれて行き、その下の山の上のほうでは風も吹いているらしく、ときどき萱かやが白く波立っていました。

 嘉助もやっぱりその柱の下でじっとそっちを見て待っていました。ところが二人はそんなに長く待つこともありませんでした。それは突然三郎がその下手のみちから灰いろの鞄かばんを右手にかかえて走るようにして出て来たのです。

「来たぞ。」と一郎が思わず下にいる嘉助へ叫ぼうとしていますと、早くも三郎はどてをぐるっとまわって、どんどん正門をはいって来ると、

お早う。」とはっきり言いました。みんなはいっしょにそっちをふり向きましたが、一人も返事をしたものがありませんでした。

 それは返事をしないのではなくて、みんなは先生はいつでも「お早うございます。」というように習っていたのですが、お互いに「お早う。」なんて言ったことがなかったのに三郎にそう言われても、一郎や嘉助はあんまりにわかで、また勢いがいいのでとうとう臆おくしてしまって一郎も嘉助も口の中でお早うというかわりに、もにゃもにゃっと言ってしまったのでした。

 ところが三郎のほうはべつだんそれを苦にするふうもなく、二三歩また前へ進むとじっと立って、そのまっ黒な目でぐるっと運動場じゅうを見まわしました。そしてしばらくだれか遊ぶ相手がないかさがしているようでした。けれどもみんなきょろきょろ三郎のほうはみていても、やはり忙しそうに棒かくしをしたり三郎のほうへ行くものがありませんでした。三郎はちょっと具合が悪いようにそこにつっ立っていましたが、また運動場をもう一度見まわしました。

 それからぜんたいこの運動場は何間なんげんあるかというように、正門から玄関まで大またに歩数を数えながら歩きはじめました。一郎は急いで鉄棒をはねおりて嘉助とならんで、息をこらしてそれを見ていました。

 そのうち三郎は向こうの玄関の前まで行ってしまうと、こっちへ向いてしばらく暗算をするように少し首をまげて立っていました。

 みんなはやはりきろきろそっちを見ています。三郎は少し困ったように両手をうしろへ組むと向こう側の土手のほうへ職員室の前を通って歩きだしました。

 その時風がざあっと吹いて来て土手の草はざわざわ波になり、運動場のまん中でさあっと塵ちりがあがり、それが玄関の前まで行くと、きりきりとまわって小さなつむじ風になって、黄いろな塵は瓶びんをさかさまにしたような形になって屋根より高くのぼりました。

 すると嘉助が突然高く言いました。

「そうだ。やっぱりあい又三郎だぞ。あいづ何かするときっと風吹いてくるぞ。」

「うん。」一郎はどうだかわからないと思いながらもだまってそっちを見ていました。三郎はそんなことにはかまわず土手のほうへやはりすたすた歩いて行きます

 そのとき先生がいつものように呼び子をもって玄関を出て来たのです。

お早うございます。」小さな子どもらはみんな集まりました。

お早う。」先生はちらっと運動場を見まわしてから、「ではならんで。」と言いながらビルルッと笛を吹きました。

 みんなは集まってきてきのうのとおりきちんとならびました。三郎もきのう言われた所へちゃんと立っています

 先生はお日さまがまっ正面なのですこしまぶしそうにしながら号令をだんだんかけて、とうとうみんなは昇降口から教室はいりました。そして礼がすむと先生は、

「ではみなさんきょうから勉強をはじめましょう。みなさんはちゃんとお道具をもってきましたね。では一年生(と二年生)の人はお習字のお手本と硯すずりと紙を出して、二年生と四年生の人は算術帳と雑記帳と鉛筆を出して、五年生と六年生の人は国語の本を出してください。」

 さあするとあっちでもこっちでも大さわぎがはじまりました。中にも三郎のすぐ横の四年生の机の佐太郎が、いきなり手をのばして二年生のかよの鉛筆ひらりととってしまったのです。かよは佐太郎の妹でした。するとかよは、

「うわあ、兄あいな、木ペン取とてわかんないな。」と言いながら取り返そうとしますと佐太郎が、

「わあ、こいつおれのだなあ。」と言いながら鉛筆をふところの中へ入れて、あとはシナ人がおじぎするときのように両手を袖そでへ入れて、机へぴったり胸をくっつけました。するとかよは立って来て、

「兄あいな、兄なの木ペンはきのう小屋でなくしてしまったけなあ。よこせったら。」と言いながら一生けん命とり返そうとしましたが、どうしてももう佐太郎は机にくっついた大きな蟹かに化石みたいになっているので、とうとうかよは立ったまま口を大きくまげて泣きだしそうになりました。

 すると三郎は国語の本をちゃんと机にのせて困ったようにしてこれを見ていましたが、かよがとうとうぼろぼろ涙をこぼしたのを見ると、だまって右手に持っていた半分ばかりになった鉛筆を佐太郎の目の前の机に置きました。

 すると佐太郎はにわかに元気になって、むっくり起き上がりました。そして、

「くれる?」と三郎にききました。三郎はちょっとまごついたようでしたが覚悟したように、「うん。」と言いました。すると佐太郎はいきなりわらい出してふところの鉛筆をかよの小さな赤い手に持たせました。

 先生は向こうで一年の子の硯すずりに水をついでやったりしていましたし、嘉助は三郎の前ですから知りませんでしたが、一郎はこれをいちばんしろちゃんと見ていました。そしてまるでなんと言ったらいいかからない、変な気持ちがして歯をきりきり言わせました。

「では二年生のひとはお休みの前にならった引き算をもう一ぺん習ってみましょう。これを勘定してごらんなさい。」先生は黒板に25-12=の数式と書きました。二年生のこどもらはみんな一生

風の

どっどど どどうど どどうど どどう

青いくるみも吹きとばせ

すっぱいかりんも吹きとばせ

どっどど どどうど どどうど どどう

 谷川の岸に小さな学校がありました。

 教室はたった一つでしたが生徒は三年生がないだけで、あとは一年から六年までみんなありました。運動場もテニスコートのくらいでしたが、すぐうしろは栗くりの木のあるきれいな草の山でしたし、運動場のすみにはごぼごぼつめたい水を噴ふく岩穴もあったのです。

 さわやかな九月一日の朝でした。青ぞらで風がどうと鳴り、日光運動場いっぱいでした。黒い雪袴ゆきばかまをはいた二人の一年の子がどてをまわって運動場にはいって来て、まだほかにだれも来ていないのを見て、「ほう、おら一等だぞ。一等だぞ。」とかわるがわる叫びながら大よろこびで門をはいって来たのでしたが、ちょっと教室の中を見ますと、二人ふたりともまるでびっくりして棒立ちになり、それから顔を見合わせてぶるぶるふるえましたが、ひとりはとうとう泣き出してしまいました。というわけは、そのしんとした朝の教室なかにどこから来たのか、まるで顔も知らないおかしな赤い髪の子供がひとり、いちばん前の机にちゃんとすわっていたのです。そしてその机といったらまったくこの泣いた子の自分の机だったのです。

 もひとりの子ももう半分泣きかけていましたが、それでもむりやり目をりんと張って、そっちのほうをにらめていましたら、ちょうどそのとき川上から

「ちょうはあ かぐり ちょうはあ かぐり。」と高く叫ぶ声がして、それからまるで大きなからすのように、嘉助かすけがかばんをかかえてわらって運動場へかけて来ました。と思ったらすぐそのあとから太郎さたろうだの耕助こうすけだのどやどややってきました。

「なして泣いでら、うなかもたのが。」嘉助が泣かないこどもの肩をつかまえて言いました。するとその子もわあと泣いてしまいました。おかしいとおもってみんながあたりを見ると、教室の中にあの赤毛おかしな子がすまして、しゃんとすわっているのが目につきました。

 みんなはしんとなってしまいました。だんだんみんな女の子たちも集まって来ましたが、だれもなんとも言えませんでした。

 赤毛の子どもはいっこうこわがるふうもなくやっぱりちゃんとすわって、じっと黒板を見ています。すると六年生の一郎いちろうが来ました。一郎はまるでおとなのようにゆっくり大またにやってきて、みんなを見て、

「何なにした。」とききました。

 みんなははじめてがやがや声をたててその教室の中の変な子を指さしました。一郎はしばらくそっちを見ていましたが、やがて鞄かばんをしっかりかかえて、さっさと窓の下へ行きました。

 みんなもすっかり元気になってついて行きました。

「だれだ、時間にならないに教室はいってるのは。」一郎は窓へはいのぼって教室の中へ顔をつき出して言いました。

「お天気のいい時教室はいってるづど先生にうんとしからえるぞ。」窓の下の耕助が言いました。

しからえでもおら知らないよ。」嘉助が言いました。

「早ぐ出はって来こ、出はって来。」一郎が言いました。けれどもそのこどもはきょろきょろ室へやの中やみんなのほうを見るばかりで、やっぱりちゃんとひざに手をおいて腰掛けにすわっていました。

 ぜんたいその形からが実におかしいのでした。変てこなねずみいろのだぶだぶの上着を着て、白い半ずぼんをはいて、それに赤い革かわの半靴はんぐつをはいていたのです。

 それに顔といったらまるで熟したりんごのよう、ことに目はまん丸でまっくろなのでした。いっこう言葉が通じないようなので一郎も全く困ってしまいました。

あいづは外国人だな。」

学校はいるのだな。」みんなはがやがやがやがや言いました。ところが五年生の嘉助がいきなり、

「ああ三年生さはいるのだ。」と叫びましたので、

「ああそうだ。」と小さいこどもらは思いましたが、一郎はだまってくびをまげました。

 変なこどもはやはりきょろきょろこっちを見るだけ、きちんと腰掛けています

 そのとき風がどうと吹いて来て教室ガラス戸はみんながたがた鳴り、学校のうしろの山の萱かやや栗くりの木はみんな変に青じろくなってゆれ、教室のなかのこどもはなんだかにやっとわらってすこしうごいたようでした。

 すると嘉助がすぐ叫びました。

「ああわかった。あいつは風の又三郎またさぶろうだぞ。」

 そうだっとみんなもおもったときにわかにうしろのほうで五郎が、

「わあ、痛いぢゃあ。」と叫びました。

 みんなそっちへ振り向きますと、五郎が耕助に足のゆびをふまれて、まるでおこって耕助をなぐりつけていたのです。すると耕助もおこって、

「わあ、われ悪くてでひと撲はだいだなあ。」と言ってまた五郎をなぐろうとしました。

 五郎はまるで顔じゅう涙だらけにして耕助に組み付こうとしました。そこで一郎が間へはいって嘉助が耕助を押えてしまいました。

「わあい、けんかするなったら、先生ちゃん職員室に来てらぞ。」と一郎が言いながらまた教室のほうを見ましたら、一郎はにわかにまるでぽかんとしてしまいました。

 たったいままで教室にいたあの変な子が影もかたちもないのです。みんなもまるでせっかく友だちになった子うまが遠くへやられたよう、せっかく捕とった山雀やまがらに逃げられたように思いました。

 風がまたどうと吹いて来て窓ガラスをがたがた言わせ、うしろの山の萱かやをだんだん上流のほうへ青じろく波だてて行きました。

「わあ、うなだけんかしたんだがら又三郎いなぐなったな。」嘉助がおこって言いました。

 みんなもほんとうにそう思いました。五郎はじつに申しわけないと思って、足の痛いのも忘れてしょんぼり肩をすぼめて立ったのです。

「やっぱりあいつは風の又三郎だったな。」

二百十日で来たのだな。」

「靴くつはいでだたぞ。」

「服も着でだたぞ。」

「髪赤くておかしやづだったな。」

「ありゃありゃ、又三郎おれの机の上さ石かけ乗せでったぞ。」二年生の子が言いました。見るとその子の机の上にはきたない石かけが乗っていたのです。

「そうだ、ありゃ。あそごのガラスもぶっかしたぞ。」

「そだないでああいづあ休み前に嘉助石ぶっつけだのだな。」

「わあい。そだないであ。」と言っていたとき、これはまたなんというわけでしょう。先生玄関から出て来たのです。先生はぴかぴか光る呼び子を右手にもって、もう集まれのしたくをしているのでしたが、そのすぐうしろから、さっきの赤い髪の子が、まるで権現ごんげんさまの尾おっぱ持ちのようにすまし込んで、白いシャッポかぶって、先生についてすぱすぱとあるいて来たのです。

 みんなはしいんとなってしまいました。やっと一郎が「先生お早うございます。」と言いましたのでみんなもついて、

先生お早うございます。」と言っただけでした。

「みなさん。お早う。どなたも元気ですね。では並んで。」先生は呼び子をビルルと吹きました。それはすぐ谷の向こうの山へひびいてまたビルルルと低く戻もどってきました。

 すっかりやすみの前のとおりだとみんなが思いながら六年生は一人、五年生は七人、四年生は六人、一二年生は十二人、組ごとに一列に縦にならびました。

 二年は八人、一年生は四人前へならえをしてならんだのです。

 するとその間あのおかしな子は、何かおかしいのかおもしろいのか奥歯で横っちょに舌をかむようにして、じろじろみんなを見ながら先生のうしろに立っていたのです。すると先生は、高田たかださんこっちへおはいりなさいと言いながら五年生の列のところへ連れて行って、丈たけを嘉助とくらべてから嘉助とそのうしろのきよの間へ立たせました。

 みんなはふりかえってじっとそれを見ていました。

 先生はまた玄関の前に戻って、

「前へならえ。」と号令をかけました。

 みんなはもう一ぺん前へならえをしてすっかり列をつくりましたが、じつはあの変な子がどういうふうにしているのか見たくて、かわるがわるそっちをふりむいたり横目でにらんだりしたのでした。するとその子ちゃんと前へならえでもなんでも知ってるらしく平気で両腕を前へ出して、指さきを嘉助のせなかへやっと届くくらいにしていたものですから、嘉助はなんだかせなかがかゆく、くすぐったいというふうにもじもじしていました。

「直れ。」先生がまた号令をかけました。

一年から順に前へおい。」そこで一年生はあるき出し、まもなく二年生もあるき出してみんなの前をぐるっと通って、右手下駄箱げたばこのある入り口はいって行きました。四年生があるき出すとさっきの子も嘉助のあとへついて大威張りであるいて行きました。前へ行った子もときどきふりかえって見、あとの者もじっと見ていたのです。

 まもなくみんなははきもの下駄箱げたばこに入れて教室はいって、ちょうど外へならんだときのように組ごとに一列に机にすわりました。さっきの子もすまし込んで嘉助のうしろにすわりました。ところがもう大さわぎです。

「わあ、おらの机さ石かけはいってるぞ。」

「わあ、おらの机代わってるぞ。」

「キッコ、キッコ、うな通信簿持って来たが。おら忘れで来たぢゃあ。」

「わあい、さの、木ペン借せ、木ペン借せったら。」

「わあがない。ひとの雑記帳とってって。」

 そのとき先生はいって来ましたのでみんなもさわぎながらとにかく立ちあがり、一郎がいちばんしろで、

「礼。」と言いました。

 みんなはおじぎをする間はちょっとしんとなりましたが、それからまたがやがやがやがや言いました。

「しずかに、みなさん。しずかにするのです。」先生が言いました。

「しっ、悦治えつじ、やがましったら、嘉助え、喜きっこう。わあい。」と一郎がいちばんしろからまりさわぐものを一人ずつしかりました。

 みんなはしんとなりました。

 先生が言いました。

「みなさん、長い夏のお休みおもしろかったですね。みなさんは朝から水泳ぎもできたし、林の中で鷹たかにも負けないくらい高く叫んだり、またにいさんの草刈りについて上うえの野原へ行ったりしたでしょう。けれどももうきのうで休みは終わりました。これからは第二学期で秋です。むかしから秋はいちばんからだもこころもひきしまって、勉強のできる時だといってあるのです。ですから、みなさんもきょうからまたいっしょにしっかり勉強しましょう。それからこのお休みの間にみなさんのお友だちが一人ふえました。それはそこにいる高田さんです。そのかたのおとうさんはこんど会社のご用で上の野原の入り口へおいでになっていられるのです。高田さんはいままでは北海道学校におられたのですが、きょうからみなさんのお友だちになるのですから、みなさんは学校勉強ときも、また栗拾くりひろいや魚さかなとりに行くときも、高田さんをさそうようにしなければなりません。わかりましたか。わかった人は手をあげてごらんなさい。」

 すぐみんなは手をあげました。その高田とよばれた子も勢いよく手をあげましたので、ちょっと先生はわらいましたが、すぐ、

「わかりましたね、ではよし。」と言いましたので、みんなは火の消えたように一ぺんに手をおろしました。

 ところが嘉助がすぐ、

先生。」といってまた手をあげました。

はい。」先生は嘉助を指さしました。

高田さん名はなんて言うべな。」

高田三郎さぶろうさんです。」

「わあ、うまい、そりゃ、やっぱり又三郎だな。」嘉助はまるで手をたたいて机の中で踊るようにしましたので、大きなほうの子どもらはどっと笑いましたが、下の子どもらは何かこわいというふうにしいんとして三郎のほうを見ていたのです。

 先生はまた言いました。

「きょうはみなさんは通信簿宿題をもってくるのでしたね。持って来た人は机の上へ出してください。私がいま集めに行きますから。」

 みんなはばたばた鞄かばんをあけたりふろしきをといたりして、通信簿宿題を机の上に出しました。そして先生一年生のほうから順にそれを集めはじめました。そのときみんなはぎょっとしました。というわけはみんなのうしろのところにいつか一人の大人おとなが立っていたのです。その人は白いだぶだぶの麻服を着て黒いてかてかしたはんけちをネクタイの代わりに首に巻いて、手には白い扇をもって軽くじぶんの顔を扇あおぎながら少し笑ってみんなを見おろしていたのです。さあみんなはだんだんしいんとなって、まるで堅くなってしまいました。

 ところが先生別にその人を気にかけるふうもなく、順々に通信簿を集めて三郎の席まで行きますと、三郎は通信簿宿題帳もないかわりに両手をにぎりこぶしにして二つ机の上にのせていたのです。先生はだまってそこを通りすぎ、みんなのを集めてしまうとそれを両手でそろえながらまた教壇に戻りました。

「では宿題帳はこの次の土曜日に直して渡しまから、きょう持って来なかった人は、あしたきっと忘れないで持って来てください。それは悦治さんと勇治ゆうじさんと良作りょうさくさんとですね。ではきょうはここまでです。あしたかちゃんといつものとおりのしたくをしておいでなさい。それから四年生と六年生の人は、先生といっしょに教室のお掃除そうじをしましょう。ではここまで。」

 一郎が気をつけ、と言いみんなは一ぺんに立ちました。うしろ大人おとなも扇を下にさげて立ちました。

「礼。」先生もみんなも礼をしました。うしろ大人も軽く頭を下げました。それからずうっと下の組の子どもらは一目散に教室を飛び出しましたが、四年生の子どもらはまだもじもじしていました。

 すると三郎はさっきのだぶだぶの白い服の人のところへ行きました。先生も教壇をおりてその人のところへ行きました。

「いやどうもご苦労さまでございます。」その大人はていねいに先生に礼をしました。

「じきみんなとお友だちになりますから。」先生も礼を返しながら言いました。

「何ぶんどうかよろしくねがいいたします。それでは。」その人はまたていねいに礼をして目で三郎に合図すると、自分玄関のほうへまわって外へ出て待っていますと、三郎はみんなの見ている中を目をりんとはってだまって昇降口から出て行って追いつき、二人は運動場を通って川下のほうへ歩いて行きました。

 運動場を出るときの子はこっちをふりむいて、じっと学校やみんなのほうをにらむようにすると、またすたすた白服の大人おとなについて歩いて行きました。

先生、あの人は高田さんのとうさんですか。」一郎が箒ほうきをもちながら先生にききました。

「そうです。」

「なんの用で来たべ。」

「上の野原の入り口モリブデンという鉱石ができるので、それをだんだん掘るようにするためだそうです。」

「どこらあだりだべな。」

「私もまだよくわかりませんが、いつもみなさんが馬をつれて行くみちから、少し川下へ寄ったほうなようです。」

モリブデン何にするべな。」

「それは鉄とまぜたり、薬をつくったりするのだそうです。」

「そだら又三郎も掘るべが。」嘉助が言いました。

又三郎だない。高田三郎だぢゃ。」佐太郎が言いました。

又三郎又三郎だ。」嘉助が顔をまっ赤かにしてがん張りました。

「嘉助、うなも残ってらば掃除そうじしてすけろ。」一郎が言いました。

「わあい。やんたぢゃ。きょう四年生ど六年生だな。」

 嘉助は大急ぎで教室をはねだして逃げてしまいました。

 風がまた吹いて来て窓ガラスはまたがたがた鳴り、ぞうきんを入れたバケツにも小さな黒い波をたてました。

2021-03-19

宮沢賢治

二、活版所

 ジョバンニが学校の門を出るとき、同じ組の七八人は家へ帰らずカムパネルラをまん中にして校庭の隅すみの桜さくらの木のところに集まっていました。それはこんやの星祭に青いあかりをこしらえて川へ流す烏瓜からすうりを取りに行く相談しかったのです。

 けれどもジョバンニは手を大きく振ふってどしどし学校の門を出て来ました。すると町の家々ではこんやの銀河祭りにいちいの葉の玉をつるしたりひのきの枝えだにあかりをつけたりいろいろ仕度したくをしているのでした。

 家へは帰らずジョバンニが町を三つ曲ってある大きな活版処にはいってすぐ入口計算台に居ただぶだぶの白いシャツを着た人におじぎをしてジョバンニは靴くつをぬいで上りますと、突つき当りの大きな扉とをあけました。中にはまだ昼なのに電燈がついてたくさんの輪転器がばたりばたりとまわり、きれで頭をしばったりラムシェードをかけたりした人たちが、何か歌うように読んだり数えたりしながらたくさん働いて居おりました。

 ジョバンニはすぐ入口から三番目の高い卓子テーブルに座すわった人の所へ行っておじぎをしました。その人はしばらく棚たなをさがしてから

「これだけ拾って行けるかね。」と云いながら、一枚の紙切れを渡わたしました。ジョバンニはその人の卓子の足もとからつのさな平たい函はこをとりだして向うの電燈のたくさんついた、たてかけてある壁かべの隅の所へしゃがみ込こむと小さなピンセットでまるで粟粒あわつぶぐらいの活字を次から次と拾いはじめました。青い胸あてをした人がジョバンニのうしろを通りながら、

「よう、虫めがね君お早う。」と云いますと、近くの四五人の人たちが声もたてずこっちも向かずに冷くわらいました。

 ジョバンニは何べんも眼を拭ぬぐいながら活字だんだんひろいました。

 六時がうってしばらくたったころ、ジョバンニは拾った活字をいっぱいに入れた平たい箱はこをもういちど手にもった紙きれと引き合せてから、さっきの卓子の人へ持って来ました。その人は黙だまってそれを受け取って微かすかにうなずきました。

 ジョバンニはおじぎをすると扉をあけてさっきの計算台のところに来ました。するとさっきの白服を着た人がやっぱりだまって小さな銀貨を一つジョバンニに渡しました。ジョバンニは俄にわかに顔いろがよくなって威勢いせいよくおじぎをすると台の下に置いた鞄かばんをもっておもてへ飛びだしました。それから元気よく口笛くちぶえを吹ふきながらパン屋へ寄ってパンの塊かたまりを一つと角砂糖を一袋ふくろ買いますと一目散いちもくさんに走りだしました。

三、家

 ジョバンニが勢いきおいよく帰って来たのは、ある裏町の小さな家でした。その三つならんだ入口の一番左側に空箱に紫むらさきいろのケールやアスパラガスが植えてあって小さなつの窓には日覆ひおおいが下りたままになっていました。

「お母っかさん。いま帰ったよ。工合ぐあい悪くなかったの。」ジョバンニは靴をぬぎながら云いました。

「ああ、ジョバンニ、お仕事がひどかったろう。今日は涼すずしくてね。わたしはずうっと工合がいいよ。」

 ジョバンニは玄関げんかんを上って行きますとジョバンニのお母さんがすぐ入口の室へやに白い巾きれを被かぶって寝やすんでいたのでした。ジョバンニは窓をあけました。

「お母さん。今日は角砂糖を買ってきたよ。牛乳に入れてあげようと思って。」

「ああ、お前さきにおあがり。あたしはまだほしくないんだから。」

「お母さん。姉さんはいつ帰ったの。」

「ああ三時ころ帰ったよ。みんなそこらをしてくれてね。」

「お母さんの牛乳は来ていないんだろうか。」

「来なかったろうかねえ。」

「ぼく行ってとって来よう。」

「あああたしはゆっくりでいいんだからお前さきにおあがり、姉さんがね、トマトで何かこしらえてそこへ置いて行ったよ。」

「ではぼくたべよう。」

 ジョバンニは窓のところからトマトの皿さらをとってパンといっしょにしばらくむしゃむしゃたべました。

「ねえお母さん。ぼくお父さんはきっと間もなく帰ってくると思うよ。」

「あああたしもそう思う。けれどもおまえはどうしてそう思うの。」

だって今朝の新聞に今年は北の方の漁は大へんよかったと書いてあったよ。」

「ああだけどねえ、お父さんは漁へ出ていないかもしれない。」

「きっと出ているよ。お父さんが監獄かんごくへ入るようなそんな悪いことをした筈はずがないんだ。この前お父さんが持ってきて学校へ寄贈きぞうした巨おおきな蟹かにの甲こうらだのとなかいの角だの今だってみんな標本室にあるんだ。六年生なんか授業のとき先生がかわるがわる教室へ持って行くよ。一昨年修学旅行で〔以下数文字分空白〕

「お父さんはこの次はおまえにラッコ上着をもってくるといったねえ。」

「みんながぼくにあうとそれを云うよ。ひやかすように云うんだ。」

「おまえに悪口を云うの。」

「うん、けれどもカムパネルラなんか決して云わない。カムパネルラはみんながそんなことを云うときは気の毒そうにしているよ。」

「あの人はうちのお父さんとはちょうどおまえたちのように小さいときからのお友達だったそうだよ。」

「ああだからお父さんはぼくをつれてカムパネルラのうちへもつれて行ったよ。あのころはよかったなあ。ぼくは学校から帰る途中とちゅうたびたびカムパネルラのうちに寄った。カムパネルラのうちにはアルコールラムプで走る汽車があったんだ。レールを七つ組み合せると円くなってそれに電柱信号もついていて信号標のあかり汽車が通るときだけ青くなるようになっていたんだ。いつかアルコールがなくなったとき石油をつかったら、罐かまがすっかり煤すすけたよ。」

「そうかねえ。」

「いまも毎朝新聞をまわしに行くよ。けれどもいつでも家中まだしぃんとしているからな。」

「早いからねえ。」

「ザウエルという犬がいるよ。しっぽがまるで箒ほうきのようだ。ぼくが行くと鼻を鳴らしてついてくるよ。ずうっと町の角までついてくる。もっとついてくることもあるよ。今夜はみんなで烏瓜からすうりのあかりを川へながしに行くんだって。きっと犬もついて行くよ。」

「そうだ。今晩は銀河のお祭だねえ。」

「うん。ぼく牛乳をとりながら見てくるよ。」

「ああ行っておいで。川へははいらないでね。」

「ああぼく岸から見るだけなんだ。一時間で行ってくるよ。」

もっと遊んでおいで。カムパネルラさんと一緒いっしょなら心配はないから。」

「ああきっと一緒だよ。お母さん、窓をしめて置こうか。」

「ああ、どうか。もう涼しいからね」

 ジョバンニは立って窓をしめお皿やパンの袋を片附かたづけると勢よく靴をはい

「では一時間半で帰ってくるよ。」と云いながら暗い戸口を出ました。

2021-03-08

同じように悩む社会になれという呪い

後輩たちの理想になることは諦めた。

からせめて、少しくらいは続くたくさんの後輩が働きやすくなるように。

今日国際女性デー

本当は、性別なんて関係なく、なるべく多くの人が健やかに生きていける社会になるのが一番だけど、日本というジェンダーギャップが大きい国に生きる女のひとりとして、女性が輝ける社会になりますようにと願いたいと思う。

塩谷舞さんのnote記事を読んで、私も筆を執ってみようと思った。あんな風に前を向ける記事ではないけれど。(リンクのつなぎ方がわからなかったので気になる人は探してみてほしい)

ここ最近、女とか男とか、人生で一番考えている。

小学校の時は、男友達とよく遊んでいた。一番仲良しだった幼馴染は女の子だったけれど、年の近い兄弟がいたせいか、外でフットベースやどろけいに明け暮れていたように思う。リカちゃん人形たまごっちにはあまり興味がなくて、ハイパーヨーヨーミニ四駆は持っていた。そして単純に身体を動かすことが好きだった、そういう小学生だった。

小学校4年生まではスカートが嫌いでズボンばかり履いていたし、つまるところあまり女の子っぽくなかった」のだと思うが(そもそも女の子っぽいとかぽくないとか、そういうのが時代錯誤なのはさておき)、幸か不幸か男の子と仲良くしていても、とやかく言われずに済んだのは幸いだったと思う。男の子と仲良くしている女の子の中には男好きだと陰口を叩かれている子もいたのだが、「まあAちゃんだし」と言われて女子から目の敵にされることはなかった(と、思う)。今になって思えば、女の子たちから「女」と認識されていなかったのだろう。要は、あの子恋愛対象にはならないかOK、ということだ。

中学に入ってもそれはあまり変わらなかった。

お互いを好き合った男女がカップルになったりしていて(同性カップルもいたのかもしれないが、私の耳に入ることはなかった)、仲が良さそうな男女がいれば噂になった。そして私は相も変わらず休み時間は割と男友達と話していた方だったと思うのだが、「Aちゃんだし」という理由特に噂の対象にはならなかった。おかげさまで僻まれることもなかった。

やっぱり、「女」ではなかったのだと思う。そしてそれは私としても自覚している。

そういう環境で育ったので、「男」だとか「女」だとか、そういうものには鈍感というより興味がわかないまま中学3年になり、進学先を決めることになった。私の出身都道府県には、今では珍しい公立の男女別学校があった。こだわりがない故に別学校を選ぶ必要もなかったのだが、当時私を可愛がってくれていた先生が、「あなた絶対女子高が合うと思う」と言ってくれたという単純な理由で、私は女子高を目指すことにした。

結論から言えば、私は本当にあの時にあの女子高を目指した自分を褒めてやりたいと思っている。

ギャルヲタクも皆一緒に学校行事に参加して勉強で競い合って最高の3年間だった。楽しかったというのもあるが、何より変な気を遣う必要がなかったのだ。当時から制服スカートズボンが選べたし、当たり前だが誰と仲良くしていようと噂されることだってなかった。

強くて逞しい人が多かったから、比較して自分の小ささに凹むことはあったけれど、とても刺激を受けたのもまた事実だ。

学校が駄目だと言いたいわけでも、男女別学であるべきだ!と思っているわけでもない。

ただ、あの3年間は間違いなく私の自立心を育てていて、「女だから」は理由にならないし、する必要がないことを学んだ。

日本という国において、絶対に、女子校が担っている役割は大きい。

そういう、とても私にとって意味のあった3年間を過ごし、大好きな分野の学問を学ぶため大学に進学し、こんなにも文理で男女差があるのかと驚いた。

高校では半々とまではいかなくとも、どの学年も大体文系の方が少し多いくらいで、理系女子も多かった。(どうでもいい余談だが私はゴリゴリ文系である自分文系なのでとやかく言えないのだが、何で女子文系が圧倒的に多いんだ?と不思議に思ったものである

入学してから数日、久しぶりに皆で連れ立って食事をし、皆で一緒に次の教室へ移動した。

多分1週間も持たなかった。

一瞬で最初グループからは離れ、ひとりで食堂に向かったら、浮足立つ新入生のグループが多い食堂で、明らかに新入生であろう女子が、ひとりラーメンを啜っていた。

見れば、同じ高校同級生だった。

そうだよなあ、好きにお昼くらい食べるよなあ、と安心し、少し離れたところで同じくラーメンを食べた。彼女とは今でも連絡を取る仲である

女子高を卒業し、大学学部バイト先も女子が大半を占めるコミュニティの中で過ごし、たまたま男女比9:1の会社就職した。

久々どころか人生初の男社会

総合職を選んだ以上、男も女も関係なく業務邁進するのみ!という心意気だったのだが、割と早々にしんどくなって泣いた。ひどいセクハラを受けたわけでも女を捨てることを強要されたわけでもないのだが、「男も女も関係ない」という自分意識と、「圧倒的に男が多い集団の中にいる若い女子」である事実を上手く融合させることが出来なかった。

どうしたって「女」を上手く利用している子の方が可愛がられる。可愛がられたいわけではないが、「女を捨てる」ことも出来なくて(いやしなくていいんだけど)、何とも中途半端位置になり、色んなバランスが崩れて勝手にしんどくなった。

社会の中で女であることに甘えられない・出してはいけないのだというプレッシャーはあるのに、貴重な女子社員として意見を求められるという矛盾した立場にいて、「女」を肯定すればいいのか否定すればいいのかわからなくなっていった。

「女」が主語になるコミュニティで生きていると、自分意識もそれに近づいていくのだと気づいたときが、一番怖かった。

「女は女に厳しい」「女は気まぐれだからやりづらい」「女は甘えればいいと思ってる」「女はすぐ子どもを産むからここから離脱する」「女は…」

前述のとおりあまり「女」としてカウントされない私は、そういう声もよく耳に入った。要は男性がそういう話をしている場面に出くわしやすいし、そういう話題を振られることが多かった。「Aさんは違うけど、」という枕詞を挟んだ上で、「女は…」と語られる。

今でこそ「それ、女じゃなくて〇〇さんでしょ(要は個人の話)」と言えるようになったけれど、しばらくの間は擁護をすれば自分もそう思われるのではないかと思うと怖くて、この手の話題が出た時に否定することが出来なかった。ずっと悔やんでいる。

会社の人が噂をする「女は…」に自分が入ることが怖くて、これは私を少しずつ蝕んでいき、この立場でこの仕事を続けながら「結婚」と「出産」を選ぶことは出来ない、と思うようになってしまった。

性自認は確かに女なのに、自分が女であることを肯定できなくなっていった。

もちろん、活躍している女性だっているし、今の現状に満足出来ている女性がいるのもわかっている。

自分が気にしなければいいのだとも思うけれど、30年生きてきていい加減わかっている。私は他人の声を気にせずいられるタイプではない。

いっそこの業界が嫌いになれたら良かったなと思う。

女性採用も増えたけれど、まだまだ圧倒的に男が多いこの業界を飛び出していけば、もう少し気楽に働けるのかもしれない。

でも、会社のことは変だと思っているし、決して誰もが働きやす会社ではないと思っているけれど、この業界が担っている社会役割だとか、やりがいだとか、そういうのは好きなのだ

から、やっぱり続けたい。

優遇してくれとは思っていない。

ただ、男性と同じところに立たせてほしい。

だってつらい、という声も聞くけれど、男優位に作られた社会で、女と同様男にも悩みがあるだなんてどうして言えるんだ。立っている場所が違うということをわかっているんだろうか。

結婚適齢期で子どもを持つ同期が増えた。「やっぱ子育てもしながらっていうのは大変だよ」と言った彼は、毎日残業していた。彼は優秀な同期で、残業しなければ終わらないような会社の仕組み自体どうなんだとは思っているけれど、彼が毎日残業出来るのは奥さん子どもの面倒を見ているからだ。他人の家庭に口を出すつもりはないし、1人が稼いで1人が家事を行うと決めているのであればそれも良いと思う。

ただ、この状態総合職男性)が圧倒的に多いこの会社で、この人たちと同じようにキャリアを積んでいくには、同じように働くしかないのだ、と思うと、まだまだ社会的に女性が家庭を守るべきという風潮が強い中でそんなことが可能なのか?と絶望する。

キャリア子育ての両立に男だって同じように悩む」と言っていたけれど、本当に同じなんだろうか。

同じだったら何故男女でこんなに差が出るんだろう。

「女は昇進させない」というほどひどい会社ではない。女だってちゃんと昇進できる。ただし、子育てを優先せざるを得なかった人たちの昇進スピードが落ちるから、見渡した時に男女で差があるように見えてしまうのではないかだって男で子育てを優先した人は圧倒的に少ない。子育てを頑張りながら同じように昇進していくことはかなり大変なのではないか。周りを見渡してそう感じ、夜中に大泣きするくらい悩んだ。悩んで、今はとりあえず結婚出産は考えられない、と判断した。

男性も本当に同じように悩むんだろうか。

大多数の男性社員と同じようにキャリアを積めた女性の、独身子どもはいない率に茫然とする。

きっとこの人たちも大変だった。この人たちはもっともっと苦労して、女性活躍できる場を広げてくれた。

ただ、こうでなければたどり着けなかったんだな、と思うと、自分が思い描いていた将来とは違うのだ。

一緒に頑張ろうと言っていた同世代女性が、何人も「もういいかな、仕事は。子ども産んで適当にやっていくよ」と言うようになった。あんなにたくさん将来のことを話したのに、もう話せなくなってしまった。そういう道を選んだ、というよりは、諦めたんだな、と思った。

幸いなことにと言えばいいのか、この会社は「子どもを産んで適当にやっていく」ことも出来る。制度は整っているし、相談すれば配慮もしてもらえる。

子どもを産んで仕事に復帰した女性なんてたくさんいるよ」

そうだ、確かにたくさんいる。でも多分、男性の同期と同じようにキャリアを積んだ人は少ない。

だって私は現時点で、お子さんがいる先輩方を結構な人数追い抜いている。

それでいい、という女性がたくさんいるのもわかっている。でも、それでいい、と思わせるような構造になってしまっていることが、そもそも問題なのではないか

男は、子どもがいようがいまいがほとんどが同じようにキャリアを積んでいくのに。

気が付けば私も、昔の私がその姿を見て茫然とした人たちと同じように、仕事だけを取る方の道に進み始めている。

これだけ家庭と仕事の両立が叫ばれる時代に、家庭を持たずに道を進んでいくことは、きっと後輩たちの光にはなり得ないのだと思う。私が昇進したところで、私が思ったのと同じように「あの人独身だしな…」と感じるんだろう。自分も思ったんだから自業自得なのはわかっているが、なんて地獄だここは。

男性諸君は、諸先輩方を見上げて、「あの人独身だしな…」と思うことがあるのか?女性待遇が上げられないというのなら、いっそ男性も同じように悩む社会になればいい。

そういう呪いにも近い気持ちが渦巻いている。出さないように、細心の注意は払っているけれど。

後輩たちの目標にはなりづらいかもしれないけれど、せめて家庭と両立を頑張ろうとする女性たちが働きやすくなるように、手助けが出来る社員にくらいはなろうと思う。

そもそも平等に働くことさえ出来なかった時代に、女性社会進出の場を切り開いてくれた先人のように、後に続く後輩たちのために粛々と働くのだ。

自分ラッキーなのもわかっている。男性優位な社会で、男が圧倒的に多い会社に、総合職として入れたのだから

それなりに力がある立場になろうと思えばなれる。トップダウンと言われようとも、権力を駆使して変えてやりたい。大企業が変わることは、多分それなりに意味を持つ。

私の心がそれまでに折れなければの話だけど。

日本社会ジェンダーギャップを埋める、ひとつの駒くらいにはなれるように。

なれるかな。

なれたらいいな。

この国に対してくそくらえとも思うけど、たくさんお世話になった人もいるから。

少しでも社会がよくなれば、それが一番の恩返しになると信じている。

2021-01-26

知的障害児の母親が忘れられない 追記

知的障害を持つ子供と親について、またそういった子供を産むことや育てることについて、比較マイナスな内容です。不快に思う方もいると思いますので自己責任でお読みください。


インスタのおすすめ欄を見ていたら、軽度の知的障害を持つ娘を小学校普通学級に通わせてるお母さんの投稿が出てきた。その子クラス孤立していること、授業の指示を理解できていないという報告をサポーターの人から受けたらしく、学校に行って状況を改善するよう話をしたいという投稿だった。

これを見て、ふと小学校の時に同じクラスにいた知的障害を持つ男の子のことを思い出した。その子、Aくんは、授業中、授業に関係ないことを唾を飛ばしながら話し、正面を向いて座れないのかいつも横向きに座っていた。国語からっきしだったが算数が得意で、足が早くて、ドッヂボールが好きだったと思う。正確に覚えていないけど、小学校までは普通学級で過ごして、中学支援学級に通っていたはずだ。

当時の担任先生は、大人になった今考えても非常に真摯に生徒に向き合ういい先生だった。私も当時3ヶ月ほど入院したことがあるのだが、他県の病院にいた私のもとへ平日の放課後にお見舞いに来てくれるような先生だった。何を話したかは覚えていないが、クラスの皆に手紙を書かせ、きれい製本し、お花と私の好きだったキャラクターの小さなぬいぐるみと共にプレゼントしてくれたのを覚えている。その先生はAくんにも目をかけ、目に余るようならば厳しく叱ったりするものの、しかし他の生徒と良い意味でも悪い意味でも同じように接した。そのため私たちもAくんのことについて「変わった子だな」とは思いつつ、Aくんが障害を持っていることは成長するまで知らなかった。察している子もいたかもしれないけど、少なくともあらゆることにおいて「障害があるから」ということを理由にしない先生だった。田舎学校なので、私も含めクラスメイトたちはなかなかいい子ではなかったけれど、注意することはあれど、強い言葉で怒ることはしなかったし、ましてや手をあげることは一度もなかったから、幼いなりに先生尊敬していた。

その先生が、唯一大きな声を出して、たった一度だけ、されど一度、手をあげた相手がAくんだった。詳しいことは忘れてしまったけれど、Aくんの腕を掴んで廊下へ連れて行こうとする先生の目がなぜか潤んでいたのは覚えている。

ところで、私は小学校から歩いて子供の足で30〜40分ほど離れたところに住んでいた。家が遠いので、近くに住む幼馴染と一緒に登下校していたのだが、幼馴染のクラスは私のクラスに比べて帰りの会が終わるのがかなり遅かった。そのため、私はよく廊下で幼馴染を待っていたのだが、ある時、ふと忘れ物したことに気づいた。幼馴染のクラスはまだ終わらなさそうだったので、自分教室へ取りに戻ることにした。教室電気がついていたので、先生挨拶しようと思って教室を覗き込めば、先生と誰かのお母さんらしき人が話しているのが見えた。特別聞き耳を立てたわけじゃないが、ドアが開いていたので声が聞こえてきた。Aくんのいることでクラスのみんなに迷惑をかけている、Aくんのことを叩いてしまう、先生にも手を出させてしま申し訳ない。そのお母さんは泣いているらしく、当時小学校の低学年だったけれど、これは聞いちゃいけない話だと思い急いで戻った記憶がある。

それからしばらくして知ったけれど、その女の人はAくんのお母さんだった。実は私はAくんと6年間同じクラスだったため、私の母とAくんの母は面識があった。私が小学校卒業してだいぶ経った後、母が酔った時に聞いた話だが、Aくんの母はAくんのことについてかなり思い詰めていたらしい。

Aくんの母は、Aくんを一人で育てていた。私も私の母も、小学校から中学までの9年間、Aくんの父親も、Aくんの祖父母も親戚も見たことはない。働いていたようだし、もしかしたら離婚していたのかもしれない。Aくんの下にいくつか年の離れた妹がおり、それでもAくんのことでクラス迷惑をかけてしまうからと、学級委員を引き受け、PTA活動にもかなり積極的に協力していた。そういえば、学期末にAくんのお母さんからクラスのみんなにお礼と言って高そうなお菓子をもらった気がする。とにかく、Aくんのお母さんは周囲の子供や先生保護者に常に頭を下げていた。授業参観懇談会行事も、常にAが迷惑をかけて申し訳ない、と言っていた。母は詳しく話さなかったが、AくんとAくんのお母さんについて、冷たい言葉を浴びせる保護者もいたらしい。私は特別Aくんと仲がいいわけではなかった(そもそも性別が違うので一緒に遊んだりはしなかった)が、Aくんのお母さんは授業参観等で私に会うといつも疲れた笑顔で「いつもありがとうね、Aが迷惑かけてごめんね」と頭を下げた。小学生の私は、大人の女の人から頭を下げられることなんてなかったから、なんだか不思議気持ちがした。

私は現在20代になり、友達との会話も、結婚子育てについての話題が出るようになった。特に仲良い友達子供好きで、最近お兄さんの子供が産まれたらしく、自分結婚して早く子供欲しい、そのためには彼氏を見つけなきゃね、と笑っていた。私に子供ができたら、自分の子供と遊ばせよう、と。

彼女は当たり前に自分の子供が健常児であると信じており、私の子供もそうであると思っている。私もそう思っていた。でも、Aくんのことを思い出すと、もし自分の子供が知的障害を持っていたら、と考えてしまう。わたしは、自分の子供のために尽くせるんだろうか。Aくんの母親のように周囲に常に頭を下げ、言うことを聞かずに周囲に迷惑をかける子供を躾け、周囲の心ない態度にも耐えることができるんだろうか。私がもっと人間的に成長すればできるのだろうか。今の私よりはるか人格者だった担任先生ですら、手をあげたのに?

子供可愛いと思う。昔は苦手だったのに、今は赤ちゃんをみると思わず笑ってしまう。自分が産むのは痛そうだし怖いけれど、好きな人の子供を産むのは素敵だとも思う。でもそう思えば思うほど、もし障害を持っていたらと考えてしまう。その子父親となる人は、私の両親は、友達は、理解を示してくれるだろうか。一人で育てることになるとしても、私は自分の子供を育てられるんだろうか。もちろん健常児でも同じ不安はあるけれど、障害児なら尚更、自信がなくなっていく。

知的障害の子供を捨てる方法はないらしい。親や親戚に育てられる環境があるなら、施設にはそう簡単に入れないという。産んでもし障害児だったら。もしくは、産まれときは元気でも、後天的障害を抱える可能性もある。そうなったら多分、私は捨てる方法を探してしまうかもしれない。子供を育てられる自信がないのはもちろん、わたしはAくんの母親のようにはなれないしなりたくないと思ってしまう。

こんなことを考えている私は多分子供を産む資格はないし、年齢的にもまだ産む予定はないが、子供を産んだ親は皆こういう悩みを乗り越えているのかな。それとも私の友達と同じように、自分の子供が健常児でないなんて想像もしていない?

ネット検索すれば綺麗事は沢山出てくる。色々考えて、乗り越えて、幸せ暮らしている家族だってたくさんいる。だけど、自分母親になれるような年齢になってから、Aくんの母親が忘れられない。優しい人で、でも小学校の後半は、子供の目から見てもやつれているのがわかった。彼女はどんな気持ちで、私たちと関わっていたのだろう。

Aくんと母親が今何をしているかは知らない。ただ、Aくんが楽しく過ごせて、あの母親がもう頭を下げなくていい生活をしていたらいいと思う。


1/27 1:22

注目エントリに入ってるのを見てビビり、タイトルがあまり露骨だなと思ったので変えました。本文も誤字直したり付け足したり。

本文に書いたように、どんな子供であっても自分の子を捨てるかもなんて考えをしている時点で私は子供を持つ資格はないと思っています。私の子がどうこうというより、障害を持っている子供とその周囲について、実際に見たことを思いだして、世の中の人はどう考えているのかなと疑問に思い書きました。不快な思いをした人はすみません問題があるようなら消します。

1/27 13:48

起きたら人気エントリに入っててさらビビりました。たくさんの反応ありがとうございます

編集タイトル変えても別のところ(ブックマーク?)では変わらないんですね。増田に書くのが初めてなので知りませんでした。消さなくて良いよと仰る方が多く安心しましたが、一部タイトル含め不快な思いをしてしまった方もいるようで、配慮が足りず申し訳ありませんでした。

コメントブックマーク等、全て読ませていただいています

私は親になったならばその子がどんな子供であれ幸せにする責任があると思っているので、福祉の充実も含め、親が二人(もしくは一人)で育てていかなくてはいけないという体制もっと良い方向に変化して欲しいなと思っています。勿論今も私の子供の頃に比べたら支援等かなり良くなっていると思うのですが、やはり世の中のお父さんお母さんでそこまで考えて産んでる人は少ないと思いますし、それこそ私の友人のように健常を前提として子供を産んだ親や、子供が産まれた後なんらかの事情障害を抱えた場合、すぐに「それでも我が子だから頑張ろう」と育てていける人ってかなり少ないと思います。これはもちろん健常児の場合も同じで、健常児だから楽というわけではないことは承知しています。ただ、親が正直しんどいと思った時、育てるか捨てるかという二択ではなく、少しでも子育てをお休みしたりできるシステムがあれば、親になりたい、もしくはなりたかったけど、という人も子供を持ちやすくなるしいいと思うのですが、これは子供からしたら親と離すなんて可哀想、という意見も出そうですし難しいのかな。まとまってなくてすみません

同じような不安を抱えているよ、と書いてくださる方が多くて嬉しかったです。また厳しい意見ありがとうございます。実際に体験した話もそうでなくても、皆さんから意見を読むことで、自分の中のモヤモヤしたもの記憶が整理されていく気がします。私はまだ社会に出たてのペーペーなので、まだ結婚出産といったものぼんやりとしたイメージしかないのですが、どんな選択をしたにしろ、自分も、産むとしたら自分の子供も、幸せであるように全力を尽くしたいと思います

ここまで読んでくださりありがとうございました。

2021-01-23

ボーイズラブCDを聞いて資格試験合格した

数年前に宅地建物取引士資格試験を受けた。

宅建士の試験国家資格の中では比較的易しいらしいが、それでも合格率は高くなく職場には何年受験しても合格できないという人もいた。

わたしは当時30歳のオタク腐女子仕事資格必要になったので受験したのだが、大学受験以来の久々の試験勉強になかなか苦戦した。長らく勉強というものをしていないと、まず集中して参考書を読むことすら難しい。

そこで役立ったのがボーイズラブCDである

わたしは無音状態で何かに集中するのが苦手で、かといって音楽を聞くとなるとオタクなのでアニソンアイドルソングばかりになってしまう。日本語歌詞だと頭の中で歌詞宅建業法の条文がけんかを始めて勉強にならない。

しかボーイズラブCDならかなり集中できる。

ひとくちにボーイズラブCDと言っても勉強に向いているものとそうでないものがある。勉強中に聞くべきボーイズラブCDはとにかくエロいもの。男の喘ぎ声は特に意味もなく耳に優しいので聞いていると心が安らぐうえに集中力を高めてくれる。

特に聞いていたのは、彼らの恋の行方をただひたすらに見守るCD男子高校生、はじめての」シリーズ。このシリーズノーカット、ノーフェード、ノーBGM男子高校生たちのそれを盗み聞きできるというもので、大部分がエッチシーンでできていてとても素晴らしい。一応ストーリーもあるが、民法の条文の邪魔をしない程度なのであまり気にならない。

シリーズの中でも第3弾「生徒会役員の密やかな謀」が良い。受け役の興津和幸さんの演技が最高。この喘ぎ声を聞くために現代に生まれた。

わたしボーイズラブCDを家での勉強中はもちろん、出勤前のカフェ通勤中の電車職場で開かれた勉強会、とにかく勉強をするときはひたすらに聞き続けた。わたし真剣な顔で法令上の制限を覚えているとき、耳元ではいつも男が喘いでいた。


そして迎えた試験当日、運命的なことに会場は高校だった。

30歳独身腐女子合法的高校の校舎に足を踏み入れる機会なんてそうそうない。高校卒業してから10年以上が経っており、高校という場はもはやなによりもボーイズラブ舞台という感覚が強い。

校門を通ってから教室に入るまでの景色ボーイズラブだった。

校舎まで続く道、毎日生活を感じる下駄箱、教室へと向かう階段、窓から昼の陽がさしこむ踊り場、分別を促す手書き貼り紙があるゴミ箱教室のドアが並ぶ廊下、すべてからボーイズラブ息遣いが聞こえた。

試験を受ける教室に入ると受験する人たちがすでに席で参考書などを開いていた。試験会場に入る指定の時刻から試験開始までけっこうな時間があり(細かく覚えていないが30分~1時間程度はあったと思う)、わたしも周囲の人にならって一応参考書を開いた。

しかし、ふと視線をあげれば黒板があり、日常教室の黒板なんて見ることがないわたしは黒板にもまたボーイズラブを感じ、思った。今しかない。

参考書を閉じてイヤホンを装着し、まっすぐに前を見て「男子高校生、はじめての」を再生した。

実際の高校教室で、男子高校生ボーイズラブを聞くのはこれまでに経験したことのない楽しさがあった。まるで今この瞬間に隣でボーイズラブたちが事に及んでいるような気がした。

ここまでくるとボーイズラブCDを聞きながら勉強をすると集中できるなんてことはもう言ってられず、頭の中はボーイズラブ一色、受けの痴態に興奮している攻めよりもただそれを聞いているわたしのほうが確実に大興奮していた。

ボーイズラブに包まれたままに試験が始まりわたし試験への緊張とボーイズラブへの興奮で手の震えが止まらシャープペンシルを一本折った。

そんな状態で受けた試験から絶対に落ちたと思い、そしたらまた来年高校に行こう…あのボーイズラブが詰まった空間へと…と絶望希望に変えていたが意外にも試験には合格した。わたし地頭が良いということもあるが、ボーイズラブCDの力が大きかったのだろう。


ボーイズラブありがとう。おかげで今日も重説を読むことができます

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