はてなキーワード: 松任谷正隆とは
ゼロ年代Jポップの礎ともいえる感動的なストリングスメソッドは、亀田誠治アレンジによる平井堅の「瞳をとじて」(2004)や、小林武史アレンジによるMr.Childrenの「しるし」(2006)あたりで確立された感はある。
ちなみに、Jポップストリングスに欠かせない金原千恵子ストリングスは01年デビュー。
松任谷正隆アレンジによるゆずの「栄光の架橋」(2004)もそうだけど、いずれの曲もイントロはピアノスタートで、サビはストリングスで感動的に展開していくんだよね。
少し時代は遡ると冨田恵一アレンジによるMISIAの「everything」(2001)のストリングスアレンジも後々のJポップに相当影響与えてそう。
感動的ストリングスとピアノ、という形態のゼロ年代Jポップ手法を支えていたのって、実はフジの「僕らの音楽」(2004〜2014)なんじゃないかって気がしてる。
Cymbalsのベースだった沖井礼二とシンガー清浦夏実によるユニットTWEEDEESより、今月リリースされたアルバム「World Record」 帯の元ネタはThe Style Councilらしい
そんなアルバムの中からの1曲目 いきなりスキャット!鐘!豪華な編曲!沖井礼二のベース!最高~
こうやって12月中に名曲が出てくることがあるので、12月の初めに今年のまとめみたいなことするとちょっと勿体ないんですよね
神保彰の脱退後、新たなドラムスとして有形ランペイジのメンバーでもある今井義頼を迎えCASIOPEA-P4名義でリリースされたアルバム「NEW TOPICS」のこちらも1曲目
ジャパニーズフュージョンのアルバムがこういう景気いい曲で始まると本当に楽しい
大阪を拠点に活動し自らをネオネオアコと呼ぶ2021年結成のバンドNagakumo
ネオにネオつけてどうするんだと感じもありますが、これを聞くと続けて「three cheers for our side」も聞きたくなります 本人たちもフリッパーズ・ギターからの影響を公言していますね
今度は阿佐ヶ谷 2014年結成の5人組バンド、阿佐ヶ谷ロマンティクス
今回のアルバム「大人幻想」はSpotifyでは別の曲がグローバルでバズっていますが、個人的に一番刺さったのはこっち
ピアノで盛り上げるタイプのバラード サビ直前のキメで一人だけ弾き続けちゃうベースも好き
6位にユーミン
過去の自分の声を合成音声で再現して今の自分と一緒に歌うという面白い作品 過去もともあったメロディーに新しく歌詞をつけたとのこと 単に楽曲を聞いただけでも良いし、こういう新しい挑戦をしていることも良い
で、やはり気になるのは「どこの技術を使った合成音声なのか」というわけで、ラジオでは曲は流れてもそんな話は出てこないしググっても出てこない。もしかして歌詞カードにちらっと書いてあるのかもと思って今回のベスト盤発売まで待つわけです。いよいよリリースとなっていざ歌詞カードを開いてみると、全国のラジオリスナーから集められたユーミンにまつわる思い出話が多数掲載されてるのに結局技術的な話は何もない。そんな……と思ってこのタイミングでもう一度検索してみると、CDフラゲ日になってやっと(協力した研究室の)プレスリリースが出ていました
https://www.i.u-tokyo.ac.jp/news/press/2022/202210032121.shtml
どうしてどうして……
ラジオではじめてこれ聞いた時はこんなん出されたら誰も勝てないじゃんと思いましたが結局5位
そういえば宇多田ヒカルの新曲がすごいみたいな話を年上の人としたんですけど、あの人の親を誰だと思ってんのみたいな返答されたんですね。そうじゃなくて私はこの曲そのものが好きなんですよ。ど~せ私はAutomaticすら後追いで聞いた若造ですよ~~
恥ずかしいことにこの作品を聞くまで原曲を知らなかったのですが、中原めいこの1988年のアルバムから表題曲のカバーです
深いリバーブに気だるそうなボーカルやキラッキラしたブラスとシンセ、並行世界の80年代みたいなサウンドがいい味出していますが、シンガーの寧音は2008年生まれ
編曲のevening cinema原田夏樹はRainychのカバー作品も担当していましたね evening cinema名義でも今年アルバム出てるんですがこっちも良かったです
完全に狙って作ってる感じのジャケも必見
ポスト渋谷系コンピレーションシリーズ「Pastelphonic」に楽曲を提供したこともある、ぺのれり・ぷに電による作品
そういえば、「渋谷百景」などで有名な邦楽系情報サイトのradiodAzeにもこのアルバムの情報が載ってて驚いた
http://radiodaze.g2.xrea.com/KKKva.htm
あのサイトはもう何年も新しいアルバムの情報は書いてなかったようだが、あのサイトに載るだけの影響力がある名コンピであることは確か
そんなアルバムでも活躍していたこの両氏のタッグなので当然期待して聞いたわけですが、まさに大当たり
ここ最近急に影のある曲を出すようになった2人組バンド、エルスウェア紀行(何があった?)
スローテンポにどんどん熱くなるギターが目立ちますがベースがずっと忙しそうにしてるのもGood
1987年にデビュー、角松敏生プロデュースを経て自身もソングライターとなる今井優子によるキャリア35周年のアルバム「Spell of Love」(実は今井優子も今年知ったアーティストなのですが)
その中の1曲目かつ表題曲
シンセも担当する安部潤による編曲で、いかにもフュージョンなイントロから始まり、ラテン風味かつフィル満載のドラム・パーカッション、スラップしまくりのベース、よく練られたコーラス……と豪華なバックトラック それに負けてない今井優子自身による作曲 今年のベストトラックです
https://open.spotify.com/playlist/21kp6A9R6hUBijiEe2ia4Z?si=46236e3810db44da
1990年1月の3位。わざとらしく東北弁を効かせたデュエットソング。90万枚の大ヒットだったらしい。
地方出身のアーティストが真面目に歌っている…というわけではなく一種のコミックソングの扱いだったようだ。
1990年2月の8位。90年代前半に活躍した女性アイドルグループらしい。
おニャン子とモー娘のあいだの「アイドル冬の時代」において気を吐いていたアイドルの一つという感じか。
パッと聴いた感じは徳永英明や稲垣潤一と似たような印象を受けた。
1990年3月の16位。ホコ天で人気のあったロックバンドらしい。
当時のヴィジュアル系ってだいたいメタルやパンク由来の「硬派」「尖ってる」感じを出してるイメージだけど、
このAURAは、ヘビメタ色の薄いコスプレ的な見た目、コミカルなほど明るい曲調など、後年のヴィジュアル系にかなり近いと思った。
いかにもプリプリの影響を受けて出てきましたという感じ。時代を感じる。
1990年8月の19位。CoCoと同じテレビ番組から登場したアイドルグループらしい。
1990年9月の18位。レベッカのNOKKOが、NORMA JEANの元ギタリストと組んで、レベッカの解散直前に一曲だけ出したもの。
ギタリストの人がNOKKOのヘアメイクを担当していた繋がりらしい。
1990年11月の19位。正統派な感じのヴィジュアル系ロックバンド。
Wikipediaによると「日本一下手なバンド」として有名だったらしい。
1990年11月の20位。テレビドラマ「スクールウォーズ2」の主題歌ということで、1の主題歌「ヒーロー」を意識した洋楽カバーにしたんだろうか。
他の曲を聴いてみると、もっと大人しいアイドル然とした曲を歌っていたようだ。
1991年1月の18位。NHK「みんなのうた」からヒットしたという演歌調の曲。歌手は当時16歳。
消費税導入で(端数を支払うための)1円玉に注目が集まっていたという背景もあるらしい。
学校に提出するぞうきんのことを歌った明るいユーモラスな曲。
先日亡くなった俳優・宝田明の娘らしいが、宝田明もあんまりピンと来ないな…。
1991年5月の6位。爽やかで癖のない男性シンガー。ビーイング系っぽい(ビーイングではない)。
1991年6月の13位。松任谷正隆のプロデュースでデビューした女性シンガーソングライター。
歌唱力で売っていた感じなんかな。ちょっと広瀬香美を思い出した(デビューは障子久美のほうが先)。
1991年8月の19位。楽曲を聴いただけではあんまり引っかかりのない普通の曲だという印象。
当時からいろんな歌手に楽曲提供して実績のあった人らしい。その中でいちばん有名なのは今井美樹の「PIECE OF MY WISH」か。
昨年亡くなったらしい。
1991年10月の7位。ヒップホップ系。まだヒップホップが広くは定着してない頃だよねたぶん。
テレビの企画「高校生制服対抗ダンス甲子園」で優勝してデビューしたらしい。
1991年10月の15位。何だと思ったらサザンオールスターズの桑田佳祐だった。
1991年10月の20位。何だと思ったらウッチャンナンチャンの南原清隆だった。
1991年12月の7位。ピアノを弾きながら歌ってる映像を見て「愛は勝つ」のKANかと思った。
ピアノ弾きながら歌う系男性シンガーがちょいちょい出ていた時代だったのかな。
1991年12月の16位。名前で女性かと思ったら男性シンガーだった。
「X'mas in the Blue」と「Christmas in the Blue」とがあって発売時期も違うみたいだが何が違うかよくわからない。
1992年2月の13位。声のいいおっちゃんが歌ってるソウルっぽい楽曲。
ZOOの「Choo Choo TRAIN」とブラックビスケッツの「Timing」の作曲者なのか。そう聞くとなんかすごい。
1992年2月の19位。アーティスト名も楽曲名も歌詞も英語で洋楽かと思った。
妖しげでトリップ感のあるサイケな楽曲。時代を感じさせない。個人的にいちばん気に入った。
1992年3月の12位。これは洋楽カバーなのか。ミュージカルっぽい発声…と言われたらそうかも。
エリート一家に生まれて英才教育を受けて子供の頃から現在まで芸歴を重ねているらしい。すごい(小並感)。
1992年7月の10位。性別不詳の歌手っていうコンセプトがすごいな。確かに見ても性別がわからん。
1992年7月の17位。当時としてもオールドスタイルだったのではないかと思われる正統派のロックバンドっぽい感じ。
1992年8月の8位。B'zの女性版として企画されたらしい。
ビジュアルはまさに女性版B'z。こういうタイプの女性デュオって他にあんまり思い浮かばないし新鮮だな。
でも楽曲はあんまりそれっぽくないな。VガンのEDテーマ歌ってる人なのか。そっちの曲は知ってた。
1992年8月の16位。じんのうちたいぞう。すごい名前だ。本名らしい。なんかネットリした歌い方をしてる。
当時、ユニコーンのメンバーが連続でソロシングルをリリースするという企画があったらしく、この曲はその一環ということのようで。
なぜこの曲だけランクインしたのだろう…。
1993年2月の11位。女性ロックシンガーの草分けとしていくつかのヒットを飛ばした人らしい。
雰囲気としては大黒摩季っぽいかもしれない(もちろん浜田麻里のほうがデビューは先である)。
なんか系譜を感じるな。もうちょっと後に相川七瀬とかが出てくるのか。
1993年3月の6位。出生率低下を受けた厚生省の「ウェルカムベビー」キャンペーンの一環として結成されたチャリティーグループらしい。
メンツは小田和正、チャゲアスの飛鳥、カールスモーキー石井、玉置浩二、徳永英明、浜田麻里、山本潤子となかなか豪華。
1993年4月の17位。こちらはチャゲアスのチャゲを中心としたユニットらしい。
1993年5月の13位。これはサッカーの「オーレーオレオレオレー」か。Jリーグ開幕だなあ。
1993年6月の3位。グループ名と曲名でビーイング系っぽいと思ったらビーイング系だった。
デビュー時は二人組、曲調はロック色が強い感じで、ちょっとB'z的なコンセプトだったのだろうか。
1993年6月の20位。ちょっと古くさいロックバンドという感じ。いまでもメンバー変わらず活動しているらしい。
1993年7月の6位。テレビドラマ「チャンス!」の企画として、久保田利伸の同名の曲を、主演の三上博史が役名でカバーしたもののようだ。
1993年9月の6位。サザンオールスターズ絡みの企画らしい。よくわからん。
1993年9月の17位。男性二人組ユニット。双子らしい。ちょっとフォークっぽい曲調。
1993年10月の13位。女性目線で男を扱き下ろす歌詞がおもしろい。ちゃんと本人の作詞なのも良い。
もともとZYYGのベースの人と二人で組む予定だったのが音楽性の違いにより決裂してソロユニットになったらしい。
ちなみにZYYGのベースの人は音楽性の違いによりZYYGからも早々に脱退しているらしい。
1993年12月の16位。ほのかに90年代後半っぽさが混じってきた気がする。
何も知らずに「実は小室ファミリーですよ」と言われたら信じるかもしれん。
1993年12月の19位。こっちはド昭和だなあ。分類としては演歌になるのか。
1994年2月の19位。爽やかな感じの男性シンガー。いかにも90年代っぽいバラード調の曲。
いまは「支那ソバ玉龍」というラーメン屋をやっているらしい。音楽情報とラーメン情報が入り交じるTwitterアカウントがおもしろい。
1994年3月の12位。松任谷正隆に見いだされて他のアーティストへの楽曲提供も多数。「第二のユーミン」という異名もあったらしい。
この曲は明るい前向きな感じだけど、他の曲を聴いてみると郷愁を誘うような独特な曲調でちょっとジブリっぽいかもしれない。
1994年3月の19位。80年代ぽさもある哀愁の漂う歌謡曲という感じ。
1994年3月の20位。しっとりとして高音が綺麗な曲。曲調だけならビーイング系のDEENとかFIELD OF VIEWっぽいかもしれない。
1994年4月の7位。楽曲としてはあまり癖のない感じ。ボーカルの岡田浩暉は俳優としてよく見かける(名前は知らなかったけど)。
1994年5月の12位。こういう氷菓子あったよな、と思ったらガチで森永の「ICE BOX」の企画で結成されたグループらしい。
しかもボーカルの女性以外のメンバーは、中西圭三・池田聡・(久宝留理子「男」を作曲した)伊秩弘将という、この記事で取り上げた人たちばかり。
点と点が線でつながった感覚やね。なんかこの曲の「令和バージョン」もあるらしいよ。
暗めの歌詞をパワフルに歌う女性シンガーっていうとあいみょんあたりの先祖なのかもしれんね。
1994年8月の17位。お笑い芸人のダウンタウンが白塗りで芸者のコスプレして歌うという企画らしい。作曲は坂本龍一。
見た目はかっこいいんだけど歌は意外にポップというか可愛らしい。ちょっとリンドバーグっぽいか。
少しまえに「家、ついて行ってイイですか?」に出演していたらしい。
1994年11月の18位。80年代から活躍しているアイドル(?)らしい。
この頃には30代半ばのはずだけどコロコロとした可愛らしい声だな。
Wikipediaによると「胸キュン」という言葉を最初に発した人物だとか。マジかよ。
タイタニックで日本人乗客の生存者がいなかったら日本の音楽シーンは変わっていたかもしれない - Togetter
タイタニック、テレビ放映してるのを息子が観ている。ちなみに日本人乗客の生存者、細野正文の孫が細野晴臣なので彼が死んでたら、はっぴいえんども、Y.M.Oもティン・パン・アレーもなく、そこから大瀧詠一、松本隆、荒井由実、松任谷正隆という当時の音楽シーンが繋がらなくなるという話。
はっぴいえんど…旧知の大瀧詠一・鈴木茂・松本隆・小原礼で結成。バンド名は大瀧詠一が『多羅尾伴内楽団』と命名する。松本は元々ジャックスの影響を受けていたため、日本語詞を手がけることになるが、そのタイミングは1年ずれる。いわゆる「日本語ロック論争」は、同時期に登場した『あがた森魚とはちみつぱい』のあがた森魚や、元『ザ・フローラル』(細野がいないため、『エイプリル・フール』とは改名されていない)の小坂忠(『小坂忠とフォー・ジョー・ハーフ』)も巻き込まれる。
キャラメル・ママ~ティン・パン・アレー…鈴木茂が『フォー・ジョー・ハーフ(林立夫・松任谷正隆・駒沢裕城・後藤次利)』に合流するが、バンド名を変えなかったため、四畳半フォークを嫌う(フォー・ジョー・ハーフ=四畳半)荒井由実に無視される。吉田美奈子や金延幸子のバックを務めて評判となる。
荒井由実…1stアルバム『紙ひこうき』でバックを務めるのはムーンライダーズ。マニアックなコード進行と演奏で大ヒット。
Y.M.O.…当然結成されるはずもないが、坂本龍一と松武秀樹に、A児(あがた森魚)・矢野顕子を加えた電子音楽/テクノ/ニューウェーブユニットが世界を席巻。先鋭的でニューウェーブ色が強く、日本にもニューウェーブブームが巻き起こる。ここで坂本と矢野が出会い、矢野の離婚→坂本との結婚というイベントが発生。
P-MODEL…坂本/松武/A児/矢野路線とは一線を画した音楽展開で「ジャパニーズ・テクノ」の代名詞となる。
FILMS…ヒカシュー・プラスチックスと共に「ニューウェーブ御三家」と呼ばれる。
遊佐未森…カルト的人気を誇ったFILMS・外間隆史がプロデュースし、中原信雄も深く関与していることから、「ニューウェーブの歌姫」として人気を得る。
安田成美…細野からあんな音程の取りづらい曲を提供されることがなくなり、歌が「風の谷のナウシカ」の劇中で流されるが、特に上手というわけでもないのでかえって印象に残らず、芸能界から消えていく。
星野源…細野晴臣に私淑できないから、たとえ音楽シーンに携わるとしても今のようにはなっていない。必然として新垣結衣は星野源と結婚せず、別の誰かと結婚している。つまり、その「別の誰か」は、細野晴臣が存在したことによって、新垣結衣と結婚する機会を失ってしまい、しかも当人もそのことに気づくことができない。
思いついたら追記する。