はてなキーワード: 外国語学部とは
私は理工学系のなかでも、さらに女子の比率が低い学科に在籍しています。生物化学系や建築のような比較的女子が多いところではなく、150〜200人のうち女子学生数が一桁しかいないような、機械or電気or情報系の学科です。
で、一番嫌いなのが「なんでそこに入ったの?」って質問。
大学に入りたての頃、新歓に行くと必ずさせられる自己紹介。名前、出身、学部学科を名乗ると、たいてい「女子少ないんでしょ?」って聞かれて、「うん、○人中○人だよ」と答えると、「えー!なんでそこ入ろうと思ったのー?」って、その輪の中の誰か一人は必ず言う。たいてい文系女子。本人たちに悪気はないのもわかってるし、珍しいもの見て興味があるだけなんだろうけど。「なんで(女子なのに)その学科に(わざわざ)入ろうと思ったの?」って聞かれてるみたいで、ほんとウンザリ。
私たちは正統派のモテ女子です♡って顔して、何この子〜変な子〜って晒したいの?!?なに?!?じゃあ!!こっちから聞くけど!!!!そこの法学部!!!!昔の裁判の事例とか調べて楽しい?!そっちの外国語学部!!!!ほんとにフランス語の文法とか勉強したかったのか?!?数学とか物理とか苦手でオツムが弱かったから、手頃に入れそうでかつ就活に困らなさそうなとこ選んだんじゃないの??!?(そうじゃない人もたくさんいると思いますが、すみません)こっちからしてみたら、そんなことにはこれっぽっちも興味ないんじゃい。それよか、毎日あんたらが使ってるそのあいふぉんがどんな仕組みで作られてるかとか、Snowがなぜあんたのそのマツエクでなんとか誤魔化してる豆みたいな目を目だと認識して大きくしてくれるのかとか、そういうところにさぁ!興味があったんだよ!!!興味がないのに、こんな男だらけのむさくるしいところに毎日行けるかい!!!
と言えば角が立つから、ニコニコ笑って「興味のある学科だったから。」って言ってたけど。どうせ一度きりしか会わないような新歓だし一回暴れてみてもよかったなぁ、と今になって思います。来年の機械情報電気系の新入生女子には是非チャレンジして頂きたい。
てかね、これほんと、心折れるから。何百回とこの質問されて、そりゃもうね、心もバキバキ。高校生のときから運良くやりたいことが見つかって、入りたくて入りたくて必死に勉強して、やっと入ったのに、同じ境遇のはずの学科の男の子にも、学科に女の子が少ないから新歓で友達になろうとした文系女子たちにも、ことごとく皆に「なんでそこに?」って、疑問を持たれるの。自分の夢に。自分で見つけた自分のやりたいこと、なんで怪訝に思われなきゃならないの。って、もうまじで心折れた。あんなに入りたかった学科だったけど、自分の学科名乗るのが恥ずかしくなって、嫌いになりそうだった。高校生の頃は、なんでこんなに楽しそうなことしてる学科なのに女子の入学者少ないんだろう、って思ってたけど、入ってすぐ理解したね。ああ、この世界では女の子は生きにくいんだなって。実力うんぬんじゃなくて、"そこに存在することを理解してもらえない。"
「なんで?」って聞いてくる子に悪意がないのはわかってるよ。わかってるからこそ、本当に悲しいの。純粋な疑問を抱かれる程変なことしてる?こういうことに興味持っちゃだめなの?ってそう思えてくるの。同じ学科の女の子で、文系就職を選ぶ子もいて。そしたらそれはそれで「せっかくこの学科に入ったのになんで?」って言われてて。もうめちゃくちゃ悲しかった。やるせなかった。
自分で言うのもアレだけど、私はおしゃれも美容も好きで、顔がめっちゃ可愛いとかでは全然ないけど、見た目はそういう学科にいるように見えないんだろうなと思ってて。だからこそ余計に「なんで?」って聞かれたんだろうなと今となっては思う。だからといって「あ〜その学科にいそう〜」って言われたら言われたでショックだっただろうしwてか、文系の女子の「理系の女の子すごーい」みたいな小馬鹿にした感じほんとになんとかならない?大っ嫌い。まじで。
私が今、開き直って、立ち直って、全力で自分の夢を追いかけられているのは「女子がいてくれてありがたい」って、女子であることを尊重してくれて、それでいて女の子だからって甘やかしたりはしない、一人の人としてしっかり認めてくれる周りの人たち、そして、この学科に行きたいと言ったときに「やりたいことが見つかったんだね。がんばれ。」と手放しで応援してくれた両親がいたから。
そうやって認めてくれる人たちがきっとどこかにいるから。200人近く男の子いれば、そのうち何人かは理解してくれるから。自分の夢を諦めないで、絶対に。今いる場所じゃなくても夢が叶えられるのなら、思い切って飛び出してみて。(ちなみに私は途中で環境を変える決断をしました)
この記事で、心無い一言で悲しむ女の子が一人でも減りますように。(憶測だけど、看護学科とかの男の子も似たような境遇だったりするかな?そんな男の子たちにも届きますように。)
5chに連投コピペで貼られてたんだけど、ググっても元の文章が出てこない。
・すぎやまこういち(1931年東京都生。作曲家。日本バックギャモン協会会長)
・植松伸夫(1959年高知県生。神奈川大学外国語学部英語科を卒業後、TVCM等フリーで活躍し、1986年スクウェア入社)
(要約)
すきやま:
だんだんドラクエ関連のスケジュールだけで1年終わっちゃうみたいな有様になってきちゃって、
あんまり他のことができなくなってきてるんだよね。困ったもんだよ。
ドラクエやると、やれCDブックだアニメだときて、レコードもブラスバージョンやエレクトーンバージョンやピアノバージョンが出て、
そうなると色んな出版社がピアノ譜やエレクトーン譜を出す。そんなことやってるから1年潰れちゃうもんね。
植松:
すきやま:
どうしても大変だと思いながら、「このゲームが好きだなあ」ってことになるとついね。
植松:
まさか本当にやって頂けるとはね。言ってみるもんだなとつくづく思いましたよ(笑)
すきやま:
でも楽しかったね、あれは。FFVも大変だったね。やっと僕も上がったんですけどね。
植松君は働き者だなとつくづく思いましたよ。何曲あるの、あれ?
植松:
60近くはあるかもしれないですね。
すぎやま:
60曲あのゲームの中にあるということは、実際作った曲はその裏にもっとあるでしょう。何曲ぐらい?
植松:
1コーラス作ったという感じで言ったら100曲ぐらいいってるかもしれないですね。
すぎやま:
働き者だなあ(笑)
植松:
曲数が多いというのも一既にいいとは言えないとも思ってるんですよね。
すぎやま:
植松:
そんなでもないんですけどね、それでも10曲ぐらいは少ないかな?
すぎやま:
そうでしょ。やってる時はこの曲面白いなと思うんだけど、終わったあと覚えてる数が少ない感じがしたね。
その原因は何だろうと思ったんだけど、多すぎるというのがあるのかもしれないな。
でもやっぱりどんどん意欲が湧いて、ここはこういう曲にしちゃおう、ここはこうしようっていうのが出てきちゃうものだよね。
植松:
作ってる方としてはまだ足りないんじゃないかという気もするんですよね。完成したあとに自分でやってみますよね。
そうすると、こことここの音楽変わってないやっていうところがいくつかあるんですよ。
だから作った本人は全部曲覚えてるから別に問題ないんですけど、
自分以外の一般の人にとっては多いかなとは思ってるんですけどね。
30曲に抑えようとしたんですよ。IVのときもちょっと多いと思ったんです。
今回は絞り込んでやろうと思ってたんですけど、欲が出てしまいますね。
すぎやま:
僕も曲を絞り込むときは断腸の思いでね。切る作業が大変ですよ。
前にも言ったと思うんだけど、むこうのミュージカルなんかを見ると本当に曲数少ないんだよね。
でも植松さんのやり方でいいなと思うのは、1つの曲をシーンに応じてアレンジを変えて出すケースが多いでしょう。
植松:
すきやま:
働き者なんだよ。FFVの曲は植松さんの趣味趣向がはっきり出てるから、
それがある意味でいい個性になってていいなというのがありますね。
スコットランド民謡をはじめとして、民族音楽への傾斜というのがあるでしょ。
植松:
今回そのアイルランドのリールっぽい曲を入れたのって初めてなんですけど、あれを入れますと
ユーザーの意見なんかのハガキに「アイルランド行ってきて帰ってきたらもうこれだ」というのがあるんですよ(笑)
別にアイルランドから帰ってきて、その影響受けてやってるわけじゃないんですけど。
以前から凄く民族音楽に興味がありまして、入れたかったんですけどファミコンのときとかって難しいじゃないですか。
すぎやま:
ちょっとやりにくいよね。
植松:
いつかやってやろうと思ってたんですけど、あんまり興味本位で民族音楽好きだから
入れるというのも安っぽく見えてイヤかなと思ったんですけどね。
先日、すぎやま先生がうちの職場にいらした時にお話ししたんですけど、今トルコ音楽を習いに行ってまして、
すぎやま:
植松:
日本人だったら日本の音楽ルーツとして民謡とかがあるはずだと思ってるんですよ。
日本に昔からある音楽が自分の血の中にあるはずだって自分では思ってるんですけど、
一度「雅楽(古来の宮廷音楽の総称)」の“ひちりき”(雅楽用の竹製の管楽器)を習いに行ったことがあるんです。
そうすると自分の中に流れている血というよりも、逆にそれがすごく新しい、
ブライアン・イーノのシンセサイザーの音楽に近い印象があったんですよね。
すぎやま:
笙(雅楽用の管楽器)のハーモニーなんかは音の響きが非常にシンセサイザー的な新しさがあるよね。
植松:
そうなんですよ。だからこれはものすごく面白いけど、自分にとっての血ではない気がしたんですよ。
雅楽は朝鮮からのものですけどね、そういうルーツみたいなものを考えていったら、
逆にヨーロッパの民族音楽がすごく自分にピンとくるものがあったんです。
自分にとってピンとくるものを追っかけていく方が面白いんじゃないだろうかと思って、
最近は自分が日本人だから日本古来の音楽をどうのこうのという考えはなくなってきてるんですよね。
すぎやま:
僕ら日本人で日本の文化の中で暮らしていると、いつかは三味線音楽や琴の音楽が耳に触れてるわけ。
和風喫茶やレストラン、エアラインなんかでもいつの間にか聞こえてくる。
アメリカで生まれ住んでるとそれは耳に触れないで大人になっちゃうでしょう。
僕らは耳に触れてるから、知らない間にそういう音感は身についてると思うの。
町の音楽「ミーファー」ってメロディがいくときに、もう1つの声部が「ミーミー」とそのまま引っ張って、
ミとファが平気でガチャーンと使ってるのがあるでしょう(トゥールの村などの音楽)。
植松:
バッテンなんですよね。
すぎやま:
植松さんはあれにある種の美しさを感じるからやってるわけでしょう。
で、僕も日本人だから聞いて「あ、ここいいな」と思ったんですよ。
「ソーミーファー」というのと「ソーミーミー」というところでミとファがぶつかっているのは、
西洋音楽のエフメジャーセブンの中のミとファのぶつかりの意味とは全然違う意味のミとファでしょ。
それは江戸時代の三味線や琴の音楽でしょっちゅうやってることなんだよな。
「ラファミミファミミファファミ」といってるときに、1は「ミミミ」といってミとファがぶつかってるという、
そういうテンションに美しさを感じるという江戸時代の音楽家らの伝統みたいな感覚の流れがあるんだよね。
あの部分を聞いて植松伸夫もやっぱり日本人だと思ったんですよ。
で、僕もアレをイヤだと思わずに、あぁこれいいなと感じて、僕も日本人だなと再確認したんです。
植松:
ミとファの半音でメロディと伴奏が平気でぶつかることがしばしばあるんですよね。
自分でもああぶつかってるな、クラシックの音楽のテストなら絶対にバツだなと思っても、
その響き欲しいしと思ってそのまま残すこともあるんですよ。
すぎやま:
それが間違いか間違いじゃないかというのは、感覚的にそのぶつかりが許せるかどうかなのよ。
いいと思うかどうかなのね。だから西洋音楽なんかも近代音楽以降はガンガンぷつかるでしょう。
それが前後の関係や音楽全体の姿からいって、感覚的にこれが美しいと思えるものはマルなのね。
ミとファのぶつかりあいが美しいと思える感受性があってやったものであれば間違いじゃないんだよ。
ただそれが自分一人でいいと思ってるだけで、世の中全員が気持ち悪いと思ったら
植松:
難しいですよね。音楽を学問にした人というのは、かなり強引だと思ってるんですよ。
どうやって音楽の点つけるんだろうって未だに僕思ってるんですよね。
小中学校を通して音楽というものを学校の教育に取り入れて100点取った人は偉い、
大人になって楽器を手にしなくなっちゃう人が多いんじゃないでしょうかね。
すぎやま:
音楽教育というのがどうあるべきかというものは、これはもっと考えなくてはいけない問題で、
植松:
すぎやま:
笛を吹いたことについて点数つけることよりも、笛吹く楽しさをわからせるのが大事だよね。
だからファイナルファンタジーとかドラゴンクエストの音楽というのは大事なんですよ。
植松:
ドラゴンクエストの音楽が好きになってコンサート行きますよね。
すぎやま先生なんかのコンサートはフルオーケストラでやってらっしゃるでしょう。
それはものすごい影響力だと思うんですよね。
子供がオーケストラを生で聞くチャンスが普段あるかというと、少なくとも僕は子供の頃そんな経験はしてないんですよ。
そうすると、ある意味ですごく羨ましいんですよね。小学校2-3年という頃に、N響の音が年に1回、生で聞けるわけでしょう。
すぎやま:
他のオケなんかのコンサート数えると、20-30回やってるよ。全部ドラクエじゃないにしても、1コーナーとかね。
だから、あちこちに頼まれて棒振りに行く仕事もやってます。それは大事なことだからね。
植松:
すぎやま:
しかし、いつもゲームの音楽作るときに、昔の大作曲家の作品聞くじゃない。
とてもかなわないなと思うことが多いね。
植松:
すぎやまさんがそんなこと言ったらこちらの立場はどうなるんですか(笑)
すぎやま:
昨日久しぶりにバレエ見ようと思って神奈川県民ホールに「くるみ割り人形」見に行ったの。
チャイコフスキーのド天才めって感じだよ(笑)。とんでもない天才だね。
植松:
チャイコフスキーは僕もすごく好きですね。音楽は誰が好きなんですかなんてインタビューとかであるじゃないですか。
すぎやま:
とんでもない大天才だよね、あの人は。
あの時代で20世紀の音楽家が考えて書くようなヴォイシングやってたりするわけよ。オーケストレーションのうまいこと。
植松:
この前、西田敏行がロシアに行ってチャイコフスキーの足跡を辿るという番組をテレビでやってたんですよ。
僕もチャイコフスキー好きだから見てたんですけど、チャイコフスキーはホモであるというのを聞いて、
「ああ良かった」と思ったんですよね(笑)
すきやま:
その良かったというのはどういう意味なの?
植松:
チャイコフスキーも人間だったんだなというね。ま、噂なんですけどね。
すきやま:
モーツァルトなんか完全にいってるよね。大天才でも大欠点があるという。
植松:
チャイコフスキーにしろモーツァルトにしろ、メロディが非常にわかりやすいんですよね。
クラシックって難しいから嫌いという人が多いですけど、そんなことないと思うんですよ。
すきやま:
ベートーベンとかブラームスあたりはみんなそうだよ。いいメロディもってるよ。
植松:
すぎやま:
植松:
だからドラクエなんかはオーケストラでやっても子供が聞けるんですよ。
すぎやま:
ドラクエにしてもFFにしてもメロディ大事にしてるからそこに強みがあるでしょう。
他にもFFでは民族音楽的なのがありましたな。デデンッデデンッ…てやつ(笑)
植松:
すきやま:
だからそのうちトルコも出てくるぞ(笑) FFでは吟遊詩人というジョブがあるじゃない。
吟遊詩人がマップの中のトルコやアイルランドみたいなところへ行ったりするとそこの音楽を覚えて、
それを戦闘中に唄うと何かが起こるみたいなことがあれば面白いんじゃない。
植松:
すぎやま:
増えるね(笑) でも吟遊詩人というジョブがあるから使えそうな気もするね。
植松:
一度何かに絡めてやってやろうと思ってるんですけどね。
どうしても容量がそういう余分なところまで回らないんですよ。
すぎやま:
植松:
すぎやま:
ダンジョンも違う?そんな気もしたんだけど。
植松:
いや、ダンジョンという曲は1曲しか用意してないんですよね。他で使ってるのを使いまわしてるんです。
すぎやま:
でもなんかすごく多い気がしたな。
植松:
実際多いんですよね。飛空艇は1曲ですし、チョコボは2曲だし。
すぎやま:
チョコボはまた面白いね。あの音楽と動きを見事にシンクロさせてて良かった。
植松:
あそこらへんはプログラマなんかと楽しんで作ってましたよ。
すぎやま:
植松:
ヘタクソなやつが最後はコンサートピアニストぐらいにしてくれと言われたんで、
最初はメトロノームにも合わせられないようなところから始めて、最後はドビュッシーまで弾けちゃうんですけど、
あのドビュッシーの曲(月の光)をみんなあんまり知らないんで、ガッカリしちゃったんです。
すぎやま:
グリークとかチャイコフスキーのピアノコンチェルトみたいな方がコンサートピアニストみたいな気がするからね。
植松:
そうですよね。最後のが弱かったのが残念だったな。
すぎやま:
植松:
息抜きというやつですね。でも結構一生懸命やっちゃうんで、息抜きできなくなっちゃうんですけど。
すぎやま:
作ってる本人はいいんだよ。遊ぶ方は息抜きできるんだから。植松さんはドラクエは上がったの?
植松:
実は最後のダンジョンの手前でFFVのアレンジCDの仕事に入っちゃいまして、まだなんですよ。
すぎやま:
上がってないの!?
植松:
今日までに終わらせるつもりだったんですけど。
すぎやま:
僕は対談頼まれたときに、12月中だと聞いてそれまでにFFVを終わらせる自信ないって言ってたんだけど、
元祖プロゲーマーを称してるからには面目にかけても上がろうと、しゃにむにやって上がりましたよ。
途中でやんなっちゃうゲームだと上がれないけど、やってて楽しかったから相当寝不足になりましたよ。
植松:
今回はアマチュアの勝利ですかね。スクウェアのメンツって、単独で独立して音楽で食っていけるか、
絵で食っていけるか、企画で食っていけるかという連中がまだ1人もいないんですよね。
すぎやま:
植松:
いえいえ。平均年齢がまだFFチームでいうと25ぐらいなんですよね。
すぎやま:
ドラクエチームもそうですよ。皆さん若い。僕1人だけ飛び抜けてるんだ。
植松:
結局若い、何かやってやろうという奴らが集まってるんですよね。
そいつらが泥まみれになって一緒くたになって限度知らずの頑張りをするんですよね。
全てのプロの人がそうというわけじゃないんですけど、中にはお金と割り切って仕事をする方もいらっしゃいますよね。
そうするとある程度から先の気力とか頑張りを越すというのは難しいというのがたまにあるじゃないですか。
そういうことが5のチームには無かったんですよ。
とにかく最後の最後まで、〆切のマスターを任天堂に送る朝まで、どこまでできるかということをみんながやったので、
そこらへんの適当なプロの人を集めて作っても、ああいう気合いの入った作品は出来なかったんじゃないかなと思うんですよ。
今になってやってみると、あそこをこうした方がいいというのはうのはいっぱいあるんですけど、
終わった時点ではもうこれ以上はできない、とみんなが思ってるんですよね。僕もあのときはそうでしたしね。
すぎやま:
結局世の中を見てると、FFにしてもドラクエにしてもそうだけど、
好きで好きでとことんまで頑張るという人が集まってるところのゲームがヒットしてるんだよね。
植松:
https://twitter.com/viyoukama/status/1369923434839347201?s=21
これか。初めて見た。下に書いたのは普通に俺の話だよ。日本の大学の外国語学部からサラマンカに留学してた
当時海外留学してた人なら分かるかもしれないけどだいたい人の暖かさに触れたんじゃないだろうか
スペインは本当にいい国だから興味持ってくれた人はコロナが落ち着いたら行ってほしい
だいたいマドリードかバルセロナになると思うけど、サラマンカにもぜひ行って欲しい
マヨール広場懐かしい。今思えばあそこを通学路にしてたなんて信じられないほど美しい
ある時カフェで飯食ってたらおっさんにハポネス?(日本人?)と聞かれてシー(はい)と返すと
ワーーーーッてすんげえ早口で喋られた
いやさすがに聞き取れねえよと思い、ゆっくり喋ってくれって言ったら
あまりにも非現実すぎて???ってなったしとにかく意味が分からなかった
とりあえず日本でやばいことが起こってる、ということだけ拾えた単語から分かった
多分俺の実家がああなってると思ったんだろう(実際はなってない)
カフェ内の人たちが次々に俺を抱きしめ、小銭を俺のテーブルに出し始めた
俺はもらえませんと言ったがみんなまた早口でワーーーーッと同時に喋り始めたから(スペイン人あるある)もう収集つかずにとりあえずもらった
寮に帰って寮母さんに相談しようとすると寮母さんも俺を抱きしめた
翌日から日本のニュースを見たりして未曾有の大災害ということを理解し、急に怖くなって日本人の仲間たちと集まった
普段は語学の上達のためにも日本人同士でもスペイン語で喋っていたが
その時はもうそれどころではなかったのでみんなブルーな気持ちで日本語で話し合った
するとまた人が寄ってきて、俺らが日本人か確認すると俺のノートにゴリゴリなにかを書き始めた
その時は字が現地向けでわからず対応できなかったが、後から解読すると「◯◯(店の名前)に行け。そして、◯◯(書いた人)が後で払うと言ってましたと言ってたらふく食べろ。何度やってもいい。」とその人のフルネームと電話番号、勤務先まで書いてあった
あの時は涙が枯れるほど泣いた
その人に会いたくて実際にの前をちらっと通ってみると、気軽に入れるバルだらけのスペインの中では結構な高級店で入る勇気が出なかった
就職してからは社畜で休みが取れず、転職してやっと結構自由になったらコロナになった
コロナでその店が無くならないか不安だったけどとても繁盛してるっぽい
はやく行きたい。あの人はまだあの店に通ってるだろうか。
そういえば、自分がレズビアン寄りのバイだと気づくまでは、むしろ自分のことをバキバキのノンケだと思っていた。
なぜなら、女性健診の相手が女医さんだとものすごく苦痛だったから。性器や乳房を女医に一方的に触れられるのが屈辱的に感じていた。男性医師に対して、この感情を感じたことはない。その時は、自分が度を越えたノンケだから女性に性的な部分を触れられるのが嫌なのだと思っていた。
3年前に、とある趣味の社会人サークルに入って知り合った6つ下の女の子と親しくなった。
わたしは、基本的に理屈っぽくて尊大にふるまう癖にウジウジしていて辛気臭い人間という自己評価なのだが、年下からは姉御肌と評され男女問わずよく親しくしてもらう。
そんな中で知り合った彼女は、わりにサバサバしていて、小柄で、童顔で、かわいらしい女の子だった。
サークルに顔を出した時の彼女は、部屋を見回してわたしを見つけた瞬間ぱあっと笑顔になって駆け寄ってきた。
飲み会ではよく「増田さーんここあいてますよー!」といって隣に誘ってくれた。
最初、「なついてくれてる」のではなく、単純に先輩後輩的な仲だから媚びたりおべっか並べたりおだてられたりしているだけだと思っていた。
しかし、ある時に飲み回の二次会で行ったバーでボックス席に2人きりになったときに、メチャクチャ酔っぱらった彼女から恋愛感情で好きだということを告げられた。
ちょっとびっくりした後、「うれしい」と感じている自分にさらにびっくりしたのを覚えている。そして、そんな気持ちを泥酔して噴出するまで抱えこんでいた彼女がめちゃくちゃに意地らしく見え、愛しく感じて、断る気は起きなかった。
そうして交際関係となり、彼女はサークル活動のない時にも会うようになったのだった。
そうは言っても、実はわたしは当時アラサーで、彼女は大学生だった。
それに、わたし自身どこかで親戚の幼子のおままごとに付き合うような気持でいたことは否めない。
彼女に男性経験がないということは付き合う前から聞いていた。女性を好きになったのはわたしが初めてだとも。
そういうわけで、彼女の好意を疑うわけではないが、どの程度真に受けるべきか判断に迷っていたのだ。
大学生のうちだとまだ恋に恋していたり、憧れを恋愛とはき違えたりするものなんじゃないの?
そのうちやっぱり「男が好き」とか言い始めてもおかしくない。とはマジでずっと思っていた。
だいたい、元から友人関係だったのもあってか、交際関係となってからも2人の付き合い方はこれまでと変化なかった。また、何か変化を起こすべきは彼女のほうだと、大人げないが思っていた。この関係性は彼女の好意ありきだった。彼女の好意の形に応じて、わたしもしてやれることや差し出せるものがあれば、できる限り応えたいと思っているのみだった。
余談だが、当時私は8年ほど交際していた男性と別れて1~2年くらいだった。別れて数か月はいわゆる婚活や恋活的なことに精を出していたのだが、やはりわたしの性格そういうことに向いていないと自覚させられただけだった。このままいくと一生結婚できないかもしれないと思った。いや、それはそれで良いのだが、「わたしは一生誰ともパートナー関係になれないかもしれない」ということに関しては、やや悲観していた。猫でも飼おうかしら、と本気で思っていた。そんな時だったから、彼女との関係性がどう運ぶかに関しては、純粋に好奇心をもって臨んでいた。
閑話休題。
わたしは理学部科学科を修めていた人間で、自分で言うのもなんだがステレオタイプそのままのあまり女らしくないタイプの女だ。学生時代の友人付合いと言えば、一人暮らしの奴のアパートで麻雀しながらいいちことタバコをなめるばかりだった。
彼女は外国語学部英語学科。わたしが見てる限り、いつも何が可愛いのわからん流行りの服を着て、いつもメイクばっちり。イケている。そして、普段友人と何してすごしてるのかなぞ、知りたくもない。
いつも彼女からデートの誘いを受けていて申し訳ないなとは思っていたのだが、わたしはどこに誘っていいのかわからなかった。それに、わたしは流行とかお洒落に全く興味がないタチなので、やはりどうしても若くてイケてる彼女の隣に立って休日のモール街を歩くことには気後れを感じていた。
そんなある日、彼女から水族館に誘われた。これまでデートといいつつ友人ともやるような近場ウロつきしかしてなかった中、水族館とはめちゃくちゃデートっぽい。と少しテンションが上がった。そもそも水族館は好きだ。
そして当日。待ち合わせた駅に姿を現した彼女はいつもと違っていた。
普段だったら絶対着ないだろう薄紫地にエーデルワイス柄の女の子らしいワンピース。その上にレースっぽいカーディガンを羽織って、足元は華奢なサンダルだった。
めちゃくちゃかわいかった。コッテコテのデートコーデだということはさすがのわたしも気づいた。
「いつも増田さんわたしの服イジってくるから、今日はわかりやすく可愛くしてきましたw」
そう言って笑う彼女を見て、世の男は彼女からこんな接待を受けているのか羨ましいなぁと見当違いなことを思った。
水族館へは新幹線で向かった。一緒に電車に乗るのも初めてで、隣の座席に座る彼女のワンピースからのぞく白い膝がとてもきれいで感動した。
彼女は普段ほとんど足を出さないなということにその時気づいた。
水族館では目玉展示物の餌やりが行われていた。わたしはこれが大好きで、ここに来るたびに動画を撮影していたのだが、この日ばかりは彼女の写真を撮ってばかりだった。
「いつもそういう格好すればいいじゃない」と言ったら「本当はこういう格好は好きじゃない、デートだから着ただけ」と言われて身勝手ながら非常に残念な気持ちになると同時に、即ちわたしのために好きでも無い格好をしてくれたと言っても過言ではないのだなと思い至った。
暗い館内でサンゴ礁を眺める彼女の細い方がレースのカーディガンに透けていた。
揺れるワンピースの裾がこんなに魅力的なものだとこの時初めて知った。
水槽のアクリルに這わせていた彼女の手を指先でつんつんすると、彼女は不思議そうな目でわたしの手を見ていたので、手のひらを上にして差し出すと、彼女はいつもみたいにぱあっと笑顔になって握ってくれた。そこからは手をつないで見て回った。今まで、恋人と手をつなぐことをこんなに幸せに思ったことはなかった。
周りから見て、わたしたちは恋人同士に見えるだろうか。それとも、ただの仲良し女二人組にしか見えないだろうか。恋人に見えていたらいいなと思った。
そうだ、この可愛い生き物は、わたしの恋人なんだ。と思った瞬間、頭に血が上ったみたいな感じを受けた。つまり、その細い肩を馴れ馴れしく抱く権利も、何ならスカートの裾の内側に手を伸ばす権利も、わたしはすでに持っているのだと、気づいたから。
来月で交際し始めてから満3年となる。わたしは30になり、彼女も就職2年目を迎え、そろそろ一緒に住もうかどうしようかという話をしている。
そんな中で気づいたのだが、わたしはゴリゴリのボイタチだった。
そして、いくら可愛い彼女が相手でも、リバられそうになると一気にテンションが下がってしまう。
この萎え方覚えがあるな~と思ったら、婦人健診で感じる不快感がこれと同系統なのだった。
つまり、わたしは「バキバキのノンケだから婦人健診で女医に診察されるとつらい」のではなく、「ゴリゴリのタチだから婦人健診で女医の前で俎上のマグロを演じねばならぬのが不服」が正しいのだった。
・経済学部には行かせたくない
せっかく息子にお金をかけて大卒にしたのに、経済学部に行ってしまうと高卒女性の一般職と同じ制服を着て同じオフィスや事務所で働くことになる
・外国語学部には行かせたくない
せっかく息子にお金をかけて大卒にしたのに、外国語学部に行ってしまうと単位のためとはいえ留学という渡航をさせることになる
しかも通訳なんか高卒どん百姓の仕事で、そんなものに関わらせたくない
※翻訳ばかりするならまだまし
・文学部には行かせたくない
そもそも話にもあがらない
・法学部には行かせたくない
息子がオタクなんかはずかしい
※お上に弱い人だと「県庁や財務省は法学系の学生を採用する」というと一発で寝返る
「みずほ銀行や大和証券は法学系の学生を採用する」というとかなりの田舎もんが寝返る
・教育学部ならOK
教育学部なら基本男が多く、先生とも結婚しやすいっぽいので、教育学部進学なら応援するわ
※芸術学部とスポーツ学部は別枠、ただし、芸術家差別を知ってる親は芸術学部を嫌う
https://www.news-postseven.com/archives/20170609_562200.html
https://matome.naver.jp/odai/2140573719102419301
https://www.sankei.com/affairs/news/151007/afr1510070017-n1.html
「交際断られて一方的に恨み、惨殺」女子予備校生殺害、元少年に懲役22年求刑 福岡地裁公判」
https://www.sankei.com/west/news/171017/wst1710170067-n1.html
このへんの話。
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20170907/k10011129891000.html
http://d.hatena.ne.jp/gryphon/20170908/p2
事情に詳しくない人からすると「なんでそんなにカタルーニャは熱くなってるの?」って感じだろうと思うので、簡単に解説したあとで補足説明をつけます。
背景を説明するためには、時代をいっきに40年ほどさかのぼる必要があります。
1975年に、スペイン総統フランシスコ・フランコが亡くなりました。その結果スペインは王政復古し、現国王の父であり当時国王だったフアン・カルロス1世のもとで民主化への道を歩んでいくことになります。この王様、退位前の数年間はひどく評判が悪かったんですが、民主化に反対する軍将校が起こしたクーデターを鎮圧したことで即位直後は民主化の守護者としてたいそう人気がありました。ちなみに現国王のフェリペ6世は当時10歳にもならない子供だったので深夜に行われた国王とクーデター首謀者との会談の席ではおねむだったのですが、船を漕ぐたびに「おまえは王様になるんだから王様のつとめをよく見ておきなさい」と父君に優しく揺り起こされていたそうです。なにそれ萌える。
閑話休題。このフランコ政権ですが、典型的な「スペインは単一民族国家だもん!」派の政権でした。彼が在世中はカタルーニャ語やバスク語をおおやけの場で用いることはひどく抑圧され、内戦前のカタルーニャ州政府首脳陣は殺されるか投獄されるか亡命するかという感じでした。そのフランコが死んだことで、亡命州政府のトップがスペインに帰国し、民主化が進展します。このとき、フランコ体制下で抑圧されてきた「スペインは多民族国家になるべきだもん!」派が一気に声をあげはじめます。
(ここでいう「民族」ってのは、英語のネーションにあたる、スペイン語のnación、カタルーニャ語のnacióのことで、「自分で国を作れる権利や能力のある集団」みたいな感じなんですよね……うまく説明できないんですが。なので移民とかは勘定に入れてません。この文脈だと「国民」と訳した方がいいのかも。「スペインは単一民族国家だよ」というのは「スペインにいるのは『スペイン国民』だけであり、カタルーニャ人もバスク人もひとしく『スペイン国民』だよ」ということで、カタルーニャ人たちは「スペインには『カタルーニャ国民』や『バスク国民』もいるんだ」と主張してるわけですね)
民主化したからにはちゃんと民主的な憲法を作らないといけませんが、これが紛糾します。単一民族国家というのはフランコだけの思想ではなく、熱心なスペイン・ナショナリストはフランコ死後も消えてなくなりはしなかったわけです。彼らは頑強にスペインの統一、つまりスペインが単一民族国家であることを守ろうとします。一方でこれまでさんざん煮え湯を飲まされてきた地方の側もそれでは収まりません。そんななか、妥協として制定されたのが1978年憲法でした。条文の英訳をウィキソースからコピペします。
Section 2
The Constitution is based on the indissoluble unity of the Spanish Nation, the common and indivisible homeland of all Spaniards; it recognises and guarantees the right to selfgovernment of the nationalities and regions of which it is composed and the solidarity among them all.
太字にしたところはテストに出るので覚えておいてください。ここではスペインがひとつのネーションからなり、不可分であること、そしてネーションの他にいくつものナショナリティが存在することが謳われています。ナショナリティっていわれると普通は「国籍」って意味なんですが、この文脈では「準ネーション」みたいな意味だと思ってください。つまり、ネーションはひとつしかないけど、準ネーションっぽいものはいくつもあるよ! ってことですね。
(ところで、この憲法からもわかる通り、スペインは連邦制国家ではありません。連邦制かと見紛うばかりに地方に権限委譲がなされてはいますが、それでも「連邦制=国の集まり」ではなく「スペインは不可分のひとつの国!」ということになっているのです。これを専門用語で「自治州国家体制」といいます)
この憲法にのっとってカタルーニャは自治州の地位を得、フランコ体制下で迫害されていたカタルーニャ語を復活させるための政策に着手します(これを「言語正常化」といいます)。使用が弾圧されただけでなく、工業化が進む中でスペインの他地方からの移民が来て、カタルーニャ語を解さない州民が増えていたのです。また、なにせ相手は数億人の使用人口を誇る言語ですから、話者数数百万人のカタルーニャ語など放っておいたら自然淘汰されてしまいかねません。州政府は公教育にカタルーニャ語を導入し、様々な場面でカタルーニャ語使用を義務づけ、カタルーニャ語の使用に助成金を出し、結果として今ではほとんどの州民がカタルーニャ語とスペイン語の見事なバイリンガルに育つようになっています。
(助成金は、たとえばパソコンのOSのカタルーニャ語訳とかに出されています。数億人が使ってるスペイン語は経済的にペイするのですぐに翻訳されて、なおかつ州民はみんなスペイン語ができるので、放っておくとみんなそっちを使っちゃうんですよね……)
ところでこの憲法、実はもうひとつトラップがあります。それは公用語について定めた条文です。
Section 3
C1. Castilian is the official Spanish language of the State. All Spaniards have the duty to know it and the right to use it.
C2. The other Spanish languages shall also be official in the respective Self-governing Communities in accordance with their Statutes.
C3. The wealth of the different linguistic forms of Spain is a cultural heritage which shall be especially respected and protected.
そう、カスティーリャ語(つまりスペイン語)は、スペイン市民(たとえバスク人やカタルーニャ人であっても)にとって知る「義務」があり、使う「権利」がある唯一の言語なのです。逆に言えば、それ以外の言語を使う「義務」を州が課すことは違憲になります。
この時点で、たとえばカタルーニャ州が州内の教育をカタルーニャ語だけで行おうとしたら違憲です。カタルーニャ州が州民に高度なバイリンガル教育を施しているのは、理想が高いのではなくそうせざるを得ないということです。またカタルーニャ州の言語政策も、たとえば「お店のメニューにカタルーニャ語を使う義務」「商品のラベルにカタルーニャ語を使う義務」「企業の広報活動でカタルーニャ語を使う義務」といったものを法で定めたりしていますが、これは個々人に対する義務ではないのでギリギリ合憲ということになっています。なっているはずでした。
ところで、カタルーニャも極楽ではなく、何をするにも先立つものがいることには変わりありません。つまりお金です。ところが、スペインの自治州には基本的に徴税権がありません。バスク自治州とナバラ自治州には歴史的な事情(ありていに言うとスペイン継承戦争で官軍についた)によって徴税権があり、その一部を国庫に納入していますが、カタルーニャはあくまで国が徴税して配分するお金を受け取る立場です。そしてカタルーニャはスペイン全体でみても豊かな地域であり、多くの税金がカタルーニャから徴収され、多額の税金がカタルーニャに還元されています。
しかし、その収支が赤字だということが大問題なのです。カタルーニャから徴収される税金は、カタルーニャに交付されたり還元されたりする際に8%ほど目減りしています。しかも、これだけ払っていながらもインフラ整備は後回しにされているのです。カタルーニャだけ高速道路は有料で列車の老朽化も放置、EUから勧告されたカタルーニャの高速道路整備も中央政府は拒否っておきながらマドリードなどカスティーリャのインフラはしっかり整備しています。他州より高く払っているのに他州より低いサービスしか受けられないのは何事だと、カタルーニャ州民が怒るのももっともです。
こうした状況を受け、2000年代に入ると自治憲章(要するに自治州の憲法ですね)改正の動きが活発化します。自治州議会は、徴税権やカタルーニャがネーション(nació)であることを盛り込んだ憲章草案を可決しますが、中央政府(当時は左派の社会労働党)との交渉で徴税権は削られ(かわりに公平な交付金の支給を約束。結局実施されてませんけど)ネーション条項は前文のみ。妥協のすえ2006年にようやくスペイン国会を通過して新自治憲章が成立します。
これに待ったをかけたのが国民党(現・与党)です。彼らからしてみれば、「一地方の自治権強化はスペインの統一に反する」というわけですね。彼らはこの自治憲章が憲法違反だと憲法裁判所に提訴、これに対抗してカタルーニャではデモが盛り上がり、「我々には自決権がある」という主張が登場します。そして2010年、憲法裁判所は自治憲章の多くの条文に違憲判決を下しました。しかもその判決は、これまでカタルーニャが行ってきた自治権強化政策を否定し、自治権をより縮小する方向のものでした。カタルーニャ語を行政において優先させる規定は違憲となり、カタルーニャをネーションとした前文は、スペインにおいてネーションはただひとつとして法的拘束力はないとされたのです。そしてこの違憲判決に基づいて、カタルーニャの学校ではスペイン語で教えるべし、という判決も出されました。
ここまで妥協しても憲法違反になるのか……という絶望が、一気に民意を独立へと傾けていきます。それまで20%前後を行ったり来たりしていた独立への支持率が、この違憲判決を境に一気に30%を超え、2013年には60%に達しました。今の憲法がある限り、スペイン国家に留まっている限り、カタルーニャは自由にはなれない、と多くの人びとが考えるようになったのです。移民の子孫だってカタルーニャに暮らしているわけですから独立に傾きます。
2014年、カタルーニャ自治州は「法的拘束力のない」住民投票の実施を計画しますが、違憲とされて差し止めが命じられました(提訴したのはもちろん中央政府です)。じゃあ非公式の模擬投票やろうぜ、と言ったらそれも違憲とされて差し止め命令が出されます(模擬投票も認めないなんて表現の自由に対する攻撃だと国際的に抗議が殺到した模様)。結局自治州は非公式の投票を決行しましたが、中央政府は憲法違反の投票を強行したとして当時の州首相らを刑事裁判にかけます。ちなみに裁判期日として指定されたのは、フランコ政権によって内戦前最後のカタルーニャ自治政府首相が銃殺された日でした。煽り力高い。州首相だけでなく州議会議長まで訴追するよう憲法裁判所は命じています。民主主義とは。
このような国民党政府の対応が火に油を注ぐ結果となり、今回の住民投票実施に至るわけですが、この期に及んでなお国民党は「カタルーニャ自治州に毎週会計報告を義務付け、違反した場合は交付金を停止する」と表明したり(http://www.pressdigitaljapan.es/texto-diario/mostrar/775503/)、プッチダモン州首相を訴追する準備を進めていたりして(http://www.politico.eu/article/catalonia-independence-referendum-spain-the-carles-puigdemont-factor/)、まあある意味通常運転です。「やっぱスペイン国家の枠内では自治権保証されないじゃん……」とカタルーニャ人に思わせるだけの簡単なお仕事。こうして着々と独立に向けたフラグが立っていくのでした。
スペイン政府はオプションとしてカタルーニャ自治州政府の停止も視野に入れているという報道があります。根拠となるのはスペイン憲法155条です。
Section 155
1. If a Self-governing Community does not fulfil the obligations imposed upon it by the Constitution or other laws, or acts in a way that is seriously prejudicial to the general interest of Spain, the Government, after having lodged a complaint with the President of the Self-governing Community and failed to receive satisfaction therefore, may, following approval granted by the overall majority of the Senate, take all measures necessary to compel the Community to meet said obligations, or to protect the abovementioned general interest.
2. With a view to implementing the measures provided for in the foregoing paragraph, the Government may issue instructions to all the authorities of the Self-governing Communities.
ぶっちゃけこのオプションが採られた場合投票は物理的にはできなくなるでしょうが、まあスペイン国家とスペイン憲法へのヘイトをためるには十分すぎるほどなので、余計に独立への意志を強めるだけですよね……という辺りが現状言えることです。部外者としてはワクテカが止まらない祭り出来事ですが、楽しむためには背景知識が必要だろうと野暮を承知で解説してみました。部屋を明るくして画面から離れて住民投票をお楽しみください。
そもそもなんでカタルーニャがスペインの一部になってるの? とか、カタルーニャの栄光時代はいつだよ……ジャウマ1世の時か? とかの疑問が湧いてきた時にオススメです。住民投票は……住民投票は今なんだよ!
きみが指定校推薦や公募制推薦を受けることを希望しないなら、授業はてきとーにやっつければいい。
受験科目について、別に今から変えてもいいんじゃないかな、とおもう。
受験する学校だって、無理に外国語学部にこだわる必要はないんじゃないかな。
とにかく、何とかして大学に行くことだけ考えてみるのもいいかもしれない。
私の妹は私から見れば、「要領悪いし勉強できないやつ」だった。
美大に進学して、ある日図書館で借りてきた本を読んで、「世界史面白い! 勉強面白い!」となって、それ以来よく本を読み、作品を作り、卒業していった。
(しきりにゴンブリッヂ先生がーと言っていた。元増田もよかったら読んでほしい。私は読んだことはない。)
知識を得るだけでなく、組み合わせること、表現すること。それを妹はよく実践していた。
今は販売の仕事をしているが、「お客さんにどうしたら興味を持ってもらえるか?」 情報を仕入れたり、実践したり楽しそうだ。
妹は大学で、まさしく学びのあり方を学び、卒業した今も実践しているのだと、誇らしく思う。人間として尊敬している。
世界について学ぼうと思ったとき、回りと自分を比べる必要はない。自分の力で学んでいけばいい。
ぶっちゃけいくら進学校だったって入学時にそんな進路に関わる無茶苦茶な選択させるんじゃねえよとか、分割履修やめろ転入のとき面倒なんだよとかそんな気持ちです。
難関大学目指してる高3女子で文系。タイトル通りなんだけど、端的に言うともう日本史したくなさすぎて泣きたい。学校の指導方針?なのかは分からないけど、三年間で世界史AまたはBを選択することになってて。文系で地理選択はなし。社会の科目選択って入学したときにするから、将来やりたいことも特になかったのでなにも考えず一年で世界史Aを選択した。これがすべての始まり。悪夢。
もちろんA科目とB科目の差は分かってるつもりで、だけど自分は世界史好きだし向いてるなーと一年のとき思ってしまって。2年から今も日本史Bやってるけどクッッッッソつまんなくて泣きたい。文理混合クラスだから少ない文系の中でも日本史選択は2人しかいない。そして恐ろしいことに気づいた。大学に行って外国のこともいろいろ知りたい!と思ったとしても(もともと外国語学部志望ではなかった)、まわりは多分みんな高校で世界史やってるからわたしが大学で一から世界史を学ぶとか不可能。
ああああああああああああ
最近、東大女子家賃の件で、高学歴女子がどうのこうのって話になってますが、マイノリティ理系女子からも、ひとこと言わせて。
私は理工学系のなかでも、さらに女子の比率が低い学科に在籍しています。生物化学系や建築のような比較的女子が多いところではなく、150〜200人のうち女子学生数が一桁しかいないような、機械or電気or情報系の学科です。
で、一番嫌いなのが「なんでそこに入ったの?」って質問。
大学に入りたての頃、新歓に行くと必ずさせられる自己紹介。名前、出身、学部学科を名乗ると、たいてい「女子少ないんでしょ?」って聞かれて、「うん、○人中○人だよ」と答えると、「えー!なんでそこ入ろうと思ったのー?」って、その輪の中の誰か一人は必ず言う。たいてい文系女子。本人たちに悪気はないのもわかってるし、珍しいもの見て興味があるだけなんだろうけど。「なんで(女子なのに)その学科に(わざわざ)入ろうと思ったの?」って聞かれてるみたいで、ほんとウンザリ。
私たちは正統派のモテ女子です♡って顔して、何この子〜変な子〜って晒したいの?!?なに?!?じゃあ!!こっちから聞くけど!!!!そこの法学部!!!!昔の裁判の事例とか調べて楽しい?!そっちの外国語学部!!!!ほんとにフランス語の文法とか勉強したかったのか?!?数学とか物理とか苦手でオツムが弱かったから、手頃に入れそうでかつ就活に困らなさそうなとこ選んだんじゃないの??!?(そうじゃない人もたくさんいると思いますが、すみません)こっちからしてみたら、そんなことにはこれっぽっちも興味ないんじゃい。それよか、毎日あんたらが使ってるそのあいふぉんがどんな仕組みで作られてるかとか、Snowがなぜあんたのそのマツエクでなんとか誤魔化してる豆みたいな目を目だと認識して大きくしてくれるのかとか、そういうところにさぁ!興味があったんだよ!!!興味がないのに、こんな男だらけのむさくるしいところに毎日行けるかい!!!
と言えば角が立つから、ニコニコ笑って「興味のある学科だったから。」って言ってたけど。どうせ一度きりしか会わないような新歓だし一回暴れてみてもよかったなぁ、と今になって思います。来年の機械情報電気系の新入生女子には是非チャレンジして頂きたい。
てかね、これほんと、心折れるから。何百回とこの質問されて、そりゃもうね、心もバキバキ。高校生のときから運良くやりたいことが見つかって、入りたくて入りたくて必死に勉強して、やっと入ったのに、同じ境遇のはずの学科の男の子にも、学科に女の子が少ないから新歓で友達になろうとした文系女子たちにも、ことごとく皆に「なんでそこに?」って、疑問を持たれるの。自分の夢に。自分で見つけた自分のやりたいこと、なんで怪訝に思われなきゃならないの。って、もうまじで心折れた。あんなに入りたかった学科だったけど、自分の学科名乗るのが恥ずかしくなって、嫌いになりそうだった。高校生の頃は、なんでこんなに楽しそうなことしてる学科なのに女子の入学者少ないんだろう、って思ってたけど、入ってすぐ理解したね。ああ、この世界では女の子は生きにくいんだなって。実力うんぬんじゃなくて、"そこに存在することを理解してもらえない。"
「なんで?」って聞いてくる子に悪意がないのはわかってるよ。わかってるからこそ、本当に悲しいの。純粋な疑問を抱かれる程変なことしてる?こういうことに興味持っちゃだめなの?ってそう思えてくるの。同じ学科の女の子で、文系就職を選ぶ子もいて。そしたらそれはそれで「せっかくこの学科に入ったのになんで?」って言われてて。もうめちゃくちゃ悲しかった。やるせなかった。
自分で言うのもアレだけど、私はおしゃれも美容も好きで、顔がめっちゃ可愛いとかでは全然ないけど、見た目はそういう学科にいるように見えないんだろうなと思ってて。だからこそ余計に「なんで?」って聞かれたんだろうなと今となっては思う。だからといって「あ〜その学科にいそう〜」って言われたら言われたでショックだっただろうしwてか、文系の女子の「理系の女の子すごーい」みたいな小馬鹿にした感じほんとになんとかならない?大っ嫌い。まじで。
私が今、開き直って、立ち直って、全力で自分の夢を追いかけられているのは「女子がいてくれてありがたい」って、女子であることを尊重してくれて、それでいて女の子だからって甘やかしたりはしない、一人の人としてしっかり認めてくれる周りの人たち、そして、この学科に行きたいと言ったときに「やりたいことが見つかったんだね。がんばれ。」と手放しで応援してくれた両親がいたから。
そうやって認めてくれる人たちがきっとどこかにいるから。200人近く男の子いれば、そのうち何人かは理解してくれるから。自分の夢を諦めないで、絶対に。今いる場所じゃなくても夢が叶えられるのなら、思い切って飛び出してみて。(ちなみに私は途中で環境を変える決断をしました)
この記事で、心無い一言で悲しむ女の子が一人でも減りますように。(憶測だけど、看護学科とかの男の子も似たような境遇だったりするかな?そんな男の子たちにも届きますように。)